Thursday, December 15, 2005
「プランB」を巡るFDAの決定について、ヒラリー・クリントン上院議員を独占インタビュー。
我々の卒業制作にあたるVTRリポート企画、「Politics of Plan B ~緊急避妊薬プランBの認可を巡るポリティクス」のまとめ作業も大詰め。作業中のわれわれに、きのう朗報が入った。かれこれ1ヶ月も前からインタビュー交渉をしてきたヒラリー・クリントン上院議員の事務所から、待ちに待ったOKの連絡である。学友ケイティーと私の2人で、いそいそとインタビュー場所の上院議員会館ビルへ出かける。クリスマス休暇が近いので議会ビルにもツリーの飾り付けが美しい。
ヒラリーのオフィスの会議室に到着、セッティングを終了しいまかいまかと30分以上待った。そこに、若い女性秘書に伴われてヒラリー登場。ちなみにヒラリー事務所のスタッフはほとんどが20代後半から30代前半の若い女性である。写真はヒラリーと握手するケイティー。そこで私もヒラリーと握手。
「お会いできて光栄です。」
「あ、あなた9月のワインイベントの時にもお会いしたわね。覚えているわ。」なんと、かのヒラリーが私のことを覚えていてくれた。以前サラと2人で、9月に突撃取材したときに、一度ヒラリーにあいさつをしたのだが、まさか覚えていてくれるとは。「ヒデキ感激」もとい「テディ感激」である。
早速インタビューに取り掛かる。ヒラリーは30分で”ケツカッチン”(=日本のTV業界の用語で、30分経ったら終わりにして他の場所に行く、という意味)だからさっさと終わらせなくては。
BUチームQ・「セネター・クリントン、FDA(食品医薬品局)が「プランB」を処方せんなしで購入できる店頭販売認可を無期限に延期したことを、どう見ますか?」
ヒラリーA・「FDAは、医薬品が安全で効果的なものかどうか判断する絶対的な基準機関です。そしてもちろん、彼らは現代の最高水準の科学を基準にして判断をすべきなのです。しかしこの緊急避妊薬「プランB」についてだけは、FDAはイデオロギーにハイジャックされてしまった。プランBのオーバー・ザ・カウンター(OTC)販売については、 科学者や研究者達全員がその安全性を認めています。それなのに、行政当局がFDAに、薬局販売の認可をとりやめるように命令を下したのです。なぜならこの薬局販売を認可すれば、FDAは、法律に基づいてその科学的判断に基づいた行動をとらなければならないから。つまりプランBのオーバー・ザ・カウンター(OTC)販売を認可しないことは、科学を否定しているのと同じなのです。しかし、一方でFDAが仮にプランBのOTC販売を認可すれば、プランBに異議を唱える共和党ベースの人々が不快に思うことになります。つまり、これはイデオロギーとサイエンスを取り違えている状態といえるわけで、これは極めて危険なことだと思います。」
さすがヒラリー。のっけから、こちらが欲しかったコメントをびしっと言ってくれた。
--Sen. Clinton answer in English=“You know FDA is the gold standard for the entire world in determining whether the drug is safe and effective. And of course they should make their decision based on the best science available. With respect to Plan B, the emergency contraception, they have been hijacked by the ideology. ^All of the scientists and researchers who studied this issue have said that it is safe for it to be sold to adults over the counter, and yet the administration ordered the FDA not to make a decision. Because if they make a decision, they have to go with science, which is what they required to by law to do. If they make a decision that rejects Plan B, then basically they are denying science. If they approve it as they should, then the opponents who are part of the Republican base, will be upset. We are substituting ideology and science and I think that is very dangerous.”--
さらに質問。
BUチームQ・「行政当局がFDAにプランBのOTC認可を下さないよう命令した、とおっしゃいましたが、いったいどこからその判断は来ているのでしょうか?」
ヒラリーA・「それはブッシュ政権の一番トップレベルから下された判断だと思います。基本的には、彼ら(ブッシュ政権のトップレベル)がFDAにプランBのOTC認可を下さないよう命令したのです。GAO(会計監査院)が行った監査によると、FDAの人々がブッシュ政権から「OTC認可を下さないように」という指示を受けた、ともとれる記録があります。ですから、この判断は実にホワイトハウスから直接下されたのだと思います。これは、まさに政治的なたくらみの一部なのです。政治によって医薬品の安全性が左右されてはなりません。政治が科学を打ち負かすようなことがあってはならないのです。」
--Sen. Clinton answer in English=“I think that comes from the highest levels of the Bush administration. I think basically they have ordered the FDA not to approve this Plan B. And there was GAO study which seemed to suggest that the people in the FDA were told what they had to do, which they are not approving the drug…. So I think this comes straight from the White House. It is a part of the political calculation. We shouldn’t have politics determining the safety of our drugs; we shouldn’t have politics trumping science."--
ヒラリーは、同じ民主党のPatty Murray上院議員(ワシントン州選出)と共同で、FDAの決定を非難しその独立性に疑問を唱える声明を出していた。しかし、正直言って、ヒラリーの口から、直接ホワイトハウスを名指しで非難するコメントが取れるとは思っていなかったので、今回のインタビューには大、大、大満足である。共和党の保守派がむやみやたらに避妊ができるような薬を市販してもらっては困る、とFDAに圧力をかけた。それに民主党のヒラリーが異議を唱え、「待った」をかける。こんな見事な「政治・エンタープライズ・ストーリー」が出来上がりそうだ。課題の締め切り前日になってしまったが、インタビューの申し込みを受けてくれてよかった。
さて、こうしてはいられない。明日までに立ちレポを撮って、インタビューを編集し、ボイスオーバーをして。。と面倒かつ楽しい作業が山積みである。きょうの感激を胸に、前に進もう。
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Tuesday, December 13, 2005
カップケーキで祝うバースデー。
「”ケーク・ラブ(Cakelove)”、って店知ってる?すっごくおしゃれなんだよね。」こんなことを学友のエミリーちゃんから聞いたのは少し前。ワシントンという権威的な街にあって唯一、ヒップでおしゃれなストリート・カルチャーが根付くエリア、Uストリート・コリドー。その界隈にあるカップ・ケーキの店だそうな。師走感と課題の締め切り感が身を切るようなきょうこのごろ「きょうはあそこで、テディの誕生日を祝おうよね。」っつーうれしい理由で、繰り出した。
この店、ほんとーにおしゃれ。茶色にブルーのラインのイルミネーションが入った看板をくぐると、ローテーブルやソファが並んで、ヒッピーみたいな服装をした、およそDCにそぐわない若者達が「だべって」いる。薄暗い照明に、ギターのフュージョン音楽などがかかって、居心地がいい空間。肝心の食べ物は、看板メニューのカップケーキが3ドルから。いろんなアイシングで、バリエーションが10種類以上ある。ただのカップケーキ、と思うなかれ。これが「スクラッチ」(粉)から作る手作りで、保存料や合成材料は一切使っていない。新鮮な卵と牛乳でできてるから、うまい。バースデー・ガールの私は学友のみんなにおごってもらって大満足。ちなみにサンドイッチやスープなど、お食事メニューもある。この「カップケーキ」アメリカ人ガールズの間では最近、なぜか手軽でお洒落な手作りスィートとして根付いているようだ。。
エリート弁護士だった若い黒人男性のオーナーが、「ケーキに対する愛を広める」ために作ったというこの店。もっと知りたい人は、ココをご覧あれ。
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アメリカで乱用広がるドラッグ、”メス”って?
アメリカのドラッグ乱用問題で、最近槍玉にあがっているのが「メス」。メスといってもオスメスのメスではない。メタンフェタミンという覚せい剤・興奮剤の一種である。日本ではヒロポンという商品名がある。この”メス”普通の市民が住むアパートやホテルの部屋などで簡単に製造ができることが、乱用や密売が増加する原因となっているらしい。
「NY州の下院議員らが提案した“メス”乱用を止めさせるための法案について、取材してほしい」きょうはNY州のローカルTV局からこんなオーダーが突然入ったので、シャーウッド・ボーラートなる共和党議員の事務所へサラと突撃。
事務所の待合室で、アポイントの時間を待っている間にふと顔を見上げると、そこには壁一面にNYヤンキースのグッズや写真やユニフォームやらのメモラビリアが飾ってあった。議員事務所というよりは“ベースボールの殿堂”のよう。
「わたしたち、ボストンレッドソックスファンには肩身が狭いね、サラ。」そう、ボーラート氏はもちろんNY州の下院議員なのでヤンキースファン。ボストンレッドソックスは宿態。氏の前では、レッドソックスのことはしゃべらまい、と心に決めたのに。
無事インタビューが終わった後ついつい
「ヤンキースグッズばかりですね、われわれボストンの院生には肩身が狭いです。あはは。。」とかなんとか口走ってしまった。笑って流してくれたけれど。。。
ところで、アメリカでは2004年に1万7000もの「メス・ラボ」つまりこの覚せい剤の私設製造ラボが摘発されたという。法案についてはここを参照のこと。
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Monday, December 12, 2005
CBSニュース・ワシントン支局を訪問!
ワシントンポスト本社に続いて、きょうはミーハー・ツアー、いやいやメディア・ツアーを続ける。CBSニュース、ワシントン支局にやってきた。ダウンタウンにあるれんが作りのレトロな外観の社屋の中は、どんな感じなのか。早速見てみよう。
CBSニュース政治部(ポリティカル・ユニット)でインターンをしていたクラスメート兼ルームメート兼、課題チームメートのわれらがサラ。彼女の職場はこんな感じ。意外とこぢんまり。
1Fにはマスター・コントロールとスタジオがある。ABC,NBC,ともども3大ネットワークの本社はニューヨーク。だから、収録・送出設備はそんなに大きくはないものの、それでも地方のTV局くらいの設備を持っている。
CBSニュースといえば映画「Good Night, Good Luck」でもおなじみ、由緒正しい「ニュースの殿堂」的印象を受ける。しかし、報道番組「60ミニッツ」で、「ブッシュ大統領の兵役逃れ疑惑」を巡る手紙が偽物だったことが批判されたことで、05年3月に看板アンカーのダン・ラザー氏が降板するなど、その報道に対する姿勢に疑問が投げかけられたことも事実。ラザー氏がアンカーを務めていた「イブニング・ニュース」は、当面の代役として政治討論番組のアンカーでベテランのボブ・シャイファー氏を起用した。写真がシャイファー氏バージョンの番宣パネル。
しかしシャイファー氏はもともと日曜の政治討論番組「Face the Nation」のアンカーである。この番組はワシントン支局で収録されている。
CBSの政治部ではなぜか社内写真の白い犬を飼っている。社員のマスコット的存在として可愛がられている。。。(名前は忘れました。すいましぇん。。)
貴社の記者が汽車で帰社して。。。なんちって。記者の席は、大部屋ではなく、それぞれが個室を持っているから驚きである。写真はアジア系では一番(と思っている)のCBSニュース記者、ジョエイ・チェンさんの部屋のネームプレート。ミーハー気分を存分に満たされた、CBSワシントンへの訪問でした。サンクス、サラ。
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ワシントン・ポスト本社を訪問。
きょうは学期末も押し迫っているのに、「ワシントン・ポスト」紙の本社を院生全員で訪問。写真がダウンタウンにどかんと建つ社屋である。
訪れたのは朝8時とあって、まだ誰もいない編集部をみんなで練り歩く。写真はローカル欄の「メトロ」紙面。いろいろな地域面が並んでいるところ。
さすが、編集部は巨大。フロアぶちぬきで、「ブン屋」のにおいがぷんぷんする小汚い記者席がずらりと並ぶ。
今日、社会科見学じみた訪問をしたのはほかでもない。「ポスト」の人事部の人がわれわれ院生に会ってくれるというから、である。われわれ放送学科の学生はともかく、特に新聞学科の学生の視線が熱い訳だ。写真のオレンジのスーツを着た、インテリジェンス漂うアフリカ系アメリカ人の女性が「どのようにレジュメ(履歴書)やクリップ(これまでの取材記事)を送るのが採用のために効果的か?」について丁寧にレクチャーしてくれた。。。かといって、そんなにすぐにワシントンポストの記者になれる、というわけがないのであって。。。。
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Sunday, December 11, 2005
学期末ブランチ〜「プランBを受け取る女」の“ゲリラ的”資料撮影敢行。
学期末.大学院がホテルでブランチを主催してくれた。課題の締め切りも迫っているし、ワシントンプログラム終了後はさっさと寮を引き払わないといけないしで切羽詰まっているので、ディナーじゃなくてブランチ。写真は寮のそばにあるとあるとある大手ホテルの廊下に飾られていた「お菓子の家」。本当に食べられる材料で出来ていた。
こうしてゆっくり日曜の朝ご飯をクラスメートと食べられるのも、これから先はもう無いかもしれない。話に花が咲いて、お腹もいっぱいになったけど、どこか寂しさ漂う12月の日曜日の朝。
とはいえ、ぼやぼやしてはいられない。プランBの取材の撮影も大詰めで、きょうは資料映像を撮りにいく。写真はくだんの小児科医、ドクター・ジェンキンスに頼みこんでもらってきた正真正銘本物のプランBの処方箋。これを実際に使って、“性の「予期せぬエピソード」を持ち、一夜明けて妊娠の危険性を避けようとする悩める女性が薬局にやってきた”という資料映像を撮影しようという計画。
。。ということでもちろんその“悩める女性”役はサラ。ゲリラ撮影なのでアポはなし。薬局側は断るに決まっているからだ。素人用にしてはでかすぎるデジタルカメラを持ち、何かいちゃもんをつけられたら「おいら、英語わかりませんですだ。日本人ツーリストですだー!」という言い訳を用意。そう、もちろんカメラマンは私、テディ。案の定、カウンター越しに、ちゃっかり撮影していると、薬剤師に「何を撮ってるか知らないけど、顔は映さないでくれ」と注意された。「学生のドキュメンタリーです。えへ。」とか笑いながら言い訳して、薬を受け取った後はダッシュで逃げた。あはは。
ということで、無事手に入れたプランBをなめるように撮影してたら、ブランチ食べてたはずがもう夕方。疲れたよいい加減。早く課題完成させたい、ホント。
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最後のTVナイト。
ボストン大学ワシントンセンターで暮らすのもあと1週間足らずとなった。ボストンから、でこぼこ3人組ではるばるレンタルトラックで共に引越しをしてきてからはや3ヶ月。そのままルームメートにもなっていた、ビッキーさんと、サラとは本当にツーカーの仲になった。というか、お互いにいなくてはならない不思議なソウルメイト的な存在といえる。土日となれば、一緒にカフェに買い物に遠出にと繰り出し、平日は授業だ、取材だ、大学院のイベントだ、とほぼ毎日一緒だったのだから、無理もない。「職住学」の全てが一緒の友人なんて人生のうちにめったにいないといえる。写真はわれわれ3人の日曜日夜の「儀式」の様子。つまり、TVドラマ鑑賞である。
毎週夜9時からABCの"Desperate Housewives"、続いて10時から同局の "Grey's Anatomy"と2時間続く。CMの合い間に教科書を読みながらの時もあれば、3人そろってカウチポテトしながらの時もあった。この2つのドラマは、「ミス・TVウォッチャー(暇さえあればTVばかり見ているから)」の異名をとるサラが、残りの私達2人に紹介してくれた。今ではそれぞれのドラマに感情移入しすぎて「うおー」とか「きえー」とか、シーンごとに3人で叫びながら見るようになった。中でも、医療ドラマ×恋愛ドラマ÷2である「グレイ~」は我々のお気に入り。パトリック・デンプシー演じる「ドクター・マクドリーミー」ことデレク・シェパード医師役にほれ込んで、彼のセリフにいちいち反応してはばか騒ぎする、そんな日曜日を毎週送ってきた。
んでもって、でもそれも今日で最後。来週の日曜には我々のプログラムは終わり、ルームメートも解散なのだ。きょうは最後のTVナイト。課題が追い込みのせいか、居眠りするサラ。いつものきゃぴきゃぴの元気はない。私も課題追い込みで、そろそろ疲れがピーク、なのだが、最後のTVナイトだから、とついついTVを見る。しかし、である。来週から寂しくなる。これから一体誰と日曜のドラマを楽しめばいいのだろうか。。。
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Friday, December 09, 2005
イミグレについての会見とパーティ
ナショナル・プレスクラブで行われたCenter for Immigration Studies の調査ディレクター、スティーブン・カマロータさんの会見を取材。アメリカで急増する合法・非合法ヒスパニック系移民についての同センターの調査データはここで見れる。この後、年が明けた2006年に、アメリカではイミグレーション・ディベートと言われる移民をめぐる議論が活発に交わされるようになった。
夜、とある送別パーティに参加。12月の空気が冷たい中を、ほろ酔い気分で駅まで歩くのは、心地よい。ほてった頬を師走の空気がなでる。アメリカでも、「師走」って感じがする空気だ。うまく説明は出来ないが、年末の切羽詰った感じが、外国ではあっても、「しわす」って感じなのだ。。
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Wednesday, December 07, 2005
緊急避妊薬「プランB」を巡るFDAの判断に反対・辞任した女性理事を独占インタビュー。
ホワイトハウスはFDAに一体圧力をかけたのか否か!?引き続き、緊急避妊薬「プランB」(モーニング・アフターピル=写真は実物)の処方箋なしによる販売認可を巡る論争を取材中。おおむねオーバー・ザ・カウンター(処方箋なし)で販売の認可がおりると思われていたプランB。しかしその予想ははずれ、FDAは05年9月に突然その方向を180度転換してしまったから大変。アメリカではこれまでにおよそ百万人もの女性が、すでに緊急避妊薬としてプランBを使ってきた。現行では処方箋がなければ手に入らないこの薬。レイプにあったり、コンドームが破けたり(きわどい話だが)といった予期せぬ「エピソード」があったときに、72時間以内に飲むことで妊娠を防ぐことが出来るというこの薬の「緊急性」から、処方箋がなくても薬局にかけこめばいつも買えるようにしよう、という動きが大勢だった。(#前回の投稿で48時間以内と書いていたが、72時間の間違い。訂正します)
しかし、である。この薬は3年前にFDAの科学者の間で完全に安全性が確認されているのに、なぜいよいよOTC認可目前になって判断をくつがえしたのか?その理由は、こうだ。この薬はまず、中絶反対団体による攻撃のターゲットにされた。それから議論が拡大して、「キリスト教的教えに反する薬なのではないか。」という保守派の人々の反対の声が高まった、というわけだ。おりしもブッシュ政権=共和党政権=ホワイトハウスは中絶や同性婚といった、キリスト教の価値観に反することには全てノー、の立場をとっている方々が牛耳っているのである。FDAに圧力がかかった、という見方も、あながち「はずれ」ではないのだ。
そこで、プランBの科学的安全性を証明したドクターの1人として、FDAの判断転換に異議を唱え、抗議のために辞職をしたのが、この写真のドクター・スーザン・ウッドさん。元FDA女性保健・健康部の理事である。DCダウンタウンにあるとあるPRファームに身を寄せていらっしゃるところを、私とサラとケイティーが猛烈にリサーチしてつきとめ、きょうのアポイントにこぎつけた。
赤いパンツスーツにプラチナブロンドの髪をひっつめにして、威厳のあふれるウッド理事はなぜかボストン大学の卒業生、だったりしていろいろな「前フリ話」をふってみるものの、なかなか雰囲気がほぐれないまま、インタビューへ突入。
Q FDAの判断について、どう思っていますか?
A 「In this case, developing government regulations was a way of delaying it for so long. You are essentially saying no. Not just the young teens, but no to all women who can benefit from the access of this product.」 =この薬の場合、FDAが「政府の法制プロセスを経ないと認可できない」と主張しているようですが
、それは事実上「OTCを許可しない、ノー」と言っているのと同じです。この薬を待っているかもしれないティーンエイジャーだけでなく、この薬に利便性を得られる全ての女性に対してノー、と言っているのと同じなのです。
Q プランBは女性の体に安全なのですか?
A 「This product does not have any safety concerns or any concerns about misuse or abuse. 」=プランBの安全性は確証されていますし、乱用の心配もありません。彼女はまた、倫理面でも「プランBはすでに発生している妊娠を止めるのではなく、発生する前に止めるものです。「中絶ピル」といわれる、高濃度のバースコントロール薬とは全く異なる。」と主張。
Q FDAに対してどんな気持ちですか?
A「We count on FDA a great deal. It is credibility, which is extraordinary high over the decades. It is something very very valuable to us in US and internationally. It is very important that we insist that FDA stick to the science and make its decision about our health based on science and medical evidence. 」=われわれアメリカ人はFDAの下す判断に絶大的な信頼を寄せてきました。FDAは我々の健康に関する判断については、純粋に科学的根拠に基づいて下さなければならない。これが重要なのです。
「And we need to be able to count on that. I don’t know what lead to this funny decision. But I can tell you that wasn’t based on the science or medical evidence. And it wasn’t done with the best interest on women’s health. In fact, harms women’s health by increasing the risk of unintended pregnancies and increasing the risk of the need for abortions. So this is clearly not what our government to be doing. It is not what our health agency to be doing.」=そうしたFDAの科学的判断を頼りにしていかなければならない時代に、どうしてプランBに関してだけ、こんなおかしな判断が下ったのか全く分からないのです。そして、このおかしな判断は科学的や医学的根拠に基づいていないことが、確かなのです。女性の健康のために、極めてよろしくない事態です。これでは世間に望まれぬ妊娠が増えたり、中絶のリスクを増やすことになりかねません。このような事態は、われわれの政府が行うべきことではありません。アメリカの健康をつかさどる政府機関のやるべきことではありません。
女性科学者、ドクター・ウッドさんのインタビューは静かなる怒りがひしひしと伝わってきて、大成功。これでまたリポート完成に一歩近づいた。
※06年7月にこの投稿を書いている現在でも、このストーリーは進行中で、06年6月半ばにバースコントロールの提唱派が、FDAを相手取ってプランBのOTC販売を認可するよう訴訟を起こした。
※参考※CBSニュース「60ミニッツ」のThe Debate Over Plan B ビデオでドクター・ウッドのインタビューや、プランBのOTC反対派ドクターのインタビューが見れる。興味がある方はどうぞ。
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インタビューのトランスクリプト作り~おいしいデザートで自分を慰労。
前日の投稿のようにインタビューに行ってくると、トランスクリプトを作らなければならない。つまり、書き起こしである。なぜかアメリカのTV業界ではインタビューの全文を書き起こして、それをオン・ザ・レコードとして手元に残し、その書き起こした文章から使える音生かし=サウンドバイトを選ぶ職場が多い。日本のTV業界ではそんなことはしない。英語という言語の特性もあるのかもしれないし、はっきりとパブリック・スピーチができ、「しゃべくれる」インタビュー相手が多いせいでもある。しかし、このすべてを書き起こすという作業、最初ははっきりいって、かなり面倒くさかった。同級生がなぜ、すべてを弾丸のようなタイプさばきでパソコンに書き起こすのか、理解ができなかった。しかし慣れてくると、わたしのような留学生には英語の勉強になるし、どこがサウンドバイトとして使えるか、考えながらの作業だから、クリエイティブでもあり。完成すれば、全てが記録に残り、ナレーションを書くときの資料にもなるのだから、一石二鳥。だから私はアメリカ人のチームメートにからこの作業を奪ってでも、トランスクリプト作りをやるようにしている。しかししながら、そこはいかんせんネイティブと違うのだから、私が書き起こす時は、時間がかかるのはご愛嬌。写真は西日が入るワシントンの大学院寮の自室(個室・キッチンとリビングは共用)。ボストンの院生寮から通算して4部屋目、である。
インターン先の職場にはクリスマスツリーが飾られてすっかり年末モードに。
外は雪がつもって寒々しい。
慰労も必要。おいしいデザートでトランスクリプト作りで疲れた自分をいたわる。
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Tuesday, December 06, 2005
緊急避妊薬「プランB」をめぐる論争についてのVリポート、撮影を開始!
「プランB」といえば、一般的には「第一に取るべき手段に対して、やむを得ず取る2次的な手段」のことを指す。しかし、アメリカでは、バー・ラボラトリーズという製薬会社が販売した女性向けの緊急避妊薬(モーニング・アフターピル)の名前として知られている(写真)。つまりこの薬、コンドームなど避妊具をつけない「Unprotected Sex」をした際に、女性の側が48時間以内に服用することによって、妊娠の可能性を飛躍的に下げる、というものなのである。
しかし、この薬をめぐってFDA(米食品医薬品局)や政治家、そして中絶反対賛成両派活動家らの間で、論争が起きている。二つに別れた意見とは、
1.医師の処方箋なしに購入できるようにし、積極的にレイプなど犯罪による”望まぬ妊娠”を防ごうとする「推進派」と、
2.ティーンエイジャーなどがこの薬を当てにして性活動を活発化させるので、処方箋なしで買える様にしてはならない、という「反対派」
である。
とくに1.の「推進派」の中にはヒラリー・クリントン上院議員がいるわけで、「ヒラリーをインタビューして、このストーリーを卒業制作のVTRリポートにして、あわよくばNY州のローカル局に売り込む」。これを残されたワシントンプログラムの数週間の中で、まとめあげることにして、えいっと動き出した。制作チームは、サラ、私、ケイティーの3人である。
望まぬ妊娠を防ぎ、女性の手によるバース・コントロールを。それを目指して、着々と「オーバー・ザ・カウンター薬」として店頭販売の認可が進むと思われていたこの薬。ところがどっこい。FDAは05年9月、店頭販売の認可を無期限に延期することを決定した。一体なぜか?政治的な圧力、つまり現行のブッシュ政権=保守派=キリスト教に基づいた中絶反対派が見えざる力となって、FDA幹部に圧力をかけたとの見方がある。しかし、真相は闇の中。FDAでは、この薬が女性の体に及ぼす健康の害について十分な検証が出来ていない、ことを店頭販売をとりやめた理由に挙げているのだが。。
これについて、まずインタビューに行ったのがCWA=Concerned Women for America 。超保守派の中絶反対、プロライフ活動家の団体である。彼らのミッションとは「protect and promote Biblical values for women and families」ということであるから、入り口にはでかくて分厚い聖書がどかん、とディスプレーされていて目を引く。
インタビューに答えてくれたのは、CWAのプレジデント、ウェンディ・ライトさん。金髪がきれいな細身の女性だが、意見はかなり声高でメッセージもはっきりしている。
「プランBは高濃度の避妊ピルと同じだわ。服用すれば、深刻な副作用がありうる。こんな薬を薬局の店頭で誰でも買える様にして御覧なさい。まるでこの薬が誰にでも安全であるかのように感じさせるけれど、それは間違いだわ。とにかくどんなケースでも、もし緊急避妊薬を飲む必要があるような状況に女性が陥ったなら、医師に相談すべきよ。なぜかって?妊娠の危険性があるような行動をとる場合、それは性感染症の危険も伴う、ということだからです。性によって感染する危険な病気を防ぐためにも、プランBを自由に買えるようにするのは、間違い。」
ワシントンDC郊外のある大学病院。こうしたCWAの意見に真っ向から意義を唱える小児科医がここに勤務していると知り、インタビューにやって来た。実際にティーンエイジャーの、望まぬ妊娠や中絶に日々臨床で接している女医さんである。
Dr. レネ・ジェンキンスさんはAmerican Academy of Pediatrics (アメリカ小児科アカデミー)のメンバーで、ハワード大学医学部の教授。赤いスーツが褐色の肌に似合う、和み系のベテラン女医さんだ。「私はプランB(の店頭販売)を支持しています。科学的にも安全性は確認されていますし、店頭販売したところでティーンがそれを乱用するとは思いません。むしろ望まぬ妊娠の確率を減らすために役にたちます。この薬の重要なことはintercourseの48時間以内に服用すること。でもその時に医者のアポイントがとれなくて処方箋がすぐもらえなかったり、薬局にストックがなかったら?48時間たってから服用しても無駄なんです。」
ジェンキンス教授はさらに彼女のクリニックでのこんなエピソードを教えてくれた。
「So the best thing to do at that point is to give them emergency contraception prescription with no data on it. In that way, they don't have to call me if in fact they have unprotected episode that they are going to need it. And that tends to be the way we do it now. (一番いいのは、プランBの処方箋を日付なしで発行すること。そうすれば、unprotected episode が会ったときに、医者に電話をしなくてもすむ。それが今は一番いい方法ということになります。)
ある意味ショッキングともいえる意見だが、それだけアメリカではローティーン(10代前半)の性活動が活発化してきていて、社会がプランBを必要としているのだ、というメッセージでもあるのだろう。
対立する意見が論争を呼び、FDAでは何と内部で意見が割れて、女性理事が辞任する騒ぎにまでなっている。この辞任した女性理事、さらに大物のヒラリー・クリントン上院議員にインタビューをセッティング中。卒業制作のためだ。ワシントンという地の利をいかして、面白い政治ストーリーを最後に作り上げようではないか。。
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World Bankー世銀本部訪問
きょうは大学院の行事で、年の瀬も押し迫っていて、課題の締め切りや修士課程の終了も押し迫っているのに、こんな社会科見学にやって来た。World Bankー世銀(せぎん)ーへの訪問である。世銀といえば、「各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う、国際連合の専門機関。国際通貨基金と共に、第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担う。加盟国は184カ国」ということで、雪が路肩にふりつもる寒々しいダウンタウンを進み、ダウンタウンにある本部へ。迎えてくれたのは、Angelica Silveroさんというブラジル出身の世銀の担当者。
さすがに世銀だけあって、世界各国から集まってきた人々が働いていて、かのアンジェリカさんも、ブラジル出身。当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された、とのこと。写真はセキュリティの厳重な本部ビル内に設置された地球儀。
レクチャーの後案内された本部正面玄関のエントランスは、美しいの一言。吹き抜け7mほどはあろうかというホールに、天井からの光が降り注ぐ。その下は、人口の滝ができている。資本主義国のキング、アメリカから発展途上国へのお金のフローを想像させるだろうものなのだが、ただただダイナミックで美しく、外観(も美しいのだが)は想像もつかない景観美が構築されていた。これを見るだけでも本日のツアー、価値あり、といった感じ。大学院の課題の締め切りも迫っているし、寒くて外出するのすら難儀だったが、ルームメート兼チームメートのサラと2人で来た甲斐があった。
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Monday, December 05, 2005
部屋探しもう一軒~ペンタゴン記者の戸惑い~新居とうとう決定!
12.3に家探し部屋めぐりのフィナーレのつもりで見にいったのが、このコンド。ロシア人の29歳美女がルームメートを募集していた。
「アメリカで大学院を卒業して、いまはネット関連企業に勤めているの。このコンドは私の所有なんだけど、一部屋空いているので間貸しをしようと思って。」とナタリアちゃんというこの美女。
よい部屋だったのだが、何せ駅から遠い。ふきっさらしのDC郊外のあぜ道(!)をえっちら20分も歩いて帰宅できる、わけがない!ということで却下。この美女、ピアノを弾き、モダンダンスを踊るという素敵なお嬢様ぶりだ。いい友達になれたかもしれないが、車のない貧乏日本人にはこの部屋に住むのは無理。
12.5のジャーナリスト・セミナーのゲストはメリーランド州の地元大手紙のTHE BALTIMORE SUNのペンタゴン(国防総省)担当ベテラン記者、THOMAS M. BOWMANさん。これまでジェシカ・リンチ上等兵(覚えていますか?イラクで誘拐された米軍女性兵士)の救出作戦についての現地潜入スクープなど数々の従軍取材をモノにした。しかし、ペンタゴン担当になったとき、最初戸惑ったことは
「ミリタリー特有の略語やジャーゴン(隠語)が多くて。」とのこと。ちなみにDODとはDepartment of Defense, IEDとはImprovised ExplosiveDevices (即席爆発装置)のこと、PAOとはPublic Affairs Office (広報担当)で。。集めてみればきりがない。
ーーーーー話を変える。
いよいよ2週間先に大学院の3学期目の修了を控え、寮を追い出されるための次の家を決めかねて悩んでいたところ、週末にある人からお電話をいただいた。先日間借りの件で下見に行った新婚夫婦の家の夫、デービットさんからだ。
「テディ、家は決まったかい?先日君が下見に来て以来、いろいろな人が家を見に来たけど、妻のキャロリンも僕も君が一番気に入ったし、君となら楽しくハウスシェアが出来る、と思っているんだ。忙しいと思うけど、もし家に決めてくれたなら、電話をくれよ。じゃあ。」
電話番号を見て、誰からかは分かったので、まだ迷っていた私は、電話に出ずに留守番電話のメッセージを聞いた。正直、ぐっと来てしまった。
あの新婚夫婦の家以外、色々なところを見たが、家賃の予算や交通の便、居心地の良さそして英語力を失わないためのルームメートとの会話の距離感。。それらのことを一覧表にしてみてみると、彼らの家、デービッドとキャロリンーのところが正直一番ランクが高かった。それに、彼らが同年代から少し年上、で2人ともプロフェッショナルであるところも気に入った。先日言ったときも、外人である私の話によく耳を傾けてくれたし、今までに外人をハウスメイトに持った経験があると言っていた。
散々迷って、もう今週決めなければだめというところまで自分を追い込んで、もう胃が痛くなるくらい悩んだ末、この家に住むことにして、2人の家に電話をかけた。
「デービッドさん?私、テディですけど、ぜひお宅に間借りさせてください。」
「本当かい?う、うれしいよ!じゃあ、早速だけどカギを取りに来て。」
ということで、きょうの夜、大学院が終わった後に地下鉄に乗って、郊外の彼らの家まで。おととい降った雪が若干積もって、雪だるまを作った人がいた。彼らが住む郊外の住宅街は、ひっそりと白い雪の下に静まり返って、そこにちかちかと各家庭のクリスマスのイルミネーションが幻想的に光っていた。冷え込む中、彼らの住む家=引越し先となった家のドアを空けると、そこには暖かい「家庭」があった。
「ハーイ。あなたが一番印象的な「下見人」で、あなたが住んでくれればなあ、と思っていたから本当うれしい。よろしくね!」と奥さんのキャロリン。
なんだか、新しい家族(?)が出来たみたいな、不思議な12月の引越しストーリーの終わり、そして新生活の始まりであった。。。
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Friday, December 02, 2005
ホワイトハウスのブリーフィングに参加で、帰りにゲートでテロリスト扱いを受ける、の巻
「きょうはテディの番だから。ホワイトハウスの北西門前に11時45分に来て。」きょうは、ボストン大ワシントンセンターの客員教授でロイターの記者のジョン・デッカー氏のエスコートで、ホワイトハウスの定例ブリーフィングに行く日。そう、ワシントンに来てから、この日を待ち望んでいたといっても過言ではない。ワシントンでも、日本の外務省に当たる国務省(State Department)や議会(Congress)は比較的オープンな取材先なものの、ホワイトハウスとなるとそうは問屋がおろさない。
毎日お昼すぎから行われるスコット・マクレラン報道官(当時・写真)の定例記者会見を含め、ホワイトハウスのゲートの向こう側に入るには、「ホワイトハウスのハード・パスを所有した人間が必ず1人エスコートする」ことが必要である。だから、さすがの教授でも、BUの放送ジャーナリズムの院生を1人ずつしか連れてこれなかったというわけだ。しかも、私のように、パスポートなどの外国政府発行のIDしか所有していない人には、さらにもう1人、ホワイトハウスのシークレットサービスのエスコート(!)がつく。ゲートで念入りにIDをチェックされると、レイバンのサングラスをかけてトレンチコートでキメた「俺がシークレット・サービスだ!」みたいなSergent Carlson というエスコートがやって来た。彼と、デッカー教授に連れられていよいよゲートの向こう側へ入る。定刻になり、生マクレラン報道官の登場だ!二重あごがぷるぷるしていて、青い目が印象的。。とベタな反応をしてしまう。TVでいつも見ている人だからだろか。
ブリーフィングルームに入ると、デッカー教授は、ブリーフィングについて大体の説明をした後に「仕事があるから、じゃ」とつれなく帰ってしまった。胸元の赤い「エスコート要」というカードが空しく揺れる。今思うとそれが、この後の悲劇の前ぶれだった。ブリーフィング自体は、いつも中継で見ていたものの生で見るとさらに迫力があった。激しく報道官に食い下がる記者陣と、マクレラン報道官の押し問答。日本の「本音と建前」が先行する、形だけの記者会見と違って、本当にホワイトハウス側と報道陣が「議論している」という感じ。途中から勝手に入ってきて、聞きたいことだけ聞いて帰る記者や、大事なことだけ聞いたらさっさと帰る記者などもいて、まさにしたい放題という印象も受けた。
これが報道官と反対側の、メディア用のひな壇。ABC、CBS、NBC、CNN、FOX、APの各社のクルーが常駐していて、生でフィードを送っている。担当のカメラクルーがクリスマスのギフトの話などをしながら、談笑している。
そして悪夢は起きた。ブリーフィング終了後、この写真を撮ったりしてから、ゆったりとゲートに向かって行ったときだ。赤いテンポラリー・パス。それは紛れもなく「エスコート要」のパス。それをパス回収箱に返そうとしていたときに、2人のゲートのセキュリティー・ガイがものすごい勢いでいちゃもんをつけてきた。
「Wait! Where is your escort? Foreign national couldn't go through the gate without any escort.」
あのー、エスコートの人(=教授)は帰ってしまい、かつサージェント・カールソンとかいう「メン・イン・ブラック」みたいなエスコートも「In theory, I need to escort you to the gate on the way back. But I don't need to.」とか行って、いなくなっちゃったんですけど。
「IDを見せたまえ、IDを。そこから一歩も動くんじゃない。ドント・ムーブ!」ほっといたら銃でもつきつけるんじゃないか、という勢いで若いセキュリティー・オフィサーは怒っている。はあ、だからIDは議会パスと、パスポートしかないんですって。それに、エスコートの人は2人ともいなくなったんですよ。怪しい行動を取ろうとしていたわけではなくて、会見が終わって帰ろうとしてただけなんですけど。こう説明しても、そのHunterさんという若いオフィサーは、「何を言っているんだ!?とにかくエスコートがないと、君みたいなパスポートしか持たない外国人は、このゲートから向こう側でwandering aroundしてちゃ、だめなんだよ、わかるのか?一体君の住所は?あ?DCに住んでるのか?」と顔を赤くして私を叱り付けている。
はあ、呆れたよ。外国のパスポートしかない人は「テロリスト扱い」かよ、この国は。
やがて、この怒れるOfficer Hunter氏以外は、
「ああ、この人さっき入るときに見たよ。その時はエスコートと一緒だったし、怪しくないんじゃない?」と「許してあげれば?」モードに入ってきた。しかし、くだんのハンター氏は獲物を追うグレイハウンド犬かのように、私への追及の手を緩めない。
彼が取った次の手段は、まずサージェント・カールソン(メン・イン・ブラック)に電話で確認。彼がランチに出ていることを知ると、「君のもう1人のエスコートの教授の勤務先は?」と聞いてきた。「はい、ロイターです。」何のてらいもなく答える私。だって早くこんな怖い無実の追及から解放されたいんだもん。
そこでハンター氏、今度はうちの教授の勤務先に電話。そこで、教授をこっぴどく叱る。「ホワイトハウス・パスを剥奪するぞ」とまで脅している。でも、知ーらないっと。
やがて、サージェント・カールソン(メン・イン・ブラック)とも連絡が取れて、納得したハンター君。ようやく「よし、君が怪しくないことがこれで、わかった。言ってよし!疑ってしまったが、任務なので悪く思わないでくれ!However, your escort will be in a big trouble. You have a nice day!」はあ、冷静に対応していたし、言いたいことは全て言ったテディだったが、この解放令を聞いて不覚にもちょっと目のすみから一滴だけ水が出た。それだけハンター君の態度がものものしかったのだ。
そこで「I told you that I was't doing anything wrong, officer Hunter, you have a nice day, too!」と元気よく言い放ってゲートを出たものの、疲れがどっと押し寄せて。。。
そこで教授に電話。「ゲートで、こんな目に遭って。」と説明すると、そこで耳を疑うような答えが帰ってきた。
「ハンター警備官は君がホワイトハウス内をうろうろして不審な行動を取っていた、といっていたぞ。」ははーん。自分がエスコートの義務をほおりだして帰ったのが悪いのに、責任のすり替えか!?そうとしか思えない。はん。結構いい男の教授だったけど、きょうから敵だわ。そこで
「誓って言いますが、そんなこと、してましぇん。大体帰り道、ゲートで半ば脅されて、まるでテロリスト扱いされた生徒にその言い草はないんじゃないすか。」と教授と押し問答して、電話を切る。ああ気分が悪い。ホワイトハウス、私にとっては鬼門なのかもしれないーーーー。怒りが収まらないし、腑に落ちない、冬のワシントンの午後。。
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APのホワイトハウス担当記者が来校。
AP通信(Associated Press=アソシエーテッド・プレス)のホワイトハウス担当記者、ジェニファー・ラヴェンさんが来校。レクチャーを行った。1992年にAPに入社以来、ワシントン支局に勤務。以来、出世階段を登りつめ、20002年に”ホワイト・ハウス・ビート”を担当になった。弁護士で環境コンサルタントをしている夫のロジャーさんとの間に長女のエリザちゃんが生まれたときには「ブッシュ大統領から、病院にお祝いのメッセージが届いた」というからすごい。
ホワイトハウス担当の取材、その出稿のポイントは何か、という学生の質問には
「数々のスピーチを取材し、原稿にします。中にはつまらないスピーチもあります。でも、スピーチは変えられないのです。そこに、どんな意味を読み取るか、に我々記者の存在意義があるの。」
と答えた。いかにも。
ラヴェンさんは、そこで先日ブッシュ大統領が、海軍アカデミーの卒業式で行ったスピーチの原稿をまるまる配布し「皆さん一人ひとりが、このスピーチ原稿にどんな見出しをつけるか、考えてみて」と実践授業を行った。うーん。これはいい勉強になるな。
それに、「写真にストーリーを語らせる文章術も必要です。」とも。例として、先日(2005年11月です)のブッシュ大統領が中国訪問の際に、スピーチを終えたブッシュが、”出口を間違えて出れなくなった一連の赤いドアの写真”が掲載されたニューヨークタイムズの紙面を挙げていた。
朝から内容の濃い講義だったが、何の因果か、きょうは昼に、当のホワイトハウスのデイリー・ブリーフィングを、教授の引率で見学に行くことになっているのだ。そこで、実はとんでもない事件が待ち受けていたのだが、続きは後で。。
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Thursday, December 01, 2005
盲目のオペラ歌手が歌うクリスマス・ソング
アンドレア・ボッチェリという盲目のイタリア・オペラ歌手をご存知だろうか?きょうはMCIセンターというところで、彼やそのほかのアーティストが共演する「ロイヤル・クリスマス2005」というコンサートを聞いてきた。東京の武道館の2倍はありそうな巨大アリーナにしつらえられた特設ステージで、盲目のシンガーが歌い、英ロイヤル・フィルの演奏にあわせてキエフバレエ団が舞い。。「くるみ割り人形」やら何やら、クリスマスにまつわるクラシカル・ミュージックが絢爛豪華で、見ている人々は裕福そうなDCのコンサバな男女で。。
MCIセンターはキャパが巨大なので、案の定と思ったが、その裕福そうな観客の人々は普段地下鉄など乗ったことがないようで、行きの地下鉄の駅は大混雑。道路も、車で会場に乗り付ける人々で大混雑。。
で、一緒に行ったサラと共に一足先にコンサートを抜け出し、スパニッシュレストランのタパス<小皿料理)とサングリアなどでフェスティブな気分を満喫したのであった。
大学院の追い込みと師走のどたばたと寮を追い出される日の近づく中の、サラと私の束の間の休息ー。
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Tuesday, November 29, 2005
部屋探しで、コスタリカの写真家に面接を受けるの巻。
きょうは、部屋探し物件#6、こんな部屋を見にいった。コスタリカから来た女性写真家が、フォトスタジオとして使っていた部屋を、間貸ししたいというユニークな物件だ。しかも
1.同居人となる写真家が猫を飼っているので、間借り人は猫好きでないとならない。
2.職業を持った女性であること
これが条件である。家賃は月$1000とまあまあなものの、地下鉄の駅まで徒歩40歩と駅近なうえ、私が現在住んでいる寮から2ブロック先という好条件である(<引越しが楽)。見に行ってみようと、アポをいれた。
出てきた写真家は、でっぷりと太った大きな女性で40代くらい。で、彼女の住居兼事務所で話をする。
「で、あなたは猫は好き?仕事は?」
元ナショナル・ジオグラフィックやAP(Associated Press)の契約カメラマンで、戦場や動物をメインに撮影していたジャーナリストだけあって、鋭い質問が飛んでくる。なかなか手ごわい。
「前の間借り人は、男を連れ込むなってあれほど言ったのに、男が今じゃ入り浸りなのよ~。あなたは大丈夫なんでしょうね?」はあ、初対面なのにそんなプライベートなこと、聞かれる筋合いはないんですけど。ところで、あなたはどうなんですか?写真家も、上の写真の部屋の、ドア一枚隔てた隣の部屋に住んでいるのだ。
「私?ああ、ボリビア人のフィアンセがいるから、たまに来るけど、まあ、気にしないでよ。」はあ?それって自分勝手?なんじゃ。
そして、共用となるキッチン・トイレバスを見て、さらに驚いた。そこに行くには、上の部屋を出て、彼女を訪ねてきた客が歩く廊下を5mほど、歩かなければならないのだ。
さらに、だめおしで驚いたのがこの会話。
「あなた、日本人だそうだけど、鶏レバーは、よく調理するのかしら?」
はあ?。。というのは、またどうして??
「以前まだお金がなかったときに住んでいたDCのグループハウスに、日本人のハウスメイトがいたの。彼女が1週間に1回は必ず鶏レバーをフライパンで調理するんだけど、これが、臭くてねえ。できれば、鶏レバーはやめてもらいたいわ。」
そりゃあ、レバーは日本じゃ普通に食べてたけど、こっちじゃあ買ったこともなかったし、考えたこともなかったよ。”鶏レバーをよく揚げていた日本人”って、それって偏見なんじゃ?
そんな腑に落ちない気持ちを抱きつつ、写真家の家を後にする前に、彼女はこう言った。
「それじゃあ、結果は3日以内に電話するわ。あなたのほかに2人、部屋を見たい人がいるの。全員公平に会ってから、結果を出したいから、それじゃあね。」
まさか、これって、「面接」だったのか!?部屋を借りたい人が、決めるんじゃなくて、部屋を貸す側が貸す人を決めるなんて、なんだかおかしいよ。ーーということで、もちろん3日たっても、電話はかかってこなかったのでした。一風変わった部屋探し体験の巻。。
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Sunday, November 27, 2005
部屋探し続行、立ちレポ収録、休暇最終日。
何とか風邪から立ち直り、部屋探しを続行。見に行った物件(通算で#5)は、郊外のアパートシェア物件。NIH(国立衛生研究所)に勤める香港の女性とリビングをシェア、ベッドルームは別というものだったが、そのベッドルームが狭すぎて没。家賃は、さいこーに安く、月$500というものだったので、残念である。写真はアムトラックの駅に帰り着いた「帰省帰り、もとい、サンクスギビング帰り」のアメリカ人たち、タクシーを求めて行列するの図。世間では、サンクスギビング休暇が終わったらしい。
夕方、課題用の立ちレポを1人で収録に行った。議事堂バックだが、ほとんど日暮れでまっくらけ~のけ。
しかし、私の部屋探しもお先まっくらけ~のけ、なのだ。寮の部屋は12月15日に明け渡さなければならない。それまであと1ヶ月を切っているが、どうする!?どうなる!?
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Saturday, November 26, 2005
部屋探し失敗、風邪悪化。
。。で寝込むことに。市販の薬が効かない。ということは、ワシントンという街柄、鳥インフルエンザ、とかを疑うわけで。そんなわけはあるはずがないんだけど、病院も閉まっているし、焦るばかり。
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Thursday, November 24, 2005
やけくその部屋探しでコスモポリタン都市DCを実感。
寮にも、通りにも、人がいない。みんなサンクス・ギビングで「くに」へ帰ってしまったのだ。がらんどうになった寮で、1人考えたがやはり、この長期休暇を利用して、あれをやるしかない。あれ。あれとは、12月半ばにこの寮を追い出された後の部屋探し。
ボストン大学院の修士課程は3セメスター制で、今は3セメスター目をワシントン・プログラムに参加し寮で過ごしている。ということは、プログラムが終わると同時に「はい、職でも探しな、ほれ!」とばかりに寮からも、大学院からもほおりだされ世間の荒波にもまれる、という無残なシステムになっているのだ。私は幸いにも現在インターン中の放送局で、「プラクティカルトレーニング(元社会人の大学院生にとっては、笑うタイトルであるが)」として雇われることになったので、部屋探しをするのは、「名誉ある」こと。。しかし、しかあし。いかんせん、もう11月。課題やインターンは山積みになっているのに、風邪は治らないし、まだ住んで3ヶ月の町で家を探すとなると、大変。しかも、その先いつまで住むのかも分からないし、家具は中途半端に持っていない。となると、家探しの最初はアパートを探していたものの、途中から「間借りや、ルームメートと同居もいいかも。」と方針を変更した。
それに、DC近郊は家賃がたっけーの、なんのって。東京より高いくらい。ワンルームのアパートを借りると、安くても一月に光熱費通信費抜きで$1400くらいから、と来ている。議会や政府機関、大使館や民間の会社など常に人の出入りが激しい国際都市だからこそ、常に賃貸・不動産は「売り手市場」なのである。それでも、インターネットの掲示板サイトを駆使して「ルームメート募集」という広告を中心にいくつかアポをとった。きょうはサンクスギビングなのに、そのうち2ヶ所へお邪魔。
一軒目。かなり広々としたコンドにトルコから来た二人の女の子が同居しているお宅。1人がNYへ引っ越すので、ベッドルームが一つ空くのだと言う。楽しくやっていけそうな人たちだったが、家のあるエリアの安全性に少々疑問があり、ペンディングに。
次に訪れたのはかなり郊外の一軒家。ハウスシェアの募集。チェコスロバキアから移民してきた、シングルマザーとその中学生の娘さんの住む感じのいい家に、ドイツ人の留学生と、アメリカ人の大学院生と共に3人目のハウスメイトとして住んでほしい、という。犬や猫がいて、リビングルームでインターナショナルでコスモポリタンな女性達が談笑している。素敵な家だったんだけど、ベッドルームが物置と同じくらいの狭さだったのと、駅からの帰り道が夜は暗そうだったので、残念ながら没。コスモポリタン都市、DCを改めて実感した、「国際的」部屋探し体験だったけど何も決まらないまま、無駄に休暇が過ぎていく。焦りは増すばかり。。
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Wednesday, November 23, 2005
サンクスギビングで帰省する”ルーミー”を見送り。
11.22(火)ニュースルームにて。教授の愛犬「フレッシュマン」とたわむれる。フレッシュマン、とはうちの先生が書いた本のタイトルである。。>せ、せんせー?、いくらなんでも、た○じゅ○すぎやしませんかね、このネーミング。。
教授も犬を教室に連れてくる、ということはそのままどこかへ遠出する、ということ!?ぬあんと、知らぬ間に世間はサンクスギビングではないか!?日本で言うならお盆のようなもの。ママの作る七面鳥の丸焼きを家族全員で食べるために、世の中は長い連休となり、車の大渋滞や飛行機のキャンセル待ちをものともせずに、アメリカ人たちはえっちらおっちら、州をまたがる大移動をする。ということで、同級生が皆旅立っていくーー(泣)。残ったメンツで夜、人通りのなくなった大通りを歩いてレイトショーへ。「ハリーポッター・炎のゴブレット」を見た・。映画館は我々のような「居残り」組みでそれなりに盛り上がっていたけれど。
きのうはルーミーことルームメートのうち、ビッキーが車でボストンに帰省するのを見送った。映画を一緒に楽しんだサラも明日、テキサスに飛ぶのを見送る。も、もしかして寮の居間に1人!?悪質な風邪が長引いているし、1人で、養生をすればいいのだけれど、何だか皆を見送ってさみしい気分になってしまった。帰省先が遠い、われわれ留学生は、”サンクスギビングはつらいよ。”なのである。。
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Monday, November 21, 2005
映画「Shattered glass」で功を急ぐジャーナリストの脆さを見る。
「Plagiarism(記事の盗作、盗用)、fabrication(捏造)はいかなる理由があっても許されません。大学院の課題には、必ずオリジナルのものを提出しなさい。」そういえば、大学院のはじめには、ジャーナリズム学科のどのクラスでも、こんなペラ1枚のガイドラインが配られたっけ。きょうはそんなことを思い出させる映画、「Shattered Glass」を見てディスカッションする授業があった。
<映画のあらすじ>25歳のスティーブン・グラス(=「スターウォーズ」などに出演しているヘイデン・クリスチアンセンが熱演)は、アメリカ国内で最も権威あるといわれる政治マガジン“THE NEW REPUBLIC”に勤める最年少の編集者。斬新な切り口で身近な政財界のゴシップを次々とスクープ、スター記者へと成長していく。社内外での人望も厚かったスティーブンだが、ある時彼の手掛けた“ハッカー天国”というスクープ記事が、捏造疑惑をもたれることに。しかし、スティーブンの記事捏造は、その記事だけではなかった。。捏造の裏側を暴かれ次第に追い詰められていく青年記者と、事件と向き合う同僚の姿をスリリングに綴る。功を急ぎすぎた若いジャーナリストの脆さを描いた傑作。
実はこの記事捏造事件は実話。事実を基にリアルに再現した社会派の映画だ。実物のスティーブン・グラス氏は2003年にCBSニュースの「60ミニッツ」に出て、捏造事件の裏側や心理状態を堂々と語った。「「ニューリパブリック」誌はグラスが書いた47の記事のうち、27がねつ造だったと認めて謝罪文を掲載した。超一流のはずの雑誌が、一人の記者の連続捏造に気付かなかった原因は何だったのか。そして、悪いことだと知りながら、うそを突き通したグラス記者の精神状態とは?
※CX「奇跡体験アンビリバボー」で取り上げられたときのストーリーはココ。
CBS「60ミニッツ」Aug. 17, 2003のスクリプトはココ
CBS「60ミニッツ」のウェブサイトに掲載されたインタビューによると、グラス氏(写真・CBSより)は
「私の人生はうその連続でした。うそを隠すためのうそをまた編み出すといった具合でした」(“My life was one very long process of lying and lying again, to figure out how to cover those other lies,” )と語っている。さらに、功を急いだ記事捏造について
「今、この人からこんなコメントをもらえれば、僕の記事は完璧なのに、といつも思っていてついやってしまった。やってしまうたびに、やめなければ、やめなければ、と思っていたのにやめなかったんだ。」(“I remember thinking, ‘If I just had the exact quote that I wanted to make it work, it would be perfect.’ And I wrote something on my computer, and then I looked at it, and I let it stand. And then it ran in the magazine and I saw it. And I said to myself what I said every time these stories ran, ‘You must stop. You must stop.’ But I didn't.” )
↑この気持ちは、同じジャーナリストとしてわからなくもない。記事を書いたり、VTRレポートを作っていると、「ここでこんな人にインタビューをして、こんなことを言って貰おう」とついつい考えてしまう。つまり、記者やディレクターは、取材前に「この出来事はこうだ」と決め付けていることを、そのまま現実にインタビューをした人が言ってくれないか、と期待するのである。現実には、そう思い通りに行かないことが多く、現実に相手が言ったことにあわせて、原稿のトーンを調整するのがプロ。しかし、現実には締め切りというものがあり、インタビュー相手のコメントだけを空欄にした、予定稿を作ったりすることも多い。また、予定調和といわれても仕方がないかもしれないが、グラス記者のように思い通りのクォート(コメント)を得ることに、ついつい躍起になってしまうことも否めない。私が過去に経験した映像取材でも、ついついインタビューで「○○、ですよね?そうじゃないですか?」などという「誘導質問」をしてしまうことが実際にあった。現実に捏造をするかしないかは、薄い紙一枚の分かれ道、なのかもしれない。 (ちなみに。誘導質問をやると、実際にはいい答えが返って来ないことが多いし、あまりやらないほうがいいとされている質問の方法である。)
とはいえ、TVニュースの取材では、容易にうそはつけない。インタビューをした人が実際に映像の中で、こちらの思惑通りのことをしゃべってくれなければいけない訳。文章になってしまえば捏造かどうか正直わからないプリント・ジャーナリズムと違って(新聞業界の人には失礼だが)、ブロードキャスト・ジャーナリズムはうそや捏造が、よりしづらい環境にある、と思う。それでも、日本のどこかのTV局では「釣れてもいない海老を漁師の釣りさおにつけて、幻の海老が捕れた!」という事件の例もある通り、ニュース映像にもやらせがあるみたいだが。。
「私の記事に感動してくれる人々の反応を見るのが好きでした。企画会議に行って、どんな記事を企画しているかを話すとき、部屋全体が”それは面白い記事になる”とエキサイトするんです。私の書いた記事はどれもホームランでなければならない、そう思っていました」(“I loved the electricity of people liking my stories. I loved going to story conference meetings and telling people what my story was going to be, and seeing the room excited. I wanted every story to be a home run.” )その気持ち、わかるなあ。それにしてもこのグラス記者はよっぽど文章や表現力にすぐれていたんだろう。うその企画をたてて、うその記事をいきいきと書くあたりはすごい。
ところで、アメリカのジャーナリズムには、このような捏造や盗用、間違いを防ぐための「ファクト・チェック」の機能が日本以上に発達している。各メジャー新聞社やTV局には、「ファクト・チェッカー」という専門の担当者がいて、記事が出る前に電話などを使って、事実関係を必ず確認する。また、インタビューのコメントの一字一句についても、「言った、言ってない」ということがないように、必ず””(quotation mark)をつける。それはもとより、TVのニュースなどで、口頭で他人の言ったコメントを引用するときは、「○○さんが言うことには、クォート(=”)、××× アンクォート(=”)とのことですが。。」のように、必ずそのコメントが”と”にはさまれていることを口頭で強調する有様であるからして。。だからこそ、グラス記者のような事件は大問題になるわけである。
捏造がばれて文字通り肩を震わせながら泣き、ジャーナリストの立場を追われたグラスさんは、何とその「うそつき半生」を“The Fabulist.”という本に書いた。さらに、今度は人生を法曹界でやり直そうと、ワシントンDCのジョージタウン大学でロースクールに通い、法律の学位を取ったというから仰天である。2003年現在のCBSのウェブサイトによると、現在はニューヨークに住み州の司法試験合格を目指して勉強中、ということだが、その「うそと虚栄で塗り固めた」性格からして、法を行使する職業が向いているのかどうかは、はなはだしく疑問である。
最後に二つPS。1.この映画、邦題は「ニュースの天才」なのであるが、いつもながら邦題のだささには辟易する。。(どうにかしてくださいよ~<映画業界関係者の皆さん)
2.アカデミックな世界での盗作、実はアメリカでは少なくないらしい。冒頭に書いた、大学院の盗作禁止ガイドラインを読んだときは「そんなことするはずないじゃーん」と思ったけど、実際に大学院が始まると、シビアな課題の量と、院生同士の成績争いを目の当たりにして「少しくらい、いいんじゃないか。」と思う気持ちは、今なら痛いほど分かる。でもばれたときのことを考えると、怖くてできないと思うけれど。しかし、BUのコミュニケーション学部大学院でも、盗作らしき論文を書いた、とかの理由で退学になった学生がいるらしい。しかも、私はジャーナリズム学科なので、オリジナルな企画をたて、実際に世間に取材をして大学院に提出して単位をもらうのだから、全く持って盗作や捏造は犯罪行為、自爆行為に等しいわけである。うそをついて記事を捏造するよりは、期日に間に合わなくて正々堂々と言い訳をしそれでもいいものを創るか、期日に間に合わせるために取材しやすいネタを選ぶ、そのどちらかのほうが、まだいいと思う、きょうこのごろである。とはいえ、大学院の課題の量は、やはり半端じゃなかったなあ、いま振り返ると。。。
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Sunday, November 20, 2005
リユニオンな日曜日も帰れば編集待つ@DC寮。。
ボストン滞在最終日の日曜日。知り合いの皆さんとトルコ・レストランでブランチ。
同じ大学院の同じ学部に通う3人でスリーショットを一枚。それぞれ、テレビジョン、ブロードキャストジャーナリズム、パブリックリレーションと専攻は異なるので、同じ授業を取ったことはなかったし、学校で会うことはあまりなかった。最後の学期、がんばろう、とお互いにエール交換。
1時間半飛行機に乗って、バスと地下鉄を乗り継いでえっちらワシントンDCに帰ってみれば、緊急事態が勃発していた。人物プロファイルの取材の課題の締め切りはあす。チームメートのケイティーとサラにVTRの編集を任せてボストンに出かけていたのに。
ケイティー→とんずら。
サラ→いとこと外出の後、一人で編集しようとしていたが終わらなかった。
とさ。せっかく楽しく帰宅してみれば、まだ宿題が待ってるなんて、こんなのアリ!?結局夜中の2時までかかり、無事宿題は終了。ボストンでの3日間を遊び倒したせいもあり、つ・か・れ・た。
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Saturday, November 19, 2005
晩秋のボストン散策はおじさまたちと共に。。
昨年、白い嵐と格闘することになったバーモント州へのスキーツアーや卒業大マツケンサンバ大会などで、さんざんお世話になったS電機のS部長がボストンに偶然やって来ていた。しかも出張で同僚の方を連れている。待ち合わせて港へ繰り出すことに。クリスマスの飾りがきれい。(ひええ季節はずれ。回顧ブログになっているのを許してえ。現在は”風薫る5月”なのに。。)
クインシー・マーケット前広場で偶然ハンドベルの演奏隊に出会った。澄んだ音色にこころ癒される。
あ、足長おじさん!?仮装したシルクハットの男は、リンカーン大統領、らしい。。
”ボストニア”の港は秋晴れ。澄んだ空気がのすたるじっくな気分をそそるものの、そこは3人のおじさま達と共にいるのであって。。(あ、おじさま達がいけないわけじゃあ、ないんですけどね。。。)
ええい、カラオケだ、カラオケ!フェンウェイ球場そばのいきつけ、MALUKENこと「丸健」日本レストランで公共カラオケ。閉店のAM2時まで歌って声が枯れた。S電機おじさま軍団の「ダンシング・オールナイト」や日本の演歌攻撃に、店にいたボストン・キッズものりのりだ。私は何を歌ったんだか、覚えていないくらい全力で歌って燃え尽きて、喉も枯れ尽きた。もう年なんだから、こういうのは止めなければ。。と思いつつ東京にいるときとあまり変わらない自分の行動パターンに呆れながら、夜は更けていく。。アーメン。
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Friday, November 18, 2005
秋深し・ボストン訪れ・OPT申請。
きょうは金曜の早朝講義後すぐに空港に直行して、ボストンへ飛ぶ。懸案事項だったプラクティカル・トレーニング申請のためだ。ずっと先送りにしていたが、そろそろ申請をする場合は、決断しないといけない期限が近づいていた。
アメリカの4年制の大学や大学院を卒業すると、学生ビザの実質1年延長にあたる”プラクティカル・トレーニング(OPT)”申請の資格が自動的に得られる。学部や大学院の課程が修了した後、1年間は合法的に働いてお金をもらってもよい、という制度である。ただし働く先は自分で見つけなければならないし、1年経った後は、その後6年間就労が有効になる
H-1ビザに切り替えなければ、アメリカ滞在はできない。Hー1を取るにはスポンサー企業が必要だから、OPTの時にH1をスポンサーしてくれる企業を見つけておいて、切り替えを行うというのが一般的らしい。
私の場合は、現在の段階では、Hー1の申請までは、考えていない。11月現在で、12月の大学院修了後、OPTとして働く先のあてがついたので、申請しておこうと思ったのである。まずはOPTで1年以内のアメリカ滞在延長を目指す。その後は、H-1をせず、帰国する予定でいる。
OPTで働く先とは、現在のインターン先の日本のTV局のワシントン支局。アメリカにいるのに日本企業で働くこと。これには正直少々葛藤もあった。アメリカの企業で働くことにも、興味がなかったわけではない。でも、私は日本人で、日本のために仕事をしたい、という気持ちが常にある。だから日本の視聴者向けに、アメリカについて報道をするほうが、アメリカのTV局でアメリカ人のためにアメリカのことを報道するよりも、良いと思ったのだ。それに、アメリカのTV局では、テクニカルをやるならともかく、プロデューサーや記者をやるには、英語の言語能力が足りないように思った。自分がもし日本にいて、たどたどしい日本語を話すアメリカ人の作るニュースを見たら、理解ができないかもしれないだろう。その逆バージョンをやるよりは、日本の会社で、日本のアングルでアメリカを伝える、そこに意義があるように思った。
OPT申請のため、大学の担当者と面接アポのあとは、港近くの定番シーフード店Union Oyster Houseでロブスターをがっつく。ボストンの友人の中でも、もっとも若い連中と盛り上がる。すでに秋を通り越え、晩秋の気配漂う外気は、吐く息が冷たくなるほど。寒いけど、ボストン、愛してます。
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Thursday, November 17, 2005
最高裁女性判事ギンズバーグ氏の講演を法廷で聞く。
きょうは大学院の課外授業で最高裁判所に「遠足」に出かける。
最高裁女性判事の一人、ルース・ベーダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)氏の講演とQ&Aセッションに院生全員で参加。最高裁判所の法廷の傍聴席に座ったのも初めてなら、最高裁判事を生で見たのも初めて。内部は写真が禁止だったので写真はないが、現在唯一の女性判事であるギンスバ−グさんが、現在の最高裁が頻繁に取り扱う問題(妊娠中絶問題や、言論・宗教の自由について)について、彼女の見解をかみくだいて教えてくれた。判事というよりは、女性教授の話を聞いているかのように、ソフトでアカデミックな語り口だったのが印象に残った。
ギンズバーグ判事は1993年にクリントン大統領によって任命された。アメリカ最高裁判所の判事(裁判官)は通常4人の保守派、4人のリベラル派、1人の中間派に分類されていて、保守派と言われるのが、首席裁判官ジョン・ロバーツとスカリア、トマス、アリート各判事。そしてスティーブンズ、スーター、ギンズバーグ、ブレイヤー各判事がリベラル派と見なされている。(ウィキペディア参照)残りの一人、ケネディ判事は中間派であり、保守対リベラルで激しく対立する事件においてはケネディの票が判断を左右することがしばしばある。
最高裁判事は終身のポストで、自ら辞めるといわない限り、交替することはない。大統領は任期4年で、最長8年しか大統領の座に留まることはできない。それだけに、最高裁判事の指名は、アメリカ社会にずっと影響を及ぼすことになる。(=このウェブサイトからの引用)だからして、ギンズバーグさんのようなリベラル派、しかも女性判事が法廷で下す判断は非常に貴重なのだ。しかも最近では、ブッシュ大統領がレンキスト最高裁長官の死去に伴いジョン・ロバーツ氏を、サンドラ・デイ・オコナー女性判事の引退に伴いサミュエル・アリート氏をそれぞれ指名した。もちろん、二人ともばりばりの保守派である。
アメリカでは、中絶問題だけでなく、同性婚など大きな社会的価値観に関連する問題に対して最高裁が下す判断は、決定的な影響を持つことになる。したがって、(大統領は)保守派、リベラル派を問わず、自派の主張に近い人物を最高裁判事に送り込もうと必死になる。(=このウェブサイトからの引用)
最高裁を巡る議論で、アメリカ議会が騒がしい今、ギンズバーグ氏の講演を聞けたことは貴重な体験だった。
ところで、最高裁判所の最寄り駅と言えば、ユニオン・ステーション。アムトラックーアメリカを縦断する鉄道—の駅としても知られている。クリスマスを約一ヶ月後に控えて、こんな巨大リースがお目見えした。ライトアップされてきれいだけど、見ているうちに何だか人恋しい気分になったのは、クリスマスを2年連続一人で迎えることへの一抹の不安のあらわれか。
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Wednesday, November 16, 2005
救世主・ジェイクが来た!
ジェイクが来ないと困る。。機材の窮状を訴えつづけ、ようやくきょうボストン本校の機材エンジニアのジェイクがワシントンにやって来た。彼が作業をはじめると、みるみるうちにワシントンの機材庫がきれいになっていった。ハード(機材)の手入れが終わったら、ソフトもやってもらう。「ファイナルカット・プロ」をインストールしなおしたり、ラジオ用の音声編集ソフトをインストールしなおしたり。。作業は深夜まで続いたが、ジェイクの滞在は大学側がけちってたったの一日。夕食は放送ジャーナリズムの院生全員でジェイクを囲んで、レバノン料理を「おごった」のであった。頼むよ、君だけが放送ジャーナリズム生の頼みの綱なんです、ジェイクさん。。。
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Tuesday, November 15, 2005
議員秘書をプロファイル取材~ファラッフェルに舌鼓~イラク帰りのNPRプロデューサーに質問
ひょんなことからイングリッシュ下院議員の政策秘書、クリスティーン・ロガーラさんという女性を取材できることになった。きょうは朝から下院ロングワースビルにあるイングリッシュ議員の事務所(写真)で撮影である。
インターン先で流すニュースリポートを作って、大学院にもそれを課題作品として提出する、「一石二鳥企画」を立てていた。大学院の課題のお題は「人物プロファイル」。ユニークな生活を送っている人を見つけてその人に密着し、2分ほどのストーリーを作るのだが、ただの人を取材したのでは、ローカル局に企画が売れない。「局の視聴エリアの出身者で、かつワシントンDCで面白い生活を送っている人」の密着なら、きっとインターン先のニュースディレクターも企画にOKを出してくれる。
しかし、締め切りが迫っていたのに、対象となる人探しは難航。そんな中でおととい、チームメートのケイティが偶然こんな面白い人を発見した。それがクリスティーン(写真)。ペンシルベニア州エリー市の出身で、政治の町で活躍しようと大学卒業後DCに引越し、26歳の若さでイングリッシュ議員の政策秘書を見事に勤めていた彼女。しかし近々議員秘書を辞めエリー市のためのロビー事務所に転職するというのだ。
ならば、と彼女をフィーチャーすることに決めた。テディ、サラ、ケイティのBUチームで彼女をインタビュー。彼女が働いている風景や、私生活を2日間ほどで撮影し、「DCで活躍するエリー・ローカルガールのクリスティーンの夢と地元への思い」というテーマでリポートに仕立て上げる。
きょうは、事務所でのインタビューのほか、議事堂をバックにさっそうと歩くイメージカットも撮影(写真)。ペンシルバニアから、首都DCに活躍の場を求めてやってきたクリスティーンは、エリー市の大学を卒業後インターンとしてイングリッシュ議員の事務所に入社した。「政治学専攻の学生として、DCのキャピタルヒルで働くことは、いつも夢でした。だから、今は夢が実現したんです。」秘書として4年勤務した今は「エリーの町が恋しい。DCだときちんと主張をして生きていかないといけないけど、エリーでは楽に生きて行ける。」
イングリッシュ下院議員(写真)にも彼女の働きぶりについて、ひとことインタビューを試みた。「地元出身で選挙区民の懐のことまでよく理解している、彼女のようなスタッフがいてくれて、どれだけこれまで助かったか、言葉では言い尽くしきれないですね。彼女が抜けてしまう穴は大きいです。」ふうん。下院議員も、クリスティーンさんのことを非常に評価しているようだ。
「11月の末にはイングリッシュ議員の事務所を辞めて、DCにある小さなロビー・ファームに転職するんです。公的セクターを離れて、防衛やエネルギー問題を扱う民営の事務所に移ることになります。議員事務所で培った中央政治のコネクションを生かして、地元コミュニティに利益をもたらすためにがんばります。」とクリスティーン。ペンシルバニアのポーランド系移民で、大家族に育ったという彼女は「家族が大好き。長女の私が一番早く地元を離れることになったときは、みんなが驚いたり悲しんだりしたけど。今ではDCでがんばっている私を、家族が誇りに思ってくれているの。だからこれからはロビイストとして、エリー市のために張り切って働くつもり。」
「ええ話」を聞いた上に、締め切り間近の課題のメドもたった。そこで安心したのか、お腹が減る。Falafel(ファラッフェル) というヒヨコマメとスパイスをつぶしてフライにした中東フード(写真)でランチ。サラが「いい店がある。」と連れてきてくれた。
「アムステルダム・ファラッフェル」というこの店では、このフライをピタ・パンにはさんでつぶし、マヨネーズや自家製ソース、野菜など好きな具をはさみ放題で$5。安い上にうまかった。
実はテディは最近アパート探しをはじめたのだ。大学院のプログラムが終わった1月以降も、DCに残ることにしたからである。そこで、風邪を押して、アパートの空き物件をネットで見つけては、そこを見に行くという作業を繰り返している。きょうもサラと散歩がてら、一軒見に行く。その帰りに映画館の前を通ると、「ハリー・ポッターー炎のゴブレット」のプレミアをやっていて、報道陣でごった返していた。楽しそうだな。
まだまだ1日は長い。イラク・バグダッドにNPR〈ナショナル・パブリック・ラジオ)のフリーランス・プロデューサーとして派遣されていた、BUワシントンプログラムの卒業生、ベン・ギルバートさんが来校して講演。「銃声や爆音が絶えないバグダッドのとある建物に潜み、毎日ラジオの生放送を行った。毎日その建物にこもって、外に出るときは護衛なしでは行動は不可能だった。」という生々しい体験談。しかし、ベンはバグダッドに行ったことで、当時のフリーランスから、正社員として認められたというのだ。そこで、彼にこんな質問をぶつけてみた。
「危険地に行くことで、フリーから正社員に昇格したそうですね。われわれ現役院生も喉から手が出るほど仕事が欲しい状態なのですが、あなたのようなチャンスが私達にめぐってきたら、やはりバグダッドに行くことを勧めますか?」
講演中も、ひっきりなしに貧乏ゆすりをして、イラクに行ったせいなのか、見るからに神経質になっている若いプロデューサーのベンは、意外なことに「勧めます。誰も行きたがらない危険地に赴くことで、ジャーナリストとしてのいい仕事が出来るチャンスが増えるなら、どんどんやるべきだ。」と答えた。
そんな彼も、イラク滞在半年を経て帰国したときは、PTSDに似た症状が起きたそう。なのに「あと数ヵ月後したら再度バグダッドに派遣されるかもしれないし、自分から志願している。」とのことだ。ジャーナリストとして名を挙げるチャンスと、イラクに赴いて命を危険に晒すこと、あなたならどちらを取りますか?すでに沢山のジャーナリストが命を落としたり、負傷をしているイラクだからこそ、「名を上げる」「昇進する」ためにイラクへ行こうとしているのが「良し」とされている現在の状況は、少し考えさせられるものがある。もちろんそれだけではなく、イラクの現実を伝えることに意義があるんだろうけど、きょうの教授達のベンへの対応を見ていると、「あなたがたもベンを見習って、イラクに行くチャンスがあったら積極的に行ってみて有名になって頂戴。」とでもいわんばかりのように感じたのは、私だけかしらん??
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Monday, November 14, 2005
ABCのリサ・スターク記者が来校。
ABCの「World News Tonight」のベテラン女性記者でワシントン支局をベースに活躍する、リサ・スタークさんが来校した。1994年以来、FDA(米国食品医薬品局)、FAA(連邦航空局)などといった政府機関の取材を担当。これまでに、オクラホマ連邦ビル爆破事件や、TWA航空800便墜落事故、スペースシャトル・コロンビア墜落事故、さらに9.11テロやファイヤーストーン社・タイヤのリコール問題まで実に幅広く取材を手がけてきた。スターク記者が来る前には、「ABCの第一線なんて、アメリカじゃあメジャーもメジャー。しかも女性記者だから、さぞかしプライドも高かろう」と思っていた。しかし、そこはどうして。実にさばさばした明快な語り口で、裏表の全くない(ように見える)お人柄。しかも抜群に話がうまい。しかも、きょうの月曜講義が行われたのは午後7時から。一日フルに働いてきて講義に来てくださったのに、その美貌も、テンションも、全く「よれて」ない。。やはり、第一線の記者に実際に会うことは、目を見張るものがある。われわれ院生も、すぐに彼女の語り口に引き込まれた。
「どんなインタビューも、これまで必ず締め切りに間に合わせてきました。インタビューしたい相手が、探して探して、一日探して、DCエリアにいなくて、しかもテネシー州にいたときがありました。そんなときも、テネシー州で動けるクルーを雇って、彼らのセッティングしたインタビュー室にスピーカーフォンをつなげてもらって、DCの私のオフィスから電話でインタビューしたことがあります。大事なのは、相手から、欲しい答えを聞き出すこと、それだけです。そして、必要なサウンドバイトが撮れた、と思ったらそこの部分のバイトだけを、テネシーのABC系列局を通じて映像配信してもらいました。」ははん。スピーカーフォンとは考えたね。時間を無駄にしないし、チャンスも無駄にしないで、遠隔地の人をインタビューする、しかも欲しい答えだけを配信してもらうとは実に合理的でコストパフォーマンスも高い。
さらに、「FDAやFAAといった役所を相手にしています。苦労して彼らと人間関係を築き上げていますが、せっかく高官にスクープの情報をもらって、それを使わないと、その人に遠ざかれてしまいます。ですから、そうした情報はなるべくリポートに役立てるようにして、相手に”この間はありがとうございました。XX日の放送に使いました”などと顔をつなぐんですよ。」ふーん。当たり前のことのようだが、確かにこれは大事だ。
質疑応答で、私も質問してみた。「この業界にもう27年近く働いていらっしゃるのに、毎日毎日ストレスの多い仕事を楽しむ秘訣はなんですか?」するとスターク記者は、涼しげな顔でけらけらと笑いながら、「そうねー。知らない間に長い年月が経ったわ。けど、長くやっていても、I am lerning something new every dayだからやっていられるのね。たとえば、プランB(注)についてのリポートなんて、もう5回もやったわ。だけど、毎回新しいことが出てくるのね。そうなってくると、わくわくしてまたリポートしたくなる、その繰り返しよ。」はあ、きょうは心底恐れ入りました。第一線の記者がこれだけすがすがしく毎日の全国放送でのリポートをこなしているのを間の当たりにすると、アメリカの放送ジャーナリズム専攻の学生達がよろず「私もTVの記者になりたい!かっこいい!」と思うようになるのも無理はない、と思うのである。誤解のないように言っておくと、彼女はここに上り詰めるまでに数々の地方局で下積みをし、朝一から深夜までさまざまな時間帯の番組をこなしているのだ。「ネットワーク(ABC,CBS,NBC)の看板記者もしくはアンカーになりたい!」そういう思いで、地方で下積みをしているひとがごまんといるアメリカで、スターク記者のように才能も、美貌も、運もすべて兼ね備え、かつ性格もいい人なんて、稀なケース。なんだけど、やっぱりかっこいい。つい「私にもABCの記者ができるかもしれない」と思ってしまったほど、苦労話すらさばさばと聞こえる、すげー記者だった。
いつもは斜めに構えている学友のサラもきょうは、えらく感動したらしい。われわれもスターク記者が担当しているFDAに「プランB」の取材を申し込めないか、ともくろんでいる矢先であることもあり、講演終了後にサラと2人でスターク記者にメルアドを教えてもらい、「何かアドバイスを下さい」とかじりついて、きょうの講義は終了。おもろかったー。
(注=プランB=FDAが、処方箋なしで市販薬として売ることを渋っている緊急避妊薬のこと。通称モーニングアフターピルのこと)
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Saturday, November 12, 2005
五島龍くんのバイオリンに酔う。
五嶋みどりさんの弟で、18歳のバイオリニスト、五嶋龍くんがソロで演奏会を開くというのでチケットを取った。場所はケネディ・センター、アメリカの国立交響楽団との競演である。
龍君のことは、日本でCXのドキュメンタリー「連続ドキュメント 五嶋龍のオデッセイ」を見てから、興味を持つようになった。天才バイオリニストの姉を持ち、スパルタ音楽ママの下で、子供のころからバイオリンの英才教育を受けてきた生意気盛りの龍君が、やがて一人前の音楽家として育っていく姿を描いたドキュメンタリーである。
実物の龍君は、18歳の立派な青年に成長していて、タキシードを着て立派にオーケストラと競演した。曲目は以下のとおり。
SIBELIUS - Prelude No. 1 and Excerpts from The Tempest
SIBELIUS - Concerto in D minor for Violin and Orchestra, Op. 47
RAVEL - Le Tombeau de Couperin
ROUSSEL - Suite No. 2 from Bacchus et Ariane, Op. 43
ちょいと線の細い長身を揺らしながらの熱演。当の私は、昨晩ものすごいインフルエンザ菌に冒されていることがわかり、急激に39℃の熱が出たのだが、熱さましを飲んで這いながらも会場に駆けつけた甲斐があった。情熱的ながらも繊細な、すばらしい演奏にただひたすら酔った!
Ryu Goto 公式ウェブサイトはココ
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Tuesday, November 08, 2005
象がハロウィンのカボチャを踏みつぶし!動物園の楽しいイベントを取材。
きょうは一風変わった取材にやってきた。行き先は大学から歩いて5分ほど、徒歩圏にある国立動物園のゾウの飼育舎である。
"Pumpkin stomp"という変わったイベントの案内を見つけたのは、ロイター通信が毎日発行している「Washington Daybook」にて。そこには、毎日毎日ワシントン地域で行われている記者会見や、ニュースのネタになりそうなイベントがすべてリストされているのだ。それによると、「あす、国立動物園で、ハロウィーンの余りもののカボチャを象やかばに提供します。動物たちは、それを転がしたり、踏み潰したり!毎年人気の子供向けイベントです。メディア向けにカメラでの取材を受け付けます。朝9時に象舎前に集まってください。」
インターン先のニューヨーク、ペンシルバニアのローカル局に問い合わせると、
「ま、そういう国民的イベントで、しかも動物が絡むものは多分、CNNのナショナル配信サービスでも映像が入ってくるけど、取材したければしてください。できたらわれわれの地域から来ている見物客を見つけてインタビューをしてもらえると、いいですね。」とのこと。
ということで朝から撮影パートナーのサラ、テミスの3人で動物園に出かける。テミスは、ボーイフレンドのビヨルン(スウェーデン人)がはるばる訪問中だとかで、取材だというのに彼氏付きで寮の玄関に現れる。もー、ちゃっかりしてるんだから。二人はEUに勤務していたときに知り合って以来、遠距離恋愛である。仕方ないので、テミスの彼氏も取材チームに組み込んでしまう。三脚とか重いものを「シェルパ」として彼氏に持ってもらい、動物園の象舎の前に到着。すると、いるわいるわ。小さい子供を連れた親子連れの見物客が50組以上、象がカボチャを踏み潰すのを今か今か、と待ち受けている。その脇には10台からなる、TVカメラの列。。アメリカもCNN、ロイターなどのネットワーク用カメラから、ローカル局までワシントンの局すべてが来ている。それだけでなくロシアのTV局など外国のメディアまでいるのだ。われわれも、その脇に小さなデジタルカメラの三脚を立てる。「うちの子の視界をさえぎらないで(怒)」とどこかのお母さんに怒られたりして。少々やるせないが、そこはドンマイ。
やがて象が間もなく登場、となったときに、例によって例のごとく、何も機材のセットアップを手伝わないテミスが「おーい、おーい」と呼んでいる。振り向くと「NY州のアップステート(州の北の端のほう)からやって来た親子を見つけたの。インタビューしましょうよ。」と。例によって例のごとく空気を読まない女だよ。間もなくイベント自体が始まろうとしているのに、それを逃したら元も子もない。。「じゃあ、後で。」そこに、象が2匹登場。
アジア象の親子は、母親のシャンティ(31歳)、オスの子象のカンドゥラ(5歳)。象の屋外の遊び場に置かれた、どでかい西洋カボチャに向かって小走りしていく。カンドゥラがまずサッカーの要領でポーンと一蹴り。場内から歓声が上がる。そうかと思ったら、カボチャの上に、右足を乗せると思い切り「ぐしゃ」と踏み潰した!
楽しそうな子供の象の姿に、場内からは、さらにひときわ高い歓声が上がった。つぶれたカボチャの水っぽいかけらを、鼻先で摘み取っては、口に運ぶカンドゥラ。食べられる”おもちゃ”を手に入れて、本当にうれしそう。それを見て、子供たちは大喜びである。
象を一くさり撮影した後、くだんの親子のインタビューを撮影。ベンとルビーという兄妹は、家庭内学習のために動物園にやってきた。
ベン「象はビタミンCが沢山入っているから、パンプキンが好きなんだよ。」
ルビー「ぞうさんが、ぱんぷきんを、”とん”したのお。」
コートニーというお母さんは、末っ子のフランシス君を風呂敷みたいなベビーキャリアーで運んで、カウボーイハットで決めている、なかなか素敵なママさん。
コートニー「動物園は素晴らしいわ。うちなんて、もう3回も4回も子供達を連れてきたわ。日誌をつけたり、友達に動物園で見たことを手紙に書かせたりして、家庭学習するのよ。」教育熱心なママさん、イイ!
取材は象の他にもかぼちゃを与えられたナイル・ヒポポタムス、つまりかばの映像を撮影して終了。かぼちゃには目もくれず、水の中でひたすら動かない巨体の「ひぽ」が印象的であった。。ここでぐずり気味のテミスを、彼氏がなだめているのを横目に、「真面目組」のサラと私は寮に一度戻り、原稿を書いた。ちなみにこの動物園は、スミソニアン博物館協会の傘下のため、入場料は完全無料!いつ行っても、何人で行っても無料である。であるからして、昼食をはさみ、もう一度象舎の前に戻って、立ちレポを収録することにした。しかし、ここでテミスは「彼氏が来てるから、バーイ」と消えた。はあ、都合がいいったら。
これがサラの立ちレポ風景。「The elephants love the taste of their edible toys which provide nutritions as well. The zoo keepers will give more pumpkins to the elephants and hippos throughout November for more stomping fun. From your Washington bureau, this is Sarah Mirza for W-S-E-E Newswatch.」「=象は栄養もある、食べられるおもちゃの味をお気に召したようです。飼育係は、今後11月中ずっと、象やかばにつぶして遊んでもらうために、かぼちゃを与えていくそうです。あなたのワシントン支局から、WSEEのサラ・ミルザがお送りしました。」最後のWSEEの部分をW-E-N-Y channel36(ニューヨークの局の名前)に差し替えて、私も立ちレポ収録する。ワシントンに来てから、あまり立ちレポ撮ってなかったな。それにしても象を背景に背負っての立ちレポってのは、一生のうちに何度もあることでもない。サラと共に「あ、いま象が動いたから、向かって左に体を動かして」「あー象が背を向けて帰っていくのでNG」と象に翻弄された立ちレポ収録だった。
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Monday, November 07, 2005
My dearest Anderson Cooper's "360" has been improved, extended and moved to 10PM!
午後10時5分前。そわそわしながら、大学の寮の居間に据えてあるサラのテレビの前に陣取る。CNNをつける。午後10時。あんだーそんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!?(>2ちゃん。)
そう、きょうから私がオフィシャルに愛してやまないCNNのアンカー、アンダーソン・クーパーのニュース・ショー「Anderson Cooper 360°(アンダーソン・クーパー・スリー・シックスティー)」が、午後10時に移行した。これまで同番組は午後7時から1時間だったが、午後10時というプライムライムへの移行に伴い、深夜0時までの2時間に放送枠も拡大。やった、やった、ヤッタ!おめでとうアンちゃん。これからは平日の夜アンちゃんが2時間も見れるし、夜10時なら、帰宅後に自宅でゆっくりと見れる〈確立が大)。出世だ、アンちゃん。ハリケーン・カトリーナの取材で一躍時の人となったアンダーソンを、CNNが放っておかなかったっす。ふふふ。ひとりほくそ笑みながらTV画面の写真を撮る私を、自室〈各自個室があり3人で居間ほかを共有する寮である)から出てきたサラが、いち早く見つけた。
「あ、テディ、ま、まさか写真撮ってるんじゃーないんでしょうねーきゃーやだー撮ってるほんとーにーーーー!ビッキーーー(=もう1人のルームメート)、見てえ。テディったらTV画面に映るアンダーソンの写真撮ってるう。。くはははは。」
うるさいやい。アンちゃんのことは、昔からふぁんだったんだけど、NYで実物に会ってからもっとファンになったんだい。ゲイだろうが、お坊ちゃんだろうが、アンちゃんは私の心のオアシス、そして放送ジャーナリズム界のヒーローなのだ。番組は、夜10時台に移行した初日ということで、アンダーソンがCNNで仕事を始めた2002年当時の秘蔵映像なども流された。アンダーソン自身のミニ・バイオ〈経歴)紹介、というわけである。
写真は先週まで夜10時台の番組を担当していた、アーロン・ブラウン氏。彼の落ち着いた保守的な語り口に慣れた視聴者層にとっては、若くてキュートなアンダーソン(38歳)はもしかして、ちょっと急激な変化!?かもしれなかった。そこで、アンダーソン(というかプロデューサー)の粋なはからいで、きょうの番組内では、「アーロン・ブラウン氏の経歴紹介」ミニリポートも、流された。
「ブラウン氏は、2001年の9.11の時にCNNに参加、その落ち着いた語り口で多くの視聴者をひきつけました。」
結果的に”追い出し”てしまった先輩アンカーへのトリビュートレポートを流し、「ブラウンさん、番組を見ているか分からないけれどこれまでお疲れ様でした。」と画面にむかって呼びかけるあたり、アンダーソンのほうが一枚上手というか余裕ありか。((( ^o^ )))///
ぐあんばれ・アンダーソン、羽ばたけ・クールビューティ(+シルバー・ヘア)、現場に突撃して現場ならではの絵を落ち着いて伝えてくれる、アンちゃんの「ゲンバ主義ジャーナリズム」をこれからも見せ付けてくれることを、おおいに期待する。
余談だが、こうした私の「アンダーソン熱」、すでに広く知れ渡ってしまった。サラとビッキーという私のルームメート達は、アンダーソンを”テディのボーイフレンド”と呼ぶし、最近は大学院のワシントンプログラム参加者のほぼ全員、さらには教授たちまでにも、私の「アンダーソン好き」がばればれなのである。う、は、恥ずい。。
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Sunday, November 06, 2005
アダムス・モーガンを満喫~モノクロ画面に煙草の紫煙が揺れるデカダンス・映画「Good Night, Good Luck」鑑賞
秋真っ盛り!といった紅葉の中を、アダムス・モーガン地区へ歩く。(11月分の更新が5月になってしまって。。季節感のない投稿を許して~。)ブランチだ!ブランチ。昨晩高級スシを食べたのにも関わらず、またお腹が減ってしまう自分の食欲がうらめしい。。
アダムス・モーガン、メインストリート(18丁目)のカラフルなレストラン街。どれにしようか、迷うくらいワールド・レストランが並んでいる。アフリカ、インド、エジプト、フレンチ、ベルギー、中東。。
その中から「Bardia's New Orleans Cafe」をチョイス。具沢山のオムレツなどをいただく。テーブルも決して大きくはないし、狭い店内だけど、店長らしき人の人情味はあふれているし、雰囲気は抜群で大満足。ニューオリンズでしか売っていない、チコリ・コーヒーを食後に。窓からレストラン通りの眺めが楽しめて、最高の席。
日曜といえども、大学院の課題として映画「Good Night Good Luck」を見なければならない。51年、CBSニュース「シー・イット・ナウ」で黄金時代を築いた実在のアンカー、エドワード・ムーローの活躍と社会との軋轢、さらに、ムーローを助けるスタッフや会社側との葛藤を描く。モノクロームの映像に濃厚なジャズが流れ、主人公らがくゆらしまくる煙草の紫煙が、そのまま画面から匂い立ってきそうなデカダンスあふれる映画。しかし、ジャーナリズムの黎明期を真正面から描いた貴重な作品でもある。また、現代のメディアの置かれている状況にも通じる、、「利益を追求する会社側と、ジャーナリズムを追及しようとする現場側」の対立を濃く描いた。監督は、お父さんがニュースキャスターだったことからこの映画を思い立ったという、俳優ジョージ・クルーニー。ムーローを助ける名プロデューサー、フレッド・フレンドリー役にもジョージ・クルーニー。バーボンや、ウィスキーのストレートをあおりながらでも、見たい映画。ムーローの番組最後の決まり文句といえば、顔を左斜め下に20度ほど傾け、右側の横顔を気持ち多めに見せながら、煙草を左手に持ったまま「Good night, (少し間を置いて) and good luck..」である。。
夜は同じアダムス・モーガン地区のメスカレムという有名エチオピア料理屋さんへ。大皿一杯に広げられた、「そば粉のパンケーキ」的な灰色のふかふかロール巻きの上に、カレーの具を乗せてくれるので、手づかみでケーキの切れ端をちぎり、具をはさんで”がすがす”食べる。
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Saturday, November 05, 2005
友人訪問中。”ザ・ヒル”をそぞろ歩いてポトマックを下りスシでしめるDC巡り。
友人が二人、DCにやって来た。一人は大学院仲間でボストンから昨日到着したNちゃん。狭いけれど、寮の部屋にルームメートのエアーベッドを借りて泊まってもらう。ようこそDCへ。写真は連邦最高裁判所前にてパチリ。
もう一人の友人はNYから。アムトラックに乗ってやって来た、日本の某夕刊紙の記者Kさんだ。キャピタル・ヒル巡りと決め込んだきょう、連邦議事堂前でパチリ。
”ヒル”(議事堂のあるあたりは小高い丘になっているため、キャピタル・ヒルという通称である)を巡った後はジョージタウンへ。ご存知・名門ジョージタウン大学のあるカレッジタウン。ポトマック川の支流に作られた運河沿いにある、「Seacatch」にて昼食。運河を眺めながら、オープンテラスでの食事。11月とはいえよく晴れ上がったきょう、外での食事は気持ちがいい。
食事の後はポトマック川を下る観光船に乗ってみた。左河岸にはケネディセンターが白亜の殿堂ぶりをさらし、青い空にはひっきりなしにレーガン・ナショナル空港に発着するジャンボ機が飛び交う。後ろにはジョージタウンの町並みが見え、川岸にはDC特有の森がうっそうと形成されている。いつ来ても不思議な地形だなあ、と思う。森と川と白い建物の町、それがDCである。
アーリントン墓地へ。ケネディ元大統領のお墓を訪問するときは、携帯電話の電源を切るようにしましょう。私は見学中に携帯が鳴ってしまって、セキュリティーの兵士に「Silence!」と怒られた。そう、ここは偉大な大統領の眠る神聖な場所なのである。。
続いて徒歩で「イォーウ・ジーマー」こと硫黄島メモリアルへ。何度見ても日本人の私には多少屈辱的な、「硫黄島に旗を立てるUSマリーンの銅像」である。同行したK記者も、怒っていた。。
一日の〆は高級スシ!しかも私のアメリカ人の友人を呼んだため、テーブルには合計8人が座った。(写真は4人だけだけど)豪勢に桶スシを2つ頼み、きゃーきゃー言いながら楽しむ。やはりスシは、いい!この店に来るのが初めてのアメリカ人たちは、特にはしゃいでいた。じゃぽねーぜ万歳!
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Wednesday, November 02, 2005
”政治とカネ”テーマの取材に四苦八苦~ベテランズ・デーの取材を仕込む
”政治とカネ”をテーマにした取材をし、記事や放送原稿にして提出せよ、という課題の締め切りが近づいている。特定の議員を選び、その人が「やけに特定のロビイストからお金をもらっている」とか、「お金の流れが不透明だ」とか、そんなことを詳しく調べて記事仕立てにする。アメリカでは、FEC(Federal Election Commission)とか、The Center for Responsive Politics 。という政治家のお金の流れをリサーチしている独立調査団体のウェブサイトを検索すると、議員たちのお金の使い道がつぶさにわかるようになっている。全て透明なのである。そんなのを使って、好きな議員の、好きな話題を見つけて実際に議員の事務所に電話をかけて確認する。そんな感じでストーリーを組み立てろというのだが、なかなかテーマが見つかるまでに四苦八苦した。
私はペンシルバニア州のイングリッシュ下院議員〈共和党)が、選挙資金の違法流用で9月に起訴されたトム・ディレイ下院議員に、2004年の選挙当時お金をもらっており、それをめぐって民主党寄りの政治アクティビスト団体が”違法なお金だから返しなさい”とイングリッシュ議員に訴えかけている、というトピックを見つけ、その裏づけとコメント取りに走ることにした。インタビューしたい人にはなかなか連絡が取れないし、政治とお金の関係をどう説明するか、大変苦労したものの、何とか締め切りに間に合った。新聞学科の学生は記事を提出したが、放送学科の学生は、今回は「映像にするのが難しかろう」ということで放送用の構成原稿のみを仕上げ、提出した。よかった、撮れ、って言われていたら、絵がなくて大変だったかもしれないからだ。
気がつけば時すでに11月。11月といえば、ベテランズ・デー(退役軍人の日)という祝日がある。この日をめがけて、全国から退役軍人がアーリントン・メモリアル(国立の墓地)の戦友の墓地に花を捧げにきたり、ドラマが生まれるという。そこで、ペンシルバニア州、ニューヨーク州からそれぞれやってくるかもしれないベテラン(退役軍人)に連絡をとって、取材が可能かどうか、何か面白いヒューマン・ストーリーがないかどうか、調べ始めることにした。特に、イラク戦争のベテランがいたら、面白い話が聞けるかもしれない。両州の退役軍人ネットワークをウェブサーチして、片っ端からメールを送る。「もしかして次の週末にDCに来ますか?もし来るのでしたら、今年の退役軍人の日に対する思い入れを教えて下さい。」果たして、取材対象は見つかるか?
とある日本と中国に関する講演会に出かけた。中国人は、英語のうまい人もいるけど、日本人と同じで、プレゼンテーションが下手だなあ。発表が固いし、理論的じゃない。アジア人がプレゼンテーション上手になる日は、いつ来るのか。。
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Tuesday, November 01, 2005
議員生活25年・スペクター上院議員の栄光と影
「す、すぺくたーの独占インタビューのチャンス!?行かなきゃじゃん!」ある日メールで届いたプレスリリース。受け取った私とサラは、色めきたった。メールは、アーレン・スペクター上院議員の広報秘書からのものだ。われわれBU院生ワシントンチームが、クライアントとして映像を配信しているペンシルベニア州エリー市のローカル局チャンネル35WSEE(CBS系列)のニュースディレクターが最も映像を欲しがる議員の1人、それがスペクター議員(写真)である。スペクター議員は、イエール大ロースクール出身の元弁護士でフィラデルフィア地方検事という職歴を持つことから、上院司法委員会の委員長を務めている。最高裁判所の人事異動の際、その指名承認プロセスに大きな役割を果たしている司法委員会の長として、また76歳のベテランセネターとして、共和党内の大物議員の1人であるといえる。写真は2005年ジョン・ロバーツ最高裁長官承認の際のもの。これまで、スペクター氏は最新のアリート判事を含め、1人を除いて現行の最高裁判事全員の指名を見守ってきた。
広報秘書からのプレスリリースには、「スペクター議員の議員生活25周年記念パーティの案内」とあった。しかも25年の任期とは、ペンシルバニア州の歴史の中で、最も人気の長い上院議員ということにもなるらしい。上院会館内の司法委員会の一室で、立食形式のパーティが行われる。大物議員にインタビューできるチャンス到来!しかも広報秘書は「ローカル局であるWSEEだからこそ取材に来てもらいたい」とわれわれあてのメールにわざわざ書いている。またとないチャンスである。
スペクター氏は、2005年2月にホジキンリンパ腫というがんの一種に侵されていることが分かり、5ヶ月の放射線治療を受けて、髪の毛がすっかり抜け落ちてしまった。まばらに生えてきた今も、白髪になってしまった。(↑最初の写真を参照)しかしその間も上院議員としての職務を全うした上、2005年7月22日に最後の放射線治療を終え、見事な復活を見せた。髪がくろぐろとしているときの写真はココで見れる。上の現在の写真と比較してみてください。
11月1日夕方5時ごろだったか、やって来た上院ハート会館ビル。きょうのBU院生チーム/WSEE特派員取材班は私、サラ、テミスの3人。スペクター議員は、ペンシルバニア州のみならず、隣接しているNY州にも選挙区がまたがっているということで、NY州エルマイラ市のローカル局、チャンネル36WENY(ABC系列)のニュースディレクターも、「映像がほしい」というオーダーをよこしてきた。よって、私がペンシルバニア向けの絵を撮影、テミスがニューヨーク向けの絵を同時に撮影するということになったのだ。少し早くパーティ会場に到着した我々は、スペクター氏の議員生活25周年を祝うケーキ〈写真)などを撮影。テミスの撮影は若干(というか、かなり)不安が残るものの、2カメ体制で議員の登場を待ち受けた。
写真にはないが、パーティは50人あまりの人が出席で大盛況。上の写真の「25周年お祝いケーキ」も、ケーキカットされて飛ぶように参加者向けに「はけて」行った。テミスとの2カメ取材は、おおむねうまく行ったものの、テミスが私に張り合って「いい絵」をとろうと縦横無尽に動き回るので、われわれの音声コードが絡まったり、参加者の視界をブロックしたりと少々迷惑な思いをさせられた。(ドンマイ!)パーティの後、廊下でスペクター議員に我々の「2カメ」で、独占インタビューを行った。写真は待ち時間の間、雑談するテミスと私。
パーティのあいさつ回りの後、大物議員はわれわれBUチームの取材に、意外にも気さくに応じてくれた。インタビューでは、自身の25周年を称して、「マイルストーンだって?そんなにすごいことではないと、感じている。明日もまた普通に議員事務所で働くだけだ。」といたって謙遜気味に語っていたのが印象的。奥さんのジョアンさんも、パーティに来ていたところを突撃インタビューしたが「健康だけには気をつけてくれれば。それだけです。」などと語っていた。本人は私の、「健康は大丈夫ですか?」との問いかけに「全く問題ないよ。」と答えた。夫婦ともども大物ぶらない謙虚な人々だったし、76歳という高齢のセネターで、病を克服してなお精力的に活動する姿は素晴らしい。
しかし、そんな謙虚なスペクター議員は、さまざまなホットな話題をメディアに提供してきたことでも、知られているのだ。たとえば、最高裁のクラレンス・トーマス判事が1991年に指名された際には、「セクハラを受けた」と訴えるアニータ・ヒルさんの証言の信憑性のなさを暴いた。さらにさかのぼると1963年にはケネディ大統領暗殺に関するウォーレン委員会の首席コンサルタントとして活躍。ケネディ暗殺は「単独犯によるものだ」ということを結論付けた報告書を執筆したことでも知られている。最近では、胚性幹細胞(stem cell)の推進派として活動しているし(彼自身のホジキン腫の治療に効果があるとの主張)、共和党員でありながら合法的な妊娠中絶を容認する、いわゆるプロ・チョイス派でもあるのだ。
パーティーには我々以外のメディアは誰もこなかったので、「独占取材だ!」といきまいた我々だが、ま、それは別の言葉で言うと「ローカル局が好むネタでしかないニュース」ということでもある。とりあえず、どんな形であれ、大物議員をインタビューできた喜びを胸にしつつ、議事堂そばのフェデックスから、しこしことペンシルバニアに向けてテープをオーバーナイトで送る。「お疲れええ。」って英語で言えればいいけど、そんな英語はないので、何も言わずに本日の取材は終了とする。。あーつかれたびー。
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Monday, October 31, 2005
タイム誌の記者のレクチャーもそこそこ・自分のプレゼンにどきどき。
月曜講義のゲスト・ジャーナリストは「タイム」誌のシニアワシントン・コレスポンデントでピューリッツアー賞受賞歴もあるマーク・トンプソンさん。BUのコミュニケーション専攻の卒業生である。近頃ではタイムのイラク戦争についての記事で活躍。イラクで米軍への従軍取材も行った。奥さんもUPIの記者で、2人そろってカイロ支局に転勤になった経験があるとか。
きょうのレクチャーのテーマは「いかに編集デスクや支局長に企画を提案するか」について(How to pitch a story idea)。「いかに君のボスに君の企画を通させるかは、君の説得次第だ。状況を見て、タイムリーなネタをフりたまえ。ただし、ネゴはしても無駄だ。情熱的にいかにこのネタが売れるかをボスに説明できたときには、君の企画は半分完成したのと同じ。」
<写真は寮兼教室兼ニュースルームのBUセンターの廊下)実はきょうはトンプソンさんの講義は、半分は上の空だった。テディはきょうプレゼンの担当なのだ。ゲストが帰った後、「じゃあ、テディやってもらうおうか、前へ。」という講師のロバーツの呼びかけにどきどきしながら前に立つ。
「よい放送リポートの持つ要素は4つあります。”テーマをよく現すよい映像があること””絵にあったナレーション””よいサウンドバイト(音生かし)””リポーターの自信をもった立ちレポ”です。放送レポートは、この4つを複雑に編みこんで、できあがります。それでは私が見つけたよい例を紹介します。」
ふう~なんとか。このプレゼンは全員が一度ずつやるもので、テーマが一回の授業につきひとつ設定してあるのでそれにマッチしたニュースレポートや新聞記事を見つけ、それについての分析を発表する。今回の授業全体のテーマは「調査報道=investigave reporting」なので、それにあったCBSのニュースの映像をネット上に見つけ、同級生全員にすでにリンクをメールで送ってあった。プレゼンの後半はそのリポートについて、私の分析を発表。なかなか手ごたえもよく、講師のロバーツ(ラストネームは難しくて誰も発音できないので、皆でファーストネームで呼んでいる)も終わった後に「テディ、実によかったよ。いや、本当にimpressedだ。」と直接話し掛けてきた。うれしい。
あ~あ。疲れた。でも過去2日間、半徹でインターン中にまで内職して準備した甲斐がありました。。いやあ緊張するなあ、プレゼンって。。アメリカ人は学生はリラックスして発表しているけど、試しにやつらも外国語でプレゼンしてみればいいのに。(アメリカ人って外国語習得率低いからありえないけど)
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Friday, October 28, 2005
Wall St Journalワシントン支局長が来校〜マシュマロ・メローにめろめろ。
金曜朝のレクチャーはウォール・ストリート・ジャーナルのゲラルド・サイブ、ワシントン支局長が来校。”Capital Journal"というコラムを
同紙に執筆している。CNBCのワシントンについてのコメンテーターでもある。鋭い眼光が印象的なサイブ氏はワシントンという政治の町でお金に関連するニュースを取材する極意を、教えてくれた。この人も迫力あり。最近は、「じゃ、院生の皆さんも自己紹介してもらおうか。はしから所属学科と、インターン先を教えて」などというゲストが多く、朝から大声で「ラシュミーです。新聞学科です.インターン先はウースター・テレグラム紙と、ボストングローブワシントン支局です。はじめまして」などと言わないといけない。この日は、こともあろうにテディの番になってなぜだかどもってしまい、うまく自己紹介ができない。緊張していたんだろうか。「テディです。に、に、に。日本から来ました。放送学科です。インターン先はペンシルバニアとニューヨークのTV局と、に、に、に、日本の○○というTV局です。」という有様。私は体調が悪かったりすると、どもる家系に生まれた。子供の頃からのどもりとの付き合いで、慣れているはずなのだが英語でもどもるときはどもる、のだ。皆さん知ってた?ま、きょうはWSJの支局長を前に緊張したんだろうね。何しろ昔は経済関連のニュースばっかりやっていたから。。
夜はワシントンチェーン店のカフェ「Cosi」で、マシュマロ溶かして食べるあの「マシュマロメロー」が卓上でできると知って、オーダー。溶かしたマシュマロをオレオの間に挟んで食べる。う・め〜。
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Wednesday, October 26, 2005
大学の機材庫の整理をする。「カモーン・ジェイク!」
これがわれわれの事務所である、BUワシントンセンター・ニュースルーム。大学を通じたローカル局インターンとして、われわれは週2-3日、ここに「勤務」している。寮の1階にあり、エレベーターを降りれば”勤務先”に到着する。職住が一緒なのである。一人ひとりの学生にデスクとコンピューターと電話が与えられていて、奥に講師兼エディターの席がある。さらに奥にはわれわれブロードキャストの学生のための編集室がある。機材庫にはデジタルビデオカメラソニーVX2000もといPD150が2台、三脚が3台、照明キット、ピンマイク10個、ハンドマイク4個、AVID入り編集用パソコン1台、ファイナルカット入り編集用パソコン1台、リニア編集機、ミニDVデッキとモニターとDVDデッキなど豪華〈?〉機材がそろっているが、実は壊れている機材がそのまま放置されすぎていて、管理もずさん。
そこでなぜか私が壊れているものと壊れていない機材をより分ける、「インベントリーチェック係」となった。同級生/ルームメートのサラが「機材が沢山壊れている」と繰り返し大学側に修理を呼びかけているのに、なかなか実現しない。カメラを固定する部分が無くなっている三脚とか、断線したピンマイクとか、そんなものが多すぎる!つーことで、大学の機材庫の整理に費やした一日。都合のいい同級生は(誰とは言わないけど)いつもこういうことから逃げるんだよな。だからいつもサラと私に「お鉢」が回ってくるのよ。そういや彼女達は、取材に行ってもカメラのバッテリーすら充電しないで放置したり、する。。
「インベントリー」をメールでご進言すると、数時間後にプログラム・ディレクター(というか寮母に近い。。)のキリアン教授にが巨体を揺らしながらニュースルームにやってきて、「テディー、サラー、機材のことは、わかったけどお、ちょっと待ってちょうだいね。」って、いつまで待てばいいんだよ!と私がしびれを切らす前にサラがびしっとこう言い放った。
「教授、もう10月です。私達のプログラムは12月で終わるんです。だから、すぐにボストンからジェイクを呼んで下さい!!!」
ジェイクとは、大学本部のブロードキャスト生向けの機材を貸し出している機材庫(通称「ショップ」)に勤務する若いエンジニア。彼に頼めば、テクニカル・プロブレムは全て解決する、はず。そう思いたい、というかそう信じている。だから我々はきょうから毎日教授に直訴することに決めた。「ジェイク・カモーン!」と。
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Tuesday, October 25, 2005
ヒラリーがクリーン・エネルギーの必要性を訴え。
最近は火曜日と水曜日ともなると、朝からペンシルバニア州やニューヨーク州のローカル局のために州選出の議員の取材に出かける。何もない日もあれば、複数ネタがある日もあり、インターンといえども独立した「記者」なんである。しかも、インターネット時代だから、議員の動向なんてすぐクリック一つでわかるもんで、上司が遠隔地にいるからといってさぼるわけにもいかないのだ。本日はヒラ・クリことNY州のセネターのヒラリー・クリントンが早朝からDCの高級ホテルでスピーチをするというんで、それっと飛びついた。
講演テーマは「代替エネルギーについて」。ブッシュ大統領の共和党もガソリンの代わりに水素などクリーンエネルギーの開発・推進に予算をつぎ込むことを公言しているが、負けじとヒラリーの民主党もクリーンエネルギーに関心があることを示そうとやっきである。きょうは風力発電やら、ソーラーパネルやらを開発するベンチャー企業のマッチメイキングの場のキーノートスピーカーとして、ヒラリーが現れた。並み居る大人の男性達を前に、ヒラリーはきょうもコンサバだけれども主張のあるスーツでびしっと決めて、姿勢も正しくスピーチ。この人は、クリントン前大統領の奥さんやってるときから、さぞかし議員になりたかったんだろうね。彼女のスピーチはとても旨いし、(もちろんスピーチライターがいるんだけど)説得力があるし、落ち着いて理論的である。それに、いつも綺麗に髪をセットして、化粧をびしっと決めている(当たり前か)。上品だけど、インテリジェンスが漂う。やはりカリスマ的な女性政治家なのだ。
スピーチを収録した後、クリーンエネルギーに関するベンチャー企業の展示会を撮影していた。その時、ニューヨーク州のローカル局のニュースディレクターから電話が入った。
「ヒラリーもいいんだけど、○○というニューヨーク州の下院議員のこんなコメント、とってくれないかな?今から詳細をメールするから。交渉してみて結果を知らせてくれ。」
やれやれ。一つ終わったと思えばまた一つミッションが下った。きょうの撮影パートナーのテミスが議員の事務所に携帯で交渉をしている脇で、私は風力発電の会社の展示などの雑感をデジタルビデオカメラに収める。
「せっかく朝早くから来たんだし、フリーフードをもらいましょうよ。」
ラテン系(スペイン人)のテミスはちゃっかりと展示会参加者用のオードブルやコーヒー、クロワッサンの乗ったテーブルを見つけ、ぱくついている。何があってもいつでもどこでも「ちゃっかり娘」だよ、この子は。。この人とはボストンからの長い付き合いだけどペースが狂っちゃう。。その食べ物はフリーじゃなくて、高い参加費用を払っている参加者用なんじゃない?それに下院議員のアポ、とれなかったらインターン先の期待に沿えないし。。彼女といると、なんだかいつもはらはらどきどきしてしまう、損な私。
ま、いいや。アポもすぐとれないので、寮に帰ろうとすると外は雨。「早く。テディ!」DCのダウンタウンを、ぐいぐいと早足で歩いていくテミス。いいや、もう一緒には歩けない。「先に帰ってて。私歩くの遅いから」人に合わせるのは、もうやめよう。ペースが狂う人に無理にあわせる必要はない。マイペースで行けばいいのだから。
つーことで、1人地下鉄に乗ると、こんな公共広告が。
「地球温暖化・海の温度が上がればさらにカトリーナクラスの殺人ハリケーンが発生するんです!」カトリーナの被害がよっぽどショックなら、アメリカ人もやっぱり地球温暖化に目を向けるべきだよな~。1人でもガソリン車に乗るのをやめて歩いたり、エコカーに変えればグローバル・ウォーミングは防げる。だからして、やっぱりクリーンエネルギーは大事。頼むからアメリカよ、京都議定書にもサインしておくれよ。でもこの国じゃあ、京都議定書のことを聞くと多くの人が口をそろえて「それは話が別!」って言うんだよな~。「アメリカは国がでかいし、産業レベルもでかいから応分の二酸化炭素を排出していいんだ」ってそうかしらん??激しく疑問だわん。朝のヒラリーも、場内からの質問に「京都議定書の批准については、十分な考慮が必要です。」なんて答えてるのよ~。頼むよ、って感じ。。
熱くなったり、外を歩いて雨にぬれて冷えてみたり。1人「グローバルウォーミング」(?)している私だが、夜はルームメートの同級生の皆さんとハロウィンのコスチュームショップなんかに行ってみた。10.31に向けて特別期間限定オープンの店で、2階建ての店内はコスチュームやパーツでいーっぱい。私は何を買ったかって?ひ・み・つ(爆)。
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Monday, October 24, 2005
ワシントンポストのスタイル欄記者ケビン・メリダ氏来校。
月曜夜のジャーナリスト・レクチャーはワシントンポスト紙のケビン・メリダ氏が登場。記者歴25年のベテランで、うち”ポスト”勤務12年のメリダ氏。議会や国政担当の後、「スタイル欄」の一面を飾る”フィーチャー・ストーリー”や”プロファイル・ストーリー”のスター記者となった。かなり異色の経歴と言っていいだろう。アメリカの新聞で、「スタイル欄」といえば、ナショナルニュースやインターナショナルニュース、ビジネスやスポーツといったストレート・ニュースと異なり、今話題の文化や人を取り上げた”読み物”的記事が書いてあるところ。それゆえに、ただ事実を整理すればいいわけではなく、読ませる記事が書けなければだめで、作家的才能が要求される。しかも、「ポスト」紙の記事だから政治家の人物紹介(プロファイル)記事が多い。メリダ氏はこれまでにアル・ゴア前副大統領やクラレンス・トーマス最高裁判事などといった人物を取り上げた長編のプロファイル記事を執筆し、名をあげた。
ちなみに彼はボストン大のコミュニケーション学部の卒業生。卒業生のスター記者が来校、となれば俄然教室も色めきたって、Q&Aコーナーは質問する前に皆が「ハーイ。僕ライアンです。あなたの記事いつも読んでます」とか自己アピールしてから質問するから、いかんせん長くなり。。おいおい早く質問しろよと思わず突っ込みたくなる。ま、新聞ジャーナリズム学科の学生は、多くが将来はメリダ氏のような「読み物担当」記者になることを夢見ているからして無理はないのだけれど。
それはさておき、そんなすごい政治家の密着ストーリーばかり書いているから、どんなにすごい「がちがち」の記者かと思ったら、メリダ氏はすごくソフトな人でした。学生の質問にもとっても丁寧に答えていたし。このソフトさや柔軟さが、大物から思わぬ打ち明け話+とっておきのエピソードを聞きだすコツなんだろね。勉強になりましたです、はい。
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Saturday, October 22, 2005
ミシガンロケ2日目。ミソ・ラボ訪問とミシガン大の美しいキャンパスに心なごむ。
とうとうやってきました、ミソ・ラボ。ミシガン大のソーラーハウスはこの研究室から生まれた!
ジョン君に研究室を案内してもらう。雑然とした部屋だが、2年間に渡った開発の苦労のあとがアリアリ。デザインの変遷の移り変わりなどを、見せてもらう。「30人からなる建築学科の大学院生や大学生をまとめるのは、大変だった。一つのデザインにまとまるまで、夜11すぎまでミーティング、ミーティングの連続だった。」(ジョン君)
この日は解体したソーラーハウスがワシントンDCからミシガンに届く日。荷降ろし風景などで活動するジョン君を撮影。ジョン君は、早朝からの取材にも関わらずいやな顔一つせずにわれわれのロケに協力してくれた。ラボで見ると、ジョン君は立派なプロジェクトリーダーの顔をしている。きのうは奥さんのトレーシーと一緒にいて「子供を持つ夫」の顔だったのに、きょうは「きりり」として”建築家の顔”をしているのだ。自分より若い人がこうして家庭と仕事・学業を両立させている姿を見ると、シングル・ウーマンのテディとしては焦るなあ。
これがミシガン大楽建築学科の中庭に作られたミソ・ハウスのプロトタイプ。こうしてモデル研究を重ねながら、ワシントンDCに建築したミシガン大のソーラーハウスが生まれた。上位入賞は逃したけど素晴らしい家だったよ、ジョン君と褒めてあげたくなるくらい、すでに取材対象に感情移入している自分がいる。
チャリ通勤しているジョン君。自転車に乗りながら手を振りお別れ。最後まですがすがしい青年だった。アメリカ人にもこんな人もいるんだ。われわれロケ隊はミシガン大のメインキャンパスへ向かう。Go Blue!とはミシガン大の体育会スポーツチームを応援するときの掛け声だとか。スクールバスもブルー。
バートン・メモリアル・クロックタワーというメインキャンパスの象徴的建物を撮影。いわゆる「場面転換」に使えるカットである。
朝食抜きでロケをしていたのでおなかがぺこぺこ。Angelo's Restaurantはメインキャンパスから程近いブランチ・ブレックファストの店。日曜の朝だというのにほぼ満員。「Eggs Benedict」(写真)はベーグルに熱々のHollandaiseソースというマヨネーズソースみたいなものがかかって、半熟卵とサーモンが真ん中に乗っている逸品。うまい!!!
あまりに構内の紅葉がきれいなので、紅葉ばかり写真を撮る。
緑の屋根の建物に赤い葉が映える美しさ。
さらに紅葉の写真をお目に書けながら、テディからいくつかご連絡。
*プロフィール更新しました。「なぜボストン大学なのにワシントンDCなの?」という疑問が氷解します。チェキラ!
*これを書いているのは06年4月です。大学院が忙しくて更新ディレイしまくりです。ちなみにきょうは4月16日。iTunesのラジオで「Iranianradio.com」を聞きながら書いています。日本でも聞けるのか分からないけど、ミドル・イースト系ポップスが好きな方はおススメです。再三のIAEAの呼びかけを無視、ウラン濃縮に成功して「核保有国」となったイラン。国際社会に「イランなんて要らん!(おやじギャグ御免)」なんて総スカンをくらってる国だけど、文化は興味深いものがあるんです。この間「アラブTV文化」についてのレクチャーを聴いたのでそれについても順次upする予定。。
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Friday, October 21, 2005
紅葉のミシガンで「ソーラーハウスに賭けるジョン君の夢」出張ロケ
ワシントンDCのナショナル・モールでミシガン大のジョン君に会ったときには、まさか自分がミシガンまで実際に出かけることになるなんて露とも思っていなかった。晴れて「ソーラーハウスに賭けるジョン君の夢」が某日本のTV局のにース番組の企画として通ったので、ミシガン州でのジョン君の新婚生活ぶり、大学のラボの様子などを撮影するために1泊2日のロケ旅行に出かけることに。写真はDCのレーガン・ナショナル空港で飛行機に乗る直前にポーズをとる某局のフリーランスカメラマンのSさん。ベトナムとフランスのクォーターで、今はアメリカ人。(なんのこっちゃい。。)
1時間半ほどでデトロイト空港に到着。早速レンタカーをして、名門ミシガン大学(University of Michigan)のある学園都市アン・アーバーへと向かう。車中はカメラマンのSさんが弾丸トークをしていて、終始笑いの渦。30分ほどでジョン君の家に到着。ジョン君は、この家を何と大学院に通う傍ら自分で建てた(!)。建築家を目指すから当然といえば当然であるが、「まだ外壁が出来上がってないんだよね。ミソ・ハウスにかかりきりで。。」そ、そうだけど、これじゃあ、奥さんも大変なんじゃあ!?ということできょうは奥さんにも話を聞くのである。
ところで、ちょっと笑えるエピソードがある。「ミシガンのご自宅にうかがってロケをしたいから、住所を教えてくれる?」ワシントンでこう問いかけた私に、ジョン君はちょっとはにかみ笑いをしながら「これが住所なんだけど、笑わないでね。ちょっとした名前なんだ。。」と教えてくれた。私の取材用ノートに書かれたストリートの名前は「Hiscock St」であった。アーメン。。(←分からない人は、前半と後半に分けて辞書を引いて下さいね。。)ふふふ。この写真が、その「ちょっとエッチな名前」のストリートに立つ木。あまりの見事な紅葉ぶりに写真を撮ってしまった。朝と夜の温度差が激しいから、こんなにきれいな赤色になるんだろうね。(>季節はずれでごめんなさい。これを書いているのは06年4月です重ね重ね。。)
ジョン君が我々の到着に気がついて、家からチャーリー君を抱いて出てきた。なんと可愛らしい赤ちゃんなんだろう。そして奥さんのトレーシーさんの何と可憐なこと。。新妻というか、赤ちゃんを産んだばかりの女性の持つ「母性オーラ」がなんとも初々しい可愛らしい女性。家の中にお邪魔して、新婚家庭の「雑感」撮影、とトレーシーのインタビュー。「夢を追いかける夫を誇りに思います!」こう答える彼女の目の輝きが、イイ!(・∀.)(←”2チャン”風にしてみました。)
結局オンエアでは使わなかったが、2人が夕食を作る様子なども撮影した。その間私は、居間でチャーリー君(6ヶ月?)をあやしていた。何と無防備でやわらかくてかわいい生き物なのだろう、赤ん坊って。そして青い目で白い赤ちゃんは、なんだか私にはお人形みたいに見えた。テディには実は甥がいる。妹の子供で、日本のS玉市に住んでおり目の中にいれても痛くないくらい可愛がっていた。ああ、もうすぐ2歳になる甥がどんどん育っていくと思うと、早く帰国しなきゃと思う。。。はさておき、ロケ後は我々も夕食タイム!ジョン君たちにもアドバイスをもらって、ダウンタウン(写真)のミシガン大メインキャンパスそばのビール居酒屋「レッド・ホーク」へ。カメラマンや記者さんと存分に地ビール「Bell's Two Hearted Ale」や、タコスやらに舌鼓を打つ。週末で、店は学生で満載だがそんなに青臭いわけでもない、大人の居酒屋だった。食後、通りを歩くと、晩秋のアン・アーバーの冷えて澄んだ空気が、アルコールでほてった頬にいい感じ。気分よく酔った後は、明日のミシガン大でのロケに備えて大学そばのホテルで就寝。
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「夫婦そろってジャーナリスト」スティーブ・ロバーツ氏来校。
きょうの講義はスティーブ・ロバーツ氏が来校。コラムニストで作家、ジョージ・ワシントン大学教授でメディアアナリストである。ニューヨークタイムズの記者を25年務め、ホワイトハウス担当記者やワシントン支局長などを歴任した。
奥さんはABCの政治コメンテーターとして知られるコーキー・ロバーツ氏。”美女と野獣”的夫婦<写真)だが、「夫婦ジャーナリスト」として37年間も結婚を長続きさせ、2人の子供と6人の孫がいる。2人で全米中の500の新聞にコラムを共著で書き続けたほか2000年2月には"From the Day Forward"と題した本を共著。自身の夫婦生活円満の秘訣やアメリカ史上の著名人の結婚について書き、ベストセラーとなっている。講演では、「結婚生活を長続きさせる秘訣は、”This is enough"と言える心を大事にすること」だと学生を前に語った。
また、最近のアメリカのメディアの現状について「ダン・ラザーのニュースを見るために6:30PMに毎日ニュースをつける世代と、ブログなどで欲しいときにいつでもニュースが手に入るメディアチャネルで育った世代が相反している。最初にニュースを伝えた人の勝ち、という概念が広がっている。googleにキーワードをタイプすれば全てが分かる時代に、TVニュースの必要性が薄れてきている。」と分析。
また、「メディアのオーナーシップが大きくなってきて、メディア会社も株価が全てになってきている。それがニュース報道にも大きな影響を与えている。」とも。
近頃大物ジャーナリストが次々来校しているが、サクセスしているジャーナリストほど気取らない情熱的な人が多いのが印象的である。ロバーツさんも「ビック・ダディ」という感じの懐の広いおじさんだったが、話のうまさはさすがであった。
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Thursday, October 20, 2005
ミズーリ大学院ジャーナリズムスクール・alumni達と飲み。
書き忘れてました。この日は元東京での制作会社のディレクターの先輩のアメリカ人のお仲間達と飲み。先輩が会社を辞めて修士号をとった名門ミズーリ州立大学院ジャーナリズムスクールの卒業生の方々である。私は、残念ながら落ちたミズーリ大学。さすが名門だけあって、話を聞くと彼らは卒業後も各分野でご活躍の方々であった。私もあやかりたいものだ。DCの議事堂そばのユニオンステーションから歩いて数ブロック、メキシカンレストランにて食後の一枚。気取らない素敵な方々ばかりでした。
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Wednesday, October 19, 2005
きょうも議会でぶら下がり。
きょうは、シューマー上院議員のぶら下がり取材のために上院の”ぶら下がり廊下”こと「オハイオ時計コリドー」に赴く。きょうはインターン先のローカルTV局WENYのニュースディレクターのデイビスさんから
「ヒラリー・クリントン上院議員に対抗して立候補を表明したジェニン・ピーロ氏。彼女について、同じNY州選出の上院議員のチャック・シューマー上院議員の意見を聞いてきて。」というミッションが出ている。
右の写真がピーロ氏であるが、彼女は「ヒラリーつぶし」のために共和党から送り込まれた候補者である。
「ヒラリー氏に女性対抗馬 NY州上院選、指名争いに」
【ニューヨーク05年8月12日共同】2006年に実施される米上院選のニューヨーク州選挙区で、 現職のヒラリー・クリントン民主党上院議員(57)の対抗馬として、同州ウェストチェスター郡の地方検事ジェニン・ピーロ氏(54)が 11日までに、共和党候補の指名争いに出馬表明した。勝ち抜けば女性同士の一騎打ちとなるため、 米メディアの関心を集めている。
彼女を推薦したのは、NY州知事のジョージ・パタキ氏(共和党)。ピーロ氏は共和党から出るのに、中絶擁護派でゲイ・ライツも支持するなどリベラルぶりを主張するなどしていた。それゆえ、ヒラリーと同年代の女性候補として有力と見られていたのだ。しかし、大事な立候補表明のスピーチで原稿をなくし30秒間沈黙してしまったり、莫大な金がかかるといわれている選挙の資金もうまく集まらないなど、候補者としての質が問われはじめている。さらに、ピーロ氏には共和党内にすでにライバルがいる。リチャード・ニクソン前大統領(故人)の娘婿で弁護士のエド・コックス氏(58)。地元の有権者の間ではピーロ氏よりもコックス氏を支持する声が高まっているというのだ。今回の一連のいきさつについて、ヒラリーと同じNY州上院議員のシューマー氏にぶら下がりコメントをとれれば、というのが今回の取材のねらい。
「セネター!ピーロ氏についてはどう思いますか?セネター!」
ちなみにきょうの「オハイオ・コリドー」の会見のテーマは、NY州の上院議員選とはまったく関係のない「鳥インフルエンザの蔓延について」。でも、「表現の自由」に基づき記者はどんな質問をしてもいいのだ。カメラを回す私と、ころあいを見計らって会見のテーマとまったく違う質問をぶつけるリポーター役のサラ。でも、セネターは「後で答えます!」とはぐらかし、帰っていってしまった。残念。インターン先のデイビスさんには「はぐらかされました」との旨、携帯で報告し寮に帰る。
日本から会社の元先輩がワシントンに来ている。東京のアメリカ大使館でメディアアナリストをしている彼女。今回は管轄のアメリカ国務省にあいさつに行くのだという。夜、いろいろな話に花を咲かせる。
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Tuesday, October 18, 2005
ワシントンポストのスター記者が来校。
ワシントン・ポストの記者ジェフ・バーレンバウム氏が来校。ロビイストについての連載を持つ彼は、「フォーチュン」誌のワシントン支局長を7年務めたほか、「タイム」誌のシニア政治記者、ウォールストリートジャーナルの記者歴16年などという輝かしい経歴を誇る。
「ワシントンDCは日曜の政治討論番組に出ているような”トーキングヘッド”がはびこる街。コントロールフリークの人間ばかり。だた、実は誰も何もコントロールできていないんだ。最もDCでパワフルなのは、こうしたトーキングヘッドじゃなくて、全米ライフル協会だったりする。(笑)」シニアクラスの記者なのに、飾らぬお人柄のジェフさんは、DCの政治と数字の熱い「内幕」をあますところなく語ってくれた。
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Monday, October 17, 2005
李登輝・前台湾総統のワシントン初訪問狂想曲。
「Taiwan President Lee -Our hero-」こんな垂れ幕を掲げたおば様たちが並ぶ、ここはワシントンDCのウィラードホテルの正面玄関前。このホテルのロビーに集っていた人たちを称して「ロビイスト」と言う呼び名が生まれた。けだし、きょうは「ロビー」をしにやってきたわけではない。何かとお騒がせの”英語名リー・デン・フイ”こと李登輝(りとうき)・前台湾総統のワシントンDC訪問を取材にやってきたのである。
いくらさまざまな国・地域のニュースが日々発生する国際都市ワシントンDCといえども、こういったエッジの効いたニュースの取材には、アメリカのメジャー・ストリームメディア(3大ネットワーク+CNN+FOX)は来ない。アメリカ人は、アメリカの国益がからまない国際問題には悲しいほど興味がないのが現状なのだ。。だからして、本日の取材団は日本・台湾・中国+AP+ロイター+αという構成。
李登輝さんは、10月14日からアメリカを訪問しているもの。今回の訪米について、中国政府は「中国と台湾、中国とアメリカの関係を損ねることになる」と反対する姿勢を示している。ワシントン訪問についても「台湾独立派の総代表」と見なす李登輝前総統による政治的な活動だとして、反発を強めると見られている。一方、アメリカ国務省は今回の訪問を「一個人としての訪問だと理解している」。「中台問題」に対して、「一つの中国」の立場をとりつつも一方で「台湾独立」にはあいまいな態度をとり続けてきたのが、アメリカ。台湾問題に関する記事へのリンクはここ。
前総裁は、実は米国コーネル大学の農学博士号を持っていたりするので、母校のあるNY州を訪問した後車でDC入りした。「入り待ち」すること45分以上。しびれを切らした頃に、黒塗りの車がやって来た。李登輝前総統は、総統在任中の10年前と退任後の4年前にアメリカを訪問しているが、ワシントン入りするのは初めて。だから、台湾出身者の歓迎もひとしおなのだ。だが、それにもましてすごかったのが、アジアのメディアの猛ダッシュ。取材に関しては「Politely aggressive(礼儀正しいのに攻撃的)」で有名な日本のメディアも、中国・台湾メディアの”どつき”には参った。マイクをさしかけようにも、ものすごい力で10人以上の記者団がどついてくる。
この優雅な名門ホテルの廊下が、修羅場と化した昼下がり。前総裁はほぼ何も答えずに、足早にエレベーターに乗り込むと去っていった。ところで、「日本による台湾統治時代には岩里政男という日本名をもち、京都帝国大学で教育を受け、”私は22歳まで日本人だった”と公言し、総統時代は一貫して親日路線を敷いた(by Wikipedia)」李登輝さん。今日でも日本語が最も得意な言語であるはずなのに、記者団の日本語での問いかけには何も答えてはくれなかった。残念。
しかしここでトリビアをひとつ。Wikipediaによると、「余談であるが、宮下あきらの漫画『魁!!男塾』のファンである支持者からの要望で、台湾での選挙の応援ポスターにおいて男塾塾長江田島平八のコスプレをした事があったため 一部から日本に媚び過ぎているとして批判を受けた。」とのことだ。前総裁の「男塾」コスプレ写真はココで見れる。。
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Sunday, October 16, 2005
生で見るアジアン・ビューティーにくらくら・女子十二楽坊DC公演
<偶然見つけた広告>
金曜日のことだった。ワシントンDCの週末エンタメ情報が網羅されているCity Paperをぱらぱらとめくっていて、「Twelve girls band」と題した公演の小さな広告に目が留まった。「と、とうぇるぶ・がーるずって、も、もしかして女子十二楽坊!???」
その通りであった。女子十二楽坊全米ツアー、ワシントンDC公演である。日本デビューの時から彼女達のCDを買い求め、以前の勤務先の経済チャンネルでディレクターを担当していたニュース番組でVTRのBGMを選ぶときには彼女達の音楽を積極的に使い、何年か前の日本武道館公演ではチケットが売り切れで買えず涙を飲み、アメリカ留学に際しては彼女達のCDを全て携えて海を渡った。。そんな生粋の十二楽坊ファンの私。DCなんて場所で、彼女達が見れるならもうけもん。日曜日の夕方、宿題も教科書もほおり投げ愛用の自転車にまたがり、ジョージ・ワシントン大学付属のコンサートホール「リスナー・オーディトリアム」へと急いだ。
<ミニ中国>
会場前はさながら「即席チャイナタウン」と化していた。北京語や広東語が飛び交い、当日券の列に並ぶと、”かの大陸の人々”はエクスキューズ・ミーも言わずに無言でがんがんと押してくる。ようこそ仁義なきアジアへ的洗礼を受けてホールへ入ると、場内はここがアメリカ<しかも首都)であることを忘れるほど中国人で満員。大枚を払い、前から2列目という好位置に座ることができた。隣は白人女性だが、新聞記者のようだ。どんな記事を書くのか気になるなあ。
<アジアン・ビューティ!>
幕が上がる。う、美しい!トゥエルブ・ガールズこと女子十二楽坊の皆さんは、写真やDVDで見ていたよりも、はるかに細くて綺麗。しかも、この赤いドレスがいい。露出は少な目、「寄せ」も「上げ」もしない(笑)胸元。スカート丈も、長すぎず短すぎず絶妙な透けとドレープがただただ彼女達のアジアン・ビューティーにマッチしている。日ごろ背丈も体のパーツもでかいメリハリの利いたアメリカ人の女性達ばかり街で見慣れているせいもあるが、それに比べると何と華奢で繊細な女性たちなのだろうか。さらに、舞台上の彼女達は終始アジア的・ミステリアスな”菩薩的微笑み”をたたえたまま演奏している。白人の「白い歯を出してにかー」という笑みとは異なり、口元が控えめに笑んでいる感じ。「たおやか」というのはこんな笑みのことを指すのだろか。とにかく、アジア女性の美しさにこれだけ圧倒されたのは久しぶり。
<曲目は>
また、生で聞く彼女達の演奏は、CDで聞くにも増して素晴らしかった。曲目は、1.Freedom(自由) 2.Ruten 3・El Condor Pasa 4.River Shule 5.Alamuhan(阿拉木汗) 6.Yangguan
7.Carnival 8.Take Five(五拍) 9.New Classicism(新古典主義) 10.Dunhuang 11.Whispering Earth
12.Mountain & River 13.Forbidden City(紫禁城) 14.Reel Around the Sun (Riverdance) 15.Great Valley(大峡谷) の15曲に加え、アンコールが1.Csardas(チャルダッシュ) 2.Miracle(奇跡) 3.Freedom(自由)の3曲。二胡や琵琶の合奏に、古琴と竹笛が彩を添える。誰がソロで、誰が伴奏というわけでもなく、12人全てがそろって初めて音色が完成するところがまたアジア的である。アンコールでは、ジャン・リーチュンさんの二胡ソロによる「白鳥の湖より・チャルダッシュ」には鳥肌が立った。西洋の曲がアジア楽器で演奏されるのを聞くのが、この上なく好きなのである。(ちなみにわたくしテディの母は実家でお琴教室を開いているので、子供の頃から琴がぺんぺん鳴る家で育ったせい、でもある。。)
<サインは目を見て>
終演後にはガールズのサイン会が行われた。もちろんテディも列に並んでみた。この写真がさらにぐっと近くで見たガールズたち。やっぱり可愛い(笑)。おじさんになってしまったみたいに、「はー。かわいいねえ」などと1人ごちながら12人一人ひとりにサインをもらうことに成功。
ここで少しだけがっかりしたことがある。サインするガールズたちの「アジアン・マナー」に愕然としたのである。疲れていたのだとは思うが、サインをするときは一人ひとりのファンの顔や目を見てするように、教えてやってください>所属事務所の方。言葉の壁もあるけれど、12人がそれぞれお互い同士でくっちゃべっていて顔も上げずに流れ作業でサインをしてくれました。。あ、もちろん北京語で話し掛けた人には、きちんと答えていたけれど。。で、できれば一人ひとりのファンに「にこって」微笑んであげるくらいは、してあげてほしかった。
これがサインCD。「ガールズたちに微笑んで欲しかったわ~」なんて、思うあたり、ちょっと”おやじ”化している自分を否めないけれど「できれば最後までアジアン・ビューティーに圧倒されたかったなあ」。。などと思ってしまうテディなのであった。。女子十二楽坊オフィシャルサイトはココ。サイン会はともかく、演奏とあの美しさは生で見れて感動ものだった。これからもがんばって・世界に羽ばたけトゥエルブ・ガールズ!
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Saturday, October 15, 2005
ハロウィン近し、パンプキンも大売り出し。。
秋近し。。というか秋なんだけど。(このブログを書いているのは、06年4月です、念のため。リアルタイムに暮らしを送りながら、留学生活を綴るのはディレイの連続なので、ご容赦あれ。。)大学院の寮のそばのフローリストにも、こんな大パンプキンセール中!てなディスプレーがお目見え。オレンジ色がかわいい。
収穫の季節だ(?)てなことで、生鮮市兼蚤の市、イースタン・マーケットに赴く。ワシントンにもこんなところがあったんだねー。近郊の農家で採れた新鮮な野菜を売っている。実はここ、議事堂にほど近いこともあり政治家がこっそりロビイストと密会するのにも、最適な場所として知られているとか、いないとか。。
月に何回かは、こういう「インターナショナル蚤の市」も開催されていて、いろんな国のものを売っていた。じゅうたんや、食器や、バッグや、アクセサリーなど。物欲が爆発して危ないので早めに離脱することにしようと心に決めたものの、やはり。。私はビーズのアクセサリーを、同行したルームメートの皆さんもスカーフなどを衝動買い。もちろん大事なビタミンCのもと、新鮮な野菜たちも仕入れてほくほくの帰り道なのであった。
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Friday, October 14, 2005
ソーラーハウスコンペ表彰式を取材。
アメリカ・エネルギー省主催のソーラーハウス大学対抗コンペ「Solar Decathlon」8日目を迎えたきょうは表彰式の取材に出かける。日本のTV局のフィーチャーストーリーのためである。エネルギー省のボドマン長官が1位のコロラド大学チームの名前を読み上げると、歓声が上がった。詰め掛けたメディアも、学生達も晴れ渡った空の下心からの拍手を送った。コロラド大チームは2002年のコンペに続いて2回続いて優勝した。
ソーラーハウスのコンペなのに、過去1週間ぐずついた天気が続いていたがきょうは久々の雲ひとつない秋晴れ。表彰式のあと、コロラド大のチームのハウスには見物客が殺到した。リサイクル素材を建築資材に使った点のほか、エネルギー効率のよさなどの総合点で他のチームを圧倒した。
一方、私たちはくだんのミシガン大のジョン君のおっかけ撮影に余念がない。ミシガン大の成績はデカスロンのHPを見てもらえばわかるが、参加大学18チームのうちの”びり2”の17位。成績が全てではなく、参加することに意義があるとは誰もがわかっているものの、ジョン君たちは落ち込んでるかな?とミシガン・ハウス「ミソ・ハウス」を訪問してみた。
「ちょっとコロラドチームに嫉妬はするけど、落ち込んじゃいないよ。われわれの家だって2年前の”ミソ・ハウス”に比べれば、格段に進歩したんだ。結果はふるわなかったけど、参加できて嬉しいよ。」ジョン君はこんな風に語ってくれた。表彰式のおかげで増えた見物客に、「ミソ・ハウス」の内部を説明するのに忙しい。
この後、ジョン君に表彰結果のボードを見に行ってもらうシーンや、結果を受けてのインタビューなどを収録して、本日は撮影終了。きょうでこのソーラー村に取材に来るのも4回目だ。このコンペもあさってで終了、その後は学生達が家を解体して、それぞれの州まで持って帰る。
ソーラー村が作られていた場所はナショナル・モールという場所。連邦議事堂とワシントン・モニュメント(剣みたいな形をした塔)の間にある広大な広場で、両脇にはスミソニアン協会の管轄によるさまざまな博物館や美術館が立ち並ぶ。普段は観光客や、マラソンをする人のほかはネイビーのスーツをびしっと着た政府関係者=つまり大人の男女ばかりが闊歩する場所だった。そこに突如姿を現したソーラーハウス村。そこで、ポロシャツやTシャツ姿にジーンズの大学生達が建築にせいを出す姿は、DCではめったに見れない「すがすがしい」ものだっただけに、村がなくなってしまうと思うと、さびしい。
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Wednesday, October 12, 2005
スープリームでダイナソーな一日。
きょうは何も大学院向けの取材がなさそうなので、思い切ってルームメートのサラ、ビッキーと最高裁判所にやってきた。
裁判の傍聴は、公判が行われているときなら誰でも無料でできる、と聞いてやってきたのだが残念なことにきょうは裁判自体がなかった。この部屋が、審判が下される部屋。
SCOTUS(Supreme Court of the United States)のジャッジは9人。もし裁判が行われていれば、この人たちが上のコートルームに座っていたはず。(写真はアリート判事が入った後の最新のもの)
つまらないので「最高裁ショップ」なるお土産物屋を物色していて、こんなものをみっけ。「gavel」つまり判決を下すときの小槌型のペン。意外とかわいいんでないの?
裁判を傍聴し損ねたので、「恐竜が見たい」というサラの願いをかなえるべくスミソニアン自然史博物館に行く。写真はティラノサウルスの化石の口の中に手を突っ込むサラ。
自然史博物館のミュージアムショップでは、さそりだか、虫だかを練り込んだ飴が売られていた。ちょっと気持ち悪いけど、お土産にひとついかが?
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Monday, October 10, 2005
「環境に優しい建築でアメリカを変える!」ミシガン大・ジョン君との出会い。
先週さんざん大学院向けに取材したソーラーハウスの学生コンペ「ソーラー・デカスロン」。きょうはもう一つのインターン先(日本のテレビ局)のカメラマンと記者さんと共にロケ取材にやってきた。ワシントンを舞台にしたフィーチャーストーリー、つまり企画もののネタになるということで目出たく私のネタが採用されたのである。きょうは絵的に面白い家の取材をする。エネルギー効率に加えて、デザインもこのソーラーハウスコンペの重要な要素であるという。
まずは先週も取材をしたピッツバーグ大連合チームの家から。この家、なんと家の南側の外壁が20度くらい傾いている。インタビューをしたカーネギー・メロン大学の建築学科5年生のケビン・ウェイさんによると、その理由はこんな感じ。「部屋の床が屋根の手前で終わるよう設計することで、夏には日陰を作り冬には多くの日光を取り込めるようにした。太陽や自然の風通しを活用し、ただで熱と冷熱を循環させる。それによって暖房や冷房に頼ることをやめて、エネルギー消費の量を減らすことができる。」
フロリダ国際大学の家のコンセプトは、ずばり「エンガワ」、日本の縁側の概念を取り入れたというのだ。同大学卒業生の日系アメリカ人、エドワード・ナツイさんによると「エンガワ、というのは、僕の理解では屋内のリビングスペースではないが、完全に屋外でもないスペース。外と内という境を取り除くことによって、家の中にもっと自然を取り入れることができる。家を外の自然と一体化させたんだ。」縁側、というよりはどう見てもテラスにしか見えないけど、そのアイデアだけは認めよう。ハリケーンにも耐えるガラスを窓に使ったり、機能面では堅牢で見た目はすがすがしい家だった。
ミシガン大学のチームのソーラーハウスは、写真のようにアルミでできたトレーラーにソーラーパネルを取り付けたもの。モジュール式で、組み立てれば車として移動も可能。 外見が面白かったので、「日本のTV局なんだけど、ちょっとコンセプトを教えてもらえるかな?」とハウスの外にいた学生たちに話しかけた時、出てきたのがプロジェクトリーダーでミシガン大建築学科の卒業生であるジョン・ビーソン君だった。
「この家を作るためのMichigan Solar Projectは、略して“MiSo(ミソ)プロジェクト”って言うんだ。日本のミソ・スープみたいだろう?」こんな風に語りかけてきたジョン君はコンペの開会式に向けて、追い込みの準備に入っていたのにも関わらず、 快く私の質問に答えてくれた。話を聞いたどの参加者よりも、彼が際立って面白いと思ったのは、ジョン君がヘルメットに工具袋を下げた姿で、 聞いてもいないのに私にこんなことを話し始めた時だった。
「アメリカ人は環境のことを考えない人が、多いんじゃないかって?うーん。僕は違うんだよね。」ミシガン大ミソチームのそろいのオレンジのポロシャツ姿の小柄なジョン君の、眼鏡の奥の知的な目がきらりと光った。「アメリカでは太陽発電はまだまだ使われていないし、代替エネルギーについても、あまり使われていない。でも、僕ひとりでもこの環境に優しい建築の研究を続けていれば、こんな小さな研究でも、必ず人々の考え方を変えることができると信じている。ソーラハウスは、日本ではかなり浸透しているんだって?僕はアメリカでも実現可能だ、と思うんだ。」
ジョン君はなおも続けた。「このプロジェクトにはじめて参加したのは、前回の2002年の大会だった。そのとき以来、ソーラーハウスのすばらしさに惹かれて、3年後の大会では気づいたらプロジェクトリーダーだったってわけさ。2003年からこの家のデザインを設計し始めて、2年もかかったんだよ。この1ヶ月も、寝る間も惜しんで仲間たちとソーラハウスを作ってた。開会式までも、きっと徹夜が何日かは続くだろうね。僕は子供の頃から、リサイクルしたり、親も環境問題について考える僕の気持ちの背中を押してくれて、いつも新聞に載った環境の記事を切り抜いて僕にくれた。将来の夢は環境に優しい建築を作ること。このプロジェクトに没頭しているうちに、気づいたら建築学科の修士課程も修了していた。就職しなければいけないんだけど、このコンペが終わるまではお預けだよ。実は、僕にはベイビーが生まれたばかりなんだ。(見せてくれたチャーリー君の写真は、ほんとうに生まれたての赤ちゃんだった。)チャーリーって言うんだよ。結婚したばかりの妻のために、家計を支えないといけない。だけど、夢はあきらめきれないから。」
おお。アメリカ人にもこんな青年がいたのね、と話を聞きながら「これはいけるぞ」と思った。「アメリカ人でも環境のことを考えている人はいる」的彼の人物おいかけと、学生結婚で赤ちゃんが生まれたばかりという面と、就職も忘れてプロジェクトに没頭している青年という面と、“世界一環境に無頓着な国”アメリカの首都DCに建つ彼の2年間が結晶したソーラーハウス、そしてコンペ。これらを組合わせれば、きっと面白い「フィーチャーストーリー」ができる!
読みはあたり、インターンながら企画が通ったので、きょうは日本のTV局のクルーとしてジョン君を大々的に(?)取材しにやってきたというわけ。「ジョン君、あなたの夢は?」そうインタビューしたとき、彼はこう答えた。「建物の建築方法を変えることで、環境問題を改善したい。建物をもっとエネルギー効率のいいように建築する、環境に優しい建築士になりたいんだ。」彼のインタビューがほかの学生に比べ、格段に面白かったせいもあり、支局に帰って担当の記者さんと話し合い「よし、ミシガン大まで取材に行こう!」ということに。この「ジョン君のソーラーハウスにかける夢(仮題)」今後の取材も面白くなりそうだ。次は、ミシガン大チームの成績を見に、数日後に予定されている授賞式に赴く。
Miso Project HP
photo(C) Stefano Paltera / Solar Decathlon
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Investigative Reportingというジャーナリズム。
テキサスの小さな町、チュリアで起きている麻薬にまつわる警察の腐敗を書いたノンフィクション「Tulila」の著者のネイト・ブレークスリーさんが来校(写真向かって右)。Investigative Reportingの大変さやその社会的意義について語った。ネイトさんはTexas Observerというローカル紙の記者として、チュリアの町の法執行部の腐敗に気がつき、そこに鋭くメスを入れた。
しかしアメリカのInvestigative Reportingというのはすごい。新聞でも、TVでも、ローカルでも、全国ネットでも。独自の調査をし、スクープをあげる調査報道を流すための専門の記者が存在する。横並びでなんとなく同じような報道を流して満足しているだけではだめで、記者が警察さながらに調査をし、手に入れた事実を組み合わせ客観的に報道するのである。そして、時にそれが社会をも動かしてしまう。そんなことがいまだに頻繁に起きている。日本にも同じようなものがあるだろう、という人もいるかもしれない。しかし、このような調査報道が各地方のメディアのすみずみまで浸透しているところがすごいのである。きょうのネイトさんはそんな地道なテキサスでの取材活動をまとめて、本にしたというわけ。
講演のあとのQ&Aでは、われらがワシントンプログラムの新聞ジャーナリズムの院生から、いかに調査報道を効果的に行うかについての質問が矢のようにとんだ。新聞記者を夢見る若者なら誰もが一度はやってみたいのがInvestigative Reporting、のようだ。
ちなみにTV報道の世界でも、ローカル局レベル、ネットワーク局レベルを問わず、必ず「Investigative Reporter」といのが存在する。経験の長いベテランがなることが多い。ボストンに居たとき、よく見ていたのが "HANK INVESTIGATES”または "HELP ME HANK"という調査報道コーナーを担当していたWCVB(NBC系列)チャンネル7のハンク・フィリッピ・ライアン記者。「倉庫サービス会社の倉庫にかびが生えている!?」とか「医療ミスの現場〜乳がんの手術ミスはなぜ起きたのか」など、幅広いテーマをとりあげて、小気味よいテンポのVTRでぐいぐい見せていた。「ベテランの技」を見せつけるかのような、すばらしいリポートだった。
ちなみにボストンでは、私の大学院の同級生のミランダという女の子が、このライアン記者付きのインターンをしていたが、「かなりへとへと」になるくらい、インターンにも厳しい人だったらしい。
Anyways、アメリカの「調査報道」のようなものが、日本でも市民権を得るようになれば、日本の「ジャーナリズム」もかわるかもしれない、と思う。日本のジャーナリズムはまだまだ「お上がこう言っていました」的横並び報道を垂れ流すばかりのように思え、成熟しているとはいいきれない。日本文化の特性上、アメリカのインベスティゲイティブ・リポーティングのように、記者が何もかも一人で調べて、正義の鉄拳をふるう、かのようなことは、日本ではありえないのかもしれないが。。とにかく、このような調査報道が充実しているところが、アメリカのジャーナリズムをダイナミックなものにしている一つの理由だと思う。
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Sunday, October 09, 2005
チョコレート・プレッツェルと出会う日曜日。
きょうはこんな食べ物と出会う。チョコ・プレッツェルだ。プレッツェルにチョココーティングがされていて、う、め〜。
日曜日、ルームメート兼グルメイト兼人生相談の友、ビッキーさんと連れ立ってやって来たのは、バージニア州のとあるカウンティフェア開催場。普段は家畜のオークションが行われるこの場所で、きょうは手作りクラフトや手作りお菓子を売るフェスティバルが開催されている。アクセサリーからインテリア用品まで、目移りする商品の中で選んだのが、このお菓子である。とってもおいしかったです。
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Friday, October 07, 2005
SUSHI!!
。。は、いい。しかも桶ずしならなおさらだ。DCダウンタウン一の寿司屋は金曜の夜、行列ができるほどなので予約すべし。生で食べるウズラの卵がう、め〜!!!
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CNN元ワシントン支局長の迫力にたじたじの早朝講義。
朝から元CNNのフランク・セズノが来校した。95-01年の間ワシントン支局長、90-97年まで「Late Edition with Frank Sesno」アンカー(現在ウルフ・ブリッツアーがやっている政治トーク番組)を務めた。現在は"CNNスペシャル・コレスポンデント"としてたまに特別編のリポートに出演したり、「CNNプリゼンツ」というドキュメンタリーシリーズのナレーターを務めたりしている。ワシントンDCのジョージ・メーソン大学で公共政策とコミュニケーションを教える教授でもある。
「TV記者に向いている人材とは、1に文章がうまい人、2に人を信頼して人間関係をきちんと築ける人、3にニュース・バリューをプロダクション・バリューにうまくつなげられる人。」
ひとつひとつ頷けることばかりを語るセズノ氏。朝8時台からアドレナリン全開で、こちらに語りかけてくる。やはりすごい迫力だ。こんな支局長がニュースルームにいたら、ミスをしたらひとたまりもないだろう。そんな風に思わせるほどの、威圧感と存在感、そして緊張感がある。実は彼がアンカーをしているのを見たことがないのだが、TVでもこの存在感をあますところなく発揮していたのだろう。TV屋、という印象がびんびん伝わってくる。
「Newsgatherer+Producer=powerful story」レクチャーの時にとった自分のメモを見るとこんなことが書いてあった。ただニュースを取材してくるだけでは駄目で、そこにプロデューサーという「ニュースを効果的に演出する映像と文章のクリエイター」が介入して、初めてパワフルなニュース・ストーリーが出来上がる、これがCNNカルチャーなのだという。まさに、私の「放送ニュース哲学」と合致することばかりで、いちいちうんうん頷きながらの1時間となった。
「さ、僕の話はこれまで。君たちの話を聞こう!」こう鋭く切り出されると誰もが、うーんと思わず考えざるを得ない迫力。いくつかの質問のあと、新聞ジャーナリズム院生のトニーがこう切り出した。「フランクさんがCNNのワシントン支局長をしていたとき、正直言って一番扱いづらかった部下は誰でしたか?やっぱりウルフ(・ブリッツアー)ですか?」思わず教室内が笑いの渦になってしまったが、セズノ氏には答えをはぐらかされた。
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Thursday, October 06, 2005
ソーラー村開会式@モール
エネルギー省主催の「ソーラー・デカスロン」(ソーラーハウスのできを競う大学対抗コンペティション)が開幕。サミュエル・ボドマン エネルギー長官によるテープカットの後、ソーラーハウス村が一般公開された。
けんかは制裁されたものの、そりの合わなさは否めないブロードキャスト院生チームだが、きょうはチームメートであるサラが都合が悪く、彼女以外の娘たちと開会式の取材に行く。案の定、皆が自分勝手に動くから、撮影は思ったように進まない。
今回はテミスにカメラを担当してもらうはずだったのに、「プエルトリコの議員が来ているから、この間の取材の続きでインタビューをしたい」とかで直前に現場からとんずら。
おいおい。チームだろ、協力とか、人の気持ちを読む、とかそんな感情はないのかよ。と怒りつつ、代理としてチームの中で唯一学部生、ケイティーにカメラを頼むことに。彼女とは先学期ボストンで聖パトリックデーのパレードの取材に出かけたのが縁で、何回か一緒に取材に出かけている。今回の「サラ/テディVSテミス/ジュリー」というチーム内の対立の構図の中に会って、「永世中立国・スイス」のような存在、それがケイティー。スイート・ガールである。
ところで、ペンシルバニア州選出の下院議員が、ピッツバーグ大学連合チームの作ったソーラーハウスに視察にやってくるというのでWSEE-TVというペンシルバニア州の局向けに取材をしようと、議員の広報秘書にアポを取った。上院に比べ、親しみやすいのが下院。「喜んで取材を受けます。秘書の私が同行しますので、ピッツバーグチームのソーラーハウスの前で待ち合わせしましょう。」
お会いしたジュリアさんはフィル・イングリッシュ下院議員の広報秘書。写真にはないが、驚くほど若くそして東欧系の美人。イングリッシュ議員はペンシルバニア選出の共和党議員で、元教師だったという異色の経歴を持つ。早速、議員が学生と話したり、ソーラーハウス内を見て回っているところをBロール(雑感)としてカメラに収める。
ハウスの前で議員をインタビュー。「この冬だけで70%もエネルギー代が値上がりしているんです。省エネに今すぐ取り組まなければ、われわれの社会や経済に恐ろしい影響が出ます。LIHEAP(Low Income House Energy Assistance Program=低所得者層の暖房費補助プログラム)のようなプログラムものに今すぐ着手しなければいけません。」
温厚で腰の低いイングリッシュ議員には、今後も取材をさせてもらうことが出来そうだ。さらにピッツバーグ大学連合チームのソーラーハウス設計者をインタビュー。ピッツバーグ大と並んで連合チームの要であるカーネギー・メロン大学からやってきた建築学科の学生さんたちは、インテリジェンス漂うキュートな男の子たちだった。ソーラーハウスの未来について、気合の入ったコメントを寄せてくれた。
午後、大学のインターンが終わり、外部インターンをしに日本のTV局の支局に出勤。午前中のソーラーハウスのイベントについて、ある記者さんと雑談していたら「それ、いいね。取材できるかもしれないぞ。下見に行こう。」ということになった。
こうして午後、再び舞い戻ったソーラー村で、テディはある大学チームの印象的な青年に出会うことになる。その青年について、ひょんなことから日本のTV局向けに「人物おっかけ取材」をすることになるのであるが、そのことについてはまた後日書くことにする。
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Wednesday, October 05, 2005
上院ウォーター。下院ウオーター。
上院議員のぶら下がり取材に来て、議員の「出待ち」をしている間に議事堂の売店に寄る。「米国上院ミネラル・ウォーター」なるを発見。ただちに購入。確か値段は2ドルくらい。通常の500mlペットボトルよりは少々大きめ。この調子だと、「下院ウォーター」「ホワイトハウスウォーター」「国務省ウォーター」「ペンタゴンウォーター」「最高裁ウォーター」なんてのも存在するんだろうか。 確かめてみたくなった。
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上院の「ぶら下がり廊下」で初取材に挑戦!その段取りのよさとオープンさに驚く。
水曜日。きょうはきのうのソーラーハウスとうって変わって、ばりばりのポリティクスの取材。
「毎週開かれるSENATE POLICY LUNCHEON (上院政策ランチ)は、セネター(上院議員)たちが民主党と共和党に分かれて政策を話し合う議論の場です。ランチが終わるとセネターたちが廊下に出てきて記者に話をしてくれることが多いから、テーマを決めてぶら下がり取材してみて!議会パスを持っていれば、どんな地方紙・TVの記者でも平等に取材ができますよ、さあ!」
そんなキリアン教授の指令を受けて、インターンをしているニューヨーク州のローカル局WENYのニュースディレクター、デイビスさんに電話する。
「民主党のシューマー上院議員にぶら下がります!最高裁判事候補のロバーツについて聞きますです!」と張り切って報告して本日やって来たは議事堂ビルの別名「ぶら下がりの廊下」。
「あ、TVですね、三脚はここに立てて、このラインから出ては行けませんよ。」
三脚を立てようとすると、上院TVラジオギャラリーという上院のTV担当の広報がすでに仕切っていて、演台が出来ていて、写真のような3大ネットワーク+ケーブル(CNN,FOX)のカメラマンがすでにお行儀よく陣取っていて。。な、何て段取りがいいんだ!
しかも、「マイクを立てるスタンドがない~持ってこなかったんだよね~」と焦っていると、サラがインターンをしているCBSニュースの音声マンが、「ほら、貸してやるよ。」と気軽にスタンドを貸してくださった。な、なんて敷居が低いんだ、3大ネットワークの技術スタッフなのに。。日本のTV報道業界(東京)ではこんな光景を見ることはほとんどない、と言っていいだろうと思う。多くの現場で、カメラマン同士お互いプライドが高くて、「ライバル局に機材なんて貸さない」って感じだから。
余談だが、こんな調子で議会内では三脚を立てていい場所、ぶら下がっていい場所などが全てTVラジオギャラリーによってルール付けされている。ルールを破ると取材の出入りが禁止されるかもしれないそうだ。(当たり前か。)
やがて、大勢のペン記者をふりきって、演台にやってくるなりフラッシュの嵐を浴びる1人の上院議員。ネバダ州選出のハリー・リード民主党院内総務だ(写真)。共和党が強力プッシュしているロバーツ候補について、さらにはイラク戦争について、痛烈な批判をぶち上げ始めた。
時間がたち、他にも4-5人の有名議員のスピーチを見たが、お目当てのチャック・シューマー上院議員(民主党・NY州)は結局やって来なかった。だからきょうはNY州のローカル局向けには、ニュースにならなかった。残念である。
余談だが、この”ぶら下がり(英語でStake-out)廊下”の正式名称は、「Ohio Clock Corridor(オハイオ時計廊下)」というらしい。どこに時計があるのかは、わからなかったが、写真にあるTV用演台の奥の空間にはペン記者がわんさと控えている。そのまた奥に議員がランチをとる部屋がある。つまり、
議員がランチの部屋を出るとオハイオ時計の廊下がある→まずはペン記者にわーっと取り囲まれて新聞用の取材を受ける→気分が乗ったところで、少し進むとTV・ラジオの記者向けの演台がある。そこでカメラの前に立ちライトを浴びて思う存分しゃべりまくり、TV・ラジオ記者の質問を受ける。
てな仕組み。ジャンルの違う記者たちでも、効率よく取材対象にぶら下がることができるというわけである。さらに議員側も、新聞だけにしゃべりたいならペン記者のプールだけに、TV映りを重視したいのならTV向けだけにしゃべる、もしくは両方のメディアを重視する、などといった戦略的情報公開ができる。
はー、米国議会ぶら下がり初取材、勉強になりましたです。そのうえ、CNNの議会担当記者のエド・ヘンリーの取材風景まで生で目撃して感激。(アンダーソン・クーパーの次にに好きなCNNの出演者なのだ。ミーハーですんまそん)
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Tuesday, October 04, 2005
18の大学生チームがソーラーハウス建築を競う「デカスロン」開催
「朝日ソーラーじゃけん!!」という菅原文太のTVCMがあるが、太陽発電パネルは日本で結構浸透している省エネ技術だと思う。(注:朝日ソーラーは太陽熱温水器の販売)でも、ここ「アンチ・省エネ大国」アメリカでは、そうではない。「ソーラーパネルなんて見たことがない!」そんな人が多い。部屋の電気を逐一消すとか、資源を大事にするとか、なるべく自動車に乗らずに公共の交通手段を遣うとか。。そんな基本的な意識が徹底していない国、アメリカ。そこで、そんな「消費大国」アメリカの省エネルギーに対する意識を高めるためか、米エネルギー省主催でこんなイベントが開かれた。
連邦議事堂からに東西に伸びる「ナショナル・モール」。その一角に出来上がったソーラーハウス村。全米内外から18の大学チームが参加。ソーラーハウスを建築し、その出来を競い合うイベント、「ソーラー・デカスロン」である。10・7から16まで開催される。「デカスロン」という言葉は「10種競技」という意味で、省エネ性、デザインなど10項目に渡って審査が行われ、優勝チームには奨励金が出る。村ができあがれば、観光客もハウスの中を見学ができる。
きょうは7日の開幕に備えて、あるチームの準備風景を取材しようとしてやってきた。あるチームとは、プエルトリコ大学チーム。インターン先のペンシルバニアのTV局のアフィリエイトであるプエルトリコのTV局向けである。ヘルメットをかぶって微笑むのは、わが悪友にして学友のテミス。スペイン出身の「いけいけジャーナリスト志望娘」である。建築現場の取材であるからして、撮影に当たってはヘルメットを被らなければならない。
カメラを構える私も、三脚を持つサラも皆でヘルメットをかぶりながら、テミスの華麗なラテン・取材交渉術にお任せ。プエルトリコ大学チームの好意で、建設現場の家の中の取材をする。
カリブ海の家のスタンダードなデザインを取り入れつつ、太陽を最大限に取り入れる努力をしたとか。電源がなくても3-4日は持つだけの堅牢なソーラーパネルを屋根に取り付けている。このチームのソーラーハウスの詳細については、ここを参照。
大学生のチームが青空の下、汗をかきながら家を作り、コンペを競い合う。見ているこちらもすがすがしくなる。ワシントンのパワーポリティクスからはほど遠い、学生達のピュアな努力が伝わってくる。楽しい取材になりそうだ。このイベント、2回目で、前回は2002年に開催された。05年の今回に向けて2年をかけて設計してきたチームがほとんどだとか。
プエルトリコだけでなく、他のチームも、取材ができそうだ、ということできょうのロケはとりあえず終了。議事堂近くのヨーロッパ風カフェで一休みをし、大学に帰って取材案を練ることにする。
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Monday, October 03, 2005
人間を創ったのは神か科学か!?「インテリジェント・デザイン論争」
アメリカ・ペンシルバニア州連邦地方裁判所ではじまったある裁判が全米中の注目を集めている。訴えを起しているのはドーバー郡地区の公立学校に子供を通わせる11組の両親たちで、訴えられたのはドーバー郡地区の教育委員会。原告の両親たちは、ことし1月にドーバー郡地区の教育委員会が定めた生物学の教科書の内容の改定に異議を申し立てているのだ。
これまで、同地区の公立学校では9年生の生物学の授業において、「人間は猿から進化した」とするダーウィンの「進化論」だけを教えていた。しかし、その「進化論」に代わる新たな理論が生物学者たちのあいだで頻繁に論議されるようになり、ドーバーでもその新しい理論を教育に取り入れることが1月、教育委員会で決められた。その新しい理論とは、「進化論」に対して「何らかの意図を持った知的設計者がこの世を創りだした」とする「インテリジェント・デザイン=知的設計論」と呼ばれるもの。
「インテリジェント・デザイン」論は、聖書に載っている「創造説(人類は神が作り上げた、とする)」とは少し異なるものの、それに非常に似ている。アメリカの世論調査「ギャロップ調査」によると45%のアメリカ人がこの「神の創造説」を信じ、このうち35%の人々がダーウィンの「進化論」には根拠がないと答えている。
しかし、反発を唱える人々は「インテリジェント・デザイン」論を公立教育で教えることは、「教育と宗教の分離を掲げる米国憲法に反する」としている。彼らは「インテリジェント・デザイン」を教えるのは、学校で神について教えるのと同じ、だと主張している。ドーバー郡の公立高校に子供を通わせる原告の親達もこうした考えで、教育委員会の教科書改訂に反発を唱えたのである。
ペンシルバニア州ドーバー郡の公立学区に通う生徒数はたったの3600人。このインテリジェント・デザイン論争は町を2分するほどの大きな騒ぎに。05年5月には教育委員会のメンバー2名がこの論争によって辞職し、その空席には20人もの立候補者が出たほどだとか。
原告団の両親たちの1人、スティーブ・ストウさんは地元紙のインタビューにこう語っている。「14歳になる娘に高校で宗教の講義を受けさせたくない。インテリジェント・デザインを教えることは宗教と国家の混同だ。」原告団側の弁護士、エリック・ロスチャイルドさんも通信社のインタビューに対し、「インテリジェント・デザイン論は科学ではなく、まさに古い神学だ。都合よく神の創造説をすりかえたものにすぎない」と答えている。
しかし、ドーバー教育委員会側の弁護を担当するパット・ギレン弁護士は「ドーバー学区の生徒達は、進化論とは別の論が存在するという”選択肢”を学ぶだけだ」と答えている。
ドーバー郡の公立高校、ドーバー高校の9年生の生物の授業では「Prentice Hall」社の教科書を使っていて、同教科書では人間の進化について15章から17章を割いている。しかし04年10月に教育委員会の投票が行われ、この教科書に加えて、補助教材としてインテリジェント・デザインを説明するある参考書を導入することになった。
「Of Pandas and People」と題したこの参考書(写真)が、インテリジェント・デザインについて教える教材である。書き出しを見てみよう。「ある種の動物は進化の過程を経ず、突然に種としての完全体でこの世に現れたと信じられている」。。。
ドーバーの教育委員会では、この参考書を導入するに当たって保護者を対象に、事前にこんな手紙を出して、理解を呼びかけた。「この”Of Pandas and People」の導入で、インテリジェント・デザインそのものを教えようとしているわけではないんです。でも、この参考書について授業内で取り上げる時間に、お宅のお子さんを退席させたい場合は、どうぞ付属の連絡書に記入し担当の生物の先生まで提出してください。」起こるべく保護者の反発に備えた予防線、というわけだ。
訴えられたドーバー教育委員会を弁護する法律事務所「トーマス・モア法律センター」は、キリスト教的価値観を推奨する会社としてよく知られている。社長のリチャード・トンプソン氏は通信社にこう語っている。「インテリジェント・デザインを学校で教えることには何の問題もない。むしろ生物学の世界で現在論じられている最先端の論点を教えることで、既存の”ダーウィン進化論”とのバランスをとることになるくらいだ。」
では生物学者たちはこの裁判をどう見ているのだろうか。
ワシントン州シアトルにある「ディスカバリー・インスティテュート」はインテリジェント・デザインを支持する、いわゆる”保守派”の生物学者が多く所属している。そのシニア・フェローのジョン・ウェストさんはプレス・リリースの中で「インテリジェント・デザインを教えるな、という意見は、ダーウィンに異を唱える意見は教えるなとも言わんばかりで、センサーシップと同じである」と激しく主張。
しかし、原告側を弁護する生物学者たちも数多くいる。ペンシルバニア州の連邦裁判所で原告側のブレーンとして証言した名門ブラウン大学のケネス・ミラー教授もその一人で「インテリジェント・デザイン論は科学的論拠に著しく反する」と雑誌への寄稿の中で説いている。
しかし、この知的設計論がなぜここまでアメリカで騒がれるのだろうか。その背景には何があるのか?
その答えは、インテリジェント・デザインを支持する層が、そのままキリスト教主義を過激に唱える右派層と重なり、その右派層がブッシュ政権を後押ししている、という構図にある。インテリジェント・デザインを後押しすること、それはそのままブッシュ政権を後押しすることにつながるのである。
「I think that part of education is to expose people to different schools of thoughts. You are asking me whether or not people ought to be exposed to different ideas, the answer is yes. 」ブッシュ大統領は近頃、ある記者会見の場でこのように語り、学校教育でインテリジェント・デザインを教えることを公式の場で後押しした。
我々日本人が想像している以上に聖書やキリスト教的教えが人々の生活に大きな影響を及ぼしているアメリカ。保守派の人々の間では、「人間の祖先は猿である」という考えを受け入れるのに抵抗のある人がまだまだ多い。なぜならそれは聖書を否定し、神の存在そのものを否定することになるからである。
今回のペンシルバニア州ドーバー郡のほかにも、カンザス州、オハイオ州、ミネソタ州、ニューメキシコ州のいくつかの教育委員会がこのインテリジェント・デザイン論をすでに取り入れている上、アメリカ内の10数州の議会が、同様の議論を続けている、というから驚く。同じような裁判は1925年にもテネシー州で開かれ、その時にはダーウィンの「進化論」を教えた生物学教師が有罪の判決を受けた。
しかし、面白いのは、今回の論争が宗教の枠を超え「政治的信条」をも巻き込んだ議論にまで発展しつつあるところ。
ドーバー郡のこの裁判は、9月26日にはじまりおよそ5週間の予定で判決が下される予定。裁判のゆくえに注目したい。
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Sunday, October 02, 2005
緑のトンネル抜けて渓谷にゆこう!フォー食べにゆこう!
こうさすがに毎日「イラク戦争や天然ガス、FBI」などアメリカ政治関連トピックにどっぷり浸かっていると、脳みそが”緑”を欲する。緑が見たい。緑が恋しい。そこで、よく晴れ渡った日曜の午後、ルームメートと2人車に乗り込み緑のトンネルを潜り抜け、やって来たところは。。
グレート・フォールズ・パークというところ。ワシントン郊外のバージニア州へ向かうこと車で40分。首都近くにこんないいところがあったんだ、というくらい自然が満杯の渓谷である。ちょっと日本の埼玉県秩父市の長瀞に似ている。切り立った渓谷の下は、流れの速い渓流。「警告・ここで毎年何人もの転落事故が起きています。注意」こんな看板の出ているところで、ロッククライミングをしている人々が何組もいる。中には、ロッククライミングをしながら自己紹介をし合っている「初デート」のカップルもいる。こんな普通じゃないデートが最近は流行っているらしい。写真のような眺めのいい崖には、見通しのいい自然の展望台が何箇所も作られていて、それを探して木立の中をハイキングした。リフレッシュしていい気分。過去1ヶ月のワシントン生活。疲れがそろそろ溜まっている。カタカナ英語でアメリカ議員の名前を覚える慣れない努力も、迷路のような議会の建物の中を重い機材を担ぎ記者会見場を探して歩くのも、きょうは全て忘れていい。
帰り道、ベトナム系スーパーに立ち寄る。驚いたことに、一大ショッピングセンターが形成されている。ベトナム人が経営し、近隣に住むベトナム系アメリカ人が買い物に来る。写真にはないが、ベトナムコーヒーセットなるものを5ドルで手に入れる。粉末の濃いコーヒーの粉と、コーヒーカップの上に乗せてコーヒーを入れることが出来るアルミ製の小さいろ過器のセット。コンデンスミルクの缶も見つけて、ほくほく。
ベトナム人らしき地元民ばかりが食事を取るフォー専門店で、腹ごしらえ。3時というオフタイムにランチを注文したため、店の奥にはベトナム将棋のようなゲームをしているお年寄り達が、お茶を飲みながら午後の時間をつぶしている。のどかだ。出てきたフォーも旨い。付け合せのもやしとレモングラスを残らずたいらげ、スープを一滴残らず飲み干す。
たまにはこうして「駆け引き」や「取引き」や「特定のインタレスト」のない夕暮れを過ごしても、ばちは当たるまい。買い物渋滞のハイウェイをルームメートの運転する車に揺られながらの帰り道、こんな日がずっと続けばいいのに、と思う日曜日の憂鬱なのであった。
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Friday, September 30, 2005
”アドレナリン・ジャンキー”の女性記者にアメリカの強い女像を見る。。
大学院の早朝ゲストレクチャーではボストン・グローブ紙の女性記者、スーザン・ミリガンさんが来校。ハンガリーのブタペストで8年間、フリーランスとしてユーゴスラビア紛争などを取材、ウォール・ストリート・ジャーナルやボストン・グローブ紙などに寄稿した経験についてエネルギッシュに語ってくれた。現在はボストン・グローブ紙のホワイトハウス担当記者として、同紙のワシントンDC支局に在籍し大統領選挙やブッシュ政権の外交政策などについて執筆しているという。
朝8時半からここまでエネルギーがほとばしる女性を、あまり見たことがない。
「私、よくしゃべりすぎって言われるんですけど止まらないの。書いた記事について、取材先からお叱りを受け、怒鳴られたことも何度もあるけれど、そのときだけが私が無口になる時かもしれないわね。とにかく相手の言い分を聞いてあげれば、怒りなんて収まるものよ。そうすればこっちの勝ち。ほほほ。」
日本では、「落ち着いている、冷静である、静かである」ことが美徳とされるけれど、ミリガンさんのような女性は、まさにその対極を行く人。「落ち着かない、常にrestless、少々うるさいほど元気」。そして、紛争地帯の取材を恐れもなくばりばりこなすような、ほとばしる取材へのエネルギーを称して「私、アドレナリン・ジャンキーなのよね。」と言い放った。
夕方映画を見たのだが、その映画にも、ミリガン記者のような強くてエネルギッシュなアメリカ人女性の姿が描かれていた。「フライト・プラン」という映画で、戦う母親を演じるジョディー・フォスターである。飛行機の中で突然姿を消した愛娘を捜索し、必死の形相で機内を走り回り、怪しい人を自ら問い詰め、貨物室に通じるカギを消火器をぶん投げてぶち壊し。。「おいおいやりすぎだよ。。」と途中で少々冷めてしまったじたのは、私が日本人だからだろうか。”エネルギッシュ”を通り過ぎて、”ちょっと怖い”女性なのだ。
ただし、ジョディ・フォスターの演じる”強い母親”も、スーザン・ミリガン記者のような女性記者も、アメリカには山と存在する。そして、そういう人々を目の当たりにしながら、「すごいけど、何だかちょっとついていけないかも」と感じる自分がいる。強くて、正義にあふれていて、かっこよくて、物言いも断言的で。。憧れる気持ちもあるけど、正直、見ていて何だか疲れるのだ。
実はこれはアメリカ人女性だけではなく、性差を問わずアメリカ人全体に言える事かもしれない。とにかく「Can-do/Never-give-up attitude(何でも出来ます、絶対あきらまめません精神)」というのが社会に満ち満ちていて、男も女も前向き。後ろ向きなことを言ったり、泣き言を言ったり、遠慮したり、謝ったりというのをあまり見たことがないのだ。SMAPの歌みたいに「ナンバーワンにならなくてもいい」なんて歌っている場合ではない。大学の授業でも、「私に意見を言わせて」とばかりにがんがん手を挙げて、意見を言わなければ成績自体が悪くなる。学生時代からそんな調子なのだから、社会人になっても、いわんやおやである。
この勢いで大量破壊兵器が見つからなくても、イラクに行く。イラクに行ったら「民主主義が徹底するまで」帰らない。ってな調子なんだろうな、アメリカ。一体どこへ行くのだろう、この国は。とたまに思わずに入られない今日この頃なのであった。
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Thursday, September 29, 2005
狂気か本気か!?反戦ママ、シンディはきょうもゆく。。
先週のDC反戦集会のためにDC入りした反戦運動ママのシンディ・シーハンが民主党の上院議員に面会し、その後記者会見するという。インターン先のTV局のマイクを預かり、カメラマンとともにぶら下がりインタビューをすべく赴いた。
シンディママ(写真)は、これまで反戦デモ中に路上に居座るなどして複数回警察に逮捕されたことがあるが、そうした「逮捕」すらパフォーマンスであるかのような印象を受ける。愛する息子のケーシーがイラクで死亡するまで、彼女はカリフォルニア州ノーウォークに住むごく普通の主婦だった。陸軍に所属するケーシーが亡くなったのは04年4月4日。サドルシティという町で、仲間の部隊を助ける任務を実行中のできことだった。
05年1月にGold Star Families for Peaceという反戦NPOを立ち上げたシーハンさんは、同年8月にブッシュ大統領に面会を求めてテキサス州クロフォードに”キャンプ・ケーシー”と名付けた野営を設け、座り込みを行ったことで有名になった。メディアが彼女につけたあだ名は「ピース・マム」。その後も今月の反戦集会を始めとしてさまざまな活動を行っている。
「これ以上ただ一人の兵士のママを泣かせてはなりません!Not one more! Not one more!!」メディアに映し出される近頃のシーハンさんはすこし「狂気」じみている。集会のかけ声は、やや甲高く、ふるえ気味の発声。その化粧っ気のない顔やいつもTシャツとジーパン姿で服装にも構わない姿には、少々世間も食傷気味、といっても過言ではないだろう。やはり「息子を亡くしてよりどころを無くした母親が、何かにすがりたくて一心不乱で反戦活動をしている」というのが正しいところ、なのかもしれない。
その証拠にシーハンさんは夫のパトリックさんと05年8月に離婚している。離婚の理由については「”[did]n't support [her] activities, although he knows the war is a lie"(夫はイラク戦争がうそだと知りながら、私の反戦活動を手伝おうとはしなかったんです)」と語っている。同じく8月18日には母親が心臓発作で倒れるという有様で、まさに「家庭はぼろぼろ」。でも走り出したシンディは、止まらないのだ。彼女の当面の目標は「ブッシュ大統領に会って、イラク戦争の意義を問いただす」こと、だという。
上院の議員会館の前で待つこと20分。われわれのほかにも5-6社のアメリカ内外のメディアの記者やカメラマンが取材をしようと待ち受ける。シンディが現れた。背が高く、ひょろ長い体にTシャツとデニムの短パンという「アメリカの高校生の夏休み」みたいないで立ちだ。この服装で議員に面会をしたらしい。マイペースな人だ。。
「やはり今でも会いたい人は、ブッシュ大統領ですか?」こんな私の質問に、シーハンさんは少し悲しそうな表情をたたえたまま「そうです。11月のサンクスギビングには、ブッシュ大統領一家と私の一家で一緒に七面鳥を食べましょう、って呼びかけるつもりよ。決してこれ以上”うその戦争”のためにアメリカ兵を死なせてはならない。イラクからの即時撤退を直接呼びかけるつもりです!」短い時間だったが、間近で見たシンディーの表情からは、狂気よりも「悲しみ」を深く感じた。ブッシュ大統領が七面鳥をシンディと共に食べるとは思えないが、シーハンさん、これからも体を壊さない程度にがんばって運動をしてほしい。幸いにも彼女に共感をする人はアメリカ全土に増えつつある。
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Wednesday, September 28, 2005
天然ガスの採掘を勧める下院議員に、朝からぶら下がり。
朝日がまぶしいキャピタル・ヒル。早朝8時50分。まさに「白亜の殿堂」のようにそびえ立つ連邦議事堂ビル。われわれが、真新しい議会パスをセキュリティー・ゲートの警備員にかざし、本日向かう先はその議事堂ビルの一室にある、下院の「TVプレスギャラリー」。ここは、米国下院議員がランダムに記者会見を開く場所。くだんのパスを持っているジャーナリストなら、誰でも自由に入り、取材が出来る場所である。きょうは少々緊張しながら、ある記者会見を取材にやってきた。しかも、会見の後に、ペンシルバニアの局向けに、地元選出の下院議員に独占でぶら下がりインタビューを撮らなければならない。責任重大である。
「サラー、もう少し早くきたほうが良かったんじゃない?」
こうぼやきながら、流れる汗をぬぐいぬぐい記者会見場に到着したのは、会見開始5分後。肝心のペンシルバニアの議員は、この会見の主催者なので、一番にスピーチをしてもう終わってしまっていた。取材としては、プロ感覚に欠ける出だしである。それでも残りの会見と、ぶら下がりを撮影しなければ。私は大学のデジタルカメラを取り出すと、会見のカメラ壇の最後列にこっそりと上り、15人ほど集まったペン記者がすらすらとメモをとる音を聞きながら三脚をなんとか立て、音声ケーブルを分配ボックスに突っ込むことに成功。汗が滝のようにぽたぽたと落ちるのを感じつつ、会見に集中することに。
「北米大陸のへりの部分には天然ガスが沢山埋もれているのに、そうした資源を今まで活用しなかったのはなぜなんでしょうか?原油高の今こそこうした天然ガスの採掘を勧めるための法律を整備すべきではないでしょうか!われわれ共和党と民主党の議員はbipartisan(2党共同)で、この要求を下院に通します!」さすが生で見る議員のスピーチは、力強い。と、素人まがいの気持ちで取材をしている場合ではない。きょうは、会ったこともないペンシルバニア出身のジョン・ピーターソン下院議員に突撃で、インタビューをする予定なのだ。くだんのWSEE-TVというペンシルバニアの局に配信する予定で、「特に、地元のエリー湖(5大湖の1つ)の周りの天然ガスの採掘に関して、詳しい見通しを聞いてほしい」(いけいけニュースディレクターのクリスチアンセンさん)という指令が出ている。失敗するわけには行かないのだ。
会見終了後、無事ピーターソン議員をゲット。撮影パートナーのサラが、事前に議員の広報秘書に根回しをしておいたのが効いた。初ぶら下がりに成功。よかった。この後会社もとい大学に帰り、「ログ」と呼ばれるインタビュー書き起こしを行って、使える部分15秒ほどを探し出した。早朝からの取材だったのでさすがに疲れたが、ペンシルバニアに向けて、編集テープを近くのフェデックスから送ると力尽きた。お疲れ様。
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Tuesday, September 27, 2005
ワシントンDC在住の卒業生ネットワーキングイベントで、カメラマンのバイトをする、の巻。
「ワシントン・ポストの記者をしています。」
「フリーランスでフォト・ジャーナリストをしているんだ。」
「メディア・コンサルタントをしておりますの。ほほほ。」
夜、ボストン大のコミュニケーション学部のDC在住卒業生イベントがダウンタウンで開かれた。場所は>Navy Army Club (写真)という退役軍人や現役軍人のために作られたサロン(!)。DCならではのロケーションである。
100人以上が一堂に会した。写真は我が学友ビッキー、サラと去年の卒業生のナサニヤ。ナサニヤはABCの「ナイトライン」のプロデューサーをしている。ナイトラインといえば、アンカーを25年つとめたテッド・コッペルが、最近降板(05年11月)したことでも知られている長寿報道番組である。
パーティも佳境になり、学部長のシュルツ氏(写真)と副学長のバーコビッツ氏がボストンから来てスピーチ。この2人、何か我々学生との間に溝があって、はっきり言ってあんまり私は好きじゃない。バーコビッツ氏なんか、こういうイベントのたびに何度話し掛けても私の名前すら覚えてくれない。私などは、コミュニケーション学部には数少ないアジア人留学生なんだから、顔と名前くらい一致してくれればいいのにと思う。うちの大学は、どうも自分の顔を売るのに忙しくて、学生のほうを向いていない教授が多い。学費はめっぽう高いのに、けしからん話だ。
ま、そんな愚痴はきょうは忘れるとしよう。実は私は今晩、大学に「雇われて」いる。大学側のイベント記録公式カメラマンとして、パーティ列席者の写真をとり、おだちん50ドルがもらえるというので、飛びついたのだ。
「失礼ですが、お名前と卒業年次をおしえていただけますか?」
写真には全て正確なキャプションをつけなければならないので、何と即席スチールカメラマン・テディにはアシスタントがついた。新聞ジャーナリズム学科の学部生、ケイティーである。こうしてカメラマンを担当していると、実はいろんな卒業生に話し掛けるきっかけになって、楽しかった。いろんな人の名刺をもらって、大満足である。しかし、おいしそうなパーティ料理は、食べる間もなく下げられてしまって残念。苦労して私が撮影した写真は、大学のウェブサイトに後日無事掲載された。ここで見れる。
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プエルト・リコ選出の米下院議員がFBIに内部調査を要求。
カリブ海に浮かぶ小国、プエルト・リコ。この国は実はアメリカ合衆国領だってこと、皆さんは知っていただろうか?だから、アメリカ議会(下院)にはプエルト・リコ選出の議員がいる。そして、きょうひょんなことからその議員をインタビューすることになった。
大学院を通じて映像配信をしているペンシルバニア州エリー市のTV局の姉妹局がプエルト・リコにあるから、プエルト・リコの議員も取材対象になっている、というわけ。われらがスペイン人の同級生、スペイン語ネイティブのテミスがいるから、彼女を中心にスペイン語でレポートを作って配信しても構わない、とのことだった。
さて、やってきました米国下院ビル。インタビューのアポをとりつけた議員、ルイス・フォルトゥーニョ氏は45歳には見えない若々しさ。しかも秘書ともどもかなーり気さく。最初にインタビューした議員がアメリカ議会・メインストリームの超大物、ヒラリーだったので、あちら陣営とのギャップを感じる。しかしさすがにわが同級生テミスはやり手。議員と会うなりさっそくスペイン語でぺらぺらとよくしゃべる、しゃべる。。
今回フォルトゥーニョ議員にインタビューするのは、彼がプエルト・リコ国民を代表し、FBIに異議を申し立てているから。議員が怒っているのは、9月24日にプエルトリコで起きた、ある容疑者の死についてである。ある容疑者とはプエルトリコ独立運動の国民的主導者であったフィリベルト・オヘダ・リオス(写真)のこと。
事件のいきさつはこうだ。アメリカのFBIが、アメリカ・コネティカット州で10年以上前に起きた強盗事件の容疑者として追っていたお尋ね者リオス容疑者を、プエルトリコでついに見つけた。捜査官が追い詰め、激しい銃撃戦が交わされた。そして容疑者は死亡。しかし現場を見た人々の間である疑惑がささやかれ、アメリカや、FBIに対する不信感情が即座に地元民の間で沸き起こった。リオス容疑者は即死したわけではなく、FBI捜査官によって撃たれた後、意図的に放置された疑いがある、というのだ。プエルトリコでは国民的英雄として、支持を受けていたリオス容疑者。プエルトリコではその死が「故意」であるとして、FBIに異議を唱えるデモ運動すら起きているという。
(参考)フィリベルト・オヘダ・リオス容疑者殺害についてのBBCの記事はここ。
FBIの内部調査を求める人々の声についてのBBCの記事はここ。
「われわれプエルト・リコの国民は、フィリベルト・オヘダ・リオス容疑者殺害の件について、FBIに断固として調査を要求します!プエルトリコは小国ですが、独立運動の主導者であるリオス氏の死に疑惑があることは許せません。」こう語るルイス・フォルトゥーニョ議員のメッセージを、われわれのデジカメで収録。インタビューアーはわれらが同級生テミス。議員のコメント収録の後、2人の2ショット、テミスの質問の切り返しカットなど、存分に絵を収めて、どのようにでも編集できるようにした。くだんのWSEE35のニュースディレクターで、やる気満々のクリスチアンセンさんに取材報告の電話をすると、「いいねー。バーバラ・ウォルタースのインタビューみたいに、撮影・編集してくれよ、テディ。頼んだ!」って、無責任なんだからーー。
フォルトゥーニョ議員は30分しか時間が取れないということで、インタビュー後には下院の重厚なオフィスから早々に退散。さ、大学院の寮に帰って編集だ。
今回は、ひょんなことでDCを舞台に普段は思いもかけないテーマの取材を手がけることになった。それも意外と面白いものである。
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Monday, September 26, 2005
トルコ・コーヒーで占う私の怪しげな運勢とは。
近くのトルコ料理レストラン「ママ・アイシャ」にケバブを食べにいく。こんなにおいしいお肉を食べたのは久しぶり。食後のトルコ・コーヒーがまたすばらしく美味しい。カルダモンの香り漂う濃ーい一杯。
飲み終わった後に、加藤茶に似た中東系の愛想のよいウエイターさんが、「よし、私がひとつ君の運勢を占ってしんぜよう」とコーヒーの「かす」が残るカップを”えいやっ”と裏返した。トルコには、残りかすが受け皿に描く抽象的な形を見て、コーヒーを飲み干した人の運勢を占う、という伝統があるのだ。。むむむ。なんと神秘的な。
「中年の男が見える。比較的小柄な男だ。一見して君の力になってくれるようなそぶりを見せるが、実はこの小男、君の背中の後ろで笑っているのが見える。”君の力になるよ”なんていいながら、君を利用しようとしているんだ。気をつけるといいよ。思い当たる人はいるかい?」ぬぬぬ、ぬあんてこと。誰だろう、この小男って。。!?不思議な占い結果に、首をかしげつつ帰路に着く。思い当たる”小男”を記憶から全て洗い出してみながら、なかなか寝付けない夜更けなのであった。
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雨ふり。
月曜日のきょうは雨ふり。あまのじゃくの私は、雨の中、地下鉄2駅分を歩いてインターン先から寮まで帰った。写真はDCの北西部に向かう大通り「コネチカット・アベニュー」。DCの市街地を出ると、ロック・クリーク・パークという大きな森林公園の地上10mほど上に作られた高架橋に変わる。上は大通り、下はうっそうと茂る森にさまざまな鳥やせみの声がこだまする不思議な空間。そんな場所がDCというばりばりな政治の街にあるところが、不思議なのだ。「DCは1つの大きな森みたい」と以前誰かが言っていたのを思い出す。
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Saturday, September 24, 2005
あの世からの花嫁、映画「Corpse Bride」鑑賞
ティム・バートンの新作アニメ「Corpse bride」を見にいってきた。”死体の花嫁”が主人公。ゴシック調の世界を月明かりが照らし、青と白の単色の世界にがい骨や首のない幽霊が踊る。。まさに同じバートン監督の「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のモノクローム版の世界が構築されていて、一気に引き込まれてしまった。「Charlie and the chocolate factory」に続き、ティム・バートンの世界にどっぷり浸る。ジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターの、「チョコレート工場」コンビがまたまた声優を務めている。☆4つ。
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30万人が参加!DC大・反戦集会を取材。
”They lied, They died”ブッシュ政権のイラク侵攻に異議を唱えるこんな意見広告がワシントンポストをはじめとする全国紙に掲載されたのは22日のこと。掲載したのは反戦を訴えるNPO。広告には、「ラムズフェルド国防長官、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ライス国務長官」のブッシュ政権4人衆が、”酒をあおった和田アキ子”ばりにほえている写真。彼らのうそによって、米兵が無駄に死んだ、と広告は訴えている。
同じ週末には、全米最大規模の反戦集会がホワイトハウス周辺で開かれた。「Not one more!」米軍の兵士がブッシュの「noble cause」のために無駄に死んでいる。これ以上一人も死なせてはならない。。こう声高に訴える活動家のシンディ・シーハンさんは、息子をイラク戦争で失った「反戦ママ」の一人で、ブッシュ大統領のテキサス州の実家近くで座り込みを行ったことで有名になった。そのシーハンさんもこの集会のオーガナイザーの一人。
小雨の降る中、インターン先の女性カメラマンと共に取材に出た。彼女はイラクにも取材にいったことのあるコンバット女性カメラマン。すでに行進のルートは通行止め。回り道してようやくたどり着いた先には全米・海外から押し寄せた人、人、人。
人々が手に手に持つのは反戦と反ブッシュ政権のメッセージ。あるプラカードには、「Guilty, War criminal」こう書かれたブッシュの顔写真。
”Republican Credo”こう書かれたプラカードでブッシュの共和党の偽善を猛烈に批判する人。われらがカメラマンは、路道に駐車されているトラックのボンネットによじ登っての熱の入った撮影ぶり。落ちないように見守る。
さらに人の波に沿って効果的にパレードの「広い絵」を撮影しようと、さかのぼれどさかのぼれど人は途切れない。一体何人が参加しているのだろう、と思ったら主催者発表で30万人だという。けれどもこの日、肝心の「ホワイトハウスの主」であるブッシュは地方に講演に出かけていて留守だった。
行進するデモ隊の中には、アメリカ国旗で包んだ棺を運ぶパフォーマンスがあった。胸に迫るものがあったので、カメラマンと話し合いこの棺をどこまでも探し、カメラに収めていたら日本向けのオンエアの時間に間に合わなくなりそうになってしまった。
このラリーは次の日も続き、最終日にはくだんのシンディ・シーハンがホワイトハウスの前で座り込みをしたとのかどで、ワシントンDCの警察に逮捕される事態となった。9.20時点での米軍のイラクでの死者は1902人と、まもなく2000人を超えようという勢いである。世論調査でブッシュのイラクへの対応に不満を持つ人が60%を越えるなど米国民の意識も変化しつつある中でのこの大集会。ワシントンという「パワー・ポリティクス」がはびこる町で政治家のお尻を追いかけて取材などしている日々の自分に、アメリカのもう1つの「現実」を見せてくれたロケだった。
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Friday, September 23, 2005
レッドソックスのアウェイ試合観戦でボストンを懐かしむ。
昼間、仲間意識を高めた(?)後には(前項参照)、夕方こんな大学院のイベントがあった。ボストンレッドソックスのアウェイ試合の観戦である。チケット代は団体割引でたったの5ドル。サラとともに列車に乗り込み、向かう先はDC郊外のメリーランド州ボルチモア。対戦相手のボルチモア・オリオールズのホーム球場であるカムデン・ヤードである。ボストンレッドソックスのホーム球場と言えば、われわれにはおなじみのフェンウェイ・パーク。フェンウェイのクラシカルで、こじんまりとして、「昔ながらの野球場」というたたずまいに比べると、カムデンは新しく、ハイライズで、電光掲示板もぴかぴかの「ハイテク野球場」といったところ。フェンウェイでのレッドソックスファンの濃い応援と、観客と球場が一体になったような感覚が懐かしい。。。
とはいえ、そこはやはり我らがレッドソックスの選手の面々が姿を現すと、燃えてしまうボストン大ワシントンプログラムのメンバーなのである。皆が写真のようにレッドソックスTシャツで歓声をあげた。私も青の「ジョニー・デーモン外野手」Tシャツに身を包み(ファンなのだ)生ビール片手に昼間の「ドラマ」を忘れて、大声で応援。ストレスを解消した。それにしてもこうして晩夏の野球場で、夕方の風に吹かれながらビールを飲んで汗をかくとますますボストンが懐かしい、というか恋しい。この1年の間に里心がついてしまったのかもしれない。
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早朝の話し合いと涙の和解。
きのう勃発したブロードキャスト院生の「娘」たちのけんかについて、きょうは著名ジャーナリストの早朝レクチャーの後に、話し合いをすることになっている。話し合いといっても”「テミスVSサラ」のけんかにジュリーがチャチャを入れ、私が仲裁をする”という構図になることは目に見えている。気が重い。早朝レクチャーのゲストは、議会のあるキャピトルヒルのことならなんでもリポートする「Roll Call」のシニア記者であるポール・ケインさん(写真)。けんかのことが気になって、ほとんどレクチャーに身が入らない。
レクチャーが終わってサラ、私、テミス、ジュリーの4人で話し合いをした。写真がその「現場」である寮の廊下である。口火を切ったのは、サラ。クリントン議員のワインパーティの取材に行ったのは、ほかの院生に秘密にするつもりではなかったこと。きのうの下院議員への取材要請は、サラも突然のことに慌てていて、みんなに命令するつもりは決してなかったことなどを理論的に語った。
そこへかみついたのが、テミス。「サラ、あなたとてもルードよ!ただrude(失礼)だったから、私、怒ったのよ。ヒラリーのイベントのことは全然知らなかった。どうして教えてくれなかったのか、と思ったわ。それよりも何よりも下院議員のインタビュ−を突然持ち込んできたとき、私とジュリーは宿題のドキュメンタリーを編集していたのよ。編集がどれだけ骨が折れるかわかってるわよね。一日編集していて、あなたに怒鳴り込まれて、どうしろっていうのよ。ただただあなたのこと、失礼だと思ったのよ。」
それにはさすがにサラもしゅんとなった。しかし、じゃあ私とサラのペアはただ、「みんなに黙って取材に言って、鼻高々になっているおばかさん」ということになってしまうじゃないか。そこで私が口を開いた。
「ヒラリーのことがうまく伝わらなかったのはミスコミュニケーションで悪かったわよ。でも、この間のイベントのリリースは、テミス、あなたも受け取っていたはずでしょう。私たちはただニュース価値があると判断したから、自主的に取材に行っただけよ。何マイルも離れたローカル局のためにインターンをするってことは、信頼関係を早く築くことが大事なのよ。ワシントンDCに駐在している我々が価値があると思ったことは、すかさず取材をして映像を送るということに意義があると思うの。われわれ院生チームととローカル局WENYテレビとの映像配信の協力関係は、まだ始まったばかりなのよ。ヒラリーに取材できるなんて、こんなおいしいイベントを逃したらもったいないじゃない。私たちが自主的にカバーして”われわれBUの院生はこんなことができるんです”ってデモンストレーションしたほうが得だと思ったんだけど。私たちは院生じゃなくて、この町ではプロフェッショナルのジャーナリストとしてふるまわなければならないって、教授も言ってたじゃない。」
これにはカナダ出身の若いジュリーがかみついた。「何よ。プロフェッショナル、プロフェッショナルって。私たちだって、プロフェッショナルに近づこうと一生懸命やっているわよ。そりゃテディみたいな経験者で年上の人にはかなわないけどさ。そんないプロ、プロ、言わなくてもわかってるわよ!」
サラが震えている。やばい。そこでさらにジュリーが
「サラ、私たちボストンで大げんかしたけど、ワシントンでは私、あなたに優しくするつもりだった。でも、こんなんじゃ、できないわよ。」
サラだって黙っちゃいない。「何よ、私だってあなたとけんかしないでうまくやっていこうとしているのに!そんな子供みたいで自分勝手なこと言わなくても。。」私も頭にきた。感情的になると意外ととまらないのだ。
「ええい。だいたい私とサラはプロデューサー志向なのよ。あなたたちみたいなプリティ・フェイスの記者志望者の下手なリポートを撮影する協力をするために、ワシントンにきた訳じゃないのよ!」なんと、たんかを切りながら、知らないうちに涙が出てきた。一番年長のテディ、不覚である。
しかし、この涙が効いた。年上の私には、もともと好感を持っていたテミスとジュリー。(というか撮影の技術的なサポートでいつもアドバイザーとして私を言い様に使ってきた、というのが正しい)私の涙に激しく動揺した彼女たち、「ええー、テディが泣くなんて。泣かないでーー。」
泣きながら、私はこの幼稚な話し合いに釘を刺したかった。「あのさー。私が日本で経済チャンネルのディレクター9年近くもやってきて、ヒラリー・クリントンなんて、インタビューできる機会、あったと思う?ここなら、大学院生なのに、ジャーナリズムスクールに入ってこんなすばらしい機会をもらって、議会もジャーナリストにオープンだから、こうして外国人の私がヒラリーにインタビューすることもできるんだよ。日本に居たら、決してできないことをしにきたんだから、私はインタビューできてよかったよ。だから、みんなもそう思ってほしいな。我々はチームなんだから。」
最後は抱き合って、みんな泣いていた。
寮の部屋に帰ると、ルームメートでもあるサラが、私を優しく抱きしめてくれた。
「サラははっきりものをいいすぎるんだよ。だから言葉には気をつけた方がいい。君はまじめすぎて、正義感が強すぎて、ストレートなものいいをしてしまうんだよ。」そうサラに優しく伝えると、サラは泣き出した。「じゃあ、どうすればいいの、口をきくときはシュガーコート(オブラートに包む)すればいいの?本当のことを言ってはいけないの?」うーん。そうじゃないんだよなー。。
サラ(写真)はパキスタン系移民の娘で、子供に過度な期待をするアジアの両親にありがちな家に育った。その中でもコンペティションに勝ち、マイノリティとしていつも成績トップを走ってきた。いままでこの子には、挫折はなかったんだろうな、と思うと彼女の言動にも納得するのだが。しかし。空気を読めない、同性に嫌われる、というのはこれから先少々問題であろう。
とは言うものの、今回のけんか。サラのことが前から気に食わなかったテミス、ジュリーの「少し派手でお気楽な院生ペア」が、サラにかみついたという構図で、私は単にとばっちりで巻き込まれただけだったらしい。。
ちなみにサラと私はもちろん「優等生、地味で苦労性なペア」。これから先この対照的なペア同士の対立がないようにするにはどうしたらいいか。頭が痛いワシントン生活の船出となった。このけんかが終わったのが朝9:45AM。サラが「Too much drama...(ドラマチックすぎ。。)」こう呟いてから、彼女の外部インターン先であるCBSのワシントン支局ポリティカル・ユニットに出勤していった。
ときはまだ9月。12月まで何とかこの娘たちとつきあっていかなければ、卒業はないのだ。。むむむ。
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Thursday, September 22, 2005
ブロードキャスト娘達のけんか勃発!どうする、どうなる!?
ワシントンDC。午後5時。日本の放送局のDC支局で外部インターンをしているときに、学友のジュリーから留守電が入った。メッセージを聞いてちょっと手が震えた。怒りを買う覚えがないのに、彼女がものすごい勢いで怒っていたのだ。
「あ、テディ?ジュリーだけど。私たちチームメートにことわりもなく、サラと二人でこそこそと点数稼ぎをしているみたいだけど、きょうのサラの取材の協力、私とテミスにはできないからあなたがやってよね。どこでインターンしているのか知らないけど、終わったらサラに電話して!(ガチャ)」
「どこでインターンをしているかわからない」とは失礼な。日本の放送局だから彼女には無知なのは無理もないが、完全な挑発である。。売られたけんか、買おうかどうか迷うが、とりあえず冷静に何が起きたか検証してみよう。
ははーん。「サラと二人でこそこそと点数稼ぎをしているみたい」とは、つい先日のヒラリー・クリントン上院議員のワインイベントの取材(写真)のことを言っているらしい。私とサラは、他の3人の院生チームを出し抜く気などあるはずもなく、ただ「ニュースバリューがあるから取材しよう」とクリントン議員の取材に自主的に出かけた。イベントのリリースはジュリーを初めとするほかの放送ジャーナリズムの学生にも届いているはずだった。イベントがどんなにインターン先のWENY(NYのローカル局)にとってニュース価値のあるものかも、ジャーナリズム学科の院生なら一目で判断がつくはず、と思っていた。
ところが、現実はそうではなかった。写真のジュリー、テミスらの同級生ペア(撮影のために二人組を作っている)には私とサラのペアが「私たちに内緒で、インターンの点数稼ぎのために出し抜きで取材に出かけた」ということになっていたらしい。
もともとジュリーとテミスはわれわれのペアと違って「楽に取材をして楽に編集をする。苦労は出来るだけしない」というのがモットー。地を這うようなリサーチをして、交渉に交渉を重ねて、なめるように撮影をし、膨大なカット数の中から最良の絵を選び、注意深くナレーションを書く。こんな作業が好きな私たちとは、スタイルが違うのだ。
ーーーー
寮に帰ってサラに話を聞いてみると、あの電話のきっかけとなるある「事件」があったことがわかった。寮にて、私のいないうちに、WENYから緊急に「ある下院議員にインタビューをしてくれないか」というオファーが入った。受けたのはサラだったが、突然のことで焦ってしまい、テミスやジュリーらが編集作業をしている部屋に突然走っていくなり「インタビューよ!締め切りが迫っているの。さ、誰が私と一緒に行ってくれるの?」とかなりボッシーかついや~な女的態度に出てしまったらしい。真面目なサラのこと、ただ一生懸命だっただけなんだろうが、普段から優等生の彼女は周りにどうも「煙たがられ」がち。ましてやジュリーとサラは1学期目にボストンで大喧嘩をしたヒストリーがあるほど犬猿の仲、だったのだ。
そこでサラのボスぶりにかみついたのが、スペイン出身のテミス。「何なのよ。私たち編集しているのよ。テディといけばいいんじゃない。」そこでサラがよせばいいのに「私たち、この間もクリントン議員のイベントの取材に行ってきたのよ。あななたちも少し協力してよ」と口走ったからたまらない。もともとかんしゃくもちのテミスが爆発して、「そんなの、聞いてなーい!!なによ、点数稼ぎのつもり?」と来たらしい。思い切り誤解なのに、まだ若くて未熟者で他人の意見に迎合しがちなジュリーは、「そうだ、テディとサラが悪いんだ」とこれまた思い切り誤解して、私に怒りの電話をかけるに至ったらしい。
ーーーーー
なんだか厄介なことになった。これだから女ばかりの院生チームは嫌なんだ。ボストン残留組には男性の院生が数人いるものの、ワシントンプログラムに参加した放送の院生は全員女。しかも「プロデューサー(日本でいうところのディレクター)志向」のサラと私に対し、残りの3人は全員が「記者・アンカー希望」つまり顔出しをしたい人たち。TV報道にかける「スピリッツ」が違うのよね~。
。。と愚痴はそこまでにして、私はこの4人の中で最年長。何とか娘達のけんかを仲裁し、止めなければ。。と、そこにメールが入った。ジュリーからだ。タイトルは、meetingを示す「mtg」。
「明日の朝、授業の後に集まろうよ。10分だけ、今回起きたことについて話し合おうよね。それじゃあ。」
どうなるブロードキャスト娘たち!?
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Wednesday, September 21, 2005
「上司」と対面・その2~PAのCBS系列局からニュースディレクターがやって来た。
ワシントン特派員としてニューヨーク州とペンシルバニア州の片隅にある2つのローカル局にインターンをすることは、以前書いた。なぜ2つの局もあるのかというと、ワシントンプログラムに参加しているボストン大学院の院生は6人いるので、全員にまんべんなくリポーターやプロデューサーの役割が行き渡るようにである。先日一つ目の局のニュースディレクター兼アンカーがワシントンに訪問をしたが、きょうはもう一つの局のニュースディレクターがボストン大学ワシントンセンターに表敬訪問をするというので、またまた朝から緊張である。
二つ目の局、WSEEはペンシルバニア州エリー市にある、CBS系列局。ニュースディレクターのジョン・クリスチアンセンさんは、「これぞたたき上げ!」という感じのやる気みなぎるニュースディレクターである。
「どんどんパッケージ・リポートを作ってくれたまえ。君たちを記者として全面的に打ち出して、WSEEが”ワシントン支局”を持っていることを大々的にアピールしたいんだ。議員の一対一のインタビューなんて、機会があればどんどんやってくれ。その際は”切り返し”(記者が質問している顔)も撮影して、うちの記者が実際にワシントンDCに居るんだ、ということを強調してほしい。」
プロデューサーになりたかったのに、就職先がなくてカメラマンからスタートしたというクリスチアンセンさん。技術畑の経験も長いことから、いろいろ詳しい注文をつけてくる、手ごわいニュースディレクターのようだ。
「毎朝ペンシルバニア州の議員の事務所にきょうは何かニュースがないか、”チェックコール”をかけてくれたまえ。その結果を私に毎朝10時ころに報告するように。」
うーん。いろいろ本当に注文が多いが、大丈夫なんだろうか。
クリスチアンセンさんはきょうの午前中、われわれが取材する予定のペンシルバニア州議員の議会事務所に1人で赴き、記念品などを配って「うちの新しい特派員をよろしく」とあいさつ回りを済ませてきたという。
なかなか行動派でやり手のジャーナリストだ。ただひたすら「行動あるのみ!」という彼に少々圧倒されながらも、われわれ院生6人でお互いのチーム・スピリッツを確認しあい、緊張の一日は終了。
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Tuesday, September 20, 2005
ヒラリー・クリントン上院議員にぶら下がり取材!晴れ舞台にときめく。
NEW YORK FARM DAY, the harvest-time celebration of New York wines, foods, and restaurants, will take place the evening of Tuesday, September 20こんなプレス・リリースを受け取ったのは1週間前。なになに。。議会上院の建物内で開かれるワイン・プロモーションイベントで、議員やスタッフを中心に600人が参加します、とある。「Hosted by Senator Hillary Rodham Clinton」しかもこのイベントの主催者はヒラリー・クリントン上院議員。
私が大学院を通じてインターンをしている局は、NY州の片隅のローカル局。だから彼らはNY州選出のヒラリー上院議員のことに関するニュースなら、喉から手が出るほど流したい。この間ワシントンで対面した「上司」、ローカル局WENYのニュースプロデューサーであるジョディー・デイビスさんに問い合わせてみると、「ぜひヒラリーにインタビューしてくれたまえ。われわれの放送エリアは実はワインの里として知られているんだよ。地元のワイナリーやレストランのオーナーとかもパーティに呼ばれているから、彼らのコメントも押さえてくれ。撮った映像はすぐにFEDEXで送ってくれれば次の日には放映する。」とのこと。
ということで、大学のデジカメと三脚を担ぎ、学友のサラとやってきたワイン・パーティー。ご覧のように議員やら議員秘書やらばかりが入り混じってNY産のワインを楽しんでいる”ハイソ”かつ極めて”白い”集まり。その中にまるきり「アジア人」の私と、パキスタン系アメリカ人のサラがずいずいとカメラを担いで入る。痛快である。
やがてヒラリーが姿を現した。さすがに顔にはしわが多いとはいえ、オーラ漂う元ファースト・レディーである。精力的に来場者と握手をし、写真撮影に応じる姿は夫のクリントン前大統領を越えて、立派な1人の「政治家」(当たり前だけど)だ。
やがてヒラリーの広報秘書の女性がやってきて、我々に声を掛けた。「WENYの局の人たちですか?上院議員が全員に挨拶回りしてから、時間をとりますからインタビューをしてください。」ジェニーだか、そんな名前だったその若い秘書は我々のカメラを見るとあろうことか「そ、それ放送クオリティ大丈夫?」などと言う。ものを知らない女性め。そう思った私は堂々と「もちろん!βカムを使った大きなカメラとは違うけれど、十分放送クオリティですよ!」と言い切った。そこへヒラリー登場。実物はさらにしわが多いが、着こなしがとてもエレガント。何よりも立ち振る舞いや言動が女性政治家らしく美しくも堂々としている。サラと私は、ペアで無事「ヒラリー上院議員がNYワインのPRにかける狙い」についてぶら下がりインタビュー取材を成功させた。10分程度だったが、パーティの室内のど真ん中でスチールカメラマンのフラッシュを浴びながら、初の「大物政治家のコメントとり」は無事完了。ふー。
その後はNY州エリアのワイナリーのオーナーやレストランの人々に、きょうのイベントにかける意気込みを聞いて回った。この模様は、ニュースプロデューサーであるデービスさん本人がアンカーを務めるプライムタイムのニュース番組で2分にわたって放映された。
教授には「取材に行ったらご馳走は食べるちゃだめ。ジャーナリズムの公平性を保つためです。」と口をすっぱくして言われていたものの、あまりにおいしそうなオードブルの数々に舌鼓。試食のあとは、無事上院ビル近くのフェデックスが閉まる前に駆け込み、デービスさんの局のあるNY州ホースヘッドまで生の取材テープを送ったのだった。
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Monday, September 19, 2005
自転車通勤。
ボストンで購入したお気に入りの自転車。もちろんワシントンDCにも持ってきた。大学院の寮とインターン先は地下鉄でたった一駅の距離。ならばチャリ通勤をしようと、前々からもくろんでいたのが本日実現した。9月の空に似た美しい空色のわが「カブキ」号をワシントン・ポストの販売機(場所柄、これでしょう。。)の前で撮影した写真がこれ。
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Sunday, September 18, 2005
アフガンの荒地に義足が降る~映画「カンダハール」鑑賞。
「ばりばりばり・・」小型ヘリのプロペラが爆音をとどろかせながらアフガニスタンの荒れた土地の上空を進む。と、地上には、ヘリの進む方向目がけてまっしぐらに突き進む、足のない人、人、人。誰もが松葉杖を器用に使いながら、我先にと進む先にはヘリから次々と投下され、パラシュートの浮力を得てふわりふわりと天から舞い降りてくる義足!そして地上の岩を、砂を、ものともせず突き進む地雷で足をなくしたアフガン難民の姿。ただただ圧巻の迫力映像である。
きょう見ているこんな映画は「カンダハール」。イラン人のモフセン・マフマルバフ監督が、アフガン民衆の真実の姿を捉えた衝撃作で実話に基づいた映画である。
ストーリーはこうだ。主人公はアフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリスト〈写真)。地雷によって片足を失った妹をカンダハールに残してきた。ある日妹から届いた手紙には「もう生きる希望を失った」と書かれており、一路カンダハールへ向かうことに。妹に会うための旅を描いたロード・ムービーなのだが、「ロード」といっても車があるわけでもなく、主人公が乗るのは赤十字のヘリやヒッチハイクの馬車である。
舞台は1999年8月のアフガニスタン(撮影自体は2000年夏以降)。国士の90%以上を支配していたタリバン政府は、女性の権利を全く認めない政策を徹底していた。都市教育を受けた女性たちにはまさに「牢獄」でありこの映画のヒロインの妹も、希望を全く見いだせないアフガン社会に絶望。姉に助けを求める手紙を送ったという。
ところが手紙を受け取った姉が妹に会うまでの道はまさに「道なき道」。何日もかけて砂漠を徒歩で進む地元民の結婚の隊列にまぎれこんだり、馬車の荷台に身を隠しカンダハールへ向かう。
砂漠の砂色と地平線がどこまでも続く美しい青い空、そしてそこに美しい彩を添えるブルカ。主人公と赤十字のヘリのパイロットとのやや不自然な会話ではじまる映画だが、やがてその詩的で超現実的な世界に心奪われることうけあい。何よりも、冒頭の「空から降る義足」のシーンと、「ブルカの下からのぞくアフガン女性の哀しくも超美しいヘーゼル色の瞳」を描いたシーンが幻想的。☆4つ。
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裏庭BBQとキューバ・コーヒー
寮の裏庭で大学主催のバーベキューが開かれた。ホットドッグにポテトチップを炭酸飲料で流し込む「ジャンク」さだけど、たまには楽しい。
学友のサラと近くのカフェに勉強をしに行く。本日のオーダーは「キューバン・コーヒー」。強いコーヒーだが砂糖とミルクがたんまりと入っていて甘い。しかし、カフェ内がうるさくて勉強にならん!と帰ってきてしまった。週末はここのカフェの音楽のボリュームがすごく大きく、集中不可能でした。
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ハリケーン被害地域に古着を寄付
近くの教会でハリケーン・カトリーナの被害地域に向けた古着の寄付を受け付けている、という張り紙を見た。なになに。「ハリケーンの被害を受けた人々に、古着を送りましょう。クローゼットが整理できて一石二鳥!Tシャツ、スウェット、冬物、夏物何でも受け付けます!」
私はクリスチャンでもないのに、教会が好きだ。まず建物が好き。流れる音楽が好き。余談だが、大好きなTVゲーム「ドラゴンクエスト」では「教会」に行くと、通貨「ゴールド」と引き換えにゲーム中の戦闘で死んだ「仲間」を生き返らせることが出来る。(とはいえ、あくまでも私はatheist(無神論者)である。)
教会につくと、学生ボランティアが暖かく迎えてくれた。私はTシャツ数枚を寄付しただけだけれど、多い人はごみ捨て用のポリ袋に古着を一杯にしてきている。少しだけれど、家や家財道具を無くした人の助けになればいい。
教会近くの路上で、こんなユニークなペイントが施された消火栓を見つけた。なぜ日本の「雪ん子」なのかは謎。。
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Saturday, September 17, 2005
19世紀の面影残す「ペン・クォーター」地区でアート・フェアを観る。
すがすがしく晴れ渡り、DC特有の蒸し暑さがこたえるきょうは学友のビッキーと共に「PENN QUARTER=ペン・クォーター」へ。ペン・クォーターとはワシントンDCダウンタウンの7th streetのあたりのことを指し、19世紀に建てられた古い建築物が立ち並ぶことで有名。古くは中国系、ドイツ系、イタリア系の移民が住みついた。最近はシェークスピア劇場やおしゃれなレストラン・ホテル・ロフトスタイルのアパートなどが立ち並ぶ、おしゃれなエリアに変化しつつある。
きょうはこのエリアで開かれているアート・フェアにやってきた。アートの展示即売会だが、やはり場所柄DCにある議事堂などの建物をモチーフにした絵画や写真などが多い。
ひときわ人々の注目を浴びていたのが、低公害バスの中を舞台にしたダンサーのパフォーマンス。色とりどりの布を身にまとった女性が、クラリネットの演奏にあわせて創作ダンスを披露していた。
少し足を伸ばすと国立公文書館や海軍の記念碑がある。この近くには日本茶の専門店があり、茶器や茶葉まで一通り日本のものがそろっていた。
徒歩圏内には小さいけれども立派なチャイナタウンがある。エスニック・料理でお腹を満たした後、コーヒーを飲みたくなってカフェを探したが、歩けど歩けど見つからない。「コーヒー探して三千里」とまではいかないけれど、かなりの距離を探した後力尽きた。カフェインがないと生きていけない我が友・ビッキーさんと私なのであった。。
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Friday, September 16, 2005
著名ジャーナリストの早朝レクチャーシリーズ、はじまる。
きょうから毎週金曜日の朝食付きレクチャー・シリーズがスタートした。教授が卒業生コネクションを駆使しブッキングした著名ジャーナリストの講演を朝1時間聞く。ワシントン・ポストやウォール・ストリート・ジャーナル、タイム・マガジンといった一流紙・誌の記者や、ABC、NBC、CNNといったTV局の記者・プロデューサーらがずらりと来校予定。楽しみである。現役の記者やプロデューサーを招くので、彼らのビジネスに支障がないように早朝にレクチャーが行われる。しかし、我々大学院生としては、金曜日の朝8時といえば1週間の疲れがたまっておりかなり眠い。。。
そこで、大学側からすかさずインセンティブが用意されている。朝食である。学生の代表が近くのスターバックスから買出し、甘―いペストリーやら、マフィンやら、フルーツの盛り合わせやらが熱くて濃いスタバのコーヒーと共に振舞われる。これも楽しみである。
ということで本日1回目のレクチャーは議会の様子を逐一リポートする業界紙「Congressional Daily」の編集長キース・ホワイト氏。(写真)
「Congressional Daily」はアメリカ議会内外で幅広く読まれているニュースレター形式の業界紙で、どの議員がどんな発言をしたか、議会の動きが現在どうなっているかが、一目で分かるようになっている。「議会を“大学”にたとえると、我々の仕事は”大学新聞の記者“みたいなもの」とのことだ。「Congressional Daily」とほぼ同じ内容のライバル紙として「Roll Call」がある。
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Thursday, September 15, 2005
ハリケーン・カトリーナをハートで伝えたTVアンカー。
”Good evening. I am speaking to you from the city of New Orleans – nearly empty, still partly under water, and waiting for life and hope to return. ”夜9時。ハリケーン・カトリーナの被災地の中心部であるニュー・オリンズからのブッシュ大統領のスピーチが始まった。TVのネットワーク各局はどこも生中継で放映。カトリーナの被害がこれだけ広がったのは、規模の大きさの見積もりを誤り十分に警報を徹底しなかったFEMA(Federal Emergency Management=連邦緊急事態管理庁)のせいだとして、政府の責任を問う声があちこちで挙がっていた。
そんな中、カトリーナの直撃1日前に現地入りしたCNNのアンカー、アンダーソン・クーパーは毎日毎日生放送で現地の被害状況を伝え、話題となった。結局彼は、被害発生から1ヶ月近くも現地からの生放送を続けた。本来7:00PMから1時間のニュース番組「アンダーソン・クーパー360°」のアンカーであったが、放送枠を拡大。連日真夜中の12時まで毎日アンカーを担当した。避難民の集うスーパー・ドームの悲惨な現状や、救いの手が来ず全員が溺れ死んだ介護ホームについて、現地の警官の腐敗ぶりなど、アンダーソンの番組で取り上げた内容はどれも被災地に直接行かなければ取材できない内容だったのが印象に残っている。
カトリーナの直撃から4日後の9月1日。アンダーソンは生中継で、ルイジアナ州のメアリー・ランドリュー上院議員(民主党)に食ってかかったことで一躍時の人となった。
ランドリュー上院議員が、ブッシュ大統領を始めとする政治家やFEMAの救済活動に「うわべだけの」感謝をつらつらと述べるのをさえぎり、こう言い放つアンダーソン。ーー
「セネター!ちょっといいですか?私は過去4日間、ストリートに死体が転がるのを目の当たりにしてきて、誰もそんな感謝の言葉を口にするのを聞いたことがないんですが?それに、政治家がお互いを褒めあうのを聞くのはもう沢山なんです!いいですか?現地には政府の対応に狼狽して、怒って、ストレスのたまった人が沢山いるんです。そういう人達が、政治家がお互いに褒め殺し合うのを聞いたらどう感じると思うんですか?ここ被災地のストリートできのう私が見たのは、まさにある女性の遺体が48時間も放置されてねずみにかじられているという悲惨な有様ですよ。この怒りを一体あなたは理解しているんですか!?」
(原文"Excuse me, senator, I'm sorry for interrupting. I haven't heard that because, for the last four days, I've been seeing dead bodies in the streets here in Mississippi. And to listen to politicians thanking each other and complimenting each other, you know, I got to tell you, there are a lot of people here who are very upset, and very angry, and very frustrated. When they hear politicians slap -- thanking one another, it just . . . kind of cuts them the wrong way right now because literally there was a body on the streets of this town yesterday being eaten by rats because this woman had been laying in the street for 48 hours. . . . Do you get the anger that is out here?")ーーちなみにこの時のビデオはここで見れる。
こうしたカトリーナの一連の報道によって、アンダーソンを評価する新聞記事やTVインタビューが相次いだ。
「大災害を”ハート”で伝えたTVアンカー」=ニューヨーク・タイムズ紙(原文”an anchor who reports disaster news with a heart on his sleeve.)
「CNNの時の人」=ワシントン・ポスト紙(原文”CNN's Man of the Hour)
New York Magazineのアンダーソンについての記事
トークショー「オプラ」に出たときのアンダーソン
"I want Media"アンダーソン・インタビュー
この評価を買われ、のちのCNN番組改編で、毎日10時から2時間の「プライム・タイム」の枠に”昇格”した時は、
「ベテラン・アンカーのアーロン・ブラウン〈元10時~の担当)を追い出した」と話題になったものだ。
アンダーソンがプライム・タイムのアンカー、アーロン・ブラウンを“追い出したことについてのWashington Postの記事
これについては「そんなにアンダーソンってすごいのか!?ただ感情的なだけのアンカーではないのか?」と批判の声も挙がったほど。
カトリーナの取材について聞かれ、アンダーソンはニューヨーク・タイムズの取材にこう答えている。
「人の命がかかっているんです。私の取材は、よくケーブルTVのニュースが陥りがちな、”きれいに髪を整えた専門家が視聴率のために怒っている”、というものではないんです。今までのどんな取材よりも自分の身が引き裂かれるような思いをしながら、取材をしていたんです。感情的になるな、と言われても無理ですよ。」
(原文="This is life and death. This is not some blow-dried pundit standing outraged for some ratings, which is what cable news often boils down to....I have been tearing up on this story more than any story I've worked on...It's hard not to be moved.")
私個人的には、以前からアンダーソンのファンだったこともある。しかしいくら感情的と批判されようともやはり一番「ハリケーン・カトリーナを”ハート”で伝えたTVアンカー」は、彼しかいない、と思うのである。プライムタイム昇格も当然といえよう。今アメリカTVニュース界で一番「脂がのっている」アンカー、それはアンダーソン・クーパーである。
ちなみに、アンダーソンはこのカトリーナの取材について回顧録を書くそうだ。本の契約についての記事はここだが、一体そんな時間があるのかどうか?
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Wednesday, September 14, 2005
朝から緊張。インターン先の上司=ローカル局のプロデューサーとご対面。
朝から緊張する。
なぜかというと、「上司」と初対面するからだ。
そりがあわなかったらどうしよう。厳しい人だったらどうしよう。。。新入社員のように朝から心臓が踊るではないか!あいあいやー。
ボストン大学・大学院のワシントンプログラムの一環として、われわれ放送ジャーナリズムの学生がNY州、ペンシルベニア州のそれぞれの片田舎にあるローカル局のワシントン特派員として映像配信を担当することは以前書いた。
この「ワシントン特派員インターン」。二つのインターン先は、大学側が卒業生ネットワークを通じて見つけたもの。だから、「上司」となるプロデューサー達とは一度も顔を合わせないままに配信作業が始まることになる。
しかし、しかしである。プロデューサーとは、ワシントン特派員であるわれわれにどんな取材をしてほしいか、どんな映像がほしいか、その指示を出す直接の窓口。ならば一度は顔合わせをしておいたほうがいい、ということで大学院側の計らいもあり、本日遠路はるばるわれわれのセンターを訪問し、顔合わせがてらわれわれの過去の作品も品評してくれるということになった。
本日エルマイラというニューヨーク州のupstateの地域からやってきたプロデューサーは、写真のジョディー・デイビスさん。われわれのボストン大学の同じプログラムの卒業生にして、TV報道の道27年のベテランである。何と現在の肩書きは「WENYのプロデューサー兼プライムタイム・アンカー」ん?つまりローカル局なので裏方もやりながらキャスターもやってるのである。恐れ入りました。
われわれの緊張をよそに、この「ワシントン特派員」のありようの意義を話し始めた”上司”ジョディーさんは、非常にソフトな語り口。
「君たちには学生としてでなく、エルマイラのローカル局の代表として、ぜひ地元民のためになるような切り口の取材をしてほしいんだ。今までにナショナルニュースの取材は全てネットワーク局に映像をもらっていたから、ワシントンからの独自取材は大歓迎だよ。取り急ぎNY州の2人の上院議員、下院議員の事務所とコンタクトをとって何か新しいニュースがあれば、私に一報をくれ。ニュースバリューの判断は私がする。それを受けてまずはパッケージものよりも、サウンドバイト(=独占インタビュー)の配信をお願いしたいんだ。」
こうして話してみると、実際に「ワシントン特派員インターン」がどのように稼動するのか、少しは見えてきたではないか。「NY州の議員の話題がワシントンで撮れるなら、どんな映像でもいいから、とにかく1日に1本はPitch a story(取材テーマの提案)を電話でしてくれたまえ。期待しているよ!今までワシントンに支局をおいたことなんて、ないんだからね。大学院生のインターンとはいえ、ひとつの支局として大いに活用しようと思っているからそのつもりで。」
こうして過度に期待されているようだが、われわれはあくまでも初対面。「できる度」を証明するために、ミーティングの後半は、「特派員」それぞれがこれまでに大学院で作ったレポートを見せて、批評を受けることに。何しろ教授の評価は受けていても、ジョディーのように記者・アンカー生活27年のプロにテープを見てもらうのは、初めてである。緊張する。。
「うーん。立ちレポの表情が堅いね。」「言葉の言い回しはもうちょっとナチュラルに。」「このカットはどうしてPANなのかな?FIXでいいからもっとゆっくり見せて」
5人それぞれの作品に対し、的確にポイントを指摘するところはさすがプロ。
ということでインターン先の「上司」との初対面は無事終了。思っていたよりも普通な人でいわゆる「業界くずれ」していないところはよかった。これから「こんなネタがあるんですけど?どうでしょうか?」と定期的にご相談の電話をするときも、気が楽なはず。。
来週は、まだ会っていないペンシルバニア州のローカル局のプロデューサーとも対面する。われわれ放送ジャーナリズム院生5人組の運命はいかに!?
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Tuesday, September 13, 2005
DC初ロケinコングレス。ジョン・ロバーツJr公聴会でケネディ上院議員をゲット。
いよいよボストン大学ワシントンDCジャーナリズムプログラムがフル稼働した。
私の週間スケジュールは以下のようになっている。
月曜日=外部インターン+7PM-9PM大学院Political Reporting の授業
火曜日=BUセンターのニュースルームで記者インターン
水曜日=8AM-9:30AMBroadcast Journalism 授業+終日BUセンターのニュースルームで記者インターン
木曜日=外部インターン
金曜日=8AM-9:30AMDC在住の現役ジャーナリストによる特別講義+その後終日外部インターン
ということで、盛りだくさんのスケジュール。しかし、必修科目がたくさんあって悲鳴をあげていた1学期目と違いほとんどのアサインメントが実技(=取材・原稿執筆や撮影・編集)となっているため、見た目ほど大変ではないはずである。(と思いたい)
さらに私の場合、
外部インターン=日本の某放送局のDC支局
内部インターン(同級生5人でシフト制)=WENY-TV(NY州ABC系列ローカル局)、WSEE-TV(PA州CBS系列ローカル局)
となっているので、日本語と英語の放送業界両方が体験できて大変バランスがよろしいはず、なのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
きょうはNY州のローカル局のワシントン特派員としてのインターンを体験する最初の日。。のはずなのだが、放送ジャーナリズムの学生だけは、ローカル局のテープのやり取りのロジスティックスがまだ整っていないせいもあり、特別な課題が与えられている。それは、われわれのプログラムの内容をPRするドキュメンタリーを作るというもの。
ということで、本日は撮影機材を担いでの初めての議会入り。大物議員の様子や、大手メディアのプレスプールの様子をドキュメンタリー用にB-ロール(雑感)として撮影しておこうという試みだ。
以前書いたように三脚を立てていい場所とか撮影していいタイミングとか、議会にはルールがあり、それを守らない場合は罰則を受ける。われわれはローカル局を代表して取材に来ている立場とはいえ、ABC,NBC,CBS,CNN,FOXといったナショナル・TVネットワークやロイター、APといった大手通信社のビデオカメラに混じって撮影をする以上、規則違反はみっともない上に、大学に迷惑をかけることにもなりかねない。
だから、このドキュメンタリー制作は、本格的に議会取材に入る前のいいエクササイズになるはずである。
と言っているうちに、上院内のとある公聴会の部屋の前に到着。部屋の前には改めてセキュリティチェックがあり、セキュリティチェックの向こうで開かれているのはあの最高裁判事に指名されたジョン・ロバーツのConfirmation hearingである。部屋の前にはプレス・プールができている。Confirmationでの発言を終えた大物上院議員が出てくるたびに、プレスプールの中央に設定されたマイクに向かって即席記者会見(Stake Out)が開かれるのを撮影する。
同級生のサラと共に上院の廊下で待つこと30分以上。プレス・プールのカメラマン達は待ちなれているらしく、新聞や缶詰めの食料などを完備して驚くほどリラックスしている。私は念のためデジタルカメラをチェックしたり、ホワイトを取り直したり結構緊張しているというのに。
やがてカメラのフラッシュ音とともに、数人の上院議員が公聴会の部屋から出てきてマイクの前に立った。われらがマサチューセッツ州の上院議員テッド・ケネディ氏とニューヨーク州の上院議員チャック・シューマー氏、二人とも民主党の大物である。予想を上回る数のペン記者(新聞・通信社の記者)が前にたちはだかり、ポジションをキープするのが困難なほど。しかしなんとか二人のコメントを大学のデジタルDVカメラに収めることに成功した。
「私はNYタイムズの者なんですが、あなたの名前を聞いていいかしら?」こんな女性スチールカメラマンに声をかけられた。なんと、私が熱心に撮影をする様子を、スチール撮影されていたらしい。もしかしたら、NYタイムズの「ロバーツ氏承認公聴会」に関する記事にキャプションつきで写真が載るかもしれない!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
午後は一転してケネディ・センターへ。同じ寮に住むボストン大の「政治インターンシップ・プログラム」の参加者が、センター内のコンサートホールを見学する様子をドキュメンタリータッチに記録撮影した。
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Sunday, September 11, 2005
DCエスニック地区「アダムス・モーガン」のストリートフェスティバル。
DCダウンタウンにあり、近頃最もおしゃれな地区とされるのがAdams Morgan(アダムス・モーガン)。アフリカ料理を始めとする数々のエスニック料理レストランやバーが立ち並ぶ一角である。
きょうはその地区の年に1度のお祭りである「アダムス・モーガン・デー」というフェスティバルにやってきた。ストリート一杯に並ぶブース。どれどれ、とのぞいて見る。
ケバブなどエスニック料理の屋台がもうもうと煙を上げていて、おいしそう。このほかにも、アフリカン小物やバッグの屋台、Tシャツ屋、手作りお菓子の屋台やアートの屋台などで盛りだくさん。日々政治政治とすごい勢いで猛進しているDCという街にはまったくそぐわない、いい感じのストリートフェスティバルだ。
アフリカンドラムの演奏や、メキシカンダンスの発表があったり。実はDCは、政治だけの街ではない。各国大使館から外国メディア、外国企業まで世界中の人々が一堂に集っている国際色豊かな都市でもあるのだ。だから、私の外国訛りの英語も全く気にしないで堂々としゃべっていい!
ストリートの出し物の中には、替わり種でカラオケなんてのもあった。ボールを的に当てて、水の入ったおけに人を落とすゲームも楽しそう。
Adams Morganをもじって「Madam's Organ(マダムの器官)」というのが、この地区のランドマーク的バー。テラスには、パイレーツに仮装した人もお目見えした。
フェスティバルをたっぷり楽しんだ後は、これまたアダムス・モーガンのランドマーク的カフェ「Tryst(トリスト)」でラテなどをいただく。たっぷり大容量の陶器のカップになみなみと注いでくれる。店は「これぞカフェ!」という雰囲気抜群。ソファに「だべる」若者。インターネットに興じる人、アイポッドを耳につっこんで本を読む人、彼氏彼女とべたべたする人。。朝から深夜まで営業していて軽食も出すようだし、行きつけのカフェにしよう。
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Saturday, September 10, 2005
古都アレキサンドリアのアート・フェスティバルへ。
古都アレキサンドリアはDCの郊外にある歴史の街。きょうはここでアート・フェスティバルが開かれると聞きやってきた。すがすがしい風が吹きぬける。ボストンに似たれんがの町並みが美しい。
1000は越えるアーティストの展示即売ブースが、目抜き通りに沿ってずらり。油絵や彫刻といった高額なものばかりでなく、手作りアクセサリーや小物類といった手ごろな価格のものも売られている。どれもクオリティの高いものばかり。私は猫や犬のコミカルな手作りイラスト壁掛け時計を売るアーティストのブースを見つけ、衝動買いをしてしまった。
シタールを弾くアーティストが、CD即売を行っていた。風流である。
古都の風に吹かれながら、オープンテラスでビール。地ビールの種類が豊富にある。アイリッシュ・パブが立ち並ぶボストンを思い出すなあ。
ほろ酔い気分でアレキサンドリアの港を散策。水面に映る灯りに心癒される晩夏の夕暮れ。。
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Friday, September 09, 2005
教授とゆこう、議事堂ツアー・議員秘書というお仕事・DCゲイピープルの集まるバーで同窓会。
<教授とゆこう、議事堂ツアー>オリエンテーションもいよいよ最終日を迎えたきょうは、われらがボストン大ワシントンプログラムの”ゴッド・マザー”であるリンダ・キリアン教授と行く議事堂ツアー。ぴかぴかの議会パスを使い、セキュリティゲートをくぐりぬけて下院のビルの廊下で教授と待ち合わせのはずなのだが。。
。。。どうやらわれらが教授は遅刻常習犯らしい。15分遅れてやってきた彼女の先導で、議事堂内の歴史的な場所を見学する。まずは上院側と下院側を結ぶ中央の建物である、Capitolから見学。ご存知の通り映画やテレビでよく出てくるあの白いドーム状の建物である。ドームの真下は議会の文字通り地理的中心。そこには「ロタンダ」と呼ばれる大広間が。「コロンバスの上陸」や「ジョージ・ワシントンの辞職」といった、短いアメリカの歴史の中で象徴的出来事を描いた絵画が飾られている。
ドームの内部天井は「ワシントンの神格化(The Apotheosis of Washington)」というフレスコ画で彩られている。アメリカ議会の内部は、こうした芸術がところせましとならんだ美術館顔負けの場所なのだ。
しかしこの「ロタンダ〈大広間)」は、歴代大統領を始めとした要人が亡くなった時、一時的に遺体を安置(Lying in state)する場所としても知られている。ここに安置された人々には、ケネディ元大統領、レーガン元大統領などに加え、新しいところでローザ・パークス(公民権運動の母)などがいる。
続いてやってきたのは「彫像の間(National Statuary Hall)」。アメリカ全土の各州から2人ずつ選ばれた著名な人物の彫像が100体、ずらりと並ぶ。
この彫像の間は、実は1857年まで下院の議会場として使われていた。しかし、ドーム状の天井構造からエコーがひどく、ささやき声すら筒抜けになってしまうため、議員の間で不評であったことから議会場としては不適格な場所とされ、議会場は別の場所に移された。写真は5m先にも筒抜けという「エコー」を試す、ツアー参加者の面々。写真にはないが、このほかにもOld Supreme Court Chamber(昔は議会内に併設されていたのだ)なども見学した。
<議員秘書というお仕事>議事堂内の歴史的場所を見学するだけでは、高校生の社会科見学と一緒!といわんばかりに今回の教授のツアーには「議員秘書による特別レクチャー(写真)」が組み込まれていた。今回われわれBUの学生のために特別に時間を割いてくれたのは、テキサス州の共和党下院議員ヘンリー・ボニーア氏のPress Secretary(広報秘書)をしているタリン・フリッツさんと、ノース・ダコタ州の民主党上院議員ケント・コンラッド氏の同職を務めているショーン・ニールさん。われわれが議会の取材をする上で、避けられない窓口となるのが彼らのような広報秘書。われわれがプログラムの一環として実際に議員に取材をする前に、広報秘書という仕事の「内幕」を聞いて少しでも彼らと接する際の参考にしてもらおう、というキリアン教授のはからいである。
タリンもショーンも年のころは20代後半から30代前半。こんなに若い人が議員の秘書をしているなんて、日本人の私には少し驚き。しかし議会では、インターンをはじめとして議員の事務所に務めているスタッフには、実際彼らのように若い人が意外と多いのが事実。「広報秘書という仕事、それはaccurate & honest & be fairであることが必要な仕事」こう語るタリンは広報秘書として、プレスリリースを書いたり、ボスであるボニーア議員が地元新聞に執筆しているコラムの監修をしたり、ジャーナリストの取材窓口になったり、忙しい毎日を送っているという。「テキサスの地元メディアの記者からの問い合わせは、ぞんざいには扱えない。いつも丁寧な対応を心がけているわ。」
もう一人の議員広報秘書であるショーンは、自身が「ローリング・ストーン」誌の記者だった経歴を持つ、「元ジャーナリスト」。広報秘書という仕事は、マスコミの窓口となるのが主な仕事。だからそのマスコミ側の出身である彼のような広報秘書も、議会には少なくはないそうだ。
議事堂ツアーの最後は、上院内カフェテリアでのランチ。議員と秘書専用かと思えば、議会パスさえ持っていれば外部の人間でも食事をすることが出来る。値段設定は安めなものの、日本人の私からするといい大人が議会でハンバーガーやサンドイッチなど注文している様子は、少しだけ違和感。日本の国会議事堂の食堂〈行ったことはないが)ならば、きっと「ざるそば」とか「とんかつ」とかがメニューに並ぶんだろうな。。
<DCゲイピープルの集まるバーで同窓会>議会という「大人の場所」を舞台に大学院生活を送る。そんな緊張の続く毎日だからこそ、息抜きは絶対に必要だ。そんな時に寮から歩いて散歩がてら通える繁華街「Dupont Circle」は流行に敏感なDCの若いビジネスマンやゲイ・ピープルの集うDCの”憩いの場”。この日はハリケーン・カトリーナで壊滅的なダメージを受けたニュー・オリンズを救う募金を集めるため、ジャズを演奏するストリート・ミュージシャンが人々の喝采を浴びていた。
実はきょう、ボストンで一緒だった同級生2人がワシントンDCにやって来ていた。われわれワシントン・プログラム参加組と再開するのは5月以来。このブログにも何度も登場したぶっ飛び娘ケリー。そして、MITの学生で海軍奨学生であるジョンを彼氏に持つキムリン。われわれのボストン大学院放送ジャーナリズムプログラムは、「就職が決まればあがり」という特別措置がある。1、2学期目を無事終えて、3学期目が始まる前までに就職が決まった場合、その就職を「3学期目の単位」として認めてくれて修士号ももらえる、という素晴らしいシステムである。そこで同級生の中には、5月に2学期目が終わった後に死ぬ気で就職活動をしていた輩も多かった。この2人は見事就職を決めた2人である。ケリーはバージニア州のラジオ局の記者として、キムリンは出身地サンディエゴ近くのABC系列の地元TV局の週末担当の「fill in(スタンバイ)記者」として。BUでの2学期を経て、すでに実社会でデビューが決まったというわけだ。うらやましー。
話は尽きない同級生の会合。今度はいつ会えるか分からない、アメリカ全土・果ては世界に散らばる我々院生だからこそ近況を語り合って。。と思ったらお調子者のケリーがまた、しでかした。我々が集まったバーは、異常なほど男性同士のカップルが多い、いわゆる「ゲイ・ピープルの出会いの場所」。ケリーは酔いに任せて、店にいたあるゲイカップルを”インタビュー”し始めた(写真)。以前から、誰とでもすぐ打ち解けるというかあけっぴろげなケリーだったが、DCで再びこの「病気」を目の当たりにするとは思わなかった。。。
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Thursday, September 08, 2005
議会パス申請にコングレスへ”初登庁”
「9AM Pickup Capitol press gallery credentials」
きょうのオリエンの予定はこれ。つまり、これからの議員取材のためには欠かせない議会パスをゲットするのである。ぴかぴかのDC1年生記者であるわれわれをコングレスに引率してくれたのは、われらがチーフ・エディター、メイソン。メイソンはワシントン・ポストをearly retirementした元記者で、これから我々が寮の1階の「ニュースルーム」で地方局向けの取材をするときのアドバイザー・校正者となる。
キャピトルと呼ばれる議事堂の入り口で、新聞ジャーナリズム専攻の同級生とお別れ。放送と新聞の記者ではパスの申請先が違うためだ。われわれは「Senate TV Press gallery」という上院の議員のTV向け記者会見ルームで、パス申請に伴うレクチャーを受けた。議会内で三脚を立てていい場所とよくない場所のルール。Stake out と呼ばれる「ぶら下がり取材」の場所の説明。記者会見ルームの使用ルールの説明など覚えきれないくらい。そうこうしているうちにも、ギャラリーには午後からの大物議員の会見を待つ3大ネットワークやCNN,FOXといった大手ケーブルTVのカメラマンたちがセッティングをしたり、談笑をしたり。写真はフレンドリーなFoxネットワークのカメラマンに撮ってもらったもの。この場所のExclusive~な雰囲気に圧倒されつつ、やる気がみなぎってきた。
コングレスと一口に言っても上院(Senate)の建物が3つ、下院(House)の建物が3つ、さらにCapitol(議事堂)の計7つの建物から構成される巨大な一区画であるアメリカ議会。あまりに広くて建物間の徒歩での移動が困難なため、地下には議員と関係者専用に何と地下鉄が走っているのだ。我々もパス発行センターへ移動するため、初めて乗ってみたが、なかなか快適。トロッコ電車みたいで面白い。ここでは、去年の大統領選で民主党候補だったジョン・ケリー上院議員本人を目撃。誰もお付きの人をつけず、一人ですたすたと地下鉄に乗り込んで移動していたのが印象的だった。
無事議会パスをゲットした後は、ワシントン特派員として取材を担当するペンシルバニア州のTV局、ニューヨーク州のTV局のために各州出身の上院議員の事務所をあいさつ回りする。ニューヨーク州の上院議員といえば、ヒラリー・クリントン!元ファースト・レディーの有名議員が取材対象とは、なんと面白い上にラッキーなのだろう。どれだけ取材対象(=本人)に接近できるかはわからないが、できるだけがんばって独占インタビューを撮れるまでになってみたいものだ。
建物の名前と部屋番号の一覧の載った「コングレス・ガイドブック」を片手にお目当ての議員の部屋を探しては、飛込みで
「プレス・セクレタリーはいますか?われわれはお宅の選挙区のローカルTV局の新しいワシントン特派員として赴任したのですが、ごあいさつをさせていただければ。」
と自己紹介する。PAとNYの上院議員4人のオフィスへの挨拶は、クリントンを含むそれぞれの広報担当のセクレタリーらと名刺交換して、無事終了。プレス・セクレタリーも思っていたよりフレンドリー(に見える)人々で、我々のアポなしの訪問にも快く応じてくれた。実り多き一日であった。
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Wednesday, September 07, 2005
まだまだ続くオリエン・”ワシントン特派員”としてデビュー・卒業生とご対面。
<まだまだ続くオリエン>きょうも朝8時からみっちりとオリエンテーションが入っている。
ワシントンプログラムは、どうしても内容がプリント・ジャーナリズムの学生中心になりがち。そこで、ブロードキャストの学生(ラジオ専攻が2人、テレビ専攻が5人)のために特別講師が任命されている。我々7人だけで毎週水曜日に朝8時から授業を受ける。授業の時間が早い理由は、講師の先生自身がフルタイムのジャーナリストであるため。ロイターのDC支局で記者をしているかたわら、われわれに細かいTVジャーナリズムの作法をレクチャーしてくれるという。
<”ワシントン特派員”として>
「あなたたちはきょうから、ペンシルバニア州エリー市にあるWSEE-TVとニューヨーク州エルマイラ市にあるWENY-TVの”ワシントン特派員”です!来週から現地のニュース・プロデューサーと連絡を取り合いながら、首都ワシントンからリポートを送ってもらいます。」
このワシントンプログラムの目玉の一つが、この記者インターンシップである。ワシントンに支局を置けない田舎のローカル局が、われわれ「ボストン大学院生放送ジャーナリズムチーム」の力を借り、地元出身の議員のフレッシュな話題を日々放送しようという試みだ。ペンシルバニアとニューヨークのTV局はそれぞれCBS系列とABC系列で、れっきとした放送局。しかし、わざわざワシントンDCにクルーを出したり、支局を置くだけの資金がない。そこで、われわれ大学院生の力を無料で借り、我々はその見返りに「レジュメ・リール」と呼ばれる履歴書代わりのレポートテープをゲットできるというわけだ。この二つのTV局は、大学が卒業生ネットワークを通じて見つけてくれた。もちろん新聞ジャーナリズム専攻の学生は、マサチューセッツ州などニューイングランド地域の地方紙のための「ワシントン特派員」となる。ラジオの学生は、ニューハンプシャー州などのパブリック・ラジオの特派員だ。
午後からは上記のインターンシップでのニュースディレクターとの付き合い方や、コングレス(議会)取材の作法について教授からレクチャーがあった。
「過去の学生が何をどのように取材したか、大学のホームページで確認しなさい」
「自分の履歴書に残るような取材を心がけなさい。新聞ジャーナリズムの学生はクリップ(掲載記事)を、TVジャーナリズムの学生はリール(放送ビデオ)をできるだけ保存すること。」
「インターン先の編集長やニュース・プロデューサーと定期的にコミュニケーションをとるように。積極的にPitch a story(取材ネタの提案)をすること。」
いちいちもっともなことに違いないが、このように本社から離れた場所で、会ってもいない上司のためにインターンをするとはなんと大変なことか。
キリアン教授はこうも言う。
「このインターンのもっとも大事なこと。それは最終的に就職につなげること、そこです!11月の初めには雇用に興味があることをインターン先に伝えなさい。いいですね。」
確かにここまで実際に記事やVリポートを制作して腕を会社側に見てもらうわけだから、「バイト」とは違って積極的に就職につなげなければ意味がない、というわけだ。
コングレス(議会)取材の注意としては、
「議員の広報担当セクレタリーは常に忙しいので、記者として存在のアピールをしつづけること。アポをとるときは忘れられないように気をつけて。もし思うように取材がいかなくても”Don't take it personally".」
「議員の取材の際には必ず下調べをして、知らないことがないように。」
「服装、態度など常にプロフェッショナルさを心がけるように。」
「みなさんはもう大学院生ではないのですよ、立派な記者なのですから。」こう言う教授はあす、我々を議会パスの申請に連れてってくれるが、その後は「各自担当の州出身の上院議員の事務所にお邪魔して、あいさつ回りをしなさい。」という。大変なことになってきたが、なんだか楽しそうでもある。アメリカ議員の秘書にあいさつなんて、なかなか体験できることじゃない。
<卒業生とご対面>夕方からは、4人のこのプログラムの卒業生を招いてパネルディスカッション。4人ともここでのインターンを通じて就職をつかみ、ワシントンDCに住み着いて現在に至るという人々である。われわれにとっては「あこがれ」のキャリアをつかんだ先輩達だ。中でも我々放送ジャーナリズムの院生の羨望のまなざしを一身に受けたのが、ABCのニュース特集番組「ナイトライン」のプロデューサーをしているネサニヤさん。
実は我々学生達は、先に説明した「ワシントン特派員」となる地方局の記者としてのインターンとは別に、もう一つ「ワシントンDCに本社もしくは支局を置く新聞社もしくは放送局」でインターンをすることが義務付けられている。これを外部インターンと呼ぶ。そのために4ヶ月も前の5月から大学を通じて交渉を続けてきた。
さて、盛りだくさんのDC記者修行。どうなりますやら。。
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Tuesday, September 06, 2005
オリエンテーションウィーク、始まる。
大学院のワシントン・ジャーナリズム・プログラム、第1週目。まずは授業開始前の前哨戦であるオリエンテーションから。このオリエンテーションが、なんと今日から金曜日まで1週間も続くのだ!しかし、こうしたイベントや授業の行われるのは全て住居であるボストン大学ワシントンセンターの階下にある教室。つまり、朝起きたら同室の同級生と共に1階に下りていけばいいというわけ。今までの学期もキャンパス内にある寮に住んでいたが、今回は外を歩く必要すらない。楽チンである。
オリエンテーションは、寮のマネージャーによる寮内の公共施設のオリエンテーションから、講師陣の紹介、ニュースルームの各自デスクのイントロダクションまで様々な内容が目白押し。大学院も3学期目なのに、まるで「新入生」になったみたいだ。
オリエンテーション・ウィークは、ランチをとる暇もないほど。そこで大学院がランチを用意してくれる。大学の出すただ飯にありつけるなんて入学式の時くらい。だからニュースルームを出た後にホールにフレンチ・サンドイッチ・チェーンAu Bon Painの包みが積み上げられているのを見たときは驚いた。それを手に手にわれわれが乗り込みますは、寮の前に横付けされた一台の観光バス。なんと、今日の午後は首都見学バスツアー!なんである。写真は第2次世界大戦メモリアルの前で微笑む我が同級生のジェニファーとアマンダ。
最高裁判所の前を通りかかった時には、人々の列が。前週末に亡くなった長官のレンキスト氏の棺が公開弔問のため建物内部に安置されていたのだ。そう、ここは首都ワシントン。新聞の一面を飾る出来事が、リアルタイムに行われている場所。いちいち驚かない訓練をしなくてはね。。
ポトマック川のジェファーソン・メモリアルの中を散策する院生たち。ボストンのチャールズ川の趣はないけれど、川岸に春の桜並木を見る日が待ち遠しい。
「イウォーウ・ジーマ~!」じゃねーっての。「硫黄島」だっつの!硫黄島の戦い(いおうじまのたたかい)とは、、大東亜戦争の中で、日本軍とアメリカ軍の間で起きた、1945年2月18日から1945年3月22日にかけての戦い。(ウィキペディアより)日本では多くの人が忘れているこの歴史的出来事、ワシントンでは巨大な記念碑になるほど「拡大し続ける大国アメリカ」の象徴なのであって。。
バスは一路National Cathedralへ。ここだけがワシントンらしからぬ静けさに満ちた場所。大聖堂の鐘の音がまた素晴らしい。
このバスツアーが終了した後も、教室でさらなるオリエンテーションが続いた。毎日毎日朝8時過ぎから夕方6時すぎまでみっちりと、朝起きてから寝るまでほぼ同じ顔ぶれですごす、「ワシントン・政治ジャーナリズム・ブートキャンプ」的生活が、きょう緩やかにスタートした。
プログラムのキリアン教授(写真)によると
「バスツアーみたいに楽しいのはきょうだけよ。ほっほほほ」ということなのであるが。さて明日からの生活はいかに!?
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Monday, September 05, 2005
動物園散策も束の間、再び引越し!?
気持ちのいい朝。引越しも無事完了したので、同級生サラと共に国立動物園内散策と決め込む。中国からやってきたパンダもいる広大な園内は歩くだけで汗びっしょり。
で、暑いので象も水浴びしていたりする。気持ちよさそう。
トイレットペーパーとか、シャンプーとか。そういったものを安価に買うために、地下鉄を乗り継いではるばるTargetに行く。
買い物から帰ると、一騒動が待っていた。なんと、大学のワシントン寮を避けてDC郊外に部屋を独自に借りたはずのビッキーさんが、せっかく借りたばかりの部屋を断り心変わりして寮に入居を決めていた。
「なぜ?」こう聞く私達にビッキーは「インターネットで部屋を選んで失敗よ。窓がないんですもの。それに地下室だし。」
しかし、結局のところ寮に私達が楽しそうに入居するのを見て、寂しかったのではないかと私はにらんでいる。むむー。それにわれわれの寮は、1階が教室とニュースルーム(後日説明)となっているため、「通勤」の必要がない便利さなのだ。ビッキーが部屋を借りたところから教室まで通勤すると45分近くかかる計算となる。
ボストン大のワシントン寮の部屋はそれぞれに個室があてがわれるものの、最低人員3人で一つのリビングルームを共有するタイプ。ビッキーさんは慌てて登録をしなおし空き部屋があった、サラの住むユニットに入居が無事決まった。しかし、この新しいルームメート、サラはよかったもののもう一人のユニットメイトのジョアナが黙っていなかった。
「テディ、部屋を私と交換しない?」へ?引っ越したばかりなのにもう引越し??
「ビッキーって喫煙者でしょ。私喫煙者のにおい、耐えられないのよね。」
え、だって室内での喫煙はできないはずじゃ?
「外で彼女が吸って来ても、敏感だからわかっちゃうのよね、私。テディは、サラ・ビッキーと一緒に引越ししてきたんでしょ。それに3人とも同じブロードキャスト・ジャーナリズムの同級生よね。ね、どう?真剣に部屋交換の件考えてよ。無理にとは言わないからさ。」
―――というわけでうまく言いくるめられたというべきか、入居2日目にして再び引っ越し!506号室のBという部屋に入居したはずなのに、こんどは廊下の反対側、501号室のCという部屋に移ることになった。事情をもれ聞いた同級生たち6人が手作業で部屋の交換を手伝ってくれたのは嬉しかった。テディの荷物とジョアナの荷物を、廊下をパレードするようにして6人の人々が行き来し運搬した。
なるべくして同室になったというか、3人そろってボストンから引っ越してきた仲間のサラ、ビッキー、私が同じユニット501号室に集合してDC共同生活を送ることになった。3ヶ月限定の「DCジャーナリズム生活」、続きはこのブログにさらに書いていくので乞うご期待。
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Saturday, September 03, 2005
進めワシントンへの道!BUセンター入居の日。
朝8時半頃起床。よく晴れ渡ったメリーランド州の朝。マサチューセッツ州から10時間をかけてロード・トリップをしてきた「同朋」ボストン大学院の同級生のサラ、ビッキーの2人はもう起きているようだ。コーヒーをいれるいい香りがする。
きのうはこのアパートにもともと住んでいるビッキーさんのルームメートが夜帰宅した。ロビンというその女性は、Department of Homeland Security(国土安全保障省)に務めるキャリア・ウーマンだとか。しかも父親がルイジアナ州代表の議員だとかで、ハリケーン・カトリーナがらみの話や、テロ防止の法律がらみの話などで深夜までビッキーさんと盛り上がっていた。ワシントンDC郊外ともなると、こういう「国家公務員」を始めとして国家的機関の役人や研究員が沢山住んでいるんだなあ。。と感心する。
いよいよペンスキー・トラックに再び乗り込み、進むはワシントンへの道!気持ちのいい気候の中、助手席でナビをしながらサラの運転を見守る。ボストンからの引越しもあと少しで完了だ。
45分ほどかけてボストン大学・ワシントンセンターの前に見事に到着。きょうが25人の参加者の一斉入居日であるため、駐車スポット争いに勝とうと早めに到着してみたが、無事一番乗りだ。ひゃっほー。
センターの入り口で、見慣れたボストン大学院・ジャーナリズム学科の連中の顔を見ると少しほっとした。彼らの多くが地元野球チーム・レッドソックスの帽子やフリースを来て、ワシントンセンターの前に集合していた。「ボストンを愛する気持ち」を示しながら引越し作業をしようという気持ちは私も同じ。愛するRedsoxのJohnny Damon選手の公式Tシャツを来て引越しの荷捌き作業に精を出すことにした。話を聞いてみると、同級生の半分くらいは夏の間、NYなど大都市に行って新聞社、TV局でインターン修行をしていて、残りの半分はボストンに残って慣れ親しんだボストンのメディアでインターンをしていたようだ。
部屋のカギをもらった後は、一目散に荷降ろしだ。カートや台車を駆使して5階の部屋までサラと私の2人分の荷物を運ぶ。しかし、25人が一斉に入居となると、エレベーターの確保がなかなか難しい。中には大学院生だというのに父母から弟妹まで一家総出で引越しを手伝ってもらっているつわものもいて、「うらやまし~」。私〈日本からの留学生)、サラ(テキサスに両親がいるものの一切手伝いなし)、ビッキーさん(×2のシングルマザー)という3人は、お互いに助け合うしかないのだ。。
午後までかかって入居は無事修了。ボストンから旅を共にしてきた黄色のペンスキートラックともここでお別れ。返却の手続きとあいなった。無事「ロード・トゥ・ワシントン」完了である。
あすから首都の住人の一員として、「政治まみれのジャーナリズム院生生活」を送る。
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Friday, September 02, 2005
さらばボストン・8時間のロードトリップ
9月2日。きょうはとうとう1年近く住んだボストンを離れる日。ボストン大大学院に在籍しながら、ジャーナリズム専攻の学生のオプションである「ワシントン・ジャーナリズム・プログラム」に参加するため、9月5日から始まるおよそ3ヶ月(秋セメスター)をワシントンDCで過ごす。
よく晴れ渡った朝に同級生2人と共にレンタルした「ペンスキー」引越しトラックの黄色がまぶしい。さあ出発だ。約8時間に渡るロード・トリップのはじまり、はじまり。
運転はわが友、サラ。もう一人の同級生、ビッキーさんが彼女の愛車スバル・フォレスターで後からついてくる。途中中間地点で落ち合うことになっている。
車は順調にマサチューセッツ・ターンパイクを飛ばし、一路南へと向かう。ロードアイランド州プロピデンス、コネチカット州ニューブリテンなどを経由し、同じくコネチカット州のニュー・ヘイブンで給油のためガス・ステーションを探す。折からの原油高のため、ガソリン代はどこも割高。サラが「ここも高い、あそこも高い~」とえり好みしているうちに、迷ってしまった。ニュー・ヘイブンにはアイビー・リーグの名門イエール大学がある。
中間地点である”ビッグ・アップル”ニュー・ヨークに車が近づくにつれ、道路が込んできた。そこで、ビッキー車と連絡を取り、迂回路をとることに。Fuddrucker'sというハンバーガー屋で昼食。基本のパテを選ぶ以外は、野菜系の具を全て自分で好きなように詰めることができる。
渋滞も無事迂回、日がとっぷりと暮れる7時ごろには、メリーランド州ロックビルに到着することができた。ここはワシントンDCまで目と鼻の先。なんと朝9時に出発して休憩をはさみながらも10時間の旅。ロックビルにはワシントンDCのボストン大の寮に入るのがいやなビッキーさんが、インターネットで探した新しいアパートがある。そこにビッキーさんの荷物を降ろし、3人でピザをオーダーして夕食。
何もかも女ばかりで手作業の引越し、ようやく一日目が終了。あすがワシントンDCのボストン大寮の入居日であるため、きょうは英気を養いあす早朝の「首都入り」を目指す。ひーちかれたびー。
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Thursday, September 01, 2005
New England Dream House大豪邸に宿泊!
お世話になった居候先を後にするのは辛かった。すっかり仲良くなったファミリーの娘さんと一緒に写真を撮り、いよいよワシントンへ一歩前進する。写真は私が泊まっていた「赤い部屋」の壁。部屋ごとにペパーミント・グリーン、ラベンダー・パープル、クリームなどと壁の色が違っていて、古いけれどよくリフォームされた可愛いアパートだった。お世話になりました。
さて、きょうは同級生ビッキーさんの弟さんがボストン郊外に建てた豪邸に一泊させてもらうこととなった。同級生3人分の荷物を積み込んだトラック。駐車事情の悪いボストン市内のことを考え、引越しトラックがゆうゆうと駐車できる郊外に停めて、翌朝早朝からロード・トリップに出ようという算段。
ビッキーの弟さんというのは、ハーバード大を出てインベストメント・バンカーをしているとか。それでまだ30代だというのにこのような「Dream House」を建てられるだけの富を築き上げた。ご覧の通りの豪邸、庭は公園くらいの大きさだし、ガレージは車が4台くらい入る大きさ。部屋数だけでも14はくだらないし、マスターベッドルームにはジャクジー完備!ここにビッキーの弟さん一家はたった4人で住んでいる。そのせいで小さい娘さん2人は、一般の人の家を見ると「何で他の人のお家はこんなに小さいの?」と疑問を持つようになってしまったらしい。(あなたのお宅が大きすぎるんです。。)
見よ!この子供部屋の可愛さ。ベッドルームはメイドさんによって、きれいにベッドメイクが施されていてまるでホテルみたい!たまたま一家が夏のバケーション旅行に出ていたので、豪邸を、すみずみまで拝見する。まさに”ニュー・イングランド・ドリーム・ハウス”とはこのこと。。普段節約節約といそいそとしている同級生ビッキーさんの弟の家とは思えない〈失礼!)。
おかげできょうはゆったりと英気を養うことが出来た。夜になると豪邸は静まり返って、虫の鳴く音がむせかえるよう。ニューイングランドの夏が終わろうとしている。明日からは新しい留学生活のページをめくり、政治の町ワシントンDCへと入るのだ。
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Wednesday, August 31, 2005
女ばかりの引越し・荷積み
きょうはいよいよ、ワシントンDCへの引越しの荷積みの日。引越しの方法については、いろいろ考えた末同級生2人とトラックをレンタルすることにして、そこに荷物を積み込んで3人でDC入りすることにした。ただ、2人のうち一人は車を持っているので、彼女だけは自家用車でDC入りする。よって、トラックの管理をするのは私と、同級生のサラとなる。とりあえず、朝サラと待ち合わせし、予約を入れておいた引越しトラック「Penske」の引き取りに行く。このレンタルトラック屋、「ペンスケ」ではなく、「ペンスキー」と読むのだが、黄色い色が目印。学生の多いボストンの支店らしく、引き取りに行くとすでに支店は学生の客で一杯。
サラにトラックを運転してもらい、サラのアパート→私の居候先→もう一人の同級生ビッキーの居候先の順番に荷積みに回る。このトラック、大型のものを借りたので、荷台部分から荷降ろしのためのレールが地面まで伸びるようになっている。なんだか運送屋になったような気分を味わいながら、順調に3箇所を回ることに成功。写真は私の居候先の家の前にて撮影した引越し作業中の一こま。同級生の諸事情により、荷積みはきょうなものの、最終的な出発はあさって。居候先の部屋を占領していた段ボールは全て荷積み完了。これでとうとう、ボストンーDC間を結ぶロード・トリップに出る日を待つばかりとなった。
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Tuesday, August 30, 2005
リブで送別会!
きょうは居候先のご家族の皆さんをはじめとする人々で、送別会を開いてもらった。なにしろあさってワシントンDCに引越しを控えているので、もう今日しかない。場所はボストンにあるのに、なぜか”テキサススタイル”のリブの店「Village Smoke House」。煙をもうもうとあげてスモークしたリブに、骨ごとかぶりつく。赤茶色のこの店特製のリブソースもたまらない。居候先のファミリーが「一時は通い詰めた」というだけあって、激うまである。
帰り道に隣の店で買った、「手作りアイス」もうまかった。普段はカフェなのだが、夏の間だけマスターが手作りでアイスを売っているとか。ここも居候先ファミリーが一早く目をつけていた知る人ぞ知るうまい店。
1年の留学期間の間に、だいぶいろんなボストンの「名店」を食べ歩いたけど、
(このブログも私の食べたものの写真が多いことは、お気づきの通り)どれもこれも、もうすぐ通えなくなるなんて、うそみたい。。
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Monday, August 29, 2005
ボストン・ハーバーに浮かぶ無人島へ!今後の自分の生き方に思いを馳せるはずが、やぶ蚊に刺され。。
インターンもきれいさっぱり終わって、すがすがしい朝!わが愛しの町、ボストンとのお別れまで、カウントダウンに入った。何と今週金曜日9月の声を聞くと共に、政治の町ワシントンDCに大・大・引越しするのだ。ボストン大学のワシントン・ジャーナリズム・プログラムに参加し、9月からの3ヶ月をホーム・キャンパスから「アウェイ」で過ごす。・・となると、港町、ボストンらしいところを満喫しておかなければ損。
ということで港から「アイランド・フェリー」なるものに乗り込み、一路向かった先は。
ボストンの港に浮かぶ大小さまざまな15以上の島々、これをハーバー・アイランドという。島好きの私としては、わずか片道30分以内で行ける無人島と聞いて、うずうずしていた。きょうようやく訪問が実現したのは、「ジョージズ・アイランド」という島。「This 30-acre island is dominated by Fort Warren, a National Historic Landmark. Constructed of granite between 1833 and 1869, (マサチューセッツ州ウェブサイトより)」
島の中央部には、フォート・ウォーレンという南北戦争の兵士トレーニングに使われていた要塞が残っている。州の公園として、夏はキャンピングや遠足などでそれなりににぎわっているが、10月以降は閉鎖される。私が行ったこの日は、ボストンの港からちょっと足を伸ばしてみた的な家族連れや小学生のツアーが居た。
島は思ったよりも小さい上に、想像していた無人島とは違い、微妙に文明の跡が感じられ、あまり美しくない。要塞の探検を追え、浜のほうに出て、海鳥のふんを避けながら人気のない防波堤にすわり、しばしぼーっとする。ハリケーンが北米大陸に近づいているせいか、こんなに北のボストンだというのに雲が写真のようにもくもくで、にわか雨がふったり止んだり。風も強い。「嵐の前」を感じさせる天候が、今の私=大学院2セメスター目を追え、夏のインターンを追え、ワシントンで3セメスター目を迎える=の人生をほうふつとさせる。
ー会社を辞めて、大学院に行ってよかったんだろうか、最後のセメスターをワシントンで過ごすことにして(選択制)よかったんだろうか、果たして再就職はどうなるのだろうか。ーー
いろいろいろいろ考えを、人っ子一人いない無人島の浜で、めぐらせた。
と、そのとき手のひらにちくっとさすような感覚を覚え、無意識に叩いてみると、ものすごいやぶ蚊!後で気がついたのだが、この無人島の小さな港には「このところの暑さで、藪蚊が異常発生しています。くれぐれも気をつけて!」というたて看板。見逃していたのだから仕方ない。ボストンの郊外では、蚊によって西ナイル熱に感染した症例が報告されており、蚊といえどもあなどれない。この蚊、この浜の日当たりの悪い部分だけに潜んでいて、そこを通りかかる人を容赦なく襲い掛かるようだ。浜の茂みにさしかかり、木と木の間をたった10m足らず歩いただけで、10匹もの蚊が次から次へと!うんうんうなりながら、私の不摂生で運動不足な肉体に襲い掛かってきた。なにしろ日本で見る蚊の3倍は大きい不気味さ。そして何よりも異常にしつこく人間に付きまとってきて非常に悪質。怖いので早々と退散することに。
空は晴れず、ボストンに帰る途中で、ものすごい雨雲の下を通った。夏だというのに肌寒い、それがボストンの港。この冴えない天気、私の近い将来を暗示して「暗夜航路」というわけではあるまいな、いや、「夜明け前」と前向きに捉えておくことにする。(というか、ただの「ハリケーン前」だったんだけどね。。)
さらばだ、ボストンの港よ。(ちゃんと再就職して)また会う日まで。
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Sunday, August 28, 2005
インターン最終日はハリケーン・カタリーナで大混乱!
インターン先に向かう路面電車。一面の濃い緑の中を進む。本当にこんな山奥にTV局があるのか、と最初は疑い深く思ったっけ。
と言っているうちに、きょうがこのボストンの地元ケーブル局「New England Cable Network-NECN(エヌ・イー・シー・エヌ)」での最終日。長いようで短いような。あっという間だった。最初はわけもわからず生放送のサブ〈調整室)に連れて行かれ、プロンプター(写真)を生放送に合わせて操作するのもおっかなびっくりだった。これが、意外と簡単なようで留学生の私には難しかったものの、そこは「元ディレクター」なんである。いくら英語とはいえ、TVニュースはTVニュース、この”左手一つしか使わないインターン”(と最初は自嘲的に言っていた)にも慣れ、ニュースルームの記者さんやアンカーの方々とも冗談を交わすようになり、やがて原稿を書かせてもらえるまでになって。。。うるうる。。
と半ば感傷的に最終日を迎え、ニュースルームの席について間もなく異変に気がついた。突発事故や記者会見のニュースをいち早くキャッチして、取材を記者に割り当てる「アサインメント・デスク」と呼ばれる人たちがやけにあわただしい。「でかいハリケーンが来る!」という会話が、かろうじて聞き取れた。そう、この日はあの”キラー・ハリケーン・カトリーナ”がニュー・オーリンズに甚大な被害をもたらし、想像を超える死者を出すことになる数日前。
「ウェザー・チャンネルの××さんですか?NECNのプロデューサーのイアンです。そちらは今どんな状態ですか?出来ればこちらの6時PMの生放送に、生中継をつなぎたいんですが?」いつもは機嫌よく、原稿を私に回してくれるイアンも、それどころではないらしい。ルイジアナ州まで記者を送れもしなければ、そこに都合よくアフィリエイトと呼ばれる系列局の記者も飛んでいない。となれば、ウェザー・チャンネルというケーブルのお天気専門局にお金を払って、ルイジアナに入っているそこの記者に、現状を伝えてもらうしかない、というわけ。イアンは他にもニュー・オーリンズの近郊の州であるアラバマ州のホテルにつぎつぎ電話をかけて、ルイジアナからevacuate(避難)してきている人がいないかどうか、その人に話が聞けないかどうか、生放送の時間ぎりぎりまで交渉をしていた。結果として6時にはウェザーチャンネルの記者にも中継がつながったし、アラバマのホリデー・インホテルのマネージャーとも電話がつながって、臨場感あふれるハリケーンの報道ができあがった。
ハリケーンの対応でばたばたしていて、最終日だというのに、きょうは原稿を書かせてもらえなかった。ハリケーンみたいに、刻一刻と情報が変わるニュースがメインだったので、次々と原稿がさしかわり、それをアンカー席に届けるだけでも私はへとへとに。
一日の放送が夜10時に無事終わり、「あの~私、きょうが最終日なんですけど、今までありがとう」とイアンに伝える。
すると。「へ。そ、そうだったのか。原稿あげなくてごめんよ。きょうはばたばたしてたんだよ。今までありがとう。」とイアン。この仕事が4つ目だというイアンは、プロデューサー。ボストンはTV局の市場としては大きなマーケット。ここに「上がる」までにこれまで3つの「田舎」局で、アシスタント・プロデューサーを経験してきた叩き上げだ。
最後にイアンに頼んで、週末の午後アンカーの大御所、トム・エリスさんと2ショット写真を撮ってもらう(写真)。ベテランアンカー、トムさんのおかげで日曜日のインターンはゆったりと大船にのったように過ごすことができた。いつもオンエア10分前になると、パンパン、とニュースルームにトムさんの叩く手のひらの音が響き渡る。
「さあ、きょうもHave a nice one, folks! よい番組を作ろう、みんな!」
オンエア前に気合を入れるためのトムさんのスタッフへの心遣いである。そしてゆうゆうと歩いてスタジオへ。決して焦らず、スタッフにも優しいトムさんの存在は大きかった。スタジオに入ってからも、CM中に「うおっほー!」という奇声を発して、自分に気合を注入したりする、おちゃめなアンカーだった。私が発原稿をファイルしたときも、トムさんが励ましてくれたことは、記憶に新しい。
さようなら、そして緑あふれる森の中にあるTV局でのインターンは、一生忘れないだろう。これから先、どんな仕事をするにしても。
--以上インターン最終日について、テディがお伝えしました。
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Saturday, August 27, 2005
イタリアン街の夏祭りで夏の終わりを満喫。
North Endはボストンの‘リトル・イタリー‘。移民がモザイク状に居住区を形成するボストンで、イタリア系移民が住みつく北エリアのことを指す。この町、8月になると毎週末のようにストリートで夏祭りが開催され、眠らぬ「どんちゃん騒ぎ」が行われる。
中でも今週末のものは規模が大きいと聞き、やってきた。お祭りのタイトルはSt. Anthony's Feast。聖人アンソニーという神様をあがめる夏祭りらしい。
夏祭りといえば、つきものは屋台。比較的狭い、閑静な住宅街の通りに、所狭しと50以上の食べ物屋や射的屋、グッズ屋などが並んでおり、普段見慣れていた静かな通りが大変身。
誘惑に耐え切れずにチョコ・コーティングされたフルーツにぱくつく。いちごやパイナップル、りんごなど。ひと皿5ドル前後。
どこからともなくマーチングバンドの音楽が聞こえてきた。夜10時だというのに、パレードがはじまった!この街はいつ寝るのだろうか。
「夏祭りの夜には家族みんなでエスプレッソを」というのがこの辺りのならわしらしい。夜遅くだというのににぎわうカフェで、エスプレッソを一杯。夏の終わり。なんだか郷愁をかきたてられるのは、夏祭りに来ているからだろうか。日本の「浴衣、盆踊り、金魚釣り、水あめ」とは一風違うけど、夏祭りに来るとなんだか寂しい気分にさせられるのは、万国共通。。もうすぐ夏も終わりである。
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ケネディ・ライブラリーを訪ねて
以前から訪ねてみたかった「ケネディー・ライブラリー」への訪問が、きょうようやく実現。第35代アメリカ大統領JFKの功績をたたえるこの博物館、ボストンの南のハーバーを見渡せる好立地にそびえ立つ、美しい建物である。青空に映える夏の日差しがまぶしい。
ボストン近郊出身のJFK一家のポートレート。中央の父ジョセフは元駐英米国大使(故人)。右から2番目の弟、ロバートは元アメリカ上院議員かつ司法長官(故人)。父ジョセフの向かって右が現在マサチューセッツ州選出上院議員のエドワード。
博物館は3つのゾーンに分かれている。JFKが大統領選挙の指名を受けた1960年の様子を再現した、最初の展示ゾーン。ニクソンとの大統領戦・テレビ討論はアメリカ初の大統領候補による公開TV討論だったとか。
第2のゾーンは、大統領に就任したあとのJFKの生活を展示。大統領執務室なども再現されており、面白い。
大統領演説の際のJFK。彼の功績は、アメリカの理想を具体化したものが多く、黒人差別撤廃運動や宇宙開発プロジェクトや、対ソ政策協調外交など数々が知られている。
3つめのゾーンは、ケネディ暗殺から現代までに関するケネディ家の展示。ケネディの棺が運ばれてくるお葬式のシーンはあるのに、なぜかケネディ暗殺の瞬間の映像は展示されていない。いまだ抵抗があるのだろうか。
博物館見学後、コロンビアポイントと呼ばれるちょっとしたハーバー沿いを散歩した。すがすがしい。JFKについて、何故彼がアメリカでいまだに人気なのか、少し分かった気がした。
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Friday, August 26, 2005
女性キャスター・涙の退職
いつものようにインターン先のローカルTV局に到着。午後2時から夜10時のニュースルームのシフトに入ると、なんだか周りがざわざわしている。前回に引き続き、6時のニュースディレクターに「これ、書いていいよ」と課題をもらって原稿を書き始めてまもなく、こんな声がした。「皆さん!」振り向くと、おっきなケーキと共にニュースルームに40人くらいの社員が集まっていた。
アナウンスをしているのは、このTV局の社長らしい(会ったことはなかった)。「きょうはわれわれのプライムタイムショーのアンカーウーマンを5年も務めてくれたアマンダの最後の日です!拍手を!」ニュースルームの真ん中で拍手を受けているのは、一人の女性アンカー。
彼女、アマンダ・ロセターさん(写真)は、この局、NECNで5時から9時までの「プライムタイム」と呼ばれる時間帯のアンカーを一手に引き受けてきた。一人でも、またベテラン男性アンカーと組んでもきりりとして、出来る女性だった。アクシデントにも決して慌てず、またどんな原稿にもマルチに対応できる上に、この知的で優美な美貌である。何でも最近二人目のお子さんを産んだばかり。しかし、だんなさんが(同じメディア業界のバイアコムのエグゼクティブらしい)昇進を果たし、一家ごと生まれ故郷のジョージア州に引っ越すとのこと。残念ながら退職とあいなった。
アメリカの会社で、日本と同じように一堂に皆が集まって送別会みたいなものをするのを見たのは初めて。そして、アマンダさんへののひとこと挨拶では、あいさつしたプロデューサー達皆が涙・涙で感傷的になり、また、アマンダ本人の挨拶でも感情的になる場面があり、これにも驚いた。アメリカ人は会社の人間関係に関してはもっとドライだと思っていたから。
しかし、そこはTV局。感傷的になった後でも、まだきょうのショー(番組)をやらなければならないのである。5時、6時、7時、8時、9時と、たんたんとそれぞれの時間帯のニュースをこなさければならない。アマンダも最後の一日アンカーを、何もアクシデントなくこなせるか、と思った矢先。
5時台にビッグニュースが飛び込んできた。マサチューセッツ州の突端にあるケープコッド岬のオーティスという街は、大きな空軍基地があることで知られている。しかしきょうのペンタゴンの発表で、その基地が「閉鎖予定の基地リスト」に載ったというのだ。これを受けて、基地閉鎖に反対しマサチューセッツ州の上院議員〈ケネディ、ケリー)2人と、州知事が3人そろってオーティスで緊急記者会見を開くことになった。基地が閉鎖されれば、地元の雇用もなくなり、町の存続の危機というわけだ。5時台のニュースは、通常私がプロンプターを担当するが、途中でプロデューサーが「breaking newsで生中継の記者会見につなげるから、プロンプターは使わない」と言いはじめた。
最後の日まで、アドリブで対応をしなければならないとは。しかし、アマンダは生中継を受け、アドリブで会見の内容を短くまとめ、その場をばっちり切り抜けた。さすがである。
9時台、アマンダのvery last showがやってきた。私は、最後の最後になって、彼女が挨拶をするはずのところで、プロンプターに書いてあること通りでなく、彼女に内緒でアドリブが用意されていることを知らされた。「途中でプロンプター止めていいよ。(byプロデューサー)」とのこと。
「ところで、アマンダ、きょうは君が最後なんだね。」とCoアンカーの男性がフる。そこで用意された挨拶を一応するアマンダ、とここまではプロンプターに書いてある。「。。一身上の都合で局を去ることになりました。いままでありがとうございました。」と、ここで私は頼まれたとおりプロンプターを止めた。
そこで、共演の男性アンカーがアマンダがどんなに素晴らしいアンカーだったか、アドリブで話をはじめた。すると、アマンダの顔がみるみる感情的になってきて、こらえきれずに言葉につまってしまった。
と、そこで9時のニュースはほとんど時間切れ。アマンダが本当に泣きそうになり、「それでは皆さんまたいつか」といい終わったか終わらないかのうちに、男性アンカーが文字通りアマンダのことを抱きしめた。それが1秒か2秒オンエアされたかされないうちに、文字通り放送の時間が切れた。
どこからともなく拍手が沸き起こってきたが、プロデューサーとニュースディレクターは、調整室でまだ何事が議論している。「なんだよ、もう少し感動的なシーンをオンエアで見せればよかったのに。すぐにバッファー映像に切り替えるんだもんな、お前。」「え、だってニュースに”お涙”はなし、だろ?あれでいいと思うぜ。」
はあ、どちらでもいいけどアマンダさん、お疲れ様でした。あなたは素晴らしいアンカーだと思います。またのご活躍をお祈りしています。。
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Thursday, August 25, 2005
友人の帰宅祝い宴会
夏の間日本に帰国していた同じ大学院の友人Nちゃんが、ボストンに帰ってきた!帰宅を祝って、New Englandの地ビールと寿司で乾杯。
近頃は、近くの酒屋でこうした地ビールを選ぶのが楽しくてたまらない。きょう選んだニューハンプシャー州発のこの地ビールは、「Smuttynose(すすけた鼻)」という可愛い名前。ホームページを見てみると、オリジナルのパッケージはあざらしがトレードマークらしいが、今回買ったものは「IPA(インディアン・ペール・エール)」で、2人のご老人が楽しそうに屋外でビールを楽しんでいる様子が描かれている。パッケージで選んでしまったが、なかなかイケた。。
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Wednesday, August 24, 2005
パフィーがボストン・ライブ!オタク外人たちを興奮のるつぼに。
「そのTシャツ、どこで買ったの?」「Hottopicていう店さ。」「そ、その言葉の意味、知ってるよね、僕?」「うん!GEEKだろ!(断言して)」「・・・」ーーー
オタクと書かれたTシャツを誇らしげに着たマサチューセッツの少年少女達が集うコンサート。。それは、何とあの日本が誇る、ポップ・デュオ、パパパパ・パフィー!そう、きょうはボストンでPuffy Ami Yumiのコンサートが開かれると聞き、やってきたのだ。チケットは20ドル(2500円前後か)と日本ではありえない安さだし、どんなオーディエンス層が来るのかも気になる。ということでいそいそと会場のSummerville Theaterへ。。
ーJapanese pop-rock duo Puffy AmiYumi may have forged the greatest accord between twentysomething hipsters and sticky-fingered 7-year-olds..(日本のポップデュオ、パフィーは、20代の流行に敏感な若者と、7歳代のやんちゃな子供達との間の溝を見事に埋めた。ーフリーペーパーMetroの記事より)
ーーご存知の通り、パフィーが、アメリカのCartoon Network でPuffyAmiYumiとしてデビューを果たしてからはや1年弱が経った。コンサートの会場を見る限り、彼女達は、「パンクでクールで可愛い日本のロックシンガー」のキャラを見事に確立したようだ。(日本語サイトはここ)
実は、私は実物のパフィー・アニメを見たことはない。しかしウェブサイトを見てみると「こりゃ、プロデュース勝ちですな」と思う。アメリカ人の「サブカル好き、アジア好き、ポップ好き」層の心を見事にくすぐるような、ビジュアル展開。それと連動して、パフィーの英語の歌を売っていくというのが本来の彼らの狙いなんだろうが、うまい。宇多田ヒカルとか、松田聖子とか、真正面から「日本人が、意を決してアメリカのショービズ界の門を叩きます!!」的な変な気負いがないだけ、パフィー、勝ってるよ。。。
今回のショーも、パフィーのそんな「気負いのなさ」がありあり。曲間のトークも、ポケットから紙切れをごそごそと出して「グッドイーブニング、ボストン!ウイアー ハッピー トゥ ビーヒア!」なんてカタカナ英語を並べて観客の3分の2を占めるアメリカ人の子供と若者を沸かせたかと思ったら、「あとは日本語でいいかなー?日本人のみんな、周りに訳したってーー!」とぬるーい(笑)雰囲気がありあり。
おかげで、私も日頃感じている「完璧な英語をしゃべらないといけない」というプレッシャーや気負いから、束の間の開放感を味わった。この気持ち、ヤンキースの松井が大リーグでプレーしているのを見たときとはまた違った気持ち。「ビバ日本人!日本語で堂々といてまえー!」的な同胞感、とでも言うべきか。。
さて、肝心の歌のほうはというと、英語の歌が8割、日本語の歌が2割くらい。「アジアの純真」を日本語で聞いたときはなんだか胸が熱くなった。。「か、帰りたいかも、日本!」なんて思ったりした。
ーー終演後、なんと乗りに任せて裏口でマサチューセッツ「オタク」集団にまじり、「出待ち」をしてしまった。8月とはいえ冷え込み始めた夜風が身に沁みる。
さて、パフィーのバンドメンバーは皆日本から来た面々なのだが、全米ツアーのために全員「洋名」のニックネームをつけて自己紹介していた。これが場内に受けていて、出待ち中のオタクたちも「アミユミでなくても、ボブのサインでもいいんだ」とかくちぐちに言っていた。日本人の名前は比較的難しいので、これはいいアイデアだ。
出待ちする集団の先頭に立っていた少年が、突然シアターの裏出口の壁を抱きしめると「ああーーこの中に亜美ちゃんと由美ちゃんがいるのにい~」と大げさに嘆き始めた。
出待ちするわれわれにむかってセキュリティーのおっさんが「パフィーはEXTREMELY SHYでDON'T SPEAK ENGLISHだから、出てきてもすぐトレイラーに乗って帰る。待っても無駄だ!」と言い放ったのを受けての発言だったが、この少年一体何なんだ!?
「君はどれくらいパフィーが好きなの??」「アニメを見て以来1年位かな、大大ファンなんだよー」サムという人懐こいその少年(写真)は、マサチューセッツ郊外の町からママの車に乗って1時間もかけてパフィーを見にやってきた、「アメリカのオタク」候補。中学生くらいだろうか。「由美ちゃんは大阪出身で、亜美ちゃんは東京なんだ。亜美ちゃんは子供を産んだばかりなんだよね。ふたりのことなら、なんでも知ってるよ。」へえー。これはたまげた。サムくんは、日本では女の子のファーストネームの下に「ちゃん」をつけて呼ぶことや、「ました」「だ」が肯定を意味することなども、知っていた。パフィーがきっかけで、日本文化に目覚めたのだという。そんなサム君を、目を細めながら見守るママもまた、いい人そうだ。「うちの子は日本が好きで好きで。。」だとか。
「いつか東京に住みたい!」こう公言してはばからないサム君を見ていたら、助けてあげたくなった。出てくるかも分からないパフィーを裏口で待つ間、日本語で「Give me an autograph」を何て言うか、教えてあげた。「アミチャン、ユミチャン、サイン クダサーイ!」
そこに、先ほどからわれわれを見ていたナターシャちゃんという中学生の女の子(写真)が、「私も教えて」と加わった。彼女も「パフィー、COOLで大好き。特にアニメの髪型がクール。」と。「学校で、第2外国語をやらなきゃいけないんだけど、選択肢の中にはスペイン語やフランス語やドイツ語しかないの。日本語が選べれば、間違いなく勉強しているのに!」とナターシャ。
こんなに熱烈なティーンエージャー・ファンが45分近くも裏口で待っていたのに、われらがパフィー・アミユミは、サム君やナターシャちゃんの「サイン クダサーイ!」に見向きもせず、一言もしゃべらずに裏口から一目散にヴァンに乗り込んで去っていった。残念。パフィー様、今度マサチューセッツに来たときは、ぜひファンサービスをしてあげてくださいね。。アニメをきっかけに、遠い極東の国日本のポップカルチャーに興味を持ったアメリカ人少年少女たちの夢を、ぜひぜひすくすくと育んであげてほしいものである。
PS・前述のサム君は、パフィー本人達のサインは逃したものの、バンドのメンバーのサインを一つゲット!ほくほくと喜び顔でママの車に乗り込み帰って行きました。
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Tuesday, August 23, 2005
刑事コロンボとキース・リチャーズに生遭遇!セレブな午後。
映画の試写会の招待状が当たった!それも試写会後の舞台挨拶あり。何気なくフリーペーパーを見ていて、応募要項が書いてあったので、「だめもと」でメールで応募したものだ。
映画のタイトルは「Things About My Folks」。主演は渋い「刑事コロンボ」役で日本でもおなじみのピーター・フォークさん。監督兼助演は「ビバリー・ヒルズ・コップ」のエディー・マーフィの同僚役などで知られているポール・ライザーさん。父と息子の心の交流を描いた、派手さはないがよく練られた家族愛ドラマ。ポール・ライザーが監督として、温めていた企画を、主演はこの人しかいない、とピーター・フォークに頼み込んで、映画化が実現した作品だという。インディペンデント映画として制作したため、試写会を含め口コミで上映会場を広げようというPR戦略をとるらしい。
映画のラストシーンにじーんと感動して余韻を楽しんでいるところに、舞台が明るくなってご本人たちが登場。ピーター・フォークはなんと御年78歳(!)ということで、実物はスクリーンよりもすこし「よれて」いたものの、なかなかどうして!冗談を交えて、会場からの止まらない質問に老獪に答えていた。しかしアメリカ人の場内からの質問の内容には、たまに驚かされた。試写会に来ている一般の人々たちだとはわかっていても、そこはアメリカ人。大物俳優に向かって「あんた、すげーよ!感動したよ。インディペンデント映画万歳って感じだぜ」と”ため口感覚、いっぱしの評論家気取り”の発言があったり。こっちがどきどきさせられた。
ハリウッド俳優を拝んだ後は、ローリング・ストーンズだ!本日、フェンウェイ球場でボストン2回目の公演が開催される。こちらの御大ミック・ジャガー様は、62歳。自分の親と同じ年代の人間が、ロックを歌って踊って球場を一杯にするんだから、すごいもんだ。ということで、野次馬根性丸出しで、チケットもないのに会場の前に行ってみることに。
唇におっきなべろ出しの、おなじみのTシャツ姿があちらにもこちらにも。球場前には、ファンがストーンズの「入り」を一目見ようと詰め掛けていた。そこで、私も「詰め掛けて」みた(笑)というわけだ。
柵によりかかって、待つこと30分以上。何も変哲のない青いヴァンが、ボストン警察の白バイに先導されて球場に横付けされたと思ったら、そこにはキース・リチャーズ様が、リハーサルを終え、折り返し輸送されてホテルに帰るために乗りこんだ。ヴァンが再び球場を出るときには、さすがに詰め掛けた人も、私も気がついた。「キース!」悲鳴があがって、人々が車に駆け寄ろうとしたときには、すでに車は出発。でも私は、見た。もじゃもじゃ頭の人影を。本日3人目のセレブリティとの遭遇である。
世界中からのクルーが取材体制を敷いていた。あとでボストン・グローブを読んだら「わざわざ日本から公演を観に来た」というカップルの取材談が載っていた。
夜、再び球場の前を通りかかると、終演と共に球場から花火が打ち上げられ、大興奮の聴衆のアプローズが聞こえてきた。この週末中、ボストンの街にはべろ出しTシャツの人々があふれ、人々は口々にストーンズを見にいったことを自慢げに語っていた。まさに夏の終わりにストーンズ旋風が吹き荒れたようだ。
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「高雅髪廊」る!?~”石井さん”の40ドルマッサージ
「高雅髪廊」る=たかはつ・がろう・る=という言葉が、過去1週間、わが居候先で話題となっていた。たかはつ・がろうとは、英名Le Gala Hair Groupという。ボストン・チャイナタウンにあるチャイニーズ・アメリカンの人々が経営しているヘアサロンの名前。正式には「高雅髪廊」だから、読みは「たかはつ」ではないんだろうけど、この際どうでもいいわい!髪が切りたいんじゃ!という女3人の思いで、「ねえ、いつ「たかはつ・がろう」る?」と日程を調整し、とうとうきょう実現。
つまり、私の居候先の女性達が、髪を切りたいが知らないところに行くのはちょっと心細い、というので私の行きなれているこのサロンに予約をとったというわけ。皆でずんずんとチャイナタウンへ行き、予約どおり順番に髪を切ってもらう。値段も明朗会計。地肌マッサージや、待ち時間の間のお茶サービスなどもあって、2人とも「思い切って来てよかった!」とのことだ。写真は居候先のお子さんのKちゃんが、美容院の片隅でセーラー・ムーンのDVDを見てママのニュー・ヘアスタイルの出来上がりを待つ様子。
ヘア・サロン後、私は「佳達傷科康復中心」=英名Kind Center(どういう翻訳!?)へ。かかりつけの日本人歯医者さんにきいたところでは、ここで日本で言うところの「骨接ぎ」みたいなマッサージが受けられるそうだ。椅子と机しかないシンプルな事務所で、私の知り合いの「石井さん」そっくりの中国人ドクターが、足を診てくれる。今月頭にねんざした右足の治りが遅いので、「これはオリエンタル・メディシンしかない!」と思い込み、東洋の神秘、中国三千年の歴史のなか培われた漢方薬・マッサージによる治療を受けようとやってきたというわけ。
やがて、診察ベッドに横になると、「石井さん」は、私の右足の甲になにやら赤黒い漢方薬酒のような液体を、塗りたくり始めた。「あのー、これは何ですか?」こう聞くと「チャイニーズ・アルコール」とだけ応える石井さん。ああ神秘的。そして、マッサージ。これはすごい!外から見ただけなのに、私の足の痛いところが何故分かるのか、不思議なくらい「ツボ」を押さえている。30分ほど揉み解し、きれいに包帯を巻いてたったの40ドル。包帯はつけっぱなしにして、お風呂に入るときは水にぬらさないようにしないといけないらしい。なんだかそれでも足が軽くなって、ビバ・オリエンタル・メディシン!
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Monday, August 22, 2005
未来占いとカフェと壁画とミニ。
ダウンタウンのおしゃれな洋服屋の店先にて。1ドルで未来占いをしてくれる、きてれつな人形マシーンを発見。さて、大学院卒業後の未来はいかに?
ダウンタウンのイタリアンカフェ。エスプレッソと新鮮なベリーのタルトがおいしい午後。
ニューベリーストリートの有名な壁画は、ボストン出身やボストンに関係したさまざまな著名人を描いたもの。取り壊しの危機にさらされているが、ボストンに壁画数あれど、一番有名な壁画であるといっても過言ではない。
一風変わったグッズやフィギュア、CDやDVDなどを売っているNewbury Comicsでこんなポストカードを見つけた。「Freedom Fried, Million Served」皮肉が利いた文句にマクドナルドの制服姿のブッシュがにかっと猿笑い。
3台のクーパー・ミニがロスの街を疾走する!「Italian Job(邦題ミニミニ大作戦)」をDVDレンタルで鑑賞。粋なアクションの連続と、名優(ドナルド・サザーランドら)たちの演技がきらりと光り、ミニも存分見れて満足。☆3・8つ。
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Sunday, August 21, 2005
ストーンズに始まりストーンズに終わるニュース~初原稿をファイル!
きょうもまた路面電車に乗って進むよインターン先へ。しかしケーブルTV局の最寄駅に到着すると問題が勃発。なんと、タクシーが一台もいない。しかもタクシーがいないどころか、小さな地元タクシーの事務所には人っ子一人いない。どういうこと?・・待つこと20分。やっと帰ってきたタクシーの運ちゃんはこういう。「同僚がストーンズのコンサートにいっちゃったんだよね。だからきょうは俺一人。待たせて悪かったね」なんてこったい。
ということで、きょう日曜日と、火曜日にボストンのフェンウェイ球場でローリング・ストーンズのコンサートが開かれる。「A Bigger Bang」という北米ツアーのキックオフがボストンなのだ。ボストンをツアー最初の場所に選んだ理由について、ストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーはAPにこう語っている。「ボストンはチャンピオンの町だからさ。アメフトのパトリオッツもスーパーボールのチャンピオンだし、野球のレッドソックスも世界一だ。」
↑これを聞いてボストン市民が喜ばないわけはない。当然本日のニュースルームはローリング・ストーンズ一色!スタジオのアンカーマン、ベテランのトムさんが生で中継リポーターにこうフる。
「さて、きょうは待望のローリング・ストーンズのコンサートがまもなく開催です。球場前のクリスティンに聞いてみましょう。クリスティン?」「ハーイ、トム、こちらはもう準備万端です。中には200ドルを払ってチケットを買って今日を迎えた人もいるんです。」
コンサートの映像は冒頭(リハーサル?)だけメディアの撮影が許されたらしく、少々拍子抜け。でも、十分盛り上がりは伝わる。
そんな中、私ははじめてのアサインメントに四苦八苦していた。なんと、ウィークエンド・プロデューサーののイアンが「これ、書いてみる?」と原稿を書かせてくれることになったのだ。
テーマは「原油高で冬の暖房費が去年よりかさみ、生活補助を受けている人のための暖房費はどうなる?」というもの。こうした取材原稿でない、ナショナルニュースの原稿は、AP(Associate Press)通信社の速報端末から元原稿をもらい、それを「読み原稿」に書き換えることでまかなっている。
ーーーーー8月21日(日)6時PMのニュースBブロックの5本目、それが私の書いた「High Heat Bills」という項目の順番。アンカーのトムさんが、感情豊かに私の原稿を読み上げる。
「The summer is still here, but consumers are being warned to be ready for higher heating bills this winter. According to the energy department, natural gas and heating oil prices are up 20 percent or mor from last year......」
オンエア終了後、トムさんに「私のアメリカ初のプロ原稿を読んでくださってありがとう」と告げる。すると「どういたしまして。君は外国人なのになかなかやるね。私が日本語で原稿を書けといわれても、決して書けないさ~」と大げさにおほめの言葉をくださった。うれしい。
トムさんはアンカーなのだが、かなりのベテランのため、放送前にはインターンの私が書いた原稿の推敲・編集もしてくれた。「どれどれ??」見せたときは緊張したが、きちんと言葉遣いを細かいところまで直してくれてありがたかった。小さい局でインターンをすると、こういうところがいい。来週もがんばろ。
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Saturday, August 20, 2005
皇帝ペンギンの大マーチ!~老舗デパート存続の危機
ペン、ペン、ペン!ペンギンがいーっぱい!皇帝ペンギンの子育てを描いた話題のネイチャー・ドキュメンタリー「March of the penguins」(邦題・皇帝ペンギン)を観に映画館へ。昼間だというのに、クーリッジコーナーにある名画座は母と父と子でいっぱい!この映画、日本でもこの夏ヒットしたようであるが、アメリカでもなかなかの話題。アンチ・ハリウッド、アンチ・SFX、のエコ映画。動物の愛にあふれたこの手の映画が消費大国のアメリカ人に分っかるかなー?と思ったけど、少なくともこの日の劇場のマサチューセッツ・リトル・キッズ達は大うけだった。
一緒に見にいった居候先の日本人のお子さん(保育園児)はというと、退屈もせず歓声を上げて終始画面に見入っていた。母ペンギンが天敵のあざらしに食べられそうになると、感情移入するあまりママの胸に顔をうずめて怖がったり。かわいいったら!
アメリカ劇場版では、俳優モーガン・フリーマンの優しいけれど力強いナレーションがぴったりはまっていた。日本語版のウェブサイトはここ。「あれ、もう終わり?」というくらいあっけなく観終わったドキュメンタリーの秀作。まだの人は観るべし。☆4つ。
すがすがしい動物愛を観た後に、物欲に走ってすみません。115年の歴史を誇る老舗デパート、ボストンダウンタウンのランドマークでもあるファイリーンズが、百貨店のメイシーズやブルーミングデールズなどを運営するフェデレーテッド・デパートメント・ストアーズに買収されてしまった。ボストンでは、「ファイリーンズの名前が消える!?」とニュースで大騒ぎ。そんな中、当のファイリーンズで最大75%オフの安売りが開かれると聞き、やってきた。収穫やいかに!?
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Thursday, August 18, 2005
おしゃれ住宅街のファーマーズ・マーケット。
私が1ヶ月だけ住んでいるブルックライン・ビレッジはユダヤ系人口の多いおしゃれ住宅街である。そこから北へ北へ歩いて行くと「ビレッジ」が取れて「ブルックライン」エリアに行き着く。このあたりもヤッピー〈死語)や近郊の大学に通う学生、研究者人口の多い、これまたおしゃれ住宅街。こんな古い教会や、古い家なんかが多いのに、若い人がそれを好んで住み着いているところが、いい。
「ブルックライン」エリアのランドマーク的な交差点で、そこにある路面電車の駅名にもなっている、クーリッジ・コーナー。そこの近くの駐車場を使って6月から10月まで毎週木曜日にファーマーズ・マーケットが開催されていると知りやってきた。パン屋や地元の地鶏の卵、チーズを売る店、野菜全般やハーブなど充実した品揃え。ちょっと割高だが売っているものは新鮮だ。手作りアイスの店でおいしいアイスを食べた。
ケネディ元大統領が通った小学校の校庭でのびのびと遊ぶ子供達を眺める。「成長する子供に目を細める母親」に(心の中では)なりきってみた。現実では貯金生活のしがない大学院生・留学生・求職者でしかない私なのであるが。
それにしても空がいわし雲のような様相を見せ、風が澄み切っている「運動会晴れ」である。小学校の校庭のベンチにこんなに長い間座っていたのは久しぶり。「♪風は秋色」とはこんなことを言うのだろうか。
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Wednesday, August 17, 2005
ミッド・エイジ・クライシスを描いた映画「Broken Flowers」鑑賞
ミッド・エイジ・クライシス、つまり中年男性の経験する「人生抜け殻・脱力感」を描いた映画、「Broken Flowers」を見た。監督はジム・ジャームッシュ、主演は「ロスト・イン・トランスレーション」では東京で「ロスト」していたビル・マーレイ。今回は彼が、「人生そのものにロストした」独身中年男を演じる。
あらすじーー気楽な独身ライフを楽しみながら、どこか空虚な人生を感じている主人公。彼の元にある日届いた1通のピンクの封筒にはこんな衝撃的な手紙が入っていた。「昔あなたに内緒であなたの子供を産みました。いま19歳になる彼に会って欲しいの。」差出人の名前はなし。そこで、昔お付き合いのあった女性の現住所を探し出し、それぞれを尋ね歩いて手紙の送り主を探すためのロードトリップに出る主人公。行く先々で見たものは。。
主人公の心の荒涼感を出すために、季節は低い灰色の雲が垂れ込める晩秋から冬。ビル・マーレイの脱力感が、グレーや紺を基調にした映画画面の色合いとマッチして、どーんよりした感じが良く出ている映画。ただ、結末も物語全体も、暗い。ひたすらNo Way Out〈出口なし!)という感想が後に残った。見終わって、映画のだるーいトーンに感染したかのように、こちらもだるだるに。☆3つ。
映画を見たのは、ブルックラインというボストンの隣町の名画座「Coolidge Corner Theater」あまりにけだるくなったので、一緒に見にいった友人とタイ料理でディナーを食べた後はそそくさと帰宅。
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Tuesday, August 16, 2005
港でピクニックめし!
居候先の家族の皆さんと共に、お弁当を持って港までお出かけ。夕暮れの港はちょっと肌寒い、というか風が冷たい。無料コンサートが開かれるので、それを肴にピクニックめしとしゃれこんで、芝生で夕飯をいただくことに。
会場にはペットのフェレットを連れた人が来ていて、お子様や動物好きの人の質問攻めにあっていた。リーシュをつけて犬のように連れて歩いているところがかわいい。
ということで、きょうは港から投稿を行おう、と思ったのだが、さすがにWiFi天国のアメリカでも、ここまではワイヤレスインターネットの波が来ていなかったので断念。
空が高く、夕焼けの色が秋色だ。秋は、そこまで来ている。
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Monday, August 15, 2005
カート・コベインのラスト48時間「Last Days」はけだるさ全開。
昼下がりのハーバードスクエア、「ハーバードスクエアの二階」という名のレストランでスノッブなランチを。インテリアとロケーションがいいだけで、食事はまあまあだった。
ニルヴァーナ(Nirvana)のボーカルで、猟銃自殺を遂げたカート・コベイン(Kurt Cobain)の死ぬ前の48時間を描いたガス・ヴァン・サント監督のドキュメンタリー映画「Last Days」を見に行く。映画は、少々期待はずれ。とにかくなっがーーーーいカメラ回しと、編集がないんじゃないかっていうくらいのだるいストーリー展開。ワンカットが最低10分なんていう映画、昨今珍しいんじゃないかと思う。しかし、カートを演じた俳優さんのそっくりぶりにはびっくり。しかもカートがのりうつったんじゃないか、と思うくらい魂の入った演技だった。演技じゃないんじゃないか、というくらいジャンキーぶり、堕落しまくりぶりをあますところなくカメラに晒していた。最大の見所は、劇中でカート役のこの俳優さんが歌うシーン。たった1回なのだが、本当に鳥肌が立つほどカートに似た歌声だった。
(←ちなみにこの写真が本物のカート)カートの最後の日々が本当にこうだったのかどうかはわからないが、まるでその場に自分がいて、カートのラスト・デイズを目撃しているかのような錯覚に陥る究極の長回し映画。☆2・5個。(でも、カートファンは必ず見るべし)
なんでも鉄板焼きにしてしまうバーベキューのレストラン「ファイアー・アンド・アイス」でディナー。その後、日本人飲み仲間とハーバード大そばのカレッジ居酒屋に行く。その居酒屋は、何かがおかしいと思ったら、どうもここはゲイの方々の出会いの場所だったらしく。夜が更けるにつれて、次々と男性カップルが出来上がっては、夜のケンブリッジの町に消えていった。そう、忘れかけていたが、ケンブリッジはマサチューセッツ州のゲイ・マリッジの聖地なのであった。
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Sunday, August 14, 2005
礼儀正しいインターン仲間のシャノン、最終日。
きょうは、TV局でのインターン仲間のシャノンちゃんが、めでたくインターン最終日を迎えた。
ボストンのダウンタウンにあるノースイースタン大学のジャーナリズム専攻(4年生)で、カリフォルニア出身。このインターンをやり始めてから、毎週日曜日に駅で待ち合わせし、タクシーをシェアしてきた。車を持っていない私や彼女のような学生は、駅からタクシーに乗るしかここに通う手段がない。
何しろ私のインターン先のTV局は、ダウンタウンから人里離れた郊外の森林の真ん中にある。最寄の地下鉄の駅からタクシーに乗れば20分ほどかかるが、駅はタクシーが常駐しているような大きさではない。駅前には、おばさんが一人で電話をさばいているような地元の小さなタクシー会社の事務所がぽつんと立っているだけ。行きはそこにずかずかと入っていって、「あのー、タクシー一台お願いしたいんですけど。」とお願いしなければ、車にはありつけない。帰りも、何度も念を押して「夜10時にインターンが終わるのでTV局の前に一台お願いしますね」と行きにオーダーを入れておかないといけない。死活問題なのである。
しかし、くだんの彼女、シャノンちゃんがこのタクシー会社のおばさんやおじさんたちといい関係を保ってくれていたおかげで、私はとても助かった。シャノンちゃんは5月からこのタクシーを利用してインターン先に通っていて、タクシードライバーのおじさんたちとも顔見知り。7月から彼女のインターン日に合流した私は、その恩恵にあずかってタクシー会社の「お得意さんリスト」に自然と載らせてもらえたというわけである。
日曜日の頼る人が少ないニュースルームでも、シャノンちゃんがいろいろと教えてくれたおかげで助かったことが多い。その彼女ともきょうでお別れ。残りの夏休みを出身地のサンディエゴでのんびりと過ごすという。来週からは、彼女に代わって私が日曜のニュースルームでたった一人のインターンとなる。週末のアンカーマン、トムさんの隣の「チーフ・インターン席」とでもいう場所に座って、原稿作成のアシストをする。その傍ら原稿も書かせてもらえるというが、果たして大丈夫だろうか。
私の思惑をよそに、最後までシャノンは礼儀正しい学生だった。
「私、きょう最後なんです。これまでありがとう。このタクシーがなかったら、私のインターンは成り立たなかったわ。事務所の皆さんにもよろしく。」タクシーの運ちゃんにこんな挨拶をしている。へえ。見上げたもんだ。いまどきのアメリカ人の若い子にしては、珍しいのではないかと思う。(写真はインターン先のキッチンにあるグルメコーヒーの機械)
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Saturday, August 13, 2005
発音矯正教室とイタリアン祭りとカラオケパーティーを楽しむ盛夏の一日。。
「う・Would」「く・Could」
ハーバード大学そばのカルチュア・センターで開かれた夏期講座「発音矯正ワークショップ」に、参加。発音矯正の博士号を持っているというおばさん先生が、懇切丁寧に教えてくれる。クラスは全員国際色豊かな外国人ばかりなのだが、発音だけが劣るだけで、皆英会話は流ー暢ーだったのが印象的。。
外国人ばかりのグループで勉強すると、なぜかほっとする。いつも大学院や職場(インターン)でアメリカ人ネイティブばかりに囲まれて、冷や汗をかきながら生活をしているせいだろうか。ほっとしがてら、カルチュア・センターに併設されているオープンカフェでブランチ。「ハイライズ」という可愛らしい名前のカフェは、実は築100年以上の歴史ある建物。夏の太陽がさんさんとふりそそいでいるが、吹き抜ける風は爽やか。アメリカの学園都市、ケンブリッジの優雅な昼下がり。
ノースエンドというイタリア人移民の居住区でお祭りがあるときき、やってきた。実はこの地区の路上ではきのうマンホールが爆発するという騒ぎがおきた。原因は電気の配線がショートしたためらしい。近くのレストランやお菓子屋が停電して商売にならない状態に陥った。ボストンならではの、町の不具合。町がアメリカの割には歴史古いせいか、こうした行政の不手際(道路が陥没しちゃったとか、電線がショートしちゃったとか)がしばしばニュースをにぎわすのが、ボストンの特徴。
お祭りは夕方からだった。オイスターバーだって。生もの、しかも海産物を屋台で出すなんて、これも港が近いボストンならではだ。
お祭りで見つけたジョーク看板。イタリア人のみ駐車可能、とのこと。。。。ノースエンドでは、この日のお祭り以外にも、大小さまざまなお祭りが8月になると毎週末のように開かれ、夜な夜な大騒ぎなのである。
ノースエンドといえば、カノーリ!ワッフルの生地に、カスタードクリームをその場で詰める伝統的なイタリアのお菓子。ノースエンドでは、フレッシュなものが楽しめる。
さて、夕方からは学友エリカがフィアンセに買ってもらった新居(!)のハウスウォーミング・パーティにお邪魔。正面玄関には、「裏庭に来てね。」との張り紙が。裏庭には、藤棚があり、噴水まで流れるパーティースペースがある。ああ。同じ学友なのに、何という暮らしぶりの違い。。
しかも、エリカの新居にはこんな「私設パブ」があった!何と以前のオーナーがビール好きで、物置をパブに改造してしまったのだとか。「ケンブリッジ・アンバー・エール」なる生ビールを、エリカのフィアンセ、ジョエブ氏についでもらう。すげーいい雰囲気の家だ。ますますうらやましー!!
猫好きのエリカが、この新居に引っ越すにあたって、猫をもう1匹アドプトしたそうだ。ますますますますうらやましーーーー!
日本のアニメのフィギュアや、キティちゃんが大好きなエリカ。その家に集まったパーティの参加者も、ハーバード大や、MITの在校生や卒業生ばかりなのになぜか皆オタクばかり。パブのビールがおいしくて、酔いにまかせたゲーム大会が始まった。エリカの自慢は日本のプレイステーション2や、ゲームキューブなどのソフトコレクション。まずはダンスダンス・レボリューションで、対決する”マサチューセッツびと”たち。マットも持っているのよね。。引越ししたばかりの新居が、揺れる。。
夜もふけて、やがてカラオケ・ゲーム大会に突入!英語の歌しかないソフトだが、私も参加。このソフト、開発した会社がボストンにあるとかで、キャラクターが歌う背景は、ボストンの街並やボストンの地下鉄の駅が描かれている。
「もう一ラウンド行こうー!」
気がつくと、20人ほどいたパーティの参加者はいつの間にか去り、最後まで残留組の中に入っていた。お調子者の私よ、アーメン。。。
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Friday, August 12, 2005
ボストンに帰郷して思うのは。。
ボストンに帰郷して思うのは、ボストンを愛する人々の愛町心。。メトロポリタン、NYとはそこが違う。
昼頃ボストンのバスターミナルに帰郷。バスを降りて、そのままインターン先のTV局「NECN」に向かう。松葉杖を携えての帰郷。なんだか情けない姿だが、午後からインターンなので仕方ない。インターン先へ松葉杖のまま直行する。
インターン先の手前にあるスターバックスで一休み兼時間つぶしをしようと、立ち寄る。すると、レジのお兄ちゃんに「足、どうしたの?」と尋ねられた。
「NYに遊びに行ったんだけど、道でつまづいて捻挫しちゃったんだ。」
こう言うとそのお兄ちゃんは、すかさず
「そりゃあ可哀想に!NYの野郎!って思わねえ?やっぱりボストンだよ、ニューヨークなんてだめだめ。ボストンが一番!」そうです、そうですとも!見知らぬお兄ちゃんに励まされて、なんだかうれしくなる。帰ってきてよかったボストン。好きですボストン。ニューヨークよりも、どのアメリカ都市よりも。冬は雪で真っ白だし、寒いけど、でもいいの。なんだか落ち着くのよ。この町が。
きょうはインターン先のTV局でも、ニュースディレクターや、プロデューサーが入れ替わり立ち代り松葉杖を見て、
「どうしたの?怪我したの?大丈夫??」
と声をかけてくれた。NYでの体験談を話し、CNNのアンダーソン・クーパーに遭遇した話などをして一通り盛り上がった。帰り道、地下鉄の路面駅のはるか向こう方向から、一筋の光がさしてやがて路面電車がやって来た。路面電車の乗り口に松葉杖でよいしょとよじ登り、帰宅。ボストンに帰ってきて、なんだかほっとした。
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Thursday, August 11, 2005
真夏のNY紀行その3~Soho探訪とミュージカル鑑賞も一転、真夜中のやけ酒と大喧嘩
午前中の感動を胸に、松葉杖でNYを満喫することに。Soho/Chinatown/Little Italy/NoLitaエリアに到着。
チャイナタウンの一角。1ドル札が店中の壁という壁に貼られている恐ろしい中華料理屋を発見。インテリアの趣味とは反対に、味はうまうま。5ドルでお腹一杯。
中華街を抜けると、お隣はリトル・イタリー。駐車料金のメーターもご覧の通りイタリアン・カラーに色分けされている。
Sohoに突入。「Evolution」は店先に人体の骨標本が飾られている一風変わった店。化石標本とか、蝶の標本とか、ライオンの歯(!)とか、がい骨型ビーズとか、変わったものばかりを扱う自然派志向(?)の店。観光客でにぎわっていた。
何と気がつかないうちに地下鉄の駅一つ分を歩いている!松葉杖でゆっくり、ゆっくり。私が頻繁に足を怪我するのは、神様が「ゆっくり生きていいんだよ~」と教えようとしているからのように感じる。さもないと、がしがしすごい勢いで無駄な衝突を繰り返す生き物、それが私だから。。ということで、ソーホーのおしゃれ100%ジュースバーで休憩。ジンジャーと、にんじん、ビーツというものすごい組み合わせの天然ジュースを飲用。町行く人を眺めながら、さっき路上のイタリア移民のおっかさん商人の店で衝動買いしたボタンばかりで出来たネックレスを眺める(写真)。真っ赤なジュースとふかーい青のネックレスが印象的。
アートギャラリーを覗いて回る。アフリカの野生動物ばかりをフィーチャーしたこのギャラリーには、きりんの置物(写真)のほかに、かばや、ひょうの置物が沢山。都会のコンクリートジャングルに居ながら野生心を呼び覚ますアートの数々に感銘。
と、いきなり手作り自然派ソープの店に吸い込まれ、そのナチュラルな香りに引き込まれる。グリーンティーソープなるサンプルをもらい、嬉々とする。タダより嬉しいものはない今日この頃、日々おばさん化している自分を否めない。
とと。パリス・ヒルトンとブッシュ!?不思議なツーショットの広告/アートを発見。すかさず写真を撮り。。
気づいてみればここはソーホーではない。リトル・イタリーの北(ノース)はNorth of Little ItalyをもじってNolita,ノリータと呼ばれる、新しいおしゃれ地区だという。
なになに?911ショップとFireショップだって!?覗いてみようじゃないの。こちら、マニアが作った警察(NYPD)グッズ、消防署(NYFD)グッズの専門店。二つが軒を並べているところがユニーク。
やばいものを発見。NYファイヤーファイター・カレンダーと題して、NYの本物の消防隊員が上半身裸でポーズを取っている。いいのか!?興味を持った方はココをチェキラ!
友人一行と待ち合わせをしようとしているものの、どうも興味の対象がずれてきている。ここはねんざもしたことだし、好きなことをしてNY紀行フィナーレを迎えよう。ということで、タイムズスクエアへ一路戻り、半額チケットブース「チケッツ」でミュージカルのチケットをゲット。
タイムズ・スクエア・ブリューワリーだって。へえー。ということで開演までの時間、NYの地ビールで一杯。私テディの最近の好みはダーク・ビールなので、バドやクアーズといったビールに似たここの薄いビアは、アウト。いまいちでした。
以前から見てみたかった「プロデューサーズ」。す・ば・ら・し・い!!もっと早く見ればよかった。タイトルから連想するような、地味な人間ドラマではありませんよ。派手派手な演出が楽しめる、「これぞブロードウェー」的なミュージカルでした。感動。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
わかっていたのだ。
わかっていたのだ、共に旅行をしている友人達が私に不満を持っていることは。
でもしょせん留学中の私と、日本から一時的に旅行をしてきている友人の間に、外国での物事の対処の仕方に開きが出るのは仕方がないこと。
わかっていたのだ。
でもねんざをして、痛い思いをしても通訳するのは私、旅行の段取りを決めるのは私。日本から来て、何もかもお膳立てされているのに慣れている友人に罪はないのだ。
しかし。
我慢がならなくなった。すれ違いがひどくなっていた。
最終的に肩を押したのは、あるくだらないすれ違い。
私がミュージカルを観終えて、友人達と合流したのは11PMごろ。食事を済ませ、アイリッシュパブで一杯飲みたい彼らと、夕食を食べずにミュージカルを観ていた私の意思疎通がなってなかった。アイリッシュパブに友人達と行ったものの、当然11時すぎれば食べ物オーダーがストップするのがアメリカ。ところが、友人達は私が夕食を食べたものと勘違いしていた。「ご飯食べていないんだけど。」こう主張したつもりが、聞いていない友人達。ところが場内は金曜のため大音量の音楽がかかり、会話どころではない。友人達3人は、私を無視してビールを飲み始めている
冗談じゃない。なぜなの?
はらわたが煮えくり返りそうになりながら、松葉杖でひとり宿に帰ると、ガイドブックをひっつかんで、タクシーに乗った。時間はミッドナイトすぎ。空いているのは、コリアンタウンしかない。空いている店に入り、ビビンバ丼とマッコルリを注文して、やけ酒と決め込んだ。
怒りとお腹のすきが収まってから、宿に帰ると驚いたことに友人達はまだ帰っていなかった。さらに怒りが増した。
ーーーーーーーーーーーーーー
午前2時過ぎ。今回の旅行を企画した親友のMが部屋に帰ってきた。MのほかはMの会社の同僚2人が同行していて、彼らと私は知り合って日が浅い。ここは親友のMと絶交をしてでも、自分の気持ちを伝えなければ意味がない。
そこで深夜の大激突がおきた。
「どうして私がお腹をすかしているの、わからないわけ?」
「え?夕飯なんてテディとっくに食べたのかと思ってたよ。」
ひどい誤解である。
「それに何が不満なの。どうしてねんざした私にそんなに冷たいの。こっちは足が折れてるかもしれなくて、大変な想いをしたのに。」
Mからは意外な答えが帰ってきた。
「だって、そんなに大変そうに見えなかったんだもん。われわれがシップを買って帰ってきてみると、テディはマクドナルドで知らないおばさんと話してるし(確かにあまりに気が動転してそこにいるアメリカ人につい離しかけてしまった)、NYUのERに行ったときも、誰の助けもいらなそうだった。私は、われわれの買い物の時間を介抱に割かれたように思って、カチンときたよ。」
はあ?自分がそんな風に見られているとは心外、意外もはなはだしかったし、悲しくなってきた。
Mとは大学1年の時からの知り合いで、もう10年以上も一緒につるんでいる。同じ射手座O型のラテン系女として、気の会う数少ないマブダチなのに。
「私がそんな風に大変に見えなかったんなら、心外だよ。私は大変なときに平気そうにふるまう癖があるんだよ。それが分からないからって、そんな言い方はないんじゃない。」
「そっちこそ。助けて欲しいならどうして素直に”助けて欲しい”って言えないの?私以外に誰がテディを助けるの?」
「Mがそんなに私のこと、わからないんなら、もうNYくんだりだけど絶交するよ。」と私。
「どうしてそんなこと言うの!そんなことするわけないじゃない!10年来の親友なのに、私達!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここには書かないが、もっといろいろなぶつかり合いがあった。でも最後はマンハッタンの片隅のホテルで、女2人泣きながら、友情の存続を確認した。それにしても、NY。10年以上前に同じくMと旅行したときにも、バックパックの置き引きにあっている私である。鬼門、なのであろうか?
「次に一緒に旅行するときは、NYはやめようね」そんなことをMと話し合った。
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図らずも、いろいろあった真夏のNY紀行。
翌朝泣き腫らした目をまぶしい朝日にさらしながらも、すがすがしい気持ちでマンハッタンを一人バスで後にした。友人3人はその後飛行機で日本へ帰国。
4時間あまりのバス旅のあと、インターン勤務が待ち受けるボストンに戻る。今はひたすらボストンが恋しい。
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CNNのイケメンアンカー、Anderson Cooperに大・大遭遇!
8月11日。悪夢のようなきのうから一夜明け、右足のねんざの腫れも少々引いた。そこで起き上がって、観光ツアーのアポイントなどを入れてしまうのが、私の悪いいいところ。昔(6年前の交通事故)取った杵柄で、松葉杖づかいには非常に慣れている。歩道に松葉杖で下り立つと、アスファルトの照り返しが暑い。クーラーの効いたイエローキャブでひた走り向かうは、セントラルパークのすぐ脇にそびえたつシルバー色の超インテリジェント・ビル。。
そう、ここはあのタイム・ワーナーの本社ビル「タイム・ワーナーセンター」。04年2月に建築完成。下層階はブランドショップのアーケード、上層階はタイムワーナーの傘下企業のオフィスビル(およそ1700名のグループ社員が勤務)。そのほかにも、高級ホテルやレストランで構成されているマンハッタンの新しい名所と言えよう。
きょうここへ来たのは他でもない。CNNのNYスタジオツアーに参加するため。元TVディレクター、大学院でジャーナリズムを専攻している上に、自称メディアオタクの私。CNNのNYスタジオで放映されているあの番組の裏側を見、あの大好きなアンカーに会えないかな、と思ったからこのツアーに参加した。そのアンカーの名前とは・・・
・・・アンダーソン・クーパー!グレーヘアーがトレードマークの若きCNNプライムタイム・アンカーは38歳。(髪の毛の色は、若白髪もとい地毛なのだ。)まずは、”グレイハウンド犬”みたいなシャープかつキュートな見た目に惹かれ。彼がアンカーを務める午後7:00-の1時間番組「Anderson Cooper 360°」を見始め。そのシャープな語り口と、時に驚くほど感情をあらわにするアンカーぶりにほれ込み。。気がつけば立派なアンダーソン・ファン!そしてきょう、前日のねんざもER初体験も松葉杖もなんのその、こうしてミーハーメディア好きが昂じてここまでやってきたのである。
一口メモ・ところでアンダーソンが出ていた日本でCNNjのTV-CMを覚えている人はいる?数年前、片言の日本語で「CNNアンカーノ、アンダーソン・クーパー デッス!」とがんばっていたよね。。
「松葉杖ですか、オー、NYに観光に来たのにねんざとは!アイムソーリー!!!ハンディキャップを持つツアー参加者にはエレベーターを特別に許可しているんですよ。早速手配しますから。」
ツアー窓口のお姉さんが、大げさに私のねんざを取り扱ってくれたとき、私はまだその後に待ち受けている幸運に気づいていなかった。
CNN・NYスタジオツアー、それは通常なら階段を使うもの。ところが特別に警備員を一人余計に配置して、社員用のエレベーターを使わせてくれたのだ。
ツアーはアメリカのケーブルTVの歴史、CNNの立ち上げの歴史や、スタジオセット体験を含むメディアオタクにはたまらない内容。ニュースルームには入れてもらえないものの、ガラス張りの吹き抜け部分から、働く従業員の姿を覗くことができる。ニュースギャザラーと呼ばれるスタッフとライターの、何と数の多いことか!途中女性アンカーの一人にすれ違う。さすがにボストンの地方局とは洗練度が違う。
写真は禁止なものの、「ポーラ・ザーン・ナウ」のスタジオ、「ラリー・キングライブ」のスタジオなどを見学し、念願の「Anderson Cooper 360°」のスタジオにも潜入!ここでガイドのお姉さんに
「アンダーソンのデスクはどこ?何時ごろ出社するんですか?」などとミーハー心全開で聞いてみた。
「そうねえ。アンダーソンのデスクはニュースルームの中の右端、個室なのよ。ここから見てみましょう。きょうはまだ来ていないみたいね。いつも7時からのショーに備えて、昼ごろ出社するのよ。」ふーん。まだいないのか。残念。そう思った矢先だった。
「あら、アンダーソンのことを話していたら、アンダーソンが居るわ。あなた、ラッキーよ。あそこ、エレベーターホールのすみっこよ。」
ほ、本物だ!!!ダーッシュ!まさか松葉杖2本でこんなに早く走れるとは、という位の速さで、タイム・ワーナーのばかでかい黒人の警備員を視界の片隅にしょいながら、私は駆け寄った。
「あ、あんだーそん!初めまして。ふぁ、ファンですだーー!!」間近で見る本物のアンダーソンは、細身に長身、爬虫類っぽい(失礼)面白い生き物(またまた失礼)という印象だった。サングラスを頭にかけ、スターバックスのコーヒーを手に持って、出勤途中というご様子。TVで見るのと同じ、グレーヘア。好奇心たっぷりの青い目が私を興味深そうに見ている。。そりゃあ、突然廊下で謎の松葉杖アジア人女にダッシュで呼び止められたら、誰でも驚くだろう。でも、彼は本当にスイートだった。
「ぼ、ボストン大学院で放送ジャーナリズムを勉強しとります。その前は、東京で経済チャンネルのディレクターをやってたです!いつか、アンダーソンと仕事がしたいですう!」
自分でも後で驚くくらい、押しが強かった私。。そんな私をアンちゃん(笑)は優しく「そうなんだー。」と微笑み全開(笑うと写真のように垂れ目になる)で、ひたすらうんうんと聞いてくれ、「僕のファンとは、光栄だよ。トウキョウには行ったこと、ないんだよねー。行ってみたいなあ」と。。サインをねだってみると、快くさらさらと、このような感動的なメッセージをくださった。後で読んでみて、胸が一杯になった。。実物のアンダーソンは「隙のない気取ったジャーナリスト」というより、「隙だらけの優しいあんちゃん」という印象だった。つい最近までCNNの彼のバイオには「ゲイであることをオープンにしている」と書かれていた(のちに削除)。そう、いまだに定かではないが、彼は米メインストリーム・メディア業界において唯一のゲイ・アンカーとささやかれている人物なのである。でも、そんなところも人間臭くて私は好き。アンちゃんのジャーナリストとしての能力や人気を傷つけるものではない。
彼、実は名門バンダービルト家のお坊ちゃまだったり、実兄が23歳で自殺を遂げていたり、エール大学を卒業したものの就職が決まらなかったり、ベトナムに留学経験があったり、ABCの記者時代に人気が出て、リアリティーショーを司会したり。波乱バンジョーの人生を送り今に至る。アンダーソンの経歴についてもっと知りたい人はココ。(彼はこの後にハリケーン・カタリーナのヒューマンな取材で、一躍時の人となるのである。これについてはまた後で9月の投稿で書くことにする・・)
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2ショットで写真を撮ってもらい、サインを胸に感激が収まらない私。タイム・ワーナービルの廊下を文字通り松葉杖でホップステップジャンプせんばかりで、他の観光客にも「見てください。私、さっきアンダーソンと会ったんです!」と自慢する有様。
ガイドのお姉さんも、「あなた、ラッキーよ!でも、松葉杖でここに来なかったら、エレベーターを使わなかったから、アンダーソンにはきっと会えなかったはずよ。」などと言う。「そうですよね。もしかしたら、このねんざもアンダーソンに会うため!?」と私も調子に乗り放題。
その後ガイドさんのおススメどおり、「参加者の声」アンケートに感激の声を書いて投稿。併設のCNNショップでお土産など買って、ツアーを満喫、終了したのであった。このツアー、大人15ドルだが参加者もそれほど多くなく、ゆっくりと楽しめてメディアオタク・ミーハーの観光客におすすめ。CNNの回し者ではないが、詳細はココ。これであなたもアンダーソンに会えるかも!?
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Wednesday, August 10, 2005
真夏のNY紀行その2~悲劇はハーレムツアー直後に発生・ER初体験のいきさつとは。。
8月10日朝9時、朝の直射日光を浴びながら、ニューヨーク・ダウンタウン43丁目を西へ向かってダッシュする。暑い。汗がすぐに毛穴という毛穴から噴き出す。宿泊先のホテルからタクシーに乗ったものの、そこは通勤時間帯のマンハッタン、渋滞に巻き込まれ思うように動かない。7thアベニューと8thアベニューの途中で車を降りる、私たちはハーレム・ゴスペル・ツアーのバス出発所まで、網突進した。このツアーの後、恐ろしい悲劇に襲われるとも知らずに。。
ハーレム・スピリチュアル社という老舗の観光ツアー業者が開いているこのツアー、「地球の歩き方」にも掲載されている。観光バスでがーっと風情を無視してハーレムに乗り付けるもので、身の安全をと少々の冒険をトレードオフした観光客向けのツアー。ハーレムの教会で観光客向けに特別に開催されるゴスペルの合唱を聞くのが目玉。
ツアーでは本来ならパンフによると昼のゴスペル鑑賞の前に、「アポロシアター(言わずと知れたNYハーレムのランドマーク)」に連れて行ってくれるはずなのだが、改装中のため。。
なぜか「アレクサンダー・ハミルトン将軍の邸宅跡」に到着。なぜかハーレムの端っこにぽつんと建っている「アメリカ建国の父の一人」の元邸宅跡は、ひどくハーレムの町並みと不釣合い。ハミルトンは、コロンビア大学の前身であるキングス・カレッジの卒業のため、ここに住居を構えていた。
ようやくゴスペル教会に到着。教会の入り口にはマルコムXの肖像が飾られている。お世辞にも綺麗とはいえないし、建物が古くてエアコンディショナーも効かず扇風機が片隅でごうごうと回っている。
しかし2階席に着いてみると、広い教会はすでに多国籍な観光客で満席。赤いそろいのガウンをまとい、歌うは「ARCゴスペルクワイヤー」の面々。ARCとは「Addicts Rehabilitation Center」の略。つまり、合唱団の面々は正真正銘の元麻薬中毒患者(!)。中毒からの再起をかけ、貧しさからの再起をかけ、力いっぱい表情豊かに体を揺り動かしながら歌う。年齢も性別もまちまちなアマチュアの歌声なのに、なぜか胸を打つ。クリスチャンでもないのに教会文化にはかなり造詣の深い私でも、素晴らしいものを見た、と心から思えた。以前日本のバラエティ番組で、和田アキ子がこの教会に来たのを視た。クワイアのメンバーと共に歌を歌い涙を流していたなあ。じかに歌声を聴いて見て、その気持ちがよくわかった。
ハーレムの目抜き通りを通り、バスがマンハッタンの44丁目に帰り着いたのは、昼1時過ぎだった。そのとき、悲劇は起きた。バスガイドと運転手に感謝の言葉を告げ、バスを降り立った時だった。
「あっ!」マンハッタンの小汚い路上がぐらっと反転した。違った。思い切りバスのステップから2歩ほどの路上にあった凹凸にけつまづいたのだった。どかーっと、情けないくらい転んだ。すぐに友人達が助け起してくれ、私は車道から、歩道へ助け出された。ところがだった。「あ、歩けない!」右のくるぶしだった。左に思いっきり無理な力がかかって曲がってしまった。力を入れようとしても、入らない。「こ、骨折!?」こんな想いがとっさによぎったのは、まもなく血圧降下のような不快感と吐き気が襲ってきたから。友人達に湿布(売っているのか?)を買いに行ってもらい、そのまま近くのマクドナルドにかけこむ。頭があげられないほど吐き気がする。右の足の甲を怪我しただけなのに。。嫌な予感がする。みるみるうちに右足が腫れて来た。
しかしである。友人達は、私がこんなにも大変なことになっていることに、気がついていないようだ。のん気に次の買い物の算段などをしている。それに、彼らはきょう航空会社から届くはずの、取り違えられたスーツケースのことで頭が一杯なのだった。それにしても、なぜ分かってもらえないのだろう。そんな不安と不快感で一杯になりながら、片足歩行でタクシーに乗り込む。ホテルへ一度全員で帰ることにした。大変なことになった、ただそう思いながら。
「最寄の救急病院はどこですか?」ホテルのフロントでこう尋ねる。ねんざだ、ただのねんざなんだ、と心に言い聞かせながらも、不安感が拭えない。レントゲンを撮りたい。英語でどう言うんだっけ?エックス・レイ?ねんざはアンクル・スプレインでいいんだっけ?だいたいこの右足のくるぶしという部位の訳は「ankle」で正しいのか??
ホテルマンと友人に助けてもらいながら、ホテルの車椅子を駆使して何とか再度タクシーに乗り込む。ニューヨーク大学(NYU)メディカルセンターに向かう。NYUのブロードキャスト学科、大学院の受験で失敗したんだよな、など、どうでもいいことが頭によぎる。。
ああ、どうか折れていませんように!ER(救命救急処置室)の入り口をくぐった私を待っていたのは、まずは「トリアージ(とりあえず、じゃないですよ。第一次救急処置のこと)」の看護士だった。彼女に大体の症状を告げると、次は窓口で係員に対応。やけに詳細な「Inquiry」つまり患者の身元確認書の書類手続きをする。
名前や性別、年齢や住所といったことだけでなく、「宗教は?」「保険のプロバイダーは?」といったことを聞くのがいかにもアメリカ的だ。最後に「ここで受ける治療の結果には全て同意します」という旨の同意書に署名をしてようやく終わり。そのころには猛烈な尿意に耐え切れなくなり、友人に車椅子をトイレまで押してもらった。ショック状態にある人間とは、実にさまざまな生体反応をするものなのだ。
やがて、私はバーコードと私の名前・年齢を記したリストバンドを発行してもらった。これで晴れてNYUのERの患者?号となってしまった。
ERのドアには、態度だけはいかついけれど頼りにならなそうなセキュリティ・ガイが待機して空威張りしている。「テディ?」やがてそのドアが開くと、白衣をまとった”ドク”が私を手招きした。ドラマ「ER」で言うとジョージ・クルーニーみたいなポジションの偉い医師なのか?他の医者(インターン)が青い術着をまとっているのに対し、彼だけがスーツ姿に白衣をはためかせていた。そのときの私には、まさに救い主、であった。
私のくるぶしを診てくれたのは、ジョージ・クリスティンソンという北欧系の整った顔立ちのお医者さん。やがて彼が首をかしげながら、こう言った。
「うーん。捻挫だと思うんだけれど、じゃあ念のためレントゲン、とってみようか」レントゲンの順番を、車椅子に乗ってERの廊下/入り口で待った。20分ほどだろうか。待つ間にいろいろな患者が送り込まれてきた。ドラマで見るような、血まみれ・瀕死の人は幸いにもいなかったけれど、いろいろな人種とさまざまな症状の人が送り込まれてきた。中でも東欧系のやせた若い女性が、点滴を受けているシーン(胃痙攣でも起こしたのだろうか?)。さらに、ヤングアダルトのカップルで彼女のほうが、何が起きたのか、廊下でひたすら泣いていたのが印象に残っている。
「テディ、さんですね?」レントゲンの番がやってきた。車椅子でERの奥に進むうちに、入り口で見たよりももっとさまざまな人種、状態の患者を見た。ここはあの9・11で崩壊したワールド・トレード・センターにもほど近い。9.11のときはどんなに大変だったのだろう。そう思うと胸が痛んだ。と同時に自分の足の痛みのことを、すっかり忘れている自分に気が付いた!病院に来て、きちんと診断を受けているんだという安心感からだろうか。
6年前、交通事故にあって東京のある大学病院の救急処置室にかつぎ込まれたことがある。右膝の関節をばきばきに割る「非開放複雑骨折」で、非常な激痛だった。そのときは救急処置室に入るなり、ショック症状(血圧降下)に陥った。何かと怪我が多い人生を送っている、私テディ、である。態度のでかい見た目よりも、意外とおっちょこちょいでもろいのが私の性格なのだからしかたない。
「だいじょうぶ、でしたよ。折れてません。単なるねんざですね」
ありがとうジョージ!(=NYUのERドク)ありがとうNYU!このご恩(?)は一生忘れません。痛み止めをもらい、晴れてホテルに帰れることになった。しかし、右足にはぐるぐる巻きの包帯、両手に松葉杖の痛々しい姿である。
と、開放感のあまり調子に乗って友人Mに、こんな写真を撮らせたのがよくなかった。一難去ってまた一難。次の日、10年来の友情の存続を賭けた友人Mとの大喧嘩が勃発。しかし、悪いことだけではない。この足のおかげで、長年の憧れのあの有名人に偶然会えたのである。(この続きは「真夏のNY紀行3」で。。)
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Tuesday, August 09, 2005
真夏のNY紀行その1~Pジェニングス追悼~ぶらぶら街巡り
夏休み真っ盛り。5月から夏休みをとっているので実感が湧かないが、9月には大学院の新学期がはじまるのだ。そう思うと遊ばずにはいられない。日本から遊びに来ている友人達と共にNYへやってきた。やはり都会だ(爆)。ごみごみしていて、汚くて、人が沢山いる。写真はタイムズスクエアでスパイダーマンに遭遇した時のもの。
ABCのNYスタジオ前にて。7日にABCのプライムタイムニュース「World News Tonight」のアンカーを27年務めていたピーター・ジェニングス氏が亡くなり、メディア界を越えて一般の視聴者にも広く衝撃を与えた。享年67才だった。
4月、ジェニングス氏は、このNYスタジオから、ややかすれ声で最後のメッセージを放送した。肺がんにかかっていることと、しばし番組を離れることを報告する録画メッセージだったが、視聴者に多大な衝撃を与えるものだった。そして、4ヶ月後のまさかの死去。驚いた。日本でもフジTVの逸見政孝アナウンサーが亡くなった時は衝撃が走ったが、そのときと似ているといえよう。この日のABCプライムタイムニュースではジェニングス氏を惜しむ声や、煙草がもたらす肺がんのハイリスクについて(ジェニングス氏はヘビースモーカーだった)のリポートを放映していた。折りしもスモーカーではないのに、肺がんになった俳優故クリストファー・リーヴ氏(スーパーマン)の奥さんの話題もニュースとなり、この日のニュースは肺がんの話で一杯に。
また来てしまった「トランプ・タワー」。今回はドナルド・トランプのノベルティグッズショップを見つけ、友人一行と共にミーハー気分でお土産購入。写真はトランプのトランプ(笑)。私はトランプ・ウォーターなるミネラルウォーターを見つけ、即効買い(爆笑)。
セントラル・パークの入り口にはなぜか黄色いカートゥーンの象がいた。可愛いけど、なんでだろ?ところで、きょうは飛行機でボストンーNY間を移動した友人一行の荷物が取り違えられ、出てこないというハプニングに見舞われた。(私は一人陸路をバスで移動し、NYで友人達と落ち合ったのである。)そこで、友人一向は荷物がないままに今日一日を過ごさねばならない羽目になってしまった。アーメンである。
バーニーズ・NYのハイソ(死語)なディスプレーに目を奪われたり、町をぶらぶら歩き。久しぶりに日本から来た友達と一緒にいると、視点が少し日本人とずれてきている自分に気づいたりして。この後、夜はグリーク・ディナーで大騒ぎ。はしゃいでいた。次の日に自分を襲う不幸も知らずに。。(「NY紀行その2」につづく。)
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Monday, August 08, 2005
ボストン一日観光モデルコース!?
きょうは友人一行をボストン一日観光モデルコース(!?)へと案内する予定だったが、朝一にまずは買い物に時間を費やす。次に訪れる土地、ニューヨークシティで買い物をすると高い税金を払わなければならないことに気づいたからだ。午後からは、ボストンの観光客なら必ず乗る「Duck Tour」を体験。各車でキャラクター異なるドライバーが乗車中、弾丸トークで名所案内をするのがウリ。われわれのドライバーはアメフトの選手になりきった「エース・バンテージ」というおっさん。胸元のバンテージ(ばんそうこう)がチャームポイント。
昼食は、定番(?)のハーバード大学わき、ユニークな名前のバーガーを出す店で。マサチューセッツももうすぐお別れなので、私は知事の名前がついたバーガーを注文。友人たちも思い思いの有名人の名前バーガーで楽しむ。
ハーバード大学正門(?)どこが正門かがわからないのがハーバード。しかし、友人たちにスノッブなハーバード大生たちの姿を見せることができた。
しめは行きつけのシーフードレストラン「アンソニーズ・ピア4」でロブスターなど。港にとっぷりと日が暮れるころ、われわれのおなかも満腹に。
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Sunday, August 07, 2005
港でブランチ~米自転車レース熱~世にも不幸せな。。
日本から来た友人達と港近くのお洒落レストラン「Rustic Kitchen」でブランチ。ヘルシーメニューをテラスで食する。
午後からはインターンが入っている。インターン先のNECN(ニューイングランドケーブルニュース)では、きょうは局をあげて「PMC-pan massachusetts challenge(マサチューセッツ横断自転車チャレンジ)」というスポーツイベントを中継している。特番の合い間にいつもの通常ニュースをはさむ、いわゆる「特別編成」の一日である。このイベントは、一般の参加者が、2日がかりでマサチューセッツ中部からケープコッドの突端のプロビンスタウンまで自転車で走破するもの。がん研究のための基金を集めるために、募金をしつつ合計189マイルを走りきるという夏の恒例イベント。NECNは公式スポンサーでもあるので、特番を大々的に組んでいるのだ。今年はがんを克服した走者を含む4000人が参加した。
近頃アメリカでは、がんを克服し、ツール・ド・フランスで7度目の優勝を果たしたランス・アームストロング選手の活躍が大々的にマスコミでフィーチャーされていた。よって、巷には腕にアームストロングによるがん基金「LIVESTRONG」の黄色いブレスをした「にわかサイクリスト」が日々増えつつあったところなので、こんな自転車イベントには参加者がわんさかと詰め掛けるわけである。日本で言うと、「24時間TV・愛は地球を救う」みたいなイベントに、自転車レース部門があって、一般の自転車乗りが殺到していると思ってもらえればいい。
NECNのジェネラル・アサインメント・リポーターのスコット・ヤント記者もケープコッドからラフなポロシャツ姿でリポート。小児がんを克服してこのレースに参加している地元の有名な自転車少年について、ヒューマン・ストーリーを伝えていた。(写真)
映画「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語(Lemony Snicket's a Series of Unfortunate Events)」をDVDで観る。ジム・キャリーが本領発揮して演じるキャラクターが面白すぎ。3人の子供達がひたすら可愛く、みずみずしい。物語の語り手であるレモニー・スニケットの声は、意外なイケメン英国俳優があてている。これは、「不思議ワールド」が大好きな人必見の映画。☆4つ。
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Saturday, August 06, 2005
日本から友人一行が到着。
日本から友人一行がやって来る。きょうは喜び勇んで、ボストン・ローガン空港に一行を迎えに行く。きょうからボストン→NYCと共に行動をする。
まずはボストンの地ビールで一杯。時差ぼけも何のその、われわれはその後もアイリッシュパブをはしごし、夜のボストンを酒と共に楽しんだ。
そんな友人たちから、日本からのお土産をもらったが、こちらもまた酒である!アメリカではほとんど売られていないのが、焼酎。日本から取り寄せるしか、入手方法はなかったのだが、奄美の黒糖焼酎など2種をいただいた。ありがたい。ちびちびと飲むことにしよう。ちなみに黒糖焼酎は甘いわけではなく、黒糖で磨かれたすきっとした風味が魅力。味わったことのない方には、ぜひお勧めしたい。就寝前にロックでやるのが私流の楽しみ方。。おやすみなさい。。
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Friday, August 05, 2005
NBアウトレットと洒落たパスタレストラン。
NB,ニューバランスのファクトリー・アウトレットが近くにあるのを知り、ずっと行ってみたいと思っていた。とうとう実現し、スニーカーやスポーツTシャツの投売りに嬉々とする。
このファクトリー・アウトレットがあるのは、ボストンの隣町のオールストンというところ。もちろんアウトレットはニューバランス本社の付属施設。ボストンにはこのように知られざる大企業の本社が数多く存在するのだ。
昼は、Brookline Villageというちょっと「自由が丘」っぽい引越し先の近くのレストラン・アーケードの中から、ひとつチョイス。店構えとかわいい店名「ポモドーロ」に引かれて入店したところ、内装も非常に素敵だった。手作りパスタが美味で、オリーブオイルのきいた本格的イタリアンが楽しめる。店内も静かで◎。
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「人間の感情」をテーマにしたアートを鑑賞。
きょうは一風変わったテーマのアート無料展示会に来ている。テーマは「人間の感情」。まずは赤ちゃんの「泣く」という感情を描いたコンテンポラリー・アートから。
次は、恋愛をテーマにしたけだるい作品。ベッドに横たわる女を背にして、煙草をくゆらす男性。濃厚な時間が流れている大人の一作。
次はJFKの奥さんで、トレンド・セッターでもあったジャクリーン・オナシスをフィーチャーしたアンディー・ウォーホールの作品「Nine Jackies」。ジャッキーの笑顔と、JFKのお葬式の際の悲しみの顔を9つコラージュしたポップなもの。
これはちょっとシリアスなもの。レイプされる女性を思い起こさせる「女性の叫び声」という恐ろしいビデオ。暗闇に浮かび上がる泥に汚れた半裸の女性のビデオで、女性の「恐れ」を表現したそうだ。
安心しきった二人の表情に、愛情が感じられるこの作品は二人の「ゲイ・ガイ」を描いた珍しいもの。これを見ると、ゲイ・ピープルにはもはや異性間の恋愛を超えた深い何か、があるのかもと思わざるを得ない。
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Thursday, August 04, 2005
今度は無料ロミオ&ジュリエット野外劇鑑賞だ!
よく晴れた朝、私は自転車に乗って、ボストン郊外へひた走っていた。ジャマイカに行ったわけではないが、ジャマイカ・ポンドという名前のついた池を通り過ぎ、びゅんびゅん愛車を飛ばす。
ジャマイカ・プレインというボストンの郊外は、ラテン系移民の多いことで知られており、ご覧のような壁画がそこかしこに見受けられる。さまざまなナショナリティーの移民が、モザイクのように居住区を形成し、ボストンという街が出来上がっているといえる。
きょうのお目当ては、この野外劇。今度は無料ロミオ&ジュリエット野外劇鑑賞と来たもんだ。先日のハムレット無料鑑賞に味をしめて自転車を50分あまりも飛ばしてやってきた。
なんと無料のポップコーンとレモネードが配布されているではないか。さっそくいただきながら、真昼間の野外演劇鑑賞としゃれこむ。
ロミオもジュリエットも青年劇団からオーディションを勝ち抜いた若手俳優たちがみずみずしく演じている。観客は主にこの地区の地元民。子供も多く、ちょっと集中力に欠ける観客達だったけれど、劇は楽しめた。おまけに、終わった後にアンケートを提出したら、Tシャツが当たった。もうけもの。
今日の会場、実は「ボストン自然センター」というだだっぴろい野草・野生小動物保護地区/公園である。演劇後、草花の咲き乱れる広大な庭園を散歩した。そよそよと風が吹き、人っ子一人いない真夏の午後。庭園の向こうには、ボストンの濃いラテンコミュニティー。不思議な時間を過ごした。
帰り道、ちゃりんこを駆使して、先日この地区を訪れたときに発見したキューバ料理店へ行こうとして、その店が閉店していることに気がついた。愕然とした。しかもボストン警察のテープが張られているではないか。なんとこの店、つい最近放火事件の被害にあって閉店に追い込まれたとのこと。けが人は出なかったそうだが、地元の人々に親しまれていたレストランにこんなひどいことをする犯人が許せない。
仕方ないので、Purple Cactusつまり紫のサボテンという可愛い名前のブリトーの店で昼食を食べることにした。なかなかヘルシーでおいしい。真夏の午後、文化的かつ刺激的なひとりの時間であった。さ、「ちゃりちゃり」っと自転車に乗って帰宅することにしよう。。
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Wednesday, August 03, 2005
優雅ランチ・日本から逆輸入シュークリームゲット・ピクニックディナーの食い道楽な一日。
よく晴れた空に映える金のドーム、これは怪しい宗教の本山ではなく、マサチューセッツ州議会議事堂。
議事堂の最寄り駅といえば、「パーク・ストリート」。このパークストリート9番地にあるファンシーなレストラン、その名も「No.9Park」は前から攻略してみたかったボストンのグルメスポットだ。
女性シェフの演出する繊細なフレンチと黄金の州議会議事堂を望むこの立地。昼間からコンサバなワンピースにパールなどをお召しになったハウスワイフたちが、優雅にランチをしている。彼女達がデスパレートかどうかは分からないが、(cf;ドラマ「Desperate housewives」)私と友人の目の前に運ばれてきたどの一皿一皿もかなりこってりと旨いなり。
食後、友人のリクエストで日本からの逆輸入シュークリーム店「Beard Papa」ボストン店へ。数日前に新装オープンしたばかりだとか。
大阪出身の日本のシュークリーム屋さんが、ニューヨークに初海外出店したところ、行列ができるほどの好評であったため、出店規模を拡大しているようだ。まさかボストンくんだりで日本と同じシュークリームが食べられるとは思わなかった。ちなみに運営母体は店名とは関係ない「麦の穂」という会社。日本では97年に「ビアード・パパ」としてシュークリーム事業を展開し、アジアに270のフランチャイズ、年商330億円を誇るという。
いかんいかん。さっきシュークリームを買ったばかりなのに、ファーマーズマーケットに寄り道。ラズベリーとブルーベリーの色鮮やかさに思わず衝動買い。ヨーグルトに入れて食べようっと。
本日の締めは、ホストファミリーの皆さん+お友達一家でピクニック・ディナー!近くの公園で、デキシージャズの野外生演奏があり、近所の人々が集まっていた。写真はピクニック・ごはんに一心不乱にぱくつくキッズ達。
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Tuesday, August 02, 2005
ボストンコモンで夕暮れの無料シェークスピア劇を楽しむ。
ボストンコモン(ボストン市の真ん中にある公園)で夏の夕方に無料でシェークスピアの「ハムレット」が見れるらしい。こんな噂を前から聞いていたが、それは本当だった。きょう午後8時を目指して、引越し先の日本人ファミリーの皆さんと公園に駆けつけてみたら、こんなにたくさんの人、人、人!
このハムレット劇、ワン・センター・フォー・パフォーミング・アーツというボストンの芸術・文化保護団体が傘下に持つ、夏だけの特設劇団「コモンウェルス・シェークスピア・カンパニー」が20夜連続で演じるもの。場所は完全な屋外、公園の芝生広場に巨大な2階建てのステージを組み上げ、そこで行う野外ショーである。
公演がはじまるころには、夏の夕暮れの涼しい風が吹き始めた。と、そこに青や赤のおどろおどろしい照明と共に、ハムレットの父の幽霊が現れる。屋外演劇ってどうなんだろう、と思ったけど見物客の秩序も正しく、舞台効果も抜群。公園にはトルーパーが居て、アルコールの持ち込みは禁止されているため、人々は純粋に演劇を折り目正しく楽しみに来ている。それに、暮れ始めた屋外に、照明効果がばっちりとシンクロしてなかなかいい。日本だとこんな屋外のイベントには、生ビール屋とか、おつまみ屋とかの屋台が出ちゃうんだろうけど、それも当然なし。それも食べ物のテントはホットドッグやポップを売るたったの2つだけ。アメリカ人たちは、もちろん地べたに座らない「椅子命!」文化の人々なので、マイ・デッキ・チェアーを持参して、無料の演劇に見入っている。
しかしご存知のようにハムレットは3時間の超ロング作品なのであった。夜11時までは集中力が持たないので、途中で暗闇の中を退散して地下鉄に乗った。引越し1日目の夏のお出かけだった。
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Monday, August 01, 2005
引越しエレジーvol.3(格付け・C-)~さようなら大学院生寮
8月1日、きょうは約1年住んだ大学院生寮の最終退去日だ。まずはリースをしていた家具を業者が引き取りに来るのを待つ。ベッド、テーブルなどの家具がなくなると、部屋ががらんどうに。
いよいよさようならである。大学院生寮はその番地をとって、通称「580(ファイブ・エイティー)」と呼ばれていた。われわれが第一期入居者である新築の寮だった。100年以上たった古い物件が多いボストンでは大変稀な物件だった。ちょっと味気ない内装だったが、エレベーターは広くて高速だし、壁が厚いから近隣の音がもれてこないし、バスルームはホテルのように広いしなかなか気に入っていた。
ところで、きょうの引越し。最後まで残っていた身の回りのものや食品などを運ぶだけなものの、もうタクシーを使ったりするお金がないので、ちゃりんこで運搬作業をすることに決めた。わが愛車「カブキ」号で引越し先まで荷物を運ぶ。片道15分程度なものの、炊飯器やなべをリュックに入れしょいこんで交通量の多い車道を走るのはしんどかった。よって、きょうの引越しの格付けはC-。もう荷物はないと思っていたのに、結局3往復もする羽目になって自分の「物持ちのよさ」にあきれた。そうです私は、「ザ・荷物の多い女」。
荷物を運び終わったのは日暮れ間近。引越し先で過ごす初めての夜、深夜に激しい雷雨が1時間ほども続いた。まるで爆弾のようだった。あまりの稲光のすごさに、引越し先のホストファミリーのかたがたと、思わず窓の外に見入ってしまったほどだ。なにはともあれ、引越しは完了した。あすから1ヶ月間、このボストン郊外の日本人ファミリーのおうちで間借り居そうろう生活を送る。
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Sunday, July 31, 2005
マニー・ラミレスがそんなに大事!?なきょうのニュースルーム。
アメリカのTVニュースの現場で、それぞれのニュース項目に与えられる「呼び名」のことを Slug(スラグ)という。きょうのニューイングランド・ケーブルニュース、夕方ニュースのトップ4項目のスラグを見てみよう。まずはPM5時台から。
「5PM Manny Details」「5PM Manny Reaction」「5PM Shuttle Problem」「5PM Soldiers Killed」...
では6時台は?
「6PM Manny Latest」「6PM Manny Reaction」「6PM London more arrests」「6PM Iraq more vioence」
5時も6時もトップ2つの項目を占める「マニー」とはボストン・レッド・ソックスの主砲選手、マニー・ラミレス選手のこと。ニューヨーク・メッツへの移籍話が持ち上がり、球団同士の交渉期限が本日午後8時と迫っているため、ニューイングランド地元ニュースを流す私のインターン先、NECNでは毎時間ごとに最新情報を流した、というわけ。
8時になって、移籍が白紙に戻り、レッドソックスの人気選手であるマニーがチームにとどまることが発表されると、さらにニュース項目はマニーだらけに。
「10PM Manny Staying(マニー残留)」
「10PM Reaction to Manny(マニー残留へのファンの反応)」
「10PM Manny earlier(きょう午前のマニー)」
「10PM Deadline Day(マニー移籍交渉締め切りの日をふりかえって)」
「マニーはもういいよ!」なインターンの一日だった。でもマニーならぬ、マネーなら欲しいなあ、なんちゃんて(爆・おやじギャグ御免)。。
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Saturday, July 30, 2005
引越しエレジーvol.2(格付け・B+)
大学院寮完全退去まであと2日。写真は病院のような、わが大学院生寮の無機質な廊下。きょうも手作業で引越しをしている。ワゴンタクシーを呼び、同じ大学院寮に住む日本人の「飲み友達」に手伝ってもらった。ワゴンタクシーの運ちゃんが、「俺は道を指図されるのはいやだ」と無意味に強情だったほかは、友人の手助けもあり、うまくいった。格付け・B+とする。ああ早く終わらせたい。引越しはつらいよ。
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Friday, July 29, 2005
プロンプターのミスであやうくNG
緑のトンネルをくぐりぬけ、ボストン郊外のインターン先へ向かう路面電車、通称「T」(写真)。ローカルTV局のニュースルームで働くのもだんだん慣れてきた。私の働く午後から夜にかけての時間帯には3人もインターンがいるのだが、1時間おきに番組があるのでそれぞれ結構忙しい。3人でそれぞれ分担の番組を決めて、プロデューサーのお手伝いをすることにしている。
私がインターン先で出会ったNECNのスコット・ヤント記者を紹介しよう。先日の金曜日、コントロールルームが大混乱だったことを書いたが、そのときスタジオにいたのが彼。普段は記者が本業なのだが、先週の金曜日は夏休みをとっていたアンカーの代役をしていた。そのときは彼が普段は記者であることに気がつかなかったほど、堂に入ったアンカーぶりだった。一記者が、アナウンサーの代役をする。こんなことは日本のTV局ではあまりない。しかし、アメリカのTV局では、記者はアンカーと同じくらいの力量を持った「しゃべれる」人たちばかり。記者とはいえ、ライブで中継を行うことが、日本のTVに比べて格段に多いので、アドリブに近い状態で生放送に対応できない人は、記者にはなれないのである。
さて、このスコットさん、「怒られたら怖そうだな」と思った第一印象は全く間違いで、実は気さくな方。元空軍に所属していた異色の経歴を持つ一方で、趣味はエレキギター演奏・ハーレーダビッドソンに乗ること。
「日本語知ってるよ。ありがとう、だろ、こんにちは、だろ、さようなら、だろ。。」
生番組の放送後に自己紹介をしたら、さらにいろいろな取材の体験談をしてくださった。ニューイングランド・ケーブル・ニュースでの彼の担当は、「ジェネラル・アサインメント」つまりなんでも屋だ。スペースシャトル「コロンビア」の事故からJFKジュニアの飛行機遭難、サダムフセインの身柄確保から、レーガン元大統領の葬儀まで、幅広くリポートを行ってきたベテランである。「日本のTV局のカバレージを見たことがあるが、ずいぶん画面の切り替えがゆっくりだった、という印象を持ったよ。」そうなんです。1秒半単位でかちゃかちゃ映像を切り替える傾向が強いアメリカのTVに比べたら、日本のTVニュースはなんとゆっくりで、オーガナイズされて映ることか。。
さて、きょうはわたしのプロンプターの操作ミスで、危うくNGを出しそうになってしまった。しかも生放送中の出来事である。午後6時のニュースのプロデューサーが、私にB記者のリポートの頭の部分が「スクリプト」としてプロンプターに載っている事を知らせなかったことから、この悲劇が起きた。
6時のニュースの真ん中に入っていたB記者のリポート、頭の部分のセリフはたいていプロンプターに書いていないことが多いので、私はB記者のコメントの前でプロンプターの操作を停めて、次の原稿を探していた。ない。そこで、異常に気づいた。画面に映ったB記者が原稿をあわてて探している。コントロール・ルーム内でディレクターや、プロデューサーがすごい勢いであわて始めた。
「プロンプター回して!今すぐ!」あ?私だ!私のミスだ!やばい。あわててプロンプターを回し始めたときには、プロンプターの原稿が読めなくて焦っているスタジオのB記者の顔が、2カメに数秒間以上映し出されてしまった。あちゃー。。ごめんなさい。
でもインターンは責任がない。プロデューサーが私の代わりにすぐにB記者の耳のイヤホンに「プロンプターの件、ごめんなさい。」と謝りを入れた。B記者が、1日かかって取材したリポートの紹介部分が、私のせいで失敗に終わってしまった。悪いことをしてしまった。ぼーっとしていたわけではないのだが、これからは留学生とはいえ、インターンとはいえ、よく原稿を見てプロンプターを回そうと思う。それだけ責任のあることを任されているのだから。
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Thursday, July 28, 2005
引越しエレジーvol.1(格付け・A)
来週の月曜日、8月1日が1年の間苦楽を共にした(?)この寮の退去日。(写真は窓からの眺め)きょうはまだ木曜日なのだが、週末にインターンが入っているので、それを避けて大半の荷物を引っ越し先に運ぶことにした。引越し先は地下鉄の駅で数駅郊外に向かった地点にある。比較的近くとはいえ、いくらなんでも車がないと引越しは厳しい。ただお金がないので、引越しサービスとかを頼むのは嫌だった。
そこで、持つべきものは友!車を持っている同級生で、ボストンに残って夏をすごしているビッキーさんに手助けを頼むことにした。16人いる大学院の放送ジャーナリズムの同級生はこの夏、その大半がアメリカ各地にちらばって、さまざまな地方TV局で出稼ぎ(インターン)をしているのである。モンタナ、ミズーリ、ミネソタ、カリフォルニア、ニューヨークと見事にボストンを離れていて、ボストンに残ってインターンをしているのは私やビッキーを含め数人だけだ。ーーその彼女もボストンのアパートの契約が切れるとかで、自身ボストン近郊の親戚の家に引越しをしたばかり。それなのに私の引越しのアシストを快く引き受けてくれたうえに、一緒になって大学寮からの重い荷物の運び出しまで手伝ってくれた。うう。この恩は一生忘れまい。
女2人、彼女の愛車「スバル・フォレスター」に荷物を積み込み、地図を片手に引越し先へ往復すること2回。夕暮れが訪れてきたころにとりあえず作業終了。比較的涼しい日だったため助かったものの、首や肩、腰・膝が痛い。
そこで、ねぎらいの意味をこめて、いきつけのスポーツ・パブで1杯。夏限定のウォーターメロン・ドラフトなる、珍しい「すいかビール」を注文して昼間出て行った水分を補給。すいかの風味がする不思議なビールだ。ビッキーさんには車を出してもらったお礼にこの店の定番のおつまみ、「ナチョス」や「エンチラーダス」をおごる。この引越し、まだ身の回りの荷物が残っているので最終的にはタクシーなどで運び出さないとならない。ビッキーさんの車が贅沢に使え、ビッキーさんという強力な助っ人がついているのはきょうだけ。だから、きょうの引越しは「格付けA」である。荷造りがこの世で一番苦手なTeddyの”引越しエレジー”はまだまだ続く。。
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Monday, July 25, 2005
チャールズ・ストリート探索とジャズ生演奏を楽しむ月曜日。
ということで、7月と8月は週末にTV局でインターンをして、平日にフリーという不思議な生活をすることになった。毎週月曜日にはいさんで遊びに繰り出すことにしている。きょうは州議会議事堂の裏にあるチャールズストリートへ。おしゃれなショッピングストリートで、こぢんまりとした名店が多い。「Figs(いちじく)」という名前の店はトッド・イングリッシュという有名シェフの店。
生ハムといちじくのピザなどを注文する。パリッとした薄い生地に新鮮な具材が乗っていてかなりうまい。生ハムの塩分と、いちじくの渋い甘さがたまらない。やみつきになるおいしさ。
創作チョコレート菓子の店を発見。アイスチョコレートドリンクは、このままで1食分になるんじゃないかというくらいのボリュームとこく。
夜、以前も行った夜景のきれいな「Top of the hub」へ。知人の知人がジャズのトリオとして生演奏をするときき、やってきた。
ワインがすすむすすむ!しかも知人の知人のそのまた知人がアルコールをおごってくれたりして、ますますいい気分に。久しぶりにぐるぐる頭が回りながら、帰宅。
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Sunday, July 24, 2005
インターン3日目。
いつも乗る地下鉄の路線が工事中だとかで、代替のシャトルバスに乗らないとならないという。バスに乗るのでたった数駅しかない距離を移動するのにも、すごい時間がかかる。しかしそのおかげで、いつもは見れない角度からお気に入りの教会を見ることができた。青い空との対比が美しい。
日曜日のニュースルームは、平日の3分の1以下の従業員しか勤務していないうえ、放送番組の回数も少なく先日のような大混乱はなかった。まさに「凪ぎ」の日といえる。アンカーが次々入れ替わる平日の番組構成と違って、週末の午後の放送は全てベテラン男性アンカーの、トム・エリスさん一人でオンエアを担当していることがわかった。
インターン先のキッチンにはグルメ・コーヒーの機械があり、50セントを払えば30種類以上のフレーバーから好きな本格コーヒーが飲める。休憩時間のお気に入りになりそうだ。きょうはヘーゼルナッツ・フレーバーコーヒーをチョイスする。
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Saturday, July 23, 2005
「○○○のオリガミ」とは?ーかなりunusualなショーを観る
お父さん、お母さん、ごめんなさい。。
・・両親に謝りたくなるような内容の、とあるショーを見にいってしまった。ある日ボストンのダウンタウンを歩いていて、街に貼られていたポスターを目にして以来、好奇心に勝てなくて。。
一体どんなショーを観たのか?
ポルノでもないし、ストリップでもない。。れっきとした、公然とした舞台である。しかも1996年の初演以来世界13カ国で上演されている知る人ぞ知る国際的なヒット作。ボストンのサウスエンドにある小劇場で1ヶ月のあいだ、上演されると聞き、チケットを取ってみた。
舞台の内容について、ヒントは3つ。
1.人形劇、のようなものである。
2.人形使いは皆男性
3.客席は、20代~50代の女性が8割、ゲイの男性が1.5割、ノーマル男性が0.5割
さらにヒント。英国の新聞「THE GUARDIAN」紙は、この舞台をこう評している。
"charming extraordinary DON'T TRY THIS AT HOME!"
どんと・とらい・アット・ホーム??そう、この舞台を見に来た男性は、決してこれを家で真似しないほうがいい。。
えいっ!この写真でどんな舞台かわかったでしょう。公演のタイトルは「Puppetry of P○○○○」(○の中は写真を見てください)。キャッチフレーズは、「生殖器のオリガミ」。つまり。。。
昔から、パブなどで酔客を相手に行われていた下ネタであるという男性の「一発芸」が、舞台になった!つまりはこの「人形劇」、派手な黄金のマントだけをまとった全裸の男性(人形使い)が2人登場し、観客席を埋め尽くす150人ほどの客の視線に臆することなく、その男性器を用いて「ハンバーガー」「エリマキトカゲ」「ホットドッグ」「象」「きりん」「ヨット」などといったものを表現してくれる、というもの!きえ~。す、すごいものを見に来てしまったもんだ。人形使いの2人組みは、それぞれの都市でオーディションを勝ち抜いてきた、精鋭の「芸人」たち。全裸にも臆せず、軽妙なマイクトークをはさみながら、もくもくと20ほどの「折り紙」を披露してくれた。
お下劣?でも観客席の女性客達は、大ウケで、涙が出るほどバカ笑いし、野次をとばしては楽しんでいた。結婚を1週間後に控えた花嫁候補さんと、その独身女性仲間のグループも見に来ていた。
男性にとって「女性のストリップ」があるように、その逆バージョン(一応、芸術)でこれはこれでいいんじゃないか。以前NYでフル・モンティ・オフ・ブロードウェー劇を見たことを書いたが、そのときのことを思い出した。男性が美しい女性のグラビアを見て楽しむように、女性むけのこんなエンターテインメントがあってもいいではないか。(別に男性の全裸や、アソコを使った一芸が、とりたてて見たいわけではないけどね。)日本ではおそらく実現しないと思うケド。。
ところでこの人形使い劇、いくら家で真似しないでといっても無理かも。だって、終演後に劇場のグッズ販売コーナーでは、「折り紙」の仕方をつづったマニュアル本を売っているのだ。驚いた。そのほかにも、舞台の記念Tシャツも売られていた。そそこにはアルファベットが一文字だけつづられていた。それは、ほかならぬ、「P」であった。この舞台鑑賞、いい人生経験となったです、はい。ちなみに公式ウェブサイトは、ここ。※←このサイト、職場でこのブログを見ている人は、こっそりウィンドウを小さくして開けたほうがいいです。写真がばーんとキますので。。
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Friday, July 22, 2005
地元TV局でのインターン2日目はPやDが「ののしりながらオンエア」
TV局・特に生放送のニュース番組の現場での仕事は、「釣り」に似ている。凪いだ海のように平穏で何もない日もあれば、大しけの海のように大荒れの日もあるのだ。どんな海になるかは、その日になるまで誰も分からない。どんな海の状態でも、確実にその日の獲物を獲得して港に帰りつかないとならない。
その「釣り=生放送」を遂行するのが、漁船ならぬコントロール・ルーム、つまり日本の業界用語でいうところの、「サブ(調整室)」である。ちなみに調整室とは、「TVスタジオの真裏に設置されている小部屋のことで、スクリーンがたくさん設置されており、プロデューサーやディレクターやテクニカルディレクター、音声さんなどが座って、スタジオ番組のカメラやグラフィックなど、画面の切り替えを操作する場所」のこと。写真がボストン近郊にある地元TV局「NECN」のコントロール・ルームである。大変小さいが、これで24時間ニューイングランド地区向けの生(一部再放送)のニュース配信を行っていると思えば大変効率よく設計されたサブであろう。
きょうはインターン2日目であるが、べたべたに凪いでいた1日目とは違って、トラブル続出の大荒れのコントロール・ルームを体験することとなった。
きのうブッシュ大統領に指名された最高裁の新しい判事候補、ジョン・ロバーツ氏についてのニュースについて、NECNのプロデューサー達が毎回毎回放送の時間ぎりぎりまで原稿の内容を書き換えようとしていた。それがコントロール・ルームの混乱を引き起こしたようだ。日本と違って、こちらのTV局は全てプロデューサー達がパソコンに向かって打ち込む原稿がそのまま、デジタルプロンプターとなってニュースアンカーの読む原稿となるので、ぎりぎりでも、それこそオンエア中でも、次のニュース項目をダイレクトにパソコンに向かって書き替えられるのである。
特に私がアシスタントを担当した午後9時のニュース番組は、怒号が飛び交うコントロール・ルームとなった。
「原稿が違うよ!ガッデム!」
「次のニュース項目、ビデオまだ入ってないよ!どうなってんだ!」
放送中だというのに、プロデューサーがコントロールルームでがんがん電話をかける。記者の携帯電話に電話をかけているらしい。20人ほどいる記者たちには、それぞれきょうのアサインメント(取材項目)が割り当てられている。締め切りである放送時間までに、彼らの編集済みのビデオがコントロールルームの端末にデジタル化されて入力されていなければならないのだが、そのビデオが放送時間があと2分と迫っているのにもかかわらず、まだ入っていないらしいのだ。
「A-3 is DEAD」何?何が死んだのか?おお、次のニュース項目であるA-3という番号のついたニュースを、「落とし」(省略)することにしたらしい。ペースが速すぎて、何が起きているかついていけない。
さらに、きのうボストン地域を襲った雷のせいで、近郊の町から生中継を行うはずの記者を映し出す中継車のカメラの回線が切れるというトラブルも発生。
「記者の○○と中継がつながらない。どうして!?」「回線が切れたんだ」「何かニュースを差し替えよう」
か、書いてます。隣でプロデューサーがすごい勢いでパソコンのキーボードをタイプしたかと思うと、スタジオでニュースを読んでいるアンカーマンのイヤホンにつながるボタンをばしっと押し、
「プロンプターに新しい原稿入ったから、これ読んで!」
そのプロンプターをアンカーマンの読む速度にあわせて動かしているのは、ほかでもないインターンである私である。今はまだ、アンカーマンがどこを読んでいるのか、追いつくだけでも精一杯である。(だって、ネイティブスピードのEnglishなんですもの。)でも私がちょっと気を抜いて、プロンプターの操作がもたつくと、画面に出ているアンカーマンに影響を及ぼしかねないし、NGだって出しかねないのだ。緊張。しかも今日のようにプロデューサーやディレクターがFのつく英語や、Sのつく英語を連発しまくっている怒号の飛ぶ状態では、ますます緊張が増す。このコントロール・ルームでのインターン、果たして生き残れるのか!?
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Thursday, July 21, 2005
ジョニー・デップが秀逸!映画「Charlie and the Chocolate Factory」
「チャーリーとチョコレート工場」という邦題になるのだろうか、封切りされたばかりの映画「Charlie and the chocolate factory」を見にいく。
(あらすじ)世界の誰もが食べている「ワンカ・チョコレート」。その板チョコのパッケージの下に、金色の当たりチケットが入っていれば、フル・オートメーション化されたワンカの工場ツアーに参加できることになり、世界中から5人のラッキーな子供達が集まった。彼らが工場で見たものは。。
ティム・バートンの描く「おとぎの国のチョコレート工場」が素晴らしく、ワンシーン、ワンシーンがわくわくの連続だった。ジョニー・デップがコスプレにメークアップ姿で演じる、謎のチョコレート工場主“ウィリー・ワンカ”が最高。謎のキャラクター「ウンパー・ルンパー」には、腹を抱えて笑った。J・デップファン、ティム・バートン監督ファンはもちろんのこと、家族みんなで楽しめる必見の一作。☆5つ。日本語ウェブサイトはここ。
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Wednesday, July 20, 2005
重い腰をあげ、パッキング開始!
去年の8月18日に入居してはやalmost1年。住みなれたボストン大学・大学院生寮も今月末でリースが切れるため、7.31をもって退出しなければならないのだ。私が多分この世でもっとも嫌いなこと、それはパッキング。今月末までにインターンをやりながら、この部屋の荷物を全てまとめ、隣町にある友人宅にとりあえず引っ越すことにした。退去日まであと10日ほどあるとはいえ、外出の予定も間に入っているし、私の性格からしてそんなに簡単に引越しが進むとは思えない。で、おもむろに前倒しでパッキングを始めた。これが取り崩す前の部屋の「現状保存」の状態での写真。パッキングがはじまって、めためたになる前に写真に撮って残しておこうと思って。。てへ。さあ、とにかく段ボールに荷物をつめよう!あまり気乗りがしないけれど。
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Tuesday, July 19, 2005
環境NGOのために、ボランティア募集の告知CMを制作。
ボストン市とケンブリッジ市の間を流れる川、チャールズ・リバーの川掃除について、大学の宿題として取材したことは以前書いた。川の水資源を守る環境団体がボランティアを組織し、毎年1回川掃除をして水質のクオリティアップを目指しているのだ。このチャールズリバー、以前は全米でも汚い川として知られていた。この川掃除のおかげか、徐々にその水質は改善されつつある。今年4月の川掃除イベントの際、主催者の環境団体、CRWA=チャールズ・リバー・ウオーターシェッド・アソシエーションの環境問題活動家、アナ・エレリアさんにインタビュー取材をした。宿題のためである。宿題とはいえ、私は毎回出来上がったビデオリポートを取材先に送るようにしているのだが、出来上がった取材テープを見たアナさんが感動してこう連絡を下さった。「あなたの作ったビデオ、素晴らしかった。テディさんにぜひ来年のボランティア告知のTV-CMを作ってもらいたいの。」なんとCMプロデュースのオファーである。あなうれしや。
このTVCM、地元のTV局での放映を想定しており、尺(VTRの長さのこと)は30秒程度だという。CRWAでは、ボランティア募集の告知CMを以前から作りたかったが、どこに頼んだらいいかわからなかったとのことだ。しかしそれほど予算もないそうなので、私のようなブロードキャストの大学院生に、ローコストですばやくCMを作成してもらうのが、一番楽そうだと踏んだらしい。テープ代などの実費は払ってくれるとはいえ、謝礼はCRWAのノベルティTシャツだけ。名誉あるCM作成オファーとはいえ、とどのつまりは無給のボランティア、である。とほほ。(写真は05年のボランティアたち)
TV局でのインターンの前に大学の編集室でアナと待ち合わせをする。アナはインドネシア系アメリカ人で、日焼けした肌に黒髪・小柄な美人だ。4月に彼女のロングインタビューをしたのでそれを7秒ほど使用し、その他に川掃除ボランティアが活動しているシーンを5カットほど選んで、30秒のビデオをあらかじめ作っておいた。アナにそれを見せると、かなり気に入ったようだ。
CMのスクリプト(ナレーション台本)はあらかじめ原案を作り、アナにメールで送っておいた。クライアントがあるビデオ制作は、とにかく制作側と、クライアント側とのコンセンサスが大事。ベースとなるビデオが気に入られたので、後はナレーションをアナの声でボイスオーバー(ナレーション録り)すればいいだけだ。
30秒のビデオの冒頭には、「ボランティアがごみを拾えば、チャールズリバーはもっときれいになります!」というテロップメッセージを入れた。さらにアナの声で「今年は、あなたの出番です。あなたの手で、チャールズリバーをきれいにしましょう。お問い合わせは、CRWAウエブサイト、www.crwa.orgまで!」というナレーションをかぶせる。
ニュースリポートと違って、CMなので短いとはいえ印象に残るようにテロップのエフェクトなども工夫してみた。さらに、アナのリクエストでBGMとしてスタンデルスの「Dirty Water」という曲を入れた。この曲、こんな歌詞(抜粋)である。
Yeah, down by the river down by the banks of the river Charles.
That's where you'll find me along with lovers, fuggers, and thieves
Well I love that dirty water.
But I'm wishin' and a-hopin, oh
That just once those doors weren't locked.
Well I love that dirty water
Oh, Boston, you're my home.
スタンデルスは60年代の“ガレージバンド”で「ダーティ・ウォーター」はボストンレッドソックスの勝利ソングとしても知られている。「あの汚い水(チャールズ・リバーのこと)が好きなのさ。ボストン、われらがホーム!」という歌詞がいい。
アナは環境問題の活動家で、タフツ大学の環境学修士号を持っているインテリ女性。しかしなかなかどうして、ナレーションをやらせるとなかなか張りのある声でうまい。大学の編集室で、マイクに向かって数十秒のナレーションを読んでもらったが1回目は少し暗すぎてNG。「TVのナレーションは、不自然なくらい明るいのがいいんですよね。もう1回やりましょうか?」ときちんと駄目出しもさせてもらい、無事終了。
出来上がったCMは、来年の2月ころからボストンの地元ケーブル、地上波局を対象に放映されるそうだ。オンエアが見たいなあ。たった30秒、ソニーのデジタルビデオカメラ(DVC)で撮影して、ファイナルカットプロというコンシューマー・プロダクツのソフトで作った「手作り」CMだが、まるで自分の子供のように愛おしい。。
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Sunday, July 17, 2005
美術館とデザートと野外音楽とすし。
日曜日。DCに住む知人にボストンを案内する。イサベラ・ステュアート美術館は以前も訪れた大好きな場所。その後ケーキとコーヒーで一服など。写真はボストン・チョコレート・ケーキという名前の可愛い一皿。
市の中心部ボストンコモンではボストン・ランドマーク・オーケストラという夏だけ登場する野外演奏専門のオーケストラの、無料演奏を聴く。なんと黒人奴隷解放をテーマにした詩の朗読と、オーケストラのコラボレーションという珍しいもの。芝生に座って、しばし芸術を楽しむ。
「スシ・エキスプレス」はボストン郊外にある知る人ぞ知る旨い店。日本と変わらぬ握りや巻物がおなか一杯食べられて、リーズナブルな値段。テークアウトで。
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Saturday, July 16, 2005
ヤンキース戦で日光浴!?
昨晩の深夜までの飲み会もなんのその。本日はワシントンDCからボストンを訪れている知人と共に、メジャーリーグ観戦へ。因縁の対決、ボストンレッドソックス対NYヤンキースである。試合の行われるフェンウェイ球場はうちの真裏なので、サンダルをつっかける感覚で「ちょっとそこまで」とMLBの試合を観に出かけられる。
午後1時のデーゲーム。球場は満員。もちろん、地元の熱いRedSoxファン達である。どうしてここまで熱くなれるのか、というくらい熱烈にレッドソックスを愛している人たちだ。
「ブリーチャー」と呼ばれる球場の真正面、守備で言うとセンター真裏の外野席につく。空が青く、かんかん照りの太陽が照りつける。この日はほぼ無風状態。とにかく暑い。野球を観にきて、日光浴をしているようなものだ。まさにデーゲームならでは、といえる。
真後ろに座っている「熱烈な地元ファンのおじさんたち」が、騒がしい。応援をしながらも「暑くてやってられねえぜ」「アイスが食いてえな」と汗をふきふきぼやいている。振り返ってみると、球場のいすからはみ出そうに肥えていらっしゃるのだから、暑いのも無理も無い。おじさんの一人は、水が散布できる「レッドソックス携帯ミニ扇風機」を持っていて、周囲3mの人々に「涼」を振りまいていた。私と私の知人もその恩恵に預かって、たまに「スプリンクラー」よろしく水を顔に浴びさせてもらった。「涼しーい!サンキュー!」このおじさん、後に立ち上がったと思ったら両手を大きく頭の上に振り上げて、「おーい、アイス屋!箱ごと買うぞ~!」と球場のアイスの売り子を呼び寄せていた。なんだかほほえましい風景だった。右の写真がそのおじさん。
試合はあまり調子のよろしくないわれらが松井秀喜の活躍はそれほど見られなかったものの、NYヤンキースの勝ちで終わり。試合の終盤、もう勝てないとわかっていても、レッドソックスが都合悪くなると、ボストンのファン達は伝統の「Yankees sucks!(ヤンキース最低)」というヤジを繰り返していた。こんどレッドソックスーヤンキース戦が観れるのはいつになるだろうか。
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Friday, July 15, 2005
地元TV局でのインターン始まる~夜遊びナイト!
きょうからボストン地元TV局「ニューイングランド・ケーブルネットワーク・ニュース」、通称「NECN」でのインターンが始まった。午後2時から夜10時まで、ニュースルーム(取材センター)や生放送のコントロールルーム(日本語ではサブ、または調整室)でアシスタントとして働く。緊張の初日を迎えた。
地下鉄で郊外へ向かい、さらにそこからバスに15分ほど揺られ、バス停から丘やゴルフコース(!)の端っこを30分ほども歩いてようやく到着する。日本のイメージだと、TV局は都会にあるもの、と相場が決まっているがアメリカのTV局はあきれるくらい郊外にあるところが多い。なぜなんだろうか。NECNも、まるで森の中に建っている倉庫のようだ。インターンとはいえ、デスクをひとつ貸してもらう。1時間おき、プライムタイムだと30分おきに生放送のニュースがあるので、ニュースルームではプロデューサー達が一心不乱にPCに向かって原稿を打ち込んでいて、私はそのPCからダイレクトにつながったデジタル・プロンプターの操作を担当し、慣れてくれば原稿も書かせてもらえるという。がんばろう。インターンは8月末まで2ヶ月弱続くがもちろん無給である(泣)。そのかわりに大学院生にとってはお金よりありがたい、「単位」がもらえるというわけである。
緊張の職場初日のあとはNYからボストンを訪問中の知人ほかと夜遊びに繰り出す。近所の日本食屋「MALUKEN」はウィークエンドになると「カラオケバー」に早代わりする。この日は野球チームレッドソックスと宿敵NYヤンキースの試合があり、ソックスが大勝したこともあって、店は大騒ぎする地元ファンでごった返していたが、その中に異色の仮装集団がいた。右の写真がそれ。なんでも、30歳を迎えた女の子の誕生日を祝うバースデーパーティーの一団で、「30歳」というイメージからおばあちゃんの仮装をしよう、ということになったのだとか。
ところがこの店、日本食とカラオケ。。居心地がいいはずなのに、ぜんぜんよくない。海外のカラオケは、ボックスではなく、スナック形式。つまり、オープン・ステージ形式でオーディエンス参加型のパフォーマンスなのである。アメリカ人のカラオケは、とにかくうるさい!マイクを複数人数で握り、音痴でもかまわず、楽しければいい、大声を出して発散したい、という感じ。この夜、店は50人あまりの客でごった返していて、うるさくて会話も出来ない。
で、店を変えた。チャイナタウンにある「アポロ」は遠征のときにNYヤンキースの松井選手も訪れるという深夜営業の焼肉の店。夜遊び続きで少々疲れてきたが、まだまだ!
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Thursday, July 14, 2005
のりがパリッとした寿司が食べられる店、その名も。。
。。Noriです、ノリ!ボストン郊外にある寿司屋で、前から気になっていた店!青いひさしが爽やかな店構え。早速中に入ってみましょう。
オーダーした寿司は、どれもパリッとしたのりが効いていて、絶品。アメリカ人はどういうわけか黒い食べ物に少々恐れがあるようで、巻物の海苔はたいがい中に巻いてあり、外側はごはんの白い部分が見えているというものが多い。この店もそうした「逆巻き」が多いのだが、それでもココの海苔はなぜかパリッと、フレッシュでおいしかった。アメリカでフレッシュなノリが食べられるなんて、珍しいコトだ。写真は、ハマチのにぎりにマヨソースをかけた、題して「ハマチ・マッドネス」と、ウニロール。どちらも絶品でした。
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Wednesday, July 13, 2005
”ハブシティ”ボストンの夜景
「エンジン33・ラダー15」。ボストンのダウンタウン、バークリー音楽院のそばにあるのがこのボストン消防署の分署。ボストンに戻ってまいりました。なんと消防署もレンガ造りなのだ。
ボストンのキャッチフレーズは「ビーンタウン」などもあるが「ハブシティ」というのもある。ヨーロッパへの「中継地点」であったことからこのあだ名がついた。本日は、そのハブシティを見渡す絶景の夜景を肴に、久しぶりに会う知人とディナー。「トップ・オブ・ザ・ハブ」はボストンに住む人の10人に8人は「夜景といえば、ココ!」と答えるであろう場所。よって、写真のような「本気カップル」がうようよしているわけで。はあ~。目の毒。
一口食べては見つめあい、一皿片付けてはテーブル越しに手を握り合う。。こんな”指輪の箱をカパ!!と今夜開けます!!”みたいな勝負むんむんな雰囲気があちらにも、こちらにも。こいつらにとって、夜景はおまけなのか!?平日の夕方からものすごいドレッシーに決めて、いったい職業はなんなのだろう?とか、私達のグループは食事そっちのけで、彼らの話題で盛り上がってしまった。
ちなみにこのレストラン、場所はボストンのプルデンシャル・タワーの52階。値段はちょっとした高級レストランだけど、観光客慣れしたウエイターがばしばしオーダーをさばいてくれるので、日本人観光客にもおすすめ。生演奏のジャズあり。
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Tuesday, July 12, 2005
ケープ・コッドの旅最終回「岬に陽が沈むケープの端っこの町・ウッズホール」
フェリーはやがて「ウッズ・ホール(Woodshole)」という町に到着。この町は、ケープ・コッドのマサチューセッツ州本土の端っこに当たり、ケープの島々への玄関口となっている。
バスに乗り継いでボストンへと帰還することになっているが、まだ時間がある。こぢんまりとした町を探索することにした。美しい港にはたくさんのボートが停泊していた。
町は港に面したメインストリートに、たくさんのお洒落なレストランがあった。どこか日本の漁港の町に似ているのだが、レストランはあくまでも都会風でおしゃれである。
このブログの投稿が不覚にも2ヶ月も遅れていることは、お気づきの通りであるが、この旅にはその遅れを取り戻そうとPCを持っていった。町の「Coffee Obsession(コーヒーへの執着)」という変わった名前のオープン・カフェで、おいしいコーヒーなどいただきながら、このblogの更新としゃれ込むことにする。何しろ現実の生活と、blogの更新との両立は大変。こうしてこまめに時間をみつけてやっていかないと、おっつかないのである。それに現実の生活では、英語との戦いが待っているので、このblogにもそうそう時間を割けないわけで。
おっとっと、ぐちっぽくなってしまった。会社を退社したことも、安定した生活を捨てたことも、帰国子女でもないのに海外の大学院に入って苦労していることも、全ては好きでやっていること。だから、愚痴は言わないし、後悔は一切しない、というのが私のポリシー。いまはしばし、この「端っこ」感が漂うケープの港町を楽しむことにする。写真は珍しい「いか」柄のフェンス。
この町には「海洋生物研究所」という大きなラボがあり、その建物の前には長い防波堤のような、突堤のようなものが出来ていた。そこを、ケープコッドの岬に吹く涼しい風に吹かれながら、おっかなびっくり先まで歩いてみた。美しーい夕日を見ることが出来た。
1泊2日で実にケープのいろいろなところを見たものだ。ボストンに一路ひた走る「ピーターパン・バス」の中で、この2日を振り返った。ウッズホールは経由しない予定だったが、乗る予定だったフェリーが変更になった都合で思いがけず立ち寄ることになったり。
ケープは、島好き・ニューイングランド好きの私にとってやはり大好きな地域。なんで好きなのか、と聞かれるとうまく理由は言えないのだが、あの灯台と白い砂浜と青い海の組み合わせ・ゆったりとした時間が流れているところが、いいのだろうか。ケープ・コッド全体を見てみると、まだまだ訪れていない町も多いし、ナンタケット島にも機会があれば一泊してみたいので、また是非戻って来たい。
最後に一言おせっかいメモであるが、ケープは日本人観光客が異常に少ない地域でもある。名づけて「JTBも手付かずの島」とでも言おうか(笑)。これを読んでいる方にも、ぜひ次の夏のリゾートに出かける場所として、おススメしたい場所である。(日本からだと、ちょっと遠いんだけどね。。)
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ケープ・コッドの旅その5・「赤、白、青、緑、ピンク。。あの有名人も所有している”カラフル・おとぎの家”を訪ねる」
島内一周バスツアーも終わり、オーク・ブラフというフェリー乗り場のある町に再び戻ってきた。この変わった形が、ビンヤード島の全体像。
フェリーの時間まで、この島を有名にしている”おとぎの家”を、ガイドマップ片手に訪ねまわることにした。それにしてもこの色。ストロベリー・ピンクの家なんて、見たことない!この島にはこうした家々が300軒以上建っている。わあお。
このカラフルな家々、実際にサマーハウスとして使われているもので、「ジンジャーブレッド・ハウス」と呼ばれる。クリスマスツリーに、ジンジャーマンとペアーでつける、あの「おとぎの家」のオーナメント、もしくは「ヘンデルとグレーテル」に出てくる「お菓子の家」である。ピンク、赤、白、青、緑、黄色、パープル。1軒として同じ色合いはないというくらいカラフルに彩色されている。一体何故なのか。
ジンジャーブレッドハウス密集地の住宅街に行ってみた。360°こんな色合いの家に囲まれている場所を想像してほしい。なんだかおとぎの国の住人になったみたいだ。この彩色の秘密を解くカギは、歴史博物館「コテージ・ミュージアム」にありそうだ。早速入ってみる。
ふむふむ。このジンジャーブレッドハウスのはじまりは1827年、もとは牧草地だったこの場所で、島に移住してきたメソジスト派の人々が宗教集会を開いたことにさかのぼる。
宗教集会は「キャンプ・ミーティング」と呼ばれ、牧草地の上に建てたテントの中で行われた。食べ物を持ち寄り、集会はピクニックのようだったという。
これが当時の集会が行われたテントを保存したもので、国家的な歴史サイトに指定されてもいる「タバナクル」。なるほど、屋根はあるけれど、入り口にドアはないし、壁も半分しかないので風が吹き抜け心地よい。この島ではこの「半青空宗教集会」が定番だったそうだ。
このテント、後に屋根がつけられ、フレームを追加され通称「コテージ」というあだ名のジンジャーブレッドハウスになった。ではなぜこんな色合いなのか?その理由は、コテージ博物館でもらったパンフにたった1行だけ、書かれていた。「Most of the cottages were planned for living in picnic style.」とのことだ。はあ~?
ただ「ピクニック気分で暮したいから」そんな理由って、あり?おとぎの家が建ってから100年が経つが、確かにきょうは、当時のメソジスト移民が島の暮らしを「ピクニック気分」で楽しみたかった理由が何となくわかるような美しい日、である。7月の心地よい風が吹き抜けるサマーハウスのテラスでは、やはりまた人々がロッキングチェアーに揺られていた。
私は島でも「有名なおとぎの家」のマップを片手に、この住宅街をさらに徒歩でずんずん回っていった。
あった!この家の所有者は、なんとPCウイルス除去のコンピューターソフト・関連サービスの開発で巨万の富を手に入れた、ピーター・ノートンの所有。(写真をクリックで拡大すると、家の看板に「ノートン」と書いてあります。その隣に書かれている”コービン”というのはこの家を建てたコネチカット州の富豪の名前)
なんと、ノートンの家(サマーハウス)は1軒だけではなかった!この家は「シンデレラ・コテージ」という名で、1881年に建てられた歴史ある「ジンジャーブレッドハウス」。ノートンの奥さんであるアイリーン・ノートンの名義になっている。
お家めぐりのゴール地点は「オーシャン・パーク」と呼ばれる場所。海が見える芝生の広大な広場である。サマーコンサートなどが多く開かれる開放感あふれる場所。
ハーバー近くのお土産店を冷やかす。フェリー乗り場に到着すると、乗ろうとしていたフェリーが「欠航」になっていることがわかる。エンジン故障だとかで。。まじかよ!次のフェリーは午後8時。それに乗ったとしても乗り継ぎのバスの時間が間に合わない。今日中にボストンの部屋に帰り着きたい。
しょうがないので、フェリー料金を払い戻し、違うフェリー会社のフェリーに乗ることにした。写真は時間をつぶしていて見つけたシーフード料理店のクラシカルな看板。
ようやくフェリーに乗れました。車と一緒の大型フェリーでマサチューセッツ州本土のもう一つの突端の町、「ウッズホール」に向かう。(その6「岬に陽が沈むケープの端っこの町・ウッズホール」につづく)
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1泊2日で行くケープ・コッドの旅~その4 ビンヤード島の果てを探検
朝9時過ぎ、ホテルで無料の朝食をいただく。日本で言うと民宿みたいな宿。共用のダイニングで自由にオレンジジュースやマフィンが食べられる。写真は私が泊まった離れから母屋に通じる階段。
まずはビーチへ。宿から歩いて10分。その名の通り「Sea View Avenue」は海に面したストリート。坂を下っていくと、どこまでも続く青い空と目の前に広がる大西洋が現れた。
ところがこの青い青い海と美しい砂浜、難点があった。夏だというのに水温が異常に冷たい上に、遠くまで小石が広がっていて岩岩しいのだ。
どおりで泳いでいる観光客が異常に少ないわけだ。私も砂浜にごろり、と横たわりしばし日光浴と決め込むことにする。青い空に白い監視員のハイチェアーが映えるbeautiful day.
11時30分、島巡りの観光バスに乗る。これがスクールバスを塗り替えた実に可愛いバスで、運転手がインカムをつけてガイドを兼任するもの。車中にはビンヤード島の地図がペイントされている。なんだか乗るだけでうきうきしてくる。
「観光が主要産業である”アミティ島”に現れた巨大な人食いザメが、人々を恐怖のどん底に陥れる。。」とは、スティーブン・スピルバーグの名作映画「ジョーズ」の筋書き。。このマーサズ・ビンヤード島、実はこの映画「ジョーズ」のロケ地なのである。(映画に出てくる”アミティ島”とは架空の名前)バスの車窓から見えた海沿いのこの池が、ジョーズが岸で背びれを見せながら泳ぎ回り観光客をパニックに陥れるあの有名なシーンのロケ地だとか。
バスは一路この島で一番古い町、エドガータウンへ。バスは海沿いの一本道をアップダウンしながら快走する。エドガータウンは、「えどがー」ではなく、「ど」を限りなく小さく発音するのがミソ。
この町もまた、19世紀に捕鯨産業をメインとして栄え、特にお隣のナンタケット島との間にライバル心を燃やしたという。その黄金時代の面影を残した町並みは、白で統一されている。捕鯨で一旗をあげた船長達の家家が、いまだに保存されている。
バスはエドガータウンを離れ、さらに人手のつかない島の奥地へと進んでいく。実はこの辺りには、有名人の別荘が数多く建てられていることでも知られている。映画監督スパイク・リー、テレビ司会者デービッド・レターマン、投資家ウォーレン・バフェットなどがそれである。クリントン元大統領夫妻もこの島を愛した。写真はJFKの元奥さんであったジャッキー・オナシスの別荘のある辺り。ジャッキーはこの辺りの山を一つ、保有していた。
さらにバスはメネムシャという漁港の町を経て、ゲイヘッド(アクィナ)という景勝地・断崖絶壁を目指す。だんだん人里を離れていくのがわかる。
ゲイヘッド灯台の展望台に到着。1855年に建築された灯台は、まさにニューイングランド、といった風情で旅情をそそる。この灯台も、映画「ジョーズ」に登場した。
ああ絶景かな絶景かな。苦労してここまで来た甲斐があった、と思うとき、それはこのような景色を見たときだろう。砂浜から46mとそそり立つ絶壁は、時間と天候によってさまざまな姿を見せるという。氷河が作り出したこの地層からは、野生の馬や鯨、果てはラクダの化石が発見されたそうだ。
ちなみにこのクリフの近くでは、あのJFKジュニアが飛行機で遭難、死亡事故を起こしたことでも知られている。日本のNHKもここまで取材に来たとか。さて、美しい景色を見た後は腹ごしらえ。展望台の上には数店の趣味のいいお土産店やシーフード店が並ぶ。
ロブスター・ロールが一番早そうだったので、注文。なんとフレッシュで濃い味のロブスターなのだろう。むしゃぶりつくように完食。写真にはないが、もちろん付けあわせは定番の「ケープ・コッド・ポテトチップス」灯台のパッケージが目印である。
見て見て!このカエルの大小貴婦人は、お土産ショップで見つけた。このようなガマガエルの素焼きの置物は、島のあちこちで見かけたのだが、島の守護神か何かなのだろうか?(「その5 赤、白、青、緑、ピンク。。あの有名人も所有している”カラフル・おとぎの家”を訪ねる」に続く)
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Monday, July 11, 2005
1泊2日で行くケープ・コッドの旅~その3”何もしない”をする島マーサズ・ビンヤード島。
ケープ・コッドに夕日が傾きかける頃、フェリーはマーサズ・ビンヤード島のオークブラフという港町に到着。島の名前は直訳すると「マーサのぶどう畑」。(なんかこの名前、可愛くないですか?
写真は海辺に並ぶ美しい町並み。ジンジャーブレッドハウスと呼ばれる独特な家のカラリングについては、後程詳しく説明する。1602年に島の発見者が上陸したとき、野生のぶどうがあちこちに茂っていたことから、島の名がついたという。マーサは発見者の娘の名前。ならば島にはさぞかしワイナリーがたくさんあるのだろう、と思えば現在は島には一つしかないのだとか。残念!
「Pequet Inn」という宿にチェックイン。白をベースに赤と緑をペイントしたエクステリアが可愛いし、人魚をモチーフにした看板もキュート。
暮れなずむ住宅街を、予約した宿を探してぶらぶら歩いていた時に、何だか変だな、と感じた。薄暗い家々のポーチに、何かがゆれているのだ。そこで、はっと気がついた。それは、ロッキング・チェアーにゆれながら思い思いに夏の夕暮れを楽しむ人だったのだ。ある人はこの島の住人、ある人はバケーションで島を訪れている人か。おとぎの国のような家々のポーチに、本を片手に、または何もせずに何時間も椅子に揺られている人、人、人!東京ではありえない風景だ。そこで、私の頭の中には早速「”何もしない”をする島」というキャッチフレーズが浮かんできた。
この島のおみやげの定番といえば「Black Dog」のグッズ。島中にここの黒い犬のついたTシャツを着ている人が、わんさかいる。また、アメリカ本土でこれを着ると「ケープ(コッド)で夏のバケーションをすごしたんだよ~ん。」という自慢にもなる。そう、ケープはアメリカのお金持ちが夏のバケーションを過ごす夢の土地で、中でもこの島に別荘を設けることはある種のステイタス・シンボルなのである。
港を見渡せるレストラン「Nancy's」で夕食としゃれ込む。一番高いメニューは、オイスターでもロブスターでもなくクラム(あさり)のフライだったので、ならば試してみようじゃないか、と注文。さすが粒が大きくて、潮の味が濃い、旨いあさりフライだった。ものすごい盛り方で出てくるのだが、飽きない味なのだ。
夕食後、海辺の風を肌に感じながら歩く。やばい店を発見。飛んで火に入る夏の虫のごとく、アイス屋にふらふらと引き寄せられてしまう。「Mad Martha's」という店名の可愛さと、夜10時だというのに30人近くの客が行列しているところに惹きつけられてしまった。大量の糖分摂取の後は宿にてバタンキュー。(「一泊二日で行くケープ・コッドの旅~その4 ビンヤード島の果て・断崖絶壁を探検」に続く)
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1泊2日で行くケープ・コッドの旅〜その2・捕鯨の町ナンタケット島
正午発の高速フェリーに乗り、一路ナンタケット島へ向かう。所要時間は約一時間。このところの風邪がたたって、まだ頭痛がするので爆睡してしまう。
ナンタケット島はケープ・コッドの南に位置する島。洋梨をつぶしたような形をしており、南北3・5マイル、東西14・5マイルの小さな島である。18世紀には捕鯨産業の基地として栄え、ハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」にも登場することで知られている。
島のニックネームは「グレイレディ」。グレーの壁をした美しい家並みが特徴であるほか、信号がない(!)ことでも有名。歴史的町並みを保存するため、商業目的の看板を禁じており、同じ理由でマクドナルドもないのだという。
港におりるとすぐに目につくのはシーフードレストランとお土産店。石畳の道をぶらぶら散歩しながら、昼食をとる事にする。シーフードのフリッター(のようなもの)を注文。町を行く裕福そうなリゾート客(家族連れが多い)を眺めながらいただく。レモンを搾って、なかなか新鮮でイケる。
ナンタケット島を歩いていて目につくのは、こうした鯨や船をあしらった看板やナンバープレートなど。ストリートの名前もNew Whale Streetなどと秀逸である。鯨ミネラルウォーター、なんてのもあって早速買ってみる。普通の水だった。
捕鯨博物館に入ることにする。この建物はその昔、鯨油を原料にしてろうそくを製造する工場だったという。展示物は捕鯨に使っていた道具や、捕鯨船で一旗揚げた船長の肖像画などじつに興味深い物ばかり。
ナガスクジラの全身の骨格が飾られているメインルーム。ここで「捕鯨の語り部」の方による、“ナンタケットの捕鯨の歴史”レクチャーを聴いた。当時の捕鯨はそれはアナログな漁で、「鯨の見張り番」がじっと沖を望遠鏡で見つめては、その方角に向かって行き鯨を銛で刺す。暴れる巨大な鯨を弱るまで引き回し、何とかばらばらにして船に揚げる頃には、その一帯に広がる血の海に引きつけられて映画「ジョーズ」よろしくサメがわらわらとやってくるので一目散に逃げる、というもの。しかしこうして手作業で手に入れた鯨の肉は、巨万の富に化けた。鯨肉だけでなく、鯨の油や鯨のひげ(女性のドレスのコルセット用)など捨てるところがなくあますところなくお金を儲けられる魚だからだそうだ。一か八かの博打打ちともいえる鯨漁。男のロマン、だったんだろうな。
しかしナンタケット島の港は、浅すぎて大型船が停泊出来ないという弱点があった。そのため後にマサチューセッツ州本土の港町、ニューベッドフォードに捕鯨ナンバーワンの町の座を奪われてしまった。写真は博物館の屋上からの港の眺め。実に美しい。
面白い博物館だった。次のフェリーの時間までぶらぶらと港をさらに散歩する。晴れ渡った7月の夏の陽がまぶしい。戸口に色とりどりの花束が刺してあるアイスクリーム屋を発見。
今では捕鯨の町が一転し、別荘地と転じた島には日本の軽井沢のような小物店、グッズ店、カフェなどが建ち並んでいる。写真は趣味のいいアンティークショップ。
この島のもう一つの名産は「ナンタケット・バスケット」。漁師達がフィリピンや南の島から持ち帰った籐と鯨から採れる油を入れる樽を作る技術が出合い、作り上げられたものだという。島の灯台を守る人が、灯台を守る間に暇にまかせて作られた物がこのバスケットのはじまりだとか。デザインがかわいく、堅牢な造りでお土産用にバッグなどにも加工されている。値段は割高だが、レプリカのネックレスなども売られておりそちらなら手がでそう。日本の女性達には間違いなく受けそうなお土産ものだ。
さて、そろそろインターアイランド・フェリーの時間が来たので移動する事にする。ナンタケット島と並ぶケープ・コッドのもう一つの島「マーサズ・ビンヤード島」へ向かう「島巡りの旅」と決め込む。空が高い。冬は荒れ狂うこのあたりの海も、夏は観光客を実に穏やかに迎えてくれている。(「ケープ・コッドの旅 その3・ “何もしない“をする島、マーサズ・ビンヤード島」に続く)
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1泊2日で行くケープ・コッドの旅〜その1・ケネディ家が愛した港町ハイアニス
本日から1泊2日で旅に出る。行き先は、ケープ・コッド。マサチューセッツ州の東の突端、腕のような形をした半島である。まずはケープの南の端の港町ハイアニスまでバスで行き、そこからナンタケット島行きのフェリーに乗る事にした。写真はハイアニスの町で見つけた看板。
しかし、バスが渋滞に巻き込まれて思いのほか遅れ、フェリーに間に合わなくなってしまった。次のフェリーは2時間後だという。ならば、予定外だがハイアニスの町を散策、と決め込む。写真はケープコッドのことなら何でも伝える地元紙「ケープ・コッド・タイムズ」のオフィス。
1639年にイギリスから移民が入植してから、捕鯨船の乗組員の家族が住みつき栄えた。ハイアニスという名前は、先住民のインディアンの名前Iyannoからきているという。
1925年にケネディ一家がこの町に別荘を買ったことから、この町は一躍有名になった。子供時代、夏をここで過ごしたJFKもハイアニスを特別な場所として特に気に入っていた。「2つとして同じ夏はない場所」と評し、のちに大統領に就任してからも夏の間の避暑地として「サマー・ホワイト・ハウス」をここに設けた。いまでもケネディ一家のメンバーが使う夏の家が、海のそばにある。ハイアニスの町の中心には、JFKハイアニスミュージアムが設けられ、JFKの「ケープ時代」のプライベートライフを垣間みる事が出来る。
さて、町の目抜き通りにはちょっぴりさびれた感じだけどいい感じのお土産屋が並ぶ。アンティークショップや、高級そうなレストランやカフェ、オムレツの店なんてのもあった。
これは、アロハシャツの専門店で見つけたレッドソックス・アロハシャツ。100ドル近い値段。NYヤンキースアロハ・シャツもあった。(—ケープ・コッドの旅その2・「捕鯨の町ナンタケット島」に続く。)
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Sunday, July 10, 2005
ネイチャー・ドキュメンタリー「Winged Migration」で渡り鳥のロマンに心奪われる
原因不明の菌感染によるfluのため、薬を飲みながら養生中であるが、つまらないのでDVDで借りてきた映画を鑑賞。渡り鳥の生態を余すところなく描いたネイチャー・ドキュメンタリー「Winged Migration(邦題・WATARIDORI)」は、大学の「ドキュメンタリー」の授業でさわりを紹介され、そのあまりのスケールの大きさに心奪われた作品。ただの動物ドキュメンタリー、と思うなかれ。「一体どうやって撮影したんじゃ!」と思わずつっこみを入れたくなるカットの続出なのである。「バード・ビュー(鳥瞰)」という言葉があるが、まさに鳥と一緒にカメラも飛んでいる。その撮影対象である鳥が渡り鳥なのだから、また驚くのである。一体どうやって何万マイルもの渡り鳥の旅に密着したのか、どうやって彼らの飛行ルートを調べたのか、そしてどうやってカメラにこんなにも近い状態で撮影が出来たのか。
その答えはDVDのボーナスとして収録されているメーキングを見るべし。驚くべきことに.渡り鳥の卵をスタッフが育て、生まれた瞬間からスタッフ(とカメラ)を「親」と思い込むように刷り込みするところから、このドキュメンタリーは始まったのである。CGや、SFXは一切使用していない。グライダーやバルーン、ヘリコプターなどを駆使してさまざまな渡り鳥と共にいかに飛ぶことが出来るか、その試行錯誤といったら並大抵ではない。時間とコストと効率からは無縁の(失礼)この作品、監督は映画「ニューシネマ・パラダイス」の名優としても知られるジャック・ぺラン。彼のほかに、スタッフ450人、パイロット17人、カメラマン14人が5つのチームに分かれ、7大陸40カ国、3年に渡って壮大な渡り鳥の物語を撮りあげた。本国フランスでは280万人以上を動員したヒット作かつオスカー・長編ドキュメンタリー部門のノミネーション作品。また、この渡り鳥のロマンあふれる美しい映像を際立たせる、鳥の羽ばたきと一体化したような音楽も大変素晴らしい。★4つ。疲れた都会人に特におススメの一作。
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Saturday, July 09, 2005
JFKの生家を訪問
第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ。そのJFKの生家がすぐそこにあることは知っていたが、国の史跡として一般公開されていると聞きやってきた。
ボストンのお隣のブルックライン市、ビールズ通り83番地が、その場所である。場所には看板も小さくしか掲げられておらず思わず通り過ぎてしまったほどである。
国の史跡(National Historic Site)であるため、入り口には観光案内係りとしてState Park Trooperの皆さんが控えている。観光客慣れしていてフレンドリーな方々である。
JFKの父でハーバード大卒の実業家ジョセフ・ケネディが妻ローズと共にこの家に移り住んだのは1914年、結婚直後のこと。多角家族で何世代もが同居する多くのアイリッシュの移民たちとは違い、ミドルクラスが多く住む緑多いブルックライン郊外に一軒家を構えたジョセフは,多くがボストンに路面電車で通勤する勤労家族であるブルックラインの近所の人々との交流を深め、静かに子供達を育てるために緑多いこの場所を選んだという。決して華美ではないダイニングルーム。部屋数は9つ。内部は大変古いが、当時のままに近い状態で保存している。前出のトルーパーが説明をしてくれる。
1917年、JFKは実にこの家で次男として生まれた。ケネディ家9人兄弟のうち4人がこの家で生まれ育ったという。
裏庭にはばらの花が咲いていた。
グッズショップにはケネディの生涯を書いた本や、絵葉書などが売られている。日本語のパンフもおいてある。
1963年11月22日、ダラスでJFKが暗殺された日のことを伝える新聞も売られている。この日は雨がしとしと降っていたこともあって、緑がよりいっそう増しているように感じた、ブルックラインの静かな住宅街。マサチューセッツといえばケネディ!というくらい地元の絶対的な支持をいまでも受け続けているケネディの生家の静かなたたずまい、であった。
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Friday, July 08, 2005
「金曜日の診療所はだめよ」
数日前から続く風邪に似た症状を診てもらうため、大学の診療所へ。ところが訪れた時間は金曜日の午後、診察終了間近のため診療所には全くやる気が見られない。受付スタッフも、ドクターも皆週末の予定などをべちゃくちゃ話していて、ちんたら。あーあ、「金曜日の診療所はだめよ。」だな、こりゃ。診察結果は何らかの菌に感染してめまいが引き起こされているとのことで、抗生物質をもらい終了。
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Thursday, July 07, 2005
レモンのお酒と水族館ーテロ警戒レベル上昇中のボストンを徒歩めぐり
朝起きてCNNをつけたらロンドンで地下鉄爆破テロが起きて死者が出ているとのこと。しかも3カ所の現場のうちのひとつは1月に私がロンドン旅行に出かけた時に、宿泊していた駅の最寄り駅付近であった。背筋に冷たいものが走る。しかし今日は友人と待ち合わせして、イタリアンを食べにいく予定が入っている。地下鉄の駅に行くと、このテロのせいなのか、電車が止まっているとのこと。(あとでテロとは無関係の事故のせいだとわかるのだが)しかたなく、本日は代替えのバスと、徒歩でボストンを遊び歩くことに。写真はテロを知らせるCNNが流れるボストン証券取引所の正面玄関。
レモン色のリキュールは「レモンチェロ」という甘い食後酒。お酒と同じ名前のイタリアン・レストランでいただいた。消化を促すといわれるだけあって、強いけれどさっぱりしたお酒。
ニューイングランド水族館へ。吹き抜けのホールをぶち抜いた巨大水槽に泳ぐウミガメの悠々とした動き、ああ癒されるね〜。
皇帝ペンギンもいました。驚くほどのスピ−ドですいすいと泳ぎ回っていて、またまた癒されました。
ああ、優美なるデザートの甘い誘惑。。「フィナーレ」はボストンの女の子に大人気のデザートの店。週末は店が一杯になるほどである。美しい盛りつけと控えめな甘さが魅力。
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Wednesday, July 06, 2005
アル・ジャジーラTVの内幕を描いたドキュメンタリー「コントロール・ルーム」鑑賞
まだまだ体調は本調子ではないものの布団に横になりながらDVDで映画鑑賞など。「コントロール・ルーム」はイラク戦争の際のアル・ジャジーラTVの内幕を描いたドキュメンタリーだ。
イラク戦争の際、アメリカ大本営発表を垂れ流すために作られた「連合軍メディアセンター」。そこから発信される欧米メディアの報道と、それに徹底して反抗し独自路線でアラブの目線に立った報道を行おうとするアル・ジャジーラTVのコントロール・ルームの対比が実に面白い。
そこであのアメリカ軍によるアル・ジャジーラTVバグダッド支局爆撃事件が起きる。爆撃を受けて死亡したアル・ジャジーラ記者のための追悼記者会見や残された妻のコメント、お葬式には胸が詰まる思いがした。
物語は主な登場人物のコメントによって、語られていく。度重なるトラブルや支局を襲う悲劇にも淡々と立ち向かうアル・ジャジーラTVのシニアプロデューサー、サミール・カデルが、実にいい味を出している。ヘビースモーカーである彼がタバコの煙をくゆらせながら、アル・ジャジーラの意義について、気負うことなく、またジャーナリズムの原則に外れることなく語り尽くすところが面白い。加藤茶に似た彼、実にいいキャラである。DVDのボーナスシーンだったか、彼がこれまで訪れた事のなかったアメリカを初めて見るシーンが、面白かった。皮肉屋のアル・ジャジーラプロデューサーの目を通して見たアメリカ、という題材だけでもう1本ドキュメンタリーができるんじゃないかと思うくらい。
サミールと同じ思想の持ち主でありながら、怒れる男として描かれているのが、アル・ジャジーラTV記者のイブラヒム・ハッサン、もとBBCの記者である。小錦似の彼が、巨体を揺らしながらアル・ジャジーラならではのイラク市民の惨状の取材を遂行していく様子は、怒りと痛みに満ちていて興味深い。
相対するのは、「連合軍メディアセンター」の広報担当官ジョシュ・ラッシング大尉。アメリカ側の言い分の代弁者として、唯一このドキュメンタリーに登場する彼は、頭脳明晰でかつリベラル、センシティブなアメリカ兵。(だからこそ、アメリカ側も彼を起用したのだろう)イラク戦争の大義名分について、そのラッシング大尉に徹底的に詰め寄るイブラヒム。二人のぶつかり合いが緊迫感あふれており面白い。つまりこのドキュメンタリー、アルジャジーラを描きつつ、きちんと米軍側のキャラも出してバランスもとっている。
監督はエジプト系アメリカ人のジハーン・ヌージャイム。弱冠30歳の女性監督である。最後まで息もつかせず見せる「コントロール・ルーム」。アメリカの垂れ流す大義名分、プロパガンダでない本当のイラク戦争を、アルジャジーラの調整室を通じて見ることができる。激しくおススメである。
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Tuesday, July 05, 2005
ダウン。
風邪に似た症状、原因不明の頭重でダウン。きのうの「アメリカ愛国魂」にあてられたのか?。頭が重くて重くて上げられないったら。。
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Monday, July 04, 2005
独立記念日のボストン、50万人が観る野外コンサートと花火でアメリカ人愛国心の源を見せつけられる
朝9時に、おなじみ学友のビッキーさん(アメリカ人、ミネソタ州出身)と待ち合わせして、向かった先はチャールズリバーの土手。街中が、祝日ムードでむんむんの今日、眠い目をこすりこすり、ちんたら歩いてたどり着いた先はすでに人、人、人。。
何のことはない、きょうはジュライフォース。ここチャールズリバーの土手広場「エスプレナード」に設置された野外ステージでは、毎年独立記念日には恒例のボストンポップス無料コンサートが開かれるのであるが、それは午後8時から。じゃあ何でこんなに早く広場に来たのかというと、夜の入場に必要な整理券が朝から配布されるから。この整理券、昼前にはなくなってしまうそう。写真は、整理券と共に配布される今晩のプログラム。
このパンフ、中を開いてまずこの方がどーん!。「ボストンのエスプレナードで独立記念日を祝うために集った人々に、ご挨拶を申し上げます」こんな書き出しで始まっている署名入りのレターはもちろんジョージ・W・ブッシュ殿から。これを見て一気に体内さぶいぼ指数がどっ、と上がったため動揺しビッキーに「ジョージ・Wってさ、何か猿っぽくない?」とかなんとか言ってみたんだけれど、ビッキーには何だかはぐらかされた。仲良くはしていても彼女もやはりアメリカ人、自分の国の大統領のことは冗談でも悪く言われたくないのか?どうやら失言したようだ。。もう言うまい、少なくとも今日一日は。。
―――夕方になり、コンサートの3時間も前に広場に再入場してみると、そこはすでに人々のレジャーシートやキャンプ用テント(!)で一杯となっていた。聞くところによると、こうした「ピクニック組」の人々は午前中に来て、そのまま家族全員でこの広場で夜まで開演を待ちながら過ごしているというのだ。クーラーボックスにはビールやコーラなどの冷えた飲み物、さらにパンやソーセージを持参してサンドイッチなど作りながらわいわいとやっている。テントは陽射しをさえぎるのに役に立つし、中で昼寝を決め込むことも出来るから意外と快適そうだ。私とビッキーさんは、持参したバスタオルやヨガマットを敷いて、その上でひたすら日が暮れるのを待った
中にはアンクルサムの帽子を被ったやる気満々の人々も居た。きょうは街中の人がスターズ&ストライプスを身に着けている。私にとって、9・11以来星条旗は「対テロ戦争の行き過ぎた武力行使」の象徴としてか見れなくなっているが、その星条旗をモチーフにしたアイテムを、こんなにも多くの人が誇らしげに身に着けている風景は何だか不思議に思える。
場内にはやぐらが組まれ、CBSテレビの生中継クルーが配置されている。豪華10カメスイッチングである。この野外コンサート+花火は、今晩全国ネットで生中継されるのだ。この巨大なプロンプターを見よ。CBSの司会者用で、10mほど離れた舞台からも読めるようになっている。
ようやく8時となり、ボストンポップス指揮者のキース・ロックハートが現れた。キースに関しては、ボストングローブが昨日特集記事を載せたのだが、それには彼が女性関係にだらしないことを本人が認めたかのように書かれていた。ここまで書いちゃってきょうの指揮は大丈夫?とまで思ったほどだ。ちょっとがっかりしたが、ファンなことには変わりはない。きょうは間近でスイート・キースが見られて感激である。
日が傾き始め人々の興奮が頂点に達した頃、まずはあの曲の出だしが厳かに流れ出し、場内を埋め尽くしたピクニック気分の人々が、驚くほどの統制でざざっと一気に立ち上がって左胸に手を当てた。あの曲、それはアメリカ国歌。私も仕方なく立ち上がったけど、ついていけまへん、とてもとても。最後の節が流れ、私の「サブいぼ指数」が頂点に達した頃。。
頭上をものすごい爆音がつんざき、4機の戦闘機「イーグルス」が見事なタイミングで、隊列を乱さぬまま野外コンサート会場の真上を飛び去った。「フライオーバー」と呼ばれるイベントである。す、すげーけど、こ、怖えー。ケープコッドにある空軍基地から飛んできた102航空師団のパイロット達が操るのはF15。パンフに書かれたデータによると、9・11発生時には直ちにNYの燃えさかるワールド・トレード・センターまで向かい、さらなる敵からホームランドを守るため空の防御活動にあたった精鋭のF15師団らしい。
舞台には、ボストンポップスオーケストラと共演する陸軍バンドとソルジャーズ・コーラス隊の皆さん。軍服姿もりりしく、右斜め45度を見上げて誇らしげに愛国ソング・メドレーを歌います。「This is my country」「God Bless America」「America the Beautiful」「Yankee Doodle」等々アメリカ超マンセーソングの数々。大人から子供まで、もれなくノリノリで口ずさんでいるのには超驚いた。悪いけど、北朝鮮の愛国パフォーマンスと何ら変わりないんじゃないか、と思ったくらい。
途中あまりにノリノリで皆でラインダンスを始めた「アンクル・サム」帽子姿の一団。
しかし、ボストンポップスのソロでは、愛国ソングだけではなく、「スターウォーズのテーマ」や「1812序曲」など映画音楽で聴かせてくれた。スターウォーズが流れたときは、後ろに座っていたカレッジ・キッズが長い棒を持ち出して、ちゃんばらの真似を始めだして、吹き出してしまった。ここまできて、私も昔とった杵柄「吹奏楽部だましい」がうずうずしてしまいキースの指揮に合わせて、指揮の真似をしながらジャンプ!
第2部ステージは何と、カントリーミュージック。「Big & Rich」, 「Cowboy Troy」といった、「いかにも~」な名前のタレントさんが3組登場し、のりのりでカントリーを披露。
最後は、お待たせしました。川からの花火。中国や日本などから買い付けた50トンもの花火を25分間連続で魅せます。しかし「U2」とか「エアロスミス」とかのロックをがんがんにスピーカーで流しながらの花火は日本ではありえない。「しだれ桜」らしきものや日本でよく見る花火の形は識別できるのだが、かかっている音楽はロック、人々の服装は「アンクル・サム」そして、私の腕には午後8時から消えぬサブいぼ。
帰り道、夜11時過ぎにボストンのガス灯に照らされた通りを何万人もの「Patriots」と共に家路につきながら思った。この国は、ここの国籍を持つ人には、すごーく住みやすく自由でいい国で愛国心をかきたてられる国なんだろうなと。でもここを一歩出ると、外の人には、ここの人々は「大国であるがゆえに自分達のことしか知らない、自己中心的な人たち」のように映るんだ。
でも他人にどう思われようと、そんなことは気にしないのも彼らアメリカンの特徴なのであり。。愛国主義がてんこ盛りのチャールズリバーの土手で、星条旗を手がちぎれんばかりに振って愛国ソングを歌って高揚している何10万という老若男女を目の前に、かなり圧倒されてしまった。あなたは、日本をこんなにも愛せますか?
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Sunday, July 03, 2005
明日は何の日?
きのう訪れたスポーツ・バーにもこんな看板があったが、そう明日はジュライ・フォース、「7月4日に生まれて」の日、つまりアメリカ独立記念日。
1ヶ月ぶりに訪れたチャールズ・リバーの土手には、があがあと3匹のCanadian geeseがそろって川にどぼん、するという風景に出くわした。草むらの中から3匹一度にやってきたと思ったら、目の前を通り過ぎてあっというまに水の仲へ。仲がいい。
ジュライフォースには、花火で独立記念日を祝う。花火の前には、土手でボストン・ポップスのコンサートがあり、無料。川の真ん中には、花火をあげるための浮き島が設置され、明日の準備は万端のよう。
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Saturday, July 02, 2005
I feel home!!! ボストンに帰還
6月の間1ヶ月続いたワシントンDC生活も終わり、ボストンに帰郷する日が来た。長かったような、短かったような。この後、7・8月をボストンでの地元TV局インターンに当てる。5月に面接を受けた「N」ネットワークがニュースルームインターンとして受け入れてくれることになったのだ。空の上から見るDCの町並みは非常に整っている。
ボストン到着。空港には、同級生のビッキーさんが車で迎えに来てくれていた。持つべきものは友、われわれはそのまま我が大学寮の裏にあるスポーツ・バーに直行。もちろんそこはボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ球場のすぐ隣。試合のあるきょうのバーは、赤いTシャツを着たソックスファンのボストンっ子で一杯なのであった。そこで、この店の自慢のボストンに関する名前のついたエールを飲みながら、こんな思いで一杯になったのだった。「I feel home!!! 帰ってきたぜ!」ボストンの大学院生として暮して約1年、自分でも驚くほどボストンに里心を持っている自分に気がついたのだった。
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Monday, June 27, 2005
DCインターン最終週はさらなる食い倒れでフィナーレ。
あと1週間でDCインターンも一度終わり!今週はインターン仲間とアフター5も食い倒れ週間である。え?先週もじゃないかって?。。。そうですそのとおりですだ!! Eating is the only fun we can have during the internship..
月曜日 このチーズフォンデュ専門店へは何と2回も足を運んでしまった。これは食前酒としてカウンターバーで出されている陰陽チョコカクテル!
メインのチーズフォンデュはやはり激旨い。いろいろなチーズからお好みをチョイス。具にもいろいろなチョイスがある。
デザートとなるチョコレートフォンデュにも「陰陽」のデザインをされたものがある。食べるのが惜しくなるくらい。
火曜日 行きつけのフォー専門店で食い倒れfor the last time。
水曜日 早朝に支局に召集がかかる。生中継があるためだ。写真はまだ夜が明けないワシントンDC。夜は居候先にインターン仲間が集まって「冷やし中華パーティ」で元気に食い倒れ。
木曜日 パスタ・ピザの店で食い倒れ。
金曜日 前述のチーズ・フォンデュ2回目に挑戦。
--I've eaten up DC!!
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Sunday, June 26, 2005
アンジェリーナになりたい!映画「Mr.&Mrs. Smith」~DCの蛍
Beautifulサンデー。まずは居候先の近くにあるMinh’s というベトナム料理屋でブランチ。かにスパイシー炒め麺が旨い。
このところ立て続けに映画を見ている。本日は「Mr.&Mrs. Smith」。実生活でも「デキている」と噂のブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが組んで夫婦役を演じるアクション。お互いがそれぞれ別に殺し屋業を営んでいるところを知らず、結婚生活を共に送っている二人。ある日偶然お互いがターゲットになってしまい、それぞれの本当の職業がばれたから大変。。この映画、もはやブラピもアンジェリーナの引き立て役。それだけアンジェリーナ・ジョリーがかっこよくセクシーで目が離せない。一度でいいからアンジェリーナみたいに生まれて人生を送ってみたいものだ。アメリカで電話をかけて名乗ると日本語の名前(に限らず外国風の名前は)は、聞き取ってもらえないことが多いのだが、この際いい女の名前を借りて「マイ・ネーム・イズ・アンジェリーナ、A-N-G-E-L-I-N-A」とでも名乗ってやろうかと思うほどである。やらないけど。。
DCでは夕暮れ時、美しい日本語では「逢魔が時」とでもいうのだろうか、時刻が夕暮れから完全な暗闇にまさに変わろうとする時間を狙って、蛍が飛ぶ。芝生の上に何か光ったな、と思うと控えめな灯りをちらっちらっと灯す蛍なのである。何もかもがはっきり、くっきり、明快でなければいけないこの国で見かける不思議であいまいな物体、なかなか風流である。
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Saturday, June 25, 2005
「BEWITCHED(奥様は魔女)」鑑賞~もちアイスの不思議
毎日毎日食べ歩きばかりしていてすいません。ブッダ様お許しを~!この赤い「大仏ランプ」は、日曜日に出かけた「Urban Outfitter」という店で発見。すごいインパクト!
おそろいで蓮の花型のキャンドルホルダーはいかが?「アーバン・アウトフィッター」は最近”スタバ”並に増殖している、古着風のカジュアルお洋服と若者向けインテリアグッズの店。この他にも、日本の「裏原宿」風なヒップで可愛いTシャツとか、ジーンズとか、バッグとかが売られている。値段設定は意外と割高なのがミソ。
ところで本日も映画鑑賞。二コール・キッドマンの「BEWITCHED(奥様は魔女)」の封切日なのだ。ウィル・ファレルがコメディ俳優ぶりを存分に発揮、二コール・キッドマンがお綺麗。二コールの魔女が魔法を使うときの「ティキティキティ」(唇を左右に動かす)って、練習してみたけどできそうにもない。映画はパンチにかけるものの、まあまあ楽しめた。
すしディナー。食後に抹茶もちアイスと緑茶など。アメリカの日本食材店には「雪見だいふく」もどきの”もちアイス”が必ずといっていいほど売られていて、大変人気がある。こうしたもちアイス、明らかに日本製ではない「コピー商品」が多く、中にはもちの皮が薄くて、そんなにおいしくないものもある。しかし、アメリカ人の間でも「もーっちー・アーイス!」などと発音して、結構ファンな人は多いのである。。不思議。
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Friday, June 24, 2005
エチオピア料理と「バットマン・ビギンズ」
きょうもアフターファイブにインターン仲間と遊び倒す。なんだかこのblogがだんだん「ジャーナリズム的生活」からかけ離れ「食べ歩き的生活」に近づいているような気がするが、ドンマイ、ドンマイ。本日はアフター5にエチオピア料理の店で新しい味に出会う。チキンやビーフ、ゆで卵を半分に切った具を、カレーに似ているけどちょっと違うスパイスで煮込む料理。顔の2倍くらいの大きさに平たく焼かれた、ふかふかの「クレープ」みたいなものですくいながら手で食べる。うっめー!
ジョージタウンのカレッジキッズで一杯のシネマコンプレックスで「バットマン・ビギンズ」を見ることにした。何かと話題の多い映画であるが、一言で言うと駄作。あんなにいろいろな俳優をそろえておいて、これだけつまらない映画も珍しい。トム・クルーズの新しい嫁候補(兼 新興宗教メイツ)のケイティー・ホームズは確かに“かわええー”けどあんまり印象に残らない。日本人の期待の星、われらが渡辺“ラストサムライ”謙さんも、物語の最初のほうで死んでしまう上に、セリフ少なすぎ。なんだよ、って感じ。
クリスチャン・ベールのバットマンはというと、今回は新シリーズの始まりだから「バットマンの出来るまで」もしくは「バットマンの作り方」を裏側までとことん見せてくれるのはいいんだけど、その部分が長すぎるの。「すかっと」するアクションを期待して見ているんだから、もっと早めに見せ場を設けるべき。バットマンが「こうもり型手裏剣」とかを、夜な夜なとんかんとんかん(!)手作りしているところとか、あんまり見たくなかった。。
唯一、敵役「スケアクロウ」を演じたキリアン・マーフィー君だけが、不気味でいい存在感醸し出してたけど。哀愁漂うブルーの瞳と黒髪、エキゾチックな顔立ちが魅力的なアイリッシュ・ボーイの彼、「真珠の耳飾りの少女」の少女に思いを寄せる肉屋の息子を好演していたり、話題作への出演がぞくぞく。これからもテロリスト役を演じる「Red Eye」に主演など目が離せない。
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Thursday, June 23, 2005
VIETNAM GEORGETOWN
やばい。インターン仲間と食べ歩きが止まらない。きょうはジョージタウンまで行ってこぎれいなベトナム料理屋にトライ。しかし、味はいつも行きつけの別