Thursday, December 15, 2005
「プランB」を巡るFDAの決定について、ヒラリー・クリントン上院議員を独占インタビュー。
我々の卒業制作にあたるVTRリポート企画、「Politics of Plan B ~緊急避妊薬プランBの認可を巡るポリティクス」のまとめ作業も大詰め。作業中のわれわれに、きのう朗報が入った。かれこれ1ヶ月も前からインタビュー交渉をしてきたヒラリー・クリントン上院議員の事務所から、待ちに待ったOKの連絡である。学友ケイティーと私の2人で、いそいそとインタビュー場所の上院議員会館ビルへ出かける。クリスマス休暇が近いので議会ビルにもツリーの飾り付けが美しい。
ヒラリーのオフィスの会議室に到着、セッティングを終了しいまかいまかと30分以上待った。そこに、若い女性秘書に伴われてヒラリー登場。ちなみにヒラリー事務所のスタッフはほとんどが20代後半から30代前半の若い女性である。写真はヒラリーと握手するケイティー。そこで私もヒラリーと握手。
「お会いできて光栄です。」
「あ、あなた9月のワインイベントの時にもお会いしたわね。覚えているわ。」なんと、かのヒラリーが私のことを覚えていてくれた。以前サラと2人で、9月に突撃取材したときに、一度ヒラリーにあいさつをしたのだが、まさか覚えていてくれるとは。「ヒデキ感激」もとい「テディ感激」である。
早速インタビューに取り掛かる。ヒラリーは30分で”ケツカッチン”(=日本のTV業界の用語で、30分経ったら終わりにして他の場所に行く、という意味)だからさっさと終わらせなくては。
BUチームQ・「セネター・クリントン、FDA(食品医薬品局)が「プランB」を処方せんなしで購入できる店頭販売認可を無期限に延期したことを、どう見ますか?」
ヒラリーA・「FDAは、医薬品が安全で効果的なものかどうか判断する絶対的な基準機関です。そしてもちろん、彼らは現代の最高水準の科学を基準にして判断をすべきなのです。しかしこの緊急避妊薬「プランB」についてだけは、FDAはイデオロギーにハイジャックされてしまった。プランBのオーバー・ザ・カウンター(OTC)販売については、 科学者や研究者達全員がその安全性を認めています。それなのに、行政当局がFDAに、薬局販売の認可をとりやめるように命令を下したのです。なぜならこの薬局販売を認可すれば、FDAは、法律に基づいてその科学的判断に基づいた行動をとらなければならないから。つまりプランBのオーバー・ザ・カウンター(OTC)販売を認可しないことは、科学を否定しているのと同じなのです。しかし、一方でFDAが仮にプランBのOTC販売を認可すれば、プランBに異議を唱える共和党ベースの人々が不快に思うことになります。つまり、これはイデオロギーとサイエンスを取り違えている状態といえるわけで、これは極めて危険なことだと思います。」
さすがヒラリー。のっけから、こちらが欲しかったコメントをびしっと言ってくれた。
--Sen. Clinton answer in English=“You know FDA is the gold standard for the entire world in determining whether the drug is safe and effective. And of course they should make their decision based on the best science available. With respect to Plan B, the emergency contraception, they have been hijacked by the ideology. ^All of the scientists and researchers who studied this issue have said that it is safe for it to be sold to adults over the counter, and yet the administration ordered the FDA not to make a decision. Because if they make a decision, they have to go with science, which is what they required to by law to do. If they make a decision that rejects Plan B, then basically they are denying science. If they approve it as they should, then the opponents who are part of the Republican base, will be upset. We are substituting ideology and science and I think that is very dangerous.”--
さらに質問。
BUチームQ・「行政当局がFDAにプランBのOTC認可を下さないよう命令した、とおっしゃいましたが、いったいどこからその判断は来ているのでしょうか?」
ヒラリーA・「それはブッシュ政権の一番トップレベルから下された判断だと思います。基本的には、彼ら(ブッシュ政権のトップレベル)がFDAにプランBのOTC認可を下さないよう命令したのです。GAO(会計監査院)が行った監査によると、FDAの人々がブッシュ政権から「OTC認可を下さないように」という指示を受けた、ともとれる記録があります。ですから、この判断は実にホワイトハウスから直接下されたのだと思います。これは、まさに政治的なたくらみの一部なのです。政治によって医薬品の安全性が左右されてはなりません。政治が科学を打ち負かすようなことがあってはならないのです。」
--Sen. Clinton answer in English=“I think that comes from the highest levels of the Bush administration. I think basically they have ordered the FDA not to approve this Plan B. And there was GAO study which seemed to suggest that the people in the FDA were told what they had to do, which they are not approving the drug…. So I think this comes straight from the White House. It is a part of the political calculation. We shouldn’t have politics determining the safety of our drugs; we shouldn’t have politics trumping science."--
ヒラリーは、同じ民主党のPatty Murray上院議員(ワシントン州選出)と共同で、FDAの決定を非難しその独立性に疑問を唱える声明を出していた。しかし、正直言って、ヒラリーの口から、直接ホワイトハウスを名指しで非難するコメントが取れるとは思っていなかったので、今回のインタビューには大、大、大満足である。共和党の保守派がむやみやたらに避妊ができるような薬を市販してもらっては困る、とFDAに圧力をかけた。それに民主党のヒラリーが異議を唱え、「待った」をかける。こんな見事な「政治・エンタープライズ・ストーリー」が出来上がりそうだ。課題の締め切り前日になってしまったが、インタビューの申し込みを受けてくれてよかった。
さて、こうしてはいられない。明日までに立ちレポを撮って、インタビューを編集し、ボイスオーバーをして。。と面倒かつ楽しい作業が山積みである。きょうの感激を胸に、前に進もう。
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Tuesday, December 13, 2005
カップケーキで祝うバースデー。
「”ケーク・ラブ(Cakelove)”、って店知ってる?すっごくおしゃれなんだよね。」こんなことを学友のエミリーちゃんから聞いたのは少し前。ワシントンという権威的な街にあって唯一、ヒップでおしゃれなストリート・カルチャーが根付くエリア、Uストリート・コリドー。その界隈にあるカップ・ケーキの店だそうな。師走感と課題の締め切り感が身を切るようなきょうこのごろ「きょうはあそこで、テディの誕生日を祝おうよね。」っつーうれしい理由で、繰り出した。
この店、ほんとーにおしゃれ。茶色にブルーのラインのイルミネーションが入った看板をくぐると、ローテーブルやソファが並んで、ヒッピーみたいな服装をした、およそDCにそぐわない若者達が「だべって」いる。薄暗い照明に、ギターのフュージョン音楽などがかかって、居心地がいい空間。肝心の食べ物は、看板メニューのカップケーキが3ドルから。いろんなアイシングで、バリエーションが10種類以上ある。ただのカップケーキ、と思うなかれ。これが「スクラッチ」(粉)から作る手作りで、保存料や合成材料は一切使っていない。新鮮な卵と牛乳でできてるから、うまい。バースデー・ガールの私は学友のみんなにおごってもらって大満足。ちなみにサンドイッチやスープなど、お食事メニューもある。この「カップケーキ」アメリカ人ガールズの間では最近、なぜか手軽でお洒落な手作りスィートとして根付いているようだ。。
エリート弁護士だった若い黒人男性のオーナーが、「ケーキに対する愛を広める」ために作ったというこの店。もっと知りたい人は、ココをご覧あれ。
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アメリカで乱用広がるドラッグ、”メス”って?
アメリカのドラッグ乱用問題で、最近槍玉にあがっているのが「メス」。メスといってもオスメスのメスではない。メタンフェタミンという覚せい剤・興奮剤の一種である。日本ではヒロポンという商品名がある。この”メス”普通の市民が住むアパートやホテルの部屋などで簡単に製造ができることが、乱用や密売が増加する原因となっているらしい。
「NY州の下院議員らが提案した“メス”乱用を止めさせるための法案について、取材してほしい」きょうはNY州のローカルTV局からこんなオーダーが突然入ったので、シャーウッド・ボーラートなる共和党議員の事務所へサラと突撃。
事務所の待合室で、アポイントの時間を待っている間にふと顔を見上げると、そこには壁一面にNYヤンキースのグッズや写真やユニフォームやらのメモラビリアが飾ってあった。議員事務所というよりは“ベースボールの殿堂”のよう。
「わたしたち、ボストンレッドソックスファンには肩身が狭いね、サラ。」そう、ボーラート氏はもちろんNY州の下院議員なのでヤンキースファン。ボストンレッドソックスは宿態。氏の前では、レッドソックスのことはしゃべらまい、と心に決めたのに。
無事インタビューが終わった後ついつい
「ヤンキースグッズばかりですね、われわれボストンの院生には肩身が狭いです。あはは。。」とかなんとか口走ってしまった。笑って流してくれたけれど。。。
ところで、アメリカでは2004年に1万7000もの「メス・ラボ」つまりこの覚せい剤の私設製造ラボが摘発されたという。法案についてはここを参照のこと。
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Monday, December 12, 2005
CBSニュース・ワシントン支局を訪問!
ワシントンポスト本社に続いて、きょうはミーハー・ツアー、いやいやメディア・ツアーを続ける。CBSニュース、ワシントン支局にやってきた。ダウンタウンにあるれんが作りのレトロな外観の社屋の中は、どんな感じなのか。早速見てみよう。
CBSニュース政治部(ポリティカル・ユニット)でインターンをしていたクラスメート兼ルームメート兼、課題チームメートのわれらがサラ。彼女の職場はこんな感じ。意外とこぢんまり。
1Fにはマスター・コントロールとスタジオがある。ABC,NBC,ともども3大ネットワークの本社はニューヨーク。だから、収録・送出設備はそんなに大きくはないものの、それでも地方のTV局くらいの設備を持っている。
CBSニュースといえば映画「Good Night, Good Luck」でもおなじみ、由緒正しい「ニュースの殿堂」的印象を受ける。しかし、報道番組「60ミニッツ」で、「ブッシュ大統領の兵役逃れ疑惑」を巡る手紙が偽物だったことが批判されたことで、05年3月に看板アンカーのダン・ラザー氏が降板するなど、その報道に対する姿勢に疑問が投げかけられたことも事実。ラザー氏がアンカーを務めていた「イブニング・ニュース」は、当面の代役として政治討論番組のアンカーでベテランのボブ・シャイファー氏を起用した。写真がシャイファー氏バージョンの番宣パネル。
しかしシャイファー氏はもともと日曜の政治討論番組「Face the Nation」のアンカーである。この番組はワシントン支局で収録されている。
CBSの政治部ではなぜか社内写真の白い犬を飼っている。社員のマスコット的存在として可愛がられている。。。(名前は忘れました。すいましぇん。。)
貴社の記者が汽車で帰社して。。。なんちって。記者の席は、大部屋ではなく、それぞれが個室を持っているから驚きである。写真はアジア系では一番(と思っている)のCBSニュース記者、ジョエイ・チェンさんの部屋のネームプレート。ミーハー気分を存分に満たされた、CBSワシントンへの訪問でした。サンクス、サラ。
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ワシントン・ポスト本社を訪問。
きょうは学期末も押し迫っているのに、「ワシントン・ポスト」紙の本社を院生全員で訪問。写真がダウンタウンにどかんと建つ社屋である。
訪れたのは朝8時とあって、まだ誰もいない編集部をみんなで練り歩く。写真はローカル欄の「メトロ」紙面。いろいろな地域面が並んでいるところ。
さすが、編集部は巨大。フロアぶちぬきで、「ブン屋」のにおいがぷんぷんする小汚い記者席がずらりと並ぶ。
今日、社会科見学じみた訪問をしたのはほかでもない。「ポスト」の人事部の人がわれわれ院生に会ってくれるというから、である。われわれ放送学科の学生はともかく、特に新聞学科の学生の視線が熱い訳だ。写真のオレンジのスーツを着た、インテリジェンス漂うアフリカ系アメリカ人の女性が「どのようにレジュメ(履歴書)やクリップ(これまでの取材記事)を送るのが採用のために効果的か?」について丁寧にレクチャーしてくれた。。。かといって、そんなにすぐにワシントンポストの記者になれる、というわけがないのであって。。。。
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Sunday, December 11, 2005
学期末ブランチ〜「プランBを受け取る女」の“ゲリラ的”資料撮影敢行。
学期末.大学院がホテルでブランチを主催してくれた。課題の締め切りも迫っているし、ワシントンプログラム終了後はさっさと寮を引き払わないといけないしで切羽詰まっているので、ディナーじゃなくてブランチ。写真は寮のそばにあるとあるとある大手ホテルの廊下に飾られていた「お菓子の家」。本当に食べられる材料で出来ていた。
こうしてゆっくり日曜の朝ご飯をクラスメートと食べられるのも、これから先はもう無いかもしれない。話に花が咲いて、お腹もいっぱいになったけど、どこか寂しさ漂う12月の日曜日の朝。
とはいえ、ぼやぼやしてはいられない。プランBの取材の撮影も大詰めで、きょうは資料映像を撮りにいく。写真はくだんの小児科医、ドクター・ジェンキンスに頼みこんでもらってきた正真正銘本物のプランBの処方箋。これを実際に使って、“性の「予期せぬエピソード」を持ち、一夜明けて妊娠の危険性を避けようとする悩める女性が薬局にやってきた”という資料映像を撮影しようという計画。
。。ということでもちろんその“悩める女性”役はサラ。ゲリラ撮影なのでアポはなし。薬局側は断るに決まっているからだ。素人用にしてはでかすぎるデジタルカメラを持ち、何かいちゃもんをつけられたら「おいら、英語わかりませんですだ。日本人ツーリストですだー!」という言い訳を用意。そう、もちろんカメラマンは私、テディ。案の定、カウンター越しに、ちゃっかり撮影していると、薬剤師に「何を撮ってるか知らないけど、顔は映さないでくれ」と注意された。「学生のドキュメンタリーです。えへ。」とか笑いながら言い訳して、薬を受け取った後はダッシュで逃げた。あはは。
ということで、無事手に入れたプランBをなめるように撮影してたら、ブランチ食べてたはずがもう夕方。疲れたよいい加減。早く課題完成させたい、ホント。
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最後のTVナイト。
ボストン大学ワシントンセンターで暮らすのもあと1週間足らずとなった。ボストンから、でこぼこ3人組ではるばるレンタルトラックで共に引越しをしてきてからはや3ヶ月。そのままルームメートにもなっていた、ビッキーさんと、サラとは本当にツーカーの仲になった。というか、お互いにいなくてはならない不思議なソウルメイト的な存在といえる。土日となれば、一緒にカフェに買い物に遠出にと繰り出し、平日は授業だ、取材だ、大学院のイベントだ、とほぼ毎日一緒だったのだから、無理もない。「職住学」の全てが一緒の友人なんて人生のうちにめったにいないといえる。写真はわれわれ3人の日曜日夜の「儀式」の様子。つまり、TVドラマ鑑賞である。
毎週夜9時からABCの"Desperate Housewives"、続いて10時から同局の "Grey's Anatomy"と2時間続く。CMの合い間に教科書を読みながらの時もあれば、3人そろってカウチポテトしながらの時もあった。この2つのドラマは、「ミス・TVウォッチャー(暇さえあればTVばかり見ているから)」の異名をとるサラが、残りの私達2人に紹介してくれた。今ではそれぞれのドラマに感情移入しすぎて「うおー」とか「きえー」とか、シーンごとに3人で叫びながら見るようになった。中でも、医療ドラマ×恋愛ドラマ÷2である「グレイ~」は我々のお気に入り。パトリック・デンプシー演じる「ドクター・マクドリーミー」ことデレク・シェパード医師役にほれ込んで、彼のセリフにいちいち反応してはばか騒ぎする、そんな日曜日を毎週送ってきた。
んでもって、でもそれも今日で最後。来週の日曜には我々のプログラムは終わり、ルームメートも解散なのだ。きょうは最後のTVナイト。課題が追い込みのせいか、居眠りするサラ。いつものきゃぴきゃぴの元気はない。私も課題追い込みで、そろそろ疲れがピーク、なのだが、最後のTVナイトだから、とついついTVを見る。しかし、である。来週から寂しくなる。これから一体誰と日曜のドラマを楽しめばいいのだろうか。。。
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Friday, December 09, 2005
イミグレについての会見とパーティ
ナショナル・プレスクラブで行われたCenter for Immigration Studies の調査ディレクター、スティーブン・カマロータさんの会見を取材。アメリカで急増する合法・非合法ヒスパニック系移民についての同センターの調査データはここで見れる。この後、年が明けた2006年に、アメリカではイミグレーション・ディベートと言われる移民をめぐる議論が活発に交わされるようになった。
夜、とある送別パーティに参加。12月の空気が冷たい中を、ほろ酔い気分で駅まで歩くのは、心地よい。ほてった頬を師走の空気がなでる。アメリカでも、「師走」って感じがする空気だ。うまく説明は出来ないが、年末の切羽詰った感じが、外国ではあっても、「しわす」って感じなのだ。。
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Wednesday, December 07, 2005
緊急避妊薬「プランB」を巡るFDAの判断に反対・辞任した女性理事を独占インタビュー。
ホワイトハウスはFDAに一体圧力をかけたのか否か!?引き続き、緊急避妊薬「プランB」(モーニング・アフターピル=写真は実物)の処方箋なしによる販売認可を巡る論争を取材中。おおむねオーバー・ザ・カウンター(処方箋なし)で販売の認可がおりると思われていたプランB。しかしその予想ははずれ、FDAは05年9月に突然その方向を180度転換してしまったから大変。アメリカではこれまでにおよそ百万人もの女性が、すでに緊急避妊薬としてプランBを使ってきた。現行では処方箋がなければ手に入らないこの薬。レイプにあったり、コンドームが破けたり(きわどい話だが)といった予期せぬ「エピソード」があったときに、72時間以内に飲むことで妊娠を防ぐことが出来るというこの薬の「緊急性」から、処方箋がなくても薬局にかけこめばいつも買えるようにしよう、という動きが大勢だった。(#前回の投稿で48時間以内と書いていたが、72時間の間違い。訂正します)
しかし、である。この薬は3年前にFDAの科学者の間で完全に安全性が確認されているのに、なぜいよいよOTC認可目前になって判断をくつがえしたのか?その理由は、こうだ。この薬はまず、中絶反対団体による攻撃のターゲットにされた。それから議論が拡大して、「キリスト教的教えに反する薬なのではないか。」という保守派の人々の反対の声が高まった、というわけだ。おりしもブッシュ政権=共和党政権=ホワイトハウスは中絶や同性婚といった、キリスト教の価値観に反することには全てノー、の立場をとっている方々が牛耳っているのである。FDAに圧力がかかった、という見方も、あながち「はずれ」ではないのだ。
そこで、プランBの科学的安全性を証明したドクターの1人として、FDAの判断転換に異議を唱え、抗議のために辞職をしたのが、この写真のドクター・スーザン・ウッドさん。元FDA女性保健・健康部の理事である。DCダウンタウンにあるとあるPRファームに身を寄せていらっしゃるところを、私とサラとケイティーが猛烈にリサーチしてつきとめ、きょうのアポイントにこぎつけた。
赤いパンツスーツにプラチナブロンドの髪をひっつめにして、威厳のあふれるウッド理事はなぜかボストン大学の卒業生、だったりしていろいろな「前フリ話」をふってみるものの、なかなか雰囲気がほぐれないまま、インタビューへ突入。
Q FDAの判断について、どう思っていますか?
A 「In this case, developing government regulations was a way of delaying it for so long. You are essentially saying no. Not just the young teens, but no to all women who can benefit from the access of this product.」 =この薬の場合、FDAが「政府の法制プロセスを経ないと認可できない」と主張しているようですが
、それは事実上「OTCを許可しない、ノー」と言っているのと同じです。この薬を待っているかもしれないティーンエイジャーだけでなく、この薬に利便性を得られる全ての女性に対してノー、と言っているのと同じなのです。
Q プランBは女性の体に安全なのですか?
A 「This product does not have any safety concerns or any concerns about misuse or abuse. 」=プランBの安全性は確証されていますし、乱用の心配もありません。彼女はまた、倫理面でも「プランBはすでに発生している妊娠を止めるのではなく、発生する前に止めるものです。「中絶ピル」といわれる、高濃度のバースコントロール薬とは全く異なる。」と主張。
Q FDAに対してどんな気持ちですか?
A「We count on FDA a great deal. It is credibility, which is extraordinary high over the decades. It is something very very valuable to us in US and internationally. It is very important that we insist that FDA stick to the science and make its decision about our health based on science and medical evidence. 」=われわれアメリカ人はFDAの下す判断に絶大的な信頼を寄せてきました。FDAは我々の健康に関する判断については、純粋に科学的根拠に基づいて下さなければならない。これが重要なのです。
「And we need to be able to count on that. I don’t know what lead to this funny decision. But I can tell you that wasn’t based on the science or medical evidence. And it wasn’t done with the best interest on women’s health. In fact, harms women’s health by increasing the risk of unintended pregnancies and increasing the risk of the need for abortions. So this is clearly not what our government to be doing. It is not what our health agency to be doing.」=そうしたFDAの科学的判断を頼りにしていかなければならない時代に、どうしてプランBに関してだけ、こんなおかしな判断が下ったのか全く分からないのです。そして、このおかしな判断は科学的や医学的根拠に基づいていないことが、確かなのです。女性の健康のために、極めてよろしくない事態です。これでは世間に望まれぬ妊娠が増えたり、中絶のリスクを増やすことになりかねません。このような事態は、われわれの政府が行うべきことではありません。アメリカの健康をつかさどる政府機関のやるべきことではありません。
女性科学者、ドクター・ウッドさんのインタビューは静かなる怒りがひしひしと伝わってきて、大成功。これでまたリポート完成に一歩近づいた。
※06年7月にこの投稿を書いている現在でも、このストーリーは進行中で、06年6月半ばにバースコントロールの提唱派が、FDAを相手取ってプランBのOTC販売を認可するよう訴訟を起こした。
※参考※CBSニュース「60ミニッツ」のThe Debate Over Plan B ビデオでドクター・ウッドのインタビューや、プランBのOTC反対派ドクターのインタビューが見れる。興味がある方はどうぞ。
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インタビューのトランスクリプト作り~おいしいデザートで自分を慰労。
前日の投稿のようにインタビューに行ってくると、トランスクリプトを作らなければならない。つまり、書き起こしである。なぜかアメリカのTV業界ではインタビューの全文を書き起こして、それをオン・ザ・レコードとして手元に残し、その書き起こした文章から使える音生かし=サウンドバイトを選ぶ職場が多い。日本のTV業界ではそんなことはしない。英語という言語の特性もあるのかもしれないし、はっきりとパブリック・スピーチができ、「しゃべくれる」インタビュー相手が多いせいでもある。しかし、このすべてを書き起こすという作業、最初ははっきりいって、かなり面倒くさかった。同級生がなぜ、すべてを弾丸のようなタイプさばきでパソコンに書き起こすのか、理解ができなかった。しかし慣れてくると、わたしのような留学生には英語の勉強になるし、どこがサウンドバイトとして使えるか、考えながらの作業だから、クリエイティブでもあり。完成すれば、全てが記録に残り、ナレーションを書くときの資料にもなるのだから、一石二鳥。だから私はアメリカ人のチームメートにからこの作業を奪ってでも、トランスクリプト作りをやるようにしている。しかししながら、そこはいかんせんネイティブと違うのだから、私が書き起こす時は、時間がかかるのはご愛嬌。写真は西日が入るワシントンの大学院寮の自室(個室・キッチンとリビングは共用)。ボストンの院生寮から通算して4部屋目、である。
インターン先の職場にはクリスマスツリーが飾られてすっかり年末モードに。
外は雪がつもって寒々しい。
慰労も必要。おいしいデザートでトランスクリプト作りで疲れた自分をいたわる。
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Tuesday, December 06, 2005
緊急避妊薬「プランB」をめぐる論争についてのVリポート、撮影を開始!
「プランB」といえば、一般的には「第一に取るべき手段に対して、やむを得ず取る2次的な手段」のことを指す。しかし、アメリカでは、バー・ラボラトリーズという製薬会社が販売した女性向けの緊急避妊薬(モーニング・アフターピル)の名前として知られている(写真)。つまりこの薬、コンドームなど避妊具をつけない「Unprotected Sex」をした際に、女性の側が48時間以内に服用することによって、妊娠の可能性を飛躍的に下げる、というものなのである。
しかし、この薬をめぐってFDA(米食品医薬品局)や政治家、そして中絶反対賛成両派活動家らの間で、論争が起きている。二つに別れた意見とは、
1.医師の処方箋なしに購入できるようにし、積極的にレイプなど犯罪による”望まぬ妊娠”を防ごうとする「推進派」と、
2.ティーンエイジャーなどがこの薬を当てにして性活動を活発化させるので、処方箋なしで買える様にしてはならない、という「反対派」
である。
とくに1.の「推進派」の中にはヒラリー・クリントン上院議員がいるわけで、「ヒラリーをインタビューして、このストーリーを卒業制作のVTRリポートにして、あわよくばNY州のローカル局に売り込む」。これを残されたワシントンプログラムの数週間の中で、まとめあげることにして、えいっと動き出した。制作チームは、サラ、私、ケイティーの3人である。
望まぬ妊娠を防ぎ、女性の手によるバース・コントロールを。それを目指して、着々と「オーバー・ザ・カウンター薬」として店頭販売の認可が進むと思われていたこの薬。ところがどっこい。FDAは05年9月、店頭販売の認可を無期限に延期することを決定した。一体なぜか?政治的な圧力、つまり現行のブッシュ政権=保守派=キリスト教に基づいた中絶反対派が見えざる力となって、FDA幹部に圧力をかけたとの見方がある。しかし、真相は闇の中。FDAでは、この薬が女性の体に及ぼす健康の害について十分な検証が出来ていない、ことを店頭販売をとりやめた理由に挙げているのだが。。
これについて、まずインタビューに行ったのがCWA=Concerned Women for America 。超保守派の中絶反対、プロライフ活動家の団体である。彼らのミッションとは「protect and promote Biblical values for women and families」ということであるから、入り口にはでかくて分厚い聖書がどかん、とディスプレーされていて目を引く。
インタビューに答えてくれたのは、CWAのプレジデント、ウェンディ・ライトさん。金髪がきれいな細身の女性だが、意見はかなり声高でメッセージもはっきりしている。
「プランBは高濃度の避妊ピルと同じだわ。服用すれば、深刻な副作用がありうる。こんな薬を薬局の店頭で誰でも買える様にして御覧なさい。まるでこの薬が誰にでも安全であるかのように感じさせるけれど、それは間違いだわ。とにかくどんなケースでも、もし緊急避妊薬を飲む必要があるような状況に女性が陥ったなら、医師に相談すべきよ。なぜかって?妊娠の危険性があるような行動をとる場合、それは性感染症の危険も伴う、ということだからです。性によって感染する危険な病気を防ぐためにも、プランBを自由に買えるようにするのは、間違い。」
ワシントンDC郊外のある大学病院。こうしたCWAの意見に真っ向から意義を唱える小児科医がここに勤務していると知り、インタビューにやって来た。実際にティーンエイジャーの、望まぬ妊娠や中絶に日々臨床で接している女医さんである。
Dr. レネ・ジェンキンスさんはAmerican Academy of Pediatrics (アメリカ小児科アカデミー)のメンバーで、ハワード大学医学部の教授。赤いスーツが褐色の肌に似合う、和み系のベテラン女医さんだ。「私はプランB(の店頭販売)を支持しています。科学的にも安全性は確認されていますし、店頭販売したところでティーンがそれを乱用するとは思いません。むしろ望まぬ妊娠の確率を減らすために役にたちます。この薬の重要なことはintercourseの48時間以内に服用すること。でもその時に医者のアポイントがとれなくて処方箋がすぐもらえなかったり、薬局にストックがなかったら?48時間たってから服用しても無駄なんです。」
ジェンキンス教授はさらに彼女のクリニックでのこんなエピソードを教えてくれた。
「So the best thing to do at that point is to give them emergency contraception prescription with no data on it. In that way, they don't have to call me if in fact they have unprotected episode that they are going to need it. And that tends to be the way we do it now. (一番いいのは、プランBの処方箋を日付なしで発行すること。そうすれば、unprotected episode が会ったときに、医者に電話をしなくてもすむ。それが今は一番いい方法ということになります。)
ある意味ショッキングともいえる意見だが、それだけアメリカではローティーン(10代前半)の性活動が活発化してきていて、社会がプランBを必要としているのだ、というメッセージでもあるのだろう。
対立する意見が論争を呼び、FDAでは何と内部で意見が割れて、女性理事が辞任する騒ぎにまでなっている。この辞任した女性理事、さらに大物のヒラリー・クリントン上院議員にインタビューをセッティング中。卒業制作のためだ。ワシントンという地の利をいかして、面白い政治ストーリーを最後に作り上げようではないか。。
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World Bankー世銀本部訪問
きょうは大学院の行事で、年の瀬も押し迫っていて、課題の締め切りや修士課程の終了も押し迫っているのに、こんな社会科見学にやって来た。World Bankー世銀(せぎん)ーへの訪問である。世銀といえば、「各国の中央政府または同政府から債務保証を受けた機関に対し融資を行う、国際連合の専門機関。国際通貨基金と共に、第二次世界大戦後の金融秩序制度の中心を担う。加盟国は184カ国」ということで、雪が路肩にふりつもる寒々しいダウンタウンを進み、ダウンタウンにある本部へ。迎えてくれたのは、Angelica Silveroさんというブラジル出身の世銀の担当者。
さすがに世銀だけあって、世界各国から集まってきた人々が働いていて、かのアンジェリカさんも、ブラジル出身。当初、国際通貨基金は国際収支の危機に際しての短期資金供給、世界銀行は第二次世界大戦後の先進国の復興と発展途上国の開発を目的として、主に社会インフラ建設など開発プロジェクトごとに長期資金の供給を行う機関とされ、両者は相互に補完しあうよう設立された、とのこと。写真はセキュリティの厳重な本部ビル内に設置された地球儀。
レクチャーの後案内された本部正面玄関のエントランスは、美しいの一言。吹き抜け7mほどはあろうかというホールに、天井からの光が降り注ぐ。その下は、人口の滝ができている。資本主義国のキング、アメリカから発展途上国へのお金のフローを想像させるだろうものなのだが、ただただダイナミックで美しく、外観(も美しいのだが)は想像もつかない景観美が構築されていた。これを見るだけでも本日のツアー、価値あり、といった感じ。大学院の課題の締め切りも迫っているし、寒くて外出するのすら難儀だったが、ルームメート兼チームメートのサラと2人で来た甲斐があった。
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Monday, December 05, 2005
部屋探しもう一軒~ペンタゴン記者の戸惑い~新居とうとう決定!
12.3に家探し部屋めぐりのフィナーレのつもりで見にいったのが、このコンド。ロシア人の29歳美女がルームメートを募集していた。
「アメリカで大学院を卒業して、いまはネット関連企業に勤めているの。このコンドは私の所有なんだけど、一部屋空いているので間貸しをしようと思って。」とナタリアちゃんというこの美女。
よい部屋だったのだが、何せ駅から遠い。ふきっさらしのDC郊外のあぜ道(!)をえっちら20分も歩いて帰宅できる、わけがない!ということで却下。この美女、ピアノを弾き、モダンダンスを踊るという素敵なお嬢様ぶりだ。いい友達になれたかもしれないが、車のない貧乏日本人にはこの部屋に住むのは無理。
12.5のジャーナリスト・セミナーのゲストはメリーランド州の地元大手紙のTHE BALTIMORE SUNのペンタゴン(国防総省)担当ベテラン記者、THOMAS M. BOWMANさん。これまでジェシカ・リンチ上等兵(覚えていますか?イラクで誘拐された米軍女性兵士)の救出作戦についての現地潜入スクープなど数々の従軍取材をモノにした。しかし、ペンタゴン担当になったとき、最初戸惑ったことは
「ミリタリー特有の略語やジャーゴン(隠語)が多くて。」とのこと。ちなみにDODとはDepartment of Defense, IEDとはImprovised ExplosiveDevices (即席爆発装置)のこと、PAOとはPublic Affairs Office (広報担当)で。。集めてみればきりがない。
ーーーーー話を変える。
いよいよ2週間先に大学院の3学期目の修了を控え、寮を追い出されるための次の家を決めかねて悩んでいたところ、週末にある人からお電話をいただいた。先日間借りの件で下見に行った新婚夫婦の家の夫、デービットさんからだ。
「テディ、家は決まったかい?先日君が下見に来て以来、いろいろな人が家を見に来たけど、妻のキャロリンも僕も君が一番気に入ったし、君となら楽しくハウスシェアが出来る、と思っているんだ。忙しいと思うけど、もし家に決めてくれたなら、電話をくれよ。じゃあ。」
電話番号を見て、誰からかは分かったので、まだ迷っていた私は、電話に出ずに留守番電話のメッセージを聞いた。正直、ぐっと来てしまった。
あの新婚夫婦の家以外、色々なところを見たが、家賃の予算や交通の便、居心地の良さそして英語力を失わないためのルームメートとの会話の距離感。。それらのことを一覧表にしてみてみると、彼らの家、デービッドとキャロリンーのところが正直一番ランクが高かった。それに、彼らが同年代から少し年上、で2人ともプロフェッショナルであるところも気に入った。先日言ったときも、外人である私の話によく耳を傾けてくれたし、今までに外人をハウスメイトに持った経験があると言っていた。
散々迷って、もう今週決めなければだめというところまで自分を追い込んで、もう胃が痛くなるくらい悩んだ末、この家に住むことにして、2人の家に電話をかけた。
「デービッドさん?私、テディですけど、ぜひお宅に間借りさせてください。」
「本当かい?う、うれしいよ!じゃあ、早速だけどカギを取りに来て。」
ということで、きょうの夜、大学院が終わった後に地下鉄に乗って、郊外の彼らの家まで。おととい降った雪が若干積もって、雪だるまを作った人がいた。彼らが住む郊外の住宅街は、ひっそりと白い雪の下に静まり返って、そこにちかちかと各家庭のクリスマスのイルミネーションが幻想的に光っていた。冷え込む中、彼らの住む家=引越し先となった家のドアを空けると、そこには暖かい「家庭」があった。
「ハーイ。あなたが一番印象的な「下見人」で、あなたが住んでくれればなあ、と思っていたから本当うれしい。よろしくね!」と奥さんのキャロリン。
なんだか、新しい家族(?)が出来たみたいな、不思議な12月の引越しストーリーの終わり、そして新生活の始まりであった。。。
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Friday, December 02, 2005
ホワイトハウスのブリーフィングに参加で、帰りにゲートでテロリスト扱いを受ける、の巻
「きょうはテディの番だから。ホワイトハウスの北西門前に11時45分に来て。」きょうは、ボストン大ワシントンセンターの客員教授でロイターの記者のジョン・デッカー氏のエスコートで、ホワイトハウスの定例ブリーフィングに行く日。そう、ワシントンに来てから、この日を待ち望んでいたといっても過言ではない。ワシントンでも、日本の外務省に当たる国務省(State Department)や議会(Congress)は比較的オープンな取材先なものの、ホワイトハウスとなるとそうは問屋がおろさない。
毎日お昼すぎから行われるスコット・マクレラン報道官(当時・写真)の定例記者会見を含め、ホワイトハウスのゲートの向こう側に入るには、「ホワイトハウスのハード・パスを所有した人間が必ず1人エスコートする」ことが必要である。だから、さすがの教授でも、BUの放送ジャーナリズムの院生を1人ずつしか連れてこれなかったというわけだ。しかも、私のように、パスポートなどの外国政府発行のIDしか所有していない人には、さらにもう1人、ホワイトハウスのシークレットサービスのエスコート(!)がつく。ゲートで念入りにIDをチェックされると、レイバンのサングラスをかけてトレンチコートでキメた「俺がシークレット・サービスだ!」みたいなSergent Carlson というエスコートがやって来た。彼と、デッカー教授に連れられていよいよゲートの向こう側へ入る。定刻になり、生マクレラン報道官の登場だ!二重あごがぷるぷるしていて、青い目が印象的。。とベタな反応をしてしまう。TVでいつも見ている人だからだろか。
ブリーフィングルームに入ると、デッカー教授は、ブリーフィングについて大体の説明をした後に「仕事があるから、じゃ」とつれなく帰ってしまった。胸元の赤い「エスコート要」というカードが空しく揺れる。今思うとそれが、この後の悲劇の前ぶれだった。ブリーフィング自体は、いつも中継で見ていたものの生で見るとさらに迫力があった。激しく報道官に食い下がる記者陣と、マクレラン報道官の押し問答。日本の「本音と建前」が先行する、形だけの記者会見と違って、本当にホワイトハウス側と報道陣が「議論している」という感じ。途中から勝手に入ってきて、聞きたいことだけ聞いて帰る記者や、大事なことだけ聞いたらさっさと帰る記者などもいて、まさにしたい放題という印象も受けた。
これが報道官と反対側の、メディア用のひな壇。ABC、CBS、NBC、CNN、FOX、APの各社のクルーが常駐していて、生でフィードを送っている。担当のカメラクルーがクリスマスのギフトの話などをしながら、談笑している。
そして悪夢は起きた。ブリーフィング終了後、この写真を撮ったりしてから、ゆったりとゲートに向かって行ったときだ。赤いテンポラリー・パス。それは紛れもなく「エスコート要」のパス。それをパス回収箱に返そうとしていたときに、2人のゲートのセキュリティー・ガイがものすごい勢いでいちゃもんをつけてきた。
「Wait! Where is your escort? Foreign national couldn't go through the gate without any escort.」
あのー、エスコートの人(=教授)は帰ってしまい、かつサージェント・カールソンとかいう「メン・イン・ブラック」みたいなエスコートも「In theory, I need to escort you to the gate on the way back. But I don't need to.」とか行って、いなくなっちゃったんですけど。
「IDを見せたまえ、IDを。そこから一歩も動くんじゃない。ドント・ムーブ!」ほっといたら銃でもつきつけるんじゃないか、という勢いで若いセキュリティー・オフィサーは怒っている。はあ、だからIDは議会パスと、パスポートしかないんですって。それに、エスコートの人は2人ともいなくなったんですよ。怪しい行動を取ろうとしていたわけではなくて、会見が終わって帰ろうとしてただけなんですけど。こう説明しても、そのHunterさんという若いオフィサーは、「何を言っているんだ!?とにかくエスコートがないと、君みたいなパスポートしか持たない外国人は、このゲートから向こう側でwandering aroundしてちゃ、だめなんだよ、わかるのか?一体君の住所は?あ?DCに住んでるのか?」と顔を赤くして私を叱り付けている。
はあ、呆れたよ。外国のパスポートしかない人は「テロリスト扱い」かよ、この国は。
やがて、この怒れるOfficer Hunter氏以外は、
「ああ、この人さっき入るときに見たよ。その時はエスコートと一緒だったし、怪しくないんじゃない?」と「許してあげれば?」モードに入ってきた。しかし、くだんのハンター氏は獲物を追うグレイハウンド犬かのように、私への追及の手を緩めない。
彼が取った次の手段は、まずサージェント・カールソン(メン・イン・ブラック)に電話で確認。彼がランチに出ていることを知ると、「君のもう1人のエスコートの教授の勤務先は?」と聞いてきた。「はい、ロイターです。」何のてらいもなく答える私。だって早くこんな怖い無実の追及から解放されたいんだもん。
そこでハンター氏、今度はうちの教授の勤務先に電話。そこで、教授をこっぴどく叱る。「ホワイトハウス・パスを剥奪するぞ」とまで脅している。でも、知ーらないっと。
やがて、サージェント・カールソン(メン・イン・ブラック)とも連絡が取れて、納得したハンター君。ようやく「よし、君が怪しくないことがこれで、わかった。言ってよし!疑ってしまったが、任務なので悪く思わないでくれ!However, your escort will be in a big trouble. You have a nice day!」はあ、冷静に対応していたし、言いたいことは全て言ったテディだったが、この解放令を聞いて不覚にもちょっと目のすみから一滴だけ水が出た。それだけハンター君の態度がものものしかったのだ。
そこで「I told you that I was't doing anything wrong, officer Hunter, you have a nice day, too!」と元気よく言い放ってゲートを出たものの、疲れがどっと押し寄せて。。。
そこで教授に電話。「ゲートで、こんな目に遭って。」と説明すると、そこで耳を疑うような答えが帰ってきた。
「ハンター警備官は君がホワイトハウス内をうろうろして不審な行動を取っていた、といっていたぞ。」ははーん。自分がエスコートの義務をほおりだして帰ったのが悪いのに、責任のすり替えか!?そうとしか思えない。はん。結構いい男の教授だったけど、きょうから敵だわ。そこで
「誓って言いますが、そんなこと、してましぇん。大体帰り道、ゲートで半ば脅されて、まるでテロリスト扱いされた生徒にその言い草はないんじゃないすか。」と教授と押し問答して、電話を切る。ああ気分が悪い。ホワイトハウス、私にとっては鬼門なのかもしれないーーーー。怒りが収まらないし、腑に落ちない、冬のワシントンの午後。。
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APのホワイトハウス担当記者が来校。
AP通信(Associated Press=アソシエーテッド・プレス)のホワイトハウス担当記者、ジェニファー・ラヴェンさんが来校。レクチャーを行った。1992年にAPに入社以来、ワシントン支局に勤務。以来、出世階段を登りつめ、20002年に”ホワイト・ハウス・ビート”を担当になった。弁護士で環境コンサルタントをしている夫のロジャーさんとの間に長女のエリザちゃんが生まれたときには「ブッシュ大統領から、病院にお祝いのメッセージが届いた」というからすごい。
ホワイトハウス担当の取材、その出稿のポイントは何か、という学生の質問には
「数々のスピーチを取材し、原稿にします。中にはつまらないスピーチもあります。でも、スピーチは変えられないのです。そこに、どんな意味を読み取るか、に我々記者の存在意義があるの。」
と答えた。いかにも。
ラヴェンさんは、そこで先日ブッシュ大統領が、海軍アカデミーの卒業式で行ったスピーチの原稿をまるまる配布し「皆さん一人ひとりが、このスピーチ原稿にどんな見出しをつけるか、考えてみて」と実践授業を行った。うーん。これはいい勉強になるな。
それに、「写真にストーリーを語らせる文章術も必要です。」とも。例として、先日(2005年11月です)のブッシュ大統領が中国訪問の際に、スピーチを終えたブッシュが、”出口を間違えて出れなくなった一連の赤いドアの写真”が掲載されたニューヨークタイムズの紙面を挙げていた。
朝から内容の濃い講義だったが、何の因果か、きょうは昼に、当のホワイトハウスのデイリー・ブリーフィングを、教授の引率で見学に行くことになっているのだ。そこで、実はとんでもない事件が待ち受けていたのだが、続きは後で。。
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Thursday, December 01, 2005
盲目のオペラ歌手が歌うクリスマス・ソング
アンドレア・ボッチェリという盲目のイタリア・オペラ歌手をご存知だろうか?きょうはMCIセンターというところで、彼やそのほかのアーティストが共演する「ロイヤル・クリスマス2005」というコンサートを聞いてきた。東京の武道館の2倍はありそうな巨大アリーナにしつらえられた特設ステージで、盲目のシンガーが歌い、英ロイヤル・フィルの演奏にあわせてキエフバレエ団が舞い。。「くるみ割り人形」やら何やら、クリスマスにまつわるクラシカル・ミュージックが絢爛豪華で、見ている人々は裕福そうなDCのコンサバな男女で。。
MCIセンターはキャパが巨大なので、案の定と思ったが、その裕福そうな観客の人々は普段地下鉄など乗ったことがないようで、行きの地下鉄の駅は大混雑。道路も、車で会場に乗り付ける人々で大混雑。。
で、一緒に行ったサラと共に一足先にコンサートを抜け出し、スパニッシュレストランのタパス<小皿料理)とサングリアなどでフェスティブな気分を満喫したのであった。
大学院の追い込みと師走のどたばたと寮を追い出される日の近づく中の、サラと私の束の間の休息ー。
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Wednesday, November 30, 2005
新婚カップルとハウス・シェアって!?
夜、DCと隣接するメリーランド州の駅に降り立つ。きょうはこんなインターネットの広告を見て、家を見に来た。結婚しているカップルと、一軒家をシェアするという珍しい物件だ。
Lg Bdrm w/Private Bath at XXX (駅の名前) Metro
Share house short term or longer term with married couple, we live on the first floor, you have the second floor. Kitchen, laundry and ltd. storage space available
House is on well kept, safe street, with plenty of parking, and less than a ten minute walk to metro, shopping.
PLEASE CALL US at xxx-xxx-xxxx to see the place as soon as possible. Current housemate is leaving as of mid-December. NOTHING TO SIGN, UTILITIES INCLUDED IN RENT, INCLUDING DSL INTERNET ACCESS (NO CABLE).
Thanks,
Carolyn and David
家は少々狭いものの、カップル(キャロリンさんとデービッドさん)は電話で話した感じもよかったし、会った時も感じのいい人たちだった。何よりも、同年代、というところがいい。しかも、これまで同じ部屋を、外国人に貸してきたというところが気に入った。
シンガポール人
パキスタン人
がこれまでのルームメートだったそうだ。ちなみにカップルは現地メリーランド州出身のアメリカ人である。彼はビデオの編集者、彼女は弁護士。2人とも共働き(死語)でプロフェッショナルなところもいい。
部屋はカップルが1階に住み、間借り人は2階へ。それぞれの階にバスルームがあって、干渉がないところがいい。でもキッチンは共有なので、そこそこのハウスメイトとのふれあいがありそう。
ただ、少々びっくりしたのは、キッチンを見せてもらっていたとき。冷蔵庫を開けた奥さんがつぶやいた一言。ドアを開けるとそこには白い箱がぎっしり。「あ、これウエディングケーキなのよ。私達、実は結婚したばかりなの。」
新婚!?で空いている部屋を人に貸すとは、いい度胸というか、どういう神経なのか、というか。。うーん。いい家なんだけど。いい人たちなんだけど。そして家賃も月$700で手ごろだし、広告にあるとおり「NOTHING TO SIGN」と、気軽に借りられそうなんだけど。。うーん。
とりあえず、その日はその家を後にした。ただ、部屋を貸そうとしているカップルが、やけに私に耳を傾けてくれている、「聞き上手」であることが印象に残っていた。私の、「TVジャーナリズムをやっている元気な日本人女」というキャラが珍しかったらしい。これが昂じて後に、この家(というか部屋)を実際に借りることになるのだが、その話はまた後日。
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Tuesday, November 29, 2005
部屋探しで、コスタリカの写真家に面接を受けるの巻。
きょうは、部屋探し物件#6、こんな部屋を見にいった。コスタリカから来た女性写真家が、フォトスタジオとして使っていた部屋を、間貸ししたいというユニークな物件だ。しかも
1.同居人となる写真家が猫を飼っているので、間借り人は猫好きでないとならない。
2.職業を持った女性であること
これが条件である。家賃は月$1000とまあまあなものの、地下鉄の駅まで徒歩40歩と駅近なうえ、私が現在住んでいる寮から2ブロック先という好条件である(<引越しが楽)。見に行ってみようと、アポをいれた。
出てきた写真家は、でっぷりと太った大きな女性で40代くらい。で、彼女の住居兼事務所で話をする。
「で、あなたは猫は好き?仕事は?」
元ナショナル・ジオグラフィックやAP(Associated Press)の契約カメラマンで、戦場や動物をメインに撮影していたジャーナリストだけあって、鋭い質問が飛んでくる。なかなか手ごわい。
「前の間借り人は、男を連れ込むなってあれほど言ったのに、男が今じゃ入り浸りなのよ~。あなたは大丈夫なんでしょうね?」はあ、初対面なのにそんなプライベートなこと、聞かれる筋合いはないんですけど。ところで、あなたはどうなんですか?写真家も、上の写真の部屋の、ドア一枚隔てた隣の部屋に住んでいるのだ。
「私?ああ、ボリビア人のフィアンセがいるから、たまに来るけど、まあ、気にしないでよ。」はあ?それって自分勝手?なんじゃ。
そして、共用となるキッチン・トイレバスを見て、さらに驚いた。そこに行くには、上の部屋を出て、彼女を訪ねてきた客が歩く廊下を5mほど、歩かなければならないのだ。
さらに、だめおしで驚いたのがこの会話。
「あなた、日本人だそうだけど、鶏レバーは、よく調理するのかしら?」
はあ?。。というのは、またどうして??
「以前まだお金がなかったときに住んでいたDCのグループハウスに、日本人のハウスメイトがいたの。彼女が1週間に1回は必ず鶏レバーをフライパンで調理するんだけど、これが、臭くてねえ。できれば、鶏レバーはやめてもらいたいわ。」
そりゃあ、レバーは日本じゃ普通に食べてたけど、こっちじゃあ買ったこともなかったし、考えたこともなかったよ。”鶏レバーをよく揚げていた日本人”って、それって偏見なんじゃ?
そんな腑に落ちない気持ちを抱きつつ、写真家の家を後にする前に、彼女はこう言った。
「それじゃあ、結果は3日以内に電話するわ。あなたのほかに2人、部屋を見たい人がいるの。全員公平に会ってから、結果を出したいから、それじゃあね。」
まさか、これって、「面接」だったのか!?部屋を借りたい人が、決めるんじゃなくて、部屋を貸す側が貸す人を決めるなんて、なんだかおかしいよ。ーーということで、もちろん3日たっても、電話はかかってこなかったのでした。一風変わった部屋探し体験の巻。。
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Sunday, November 27, 2005
部屋探し続行、立ちレポ収録、休暇最終日。
何とか風邪から立ち直り、部屋探しを続行。見に行った物件(通算で#5)は、郊外のアパートシェア物件。NIH(国立衛生研究所)に勤める香港の女性とリビングをシェア、ベッドルームは別というものだったが、そのベッドルームが狭すぎて没。家賃は、さいこーに安く、月$500というものだったので、残念である。写真はアムトラックの駅に帰り着いた「帰省帰り、もとい、サンクスギビング帰り」のアメリカ人たち、タクシーを求めて行列するの図。世間では、サンクスギビング休暇が終わったらしい。
夕方、課題用の立ちレポを1人で収録に行った。議事堂バックだが、ほとんど日暮れでまっくらけ~のけ。
しかし、私の部屋探しもお先まっくらけ~のけ、なのだ。寮の部屋は12月15日に明け渡さなければならない。それまであと1ヶ月を切っているが、どうする!?どうなる!?
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Saturday, November 26, 2005
部屋探し失敗、風邪悪化。
。。で寝込むことに。市販の薬が効かない。ということは、ワシントンという街柄、鳥インフルエンザ、とかを疑うわけで。そんなわけはあるはずがないんだけど、病院も閉まっているし、焦るばかり。
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Thursday, November 24, 2005
やけくその部屋探しでコスモポリタン都市DCを実感。
寮にも、通りにも、人がいない。みんなサンクス・ギビングで「くに」へ帰ってしまったのだ。がらんどうになった寮で、1人考えたがやはり、この長期休暇を利用して、あれをやるしかない。あれ。あれとは、12月半ばにこの寮を追い出された後の部屋探し。
ボストン大学院の修士課程は3セメスター制で、今は3セメスター目をワシントン・プログラムに参加し寮で過ごしている。ということは、プログラムが終わると同時に「はい、職でも探しな、ほれ!」とばかりに寮からも、大学院からもほおりだされ世間の荒波にもまれる、という無残なシステムになっているのだ。私は幸いにも現在インターン中の放送局で、「プラクティカルトレーニング(元社会人の大学院生にとっては、笑うタイトルであるが)」として雇われることになったので、部屋探しをするのは、「名誉ある」こと。。しかし、しかあし。いかんせん、もう11月。課題やインターンは山積みになっているのに、風邪は治らないし、まだ住んで3ヶ月の町で家を探すとなると、大変。しかも、その先いつまで住むのかも分からないし、家具は中途半端に持っていない。となると、家探しの最初はアパートを探していたものの、途中から「間借りや、ルームメートと同居もいいかも。」と方針を変更した。
それに、DC近郊は家賃がたっけーの、なんのって。東京より高いくらい。ワンルームのアパートを借りると、安くても一月に光熱費通信費抜きで$1400くらいから、と来ている。議会や政府機関、大使館や民間の会社など常に人の出入りが激しい国際都市だからこそ、常に賃貸・不動産は「売り手市場」なのである。それでも、インターネットの掲示板サイトを駆使して「ルームメート募集」という広告を中心にいくつかアポをとった。きょうはサンクスギビングなのに、そのうち2ヶ所へお邪魔。
一軒目。かなり広々としたコンドにトルコから来た二人の女の子が同居しているお宅。1人がNYへ引っ越すので、ベッドルームが一つ空くのだと言う。楽しくやっていけそうな人たちだったが、家のあるエリアの安全性に少々疑問があり、ペンディングに。
次に訪れたのはかなり郊外の一軒家。ハウスシェアの募集。チェコスロバキアから移民してきた、シングルマザーとその中学生の娘さんの住む感じのいい家に、ドイツ人の留学生と、アメリカ人の大学院生と共に3人目のハウスメイトとして住んでほしい、という。犬や猫がいて、リビングルームでインターナショナルでコスモポリタンな女性達が談笑している。素敵な家だったんだけど、ベッドルームが物置と同じくらいの狭さだったのと、駅からの帰り道が夜は暗そうだったので、残念ながら没。コスモポリタン都市、DCを改めて実感した、「国際的」部屋探し体験だったけど何も決まらないまま、無駄に休暇が過ぎていく。焦りは増すばかり。。
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Wednesday, November 23, 2005
サンクスギビングで帰省する”ルーミー”を見送り。
11.22(火)ニュースルームにて。教授の愛犬「フレッシュマン」とたわむれる。フレッシュマン、とはうちの先生が書いた本のタイトルである。。>せ、せんせー?、いくらなんでも、た○じゅ○すぎやしませんかね、このネーミング。。
教授も犬を教室に連れてくる、ということはそのままどこかへ遠出する、ということ!?ぬあんと、知らぬ間に世間はサンクスギビングではないか!?日本で言うならお盆のようなもの。ママの作る七面鳥の丸焼きを家族全員で食べるために、世の中は長い連休となり、車の大渋滞や飛行機のキャンセル待ちをものともせずに、アメリカ人たちはえっちらおっちら、州をまたがる大移動をする。ということで、同級生が皆旅立っていくーー(泣)。残ったメンツで夜、人通りのなくなった大通りを歩いてレイトショーへ。「ハリーポッター・炎のゴブレット」を見た・。映画館は我々のような「居残り」組みでそれなりに盛り上がっていたけれど。
きのうはルーミーことルームメートのうち、ビッキーが車でボストンに帰省するのを見送った。映画を一緒に楽しんだサラも明日、テキサスに飛ぶのを見送る。も、もしかして寮の居間に1人!?悪質な風邪が長引いているし、1人で、養生をすればいいのだけれど、何だか皆を見送ってさみしい気分になってしまった。帰省先が遠い、われわれ留学生は、”サンクスギビングはつらいよ。”なのである。。
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Monday, November 21, 2005
映画「Shattered glass」で功を急ぐジャーナリストの脆さを見る。
「Plagiarism(記事の盗作、盗用)、fabrication(捏造)はいかなる理由があっても許されません。大学院の課題には、必ずオリジナルのものを提出しなさい。」そういえば、大学院のはじめには、ジャーナリズム学科のどのクラスでも、こんなペラ1枚のガイドラインが配られたっけ。きょうはそんなことを思い出させる映画、「Shattered Glass」を見てディスカッションする授業があった。
<映画のあらすじ>25歳のスティーブン・グラス(=「スターウォーズ」などに出演しているヘイデン・クリスチアンセンが熱演)は、アメリカ国内で最も権威あるといわれる政治マガジン“THE NEW REPUBLIC”に勤める最年少の編集者。斬新な切り口で身近な政財界のゴシップを次々とスクープ、スター記者へと成長していく。社内外での人望も厚かったスティーブンだが、ある時彼の手掛けた“ハッカー天国”というスクープ記事が、捏造疑惑をもたれることに。しかし、スティーブンの記事捏造は、その記事だけではなかった。。捏造の裏側を暴かれ次第に追い詰められていく青年記者と、事件と向き合う同僚の姿をスリリングに綴る。功を急ぎすぎた若いジャーナリストの脆さを描いた傑作。
実はこの記事捏造事件は実話。事実を基にリアルに再現した社会派の映画だ。実物のスティーブン・グラス氏は2003年にCBSニュースの「60ミニッツ」に出て、捏造事件の裏側や心理状態を堂々と語った。「「ニューリパブリック」誌はグラスが書いた47の記事のうち、27がねつ造だったと認めて謝罪文を掲載した。超一流のはずの雑誌が、一人の記者の連続捏造に気付かなかった原因は何だったのか。そして、悪いことだと知りながら、うそを突き通したグラス記者の精神状態とは?
※CX「奇跡体験アンビリバボー」で取り上げられたときのストーリーはココ。
CBS「60ミニッツ」Aug. 17, 2003のスクリプトはココ
CBS「60ミニッツ」のウェブサイトに掲載されたインタビューによると、グラス氏(写真・CBSより)は
「私の人生はうその連続でした。うそを隠すためのうそをまた編み出すといった具合でした」(“My life was one very long process of lying and lying again, to figure out how to cover those other lies,” )と語っている。さらに、功を急いだ記事捏造について
「今、この人からこんなコメントをもらえれば、僕の記事は完璧なのに、といつも思っていてついやってしまった。やってしまうたびに、やめなければ、やめなければ、と思っていたのにやめなかったんだ。」(“I remember thinking, ‘If I just had the exact quote that I wanted to make it work, it would be perfect.’ And I wrote something on my computer, and then I looked at it, and I let it stand. And then it ran in the magazine and I saw it. And I said to myself what I said every time these stories ran, ‘You must stop. You must stop.’ But I didn't.” )
↑この気持ちは、同じジャーナリストとしてわからなくもない。記事を書いたり、VTRレポートを作っていると、「ここでこんな人にインタビューをして、こんなことを言って貰おう」とついつい考えてしまう。つまり、記者やディレクターは、取材前に「この出来事はこうだ」と決め付けていることを、そのまま現実にインタビューをした人が言ってくれないか、と期待するのである。現実には、そう思い通りに行かないことが多く、現実に相手が言ったことにあわせて、原稿のトーンを調整するのがプロ。しかし、現実には締め切りというものがあり、インタビュー相手のコメントだけを空欄にした、予定稿を作ったりすることも多い。また、予定調和といわれても仕方がないかもしれないが、グラス記者のように思い通りのクォート(コメント)を得ることに、ついつい躍起になってしまうことも否めない。私が過去に経験した映像取材でも、ついついインタビューで「○○、ですよね?そうじゃないですか?」などという「誘導質問」をしてしまうことが実際にあった。現実に捏造をするかしないかは、薄い紙一枚の分かれ道、なのかもしれない。 (ちなみに。誘導質問をやると、実際にはいい答えが返って来ないことが多いし、あまりやらないほうがいいとされている質問の方法である。)
とはいえ、TVニュースの取材では、容易にうそはつけない。インタビューをした人が実際に映像の中で、こちらの思惑通りのことをしゃべってくれなければいけない訳。文章になってしまえば捏造かどうか正直わからないプリント・ジャーナリズムと違って(新聞業界の人には失礼だが)、ブロードキャスト・ジャーナリズムはうそや捏造が、よりしづらい環境にある、と思う。それでも、日本のどこかのTV局では「釣れてもいない海老を漁師の釣りさおにつけて、幻の海老が捕れた!」という事件の例もある通り、ニュース映像にもやらせがあるみたいだが。。
「私の記事に感動してくれる人々の反応を見るのが好きでした。企画会議に行って、どんな記事を企画しているかを話すとき、部屋全体が”それは面白い記事になる”とエキサイトするんです。私の書いた記事はどれもホームランでなければならない、そう思っていました」(“I loved the electricity of people liking my stories. I loved going to story conference meetings and telling people what my story was going to be, and seeing the room excited. I wanted every story to be a home run.” )その気持ち、わかるなあ。それにしてもこのグラス記者はよっぽど文章や表現力にすぐれていたんだろう。うその企画をたてて、うその記事をいきいきと書くあたりはすごい。
ところで、アメリカのジャーナリズムには、このような捏造や盗用、間違いを防ぐための「ファクト・チェック」の機能が日本以上に発達している。各メジャー新聞社やTV局には、「ファクト・チェッカー」という専門の担当者がいて、記事が出る前に電話などを使って、事実関係を必ず確認する。また、インタビューのコメントの一字一句についても、「言った、言ってない」ということがないように、必ず””(quotation mark)をつける。それはもとより、TVのニュースなどで、口頭で他人の言ったコメントを引用するときは、「○○さんが言うことには、クォート(=”)、××× アンクォート(=”)とのことですが。。」のように、必ずそのコメントが”と”にはさまれていることを口頭で強調する有様であるからして。。だからこそ、グラス記者のような事件は大問題になるわけである。
捏造がばれて文字通り肩を震わせながら泣き、ジャーナリストの立場を追われたグラスさんは、何とその「うそつき半生」を“The Fabulist.”という本に書いた。さらに、今度は人生を法曹界でやり直そうと、ワシントンDCのジョージタウン大学でロースクールに通い、法律の学位を取ったというから仰天である。2003年現在のCBSのウェブサイトによると、現在はニューヨークに住み州の司法試験合格を目指して勉強中、ということだが、その「うそと虚栄で塗り固めた」性格からして、法を行使する職業が向いているのかどうかは、はなはだしく疑問である。
最後に二つPS。1.この映画、邦題は「ニュースの天才」なのであるが、いつもながら邦題のだささには辟易する。。(どうにかしてくださいよ~<映画業界関係者の皆さん)
2.アカデミックな世界での盗作、実はアメリカでは少なくないらしい。冒頭に書いた、大学院の盗作禁止ガイドラインを読んだときは「そんなことするはずないじゃーん」と思ったけど、実際に大学院が始まると、シビアな課題の量と、院生同士の成績争いを目の当たりにして「少しくらい、いいんじゃないか。」と思う気持ちは、今なら痛いほど分かる。でもばれたときのことを考えると、怖くてできないと思うけれど。しかし、BUのコミュニケーション学部大学院でも、盗作らしき論文を書いた、とかの理由で退学になった学生がいるらしい。しかも、私はジャーナリズム学科なので、オリジナルな企画をたて、実際に世間に取材をして大学院に提出して単位をもらうのだから、全く持って盗作や捏造は犯罪行為、自爆行為に等しいわけである。うそをついて記事を捏造するよりは、期日に間に合わなくて正々堂々と言い訳をしそれでもいいものを創るか、期日に間に合わせるために取材しやすいネタを選ぶ、そのどちらかのほうが、まだいいと思う、きょうこのごろである。とはいえ、大学院の課題の量は、やはり半端じゃなかったなあ、いま振り返ると。。。
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Sunday, November 20, 2005
リユニオンな日曜日も帰れば編集待つ@DC寮。。
ボストン滞在最終日の日曜日。知り合いの皆さんとトルコ・レストランでブランチ。
同じ大学院の同じ学部に通う3人でスリーショットを一枚。それぞれ、テレビジョン、ブロードキャストジャーナリズム、パブリックリレーションと専攻は異なるので、同じ授業を取ったことはなかったし、学校で会うことはあまりなかった。最後の学期、がんばろう、とお互いにエール交換。
1時間半飛行機に乗って、バスと地下鉄を乗り継いでえっちらワシントンDCに帰ってみれば、緊急事態が勃発していた。人物プロファイルの取材の課題の締め切りはあす。チームメートのケイティーとサラにVTRの編集を任せてボストンに出かけていたのに。
ケイティー→とんずら。
サラ→いとこと外出の後、一人で編集しようとしていたが終わらなかった。
とさ。せっかく楽しく帰宅してみれば、まだ宿題が待ってるなんて、こんなのアリ!?結局夜中の2時までかかり、無事宿題は終了。ボストンでの3日間を遊び倒したせいもあり、つ・か・れ・た。
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Saturday, November 19, 2005
晩秋のボストン散策はおじさまたちと共に。。
昨年、白い嵐と格闘することになったバーモント州へのスキーツアーや卒業大マツケンサンバ大会などで、さんざんお世話になったS電機のS部長がボストンに偶然やって来ていた。しかも出張で同僚の方を連れている。待ち合わせて港へ繰り出すことに。クリスマスの飾りがきれい。(ひええ季節はずれ。回顧ブログになっているのを許してえ。現在は”風薫る5月”なのに。。)
クインシー・マーケット前広場で偶然ハンドベルの演奏隊に出会った。澄んだ音色にこころ癒される。
あ、足長おじさん!?仮装したシルクハットの男は、リンカーン大統領、らしい。。
”ボストニア”の港は秋晴れ。澄んだ空気がのすたるじっくな気分をそそるものの、そこは3人のおじさま達と共にいるのであって。。(あ、おじさま達がいけないわけじゃあ、ないんですけどね。。。)
ええい、カラオケだ、カラオケ!フェンウェイ球場そばのいきつけ、MALUKENこと「丸健」日本レストランで公共カラオケ。閉店のAM2時まで歌って声が枯れた。S電機おじさま軍団の「ダンシング・オールナイト」や日本の演歌攻撃に、店にいたボストン・キッズものりのりだ。私は何を歌ったんだか、覚えていないくらい全力で歌って燃え尽きて、喉も枯れ尽きた。もう年なんだから、こういうのは止めなければ。。と思いつつ東京にいるときとあまり変わらない自分の行動パターンに呆れながら、夜は更けていく。。アーメン。
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Friday, November 18, 2005
秋深し・ボストン訪れ・OPT申請。
きょうは金曜の早朝講義後すぐに空港に直行して、ボストンへ飛ぶ。懸案事項だったプラクティカル・トレーニング申請のためだ。ずっと先送りにしていたが、そろそろ申請をする場合は、決断しないといけない期限が近づいていた。
アメリカの4年制の大学や大学院を卒業すると、学生ビザの実質1年延長にあたる”プラクティカル・トレーニング(OPT)”申請の資格が自動的に得られる。学部や大学院の課程が修了した後、1年間は合法的に働いてお金をもらってもよい、という制度である。ただし働く先は自分で見つけなければならないし、1年経った後は、その後6年間就労が有効になる
H-1ビザに切り替えなければ、アメリカ滞在はできない。Hー1を取るにはスポンサー企業が必要だから、OPTの時にH1をスポンサーしてくれる企業を見つけておいて、切り替えを行うというのが一般的らしい。
私の場合は、現在の段階では、Hー1の申請までは、考えていない。11月現在で、12月の大学院修了後、OPTとして働く先のあてがついたので、申請しておこうと思ったのである。まずはOPTで1年以内のアメリカ滞在延長を目指す。その後は、H-1をせず、帰国する予定でいる。
OPTで働く先とは、現在のインターン先の日本のTV局のワシントン支局。アメリカにいるのに日本企業で働くこと。これには正直少々葛藤もあった。アメリカの企業で働くことにも、興味がなかったわけではない。でも、私は日本人で、日本のために仕事をしたい、という気持ちが常にある。だから日本の視聴者向けに、アメリカについて報道をするほうが、アメリカのTV局でアメリカ人のためにアメリカのことを報道するよりも、良いと思ったのだ。それに、アメリカのTV局では、テクニカルをやるならともかく、プロデューサーや記者をやるには、英語の言語能力が足りないように思った。自分がもし日本にいて、たどたどしい日本語を話すアメリカ人の作るニュースを見たら、理解ができないかもしれないだろう。その逆バージョンをやるよりは、日本の会社で、日本のアングルでアメリカを伝える、そこに意義があるように思った。
OPT申請のため、大学の担当者と面接アポのあとは、港近くの定番シーフード店Union Oyster Houseでロブスターをがっつく。ボストンの友人の中でも、もっとも若い連中と盛り上がる。すでに秋を通り越え、晩秋の気配漂う外気は、吐く息が冷たくなるほど。寒いけど、ボストン、愛してます。
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Thursday, November 17, 2005
最高裁女性判事ギンズバーグ氏の講演を法廷で聞く。
きょうは大学院の課外授業で最高裁判所に「遠足」に出かける。

最高裁女性判事の一人、ルース・ベーダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)氏の講演とQ&Aセッションに院生全員で参加。最高裁判所の法廷の傍聴席に座ったのも初めてなら、最高裁判事を生で見たのも初めて。内部は写真が禁止だったので写真はないが、現在唯一の女性判事であるギンスバ−グさんが、現在の最高裁が頻繁に取り扱う問題(妊娠中絶問題や、言論・宗教の自由について)について、彼女の見解をかみくだいて教えてくれた。判事というよりは、女性教授の話を聞いているかのように、ソフトでアカデミックな語り口だったのが印象に残った。
ギンズバーグ判事は1993年にクリントン大統領によって任命された。アメリカ最高裁判所の判事(裁判官)は通常4人の保守派、4人のリベラル派、1人の中間派に分類されていて、保守派と言われるのが、首席裁判官ジョン・ロバーツとスカリア、トマス、アリート各判事。そしてスティーブンズ、スーター、ギンズバーグ、ブレイヤー各判事がリベラル派と見なされている。(ウィキペディア参照)残りの一人、ケネディ判事は中間派であり、保守対リベラルで激しく対立する事件においてはケネディの票が判断を左右することがしばしばある。
最高裁判事は終身のポストで、自ら辞めるといわない限り、交替することはない。大統領は任期4年で、最長8年しか大統領の座に留まることはできない。それだけに、最高裁判事の指名は、アメリカ社会にずっと影響を及ぼすことになる。(=このウェブサイトからの引用)だからして、ギンズバーグさんのようなリベラル派、しかも女性判事が法廷で下す判断は非常に貴重なのだ。しかも最近では、ブッシュ大統領がレンキスト最高裁長官の死去に伴いジョン・ロバーツ氏を、サンドラ・デイ・オコナー女性判事の引退に伴いサミュエル・アリート氏をそれぞれ指名した。もちろん、二人ともばりばりの保守派である。
アメリカでは、中絶問題だけでなく、同性婚など大きな社会的価値観に関連する問題に対して最高裁が下す判断は、決定的な影響を持つことになる。したがって、(大統領は)保守派、リベラル派を問わず、自派の主張に近い人物を最高裁判事に送り込もうと必死になる。(=このウェブサイトからの引用)
最高裁を巡る議論で、アメリカ議会が騒がしい今、ギンズバーグ氏の講演を聞けたことは貴重な体験だった。

ところで、最高裁判所の最寄り駅と言えば、ユニオン・ステーション。アムトラックーアメリカを縦断する鉄道—の駅としても知られている。クリスマスを約一ヶ月後に控えて、こんな巨大リースがお目見えした。ライトアップされてきれいだけど、見ているうちに何だか人恋しい気分になったのは、クリスマスを2年連続一人で迎えることへの一抹の不安のあらわれか。
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Wednesday, November 16, 2005
救世主・ジェイクが来た!
ジェイクが来ないと困る。。機材の窮状を訴えつづけ、ようやくきょうボストン本校の機材エンジニアのジェイクがワシントンにやって来た。彼が作業をはじめると、みるみるうちにワシントンの機材庫がきれいになっていった。ハード(機材)の手入れが終わったら、ソフトもやってもらう。「ファイナルカット・プロ」をインストールしなおしたり、ラジオ用の音声編集ソフトをインストールしなおしたり。。作業は深夜まで続いたが、ジェイクの滞在は大学側がけちってたったの一日。夕食は放送ジャーナリズムの院生全員でジェイクを囲んで、レバノン料理を「おごった」のであった。頼むよ、君だけが放送ジャーナリズム生の頼みの綱なんです、ジェイクさん。。。
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Tuesday, November 15, 2005
議員秘書をプロファイル取材~ファラッフェルに舌鼓~イラク帰りのNPRプロデューサーに質問
ひょんなことからイングリッシュ下院議員の政策秘書、クリスティーン・ロガーラさんという女性を取材できることになった。きょうは朝から下院ロングワースビルにあるイングリッシュ議員の事務所(写真)で撮影である。
インターン先で流すニュースリポートを作って、大学院にもそれを課題作品として提出する、「一石二鳥企画」を立てていた。大学院の課題のお題は「人物プロファイル」。ユニークな生活を送っている人を見つけてその人に密着し、2分ほどのストーリーを作るのだが、ただの人を取材したのでは、ローカル局に企画が売れない。「局の視聴エリアの出身者で、かつワシントンDCで面白い生活を送っている人」の密着なら、きっとインターン先のニュースディレクターも企画にOKを出してくれる。
しかし、締め切りが迫っていたのに、対象となる人探しは難航。そんな中でおととい、チームメートのケイティが偶然こんな面白い人を発見した。それがクリスティーン(写真)。ペンシルベニア州エリー市の出身で、政治の町で活躍しようと大学卒業後DCに引越し、26歳の若さでイングリッシュ議員の政策秘書を見事に勤めていた彼女。しかし近々議員秘書を辞めエリー市のためのロビー事務所に転職するというのだ。
ならば、と彼女をフィーチャーすることに決めた。テディ、サラ、ケイティのBUチームで彼女をインタビュー。彼女が働いている風景や、私生活を2日間ほどで撮影し、「DCで活躍するエリー・ローカルガールのクリスティーンの夢と地元への思い」というテーマでリポートに仕立て上げる。
きょうは、事務所でのインタビューのほか、議事堂をバックにさっそうと歩くイメージカットも撮影(写真)。ペンシルバニアから、首都DCに活躍の場を求めてやってきたクリスティーンは、エリー市の大学を卒業後インターンとしてイングリッシュ議員の事務所に入社した。「政治学専攻の学生として、DCのキャピタルヒルで働くことは、いつも夢でした。だから、今は夢が実現したんです。」秘書として4年勤務した今は「エリーの町が恋しい。DCだときちんと主張をして生きていかないといけないけど、エリーでは楽に生きて行ける。」
イングリッシュ下院議員(写真)にも彼女の働きぶりについて、ひとことインタビューを試みた。「地元出身で選挙区民の懐のことまでよく理解している、彼女のようなスタッフがいてくれて、どれだけこれまで助かったか、言葉では言い尽くしきれないですね。彼女が抜けてしまう穴は大きいです。」ふうん。下院議員も、クリスティーンさんのことを非常に評価しているようだ。
「11月の末にはイングリッシュ議員の事務所を辞めて、DCにある小さなロビー・ファームに転職するんです。公的セクターを離れて、防衛やエネルギー問題を扱う民営の事務所に移ることになります。議員事務所で培った中央政治のコネクションを生かして、地元コミュニティに利益をもたらすためにがんばります。」とクリスティーン。ペンシルバニアのポーランド系移民で、大家族に育ったという彼女は「家族が大好き。長女の私が一番早く地元を離れることになったときは、みんなが驚いたり悲しんだりしたけど。今ではDCでがんばっている私を、家族が誇りに思ってくれているの。だからこれからはロビイストとして、エリー市のために張り切って働くつもり。」
「ええ話」を聞いた上に、締め切り間近の課題のメドもたった。そこで安心したのか、お腹が減る。Falafel(ファラッフェル) というヒヨコマメとスパイスをつぶしてフライにした中東フード(写真)でランチ。サラが「いい店がある。」と連れてきてくれた。
「アムステルダム・ファラッフェル」というこの店では、このフライをピタ・パンにはさんでつぶし、マヨネーズや自家製ソース、野菜など好きな具をはさみ放題で$5。安い上にうまかった。
実はテディは最近アパート探しをはじめたのだ。大学院のプログラムが終わった1月以降も、DCに残ることにしたからである。そこで、風邪を押して、アパートの空き物件をネットで見つけては、そこを見に行くという作業を繰り返している。きょうもサラと散歩がてら、一軒見に行く。その帰りに映画館の前を通ると、「ハリー・ポッターー炎のゴブレット」のプレミアをやっていて、報道陣でごった返していた。楽しそうだな。
まだまだ1日は長い。イラク・バグダッドにNPR〈ナショナル・パブリック・ラジオ)のフリーランス・プロデューサーとして派遣されていた、BUワシントンプログラムの卒業生、ベン・ギルバートさんが来校して講演。「銃声や爆音が絶えないバグダッドのとある建物に潜み、毎日ラジオの生放送を行った。毎日その建物にこもって、外に出るときは護衛なしでは行動は不可能だった。」という生々しい体験談。しかし、ベンはバグダッドに行ったことで、当時のフリーランスから、正社員として認められたというのだ。そこで、彼にこんな質問をぶつけてみた。
「危険地に行くことで、フリーから正社員に昇格したそうですね。われわれ現役院生も喉から手が出るほど仕事が欲しい状態なのですが、あなたのようなチャンスが私達にめぐってきたら、やはりバグダッドに行くことを勧めますか?」
講演中も、ひっきりなしに貧乏ゆすりをして、イラクに行ったせいなのか、見るからに神経質になっている若いプロデューサーのベンは、意外なことに「勧めます。誰も行きたがらない危険地に赴くことで、ジャーナリストとしてのいい仕事が出来るチャンスが増えるなら、どんどんやるべきだ。」と答えた。
そんな彼も、イラク滞在半年を経て帰国したときは、PTSDに似た症状が起きたそう。なのに「あと数ヵ月後したら再度バグダッドに派遣されるかもしれないし、自分から志願している。」とのことだ。ジャーナリストとして名を挙げるチャンスと、イラクに赴いて命を危険に晒すこと、あなたならどちらを取りますか?すでに沢山のジャーナリストが命を落としたり、負傷をしているイラクだからこそ、「名を上げる」「昇進する」ためにイラクへ行こうとしているのが「良し」とされている現在の状況は、少し考えさせられるものがある。もちろんそれだけではなく、イラクの現実を伝えることに意義があるんだろうけど、きょうの教授達のベンへの対応を見ていると、「あなたがたもベンを見習って、イラクに行くチャンスがあったら積極的に行ってみて有名になって頂戴。」とでもいわんばかりのように感じたのは、私だけかしらん??
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Monday, November 14, 2005
ABCのリサ・スターク記者が来校。
ABCの「World News Tonight」のベテラン女性記者でワシントン支局をベースに活躍する、リサ・スタークさんが来校した。1994年以来、FDA(米国食品医薬品局)、FAA(連邦航空局)などといった政府機関の取材を担当。これまでに、オクラホマ連邦ビル爆破事件や、TWA航空800便墜落事故、スペースシャトル・コロンビア墜落事故、さらに9.11テロやファイヤーストーン社・タイヤのリコール問題まで実に幅広く取材を手がけてきた。スターク記者が来る前には、「ABCの第一線なんて、アメリカじゃあメジャーもメジャー。しかも女性記者だから、さぞかしプライドも高かろう」と思っていた。しかし、そこはどうして。実にさばさばした明快な語り口で、裏表の全くない(ように見える)お人柄。しかも抜群に話がうまい。しかも、きょうの月曜講義が行われたのは午後7時から。一日フルに働いてきて講義に来てくださったのに、その美貌も、テンションも、全く「よれて」ない。。やはり、第一線の記者に実際に会うことは、目を見張るものがある。われわれ院生も、すぐに彼女の語り口に引き込まれた。
「どんなインタビューも、これまで必ず締め切りに間に合わせてきました。インタビューしたい相手が、探して探して、一日探して、DCエリアにいなくて、しかもテネシー州にいたときがありました。そんなときも、テネシー州で動けるクルーを雇って、彼らのセッティングしたインタビュー室にスピーカーフォンをつなげてもらって、DCの私のオフィスから電話でインタビューしたことがあります。大事なのは、相手から、欲しい答えを聞き出すこと、それだけです。そして、必要なサウンドバイトが撮れた、と思ったらそこの部分のバイトだけを、テネシーのABC系列局を通じて映像配信してもらいました。」ははん。スピーカーフォンとは考えたね。時間を無駄にしないし、チャンスも無駄にしないで、遠隔地の人をインタビューする、しかも欲しい答えだけを配信してもらうとは実に合理的でコストパフォーマンスも高い。
さらに、「FDAやFAAといった役所を相手にしています。苦労して彼らと人間関係を築き上げていますが、せっかく高官にスクープの情報をもらって、それを使わないと、その人に遠ざかれてしまいます。ですから、そうした情報はなるべくリポートに役立てるようにして、相手に”この間はありがとうございました。XX日の放送に使いました”などと顔をつなぐんですよ。」ふーん。当たり前のことのようだが、確かにこれは大事だ。
質疑応答で、私も質問してみた。「この業界にもう27年近く働いていらっしゃるのに、毎日毎日ストレスの多い仕事を楽しむ秘訣はなんですか?」するとスターク記者は、涼しげな顔でけらけらと笑いながら、「そうねー。知らない間に長い年月が経ったわ。けど、長くやっていても、I am lerning something new every dayだからやっていられるのね。たとえば、プランB(注)についてのリポートなんて、もう5回もやったわ。だけど、毎回新しいことが出てくるのね。そうなってくると、わくわくしてまたリポートしたくなる、その繰り返しよ。」はあ、きょうは心底恐れ入りました。第一線の記者がこれだけすがすがしく毎日の全国放送でのリポートをこなしているのを間の当たりにすると、アメリカの放送ジャーナリズム専攻の学生達がよろず「私もTVの記者になりたい!かっこいい!」と思うようになるのも無理はない、と思うのである。誤解のないように言っておくと、彼女はここに上り詰めるまでに数々の地方局で下積みをし、朝一から深夜までさまざまな時間帯の番組をこなしているのだ。「ネットワーク(ABC,CBS,NBC)の看板記者もしくはアンカーになりたい!」そういう思いで、地方で下積みをしているひとがごまんといるアメリカで、スターク記者のように才能も、美貌も、運もすべて兼ね備え、かつ性格もいい人なんて、稀なケース。なんだけど、やっぱりかっこいい。つい「私にもABCの記者ができるかもしれない」と思ってしまったほど、苦労話すらさばさばと聞こえる、すげー記者だった。
いつもは斜めに構えている学友のサラもきょうは、えらく感動したらしい。われわれもスターク記者が担当しているFDAに「プランB」の取材を申し込めないか、ともくろんでいる矢先であることもあり、講演終了後にサラと2人でスターク記者にメルアドを教えてもらい、「何かアドバイスを下さい」とかじりついて、きょうの講義は終了。おもろかったー。
(注=プランB=FDAが、処方箋なしで市販薬として売ることを渋っている緊急避妊薬のこと。通称モーニングアフターピルのこと)
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Saturday, November 12, 2005
五島龍くんのバイオリンに酔う。
五嶋みどりさんの弟で、18歳のバイオリニスト、五嶋龍くんがソロで演奏会を開くというのでチケットを取った。場所はケネディ・センター、アメリカの国立交響楽団との競演である。
龍君のことは、日本でCXのドキュメンタリー「連続ドキュメント 五嶋龍のオデッセイ」を見てから、興味を持つようになった。天才バイオリニストの姉を持ち、スパルタ音楽ママの下で、子供のころからバイオリンの英才教育を受けてきた生意気盛りの龍君が、やがて一人前の音楽家として育っていく姿を描いたドキュメンタリーである。
実物の龍君は、18歳の立派な青年に成長していて、タキシードを着て立派にオーケストラと競演した。曲目は以下のとおり。
SIBELIUS - Prelude No. 1 and Excerpts from The Tempest
SIBELIUS - Concerto in D minor for Violin and Orchestra, Op. 47
RAVEL - Le Tombeau de Couperin
ROUSSEL - Suite No. 2 from Bacchus et Ariane, Op. 43
ちょいと線の細い長身を揺らしながらの熱演。当の私は、昨晩ものすごいインフルエンザ菌に冒されていることがわかり、急激に39℃の熱が出たのだが、熱さましを飲んで這いながらも会場に駆けつけた甲斐があった。情熱的ながらも繊細な、すばらしい演奏にただひたすら酔った!
Ryu Goto 公式ウェブサイトはココ
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Tuesday, November 08, 2005
象がハロウィンのカボチャを踏みつぶし!動物園の楽しいイベントを取材。
きょうは一風変わった取材にやってきた。行き先は大学から歩いて5分ほど、徒歩圏にある国立動物園のゾウの飼育舎である。
"Pumpkin stomp"という変わったイベントの案内を見つけたのは、ロイター通信が毎日発行している「Washington Daybook」にて。そこには、毎日毎日ワシントン地域で行われている記者会見や、ニュースのネタになりそうなイベントがすべてリストされているのだ。それによると、「あす、国立動物園で、ハロウィーンの余りもののカボチャを象やかばに提供します。動物たちは、それを転がしたり、踏み潰したり!毎年人気の子供向けイベントです。メディア向けにカメラでの取材を受け付けます。朝9時に象舎前に集まってください。」
インターン先のニューヨーク、ペンシルバニアのローカル局に問い合わせると、
「ま、そういう国民的イベントで、しかも動物が絡むものは多分、CNNのナショナル配信サービスでも映像が入ってくるけど、取材したければしてください。できたらわれわれの地域から来ている見物客を見つけてインタビューをしてもらえると、いいですね。」とのこと。
ということで朝から撮影パートナーのサラ、テミスの3人で動物園に出かける。テミスは、ボーイフレンドのビヨルン(スウェーデン人)がはるばる訪問中だとかで、取材だというのに彼氏付きで寮の玄関に現れる。もー、ちゃっかりしてるんだから。二人はEUに勤務していたときに知り合って以来、遠距離恋愛である。仕方ないので、テミスの彼氏も取材チームに組み込んでしまう。三脚とか重いものを「シェルパ」として彼氏に持ってもらい、動物園の象舎の前に到着。すると、いるわいるわ。小さい子供を連れた親子連れの見物客が50組以上、象がカボチャを踏み潰すのを今か今か、と待ち受けている。その脇には10台からなる、TVカメラの列。。アメリカもCNN、ロイターなどのネットワーク用カメラから、ローカル局までワシントンの局すべてが来ている。それだけでなくロシアのTV局など外国のメディアまでいるのだ。われわれも、その脇に小さなデジタルカメラの三脚を立てる。「うちの子の視界をさえぎらないで(怒)」とどこかのお母さんに怒られたりして。少々やるせないが、そこはドンマイ。
やがて象が間もなく登場、となったときに、例によって例のごとく、何も機材のセットアップを手伝わないテミスが「おーい、おーい」と呼んでいる。振り向くと「NY州のアップステート(州の北の端のほう)からやって来た親子を見つけたの。インタビューしましょうよ。」と。例によって例のごとく空気を読まない女だよ。間もなくイベント自体が始まろうとしているのに、それを逃したら元も子もない。。「じゃあ、後で。」そこに、象が2匹登場。
アジア象の親子は、母親のシャンティ(31歳)、オスの子象のカンドゥラ(5歳)。象の屋外の遊び場に置かれた、どでかい西洋カボチャに向かって小走りしていく。カンドゥラがまずサッカーの要領でポーンと一蹴り。場内から歓声が上がる。そうかと思ったら、カボチャの上に、右足を乗せると思い切り「ぐしゃ」と踏み潰した!
楽しそうな子供の象の姿に、場内からは、さらにひときわ高い歓声が上がった。つぶれたカボチャの水っぽいかけらを、鼻先で摘み取っては、口に運ぶカンドゥラ。食べられる”おもちゃ”を手に入れて、本当にうれしそう。それを見て、子供たちは大喜びである。
象を一くさり撮影した後、くだんの親子のインタビューを撮影。ベンとルビーという兄妹は、家庭内学習のために動物園にやってきた。
ベン「象はビタミンCが沢山入っているから、パンプキンが好きなんだよ。」
ルビー「ぞうさんが、ぱんぷきんを、”とん”したのお。」

コートニーというお母さんは、末っ子のフランシス君を風呂敷みたいなベビーキャリアーで運んで、カウボーイハットで決めている、なかなか素敵なママさん。
コートニー「動物園は素晴らしいわ。うちなんて、もう3回も4回も子供達を連れてきたわ。日誌をつけたり、友達に動物園で見たことを手紙に書かせたりして、家庭学習するのよ。」教育熱心なママさん、イイ!
取材は象の他にもかぼちゃを与えられたナイル・ヒポポタムス、つまりかばの映像を撮影して終了。かぼちゃには目もくれず、水の中でひたすら動かない巨体の「ひぽ」が印象的であった。。ここでぐずり気味のテミスを、彼氏がなだめているのを横目に、「真面目組」のサラと私は寮に一度戻り、原稿を書いた。ちなみにこの動物園は、スミソニアン博物館協会の傘下のため、入場料は完全無料!いつ行っても、何人で行っても無料である。であるからして、昼食をはさみ、もう一度象舎の前に戻って、立ちレポを収録することにした。しかし、ここでテミスは「彼氏が来てるから、バーイ」と消えた。はあ、都合がいいったら。
これがサラの立ちレポ風景。「The elephants love the taste of their edible toys which provide nutritions as well. The zoo keepers will give more pumpkins to the elephants and hippos throughout November for more stomping fun. From your Washington bureau, this is Sarah Mirza for W-S-E-E Newswatch.」「=象は栄養もある、食べられるおもちゃの味をお気に召したようです。飼育係は、今後11月中ずっと、象やかばにつぶして遊んでもらうために、かぼちゃを与えていくそうです。あなたのワシントン支局から、WSEEのサラ・ミルザがお送りしました。」最後のWSEEの部分をW-E-N-Y channel36(ニューヨークの局の名前)に差し替えて、私も立ちレポ収録する。ワシントンに来てから、あまり立ちレポ撮ってなかったな。それにしても象を背景に背負っての立ちレポってのは、一生のうちに何度もあることでもない。サラと共に「あ、いま象が動いたから、向かって左に体を動かして」「あー象が背を向けて帰っていくのでNG」と象に翻弄された立ちレポ収録だった。
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Monday, November 07, 2005
My dearest Anderson Cooper's "360" has been improved, extended and moved to 10PM!
午後10時5分前。そわそわしながら、大学の寮の居間に据えてあるサラのテレビの前に陣取る。CNNをつける。午後10時。あんだーそんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!?(>2ちゃん。)
そう、きょうから私がオフィシャルに愛してやまないCNNのアンカー、アンダーソン・クーパーのニュース・ショー「Anderson Cooper 360°(アンダーソン・クーパー・スリー・シックスティー)」が、午後10時に移行した。これまで同番組は午後7時から1時間だったが、午後10時というプライムライムへの移行に伴い、深夜0時までの2時間に放送枠も拡大。やった、やった、ヤッタ!おめでとうアンちゃん。これからは平日の夜アンちゃんが2時間も見れるし、夜10時なら、帰宅後に自宅でゆっくりと見れる〈確立が大)。出世だ、アンちゃん。ハリケーン・カトリーナの取材で一躍時の人となったアンダーソンを、CNNが放っておかなかったっす。ふふふ。ひとりほくそ笑みながらTV画面の写真を撮る私を、自室〈各自個室があり3人で居間ほかを共有する寮である)から出てきたサラが、いち早く見つけた。
「あ、テディ、ま、まさか写真撮ってるんじゃーないんでしょうねーきゃーやだー撮ってるほんとーにーーーー!ビッキーーー(=もう1人のルームメート)、見てえ。テディったらTV画面に映るアンダーソンの写真撮ってるう。。くはははは。」
うるさいやい。アンちゃんのことは、昔からふぁんだったんだけど、NYで実物に会ってからもっとファンになったんだい。ゲイだろうが、お坊ちゃんだろうが、アンちゃんは私の心のオアシス、そして放送ジャーナリズム界のヒーローなのだ。番組は、夜10時台に移行した初日ということで、アンダーソンがCNNで仕事を始めた2002年当時の秘蔵映像なども流された。アンダーソン自身のミニ・バイオ〈経歴)紹介、というわけである。
写真は先週まで夜10時台の番組を担当していた、アーロン・ブラウン氏。彼の落ち着いた保守的な語り口に慣れた視聴者層にとっては、若くてキュートなアンダーソン(38歳)はもしかして、ちょっと急激な変化!?かもしれなかった。そこで、アンダーソン(というかプロデューサー)の粋なはからいで、きょうの番組内では、「アーロン・ブラウン氏の経歴紹介」ミニリポートも、流された。
「ブラウン氏は、2001年の9.11の時にCNNに参加、その落ち着いた語り口で多くの視聴者をひきつけました。」
結果的に”追い出し”てしまった先輩アンカーへのトリビュートレポートを流し、「ブラウンさん、番組を見ているか分からないけれどこれまでお疲れ様でした。」と画面にむかって呼びかけるあたり、アンダーソンのほうが一枚上手というか余裕ありか。((( ^o^ )))///
ぐあんばれ・アンダーソン、羽ばたけ・クールビューティ(+シルバー・ヘア)、現場に突撃して現場ならではの絵を落ち着いて伝えてくれる、アンちゃんの「ゲンバ主義ジャーナリズム」をこれからも見せ付けてくれることを、おおいに期待する。
余談だが、こうした私の「アンダーソン熱」、すでに広く知れ渡ってしまった。サラとビッキーという私のルームメート達は、アンダーソンを”テディのボーイフレンド”と呼ぶし、最近は大学院のワシントンプログラム参加者のほぼ全員、さらには教授たちまでにも、私の「アンダーソン好き」がばればれなのである。う、は、恥ずい。。
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Sunday, November 06, 2005
アダムス・モーガンを満喫~モノクロ画面に煙草の紫煙が揺れるデカダンス・映画「Good Night, Good Luck」鑑賞
秋真っ盛り!といった紅葉の中を、アダムス・モーガン地区へ歩く。(11月分の更新が5月になってしまって。。季節感のない投稿を許して~。)ブランチだ!ブランチ。昨晩高級スシを食べたのにも関わらず、またお腹が減ってしまう自分の食欲がうらめしい。。
アダムス・モーガン、メインストリート(18丁目)のカラフルなレストラン街。どれにしようか、迷うくらいワールド・レストランが並んでいる。アフリカ、インド、エジプト、フレンチ、ベルギー、中東。。
その中から「Bardia's New Orleans Cafe」をチョイス。具沢山のオムレツなどをいただく。テーブルも決して大きくはないし、狭い店内だけど、店長らしき人の人情味はあふれているし、雰囲気は抜群で大満足。ニューオリンズでしか売っていない、チコリ・コーヒーを食後に。窓からレストラン通りの眺めが楽しめて、最高の席。
日曜といえども、大学院の課題として映画「Good Night Good Luck」を見なければならない。51年、CBSニュース「シー・イット・ナウ」で黄金時代を築いた実在のアンカー、エドワード・ムーローの活躍と社会との軋轢、さらに、ムーローを助けるスタッフや会社側との葛藤を描く。モノクロームの映像に濃厚なジャズが流れ、主人公らがくゆらしまくる煙草の紫煙が、そのまま画面から匂い立ってきそうなデカダンスあふれる映画。しかし、ジャーナリズムの黎明期を真正面から描いた貴重な作品でもある。また、現代のメディアの置かれている状況にも通じる、、「利益を追求する会社側と、ジャーナリズムを追及しようとする現場側」の対立を濃く描いた。監督は、お父さんがニュースキャスターだったことからこの映画を思い立ったという、俳優ジョージ・クルーニー。ムーローを助ける名プロデューサー、フレッド・フレンドリー役にもジョージ・クルーニー。バーボンや、ウィスキーのストレートをあおりながらでも、見たい映画。ムーローの番組最後の決まり文句といえば、顔を左斜め下に20度ほど傾け、右側の横顔を気持ち多めに見せながら、煙草を左手に持ったまま「Good night, (少し間を置いて) and good luck..」である。。
夜は同じアダムス・モーガン地区のメスカレムという有名エチオピア料理屋さんへ。大皿一杯に広げられた、「そば粉のパンケーキ」的な灰色のふかふかロール巻きの上に、カレーの具を乗せてくれるので、手づかみでケーキの切れ端をちぎり、具をはさんで”がすがす”食べる。
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Saturday, November 05, 2005
友人訪問中。”ザ・ヒル”をそぞろ歩いてポトマックを下りスシでしめるDC巡り。
友人が二人、DCにやって来た。一人は大学院仲間でボストンから昨日到着したNちゃん。狭いけれど、寮の部屋にルームメートのエアーベッドを借りて泊まってもらう。ようこそDCへ。写真は連邦最高裁判所前にてパチリ。
もう一人の友人はNYから。アムトラックに乗ってやって来た、日本の某夕刊紙の記者Kさんだ。キャピタル・ヒル巡りと決め込んだきょう、連邦議事堂前でパチリ。
”ヒル”(議事堂のあるあたりは小高い丘になっているため、キャピタル・ヒルという通称である)を巡った後はジョージタウンへ。ご存知・名門ジョージタウン大学のあるカレッジタウン。ポトマック川の支流に作られた運河沿いにある、「Seacatch」にて昼食。運河を眺めながら、オープンテラスでの食事。11月とはいえよく晴れ上がったきょう、外での食事は気持ちがいい。
食事の後はポトマック川を下る観光船に乗ってみた。左河岸にはケネディセンターが白亜の殿堂ぶりをさらし、青い空にはひっきりなしにレーガン・ナショナル空港に発着するジャンボ機が飛び交う。後ろにはジョージタウンの町並みが見え、川岸にはDC特有の森がうっそうと形成されている。いつ来ても不思議な地形だなあ、と思う。森と川と白い建物の町、それがDCである。
アーリントン墓地へ。ケネディ元大統領のお墓を訪問するときは、携帯電話の電源を切るようにしましょう。私は見学中に携帯が鳴ってしまって、セキュリティーの兵士に「Silence!」と怒られた。そう、ここは偉大な大統領の眠る神聖な場所なのである。。
続いて徒歩で「イォーウ・ジーマー」こと硫黄島メモリアルへ。何度見ても日本人の私には多少屈辱的な、「硫黄島に旗を立てるUSマリーンの銅像」である。同行したK記者も、怒っていた。。
一日の〆は高級スシ!しかも私のアメリカ人の友人を呼んだため、テーブルには合計8人が座った。(写真は4人だけだけど)豪勢に桶スシを2つ頼み、きゃーきゃー言いながら楽しむ。やはりスシは、いい!この店に来るのが初めてのアメリカ人たちは、特にはしゃいでいた。じゃぽねーぜ万歳!
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Wednesday, November 02, 2005
”政治とカネ”テーマの取材に四苦八苦~ベテランズ・デーの取材を仕込む
”政治とカネ”をテーマにした取材をし、記事や放送原稿にして提出せよ、という課題の締め切りが近づいている。特定の議員を選び、その人が「やけに特定のロビイストからお金をもらっている」とか、「お金の流れが不透明だ」とか、そんなことを詳しく調べて記事仕立てにする。アメリカでは、FEC(Federal Election Commission)とか、The Center for Responsive Politics 。という政治家のお金の流れをリサーチしている独立調査団体のウェブサイトを検索すると、議員たちのお金の使い道がつぶさにわかるようになっている。全て透明なのである。そんなのを使って、好きな議員の、好きな話題を見つけて実際に議員の事務所に電話をかけて確認する。そんな感じでストーリーを組み立てろというのだが、なかなかテーマが見つかるまでに四苦八苦した。
私はペンシルバニア州のイングリッシュ下院議員〈共和党)が、選挙資金の違法流用で9月に起訴されたトム・ディレイ下院議員に、2004年の選挙当時お金をもらっており、それをめぐって民主党寄りの政治アクティビスト団体が”違法なお金だから返しなさい”とイングリッシュ議員に訴えかけている、というトピックを見つけ、その裏づけとコメント取りに走ることにした。インタビューしたい人にはなかなか連絡が取れないし、政治とお金の関係をどう説明するか、大変苦労したものの、何とか締め切りに間に合った。新聞学科の学生は記事を提出したが、放送学科の学生は、今回は「映像にするのが難しかろう」ということで放送用の構成原稿のみを仕上げ、提出した。よかった、撮れ、って言われていたら、絵がなくて大変だったかもしれないからだ。
気がつけば時すでに11月。11月といえば、ベテランズ・デー(退役軍人の日)という祝日がある。この日をめがけて、全国から退役軍人がアーリントン・メモリアル(国立の墓地)の戦友の墓地に花を捧げにきたり、ドラマが生まれるという。そこで、ペンシルバニア州、ニューヨーク州からそれぞれやってくるかもしれないベテラン(退役軍人)に連絡をとって、取材が可能かどうか、何か面白いヒューマン・ストーリーがないかどうか、調べ始めることにした。特に、イラク戦争のベテランがいたら、面白い話が聞けるかもしれない。両州の退役軍人ネットワークをウェブサーチして、片っ端からメールを送る。「もしかして次の週末にDCに来ますか?もし来るのでしたら、今年の退役軍人の日に対する思い入れを教えて下さい。」果たして、取材対象は見つかるか?
とある日本と中国に関する講演会に出かけた。中国人は、英語のうまい人もいるけど、日本人と同じで、プレゼンテーションが下手だなあ。発表が固いし、理論的じゃない。アジア人がプレゼンテーション上手になる日は、いつ来るのか。。
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Tuesday, November 01, 2005
議員生活25年・スペクター上院議員の栄光と影
「す、すぺくたーの独占インタビューのチャンス!?行かなきゃじゃん!」ある日メールで届いたプレスリリース。受け取った私とサラは、色めきたった。メールは、アーレン・スペクター上院議員の広報秘書からのものだ。われわれBU院生ワシントンチームが、クライアントとして映像を配信しているペンシルベニア州エリー市のローカル局チャンネル35WSEE(CBS系列)のニュースディレクターが最も映像を欲しがる議員の1人、それがスペクター議員(写真)である。スペクター議員は、イエール大ロースクール出身の元弁護士でフィラデルフィア地方検事という職歴を持つことから、上院司法委員会の委員長を務めている。最高裁判所の人事異動の際、その指名承認プロセスに大きな役割を果たしている司法委員会の長として、また76歳のベテランセネターとして、共和党内の大物議員の1人であるといえる。写真は2005年ジョン・ロバーツ最高裁長官承認の際のもの。これまで、スペクター氏は最新のアリート判事を含め、1人を除いて現行の最高裁判事全員の指名を見守ってきた。
広報秘書からのプレスリリースには、「スペクター議員の議員生活25周年記念パーティの案内」とあった。しかも25年の任期とは、ペンシルバニア州の歴史の中で、最も人気の長い上院議員ということにもなるらしい。上院会館内の司法委員会の一室で、立食形式のパーティが行われる。大物議員にインタビューできるチャンス到来!しかも広報秘書は「ローカル局であるWSEEだからこそ取材に来てもらいたい」とわれわれあてのメールにわざわざ書いている。またとないチャンスである。
スペクター氏は、2005年2月にホジキンリンパ腫というがんの一種に侵されていることが分かり、5ヶ月の放射線治療を受けて、髪の毛がすっかり抜け落ちてしまった。まばらに生えてきた今も、白髪になってしまった。(↑最初の写真を参照)しかしその間も上院議員としての職務を全うした上、2005年7月22日に最後の放射線治療を終え、見事な復活を見せた。髪がくろぐろとしているときの写真はココで見れる。上の現在の写真と比較してみてください。
11月1日夕方5時ごろだったか、やって来た上院ハート会館ビル。きょうのBU院生チーム/WSEE特派員取材班は私、サラ、テミスの3人。スペクター議員は、ペンシルバニア州のみならず、隣接しているNY州にも選挙区がまたがっているということで、NY州エルマイラ市のローカル局、チャンネル36WENY(ABC系列)のニュースディレクターも、「映像がほしい」というオーダーをよこしてきた。よって、私がペンシルバニア向けの絵を撮影、テミスがニューヨーク向けの絵を同時に撮影するということになったのだ。少し早くパーティ会場に到着した我々は、スペクター氏の議員生活25周年を祝うケーキ〈写真)などを撮影。テミスの撮影は若干(というか、かなり)不安が残るものの、2カメ体制で議員の登場を待ち受けた。
写真にはないが、パーティは50人あまりの人が出席で大盛況。上の写真の「25周年お祝いケーキ」も、ケーキカットされて飛ぶように参加者向けに「はけて」行った。テミスとの2カメ取材は、おおむねうまく行ったものの、テミスが私に張り合って「いい絵」をとろうと縦横無尽に動き回るので、われわれの音声コードが絡まったり、参加者の視界をブロックしたりと少々迷惑な思いをさせられた。(ドンマイ!)パーティの後、廊下でスペクター議員に我々の「2カメ」で、独占インタビューを行った。写真は待ち時間の間、雑談するテミスと私。
パーティのあいさつ回りの後、大物議員はわれわれBUチームの取材に、意外にも気さくに応じてくれた。インタビューでは、自身の25周年を称して、「マイルストーンだって?そんなにすごいことではないと、感じている。明日もまた普通に議員事務所で働くだけだ。」といたって謙遜気味に語っていたのが印象的。奥さんのジョアンさんも、パーティに来ていたところを突撃インタビューしたが「健康だけには気をつけてくれれば。それだけです。」などと語っていた。本人は私の、「健康は大丈夫ですか?」との問いかけに「全く問題ないよ。」と答えた。夫婦ともども大物ぶらない謙虚な人々だったし、76歳という高齢のセネターで、病を克服してなお精力的に活動する姿は素晴らしい。
しかし、そんな謙虚なスペクター議員は、さまざまなホットな話題をメディアに提供してきたことでも、知られているのだ。たとえば、最高裁のクラレンス・トーマス判事が1991年に指名された際には、「セクハラを受けた」と訴えるアニータ・ヒルさんの証言の信憑性のなさを暴いた。さらにさかのぼると1963年にはケネディ大統領暗殺に関するウォーレン委員会の首席コンサルタントとして活躍。ケネディ暗殺は「単独犯によるものだ」ということを結論付けた報告書を執筆したことでも知られている。最近では、胚性幹細胞(stem cell)の推進派として活動しているし(彼自身のホジキン腫の治療に効果があるとの主張)、共和党員でありながら合法的な妊娠中絶を容認する、いわゆるプロ・チョイス派でもあるのだ。
パーティーには我々以外のメディアは誰もこなかったので、「独占取材だ!」といきまいた我々だが、ま、それは別の言葉で言うと「ローカル局が好むネタでしかないニュース」ということでもある。とりあえず、どんな形であれ、大物議員をインタビューできた喜びを胸にしつつ、議事堂そばのフェデックスから、しこしことペンシルバニアに向けてテープをオーバーナイトで送る。「お疲れええ。」って英語で言えればいいけど、そんな英語はないので、何も言わずに本日の取材は終了とする。。あーつかれたびー。
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Monday, October 31, 2005
タイム誌の記者のレクチャーもそこそこ・自分のプレゼンにどきどき。
月曜講義のゲスト・ジャーナリストは「タイム」誌のシニアワシントン・コレスポンデントでピューリッツアー賞受賞歴もあるマーク・トンプソンさん。BUのコミュニケーション専攻の卒業生である。近頃ではタイムのイラク戦争についての記事で活躍。イラクで米軍への従軍取材も行った。奥さんもUPIの記者で、2人そろってカイロ支局に転勤になった経験があるとか。
きょうのレクチャーのテーマは「いかに編集デスクや支局長に企画を提案するか」について(How to pitch a story idea)。「いかに君のボスに君の企画を通させるかは、君の説得次第だ。状況を見て、タイムリーなネタをフりたまえ。ただし、ネゴはしても無駄だ。情熱的にいかにこのネタが売れるかをボスに説明できたときには、君の企画は半分完成したのと同じ。」
<写真は寮兼教室兼ニュースルームのBUセンターの廊下)実はきょうはトンプソンさんの講義は、半分は上の空だった。テディはきょうプレゼンの担当なのだ。ゲストが帰った後、「じゃあ、テディやってもらうおうか、前へ。」という講師のロバーツの呼びかけにどきどきしながら前に立つ。
「よい放送リポートの持つ要素は4つあります。”テーマをよく現すよい映像があること””絵にあったナレーション””よいサウンドバイト(音生かし)””リポーターの自信をもった立ちレポ”です。放送レポートは、この4つを複雑に編みこんで、できあがります。それでは私が見つけたよい例を紹介します。」
ふう~なんとか。このプレゼンは全員が一度ずつやるもので、テーマが一回の授業につきひとつ設定してあるのでそれにマッチしたニュースレポートや新聞記事を見つけ、それについての分析を発表する。今回の授業全体のテーマは「調査報道=investigave reporting」なので、それにあったCBSのニュースの映像をネット上に見つけ、同級生全員にすでにリンクをメールで送ってあった。プレゼンの後半はそのリポートについて、私の分析を発表。なかなか手ごたえもよく、講師のロバーツ(ラストネームは難しくて誰も発音できないので、皆でファーストネームで呼んでいる)も終わった後に「テディ、実によかったよ。いや、本当にimpressedだ。」と直接話し掛けてきた。うれしい。
あ~あ。疲れた。でも過去2日間、半徹でインターン中にまで内職して準備した甲斐がありました。。いやあ緊張するなあ、プレゼンって。。アメリカ人は学生はリラックスして発表しているけど、試しにやつらも外国語でプレゼンしてみればいいのに。(アメリカ人って外国語習得率低いからありえないけど)
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Friday, October 28, 2005
Wall St Journalワシントン支局長が来校〜マシュマロ・メローにめろめろ。
金曜朝のレクチャーはウォール・ストリート・ジャーナルのゲラルド・サイブ、ワシントン支局長が来校。”Capital Journal"というコラムを
同紙に執筆している。CNBCのワシントンについてのコメンテーターでもある。鋭い眼光が印象的なサイブ氏はワシントンという政治の町でお金に関連するニュースを取材する極意を、教えてくれた。この人も迫力あり。最近は、「じゃ、院生の皆さんも自己紹介してもらおうか。はしから所属学科と、インターン先を教えて」などというゲストが多く、朝から大声で「ラシュミーです。新聞学科です.インターン先はウースター・テレグラム紙と、ボストングローブワシントン支局です。はじめまして」などと言わないといけない。この日は、こともあろうにテディの番になってなぜだかどもってしまい、うまく自己紹介ができない。緊張していたんだろうか。「テディです。に、に、に。日本から来ました。放送学科です。インターン先はペンシルバニアとニューヨークのTV局と、に、に、に、日本の○○というTV局です。」という有様。私は体調が悪かったりすると、どもる家系に生まれた。子供の頃からのどもりとの付き合いで、慣れているはずなのだが英語でもどもるときはどもる、のだ。皆さん知ってた?ま、きょうはWSJの支局長を前に緊張したんだろうね。何しろ昔は経済関連のニュースばっかりやっていたから。。
夜はワシントンチェーン店のカフェ「Cosi」で、マシュマロ溶かして食べるあの「マシュマロメロー」が卓上でできると知って、オーダー。溶かしたマシュマロをオレオの間に挟んで食べる。う・め〜。
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Wednesday, October 26, 2005
大学の機材庫の整理をする。「カモーン・ジェイク!」
これがわれわれの事務所である、BUワシントンセンター・ニュースルーム。大学を通じたローカル局インターンとして、われわれは週2-3日、ここに「勤務」している。寮の1階にあり、エレベーターを降りれば”勤務先”に到着する。職住が一緒なのである。一人ひとりの学生にデスクとコンピューターと電話が与えられていて、奥に講師兼エディターの席がある。さらに奥にはわれわれブロードキャストの学生のための編集室がある。機材庫にはデジタルビデオカメラソニーVX2000もといPD150が2台、三脚が3台、照明キット、ピンマイク10個、ハンドマイク4個、AVID入り編集用パソコン1台、ファイナルカット入り編集用パソコン1台、リニア編集機、ミニDVデッキとモニターとDVDデッキなど豪華〈?〉機材がそろっているが、実は壊れている機材がそのまま放置されすぎていて、管理もずさん。
そこでなぜか私が壊れているものと壊れていない機材をより分ける、「インベントリーチェック係」となった。同級生/ルームメートのサラが「機材が沢山壊れている」と繰り返し大学側に修理を呼びかけているのに、なかなか実現しない。カメラを固定する部分が無くなっている三脚とか、断線したピンマイクとか、そんなものが多すぎる!つーことで、大学の機材庫の整理に費やした一日。都合のいい同級生は(誰とは言わないけど)いつもこういうことから逃げるんだよな。だからいつもサラと私に「お鉢」が回ってくるのよ。そういや彼女達は、取材に行ってもカメラのバッテリーすら充電しないで放置したり、する。。
「インベントリー」をメールでご進言すると、数時間後にプログラム・ディレクター(というか寮母に近い。。)のキリアン教授にが巨体を揺らしながらニュースルームにやってきて、「テディー、サラー、機材のことは、わかったけどお、ちょっと待ってちょうだいね。」って、いつまで待てばいいんだよ!と私がしびれを切らす前にサラがびしっとこう言い放った。
「教授、もう10月です。私達のプログラムは12月で終わるんです。だから、すぐにボストンからジェイクを呼んで下さい!!!」
ジェイクとは、大学本部のブロードキャスト生向けの機材を貸し出している機材庫(通称「ショップ」)に勤務する若いエンジニア。彼に頼めば、テクニカル・プロブレムは全て解決する、はず。そう思いたい、というかそう信じている。だから我々はきょうから毎日教授に直訴することに決めた。「ジェイク・カモーン!」と。
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Tuesday, October 25, 2005
ヒラリーがクリーン・エネルギーの必要性を訴え。
最近は火曜日と水曜日ともなると、朝からペンシルバニア州やニューヨーク州のローカル局のために州選出の議員の取材に出かける。何もない日もあれば、複数ネタがある日もあり、インターンといえども独立した「記者」なんである。しかも、インターネット時代だから、議員の動向なんてすぐクリック一つでわかるもんで、上司が遠隔地にいるからといってさぼるわけにもいかないのだ。本日はヒラ・クリことNY州のセネターのヒラリー・クリントンが早朝からDCの高級ホテルでスピーチをするというんで、それっと飛びついた。
講演テーマは「代替エネルギーについて」。ブッシュ大統領の共和党もガソリンの代わりに水素などクリーンエネルギーの開発・推進に予算をつぎ込むことを公言しているが、負けじとヒラリーの民主党もクリーンエネルギーに関心があることを示そうとやっきである。きょうは風力発電やら、ソーラーパネルやらを開発するベンチャー企業のマッチメイキングの場のキーノートスピーカーとして、ヒラリーが現れた。並み居る大人の男性達を前に、ヒラリーはきょうもコンサバだけれども主張のあるスーツでびしっと決めて、姿勢も正しくスピーチ。この人は、クリントン前大統領の奥さんやってるときから、さぞかし議員になりたかったんだろうね。彼女のスピーチはとても旨いし、(もちろんスピーチライターがいるんだけど)説得力があるし、落ち着いて理論的である。それに、いつも綺麗に髪をセットして、化粧をびしっと決めている(当たり前か)。上品だけど、インテリジェンスが漂う。やはりカリスマ的な女性政治家なのだ。
スピーチを収録した後、クリーンエネルギーに関するベンチャー企業の展示会を撮影していた。その時、ニューヨーク州のローカル局のニュースディレクターから電話が入った。
「ヒラリーもいいんだけど、○○というニューヨーク州の下院議員のこんなコメント、とってくれないかな?今から詳細をメールするから。交渉してみて結果を知らせてくれ。」
やれやれ。一つ終わったと思えばまた一つミッションが下った。きょうの撮影パートナーのテミスが議員の事務所に携帯で交渉をしている脇で、私は風力発電の会社の展示などの雑感をデジタルビデオカメラに収める。
「せっかく朝早くから来たんだし、フリーフードをもらいましょうよ。」
ラテン系(スペイン人)のテミスはちゃっかりと展示会参加者用のオードブルやコーヒー、クロワッサンの乗ったテーブルを見つけ、ぱくついている。何があってもいつでもどこでも「ちゃっかり娘」だよ、この子は。。この人とはボストンからの長い付き合いだけどペースが狂っちゃう。。その食べ物はフリーじゃなくて、高い参加費用を払っている参加者用なんじゃない?それに下院議員のアポ、とれなかったらインターン先の期待に沿えないし。。彼女といると、なんだかいつもはらはらどきどきしてしまう、損な私。
ま、いいや。アポもすぐとれないので、寮に帰ろうとすると外は雨。「早く。テディ!」DCのダウンタウンを、ぐいぐいと早足で歩いていくテミス。いいや、もう一緒には歩けない。「先に帰ってて。私歩くの遅いから」人に合わせるのは、もうやめよう。ペースが狂う人に無理にあわせる必要はない。マイペースで行けばいいのだから。
つーことで、1人地下鉄に乗ると、こんな公共広告が。
「地球温暖化・海の温度が上がればさらにカトリーナクラスの殺人ハリケーンが発生するんです!」カトリーナの被害がよっぽどショックなら、アメリカ人もやっぱり地球温暖化に目を向けるべきだよな~。1人でもガソリン車に乗るのをやめて歩いたり、エコカーに変えればグローバル・ウォーミングは防げる。だからして、やっぱりクリーンエネルギーは大事。頼むからアメリカよ、京都議定書にもサインしておくれよ。でもこの国じゃあ、京都議定書のことを聞くと多くの人が口をそろえて「それは話が別!」って言うんだよな~。「アメリカは国がでかいし、産業レベルもでかいから応分の二酸化炭素を排出していいんだ」ってそうかしらん??激しく疑問だわん。朝のヒラリーも、場内からの質問に「京都議定書の批准については、十分な考慮が必要です。」なんて答えてるのよ~。頼むよ、って感じ。。
熱くなったり、外を歩いて雨にぬれて冷えてみたり。1人「グローバルウォーミング」(?)している私だが、夜はルームメートの同級生の皆さんとハロウィンのコスチュームショップなんかに行ってみた。10.31に向けて特別期間限定オープンの店で、2階建ての店内はコスチュームやパーツでいーっぱい。私は何を買ったかって?ひ・み・つ(爆)。
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Monday, October 24, 2005
ワシントンポストのスタイル欄記者ケビン・メリダ氏来校。
月曜夜のジャーナリスト・レクチャーはワシントンポスト紙のケビン・メリダ氏が登場。記者歴25年のベテランで、うち”ポスト”勤務12年のメリダ氏。議会や国政担当の後、「スタイル欄」の一面を飾る”フィーチャー・ストーリー”や”プロファイル・ストーリー”のスター記者となった。かなり異色の経歴と言っていいだろう。アメリカの新聞で、「スタイル欄」といえば、ナショナルニュースやインターナショナルニュース、ビジネスやスポーツといったストレート・ニュースと異なり、今話題の文化や人を取り上げた”読み物”的記事が書いてあるところ。それゆえに、ただ事実を整理すればいいわけではなく、読ませる記事が書けなければだめで、作家的才能が要求される。しかも、「ポスト」紙の記事だから政治家の人物紹介(プロファイル)記事が多い。メリダ氏はこれまでにアル・ゴア前副大統領やクラレンス・トーマス最高裁判事などといった人物を取り上げた長編のプロファイル記事を執筆し、名をあげた。
ちなみに彼はボストン大のコミュニケーション学部の卒業生。卒業生のスター記者が来校、となれば俄然教室も色めきたって、Q&Aコーナーは質問する前に皆が「ハーイ。僕ライアンです。あなたの記事いつも読んでます」とか自己アピールしてから質問するから、いかんせん長くなり。。おいおい早く質問しろよと思わず突っ込みたくなる。ま、新聞ジャーナリズム学科の学生は、多くが将来はメリダ氏のような「読み物担当」記者になることを夢見ているからして無理はないのだけれど。
それはさておき、そんなすごい政治家の密着ストーリーばかり書いているから、どんなにすごい「がちがち」の記者かと思ったら、メリダ氏はすごくソフトな人でした。学生の質問にもとっても丁寧に答えていたし。このソフトさや柔軟さが、大物から思わぬ打ち明け話+とっておきのエピソードを聞きだすコツなんだろね。勉強になりましたです、はい。
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Saturday, October 22, 2005
ミシガンロケ2日目。ミソ・ラボ訪問とミシガン大の美しいキャンパスに心なごむ。
とうとうやってきました、ミソ・ラボ。ミシガン大のソーラーハウスはこの研究室から生まれた!
ジョン君に研究室を案内してもらう。雑然とした部屋だが、2年間に渡った開発の苦労のあとがアリアリ。デザインの変遷の移り変わりなどを、見せてもらう。「30人からなる建築学科の大学院生や大学生をまとめるのは、大変だった。一つのデザインにまとまるまで、夜11すぎまでミーティング、ミーティングの連続だった。」(ジョン君)
この日は解体したソーラーハウスがワシントンDCからミシガンに届く日。荷降ろし風景などで活動するジョン君を撮影。ジョン君は、早朝からの取材にも関わらずいやな顔一つせずにわれわれのロケに協力してくれた。ラボで見ると、ジョン君は立派なプロジェクトリーダーの顔をしている。きのうは奥さんのトレーシーと一緒にいて「子供を持つ夫」の顔だったのに、きょうは「きりり」として”建築家の顔”をしているのだ。自分より若い人がこうして家庭と仕事・学業を両立させている姿を見ると、シングル・ウーマンのテディとしては焦るなあ。
これがミシガン大楽建築学科の中庭に作られたミソ・ハウスのプロトタイプ。こうしてモデル研究を重ねながら、ワシントンDCに建築したミシガン大のソーラーハウスが生まれた。上位入賞は逃したけど素晴らしい家だったよ、ジョン君と褒めてあげたくなるくらい、すでに取材対象に感情移入している自分がいる。
チャリ通勤しているジョン君。自転車に乗りながら手を振りお別れ。最後まですがすがしい青年だった。アメリカ人にもこんな人もいるんだ。われわれロケ隊はミシガン大のメインキャンパスへ向かう。Go Blue!とはミシガン大の体育会スポーツチームを応援するときの掛け声だとか。スクールバスもブルー。
バートン・メモリアル・クロックタワーというメインキャンパスの象徴的建物を撮影。いわゆる「場面転換」に使えるカットである。
朝食抜きでロケをしていたのでおなかがぺこぺこ。Angelo's Restaurantはメインキャンパスから程近いブランチ・ブレックファストの店。日曜の朝だというのにほぼ満員。「Eggs Benedict」(写真)はベーグルに熱々のHollandaiseソースというマヨネーズソースみたいなものがかかって、半熟卵とサーモンが真ん中に乗っている逸品。うまい!!!
あまりに構内の紅葉がきれいなので、紅葉ばかり写真を撮る。
緑の屋根の建物に赤い葉が映える美しさ。
さらに紅葉の写真をお目に書けながら、テディからいくつかご連絡。
*プロフィール更新しました。「なぜボストン大学なのにワシントンDCなの?」という疑問が氷解します。チェキラ!
*これを書いているのは06年4月です。大学院が忙しくて更新ディレイしまくりです。ちなみにきょうは4月16日。iTunesのラジオで「Iranianradio.com」を聞きながら書いています。日本でも聞けるのか分からないけど、ミドル・イースト系ポップスが好きな方はおススメです。再三のIAEAの呼びかけを無視、ウラン濃縮に成功して「核保有国」となったイラン。国際社会に「イランなんて要らん!(おやじギャグ御免)」なんて総スカンをくらってる国だけど、文化は興味深いものがあるんです。この間「アラブTV文化」についてのレクチャーを聴いたのでそれについても順次upする予定。。
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Friday, October 21, 2005
紅葉のミシガンで「ソーラーハウスに賭けるジョン君の夢」出張ロケ
ワシントンDCのナショナル・モールでミシガン大のジョン君に会ったときには、まさか自分がミシガンまで実際に出かけることになるなんて露とも思っていなかった。晴れて「ソーラーハウスに賭けるジョン君の夢」が某日本のTV局のにース番組の企画として通ったので、ミシガン州でのジョン君の新婚生活ぶり、大学のラボの様子などを撮影するために1泊2日のロケ旅行に出かけることに。写真はDCのレーガン・ナショナル空港で飛行機に乗る直前にポーズをとる某局のフリーランスカメラマンのSさん。ベトナムとフランスのクォーターで、今はアメリカ人。(なんのこっちゃい。。)
1時間半ほどでデトロイト空港に到着。早速レンタカーをして、名門ミシガン大学(University of Michigan)のある学園都市アン・アーバーへと向かう。車中はカメラマンのSさんが弾丸トークをしていて、終始笑いの渦。30分ほどでジョン君の家に到着。ジョン君は、この家を何と大学院に通う傍ら自分で建てた(!)。建築家を目指すから当然といえば当然であるが、「まだ外壁が出来上がってないんだよね。ミソ・ハウスにかかりきりで。。」そ、そうだけど、これじゃあ、奥さんも大変なんじゃあ!?ということできょうは奥さんにも話を聞くのである。
ところで、ちょっと笑えるエピソードがある。「ミシガンのご自宅にうかがってロケをしたいから、住所を教えてくれる?」ワシントンでこう問いかけた私に、ジョン君はちょっとはにかみ笑いをしながら「これが住所なんだけど、笑わないでね。ちょっとした名前なんだ。。」と教えてくれた。私の取材用ノートに書かれたストリートの名前は「Hiscock St」であった。アーメン。。(←分からない人は、前半と後半に分けて辞書を引いて下さいね。。)ふふふ。この写真が、その「ちょっとエッチな名前」のストリートに立つ木。あまりの見事な紅葉ぶりに写真を撮ってしまった。朝と夜の温度差が激しいから、こんなにきれいな赤色になるんだろうね。(>季節はずれでごめんなさい。これを書いているのは06年4月です重ね重ね。。)
ジョン君が我々の到着に気がついて、家からチャーリー君を抱いて出てきた。なんと可愛らしい赤ちゃんなんだろう。そして奥さんのトレーシーさんの何と可憐なこと。。新妻というか、赤ちゃんを産んだばかりの女性の持つ「母性オーラ」がなんとも初々しい可愛らしい女性。家の中にお邪魔して、新婚家庭の「雑感」撮影、とトレーシーのインタビュー。「夢を追いかける夫を誇りに思います!」こう答える彼女の目の輝きが、イイ!(・∀.)(←”2チャン”風にしてみました。)
結局オンエアでは使わなかったが、2人が夕食を作る様子なども撮影した。その間私は、居間でチャーリー君(6ヶ月?)をあやしていた。何と無防備でやわらかくてかわいい生き物なのだろう、赤ん坊って。そして青い目で白い赤ちゃんは、なんだか私にはお人形みたいに見えた。テディには実は甥がいる。妹の子供で、日本のS玉市に住んでおり目の中にいれても痛くないくらい可愛がっていた。ああ、もうすぐ2歳になる甥がどんどん育っていくと思うと、早く帰国しなきゃと思う。。。はさておき、ロケ後は我々も夕食タイム!ジョン君たちにもアドバイスをもらって、ダウンタウン(写真)のミシガン大メインキャンパスそばのビール居酒屋「レッド・ホーク」へ。カメラマンや記者さんと存分に地ビール「Bell's Two Hearted Ale」や、タコスやらに舌鼓を打つ。週末で、店は学生で満載だがそんなに青臭いわけでもない、大人の居酒屋だった。食後、通りを歩くと、晩秋のアン・アーバーの冷えて澄んだ空気が、アルコールでほてった頬にいい感じ。気分よく酔った後は、明日のミシガン大でのロケに備えて大学そばのホテルで就寝。
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「夫婦そろってジャーナリスト」スティーブ・ロバーツ氏来校。
きょうの講義はスティーブ・ロバーツ氏が来校。コラムニストで作家、ジョージ・ワシントン大学教授でメディアアナリストである。ニューヨークタイムズの記者を25年務め、ホワイトハウス担当記者やワシントン支局長などを歴任した。
奥さんはABCの政治コメンテーターとして知られるコーキー・ロバーツ氏。”美女と野獣”的夫婦<写真)だが、「夫婦ジャーナリスト」として37年間も結婚を長続きさせ、2人の子供と6人の孫がいる。2人で全米中の500の新聞にコラムを共著で書き続けたほか2000年2月には"From the Day Forward"と題した本を共著。自身の夫婦生活円満の秘訣やアメリカ史上の著名人の結婚について書き、ベストセラーとなっている。講演では、「結婚生活を長続きさせる秘訣は、”This is enough"と言える心を大事にすること」だと学生を前に語った。
また、最近のアメリカのメディアの現状について「ダン・ラザーのニュースを見るために6:30PMに毎日ニュースをつける世代と、ブログなどで欲しいときにいつでもニュースが手に入るメディアチャネルで育った世代が相反している。最初にニュースを伝えた人の勝ち、という概念が広がっている。googleにキーワードをタイプすれば全てが分かる時代に、TVニュースの必要性が薄れてきている。」と分析。
また、「メディアのオーナーシップが大きくなってきて、メディア会社も株価が全てになってきている。それがニュース報道にも大きな影響を与えている。」とも。
近頃大物ジャーナリストが次々来校しているが、サクセスしているジャーナリストほど気取らない情熱的な人が多いのが印象的である。ロバーツさんも「ビック・ダディ」という感じの懐の広いおじさんだったが、話のうまさはさすがであった。
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Thursday, October 20, 2005
ミズーリ大学院ジャーナリズムスクール・alumni達と飲み。
書き忘れてました。この日は元東京での制作会社のディレクターの先輩のアメリカ人のお仲間達と飲み。先輩が会社を辞めて修士号をとった名門ミズーリ州立大学院ジャーナリズムスクールの卒業生の方々である。私は、残念ながら落ちたミズーリ大学。さすが名門だけあって、話を聞くと彼らは卒業後も各分野でご活躍の方々であった。私もあやかりたいものだ。DCの議事堂そばのユニオンステーションから歩いて数ブロック、メキシカンレストランにて食後の一枚。気取らない素敵な方々ばかりでした。
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Wednesday, October 19, 2005
きょうも議会でぶら下がり。
きょうは、シューマー上院議員のぶら下がり取材のために上院の”ぶら下がり廊下”こと「オハイオ時計コリドー」に赴く。きょうはインターン先のローカルTV局WENYのニュースディレクターのデイビスさんから
「ヒラリー・クリントン上院議員に対抗して立候補を表明したジェニン・ピーロ氏。彼女について、同じNY州選出の上院議員のチャック・シューマー上院議員の意見を聞いてきて。」というミッションが出ている。
右の写真がピーロ氏であるが、彼女は「ヒラリーつぶし」のために共和党から送り込まれた候補者である。
「ヒラリー氏に女性対抗馬 NY州上院選、指名争いに」
【ニューヨーク05年8月12日共同】2006年に実施される米上院選のニューヨーク州選挙区で、 現職のヒラリー・クリントン民主党上院議員(57)の対抗馬として、同州ウェストチェスター郡の地方検事ジェニン・ピーロ氏(54)が 11日までに、共和党候補の指名争いに出馬表明した。勝ち抜けば女性同士の一騎打ちとなるため、 米メディアの関心を集めている。
彼女を推薦したのは、NY州知事のジョージ・パタキ氏(共和党)。ピーロ氏は共和党から出るのに、中絶擁護派でゲイ・ライツも支持するなどリベラルぶりを主張するなどしていた。それゆえ、ヒラリーと同年代の女性候補として有力と見られていたのだ。しかし、大事な立候補表明のスピーチで原稿をなくし30秒間沈黙してしまったり、莫大な金がかかるといわれている選挙の資金もうまく集まらないなど、候補者としての質が問われはじめている。さらに、ピーロ氏には共和党内にすでにライバルがいる。リチャード・ニクソン前大統領(故人)の娘婿で弁護士のエド・コックス氏(58)。地元の有権者の間ではピーロ氏よりもコックス氏を支持する声が高まっているというのだ。今回の一連のいきさつについて、ヒラリーと同じNY州上院議員のシューマー氏にぶら下がりコメントをとれれば、というのが今回の取材のねらい。
「セネター!ピーロ氏についてはどう思いますか?セネター!」
ちなみにきょうの「オハイオ・コリドー」の会見のテーマは、NY州の上院議員選とはまったく関係のない「鳥インフルエンザの蔓延について」。でも、「表現の自由」に基づき記者はどんな質問をしてもいいのだ。カメラを回す私と、ころあいを見計らって会見のテーマとまったく違う質問をぶつけるリポーター役のサラ。でも、セネターは「後で答えます!」とはぐらかし、帰っていってしまった。残念。インターン先のデイビスさんには「はぐらかされました」との旨、携帯で報告し寮に帰る。
日本から会社の元先輩がワシントンに来ている。東京のアメリカ大使館でメディアアナリストをしている彼女。今回は管轄のアメリカ国務省にあいさつに行くのだという。夜、いろいろな話に花を咲かせる。
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Tuesday, October 18, 2005
ワシントンポストのスター記者が来校。
ワシントン・ポストの記者ジェフ・バーレンバウム氏が来校。ロビイストについての連載を持つ彼は、「フォーチュン」誌のワシントン支局長を7年務めたほか、「タイム」誌のシニア政治記者、ウォールストリートジャーナルの記者歴16年などという輝かしい経歴を誇る。
「ワシントンDCは日曜の政治討論番組に出ているような”トーキングヘッド”がはびこる街。コントロールフリークの人間ばかり。だた、実は誰も何もコントロールできていないんだ。最もDCでパワフルなのは、こうしたトーキングヘッドじゃなくて、全米ライフル協会だったりする。(笑)」シニアクラスの記者なのに、飾らぬお人柄のジェフさんは、DCの政治と数字の熱い「内幕」をあますところなく語ってくれた。
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Monday, October 17, 2005
李登輝・前台湾総統のワシントン初訪問狂想曲。
「Taiwan President Lee -Our hero-」こんな垂れ幕を掲げたおば様たちが並ぶ、ここはワシントンDCのウィラードホテルの正面玄関前。このホテルのロビーに集っていた人たちを称して「ロビイスト」と言う呼び名が生まれた。けだし、きょうは「ロビー」をしにやってきたわけではない。何かとお騒がせの”英語名リー・デン・フイ”こと李登輝(りとうき)・前台湾総統のワシントンDC訪問を取材にやってきたのである。
いくらさまざまな国・地域のニュースが日々発生する国際都市ワシントンDCといえども、こういったエッジの効いたニュースの取材には、アメリカのメジャー・ストリームメディア(3大ネットワーク+CNN+FOX)は来ない。アメリカ人は、アメリカの国益がからまない国際問題には悲しいほど興味がないのが現状なのだ。。だからして、本日の取材団は日本・台湾・中国+AP+ロイター+αという構成。
李登輝さんは、10月14日からアメリカを訪問しているもの。今回の訪米について、中国政府は「中国と台湾、中国とアメリカの関係を損ねることになる」と反対する姿勢を示している。ワシントン訪問についても「台湾独立派の総代表」と見なす李登輝前総統による政治的な活動だとして、反発を強めると見られている。一方、アメリカ国務省は今回の訪問を「一個人としての訪問だと理解している」。「中台問題」に対して、「一つの中国」の立場をとりつつも一方で「台湾独立」にはあいまいな態度をとり続けてきたのが、アメリカ。台湾問題に関する記事へのリンクはここ。
前総裁は、実は米国コーネル大学の農学博士号を持っていたりするので、母校のあるNY州を訪問した後車でDC入りした。「入り待ち」すること45分以上。しびれを切らした頃に、黒塗りの車がやって来た。李登輝前総統は、総統在任中の10年前と退任後の4年前にアメリカを訪問しているが、ワシントン入りするのは初めて。だから、台湾出身者の歓迎もひとしおなのだ。だが、それにもましてすごかったのが、アジアのメディアの猛ダッシュ。取材に関しては「Politely aggressive(礼儀正しいのに攻撃的)」で有名な日本のメディアも、中国・台湾メディアの”どつき”には参った。マイクをさしかけようにも、ものすごい力で10人以上の記者団がどついてくる。
この優雅な名門ホテルの廊下が、修羅場と化した昼下がり。前総裁はほぼ何も答えずに、足早にエレベーターに乗り込むと去っていった。ところで、「日本による台湾統治時代には岩里政男という日本名をもち、京都帝国大学で教育を受け、”私は22歳まで日本人だった”と公言し、総統時代は一貫して親日路線を敷いた(by Wikipedia)」李登輝さん。今日でも日本語が最も得意な言語であるはずなのに、記者団の日本語での問いかけには何も答えてはくれなかった。残念。
しかしここでトリビアをひとつ。Wikipediaによると、「余談であるが、宮下あきらの漫画『魁!!男塾』のファンである支持者からの要望で、台湾での選挙の応援ポスターにおいて男塾塾長江田島平八のコスプレをした事があったため 一部から日本に媚び過ぎているとして批判を受けた。」とのことだ。前総裁の「男塾」コスプレ写真はココで見れる。。
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Sunday, October 16, 2005
生で見るアジアン・ビューティーにくらくら・女子十二楽坊DC公演
<偶然見つけた広告>
金曜日のことだった。ワシントンDCの週末エンタメ情報が網羅されているCity Paperをぱらぱらとめくっていて、「Twelve girls band」と題した公演の小さな広告に目が留まった。「と、とうぇるぶ・がーるずって、も、もしかして女子十二楽坊!???」
その通りであった。女子十二楽坊全米ツアー、ワシントンDC公演である。日本デビューの時から彼女達のCDを買い求め、以前の勤務先の経済チャンネルでディレクターを担当していたニュース番組でVTRのBGMを選ぶときには彼女達の音楽を積極的に使い、何年か前の日本武道館公演ではチケットが売り切れで買えず涙を飲み、アメリカ留学に際しては彼女達のCDを全て携えて海を渡った。。そんな生粋の十二楽坊ファンの私。DCなんて場所で、彼女達が見れるならもうけもん。日曜日の夕方、宿題も教科書もほおり投げ愛用の自転車にまたがり、ジョージ・ワシントン大学付属のコンサートホール「リスナー・オーディトリアム」へと急いだ。
<ミニ中国>
会場前はさながら「即席チャイナタウン」と化していた。北京語や広東語が飛び交い、当日券の列に並ぶと、”かの大陸の人々”はエクスキューズ・ミーも言わずに無言でがんがんと押してくる。ようこそ仁義なきアジアへ的洗礼を受けてホールへ入ると、場内はここがアメリカ<しかも首都)であることを忘れるほど中国人で満員。大枚を払い、前から2列目という好位置に座ることができた。隣は白人女性だが、新聞記者のようだ。どんな記事を書くのか気になるなあ。
<アジアン・ビューティ!>
幕が上がる。う、美しい!トゥエルブ・ガールズこと女子十二楽坊の皆さんは、写真やDVDで見ていたよりも、はるかに細くて綺麗。しかも、この赤いドレスがいい。露出は少な目、「寄せ」も「上げ」もしない(笑)胸元。スカート丈も、長すぎず短すぎず絶妙な透けとドレープがただただ彼女達のアジアン・ビューティーにマッチしている。日ごろ背丈も体のパーツもでかいメリハリの利いたアメリカ人の女性達ばかり街で見慣れているせいもあるが、それに比べると何と華奢で繊細な女性たちなのだろうか。さらに、舞台上の彼女達は終始アジア的・ミステリアスな”菩薩的微笑み”をたたえたまま演奏している。白人の「白い歯を出してにかー」という笑みとは異なり、口元が控えめに笑んでいる感じ。「たおやか」というのはこんな笑みのことを指すのだろか。とにかく、アジア女性の美しさにこれだけ圧倒されたのは久しぶり。
<曲目は>
また、生で聞く彼女達の演奏は、CDで聞くにも増して素晴らしかった。曲目は、1.Freedom(自由) 2.Ruten 3・El Condor Pasa 4.River Shule 5.Alamuhan(阿拉木汗) 6.Yangguan
7.Carnival 8.Take Five(五拍) 9.New Classicism(新古典主義) 10.Dunhuang 11.Whispering Earth
12.Mountain & River 13.Forbidden City(紫禁城) 14.Reel Around the Sun (Riverdance) 15.Great Valley(大峡谷) の15曲に加え、アンコールが1.Csardas(チャルダッシュ) 2.Miracle(奇跡) 3.Freedom(自由)の3曲。二胡や琵琶の合奏に、古琴と竹笛が彩を添える。誰がソロで、誰が伴奏というわけでもなく、12人全てがそろって初めて音色が完成するところがまたアジア的である。アンコールでは、ジャン・リーチュンさんの二胡ソロによる「白鳥の湖より・チャルダッシュ」には鳥肌が立った。西洋の曲がアジア楽器で演奏されるのを聞くのが、この上なく好きなのである。(ちなみにわたくしテディの母は実家でお琴教室を開いているので、子供の頃から琴がぺんぺん鳴る家で育ったせい、でもある。。)
<サインは目を見て>
終演後にはガールズのサイン会が行われた。もちろんテディも列に並んでみた。この写真がさらにぐっと近くで見たガールズたち。やっぱり可愛い(笑)。おじさんになってしまったみたいに、「はー。かわいいねえ」などと1人ごちながら12人一人ひとりにサインをもらうことに成功。
ここで少しだけがっかりしたことがある。サインするガールズたちの「アジアン・マナー」に愕然としたのである。疲れていたのだとは思うが、サインをするときは一人ひとりのファンの顔や目を見てするように、教えてやってください>所属事務所の方。言葉の壁もあるけれど、12人がそれぞれお互い同士でくっちゃべっていて顔も上げずに流れ作業でサインをしてくれました。。あ、もちろん北京語で話し掛けた人には、きちんと答えていたけれど。。で、できれば一人ひとりのファンに「にこって」微笑んであげるくらいは、してあげてほしかった。
これがサインCD。「ガールズたちに微笑んで欲しかったわ~」なんて、思うあたり、ちょっと”おやじ”化している自分を否めないけれど「できれば最後までアジアン・ビューティーに圧倒されたかったなあ」。。などと思ってしまうテディなのであった。。女子十二楽坊オフィシャルサイトはココ。サイン会はともかく、演奏とあの美しさは生で見れて感動ものだった。これからもがんばって・世界に羽ばたけトゥエルブ・ガールズ!
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Saturday, October 15, 2005
ハロウィン近し、パンプキンも大売り出し。。
秋近し。。というか秋なんだけど。(このブログを書いているのは、06年4月です、念のため。リアルタイムに暮らしを送りながら、留学生活を綴るのはディレイの連続なので、ご容赦あれ。。)大学院の寮のそばのフローリストにも、こんな大パンプキンセール中!てなディスプレーがお目見え。オレンジ色がかわいい。
収穫の季節だ(?)てなことで、生鮮市兼蚤の市、イースタン・マーケットに赴く。ワシントンにもこんなところがあったんだねー。近郊の農家で採れた新鮮な野菜を売っている。実はここ、議事堂にほど近いこともあり政治家がこっそりロビイストと密会するのにも、最適な場所として知られているとか、いないとか。。
月に何回かは、こういう「インターナショナル蚤の市」も開催されていて、いろんな国のものを売っていた。じゅうたんや、食器や、バッグや、アクセサリーなど。物欲が爆発して危ないので早めに離脱することにしようと心に決めたものの、やはり。。私はビーズのアクセサリーを、同行したルームメートの皆さんもスカーフなどを衝動買い。もちろん大事なビタミンCのもと、新鮮な野菜たちも仕入れてほくほくの帰り道なのであった。
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Friday, October 14, 2005
9.11報道で鳴らしたNBCのホワイトハウス担当プロデューサーが来校。
大学院の早朝レクチャーシリーズも次々大物が登場するようになり、大学側がスタバから買ってくれるフレッシュなコーヒーやペイストリーと共に、早起きのための大事なインセンティブになっている。本日はNBC(ネットワーク)のホワイトハウス担当プロデューサー、レス・クレットマンさんが来校。ボストン大の卒業生である彼は、ボストン近郊の地元紙記者、地元ラジオ記者、地元TVのプロデューサーを経て現在は、NBCのホワイトハウス担当P兼NBCワシントン副支局長を務めている。取材経験はキューバ・ミサイル危機から9.11、レーガン元大統領のお葬式まで幅広い。9.11勃発のときは、「ブッシュ大統領と一緒にフロリダの小学校にいた」し、ブッシュ大統領とも肩を叩き合う仲である。
この人も「アドレナリンが出すぎて、寝る暇もなければ私生活もない」ほど仕事が好きだそうだ。しかし、最近はアメリカの「政府のプロパガンダ的報道」に疑問を感じることもあるという。「昨今は、いかに正しく伝えるか、ではなくいかに早く伝えるか、が重要視されてきたのがアメリカのTV報道の現状」だと捉えているそうだ。しかも「真面目なドキュメンタリー」を制作するTV局が年々減ってきているのを危惧してもいる。この道ン20年ほどのベテランだが、考えていることは私たちと同じであるのが嬉しい。
さて、プリント・ジャーナリズムから放送ジャーナリズムへの転換をするにはどうしたらいいか?という同級生ジョアナの質問に対し、クレットマンさんは「TVの原稿を書くときは、映像や音に向けて書くこと、映像や音に文章の代わりをさせることだ」とアドバイスしていた。
アメリカでは、プリントジャーナリスト(日本でいうところの”ブン屋”)と放送ジャーナリストの間での行き来が意外と頻繁にある。日本では意外と2つのメディアの間は深く、お互いがお互いを低く見ているようなところがあるし、キャリアチェンジもごく一部を除いてあまりないように思う。たとえばTVの記者は新聞記者を「新聞は、電話して話を聞いて文章を書けばいい。直接現場に行って絵(VTR)を撮らなくてもいいから楽だよな」と少なからず思っているのに対し、新聞記者はTVの記者を「ひとつのニュースに大人数で時間をかけてインタビューや取材をする。手間がかかりすぎで速報性がない」と考えている節がある。私自身が新聞社の経営している映像製作会社に勤務していた経験があるので、両方の業界を見ていてどちらもあたっている意見だとは思う。だけど、新聞とTVがもう少し歩み寄ればいいのにな、と最近は思う。両方の世界を経験した記者がざらにいるアメリカを見ていると、なおさらそう思う。
でも、日本では、ジャーナリストそのものが新聞もTVも「下積みに下積みを重ねて、ようやくなれるもの」ととらえられている節があるから、そこからして違うのかも。ジャーナリズム・スクールというものが、ある一定の「職業訓練校」のように位置付けられていて、そこを出ればある程度「書ける」ジャーナリストとして扱ってもらえるところ、それがアメリカであるからして、そこがちょっと違う。「根性」や「下積み」や「徒弟制度(主にTV)をくぐりぬける」ことが記者やディレクター・プロデューサーの「マストアイテム」のように思われている、それが日本のマスコミ業界の、未だに現存する悪しき体質であろう。
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ソーラーハウスコンペ表彰式を取材。
アメリカ・エネルギー省主催のソーラーハウス大学対抗コンペ「Solar Decathlon」8日目を迎えたきょうは表彰式の取材に出かける。日本のTV局のフィーチャーストーリーのためである。エネルギー省のボドマン長官が1位のコロラド大学チームの名前を読み上げると、歓声が上がった。詰め掛けたメディアも、学生達も晴れ渡った空の下心からの拍手を送った。コロラド大チームは2002年のコンペに続いて2回続いて優勝した。
ソーラーハウスのコンペなのに、過去1週間ぐずついた天気が続いていたがきょうは久々の雲ひとつない秋晴れ。表彰式のあと、コロラド大のチームのハウスには見物客が殺到した。リサイクル素材を建築資材に使った点のほか、エネルギー効率のよさなどの総合点で他のチームを圧倒した。
一方、私たちはくだんのミシガン大のジョン君のおっかけ撮影に余念がない。ミシガン大の成績はデカスロンのHPを見てもらえばわかるが、参加大学18チームのうちの”びり2”の17位。成績が全てではなく、参加することに意義があるとは誰もがわかっているものの、ジョン君たちは落ち込んでるかな?とミシガン・ハウス「ミソ・ハウス」を訪問してみた。
「ちょっとコロラドチームに嫉妬はするけど、落ち込んじゃいないよ。われわれの家だって2年前の”ミソ・ハウス”に比べれば、格段に進歩したんだ。結果はふるわなかったけど、参加できて嬉しいよ。」ジョン君はこんな風に語ってくれた。表彰式のおかげで増えた見物客に、「ミソ・ハウス」の内部を説明するのに忙しい。
この後、ジョン君に表彰結果のボードを見に行ってもらうシーンや、結果を受けてのインタビューなどを収録して、本日は撮影終了。きょうでこのソーラー村に取材に来るのも4回目だ。このコンペもあさってで終了、その後は学生達が家を解体して、それぞれの州まで持って帰る。
ソーラー村が作られていた場所はナショナル・モールという場所。連邦議事堂とワシントン・モニュメント(剣みたいな形をした塔)の間にある広大な広場で、両脇にはスミソニアン協会の管轄によるさまざまな博物館や美術館が立ち並ぶ。普段は観光客や、マラソンをする人のほかはネイビーのスーツをびしっと着た政府関係者=つまり大人の男女ばかりが闊歩する場所だった。そこに突如姿を現したソーラーハウス村。そこで、ポロシャツやTシャツ姿にジーンズの大学生達が建築にせいを出す姿は、DCではめったに見れない「すがすがしい」ものだっただけに、村がなくなってしまうと思うと、さびしい。
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Wednesday, October 12, 2005
スープリームでダイナソーな一日。
きょうは何も大学院向けの取材がなさそうなので、思い切ってルームメートのサラ、ビッキーと最高裁判所にやってきた。
裁判の傍聴は、公判が行われているときなら誰でも無料でできる、と聞いてやってきたのだが残念なことにきょうは裁判自体がなかった。この部屋が、審判が下される部屋。
SCOTUS(Supreme Court of the United States)のジャッジは9人。もし裁判が行われていれば、この人たちが上のコートルームに座っていたはず。(写真はアリート判事が入った後の最新のもの)
つまらないので「最高裁ショップ」なるお土産物屋を物色していて、こんなものをみっけ。「gavel」つまり判決を下すときの小槌型のペン。意外とかわいいんでないの?
裁判を傍聴し損ねたので、「恐竜が見たい」というサラの願いをかなえるべくスミソニアン自然史博物館に行く。写真はティラノサウルスの化石の口の中に手を突っ込むサラ。
自然史博物館のミュージアムショップでは、さそりだか、虫だかを練り込んだ飴が売られていた。ちょっと気持ち悪いけど、お土産にひとついかが?
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Monday, October 10, 2005
「環境に優しい建築でアメリカを変える!」ミシガン大・ジョン君との出会い。
先週さんざん大学院向けに取材したソーラーハウスの学生コンペ「ソーラー・デカスロン」。きょうはもう一つのインターン先(日本のテレビ局)のカメラマンと記者さんと共にロケ取材にやってきた。ワシントンを舞台にしたフィーチャーストーリー、つまり企画もののネタになるということで目出たく私のネタが採用されたのである。きょうは絵的に面白い家の取材をする。エネルギー効率に加えて、デザインもこのソーラーハウスコンペの重要な要素であるという。
まずは先週も取材をしたピッツバーグ大連合チームの家から。この家、なんと家の南側の外壁が20度くらい傾いている。インタビューをしたカーネギー・メロン大学の建築学科5年生のケビン・ウェイさんによると、その理由はこんな感じ。「部屋の床が屋根の手前で終わるよう設計することで、夏には日陰を作り冬には多くの日光を取り込めるようにした。太陽や自然の風通しを活用し、ただで熱と冷熱を循環させる。それによって暖房や冷房に頼ることをやめて、エネルギー消費の量を減らすことができる。」
フロリダ国際大学の家のコンセプトは、ずばり「エンガワ」、日本の縁側の概念を取り入れたというのだ。同大学卒業生の日系アメリカ人、エドワード・ナツイさんによると「エンガワ、というのは、僕の理解では屋内のリビングスペースではないが、完全に屋外でもないスペース。外と内という境を取り除くことによって、家の中にもっと自然を取り入れることができる。家を外の自然と一体化させたんだ。」縁側、というよりはどう見てもテラスにしか見えないけど、そのアイデアだけは認めよう。ハリケーンにも耐えるガラスを窓に使ったり、機能面では堅牢で見た目はすがすがしい家だった。
ミシガン大学のチームのソーラーハウスは、写真のようにアルミでできたトレーラーにソーラーパネルを取り付けたもの。モジュール式で、組み立てれば車として移動も可能。 外見が面白かったので、「日本のTV局なんだけど、ちょっとコンセプトを教えてもらえるかな?」とハウスの外にいた学生たちに話しかけた時、出てきたのがプロジェクトリーダーでミシガン大建築学科の卒業生であるジョン・ビーソン君だった。
「この家を作るためのMichigan Solar Projectは、略して“MiSo(ミソ)プロジェクト”って言うんだ。日本のミソ・スープみたいだろう?」こんな風に語りかけてきたジョン君はコンペの開会式に向けて、追い込みの準備に入っていたのにも関わらず、 快く私の質問に答えてくれた。話を聞いたどの参加者よりも、彼が際立って面白いと思ったのは、ジョン君がヘルメットに工具袋を下げた姿で、 聞いてもいないのに私にこんなことを話し始めた時だった。
「アメリカ人は環境のことを考えない人が、多いんじゃないかって?うーん。僕は違うんだよね。」ミシガン大ミソチームのそろいのオレンジのポロシャツ姿の小柄なジョン君の、眼鏡の奥の知的な目がきらりと光った。「アメリカでは太陽発電はまだまだ使われていないし、代替エネルギーについても、あまり使われていない。でも、僕ひとりでもこの環境に優しい建築の研究を続けていれば、こんな小さな研究でも、必ず人々の考え方を変えることができると信じている。ソーラハウスは、日本ではかなり浸透しているんだって?僕はアメリカでも実現可能だ、と思うんだ。」
ジョン君はなおも続けた。「このプロジェクトにはじめて参加したのは、前回の2002年の大会だった。そのとき以来、ソーラーハウスのすばらしさに惹かれて、3年後の大会では気づいたらプロジェクトリーダーだったってわけさ。2003年からこの家のデザインを設計し始めて、2年もかかったんだよ。この1ヶ月も、寝る間も惜しんで仲間たちとソーラハウスを作ってた。開会式までも、きっと徹夜が何日かは続くだろうね。僕は子供の頃から、リサイクルしたり、親も環境問題について考える僕の気持ちの背中を押してくれて、いつも新聞に載った環境の記事を切り抜いて僕にくれた。将来の夢は環境に優しい建築を作ること。このプロジェクトに没頭しているうちに、気づいたら建築学科の修士課程も修了していた。就職しなければいけないんだけど、このコンペが終わるまではお預けだよ。実は、僕にはベイビーが生まれたばかりなんだ。(見せてくれたチャーリー君の写真は、ほんとうに生まれたての赤ちゃんだった。)チャーリーって言うんだよ。結婚したばかりの妻のために、家計を支えないといけない。だけど、夢はあきらめきれないから。」
おお。アメリカ人にもこんな青年がいたのね、と話を聞きながら「これはいけるぞ」と思った。「アメリカ人でも環境のことを考えている人はいる」的彼の人物おいかけと、学生結婚で赤ちゃんが生まれたばかりという面と、就職も忘れてプロジェクトに没頭している青年という面と、“世界一環境に無頓着な国”アメリカの首都DCに建つ彼の2年間が結晶したソーラーハウス、そしてコンペ。これらを組合わせれば、きっと面白い「フィーチャーストーリー」ができる!
読みはあたり、インターンながら企画が通ったので、きょうは日本のTV局のクルーとしてジョン君を大々的に(?)取材しにやってきたというわけ。「ジョン君、あなたの夢は?」そうインタビューしたとき、彼はこう答えた。「建物の建築方法を変えることで、環境問題を改善したい。建物をもっとエネルギー効率のいいように建築する、環境に優しい建築士になりたいんだ。」彼のインタビューがほかの学生に比べ、格段に面白かったせいもあり、支局に帰って担当の記者さんと話し合い「よし、ミシガン大まで取材に行こう!」ということに。この「ジョン君のソーラーハウスにかける夢(仮題)」今後の取材も面白くなりそうだ。次は、ミシガン大チームの成績を見に、数日後に予定されている授賞式に赴く。
Miso Project HP
photo(C) Stefano Paltera / Solar Decathlon
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Investigative Reportingというジャーナリズム。
テキサスの小さな町、チュリアで起きている麻薬にまつわる警察の腐敗を書いたノンフィクション「Tulila」の著者のネイト・ブレークスリーさんが来校(写真向かって右)。Investigative Reportingの大変さやその社会的意義について語った。ネイトさんはTexas Observerというローカル紙の記者として、チュリアの町の法執行部の腐敗に気がつき、そこに鋭くメスを入れた。
しかしアメリカのInvestigative Reportingというのはすごい。新聞でも、TVでも、ローカルでも、全国ネットでも。独自の調査をし、スクープをあげる調査報道を流すための専門の記者が存在する。横並びでなんとなく同じような報道を流して満足しているだけではだめで、記者が警察さながらに調査をし、手に入れた事実を組み合わせ客観的に報道するのである。そして、時にそれが社会をも動かしてしまう。そんなことがいまだに頻繁に起きている。日本にも同じようなものがあるだろう、という人もいるかもしれない。しかし、このような調査報道が各地方のメディアのすみずみまで浸透しているところがすごいのである。きょうのネイトさんはそんな地道なテキサスでの取材活動をまとめて、本にしたというわけ。
講演のあとのQ&Aでは、われらがワシントンプログラムの新聞ジャーナリズムの院生から、いかに調査報道を効果的に行うかについての質問が矢のようにとんだ。新聞記者を夢見る若者なら誰もが一度はやってみたいのがInvestigative Reporting、のようだ。
ちなみにTV報道の世界でも、ローカル局レベル、ネットワーク局レベルを問わず、必ず「Investigative Reporter」といのが存在する。経験の長いベテランがなることが多い。ボストンに居たとき、よく見ていたのが "HANK INVESTIGATES”または "HELP ME HANK"という調査報道コーナーを担当していたWCVB(NBC系列)チャンネル7のハンク・フィリッピ・ライアン記者。「倉庫サービス会社の倉庫にかびが生えている!?」とか「医療ミスの現場〜乳がんの手術ミスはなぜ起きたのか」など、幅広いテーマをとりあげて、小気味よいテンポのVTRでぐいぐい見せていた。「ベテランの技」を見せつけるかのような、すばらしいリポートだった。
ちなみにボストンでは、私の大学院の同級生のミランダという女の子が、このライアン記者付きのインターンをしていたが、「かなりへとへと」になるくらい、インターンにも厳しい人だったらしい。
Anyways、アメリカの「調査報道」のようなものが、日本でも市民権を得るようになれば、日本の「ジャーナリズム」もかわるかもしれない、と思う。日本のジャーナリズムはまだまだ「お上がこう言っていました」的横並び報道を垂れ流すばかりのように思え、成熟しているとはいいきれない。日本文化の特性上、アメリカのインベスティゲイティブ・リポーティングのように、記者が何もかも一人で調べて、正義の鉄拳をふるう、かのようなことは、日本ではありえないのかもしれないが。。とにかく、このような調査報道が充実しているところが、アメリカのジャーナリズムをダイナミックなものにしている一つの理由だと思う。
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Sunday, October 09, 2005
チョコレート・プレッツェルと出会う日曜日。
きょうはこんな食べ物と出会う。チョコ・プレッツェルだ。プレッツェルにチョココーティングがされていて、う、め〜。
日曜日、ルームメート兼グルメイト兼人生相談の友、ビッキーさんと連れ立ってやって来たのは、バージニア州のとあるカウンティフェア開催場。普段は家畜のオークションが行われるこの場所で、きょうは手作りクラフトや手作りお菓子を売るフェスティバルが開催されている。アクセサリーからインテリア用品まで、目移りする商品の中で選んだのが、このお菓子である。とってもおいしかったです。
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Friday, October 07, 2005
SUSHI!!
。。は、いい。しかも桶ずしならなおさらだ。DCダウンタウン一の寿司屋は金曜の夜、行列ができるほどなので予約すべし。生で食べるウズラの卵がう、め〜!!!
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CNN元ワシントン支局長の迫力にたじたじの早朝講義。
朝から元CNNのフランク・セズノが来校した。95-01年の間ワシントン支局長、90-97年まで「Late Edition with Frank Sesno」アンカー(現在ウルフ・ブリッツアーがやっている政治トーク番組)を務めた。現在は"CNNスペシャル・コレスポンデント"としてたまに特別編のリポートに出演したり、「CNNプリゼンツ」というドキュメンタリーシリーズのナレーターを務めたりしている。ワシントンDCのジョージ・メーソン大学で公共政策とコミュニケーションを教える教授でもある。
「TV記者に向いている人材とは、1に文章がうまい人、2に人を信頼して人間関係をきちんと築ける人、3にニュース・バリューをプロダクション・バリューにうまくつなげられる人。」
ひとつひとつ頷けることばかりを語るセズノ氏。朝8時台からアドレナリン全開で、こちらに語りかけてくる。やはりすごい迫力だ。こんな支局長がニュースルームにいたら、ミスをしたらひとたまりもないだろう。そんな風に思わせるほどの、威圧感と存在感、そして緊張感がある。実は彼がアンカーをしているのを見たことがないのだが、TVでもこの存在感をあますところなく発揮していたのだろう。TV屋、という印象がびんびん伝わってくる。
「Newsgatherer+Producer=powerful story」レクチャーの時にとった自分のメモを見るとこんなことが書いてあった。ただニュースを取材してくるだけでは駄目で、そこにプロデューサーという「ニュースを効果的に演出する映像と文章のクリエイター」が介入して、初めてパワフルなニュース・ストーリーが出来上がる、これがCNNカルチャーなのだという。まさに、私の「放送ニュース哲学」と合致することばかりで、いちいちうんうん頷きながらの1時間となった。
「さ、僕の話はこれまで。君たちの話を聞こう!」こう鋭く切り出されると誰もが、うーんと思わず考えざるを得ない迫力。いくつかの質問のあと、新聞ジャーナリズム院生のトニーがこう切り出した。「フランクさんがCNNのワシントン支局長をしていたとき、正直言って一番扱いづらかった部下は誰でしたか?やっぱりウルフ(・ブリッツアー)ですか?」思わず教室内が笑いの渦になってしまったが、セズノ氏には答えをはぐらかされた。
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Thursday, October 06, 2005
ソーラー村開会式@モール
エネルギー省主催の「ソーラー・デカスロン」(ソーラーハウスのできを競う大学対抗コンペティション)が開幕。サミュエル・ボドマン エネルギー長官によるテープカットの後、ソーラーハウス村が一般公開された。
けんかは制裁されたものの、そりの合わなさは否めないブロードキャスト院生チームだが、きょうはチームメートであるサラが都合が悪く、彼女以外の娘たちと開会式の取材に行く。案の定、皆が自分勝手に動くから、撮影は思ったように進まない。
今回はテミスにカメラを担当してもらうはずだったのに、「プエルトリコの議員が来ているから、この間の取材の続きでインタビューをしたい」とかで直前に現場からとんずら。
おいおい。チームだろ、協力とか、人の気持ちを読む、とかそんな感情はないのかよ。と怒りつつ、代理としてチームの中で唯一学部生、ケイティーにカメラを頼むことに。彼女とは先学期ボストンで聖パトリックデーのパレードの取材に出かけたのが縁で、何回か一緒に取材に出かけている。今回の「サラ/テディVSテミス/ジュリー」というチーム内の対立の構図の中に会って、「永世中立国・スイス」のような存在、それがケイティー。スイート・ガールである。
ところで、ペンシルバニア州選出の下院議員が、ピッツバーグ大学連合チームの作ったソーラーハウスに視察にやってくるというのでWSEE-TVというペンシルバニア州の局向けに取材をしようと、議員の広報秘書にアポを取った。上院に比べ、親しみやすいのが下院。「喜んで取材を受けます。秘書の私が同行しますので、ピッツバーグチームのソーラーハウスの前で待ち合わせしましょう。」
お会いしたジュリアさんはフィル・イングリッシュ下院議員の広報秘書。写真にはないが、驚くほど若くそして東欧系の美人。イングリッシュ議員はペンシルバニア選出の共和党議員で、元教師だったという異色の経歴を持つ。早速、議員が学生と話したり、ソーラーハウス内を見て回っているところをBロール(雑感)としてカメラに収める。
ハウスの前で議員をインタビュー。「この冬だけで70%もエネルギー代が値上がりしているんです。省エネに今すぐ取り組まなければ、われわれの社会や経済に恐ろしい影響が出ます。LIHEAP(Low Income House Energy Assistance Program=低所得者層の暖房費補助プログラム)のようなプログラムものに今すぐ着手しなければいけません。」
温厚で腰の低いイングリッシュ議員には、今後も取材をさせてもらうことが出来そうだ。さらにピッツバーグ大学連合チームのソーラーハウス設計者をインタビュー。ピッツバーグ大と並んで連合チームの要であるカーネギー・メロン大学からやってきた建築学科の学生さんたちは、インテリジェンス漂うキュートな男の子たちだった。ソーラーハウスの未来について、気合の入ったコメントを寄せてくれた。
午後、大学のインターンが終わり、外部インターンをしに日本のTV局の支局に出勤。午前中のソーラーハウスのイベントについて、ある記者さんと雑談していたら「それ、いいね。取材できるかもしれないぞ。下見に行こう。」ということになった。
こうして午後、再び舞い戻ったソーラー村で、テディはある大学チームの印象的な青年に出会うことになる。その青年について、ひょんなことから日本のTV局向けに「人物おっかけ取材」をすることになるのであるが、そのことについてはまた後日書くことにする。
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Wednesday, October 05, 2005
上院ウォーター。下院ウオーター。
上院議員のぶら下がり取材に来て、議員の「出待ち」をしている間に議事堂の売店に寄る。「米国上院ミネラル・ウォーター」なるを発見。ただちに購入。確か値段は2ドルくらい。通常の500mlペットボトルよりは少々大きめ。この調子だと、「下院ウォーター」「ホワイトハウスウォーター」「国務省ウォーター」「ペンタゴンウォーター」「最高裁ウォーター」なんてのも存在するんだろうか。 確かめてみたくなった。
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上院の「ぶら下がり廊下」で初取材に挑戦!その段取りのよさとオープンさに驚く。
水曜日。きょうはきのうのソーラーハウスとうって変わって、ばりばりのポリティクスの取材。
「毎週開かれるSENATE POLICY LUNCHEON (上院政策ランチ)は、セネター(上院議員)たちが民主党と共和党に分かれて政策を話し合う議論の場です。ランチが終わるとセネターたちが廊下に出てきて記者に話をしてくれることが多いから、テーマを決めてぶら下がり取材してみて!議会パスを持っていれば、どんな地方紙・TVの記者でも平等に取材ができますよ、さあ!」
そんなキリアン教授の指令を受けて、インターンをしているニューヨーク州のローカル局WENYのニュースディレクター、デイビスさんに電話する。
「民主党のシューマー上院議員にぶら下がります!最高裁判事候補のロバーツについて聞きますです!」と張り切って報告して本日やって来たは議事堂ビルの別名「ぶら下がりの廊下」。
「あ、TVですね、三脚はここに立てて、このラインから出ては行けませんよ。」
三脚を立てようとすると、上院TVラジオギャラリーという上院のTV担当の広報がすでに仕切っていて、演台が出来ていて、写真のような3大ネットワーク+ケーブル(CNN,FOX)のカメラマンがすでにお行儀よく陣取っていて。。な、何て段取りがいいんだ!
しかも、「マイクを立てるスタンドがない~持ってこなかったんだよね~」と焦っていると、サラがインターンをしているCBSニュースの音声マンが、「ほら、貸してやるよ。」と気軽にスタンドを貸してくださった。な、なんて敷居が低いんだ、3大ネットワークの技術スタッフなのに。。日本のTV報道業界(東京)ではこんな光景を見ることはほとんどない、と言っていいだろうと思う。多くの現場で、カメラマン同士お互いプライドが高くて、「ライバル局に機材なんて貸さない」って感じだから。
余談だが、こんな調子で議会内では三脚を立てていい場所、ぶら下がっていい場所などが全てTVラジオギャラリーによってルール付けされている。ルールを破ると取材の出入りが禁止されるかもしれないそうだ。(当たり前か。)
やがて、大勢のペン記者をふりきって、演台にやってくるなりフラッシュの嵐を浴びる1人の上院議員。ネバダ州選出のハリー・リード民主党院内総務だ(写真)。共和党が強力プッシュしているロバーツ候補について、さらにはイラク戦争について、痛烈な批判をぶち上げ始めた。
時間がたち、他にも4-5人の有名議員のスピーチを見たが、お目当てのチャック・シューマー上院議員(民主党・NY州)は結局やって来なかった。だからきょうはNY州のローカル局向けには、ニュースにならなかった。残念である。
余談だが、この”ぶら下がり(英語でStake-out)廊下”の正式名称は、「Ohio Clock Corridor(オハイオ時計廊下)」というらしい。どこに時計があるのかは、わからなかったが、写真にあるTV用演台の奥の空間にはペン記者がわんさと控えている。そのまた奥に議員がランチをとる部屋がある。つまり、
議員がランチの部屋を出るとオハイオ時計の廊下がある→まずはペン記者にわーっと取り囲まれて新聞用の取材を受ける→気分が乗ったところで、少し進むとTV・ラジオの記者向けの演台がある。そこでカメラの前に立ちライトを浴びて思う存分しゃべりまくり、TV・ラジオ記者の質問を受ける。
てな仕組み。ジャンルの違う記者たちでも、効率よく取材対象にぶら下がることができるというわけである。さらに議員側も、新聞だけにしゃべりたいならペン記者のプールだけに、TV映りを重視したいのならTV向けだけにしゃべる、もしくは両方のメディアを重視する、などといった戦略的情報公開ができる。
はー、米国議会ぶら下がり初取材、勉強になりましたです。そのうえ、CNNの議会担当記者のエド・ヘンリーの取材風景まで生で目撃して感激。(アンダーソン・クーパーの次にに好きなCNNの出演者なのだ。ミーハーですんまそん)
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Tuesday, October 04, 2005
18の大学生チームがソーラーハウス建築を競う「デカスロン」開催
「朝日ソーラーじゃけん!!」という菅原文太のTVCMがあるが、太陽発電パネルは日本で結構浸透している省エネ技術だと思う。(注:朝日ソーラーは太陽熱温水器の販売)でも、ここ「アンチ・省エネ大国」アメリカでは、そうではない。「ソーラーパネルなんて見たことがない!」そんな人が多い。部屋の電気を逐一消すとか、資源を大事にするとか、なるべく自動車に乗らずに公共の交通手段を遣うとか。。そんな基本的な意識が徹底していない国、アメリカ。そこで、そんな「消費大国」アメリカの省エネルギーに対する意識を高めるためか、米エネルギー省主催でこんなイベントが開かれた。
連邦議事堂からに東西に伸びる「ナショナル・モール」。その一角に出来上がったソーラーハウス村。全米内外から18の大学チームが参加。ソーラーハウスを建築し、その出来を競い合うイベント、「ソーラー・デカスロン」である。10・7から16まで開催される。「デカスロン」という言葉は「10種競技」という意味で、省エネ性、デザインなど10項目に渡って審査が行われ、優勝チームには奨励金が出る。村ができあがれば、観光客もハウスの中を見学ができる。
きょうは7日の開幕に備えて、あるチームの準備風景を取材しようとしてやってきた。あるチームとは、プエルトリコ大学チーム。インターン先のペンシルバニアのTV局のアフィリエイトであるプエルトリコのTV局向けである。ヘルメットをかぶって微笑むのは、わが悪友にして学友のテミス。スペイン出身の「いけいけジャーナリスト志望娘」である。建築現場の取材であるからして、撮影に当たってはヘルメットを被らなければならない。
カメラを構える私も、三脚を持つサラも皆でヘルメットをかぶりながら、テミスの華麗なラテン・取材交渉術にお任せ。プエルトリコ大学チームの好意で、建設現場の家の中の取材をする。
カリブ海の家のスタンダードなデザインを取り入れつつ、太陽を最大限に取り入れる努力をしたとか。電源がなくても3-4日は持つだけの堅牢なソーラーパネルを屋根に取り付けている。このチームのソーラーハウスの詳細については、ここを参照。
大学生のチームが青空の下、汗をかきながら家を作り、コンペを競い合う。見ているこちらもすがすがしくなる。ワシントンのパワーポリティクスからはほど遠い、学生達のピュアな努力が伝わってくる。楽しい取材になりそうだ。このイベント、2回目で、前回は2002年に開催された。05年の今回に向けて2年をかけて設計してきたチームがほとんどだとか。
プエルトリコだけでなく、他のチームも、取材ができそうだ、ということできょうのロケはとりあえず終了。議事堂近くのヨーロッパ風カフェで一休みをし、大学に帰って取材案を練ることにする。
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Monday, October 03, 2005
人間を創ったのは神か科学か!?「インテリジェント・デザイン論争」
アメリカ・ペンシルバニア州連邦地方裁判所ではじまったある裁判が全米中の注目を集めている。訴えを起しているのはドーバー郡地区の公立学校に子供を通わせる11組の両親たちで、訴えられたのはドーバー郡地区の教育委員会。原告の両親たちは、ことし1月にドーバー郡地区の教育委員会が定めた生物学の教科書の内容の改定に異議を申し立てているのだ。
これまで、同地区の公立学校では9年生の生物学の授業において、「人間は猿から進化した」とするダーウィンの「進化論」だけを教えていた。しかし、その「進化論」に代わる新たな理論が生物学者たちのあいだで頻繁に論議されるようになり、ドーバーでもその新しい理論を教育に取り入れることが1月、教育委員会で決められた。その新しい理論とは、「進化論」に対して「何らかの意図を持った知的設計者がこの世を創りだした」とする「インテリジェント・デザイン=知的設計論」と呼ばれるもの。
「インテリジェント・デザイン」論は、聖書に載っている「創造説(人類は神が作り上げた、とする)」とは少し異なるものの、それに非常に似ている。アメリカの世論調査「ギャロップ調査」によると45%のアメリカ人がこの「神の創造説」を信じ、このうち35%の人々がダーウィンの「進化論」には根拠がないと答えている。
しかし、反発を唱える人々は「インテリジェント・デザイン」論を公立教育で教えることは、「教育と宗教の分離を掲げる米国憲法に反する」としている。彼らは「インテリジェント・デザイン」を教えるのは、学校で神について教えるのと同じ、だと主張している。ドーバー郡の公立高校に子供を通わせる原告の親達もこうした考えで、教育委員会の教科書改訂に反発を唱えたのである。
ペンシルバニア州ドーバー郡の公立学区に通う生徒数はたったの3600人。このインテリジェント・デザイン論争は町を2分するほどの大きな騒ぎに。05年5月には教育委員会のメンバー2名がこの論争によって辞職し、その空席には20人もの立候補者が出たほどだとか。
原告団の両親たちの1人、スティーブ・ストウさんは地元紙のインタビューにこう語っている。「14歳になる娘に高校で宗教の講義を受けさせたくない。インテリジェント・デザインを教えることは宗教と国家の混同だ。」原告団側の弁護士、エリック・ロスチャイルドさんも通信社のインタビューに対し、「インテリジェント・デザイン論は科学ではなく、まさに古い神学だ。都合よく神の創造説をすりかえたものにすぎない」と答えている。
しかし、ドーバー教育委員会側の弁護を担当するパット・ギレン弁護士は「ドーバー学区の生徒達は、進化論とは別の論が存在するという”選択肢”を学ぶだけだ」と答えている。
ドーバー郡の公立高校、ドーバー高校の9年生の生物の授業では「Prentice Hall」社の教科書を使っていて、同教科書では人間の進化について15章から17章を割いている。しかし04年10月に教育委員会の投票が行われ、この教科書に加えて、補助教材としてインテリジェント・デザインを説明するある参考書を導入することになった。
「Of Pandas and People」と題したこの参考書(写真)が、インテリジェント・デザインについて教える教材である。書き出しを見てみよう。「ある種の動物は進化の過程を経ず、突然に種としての完全体でこの世に現れたと信じられている」。。。
ドーバーの教育委員会では、この参考書を導入するに当たって保護者を対象に、事前にこんな手紙を出して、理解を呼びかけた。「この”Of Pandas and People」の導入で、インテリジェント・デザインそのものを教えようとしているわけではないんです。でも、この参考書について授業内で取り上げる時間に、お宅のお子さんを退席させたい場合は、どうぞ付属の連絡書に記入し担当の生物の先生まで提出してください。」起こるべく保護者の反発に備えた予防線、というわけだ。
訴えられたドーバー教育委員会を弁護する法律事務所「トーマス・モア法律センター」は、キリスト教的価値観を推奨する会社としてよく知られている。社長のリチャード・トンプソン氏は通信社にこう語っている。「インテリジェント・デザインを学校で教えることには何の問題もない。むしろ生物学の世界で現在論じられている最先端の論点を教えることで、既存の”ダーウィン進化論”とのバランスをとることになるくらいだ。」
では生物学者たちはこの裁判をどう見ているのだろうか。
ワシントン州シアトルにある「ディスカバリー・インスティテュート」はインテリジェント・デザインを支持する、いわゆる”保守派”の生物学者が多く所属している。そのシニア・フェローのジョン・ウェストさんはプレス・リリースの中で「インテリジェント・デザインを教えるな、という意見は、ダーウィンに異を唱える意見は教えるなとも言わんばかりで、センサーシップと同じである」と激しく主張。
しかし、原告側を弁護する生物学者たちも数多くいる。ペンシルバニア州の連邦裁判所で原告側のブレーンとして証言した名門ブラウン大学のケネス・ミラー教授もその一人で「インテリジェント・デザイン論は科学的論拠に著しく反する」と雑誌への寄稿の中で説いている。
しかし、この知的設計論がなぜここまでアメリカで騒がれるのだろうか。その背景には何があるのか?
その答えは、インテリジェント・デザインを支持する層が、そのままキリスト教主義を過激に唱える右派層と重なり、その右派層がブッシュ政権を後押ししている、という構図にある。インテリジェント・デザインを後押しすること、それはそのままブッシュ政権を後押しすることにつながるのである。
「I think that part of education is to expose people to different schools of thoughts. You are asking me whether or not people ought to be exposed to different ideas, the answer is yes. 」ブッシュ大統領は近頃、ある記者会見の場でこのように語り、学校教育でインテリジェント・デザインを教えることを公式の場で後押しした。
我々日本人が想像している以上に聖書やキリスト教的教えが人々の生活に大きな影響を及ぼしているアメリカ。保守派の人々の間では、「人間の祖先は猿である」という考えを受け入れるのに抵抗のある人がまだまだ多い。なぜならそれは聖書を否定し、神の存在そのものを否定することになるからである。
今回のペンシルバニア州ドーバー郡のほかにも、カンザス州、オハイオ州、ミネソタ州、ニューメキシコ州のいくつかの教育委員会がこのインテリジェント・デザイン論をすでに取り入れている上、アメリカ内の10数州の議会が、同様の議論を続けている、というから驚く。同じような裁判は1925年にもテネシー州で開かれ、その時にはダーウィンの「進化論」を教えた生物学教師が有罪の判決を受けた。
しかし、面白いのは、今回の論争が宗教の枠を超え「政治的信条」をも巻き込んだ議論にまで発展しつつあるところ。
ドーバー郡のこの裁判は、9月26日にはじまりおよそ5週間の予定で判決が下される予定。裁判のゆくえに注目したい。
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Sunday, October 02, 2005
緑のトンネル抜けて渓谷にゆこう!フォー食べにゆこう!
こうさすがに毎日「イラク戦争や天然ガス、FBI」などアメリカ政治関連トピックにどっぷり浸かっていると、脳みそが”緑”を欲する。緑が見たい。緑が恋しい。そこで、よく晴れ渡った日曜の午後、ルームメートと2人車に乗り込み緑のトンネルを潜り抜け、やって来たところは。。
グレート・フォールズ・パークというところ。ワシントン郊外のバージニア州へ向かうこと車で40分。首都近くにこんないいところがあったんだ、というくらい自然が満杯の渓谷である。ちょっと日本の埼玉県秩父市の長瀞に似ている。切り立った渓谷の下は、流れの速い渓流。「警告・ここで毎年何人もの転落事故が起きています。注意」こんな看板の出ているところで、ロッククライミングをしている人々が何組もいる。中には、ロッククライミングをしながら自己紹介をし合っている「初デート」のカップルもいる。こんな普通じゃないデートが最近は流行っているらしい。写真のような眺めのいい崖には、見通しのいい自然の展望台が何箇所も作られていて、それを探して木立の中をハイキングした。リフレッシュしていい気分。過去1ヶ月のワシントン生活。疲れがそろそろ溜まっている。カタカナ英語でアメリカ議員の名前を覚える慣れない努力も、迷路のような議会の建物の中を重い機材を担ぎ記者会見場を探して歩くのも、きょうは全て忘れていい。
帰り道、ベトナム系スーパーに立ち寄る。驚いたことに、一大ショッピングセンターが形成されている。ベトナム人が経営し、近隣に住むベトナム系アメリカ人が買い物に来る。写真にはないが、ベトナムコーヒーセットなるものを5ドルで手に入れる。粉末の濃いコーヒーの粉と、コーヒーカップの上に乗せてコーヒーを入れることが出来るアルミ製の小さいろ過器のセット。コンデンスミルクの缶も見つけて、ほくほく。
ベトナム人らしき地元民ばかりが食事を取るフォー専門店で、腹ごしらえ。3時というオフタイムにランチを注文したため、店の奥にはベトナム将棋のようなゲームをしているお年寄り達が、お茶を飲みながら午後の時間をつぶしている。のどかだ。出てきたフォーも旨い。付け合せのもやしとレモングラスを残らずたいらげ、スープを一滴残らず飲み干す。
たまにはこうして「駆け引き」や「取引き」や「特定のインタレスト」のない夕暮れを過ごしても、ばちは当たるまい。買い物渋滞のハイウェイをルームメートの運転する車に揺られながらの帰り道、こんな日がずっと続けばいいのに、と思う日曜日の憂鬱なのであった。
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Friday, September 30, 2005
”アドレナリン・ジャンキー”の女性記者にアメリカの強い女像を見る。。
大学院の早朝ゲストレクチャーではボストン・グローブ紙の女性記者、スーザン・ミリガンさんが来校。ハンガリーのブタペストで8年間、フリーランスとしてユーゴスラビア紛争などを取材、ウォール・ストリート・ジャーナルやボストン・グローブ紙などに寄稿した経験についてエネルギッシュに語ってくれた。現在はボストン・グローブ紙のホワイトハウス担当記者として、同紙のワシントンDC支局に在籍し大統領選挙やブッシュ政権の外交政策などについて執筆しているという。
朝8時半からここまでエネルギーがほとばしる女性を、あまり見たことがない。
「私、よくしゃべりすぎって言われるんですけど止まらないの。書いた記事について、取材先からお叱りを受け、怒鳴られたことも何度もあるけれど、そのときだけが私が無口になる時かもしれないわね。とにかく相手の言い分を聞いてあげれば、怒りなんて収まるものよ。そうすればこっちの勝ち。ほほほ。」
日本では、「落ち着いている、冷静である、静かである」ことが美徳とされるけれど、ミリガンさんのような女性は、まさにその対極を行く人。「落ち着かない、常にrestless、少々うるさいほど元気」。そして、紛争地帯の取材を恐れもなくばりばりこなすような、ほとばしる取材へのエネルギーを称して「私、アドレナリン・ジャンキーなのよね。」と言い放った。
夕方映画を見たのだが、その映画にも、ミリガン記者のような強くてエネルギッシュなアメリカ人女性の姿が描かれていた。「フライト・プラン」という映画で、戦う母親を演じるジョディー・フォスターである。飛行機の中で突然姿を消した愛娘を捜索し、必死の形相で機内を走り回り、怪しい人を自ら問い詰め、貨物室に通じるカギを消火器をぶん投げてぶち壊し。。「おいおいやりすぎだよ。。」と途中で少々冷めてしまったじたのは、私が日本人だからだろうか。”エネルギッシュ”を通り過ぎて、”ちょっと怖い”女性なのだ。
ただし、ジョディ・フォスターの演じる”強い母親”も、スーザン・ミリガン記者のような女性記者も、アメリカには山と存在する。そして、そういう人々を目の当たりにしながら、「すごいけど、何だかちょっとついていけないかも」と感じる自分がいる。強くて、正義にあふれていて、かっこよくて、物言いも断言的で。。憧れる気持ちもあるけど、正直、見ていて何だか疲れるのだ。
実はこれはアメリカ人女性だけではなく、性差を問わずアメリカ人全体に言える事かもしれない。とにかく「Can-do/Never-give-up attitude(何でも出来ます、絶対あきらまめません精神)」というのが社会に満ち満ちていて、男も女も前向き。後ろ向きなことを言ったり、泣き言を言ったり、遠慮したり、謝ったりというのをあまり見たことがないのだ。SMAPの歌みたいに「ナンバーワンにならなくてもいい」なんて歌っている場合ではない。大学の授業でも、「私に意見を言わせて」とばかりにがんがん手を挙げて、意見を言わなければ成績自体が悪くなる。学生時代からそんな調子なのだから、社会人になっても、いわんやおやである。
この勢いで大量破壊兵器が見つからなくても、イラクに行く。イラクに行ったら「民主主義が徹底するまで」帰らない。ってな調子なんだろうな、アメリカ。一体どこへ行くのだろう、この国は。とたまに思わずに入られない今日この頃なのであった。
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Thursday, September 29, 2005
狂気か本気か!?反戦ママ、シンディはきょうもゆく。。
先週のDC反戦集会のためにDC入りした反戦運動ママのシンディ・シーハンが民主党の上院議員に面会し、その後記者会見するという。インターン先のTV局のマイクを預かり、カメラマンとともにぶら下がりインタビューをすべく赴いた。
シンディママ(写真)は、これまで反戦デモ中に路上に居座るなどして複数回警察に逮捕されたことがあるが、そうした「逮捕」すらパフォーマンスであるかのような印象を受ける。愛する息子のケーシーがイラクで死亡するまで、彼女はカリフォルニア州ノーウォークに住むごく普通の主婦だった。陸軍に所属するケーシーが亡くなったのは04年4月4日。サドルシティという町で、仲間の部隊を助ける任務を実行中のできことだった。
05年1月にGold Star Families for Peaceという反戦NPOを立ち上げたシーハンさんは、同年8月にブッシュ大統領に面会を求めてテキサス州クロフォードに”キャンプ・ケーシー”と名付けた野営を設け、座り込みを行ったことで有名になった。メディアが彼女につけたあだ名は「ピース・マム」。その後も今月の反戦集会を始めとしてさまざまな活動を行っている。
「これ以上ただ一人の兵士のママを泣かせてはなりません!Not one more! Not one more!!」メディアに映し出される近頃のシーハンさんはすこし「狂気」じみている。集会のかけ声は、やや甲高く、ふるえ気味の発声。その化粧っ気のない顔やいつもTシャツとジーパン姿で服装にも構わない姿には、少々世間も食傷気味、といっても過言ではないだろう。やはり「息子を亡くしてよりどころを無くした母親が、何かにすがりたくて一心不乱で反戦活動をしている」というのが正しいところ、なのかもしれない。
その証拠にシーハンさんは夫のパトリックさんと05年8月に離婚している。離婚の理由については「”[did]n't support [her] activities, although he knows the war is a lie"(夫はイラク戦争がうそだと知りながら、私の反戦活動を手伝おうとはしなかったんです)」と語っている。同じく8月18日には母親が心臓発作で倒れるという有様で、まさに「家庭はぼろぼろ」。でも走り出したシンディは、止まらないのだ。彼女の当面の目標は「ブッシュ大統領に会って、イラク戦争の意義を問いただす」こと、だという。
上院の議員会館の前で待つこと20分。われわれのほかにも5-6社のアメリカ内外のメディアの記者やカメラマンが取材をしようと待ち受ける。シンディが現れた。背が高く、ひょろ長い体にTシャツとデニムの短パンという「アメリカの高校生の夏休み」みたいないで立ちだ。この服装で議員に面会をしたらしい。マイペースな人だ。。
「やはり今でも会いたい人は、ブッシュ大統領ですか?」こんな私の質問に、シーハンさんは少し悲しそうな表情をたたえたまま「そうです。11月のサンクスギビングには、ブッシュ大統領一家と私の一家で一緒に七面鳥を食べましょう、って呼びかけるつもりよ。決してこれ以上”うその戦争”のためにアメリカ兵を死なせてはならない。イラクからの即時撤退を直接呼びかけるつもりです!」短い時間だったが、間近で見たシンディーの表情からは、狂気よりも「悲しみ」を深く感じた。ブッシュ大統領が七面鳥をシンディと共に食べるとは思えないが、シーハンさん、これからも体を壊さない程度にがんばって運動をしてほしい。幸いにも彼女に共感をする人はアメリカ全土に増えつつある。
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Wednesday, September 28, 2005
天然ガスの採掘を勧める下院議員に、朝からぶら下がり。
朝日がまぶしいキャピタル・ヒル。早朝8時50分。まさに「白亜の殿堂」のようにそびえ立つ連邦議事堂ビル。われわれが、真新しい議会パスをセキュリティー・ゲートの警備員にかざし、本日向かう先はその議事堂ビルの一室にある、下院の「TVプレスギャラリー」。ここは、米国下院議員がランダムに記者会見を開く場所。くだんのパスを持っているジャーナリストなら、誰でも自由に入り、取材が出来る場所である。きょうは少々緊張しながら、ある記者会見を取材にやってきた。しかも、会見の後に、ペンシルバニアの局向けに、地元選出の下院議員に独占でぶら下がりインタビューを撮らなければならない。責任重大である。
「サラー、もう少し早くきたほうが良かったんじゃない?」
こうぼやきながら、流れる汗をぬぐいぬぐい記者会見場に到着したのは、会見開始5分後。肝心のペンシルバニアの議員は、この会見の主催者なので、一番にスピーチをしてもう終わってしまっていた。取材としては、プロ感覚に欠ける出だしである。それでも残りの会見と、ぶら下がりを撮影しなければ。私は大学のデジタルカメラを取り出すと、会見のカメラ壇の最後列にこっそりと上り、15人ほど集まったペン記者がすらすらとメモをとる音を聞きながら三脚をなんとか立て、音声ケーブルを分配ボックスに突っ込むことに成功。汗が滝のようにぽたぽたと落ちるのを感じつつ、会見に集中することに。
「北米大陸のへりの部分には天然ガスが沢山埋もれているのに、そうした資源を今まで活用しなかったのはなぜなんでしょうか?原油高の今こそこうした天然ガスの採掘を勧めるための法律を整備すべきではないでしょうか!われわれ共和党と民主党の議員はbipartisan(2党共同)で、この要求を下院に通します!」さすが生で見る議員のスピーチは、力強い。と、素人まがいの気持ちで取材をしている場合ではない。きょうは、会ったこともないペンシルバニア出身のジョン・ピーターソン下院議員に突撃で、インタビューをする予定なのだ。くだんのWSEE-TVというペンシルバニアの局に配信する予定で、「特に、地元のエリー湖(5大湖の1つ)の周りの天然ガスの採掘に関して、詳しい見通しを聞いてほしい」(いけいけニュースディレクターのクリスチアンセンさん)という指令が出ている。失敗するわけには行かないのだ。
会見終了後、無事ピーターソン議員をゲット。撮影パートナーのサラが、事前に議員の広報秘書に根回しをしておいたのが効いた。初ぶら下がりに成功。よかった。この後会社もとい大学に帰り、「ログ」と呼ばれるインタビュー書き起こしを行って、使える部分15秒ほどを探し出した。早朝からの取材だったのでさすがに疲れたが、ペンシルバニアに向けて、編集テープを近くのフェデックスから送ると力尽きた。お疲れ様。
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Tuesday, September 27, 2005
ワシントンDC在住の卒業生ネットワーキングイベントで、カメラマンのバイトをする、の巻。

「ワシントン・ポストの記者をしています。」
「フリーランスでフォト・ジャーナリストをしているんだ。」
「メディア・コンサルタントをしておりますの。ほほほ。」
夜、ボストン大のコミュニケーション学部のDC在住卒業生イベントがダウンタウンで開かれた。場所は>Navy Army Club (写真)という退役軍人や現役軍人のために作られたサロン(!)。DCならではのロケーションである。
100人以上が一堂に会した。写真は我が学友ビッキー、サラと去年の卒業生のナサニヤ。ナサニヤはABCの「ナイトライン」のプロデューサーをしている。ナイトラインといえば、アンカーを25年つとめたテッド・コッペルが、最近降板(05年11月)したことでも知られている長寿報道番組である。
パーティも佳境になり、学部長のシュルツ氏(写真)と副学長のバーコビッツ氏がボストンから来てスピーチ。この2人、何か我々学生との間に溝があって、はっきり言ってあんまり私は好きじゃない。バーコビッツ氏なんか、こういうイベントのたびに何度話し掛けても私の名前すら覚えてくれない。私などは、コミュニケーション学部には数少ないアジア人留学生なんだから、顔と名前くらい一致してくれればいいのにと思う。うちの大学は、どうも自分の顔を売るのに忙しくて、学生のほうを向いていない教授が多い。学費はめっぽう高いのに、けしからん話だ。
ま、そんな愚痴はきょうは忘れるとしよう。実は私は今晩、大学に「雇われて」いる。大学側のイベント記録公式カメラマンとして、パーティ列席者の写真をとり、おだちん50ドルがもらえるというので、飛びついたのだ。
「失礼ですが、お名前と卒業年次をおしえていただけますか?」
写真には全て正確なキャプションをつけなければならないので、何と即席スチールカメラマン・テディにはアシスタントがついた。新聞ジャーナリズム学科の学部生、ケイティーである。こうしてカメラマンを担当していると、実はいろんな卒業生に話し掛けるきっかけになって、楽しかった。いろんな人の名刺をもらって、大満足である。しかし、おいしそうなパーティ料理は、食べる間もなく下げられてしまって残念。苦労して私が撮影した写真は、大学のウェブサイトに後日無事掲載された。ここで見れる。
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プエルト・リコ選出の米下院議員がFBIに内部調査を要求。
カリブ海に浮かぶ小国、プエルト・リコ。この国は実はアメリカ合衆国領だってこと、皆さんは知っていただろうか?だから、アメリカ議会(下院)にはプエルト・リコ選出の議員がいる。そして、きょうひょんなことからその議員をインタビューすることになった。
大学院を通じて映像配信をしているペンシルバニア州エリー市のTV局の姉妹局がプエルト・リコにあるから、プエルト・リコの議員も取材対象になっている、というわけ。われらがスペイン人の同級生、スペイン語ネイティブのテミスがいるから、彼女を中心にスペイン語でレポートを作って配信しても構わない、とのことだった。
さて、やってきました米国下院ビル。インタビューのアポをとりつけた議員、ルイス・フォルトゥーニョ氏は45歳には見えない若々しさ。しかも秘書ともどもかなーり気さく。最初にインタビューした議員がアメリカ議会・メインストリームの超大物、ヒラリーだったので、あちら陣営とのギャップを感じる。しかしさすがにわが同級生テミスはやり手。議員と会うなりさっそくスペイン語でぺらぺらとよくしゃべる、しゃべる。。
今回フォルトゥーニョ議員にインタビューするのは、彼がプエルト・リコ国民を代表し、FBIに異議を申し立てているから。議員が怒っているのは、9月24日にプエルトリコで起きた、ある容疑者の死についてである。ある容疑者とはプエルトリコ独立運動の国民的主導者であったフィリベルト・オヘダ・リオス(写真)のこと。
事件のいきさつはこうだ。アメリカのFBIが、アメリカ・コネティカット州で10年以上前に起きた強盗事件の容疑者として追っていたお尋ね者リオス容疑者を、プエルトリコでついに見つけた。捜査官が追い詰め、激しい銃撃戦が交わされた。そして容疑者は死亡。しかし現場を見た人々の間である疑惑がささやかれ、アメリカや、FBIに対する不信感情が即座に地元民の間で沸き起こった。リオス容疑者は即死したわけではなく、FBI捜査官によって撃たれた後、意図的に放置された疑いがある、というのだ。プエルトリコでは国民的英雄として、支持を受けていたリオス容疑者。プエルトリコではその死が「故意」であるとして、FBIに異議を唱えるデモ運動すら起きているという。
(参考)フィリベルト・オヘダ・リオス容疑者殺害についてのBBCの記事はここ。
FBIの内部調査を求める人々の声についてのBBCの記事はここ。
「われわれプエルト・リコの国民は、フィリベルト・オヘダ・リオス容疑者殺害の件について、FBIに断固として調査を要求します!プエルトリコは小国ですが、独立運動の主導者であるリオス氏の死に疑惑があることは許せません。」こう語るルイス・フォルトゥーニョ議員のメッセージを、われわれのデジカメで収録。インタビューアーはわれらが同級生テミス。議員のコメント収録の後、2人の2ショット、テミスの質問の切り返しカットなど、存分に絵を収めて、どのようにでも編集できるようにした。くだんのWSEE35のニュースディレクターで、やる気満々のクリスチアンセンさんに取材報告の電話をすると、「いいねー。バーバラ・ウォルタースのインタビューみたいに、撮影・編集してくれよ、テディ。頼んだ!」って、無責任なんだからーー。
フォルトゥーニョ議員は30分しか時間が取れないということで、インタビュー後には下院の重厚なオフィスから早々に退散。さ、大学院の寮に帰って編集だ。
今回は、ひょんなことでDCを舞台に普段は思いもかけないテーマの取材を手がけることになった。それも意外と面白いものである。
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Monday, September 26, 2005
トルコ・コーヒーで占う私の怪しげな運勢とは。
近くのトルコ料理レストラン「ママ・アイシャ」にケバブを食べにいく。こんなにおいしいお肉を食べたのは久しぶり。食後のトルコ・コーヒーがまたすばらしく美味しい。カルダモンの香り漂う濃ーい一杯。
飲み終わった後に、加藤茶に似た中東系の愛想のよいウエイターさんが、「よし、私がひとつ君の運勢を占ってしんぜよう」とコーヒーの「かす」が残るカップを”えいやっ”と裏返した。トルコには、残りかすが受け皿に描く抽象的な形を見て、コーヒーを飲み干した人の運勢を占う、という伝統があるのだ。。むむむ。なんと神秘的な。
「中年の男が見える。比較的小柄な男だ。一見して君の力になってくれるようなそぶりを見せるが、実はこの小男、君の背中の後ろで笑っているのが見える。”君の力になるよ”なんていいながら、君を利用しようとしているんだ。気をつけるといいよ。思い当たる人はいるかい?」ぬぬぬ、ぬあんてこと。誰だろう、この小男って。。!?不思議な占い結果に、首をかしげつつ帰路に着く。思い当たる”小男”を記憶から全て洗い出してみながら、なかなか寝付けない夜更けなのであった。
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雨ふり。
月曜日のきょうは雨ふり。あまのじゃくの私は、雨の中、地下鉄2駅分を歩いてインターン先から寮まで帰った。写真はDCの北西部に向かう大通り「コネチカット・アベニュー」。DCの市街地を出ると、ロック・クリーク・パークという大きな森林公園の地上10mほど上に作られた高架橋に変わる。上は大通り、下はうっそうと茂る森にさまざまな鳥やせみの声がこだまする不思議な空間。そんな場所がDCというばりばりな政治の街にあるところが、不思議なのだ。「DCは1つの大きな森みたい」と以前誰かが言っていたのを思い出す。
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Saturday, September 24, 2005
あの世からの花嫁、映画「Corpse Bride」鑑賞
ティム・バートンの新作アニメ「Corpse bride」を見にいってきた。”死体の花嫁”が主人公。ゴシック調の世界を月明かりが照らし、青と白の単色の世界にがい骨や首のない幽霊が踊る。。まさに同じバートン監督の「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のモノクローム版の世界が構築されていて、一気に引き込まれてしまった。「Charlie and the chocolate factory」に続き、ティム・バートンの世界にどっぷり浸る。ジョニー・デップとヘレナ・ボナム・カーターの、「チョコレート工場」コンビがまたまた声優を務めている。☆4つ。
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30万人が参加!DC大・反戦集会を取材。
”They lied, They died”ブッシュ政権のイラク侵攻に異議を唱えるこんな意見広告がワシントンポストをはじめとする全国紙に掲載されたのは22日のこと。掲載したのは反戦を訴えるNPO。広告には、「ラムズフェルド国防長官、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ライス国務長官」のブッシュ政権4人衆が、”酒をあおった和田アキ子”ばりにほえている写真。彼らのうそによって、米兵が無駄に死んだ、と広告は訴えている。
同じ週末には、全米最大規模の反戦集会がホワイトハウス周辺で開かれた。「Not one more!」米軍の兵士がブッシュの「noble cause」のために無駄に死んでいる。これ以上一人も死なせてはならない。。こう声高に訴える活動家のシンディ・シーハンさんは、息子をイラク戦争で失った「反戦ママ」の一人で、ブッシュ大統領のテキサス州の実家近くで座り込みを行ったことで有名になった。そのシーハンさんもこの集会のオーガナイザーの一人。
小雨の降る中、インターン先の女性カメラマンと共に取材に出た。彼女はイラクにも取材にいったことのあるコンバット女性カメラマン。すでに行進のルートは通行止め。回り道してようやくたどり着いた先には全米・海外から押し寄せた人、人、人。
人々が手に手に持つのは反戦と反ブッシュ政権のメッセージ。あるプラカードには、「Guilty, War criminal」こう書かれたブッシュの顔写真。
”Republican Credo”こう書かれたプラカードでブッシュの共和党の偽善を猛烈に批判する人。われらがカメラマンは、路道に駐車されているトラックのボンネットによじ登っての熱の入った撮影ぶり。落ちないように見守る。
さらに人の波に沿って効果的にパレードの「広い絵」を撮影しようと、さかのぼれどさかのぼれど人は途切れない。一体何人が参加しているのだろう、と思ったら主催者発表で30万人だという。けれどもこの日、肝心の「ホワイトハウスの主」であるブッシュは地方に講演に出かけていて留守だった。
行進するデモ隊の中には、アメリカ国旗で包んだ棺を運ぶパフォーマンスがあった。胸に迫るものがあったので、カメラマンと話し合いこの棺をどこまでも探し、カメラに収めていたら日本向けのオンエアの時間に間に合わなくなりそうになってしまった。
このラリーは次の日も続き、最終日にはくだんのシンディ・シーハンがホワイトハウスの前で座り込みをしたとのかどで、ワシントンDCの警察に逮捕される事態となった。9.20時点での米軍のイラクでの死者は1902人と、まもなく2000人を超えようという勢いである。世論調査でブッシュのイラクへの対応に不満を持つ人が60%を越えるなど米国民の意識も変化しつつある中でのこの大集会。ワシントンという「パワー・ポリティクス」がはびこる町で政治家のお尻を追いかけて取材などしている日々の自分に、アメリカのもう1つの「現実」を見せてくれたロケだった。
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Friday, September 23, 2005
レッドソックスのアウェイ試合観戦でボストンを懐かしむ。
昼間、仲間意識を高めた(?)後には(前項参照)、夕方こんな大学院のイベントがあった。ボストンレッドソックスのアウェイ試合の観戦である。チケット代は団体割引でたったの5ドル。サラとともに列車に乗り込み、向かう先はDC郊外のメリーランド州ボルチモア。対戦相手のボルチモア・オリオールズのホーム球場であるカムデン・ヤードである。ボストンレッドソックスのホーム球場と言えば、われわれにはおなじみのフェンウェイ・パーク。フェンウェイのクラシカルで、こじんまりとして、「昔ながらの野球場」というたたずまいに比べると、カムデンは新しく、ハイライズで、電光掲示板もぴかぴかの「ハイテク野球場」といったところ。フェンウェイでのレッドソックスファンの濃い応援と、観客と球場が一体になったような感覚が懐かしい。。。
とはいえ、そこはやはり我らがレッドソックスの選手の面々が姿を現すと、燃えてしまうボストン大ワシントンプログラムのメンバーなのである。皆が写真のようにレッドソックスTシャツで歓声をあげた。私も青の「ジョニー・デーモン外野手」Tシャツに身を包み(ファンなのだ)生ビール片手に昼間の「ドラマ」を忘れて、大声で応援。ストレスを解消した。それにしてもこうして晩夏の野球場で、夕方の風に吹かれながらビールを飲んで汗をかくとますますボストンが懐かしい、というか恋しい。この1年の間に里心がついてしまったのかもしれない。
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早朝の話し合いと涙の和解。
きのう勃発したブロードキャスト院生の「娘」たちのけんかについて、きょうは著名ジャーナリストの早朝レクチャーの後に、話し合いをすることになっている。話し合いといっても”「テミスVSサラ」のけんかにジュリーがチャチャを入れ、私が仲裁をする”という構図になることは目に見えている。気が重い。早朝レクチャーのゲストは、議会のあるキャピトルヒルのことならなんでもリポートする「Roll Call」のシニア記者であるポール・ケインさん(写真)。けんかのことが気になって、ほとんどレクチャーに身が入らない。
レクチャーが終わってサラ、私、テミス、ジュリーの4人で話し合いをした。写真がその「現場」である寮の廊下である。口火を切ったのは、サラ。クリントン議員のワインパーティの取材に行ったのは、ほかの院生に秘密にするつもりではなかったこと。きのうの下院議員への取材要請は、サラも突然のことに慌てていて、みんなに命令するつもりは決してなかったことなどを理論的に語った。
そこへかみついたのが、テミス。「サラ、あなたとてもルードよ!ただrude(失礼)だったから、私、怒ったのよ。ヒラリーのイベントのことは全然知らなかった。どうして教えてくれなかったのか、と思ったわ。それよりも何よりも下院議員のインタビュ−を突然持ち込んできたとき、私とジュリーは宿題のドキュメンタリーを編集していたのよ。編集がどれだけ骨が折れるかわかってるわよね。一日編集していて、あなたに怒鳴り込まれて、どうしろっていうのよ。ただただあなたのこと、失礼だと思ったのよ。」
それにはさすがにサラもしゅんとなった。しかし、じゃあ私とサラのペアはただ、「みんなに黙って取材に言って、鼻高々になっているおばかさん」ということになってしまうじゃないか。そこで私が口を開いた。
「ヒラリーのことがうまく伝わらなかったのはミスコミュニケーションで悪かったわよ。でも、この間のイベントのリリースは、テミス、あなたも受け取っていたはずでしょう。私たちはただニュース価値があると判断したから、自主的に取材に行っただけよ。何マイルも離れたローカル局のためにインターンをするってことは、信頼関係を早く築くことが大事なのよ。ワシントンDCに駐在している我々が価値があると思ったことは、すかさず取材をして映像を送るということに意義があると思うの。われわれ院生チームととローカル局WENYテレビとの映像配信の協力関係は、まだ始まったばかりなのよ。ヒラリーに取材できるなんて、こんなおいしいイベントを逃したらもったいないじゃない。私たちが自主的にカバーして”われわれBUの院生はこんなことができるんです”ってデモンストレーションしたほうが得だと思ったんだけど。私たちは院生じゃなくて、この町ではプロフェッショナルのジャーナリストとしてふるまわなければならないって、教授も言ってたじゃない。」
これにはカナダ出身の若いジュリーがかみついた。「何よ。プロフェッショナル、プロフェッショナルって。私たちだって、プロフェッショナルに近づこうと一生懸命やっているわよ。そりゃテディみたいな経験者で年上の人にはかなわないけどさ。そんないプロ、プロ、言わなくてもわかってるわよ!」
サラが震えている。やばい。そこでさらにジュリーが
「サラ、私たちボストンで大げんかしたけど、ワシントンでは私、あなたに優しくするつもりだった。でも、こんなんじゃ、できないわよ。」
サラだって黙っちゃいない。「何よ、私だってあなたとけんかしないでうまくやっていこうとしているのに!そんな子供みたいで自分勝手なこと言わなくても。。」私も頭にきた。感情的になると意外ととまらないのだ。
「ええい。だいたい私とサラはプロデューサー志向なのよ。あなたたちみたいなプリティ・フェイスの記者志望者の下手なリポートを撮影する協力をするために、ワシントンにきた訳じゃないのよ!」なんと、たんかを切りながら、知らないうちに涙が出てきた。一番年長のテディ、不覚である。
しかし、この涙が効いた。年上の私には、もともと好感を持っていたテミスとジュリー。(というか撮影の技術的なサポートでいつもアドバイザーとして私を言い様に使ってきた、というのが正しい)私の涙に激しく動揺した彼女たち、「ええー、テディが泣くなんて。泣かないでーー。」
泣きながら、私はこの幼稚な話し合いに釘を刺したかった。「あのさー。私が日本で経済チャンネルのディレクター9年近くもやってきて、ヒラリー・クリントンなんて、インタビューできる機会、あったと思う?ここなら、大学院生なのに、ジャーナリズムスクールに入ってこんなすばらしい機会をもらって、議会もジャーナリストにオープンだから、こうして外国人の私がヒラリーにインタビューすることもできるんだよ。日本に居たら、決してできないことをしにきたんだから、私はインタビューできてよかったよ。だから、みんなもそう思ってほしいな。我々はチームなんだから。」
最後は抱き合って、みんな泣いていた。
寮の部屋に帰ると、ルームメートでもあるサラが、私を優しく抱きしめてくれた。
「サラははっきりものをいいすぎるんだよ。だから言葉には気をつけた方がいい。君はまじめすぎて、正義感が強すぎて、ストレートなものいいをしてしまうんだよ。」そうサラに優しく伝えると、サラは泣き出した。「じゃあ、どうすればいいの、口をきくときはシュガーコート(オブラートに包む)すればいいの?本当のことを言ってはいけないの?」うーん。そうじゃないんだよなー。。
サラ(写真)はパキスタン系移民の娘で、子供に過度な期待をするアジアの両親にありがちな家に育った。その中でもコンペティションに勝ち、マイノリティとしていつも成績トップを走ってきた。いままでこの子には、挫折はなかったんだろうな、と思うと彼女の言動にも納得するのだが。しかし。空気を読めない、同性に嫌われる、というのはこれから先少々問題であろう。
とは言うものの、今回のけんか。サラのことが前から気に食わなかったテミス、ジュリーの「少し派手でお気楽な院生ペア」が、サラにかみついたという構図で、私は単にとばっちりで巻き込まれただけだったらしい。。
ちなみにサラと私はもちろん「優等生、地味で苦労性なペア」。これから先この対照的なペア同士の対立がないようにするにはどうしたらいいか。頭が痛いワシントン生活の船出となった。このけんかが終わったのが朝9:45AM。サラが「Too much drama...(ドラマチックすぎ。。)」こう呟いてから、彼女の外部インターン先であるCBSのワシントン支局ポリティカル・ユニットに出勤していった。
ときはまだ9月。12月まで何とかこの娘たちとつきあっていかなければ、卒業はないのだ。。むむむ。
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Thursday, September 22, 2005
ブロードキャスト娘達のけんか勃発!どうする、どうなる!?
ワシントンDC。午後5時。日本の放送局のDC支局で外部インターンをしているときに、学友のジュリーから留守電が入った。メッセージを聞いてちょっと手が震えた。怒りを買う覚えがないのに、彼女がものすごい勢いで怒っていたのだ。
「あ、テディ?ジュリーだけど。私たちチームメートにことわりもなく、サラと二人でこそこそと点数稼ぎをしているみたいだけど、きょうのサラの取材の協力、私とテミスにはできないからあなたがやってよね。どこでインターンしているのか知らないけど、終わったらサラに電話して!(ガチャ)」
「どこでインターンをしているかわからない」とは失礼な。日本の放送局だから彼女には無知なのは無理もないが、完全な挑発である。。売られたけんか、買おうかどうか迷うが、とりあえず冷静に何が起きたか検証してみよう。
ははーん。「サラと二人でこそこそと点数稼ぎをしているみたい」とは、つい先日のヒラリー・クリントン上院議員のワインイベントの取材(写真)のことを言っているらしい。私とサラは、他の3人の院生チームを出し抜く気などあるはずもなく、ただ「ニュースバリューがあるから取材しよう」とクリントン議員の取材に自主的に出かけた。イベントのリリースはジュリーを初めとするほかの放送ジャーナリズムの学生にも届いているはずだった。イベントがどんなにインターン先のWENY(NYのローカル局)にとってニュース価値のあるものかも、ジャーナリズム学科の院生なら一目で判断がつくはず、と思っていた。
ところが、現実はそうではなかった。写真のジュリー、テミスらの同級生ペア(撮影のために二人組を作っている)には私とサラのペアが「私たちに内緒で、インターンの点数稼ぎのために出し抜きで取材に出かけた」ということになっていたらしい。
もともとジュリーとテミスはわれわれのペアと違って「楽に取材をして楽に編集をする。苦労は出来るだけしない」というのがモットー。地を這うようなリサーチをして、交渉に交渉を重ねて、なめるように撮影をし、膨大なカット数の中から最良の絵を選び、注意深くナレーションを書く。こんな作業が好きな私たちとは、スタイルが違うのだ。
ーーーー
寮に帰ってサラに話を聞いてみると、あの電話のきっかけとなるある「事件」があったことがわかった。寮にて、私のいないうちに、WENYから緊急に「ある下院議員にインタビューをしてくれないか」というオファーが入った。受けたのはサラだったが、突然のことで焦ってしまい、テミスやジュリーらが編集作業をしている部屋に突然走っていくなり「インタビューよ!締め切りが迫っているの。さ、誰が私と一緒に行ってくれるの?」とかなりボッシーかついや~な女的態度に出てしまったらしい。真面目なサラのこと、ただ一生懸命だっただけなんだろうが、普段から優等生の彼女は周りにどうも「煙たがられ」がち。ましてやジュリーとサラは1学期目にボストンで大喧嘩をしたヒストリーがあるほど犬猿の仲、だったのだ。
そこでサラのボスぶりにかみついたのが、スペイン出身のテミス。「何なのよ。私たち編集しているのよ。テディといけばいいんじゃない。」そこでサラがよせばいいのに「私たち、この間もクリントン議員のイベントの取材に行ってきたのよ。あななたちも少し協力してよ」と口走ったからたまらない。もともとかんしゃくもちのテミスが爆発して、「そんなの、聞いてなーい!!なによ、点数稼ぎのつもり?」と来たらしい。思い切り誤解なのに、まだ若くて未熟者で他人の意見に迎合しがちなジュリーは、「そうだ、テディとサラが悪いんだ」とこれまた思い切り誤解して、私に怒りの電話をかけるに至ったらしい。
ーーーーー
なんだか厄介なことになった。これだから女ばかりの院生チームは嫌なんだ。ボストン残留組には男性の院生が数人いるものの、ワシントンプログラムに参加した放送の院生は全員女。しかも「プロデューサー(日本でいうところのディレクター)志向」のサラと私に対し、残りの3人は全員が「記者・アンカー希望」つまり顔出しをしたい人たち。TV報道にかける「スピリッツ」が違うのよね~。
。。と愚痴はそこまでにして、私はこの4人の中で最年長。何とか娘達のけんかを仲裁し、止めなければ。。と、そこにメールが入った。ジュリーからだ。タイトルは、meetingを示す「mtg」。
「明日の朝、授業の後に集まろうよ。10分だけ、今回起きたことについて話し合おうよね。それじゃあ。」
どうなるブロードキャスト娘たち!?
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Wednesday, September 21, 2005
「上司」と対面・その2~PAのCBS系列局からニュースディレクターがやって来た。
ワシントン特派員としてニューヨーク州とペンシルバニア州の片隅にある2つのローカル局にインターンをすることは、以前書いた。なぜ2つの局もあるのかというと、ワシントンプログラムに参加しているボストン大学院の院生は6人いるので、全員にまんべんなくリポーターやプロデューサーの役割が行き渡るようにである。先日一つ目の局のニュースディレクター兼アンカーがワシントンに訪問をしたが、きょうはもう一つの局のニュースディレクターがボストン大学ワシントンセンターに表敬訪問をするというので、またまた朝から緊張である。
二つ目の局、WSEEはペンシルバニア州エリー市にある、CBS系列局。ニュースディレクターのジョン・クリスチアンセンさんは、「これぞたたき上げ!」という感じのやる気みなぎるニュースディレクターである。
「どんどんパッケージ・リポートを作ってくれたまえ。君たちを記者として全面的に打ち出して、WSEEが”ワシントン支局”を持っていることを大々的にアピールしたいんだ。議員の一対一のインタビューなんて、機会があればどんどんやってくれ。その際は”切り返し”(記者が質問している顔)も撮影して、うちの記者が実際にワシントンDCに居るんだ、ということを強調してほしい。」
プロデューサーになりたかったのに、就職先がなくてカメラマンからスタートしたというクリスチアンセンさん。技術畑の経験も長いことから、いろいろ詳しい注文をつけてくる、手ごわいニュースディレクターのようだ。
「毎朝ペンシルバニア州の議員の事務所にきょうは何かニュースがないか、”チェックコール”をかけてくれたまえ。その結果を私に毎朝10時ころに報告するように。」
うーん。いろいろ本当に注文が多いが、大丈夫なんだろうか。
クリスチアンセンさんはきょうの午前中、われわれが取材する予定のペンシルバニア州議員の議会事務所に1人で赴き、記念品などを配って「うちの新しい特派員をよろしく」とあいさつ回りを済ませてきたという。
なかなか行動派でやり手のジャーナリストだ。ただひたすら「行動あるのみ!」という彼に少々圧倒されながらも、われわれ院生6人でお互いのチーム・スピリッツを確認しあい、緊張の一日は終了。
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Tuesday, September 20, 2005
ヒラリー・クリントン上院議員にぶら下がり取材!晴れ舞台にときめく。
NEW YORK FARM DAY, the harvest-time celebration of New York wines, foods, and restaurants, will take place the evening of Tuesday, September 20こんなプレス・リリースを受け取ったのは1週間前。なになに。。議会上院の建物内で開かれるワイン・プロモーションイベントで、議員やスタッフを中心に600人が参加します、とある。「Hosted by Senator Hillary Rodham Clinton」しかもこのイベントの主催者はヒラリー・クリントン上院議員。
私が大学院を通じてインターンをしている局は、NY州の片隅のローカル局。だから彼らはNY州選出のヒラリー上院議員のことに関するニュースなら、喉から手が出るほど流したい。この間ワシントンで対面した「上司」、ローカル局WENYのニュースプロデューサーであるジョディー・デイビスさんに問い合わせてみると、「ぜひヒラリーにインタビューしてくれたまえ。われわれの放送エリアは実はワインの里として知られているんだよ。地元のワイナリーやレストランのオーナーとかもパーティに呼ばれているから、彼らのコメントも押さえてくれ。撮った映像はすぐにFEDEXで送ってくれれば次の日には放映する。」とのこと。
ということで、大学のデジカメと三脚を担ぎ、学友のサラとやってきたワイン・パーティー。ご覧のように議員やら議員秘書やらばかりが入り混じってNY産のワインを楽しんでいる”ハイソ”かつ極めて”白い”集まり。その中にまるきり「アジア人」の私と、パキスタン系アメリカ人のサラがずいずいとカメラを担いで入る。痛快である。
やがてヒラリーが姿を現した。さすがに顔にはしわが多いとはいえ、オーラ漂う元ファースト・レディーである。精力的に来場者と握手をし、写真撮影に応じる姿は夫のクリントン前大統領を越えて、立派な1人の「政治家」(当たり前だけど)だ。
やがてヒラリーの広報秘書の女性がやってきて、我々に声を掛けた。「WENYの局の人たちですか?上院議員が全員に挨拶回りしてから、時間をとりますからインタビューをしてください。」ジェニーだか、そんな名前だったその若い秘書は我々のカメラを見るとあろうことか「そ、それ放送クオリティ大丈夫?」などと言う。ものを知らない女性め。そう思った私は堂々と「もちろん!βカムを使った大きなカメラとは違うけれど、十分放送クオリティですよ!」と言い切った。そこへヒラリー登場。実物はさらにしわが多いが、着こなしがとてもエレガント。何よりも立ち振る舞いや言動が女性政治家らしく美しくも堂々としている。サラと私は、ペアで無事「ヒラリー上院議員がNYワインのPRにかける狙い」についてぶら下がりインタビュー取材を成功させた。10分程度だったが、パーティの室内のど真ん中でスチールカメラマンのフラッシュを浴びながら、初の「大物政治家のコメントとり」は無事完了。ふー。
その後はNY州エリアのワイナリーのオーナーやレストランの人々に、きょうのイベントにかける意気込みを聞いて回った。この模様は、ニュースプロデューサーであるデービスさん本人がアンカーを務めるプライムタイムのニュース番組で2分にわたって放映された。
教授には「取材に行ったらご馳走は食べるちゃだめ。ジャーナリズムの公平性を保つためです。」と口をすっぱくして言われていたものの、あまりにおいしそうなオードブルの数々に舌鼓。試食のあとは、無事上院ビル近くのフェデックスが閉まる前に駆け込み、デービスさんの局のあるNY州ホースヘッドまで生の取材テープを送ったのだった。
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Monday, September 19, 2005
自転車通勤。
ボストンで購入したお気に入りの自転車。もちろんワシントンDCにも持ってきた。大学院の寮とインターン先は地下鉄でたった一駅の距離。ならばチャリ通勤をしようと、前々からもくろんでいたのが本日実現した。9月の空に似た美しい空色のわが「カブキ」号をワシントン・ポストの販売機(場所柄、これでしょう。。)の前で撮影した写真がこれ。
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Sunday, September 18, 2005
アフガンの荒地に義足が降る~映画「カンダハール」鑑賞。
「ばりばりばり・・」小型ヘリのプロペラが爆音をとどろかせながらアフガニスタンの荒れた土地の上空を進む。と、地上には、ヘリの進む方向目がけてまっしぐらに突き進む、足のない人、人、人。誰もが松葉杖を器用に使いながら、我先にと進む先にはヘリから次々と投下され、パラシュートの浮力を得てふわりふわりと天から舞い降りてくる義足!そして地上の岩を、砂を、ものともせず突き進む地雷で足をなくしたアフガン難民の姿。ただただ圧巻の迫力映像である。
きょう見ているこんな映画は「カンダハール」。イラン人のモフセン・マフマルバフ監督が、アフガン民衆の真実の姿を捉えた衝撃作で実話に基づいた映画である。
ストーリーはこうだ。主人公はアフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリスト〈写真)。地雷によって片足を失った妹をカンダハールに残してきた。ある日妹から届いた手紙には「もう生きる希望を失った」と書かれており、一路カンダハールへ向かうことに。妹に会うための旅を描いたロード・ムービーなのだが、「ロード」といっても車があるわけでもなく、主人公が乗るのは赤十字のヘリやヒッチハイクの馬車である。
舞台は1999年8月のアフガニスタン(撮影自体は2000年夏以降)。国士の90%以上を支配していたタリバン政府は、女性の権利を全く認めない政策を徹底していた。都市教育を受けた女性たちにはまさに「牢獄」でありこの映画のヒロインの妹も、希望を全く見いだせないアフガン社会に絶望。姉に助けを求める手紙を送ったという。
ところが手紙を受け取った姉が妹に会うまでの道はまさに「道なき道」。何日もかけて砂漠を徒歩で進む地元民の結婚の隊列にまぎれこんだり、馬車の荷台に身を隠しカンダハールへ向かう。
砂漠の砂色と地平線がどこまでも続く美しい青い空、そしてそこに美しい彩を添えるブルカ。主人公と赤十字のヘリのパイロットとのやや不自然な会話ではじまる映画だが、やがてその詩的で超現実的な世界に心奪われることうけあい。何よりも、冒頭の「空から降る義足」のシーンと、「ブルカの下からのぞくアフガン女性の哀しくも超美しいヘーゼル色の瞳」を描いたシーンが幻想的。☆4つ。
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裏庭BBQとキューバ・コーヒー
寮の裏庭で大学主催のバーベキューが開かれた。ホットドッグにポテトチップを炭酸飲料で流し込む「ジャンク」さだけど、たまには楽しい。
学友のサラと近くのカフェに勉強をしに行く。本日のオーダーは「キューバン・コーヒー」。強いコーヒーだが砂糖とミルクがたんまりと入っていて甘い。しかし、カフェ内がうるさくて勉強にならん!と帰ってきてしまった。週末はここのカフェの音楽のボリュームがすごく大きく、集中不可能でした。
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ハリケーン被害地域に古着を寄付
近くの教会でハリケーン・カトリーナの被害地域に向けた古着の寄付を受け付けている、という張り紙を見た。なになに。「ハリケーンの被害を受けた人々に、古着を送りましょう。クローゼットが整理できて一石二鳥!Tシャツ、スウェット、冬物、夏物何でも受け付けます!」
私はクリスチャンでもないのに、教会が好きだ。まず建物が好き。流れる音楽が好き。余談だが、大好きなTVゲーム「ドラゴンクエスト」では「教会」に行くと、通貨「ゴールド」と引き換えにゲーム中の戦闘で死んだ「仲間」を生き返らせることが出来る。(とはいえ、あくまでも私はatheist(無神論者)である。)
教会につくと、学生ボランティアが暖かく迎えてくれた。私はTシャツ数枚を寄付しただけだけれど、多い人はごみ捨て用のポリ袋に古着を一杯にしてきている。少しだけれど、家や家財道具を無くした人の助けになればいい。
教会近くの路上で、こんなユニークなペイントが施された消火栓を見つけた。なぜ日本の「雪ん子」なのかは謎。。
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Saturday, September 17, 2005
19世紀の面影残す「ペン・クォーター」地区でアート・フェアを観る。
すがすがしく晴れ渡り、DC特有の蒸し暑さがこたえるきょうは学友のビッキーと共に「PENN QUARTER=ペン・クォーター」へ。ペン・クォーターとはワシントンDCダウンタウンの7th streetのあたりのことを指し、19世紀に建てられた古い建築物が立ち並ぶことで有名。古くは中国系、ドイツ系、イタリア系の移民が住みついた。最近はシェークスピア劇場やおしゃれなレストラン・ホテル・ロフトスタイルのアパートなどが立ち並ぶ、おしゃれなエリアに変化しつつある。
きょうはこのエリアで開かれているアート・フェアにやってきた。アートの展示即売会だが、やはり場所柄DCにある議事堂などの建物をモチーフにした絵画や写真などが多い。
ひときわ人々の注目を浴びていたのが、低公害バスの中を舞台にしたダンサーのパフォーマンス。色とりどりの布を身にまとった女性が、クラリネットの演奏にあわせて創作ダンスを披露していた。
少し足を伸ばすと国立公文書館や海軍の記念碑がある。この近くには日本茶の専門店があり、茶器や茶葉まで一通り日本のものがそろっていた。
徒歩圏内には小さいけれども立派なチャイナタウンがある。エスニック・料理でお腹を満たした後、コーヒーを飲みたくなってカフェを探したが、歩けど歩けど見つからない。「コーヒー探して三千里」とまではいかないけれど、かなりの距離を探した後力尽きた。カフェインがないと生きていけない我が友・ビッキーさんと私なのであった。。
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Friday, September 16, 2005
著名ジャーナリストの早朝レクチャーシリーズ、はじまる。
きょうから毎週金曜日の朝食付きレクチャー・シリーズがスタートした。教授が卒業生コネクションを駆使しブッキングした著名ジャーナリストの講演を朝1時間聞く。ワシントン・ポストやウォール・ストリート・ジャーナル、タイム・マガジンといった一流紙・誌の記者や、ABC、NBC、CNNといったTV局の記者・プロデューサーらがずらりと来校予定。楽しみである。現役の記者やプロデューサーを招くので、彼らのビジネスに支障がないように早朝にレクチャーが行われる。しかし、我々大学院生としては、金曜日の朝8時といえば1週間の疲れがたまっておりかなり眠い。。。
そこで、大学側からすかさずインセンティブが用意されている。朝食である。学生の代表が近くのスターバックスから買出し、甘―いペストリーやら、マフィンやら、フルーツの盛り合わせやらが熱くて濃いスタバのコーヒーと共に振舞われる。これも楽しみである。
ということで本日1回目のレクチャーは議会の様子を逐一リポートする業界紙「Congressional Daily」の編集長キース・ホワイト氏。(写真)

「Congressional Daily」はアメリカ議会内外で幅広く読まれているニュースレター形式の業界紙で、どの議員がどんな発言をしたか、議会の動きが現在どうなっているかが、一目で分かるようになっている。「議会を“大学”にたとえると、我々の仕事は”大学新聞の記者“みたいなもの」とのことだ。「Congressional Daily」とほぼ同じ内容のライバル紙として「Roll Call」がある。
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Thursday, September 15, 2005
ハリケーン・カトリーナをハートで伝えたTVアンカー。
”Good evening. I am speaking to you from the city of New Orleans – nearly empty, still partly under water, and waiting for life and hope to return. ”夜9時。ハリケーン・カトリーナの被災地の中心部であるニュー・オリンズからのブッシュ大統領のスピーチが始まった。TVのネットワーク各局はどこも生中継で放映。カトリーナの被害がこれだけ広がったのは、規模の大きさの見積もりを誤り十分に警報を徹底しなかったFEMA(Federal Emergency Management=連邦緊急事態管理庁)のせいだとして、政府の責任を問う声があちこちで挙がっていた。
そんな中、カトリーナの直撃1日前に現地入りしたCNNのアンカー、アンダーソン・クーパーは毎日毎日生放送で現地の被害状況を伝え、話題となった。結局彼は、被害発生から1ヶ月近くも現地からの生放送を続けた。本来7:00PMから1時間のニュース番組「アンダーソン・クーパー360°」のアンカーであったが、放送枠を拡大。連日真夜中の12時まで毎日アンカーを担当した。避難民の集うスーパー・ドームの悲惨な現状や、救いの手が来ず全員が溺れ死んだ介護ホームについて、現地の警官の腐敗ぶりなど、アンダーソンの番組で取り上げた内容はどれも被災地に直接行かなければ取材できない内容だったのが印象に残っている。
カトリーナの直撃から4日後の9月1日。アンダーソンは生中継で、ルイジアナ州のメアリー・ランドリュー上院議員(民主党)に食ってかかったことで一躍時の人となった。
ランドリュー上院議員が、ブッシュ大統領を始めとする政治家やFEMAの救済活動に「うわべだけの」感謝をつらつらと述べるのをさえぎり、こう言い放つアンダーソン。ーー
「セネター!ちょっといいですか?私は過去4日間、ストリートに死体が転がるのを目の当たりにしてきて、誰もそんな感謝の言葉を口にするのを聞いたことがないんですが?それに、政治家がお互いを褒めあうのを聞くのはもう沢山なんです!いいですか?現地には政府の対応に狼狽して、怒って、ストレスのたまった人が沢山いるんです。そういう人達が、政治家がお互いに褒め殺し合うのを聞いたらどう感じると思うんですか?ここ被災地のストリートできのう私が見たのは、まさにある女性の遺体が48時間も放置されてねずみにかじられているという悲惨な有様ですよ。この怒りを一体あなたは理解しているんですか!?」
(原文"Excuse me, senator, I'm sorry for interrupting. I haven't heard that because, for the last four days, I've been seeing dead bodies in the streets here in Mississippi. And to listen to politicians thanking each other and complimenting each other, you know, I got to tell you, there are a lot of people here who are very upset, and very angry, and very frustrated. When they hear politicians slap -- thanking one another, it just . . . kind of cuts them the wrong way right now because literally there was a body on the streets of this town yesterday being eaten by rats because this woman had been laying in the street for 48 hours. . . . Do you get the anger that is out here?")ーーちなみにこの時のビデオはここで見れる。
こうしたカトリーナの一連の報道によって、アンダーソンを評価する新聞記事やTVインタビューが相次いだ。
「大災害を”ハート”で伝えたTVアンカー」=ニューヨーク・タイムズ紙(原文”an anchor who reports disaster news with a heart on his sleeve.)
「CNNの時の人」=ワシントン・ポスト紙(原文”CNN's Man of the Hour)
New York Magazineのアンダーソンについての記事
トークショー「オプラ」に出たときのアンダーソン
"I want Media"アンダーソン・インタビュー
この評価を買われ、のちのCNN番組改編で、毎日10時から2時間の「プライム・タイム」の枠に”昇格”した時は、
「ベテラン・アンカーのアーロン・ブラウン〈元10時~の担当)を追い出した」と話題になったものだ。
アンダーソンがプライム・タイムのアンカー、アーロン・ブラウンを“追い出したことについてのWashington Postの記事
これについては「そんなにアンダーソンってすごいのか!?ただ感情的なだけのアンカーではないのか?」と批判の声も挙がったほど。
カトリーナの取材について聞かれ、アンダーソンはニューヨーク・タイムズの取材にこう答えている。
「人の命がかかっているんです。私の取材は、よくケーブルTVのニュースが陥りがちな、”きれいに髪を整えた専門家が視聴率のために怒っている”、というものではないんです。今までのどんな取材よりも自分の身が引き裂かれるような思いをしながら、取材をしていたんです。感情的になるな、と言われても無理ですよ。」
(原文="This is life and death. This is not some blow-dried pundit standing outraged for some ratings, which is what cable news often boils down to....I have been tearing up on this story more than any story I've worked on...It's hard not to be moved.")
私個人的には、以前からアンダーソンのファンだったこともある。しかしいくら感情的と批判されようともやはり一番「ハリケーン・カトリーナを”ハート”で伝えたTVアンカー」は、彼しかいない、と思うのである。プライムタイム昇格も当然といえよう。今アメリカTVニュース界で一番「脂がのっている」アンカー、それはアンダーソン・クーパーである。
ちなみに、アンダーソンはこのカトリーナの取材について回顧録を書くそうだ。本の契約についての記事はここだが、一体そんな時間があるのかどうか?
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Wednesday, September 14, 2005
朝から緊張。インターン先の上司=ローカル局のプロデューサーとご対面。
朝から緊張する。
なぜかというと、「上司」と初対面するからだ。
そりがあわなかったらどうしよう。厳しい人だったらどうしよう。。。新入社員のように朝から心臓が踊るではないか!あいあいやー。
ボストン大学・大学院のワシントンプログラムの一環として、われわれ放送ジャーナリズムの学生がNY州、ペンシルベニア州のそれぞれの片田舎にあるローカル局のワシントン特派員として映像配信を担当することは以前書いた。
この「ワシントン特派員インターン」。二つのインターン先は、大学側が卒業生ネットワークを通じて見つけたもの。だから、「上司」となるプロデューサー達とは一度も顔を合わせないままに配信作業が始まることになる。
しかし、しかしである。プロデューサーとは、ワシントン特派員であるわれわれにどんな取材をしてほしいか、どんな映像がほしいか、その指示を出す直接の窓口。ならば一度は顔合わせをしておいたほうがいい、ということで大学院側の計らいもあり、本日遠路はるばるわれわれのセンターを訪問し、顔合わせがてらわれわれの過去の作品も品評してくれるということになった。
本日エルマイラというニューヨーク州のupstateの地域からやってきたプロデューサーは、写真のジョディー・デイビスさん。われわれのボストン大学の同じプログラムの卒業生にして、TV報道の道27年のベテランである。何と現在の肩書きは「WENYのプロデューサー兼プライムタイム・アンカー」ん?つまりローカル局なので裏方もやりながらキャスターもやってるのである。恐れ入りました。
われわれの緊張をよそに、この「ワシントン特派員」のありようの意義を話し始めた”上司”ジョディーさんは、非常にソフトな語り口。
「君たちには学生としてでなく、エルマイラのローカル局の代表として、ぜひ地元民のためになるような切り口の取材をしてほしいんだ。今までにナショナルニュースの取材は全てネットワーク局に映像をもらっていたから、ワシントンからの独自取材は大歓迎だよ。取り急ぎNY州の2人の上院議員、下院議員の事務所とコンタクトをとって何か新しいニュースがあれば、私に一報をくれ。ニュースバリューの判断は私がする。それを受けてまずはパッケージものよりも、サウンドバイト(=独占インタビュー)の配信をお願いしたいんだ。」
こうして話してみると、実際に「ワシントン特派員インターン」がどのように稼動するのか、少しは見えてきたではないか。「NY州の議員の話題がワシントンで撮れるなら、どんな映像でもいいから、とにかく1日に1本はPitch a story(取材テーマの提案)を電話でしてくれたまえ。期待しているよ!今までワシントンに支局をおいたことなんて、ないんだからね。大学院生のインターンとはいえ、ひとつの支局として大いに活用しようと思っているからそのつもりで。」
こうして過度に期待されているようだが、われわれはあくまでも初対面。「できる度」を証明するために、ミーティングの後半は、「特派員」それぞれがこれまでに大学院で作ったレポートを見せて、批評を受けることに。何しろ教授の評価は受けていても、ジョディーのように記者・アンカー生活27年のプロにテープを見てもらうのは、初めてである。緊張する。。
「うーん。立ちレポの表情が堅いね。」「言葉の言い回しはもうちょっとナチュラルに。」「このカットはどうしてPANなのかな?FIXでいいからもっとゆっくり見せて」
5人それぞれの作品に対し、的確にポイントを指摘するところはさすがプロ。
ということでインターン先の「上司」との初対面は無事終了。思っていたよりも普通な人でいわゆる「業界くずれ」していないところはよかった。これから「こんなネタがあるんですけど?どうでしょうか?」と定期的にご相談の電話をするときも、気が楽なはず。。
来週は、まだ会っていないペンシルバニア州のローカル局のプロデューサーとも対面する。われわれ放送ジャーナリズム院生5人組の運命はいかに!?
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Tuesday, September 13, 2005
DC初ロケinコングレス。ジョン・ロバーツJr公聴会でケネディ上院議員をゲット。
いよいよボストン大学ワシントンDCジャーナリズムプログラムがフル稼働した。
私の週間スケジュールは以下のようになっている。
月曜日=外部インターン+7PM-9PM大学院Political Reporting の授業
火曜日=BUセンターのニュースルームで記者インターン
水曜日=8AM-9:30AMBroadcast Journalism 授業+終日BUセンターのニュースルームで記者インターン
木曜日=外部インターン
金曜日=8AM-9:30AMDC在住の現役ジャーナリストによる特別講義+その後終日外部インターン
ということで、盛りだくさんのスケジュール。しかし、必修科目がたくさんあって悲鳴をあげていた1学期目と違いほとんどのアサインメントが実技(=取材・原稿執筆や撮影・編集)となっているため、見た目ほど大変ではないはずである。(と思いたい)
さらに私の場合、
外部インターン=日本の某放送局のDC支局
内部インターン(同級生5人でシフト制)=WENY-TV(NY州ABC系列ローカル局)、WSEE-TV(PA州CBS系列ローカル局)
となっているので、日本語と英語の放送業界両方が体験できて大変バランスがよろしいはず、なのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
きょうはNY州のローカル局のワシントン特派員としてのインターンを体験する最初の日。。のはずなのだが、放送ジャーナリズムの学生だけは、ローカル局のテープのやり取りのロジスティックスがまだ整っていないせいもあり、特別な課題が与えられている。それは、われわれのプログラムの内容をPRするドキュメンタリーを作るというもの。
ということで、本日は撮影機材を担いでの初めての議会入り。大物議員の様子や、大手メディアのプレスプールの様子をドキュメンタリー用にB-ロール(雑感)として撮影しておこうという試みだ。
以前書いたように三脚を立てていい場所とか撮影していいタイミングとか、議会にはルールがあり、それを守らない場合は罰則を受ける。われわれはローカル局を代表して取材に来ている立場とはいえ、ABC,NBC,CBS,CNN,FOXといったナショナル・TVネットワークやロイター、APといった大手通信社のビデオカメラに混じって撮影をする以上、規則違反はみっともない上に、大学に迷惑をかけることにもなりかねない。
だから、このドキュメンタリー制作は、本格的に議会取材に入る前のいいエクササイズになるはずである。
と言っているうちに、上院内のとある公聴会の部屋の前に到着。部屋の前には改めてセキュリティチェックがあり、セキュリティチェックの向こうで開かれているのはあの最高裁判事に指名されたジョン・ロバーツのConfirmation hearingである。部屋の前にはプレス・プールができている。Confirmationでの発言を終えた大物上院議員が出てくるたびに、プレスプールの中央に設定されたマイクに向かって即席記者会見(Stake Out)が開かれるのを撮影する。
同級生のサラと共に上院の廊下で待つこと30分以上。プレス・プールのカメラマン達は待ちなれているらしく、新聞や缶詰めの食料などを完備して驚くほどリラックスしている。私は念のためデジタルカメラをチェックしたり、ホワイトを取り直したり結構緊張しているというのに。
やがてカメラのフラッシュ音とともに、数人の上院議員が公聴会の部屋から出てきてマイクの前に立った。われらがマサチューセッツ州の上院議員テッド・ケネディ氏とニューヨーク州の上院議員チャック・シューマー氏、二人とも民主党の大物である。予想を上回る数のペン記者(新聞・通信社の記者)が前にたちはだかり、ポジションをキープするのが困難なほど。しかしなんとか二人のコメントを大学のデジタルDVカメラに収めることに成功した。
「私はNYタイムズの者なんですが、あなたの名前を聞いていいかしら?」こんな女性スチールカメラマンに声をかけられた。なんと、私が熱心に撮影をする様子を、スチール撮影されていたらしい。もしかしたら、NYタイムズの「ロバーツ氏承認公聴会」に関する記事にキャプションつきで写真が載るかもしれない!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
午後は一転してケネディ・センターへ。同じ寮に住むボストン大の「政治インターンシップ・プログラム」の参加者が、センター内のコンサートホールを見学する様子をドキュメンタリータッチに記録撮影した。
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Sunday, September 11, 2005
DCエスニック地区「アダムス・モーガン」のストリートフェスティバル。
DCダウンタウンにあり、近頃最もおしゃれな地区とされるのがAdams Morgan(アダムス・モーガン)。アフリカ料理を始めとする数々のエスニック料理レストランやバーが立ち並ぶ一角である。
きょうはその地区の年に1度のお祭りである「アダムス・モーガン・デー」というフェスティバルにやってきた。ストリート一杯に並ぶブース。どれどれ、とのぞいて見る。
ケバブなどエスニック料理の屋台がもうもうと煙を上げていて、おいしそう。このほかにも、アフリカン小物やバッグの屋台、Tシャツ屋、手作りお菓子の屋台やアートの屋台などで盛りだくさん。日々政治政治とすごい勢いで猛進しているDCという街にはまったくそぐわない、いい感じのストリートフェスティバルだ。
アフリカンドラムの演奏や、メキシカンダンスの発表があったり。実はDCは、政治だけの街ではない。各国大使館から外国メディア、外国企業まで世界中の人々が一堂に集っている国際色豊かな都市でもあるのだ。だから、私の外国訛りの英語も全く気にしないで堂々としゃべっていい!
ストリートの出し物の中には、替わり種でカラオケなんてのもあった。ボールを的に当てて、水の入ったおけに人を落とすゲームも楽しそう。
Adams Morganをもじって「Madam's Organ(マダムの器官)」というのが、この地区のランドマーク的バー。テラスには、パイレーツに仮装した人もお目見えした。
フェスティバルをたっぷり楽しんだ後は、これまたアダムス・モーガンのランドマーク的カフェ「Tryst(トリスト)」でラテなどをいただく。たっぷり大容量の陶器のカップになみなみと注いでくれる。店は「これぞカフェ!」という雰囲気抜群。ソファに「だべる」若者。インターネットに興じる人、アイポッドを耳につっこんで本を読む人、彼氏彼女とべたべたする人。。朝から深夜まで営業していて軽食も出すようだし、行きつけのカフェにしよう。
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Saturday, September 10, 2005
古都アレキサンドリアのアート・フェスティバルへ。
古都アレキサンドリアはDCの郊外にある歴史の街。きょうはここでアート・フェスティバルが開かれると聞きやってきた。すがすがしい風が吹きぬける。ボストンに似たれんがの町並みが美しい。
1000は越えるアーティストの展示即売ブースが、目抜き通りに沿ってずらり。油絵や彫刻といった高額なものばかりでなく、手作りアクセサリーや小物類といった手ごろな価格のものも売られている。どれもクオリティの高いものばかり。私は猫や犬のコミカルな手作りイラスト壁掛け時計を売るアーティストのブースを見つけ、衝動買いをしてしまった。
シタールを弾くアーティストが、CD即売を行っていた。風流である。
古都の風に吹かれながら、オープンテラスでビール。地ビールの種類が豊富にある。アイリッシュ・パブが立ち並ぶボストンを思い出すなあ。
ほろ酔い気分でアレキサンドリアの港を散策。水面に映る灯りに心癒される晩夏の夕暮れ。。
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Friday, September 09, 2005
教授とゆこう、議事堂ツアー・議員秘書というお仕事・DCゲイピープルの集まるバーで同窓会。
<教授とゆこう、議事堂ツアー>オリエンテーションもいよいよ最終日を迎えたきょうは、われらがボストン大ワシントンプログラムの”ゴッド・マザー”であるリンダ・キリアン教授と行く議事堂ツアー。ぴかぴかの議会パスを使い、セキュリティゲートをくぐりぬけて下院のビルの廊下で教授と待ち合わせのはずなのだが。。
。。。どうやらわれらが教授は遅刻常習犯らしい。15分遅れてやってきた彼女の先導で、議事堂内の歴史的な場所を見学する。まずは上院側と下院側を結ぶ中央の建物である、Capitolから見学。ご存知の通り映画やテレビでよく出てくるあの白いドーム状の建物である。ドームの真下は議会の文字通り地理的中心。そこには「ロタンダ」と呼ばれる大広間が。「コロンバスの上陸」や「ジョージ・ワシントンの辞職」といった、短いアメリカの歴史の中で象徴的出来事を描いた絵画が飾られている。
ドームの内部天井は「ワシントンの神格化(The Apotheosis of Washington)」というフレスコ画で彩られている。アメリカ議会の内部は、こうした芸術がところせましとならんだ美術館顔負けの場所なのだ。
しかしこの「ロタンダ〈大広間)」は、歴代大統領を始めとした要人が亡くなった時、一時的に遺体を安置(Lying in state)する場所としても知られている。ここに安置された人々には、ケネディ元大統領、レーガン元大統領などに加え、新しいところでローザ・パークス(公民権運動の母)などがいる。
続いてやってきたのは「彫像の間(National Statuary Hall)」。アメリカ全土の各州から2人ずつ選ばれた著名な人物の彫像が100体、ずらりと並ぶ。
この彫像の間は、実は1857年まで下院の議会場として使われていた。しかし、ドーム状の天井構造からエコーがひどく、ささやき声すら筒抜けになってしまうため、議員の間で不評であったことから議会場としては不適格な場所とされ、議会場は別の場所に移された。写真は5m先にも筒抜けという「エコー」を試す、ツアー参加者の面々。写真にはないが、このほかにもOld Supreme Court Chamber(昔は議会内に併設されていたのだ)なども見学した。
<議員秘書というお仕事>議事堂内の歴史的場所を見学するだけでは、高校生の社会科見学と一緒!といわんばかりに今回の教授のツアーには「議員秘書による特別レクチャー(写真)」が組み込まれていた。今回われわれBUの学生のために特別に時間を割いてくれたのは、テキサス州の共和党下院議員ヘンリー・ボニーア氏のPress Secretary(広報秘書)をしているタリン・フリッツさんと、ノース・ダコタ州の民主党上院議員ケント・コンラッド氏の同職を務めているショーン・ニールさん。われわれが議会の取材をする上で、避けられない窓口となるのが彼らのような広報秘書。われわれがプログラムの一環として実際に議員に取材をする前に、広報秘書という仕事の「内幕」を聞いて少しでも彼らと接する際の参考にしてもらおう、というキリアン教授のはからいである。
タリンもショーンも年のころは20代後半から30代前半。こんなに若い人が議員の秘書をしているなんて、日本人の私には少し驚き。しかし議会では、インターンをはじめとして議員の事務所に務めているスタッフには、実際彼らのように若い人が意外と多いのが事実。「広報秘書という仕事、それはaccurate & honest & be fairであることが必要な仕事」こう語るタリンは広報秘書として、プレスリリースを書いたり、ボスであるボニーア議員が地元新聞に執筆しているコラムの監修をしたり、ジャーナリストの取材窓口になったり、忙しい毎日を送っているという。「テキサスの地元メディアの記者からの問い合わせは、ぞんざいには扱えない。いつも丁寧な対応を心がけているわ。」
もう一人の議員広報秘書であるショーンは、自身が「ローリング・ストーン」誌の記者だった経歴を持つ、「元ジャーナリスト」。広報秘書という仕事は、マスコミの窓口となるのが主な仕事。だからそのマスコミ側の出身である彼のような広報秘書も、議会には少なくはないそうだ。
議事堂ツアーの最後は、上院内カフェテリアでのランチ。議員と秘書専用かと思えば、議会パスさえ持っていれば外部の人間でも食事をすることが出来る。値段設定は安めなものの、日本人の私からするといい大人が議会でハンバーガーやサンドイッチなど注文している様子は、少しだけ違和感。日本の国会議事堂の食堂〈行ったことはないが)ならば、きっと「ざるそば」とか「とんかつ」とかがメニューに並ぶんだろうな。。
<DCゲイピープルの集まるバーで同窓会>議会という「大人の場所」を舞台に大学院生活を送る。そんな緊張の続く毎日だからこそ、息抜きは絶対に必要だ。そんな時に寮から歩いて散歩がてら通える繁華街「Dupont Circle」は流行に敏感なDCの若いビジネスマンやゲイ・ピープルの集うDCの”憩いの場”。この日はハリケーン・カトリーナで壊滅的なダメージを受けたニュー・オリンズを救う募金を集めるため、ジャズを演奏するストリート・ミュージシャンが人々の喝采を浴びていた。
実はきょう、ボストンで一緒だった同級生2人がワシントンDCにやって来ていた。われわれワシントン・プログラム参加組と再開するのは5月以来。このブログにも何度も登場したぶっ飛び娘ケリー。そして、MITの学生で海軍奨学生であるジョンを彼氏に持つキムリン。われわれのボストン大学院放送ジャーナリズムプログラムは、「就職が決まればあがり」という特別措置がある。1、2学期目を無事終えて、3学期目が始まる前までに就職が決まった場合、その就職を「3学期目の単位」として認めてくれて修士号ももらえる、という素晴らしいシステムである。そこで同級生の中には、5月に2学期目が終わった後に死ぬ気で就職活動をしていた輩も多かった。この2人は見事就職を決めた2人である。ケリーはバージニア州のラジオ局の記者として、キムリンは出身地サンディエゴ近くのABC系列の地元TV局の週末担当の「fill in(スタンバイ)記者」として。BUでの2学期を経て、すでに実社会でデビューが決まったというわけだ。うらやましー。
話は尽きない同級生の会合。今度はいつ会えるか分からない、アメリカ全土・果ては世界に散らばる我々院生だからこそ近況を語り合って。。と思ったらお調子者のケリーがまた、しでかした。我々が集まったバーは、異常なほど男性同士のカップルが多い、いわゆる「ゲイ・ピープルの出会いの場所」。ケリーは酔いに任せて、店にいたあるゲイカップルを”インタビュー”し始めた(写真)。以前から、誰とでもすぐ打ち解けるというかあけっぴろげなケリーだったが、DCで再びこの「病気」を目の当たりにするとは思わなかった。。。
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Thursday, September 08, 2005
議会パス申請にコングレスへ”初登庁”
「9AM Pickup Capitol press gallery credentials」
きょうのオリエンの予定はこれ。つまり、これからの議員取材のためには欠かせない議会パスをゲットするのである。ぴかぴかのDC1年生記者であるわれわれをコングレスに引率してくれたのは、われらがチーフ・エディター、メイソン。メイソンはワシントン・ポストをearly retirementした元記者で、これから我々が寮の1階の「ニュースルーム」で地方局向けの取材をするときのアドバイザー・校正者となる。
キャピトルと呼ばれる議事堂の入り口で、新聞ジャーナリズム専攻の同級生とお別れ。放送と新聞の記者ではパスの申請先が違うためだ。われわれは「Senate TV Press gallery」という上院の議員のTV向け記者会見ルームで、パス申請に伴うレクチャーを受けた。議会内で三脚を立てていい場所とよくない場所のルール。Stake out と呼ばれる「ぶら下がり取材」の場所の説明。記者会見ルームの使用ルールの説明など覚えきれないくらい。そうこうしているうちにも、ギャラリーには午後からの大物議員の会見を待つ3大ネットワークやCNN,FOXといった大手ケーブルTVのカメラマンたちがセッティングをしたり、談笑をしたり。写真はフレンドリーなFoxネットワークのカメラマンに撮ってもらったもの。この場所のExclusive~な雰囲気に圧倒されつつ、やる気がみなぎってきた。
コングレスと一口に言っても上院(Senate)の建物が3つ、下院(House)の建物が3つ、さらにCapitol(議事堂)の計7つの建物から構成される巨大な一区画であるアメリカ議会。あまりに広くて建物間の徒歩での移動が困難なため、地下には議員と関係者専用に何と地下鉄が走っているのだ。我々もパス発行センターへ移動するため、初めて乗ってみたが、なかなか快適。トロッコ電車みたいで面白い。ここでは、去年の大統領選で民主党候補だったジョン・ケリー上院議員本人を目撃。誰もお付きの人をつけず、一人ですたすたと地下鉄に乗り込んで移動していたのが印象的だった。
無事議会パスをゲットした後は、ワシントン特派員として取材を担当するペンシルバニア州のTV局、ニューヨーク州のTV局のために各州出身の上院議員の事務所をあいさつ回りする。ニューヨーク州の上院議員といえば、ヒラリー・クリントン!元ファースト・レディーの有名議員が取材対象とは、なんと面白い上にラッキーなのだろう。どれだけ取材対象(=本人)に接近できるかはわからないが、できるだけがんばって独占インタビューを撮れるまでになってみたいものだ。
建物の名前と部屋番号の一覧の載った「コングレス・ガイドブック」を片手にお目当ての議員の部屋を探しては、飛込みで
「プレス・セクレタリーはいますか?われわれはお宅の選挙区のローカルTV局の新しいワシントン特派員として赴任したのですが、ごあいさつをさせていただければ。」
と自己紹介する。PAとNYの上院議員4人のオフィスへの挨拶は、クリントンを含むそれぞれの広報担当のセクレタリーらと名刺交換して、無事終了。プレス・セクレタリーも思っていたよりフレンドリー(に見える)人々で、我々のアポなしの訪問にも快く応じてくれた。実り多き一日であった。
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Wednesday, September 07, 2005
まだまだ続くオリエン・”ワシントン特派員”としてデビュー・卒業生とご対面。
<まだまだ続くオリエン>きょうも朝8時からみっちりとオリエンテーションが入っている。
ワシントンプログラムは、どうしても内容がプリント・ジャーナリズムの学生中心になりがち。そこで、ブロードキャストの学生(ラジオ専攻が2人、テレビ専攻が5人)のために特別講師が任命されている。我々7人だけで毎週水曜日に朝8時から授業を受ける。授業の時間が早い理由は、講師の先生自身がフルタイムのジャーナリストであるため。ロイターのDC支局で記者をしているかたわら、われわれに細かいTVジャーナリズムの作法をレクチャーしてくれるという。
<”ワシントン特派員”として>
「あなたたちはきょうから、ペンシルバニア州エリー市にあるWSEE-TVとニューヨーク州エルマイラ市にあるWENY-TVの”ワシントン特派員”です!来週から現地のニュース・プロデューサーと連絡を取り合いながら、首都ワシントンからリポートを送ってもらいます。」
このワシントンプログラムの目玉の一つが、この記者インターンシップである。ワシントンに支局を置けない田舎のローカル局が、われわれ「ボストン大学院生放送ジャーナリズムチーム」の力を借り、地元出身の議員のフレッシュな話題を日々放送しようという試みだ。ペンシルバニアとニューヨークのTV局はそれぞれCBS系列とABC系列で、れっきとした放送局。しかし、わざわざワシントンDCにクルーを出したり、支局を置くだけの資金がない。そこで、われわれ大学院生の力を無料で借り、我々はその見返りに「レジュメ・リール」と呼ばれる履歴書代わりのレポートテープをゲットできるというわけだ。この二つのTV局は、大学が卒業生ネットワークを通じて見つけてくれた。もちろん新聞ジャーナリズム専攻の学生は、マサチューセッツ州などニューイングランド地域の地方紙のための「ワシントン特派員」となる。ラジオの学生は、ニューハンプシャー州などのパブリック・ラジオの特派員だ。
午後からは上記のインターンシップでのニュースディレクターとの付き合い方や、コングレス(議会)取材の作法について教授からレクチャーがあった。
「過去の学生が何をどのように取材したか、大学のホームページで確認しなさい」
「自分の履歴書に残るような取材を心がけなさい。新聞ジャーナリズムの学生はクリップ(掲載記事)を、TVジャーナリズムの学生はリール(放送ビデオ)をできるだけ保存すること。」
「インターン先の編集長やニュース・プロデューサーと定期的にコミュニケーションをとるように。積極的にPitch a story(取材ネタの提案)をすること。」
いちいちもっともなことに違いないが、このように本社から離れた場所で、会ってもいない上司のためにインターンをするとはなんと大変なことか。
キリアン教授はこうも言う。
「このインターンのもっとも大事なこと。それは最終的に就職につなげること、そこです!11月の初めには雇用に興味があることをインターン先に伝えなさい。いいですね。」
確かにここまで実際に記事やVリポートを制作して腕を会社側に見てもらうわけだから、「バイト」とは違って積極的に就職につなげなければ意味がない、というわけだ。
コングレス(議会)取材の注意としては、
「議員の広報担当セクレタリーは常に忙しいので、記者として存在のアピールをしつづけること。アポをとるときは忘れられないように気をつけて。もし思うように取材がいかなくても”Don't take it personally".」
「議員の取材の際には必ず下調べをして、知らないことがないように。」
「服装、態度など常にプロフェッショナルさを心がけるように。」
「みなさんはもう大学院生ではないのですよ、立派な記者なのですから。」こう言う教授はあす、我々を議会パスの申請に連れてってくれるが、その後は「各自担当の州出身の上院議員の事務所にお邪魔して、あいさつ回りをしなさい。」という。大変なことになってきたが、なんだか楽しそうでもある。アメリカ議員の秘書にあいさつなんて、なかなか体験できることじゃない。
<卒業生とご対面>夕方からは、4人のこのプログラムの卒業生を招いてパネルディスカッション。4人ともここでのインターンを通じて就職をつかみ、ワシントンDCに住み着いて現在に至るという人々である。われわれにとっては「あこがれ」のキャリアをつかんだ先輩達だ。中でも我々放送ジャーナリズムの院生の羨望のまなざしを一身に受けたのが、ABCのニュース特集番組「ナイトライン」のプロデューサーをしているネサニヤさん。
実は我々学生達は、先に説明した「ワシントン特派員」となる地方局の記者としてのインターンとは別に、もう一つ「ワシントンDCに本社もしくは支局を置く新聞社もしくは放送局」でインターンをすることが義務付けられている。これを外部インターンと呼ぶ。そのために4ヶ月も前の5月から大学を通じて交渉を続けてきた。
さて、盛りだくさんのDC記者修行。どうなりますやら。。
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Tuesday, September 06, 2005
オリエンテーションウィーク、始まる。
大学院のワシントン・ジャーナリズム・プログラム、第1週目。まずは授業開始前の前哨戦であるオリエンテーションから。このオリエンテーションが、なんと今日から金曜日まで1週間も続くのだ!しかし、こうしたイベントや授業の行われるのは全て住居であるボストン大学ワシントンセンターの階下にある教室。つまり、朝起きたら同室の同級生と共に1階に下りていけばいいというわけ。今までの学期もキャンパス内にある寮に住んでいたが、今回は外を歩く必要すらない。楽チンである。
オリエンテーションは、寮のマネージャーによる寮内の公共施設のオリエンテーションから、講師陣の紹介、ニュースルームの各自デスクのイントロダクションまで様々な内容が目白押し。大学院も3学期目なのに、まるで「新入生」になったみたいだ。
オリエンテーション・ウィークは、ランチをとる暇もないほど。そこで大学院がランチを用意してくれる。大学の出すただ飯にありつけるなんて入学式の時くらい。だからニュースルームを出た後にホールにフレンチ・サンドイッチ・チェーンAu Bon Painの包みが積み上げられているのを見たときは驚いた。それを手に手にわれわれが乗り込みますは、寮の前に横付けされた一台の観光バス。なんと、今日の午後は首都見学バスツアー!なんである。写真は第2次世界大戦メモリアルの前で微笑む我が同級生のジェニファーとアマンダ。
最高裁判所の前を通りかかった時には、人々の列が。前週末に亡くなった長官のレンキスト氏の棺が公開弔問のため建物内部に安置されていたのだ。そう、ここは首都ワシントン。新聞の一面を飾る出来事が、リアルタイムに行われている場所。いちいち驚かない訓練をしなくてはね。。
ポトマック川のジェファーソン・メモリアルの中を散策する院生たち。ボストンのチャールズ川の趣はないけれど、川岸に春の桜並木を見る日が待ち遠しい。
「イウォーウ・ジーマ~!」じゃねーっての。「硫黄島」だっつの!硫黄島の戦い(いおうじまのたたかい)とは、、大東亜戦争の中で、日本軍とアメリカ軍の間で起きた、1945年2月18日から1945年3月22日にかけての戦い。(ウィキペディアより)日本では多くの人が忘れているこの歴史的出来事、ワシントンでは巨大な記念碑になるほど「拡大し続ける大国アメリカ」の象徴なのであって。。
バスは一路National Cathedralへ。ここだけがワシントンらしからぬ静けさに満ちた場所。大聖堂の鐘の音がまた素晴らしい。
このバスツアーが終了した後も、教室でさらなるオリエンテーションが続いた。毎日毎日朝8時過ぎから夕方6時すぎまでみっちりと、朝起きてから寝るまでほぼ同じ顔ぶれですごす、「ワシントン・政治ジャーナリズム・ブートキャンプ」的生活が、きょう緩やかにスタートした。

プログラムのキリアン教授(写真)によると
「バスツアーみたいに楽しいのはきょうだけよ。ほっほほほ」ということなのであるが。さて明日からの生活はいかに!?
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Monday, September 05, 2005
動物園散策も束の間、再び引越し!?
気持ちのいい朝。引越しも無事完了したので、同級生サラと共に国立動物園内散策と決め込む。中国からやってきたパンダもいる広大な園内は歩くだけで汗びっしょり。
で、暑いので象も水浴びしていたりする。気持ちよさそう。
トイレットペーパーとか、シャンプーとか。そういったものを安価に買うために、地下鉄を乗り継いではるばるTargetに行く。
買い物から帰ると、一騒動が待っていた。なんと、大学のワシントン寮を避けてDC郊外に部屋を独自に借りたはずのビッキーさんが、せっかく借りたばかりの部屋を断り心変わりして寮に入居を決めていた。
「なぜ?」こう聞く私達にビッキーは「インターネットで部屋を選んで失敗よ。窓がないんですもの。それに地下室だし。」
しかし、結局のところ寮に私達が楽しそうに入居するのを見て、寂しかったのではないかと私はにらんでいる。むむー。それにわれわれの寮は、1階が教室とニュースルーム(後日説明)となっているため、「通勤」の必要がない便利さなのだ。ビッキーが部屋を借りたところから教室まで通勤すると45分近くかかる計算となる。
ボストン大のワシントン寮の部屋はそれぞれに個室があてがわれるものの、最低人員3人で一つのリビングルームを共有するタイプ。ビッキーさんは慌てて登録をしなおし空き部屋があった、サラの住むユニットに入居が無事決まった。しかし、この新しいルームメート、サラはよかったもののもう一人のユニットメイトのジョアナが黙っていなかった。
「テディ、部屋を私と交換しない?」へ?引っ越したばかりなのにもう引越し??
「ビッキーって喫煙者でしょ。私喫煙者のにおい、耐えられないのよね。」
え、だって室内での喫煙はできないはずじゃ?
「外で彼女が吸って来ても、敏感だからわかっちゃうのよね、私。テディは、サラ・ビッキーと一緒に引越ししてきたんでしょ。それに3人とも同じブロードキャスト・ジャーナリズムの同級生よね。ね、どう?真剣に部屋交換の件考えてよ。無理にとは言わないからさ。」

―――というわけでうまく言いくるめられたというべきか、入居2日目にして再び引っ越し!506号室のBという部屋に入居したはずなのに、こんどは廊下の反対側、501号室のCという部屋に移ることになった。事情をもれ聞いた同級生たち6人が手作業で部屋の交換を手伝ってくれたのは嬉しかった。テディの荷物とジョアナの荷物を、廊下をパレードするようにして6人の人々が行き来し運搬した。
なるべくして同室になったというか、3人そろってボストンから引っ越してきた仲間のサラ、ビッキー、私が同じユニット501号室に集合してDC共同生活を送ることになった。3ヶ月限定の「DCジャーナリズム生活」、続きはこのブログにさらに書いていくので乞うご期待。
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Saturday, September 03, 2005
進めワシントンへの道!BUセンター入居の日。
朝8時半頃起床。よく晴れ渡ったメリーランド州の朝。マサチューセッツ州から10時間をかけてロード・トリップをしてきた「同朋」ボストン大学院の同級生のサラ、ビッキーの2人はもう起きているようだ。コーヒーをいれるいい香りがする。
きのうはこのアパートにもともと住んでいるビッキーさんのルームメートが夜帰宅した。ロビンというその女性は、Department of Homeland Security(国土安全保障省)に務めるキャリア・ウーマンだとか。しかも父親がルイジアナ州代表の議員だとかで、ハリケーン・カトリーナがらみの話や、テロ防止の法律がらみの話などで深夜までビッキーさんと盛り上がっていた。ワシントンDC郊外ともなると、こういう「国家公務員」を始めとして国家的機関の役人や研究員が沢山住んでいるんだなあ。。と感心する。
いよいよペンスキー・トラックに再び乗り込み、進むはワシントンへの道!気持ちのいい気候の中、助手席でナビをしながらサラの運転を見守る。ボストンからの引越しもあと少しで完了だ。
45分ほどかけてボストン大学・ワシントンセンターの前に見事に到着。きょうが25人の参加者の一斉入居日であるため、駐車スポット争いに勝とうと早めに到着してみたが、無事一番乗りだ。ひゃっほー。
センターの入り口で、見慣れたボストン大学院・ジャーナリズム学科の連中の顔を見ると少しほっとした。彼らの多くが地元野球チーム・レッドソックスの帽子やフリースを来て、ワシントンセンターの前に集合していた。「ボストンを愛する気持ち」を示しながら引越し作業をしようという気持ちは私も同じ。愛するRedsoxのJohnny Damon選手の公式Tシャツを来て引越しの荷捌き作業に精を出すことにした。話を聞いてみると、同級生の半分くらいは夏の間、NYなど大都市に行って新聞社、TV局でインターン修行をしていて、残りの半分はボストンに残って慣れ親しんだボストンのメディアでインターンをしていたようだ。
部屋のカギをもらった後は、一目散に荷降ろしだ。カートや台車を駆使して5階の部屋までサラと私の2人分の荷物を運ぶ。しかし、25人が一斉に入居となると、エレベーターの確保がなかなか難しい。中には大学院生だというのに父母から弟妹まで一家総出で引越しを手伝ってもらっているつわものもいて、「うらやまし~」。私〈日本からの留学生)、サラ(テキサスに両親がいるものの一切手伝いなし)、ビッキーさん(×2のシングルマザー)という3人は、お互いに助け合うしかないのだ。。
午後までかかって入居は無事修了。ボストンから旅を共にしてきた黄色のペンスキートラックともここでお別れ。返却の手続きとあいなった。無事「ロード・トゥ・ワシントン」完了である。
あすから首都の住人の一員として、「政治まみれのジャーナリズム院生生活」を送る。
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Friday, September 02, 2005
さらばボストン・8時間のロードトリップ
9月2日。きょうはとうとう1年近く住んだボストンを離れる日。ボストン大大学院に在籍しながら、ジャーナリズム専攻の学生のオプションである「ワシントン・ジャーナリズム・プログラム」に参加するため、9月5日から始まるおよそ3ヶ月(秋セメスター)をワシントンDCで過ごす。
よく晴れ渡った朝に同級生2人と共にレンタルした「ペンスキー」引越しトラックの黄色がまぶしい。さあ出発だ。約8時間に渡るロード・トリップのはじまり、はじまり。
運転はわが友、サラ。もう一人の同級生、ビッキーさんが彼女の愛車スバル・フォレスターで後からついてくる。途中中間地点で落ち合うことになっている。
車は順調にマサチューセッツ・ターンパイクを飛ばし、一路南へと向かう。ロードアイランド州プロピデンス、コネチカット州ニューブリテンなどを経由し、同じくコネチカット州のニュー・ヘイブンで給油のためガス・ステーションを探す。折からの原油高のため、ガソリン代はどこも割高。サラが「ここも高い、あそこも高い~」とえり好みしているうちに、迷ってしまった。ニュー・ヘイブンにはアイビー・リーグの名門イエール大学がある。
中間地点である”ビッグ・アップル”ニュー・ヨークに車が近づくにつれ、道路が込んできた。そこで、ビッキー車と連絡を取り、迂回路をとることに。Fuddrucker'sというハンバーガー屋で昼食。基本のパテを選ぶ以外は、野菜系の具を全て自分で好きなように詰めることができる。
渋滞も無事迂回、日がとっぷりと暮れる7時ごろには、メリーランド州ロックビルに到着することができた。ここはワシントンDCまで目と鼻の先。なんと朝9時に出発して休憩をはさみながらも10時間の旅。ロックビルにはワシントンDCのボストン大の寮に入るのがいやなビッキーさんが、インターネットで探した新しいアパートがある。そこにビッキーさんの荷物を降ろし、3人でピザをオーダーして夕食。
何もかも女ばかりで手作業の引越し、ようやく一日目が終了。あすがワシントンDCのボストン大寮の入居日であるため、きょうは英気を養いあす早朝の「首都入り」を目指す。ひーちかれたびー。
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Thursday, September 01, 2005
New England Dream House大豪邸に宿泊!
お世話になった居候先を後にするのは辛かった。すっかり仲良くなったファミリーの娘さんと一緒に写真を撮り、いよいよワシントンへ一歩前進する。写真は私が泊まっていた「赤い部屋」の壁。部屋ごとにペパーミント・グリーン、ラベンダー・パープル、クリームなどと壁の色が違っていて、古いけれどよくリフォームされた可愛いアパートだった。お世話になりました。
さて、きょうは同級生ビッキーさんの弟さんがボストン郊外に建てた豪邸に一泊させてもらうこととなった。同級生3人分の荷物を積み込んだトラック。駐車事情の悪いボストン市内のことを考え、引越しトラックがゆうゆうと駐車できる郊外に停めて、翌朝早朝からロード・トリップに出ようという算段。
ビッキーの弟さんというのは、ハーバード大を出てインベストメント・バンカーをしているとか。それでまだ30代だというのにこのような「Dream House」を建てられるだけの富を築き上げた。ご覧の通りの豪邸、庭は公園くらいの大きさだし、ガレージは車が4台くらい入る大きさ。部屋数だけでも14はくだらないし、マスターベッドルームにはジャクジー完備!ここにビッキーの弟さん一家はたった4人で住んでいる。そのせいで小さい娘さん2人は、一般の人の家を見ると「何で他の人のお家はこんなに小さいの?」と疑問を持つようになってしまったらしい。(あなたのお宅が大きすぎるんです。。)
見よ!この子供部屋の可愛さ。ベッドルームはメイドさんによって、きれいにベッドメイクが施されていてまるでホテルみたい!たまたま一家が夏のバケーション旅行に出ていたので、豪邸を、すみずみまで拝見する。まさに”ニュー・イングランド・ドリーム・ハウス”とはこのこと。。普段節約節約といそいそとしている同級生ビッキーさんの弟の家とは思えない〈失礼!)。
おかげできょうはゆったりと英気を養うことが出来た。夜になると豪邸は静まり返って、虫の鳴く音がむせかえるよう。ニューイングランドの夏が終わろうとしている。明日からは新しい留学生活のページをめくり、政治の町ワシントンDCへと入るのだ。
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Wednesday, August 31, 2005
女ばかりの引越し・荷積み
きょうはいよいよ、ワシントンDCへの引越しの荷積みの日。引越しの方法については、いろいろ考えた末同級生2人とトラックをレンタルすることにして、そこに荷物を積み込んで3人でDC入りすることにした。ただ、2人のうち一人は車を持っているので、彼女だけは自家用車でDC入りする。よって、トラックの管理をするのは私と、同級生のサラとなる。とりあえず、朝サラと待ち合わせし、予約を入れておいた引越しトラック「Penske」の引き取りに行く。このレンタルトラック屋、「ペンスケ」ではなく、「ペンスキー」と読むのだが、黄色い色が目印。学生の多いボストンの支店らしく、引き取りに行くとすでに支店は学生の客で一杯。
サラにトラックを運転してもらい、サラのアパート→私の居候先→もう一人の同級生ビッキーの居候先の順番に荷積みに回る。このトラック、大型のものを借りたので、荷台部分から荷降ろしのためのレールが地面まで伸びるようになっている。なんだか運送屋になったような気分を味わいながら、順調に3箇所を回ることに成功。写真は私の居候先の家の前にて撮影した引越し作業中の一こま。同級生の諸事情により、荷積みはきょうなものの、最終的な出発はあさって。居候先の部屋を占領していた段ボールは全て荷積み完了。これでとうとう、ボストンーDC間を結ぶロード・トリップに出る日を待つばかりとなった。
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Tuesday, August 30, 2005
リブで送別会!
きょうは居候先のご家族の皆さんをはじめとする人々で、送別会を開いてもらった。なにしろあさってワシントンDCに引越しを控えているので、もう今日しかない。場所はボストンにあるのに、なぜか”テキサススタイル”のリブの店「Village Smoke House」。煙をもうもうとあげてスモークしたリブに、骨ごとかぶりつく。赤茶色のこの店特製のリブソースもたまらない。居候先のファミリーが「一時は通い詰めた」というだけあって、激うまである。
帰り道に隣の店で買った、「手作りアイス」もうまかった。普段はカフェなのだが、夏の間だけマスターが手作りでアイスを売っているとか。ここも居候先ファミリーが一早く目をつけていた知る人ぞ知るうまい店。
1年の留学期間の間に、だいぶいろんなボストンの「名店」を食べ歩いたけど、
(このブログも私の食べたものの写真が多いことは、お気づきの通り)どれもこれも、もうすぐ通えなくなるなんて、うそみたい。。
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Monday, August 29, 2005
ボストン・ハーバーに浮かぶ無人島へ!今後の自分の生き方に思いを馳せるはずが、やぶ蚊に刺され。。
インターンもきれいさっぱり終わって、すがすがしい朝!わが愛しの町、ボストンとのお別れまで、カウントダウンに入った。何と今週金曜日9月の声を聞くと共に、政治の町ワシントンDCに大・大・引越しするのだ。ボストン大学のワシントン・ジャーナリズム・プログラムに参加し、9月からの3ヶ月をホーム・キャンパスから「アウェイ」で過ごす。・・となると、港町、ボストンらしいところを満喫しておかなければ損。
ということで港から「アイランド・フェリー」なるものに乗り込み、一路向かった先は。
ボストンの港に浮かぶ大小さまざまな15以上の島々、これをハーバー・アイランドという。島好きの私としては、わずか片道30分以内で行ける無人島と聞いて、うずうずしていた。きょうようやく訪問が実現したのは、「ジョージズ・アイランド」という島。「This 30-acre island is dominated by Fort Warren, a National Historic Landmark. Constructed of granite between 1833 and 1869, (マサチューセッツ州ウェブサイトより)」
島の中央部には、フォート・ウォーレンという南北戦争の兵士トレーニングに使われていた要塞が残っている。州の公園として、夏はキャンピングや遠足などでそれなりににぎわっているが、10月以降は閉鎖される。私が行ったこの日は、ボストンの港からちょっと足を伸ばしてみた的な家族連れや小学生のツアーが居た。
島は思ったよりも小さい上に、想像していた無人島とは違い、微妙に文明の跡が感じられ、あまり美しくない。要塞の探検を追え、浜のほうに出て、海鳥のふんを避けながら人気のない防波堤にすわり、しばしぼーっとする。ハリケーンが北米大陸に近づいているせいか、こんなに北のボストンだというのに雲が写真のようにもくもくで、にわか雨がふったり止んだり。風も強い。「嵐の前」を感じさせる天候が、今の私=大学院2セメスター目を追え、夏のインターンを追え、ワシントンで3セメスター目を迎える=の人生をほうふつとさせる。
ー会社を辞めて、大学院に行ってよかったんだろうか、最後のセメスターをワシントンで過ごすことにして(選択制)よかったんだろうか、果たして再就職はどうなるのだろうか。ーー
いろいろいろいろ考えを、人っ子一人いない無人島の浜で、めぐらせた。
と、そのとき手のひらにちくっとさすような感覚を覚え、無意識に叩いてみると、ものすごいやぶ蚊!後で気がついたのだが、この無人島の小さな港には「このところの暑さで、藪蚊が異常発生しています。くれぐれも気をつけて!」というたて看板。見逃していたのだから仕方ない。ボストンの郊外では、蚊によって西ナイル熱に感染した症例が報告されており、蚊といえどもあなどれない。この蚊、この浜の日当たりの悪い部分だけに潜んでいて、そこを通りかかる人を容赦なく襲い掛かるようだ。浜の茂みにさしかかり、木と木の間をたった10m足らず歩いただけで、10匹もの蚊が次から次へと!うんうんうなりながら、私の不摂生で運動不足な肉体に襲い掛かってきた。なにしろ日本で見る蚊の3倍は大きい不気味さ。そして何よりも異常にしつこく人間に付きまとってきて非常に悪質。怖いので早々と退散することに。
空は晴れず、ボストンに帰る途中で、ものすごい雨雲の下を通った。夏だというのに肌寒い、それがボストンの港。この冴えない天気、私の近い将来を暗示して「暗夜航路」というわけではあるまいな、いや、「夜明け前」と前向きに捉えておくことにする。(というか、ただの「ハリケーン前」だったんだけどね。。)
さらばだ、ボストンの港よ。(ちゃんと再就職して)また会う日まで。
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Sunday, August 28, 2005
インターン最終日はハリケーン・カタリーナで大混乱!
インターン先に向かう路面電車。一面の濃い緑の中を進む。本当にこんな山奥にTV局があるのか、と最初は疑い深く思ったっけ。
と言っているうちに、きょうがこのボストンの地元ケーブル局「New England Cable Network-NECN(エヌ・イー・シー・エヌ)」での最終日。長いようで短いような。あっという間だった。最初はわけもわからず生放送のサブ〈調整室)に連れて行かれ、プロンプター(写真)を生放送に合わせて操作するのもおっかなびっくりだった。これが、意外と簡単なようで留学生の私には難しかったものの、そこは「元ディレクター」なんである。いくら英語とはいえ、TVニュースはTVニュース、この”左手一つしか使わないインターン”(と最初は自嘲的に言っていた)にも慣れ、ニュースルームの記者さんやアンカーの方々とも冗談を交わすようになり、やがて原稿を書かせてもらえるまでになって。。。うるうる。。
と半ば感傷的に最終日を迎え、ニュースルームの席について間もなく異変に気がついた。突発事故や記者会見のニュースをいち早くキャッチして、取材を記者に割り当てる「アサインメント・デスク」と呼ばれる人たちがやけにあわただしい。「でかいハリケーンが来る!」という会話が、かろうじて聞き取れた。そう、この日はあの”キラー・ハリケーン・カトリーナ”がニュー・オーリンズに甚大な被害をもたらし、想像を超える死者を出すことになる数日前。
「ウェザー・チャンネルの××さんですか?NECNのプロデューサーのイアンです。そちらは今どんな状態ですか?出来ればこちらの6時PMの生放送に、生中継をつなぎたいんですが?」いつもは機嫌よく、原稿を私に回してくれるイアンも、それどころではないらしい。ルイジアナ州まで記者を送れもしなければ、そこに都合よくアフィリエイトと呼ばれる系列局の記者も飛んでいない。となれば、ウェザー・チャンネルというケーブルのお天気専門局にお金を払って、ルイジアナに入っているそこの記者に、現状を伝えてもらうしかない、というわけ。イアンは他にもニュー・オーリンズの近郊の州であるアラバマ州のホテルにつぎつぎ電話をかけて、ルイジアナからevacuate(避難)してきている人がいないかどうか、その人に話が聞けないかどうか、生放送の時間ぎりぎりまで交渉をしていた。結果として6時にはウェザーチャンネルの記者にも中継がつながったし、アラバマのホリデー・インホテルのマネージャーとも電話がつながって、臨場感あふれるハリケーンの報道ができあがった。
ハリケーンの対応でばたばたしていて、最終日だというのに、きょうは原稿を書かせてもらえなかった。ハリケーンみたいに、刻一刻と情報が変わるニュースがメインだったので、次々と原稿がさしかわり、それをアンカー席に届けるだけでも私はへとへとに。
一日の放送が夜10時に無事終わり、「あの~私、きょうが最終日なんですけど、今までありがとう」とイアンに伝える。
すると。「へ。そ、そうだったのか。原稿あげなくてごめんよ。きょうはばたばたしてたんだよ。今までありがとう。」とイアン。この仕事が4つ目だというイアンは、プロデューサー。ボストンはTV局の市場としては大きなマーケット。ここに「上がる」までにこれまで3つの「田舎」局で、アシスタント・プロデューサーを経験してきた叩き上げだ。
最後にイアンに頼んで、週末の午後アンカーの大御所、トム・エリスさんと2ショット写真を撮ってもらう(写真)。ベテランアンカー、トムさんのおかげで日曜日のインターンはゆったりと大船にのったように過ごすことができた。いつもオンエア10分前になると、パンパン、とニュースルームにトムさんの叩く手のひらの音が響き渡る。
「さあ、きょうもHave a nice one, folks! よい番組を作ろう、みんな!」
オンエア前に気合を入れるためのトムさんのスタッフへの心遣いである。そしてゆうゆうと歩いてスタジオへ。決して焦らず、スタッフにも優しいトムさんの存在は大きかった。スタジオに入ってからも、CM中に「うおっほー!」という奇声を発して、自分に気合を注入したりする、おちゃめなアンカーだった。私が発原稿をファイルしたときも、トムさんが励ましてくれたことは、記憶に新しい。
さようなら、そして緑あふれる森の中にあるTV局でのインターンは、一生忘れないだろう。これから先、どんな仕事をするにしても。
--以上インターン最終日について、テディがお伝えしました。
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Saturday, August 27, 2005
イタリアン街の夏祭りで夏の終わりを満喫。
North Endはボストンの‘リトル・イタリー‘。移民がモザイク状に居住区を形成するボストンで、イタリア系移民が住みつく北エリアのことを指す。この町、8月になると毎週末のようにストリートで夏祭りが開催され、眠らぬ「どんちゃん騒ぎ」が行われる。
中でも今週末のものは規模が大きいと聞き、やってきた。お祭りのタイトルはSt. Anthony's Feast。聖人アンソニーという神様をあがめる夏祭りらしい。
夏祭りといえば、つきものは屋台。比較的狭い、閑静な住宅街の通りに、所狭しと50以上の食べ物屋や射的屋、グッズ屋などが並んでおり、普段見慣れていた静かな通りが大変身。
誘惑に耐え切れずにチョコ・コーティングされたフルーツにぱくつく。いちごやパイナップル、りんごなど。ひと皿5ドル前後。
どこからともなくマーチングバンドの音楽が聞こえてきた。夜10時だというのに、パレードがはじまった!この街はいつ寝るのだろうか。
「夏祭りの夜には家族みんなでエスプレッソを」というのがこの辺りのならわしらしい。夜遅くだというのににぎわうカフェで、エスプレッソを一杯。夏の終わり。なんだか郷愁をかきたてられるのは、夏祭りに来ているからだろうか。日本の「浴衣、盆踊り、金魚釣り、水あめ」とは一風違うけど、夏祭りに来るとなんだか寂しい気分にさせられるのは、万国共通。。もうすぐ夏も終わりである。
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ケネディ・ライブラリーを訪ねて
以前から訪ねてみたかった「ケネディー・ライブラリー」への訪問が、きょうようやく実現。第35代アメリカ大統領JFKの功績をたたえるこの博物館、ボストンの南のハーバーを見渡せる好立地にそびえ立つ、美しい建物である。青空に映える夏の日差しがまぶしい。
ボストン近郊出身のJFK一家のポートレート。中央の父ジョセフは元駐英米国大使(故人)。右から2番目の弟、ロバートは元アメリカ上院議員かつ司法長官(故人)。父ジョセフの向かって右が現在マサチューセッツ州選出上院議員のエドワード。
博物館は3つのゾーンに分かれている。JFKが大統領選挙の指名を受けた1960年の様子を再現した、最初の展示ゾーン。ニクソンとの大統領戦・テレビ討論はアメリカ初の大統領候補による公開TV討論だったとか。
第2のゾーンは、大統領に就任したあとのJFKの生活を展示。大統領執務室なども再現されており、面白い。
大統領演説の際のJFK。彼の功績は、アメリカの理想を具体化したものが多く、黒人差別撤廃運動や宇宙開発プロジェクトや、対ソ政策協調外交など数々が知られている。
3つめのゾーンは、ケネディ暗殺から現代までに関するケネディ家の展示。ケネディの棺が運ばれてくるお葬式のシーンはあるのに、なぜかケネディ暗殺の瞬間の映像は展示されていない。いまだ抵抗があるのだろうか。
博物館見学後、コロンビアポイントと呼ばれるちょっとしたハーバー沿いを散歩した。すがすがしい。JFKについて、何故彼がアメリカでいまだに人気なのか、少し分かった気がした。
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Friday, August 26, 2005
女性キャスター・涙の退職
いつものようにインターン先のローカルTV局に到着。午後2時から夜10時のニュースルームのシフトに入ると、なんだか周りがざわざわしている。前回に引き続き、6時のニュースディレクターに「これ、書いていいよ」と課題をもらって原稿を書き始めてまもなく、こんな声がした。「皆さん!」振り向くと、おっきなケーキと共にニュースルームに40人くらいの社員が集まっていた。
アナウンスをしているのは、このTV局の社長らしい(会ったことはなかった)。「きょうはわれわれのプライムタイムショーのアンカーウーマンを5年も務めてくれたアマンダの最後の日です!拍手を!」ニュースルームの真ん中で拍手を受けているのは、一人の女性アンカー。
彼女、アマンダ・ロセターさん(写真)は、この局、NECNで5時から9時までの「プライムタイム」と呼ばれる時間帯のアンカーを一手に引き受けてきた。一人でも、またベテラン男性アンカーと組んでもきりりとして、出来る女性だった。アクシデントにも決して慌てず、またどんな原稿にもマルチに対応できる上に、この知的で優美な美貌である。何でも最近二人目のお子さんを産んだばかり。しかし、だんなさんが(同じメディア業界のバイアコムのエグゼクティブらしい)昇進を果たし、一家ごと生まれ故郷のジョージア州に引っ越すとのこと。残念ながら退職とあいなった。
アメリカの会社で、日本と同じように一堂に皆が集まって送別会みたいなものをするのを見たのは初めて。そして、アマンダさんへののひとこと挨拶では、あいさつしたプロデューサー達皆が涙・涙で感傷的になり、また、アマンダ本人の挨拶でも感情的になる場面があり、これにも驚いた。アメリカ人は会社の人間関係に関してはもっとドライだと思っていたから。
しかし、そこはTV局。感傷的になった後でも、まだきょうのショー(番組)をやらなければならないのである。5時、6時、7時、8時、9時と、たんたんとそれぞれの時間帯のニュースをこなさければならない。アマンダも最後の一日アンカーを、何もアクシデントなくこなせるか、と思った矢先。
5時台にビッグニュースが飛び込んできた。マサチューセッツ州の突端にあるケープコッド岬のオーティスという街は、大きな空軍基地があることで知られている。しかしきょうのペンタゴンの発表で、その基地が「閉鎖予定の基地リスト」に載ったというのだ。これを受けて、基地閉鎖に反対しマサチューセッツ州の上院議員〈ケネディ、ケリー)2人と、州知事が3人そろってオーティスで緊急記者会見を開くことになった。基地が閉鎖されれば、地元の雇用もなくなり、町の存続の危機というわけだ。5時台のニュースは、通常私がプロンプターを担当するが、途中でプロデューサーが「breaking newsで生中継の記者会見につなげるから、プロンプターは使わない」と言いはじめた。
最後の日まで、アドリブで対応をしなければならないとは。しかし、アマンダは生中継を受け、アドリブで会見の内容を短くまとめ、その場をばっちり切り抜けた。さすがである。
9時台、アマンダのvery last showがやってきた。私は、最後の最後になって、彼女が挨拶をするはずのところで、プロンプターに書いてあること通りでなく、彼女に内緒でアドリブが用意されていることを知らされた。「途中でプロンプター止めていいよ。(byプロデューサー)」とのこと。
「ところで、アマンダ、きょうは君が最後なんだね。」とCoアンカーの男性がフる。そこで用意された挨拶を一応するアマンダ、とここまではプロンプターに書いてある。「。。一身上の都合で局を去ることになりました。いままでありがとうございました。」と、ここで私は頼まれたとおりプロンプターを止めた。
そこで、共演の男性アンカーがアマンダがどんなに素晴らしいアンカーだったか、アドリブで話をはじめた。すると、アマンダの顔がみるみる感情的になってきて、こらえきれずに言葉につまってしまった。
と、そこで9時のニュースはほとんど時間切れ。アマンダが本当に泣きそうになり、「それでは皆さんまたいつか」といい終わったか終わらないかのうちに、男性アンカーが文字通りアマンダのことを抱きしめた。それが1秒か2秒オンエアされたかされないうちに、文字通り放送の時間が切れた。
どこからともなく拍手が沸き起こってきたが、プロデューサーとニュースディレクターは、調整室でまだ何事が議論している。「なんだよ、もう少し感動的なシーンをオンエアで見せればよかったのに。すぐにバッファー映像に切り替えるんだもんな、お前。」「え、だってニュースに”お涙”はなし、だろ?あれでいいと思うぜ。」
はあ、どちらでもいいけどアマンダさん、お疲れ様でした。あなたは素晴らしいアンカーだと思います。またのご活躍をお祈りしています。。
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Thursday, August 25, 2005
友人の帰宅祝い宴会
夏の間日本に帰国していた同じ大学院の友人Nちゃんが、ボストンに帰ってきた!帰宅を祝って、New Englandの地ビールと寿司で乾杯。
近頃は、近くの酒屋でこうした地ビールを選ぶのが楽しくてたまらない。きょう選んだニューハンプシャー州発のこの地ビールは、「Smuttynose(すすけた鼻)」という可愛い名前。ホームページを見てみると、オリジナルのパッケージはあざらしがトレードマークらしいが、今回買ったものは「IPA(インディアン・ペール・エール)」で、2人のご老人が楽しそうに屋外でビールを楽しんでいる様子が描かれている。パッケージで選んでしまったが、なかなかイケた。。
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Wednesday, August 24, 2005
パフィーがボストン・ライブ!オタク外人たちを興奮のるつぼに。
「そのTシャツ、どこで買ったの?」「Hottopicていう店さ。」「そ、その言葉の意味、知ってるよね、僕?」「うん!GEEKだろ!(断言して)」「・・・」ーーー
オタクと書かれたTシャツを誇らしげに着たマサチューセッツの少年少女達が集うコンサート。。それは、何とあの日本が誇る、ポップ・デュオ、パパパパ・パフィー!そう、きょうはボストンでPuffy Ami Yumiのコンサートが開かれると聞き、やってきたのだ。チケットは20ドル(2500円前後か)と日本ではありえない安さだし、どんなオーディエンス層が来るのかも気になる。ということでいそいそと会場のSummerville Theaterへ。。
ーJapanese pop-rock duo Puffy AmiYumi may have forged the greatest accord between twentysomething hipsters and sticky-fingered 7-year-olds..(日本のポップデュオ、パフィーは、20代の流行に敏感な若者と、7歳代のやんちゃな子供達との間の溝を見事に埋めた。ーフリーペーパーMetroの記事より)
ーーご存知の通り、パフィーが、アメリカのCartoon Network でPuffyAmiYumiとしてデビューを果たしてからはや1年弱が経った。コンサートの会場を見る限り、彼女達は、「パンクでクールで可愛い日本のロックシンガー」のキャラを見事に確立したようだ。(日本語サイトはここ)
実は、私は実物のパフィー・アニメを見たことはない。しかしウェブサイトを見てみると「こりゃ、プロデュース勝ちですな」と思う。アメリカ人の「サブカル好き、アジア好き、ポップ好き」層の心を見事にくすぐるような、ビジュアル展開。それと連動して、パフィーの英語の歌を売っていくというのが本来の彼らの狙いなんだろうが、うまい。宇多田ヒカルとか、松田聖子とか、真正面から「日本人が、意を決してアメリカのショービズ界の門を叩きます!!」的な変な気負いがないだけ、パフィー、勝ってるよ。。。
今回のショーも、パフィーのそんな「気負いのなさ」がありあり。曲間のトークも、ポケットから紙切れをごそごそと出して「グッドイーブニング、ボストン!ウイアー ハッピー トゥ ビーヒア!」なんてカタカナ英語を並べて観客の3分の2を占めるアメリカ人の子供と若者を沸かせたかと思ったら、「あとは日本語でいいかなー?日本人のみんな、周りに訳したってーー!」とぬるーい(笑)雰囲気がありあり。
おかげで、私も日頃感じている「完璧な英語をしゃべらないといけない」というプレッシャーや気負いから、束の間の開放感を味わった。この気持ち、ヤンキースの松井が大リーグでプレーしているのを見たときとはまた違った気持ち。「ビバ日本人!日本語で堂々といてまえー!」的な同胞感、とでも言うべきか。。
さて、肝心の歌のほうはというと、英語の歌が8割、日本語の歌が2割くらい。「アジアの純真」を日本語で聞いたときはなんだか胸が熱くなった。。「か、帰りたいかも、日本!」なんて思ったりした。
ーー終演後、なんと乗りに任せて裏口でマサチューセッツ「オタク」集団にまじり、「出待ち」をしてしまった。8月とはいえ冷え込み始めた夜風が身に沁みる。
さて、パフィーのバンドメンバーは皆日本から来た面々なのだが、全米ツアーのために全員「洋名」のニックネームをつけて自己紹介していた。これが場内に受けていて、出待ち中のオタクたちも「アミユミでなくても、ボブのサインでもいいんだ」とかくちぐちに言っていた。日本人の名前は比較的難しいので、これはいいアイデアだ。
出待ちする集団の先頭に立っていた少年が、突然シアターの裏出口の壁を抱きしめると「ああーーこの中に亜美ちゃんと由美ちゃんがいるのにい~」と大げさに嘆き始めた。
出待ちするわれわれにむかってセキュリティーのおっさんが「パフィーはEXTREMELY SHYでDON'T SPEAK ENGLISHだから、出てきてもすぐトレイラーに乗って帰る。待っても無駄だ!」と言い放ったのを受けての発言だったが、この少年一体何なんだ!?
「君はどれくらいパフィーが好きなの??」「アニメを見て以来1年位かな、大大ファンなんだよー」サムという人懐こいその少年(写真)は、マサチューセッツ郊外の町からママの車に乗って1時間もかけてパフィーを見にやってきた、「アメリカのオタク」候補。中学生くらいだろうか。「由美ちゃんは大阪出身で、亜美ちゃんは東京なんだ。亜美ちゃんは子供を産んだばかりなんだよね。ふたりのことなら、なんでも知ってるよ。」へえー。これはたまげた。サムくんは、日本では女の子のファーストネームの下に「ちゃん」をつけて呼ぶことや、「ました」「だ」が肯定を意味することなども、知っていた。パフィーがきっかけで、日本文化に目覚めたのだという。そんなサム君を、目を細めながら見守るママもまた、いい人そうだ。「うちの子は日本が好きで好きで。。」だとか。
「いつか東京に住みたい!」こう公言してはばからないサム君を見ていたら、助けてあげたくなった。出てくるかも分からないパフィーを裏口で待つ間、日本語で「Give me an autograph」を何て言うか、教えてあげた。「アミチャン、ユミチャン、サイン クダサーイ!」
そこに、先ほどからわれわれを見ていたナターシャちゃんという中学生の女の子(写真)が、「私も教えて」と加わった。彼女も「パフィー、COOLで大好き。特にアニメの髪型がクール。」と。「学校で、第2外国語をやらなきゃいけないんだけど、選択肢の中にはスペイン語やフランス語やドイツ語しかないの。日本語が選べれば、間違いなく勉強しているのに!」とナターシャ。
こんなに熱烈なティーンエージャー・ファンが45分近くも裏口で待っていたのに、われらがパフィー・アミユミは、サム君やナターシャちゃんの「サイン クダサーイ!」に見向きもせず、一言もしゃべらずに裏口から一目散にヴァンに乗り込んで去っていった。残念。パフィー様、今度マサチューセッツに来たときは、ぜひファンサービスをしてあげてくださいね。。アニメをきっかけに、遠い極東の国日本のポップカルチャーに興味を持ったアメリカ人少年少女たちの夢を、ぜひぜひすくすくと育んであげてほしいものである。
PS・前述のサム君は、パフィー本人達のサインは逃したものの、バンドのメンバーのサインを一つゲット!ほくほくと喜び顔でママの車に乗り込み帰って行きました。
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Tuesday, August 23, 2005
刑事コロンボとキース・リチャーズに生遭遇!セレブな午後。
映画の試写会の招待状が当たった!それも試写会後の舞台挨拶あり。何気なくフリーペーパーを見ていて、応募要項が書いてあったので、「だめもと」でメールで応募したものだ。
映画のタイトルは「Things About My Folks」。主演は渋い「刑事コロンボ」役で日本でもおなじみのピーター・フォークさん。監督兼助演は「ビバリー・ヒルズ・コップ」のエディー・マーフィの同僚役などで知られているポール・ライザーさん。父と息子の心の交流を描いた、派手さはないがよく練られた家族愛ドラマ。ポール・ライザーが監督として、温めていた企画を、主演はこの人しかいない、とピーター・フォークに頼み込んで、映画化が実現した作品だという。インディペンデント映画として制作したため、試写会を含め口コミで上映会場を広げようというPR戦略をとるらしい。
映画のラストシーンにじーんと感動して余韻を楽しんでいるところに、舞台が明るくなってご本人たちが登場。ピーター・フォークはなんと御年78歳(!)ということで、実物はスクリーンよりもすこし「よれて」いたものの、なかなかどうして!冗談を交えて、会場からの止まらない質問に老獪に答えていた。しかしアメリカ人の場内からの質問の内容には、たまに驚かされた。試写会に来ている一般の人々たちだとはわかっていても、そこはアメリカ人。大物俳優に向かって「あんた、すげーよ!感動したよ。インディペンデント映画万歳って感じだぜ」と”ため口感覚、いっぱしの評論家気取り”の発言があったり。こっちがどきどきさせられた。
ハリウッド俳優を拝んだ後は、ローリング・ストーンズだ!本日、フェンウェイ球場でボストン2回目の公演が開催される。こちらの御大ミック・ジャガー様は、62歳。自分の親と同じ年代の人間が、ロックを歌って踊って球場を一杯にするんだから、すごいもんだ。ということで、野次馬根性丸出しで、チケットもないのに会場の前に行ってみることに。
唇におっきなべろ出しの、おなじみのTシャツ姿があちらにもこちらにも。球場前には、ファンがストーンズの「入り」を一目見ようと詰め掛けていた。そこで、私も「詰め掛けて」みた(笑)というわけだ。
柵によりかかって、待つこと30分以上。何も変哲のない青いヴァンが、ボストン警察の白バイに先導されて球場に横付けされたと思ったら、そこにはキース・リチャーズ様が、リハーサルを終え、折り返し輸送されてホテルに帰るために乗りこんだ。ヴァンが再び球場を出るときには、さすがに詰め掛けた人も、私も気がついた。「キース!」悲鳴があがって、人々が車に駆け寄ろうとしたときには、すでに車は出発。でも私は、見た。もじゃもじゃ頭の人影を。本日3人目のセレブリティとの遭遇である。
世界中からのクルーが取材体制を敷いていた。あとでボストン・グローブを読んだら「わざわざ日本から公演を観に来た」というカップルの取材談が載っていた。
夜、再び球場の前を通りかかると、終演と共に球場から花火が打ち上げられ、大興奮の聴衆のアプローズが聞こえてきた。この週末中、ボストンの街にはべろ出しTシャツの人々があふれ、人々は口々にストーンズを見にいったことを自慢げに語っていた。まさに夏の終わりにストーンズ旋風が吹き荒れたようだ。
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「高雅髪廊」る!?~”石井さん”の40ドルマッサージ
「高雅髪廊」る=たかはつ・がろう・る=という言葉が、過去1週間、わが居候先で話題となっていた。たかはつ・がろうとは、英名Le Gala Hair Groupという。ボストン・チャイナタウンにあるチャイニーズ・アメリカンの人々が経営しているヘアサロンの名前。正式には「高雅髪廊」だから、読みは「たかはつ」ではないんだろうけど、この際どうでもいいわい!髪が切りたいんじゃ!という女3人の思いで、「ねえ、いつ「たかはつ・がろう」る?」と日程を調整し、とうとうきょう実現。
つまり、私の居候先の女性達が、髪を切りたいが知らないところに行くのはちょっと心細い、というので私の行きなれているこのサロンに予約をとったというわけ。皆でずんずんとチャイナタウンへ行き、予約どおり順番に髪を切ってもらう。値段も明朗会計。地肌マッサージや、待ち時間の間のお茶サービスなどもあって、2人とも「思い切って来てよかった!」とのことだ。写真は居候先のお子さんのKちゃんが、美容院の片隅でセーラー・ムーンのDVDを見てママのニュー・ヘアスタイルの出来上がりを待つ様子。
ヘア・サロン後、私は「佳達傷科康復中心」=英名Kind Center(どういう翻訳!?)へ。かかりつけの日本人歯医者さんにきいたところでは、ここで日本で言うところの「骨接ぎ」みたいなマッサージが受けられるそうだ。椅子と机しかないシンプルな事務所で、私の知り合いの「石井さん」そっくりの中国人ドクターが、足を診てくれる。今月頭にねんざした右足の治りが遅いので、「これはオリエンタル・メディシンしかない!」と思い込み、東洋の神秘、中国三千年の歴史のなか培われた漢方薬・マッサージによる治療を受けようとやってきたというわけ。
やがて、診察ベッドに横になると、「石井さん」は、私の右足の甲になにやら赤黒い漢方薬酒のような液体を、塗りたくり始めた。「あのー、これは何ですか?」こう聞くと「チャイニーズ・アルコール」とだけ応える石井さん。ああ神秘的。そして、マッサージ。これはすごい!外から見ただけなのに、私の足の痛いところが何故分かるのか、不思議なくらい「ツボ」を押さえている。30分ほど揉み解し、きれいに包帯を巻いてたったの40ドル。包帯はつけっぱなしにして、お風呂に入るときは水にぬらさないようにしないといけないらしい。なんだかそれでも足が軽くなって、ビバ・オリエンタル・メディシン!
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Monday, August 22, 2005
未来占いとカフェと壁画とミニ。
ダウンタウンのおしゃれな洋服屋の店先にて。1ドルで未来占いをしてくれる、きてれつな人形マシーンを発見。さて、大学院卒業後の未来はいかに?
ダウンタウンのイタリアンカフェ。エスプレッソと新鮮なベリーのタルトがおいしい午後。
ニューベリーストリートの有名な壁画は、ボストン出身やボストンに関係したさまざまな著名人を描いたもの。取り壊しの危機にさらされているが、ボストンに壁画数あれど、一番有名な壁画であるといっても過言ではない。
一風変わったグッズやフィギュア、CDやDVDなどを売っているNewbury Comicsでこんなポストカードを見つけた。「Freedom Fried, Million Served」皮肉が利いた文句にマクドナルドの制服姿のブッシュがにかっと猿笑い。
3台のクーパー・ミニがロスの街を疾走する!「Italian Job(邦題ミニミニ大作戦)」をDVDレンタルで鑑賞。粋なアクションの連続と、名優(ドナルド・サザーランドら)たちの演技がきらりと光り、ミニも存分見れて満足。☆3・8つ。
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Sunday, August 21, 2005
ストーンズに始まりストーンズに終わるニュース~初原稿をファイル!
きょうもまた路面電車に乗って進むよインターン先へ。しかしケーブルTV局の最寄駅に到着すると問題が勃発。なんと、タクシーが一台もいない。しかもタクシーがいないどころか、小さな地元タクシーの事務所には人っ子一人いない。どういうこと?・・待つこと20分。やっと帰ってきたタクシーの運ちゃんはこういう。「同僚がストーンズのコンサートにいっちゃったんだよね。だからきょうは俺一人。待たせて悪かったね」なんてこったい。
ということで、きょう日曜日と、火曜日にボストンのフェンウェイ球場でローリング・ストーンズのコンサートが開かれる。「A Bigger Bang」という北米ツアーのキックオフがボストンなのだ。ボストンをツアー最初の場所に選んだ理由について、ストーンズのヴォーカル、ミック・ジャガーはAPにこう語っている。「ボストンはチャンピオンの町だからさ。アメフトのパトリオッツもスーパーボールのチャンピオンだし、野球のレッドソックスも世界一だ。」
↑これを聞いてボストン市民が喜ばないわけはない。当然本日のニュースルームはローリング・ストーンズ一色!スタジオのアンカーマン、ベテランのトムさんが生で中継リポーターにこうフる。
「さて、きょうは待望のローリング・ストーンズのコンサートがまもなく開催です。球場前のクリスティンに聞いてみましょう。クリスティン?」「ハーイ、トム、こちらはもう準備万端です。中には200ドルを払ってチケットを買って今日を迎えた人もいるんです。」
コンサートの映像は冒頭(リハーサル?)だけメディアの撮影が許されたらしく、少々拍子抜け。でも、十分盛り上がりは伝わる。
そんな中、私ははじめてのアサインメントに四苦八苦していた。なんと、ウィークエンド・プロデューサーののイアンが「これ、書いてみる?」と原稿を書かせてくれることになったのだ。
テーマは「原油高で冬の暖房費が去年よりかさみ、生活補助を受けている人のための暖房費はどうなる?」というもの。こうした取材原稿でない、ナショナルニュースの原稿は、AP(Associate Press)通信社の速報端末から元原稿をもらい、それを「読み原稿」に書き換えることでまかなっている。
ーーーーー8月21日(日)6時PMのニュースBブロックの5本目、それが私の書いた「High Heat Bills」という項目の順番。アンカーのトムさんが、感情豊かに私の原稿を読み上げる。
「The summer is still here, but consumers are being warned to be ready for higher heating bills this winter. According to the energy department, natural gas and heating oil prices are up 20 percent or mor from last year......」
オンエア終了後、トムさんに「私のアメリカ初のプロ原稿を読んでくださってありがとう」と告げる。すると「どういたしまして。君は外国人なのになかなかやるね。私が日本語で原稿を書けといわれても、決して書けないさ~」と大げさにおほめの言葉をくださった。うれしい。
トムさんはアンカーなのだが、かなりのベテランのため、放送前にはインターンの私が書いた原稿の推敲・編集もしてくれた。「どれどれ??」見せたときは緊張したが、きちんと言葉遣いを細かいところまで直してくれてありがたかった。小さい局でインターンをすると、こういうところがいい。来週もがんばろ。
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Saturday, August 20, 2005
皇帝ペンギンの大マーチ!~老舗デパート存続の危機
ペン、ペン、ペン!ペンギンがいーっぱい!皇帝ペンギンの子育てを描いた話題のネイチャー・ドキュメンタリー「March of the penguins」(邦題・皇帝ペンギン)を観に映画館へ。昼間だというのに、クーリッジコーナーにある名画座は母と父と子でいっぱい!この映画、日本でもこの夏ヒットしたようであるが、アメリカでもなかなかの話題。アンチ・ハリウッド、アンチ・SFX、のエコ映画。動物の愛にあふれたこの手の映画が消費大国のアメリカ人に分っかるかなー?と思ったけど、少なくともこの日の劇場のマサチューセッツ・リトル・キッズ達は大うけだった。
一緒に見にいった居候先の日本人のお子さん(保育園児)はというと、退屈もせず歓声を上げて終始画面に見入っていた。母ペンギンが天敵のあざらしに食べられそうになると、感情移入するあまりママの胸に顔をうずめて怖がったり。かわいいったら!
アメリカ劇場版では、俳優モーガン・フリーマンの優しいけれど力強いナレーションがぴったりはまっていた。日本語版のウェブサイトはここ。「あれ、もう終わり?」というくらいあっけなく観終わったドキュメンタリーの秀作。まだの人は観るべし。☆4つ。
すがすがしい動物愛を観た後に、物欲に走ってすみません。115年の歴史を誇る老舗デパート、ボストンダウンタウンのランドマークでもあるファイリーンズが、百貨店のメイシーズやブルーミングデールズなどを運営するフェデレーテッド・デパートメント・ストアーズに買収されてしまった。ボストンでは、「ファイリーンズの名前が消える!?」とニュースで大騒ぎ。そんな中、当のファイリーンズで最大75%オフの安売りが開かれると聞き、やってきた。収穫やいかに!?
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Thursday, August 18, 2005
おしゃれ住宅街のファーマーズ・マーケット。
私が1ヶ月だけ住んでいるブルックライン・ビレッジはユダヤ系人口の多いおしゃれ住宅街である。そこから北へ北へ歩いて行くと「ビレッジ」が取れて「ブルックライン」エリアに行き着く。このあたりもヤッピー〈死語)や近郊の大学に通う学生、研究者人口の多い、これまたおしゃれ住宅街。こんな古い教会や、古い家なんかが多いのに、若い人がそれを好んで住み着いているところが、いい。
「ブルックライン」エリアのランドマーク的な交差点で、そこにある路面電車の駅名にもなっている、クーリッジ・コーナー。そこの近くの駐車場を使って6月から10月まで毎週木曜日にファーマーズ・マーケットが開催されていると知りやってきた。パン屋や地元の地鶏の卵、チーズを売る店、野菜全般やハーブなど充実した品揃え。ちょっと割高だが売っているものは新鮮だ。手作りアイスの店でおいしいアイスを食べた。
ケネディ元大統領が通った小学校の校庭でのびのびと遊ぶ子供達を眺める。「成長する子供に目を細める母親」に(心の中では)なりきってみた。現実では貯金生活のしがない大学院生・留学生・求職者でしかない私なのであるが。
それにしても空がいわし雲のような様相を見せ、風が澄み切っている「運動会晴れ」である。小学校の校庭のベンチにこんなに長い間座っていたのは久しぶり。「♪風は秋色」とはこんなことを言うのだろうか。
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Wednesday, August 17, 2005
ミッド・エイジ・クライシスを描いた映画「Broken Flowers」鑑賞
ミッド・エイジ・クライシス、つまり中年男性の経験する「人生抜け殻・脱力感」を描いた映画、「Broken Flowers」を見た。監督はジム・ジャームッシュ、主演は「ロスト・イン・トランスレーション」では東京で「ロスト」していたビル・マーレイ。今回は彼が、「人生そのものにロストした」独身中年男を演じる。
あらすじーー気楽な独身ライフを楽しみながら、どこか空虚な人生を感じている主人公。彼の元にある日届いた1通のピンクの封筒にはこんな衝撃的な手紙が入っていた。「昔あなたに内緒であなたの子供を産みました。いま19歳になる彼に会って欲しいの。」差出人の名前はなし。そこで、昔お付き合いのあった女性の現住所を探し出し、それぞれを尋ね歩いて手紙の送り主を探すためのロードトリップに出る主人公。行く先々で見たものは。。
主人公の心の荒涼感を出すために、季節は低い灰色の雲が垂れ込める晩秋から冬。ビル・マーレイの脱力感が、グレーや紺を基調にした映画画面の色合いとマッチして、どーんよりした感じが良く出ている映画。ただ、結末も物語全体も、暗い。ひたすらNo Way Out〈出口なし!)という感想が後に残った。見終わって、映画のだるーいトーンに感染したかのように、こちらもだるだるに。☆3つ。
映画を見たのは、ブルックラインというボストンの隣町の名画座「Coolidge Corner Theater」あまりにけだるくなったので、一緒に見にいった友人とタイ料理でディナーを食べた後はそそくさと帰宅。
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Tuesday, August 16, 2005
港でピクニックめし!
居候先の家族の皆さんと共に、お弁当を持って港までお出かけ。夕暮れの港はちょっと肌寒い、というか風が冷たい。無料コンサートが開かれるので、それを肴にピクニックめしとしゃれこんで、芝生で夕飯をいただくことに。
会場にはペットのフェレットを連れた人が来ていて、お子様や動物好きの人の質問攻めにあっていた。リーシュをつけて犬のように連れて歩いているところがかわいい。
ということで、きょうは港から投稿を行おう、と思ったのだが、さすがにWiFi天国のアメリカでも、ここまではワイヤレスインターネットの波が来ていなかったので断念。
空が高く、夕焼けの色が秋色だ。秋は、そこまで来ている。
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Monday, August 15, 2005
カート・コベインのラスト48時間「Last Days」はけだるさ全開。
昼下がりのハーバードスクエア、「ハーバードスクエアの二階」という名のレストランでスノッブなランチを。インテリアとロケーションがいいだけで、食事はまあまあだった。
ニルヴァーナ(Nirvana)のボーカルで、猟銃自殺を遂げたカート・コベイン(Kurt Cobain)の死ぬ前の48時間を描いたガス・ヴァン・サント監督のドキュメンタリー映画「Last Days」を見に行く。映画は、少々期待はずれ。とにかくなっがーーーーいカメラ回しと、編集がないんじゃないかっていうくらいのだるいストーリー展開。ワンカットが最低10分なんていう映画、昨今珍しいんじゃないかと思う。しかし、カートを演じた俳優さんのそっくりぶりにはびっくり。しかもカートがのりうつったんじゃないか、と思うくらい魂の入った演技だった。演技じゃないんじゃないか、というくらいジャンキーぶり、堕落しまくりぶりをあますところなくカメラに晒していた。最大の見所は、劇中でカート役のこの俳優さんが歌うシーン。たった1回なのだが、本当に鳥肌が立つほどカートに似た歌声だった。
(←ちなみにこの写真が本物のカート)カートの最後の日々が本当にこうだったのかどうかはわからないが、まるでその場に自分がいて、カートのラスト・デイズを目撃しているかのような錯覚に陥る究極の長回し映画。☆2・5個。(でも、カートファンは必ず見るべし)
なんでも鉄板焼きにしてしまうバーベキューのレストラン「ファイアー・アンド・アイス」でディナー。その後、日本人飲み仲間とハーバード大そばのカレッジ居酒屋に行く。その居酒屋は、何かがおかしいと思ったら、どうもここはゲイの方々の出会いの場所だったらしく。夜が更けるにつれて、次々と男性カップルが出来上がっては、夜のケンブリッジの町に消えていった。そう、忘れかけていたが、ケンブリッジはマサチューセッツ州のゲイ・マリッジの聖地なのであった。
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Sunday, August 14, 2005
礼儀正しいインターン仲間のシャノン、最終日。
きょうは、TV局でのインターン仲間のシャノンちゃんが、めでたくインターン最終日を迎えた。
ボストンのダウンタウンにあるノースイースタン大学のジャーナリズム専攻(4年生)で、カリフォルニア出身。このインターンをやり始めてから、毎週日曜日に駅で待ち合わせし、タクシーをシェアしてきた。車を持っていない私や彼女のような学生は、駅からタクシーに乗るしかここに通う手段がない。
何しろ私のインターン先のTV局は、ダウンタウンから人里離れた郊外の森林の真ん中にある。最寄の地下鉄の駅からタクシーに乗れば20分ほどかかるが、駅はタクシーが常駐しているような大きさではない。駅前には、おばさんが一人で電話をさばいているような地元の小さなタクシー会社の事務所がぽつんと立っているだけ。行きはそこにずかずかと入っていって、「あのー、タクシー一台お願いしたいんですけど。」とお願いしなければ、車にはありつけない。帰りも、何度も念を押して「夜10時にインターンが終わるのでTV局の前に一台お願いしますね」と行きにオーダーを入れておかないといけない。死活問題なのである。
しかし、くだんの彼女、シャノンちゃんがこのタクシー会社のおばさんやおじさんたちといい関係を保ってくれていたおかげで、私はとても助かった。シャノンちゃんは5月からこのタクシーを利用してインターン先に通っていて、タクシードライバーのおじさんたちとも顔見知り。7月から彼女のインターン日に合流した私は、その恩恵にあずかってタクシー会社の「お得意さんリスト」に自然と載らせてもらえたというわけである。
日曜日の頼る人が少ないニュースルームでも、シャノンちゃんがいろいろと教えてくれたおかげで助かったことが多い。その彼女ともきょうでお別れ。残りの夏休みを出身地のサンディエゴでのんびりと過ごすという。来週からは、彼女に代わって私が日曜のニュースルームでたった一人のインターンとなる。週末のアンカーマン、トムさんの隣の「チーフ・インターン席」とでもいう場所に座って、原稿作成のアシストをする。その傍ら原稿も書かせてもらえるというが、果たして大丈夫だろうか。
私の思惑をよそに、最後までシャノンは礼儀正しい学生だった。
「私、きょう最後なんです。これまでありがとう。このタクシーがなかったら、私のインターンは成り立たなかったわ。事務所の皆さんにもよろしく。」タクシーの運ちゃんにこんな挨拶をしている。へえ。見上げたもんだ。いまどきのアメリカ人の若い子にしては、珍しいのではないかと思う。(写真はインターン先のキッチンにあるグルメコーヒーの機械)
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Saturday, August 13, 2005
発音矯正教室とイタリアン祭りとカラオケパーティーを楽しむ盛夏の一日。。

「う・Would」「く・Could」
ハーバード大学そばのカルチュア・センターで開かれた夏期講座「発音矯正ワークショップ」に、参加。発音矯正の博士号を持っているというおばさん先生が、懇切丁寧に教えてくれる。クラスは全員国際色豊かな外国人ばかりなのだが、発音だけが劣るだけで、皆英会話は流ー暢ーだったのが印象的。。
外国人ばかりのグループで勉強すると、なぜかほっとする。いつも大学院や職場(インターン)でアメリカ人ネイティブばかりに囲まれて、冷や汗をかきながら生活をしているせいだろうか。ほっとしがてら、カルチュア・センターに併設されているオープンカフェでブランチ。「ハイライズ」という可愛らしい名前のカフェは、実は築100年以上の歴史ある建物。夏の太陽がさんさんとふりそそいでいるが、吹き抜ける風は爽やか。アメリカの学園都市、ケンブリッジの優雅な昼下がり。
ノースエンドというイタリア人移民の居住区でお祭りがあるときき、やってきた。実はこの地区の路上ではきのうマンホールが爆発するという騒ぎがおきた。原因は電気の配線がショートしたためらしい。近くのレストランやお菓子屋が停電して商売にならない状態に陥った。ボストンならではの、町の不具合。町がアメリカの割には歴史古いせいか、こうした行政の不手際(道路が陥没しちゃったとか、電線がショートしちゃったとか)がしばしばニュースをにぎわすのが、ボストンの特徴。
お祭りは夕方からだった。オイスターバーだって。生もの、しかも海産物を屋台で出すなんて、これも港が近いボストンならではだ。
お祭りで見つけたジョーク看板。イタリア人のみ駐車可能、とのこと。。。。ノースエンドでは、この日のお祭り以外にも、大小さまざまなお祭りが8月になると毎週末のように開かれ、夜な夜な大騒ぎなのである。
ノースエンドといえば、カノーリ!ワッフルの生地に、カスタードクリームをその場で詰める伝統的なイタリアのお菓子。ノースエンドでは、フレッシュなものが楽しめる。
さて、夕方からは学友エリカがフィアンセに買ってもらった新居(!)のハウスウォーミング・パーティにお邪魔。正面玄関には、「裏庭に来てね。」との張り紙が。裏庭には、藤棚があり、噴水まで流れるパーティースペースがある。ああ。同じ学友なのに、何という暮らしぶりの違い。。
しかも、エリカの新居にはこんな「私設パブ」があった!何と以前のオーナーがビール好きで、物置をパブに改造してしまったのだとか。「ケンブリッジ・アンバー・エール」なる生ビールを、エリカのフィアンセ、ジョエブ氏についでもらう。すげーいい雰囲気の家だ。ますますうらやましー!!
猫好きのエリカが、この新居に引っ越すにあたって、猫をもう1匹アドプトしたそうだ。ますますますますうらやましーーーー!
日本のアニメのフィギュアや、キティちゃんが大好きなエリカ。その家に集まったパーティの参加者も、ハーバード大や、MITの在校生や卒業生ばかりなのになぜか皆オタクばかり。パブのビールがおいしくて、酔いにまかせたゲーム大会が始まった。エリカの自慢は日本のプレイステーション2や、ゲームキューブなどのソフトコレクション。まずはダンスダンス・レボリューションで、対決する”マサチューセッツびと”たち。マットも持っているのよね。。引越ししたばかりの新居が、揺れる。。
夜もふけて、やがてカラオケ・ゲーム大会に突入!英語の歌しかないソフトだが、私も参加。このソフト、開発した会社がボストンにあるとかで、キャラクターが歌う背景は、ボストンの街並やボストンの地下鉄の駅が描かれている。
「もう一ラウンド行こうー!」
気がつくと、20人ほどいたパーティの参加者はいつの間にか去り、最後まで残留組の中に入っていた。お調子者の私よ、アーメン。。。
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Friday, August 12, 2005
ボストンに帰郷して思うのは。。
ボストンに帰郷して思うのは、ボストンを愛する人々の愛町心。。メトロポリタン、NYとはそこが違う。
昼頃ボストンのバスターミナルに帰郷。バスを降りて、そのままインターン先のTV局「NECN」に向かう。松葉杖を携えての帰郷。なんだか情けない姿だが、午後からインターンなので仕方ない。インターン先へ松葉杖のまま直行する。
インターン先の手前にあるスターバックスで一休み兼時間つぶしをしようと、立ち寄る。すると、レジのお兄ちゃんに「足、どうしたの?」と尋ねられた。
「NYに遊びに行ったんだけど、道でつまづいて捻挫しちゃったんだ。」
こう言うとそのお兄ちゃんは、すかさず
「そりゃあ可哀想に!NYの野郎!って思わねえ?やっぱりボストンだよ、ニューヨークなんてだめだめ。ボストンが一番!」そうです、そうですとも!見知らぬお兄ちゃんに励まされて、なんだかうれしくなる。帰ってきてよかったボストン。好きですボストン。ニューヨークよりも、どのアメリカ都市よりも。冬は雪で真っ白だし、寒いけど、でもいいの。なんだか落ち着くのよ。この町が。
きょうはインターン先のTV局でも、ニュースディレクターや、プロデューサーが入れ替わり立ち代り松葉杖を見て、
「どうしたの?怪我したの?大丈夫??」
と声をかけてくれた。NYでの体験談を話し、CNNのアンダーソン・クーパーに遭遇した話などをして一通り盛り上がった。帰り道、地下鉄の路面駅のはるか向こう方向から、一筋の光がさしてやがて路面電車がやって来た。路面電車の乗り口に松葉杖でよいしょとよじ登り、帰宅。ボストンに帰ってきて、なんだかほっとした。
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Thursday, August 11, 2005
真夏のNY紀行その3~Soho探訪とミュージカル鑑賞も一転、真夜中のやけ酒と大喧嘩
午前中の感動を胸に、松葉杖でNYを満喫することに。Soho/Chinatown/Little Italy/NoLitaエリアに到着。
チャイナタウンの一角。1ドル札が店中の壁という壁に貼られている恐ろしい中華料理屋を発見。インテリアの趣味とは反対に、味はうまうま。5ドルでお腹一杯。
中華街を抜けると、お隣はリトル・イタリー。駐車料金のメーターもご覧の通りイタリアン・カラーに色分けされている。
Sohoに突入。「Evolution」は店先に人体の骨標本が飾られている一風変わった店。化石標本とか、蝶の標本とか、ライオンの歯(!)とか、がい骨型ビーズとか、変わったものばかりを扱う自然派志向(?)の店。観光客でにぎわっていた。
何と気がつかないうちに地下鉄の駅一つ分を歩いている!松葉杖でゆっくり、ゆっくり。私が頻繁に足を怪我するのは、神様が「ゆっくり生きていいんだよ~」と教えようとしているからのように感じる。さもないと、がしがしすごい勢いで無駄な衝突を繰り返す生き物、それが私だから。。ということで、ソーホーのおしゃれ100%ジュースバーで休憩。ジンジャーと、にんじん、ビーツというものすごい組み合わせの天然ジュースを飲用。町行く人を眺めながら、さっき路上のイタリア移民のおっかさん商人の店で衝動買いしたボタンばかりで出来たネックレスを眺める(写真)。真っ赤なジュースとふかーい青のネックレスが印象的。
アートギャラリーを覗いて回る。アフリカの野生動物ばかりをフィーチャーしたこのギャラリーには、きりんの置物(写真)のほかに、かばや、ひょうの置物が沢山。都会のコンクリートジャングルに居ながら野生心を呼び覚ますアートの数々に感銘。
と、いきなり手作り自然派ソープの店に吸い込まれ、そのナチュラルな香りに引き込まれる。グリーンティーソープなるサンプルをもらい、嬉々とする。タダより嬉しいものはない今日この頃、日々おばさん化している自分を否めない。
とと。パリス・ヒルトンとブッシュ!?不思議なツーショットの広告/アートを発見。すかさず写真を撮り。。
気づいてみればここはソーホーではない。リトル・イタリーの北(ノース)はNorth of Little ItalyをもじってNolita,ノリータと呼ばれる、新しいおしゃれ地区だという。
なになに?911ショップとFireショップだって!?覗いてみようじゃないの。こちら、マニアが作った警察(NYPD)グッズ、消防署(NYFD)グッズの専門店。二つが軒を並べているところがユニーク。
やばいものを発見。NYファイヤーファイター・カレンダーと題して、NYの本物の消防隊員が上半身裸でポーズを取っている。いいのか!?興味を持った方はココをチェキラ!
友人一行と待ち合わせをしようとしているものの、どうも興味の対象がずれてきている。ここはねんざもしたことだし、好きなことをしてNY紀行フィナーレを迎えよう。ということで、タイムズスクエアへ一路戻り、半額チケットブース「チケッツ」でミュージカルのチケットをゲット。
タイムズ・スクエア・ブリューワリーだって。へえー。ということで開演までの時間、NYの地ビールで一杯。私テディの最近の好みはダーク・ビールなので、バドやクアーズといったビールに似たここの薄いビアは、アウト。いまいちでした。
以前から見てみたかった「プロデューサーズ」。す・ば・ら・し・い!!もっと早く見ればよかった。タイトルから連想するような、地味な人間ドラマではありませんよ。派手派手な演出が楽しめる、「これぞブロードウェー」的なミュージカルでした。感動。
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わかっていたのだ。
わかっていたのだ、共に旅行をしている友人達が私に不満を持っていることは。
でもしょせん留学中の私と、日本から一時的に旅行をしてきている友人の間に、外国での物事の対処の仕方に開きが出るのは仕方がないこと。
わかっていたのだ。
でもねんざをして、痛い思いをしても通訳するのは私、旅行の段取りを決めるのは私。日本から来て、何もかもお膳立てされているのに慣れている友人に罪はないのだ。
しかし。
我慢がならなくなった。すれ違いがひどくなっていた。
最終的に肩を押したのは、あるくだらないすれ違い。
私がミュージカルを観終えて、友人達と合流したのは11PMごろ。食事を済ませ、アイリッシュパブで一杯飲みたい彼らと、夕食を食べずにミュージカルを観ていた私の意思疎通がなってなかった。アイリッシュパブに友人達と行ったものの、当然11時すぎれば食べ物オーダーがストップするのがアメリカ。ところが、友人達は私が夕食を食べたものと勘違いしていた。「ご飯食べていないんだけど。」こう主張したつもりが、聞いていない友人達。ところが場内は金曜のため大音量の音楽がかかり、会話どころではない。友人達3人は、私を無視してビールを飲み始めている
冗談じゃない。なぜなの?
はらわたが煮えくり返りそうになりながら、松葉杖でひとり宿に帰ると、ガイドブックをひっつかんで、タクシーに乗った。時間はミッドナイトすぎ。空いているのは、コリアンタウンしかない。空いている店に入り、ビビンバ丼とマッコルリを注文して、やけ酒と決め込んだ。
怒りとお腹のすきが収まってから、宿に帰ると驚いたことに友人達はまだ帰っていなかった。さらに怒りが増した。
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午前2時過ぎ。今回の旅行を企画した親友のMが部屋に帰ってきた。MのほかはMの会社の同僚2人が同行していて、彼らと私は知り合って日が浅い。ここは親友のMと絶交をしてでも、自分の気持ちを伝えなければ意味がない。
そこで深夜の大激突がおきた。
「どうして私がお腹をすかしているの、わからないわけ?」
「え?夕飯なんてテディとっくに食べたのかと思ってたよ。」
ひどい誤解である。
「それに何が不満なの。どうしてねんざした私にそんなに冷たいの。こっちは足が折れてるかもしれなくて、大変な想いをしたのに。」
Mからは意外な答えが帰ってきた。
「だって、そんなに大変そうに見えなかったんだもん。われわれがシップを買って帰ってきてみると、テディはマクドナルドで知らないおばさんと話してるし(確かにあまりに気が動転してそこにいるアメリカ人につい離しかけてしまった)、NYUのERに行ったときも、誰の助けもいらなそうだった。私は、われわれの買い物の時間を介抱に割かれたように思って、カチンときたよ。」
はあ?自分がそんな風に見られているとは心外、意外もはなはだしかったし、悲しくなってきた。
Mとは大学1年の時からの知り合いで、もう10年以上も一緒につるんでいる。同じ射手座O型のラテン系女として、気の会う数少ないマブダチなのに。
「私がそんな風に大変に見えなかったんなら、心外だよ。私は大変なときに平気そうにふるまう癖があるんだよ。それが分からないからって、そんな言い方はないんじゃない。」
「そっちこそ。助けて欲しいならどうして素直に”助けて欲しい”って言えないの?私以外に誰がテディを助けるの?」
「Mがそんなに私のこと、わからないんなら、もうNYくんだりだけど絶交するよ。」と私。
「どうしてそんなこと言うの!そんなことするわけないじゃない!10年来の親友なのに、私達!」
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ここには書かないが、もっといろいろなぶつかり合いがあった。でも最後はマンハッタンの片隅のホテルで、女2人泣きながら、友情の存続を確認した。それにしても、NY。10年以上前に同じくMと旅行したときにも、バックパックの置き引きにあっている私である。鬼門、なのであろうか?
「次に一緒に旅行するときは、NYはやめようね」そんなことをMと話し合った。
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図らずも、いろいろあった真夏のNY紀行。
翌朝泣き腫らした目をまぶしい朝日にさらしながらも、すがすがしい気持ちでマンハッタンを一人バスで後にした。友人3人はその後飛行機で日本へ帰国。
4時間あまりのバス旅のあと、インターン勤務が待ち受けるボストンに戻る。今はひたすらボストンが恋しい。
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CNNのイケメンアンカー、Anderson Cooperに大・大遭遇!
8月11日。悪夢のようなきのうから一夜明け、右足のねんざの腫れも少々引いた。そこで起き上がって、観光ツアーのアポイントなどを入れてしまうのが、私の悪いいいところ。昔(6年前の交通事故)取った杵柄で、松葉杖づかいには非常に慣れている。歩道に松葉杖で下り立つと、アスファルトの照り返しが暑い。クーラーの効いたイエローキャブでひた走り向かうは、セントラルパークのすぐ脇にそびえたつシルバー色の超インテリジェント・ビル。。
そう、ここはあのタイム・ワーナーの本社ビル「タイム・ワーナーセンター」。04年2月に建築完成。下層階はブランドショップのアーケード、上層階はタイムワーナーの傘下企業のオフィスビル(およそ1700名のグループ社員が勤務)。そのほかにも、高級ホテルやレストランで構成されているマンハッタンの新しい名所と言えよう。
きょうここへ来たのは他でもない。CNNのNYスタジオツアーに参加するため。元TVディレクター、大学院でジャーナリズムを専攻している上に、自称メディアオタクの私。CNNのNYスタジオで放映されているあの番組の裏側を見、あの大好きなアンカーに会えないかな、と思ったからこのツアーに参加した。そのアンカーの名前とは・・・
・・・アンダーソン・クーパー!グレーヘアーがトレードマークの若きCNNプライムタイム・アンカーは38歳。(髪の毛の色は、若白髪もとい地毛なのだ。)まずは、”グレイハウンド犬”みたいなシャープかつキュートな見た目に惹かれ。彼がアンカーを務める午後7:00-の1時間番組「Anderson Cooper 360°」を見始め。そのシャープな語り口と、時に驚くほど感情をあらわにするアンカーぶりにほれ込み。。気がつけば立派なアンダーソン・ファン!そしてきょう、前日のねんざもER初体験も松葉杖もなんのその、こうしてミーハーメディア好きが昂じてここまでやってきたのである。
一口メモ・ところでアンダーソンが出ていた日本でCNNjのTV-CMを覚えている人はいる?数年前、片言の日本語で「CNNアンカーノ、アンダーソン・クーパー デッス!」とがんばっていたよね。。
「松葉杖ですか、オー、NYに観光に来たのにねんざとは!アイムソーリー!!!ハンディキャップを持つツアー参加者にはエレベーターを特別に許可しているんですよ。早速手配しますから。」
ツアー窓口のお姉さんが、大げさに私のねんざを取り扱ってくれたとき、私はまだその後に待ち受けている幸運に気づいていなかった。
CNN・NYスタジオツアー、それは通常なら階段を使うもの。ところが特別に警備員を一人余計に配置して、社員用のエレベーターを使わせてくれたのだ。
ツアーはアメリカのケーブルTVの歴史、CNNの立ち上げの歴史や、スタジオセット体験を含むメディアオタクにはたまらない内容。ニュースルームには入れてもらえないものの、ガラス張りの吹き抜け部分から、働く従業員の姿を覗くことができる。ニュースギャザラーと呼ばれるスタッフとライターの、何と数の多いことか!途中女性アンカーの一人にすれ違う。さすがにボストンの地方局とは洗練度が違う。
写真は禁止なものの、「ポーラ・ザーン・ナウ」のスタジオ、「ラリー・キングライブ」のスタジオなどを見学し、念願の「Anderson Cooper 360°」のスタジオにも潜入!ここでガイドのお姉さんに
「アンダーソンのデスクはどこ?何時ごろ出社するんですか?」などとミーハー心全開で聞いてみた。
「そうねえ。アンダーソンのデスクはニュースルームの中の右端、個室なのよ。ここから見てみましょう。きょうはまだ来ていないみたいね。いつも7時からのショーに備えて、昼ごろ出社するのよ。」ふーん。まだいないのか。残念。そう思った矢先だった。
「あら、アンダーソンのことを話していたら、アンダーソンが居るわ。あなた、ラッキーよ。あそこ、エレベーターホールのすみっこよ。」
ほ、本物だ!!!ダーッシュ!まさか松葉杖2本でこんなに早く走れるとは、という位の速さで、タイム・ワーナーのばかでかい黒人の警備員を視界の片隅にしょいながら、私は駆け寄った。
「あ、あんだーそん!初めまして。ふぁ、ファンですだーー!!」間近で見る本物のアンダーソンは、細身に長身、爬虫類っぽい(失礼)面白い生き物(またまた失礼)という印象だった。サングラスを頭にかけ、スターバックスのコーヒーを手に持って、出勤途中というご様子。TVで見るのと同じ、グレーヘア。好奇心たっぷりの青い目が私を興味深そうに見ている。。そりゃあ、突然廊下で謎の松葉杖アジア人女にダッシュで呼び止められたら、誰でも驚くだろう。でも、彼は本当にスイートだった。
「ぼ、ボストン大学院で放送ジャーナリズムを勉強しとります。その前は、東京で経済チャンネルのディレクターをやってたです!いつか、アンダーソンと仕事がしたいですう!」
自分でも後で驚くくらい、押しが強かった私。。そんな私をアンちゃん(笑)は優しく「そうなんだー。」と微笑み全開(笑うと写真のように垂れ目になる)で、ひたすらうんうんと聞いてくれ、「僕のファンとは、光栄だよ。トウキョウには行ったこと、ないんだよねー。行ってみたいなあ」と。。サインをねだってみると、快くさらさらと、このような感動的なメッセージをくださった。
後で読んでみて、胸が一杯になった。。実物のアンダーソンは「隙のない気取ったジャーナリスト」というより、「隙だらけの優しいあんちゃん」という印象だった。つい最近までCNNの彼のバイオには「ゲイであることをオープンにしている」と書かれていた(のちに削除)。そう、いまだに定かではないが、彼は米メインストリーム・メディア業界において唯一のゲイ・アンカーとささやかれている人物なのである。でも、そんなところも人間臭くて私は好き。アンちゃんのジャーナリストとしての能力や人気を傷つけるものではない。
彼、実は名門バンダービルト家のお坊ちゃまだったり、実兄が23歳で自殺を遂げていたり、エール大学を卒業したものの就職が決まらなかったり、ベトナムに留学経験があったり、ABCの記者時代に人気が出て、リアリティーショーを司会したり。波乱バンジョーの人生を送り今に至る。アンダーソンの経歴についてもっと知りたい人はココ。(彼はこの後にハリケーン・カタリーナのヒューマンな取材で、一躍時の人となるのである。これについてはまた後で9月の投稿で書くことにする・・)
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2ショットで写真を撮ってもらい、サインを胸に感激が収まらない私。タイム・ワーナービルの廊下を文字通り松葉杖でホップステップジャンプせんばかりで、他の観光客にも「見てください。私、さっきアンダーソンと会ったんです!」と自慢する有様。
ガイドのお姉さんも、「あなた、ラッキーよ!でも、松葉杖でここに来なかったら、エレベーターを使わなかったから、アンダーソンにはきっと会えなかったはずよ。」などと言う。「そうですよね。もしかしたら、このねんざもアンダーソンに会うため!?」と私も調子に乗り放題。
その後ガイドさんのおススメどおり、「参加者の声」アンケートに感激の声を書いて投稿。併設のCNNショップでお土産など買って、ツアーを満喫、終了したのであった。このツアー、大人15ドルだが参加者もそれほど多くなく、ゆっくりと楽しめてメディアオタク・ミーハーの観光客におすすめ。CNNの回し者ではないが、詳細はココ。これであなたもアンダーソンに会えるかも!?
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Wednesday, August 10, 2005
真夏のNY紀行その2~悲劇はハーレムツアー直後に発生・ER初体験のいきさつとは。。
8月10日朝9時、朝の直射日光を浴びながら、ニューヨーク・ダウンタウン43丁目を西へ向かってダッシュする。暑い。汗がすぐに毛穴という毛穴から噴き出す。宿泊先のホテルからタクシーに乗ったものの、そこは通勤時間帯のマンハッタン、渋滞に巻き込まれ思うように動かない。7thアベニューと8thアベニューの途中で車を降りる、私たちはハーレム・ゴスペル・ツアーのバス出発所まで、網突進した。このツアーの後、恐ろしい悲劇に襲われるとも知らずに。。
ハーレム・スピリチュアル社という老舗の観光ツアー業者が開いているこのツアー、「地球の歩き方」にも掲載されている。観光バスでがーっと風情を無視してハーレムに乗り付けるもので、身の安全をと少々の冒険をトレードオフした観光客向けのツアー。ハーレムの教会で観光客向けに特別に開催されるゴスペルの合唱を聞くのが目玉。
ツアーでは本来ならパンフによると昼のゴスペル鑑賞の前に、「アポロシアター(言わずと知れたNYハーレムのランドマーク)」に連れて行ってくれるはずなのだが、改装中のため。。
なぜか「アレクサンダー・ハミルトン将軍の邸宅跡」に到着。なぜかハーレムの端っこにぽつんと建っている「アメリカ建国の父の一人」の元邸宅跡は、ひどくハーレムの町並みと不釣合い。ハミルトンは、コロンビア大学の前身であるキングス・カレッジの卒業のため、ここに住居を構えていた。
ようやくゴスペル教会に到着。教会の入り口にはマルコムXの肖像が飾られている。お世辞にも綺麗とはいえないし、建物が古くてエアコンディショナーも効かず扇風機が片隅でごうごうと回っている。
しかし2階席に着いてみると、広い教会はすでに多国籍な観光客で満席。赤いそろいのガウンをまとい、歌うは「ARCゴスペルクワイヤー」の面々。ARCとは「Addicts Rehabilitation Center」の略。つまり、合唱団の面々は正真正銘の元麻薬中毒患者(!)。中毒からの再起をかけ、貧しさからの再起をかけ、力いっぱい表情豊かに体を揺り動かしながら歌う。年齢も性別もまちまちなアマチュアの歌声なのに、なぜか胸を打つ。クリスチャンでもないのに教会文化にはかなり造詣の深い私でも、素晴らしいものを見た、と心から思えた。以前日本のバラエティ番組で、和田アキ子がこの教会に来たのを視た。クワイアのメンバーと共に歌を歌い涙を流していたなあ。じかに歌声を聴いて見て、その気持ちがよくわかった。
ハーレムの目抜き通りを通り、バスがマンハッタンの44丁目に帰り着いたのは、昼1時過ぎだった。そのとき、悲劇は起きた。バスガイドと運転手に感謝の言葉を告げ、バスを降り立った時だった。
「あっ!」マンハッタンの小汚い路上がぐらっと反転した。違った。思い切りバスのステップから2歩ほどの路上にあった凹凸にけつまづいたのだった。どかーっと、情けないくらい転んだ。すぐに友人達が助け起してくれ、私は車道から、歩道へ助け出された。ところがだった。「あ、歩けない!」右のくるぶしだった。左に思いっきり無理な力がかかって曲がってしまった。力を入れようとしても、入らない。「こ、骨折!?」こんな想いがとっさによぎったのは、まもなく血圧降下のような不快感と吐き気が襲ってきたから。友人達に湿布(売っているのか?)を買いに行ってもらい、そのまま近くのマクドナルドにかけこむ。頭があげられないほど吐き気がする。右の足の甲を怪我しただけなのに。。嫌な予感がする。みるみるうちに右足が腫れて来た。
しかしである。友人達は、私がこんなにも大変なことになっていることに、気がついていないようだ。のん気に次の買い物の算段などをしている。それに、彼らはきょう航空会社から届くはずの、取り違えられたスーツケースのことで頭が一杯なのだった。それにしても、なぜ分かってもらえないのだろう。そんな不安と不快感で一杯になりながら、片足歩行でタクシーに乗り込む。ホテルへ一度全員で帰ることにした。大変なことになった、ただそう思いながら。
「最寄の救急病院はどこですか?」ホテルのフロントでこう尋ねる。ねんざだ、ただのねんざなんだ、と心に言い聞かせながらも、不安感が拭えない。レントゲンを撮りたい。英語でどう言うんだっけ?エックス・レイ?ねんざはアンクル・スプレインでいいんだっけ?だいたいこの右足のくるぶしという部位の訳は「ankle」で正しいのか??
ホテルマンと友人に助けてもらいながら、ホテルの車椅子を駆使して何とか再度タクシーに乗り込む。ニューヨーク大学(NYU)メディカルセンターに向かう。NYUのブロードキャスト学科、大学院の受験で失敗したんだよな、など、どうでもいいことが頭によぎる。。
ああ、どうか折れていませんように!ER(救命救急処置室)の入り口をくぐった私を待っていたのは、まずは「トリアージ(とりあえず、じゃないですよ。第一次救急処置のこと)」の看護士だった。彼女に大体の症状を告げると、次は窓口で係員に対応。やけに詳細な「Inquiry」つまり患者の身元確認書の書類手続きをする。
名前や性別、年齢や住所といったことだけでなく、「宗教は?」「保険のプロバイダーは?」といったことを聞くのがいかにもアメリカ的だ。最後に「ここで受ける治療の結果には全て同意します」という旨の同意書に署名をしてようやく終わり。そのころには猛烈な尿意に耐え切れなくなり、友人に車椅子をトイレまで押してもらった。ショック状態にある人間とは、実にさまざまな生体反応をするものなのだ。
やがて、私はバーコードと私の名前・年齢を記したリストバンドを発行してもらった。これで晴れてNYUのERの患者?号となってしまった。
ERのドアには、態度だけはいかついけれど頼りにならなそうなセキュリティ・ガイが待機して空威張りしている。「テディ?」やがてそのドアが開くと、白衣をまとった”ドク”が私を手招きした。ドラマ「ER」で言うとジョージ・クルーニーみたいなポジションの偉い医師なのか?他の医者(インターン)が青い術着をまとっているのに対し、彼だけがスーツ姿に白衣をはためかせていた。そのときの私には、まさに救い主、であった。
私のくるぶしを診てくれたのは、ジョージ・クリスティンソンという北欧系の整った顔立ちのお医者さん。やがて彼が首をかしげながら、こう言った。
「うーん。捻挫だと思うんだけれど、じゃあ念のためレントゲン、とってみようか」レントゲンの順番を、車椅子に乗ってERの廊下/入り口で待った。20分ほどだろうか。待つ間にいろいろな患者が送り込まれてきた。ドラマで見るような、血まみれ・瀕死の人は幸いにもいなかったけれど、いろいろな人種とさまざまな症状の人が送り込まれてきた。中でも東欧系のやせた若い女性が、点滴を受けているシーン(胃痙攣でも起こしたのだろうか?)。さらに、ヤングアダルトのカップルで彼女のほうが、何が起きたのか、廊下でひたすら泣いていたのが印象に残っている。
「テディ、さんですね?」レントゲンの番がやってきた。車椅子でERの奥に進むうちに、入り口で見たよりももっとさまざまな人種、状態の患者を見た。ここはあの9・11で崩壊したワールド・トレード・センターにもほど近い。9.11のときはどんなに大変だったのだろう。そう思うと胸が痛んだ。と同時に自分の足の痛みのことを、すっかり忘れている自分に気が付いた!病院に来て、きちんと診断を受けているんだという安心感からだろうか。
6年前、交通事故にあって東京のある大学病院の救急処置室にかつぎ込まれたことがある。右膝の関節をばきばきに割る「非開放複雑骨折」で、非常な激痛だった。そのときは救急処置室に入るなり、ショック症状(血圧降下)に陥った。何かと怪我が多い人生を送っている、私テディ、である。態度のでかい見た目よりも、意外とおっちょこちょいでもろいのが私の性格なのだからしかたない。
「だいじょうぶ、でしたよ。折れてません。単なるねんざですね」
ありがとうジョージ!(=NYUのERドク)ありがとうNYU!このご恩(?)は一生忘れません。痛み止めをもらい、晴れてホテルに帰れることになった。しかし、右足にはぐるぐる巻きの包帯、両手に松葉杖の痛々しい姿である。
と、開放感のあまり調子に乗って友人Mに、こんな写真を撮らせたのがよくなかった。一難去ってまた一難。次の日、10年来の友情の存続を賭けた友人Mとの大喧嘩が勃発。しかし、悪いことだけではない。この足のおかげで、長年の憧れのあの有名人に偶然会えたのである。(この続きは「真夏のNY紀行3」で。。)
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Tuesday, August 09, 2005
真夏のNY紀行その1~Pジェニングス追悼~ぶらぶら街巡り
夏休み真っ盛り。5月から夏休みをとっているので実感が湧かないが、9月には大学院の新学期がはじまるのだ。そう思うと遊ばずにはいられない。日本から遊びに来ている友人達と共にNYへやってきた。やはり都会だ(爆)。ごみごみしていて、汚くて、人が沢山いる。写真はタイムズスクエアでスパイダーマンに遭遇した時のもの。
ABCのNYスタジオ前にて。7日にABCのプライムタイムニュース「World News Tonight」のアンカーを27年務めていたピーター・ジェニングス氏が亡くなり、メディア界を越えて一般の視聴者にも広く衝撃を与えた。享年67才だった。
4月、ジェニングス氏は、このNYスタジオから、ややかすれ声で最後のメッセージを放送した。肺がんにかかっていることと、しばし番組を離れることを報告する録画メッセージだったが、視聴者に多大な衝撃を与えるものだった。そして、4ヶ月後のまさかの死去。驚いた。日本でもフジTVの逸見政孝アナウンサーが亡くなった時は衝撃が走ったが、そのときと似ているといえよう。この日のABCプライムタイムニュースではジェニングス氏を惜しむ声や、煙草がもたらす肺がんのハイリスクについて(ジェニングス氏はヘビースモーカーだった)のリポートを放映していた。折りしもスモーカーではないのに、肺がんになった俳優故クリストファー・リーヴ氏(スーパーマン)の奥さんの話題もニュースとなり、この日のニュースは肺がんの話で一杯に。
また来てしまった「トランプ・タワー」。今回はドナルド・トランプのノベルティグッズショップを見つけ、友人一行と共にミーハー気分でお土産購入。写真はトランプのトランプ(笑)。私はトランプ・ウォーターなるミネラルウォーターを見つけ、即効買い(爆笑)。
セントラル・パークの入り口にはなぜか黄色いカートゥーンの象がいた。可愛いけど、なんでだろ?ところで、きょうは飛行機でボストンーNY間を移動した友人一行の荷物が取り違えられ、出てこないというハプニングに見舞われた。(私は一人陸路をバスで移動し、NYで友人達と落ち合ったのである。)そこで、友人一向は荷物がないままに今日一日を過ごさねばならない羽目になってしまった。アーメンである。
バーニーズ・NYのハイソ(死語)なディスプレーに目を奪われたり、町をぶらぶら歩き。久しぶりに日本から来た友達と一緒にいると、視点が少し日本人とずれてきている自分に気づいたりして。この後、夜はグリーク・ディナーで大騒ぎ。はしゃいでいた。次の日に自分を襲う不幸も知らずに。。(「NY紀行その2」につづく。)
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Monday, August 08, 2005
ボストン一日観光モデルコース!?
きょうは友人一行をボストン一日観光モデルコース(!?)へと案内する予定だったが、朝一にまずは買い物に時間を費やす。次に訪れる土地、ニューヨークシティで買い物をすると高い税金を払わなければならないことに気づいたからだ。午後からは、ボストンの観光客なら必ず乗る「Duck Tour」を体験。各車でキャラクター異なるドライバーが乗車中、弾丸トークで名所案内をするのがウリ。われわれのドライバーはアメフトの選手になりきった「エース・バンテージ」というおっさん。胸元のバンテージ(ばんそうこう)がチャームポイント。
昼食は、定番(?)のハーバード大学わき、ユニークな名前のバーガーを出す店で。マサチューセッツももうすぐお別れなので、私は知事の名前がついたバーガーを注文。友人たちも思い思いの有名人の名前バーガーで楽しむ。
ハーバード大学正門(?)どこが正門かがわからないのがハーバード。しかし、友人たちにスノッブなハーバード大生たちの姿を見せることができた。
しめは行きつけのシーフードレストラン「アンソニーズ・ピア4」でロブスターなど。港にとっぷりと日が暮れるころ、われわれのおなかも満腹に。
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Sunday, August 07, 2005
港でブランチ~米自転車レース熱~世にも不幸せな。。
日本から来た友人達と港近くのお洒落レストラン「Rustic Kitchen」でブランチ。ヘルシーメニューをテラスで食する。
午後からはインターンが入っている。インターン先のNECN(ニューイングランドケーブルニュース)では、きょうは局をあげて「PMC-pan massachusetts challenge(マサチューセッツ横断自転車チャレンジ)」というスポーツイベントを中継している。特番の合い間にいつもの通常ニュースをはさむ、いわゆる「特別編成」の一日である。このイベントは、一般の参加者が、2日がかりでマサチューセッツ中部からケープコッドの突端のプロビンスタウンまで自転車で走破するもの。がん研究のための基金を集めるために、募金をしつつ合計189マイルを走りきるという夏の恒例イベント。NECNは公式スポンサーでもあるので、特番を大々的に組んでいるのだ。今年はがんを克服した走者を含む4000人が参加した。
近頃アメリカでは、がんを克服し、ツール・ド・フランスで7度目の優勝を果たしたランス・アームストロング選手の活躍が大々的にマスコミでフィーチャーされていた。よって、巷には腕にアームストロングによるがん基金「LIVESTRONG」の黄色いブレスをした「にわかサイクリスト」が日々増えつつあったところなので、こんな自転車イベントには参加者がわんさかと詰め掛けるわけである。日本で言うと、「24時間TV・愛は地球を救う」みたいなイベントに、自転車レース部門があって、一般の自転車乗りが殺到していると思ってもらえればいい。
NECNのジェネラル・アサインメント・リポーターのスコット・ヤント記者もケープコッドからラフなポロシャツ姿でリポート。小児がんを克服してこのレースに参加している地元の有名な自転車少年について、ヒューマン・ストーリーを伝えていた。(写真)
映画「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語(Lemony Snicket's a Series of Unfortunate Events)」をDVDで観る。ジム・キャリーが本領発揮して演じるキャラクターが面白すぎ。3人の子供達がひたすら可愛く、みずみずしい。物語の語り手であるレモニー・スニケットの声は、意外なイケメン英国俳優があてている。これは、「不思議ワールド」が大好きな人必見の映画。☆4つ。
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Saturday, August 06, 2005
日本から友人一行が到着。
日本から友人一行がやって来る。きょうは喜び勇んで、ボストン・ローガン空港に一行を迎えに行く。きょうからボストン→NYCと共に行動をする。
まずはボストンの地ビールで一杯。時差ぼけも何のその、われわれはその後もアイリッシュパブをはしごし、夜のボストンを酒と共に楽しんだ。
そんな友人たちから、日本からのお土産をもらったが、こちらもまた酒である!アメリカではほとんど売られていないのが、焼酎。日本から取り寄せるしか、入手方法はなかったのだが、奄美の黒糖焼酎など2種をいただいた。ありがたい。ちびちびと飲むことにしよう。ちなみに黒糖焼酎は甘いわけではなく、黒糖で磨かれたすきっとした風味が魅力。味わったことのない方には、ぜひお勧めしたい。就寝前にロックでやるのが私流の楽しみ方。。おやすみなさい。。
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Friday, August 05, 2005
NBアウトレットと洒落たパスタレストラン。
NB,ニューバランスのファクトリー・アウトレットが近くにあるのを知り、ずっと行ってみたいと思っていた。とうとう実現し、スニーカーやスポーツTシャツの投売りに嬉々とする。
このファクトリー・アウトレットがあるのは、ボストンの隣町のオールストンというところ。もちろんアウトレットはニューバランス本社の付属施設。ボストンにはこのように知られざる大企業の本社が数多く存在するのだ。
昼は、Brookline Villageというちょっと「自由が丘」っぽい引越し先の近くのレストラン・アーケードの中から、ひとつチョイス。店構えとかわいい店名「ポモドーロ」に引かれて入店したところ、内装も非常に素敵だった。手作りパスタが美味で、オリーブオイルのきいた本格的イタリアンが楽しめる。店内も静かで◎。
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「人間の感情」をテーマにしたアートを鑑賞。
きょうは一風変わったテーマのアート無料展示会に来ている。テーマは「人間の感情」。まずは赤ちゃんの「泣く」という感情を描いたコンテンポラリー・アートから。
次は、恋愛をテーマにしたけだるい作品。ベッドに横たわる女を背にして、煙草をくゆらす男性。濃厚な時間が流れている大人の一作。
次はJFKの奥さんで、トレンド・セッターでもあったジャクリーン・オナシスをフィーチャーしたアンディー・ウォーホールの作品「Nine Jackies」。ジャッキーの笑顔と、JFKのお葬式の際の悲しみの顔を9つコラージュしたポップなもの。
これはちょっとシリアスなもの。レイプされる女性を思い起こさせる「女性の叫び声」という恐ろしいビデオ。暗闇に浮かび上がる泥に汚れた半裸の女性のビデオで、女性の「恐れ」を表現したそうだ。
安心しきった二人の表情に、愛情が感じられるこの作品は二人の「ゲイ・ガイ」を描いた珍しいもの。これを見ると、ゲイ・ピープルにはもはや異性間の恋愛を超えた深い何か、があるのかもと思わざるを得ない。
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Thursday, August 04, 2005
今度は無料ロミオ&ジュリエット野外劇鑑賞だ!
よく晴れた朝、私は自転車に乗って、ボストン郊外へひた走っていた。ジャマイカに行ったわけではないが、ジャマイカ・ポンドという名前のついた池を通り過ぎ、びゅんびゅん愛車を飛ばす。
ジャマイカ・プレインというボストンの郊外は、ラテン系移民の多いことで知られており、ご覧のような壁画がそこかしこに見受けられる。さまざまなナショナリティーの移民が、モザイクのように居住区を形成し、ボストンという街が出来上がっているといえる。
きょうのお目当ては、この野外劇。今度は無料ロミオ&ジュリエット野外劇鑑賞と来たもんだ。先日のハムレット無料鑑賞に味をしめて自転車を50分あまりも飛ばしてやってきた。
なんと無料のポップコーンとレモネードが配布されているではないか。さっそくいただきながら、真昼間の野外演劇鑑賞としゃれこむ。
ロミオもジュリエットも青年劇団からオーディションを勝ち抜いた若手俳優たちがみずみずしく演じている。観客は主にこの地区の地元民。子供も多く、ちょっと集中力に欠ける観客達だったけれど、劇は楽しめた。おまけに、終わった後にアンケートを提出したら、Tシャツが当たった。もうけもの。
今日の会場、実は「ボストン自然センター」というだだっぴろい野草・野生小動物保護地区/公園である。演劇後、草花の咲き乱れる広大な庭園を散歩した。そよそよと風が吹き、人っ子一人いない真夏の午後。庭園の向こうには、ボストンの濃いラテンコミュニティー。不思議な時間を過ごした。
帰り道、ちゃりんこを駆使して、先日この地区を訪れたときに発見したキューバ料理店へ行こうとして、その店が閉店していることに気がついた。愕然とした。しかもボストン警察のテープが張られているではないか。なんとこの店、つい最近放火事件の被害にあって閉店に追い込まれたとのこと。けが人は出なかったそうだが、地元の人々に親しまれていたレストランにこんなひどいことをする犯人が許せない。
仕方ないので、Purple Cactusつまり紫のサボテンという可愛い名前のブリトーの店で昼食を食べることにした。なかなかヘルシーでおいしい。真夏の午後、文化的かつ刺激的なひとりの時間であった。さ、「ちゃりちゃり」っと自転車に乗って帰宅することにしよう。。
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Wednesday, August 03, 2005
優雅ランチ・日本から逆輸入シュークリームゲット・ピクニックディナーの食い道楽な一日。
よく晴れた空に映える金のドーム、これは怪しい宗教の本山ではなく、マサチューセッツ州議会議事堂。
議事堂の最寄り駅といえば、「パーク・ストリート」。このパークストリート9番地にあるファンシーなレストラン、その名も「No.9Park」は前から攻略してみたかったボストンのグルメスポットだ。
女性シェフの演出する繊細なフレンチと黄金の州議会議事堂を望むこの立地。昼間からコンサバなワンピースにパールなどをお召しになったハウスワイフたちが、優雅にランチをしている。彼女達がデスパレートかどうかは分からないが、(cf;ドラマ「Desperate housewives」)私と友人の目の前に運ばれてきたどの一皿一皿もかなりこってりと旨いなり。
食後、友人のリクエストで日本からの逆輸入シュークリーム店「Beard Papa」ボストン店へ。数日前に新装オープンしたばかりだとか。
大阪出身の日本のシュークリーム屋さんが、ニューヨークに初海外出店したところ、行列ができるほどの好評であったため、出店規模を拡大しているようだ。まさかボストンくんだりで日本と同じシュークリームが食べられるとは思わなかった。ちなみに運営母体は店名とは関係ない「麦の穂」という会社。日本では97年に「ビアード・パパ」としてシュークリーム事業を展開し、アジアに270のフランチャイズ、年商330億円を誇るという。
いかんいかん。さっきシュークリームを買ったばかりなのに、ファーマーズマーケットに寄り道。ラズベリーとブルーベリーの色鮮やかさに思わず衝動買い。ヨーグルトに入れて食べようっと。
本日の締めは、ホストファミリーの皆さん+お友達一家でピクニック・ディナー!近くの公園で、デキシージャズの野外生演奏があり、近所の人々が集まっていた。写真はピクニック・ごはんに一心不乱にぱくつくキッズ達。
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Tuesday, August 02, 2005
ボストンコモンで夕暮れの無料シェークスピア劇を楽しむ。
ボストンコモン(ボストン市の真ん中にある公園)で夏の夕方に無料でシェークスピアの「ハムレット」が見れるらしい。こんな噂を前から聞いていたが、それは本当だった。きょう午後8時を目指して、引越し先の日本人ファミリーの皆さんと公園に駆けつけてみたら、こんなにたくさんの人、人、人!
このハムレット劇、ワン・センター・フォー・パフォーミング・アーツというボストンの芸術・文化保護団体が傘下に持つ、夏だけの特設劇団「コモンウェルス・シェークスピア・カンパニー」が20夜連続で演じるもの。場所は完全な屋外、公園の芝生広場に巨大な2階建てのステージを組み上げ、そこで行う野外ショーである。
公演がはじまるころには、夏の夕暮れの涼しい風が吹き始めた。と、そこに青や赤のおどろおどろしい照明と共に、ハムレットの父の幽霊が現れる。屋外演劇ってどうなんだろう、と思ったけど見物客の秩序も正しく、舞台効果も抜群。公園にはトルーパーが居て、アルコールの持ち込みは禁止されているため、人々は純粋に演劇を折り目正しく楽しみに来ている。それに、暮れ始めた屋外に、照明効果がばっちりとシンクロしてなかなかいい。日本だとこんな屋外のイベントには、生ビール屋とか、おつまみ屋とかの屋台が出ちゃうんだろうけど、それも当然なし。それも食べ物のテントはホットドッグやポップを売るたったの2つだけ。アメリカ人たちは、もちろん地べたに座らない「椅子命!」文化の人々なので、マイ・デッキ・チェアーを持参して、無料の演劇に見入っている。
しかしご存知のようにハムレットは3時間の超ロング作品なのであった。夜11時までは集中力が持たないので、途中で暗闇の中を退散して地下鉄に乗った。引越し1日目の夏のお出かけだった。
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Monday, August 01, 2005
引越しエレジーvol.3(格付け・C-)~さようなら大学院生寮
8月1日、きょうは約1年住んだ大学院生寮の最終退去日だ。まずはリースをしていた家具を業者が引き取りに来るのを待つ。ベッド、テーブルなどの家具がなくなると、部屋ががらんどうに。
いよいよさようならである。大学院生寮はその番地をとって、通称「580(ファイブ・エイティー)」と呼ばれていた。われわれが第一期入居者である新築の寮だった。100年以上たった古い物件が多いボストンでは大変稀な物件だった。ちょっと味気ない内装だったが、エレベーターは広くて高速だし、壁が厚いから近隣の音がもれてこないし、バスルームはホテルのように広いしなかなか気に入っていた。
ところで、きょうの引越し。最後まで残っていた身の回りのものや食品などを運ぶだけなものの、もうタクシーを使ったりするお金がないので、ちゃりんこで運搬作業をすることに決めた。わが愛車「カブキ」号で引越し先まで荷物を運ぶ。片道15分程度なものの、炊飯器やなべをリュックに入れしょいこんで交通量の多い車道を走るのはしんどかった。よって、きょうの引越しの格付けはC-。もう荷物はないと思っていたのに、結局3往復もする羽目になって自分の「物持ちのよさ」にあきれた。そうです私は、「ザ・荷物の多い女」。
荷物を運び終わったのは日暮れ間近。引越し先で過ごす初めての夜、深夜に激しい雷雨が1時間ほども続いた。まるで爆弾のようだった。あまりの稲光のすごさに、引越し先のホストファミリーのかたがたと、思わず窓の外に見入ってしまったほどだ。なにはともあれ、引越しは完了した。あすから1ヶ月間、このボストン郊外の日本人ファミリーのおうちで間借り居そうろう生活を送る。
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Sunday, July 31, 2005
マニー・ラミレスがそんなに大事!?なきょうのニュースルーム。
アメリカのTVニュースの現場で、それぞれのニュース項目に与えられる「呼び名」のことを Slug(スラグ)という。きょうのニューイングランド・ケーブルニュース、夕方ニュースのトップ4項目のスラグを見てみよう。まずはPM5時台から。
「5PM Manny Details」「5PM Manny Reaction」「5PM Shuttle Problem」「5PM Soldiers Killed」...
では6時台は?
「6PM Manny Latest」「6PM Manny Reaction」「6PM London more arrests」「6PM Iraq more vioence」
5時も6時もトップ2つの項目を占める「マニー」とはボストン・レッド・ソックスの主砲選手、マニー・ラミレス選手のこと。ニューヨーク・メッツへの移籍話が持ち上がり、球団同士の交渉期限が本日午後8時と迫っているため、ニューイングランド地元ニュースを流す私のインターン先、NECNでは毎時間ごとに最新情報を流した、というわけ。
8時になって、移籍が白紙に戻り、レッドソックスの人気選手であるマニーがチームにとどまることが発表されると、さらにニュース項目はマニーだらけに。
「10PM Manny Staying(マニー残留)」
「10PM Reaction to Manny(マニー残留へのファンの反応)」
「10PM Manny earlier(きょう午前のマニー)」
「10PM Deadline Day(マニー移籍交渉締め切りの日をふりかえって)」
「マニーはもういいよ!」なインターンの一日だった。でもマニーならぬ、マネーなら欲しいなあ、なんちゃんて(爆・おやじギャグ御免)。。
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Saturday, July 30, 2005
引越しエレジーvol.2(格付け・B+)
大学院寮完全退去まであと2日。写真は病院のような、わが大学院生寮の無機質な廊下。きょうも手作業で引越しをしている。ワゴンタクシーを呼び、同じ大学院寮に住む日本人の「飲み友達」に手伝ってもらった。ワゴンタクシーの運ちゃんが、「俺は道を指図されるのはいやだ」と無意味に強情だったほかは、友人の手助けもあり、うまくいった。格付け・B+とする。ああ早く終わらせたい。引越しはつらいよ。
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Friday, July 29, 2005
プロンプターのミスであやうくNG
緑のトンネルをくぐりぬけ、ボストン郊外のインターン先へ向かう路面電車、通称「T」(写真)。ローカルTV局のニュースルームで働くのもだんだん慣れてきた。私の働く午後から夜にかけての時間帯には3人もインターンがいるのだが、1時間おきに番組があるのでそれぞれ結構忙しい。3人でそれぞれ分担の番組を決めて、プロデューサーのお手伝いをすることにしている。
私がインターン先で出会ったNECNのスコット・ヤント記者を紹介しよう。先日の金曜日、コントロールルームが大混乱だったことを書いたが、そのときスタジオにいたのが彼。普段は記者が本業なのだが、先週の金曜日は夏休みをとっていたアンカーの代役をしていた。そのときは彼が普段は記者であることに気がつかなかったほど、堂に入ったアンカーぶりだった。一記者が、アナウンサーの代役をする。こんなことは日本のTV局ではあまりない。しかし、アメリカのTV局では、記者はアンカーと同じくらいの力量を持った「しゃべれる」人たちばかり。記者とはいえ、ライブで中継を行うことが、日本のTVに比べて格段に多いので、アドリブに近い状態で生放送に対応できない人は、記者にはなれないのである。
さて、このスコットさん、「怒られたら怖そうだな」と思った第一印象は全く間違いで、実は気さくな方。元空軍に所属していた異色の経歴を持つ一方で、趣味はエレキギター演奏・ハーレーダビッドソンに乗ること。
「日本語知ってるよ。ありがとう、だろ、こんにちは、だろ、さようなら、だろ。。」
生番組の放送後に自己紹介をしたら、さらにいろいろな取材の体験談をしてくださった。ニューイングランド・ケーブル・ニュースでの彼の担当は、「ジェネラル・アサインメント」つまりなんでも屋だ。スペースシャトル「コロンビア」の事故からJFKジュニアの飛行機遭難、サダムフセインの身柄確保から、レーガン元大統領の葬儀まで、幅広くリポートを行ってきたベテランである。「日本のTV局のカバレージを見たことがあるが、ずいぶん画面の切り替えがゆっくりだった、という印象を持ったよ。」そうなんです。1秒半単位でかちゃかちゃ映像を切り替える傾向が強いアメリカのTVに比べたら、日本のTVニュースはなんとゆっくりで、オーガナイズされて映ることか。。
さて、きょうはわたしのプロンプターの操作ミスで、危うくNGを出しそうになってしまった。しかも生放送中の出来事である。午後6時のニュースのプロデューサーが、私にB記者のリポートの頭の部分が「スクリプト」としてプロンプターに載っている事を知らせなかったことから、この悲劇が起きた。
6時のニュースの真ん中に入っていたB記者のリポート、頭の部分のセリフはたいていプロンプターに書いていないことが多いので、私はB記者のコメントの前でプロンプターの操作を停めて、次の原稿を探していた。ない。そこで、異常に気づいた。画面に映ったB記者が原稿をあわてて探している。コントロール・ルーム内でディレクターや、プロデューサーがすごい勢いであわて始めた。
「プロンプター回して!今すぐ!」あ?私だ!私のミスだ!やばい。あわててプロンプターを回し始めたときには、プロンプターの原稿が読めなくて焦っているスタジオのB記者の顔が、2カメに数秒間以上映し出されてしまった。あちゃー。。ごめんなさい。
でもインターンは責任がない。プロデューサーが私の代わりにすぐにB記者の耳のイヤホンに「プロンプターの件、ごめんなさい。」と謝りを入れた。B記者が、1日かかって取材したリポートの紹介部分が、私のせいで失敗に終わってしまった。悪いことをしてしまった。ぼーっとしていたわけではないのだが、これからは留学生とはいえ、インターンとはいえ、よく原稿を見てプロンプターを回そうと思う。それだけ責任のあることを任されているのだから。
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Thursday, July 28, 2005
引越しエレジーvol.1(格付け・A)
来週の月曜日、8月1日が1年の間苦楽を共にした(?)この寮の退去日。(写真は窓からの眺め)きょうはまだ木曜日なのだが、週末にインターンが入っているので、それを避けて大半の荷物を引っ越し先に運ぶことにした。引越し先は地下鉄の駅で数駅郊外に向かった地点にある。比較的近くとはいえ、いくらなんでも車がないと引越しは厳しい。ただお金がないので、引越しサービスとかを頼むのは嫌だった。
そこで、持つべきものは友!車を持っている同級生で、ボストンに残って夏をすごしているビッキーさんに手助けを頼むことにした。16人いる大学院の放送ジャーナリズムの同級生はこの夏、その大半がアメリカ各地にちらばって、さまざまな地方TV局で出稼ぎ(インターン)をしているのである。モンタナ、ミズーリ、ミネソタ、カリフォルニア、ニューヨークと見事にボストンを離れていて、ボストンに残ってインターンをしているのは私やビッキーを含め数人だけだ。ーーその彼女もボストンのアパートの契約が切れるとかで、自身ボストン近郊の親戚の家に引越しをしたばかり。それなのに私の引越しのアシストを快く引き受けてくれたうえに、一緒になって大学寮からの重い荷物の運び出しまで手伝ってくれた。うう。この恩は一生忘れまい。
女2人、彼女の愛車「スバル・フォレスター」に荷物を積み込み、地図を片手に引越し先へ往復すること2回。夕暮れが訪れてきたころにとりあえず作業終了。比較的涼しい日だったため助かったものの、首や肩、腰・膝が痛い。
そこで、ねぎらいの意味をこめて、いきつけのスポーツ・パブで1杯。夏限定のウォーターメロン・ドラフトなる、珍しい「すいかビール」を注文して昼間出て行った水分を補給。すいかの風味がする不思議なビールだ。ビッキーさんには車を出してもらったお礼にこの店の定番のおつまみ、「ナチョス」や「エンチラーダス」をおごる。この引越し、まだ身の回りの荷物が残っているので最終的にはタクシーなどで運び出さないとならない。ビッキーさんの車が贅沢に使え、ビッキーさんという強力な助っ人がついているのはきょうだけ。だから、きょうの引越しは「格付けA」である。荷造りがこの世で一番苦手なTeddyの”引越しエレジー”はまだまだ続く。。
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Monday, July 25, 2005
チャールズ・ストリート探索とジャズ生演奏を楽しむ月曜日。
ということで、7月と8月は週末にTV局でインターンをして、平日にフリーという不思議な生活をすることになった。毎週月曜日にはいさんで遊びに繰り出すことにしている。きょうは州議会議事堂の裏にあるチャールズストリートへ。おしゃれなショッピングストリートで、こぢんまりとした名店が多い。「Figs(いちじく)」という名前の店はトッド・イングリッシュという有名シェフの店。
生ハムといちじくのピザなどを注文する。パリッとした薄い生地に新鮮な具材が乗っていてかなりうまい。生ハムの塩分と、いちじくの渋い甘さがたまらない。やみつきになるおいしさ。
創作チョコレート菓子の店を発見。アイスチョコレートドリンクは、このままで1食分になるんじゃないかというくらいのボリュームとこく。
夜、以前も行った夜景のきれいな「Top of the hub」へ。知人の知人がジャズのトリオとして生演奏をするときき、やってきた。
ワインがすすむすすむ!しかも知人の知人のそのまた知人がアルコールをおごってくれたりして、ますますいい気分に。久しぶりにぐるぐる頭が回りながら、帰宅。
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Sunday, July 24, 2005
インターン3日目。
いつも乗る地下鉄の路線が工事中だとかで、代替のシャトルバスに乗らないとならないという。バスに乗るのでたった数駅しかない距離を移動するのにも、すごい時間がかかる。しかしそのおかげで、いつもは見れない角度からお気に入りの教会を見ることができた。青い空との対比が美しい。
日曜日のニュースルームは、平日の3分の1以下の従業員しか勤務していないうえ、放送番組の回数も少なく先日のような大混乱はなかった。まさに「凪ぎ」の日といえる。アンカーが次々入れ替わる平日の番組構成と違って、週末の午後の放送は全てベテラン男性アンカーの、トム・エリスさん一人でオンエアを担当していることがわかった。
インターン先のキッチンにはグルメ・コーヒーの機械があり、50セントを払えば30種類以上のフレーバーから好きな本格コーヒーが飲める。休憩時間のお気に入りになりそうだ。きょうはヘーゼルナッツ・フレーバーコーヒーをチョイスする。
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Saturday, July 23, 2005
「○○○のオリガミ」とは?ーかなりunusualなショーを観る
お父さん、お母さん、ごめんなさい。。
・・両親に謝りたくなるような内容の、とあるショーを見にいってしまった。ある日ボストンのダウンタウンを歩いていて、街に貼られていたポスターを目にして以来、好奇心に勝てなくて。。
一体どんなショーを観たのか?
ポルノでもないし、ストリップでもない。。れっきとした、公然とした舞台である。しかも1996年の初演以来世界13カ国で上演されている知る人ぞ知る国際的なヒット作。ボストンのサウスエンドにある小劇場で1ヶ月のあいだ、上演されると聞き、チケットを取ってみた。
舞台の内容について、ヒントは3つ。
1.人形劇、のようなものである。
2.人形使いは皆男性
3.客席は、20代~50代の女性が8割、ゲイの男性が1.5割、ノーマル男性が0.5割
さらにヒント。英国の新聞「THE GUARDIAN」紙は、この舞台をこう評している。
"charming extraordinary DON'T TRY THIS AT HOME!"
どんと・とらい・アット・ホーム??そう、この舞台を見に来た男性は、決してこれを家で真似しないほうがいい。。
えいっ!この写真でどんな舞台かわかったでしょう。公演のタイトルは「Puppetry of P○○○○」(○の中は写真を見てください)。キャッチフレーズは、「生殖器のオリガミ」。つまり。。。
昔から、パブなどで酔客を相手に行われていた下ネタであるという男性の「一発芸」が、舞台になった!つまりはこの「人形劇」、派手な黄金のマントだけをまとった全裸の男性(人形使い)が2人登場し、観客席を埋め尽くす150人ほどの客の視線に臆することなく、その男性器を用いて「ハンバーガー」「エリマキトカゲ」「ホットドッグ」「象」「きりん」「ヨット」などといったものを表現してくれる、というもの!きえ~。す、すごいものを見に来てしまったもんだ。人形使いの2人組みは、それぞれの都市でオーディションを勝ち抜いてきた、精鋭の「芸人」たち。全裸にも臆せず、軽妙なマイクトークをはさみながら、もくもくと20ほどの「折り紙」を披露してくれた。
お下劣?でも観客席の女性客達は、大ウケで、涙が出るほどバカ笑いし、野次をとばしては楽しんでいた。結婚を1週間後に控えた花嫁候補さんと、その独身女性仲間のグループも見に来ていた。
男性にとって「女性のストリップ」があるように、その逆バージョン(一応、芸術)でこれはこれでいいんじゃないか。以前NYでフル・モンティ・オフ・ブロードウェー劇を見たことを書いたが、そのときのことを思い出した。男性が美しい女性のグラビアを見て楽しむように、女性むけのこんなエンターテインメントがあってもいいではないか。(別に男性の全裸や、アソコを使った一芸が、とりたてて見たいわけではないけどね。)日本ではおそらく実現しないと思うケド。。
ところでこの人形使い劇、いくら家で真似しないでといっても無理かも。だって、終演後に劇場のグッズ販売コーナーでは、「折り紙」の仕方をつづったマニュアル本を売っているのだ。驚いた。そのほかにも、舞台の記念Tシャツも売られていた。そそこにはアルファベットが一文字だけつづられていた。それは、ほかならぬ、「P」であった。この舞台鑑賞、いい人生経験となったです、はい。ちなみに公式ウェブサイトは、ここ。※←このサイト、職場でこのブログを見ている人は、こっそりウィンドウを小さくして開けたほうがいいです。写真がばーんとキますので。。
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Friday, July 22, 2005
地元TV局でのインターン2日目はPやDが「ののしりながらオンエア」
TV局・特に生放送のニュース番組の現場での仕事は、「釣り」に似ている。凪いだ海のように平穏で何もない日もあれば、大しけの海のように大荒れの日もあるのだ。どんな海になるかは、その日になるまで誰も分からない。どんな海の状態でも、確実にその日の獲物を獲得して港に帰りつかないとならない。
その「釣り=生放送」を遂行するのが、漁船ならぬコントロール・ルーム、つまり日本の業界用語でいうところの、「サブ(調整室)」である。ちなみに調整室とは、「TVスタジオの真裏に設置されている小部屋のことで、スクリーンがたくさん設置されており、プロデューサーやディレクターやテクニカルディレクター、音声さんなどが座って、スタジオ番組のカメラやグラフィックなど、画面の切り替えを操作する場所」のこと。写真がボストン近郊にある地元TV局「NECN」のコントロール・ルームである。大変小さいが、これで24時間ニューイングランド地区向けの生(一部再放送)のニュース配信を行っていると思えば大変効率よく設計されたサブであろう。
きょうはインターン2日目であるが、べたべたに凪いでいた1日目とは違って、トラブル続出の大荒れのコントロール・ルームを体験することとなった。
きのうブッシュ大統領に指名された最高裁の新しい判事候補、ジョン・ロバーツ氏についてのニュースについて、NECNのプロデューサー達が毎回毎回放送の時間ぎりぎりまで原稿の内容を書き換えようとしていた。それがコントロール・ルームの混乱を引き起こしたようだ。日本と違って、こちらのTV局は全てプロデューサー達がパソコンに向かって打ち込む原稿がそのまま、デジタルプロンプターとなってニュースアンカーの読む原稿となるので、ぎりぎりでも、それこそオンエア中でも、次のニュース項目をダイレクトにパソコンに向かって書き替えられるのである。
特に私がアシスタントを担当した午後9時のニュース番組は、怒号が飛び交うコントロール・ルームとなった。
「原稿が違うよ!ガッデム!」
「次のニュース項目、ビデオまだ入ってないよ!どうなってんだ!」
放送中だというのに、プロデューサーがコントロールルームでがんがん電話をかける。記者の携帯電話に電話をかけているらしい。20人ほどいる記者たちには、それぞれきょうのアサインメント(取材項目)が割り当てられている。締め切りである放送時間までに、彼らの編集済みのビデオがコントロールルームの端末にデジタル化されて入力されていなければならないのだが、そのビデオが放送時間があと2分と迫っているのにもかかわらず、まだ入っていないらしいのだ。
「A-3 is DEAD」何?何が死んだのか?おお、次のニュース項目であるA-3という番号のついたニュースを、「落とし」(省略)することにしたらしい。ペースが速すぎて、何が起きているかついていけない。
さらに、きのうボストン地域を襲った雷のせいで、近郊の町から生中継を行うはずの記者を映し出す中継車のカメラの回線が切れるというトラブルも発生。
「記者の○○と中継がつながらない。どうして!?」「回線が切れたんだ」「何かニュースを差し替えよう」
か、書いてます。隣でプロデューサーがすごい勢いでパソコンのキーボードをタイプしたかと思うと、スタジオでニュースを読んでいるアンカーマンのイヤホンにつながるボタンをばしっと押し、
「プロンプターに新しい原稿入ったから、これ読んで!」
そのプロンプターをアンカーマンの読む速度にあわせて動かしているのは、ほかでもないインターンである私である。今はまだ、アンカーマンがどこを読んでいるのか、追いつくだけでも精一杯である。(だって、ネイティブスピードのEnglishなんですもの。)でも私がちょっと気を抜いて、プロンプターの操作がもたつくと、画面に出ているアンカーマンに影響を及ぼしかねないし、NGだって出しかねないのだ。緊張。しかも今日のようにプロデューサーやディレクターがFのつく英語や、Sのつく英語を連発しまくっている怒号の飛ぶ状態では、ますます緊張が増す。このコントロール・ルームでのインターン、果たして生き残れるのか!?
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Thursday, July 21, 2005
ジョニー・デップが秀逸!映画「Charlie and the Chocolate Factory」
「チャーリーとチョコレート工場」という邦題になるのだろうか、封切りされたばかりの映画「Charlie and the chocolate factory」を見にいく。
(あらすじ)世界の誰もが食べている「ワンカ・チョコレート」。その板チョコのパッケージの下に、金色の当たりチケットが入っていれば、フル・オートメーション化されたワンカの工場ツアーに参加できることになり、世界中から5人のラッキーな子供達が集まった。彼らが工場で見たものは。。
ティム・バートンの描く「おとぎの国のチョコレート工場」が素晴らしく、ワンシーン、ワンシーンがわくわくの連続だった。ジョニー・デップがコスプレにメークアップ姿で演じる、謎のチョコレート工場主“ウィリー・ワンカ”が最高。謎のキャラクター「ウンパー・ルンパー」には、腹を抱えて笑った。J・デップファン、ティム・バートン監督ファンはもちろんのこと、家族みんなで楽しめる必見の一作。☆5つ。日本語ウェブサイトはここ。
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Wednesday, July 20, 2005
重い腰をあげ、パッキング開始!
去年の8月18日に入居してはやalmost1年。住みなれたボストン大学・大学院生寮も今月末でリースが切れるため、7.31をもって退出しなければならないのだ。私が多分この世でもっとも嫌いなこと、それはパッキング。今月末までにインターンをやりながら、この部屋の荷物を全てまとめ、隣町にある友人宅にとりあえず引っ越すことにした。退去日まであと10日ほどあるとはいえ、外出の予定も間に入っているし、私の性格からしてそんなに簡単に引越しが進むとは思えない。で、おもむろに前倒しでパッキングを始めた。これが取り崩す前の部屋の「現状保存」の状態での写真。パッキングがはじまって、めためたになる前に写真に撮って残しておこうと思って。。てへ。さあ、とにかく段ボールに荷物をつめよう!あまり気乗りがしないけれど。
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Tuesday, July 19, 2005
環境NGOのために、ボランティア募集の告知CMを制作。
ボストン市とケンブリッジ市の間を流れる川、チャールズ・リバーの川掃除について、大学の宿題として取材したことは以前書いた。川の水資源を守る環境団体がボランティアを組織し、毎年1回川掃除をして水質のクオリティアップを目指しているのだ。このチャールズリバー、以前は全米でも汚い川として知られていた。この川掃除のおかげか、徐々にその水質は改善されつつある。今年4月の川掃除イベントの際、主催者の環境団体、CRWA=チャールズ・リバー・ウオーターシェッド・アソシエーションの環境問題活動家、アナ・エレリアさんにインタビュー取材をした。宿題のためである。宿題とはいえ、私は毎回出来上がったビデオリポートを取材先に送るようにしているのだが、出来上がった取材テープを見たアナさんが感動してこう連絡を下さった。「あなたの作ったビデオ、素晴らしかった。テディさんにぜひ来年のボランティア告知のTV-CMを作ってもらいたいの。」なんとCMプロデュースのオファーである。あなうれしや。
このTVCM、地元のTV局での放映を想定しており、尺(VTRの長さのこと)は30秒程度だという。CRWAでは、ボランティア募集の告知CMを以前から作りたかったが、どこに頼んだらいいかわからなかったとのことだ。しかしそれほど予算もないそうなので、私のようなブロードキャストの大学院生に、ローコストですばやくCMを作成してもらうのが、一番楽そうだと踏んだらしい。テープ代などの実費は払ってくれるとはいえ、謝礼はCRWAのノベルティTシャツだけ。名誉あるCM作成オファーとはいえ、とどのつまりは無給のボランティア、である。とほほ。(写真は05年のボランティアたち)
TV局でのインターンの前に大学の編集室でアナと待ち合わせをする。アナはインドネシア系アメリカ人で、日焼けした肌に黒髪・小柄な美人だ。4月に彼女のロングインタビューをしたのでそれを7秒ほど使用し、その他に川掃除ボランティアが活動しているシーンを5カットほど選んで、30秒のビデオをあらかじめ作っておいた。アナにそれを見せると、かなり気に入ったようだ。
CMのスクリプト(ナレーション台本)はあらかじめ原案を作り、アナにメールで送っておいた。クライアントがあるビデオ制作は、とにかく制作側と、クライアント側とのコンセンサスが大事。ベースとなるビデオが気に入られたので、後はナレーションをアナの声でボイスオーバー(ナレーション録り)すればいいだけだ。
30秒のビデオの冒頭には、「ボランティアがごみを拾えば、チャールズリバーはもっときれいになります!」というテロップメッセージを入れた。さらにアナの声で「今年は、あなたの出番です。あなたの手で、チャールズリバーをきれいにしましょう。お問い合わせは、CRWAウエブサイト、www.crwa.orgまで!」というナレーションをかぶせる。
ニュースリポートと違って、CMなので短いとはいえ印象に残るようにテロップのエフェクトなども工夫してみた。さらに、アナのリクエストでBGMとしてスタンデルスの「Dirty Water」という曲を入れた。この曲、こんな歌詞(抜粋)である。
Yeah, down by the river down by the banks of the river Charles.
That's where you'll find me along with lovers, fuggers, and thieves
Well I love that dirty water.
But I'm wishin' and a-hopin, oh
That just once those doors weren't locked.
Well I love that dirty water
Oh, Boston, you're my home.
スタンデルスは60年代の“ガレージバンド”で「ダーティ・ウォーター」はボストンレッドソックスの勝利ソングとしても知られている。「あの汚い水(チャールズ・リバーのこと)が好きなのさ。ボストン、われらがホーム!」という歌詞がいい。
アナは環境問題の活動家で、タフツ大学の環境学修士号を持っているインテリ女性。しかしなかなかどうして、ナレーションをやらせるとなかなか張りのある声でうまい。大学の編集室で、マイクに向かって数十秒のナレーションを読んでもらったが1回目は少し暗すぎてNG。「TVのナレーションは、不自然なくらい明るいのがいいんですよね。もう1回やりましょうか?」ときちんと駄目出しもさせてもらい、無事終了。
出来上がったCMは、来年の2月ころからボストンの地元ケーブル、地上波局を対象に放映されるそうだ。オンエアが見たいなあ。たった30秒、ソニーのデジタルビデオカメラ(DVC)で撮影して、ファイナルカットプロというコンシューマー・プロダクツのソフトで作った「手作り」CMだが、まるで自分の子供のように愛おしい。。
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Sunday, July 17, 2005
美術館とデザートと野外音楽とすし。
日曜日。DCに住む知人にボストンを案内する。イサベラ・ステュアート美術館は以前も訪れた大好きな場所。その後ケーキとコーヒーで一服など。写真はボストン・チョコレート・ケーキという名前の可愛い一皿。
市の中心部ボストンコモンではボストン・ランドマーク・オーケストラという夏だけ登場する野外演奏専門のオーケストラの、無料演奏を聴く。なんと黒人奴隷解放をテーマにした詩の朗読と、オーケストラのコラボレーションという珍しいもの。芝生に座って、しばし芸術を楽しむ。
「スシ・エキスプレス」はボストン郊外にある知る人ぞ知る旨い店。日本と変わらぬ握りや巻物がおなか一杯食べられて、リーズナブルな値段。テークアウトで。
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Saturday, July 16, 2005
ヤンキース戦で日光浴!?
昨晩の深夜までの飲み会もなんのその。本日はワシントンDCからボストンを訪れている知人と共に、メジャーリーグ観戦へ。因縁の対決、ボストンレッドソックス対NYヤンキースである。試合の行われるフェンウェイ球場はうちの真裏なので、サンダルをつっかける感覚で「ちょっとそこまで」とMLBの試合を観に出かけられる。
午後1時のデーゲーム。球場は満員。もちろん、地元の熱いRedSoxファン達である。どうしてここまで熱くなれるのか、というくらい熱烈にレッドソックスを愛している人たちだ。
「ブリーチャー」と呼ばれる球場の真正面、守備で言うとセンター真裏の外野席につく。空が青く、かんかん照りの太陽が照りつける。この日はほぼ無風状態。とにかく暑い。野球を観にきて、日光浴をしているようなものだ。まさにデーゲームならでは、といえる。
真後ろに座っている「熱烈な地元ファンのおじさんたち」が、騒がしい。応援をしながらも「暑くてやってられねえぜ」「アイスが食いてえな」と汗をふきふきぼやいている。振り返ってみると、球場のいすからはみ出そうに肥えていらっしゃるのだから、暑いのも無理も無い。おじさんの一人は、水が散布できる「レッドソックス携帯ミニ扇風機」を持っていて、周囲3mの人々に「涼」を振りまいていた。私と私の知人もその恩恵に預かって、たまに「スプリンクラー」よろしく水を顔に浴びさせてもらった。「涼しーい!サンキュー!」このおじさん、後に立ち上がったと思ったら両手を大きく頭の上に振り上げて、「おーい、アイス屋!箱ごと買うぞ~!」と球場のアイスの売り子を呼び寄せていた。なんだかほほえましい風景だった。右の写真がそのおじさん。
試合はあまり調子のよろしくないわれらが松井秀喜の活躍はそれほど見られなかったものの、NYヤンキースの勝ちで終わり。試合の終盤、もう勝てないとわかっていても、レッドソックスが都合悪くなると、ボストンのファン達は伝統の「Yankees sucks!(ヤンキース最低)」というヤジを繰り返していた。こんどレッドソックスーヤンキース戦が観れるのはいつになるだろうか。
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Friday, July 15, 2005
地元TV局でのインターン始まる~夜遊びナイト!
きょうからボストン地元TV局「ニューイングランド・ケーブルネットワーク・ニュース」、通称「NECN」でのインターンが始まった。午後2時から夜10時まで、ニュースルーム(取材センター)や生放送のコントロールルーム(日本語ではサブ、または調整室)でアシスタントとして働く。緊張の初日を迎えた。
地下鉄で郊外へ向かい、さらにそこからバスに15分ほど揺られ、バス停から丘やゴルフコース(!)の端っこを30分ほども歩いてようやく到着する。日本のイメージだと、TV局は都会にあるもの、と相場が決まっているがアメリカのTV局はあきれるくらい郊外にあるところが多い。なぜなんだろうか。NECNも、まるで森の中に建っている倉庫のようだ。インターンとはいえ、デスクをひとつ貸してもらう。1時間おき、プライムタイムだと30分おきに生放送のニュースがあるので、ニュースルームではプロデューサー達が一心不乱にPCに向かって原稿を打ち込んでいて、私はそのPCからダイレクトにつながったデジタル・プロンプターの操作を担当し、慣れてくれば原稿も書かせてもらえるという。がんばろう。インターンは8月末まで2ヶ月弱続くがもちろん無給である(泣)。そのかわりに大学院生にとってはお金よりありがたい、「単位」がもらえるというわけである。
緊張の職場初日のあとはNYからボストンを訪問中の知人ほかと夜遊びに繰り出す。近所の日本食屋「MALUKEN」はウィークエンドになると「カラオケバー」に早代わりする。この日は野球チームレッドソックスと宿敵NYヤンキースの試合があり、ソックスが大勝したこともあって、店は大騒ぎする地元ファンでごった返していたが、その中に異色の仮装集団がいた。右の写真がそれ。なんでも、30歳を迎えた女の子の誕生日を祝うバースデーパーティーの一団で、「30歳」というイメージからおばあちゃんの仮装をしよう、ということになったのだとか。
ところがこの店、日本食とカラオケ。。居心地がいいはずなのに、ぜんぜんよくない。海外のカラオケは、ボックスではなく、スナック形式。つまり、オープン・ステージ形式でオーディエンス参加型のパフォーマンスなのである。アメリカ人のカラオケは、とにかくうるさい!マイクを複数人数で握り、音痴でもかまわず、楽しければいい、大声を出して発散したい、という感じ。この夜、店は50人あまりの客でごった返していて、うるさくて会話も出来ない。
で、店を変えた。チャイナタウンにある「アポロ」は遠征のときにNYヤンキースの松井選手も訪れるという深夜営業の焼肉の店。夜遊び続きで少々疲れてきたが、まだまだ!
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Thursday, July 14, 2005
のりがパリッとした寿司が食べられる店、その名も。。
。。Noriです、ノリ!ボストン郊外にある寿司屋で、前から気になっていた店!青いひさしが爽やかな店構え。早速中に入ってみましょう。
オーダーした寿司は、どれもパリッとしたのりが効いていて、絶品。アメリカ人はどういうわけか黒い食べ物に少々恐れがあるようで、巻物の海苔はたいがい中に巻いてあり、外側はごはんの白い部分が見えているというものが多い。この店もそうした「逆巻き」が多いのだが、それでもココの海苔はなぜかパリッと、フレッシュでおいしかった。アメリカでフレッシュなノリが食べられるなんて、珍しいコトだ。写真は、ハマチのにぎりにマヨソースをかけた、題して「ハマチ・マッドネス」と、ウニロール。どちらも絶品でした。
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Wednesday, July 13, 2005
”ハブシティ”ボストンの夜景
「エンジン33・ラダー15」。ボストンのダウンタウン、バークリー音楽院のそばにあるのがこのボストン消防署の分署。ボストンに戻ってまいりました。なんと消防署もレンガ造りなのだ。
ボストンのキャッチフレーズは「ビーンタウン」などもあるが「ハブシティ」というのもある。ヨーロッパへの「中継地点」であったことからこのあだ名がついた。本日は、そのハブシティを見渡す絶景の夜景を肴に、久しぶりに会う知人とディナー。「トップ・オブ・ザ・ハブ」はボストンに住む人の10人に8人は「夜景といえば、ココ!」と答えるであろう場所。よって、写真のような「本気カップル」がうようよしているわけで。はあ~。目の毒。
一口食べては見つめあい、一皿片付けてはテーブル越しに手を握り合う。。こんな”指輪の箱をカパ!!と今夜開けます!!”みたいな勝負むんむんな雰囲気があちらにも、こちらにも。こいつらにとって、夜景はおまけなのか!?平日の夕方からものすごいドレッシーに決めて、いったい職業はなんなのだろう?とか、私達のグループは食事そっちのけで、彼らの話題で盛り上がってしまった。
ちなみにこのレストラン、場所はボストンのプルデンシャル・タワーの52階。値段はちょっとした高級レストランだけど、観光客慣れしたウエイターがばしばしオーダーをさばいてくれるので、日本人観光客にもおすすめ。生演奏のジャズあり。
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Tuesday, July 12, 2005
ケープ・コッドの旅最終回「岬に陽が沈むケープの端っこの町・ウッズホール」
フェリーはやがて「ウッズ・ホール(Woodshole)」という町に到着。この町は、ケープ・コッドのマサチューセッツ州本土の端っこに当たり、ケープの島々への玄関口となっている。
バスに乗り継いでボストンへと帰還することになっているが、まだ時間がある。こぢんまりとした町を探索することにした。美しい港にはたくさんのボートが停泊していた。
町は港に面したメインストリートに、たくさんのお洒落なレストランがあった。どこか日本の漁港の町に似ているのだが、レストランはあくまでも都会風でおしゃれである。
このブログの投稿が不覚にも2ヶ月も遅れていることは、お気づきの通りであるが、この旅にはその遅れを取り戻そうとPCを持っていった。町の「Coffee Obsession(コーヒーへの執着)」という変わった名前のオープン・カフェで、おいしいコーヒーなどいただきながら、このblogの更新としゃれ込むことにする。何しろ現実の生活と、blogの更新との両立は大変。こうしてこまめに時間をみつけてやっていかないと、おっつかないのである。それに現実の生活では、英語との戦いが待っているので、このblogにもそうそう時間を割けないわけで。
おっとっと、ぐちっぽくなってしまった。会社を退社したことも、安定した生活を捨てたことも、帰国子女でもないのに海外の大学院に入って苦労していることも、全ては好きでやっていること。だから、愚痴は言わないし、後悔は一切しない、というのが私のポリシー。いまはしばし、この「端っこ」感が漂うケープの港町を楽しむことにする。写真は珍しい「いか」柄のフェンス。
この町には「海洋生物研究所」という大きなラボがあり、その建物の前には長い防波堤のような、突堤のようなものが出来ていた。そこを、ケープコッドの岬に吹く涼しい風に吹かれながら、おっかなびっくり先まで歩いてみた。美しーい夕日を見ることが出来た。
1泊2日で実にケープのいろいろなところを見たものだ。ボストンに一路ひた走る「ピーターパン・バス」の中で、この2日を振り返った。ウッズホールは経由しない予定だったが、乗る予定だったフェリーが変更になった都合で思いがけず立ち寄ることになったり。
ケープは、島好き・ニューイングランド好きの私にとってやはり大好きな地域。なんで好きなのか、と聞かれるとうまく理由は言えないのだが、あの灯台と白い砂浜と青い海の組み合わせ・ゆったりとした時間が流れているところが、いいのだろうか。ケープ・コッド全体を見てみると、まだまだ訪れていない町も多いし、ナンタケット島にも機会があれば一泊してみたいので、また是非戻って来たい。
最後に一言おせっかいメモであるが、ケープは日本人観光客が異常に少ない地域でもある。名づけて「JTBも手付かずの島」とでも言おうか(笑)。これを読んでいる方にも、ぜひ次の夏のリゾートに出かける場所として、おススメしたい場所である。(日本からだと、ちょっと遠いんだけどね。。)
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ケープ・コッドの旅その5・「赤、白、青、緑、ピンク。。あの有名人も所有している”カラフル・おとぎの家”を訪ねる」
島内一周バスツアーも終わり、オーク・ブラフというフェリー乗り場のある町に再び戻ってきた。この変わった形が、ビンヤード島の全体像。
フェリーの時間まで、この島を有名にしている”おとぎの家”を、ガイドマップ片手に訪ねまわることにした。それにしてもこの色。ストロベリー・ピンクの家なんて、見たことない!この島にはこうした家々が300軒以上建っている。わあお。
このカラフルな家々、実際にサマーハウスとして使われているもので、「ジンジャーブレッド・ハウス」と呼ばれる。クリスマスツリーに、ジンジャーマンとペアーでつける、あの「おとぎの家」のオーナメント、もしくは「ヘンデルとグレーテル」に出てくる「お菓子の家」である。ピンク、赤、白、青、緑、黄色、パープル。1軒として同じ色合いはないというくらいカラフルに彩色されている。一体何故なのか。
ジンジャーブレッドハウス密集地の住宅街に行ってみた。360°こんな色合いの家に囲まれている場所を想像してほしい。なんだかおとぎの国の住人になったみたいだ。この彩色の秘密を解くカギは、歴史博物館「コテージ・ミュージアム」にありそうだ。早速入ってみる。
ふむふむ。このジンジャーブレッドハウスのはじまりは1827年、もとは牧草地だったこの場所で、島に移住してきたメソジスト派の人々が宗教集会を開いたことにさかのぼる。
宗教集会は「キャンプ・ミーティング」と呼ばれ、牧草地の上に建てたテントの中で行われた。食べ物を持ち寄り、集会はピクニックのようだったという。
これが当時の集会が行われたテントを保存したもので、国家的な歴史サイトに指定されてもいる「タバナクル」。なるほど、屋根はあるけれど、入り口にドアはないし、壁も半分しかないので風が吹き抜け心地よい。この島ではこの「半青空宗教集会」が定番だったそうだ。
このテント、後に屋根がつけられ、フレームを追加され通称「コテージ」というあだ名のジンジャーブレッドハウスになった。ではなぜこんな色合いなのか?その理由は、コテージ博物館でもらったパンフにたった1行だけ、書かれていた。「Most of the cottages were planned for living in picnic style.」とのことだ。はあ~?
ただ「ピクニック気分で暮したいから」そんな理由って、あり?おとぎの家が建ってから100年が経つが、確かにきょうは、当時のメソジスト移民が島の暮らしを「ピクニック気分」で楽しみたかった理由が何となくわかるような美しい日、である。7月の心地よい風が吹き抜けるサマーハウスのテラスでは、やはりまた人々がロッキングチェアーに揺られていた。
私は島でも「有名なおとぎの家」のマップを片手に、この住宅街をさらに徒歩でずんずん回っていった。
あった!この家の所有者は、なんとPCウイルス除去のコンピューターソフト・関連サービスの開発で巨万の富を手に入れた、ピーター・ノートンの所有。(写真をクリックで拡大すると、家の看板に「ノートン」と書いてあります。その隣に書かれている”コービン”というのはこの家を建てたコネチカット州の富豪の名前)
なんと、ノートンの家(サマーハウス)は1軒だけではなかった!この家は「シンデレラ・コテージ」という名で、1881年に建てられた歴史ある「ジンジャーブレッドハウス」。ノートンの奥さんであるアイリーン・ノートンの名義になっている。
お家めぐりのゴール地点は「オーシャン・パーク」と呼ばれる場所。海が見える芝生の広大な広場である。サマーコンサートなどが多く開かれる開放感あふれる場所。
ハーバー近くのお土産店を冷やかす。フェリー乗り場に到着すると、乗ろうとしていたフェリーが「欠航」になっていることがわかる。エンジン故障だとかで。。まじかよ!次のフェリーは午後8時。それに乗ったとしても乗り継ぎのバスの時間が間に合わない。今日中にボストンの部屋に帰り着きたい。
しょうがないので、フェリー料金を払い戻し、違うフェリー会社のフェリーに乗ることにした。写真は時間をつぶしていて見つけたシーフード料理店のクラシカルな看板。
ようやくフェリーに乗れました。車と一緒の大型フェリーでマサチューセッツ州本土のもう一つの突端の町、「ウッズホール」に向かう。(その6「岬に陽が沈むケープの端っこの町・ウッズホール」につづく)
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1泊2日で行くケープ・コッドの旅~その4 ビンヤード島の果てを探検
朝9時過ぎ、ホテルで無料の朝食をいただく。日本で言うと民宿みたいな宿。共用のダイニングで自由にオレンジジュースやマフィンが食べられる。写真は私が泊まった離れから母屋に通じる階段。
まずはビーチへ。宿から歩いて10分。その名の通り「Sea View Avenue」は海に面したストリート。坂を下っていくと、どこまでも続く青い空と目の前に広がる大西洋が現れた。
ところがこの青い青い海と美しい砂浜、難点があった。夏だというのに水温が異常に冷たい上に、遠くまで小石が広がっていて岩岩しいのだ。
どおりで泳いでいる観光客が異常に少ないわけだ。私も砂浜にごろり、と横たわりしばし日光浴と決め込むことにする。青い空に白い監視員のハイチェアーが映えるbeautiful day.
11時30分、島巡りの観光バスに乗る。これがスクールバスを塗り替えた実に可愛いバスで、運転手がインカムをつけてガイドを兼任するもの。車中にはビンヤード島の地図がペイントされている。なんだか乗るだけでうきうきしてくる。
「観光が主要産業である”アミティ島”に現れた巨大な人食いザメが、人々を恐怖のどん底に陥れる。。」とは、スティーブン・スピルバーグの名作映画「ジョーズ」の筋書き。。このマーサズ・ビンヤード島、実はこの映画「ジョーズ」のロケ地なのである。(映画に出てくる”アミティ島”とは架空の名前)バスの車窓から見えた海沿いのこの池が、ジョーズが岸で背びれを見せながら泳ぎ回り観光客をパニックに陥れるあの有名なシーンのロケ地だとか。
バスは一路この島で一番古い町、エドガータウンへ。バスは海沿いの一本道をアップダウンしながら快走する。エドガータウンは、「えどがー」ではなく、「ど」を限りなく小さく発音するのがミソ。
この町もまた、19世紀に捕鯨産業をメインとして栄え、特にお隣のナンタケット島との間にライバル心を燃やしたという。その黄金時代の面影を残した町並みは、白で統一されている。捕鯨で一旗をあげた船長達の家家が、いまだに保存されている。
バスはエドガータウンを離れ、さらに人手のつかない島の奥地へと進んでいく。実はこの辺りには、有名人の別荘が数多く建てられていることでも知られている。映画監督スパイク・リー、テレビ司会者デービッド・レターマン、投資家ウォーレン・バフェットなどがそれである。クリントン元大統領夫妻もこの島を愛した。写真はJFKの元奥さんであったジャッキー・オナシスの別荘のある辺り。ジャッキーはこの辺りの山を一つ、保有していた。
さらにバスはメネムシャという漁港の町を経て、ゲイヘッド(アクィナ)という景勝地・断崖絶壁を目指す。だんだん人里を離れていくのがわかる。
ゲイヘッド灯台の展望台に到着。1855年に建築された灯台は、まさにニューイングランド、といった風情で旅情をそそる。この灯台も、映画「ジョーズ」に登場した。
ああ絶景かな絶景かな。苦労してここまで来た甲斐があった、と思うとき、それはこのような景色を見たときだろう。砂浜から46mとそそり立つ絶壁は、時間と天候によってさまざまな姿を見せるという。氷河が作り出したこの地層からは、野生の馬や鯨、果てはラクダの化石が発見されたそうだ。
ちなみにこのクリフの近くでは、あのJFKジュニアが飛行機で遭難、死亡事故を起こしたことでも知られている。日本のNHKもここまで取材に来たとか。さて、美しい景色を見た後は腹ごしらえ。展望台の上には数店の趣味のいいお土産店やシーフード店が並ぶ。
ロブスター・ロールが一番早そうだったので、注文。なんとフレッシュで濃い味のロブスターなのだろう。むしゃぶりつくように完食。写真にはないが、もちろん付けあわせは定番の「ケープ・コッド・ポテトチップス」灯台のパッケージが目印である。
見て見て!このカエルの大小貴婦人は、お土産ショップで見つけた。このようなガマガエルの素焼きの置物は、島のあちこちで見かけたのだが、島の守護神か何かなのだろうか?(「その5 赤、白、青、緑、ピンク。。あの有名人も所有している”カラフル・おとぎの家”を訪ねる」に続く)
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Monday, July 11, 2005
1泊2日で行くケープ・コッドの旅~その3”何もしない”をする島マーサズ・ビンヤード島。
ケープ・コッドに夕日が傾きかける頃、フェリーはマーサズ・ビンヤード島のオークブラフという港町に到着。島の名前は直訳すると「マーサのぶどう畑」。(なんかこの名前、可愛くないですか?
写真は海辺に並ぶ美しい町並み。ジンジャーブレッドハウスと呼ばれる独特な家のカラリングについては、後程詳しく説明する。1602年に島の発見者が上陸したとき、野生のぶどうがあちこちに茂っていたことから、島の名がついたという。マーサは発見者の娘の名前。ならば島にはさぞかしワイナリーがたくさんあるのだろう、と思えば現在は島には一つしかないのだとか。残念!
「Pequet Inn」という宿にチェックイン。白をベースに赤と緑をペイントしたエクステリアが可愛いし、人魚をモチーフにした看板もキュート。
暮れなずむ住宅街を、予約した宿を探してぶらぶら歩いていた時に、何だか変だな、と感じた。薄暗い家々のポーチに、何かがゆれているのだ。そこで、はっと気がついた。それは、ロッキング・チェアーにゆれながら思い思いに夏の夕暮れを楽しむ人だったのだ。ある人はこの島の住人、ある人はバケーションで島を訪れている人か。おとぎの国のような家々のポーチに、本を片手に、または何もせずに何時間も椅子に揺られている人、人、人!東京ではありえない風景だ。そこで、私の頭の中には早速「”何もしない”をする島」というキャッチフレーズが浮かんできた。
この島のおみやげの定番といえば「Black Dog」のグッズ。島中にここの黒い犬のついたTシャツを着ている人が、わんさかいる。また、アメリカ本土でこれを着ると「ケープ(コッド)で夏のバケーションをすごしたんだよ~ん。」という自慢にもなる。そう、ケープはアメリカのお金持ちが夏のバケーションを過ごす夢の土地で、中でもこの島に別荘を設けることはある種のステイタス・シンボルなのである。
港を見渡せるレストラン「Nancy's」で夕食としゃれ込む。一番高いメニューは、オイスターでもロブスターでもなくクラム(あさり)のフライだったので、ならば試してみようじゃないか、と注文。さすが粒が大きくて、潮の味が濃い、旨いあさりフライだった。ものすごい盛り方で出てくるのだが、飽きない味なのだ。
夕食後、海辺の風を肌に感じながら歩く。やばい店を発見。飛んで火に入る夏の虫のごとく、アイス屋にふらふらと引き寄せられてしまう。「Mad Martha's」という店名の可愛さと、夜10時だというのに30人近くの客が行列しているところに惹きつけられてしまった。大量の糖分摂取の後は宿にてバタンキュー。(「一泊二日で行くケープ・コッドの旅~その4 ビンヤード島の果て・断崖絶壁を探検」に続く)
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1泊2日で行くケープ・コッドの旅〜その2・捕鯨の町ナンタケット島
正午発の高速フェリーに乗り、一路ナンタケット島へ向かう。所要時間は約一時間。このところの風邪がたたって、まだ頭痛がするので爆睡してしまう。
ナンタケット島はケープ・コッドの南に位置する島。洋梨をつぶしたような形をしており、南北3・5マイル、東西14・5マイルの小さな島である。18世紀には捕鯨産業の基地として栄え、ハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」にも登場することで知られている。
島のニックネームは「グレイレディ」。グレーの壁をした美しい家並みが特徴であるほか、信号がない(!)ことでも有名。歴史的町並みを保存するため、商業目的の看板を禁じており、同じ理由でマクドナルドもないのだという。
港におりるとすぐに目につくのはシーフードレストランとお土産店。石畳の道をぶらぶら散歩しながら、昼食をとる事にする。シーフードのフリッター(のようなもの)を注文。町を行く裕福そうなリゾート客(家族連れが多い)を眺めながらいただく。レモンを搾って、なかなか新鮮でイケる。
ナンタケット島を歩いていて目につくのは、こうした鯨や船をあしらった看板やナンバープレートなど。ストリートの名前もNew Whale Streetなどと秀逸である。鯨ミネラルウォーター、なんてのもあって早速買ってみる。普通の水だった。
捕鯨博物館に入ることにする。この建物はその昔、鯨油を原料にしてろうそくを製造する工場だったという。展示物は捕鯨に使っていた道具や、捕鯨船で一旗揚げた船長の肖像画などじつに興味深い物ばかり。
ナガスクジラの全身の骨格が飾られているメインルーム。ここで「捕鯨の語り部」の方による、“ナンタケットの捕鯨の歴史”レクチャーを聴いた。当時の捕鯨はそれはアナログな漁で、「鯨の見張り番」がじっと沖を望遠鏡で見つめては、その方角に向かって行き鯨を銛で刺す。暴れる巨大な鯨を弱るまで引き回し、何とかばらばらにして船に揚げる頃には、その一帯に広がる血の海に引きつけられて映画「ジョーズ」よろしくサメがわらわらとやってくるので一目散に逃げる、というもの。しかしこうして手作業で手に入れた鯨の肉は、巨万の富に化けた。鯨肉だけでなく、鯨の油や鯨のひげ(女性のドレスのコルセット用)など捨てるところがなくあますところなくお金を儲けられる魚だからだそうだ。一か八かの博打打ちともいえる鯨漁。男のロマン、だったんだろうな。
しかしナンタケット島の港は、浅すぎて大型船が停泊出来ないという弱点があった。そのため後にマサチューセッツ州本土の港町、ニューベッドフォードに捕鯨ナンバーワンの町の座を奪われてしまった。写真は博物館の屋上からの港の眺め。実に美しい。
面白い博物館だった。次のフェリーの時間までぶらぶらと港をさらに散歩する。晴れ渡った7月の夏の陽がまぶしい。戸口に色とりどりの花束が刺してあるアイスクリーム屋を発見。
今では捕鯨の町が一転し、別荘地と転じた島には日本の軽井沢のような小物店、グッズ店、カフェなどが建ち並んでいる。写真は趣味のいいアンティークショップ。
この島のもう一つの名産は「ナンタケット・バスケット」。漁師達がフィリピンや南の島から持ち帰った籐と鯨から採れる油を入れる樽を作る技術が出合い、作り上げられたものだという。島の灯台を守る人が、灯台を守る間に暇にまかせて作られた物がこのバスケットのはじまりだとか。デザインがかわいく、堅牢な造りでお土産用にバッグなどにも加工されている。値段は割高だが、レプリカのネックレスなども売られておりそちらなら手がでそう。日本の女性達には間違いなく受けそうなお土産ものだ。
さて、そろそろインターアイランド・フェリーの時間が来たので移動する事にする。ナンタケット島と並ぶケープ・コッドのもう一つの島「マーサズ・ビンヤード島」へ向かう「島巡りの旅」と決め込む。空が高い。冬は荒れ狂うこのあたりの海も、夏は観光客を実に穏やかに迎えてくれている。(「ケープ・コッドの旅 その3・ “何もしない“をする島、マーサズ・ビンヤード島」に続く)
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1泊2日で行くケープ・コッドの旅〜その1・ケネディ家が愛した港町ハイアニス
本日から1泊2日で旅に出る。行き先は、ケープ・コッド。マサチューセッツ州の東の突端、腕のような形をした半島である。まずはケープの南の端の港町ハイアニスまでバスで行き、そこからナンタケット島行きのフェリーに乗る事にした。写真はハイアニスの町で見つけた看板。
しかし、バスが渋滞に巻き込まれて思いのほか遅れ、フェリーに間に合わなくなってしまった。次のフェリーは2時間後だという。ならば、予定外だがハイアニスの町を散策、と決め込む。写真はケープコッドのことなら何でも伝える地元紙「ケープ・コッド・タイムズ」のオフィス。
1639年にイギリスから移民が入植してから、捕鯨船の乗組員の家族が住みつき栄えた。ハイアニスという名前は、先住民のインディアンの名前Iyannoからきているという。
1925年にケネディ一家がこの町に別荘を買ったことから、この町は一躍有名になった。子供時代、夏をここで過ごしたJFKもハイアニスを特別な場所として特に気に入っていた。「2つとして同じ夏はない場所」と評し、のちに大統領に就任してからも夏の間の避暑地として「サマー・ホワイト・ハウス」をここに設けた。いまでもケネディ一家のメンバーが使う夏の家が、海のそばにある。ハイアニスの町の中心には、JFKハイアニスミュージアムが設けられ、JFKの「ケープ時代」のプライベートライフを垣間みる事が出来る。
さて、町の目抜き通りにはちょっぴりさびれた感じだけどいい感じのお土産屋が並ぶ。アンティークショップや、高級そうなレストランやカフェ、オムレツの店なんてのもあった。
これは、アロハシャツの専門店で見つけたレッドソックス・アロハシャツ。100ドル近い値段。NYヤンキースアロハ・シャツもあった。(—ケープ・コッドの旅その2・「捕鯨の町ナンタケット島」に続く。)
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Sunday, July 10, 2005
ネイチャー・ドキュメンタリー「Winged Migration」で渡り鳥のロマンに心奪われる
原因不明の菌感染によるfluのため、薬を飲みながら養生中であるが、つまらないのでDVDで借りてきた映画を鑑賞。渡り鳥の生態を余すところなく描いたネイチャー・ドキュメンタリー「Winged Migration(邦題・WATARIDORI)」は、大学の「ドキュメンタリー」の授業でさわりを紹介され、そのあまりのスケールの大きさに心奪われた作品。ただの動物ドキュメンタリー、と思うなかれ。「一体どうやって撮影したんじゃ!」と思わずつっこみを入れたくなるカットの続出なのである。「バード・ビュー(鳥瞰)」という言葉があるが、まさに鳥と一緒にカメラも飛んでいる。その撮影対象である鳥が渡り鳥なのだから、また驚くのである。一体どうやって何万マイルもの渡り鳥の旅に密着したのか、どうやって彼らの飛行ルートを調べたのか、そしてどうやってカメラにこんなにも近い状態で撮影が出来たのか。
その答えはDVDのボーナスとして収録されているメーキングを見るべし。驚くべきことに.渡り鳥の卵をスタッフが育て、生まれた瞬間からスタッフ(とカメラ)を「親」と思い込むように刷り込みするところから、このドキュメンタリーは始まったのである。CGや、SFXは一切使用していない。グライダーやバルーン、ヘリコプターなどを駆使してさまざまな渡り鳥と共にいかに飛ぶことが出来るか、その試行錯誤といったら並大抵ではない。時間とコストと効率からは無縁の(失礼)この作品、監督は映画「ニューシネマ・パラダイス」の名優としても知られるジャック・ぺラン。彼のほかに、スタッフ450人、パイロット17人、カメラマン14人が5つのチームに分かれ、7大陸40カ国、3年に渡って壮大な渡り鳥の物語を撮りあげた。本国フランスでは280万人以上を動員したヒット作かつオスカー・長編ドキュメンタリー部門のノミネーション作品。また、この渡り鳥のロマンあふれる美しい映像を際立たせる、鳥の羽ばたきと一体化したような音楽も大変素晴らしい。★4つ。疲れた都会人に特におススメの一作。
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Saturday, July 09, 2005
JFKの生家を訪問
第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ。そのJFKの生家がすぐそこにあることは知っていたが、国の史跡として一般公開されていると聞きやってきた。
ボストンのお隣のブルックライン市、ビールズ通り83番地が、その場所である。場所には看板も小さくしか掲げられておらず思わず通り過ぎてしまったほどである。
国の史跡(National Historic Site)であるため、入り口には観光案内係りとしてState Park Trooperの皆さんが控えている。観光客慣れしていてフレンドリーな方々である。
JFKの父でハーバード大卒の実業家ジョセフ・ケネディが妻ローズと共にこの家に移り住んだのは1914年、結婚直後のこと。多角家族で何世代もが同居する多くのアイリッシュの移民たちとは違い、ミドルクラスが多く住む緑多いブルックライン郊外に一軒家を構えたジョセフは,多くがボストンに路面電車で通勤する勤労家族であるブルックラインの近所の人々との交流を深め、静かに子供達を育てるために緑多いこの場所を選んだという。決して華美ではないダイニングルーム。部屋数は9つ。内部は大変古いが、当時のままに近い状態で保存している。前出のトルーパーが説明をしてくれる。
1917年、JFKは実にこの家で次男として生まれた。ケネディ家9人兄弟のうち4人がこの家で生まれ育ったという。
裏庭にはばらの花が咲いていた。
グッズショップにはケネディの生涯を書いた本や、絵葉書などが売られている。日本語のパンフもおいてある。
1963年11月22日、ダラスでJFKが暗殺された日のことを伝える新聞も売られている。この日は雨がしとしと降っていたこともあって、緑がよりいっそう増しているように感じた、ブルックラインの静かな住宅街。マサチューセッツといえばケネディ!というくらい地元の絶対的な支持をいまでも受け続けているケネディの生家の静かなたたずまい、であった。
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Friday, July 08, 2005
「金曜日の診療所はだめよ」
数日前から続く風邪に似た症状を診てもらうため、大学の診療所へ。ところが訪れた時間は金曜日の午後、診察終了間近のため診療所には全くやる気が見られない。受付スタッフも、ドクターも皆週末の予定などをべちゃくちゃ話していて、ちんたら。あーあ、「金曜日の診療所はだめよ。」だな、こりゃ。診察結果は何らかの菌に感染してめまいが引き起こされているとのことで、抗生物質をもらい終了。
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Thursday, July 07, 2005
レモンのお酒と水族館ーテロ警戒レベル上昇中のボストンを徒歩めぐり
朝起きてCNNをつけたらロンドンで地下鉄爆破テロが起きて死者が出ているとのこと。しかも3カ所の現場のうちのひとつは1月に私がロンドン旅行に出かけた時に、宿泊していた駅の最寄り駅付近であった。背筋に冷たいものが走る。しかし今日は友人と待ち合わせして、イタリアンを食べにいく予定が入っている。地下鉄の駅に行くと、このテロのせいなのか、電車が止まっているとのこと。(あとでテロとは無関係の事故のせいだとわかるのだが)しかたなく、本日は代替えのバスと、徒歩でボストンを遊び歩くことに。写真はテロを知らせるCNNが流れるボストン証券取引所の正面玄関。
レモン色のリキュールは「レモンチェロ」という甘い食後酒。お酒と同じ名前のイタリアン・レストランでいただいた。消化を促すといわれるだけあって、強いけれどさっぱりしたお酒。
ニューイングランド水族館へ。吹き抜けのホールをぶち抜いた巨大水槽に泳ぐウミガメの悠々とした動き、ああ癒されるね〜。
皇帝ペンギンもいました。驚くほどのスピ−ドですいすいと泳ぎ回っていて、またまた癒されました。
ああ、優美なるデザートの甘い誘惑。。「フィナーレ」はボストンの女の子に大人気のデザートの店。週末は店が一杯になるほどである。美しい盛りつけと控えめな甘さが魅力。
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Wednesday, July 06, 2005
アル・ジャジーラTVの内幕を描いたドキュメンタリー「コントロール・ルーム」鑑賞
まだまだ体調は本調子ではないものの布団に横になりながらDVDで映画鑑賞など。「コントロール・ルーム」はイラク戦争の際のアル・ジャジーラTVの内幕を描いたドキュメンタリーだ。
イラク戦争の際、アメリカ大本営発表を垂れ流すために作られた「連合軍メディアセンター」。そこから発信される欧米メディアの報道と、それに徹底して反抗し独自路線でアラブの目線に立った報道を行おうとするアル・ジャジーラTVのコントロール・ルームの対比が実に面白い。
そこであのアメリカ軍によるアル・ジャジーラTVバグダッド支局爆撃事件が起きる。爆撃を受けて死亡したアル・ジャジーラ記者のための追悼記者会見や残された妻のコメント、お葬式には胸が詰まる思いがした。
物語は主な登場人物のコメントによって、語られていく。度重なるトラブルや支局を襲う悲劇にも淡々と立ち向かうアル・ジャジーラTVのシニアプロデューサー、サミール・カデルが、実にいい味を出している。ヘビースモーカーである彼がタバコの煙をくゆらせながら、アル・ジャジーラの意義について、気負うことなく、またジャーナリズムの原則に外れることなく語り尽くすところが面白い。加藤茶に似た彼、実にいいキャラである。DVDのボーナスシーンだったか、彼がこれまで訪れた事のなかったアメリカを初めて見るシーンが、面白かった。皮肉屋のアル・ジャジーラプロデューサーの目を通して見たアメリカ、という題材だけでもう1本ドキュメンタリーができるんじゃないかと思うくらい。
サミールと同じ思想の持ち主でありながら、怒れる男として描かれているのが、アル・ジャジーラTV記者のイブラヒム・ハッサン、もとBBCの記者である。小錦似の彼が、巨体を揺らしながらアル・ジャジーラならではのイラク市民の惨状の取材を遂行していく様子は、怒りと痛みに満ちていて興味深い。
相対するのは、「連合軍メディアセンター」の広報担当官ジョシュ・ラッシング大尉。アメリカ側の言い分の代弁者として、唯一このドキュメンタリーに登場する彼は、頭脳明晰でかつリベラル、センシティブなアメリカ兵。(だからこそ、アメリカ側も彼を起用したのだろう)イラク戦争の大義名分について、そのラッシング大尉に徹底的に詰め寄るイブラヒム。二人のぶつかり合いが緊迫感あふれており面白い。つまりこのドキュメンタリー、アルジャジーラを描きつつ、きちんと米軍側のキャラも出してバランスもとっている。
監督はエジプト系アメリカ人のジハーン・ヌージャイム。弱冠30歳の女性監督である。最後まで息もつかせず見せる「コントロール・ルーム」。アメリカの垂れ流す大義名分、プロパガンダでない本当のイラク戦争を、アルジャジーラの調整室を通じて見ることができる。激しくおススメである。
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Tuesday, July 05, 2005
ダウン。
風邪に似た症状、原因不明の頭重でダウン。きのうの「アメリカ愛国魂」にあてられたのか?。頭が重くて重くて上げられないったら。。
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Monday, July 04, 2005
独立記念日のボストン、50万人が観る野外コンサートと花火でアメリカ人愛国心の源を見せつけられる
朝9時に、おなじみ学友のビッキーさん(アメリカ人、ミネソタ州出身)と待ち合わせして、向かった先はチャールズリバーの土手。街中が、祝日ムードでむんむんの今日、眠い目をこすりこすり、ちんたら歩いてたどり着いた先はすでに人、人、人。。
何のことはない、きょうはジュライフォース。ここチャールズリバーの土手広場「エスプレナード」に設置された野外ステージでは、毎年独立記念日には恒例のボストンポップス無料コンサートが開かれるのであるが、それは午後8時から。じゃあ何でこんなに早く広場に来たのかというと、夜の入場に必要な整理券が朝から配布されるから。この整理券、昼前にはなくなってしまうそう。写真は、整理券と共に配布される今晩のプログラム。
このパンフ、中を開いてまずこの方がどーん!。「ボストンのエスプレナードで独立記念日を祝うために集った人々に、ご挨拶を申し上げます」こんな書き出しで始まっている署名入りのレターはもちろんジョージ・W・ブッシュ殿から。これを見て一気に体内さぶいぼ指数がどっ、と上がったため動揺しビッキーに「ジョージ・Wってさ、何か猿っぽくない?」とかなんとか言ってみたんだけれど、ビッキーには何だかはぐらかされた。仲良くはしていても彼女もやはりアメリカ人、自分の国の大統領のことは冗談でも悪く言われたくないのか?どうやら失言したようだ。。もう言うまい、少なくとも今日一日は。。
―――夕方になり、コンサートの3時間も前に広場に再入場してみると、そこはすでに人々のレジャーシートやキャンプ用テント(!)で一杯となっていた。聞くところによると、こうした「ピクニック組」の人々は午前中に来て、そのまま家族全員でこの広場で夜まで開演を待ちながら過ごしているというのだ。クーラーボックスにはビールやコーラなどの冷えた飲み物、さらにパンやソーセージを持参してサンドイッチなど作りながらわいわいとやっている。テントは陽射しをさえぎるのに役に立つし、中で昼寝を決め込むことも出来るから意外と快適そうだ。私とビッキーさんは、持参したバスタオルやヨガマットを敷いて、その上でひたすら日が暮れるのを待った
中にはアンクルサムの帽子を被ったやる気満々の人々も居た。きょうは街中の人がスターズ&ストライプスを身に着けている。私にとって、9・11以来星条旗は「対テロ戦争の行き過ぎた武力行使」の象徴としてか見れなくなっているが、その星条旗をモチーフにしたアイテムを、こんなにも多くの人が誇らしげに身に着けている風景は何だか不思議に思える。
場内にはやぐらが組まれ、CBSテレビの生中継クルーが配置されている。豪華10カメスイッチングである。この野外コンサート+花火は、今晩全国ネットで生中継されるのだ。この巨大なプロンプターを見よ。CBSの司会者用で、10mほど離れた舞台からも読めるようになっている。
ようやく8時となり、ボストンポップス指揮者のキース・ロックハートが現れた。キースに関しては、ボストングローブが昨日特集記事を載せたのだが、それには彼が女性関係にだらしないことを本人が認めたかのように書かれていた。ここまで書いちゃってきょうの指揮は大丈夫?とまで思ったほどだ。ちょっとがっかりしたが、ファンなことには変わりはない。きょうは間近でスイート・キースが見られて感激である。
日が傾き始め人々の興奮が頂点に達した頃、まずはあの曲の出だしが厳かに流れ出し、場内を埋め尽くしたピクニック気分の人々が、驚くほどの統制でざざっと一気に立ち上がって左胸に手を当てた。あの曲、それはアメリカ国歌。私も仕方なく立ち上がったけど、ついていけまへん、とてもとても。最後の節が流れ、私の「サブいぼ指数」が頂点に達した頃。。
頭上をものすごい爆音がつんざき、4機の戦闘機「イーグルス」が見事なタイミングで、隊列を乱さぬまま野外コンサート会場の真上を飛び去った。「フライオーバー」と呼ばれるイベントである。す、すげーけど、こ、怖えー。ケープコッドにある空軍基地から飛んできた102航空師団のパイロット達が操るのはF15。パンフに書かれたデータによると、9・11発生時には直ちにNYの燃えさかるワールド・トレード・センターまで向かい、さらなる敵からホームランドを守るため空の防御活動にあたった精鋭のF15師団らしい。
舞台には、ボストンポップスオーケストラと共演する陸軍バンドとソルジャーズ・コーラス隊の皆さん。軍服姿もりりしく、右斜め45度を見上げて誇らしげに愛国ソング・メドレーを歌います。「This is my country」「God Bless America」「America the Beautiful」「Yankee Doodle」等々アメリカ超マンセーソングの数々。大人から子供まで、もれなくノリノリで口ずさんでいるのには超驚いた。悪いけど、北朝鮮の愛国パフォーマンスと何ら変わりないんじゃないか、と思ったくらい。
途中あまりにノリノリで皆でラインダンスを始めた「アンクル・サム」帽子姿の一団。
しかし、ボストンポップスのソロでは、愛国ソングだけではなく、「スターウォーズのテーマ」や「1812序曲」など映画音楽で聴かせてくれた。スターウォーズが流れたときは、後ろに座っていたカレッジ・キッズが長い棒を持ち出して、ちゃんばらの真似を始めだして、吹き出してしまった。ここまできて、私も昔とった杵柄「吹奏楽部だましい」がうずうずしてしまいキースの指揮に合わせて、指揮の真似をしながらジャンプ!
第2部ステージは何と、カントリーミュージック。「Big & Rich」, 「Cowboy Troy」といった、「いかにも~」な名前のタレントさんが3組登場し、のりのりでカントリーを披露。
最後は、お待たせしました。川からの花火。中国や日本などから買い付けた50トンもの花火を25分間連続で魅せます。しかし「U2」とか「エアロスミス」とかのロックをがんがんにスピーカーで流しながらの花火は日本ではありえない。「しだれ桜」らしきものや日本でよく見る花火の形は識別できるのだが、かかっている音楽はロック、人々の服装は「アンクル・サム」そして、私の腕には午後8時から消えぬサブいぼ。
帰り道、夜11時過ぎにボストンのガス灯に照らされた通りを何万人もの「Patriots」と共に家路につきながら思った。この国は、ここの国籍を持つ人には、すごーく住みやすく自由でいい国で愛国心をかきたてられる国なんだろうなと。でもここを一歩出ると、外の人には、ここの人々は「大国であるがゆえに自分達のことしか知らない、自己中心的な人たち」のように映るんだ。
でも他人にどう思われようと、そんなことは気にしないのも彼らアメリカンの特徴なのであり。。愛国主義がてんこ盛りのチャールズリバーの土手で、星条旗を手がちぎれんばかりに振って愛国ソングを歌って高揚している何10万という老若男女を目の前に、かなり圧倒されてしまった。あなたは、日本をこんなにも愛せますか?
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Sunday, July 03, 2005
明日は何の日?
きのう訪れたスポーツ・バーにもこんな看板があったが、そう明日はジュライ・フォース、「7月4日に生まれて」の日、つまりアメリカ独立記念日。
1ヶ月ぶりに訪れたチャールズ・リバーの土手には、があがあと3匹のCanadian geeseがそろって川にどぼん、するという風景に出くわした。草むらの中から3匹一度にやってきたと思ったら、目の前を通り過ぎてあっというまに水の仲へ。仲がいい。
ジュライフォースには、花火で独立記念日を祝う。花火の前には、土手でボストン・ポップスのコンサートがあり、無料。川の真ん中には、花火をあげるための浮き島が設置され、明日の準備は万端のよう。
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Saturday, July 02, 2005
I feel home!!! ボストンに帰還
6月の間1ヶ月続いたワシントンDC生活も終わり、ボストンに帰郷する日が来た。長かったような、短かったような。この後、7・8月をボストンでの地元TV局インターンに当てる。5月に面接を受けた「N」ネットワークがニュースルームインターンとして受け入れてくれることになったのだ。空の上から見るDCの町並みは非常に整っている。
ボストン到着。空港には、同級生のビッキーさんが車で迎えに来てくれていた。持つべきものは友、われわれはそのまま我が大学寮の裏にあるスポーツ・バーに直行。もちろんそこはボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ球場のすぐ隣。試合のあるきょうのバーは、赤いTシャツを着たソックスファンのボストンっ子で一杯なのであった。そこで、この店の自慢のボストンに関する名前のついたエールを飲みながら、こんな思いで一杯になったのだった。「I feel home!!! 帰ってきたぜ!」ボストンの大学院生として暮して約1年、自分でも驚くほどボストンに里心を持っている自分に気がついたのだった。
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Monday, June 27, 2005
DCインターン最終週はさらなる食い倒れでフィナーレ。
あと1週間でDCインターンも一度終わり!今週はインターン仲間とアフター5も食い倒れ週間である。え?先週もじゃないかって?。。。そうですそのとおりですだ!! Eating is the only fun we can have during the internship..
月曜日 このチーズフォンデュ専門店へは何と2回も足を運んでしまった。これは食前酒としてカウンターバーで出されている陰陽チョコカクテル!
メインのチーズフォンデュはやはり激旨い。いろいろなチーズからお好みをチョイス。具にもいろいろなチョイスがある。
デザートとなるチョコレートフォンデュにも「陰陽」のデザインをされたものがある。食べるのが惜しくなるくらい。
火曜日 行きつけのフォー専門店で食い倒れfor the last time。
水曜日 早朝に支局に召集がかかる。生中継があるためだ。写真はまだ夜が明けないワシントンDC。夜は居候先にインターン仲間が集まって「冷やし中華パーティ」で元気に食い倒れ。
木曜日 パスタ・ピザの店で食い倒れ。
金曜日 前述のチーズ・フォンデュ2回目に挑戦。
--I've eaten up DC!!
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Sunday, June 26, 2005
アンジェリーナになりたい!映画「Mr.&Mrs. Smith」~DCの蛍
Beautifulサンデー。まずは居候先の近くにあるMinh’s というベトナム料理屋でブランチ。かにスパイシー炒め麺が旨い。
このところ立て続けに映画を見ている。本日は「Mr.&Mrs. Smith」。実生活でも「デキている」と噂のブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが組んで夫婦役を演じるアクション。お互いがそれぞれ別に殺し屋業を営んでいるところを知らず、結婚生活を共に送っている二人。ある日偶然お互いがターゲットになってしまい、それぞれの本当の職業がばれたから大変。。この映画、もはやブラピもアンジェリーナの引き立て役。それだけアンジェリーナ・ジョリーがかっこよくセクシーで目が離せない。一度でいいからアンジェリーナみたいに生まれて人生を送ってみたいものだ。アメリカで電話をかけて名乗ると日本語の名前(に限らず外国風の名前は)は、聞き取ってもらえないことが多いのだが、この際いい女の名前を借りて「マイ・ネーム・イズ・アンジェリーナ、A-N-G-E-L-I-N-A」とでも名乗ってやろうかと思うほどである。やらないけど。。
DCでは夕暮れ時、美しい日本語では「逢魔が時」とでもいうのだろうか、時刻が夕暮れから完全な暗闇にまさに変わろうとする時間を狙って、蛍が飛ぶ。芝生の上に何か光ったな、と思うと控えめな灯りをちらっちらっと灯す蛍なのである。何もかもがはっきり、くっきり、明快でなければいけないこの国で見かける不思議であいまいな物体、なかなか風流である。
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Saturday, June 25, 2005
「BEWITCHED(奥様は魔女)」鑑賞~もちアイスの不思議
毎日毎日食べ歩きばかりしていてすいません。ブッダ様お許しを~!この赤い「大仏ランプ」は、日曜日に出かけた「Urban Outfitter」という店で発見。すごいインパクト!
おそろいで蓮の花型のキャンドルホルダーはいかが?「アーバン・アウトフィッター」は最近”スタバ”並に増殖している、古着風のカジュアルお洋服と若者向けインテリアグッズの店。この他にも、日本の「裏原宿」風なヒップで可愛いTシャツとか、ジーンズとか、バッグとかが売られている。値段設定は意外と割高なのがミソ。
ところで本日も映画鑑賞。二コール・キッドマンの「BEWITCHED(奥様は魔女)」の封切日なのだ。ウィル・ファレルがコメディ俳優ぶりを存分に発揮、二コール・キッドマンがお綺麗。二コールの魔女が魔法を使うときの「ティキティキティ」(唇を左右に動かす)って、練習してみたけどできそうにもない。映画はパンチにかけるものの、まあまあ楽しめた。
すしディナー。食後に抹茶もちアイスと緑茶など。アメリカの日本食材店には「雪見だいふく」もどきの”もちアイス”が必ずといっていいほど売られていて、大変人気がある。こうしたもちアイス、明らかに日本製ではない「コピー商品」が多く、中にはもちの皮が薄くて、そんなにおいしくないものもある。しかし、アメリカ人の間でも「もーっちー・アーイス!」などと発音して、結構ファンな人は多いのである。。不思議。
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Friday, June 24, 2005
エチオピア料理と「バットマン・ビギンズ」
きょうもアフターファイブにインターン仲間と遊び倒す。なんだかこのblogがだんだん「ジャーナリズム的生活」からかけ離れ「食べ歩き的生活」に近づいているような気がするが、ドンマイ、ドンマイ。本日はアフター5にエチオピア料理の店で新しい味に出会う。チキンやビーフ、ゆで卵を半分に切った具を、カレーに似ているけどちょっと違うスパイスで煮込む料理。顔の2倍くらいの大きさに平たく焼かれた、ふかふかの「クレープ」みたいなものですくいながら手で食べる。うっめー!
ジョージタウンのカレッジキッズで一杯のシネマコンプレックスで「バットマン・ビギンズ」を見ることにした。何かと話題の多い映画であるが、一言で言うと駄作。あんなにいろいろな俳優をそろえておいて、これだけつまらない映画も珍しい。トム・クルーズの新しい嫁候補(兼 新興宗教メイツ)のケイティー・ホームズは確かに“かわええー”けどあんまり印象に残らない。日本人の期待の星、われらが渡辺“ラストサムライ”謙さんも、物語の最初のほうで死んでしまう上に、セリフ少なすぎ。なんだよ、って感じ。
クリスチャン・ベールのバットマンはというと、今回は新シリーズの始まりだから「バットマンの出来るまで」もしくは「バットマンの作り方」を裏側までとことん見せてくれるのはいいんだけど、その部分が長すぎるの。「すかっと」するアクションを期待して見ているんだから、もっと早めに見せ場を設けるべき。バットマンが「こうもり型手裏剣」とかを、夜な夜なとんかんとんかん(!)手作りしているところとか、あんまり見たくなかった。。
唯一、敵役「スケアクロウ」を演じたキリアン・マーフィー君だけが、不気味でいい存在感醸し出してたけど。哀愁漂うブルーの瞳と黒髪、エキゾチックな顔立ちが魅力的なアイリッシュ・ボーイの彼、「真珠の耳飾りの少女」の少女に思いを寄せる肉屋の息子を好演していたり、話題作への出演がぞくぞく。これからもテロリスト役を演じる「Red Eye」に主演など目が離せない。
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Thursday, June 23, 2005
VIETNAM GEORGETOWN
やばい。インターン仲間と食べ歩きが止まらない。きょうはジョージタウンまで行ってこぎれいなベトナム料理屋にトライ。しかし、味はいつも行きつけの別ののベトナム麺専門店のほうが美味しかった。
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Wednesday, June 22, 2005
クスクスランチにトライ~モールをひたすら散歩。
きのう仕事をしたMカメラマンに「クスクスカフェ」という名前の地中海レストランを勧められたので、きょうはここでテークアウトしてランチ。あまりにおいしいものに出会うと、写真を撮るのを忘れたので写真はないが非常においしいランチボックスでした。
アフター5に米首都機能を司る建物が集中したエリア「モール」をひたすら散歩。ドル札に書かれた国会議事堂ビルを目指してひたすら歩く。
議事堂からワシントンモニュメントを振り返る。「地球の歩き方」によるとこのモニュメントから国会議事堂までの東西の距離は3・5kmもあり、歩くと小一時間、とある。それを予め知っていれば・・知らずに歩いて非常に疲れた。
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Tuesday, June 21, 2005
米農務省次官に「恫喝」された衆議院議員のセンセー達。
きょうは日本からUSDA(アメリカ農務省)に対しBSE問題の全頭検査を促すロビー活動のために渡米している衆議院議員のセンセー方が、活動の成果を会見するという。そこで、多忙な支局の特派員の方の代わりとして記者会見場に赴くことになった。
きょうのカメラマンはMカメラマン。ボストンの出身だそうで、一気に意気投合する。しかも私が先日インターンの面接に行った地元ケーブルTV局「N」で働いていたことがある。CNNで現在ホワイトハウス特派員として活躍するスザンヌ・マルボーという有名な若手女性記者がいるが、「彼女とは昔ボストンの「N」局で一緒に働いていた。彼女を育てたのは俺。」とのこと。へえ~。
アメリカ牛に関しては、BSEの全頭検査をしてくれれば輸入を再開してもいいという日本政府の態度と、全頭検査は必要ないというアメリカ政府の態度が完全に食い違って現在に至る。日本の吉野家で牛丼が食べられなくなって17ヶ月あまりが経つわけだが、事態は解決に進む気配がない。そこでセンセーたちがこうしてワシントンくんだりまで来て、いったいどうなっているのか調べにきたわけだ。
記者会見が始まってしばらくすると、衝撃の事実が明らかになった。なんと農務省まで赴いてわざわざ説明を求めた老議員4人達が、BSEに関する話題を切り出したところ、アメリカ農務省のペン次官に半ば「恫喝」まがいの口調で対応を受けたというのだ。アメリカ農務省も日本が牛肉を輸入してくれないことで、切れかかっており忍耐の限界、ということらしい。そこで老議員達も、さすがに「すわ」と全員で次官に噛み付いたそうだ。食べ物に関してセンシティブな日本人には、このままの状態ではアメリカの牛肉は買えない。どうもアメリカ人にはそれが分かっていないようで。このような記者会見を見ていると、いまだに日米のBSEに関する温度差というか、すれ違いはまだまだ解消されないように思える。だいたいアメリカ人自体が、あまりBSEのことを気にしていない。なぜかと思うのだが、牛肉は彼らにとって毎日のおかずのメインに近い食物だからだろうか。BSEのニュース自体、それほど目立つ報道がされていないのが不思議だ。日本人が「今までかなりアメリカ牛肉を食べてきたから、知らないうちに脳がスポンジ状になっているかもね」なんて冗談で言っているところを、このUSDAのペン次官に見せてあげたいくらい。
さらに、この議員達のUSDA訪問のたった数日後にアメリカで2頭目のBSEが発見されたのであった。吉野家ファンの皆さん、まだまだ日本で牛丼にありつける日は遠いようですよ。。
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Sunday, June 19, 2005
ホロコースト博物館見学〜ウオーターフロント・フェスティバルへ
よく晴れて気温はゆうに30℃を超える暑い日曜日。きょうもワシントンDC滞在を利用して、一人観光と決め込むことにした。東を国会議事堂、西はポトマック川にかこまれたエリア,]「モールMall」と呼ばれるDCを象徴するエリアに到着。澄み渡った青空と白い雲の中にワシントン・モニュメントがそびえ立つ。
11時過ぎ,Holocaust Memorial Museum (国立ホロコースト記念博物館)にたどり着く。ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺など、ある特定の民族を対象にした組織的大量虐殺(=genocide)に関連した展示ばかりを集めた博物館。この博物館がユニークなのは、暗い展示室、間接照明に浮かび上がる犠牲者の写真、収容所の入り口を模したエレベーターなど、閲覧者が収容所を体験するかのような造りになっているところ。まずは入り口で、ナチスに虐殺されたユダヤ人の写真入りプロフィールを記した紙の「パスポート」を受け取る。パスポートは一人一人違う内容のものを渡される。今日一日、彼や彼女になりきって展示を見てもらおうという試みだ。
館内はショッキングな展示の連続。虐殺されたユダヤ人の死体の写真のパネル、ナチスがゲルマン民族を世界一優秀だとして、ユダヤ人を人種差別するために使ったプロパガンダのビデオ・広告、そして強制収容所でユダヤ人が着せられていた服や食器や、虐殺風景のビデオまで、ありとあらゆる「ホロコースト」に関する展示が行われている。展示室の最後は、黙祷を捧げる部屋となっていて(写真)、黒い御影石の巨大なパネルの周りにろうそくをともし祈る人もいる。
大変興味深い博物館であったし、これがアメリカの首都にあり、アメリカ全土から来る観光客向けに公開されているところに意義があると思う。しかし、一つ気になったことがある。それは展示の最後が「ところで、こういうナチス・ドイツの暴走を止めたのはアメリカ(とイギリス)なんです。」という内容で終わっていたところ。「米英軍のドイツに対する勝利と収容所の解体、ユダヤ人の解放」までで展示は終わっているのだが、誰もが「アメリカってえらい」と思って展示室を後にするような仕組みに見えた。私の頭からは、「じゃあ今アメリカがイラクでやってる事はどう説明するんだよ」という疑問が離れなかった。(一口メモ:常設展示を見るには整理券が必要なので注意。インターネットで予約してから行くのがお勧め)
午後には地下鉄とバスを乗り継いでDC郊外の古都、ヴァージニア州アレキサンドリアまで。ここで「ウォーターフロント・フェスティバル」というものが行われていると知り、足を伸ばした。オロノコ・ベイというポトマック川べりのちょっとした湾ぞいの公園に露店が出て、ちょっとした夏祭りのようなものが開かれていたのだ。湾ぞいに吹き込む風が心地よい。
歴史的な帆船「ガゼッタ」の展示も行われていた。実際に中に乗り込んで見学する事が出来る。
このガゼッタ、実は映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の撮影に使われた事があるとかで、ブラッド・ピットが撮影に当たった際の写真が展示されていた。へえー。
夕刻には、フェスティバルの特設野外ステージで行われたジャズの生演奏を聴く 。アメリカ人ってこういう野外イベントを楽しむの、本当にうまいなあと思う。専用の折り畳み式デッキチェアーを持参したり、クーラーボックスに冷えた飲み物を持参したり。私は 生ビールなど手に入れてほろ酔い気分で芝生に横になり、太陽と音楽と水辺のさわやかな風を思う存分楽しんだ。爽快な夕暮れだった。しこたま日焼けしてしまったが。
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Saturday, June 18, 2005
休日・ジョージタウンへ!
土曜日。きょうは一日一人でジョージタウン近辺を探検する。その前にまずは地元のフォーレストランでブランチ。おいしくてヘルシーなベトナム麺、スープまで一滴残らず平らげる。
ジョージタウンに行く前に「プライド・ペット・コンテスト」というドッグショーが開かれていたので、立ち寄る。ワシントンDCのペット保護団体が開いたゲイのドッグオーナーを対象にしたユニークなドッグショー。写真は「ミステリアス部門」で入賞した犬達。いろいろな血統の掛け合わせで、どの品種だかわからないところがミソらしい。
オーディエンスを観察すると、よりそうゲイのカップルを発見。熟年男性の二人だ。ゲイのドッグオーナーが対象なのだから当たり前なのだが。
これは「一芸部門」で優勝した犬の芸、飼い主への「ジャンピング・キッス」見事!
寄り道はほどほどにし、目的地ジョージタウンへ向かう。道すがらは高級住宅街。「サザビー」の不動産部門の立て看板が立つ家など、歴史的に価値あるらしき家並みが続く。
由緒ある大邸宅を改造したパーティーハウスで結婚式を挙げようとするカップルを発見。写真には、ツーリストの私に眉をひそめる花嫁の父ちゃんも写っている。(幸せなんだからいいじゃーん。。)
ダンバートン・オークス庭園に到着。1944年、国際連合設立のための準備会議が開かれるなど、由緒ある場所。
庭園は10エーカーで11の池、9の噴水を持つ。
1920年、当時のアルゼンチン大使の贅を尽くした邸宅の一部として作られたというこの庭園、バラが咲き乱れ、
噴水の彫刻が信じられないくらい美しい空間。ワシントンDCとは思えないような静けさが辺りを支配している。
奥へ進むと、人々が思い思いの場所でただ本を読んでいる。中には教科書を読んでいる学生とおぼしき人もいた。この庭園、入り口に「年間パス」という表示があったが、それはこうした学生のためなのか。
ジョージタウンはお買い物タウンであると共に、名門ジョージタウン大学のおひざ元。写真は街で見つけた美しい壁画。
街の南には、川べりなのだが「ワシントン・ハーバー」と呼ばれる場所がある。ポトマック川のリバーフロントのことなのだが、川を眺めながら食事が出来るおしゃれなレストランやバーが沢山あるのだ。きょうはここの波止場から出航する「ポトマック川クルーズ」に参加し、サンセット・キャピタル・クルーズと決め込む事にする。9ドルでワシントンの主要建物を川越しに眺める事が出来る。約50分。
クルーズ後は、ジョージタウンに立ち並ぶワールド・レストランの中からフレンチビストロをチョイス。一人ロゼワインにチキンのコルドンブルーで乾杯。ビバ休日、遊び倒した一日。
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Friday, June 17, 2005
人事異動シーズンと食欲に走る私。
支局にぞくぞくと新しい特派員が赴任。人事異動のシーズンなのだ。きょう到着した方は、支局にたどり着くまでに迷ったのか、着くなり廊下で遭遇した我々インターンに「支局はここですか?」と尋ねていた。その様子がおかしくて、なんだか笑いがこみあげてきた。
きのうの失敗を忘れるべく(?)食べ物に走る。イタリアンの「Tomato」は5月に面接にDCを訪れたときにも、店が醸しだす雰囲気のよさにふらふらと惹かれて食事に行った。パスタ、デザートまでぺろり。
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Thursday, June 16, 2005
ホワイトハウス前の取材に同行、しかし。。
夕方、取材に行く支局のAカメラマンに同行できることになった。
ジョン・コンヤーズ氏という民主党の下院議員が”ダウニングストリートメモ”の件で、ホワイトハウスに説明責任を求めるためにブッシュ大統領に宛てた56万通の嘆願書を集めた。”ダウニングストリートメモ”とは「イラク侵攻の口実を作るため、ブッシュ政権は情報を捏造していた」という英国MI-6長官の驚くべき報告が書かれた極秘メモのこと。英国では、サンデータイムズ紙で暴露されたが、米下院ではコンヤーズ下院議員を中心に、ブッシュ大統領への疑惑追及準備が進行していた。きょうはコンヤー議員が嘆願書をブッシュ大統領に届けるべく、ホワイトハウスの門まで提出しに来るという。一種のパフォーマンスだが、デイリーニュース的には絵になる映像だ。こうしたニュースは通常カメラマンが一人で絵を撮りに行く。しかし今回は各局のカメラが集中して混乱が予想されるので、私が荷物番として同行したわけだ。
ホワイトハウス前は、すでにコンヤーズ氏を加勢しようとする反戦プロパガンダ団体で一杯だった。写真のような黒い囚人服の仮装をしてホワイトハウスを背景にポーズをとる活動家や、
「ブッシュよ恥を知れ、お前の嘘のせいで彼らは死んだ」などというプラカードを掲げて、メディアのカメラに積極的にアピールする反戦活動家もいた。カメラを向けると喜んでポーズをとってくれる。
しかし、少数派だが戦争賛成派のプロパガンダ団体の活動家もすみっこで活動をしていた。写真は「サダムが嘘をついた。だから100万もの人が死んだ。」とプラカードを掲げる人。
ここまででお気づきだろうか。そう、私はすっかり某放送局のインターンであることを忘れて、いつものように自分が主体となって取材をしているかのような気分でいたのである。それがまずかった。そのせいで、ある失敗をしてしまったのである。その失敗とは。。
。。私と某局のカメラマンは、一緒にコンヤーズ議員が嘆願書を持ってホワイトハウスの門に現れるのを待っていた。ところが議員はなかなか現れない上に、議員を支援する反戦デモが少し離れたところで始まった。議員が到着し、「嘆願書提出のパフォーマンス」をする時刻はとっくにすぎている。支援する反戦活動家達は議員を待ちきれず、輪になってデモをはじめたのである。議員が到着しないのなら、この時間を利用して反戦デモを撮れば絵になるのではないか。私の過去の取材経験から、そうとっさに思った。
そこで私はAカメラマンに活動家の集まりの中に三脚を立ててはどうか、と提案した。カメラマンも同意し、反戦スピーチが始まった演台の上にワイヤレスマイクも設置した。しばらく経った頃だろうか。カメラマンは、やはり「議員の”入り”が気になる。手持ちカメラでもう一度ホワイトハウスの門の前に行ってみる。」ということになった。私も、カメラマンと一緒に門の前で待った。すると、やがて、議員は仲間の議員と一緒に白い嘆願書の束を抱えて現れた。
「後ろ歩きするから、私の腰を後ろから支えながら引っ張って。」アメリカ人のAカメラマンの指示に夢中で従ったつもりだった。こちらに向かって歩いてくる議員一団を、βカムの重いカメラを担いだカメラマン10人前後が一斉に後ろ歩きで撮影する様子は、壮観だった。だから、私はその風景の写真を撮った。いつものように。このblogのために。カメラマンを支えながら、首から下げた愛機カシオのエクシリムで「テディログ」のためにこっそり写真を撮った。
Aカメラマンが振り返った。「君、写真を撮っている場合ではない。」こう聞こえたようだったが、すぐに20人以上のアメリカ人記者がコンヤーズ議員にインタビューをしようとする声で、それはかき消された。Aカメラマンは、どうも私の腰の支えが不安定だったので、後ろ歩きが不安だったらしいのだ。それは申し訳ないかったと思う。私はディレクター歴約9年(アシスタントも入れる)だが、カメラアシスタントの経験はないのだ。完璧を求めるほうが間違っていると、Aカメラマンも気づいたらしかった。しかし後ろでこっそりやっていたつもりなのに、デジカメで写真を撮っていたのはばればれなのだ。「あなたがblogをやっているのはわかるけど、今は集中して」まずそう怒られる。誓って言うが、写真を撮っていたから支える力が甘かったわけではないのだ。今は写真を撮ってる場合ではないことは、身にしみてわかっていたからこそ、こっそり撮って仕事に集中しているつもりだったのに。Aカメラマンと仕事をするのは今日が初めてなのだから、私という人間を知る訳もないのだけれど。TV業界9年生の私がこんなくだらないことで怒られるとは正直、屈辱。しかしAカメラマンの不安な気持ちもごもっとも。まずあやまる。TVの取材現場は、カメラを持つもの、マイクを持つものの独壇場。この現場では、私は今はマイクを持つことも、カメラを持つことも許されていない身。わかってはいたはずなのに。
しかし、この後さらなる悲劇が起きAカメラマンをさらにupsetさせてしまう。
無事議員のぶら下がりをとり終えたAカメラマンは、ホワイトハウス前の芝生に円陣を組んだ200人もの反戦活動家の中にしつらえられた演台で、嘆願書提出についてスピーチをするコンヤーズ議員の追加映像を撮影に行った。私は、Aカメラマンの残りの機材一式を乗せたカートを抱えて、Aカメラマンがいつでも私を探せるような位置でスピーチを聞いていた。いや、探せるような位置でスピーチを聞いている、つもり、だった。あまりにスピーチが面白く、手には思わず手帳を出し、スピーチをメモることに熱中していたことは、認めよう。その間になんとAカメラマンが、テープもバッテリーも交換が必要になった。しかしAカメラマンは、私を見つけることが出来なかった。歩いて数歩の位置にいたのに、反戦活動家の中に、うずもれてしまっていたのだ。
その頃私は、「そろそろテープは足りなくならないだろうか?カメラのバッテリーは?」と気にはしていた。だてに今まで東京の経済ニュース局向けにこれまでビジネス・ニュースを1000本以上取材しているわけではないのだ。それぐらいのことは分かっていたが、何も言われていなかったので、テープはカメラマンがポケットに入れているのだろう、くらいに思っていた。自分の居る位置も、必ずAカメラマンが見つけられる場所だ、と確信していた。
反戦スピーチがはじまって15分が経過しただろうか、携帯電話が鳴った。支局からだった。支局の主力インターンのMちゃんから。「Aカメラマンが、あなたとはぐれたといっています。」何?いやな予感は的中していた。Aカメラマンに電話を掛けようと思って、Aカメラマンの携帯電話を預かっていることに気がついた。Aカメラマンの伴侶が仕事の都合でロンドンに出張中だとかで、時差の関係上まもなく電話がなるから必ず鳴ったら取ってくれ、と携帯電話を預かったのだった。Aカメラマンは新婚。
まもなく、群集をすこしはなれたところで、Aカメラマンと会えた。明らかに、Aカメラマンは気が動転しているようだ。「テープも、バッテリーも切れているのにあなたはどこに行っていたの?」そう言われて真夏のワシントンDCの、ホワイトハウスの前の芝生広場で、血の気が引いた。少し、時間が止まったように感じた。
名誉のために言っておくが、考えられないような場所でAカメラマンを待っていたり、さぼっていたわけではない。たまたま、群集の数が多すぎて、埋もれてしまっていただけで、十分見つけられる場所にいたのだ。しかしAカメラマンが携帯を私に預けっぱなしだったり、群集の動きが読めなかったりで、Aカメラマンと私はすれ違いになってしまった。その結果、テープがないのに、替えのテープを乗せたカートが見つからずコンヤー議員の演台でのスピーチの後半のある部分を撮影できなかった、というわけだ。他局が当然撮れているだろう重要なスピーチのある部分が、インターンである私のミスで撮れていないなんて、Aカメラマンとしては耐え難い屈辱だろう。
とにかく、私は謝った。正直に起こったことを告げた。私が100%悪いわけではない、それはAカメラマンも理解してくれた。しかし、いろんな不幸が重なってこうなったのだが、撮れていないものは撮れていないもの。その原因を作ったのは、まさに私設blogのための写真をこっそり撮ったりしながら、プロの取材に参加していた私なのだから。
幸いにも、支局に帰った後で、このスピーチの重要な部分はテープが切れる前に納められており、テープが回らなかったところはmust takeではないことがわかったのだが、後味が悪い思い出になってしまった。Aカメラマンにとっては、私は「重要な撮影のときにデジカメで写真を撮っていた使えないインターン」でしかないのだ。TV業界は一度だって間違いをする奴は致命的なのだ。秒単位で仕事をする生放送の世界ではいつでも何時でも、間違いなく仕事をする人が尊ばれるものなのだ。十分に知っていたはずなのに。
私が、もしこの現場に自分の取材で行っていたとしたら、自分で原稿を出稿して、現場で起きたことをバランスよく盛り込んだ2分弱の映像リポートを作るために行っていたのだとしたら、こんなことは決して起きないだろうに。しかし私は今、責任も原稿を出稿する必要もない、いちインターンなのだ。失念である。Aカメラマンの信用を失った上に、自分のプロとしての能力すら疑われかねない行動を取ってしまったことが恥ずかしい上にくやしい。
けれど、しっかりとその時に撮った写真はこのblogに載せることにする。非常識と思われるかもしれないが、「私は自分が主体となって取材がしたいのだ!」という純粋な一心から、今回の悲劇が起きたのだ、ということを証明するためだ。しかし、インターンはいろいろな会社を経験するために設けられた貴重な制度だ。今は自分の立場をわきまえなくてはならない。ただ、これだけは言える。早く自分ならではの取材がしたい。映像でプロとして自分しか出来ない物語を語りたい。それができないインターンの自分がもどかしい。
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Wednesday, June 15, 2005
もういいよマイケル・ジャクソン。。
マイケル・ジャクソンの裁判が終わり、おととい月曜日に判決が出て無実に。13歳の男の子に性的虐待をした疑いのほか、犯罪を目的に未成年に飲酒をさせた罪など10の罪状で起訴されていた。米主要TV局は朝から判決の予想などをずっと放送していた。
陪審団が評決を言い渡した後、マイケルには評決を聞くためにサンタ・マリア裁判所へ向かうための時間が1時間与えられた。しかし、マイケルは自宅の「ネヴァーランド」から20分以上遅れて到着。その模様までいちいちTV局が大騒ぎしながら中継。。はあ〜。大方の見方では罪は免れないとされていたマイケルが無実になったのは驚いたけど、もうこの白ーい顔をニュースで見なくてもいいと思うとうれしい。もういいよ、マイケルって感じ。写真は判決を聞いた後、ネヴァーランドに向かうため車に乗り込む前にファンの前で手を胸に当て、支援への感謝の意を表すマイケル。性的虐待があったのか、なかったのか、本当のところは薮の中。。
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Tuesday, June 14, 2005
”スーパーサイズミー”監督の新しいTVシリーズ視聴。
映画「スーパーサイズ・ミー」でヒットを飛ばしたモーガン・スパーロック監督の新しいドキュメンタリーを見た。今度はTVシリーズだ。タイトルは「30 Days」。“人間は30日で生活習慣を変えられるか?“がテーマ。スーパーサイズ・ミーでは”1ヶ月マクドナルド食だけですごしたら人間の健康状態はどうなるか?“がテーマだったが、それにヒントを得て、30日間だけ「これをやってみたい」という一般人を募集。その人たちに何が起こるかを、毎回1時間番組で追いかけて行くリアリティー・TVである。毎週テーマは異なり、「最低賃金バイト生活で生きていけるか」「ホモ嫌いの男がゲイコミュニティーで生きていけるか」「パーティー大好き酒飲み娘の生活を母親が体験」といった回がある。日本のバラエティー番組「ココリコ黄金伝説」が、今回のスパーロック監督のTVシリーズに近いかもしれない。
私が見た回のテーマは「中年夫が30日でたるんだお腹を元に戻し、性生活に対するやる気を取り戻す事ができるか?」30代の元アスリートのサラリーマンが、「もう一人子供が欲しい」という妻の願いもあって、体重を減らし男らしさを取り戻すために、医師の処方で“アンチ・エージング・ドラッグ”を投与される。しかしこの“アンチ・エージング・ドラッグ”、とんでもない副作用があったから大変。男性ホルモンに似た成分を含んでいるので、怒りっぽくなり好戦的な性格になってしまうのだ。薬を投与して2週間以上後、さらなる薬の副作用を恐れた被験者夫婦は、夫の精子の機能を調べてみようと産婦人科に行く。すると、薬の投与前には問題がなかった夫の精子が、100%死んでいる事がわかる。かくして男らしさを取り戻す実験は、30日を待たずに被験者の希望によってとりやめになってしまう。。
今回のエピソードは「金さえあれば若さや美しさも取り戻せる」と考える人が多いアメリカ人に警鐘を鳴らす番組といえるだろう。“お金で買える美しさは、健康状態を脅かすほどの危険な代償を伴うこともある”ということ。 でもそれをわかってない人がほんとーに多いのがアメリカ。写真はワシントンDCの地下鉄で見かけた広告。「妊娠がわかってからきちんと食べ始めるのでは遅いのでは?」と思わずにはいられない。人工的美容、金満主義、飽食が溢れかえっているアメリカで、スパーロック監督のようなリアリティーTVは貴重。他の回のテーマも、“世間知らずのお山の大将“であるアメリカ人に「他人の気持ちになって考える」ことを教えるようなものが多いように思う。他のエピソードにも期待したい。
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Monday, June 13, 2005
静かな月曜日。
北朝鮮に拉致されて日本に帰国した曽我ひとみさんの夫、元アメリカ兵のチャールズ.ジェンキンスさんが、アメリカに40年ぶりに帰国する様子は、アメリカでも一応ニュースの"端切れ"として取り挙げられていた。ノース.カロライナに住むお母さんに会いに行くのだという。しかしCNNを見ていたら、プライムタイムアンカーのAnderson Cooper氏は「ジェンキンス」というラストネームを読み違えていたし、取材記者のビデオに出てくる地元ノースカロライナのベテラン(元兵士)のおじいさん達の「ジェンキンスこき下ろし」インタビューは出てくるし、トーンがかなり辛辣。「祖国を裏切りやがってこの野郎」的なリアクションが、ジェンキンスさんへのアメリカ人の素直な感想なのだろう。
夜、支局の一握りのスタッフと共にDCのダウンタウンに飲みに行く。日本人と飲んでいるというだけで、また、働いた後に飲んでいるというだけで、なんだか東京にいるような錯覚に陥った。写真はワシントンナショナル空港、別名レーガン空港(Ronald Reagan Washington National Airport=it was named after former President Ronald Reagan in 1998)=日本でもし羽田空港が「田中角栄空港」になっちゃったら、と思うと気が気でなくなるような名前だ。
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Sunday, June 12, 2005
Return to DC..

ハーバード大学近くにカレービュッフェを食べに行く。スパイスの効いたカレーが食べ放題で一人12ドル(weekend)。インド人でにぎわう通の店だ。

再びワシントンDCへの帰路につく。ゲイの皆さんのことはしばし忘れて再びアメリカの中枢を担うDCでメインストリーム,コンサーバティブ,アメリカ政治にどっぷり浸る毎日に戻る。
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Saturday, June 11, 2005
8000人がゲイの市民権のために行進「ボストンプライドパレード」
ボストンのゲイパレードが始まったのは、今をさかのぼること35年前の1970年。その当時はパレードの参加者は100人程度しかいなかったという。きょう開催の第35回ボストンプライドパレードの参加者は8000人、沿道を埋め尽くす見物客は20万人にものぼった。NYやサンフランシスコのパレードからすると規模では劣るものの、それだけボストンのゲイ達が「クローゼットから出て来た」ことの象徴が、このパレードだ。もちろん2004年5月にマサチューセッツ州で同性婚が許可されたことも、パレード規模拡大の大きな後押しとなった。
さて、きょうのためにインターンをしているワシントンDCからわざわざ帰って来た。張り切って大学のデジタルムービーカメラ「ソニーVX2000」を持ち取材に向かう。きょう一日の「一人ゲイパレード取材ドキュメント」を記すことにする。
AM10:00 パレードの開始地点であるコープリー広場の近く、歴史あるオールドサウス教会で特別礼拝が行われた。以前も書いたが、ゲイ・レズビアンはキリスト教(主にカソリック)では「罪」とされている。
この礼拝はプライドパレードに先立って、宗派・信仰を超えてゲイピープル達が教会に集うもの。
ゲイ達に寛容なカソリック牧師・プロテスタント牧師の説教、ジューイッシュのヘブライ語のお祈りから、アメリカ人のお坊さんによる仏教の「南無阿弥陀仏」まで、ありとあらゆる宗教のお祈りが短く行われた。
さらに、マサチューセッツ州の議員でゲイライツ推進派の若手議員、ジャレット・バリオス氏が演説を行い、教会を埋め尽くすゲイ・レズビアンカップル達は一気に盛り上がった。

AM11:30 パレードのスタート地点にて、パレードの警備をするボストン警察の白バイ。準備は万端か。
同じくパレードのスタート地点にて、息の合ったダンスパフォーマンスを発見。ミリタリールックに白い銃を持ち、ダンサブルな曲に合わせてサングラスをかけたゲイメン30人ほどが一斉に踊る。見事。
AM11:45 パレード開始15分前。ボストンのトーマス・メニーノ市長を発見。地元のTV局にインタビューを受けているところを後ろから撮影していたところ、ちらちらとこちらに視線を送ってくるではないか。そこでマイクをさしかけ「ボストン大学の院生をしています、テディです。ボストンのゲイコミュニティーの存在について、どう分析しますか?」と、突撃インタビュー。「ボストンのゲイコミュニティーは、医療、教育、法制といった他のコミュニティーと一緒で、決して分けて考える事は出来ない。市長としてゲイ・レズビアン達の平等権をこれからも守って行く。ゲイ・レズビアン・ストレート、皆で市を良くする為に働こうではないか」というコメントをいただいた。「マンボー・メニーノ」というあだ名のある市長、“まふまふ”言っていてスピーチがよく聞き取れないことで有名だが、やはり間近で聞いても不明瞭なしゃべりだった。
PM12:00 パレードスタート。先週取材したMoving Violationという女性バイクサークルのメンバーが、勇ましくパレードを先導する。
パレードの先頭は、先ほどのメニーノ市長。マサチューセッツ州で同性婚が許可されてから1年。今年のパレードのテーマは''Pride in Progress . . . What's your fight?"(プライドは続いている。あなたの闘いは何ですか?)
ドラァグ・クイーンのお姉様達。「No Bush」と書いた女性用水着を着ている。人気者で写真を撮る人続出。
Parade Marshallを務めるのは、ボストンゲイパレードの創始者で、地元レズビアン・アクティビストのアン・マクガイアさん。
ゲイパレードは,地元の政治家にとっても存在感をアピールする格好のチャンス。「われわれはゲイライツを擁護しています」というサインを見せ、地元民の支持票を獲得するのが狙い。メニーノ市長を蹴落として次期市長就任を狙う女性候補モーラ・ヘニガン氏。以前自転車の安全を守る市民の訴えの取材で、市役所でインタビューをした事が懐かしい。
ひときわ沿道を埋め尽くす観客の拍手が沸く。そこには「50年連れ添っています。結婚して1年です。」というプラカードを誇らしげに掲げたゲイカップルが。
こちらも結婚して1年のレズビアンカップル。
「私はレズビアンの娘を誇りに思います」というプラカードを掲げた老婦人も。
先ほど教会でスピーチをしたバリオス議員にも沿道から大きな拍手が沸いていた。人気者なのだ。
黒い羽の「ブラックエンジェル」仮装をしたゲイメン。
Spectacular! 虹色ピーコックマン。
水着姿の「お姉様」。
こちらもお姉様。カメラを向けると妖しい目線を送ってくださった。
ジャンボスクリーンを投入してパレードを中継するのは、「Qテレビジョン」というゲイピープル向けのコンテンツばかりを放送しているケーブルTV局。
プライド実行委員会のアンドレ・デイビスさんは ''Gays are still discriminated against in the workplace.”とボストングローブ紙で語っている。写真はゲイの警察官のためのサークル組織のメンバー達。職場での差別をなくそうという試みが始まっている。大手スーパーのウォルマートの同じようなサークルのメンバー達も見かけた。
「われわれはゲイに理解があります」と言わんばかりに、企業のパレード参加も多かった。
ダウンタウンの目抜き広場をスターとしたパレードは、サウス・エンドという地区へ入る。この地区は、ゲイ人口の多いことで有名。れんがの町並みの沿道を埋め尽くす、上半身裸のゲイメン達!
「こんなに沢山住んでいたんだね」、とばかりにこの日はゲイメンが家から飛び出して沿道で大はしゃぎしている。まさにお祭り騒ぎとはこのこと。
PM2:00 パレードのゴールは、おなじみボストンコモン公園。そこにはいろいろなゲイ関連団体がブースを出していた。中でも変わったサークルを見つけた。ゲイのための、イングリッシュ・フォークダンス・サークルだという。
会長のエリックさんにインタビューした。「グループの名前はボストンコモンにちなんでBoston Uncommon。ゲイ・フォークダンスのサークルは全国規模で広がっていてアメリカ全体で1100人のメンバーがいる。フォークダンスはgender-free だし、なにしろ男同士でボディタッチ出来るいい口実になるからね。」エリックさんによるとこのフォークダンスサークル、東京だか京都だかにも支部があるそうだ。。
PM2:30 こちらはプロのフォトグラファーによる無料フォト・セッション。結婚しているゲイカップルの写真とエピソードで構成した、ノンフィクション本の出版を目指しているそうだ。撮影した写真は、無料でカップルに郵送するとか。われもわれもと撮影したいカップルが押し寄せていた。

PM3:30 「プライドスポーツボストン」はゲイスポーツ推進団体だ。22種類のゲイ・スポーツサークルをとりまとめていて、2200人のメンバーがいる。「ゲイだからって、スポーツをしない手はない」こう語るオーガナイザーの面々。ボーリングや、ランニングサークルなどなどがあって、ゲイメン同士仲良くスポーツを楽しんでいるとのこと。
PM4:00 暑—い一日の取材を終えて、好物のレモネードで一息。ところで、こんなにも「メインストリーム=主流」に躍り出たかのように見えるゲイ・レズビアン文化も、まだcontroversialなのだそうだ。以下は、ボストングローブ6/12記事の抜粋。
「Gay marriage remains a controversial topic in Massachusetts, as in much of the rest of the nation. The Legislature is expected to consider a constitutional amendment later this year that would ban gay marriage and allow civil unions. If it passes, the measure will go to the ballot next year.」
''We've come a long way, but we still have a long way to go."と、プライドパレード創始者のアン・マクガイアさんも同じ記事で語っている。普段はvisibleでないゲイピープルが、今日一日だけ一堂に集まっているから、主流に感じるだけなのか?こんなにゲイ・レズビアンが楽しく踊ってパレード出来る街、ボストンでもまだまだその市民権獲得のためには「長い道のり」を歩かなければならないというわけか。しかし、そんなゲイ市民権活動家の意見は決してシビアすぎはしないのかもしれない。きょうを終えればまた、ゲイメンやレズビアン達はまたそれぞれの職場や学校での「市民権を得る為の闘い」に戻るわけだから。
それでも、パレードゴール地点のボストンコモン公園での宴は、夕方まで続いたようである。非常に興味深い一日だった。
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Friday, June 10, 2005
ボストン一時帰郷、”ダイクマーチ”をロケ。
ワシントンDCから、ボストンに週末の間だけ一時帰郷した。アホかと思われるかもしれないが、あす開かれるボストン・プライド・パレードのためだ。「ゲイ文化にとりつかれているテディ」(ビッキーさん談)としてはプライドパレードを撮影しなくては女がすたる!
ボストンのローガン空港に降り立ってから、自分でも自分がアホに思えてきた。しかし決めたものは決めたもの。空港にビッキーさんが車で迎えに来てくれて助かった。大学の「ショップ」(デジタルカメラのレンタル所)で機材「ソニーVX2000」をチェックアウトし、カフェ、Campo Di Fiori(イタリアン・カフェ)にてビッキーさんと話の花を咲かせる。ここ、実は私の寮の1階。1月に「早くオープンしないかな」と書いていたが、とうとう開店したのだ。
あすのゲイ・プライド・パレードに先立ってダイク(dyke)・マーチというイベントが行われると知り、疲れた体をひきずって行ってみた。ダイクとはレズビアンを示す単語。ダイク・マーチとはレズビアンのパレード。ボストンコモン公園には、パレードの準備のため、写真のようなプラカードがずらりと芝生に並んでいた。
こんなプラカードもあった。この下の写真にもあるが、上半身裸で乳首にニプレスを貼っただけの女性パレード参加者が、平気で公園の芝生を歩いている。このイベント、ゲイピープルに負けずと、レズビアンの権利を主張するために今年で7回目の開催だという。
パレードは夕方6時半に公園をスタート、市内を回った。参加者は1000人ばかりだろうか。ユース・ゲイ・パレードの時と違っているのは距離が長いことと、参加者が女性だけではなく、男性も混じっていて、年齢層がまちまちなところか。ちょっと見では、何のパレードか、わからない集団に見える。
れんがの町並みをすぎるとそこはダウンタウン。女性なのだが、胸を摘出する手術を受けたレズビアンの集団を見た。髪を刈り上げ、勇ましい「男性」になっている。
こんなアンダーウエアで作った旗を掲げている人もいた。さすがにパレードが終わる頃には陽も落ちた。夕方のパレードなんて始めて見た。出発地点兼ゴールの公園に戻ると、今度は夜遅くまでライブ音楽とダンスパーティが行われるらしい。眠らぬ「レズビアン・セレブレーション」が行われる様子である。
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Thursday, June 09, 2005
NPR訪問、幻の「宮崎駿アフレコ」立会い
ナショナル・パブリック・レイディオ=NPRはアメリカ全国放送網を持つ公共ラジオ放送だ。35年の歴史を持つ、アメリカでもっとも信頼されているラジオニュース局といえる。きょうはここの本社を訪問することになった。
支局で電話を受けていて、NPRのプロデューサーからこんな連絡が入ったのだ。「全米で間もなく公開になる映画“ハウルの動く城”について、NYで宮崎駿監督にインタビューを行った。インタビューの内容も合わせて、3分程度の“アート企画もの”として放送を予定しているが、日本語訛りの英語でボイスオーバーをする人を探している。」ボイスオーバーをする別の日本人男性の方の付き添いで、私もコーディネーターとしてNPRを訪問させてもらうことになった。
本社の入り口で「スタジオゲスト」としてチェックインする。入り口には、有名記者、パーソナリティーのモノクロ写真が誇らしげに飾られている「Hall of fame」がある。その数の多いこと多いこと。
スタジオにてプロデューサーにA4・3枚ほどの英語原稿を渡される。ボイスオーバーをする男性は素人の方だったので、NPRのプロデューサーから厳しい指示が出る。
20分ほどたって、残念ながら今回のオファー自体にNGが出てしまった。「思っていた声とは違ったので、別の人に頼みたい。ご足労申し訳ないが。」とのことだった。「NPRは声にうるさい。」こう聞いたことがあったが、本当にそうであった。しかし、先方が前もって、声の指示などを言ってこなかったのも悪い。向こうもばつが悪そうだ。しかし、わざわざ足を運んだ労賃の代わりに、生放送スタジオを見せてもらえることになった
「All things considered」はウィキペディアによると全米で3番目にポピュラーなラジオ番組。NPRのフラッグシップである午後の有名ニュース・トークショー。

パーソナリティーが2人、ストレートニュースを読むアンカーウーマンが1人、ガラス張りのスタジオの向こうにスタンバイしている。ちょうど午後4時。放送が始まる時間にコントロールルームに入れてもらえることになった。プロデューサーが一人、サウンドテクニシャンが一人のたった2人の孤独なコントロール・ルーム。テレビとは大違いだ。
「項目2がまだサーバーに入っていないぞ。どうなっているんだ?」すでに生放送が始まって、アンカーが全国ニュースを読んでいるのに、そのスタジオの外の調整室でプロデューサーが黒電話に向かってがなっている。そうかと思えば「Hit!」と次のニュースのリポート・音ファイルを送出するよう支持を出すプロデューサー。テ、テンポが速い。しかも一度にものすごくいろいろなことをやりながら、間違いなく指示を出していく様子がすごい。私がデジカメを構えたところ、「No flash, OK?」とこちらを見もせずにフラッシュをたかないようリクエストされた。す、すげえ。一人しかいないプロデューサーが、何もかも段取ってあざやかに生放送をこなす。しかも放送素材(記者の現場からのリポート・テープ)はぎりぎりにならないとサブにつながったサーバーにアップされない。私も東京の某CATVニュース局のスタジオで、これに近い「一人自転車操業状態」のプロデューサー(=日本ではプログラム・ディレクターと呼ばれる職種)をやっていたのだが、速度が違う。DCに来たおかげで思わぬ貴重な体験をした。訪問の本来の目的であった「宮崎駿のアフレコ」立会いは幻となったのだが、気にしないことにする。
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Wednesday, June 08, 2005
「大統領にアポ?」
【DC発】支局勤務3日目。
夕方、ホワイトハウスにお使いに行くことになった。本日は米英首脳会談が行われており、英ブレア首相がホワイトハウスを訪問中。夕方から記者会見の撮影のためカメラマンを派遣してある。会見がはじまり、支局内で記者達が中継のTV画像の聞き取りに集中し始めるころ、私は支局を後に。タクシーでホワイトハウス・北西門に向かう。
「ホワイトハウスまでお願いします」タクシーに乗り込むと、運ちゃんが「大統領にアポイントでもあるのかい?」とすかさずジョークで返してきた。門に着くと、要人訪問中に関わらずホワイトハウスの前には観光客が写真のように、「ちんたら歩き」できるほどの警備のゆるさだった。あれれ?
北西門の中は、写真のような「傘」で一杯だった。ヨーロッパのメディアはホワイトハウスの芝生にカメラを設置しておいて、会見が終わり次第そこから記者がコメントを中継するようだ。傘はメディアごとに場所をとり、記者の顔に日光が当たり過ぎないようにするためのシェード、あるいはその逆で反射(レフ)板の役目を果たすものらしい。傘の間から支局のカメラマンが姿を現した。テープを受け取った私は、それらをダッシュで支局に運んだ。
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Tuesday, June 07, 2005
“白い館”を見つめるカメラ~テロより怖いDCの雷
【DC発】支局勤務2日目。本日はいきなりホワイトハウス前の某建物に赴き、屋上カメラのポジション移動に立ち会う。屋上には、世界の主要TV各局のルーフトップカメラがしつらえてある。カメラが向いているのはもちろんあの人が住む白い館。この建物は、白い館を背景にして、世界中の記者が立ちレポートをするのに絶好のポジションなのだ。ホワイトハウスは、こうやって世界中のメディアのカメラに終始見つめられている。もちろんホワイトハウスにこれだけ近いだけあって、建物の屋上に昇るまでのセキュリティはかなり厳重。もちろんこんな場所でホワイトハウスを背中にしょって立ちレポートが出来るのは、世界でも一握りのエリート記者だけといえる。
夕方、激しい夕立とともに雷が小一時間ほど続く。耳をつんざくような音がして、どこか遠くに雷が落ちたようだ。まるでテロかと思った。盆地状になっていて湿気が多く、日本のように暑いので雷雲も発生しやすいのか。名づけて「テロより怖いDCの雷」。。
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Monday, June 06, 2005
支局ラプソディー。
昨日の夜、飛行機に乗った。エイズウォーク(一つ前の投稿参照)で疲れきっていたので乗るなりぐっすり。着いた先は。。首都、ワシントンDCである。9月からのワシントンでの生活に先立って、先日面接に行ったことを書いた。面接先に気に入っていただいたのと、人が足りないということで私のスケジュールが空いている6月一杯を、ワシントンDCで過ごす事になったのだ。フルタイムのインターンだ。大学院生の生活にすっかり慣れてしまった体を、会社員生活に戻せるかどうか不安。。
。。なものの、翌日から9時30分に出社。ワシントンDCのダウンタウンまで、居候中のアパートから徒歩と地下鉄で45分。6月のワシントンDCはとにかく暑くて暑くて。日本の梅雨の時期と同じようなむあっとした空気に汗だくだくになりながら、たどりつく。州が違うとこんなに違うのか、ってくらいマサチューセッツとは違う、整った道路とパンクチュアルな地下鉄に、気持ちが引き締まる。久しぶりにスーツを着て、「大人」に戻る。さあ、本日から、「支局ラプソディー」のはじまりはじまり。。
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Sunday, June 05, 2005
ボストン・エイズ・ウォークに参加!~アートのオープンマーケットを覗く。
ボストン・プライド・ウィーク第2のイベントがAIDS WALKだ。今年で20回目を迎えるこのイベントは、地元のエイズアクション委員会というNPOの主催。エイズの治療薬の研究基金を興し、その予防知識を広める教育のための費用や、エイズ関連図書館の充実のための基金を集めるのが目的。
おなじみチャールズ・リバー(一つ前の投稿参照)の土手の「エスプレナード」と呼ばれる野外広場で登録をすませ、歩き出す。
5kmランと10kmウォークがあり、どちらかを選べる。もちろんウォークをチョイス。今回は純粋に体を動かしたかったので、VTRカメラは担がず、ウォーカーとして参加。
募金をするために歩くのか、歩くために募金をするのか。皆でこんな感じに街中をおしゃべりしながらちんたら歩いて、金が集まるのがアメリカのすごいところ。私は、こういうウォークに参加すると、街をより知ることが出来ると思っている。さらに、同じTシャツを着た人たちが集団で歩くことで、街行く人に、エイズに関する意識を高めるようアピールすることも出来るのだ。こういうチャリティー・ウォーク、最初は「ただ歩くだけでお金が集まるって、どういうことだろう?」と思っていたけれど、今は面白がって参加している。募金額は少ないけれど。
今回のエイズ・ウォーク、ボストンで行われるチャリティー・ウォークの中でも大きなイベントで、参加者はラン・ウォーク合わせて1万5000人。もちろんボランティアが「Obey me!(私に従って!)」と書いたTシャツを着て、きちんと交通を遮断する。こんな高齢のおばあさんまで、「GO!」裏返すと「STOP!」と書いてあるプラカードを持って交通整理をしていた。
さて、私はウォークの距離を5kmかと勘違いしていたので、途中で「こんなに遠くまで歩くのか!」と驚きおののいた。しかし、心配なかれ。10kmの行程には、そこかしこにエンターテインメントが用意されているのである。写真は歩くのを思わず忘れて路上エンターテイメントに見入る人々。
彼らが見ていたのは、これ、路上ダンサー(小学生)。きょうの気温は30℃くらいとあつあつ。途中に給水所が設けられ、給水だけでなく、「給オレンジのかけら所」とか、「給アイス所」もある。夢中で歩いていたら、ダンボール箱を持った人が「はい」と何かをくれた。手を差し出してみると、アイスキャンディーだった。スポンサー企業からの寄付で、こういう無料配布が行われるのも、チャリティーウォークの楽しみである。
ダンスだけでなく、特設ステージが各所に設けられていて、ミュージシャンがウォーカーを盛り上げてくれる。チャリティー募金のためだからといって、ただ一心不乱に歩くだけではつまらない。こうした遊び心がうれしい。「街って、こういう使い方もあるんだ」、と思う。ただ建物が建っていて、人々が行き来するだけではなく、こうしたチャリティーウォークのために街を立体的に活用してもらう、という試みはいいことだ。住む、働く、往来する、買い物する、だけではなく街を「チャリティーウォークのために貸し出す」という感覚。同じことをもし日本でやろうとしたら、お役所とかが官僚的で融通利かなくて、うるさいんだろうね、きっと。。
スタート地点のチャールズリバーの土手からはるか上流まで歩いてきてしまった。青青とした水が涼しさを誘う。
あと少し。ウィニング・ランならぬウィニング・ウォークは、あまりの暑さに川の土手で日光浴をする人々を横目に見ながら。それにしても暑かった。
ーーーーー
午後は「ボストンの隠れた名所を探索しようの会」の会員、学友のビッキーさんと「サウスエンド・オープン・マーケット」に行く。元倉庫街で、現在は再開発でおしゃれな街に生まれ変わったボストンの下町、サウス・エンド地区の空き駐車場で開かれた、インディペンデント・アーティストのアート即売会。
手作りナチュラル石鹸、キャンドルなどを売るテント。和みます。いい香り。場所が場所だけにゲイ・アーティストの方がペインティングを売るテントもあった。サウス・エンドはゲイ人口が多い地区。
帰り、サウスエンドを散歩している途中で見つけた豪邸の玄関でポーズをとるビッキーさん。
お疲れさまー。サウスエンドのおしゃれカフェで耐え切れず一杯!ケープ・コッドに浮かぶ島、マーサズ・ビンヤード島の地ビール「オフショア・エール」で乾杯。窯焼きピザをつまみに今日かいた汗を取り返す。
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Saturday, June 04, 2005
港を見ていた午後~Scenic bike ride to the Charles River
下の投稿の「Pride Day」取材の後、あまりの暑さにばてばてに。屋台にてランチを購入。好物のフレッシュ・レモネードとフランクドッグで一休み。観光客で一杯のファニュエル・ホールは人通りが絶えない。頭上にはかんかん照りの太陽。ボストン名物の赤レンガもカンカンに熱くなっている。屋外の階段に座って休憩。ボストンもようやく夏本番か。白い雪嵐に悩まされた冬が懐かしい。
「夏が来ると、気候がよくなってああボストンっていいなあと思い直すんだけど、冬になって雪嵐に毎日毎日閉じ込められると、”なんでこの町に来ちゃったんだろう”と皆後悔する」誰かがこう言っていたなあ。ということで、気候のいいうちにボストンを楽しんでおこう。撮影も終わり、汗をかいて気分もいいので港へ足を伸ばす。ハーバーウォークのむこうは。。
。。ボストンの港。ということで、「港を見ていた午後」と洒落こむ。思えばこの港へはじめてやって来たのは約1年前の8月だった。あの時は「何もしない夕暮れは久しぶりだった」などと書いている。そろそろボストン生活も1年だ。放送ジャーナリズムという大学院の専攻のおかげで、課題として町ネタを取材してばかりいたのですっかりいっぱしのボストニアンになっている自分がいる。1年前には「Pride Day」はもとより、ゲイの皆さんの存在なんて気にも留めなかったのに。知らない町に住んで、町を取材して回り、自分も町通になる。そんな生活がすっかり馴染んでしまった。しかもそんな毎日が楽しくてたまらない。
ーーーー
かんかん照りの港を後にして、自室に帰るものの、まだまだサマータイムの日は高い。大学のジムに行ったが、土曜日は6時PMでクローズ。悔しいので自転車に乗って、ボストンを流れる川、チャールズリバーの土手を走ってみた。
土手には舗装されたバイク・パスが出来ている。マラソンする人、ローラーブレードに乗った人、自転車のトレーニングをする人、ベンチに座って夕暮れを楽しむ人。。朝夕ボストニアンの絶えることのないチャールズリバー。”ボストニア”の港と並んでボストンの象徴的存在でもある。
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「Pride day」!ゲイメンコーラスなど取材
きょうは「プライド・デイ」というイベントが開催される。港近くのファニュエル・ホールにレッツゴー!(大学のソニーVX2000持参)。6月4日から始まる1週間、ボストン市内ではプライド・ウィークと題して、さまざまなゲイ・レズビアン・アドヴォケート(advocate)イベントが行われる。締めはもちろん1週間後の11日に行われるニューイングランド地区最大のボストン・ゲイ・パレードだが、きょうはその前哨戦となるイベントのひとつ。
まずはニュー・ハンプシャー・ゲイメンズ・コーラスの皆さんの合唱を撮影。1998年設立の比較的新しいゲイメンのコーラスグループ。メンバーは20-30人前後で、年に8回以上の定期コンサートを開催している。
パフォーマンスはご覧のようにゲイメンの方々ならではの、フリつき、愛嬌たっぷりの熱唱ぶり。ボストンにはボストン・ゲイメンズ・コーラスという22年の歴史を持つ有名ゲイメン合唱団があることも、付け加えておく。こちらは175人の団員がおり、6枚のCDをリリースしワールドツアーも行うプロのコーラスグループである。
続いてVoices Risingという女性ばかりの合唱団のパフォーマンス。彼女達は、「ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダーの人々に声(Voise)を与えるために」結成された新しい女性コーラスグループだそう。。ゲイメンコーラスに対し、レズビアンの方々を中心に結成されたこうした合唱団もあるのだ。
汗をふきふきunusualな合唱団のパフォーマンスを熱心に撮影していたら、サングラスをかけたでかい(失礼)女の人に声をかけられた。「あなた、Pride dayの運営本部のインタビュー、撮りたいんじゃなくて?なら私が答えるけど。ほほほ。」今まで撮影していて怒られたことはあっても、「撮って下さい」と言われたことはあまりない。嬉しい。「ボストン大学の院生なんですけど、ぜひプライド・デーの趣旨を語ってください。」と説明したら、カメラの前で思う存分語ってくれた。なんと彼女もBUの卒業生であった。
広場には、イベントのほかにも面白そうなグループがブースを出していた。「ボストンのゲイ・レズビアンの歴史を記録するプロジェクト=The History Project」というグループの人たちは、これまでに調べたことを「Improper Bostonians: Lesbian and Gay History from the Purtians to Playland」という本にして出版したそうだ。
また、「Moving Violations」という女性ばかりの二輪車ツーリングサークルもブースを出していた。会長のシェリルさんにインタビューをして、彼女がハーレーにまたがっているところを撮影させてもらった。(この人が、すごい美人!)彼女達は、全員ではないが一部がレズビアンの方々で、毎年バイクにまたがり、虹色の旗をひらめかせてボストン・ゲイパレードを先導することで知られているそうだ。来週のパレードが楽しみだ。
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Thursday, June 02, 2005
映画「What a girl wants」「Ocean’s 11」鑑賞
DVDレンタルした「What a girl wants」と「Ocean's 11」を鑑賞。
「What a girl wants」は、ご想像の通りコリン・ファース様見たさにレンタル。シングルマザーの元で育ったNYの高校生、ダフネ(アマンダ・バインズ)が、お父さんを探しに英国へ。お父さん役は、いつものように「融通が利かないけど実直でちょっと照れ屋さんの現代版英国紳士」を演じるコリン様。
探し当てたお父さんは著名な議員かつ伯爵であることがわかり、ダフネの存在は「隠し子発覚」とスキャンダルになる。ダフネはダフネでロンドンのお屋敷に住んでお姫様気分を味わう一方で、継母とその連れ子にいじめられてたーいへん。アメリカ人が描いた「英国シンデレラストーリー」。ダフネのボーイフレンド役のOliver Jamesくんがかわいい。調べたところ日本語版の翻訳タイトルは「ロイヤル・セブンティーン」だそうだ。だっせー。
「Ocean's 11」。はい、今頃見てしまいました。ジョージ・クルーニーさんが、怪盗ルパンならぬ「怪盗オーシャン」さんで、そのオーシャンさんの仲間が11人、というわけですな。ブラピとか、マット・デーモンさんたち青春スター(死語)よりも、私は敵役のアンディ・ガルシアが意外と好きだったなあ。濃ゆくてさ。
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Wednesday, June 01, 2005
オールAとっちゃいました!
春学期の成績が出た。マイナスがついているものもあるものの、なんとオールA!われながらよくやった。
両教授に気に入っていただいていた「ドキュメンタリー」「ブロードキャスト・ジャーナリズム1」がストレートA、教授たちとあまりそりが合わなかった「TVニュースルーム」「調査報道」のクラスがAマイナス。(ちっ)
「ドキュメンタリー」以外は全てTV番組を作ったり、ニュースリポートを企画して作ったりする授業だったから、元TVディレクターの「プロ」として当たり前といえば当たり前なんだけれど。
いやいやどうして、当たり前じゃないっすよ。ここまでは、いばらの道でした。。
きょうび、英語が流暢な日本人(多くが帰国子女)にはたくさん出会う。彼らを見るたびに、
「うちの父親は地方公務員だから、海外異動などなかったんじゃい!」
と自分の境遇を呪っていた。私の両親は、そろっていまだに海外旅行経験もないドメスティックな方々。その家から海外に出て行くのがどんなに大変だったか、帰国子女らにはわかるまい。英語だって、好きだったことと、努力で身につけたんじゃ!と息巻きたくもなる。(彼らは彼らで「漢字が書けない」、「態度が堂々としすぎていて日本に帰るといじめの標的になりがち」、などの弱点があるのだが)
そうなのだ。私は未だに帰国子女にはコンプレックスがある。彼らより、はっきり言って発音も劣るし、西洋人を目の前にしたときの態度も、彼らに比べまだまだ「おどおどさ」が残ることは否めない。実は私、帰国子女に会うと、完全に気後れしてしまう。(そのわりには帰国子女の友人は多いのであるが)たんに「幼少の頃を海外で過ごすことのできたその人の幸運がまったくもってうらやましい」のであろうが。。
(だって30歳を越えると語学のラーニングカーブは目に見えて緩やかになるのよ!)
しかあし、しかしこんな私でも、つまり帰国子女でもない自分でも、英語を使って、なおかつこちらの社会の価値観に合わせてニュースをプロデュースをした結果、Aがついたところが素晴らしいのであって。。
え、もうやめろ?はいはい。だってうれしいんですもの。もう少しこのビクトリー気分に浸らせてもらっても、ばちは当たるまい。えっへっへっ。
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Tuesday, May 31, 2005
イケメンコンダクター、キース様にめろめろ、Boston Pops初鑑賞。
【衝動】何故だろうか。朝起きたら、猛烈にボストン•ポップスが聴きたい!突然頭の中に湧いてくる私の衝動は、いつだって一度駆り立てられると止まらない。調べたところ、BSOことボストン交響楽団と一緒でディスカウントの当日券、「ラッシュチケット」が毎週火曜日の演奏会に限って10ドルで売り出されるとの事、そこでボストン・シンフォニーホールに猛ダッシュ!してみた。
【オザワの壁画】猛ダッシュする必要はなかった。BSOの場合コンサート当日の夕方5時までにはボックス・オフィスに長蛇の列が出来ていて、並ばないとラッシュチケットはゲットできない可能性が高い。しかしボストンポップス=BPOのラッシュチケットに、列はなかった。「あれ?」と思いながら窓口に聞くと、あっけなく10ドルで当日券をゲット出来た。写真は、シンフォニーホール裏の駐車場に書かれた壁画(mural)。我らがマエストロ、オザワが真ん中にでかく描かれているではないか!
【ヒストリー】ボストンポップスオーケストラは1885年に創立。1881年にボストン交響楽団が設立された後、「夏の間にオーケストラでダンス・ミュージックも含めた軽音楽のコンサートを開いて音楽を多くの人に楽しんでもらいたい」というオーナ−の考えから生まれた。BSOのシーズンは5月で終わり、5月半ばから9月までがBPOのシーズンである。
【午後8時開演】BSOで来なれたシンフォニーホールに到着して、ホールのドアから1歩入ってまず驚いた。客席が取っ払われ、かわりにテーブルと椅子が置かれているのだ。客席からビールやワイン、サンドイッチなどの軽食が注文でき、それらを片手にリラックスしながら演奏が聞ける。私もビールなど注文し、ほろ酔い気分で演奏を聴く事にする。本日はダイエット中につき、「Amstel Light」を。
もう一つ驚いたのが、ホールの壁に当てられた美しいライティング。クラシックのボストン交響楽団の時にはない、エンターテインメントな演出がそこかしこに施されている。見に来ている客も、カップルや、ファミリー単位で一つのテーブルにつく、という感じで上流階級の社交の場といった雰囲気だ。
【やっと会えた、キース!】テーブルセッティングよりもライティングよりも、実は会場を入るなり雷に打たれたように目が釘付けになったのが、ボストンポップス第20代指揮者にして、その甘いマスクでBPOファン層を広げる事に大きく貢献する事となったキース•ロックハートである。
10年前、35歳の若さで指揮者に就任。以来そのルックスもさることながら、レパートリーを積極的に広げる野心も併せ持ち、音楽的才能をあますところなく発揮して現在に至る。きょうは、キースを見にポップスの演奏会に来たと言っても過言ではない。
【ちなみに】ボストン・ポップスを飛躍的に有名にしたのは第18代指揮者のアーサー・フィドラー。アーサー・フィドラーのあとを継いだのが映画音楽でも有名なジョン・ウィリアムズで、これまでにスターウォーズやE.T.など70曲以上を作曲した。しかしキース様の場合は、その若さと俳優のようなルックスからまず人気に火がついた。そのポピュラリティーを生かして、2つ前の写真(ぴんぼけだが)のように曲間にステージトークをふんだんに盛り込んだり、楽団がCDを出す時はCDジャケットにさまざまな衣装を着て登場したりと、ボストンポップスに新しい風を吹き込んだ。楽団側も、キース人気を最大限に生かそうとして、指揮の勉強以外に彼に「アクティング」のクラスを受けさせたり、コンダクターを前面に打ち出したパブリシティーを行ってきた。
しかし、デビューから10年。御年45歳となった人気者イケメンコンダクターは、昨年6月に同じBPOのバイオリニストだった中国系の奥さんと離婚。それもあり「僕自身、この人気に疲れたんだ。BPOにも新しい試みが必要だ。」と漏らしている。(ボストングローブ紙の記事より)ボストンポップスの演奏会自体、私が訪れた日も空席が目立っていた。グローブの記事によると、実際チケットセールスも「以前ほどではなく、下降線をたどっていることは事実」とのことである。

【でもキース様♪】しかし、私にとって初めてのキース様鑑賞、いやいやボストンポップス鑑賞は、感動の一言に尽きる。コンダクターにつきものの燕尾服ではなく、黒いデザイナースーツに白いシャツ、ノータイのキース様が、拍手に応えて軽く膝を曲げるヨーロッパ風の挨拶をする。ああ、何て才能もあるのにいい男なのかしらん。。もろタイプ。。
いかんいかん,またキース様のことを語ってしまった。
本日の演目はショスタコヴィッチの「フェスティブ序曲」にはじまるクラシカル カウントダウンというシリーズ。リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」のハイライト、ストラビンスキーの「火の鳥」のフィナーレ、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲1番」、そしてバーバーの「弦楽のためのアダージオ」(映画「プラトーン」でおなじみ)など1曲1曲が知っている曲だったので、非常に楽しめた。BSOよりも楽しめたんじゃないかってくらい。(あ、キースにめろめろだったせいだけじゃないですよ。ビールが入ってたせいだけでも、ないはずです。)
【アンコール】は「星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)」で、曲のクライマックスで写真のように星条旗がどかーん!と正面に降りてきて度肝を抜かれた。「アメリカイズム」大嫌いの私にはサブいぼが出そうになったけど、客はノリノリで大喜び。しかしこの「星条旗~」は、中学校の吹奏楽部のメンバーとして、運動会の行進の時に演奏した思い出がある。あの時はなんとも思わなかったけど、あれからウン10年。9・11以後の世界では、こうしたアメリカ・パトリオティズムを代表する曲は、アメリカ以外では忌み嫌われ、避けられているのではないかなあ。

【ホールの廊下にもオザワ発見】しかし、ひさしぶりに才能もルックスも素晴らしいイケメンを見たので、もとい、いい音楽を聞いたので気分がいい。どんな女性関係の噂があろうとも、イケメンが指揮を振っているだけで、コンサートの楽しみ具合が、違うんだね〜。ところで、シンフォニーホールの廊下にはキースを指揮者に選出する際に一役買ったBSOの名誉指揮者、日本が生んだマエストロ、我らが小沢征爾の写真が現BSO指揮者ジェームズレバインと並んで飾られている。また聞きたいな、BPO。7月4日のアメリカ独立記念日には、チャールズリバーの川べりでキース様の、もといボストンポップスの無料コンサートが行われるそうだ。これは行かなくては。
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ボストン一のフレンチビストロでクールなランチ
ボストン、ダウンタウンに「レ•ジゴメイツ」というフレンチビストロがある。きょうはここでランチ。ディナーはちょっと高くて手が出ないが、ランチならプリフィクスメニューで15ドルから。
レストランも「フレンチではボストン一」と評判も高く、内装もメニューも”クール”なのだが、きょうは一緒にランチをしたお相手も”クール”。先日のゲイ教会の取材の時、取材自体もびっくりの連続だったのだが、教会で賛美歌のピアノを弾いていたのが日本人女性だと知って二度びっくりした。バークリー音楽院卒の日本人ジャズピアニスト、Mさんとは初対面で自分と同じ空気を感じ、意気投合。同じボストンに住む”30プラス”の女性同士、こうしてランチでも食べましょう、ということになったわけである。
お食事は、というとサラダも、メインもデザートも申し分なく、さすが評判だけの事はある。ランチなら15ドル前後で楽しめるので、へんぴな場所にあるものの(チャイナタウンの外れ)ぜひ観光客にもトライしてほしい店。また、ウエイターの振る舞いが、まさに「プロフェッショナル」という感じでチップの払い甲斐がある。ボストンの「名店」と呼ばれる店は、やはりこうしてプロの仕事を感じるウエイターがいるから素晴らしい。ピアニストのMさんによると、夜は生ピアノの演奏が入り、自慢のワインリストからワインを注文するドレスアップした客が沢山入って雰囲気ががらっと変わるらしい。
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Monday, May 30, 2005
リビア・ビーチで凍える。。
気温も温かくなってきた5月末、たまに「夏日」を迎えるたびに”ああ、こんな日にビーチに行って何もせずにぼーっとしていたい。。”という想いを抱くことはや1ヶ月あまり。そこで。。
えー。本日の投稿はリビア・ビーチからお送りします。えへん。
リビア・ビーチはボストンのダウンタウンから地下鉄で行ける海水浴場で、1896年、アメリカ初の公共海水浴場としてオープンし、現在に至ります。
ダウンタウンから車で10分ほどの立地がよかったのか、オープン当時は金持ちの別荘が立ち並び、社交の場であるボールルームやジェットコースターを備えた遊園地などがつぎつぎオープンしたことから「New England’s playground」という別名がついたほどだそうです。
しかし、それも今は昔。現在のリビア・ビーチは想像していたのと、ちょっと違う小汚いビーチで、裸足で20歩ほど歩いてみたけれど、やめてしまったほど。〔夢をこわしてすいませんが)しかも、この日は徐々に冷たい風がふきはじめて、夏日とは程遠い天気に。。いくつかこのblogの原稿を書き、冒頭の写真を撮ったあとは、予定より早めにビーチを後にしたのだった。リビア・ビーチで凍える。。アメリカン・ドリームの象徴だったというビーチも、今は「つわものどもが夢の後」状態で、千葉の九十九里浜のほうが数倍きれいなくらい。。残念!
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Sunday, May 29, 2005
父親が離婚して男性と駆け落ち!?70年代のゲイ騒動を描くミュージカル鑑賞~スシ・ビュッフェに舌鼓
ボストン大学はでかい。金も持っている。学生寮が足りなくなって大学近くのホテルを買い上げ、寮に改造してしまったほどだ。そのボストン大学が持っている劇場、ハンティントン・シアターで上演されているオフ・ブロードウェイミュージカルを見にいくことになった。
昨日のupdateに引き続き、また ゲイものである。ゲイ文化にとりつかれているテディ(”Teddy is unreasonably obsessed by the gay culture..")と笑われるものの、学友のビッキーを誘い出すことに成功。
ミュージカルのタイトルは「ファルセット」。〔あらすじ】主役は悩める中学生ジェイソンくん。ジェイソンくんの両親が離婚することになった。原因はお父さんのマービンの心変わり。しかも相手は男性である。つまりお父さんがお母さんを捨てて、男性と家を出て行ってしまったというわけ。時は1976年。まだゲイピープルへのご近所の目も厳しく、社会的認知もされていない時代である。お母さんのトリーナも、ジェイソンくんも複雑な気持ちを隠せない。トリーナは複雑な気持ちを相談していた精神科医と再婚が決まる。戸惑いながらも、父マービンのパートナーにもなついていくジェイソン少年。やがてマービンのパートナーであるフィーザーが病に倒れ、彼の病気がエイズであることがわかり。。
舞台はリヒテンシュタインの絵が大きくあしらわれ、赤一色とか、黒一色とか、モノトーンをつかった大胆でモダンなセット。ミュージカルって、どんな難しいテーマも歌に乗せて面白おかしく演出するすごい手段だ。「♪ぼくの~お父さんは~男のひととお~寝てるんだ~」なんて思春期の少年が歌って、父が「♪そうさ、同性が好きさ~好きでえ~なにがあ悪い~好きなものはあ~好きなのさ~この気持ち隠しはしない~」などと返す。。明るくていいけどね。結末は意外と衝撃的で、なんだか切なくなった。
ーーーー
きょうは学友サラの誕生日パーティ。スシ好きの彼女が選んだ場所は、ココ、Japanese restaurant 「Minado」(ミナド)。週末だけあって店は満員。
ミナドはチェーンレストラン。売り物は、シェフ40人(多くはチャイニーズの方々で日本人の板さんではないのだが)が握っては出すスシ・ビュッフェ!巻物+握りなどほぼ全てのスシが食べ放題。うに、いくらもあり。郊外にあるファミレスほどの大きな店内の奥にはスシレーンのほかにもおかずレーン、デザートレーン(抹茶アイスなど)合計50種類は下らないアイテムがずらり。
スシだけじゃないんです。これなーんだ?カニでっす!生ガキとカニも、込み込みで食べ放題!新しいのが出るとすぐに争奪戦が繰り広げられる生ガキのコーナーが熱い!週末のディナーだと、食べ放題は大人一人$25.95。飲み物代は別です。でやっぱりスシにはジャパニーズビアーよね。。この日はアサヒビールをオーダー。
パーティー参加者総勢15人でサラを囲み、お約束の「ハッピー・バースデー・ソング」でお祝い。ミナドでは和傘を持たせて写真を撮ってくれるサービスがある。
レストランの入り口には振り袖がオブジェのように飾ってある。ここはスシを浴びるように食べたい人におススメの店。アメリカでは今、スシがヘルシーフーズとして非常にブームなので、こんな店も非常に繁盛するのだろう。「日本ではスシは、どちらかというと大人の食べ物で、会社の接待とか特別の機会に食べることが多い。若い人はあまりスシレストランにはいかなくて、パスタレストランとかが人気。」こうアメリカ人たちに講釈をたれてみたり。でも私にとっても、スシはグリーシーなアメリカンフードに飽き飽きしたときの、「救いの主」なのである。「スシ食べに行こうよ」というと、アメリカでは”なんかおしゃれでスノッブな感じ”に聞こえるから笑っちゃうのだ。海苔を見ても、「この黒い紙何?」なんて反応する人もいまだにいたりして、海苔が何でできているかも知らない人たちなのだが。。(シーウィードだよーん)
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Saturday, May 28, 2005
ゲイメンがトークTVで片思いの人に告白、その代償は~舞台”Sleeping with Straight Men”鑑賞
片思いの人にTVのトークショーで思い切って告白する。そんな番組は日本にもある。しかしその片思いの人がストレートの男性で、告白する人がゲイの男性だったら!?これは、1995年、アメリカのメディアをにぎわした実話である。なぜかというと、告白されたストレートの男性が、告白したゲイの男性を、TVショーの収録3日後に口論の末射殺してしまったのだ。
こんな実話に基づいて脚色された興味深い芝居「Sleeping with Straight Men」をひとり見にいった。脚本が書かれてからはや9年も上演されているアングラ・ヒット作。場所はダウンタウンの小さなアートミュージアムの地下劇場。チケットには「contains Nudity & Adult situations」と注意書きがしてある。劇場に到着して辺りを見回してみると、40人も入れば一杯の劇場には、10組のゲイカップルで一杯。1組のヘテロセクシャル(異性同士)のカップルと、謎のアジア人女の私だけが、ひどく芝居に不釣合いな感じで浮いている。
芝居が始まった。〔あらすじ〕ミシガン州ポンティアックという片田舎に住むブライアンは、ゲイ。いつも通うレストランのウエイター、リーに一目ぼれをしたものの、もし彼がゲイ嫌いだったら、と心配で直接告白できずにいた。そこで、友人のQueer、サリーの助けを借りてTVトークショー「ジル・ジョンソンショー」の一コーナー「シークレット・アドマイヤー」に応募。TV局が「あなたのことが大好きで告白したいという人がスタジオに来ています」とリーを誘い出し、ブライアンは公開収録で無事リーに告白したのだが。。
ご参考にこれが9年前、舞台が初演された時の芝居の写真とPlaybillである。で、舞台の重要な部分はトークショーの部分の後なのである。
無事告白を終えたブライアン。リーは彼女がいて、まっさらのストレート男性。憧れの男性、リーを目の前に、ういういしく必死に口説き落とそうとするブライアン。リーはかたくなにブライアンを拒んでいたものの、いつしか酒場で2人ビールを酌み交わすうちに。。
舞台のクライマックスシーン。酔ったリーに「肩をマッサージしてあげるよ」とボディタッチを迫るブライアン。いつしかその手があらぬところに。拒むはずのリーも抗わない。客席を思わず見渡すと、案の定周りのゲイカップルが寄り添い始めた。照明がピンク色になり、リーが舞台の上で服を脱ぎ始めた。客のゲイメンの視線が一斉にギリシャ彫刻のような、リー役の俳優さんの裸体に注がれ、やばいぞ!と思ったそのとき!
この人の登場で場内がどっ!狂言回しのドラァグ・クイーン役のミス・クリス・ニーベルさん。ボストンでバーテン兼ドラァグ・クイーンとして舞台に立つ本物である。もちろんこの舞台のクライマックスはブライアンとリーの禁断のセックスシーン。しかしそのままでは生々しすぎる。そこで、写真にあるような豊満ボディの”彼女”が、後ろで熱い夜を繰り広げる2人を背景に、口パクパフォーマンス!魅せますは、マライア・キャリーの「Hero」!”It's a long road. When you face the world alone, no one reaches out a hand for you to hold...”歌詞に爆笑。笑いすぎであごがはずれそうになった。それまでセクシャルな熱気がむんむんしていた客席も、明るい爆笑の渦に。
しかしその「夜」のシーンの後、舞台は一転。トークショー収録から3日後、あの一夜が彼女にばれ、なじられるリー。突然キレたリーが銃を持ち出して、ブライアンの家へ上がり込み、銃声が3発。。。
ーーーー
冒頭にも書いたが、この事件、アメリカ・ミシガン州で本当に起きた事件。写真がトークショーで告白した相手に不幸にも殺されてしまった、「ブライアン」役のモデルとなったスコット・アメデュアさん。これが実際の事件の顛末をつづったウエブサイト。
そしてこちらが、スコットを殺してしまったジョナサン・シュミッツ被告。舞台のリー役のモデルになった。25年の懲役の刑となった。舞台にあったような、「一夜の過ち」があったかどうかは「絶対にない」とする本人側と、「あった」と噂するゴシップ番組などの間で真っ向に分かれていることを付け加えておく。ちなみにこの殺人事件は、番組収録のたった3日後に起きた。もちろん3週間後に放映されるはずだったこのコーナーは、お蔵入りとなったそうだ。番組側は「演出のつもりで、事前に告白者が女性なのか男性なのかはシュミッツさんにあえて知らせなかった。」としているが、シュミッツ被告は「女性が来ると思ってわくわくしていたのに、男性が来てがっかりした。しかし、自分はホモ嫌いなわけではない。」と後に語っていたそうだ。
人間のエゴのぶつかりあいが、すれ違って不幸にも一人の男性を死なせてしまった興味深い事件。しかしながら本当に舞台にあったような禁断の”steamy night”があったかどうかは永遠の謎。それをゲイ・エンターテインメントにしてしまう脚本・演出家のロニー・ラーセン氏に感服。
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Friday, May 27, 2005
大富豪夫人のアートコレクション!イサベラ・ガートナー美術館。
ボストンに美術館博物館数あれど、見過ごしていた場所がここイサベラ・ガートナー・ステュアート美術館。場所はボストンレッドソックスの本拠地球場があるFenwayでありながら、球場の喧騒を全く感じさせない静けさ。この美術館、何がすごいかって以下の3点に集約されるであろう。
1.美術館の建物が個人の元邸宅で、建物自体が見ものなところ。
2.ラベリングもされていない状態で、ボッティチェリからレンブラントまで世界を代表する名画が無造作に飾ってあるところ
3.素敵なミュージアム・カフェ
写真撮影は禁止だったが、まずは建物についてコメントしよう。15世紀ベネチア宮殿風のイサベラ邸はエントランスをくぐると4階建ての建物の中央が、美しい吹き抜けの中庭。庭にはスペインやフランスの宗教的な彫像やレリーフ。周りにはクロイスターと呼ばれている回廊が中庭を巡り自然光をふんだんに取り込んだ設計。さらにすごいのは部屋ごとに置く美術品や家具をコーディネートし、壁紙の色合いまで変えていること。イエロールーム、ブルールーム、レッドルーム、ゴシックルームなど部屋ごとにネーミングがついている。ああ、こんな家に住んでみたい。
イサベラ・ガートナー夫人はボストンの大富豪の未亡人。夫を失い、息子が2歳で夭逝した後は、資金力とヨーロッパ芸術に対する知識を生かし芸術家のパトロンとなって美術品の収集にあたった。この美術館はイサベラが収集した絵画290点、彫刻280点、家具460点などなどがところ狭しと並べられているイサベラのコレクションの館なのである。「♪あ、こんなところに牛肉が」というCMがあったが、「あ、こんなところにレンブラントが、こんなところにドガが。」みたいなノリで絵画を楽しめる。しかも、ラベリングがされていないところが、またいい。私は説明されるのが嫌いな女なので、博物館や美術館はたいがい駆け足。「はい、見ました!」みたいな感じで駆け回るのが好きなのであるが、ここの美術館は「見たければ見れば、たぶんルーベンスだけど。。」みたいなノリで絵画が掛けてあるので、私的にマル。探検意欲を掻き立てられるミュージアムなのだ。
明治時代の文部省の役人、岡倉天心こと岡倉覚三もイサベラ夫人と親交があり、美術館1Fには袴羽織姿の天心の写真と共に漢字で書かれた名刺も収められている。おそらく天心が買い付けに一役買った日本の寺院の引き戸、瓦屋根の鳩の飾り物、菊や侍を描いた襖絵や掛け軸もたくさん飾られている。
さて、お楽しみはミュージアム・カフェ。オープンテラスも含め小さなカフェであるが、ここがパラダイス!
メニューはランチとカフェとがあって、これはランチメニューの「フレンチチーズ4種盛り合わせサラダ」。一緒に行った同級生のビッキーと共に、「最近こういうcivilize〔文明的)なもの、しばらく食べてなかった。。」と言いながらいただく。うっまーーー(泣)。
デザートも甘すぎず、上品な盛り付けのブランマンジェ。こういうものがアメリカにはないのよーーー(泣)。うれし泣きしながら、最後の一口まで堪能し、イサベラの美術の館を後にしたのであった。ボストン旅行する方にはボストン美術館のほうが有名だとは思うが、ちょっと足を伸ばしてすぐ近くのイサベラ美術館に行ってみてはいかが?大富豪夫人になった気分で吹き抜け3階の窓からスパニッシュ中庭を見下ろして、カフェで「文明的」ランチなんて、おすすめしますよ。。
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Thursday, May 26, 2005
オンラインDVDレンタル初利用~映画「2046」鑑賞
NetflixというオンラインDVDレンタルサービスを申し込んだ。きょう、初めてのレンタルDVDが郵便で届いた。この写真の赤い封筒にレンタルしたDVDが一枚ずつ入って送られてくる。利用者はインターネット上でネットフリクス社の持つ4万5000タイトルの中から鑑賞したい作品を選び、クリックするだけ。2-5日で最寄の拠点から郵便箱にぽこっと送られてくるのだから、こりゃ便利。
送られてきたDVDは紙のスリーブ袋に入っただけの状態だから、郵便箱にも余裕で入るというわけ。これならいちいちレンタルショップに行かなくてもいいし、Netflixのweb上には事細かな映画のレビューが載っている上予告編まで見れちゃうから、内容が違ってたなんてこともない。ところで、送付封筒はなんと封を空け裏返しすると。。。
なんと赤が白くなって、返信用プリペイド封筒に早変わりするのだ!究極のコスト削減。考えたな、こりゃ。アメリカ国内ならどこでも返信できる封筒で、DVDの返却はいつまででもOK。遅延料金なしときた。ちなみにNetflix社はナスダック上場でカリフォルニアに本社を置く。2005年中に300万人のユーザーを見込んでいるそうだ。レンタル料金は1度に1枚ずつ送られて来るプランが月$9.99。1度に3枚まで借りられるプランが月$17.99でこれが最もポピュラーだそう。アメリカ初にして最大のオンラインレンタルDVD会社の勢いは、既存のレンタルショップ型のBlockbusterを追いこす勢い。そのブロックバスターですら、これまでの店舗でのレンタルに加えNetflixを真似したオンラインでのレンタル部門を新たに始めたほどだ。しかし大方の予想では、オンラインレンタル専門のNetflixに軍配が上がりそうとのこと。
ーーー
ということでレンタルしてきた香港のウォン・カーウァイ監督の話題作「2046」を見る。カンヌ映画祭に遅刻寸前で出来上がったというあの大作であり、SMAP木村拓哉の国際デビュー作であり。ハリウッド的ストーリー展開に慣れた観客には、ひたすらゆったりとした美しい画面作り+プロットがないようであるようなウォン・カーウァイ監督の映画の美学は新鮮かも。
しかし予想していたよりも面白くない。ひたすら待って待って”あなたを想い続けるワー”的アジアの恋愛美学は、何かけだるい。チャン・ツイィーは相変わらず綺麗で演技も魅せるのだが、肌が荒れていた。(女の目は厳しいのだ)トニー・レオンはさすがに大物の貫禄。木村君は木村君の素に近い状態で、カギとなる役を上手く演じているものの日本語のみの台詞に少々?日本人は下手に外国語で芝居しないほうがいい、ということか?私は広東語ばりばりの木村君を想像していたのでちょっとがつかり。アジアン女優の作りこまれた美しさがこれでもか、と楽しめる異色の1作。そして、奇想天外なプロットがちょっとついていけない1作。。☆2.5。
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Wednesday, May 25, 2005
雨風ひどくなるばかりのノーイースター
5.23(月)-25(水)ノーイースター(Nor'easter)と呼ばれる北東の暴風雨が毎日吹き荒れる低気温の荒天続き。無理やり外出すると寒いわ、吹き上がる雨風にずぶぬれになるわ、傘はさせないわで最悪。5月なのに冬物のダウンコートを出して着るしまつ。家と大学のジムの往復。
家でテープを整理していたら、これまで作った大学の”課題ニュースリポート”ビデオに日本語の字幕をつけられることを発見。FinalCut Proを使ってがしがし日本語翻訳の”家内制手工業的”作業を行う。日本語訳の作業は英作文とは”真逆”の能力を使うもの。しかも字幕スーパーとなると短い文章でエッセンスを抜き出さないとならないわけで。
眺めだけはいい寮の窓から悪天候の空を横目に見つつ、親と親しい知人だけに送る日本語ビデオの作成に精を出す。
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Sunday, May 22, 2005
ゲイメンにとっての宗教とは~”ゲイ教会”の礼拝を取材。
日曜日の夕方。おそるおそる、とあるダウンタウンの教会のドアを開けて中に入る。すると黒いカジュアルスーツ姿のひげ面のいかつい大男が私を見つけ、両手を胸の上に握り合わせうきうきとした仕草で近づいて来た。「よく来たわね~テディ、来てくれてありがとおー。」フェミニンな仕草でハグ、そしてなんとほっぺにチュッとキッスをされてしまった。あのーひげが、ちくちくあたるんですけど。。
ひげ面の大男だけど仕草のかわいい彼はマークさん(写真)といって、れっきとしたゲイメン。しかもきのうボストンコモン公園で初めて会ったばっかり(苦笑)。
きのうの青少年ゲイパレードで、公園の広場に出ていたこの教会の紹介ブースで出会った。ブースにふらふらと吸い寄せられ、信者をリクルートしていたマークさんと色々と話し込んでいるうちに「ぴぴぴ」ときて、頼み込んで礼拝の様子を取材させてもらうことにしたのだ。前々から「ゲイピープルをテーマにしたドキュメンタリー」を出来る範囲で制作することを考えていた。撮影対象にはうってつけだと思った。
日曜礼拝を撮影するためにやってきたのだが、もちろん彼らの礼拝は普通の礼拝ではない。レインボーカラーの旗がかかっているここは「A Church of the Lesbian, Gay, Bisexual and Transgendered Community. Open to all」と銘打ったボストン・メトロポリタン・コミュニティー教会。
普段は普通のカソリックの教会なのだが毎週日曜日の夕方6時からは、彼らMCC(Metropolitan Communicy Church)がゲイの人たちの礼拝のために使っているのだ。信者はレギュラー&イレギュラー合わせて30-40人。こんなレインボーカラーのバッチを着けて礼拝に参加する。
一人で来ている人もいるしカップルで来ている人もいる。エグゼクティブ風のサラリーマンもいるし、ジャンパーの普通のおじさんやお兄さんもいる。2人いる司祭のうちの一人は全盲で盲導犬の助けなしには動けないジョージ・マクダーモットさん(写真)。推定年齢70代後半から80代。この人は足も悪く、大変な病人に見えるが、説教をしはじめるとこれがすごい。「聖書のゲイメンによる解釈」を弾丸トークする。全盲で生まれ、ボストン大学を卒業した。普通のカソリックの司祭として就職し、女性と結婚して娘ももうけたが、そのあと離婚しゲイに転向したという「波乱万丈人生」を送って現在に至る。
信者の一人、ボストン在住のデザイナーでゲイメンであるジョン・ウォーカーさん(写真)をインタビューした。
Qなぜここに来ているのですか?A「Just for the feeling of being free with my sexuality to practice my religeous beliefs in Jesus Christ..(自分のセクシュアリティーを自由に表現しつつキリストを信じる宗教的な気持ちを実践するためにここに来ているんだ)」
Q普通の教会に行きましたか?A「行ったけど、ゲイであることを責められているような(prosecuted)気持ちになったし、あそこには居場所はない、って感じだった。このMCCなら、ゲイであることで罪を犯しているとか、そんな気分にはならなくてもいいんだ」
Qカソリック教会は変わるべき?A「別に変わる必要はないんだ。カソリックの人たちはすぐに聖書を持ち出してそれを誤って引用してゲイピープルに伝えるんだ。MCCで学んだのは、カソリックは聖書をmisquoting(誤って引用)しているということ。MCCではみんなが聖書を”正しく”解釈しようとしている。”聖書は同性の者同士が愛し合うことを決して罪とは言っていない”、ということを学ぶ場所がMCCだ。」
取材を終えて思ったのは「ゲイピープルにとっても教会は絶対に必要」ということだ。この教会は信者が本当に家族のように結束していて、礼拝後に食事を共にしたり、ゲイ関連のイベントがあれば協力して参加したり、仲睦まじく行動している。
心の支えとなるサロン的な場所は誰にとっても必要であるのに、世間のカソリックの「常識」は決して「ゲイ」の存在を許しはしない。これまでゲイメンが集って、宗教について話し合える場所はなかったのだ。
教会においてあった「Homosexuality is not a sin, not a sickness.」というパンフレットを見た。リベラルなマサチューセッツでもまだまだカソリック=”ホモフォビア〔ホモ嫌い)勢力”は強いのだ。写真は中央がジョージ・マクダーモット神父とその盲導犬、向かって左がマクダーモット神父を支え実務をこなしているマイケル・クーパー神父。右が礼拝のモデレーター(司会)を担当しているマーク・ミッケルソンさん。マークはボストンに本社を置く、エレクトロニクス産業向け試験装置の世界最大メーカー、テラダインでエンジニアをしている。彼らは3人とも「自分はゲイメン」とプライドを持って公言してはばからない。実にかっこいい3人のボストン・ゲイメン。こういう人たちと知り合うと、世界観が変わるから面白いなあ。
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ボランティアに初挑戦!
それは、クリックするところを間違えたことからはじまった。
「運動不足の私の体に良いイベントで、世間のためになって、ボストンを探索できるイベント」を探していた時に「Walk for music」というイベントを見つけた。「ボストンは音楽の街でもあります。ボストン交響楽団やボストンポップスを始めとするプロはもとより、ボストンにはアマチュア音楽集団がたくさんあって、運営資金集めにはいつも頭を悩ませています。彼らのために、ウォーキングをして募金をしましょう!場所はバックベイ・フェンス公園(写真)です。日曜日に来たれ!ウォーキングルートにはアマチュアミュージシャンが歌や音楽を披露して皆さんをお待ちしています。」とある。「ウォーカーとして参加する」というタブを押すはずが、間違って「ボランティアとして参加したい」というタブを勝手に手が、手が~!!
ということでめでたくボランティア初体験である。私はウォーキングイベント参加者の、誘導係。最寄り駅から公園まではちょっと分かりにくいので、駅の前にイベントTシャツを着て立って、「ボランティア」という名札をつけて、参加者に地図を渡したり道順を説明する。えへへ。写真は一緒に誘導係をやったサラおばさんとトムおじさん。2人ともボストン近郊にずーっと、ずーっと住んでいる典型的な”マサチューセッツびと”である。私もイベントの1時間半前から彼らと一緒に参加者を誘導してみた。朝早くから無償で人のためになることをやるって、気持ちイイもんです、へえ。
あっけなくボランティアは終わり、私もウォークに参加できることになった。周囲を小川が流れる緑あふれる公園のわき道に沿って、アマチュアミュージシャンがギターを弾いていたり、キーボードを弾いていたり、グループでコーラスをしていたり。ウォークそのものというよりは、そういうアマチュアミュージシャンの演奏をいちいち立ち止まって楽しみながら歩く。なごみますねえ。
ミュージシャンあれこれ。ブラスバンドやアフリカンドラム、脇に乳母車を置いた主婦コーラスグループなど。ますますなごむねえ。
参加者の中で楽しそうだったのがそろいの帽子をかぶったおばあさん達。およそ5kmを歩き終わった後は広場でみんなで楽しく歌を歌おうの会が行われた。
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カルザイ大統領BUへ
きょうはボストン大学の卒業式。だからってヘリコプターが飛ぶ理由はないはずだぜい。
そうなんす。あのヘリはこのおじさんを警備するためのもの。このおじさんとはアフガニスタンのカルザイ大統領。なぜかボストン大が今年この人に法学の名誉博士号を授与することになったから、きょうは朝からうちの住んでいる一体が警備車両やら、ヘリやらでものものしい。大統領は卒業式の来賓スピーチで「米国がアフガニスタンで何千人もの人間を殺したことは人道的に誤っていることであり、あなた方アメリカ人が忘れてはならないことである。また飢餓に苦しむ人を見捨てたり、一般市民を無差別に殺すテロリズムを許してはならない。(要約)」という趣旨のことを語った。アメリカ人に向かって「他人の痛みを無視してはならない。」という教えを説いたカルザイ大統領は素晴らしい。アメリカ人学生も、今まで「一番になれ」とか「いかに勝つか」ということばかり教えられてきただろうに、こういうスピーチこそ真剣に聞いてほしいものだ。(その前にカルザイが誰なのか知らないアンダーグラッドの学生がいそうで怖いのだが)ちなみにカルザイに隠れて目立たなかったが、11月の大統領戦の民主党候補だったジョン・ケリー氏もカルザイ氏と合わせて名誉学位を授与された。
卒業式に出席した家族と共に大学の小道を歩く卒業生。このガウンの色はBUの色。賛否両論あると思うが、私は情熱的でなかなか気に入っている、クリムゾン・レッド(またの名をゆで上がったロブスター色)。
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Saturday, May 21, 2005
パーティ嫌いのサラ、最初で最後のパーティ
チャリティーウォーク、ユースゲイパレード見物と盛りだくさんだった一日、学友サラの家でパーティが開かれたので顔を出した。これまでパーティ嫌いで一度も学友のパーティに顔を出さなかった彼女が「Narcissism Be Damned(ナルシストのばかやろう)」という招待メールを送ってきた。「Before I become a hotshot journalist (well, broadcast "journalist"), I've decided to throw a party at my place Saturday night.」だそうだ。しょってるなー。ということで撮った写真がこれ。キムリンに代わって次の学期に私の撮影パートナーとなるのがこの写真のサラ。2人で気合を入れ「We will rock DC!」と誓いあった夜なのであった。
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「青少年ゲイパレード」で高校生達がゲイライツをアピール。
日付はまだ5・21(土)、チャリティーウォークが終わって、ぶらぶらと地下鉄の駅に向かって歩いていた。すると、ボストンコモン公園の入り口で、写真のようなレインボーフラッグが目に入った。ん?
あわててボストンコモン公園の広場に行ってみると、「Youth Pride Parade」という張り紙と共に、レインボーフラッグを持った高校生くらいの男女が集まってときの声をあげている。ははーん。きょうは、ボストン青少年ゲイパレードの日だったんだ。「Youth your voice! われわれ青少年もゲイやレズビアンであることを隠さずに言える社会にしましょう!」こんなスピーチが行われていた。レザーファッションや鼻ピアス、モヒカンヘッドに青いヘアカラーなどのとんがった青少年たちが高校単位で旗を用意し、パレードの準備は万端のようである。
パレードの出発地点から彼らを観察してみることにする。公園にはゲイライツ擁護団体のブースが並んでいて、その前にはQueerのお姉さま「MissHIV Prevention queen04(エイズ抑止クイーン)」も立っていた。(写真の上中央)しかし半端でない数の高校生軍団である。男女比は半々くらい。彼らのアンダーグランド・グランジ・ゴシック・パンクなどまぜこぜファッションが「ダサかわいい」。
パレードは「ビーコンヒル」と呼ばれるマサチューセッツ州議事堂の前の坂を上り、パークストリート教会という歴史的な教会の前を下る。道を通る人が目を白黒させつつ、好奇心一杯の目で見守る中、高校生達は力いっぱいこんな台詞を叫びながらパレードした。
「Hey hey, Ho ho, homophobia get to go! (ヘイヘイ、ホーホー、ホモ嫌いは出て行け!)」
「Five, six, seven eight, Opening the closet door! (5,6,7,8隠れてないでクローゼットのドアを開けよう!)」
州議事堂の前では「ゲイユースのためのマサチューセッツ州知事コミッション」というゲイ保護派の議員達が作った垂れ幕をかかげた人たちが高校生を温かく迎えた。
参加者の一人ひとりを観察してみた。いるいる。男の子同士、女の子同士で手をつなぐもの、メークを施した男子高校生。思春期の頃って、残酷なまでに「規格からはみ出た」仲間をいじめたり、排除したりといったことが、学校では起こりやすいだろうに、自分は周りと違っているということを声を大にして言える社会って、素晴らしいなあと思った。だから私はストレートなのであるが、ここまでゲイの人々に関心を持ってしまうのだろう。Teddyのマサチューセッツゲイピープル観察はまだまだ続く。。
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赤いドア、青いドア。
チャリティー・ウォーク参加後、体が汗で冷えたので近くのチャールズストリートのカフェでお茶をすることに。通りはショッピングストリートとして有名で、おしゃれなブティックやしゃれたカフェが立ち並ぶ。素敵な色のドアを見つけたので、写真に撮る。赤いドア、青いドア。
通りにはアンティークショップもたくさんある。水に浮かぶ陶器のボールは東洋風。涼しげでマル。「ラックセール」と称して、店の前にバーゲン品をたくさん出して売っている店が多かった。この後一人入ったおしゃれなカフェも、フォトジェニックな店だった。
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多発性骨髄腫研究基金ウォークに参加
Multiple myelomaとは” a cancer of the plasma cell, an incurable but treatable disease.”(MMRF Research Foundation HPより)とのこと。きょうは、このMultiple myelomaつまり「多発性骨髄腫」の研究基金を集めるためのfundraising walkに一人参加することにした。運動不足の私の体に良いイベントで、世間のためになって、ボストンを探索できるイベントと探していって、探し当てた。土曜日の朝にチャールズリバーのほとりをランまたはウォークして、ちょっとした募金をすると、参加記念のTシャツがもらえる。出走前には登録しておいたゼッケンを受け取り、アメフト優勝チームのNew England Patriotsの選手のスピーチ(写真)があったりして、イベントを盛り上げる。(選手の名前、忘れました。。)
午前9時、先に5kmをマラソンで出走する人たちが出発。いくらチャリティーといっても、マラソンの上位成績者には賞品が出るので皆結構一生懸命である。中には、多発性骨髄腫で亡くなった家族を持つ人たちが、家族の写真をあしらったTシャツを着たりして、ウォークに参加している。こうして明るく、将来の患者をtreatするための新薬の研究基金を集めるイベントを開催するあたりが、非常にアメリカらしい。日本ではあまり聞かないもの。
私のゼッケンは567番。立派な番号をもらっているものの、はっきりいって賞品目当てではないちんたら歩き(笑)で、景色を楽しむ。寝ぼすけの私が、土曜日の早朝などにチャールズリバーのほとりにひとりで立っていること自体が、素晴らしいのである。驚いたのは、赤ちゃんがいても、レース用の乳母車で参加する強い母親ウォーカー(ランナーもいた!)たち。前後輪が安定した一輪になっていて赤ちゃんと一緒に走れる乳母車が、開発されているのである。(コラージュ写真の左下)中には両親で一人ずつ赤ちゃんをおぶって歩いている人もいた。恐るべしアメリカの健康熱。
さらにこうしたイベントのもう一つの楽しみに、給水所・フリーサンプル配布所がある。イベント参加者にシリアルの1回分のサンプルとか、りんごとか、健康ドリンクとかが無料で配られるのである。私も給水所で洋梨やシリアルバーをゲット!
ゴール後は表彰式。ハーバード大学ダナ・ファーバーがん研究所で多発性骨髄腫の研究を手がけているケン・アンダーソン教授がスピーチ(写真)。その後、このイベントのスポンサーでもある、ナスダック上場の米バイオベンチャー、ミレニアム・ファーマシューティカルズ(Millenium Pharmaceuticals)のマーク・レビン社長兼CEO(写真右の青いジャンパー姿)があいさつ。
ミレニアムは、もともとゲノム情報を大手製薬会社などに提供するバイオ・インフォマティクスと呼ばれる事業を展開していたが、現在の目標は、自らが製薬会社になること。癌と炎症、代謝疾患、心臓病という4つの分野で治療薬開発を行っており2003年5月13日、FDAから多発性骨髄腫治療薬「ベルケード」承認を取得した。マサチューセッツ州ケンブリッジに本社を置く。普段一般の人にはなかなか敷居の高い製薬会社のCEOもこうしてジャンパーに野球帽姿でチャリティーイベントに参加するとは、興味深いものだ。
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Thursday, May 19, 2005
映画「エターナル・サンシャイン」鑑賞
ジムで汗を流す。広くて新しい大学のジム。学生証を入り口でスライドすると、無料で入場が出来る。私の最近のお気に入りの場所。
Brooklineにて、本日の散歩では、こんなモノトーンの壁画を見つけた。れんがに白と黒のモダンな壁画が意外とマッチしている。
映画「Eternal Sunshine」を鑑賞。Complete title は「Eternal Sunshine of the Spotless Mind」。ジム・キャリーが、冒頭で本人だと分からないほどのシリアスな演技を見せている。結婚・出産して一皮むけた(ように私には見える)ケート・ウィンスレットが「ハイテンション彼女」を演じていてかわいい!見た目よりもシリアスな「Closer」と違って、こちらはキュートなラブ・コメディー。しかし、「マルコヴィッチの穴」のチャーリー・カウフマン脚本だから、もちろん「記憶の穴」を行ったり来たり。「こんなのありえねえ」的な突っ込みをしながらも、がははと笑えてしまうハートウォーミングかつエンターテインメントな映画。脇役もイライジャ・ウッド、クリスティン・ダンスト、と「どっかで見た顔」続出で楽しめる。週末にカップルで見ると盛り上がる、ひねりの効いた恋愛SF映画。
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Wednesday, May 18, 2005
安売りデパートで散財~映画「Closer」鑑賞
早くも夏休みに突入した。夏の後半はインターンシップ等で色々忙しくなるので、その前に毎日「ボストン散策」と称して学期中には行けなかったところに行ってみることにしている。きょうはボストンの隣市Brooklineのすし屋「Yasu」で学友サラと寿司ランチ。すし屋なのだが、韓国焼肉用の卓上網が設置してあるなど、Korean系ジャパニーズレストラン。店内は限りなく和風の飾りつけなんだけどねえ。写真は裏通りで見つけた壁画(mural)。こうなったらいくつボストンの壁画をコレクションできるか、見つけ次第写真を撮ることにしようと思う。
食べ過ぎたのでのどかな近所を散歩していて、やばいものを見つけてしまった。「TJ MAXX」、安売りデパートである。ブランドスーツやカジュアルウエアを正価の20-70%オフで売っている。同じようなブランド物安売りデパートで有名なのはボストンに本店を置くFilene's Basementだが、それに似た店。だだっぴろい店内を探索すると、あるある!タグには有名ブランドの名前で、信じられないような値段になっている。サイズが合えばお買い得である。
夜、昼の散財に反省しつつ、DVDで映画「Closer」を見る。ピープル誌が選んだ「今世界で最もきれいな男性」のジュード・ローと、ナタリー・ポートマンが偶然の出会いをするファーストシーンの長回しにまず引き込まれる。BGMにかかっているダミアン・ローズの"The Blower's Daughter"という曲の「君から目が離せない」という歌詞がとーっても印象的だ。この映画、ジュードやナタリーに加え、ジュリア・ロバーツなど有名俳優が出ているということもさることながら、非常によく練られた人間関係ドラマであることは間違いない。あとで調べてみたら、元の脚本は舞台劇だったとのこと。納得である。「恋愛とは実は何なのか、形があるように見えて実は実体のないものではないのか」、というのがこの脚本のふかーいテーマのように思った。ファッショナブルな恋愛映画、と思うなかれ。実は「イターい」映画。過去の失恋や恋愛や利己主義や、誰もが持っているいろんなぐちゃぐちゃした部分を否が応でも思い出させる映画。ぴりりと効いた台詞がまた矢のように突き刺さる。ハッピーエンドなだけの恋愛映画に飽き飽きしている人におススメ。
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Tuesday, May 17, 2005
歯医者で散財〜ボストンのラテンneighborhoodを探索。
本日は、まず歯医者から。いたたたた。奥歯の詰め物が取れて放置する事1ヶ月。保険が効かないから行くのを渋っていたが行かないとより虫歯が悪化しそうなので、仕方なしに行く。アメリカでは銀の詰め物はしないとかで元の虫歯部分を削って(痛い!)削って、(だから痛いって!)そこにアマルガム(日本では応急処置用でしたよね)をつめておしまい。しめて100ドル超。くすん。痛さと値段のダブルショックでしばし軽く放心状態。歯医者の近くにあった池を散歩して帰る。グースがやりたい放題状態で、のどか〜〜。
本日はボストンのラテンネイバーフッドを探索することに。このエリア、ジャマイカプレイン(Jamaica Plain 略してJP)というファンキーな名前がついているボストンの一地区で、ラテン系の人々が多く住んでいる事で知られている。エリアはしかし閑静な住宅街でもある。美しい家々を見ながらstroll(そぞろ歩き)する午後。。。
お散歩メイツは以前このエリアを宿題で一緒に取材したビッキー。おいしいタコス屋を取材したので必ずまたここに食べにこようと約束していた。このエリアにはゲイ人口も多いようだ。軒先に写真のようなレインボーの旗やサインを掲げている家も多い。
JPには池もある。1周1.5km以上もの大きな池で地元のジョガーの格好のトレーニング場所だ。。釣りをしているおじさんがここでサーモン(まじかよ)を釣り上げたとかで、得意そうに見せてくれた。一体どうなっているんだ!?
Arnold arboretum OF HARVARD UNIVERSITYに到着。ハーバード大学所有の(強調)アーノルド植物園だ。なんか頭が良くなりそう。。(そんなわけはないんだけど)
見どころはライラックの丘。5月初旬にはライラック•サンデーというイベントが開かれ花見物の人が多く訪れる。
ライラックは種類ごとに全然花の色も、トーンも、においも全然違っていてSMAPの「世界に一つだけの花」を思い出した。(爆)主張の強い花、控えめな花、個性的な花など見ていて飽きない。
センターストリートというメインストリートに戻り、タコスを求めてひたすら歩く。「America's Walking Town」と呼ばれるボストンであるが、こうわれわれのようにひたすら歩いてご近所探索をしている人が果たして何人いるだろうか。(実は結構いるのかも)歩いて回るのには訳がある。ボストンは駐車場事情がきわめて悪いのである。路上パーキングはたいてい一杯だし、混んだエリアでは二重駐車もざら。ビッキーなどは車を持っているのにあえて乗らないくらいである。「駐車場を探す手間がいや。ガレージ式の公共駐車場はばかみたいに高いし。雪が降れば路上のパーキングロットを掘り起こさないと行けないし。ボストンのドライバーは運転が荒いし、道は整備が滅茶苦茶だもんね。」ビッキーさん、ごもっともです。写真は先日派手な火事で廃墟と化したJPの教会。
やったー!本日のわれわれのJP探索の「ゴール」であるタコスレストラン「Tacos El Charro」に到着。ケサディラ、エンチラーダ、タコス、ナチョス!とハミングしながらメニュー選び。ライムを入れたコロナビールもお忘れなく!
JPはボストンのメジャー観光地ではないけれど、目抜き通りには地元の人しか知らないようなディープなラテン系レストラン(もちろん本物の移民の人が開いたもの)がたくさんあって、散策はおすすめである。詳しくはここをご参照あれ。
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Monday, May 16, 2005
散歩でご近所再発見〜映画「真珠の耳飾りの少女」を観る
散歩がてら近所を再発見。うちの裏の路地にはこんな壁画があったりする。Muralと呼ばれるこのような壁画はボストン市内、至る所にある。カフェやスーパーの壁など地元の「壁画アーティスト」が腕をふるわない場所はない。これはFenway球場の裏という場所柄、球場を描いたもの。
アイリッシュ•パブ「An Tua Nua」いつも「飲みに行くとき=夜」しか見ていなかったから気がつかなかったけれど、こんなきれいな色の建物だったんだね。
大学のジムへ。この春に新しくオープンしたばかりのフィットネスセンターである。50mのコンペティションプールにジャグジー付きのリラクゼーションプール、その上マシンルームは3フロアにも渡って展開されている。これなら、行ってもバイクや筋トレの機械が空いてなくて待たされるということもない。さらに4階には屋内ジョギングトラック、B1Fにはロッククライミング用の壁、スカッシュコートなど、巷の商業ジム顔負けの堂々たる施設。残念ながら、私は秋からDCに行ってしまうので使えない。だからいまのうちに使っておこう。
夜はDVDレンタルで映画「真珠の耳飾りの少女」を見る。オランダの画家フェルメールをコリン•ファース(「ブリジット•ジョーンズ」の彼氏マーク・ダーシー様でおなじみ)が、その画家に見入られて絵画の題材となるメイドをスカーレット•ヨハンソン(「ロスト•イン•トランスレーション」)が演じている。見終わって思ったのは、フェルメールは結局奥さんの真珠のイヤリングをつけさせ、絵に描いたメイドではなく、奥さんを愛していたのではないかということ。奥さんは自分が絵の題材にならず、代わりにメイドが選ばれた事で嫉妬に狂うけれど、結局フェルメールとメイドは映画の中ではプラトニックラブ。フェルメールが書いた絵の代金は家族を養う為に使われるのであって。。もっと「危険な愛」を想像していた私はちょっとがっかり。しかし、美しい映画であった。有名絵画が出来るまでの裏話的過程を見せて、見せて、見せて、最後にファイナリー!という感じであの「耳飾りの少女」の絵をunveilする演出が、良い。神経質な画家、フェルメールを演じる悩めるコリン様(ファンなのだ)に萌え〜。
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Sunday, May 15, 2005
ボストン穴場レストランでリラックス
怒濤のような春学期のラストに加え、DC”出張”が立て続けに予定に入っていたが、それも終わってしばしリラックスできそう。きょうは家の近くにあったのに、まだ制覇(というのだろうか)していなかった、Elephant Walk というレストランでディナー。金色の象が歩くトレードマークに引かれ、前を通るたびに入りたいと思っていたがとうとう実現した。フレンチとカンボディアンのフュージョンを出す店。地元の魚介類をふんだんに使った新鮮な料理と、フレンチ風のソースのハーモニーがたまりません。ボストン大学の裏通り(?)ともいうべき辺鄙な場所にあるものの、valet parkingなんて完備しているあたり、ただものではないとふんでいたが、やはり料理はただものではなかった。レストラン内も外光をふんだんに取り入れてリラックス出来る雰囲気。
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Saturday, May 14, 2005
雷雨と遅刻で6時間遅れのボストン帰郷〜空港で見つけた愛国的/非愛国的グッズぜんぶ紹介!
DC最終日。土曜日なので、お世話になったインターンの皆さんとベトナム麺「フォー」の専門店で舌鼓。5ドルちょっとでスープまで旨いシンプル麺。トッピングのレモングラスともやしとライムがたまりません。
ボストン行きの便出発40分前に空港に到着。しかし、私はダラス国際空港をなめていたのだった。すでに目の前にはセキュリティチェックの長蛇の列。eチケットのチェックインは「搭乗手続きは閉め切らせていただきました」との画面表示でアウト。いかん。たかが1時間ちょっとの国内線なのに。便を変更する為に1kmほども続いているながいながい列に並ぶ。ほとほと疲れ果てていたところに、空港の外では稲光が。激しい雷雨だ。
雷雨+遅刻で合計6時間、ボストンへの帰省が遅れた。仕方ないので空港の店を散策していて面白いものを見つけた。「America!」という愛国グッズのギフトショップ。DCならではの店だ。品揃えを紹介しよう。
まずはブッシュ大統領がにかっと笑うマウスパッド。12ドル前後でPatriotismを毎日かき立てるこのグッズ、いかが?(個人的にはおえー。)
お次は「Nuts about George」というナッツの袋詰め。「ジョージ(ブッシュ)に夢中、うふ。」というワケか。(これも個人的にはおえー。)
ホワイトハウストイレットペーパー。これであなたのお尻を拭けば、きっと真っ白に!(嘘です)
だんだん怪しくなって来た。「ビンラディントイレットペーパー」Wipe Out!(壊滅せよ!)とのメッセージ付き。
「Don't blame me I voted for Kerry」僕を責めないで下さい、ケリー候補に一票入れたのに。Tシャツ。あれ、愛国グッズじゃないぞ、これは。
これが本音!?「またブッシュかよ!ひえー」ムンクの叫び状態Tシャツ。おあとがよろしいようで。。あ、とうとう搭乗案内のアナウンスが。やっとボストンに帰れる。。
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Friday, May 13, 2005
DC職場訪問最終日。
DCのメトロ(地下鉄)。ロンドンと同じとまではいかないが、かなり深く地下におりなければプラットフォームまでたどり着かない。ボストンの路面電車と違うのは、時間にきっちりしていること。時刻表通りに運行されているし、次の電車まで後何分なのか電光掲示板で表示される。ボストンじゃあ、こうはいかない。
きょうはDCでの某局面接兼職場訪問の最終日。
DCは東京の霞が関/大手町に似ている。ストリートの幅が狭く、建物はNYほど高いビルがない。人々はみなきちんとした服装をしているし、ビジネスマンや政治家が多く、子供や学生があまりいない。
きのう歩いた噴水広場のあたりには、写真右のように変わった銅像を前庭に置いているレストランがある。広場からずんずん1KMくらいも散歩する。夕暮れ時の空気が心地よい。
また、「緊張したから」と言い訳してひとりアルコール(写真左)。ぶぶぶ。きょうは、DCのワールドレストランの中から、レバノン料理店をチョイス。レバノンレストランと言えば、以前ロンドンで道に迷った時に助けられた経験からいい印象がある。しかし、ここのレストランは満員で20分以上待たされるし、ウエイターがなかなか来ないし、であまり愉快ではなかった。
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Thursday, May 12, 2005
ドキュメンタリー編集の現場に立ち会う〜DCの「出会いスポット」とは
面接も無事終了し、きょうは某TV局のドキュメンタリー制作の最終作業を見学させていただく事になった。詳しくは話せないが、プロの編集マンの仕事を久しぶりに目の当たりにした。
一日が終わり、DCのダウンタウンを散歩がてらぶらぶら歩いた。デュポンサークルという噴水広場には、人々が沢山ベンチに座って思い思いの夕暮れの時間を過ごしていた。だが、何かが違う。何だろう、と思う間もなく私の頭の「ゲイダー」(ゲイピープルの接近を関知するセンサー、ゲイ+レーダー=ゲイダー)ががんがん反応し始めた。後ろから私を追い越していく二人の青年が手をつないでいる。あれ、おとこどうしなのに??あ、そうか。ここは、ゲイの方々の出会い/憩いの場なのね。DCは場所柄、ゲイライツを提唱して国家レベルでゲイの権利を訴えるNGOの存在も多い。ブッシュ大統領の共和党政権は、副大統領のチェイニーの娘さんがレズビアンであるにも関わらず、カソリックの思想に反するとしてゲイの権利に反対している。だからして、DCという場所だけに、ゲイピープルも、よりvisibleでなければ権利を訴える意味がないのであろう。DCは、政治の町であると同時にゲイの町でもあるのである。。
DCにはワールドレストラン、エスニックグッズの店も数多い。各国から大使の集まるアメリカの首都なのだからそこに住む人々も各国から集まっているというわけ。インド系カーペット/インテリアグッズの店にて。ビーズをちりばめたスリッパやアクセサリーも売っていた。
緊張した一日の疲れをほぐして自分に乾杯。人が一杯入っていた雰囲気の良いイタリアンレストランを見つけ、パスタと白ワインで一人ディナー。1月から5月まで、ひたすら突っ走って来た春学期を振り返る。
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Wednesday, May 11, 2005
堂々寝坊するもワシントンDC面接旅行へ出発!
あれ?セットしたはずの目覚ましが鳴らなかった。。やばい!8時半の飛行機に乗るはずが、目が覚めると朝7時半!!もう空港に立っていなければいけない時間に起きてしまった。いつもながらこの「生活態度だけが大物」という私の癖、治らないかしらん。昨日卒業式を迎えたBUの社会人MBAの皆さんと0時近くまで大学そばのパブで飲んでいたのが行けなかった。6時半に目覚ましをセットしたのに堂々ともう1時間寝ていた。10分で支度をして寮の前からタクシーを拾う。
奇跡だ。間に合ってちゃんとユナイテッドのDC行きシャトルに乗っている。ビバ!ボストンのローガン空港。ダウンタウンから近いので、私のようなねぼすけも助かるのだ。上空は快晴。降り立ったDCは、涼しいボストンと違って蒸しあつあつ。初夏の気温がむんむんするが、新緑が濃くすがすがしい空気。
きょうは、9月からのDCでのインターンシップの面接で某TV局の支局長にお会いする。その前に、無事面接までこぎつけたことを、ボストン大学ワシントンセンターに立ち寄って報告に行く。ダラスインターナショナル空港からダウンタウンまではタクシーで3、40分。BUワシントンセンターは大きな動物園の前にあった。
笑顔で迎えてくれたブルーのサマーセーターが決まっている美女は、エリン。ボストン大学ワシントンセンターのインターンシップコーディネーターとして、私のインターンのコーディネート第1段階は彼女が連絡をしてくれた。そのおかげできょう、面接の相運びとなった訳である。日本の佐賀県でAETをしていたことがあるとかで、意気投合した。
まずはエリンの案内でワシントンセンターを見学。1階には、ケネディのポートレートなどが飾られている。教授達がミーティングをしていたので、挨拶。秋学期に備えて好印象を与えておきたい。
ニュースルーム。授業の半分はこの部屋で「取材」をし、記事を書く事になる。「記者」一人一人のブースには、コンピューター、電話もあって実践気分が味わえる。
9月から生活をする事になる部屋も見学。思っていたよりは小ぎれいだったものの、やはり狭い。やっていけるだろうか。この年になって他人と住むのも(ベッドルームは別、リビングルームをシェアするだけだけど)初めてである。
午後からはいよいよ面接。さて吉と出るか凶と出るか、運試し。。
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Tuesday, May 10, 2005
鬼教授にあいさつ〜日本人MBA生卒業式
あ、つ、い。今日は夏日。キャンパスの芝生には寝そべる学生続出。私は、寝そべる事もなくやっと学期末のごたごたもすっきりしたのでチャイナタウンのヘアサロンに出かけ、髪を切ったりといろいろな用事をすます。
用事の中に、サーシャ•ノーキン教授へのあいさつがあった。BUの放送ジャーナリズムの顔ともいえる彼女。率直で厳格かつ素朴な性格から「鬼」とうたわれる上、化粧っ気もなく一年中ズボン姿で過ごす教授だけれど、私は彼女の「嘘をつかない=物事をsugarcoat(きれいごと化)しないところ」が好きだった。放送ジャーナリズムと言っても、美しい文章を書いたり、取材先やインタビューする人の「有名さ」で評価をする「記者型」の教授も多い。そんな中で、彼女は徹底的に「撮れている映像でいかにストーリーを語るか」を学生に対する評価の基準にしていた。だから、美しい文章が書ける学生でも、いい絵が撮れてなければだめだったし、いくら偉い人をインタビューしても、そのインタビューがストーリー全体のコンテキストに合っていなければ、容赦なく学生をけなした。我々院生がふざけて、彼女の好みの映像を「ノーキン•ショット」と呼んでいた。それは、ローアングルから撮った映像だったり、高いアングルから撮った実験的なカットだったり、必ずノーキン教授が作品をプレビューする時にわざわざビデオを一時停止にして、「このカット、いいですね」と褒めるカットなのである。我々クラス一同は、皆が取材の時ごとに教授に褒められようと「ノーキン•ショットを撮れ!」と躍起になったものだった。秋からは、私はワシントンプログラムに参加するので、ボストンの本校舎にいて授業を受け持つノーキン教授とはこれでお別れである。彼女、「鬼」と言われるものの、厳しいのは授業の内容に対してのみで、その他の就職相談や人生相談などは、意外と親身に乗ってくれる人情味溢れる面もあるのである。多くの学生が、彼女の「仏頂面」を見ただけで相談を頼まずに逃げ出してしまうのが常なのであるが、教授は私生活では二人のティーンエイジャーの娘さんの母親でもある。とにかく、お世話になりました。教授のことは忘れません。この間大学に、この放送ジャーナリズムコースのOBとOGでFOXの記者をしている卒業生がやってきたが、彼らのようにいつか教授を、名字でなくファーストネームの「サーシャ」と呼べるようになりたいものである。(今は怖くてとても呼べない。。。)
午後にはSchool of Managementの校舎の講堂で、日本人の知人が多く参加している「アジアパシフィックMBAプログラム」の卒業式が開かれたので、のぞいてみる。赤いガウンを着て笑顔の面々。私も早く学位を取りたいなあ。赤いガウンを着て、帽子を投げてみたいものだ。写真はマツケンサンバ大会の幹事をしたS電機のFさんと、おしゃれして卒業式にかけつけたB&Bの経営者、Tおばさん。
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Monday, May 09, 2005
卒業大宴会ビデオプレビュー会で「おひねり」をいただく
土曜日に撮影に行った「卒業大宴会マツケンサンバ大会」を編集したビデオが完成した。参加者全員のカラオケのさびの部分を入れて、インタビューを軽く編集して、サンバフルコーラスを入れて。。と結局2日間半徹となってしまった。
卒業大宴会の会場だった「B&B Tおばさんの家」にて、プレビュー会を開いた。Tおばさんの家に宿泊してMBA取得を目指していたボストン大学の日本人学生の面々を前に、編集したものを披露。やんややんやの喝采で、大変受けた。宴会の幹事、FさんとSさんがDVDにがんがん焼いて皆に配る。枚数は50枚近くにものぼった。
なんと、無償で「ボランティア」として作った宴会ビデオだったが、幹事のFさんの呼びかけで私に「おひねり」が集まった。ありがたい限り。徹夜に近い状態で編集をした甲斐があった。このおひねり、なんと合計して50ドルにもなった。貧乏学生の私には家計の大きな助けになります!ありがとうございました。
おひねりに加えて、Tおばさんの好意で夕食までただでごちそうになった。和食と洋食のフュージョン料理でうまー!ワインがよく合う。
これが今晩の夕食のテーブル。Tおばさんの家の中は土足厳禁だし、NHKニュースが流れていて、まるで日本のようだった。
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Sunday, May 08, 2005
寒さに震えながらイチローコール。SOX戦観戦!
マツケンサンバ大会のビデオを作ったよしみで、S電機の皆さんと野球を見に行く事になった。ボストンレッドソックスVS シアトルマリナーズ戦である。
雨風がすごくてきのうの試合が中止になった代わりにきょうの昼から試合が行われる。プレイボール2時間前に球場に到着、まずはグッズショップを物色。種類の豊富なSOXロゴ入りグッズの洪水。
こんなに早く球場に来たのには訳がある。ウォームアップの練習中に、イチローにサインをもらうためである。
ところがイチローは我々日本人には見向きもしない。代わりにマリナースのコーチとキャッチャーにサインをもらう事に成功した。レッドソックスのサインの列にも並んでみたが、狙っていたジョニー•デーモン選手のサインはもらえなかった。
試合は兵士の担ぐ星条旗のはためく中、国歌斉唱で始まった。
きのうまでのざあざあ振りの雨はやんだものの、時折ぱらつく小雨が寒い。
ところで我々の席は3塁側最前列である。チケットは立ち見席。でも。。延期された試合なので、最前列の客は来ないだろう、と踏んで図々しく座っていた。そしたら、案の定誰もやってこなかったのだ。
あまりに寒いので、席に座ったままオーダー出来るクラムチャウダーを注文。ボストン市内に本店があるシーフード専門店、「Legal Seafood」のもの。
でもやはり野球観戦といえば、生ビール。さすがボストン、球場にアイリッシュパブの支店がある。そこで買って来た生ギネスビールをすするものの、日本製のカイロで暖をとる。
イチローの打席はやはり間近で見ると迫力があった。打って、走って、細くてしなやかな体を生かして大活躍だ。
レッドソックスの打席も炸裂。ジョニー•デーモン選手は野人のような容貌で、打席に立つとバットを左右に振って相手を挑発する。3塁まで走ってくるとこんなに間近に見れてうれしい。
Soxのマスコットキャラクター「グリーンモンスター」が球場内を駆け巡ってファンをあおる。
リリーフで長谷川滋利ピッチャーが登板。イチローと合わせて、日本人選手の活躍が見れてわれわれにはうれしい限り。
試合は6−3でRedsoxの勝ち。試合後にまた降り出した雨を避けながら、近くのピザ屋「Uno」で暖をとる。「満員のピザ屋の壁には牛の彫刻が。その角には、やはり宿敵NYヤンキースをやっつけろ、という意味かヤンキースキャップが刺さっている。。
夜はノースエンド(イタリアンタウン)の有名店「Giacomo’s」でカラマリ(やりいか)フライ、パスタなど。
ノースエンドの有名デザート店/カフェ「Mike’s pastry」でデザートを買う。カノーリというイタリアンデザートやエクレアが激旨のこの店、遅くまで開いていてにぎわっている。
「Mike's」ではイートインも出来るし、テイクアウトもできる。テイクアウトを頼むと写真のようなかわいい箱に入れてくれてたこヒモで結んでくれる。
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Friday, May 06, 2005
買い出し、買い出し。
このところ食生活が滅茶苦茶だった。食材を買い出しにいく暇がないので、インスタントラーメンみたいなものしか作れなかったし、外食ばかりしていた。そこで、新鮮な野菜を買いに「週末青空市場」が開かれるHaymarketという場所へ。1ドルや2ドルでスーパーで買える量の2−3倍の野菜が買える留学生の友、ヘイマーケット。パキスタンから来たボストン大の国際フェローのアブドゥルは、「King of Haymarket」と呼ばれ毎週ここに欠かさず仕入れに来ていた。
野菜の他にもスーパーマーケットに買い出しに。ピンクの豚のパッケージがかわいいパンと、パンに塗るペーストを衝動買い。なかなか旨い。
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Thursday, May 05, 2005
インターン作文締め切りでまたもや走る!
秋からワシントンDCに行くことになった。ボストン大学のワシントン政治ジャーナリズムプログラムに参加するためだ。ワシントン政治ジャーナリズムプログラムとは、ジャーナリズム学部の学生の中から希望者を募って、秋学期をDCの「ボストン大学ワシントンセンター」(写真)で過ごすもの。ワシントンセンターは地下がパソコンや電話、VTR編集室を備えた取材センター、1階が教室、2階から5階までが寮になっていて「合宿形式」で秋学期を過ごす。参加者は例年15−20人前後。選抜制で、3月に応募を締め切り、4月に教授による面接を経て参加者を決める。成績やエッセイを提出しなければならず、大学院に2度入学するような気分を味わった。
プログラムは3つの要素からなりたっている。
1.BUの教授による政治ジャーナリズムの講義
2.ニューハンプシャーのTV局やマサチューセッツの新聞社など、DCに支局を置けないメディアの“DC記者”としてニュースを配信するインターン
3.個別に好みのTV局や新聞社のDC支局でインターン
この「3」のために、とある日本のテレビ局のDC支局に大学を通じて受け入れをお願いしていたところ、英語と日本語両方で作文を提出するように先方から連絡があった。大学院の授業が終わったばかりだが、今度は作文の締め切りである。ブレインストーミングに時間がかかったが、ものすごい勢いでパソコンのキーをタイプし、何とか大学が閉まる前に「作文添削センター」に駆け込む事に成功した。英文の部分を添削してもらったら、次はそれを今日中にファックスしなければならない。急げ!添削文を受け取って、寮の部屋に走る!
何とか先方のインターン受け入れ担当者と約束した時間、5:00PMに間に合った。ファックスを流して、確認の電話を入れると力つきてベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまった。4月後半から今日まで、本当に息もつかずに駆け抜けた日々であった。
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Wednesday, May 04, 2005
プロンプターが読めない!~メキシカンで“最後の晩餐”
寝不足寝不足の毎日も今日で終わり。春学期最後の日。でも「TVニュースルーム」の日なので5時起きしてTVニュースをチェック。
だって、きょうは最後にメインアンカー担当の日なのだ。いくつか原稿を書いて、時間までにアンカー席に座る。きょうのCO-ANCHORはカナダ出身のジュリー。最後の日なので、寝不足、体調が悪いのは皆も同じ。デジタルプロンプターの操作を担当するミランダが、体調がおかしいとかでプロンプターが全然原稿を読む速度に合っていない。プロンプターを読めない=アンカーが出来ないのと同じ。ジュリーと二人で「プロンプターが全然読めませーん」と訴えてみるものの、ミランダも、他のクラス全員も学期末でおかしくなっていて改善なし。ひえええええ。つっかえつっかえやってアンカー終わり。不本意。。
でもこれで春学期は終わったんだ!寝不足よりもまずは開放感でいっぱいになって友達のビッキーとダウンタウンに繰り出した。いつもの店じゃなくて、「Bankok Blue」という有名タイ料理店にて、タイカレーでランチ。るんるん。
昼寝をして、夜になってまた町へ繰り出す。放送ジャーナリズムのクラスの同級生と、打ち上げディナー。メキシカン料理店にてほぼクラス全員が集合。来学期からは、ワシントンDCの政治ジャーナリズムプログラムに参加する私たち数人をはじめとして、全員がそろう事はもうない。「なんだか悲しくなっちゃう」同級生のケリーが言う。
一度「TVニュースルーム」のクラスで一緒にニュースアンカーを担当したマイケル•ケリーくんと2ショット。彼は寝起きが悪い他は、なかなか落ち着いていて、記者としてのプレゼン能力があるのだが、いかんせんおとなしすぎるのがたまにきずであった。どんな取材でもカメラを担当すると、絵が「遠い」のである。被写体の近くに寄る勇気がないのだ。
でも、クラスの女子の多くが困っている時にさりげなくマイケル君に助けられた経験がある。そんな「癒し」系の彼とも今学期でお別れ。「この取材できるかな?」と迷っている時に「テディ、君なら必ずできる。」と言ってくれたりして、ありがとねー、マイケル君。気弱な性格を治して、立派なTVプロデューサー•記者になってくれよ。。
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Tuesday, May 03, 2005
ペーパーに苦しむ/教授の評価はマークシートで。
うーんうーんうーん。
きのう、大学のスタジオでTVマガジン番組のアンカーの大役を終えた(写真は収録風景)のも束の間、きょう午後にまたもやペーパーの締め切りを控えている。そのため、昨晩からろくに眠りもせずにうんうんうなり、電子辞書をかみしめながら迎えたきょう火曜日。
学期末はいつもこう。課題の締め切りが集中するので、仕方ない。考えてみたら、先々週の土曜日に「NY出張」から帰って来てからというもの、休みなく突っ走って来ている。治ったばかりだというのに、また風邪も引いてしまった。
きょう問題なのは、しめきりが目の前のリポートの仕上げ。A4用紙に10枚以上。「ドキュメンタリーの授業で見て来た数々の作品の具体的な名前や手法を挙げながら、古典ドキュメンタリーから現代ドキュメンタリーまでの変遷を独自の視点で分析せよ。」というのがテーマ。
自慢じゃないが、このペーパー、取りかかり始めたのが昨日の朝。でも書くっきゃない。「FT560 Documentary」と書かれた授業のシラバスを見ると、「ファイナル•ペーパーの成績に閉める比率は35%」とある。ということはこれを落とすと、せっかくこれまで築き上げて来た村井ブラウン教授ことムーレイ•ブラウン教授との信頼関係が崩れる事になり、成績も悪くなりかねない。この授業、TV/映画業界での労働経験があるのがクラスで私一人、とあって教授が毎回「じゃ、テディの意見を聞いてみようじゃないか」と指すようになっていたから、たまらない。ドキュメンタリー、といっても毎回「Fahrenheit 911」とか「Supersize me 」みたいなトレンディーなものを見るわけじゃないので、フラハティーとか、グレアソンといった米/英国の古典監督の作品のように「意見のしようがない」ドキュメンタリーも数多かった訳で。。
一晩で英語の10枚のペーパーを仕上げようなんて、私も度胸がついてきたもんだ。でも、書くしかないのだから、とりあえず授業でとったノートをあさって、これまで見て来たドキュメンタリーの名前と内容を並べてメモにしてみる。そして、印象に残った作品のポイントを一言でまとめる。同じような手法で作られた作品をまとめて取り上げる、というやり方で4章の章立ての荒いストーリーを作る事に成功。英語のペーパーの場合、こうした「論旨づけ」が大事。そしてそれをうまく文章に展開していくのだ。
ベッドにつっぷして明け方に3−4時間の睡眠をとりつつ、お菓子をつまみ食いしながら(しないと寝てしまう)なんとか、授業のはじまる午後2時の10分前にペーパーが完成。授業には10分遅れで到着する。間に合った。
学期末の授業では、教授に対する評価をマークシート方式で記入する用紙が配られる。これを学生が記入している間、教授は教室にいてはいけないことになっている。評価項目は「授業の内容は易しかったか、難しかったか」「課題の量は適当だったか、多すぎたか」「シラバス(授業内容)で告知された内容と、実際の授業は食い違っていなかったか」「教授の人となりについて、どう感じたか」などシビアな内容。(写真)
この評価シート、同じようなものが日本の会社でも導入されないだろうか、とつくづく思う。「上司への部下からの評価」なんていうシートを毎春ごとに職場で記入して、評価が低すぎる上司はクビに出来る、というのはどうだろうかしらん。もちろんこの用紙、無記名で、記入後は教授自身でなく学生の代表が教務課に直接届けることになっているところがミソ。ところで、最後のドキュメンタリーの授業は、これでもう村井先生(ムーレイ教授)に会えなくなると思うとなんだか寂しい気分になった。しかし、もうペーパーを書かなくていいと思うとうれしい。
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Monday, May 02, 2005
風邪っぴきアンカーとワームウーマン。
きょうの「TVマガジン」の授業では、番組のアンカーを担当する。今回は環境について考える「Environment Show」。番組は大きくわけてco-anchorのサラが生ゲストとスタジオでトークをするセグメントと、真ん中の私の「チャールズ川の水資源を守るプロジェクト」についてのセグメント、さらに「取材記者」のアマンダとチャンの作ったVTRを紹介するパートと3つに分かれている。
へ、へーくしょん!なんてこと。1学期中に1回しか回ってこないTVマガジンのアンカーなのに、風邪っぴき。せきがひどくて収録の最中にNGを出してしまいそう。そこで教授に相談した。
「ノーキン教授、土曜日にひどい雨のなかで取材をしていた上に、ジャパニーズ卒業記念サンバパーティに行ったので、風邪を引いてしまいました。しかしこんなに悪くなると思わなくて、咳止めの薬を置いて来てしまいました。ちょっと寮の部屋に薬を取りに行って来てもいいでしょうか?」
「だめです。もう収録ですから。」ノーキン教授はやはり何を頼んでも「鬼」だった。。ちなみに私の部屋は早足で往復すれば10分もかからない距離にある。。
収録が始まった。アンカーは意外と楽な商売。原稿を打ち込むパソコンと連動している「デジタルプロンプター」に全ての台詞が書いてあるのを、落ち着いて、感情豊かに読めばいいのである。台詞は記者やアンカー自身が書き、プロデューサーが監修する。
最初のパート、サラがブッキングした「環境問題」にまつわるゲストとは、“ワーム•レディー“。生ゴミリサイクルの為にミミズを育てて、州の環境局で「ミミズリサイクル」プロジェクトを推進しているマサチューセッツ州の公務員のおばさんである。大きなシースルーの「生ゴミ入り堆肥箱」を持ち込んで、どのようにワーム(みみず)が生ゴミを堆肥に変えるかを、スタジオで聞くはずだった。ところが、このゲストがとんだくせ者。サラとスタジオでの対談を収録し、失敗もなくOKが出たにも関わらず、「カメラ割りが気に食わないわ。もう一度やらせてちょうだい。でなきゃ来た意味がないわ。プロデューサーと話をさせてちょうだい。」とキレだした。サラは、この収録テープを、おばさんの「州ミミズプロジェクト」のPRのために無償で提供する、と承諾した上で大学のスタジオに来てもらう交渉をしたのだった。
鬼でも教授はさすが「名プロデューサー」だった。「この収録は学生達が単位の一環でやっているもので、最後まで収録を止める事は、カメラ割りや構成を乱す事になるので出来ません。でももしあなたのPRビデオのために取り直しをしたいのなら、あなたの登場部分だけ、全て収録が終わった後にもう一度特別にカメラを回しましょう。」
ゲストが「キレる」事など、初めてだった大学院生も多かったに違いない。が、これは現実のTV業界でも、起こりうる事。現実の世界を少し学んだと思って、我慢した我々であった。収録が終わった後、スタジオはいつにない妙な一体感で一杯になったのであった。まるで本当のTVクルーみたいだ。
ところで、肝心の私のチャールズリバーインタビューは。。上の写真のように無事、クロマキースクリーンの前で自作のVTRの前フリを立派にこなした。「チャールズリバーは汚れています。見てください。このごみは、土曜日に私が実際に川の土手で見つけたものです。そこで立ち上がったのが地元のNGO団体“チャールズ川水資源アソシエーション”です。1000人のボランティアを動員した毎年恒例のチャールズ川ゴミ拾いを取材、そしてゴミ拾いを企画したNGOの発起人にインタビューをしました。VTRをご覧下さい。」*写真は風邪でちょっと(だいぶ)顔がむくんでいるのでそこは突っ込まないでください。。。
VTRは、非常に多くのチャールズリバーのインサート映像を入れて、長いインタビューを短く感じさせるように心がけた。なかなかうまくいったし、例の鬼教授にも褒められた。インタビューをしたNGO環境活動家のアナさんにインタビューの完成VTRを送ったところ、「よくぞ我々の環境保護活動をVTRにしてくださいました。素晴らしいビデオでした。できれば来年の“チャールズ川ゴミ拾い”を告知するために30秒コマーシャルを作ってほしいの。地元のTV局で流す予定なんだけれど、作ってもらえないかしら?」とアルバイトのオファーを頂いた!ひゃっほー。うれしい。
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Sunday, May 01, 2005
編集作業(へっくしょん!)
風邪だ、完全な風邪。きのうの雨と低気温の中でのチャールズリバーの取材と、その後のマツケンサンバパーティのばか騒ぎのおかげで完全に風邪を引いた。くしゃみをしながらインタビューのVTR編集作業を行う。このVTRは明日の「TVマガジン」の授業で制作している番組「Mass Exposure」で自分がスタジオアンカーとして紹介する。
そう、あしたは、TVマガジンの授業でアンカーをする日。TVマガジンのアンカー役は1春学期中1回しか回ってこない。なのに、こんな鼻水とのどの状態ではいかん。。しかしマサチューセッツ、あなどれない悪天候ぶりだ。すこし気温が上がったと思っても、冷たい春の雨が瞬く間に外気温を下げる。2週間おきに風邪を引いていてはきりがない。へーっくしょんっと!
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Saturday, April 30, 2005
チャールズ川大掃除ボランティアを取材~日本人MBA祝卒業大マツケンサンバ大会!
朝からどんよりとした雲がたれこめる中、向かった先はチャールズリバーの土手。きょうは「地球の日」を記念して、「6th annual Charles River Cleanup」というボランティアによる川のゴミ拾いを取材。来週の月曜日にTVマガジンのクラスでスタジオ発表する為の取材VTR作りである。早朝9時の川べりには、すでに地元TV局全てのカメラがスタンバイしていた。マサチューセッツ州知事ミット•ロムニー氏が毎年ゴミ拾いに参加をするので、その取材のためだ。
突然始まった州知事の囲みインタビューに何とか大学のマイクをつっこむことに成功した。CBS系列の地元局、チャンネル4のカメラマンに頭を小突かれそうになったが、ボストン大学のVX2000を抱えた私は、ポジション争いに勝ったぜ。いえーい。知事は「川を守る為には我々一人一人が定期的にゴミを拾わなければ、ですよね?」など政治家らしいコメントをさわやかに述べた後、写真のような赤いブルゾンにGパンというラフな服装で、早速川べりのごみ拾いをはじめた。
続いて土手を歩いて、ボランティアのコメントを突撃インタビュー。お揃いのTシャツを着て、23の町から大学生や子供達がゴム手袋をはめて黙々とゴミを拾っていく。
参加したボランティアの数は1000人。川にはいろいろなものが落ちていて、ペットボトルやお菓子のパッケージなどが一番多かった。変わり種では、ベッドのマットレスや、スーパーのショッピングカートなんてのもあったそうだ。
この後、地球の日にちなんで野外音楽広場で行われた「アースデーフェスティバル」を取材。風力発電や、スクラッチくじのリサイクル、環境保護を訴える自動車プレートなどのブースをそれぞれ回って、コメントを撮ったりした。
心配していた雨が本降りになって来た午後、チャールズ川水資源協会というNGOの環境運動家で、「チャールズリバークリーンアップ」イベントを企画したアナ•エレリアさんに土手でインタビュ−をした。なぜこのイベントを企画したのか、チャールズ川の水資源の状態はいまどれほどなのか、川の環境を保護する為に我々が何をできるのかなどをアナに語ってもらった。
このインタビュー、アナは約束の時間に1時間以上遅れてくるし、雨が降っているから予定していた場所を変えなければならなかったし、とりあえず見つけたインタビュー場所であるハーバード大のボート部のテントはわれわれがインタビューを終える前に撤去されそうになるし、波乱続きであった。しかし、アナさんは女性ながら水資源の保護について修士号を持っている興味深い運動家、しかもアジア系アメリカ人でビジュアル的にも面白い。どうしても彼女に川べりで話を聞きたかったので、雨の中震えながらがんばった。なにしろ、暖かいと思って薄着で取材に出かけたら、雨のせいで寒いのなんの。へーくしょん。
さて、くしゃみをしている場合ではない。きょうはさらにイベントがある。。この美しい建物は、日本人女性「Tおばさん」が経営しているB&B。ここで、日本人MBAの方々を中心にした、「卒業大宴会」があるのだ。きょうはパーティー参加の他、カメラマンとしてイベントを記録する係となっている。
約束の時間に遅れる事30分以上。いるいる。3フロアある「おばさんの家」は総勢50人前後の日本人でいっぱい。焼き肉や寿司をほおばりながら、日本のS電機から来ているMBA生、T部長とともに参加者にインタビューをしていく。「ボストンで印象に残っているところはどこですか」日本人はなかなかマイクを向けてもコメントをうまくいえない人が多いなあ、と驚く。アメリカ人なら、通りで知らない人にマイクを向けても、驚くほど流暢な答えが返ってくることが毎回普通だからである。パーティーには盛りだくさんのイベントが用意されている。まずアトラクションその1は、バークリー音楽院の日本人学生によるバックバンドが生伴奏する、カラオケ。12人以上が1曲1曲、日本の歌を熱唱した。客席の熱気で、予定外の休憩を入れなければならないほど、盛り上がる。
途中バークリー音楽院の教授である竹中真先生のジャズピアノ演奏があった。日本の「桜」をアレンジしたものなど2曲。いいものを見せていただいた。このあと竹中教授のCD即売&サイン会が開催された。
本日のメインイベント、それは「マツケンサンバダンス大会」。S電機のMBA生、Fさんが「みんなで楽しめるダンスを」と、わざわざ振り付けビデオを日本から取り寄せて企画した。腰元ダンサー用に手作りでバトンも作った。この人たちは、本当に昨日までMBAの勉強をしていたのだろうか、と思うくらい完璧な準備ぶり。。(失礼!)
このサンバ大会、ただものではない。おかしいのは、卒業の決まった人たちが、大学の卒業ガウン姿で踊るところ。「本番」の前に、ダンス参加者総勢40人あまりが、振り付けビデオを見ながらリハーサルを行った。私もカメラを回しつつ、あまりに楽しそうなので、リハーサルに参加して踊ってみた。
「それでは本番行きまーす!」宴が始まってからかれこれ5時間以上経過したとき、とうとうメインイベント「マツケンサンバ大会」がはじまった。オープニングにあわせて、マツケン役の卒業生が入場してくる。それを手作りバトンを振って迎える「腰元ダンサーズ」。みんな笑顔だ。「キックとんとん、キックとんとん!」途中難しいサンバのステップは、こんなかけ声をかけながら、なんとか2番まで、合計2回もサンバを踊ってあせだくだくになった。「オーレ!」最後はみんなで不思議な一体感の中で、サンバ大会は幕を閉じた。TおばさんのB&Bの歴史は古いそうだが、その中でも総勢40人あまりもの日本人が、赤いガウン姿でサンバを踊った、というのは前代未聞だそうだ。ボストン市内でもかなり珍しいイベントの一つに入るだろう。私はしっかりとカメラで記録した。数週間後に帰国する卒業生のために、軽く編集をして記念に渡す事になった。
さすがに朝の知事、午後雨の中のNGOの取材と立て続けに宿題をしてからここへ来たので、サンバ大会が終わった段階で、疲労困憊、思わずうとうとし始めた私だが、地下ではカラオケ大会第2弾が始まった。バークリーの学生さんも帰ったので、今度は通信カラオケなんだという。まるきりここは日本?という錯覚に陥りながら、廊下においてあったソファで「昼寝」をしながら宴に参加する。。ばか騒ぎも彼らと出来るのはこれが最後。この宴会、終了したのは午前2時すぎであった。
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Friday, April 29, 2005
早朝のけんかとクラスプレビュー~初めての面接
もう我慢が出来ない。切れた。けんかになった。締め切り2時間前、寝ずの編集作業の途中、早朝7時の出来事。
編集は基本的に一人でやるもの。それは認める。でも、締め切りを数時間後に控えた朝5時。今まだテロップも音楽も入っていない状態なのに、キムリンは起きてこない。
時間をさかのぼる事深夜0時。キムリンは同棲中の彼の髪の毛を散髪し、挙げ句の果てに「疲れたから”昼寝”してくるね」とか言って寝てしまった。そして朝5時、さすがに私も疲労困憊。絵はなんとか全てつながったものの、11分にもなったリポートのテロップはまだ入っていない。音の調整や、音楽入れもまだ先。朝6時をすぎるころには、なんだか腹が立ってきた。パートナーなのに何でのんきに寝てるんだ。彼氏の髪の毛を切るとかって、そういうのはきょうはやめて、ちゃんと一緒に編集をすべきじゃないのか。
朝6時50分。テロップが遅々としてすすまないし、泣きそうになって来た。夜が白々と明けて来るようすを、何度この部屋から見ただろうか。そこへキムリンが起きて来た。私は口も聞けないほど腹を立てていて、パニック状態。そこで彼女は何をしはじめたかというと、私の隣で自分のインターンシップの為の履歴書を書き始めたのだ。ちょっとお!
「ちょっとキムリンいい加減にしてくれないかな。もう終わらないかもしれないよ。見て、私パニックになってる。どうして手伝わないのさ。履歴書書いてる場合じゃないじゃん。それに昨日彼氏のヘアカットをしたのとかって、私やっぱり理解出来ないよ。」
キムリンは猛烈に反論して来た。早朝のけんか。。
「私にはあなたが一人で作業しているように見えたから大丈夫だと思ったのに。日本人じゃないから、私あなたの気持ち推測なんてできないもん。助けが必要なら口に出して言ってくれないと。それに、彼氏のジョンのヘアカットの事は、プライベートなことだから、テディには関係ないよ。」「関係なくないよ、時間がなくなることくらい、予測出来たのに、キムリンは手伝いもしなかったじゃん。」
私達の険悪な様子を聞きつけて、ジョンも起きて来た。優等生のキムリンは「けんかしてもらちが開かないから、作業しましょう。」とクールなふりをしてテロップに手を加え始めた。私はまだ言い足りない気持ちで一杯。逃げるなんてずるいよキムリン。でも、ここはけんかしている場合ではない。単位がかかっているのだ。なんとかリポートを完成させなくては。
そこでジョンがネイビーの制服姿でこちらに声をかけて来た。「あのー。ネイビーのセレモニーの時間なんで出かけるから、車貸して」キムリンは「ジョン、きょうは車は貸せないわ。テディと私、ぎりぎりになるから、車で大学に行かないと間に合わない。タクシーを拾ってくれない?」なんと間の悪いこと。さらにジョンは現金を数ドルしか持っていなかったから、なぜか私が20ドルを貸すはめに。。
最終的にリポートが完成したのは朝8:30。大学につくのが30分も遅くなり遅刻した。キムリンと気まずいまま車に乗る。キムリンは「ごめんなさい。私も悪かったわ」と誤って来たものの、私の頭の中は晴れない。そのまま授業にこっそり忍び込む。みんなでクラス全てのペアの作品をプレビューして批評し合う。もちろん我々のは喝采を浴びたし、授業に遅れた事を「締め切りを30分遅れたのと一緒ですよ」と教授に怒られたほかは、おそらくクラス一の作品だった。授業中に、キムリンとは仲直りをした。あんなに長い間一緒にロケをしたり編集をしたり、ペアでやってきた。こんな事くらいで仲違い、というのもいやだ。とはいえ、出来れば発表の日はけんかをせずに迎えたかったなあ。
参った。朝ご飯も食べず、一睡もしていない上、けんかをしてへろへろでめまいがするのに、きょうは午後から面接があるのだ。タクシーで、地元のケーブルTV局「N」に向かう。2ヶ月前から交渉して来て、やっと面接にこぎつけたのだ。今日行かなければ意味がない。「N」は郊外の小さな町にあった。面接担当者が帰りに車で駅まで送ってくれた。わーい。長い一日だった。おしゃれなコーヒーショップ/おしゃれな町並みで一休み。
この町、しだれ桜が咲いていた。このところ編集ばかりで友達に電話もしていなかった。ケータイで電話をかけまくる午後。
電話をかけた中の一人と、夜すしを食べに行った。「Mr. Sushi」は舟盛りの器が壁のインテリアになっている面白い店。日本語でしゃべってしゃべってストレス解消。。
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Thursday, April 28, 2005
stem cell編集日5日目「尻に火つく」
「ドキュメンタリー」の授業に出たほかは、キムリンの家で終日「stem cell」のリポートを編集。写真はケンブリッジ市にあるMIT付近の近代的な町並み。

やばいって言ってるのに、音楽を選ばないといけないのに。キムリンは真夜中に「同居中の彼氏の髪の毛を切らなきゃ」といい始めた。何でもネイビー(海軍)に所属しながら大学に通う彼氏のジョンが、明日ネイビーのオフィシャルセレモニーに参加するそうで。。
ちょっと待て。あす締め切りで提出なのに、まだ絵がつながっていないところが半分以上ある。絵がつながったって、音楽を入れたり、テロップを入れたりいろいろあるんだぜ。なのにキムリン=彼女の宿題の「尻に火がついている」ことを知っていて「散髪してくれ」とか頼む男ってはっきりいって”だめんず”なんじゃ?キムリンは「20ドル出せば、床屋に行けるのに時間がないとか言って、行かないのよ、彼」とか言い訳しているけど。うううん。カップルの間のことに首を突っ込んでいる暇はないけど。。う”う”う”ん。。とにかく編集しないとおっつかない。。。
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Wednesday, April 27, 2005
マイケル•ジャクソンにしてやられたTVニュースルーム。
水曜日。キムリンの家に合宿しながら授業に参加する。大学構内の木々がなんともいえない美しいつぼみをつけている。TVニュースルームの授業では、ナショナルヘッドラインの記事を書くように、“プロデューサー”のティスル教授に割り当てられた。とはいってもアメリカの「ナショナルヘッドライン」であるからしてヘッドラインのトップ項目は、マイケル•ジャクソンの今日の裁判の展開について。元妻が証言台に立つらしいので、過去の進行を織り交ぜながら、30秒程度の短いまとめ記事を書けばいいのである。
しかし、過去1週間の私の頭の中はStem cellで一杯。マイケル•ジャクソンどころじゃない。それにこの裁判、私の中では「もういい加減にしてくれっつうの」という気持ちで、気をつけてニュースをチェックしてこなかった。もういいよ、マイケル。ネバーランドで何が本当にあったのかは、知らないが彼が弁護士に伴われて裁判所に入ってくるところを見るだけで、無条件にチャンネルを変えている今日この頃であった。
だからして、マイケルの項目の原稿を書くだけで1時間(!)もかかってしまった。9時に「取材」スタートして、11時までには遅くとも全ての原稿をあげて、キャスター役の学生に渡さないと行けないから、遅いのである。あやうく記事を落としそうになった。
疲れた。授業後、チャンとランチに行ったところ「Hire me—TV局への就職活動はコンタクトが命だぜ。」とか何とか行って、うれしそうに「TV局コンタクトリスト」とかいう本を抱えて写真に写ってくれた。就職活動、がんばってねー。あ、その前に風呂は入れよー、チャン。(大学院の同級生の間では、彼が風呂に2−3日入らないのはかなり有名になりつつある)
放課後は。留学生オフィスに書類のサインをもらいに行った。担当のアドバイザーと個別面談をしたら、アドバイザーのオフィスはいろんな国の絵はがきで一杯。
この後は、キムリン宅へ「帰宅」。Stem cellリポートの編集にいそしむ。
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Tuesday, April 26, 2005
バイオバレーでバイアセル社を取材、イケメン副社長にめろめろ。
Stem cell についてのロケはこれが泣いても笑っても最終日。
Stem cell 研究について、「将来性のないかもしれない研究に、胎児になったかもしれない胚性幹細胞を無駄に使っている」というカソリックの人たちの言い分を取材した事を、以前書いた。しかし、幹細胞研究の「商業市場」はすでに存在しているのだ。きょうは、新生児のへその緒から集められた、stem cell 研究をベースに成り立っているバイオベンチャー企業を取材した。
ボストンから西へ内陸方向に30分ほどドライブ。ウースターという町がある。ここには、マサチューセッツのバイオベンチャーが多く集まっている、「バイオバレー」という地区があるのだ。その一角にあるバイオベンチャー、バイアセル(Viacell)は、新生児が生まれた時に、そのへその緒の臍帯血からstem cell を収穫し、それを将来のために保管する臍帯血バンク事業を手がけている。また、その胚性幹細胞を使って、難病を治すための研究を行っている。子供が生まれた時に、臍帯血を集めて保存しておけば、その子供が将来万が一難病になった時の治療の助けになる。また、その子供だけではなく、家系のメンバーの大人の中にもし難病者が出た場合にも、治療の助けになる可能性が高いという。
写真の赤い 養分液 の中には、へその緒から集められた幹細胞が入っている。この幹細胞も、もちろん理論上は、どんな体の組織や細胞にも分化が可能な、「万能細胞」なのである。
こうして赤ちゃんの臍帯血から集められたstem cell なら、倫理上の問題も、解決出来そうだ。バイアセル社が行っている、こうしたstem cell を使った製薬研究の有効性が確認されれば、胚性幹細胞—ES細胞を使わなくても、有効な難病治療法が見いだせるかもしれない。

ところで、数ヶ月前の「マサチューセッツバイオ協議会バイオエキスポ」でこの会社の副社長に突撃取材交渉をし、今回の取材が実現した。その時に、私と撮影パートナーのキムリンは気がついていた。この副社長がイケメンである事に。。
で、わくわくしながらきょうの取材の日を迎えた訳だが。。昨日チェコスロバキアだかどこかの学会から帰って来たばかりだという、バイアセルのシュテファン•ウエンツ副社長は、黒いデザイナーズスーツを細身な体にさらっと着こなし、シルバーヘアに繊細なお顔立ち。ジャーマン訛りの英語がまた好感のもてる、hotなサイエンティストだった。。ドイツ、ミュンヘン出身の彼は、前勤めていたバイオ関連の会社から、ヘッドハンティングされてバイアセルの副社長になった。
「We are relatively early in this field, we don’t know how long it will take…but we are quite optimistic for our elite product and bring that to the market in relatively short time.」(臍帯血を使ったstem cell 研究はまだ初期の段階で、どれだけ研究が完成するまでに時間がかかるかわからない。けれど、研究の成果については楽観的に見ているし、なるべく早く製薬を完成させて市場に出したい。=バイアセル社副社長シュテファン•ウエンツ氏=写真)
今回のリポートでは、ボストン大のケート•カーン教授によって、「照明の使い方を学んで、実際の取材で使いなさい」という指令が出されていた。だから、シュテファンの後ろは緑色。「ジェル」とアメリカで呼ばれる、色とりどりのセロファンペーパーを使って、インタビューを受ける人の後ろにほんのりと色をつけるのだ。日本のTV局のニュースではあまり使われない手法だが、アメリカのローカル局のニュースレベルではわりと一般的。例えば、「犯罪の加害者の衝撃的告白インタビュー」では赤いセロファンが、「イラク戦争で夫を亡くした妻の涙涙のインタビュー」では青いセロファンが、という具合にテーマによって色を使い分けるのがミソ。今回の我々のインタビューでも、せき髄損傷の患者、トラヴィス•ロイの後ろには希望を現すピンク色を、ハーバード大学stem cell 研究所のスキャデン教授の後ろには冷静さを示す青色を、という具合にイマジネーションでいろいろな色を使ってみた。トラヴィスのインタビューでは、セッティングが甘くてセロファンが溶けるというハプニングがあったし、ハーバードのインタビューでは、カメラの色彩設定が今一で色が狂ってしまったけれど、どんまいどんまい。We did a good try!
キムリンの部屋に戻って素材落とし込み、二人でインタビューのスクリプト作り。シュテファンがいかにhot(イケメン)だったかを、きゃあきゃあと女子校のノリで茶化しながら。キムリンの彼氏に、あきれられつつ、編集ナイトは続く。。
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Monday, April 25, 2005
とうとう入ったハーバードのstem cell研究所!ES細胞研究の世界的権威、スキャデン教授を直撃。
その研究所の場所は秘密にされていた。ウエブサイトもなければ、連絡先も調べがつかない。しかし我々は探し当てた。1ヶ月もかかったが、「ロケがしたい」という強い思いが通じたのかその研究所の有名教授もインタビューに応じてくれることになった。
その場所とは、ボストン近郊のある港沿いの町。こんなところにあるとは灯台下暗し。なぜ場所が隠されているかと言うと、研究の内容が内容だけに人々が抗議に訪れたり、同業者が研究内容を盗みにくるかもしれないから、と推測する。ビルの入り口で名前を登録し、「Escort Required」というシールを発行される。セキュリティのためだ。向かった先はー
ハーバード大学ES細胞研究所である。ここでは、胚性幹細胞を使ってさまざまな体の組織細胞を作り出す実験などを行っている。この研究、使い方を間違えば人間のクローンすら作る事の出来る研究で、それが論議を呼んでいるのだ。だからこの研究所はhiddenつまり隠された研究所なのである。
ここで我々は、ES細胞に人間の心筋細胞の核を注入して人工的に作り出した心筋細胞がペトリ皿の上で力強く鼓動している様子を撮影する事が出来た。この人工的な心筋細胞を、病気などでダメージを受けた患者の心筋細胞と取り替えれば、理論上はもとの健康体に戻る事になる。ES細胞とは、このように万能なもので人間の体のさまざまな細胞や組織、器官に分化をさせる事が可能なのである。ハーバード大ES細胞研究所には、 このような世界的最先端のリサーチを行う研究者が100人近くいる。余談だが、そんなすごい研究をしているところでも、やはり「Boston Redsox」のロゴが冷蔵庫に貼ってあった。そこはやはり他のボストン市民と一緒なのだ。。
デービッド•スキャデン教授は、ハーバード大の胚性幹細胞研究を統括している。ES細胞研究の世界的権威である。スキャデン教授は、胚性幹細胞の持つ「多様性」こそが将来難病を治す「力強い」可能性を秘めている、と断言する。「Embryonic stem cells have really the remarkable ability to form different kinds of cells and in fact can form all of the different cells that can make up different tissues in the body. So they’re very powerful.」
研究に使う胚性幹細胞を探す方法は二つある。不妊治療クリニックから譲り受けるか、「SOMATIC CELL NUCLEAR TRANSFER」=別名「THERAPEUTIC CLONING」と呼ばれる「核移植法」によって、人工的に作り出すのだ。この核移植法は、クローン羊「ドリー」を作るのに使われた方法と同じである。だからこそ「ES細胞研究はクローン作成と同じだ」という批判を浴びているのである。
この「核移植法」を使えば、正常な細胞や組織のコピーを作れるだけでなく病気の細胞や組織のコピーも作れる。そうすれば、そのDNAを研究する事で、何故その人が病気になったのかの原因解明も可能になる、とスキャデン教授は語る。
ただし、ES細胞研究はまだまだリスクが大きいとされている。「クローン作成と同じ方法だ」と言われる方法で、細胞や組織、器官のコピーを作って動物でそれがうまく移植出来るかどうかの実験をすると、うまくレシピエントの体になじまないばかりか、腫瘍をひきおこしてしまいがちなことが実験結果としてわかっている。スキャデン教授は、しかしES細胞を使った研究について、長い目で見ると、必ず将来難病患者を救う新薬や画期的治療法の商業市場を作り出す「価値のある研究だ」と語った。 「I think in the long run, if this proves to be valuable, it will certainly result in a commercial market. My personal feeling about that is that if that’s the case, then something of value must have been created」
「マサチューセッツ州のES細胞研究—倫理的に是か非か?」と題したリポートなのに、やはりハーバード大学が入っていなくてはね。世界的に有名なサイエンティストに会った後は、緊張を解きほぐすべく「Cheesecake Factory 」でキムリンと二人、パスタをぱくつく。。
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Saturday, April 23, 2005
小雨のNYでカフェブランチ。
ボストンに帰るバスの時間まで、まだ少しある。今朝は人に会いにいく事にした。地下鉄にはボストンレッドソックス→NYメッツに移籍した人気ピッチャー、ペドロ•マルチネスのことを書いたメッツの広告がある。「Next year is Pedro teaching the NL not to CROWD.」今ではもうレッドソックス優勝の立役者の一人だったペドロのことを誰もボストンで話さない。移籍した後は、ソックスのTシャツ屋にすらペドロの背番号Tシャツはもうない。冷たいような、仕方ないような。
NYは花の季節を迎えていた。白とピンクの花が咲いた木々と、イエローキャブの対比が意外と美しい。小雨が降って来た。春の一風景。。
「Cinama Café」は映画にまつわるインテリアが素敵なお店。黒を基調にしたシックモダンなインテリアに生花が光る。
ブランチメニューにはオムレツが充実していたので一つ頼む事にした。「ホワイトオムレツ」は卵白を多めにした白いオムレツ。中には野菜が具沢山。
ブランチをご一緒したのはK記者夫妻。K記者は夕刊紙FのNY特派員である。日本人大リーガーM井の担当でおなじみで、アメリカ全土のみならずカナダまでM井の行くところならどこへでも馳せ参じて取材をする特別任務を執行中。第1線の記者と会ったり、きのうのようなすごいスタジオを訪問したりすると、またすぐにでも仕事がしたくなるから不思議。

ところで、今回のNYトリップでは、元居た会社の関連会社のNYスタジオにも訪問をした。

タイムズスクエアを望む「天カメ」をジョイスティックで操作してみました。

海を越えて、日本に画像を届ける為の衛星回線達(だと思う、きっと。もしかしたら単なる社内ライン?)
某局のA記者と。彼女はいわば、日本の「マリア•バルティロモ」。日本で一時期一緒に仕事をさせていただいていた。今はNYに赴任しているそうだ。彼女は私が会社を辞めたのを知らなかったし、私も彼女がNYにいるのを知らなかった。偶然の再会。相変わらずの美女で素敵なお姉様。。
オフィスビルからの眺め。ハドソン川を望む。これぞNYって感じ。
NYのチャイナタウンを出発、満員のバスに4時間ゆられ、ボストンに無事到着。なぜかお腹が減ったので「食」に走りチャイナタウンの名店「台湾カフェ」にて細めんのつゆそばとピータン豆腐をオーダー。明日からまた大学院生に戻る為のパワー充填、と言い訳。。やっぱりボストンはいいにゃあ。。がたがたと動く市電タイプの地下鉄に揺られて帰宅。
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Friday, April 22, 2005
総デジタル。某アメリカ大ケーブルTV局のスタジオ訪問。
きょうは「決戦の金曜日」。アメリカに上陸したからにはこれをやってみたい、という事の一つに、「米国のTVネットワークのスタジオ訪問」があった。それも、観光客向けの見学ツアーとかじゃなく、ビジネスとして訪問したかった。
きょうはそれが実現する日。元の会社の上司と共に乗り込む。気合いをいれて、待ち合わせ場所の、元会社のNYオフィスに行った。「決戦」は午後から。午前には 元の会社の同僚、Nさんに関連会社のNYのスタジオを案内してもらうはずだった。しかし Nさんが、1時間以上もやってこない。携帯にも出ない。NYという場所だけに、アパートに強盗でも入って殺されたのかと思ったが、単なる寝坊だった。。
無事時間ギリギリにNさんがNYのオフィスに出社して来た。Nさんは、これから訪問する某米ケーブルTVネットワークのスタジオを数年前に訪れた事がある。出発ぎりぎりまで情報を仕込み、元上司とタクシーに乗る。
NYダウンタウンからタクシーで一路NJへ。ハドソン川とジョージワシントンブリッジが見えて来た。日本の桜に似た花が川岸に咲いていて、美しい。橋を渡って隣の州へ行くと料金が恐ろしく割り増しになる、と運ちゃんが料金ブックを見せながら宣告する。何でも金,金のアメリカらしい。S部長は窓から見える景色の撮影に余念がない。
総デジタル化で有名な24時間経済チャンネルのスタジオは、NJの郊外の落ち着いた住宅街にこつ然と姿を現した。TV局は町中にあるものと思っていたが、こんな所にあるとは秘密基地めいている。スタジオ棟の建物と、倉庫のようなだだっ広いたてもので構成されている。
巨大な企業ロゴをデザイン的にあしらった吹き抜けの広々としたロビー。受付には男性が座っていた。
やがて案内をしてくれるテクニカルエンジニアが到着した。セキュリティーのかかったドアを通ると、まずはアンカー、リポーターの顔写真が誇らしげに掲げられた「ホール.オブ.フェーム」殿堂的廊下がある。
廊下を通るとそこに、巨大なニュースルームと、その奥のオープンスタジオが姿を現した。記者一人一人のデスクが大きく、広い。しかも部屋全体の天井が高いので余裕がある。ニュースルームの一角に、一人出演者が座れるスペースとカメラが設置してあった。「スタジオばかりではライブ感覚が出せないので、たまに記者やアンカーをここに座らせてニュースルームを背景に放送を行う」とのこと。このニュースルームそのものも、画面に映り込む事を想定して設計されているのだ。
コントロールルーム(調整室)。圧巻。モニターの数は百を超えるだろうか。普通あっても2列くらいのディレクター席が、4列ある!聞くと、「プロデューサー(日本で言うところのディレクターはアメリカ英語ではプロデューサーにあたる)は一つの番組に3人(!)いるとのこと。一人はV素材の演出、一人は中継演出、一人はリアルタイムに株価を打ち出すボードの担当だとか。
ハブ、と呼ばれる中継地点。さまざまな中継先のカメラの画像をここで全て受け、画面を調整する。
ニュースの取材進行の具合は、社内の全ての端末から一目瞭然でわかるようになっている。緑がすでに取材済みでサーバーに入っているニュース項目、赤がまだのもの。
メインスタジオには、正面のドアがない。ニュースルームのその先がスタジオ。間仕切りみたいなので仕切られているけれど、ニュースルームと一体化したスタジオである。エミー賞を受賞したデザイングループ、ジャック,モートンカンパニーがデザインした。このときオンエアされていたのは「STREET SIGN」という番組。写真はキャスターの Ron Insana氏とゲスト。オンエア中でもスタジオにわれわれのような訪問客を気前よく入れてくれるのだ。
スタジオセットは360度回るようになっていて、6面の背景変更が可能と言うから驚く。また、スタジオのカメラはほぼ無人なのだがクレーンカメラだけはオペレーターのお兄ちゃんがついていた。とにかくNBCグループだけあってスタジオの一枚絵っぽくなりがちな経済チャンネルの、「絵の変化」をつけようとしているのがよくわかった。
サーバールーム。訪問した日は回線を増設していて、まだまだ容量を増やすらしい。要するに、この局の素材はすべてテープレス、サーバーに「データ」として保存されている。「あ、あの素材どこにあるっけ?」などというやり取りは、ここでは不要。コンピューター検索ですぐに呼び出せるのだ。一台のサーバで放送用の画像が1000時間以上保存出来る。まだ現存のサーバーの容量は100%ではないのだが、念のためサーバーの数を増やしている。
と、案内役のテクニカル.ディレクター、マリオさんが、おもむろにボスの秘書からの電話を受ける。「今回の案内だけど、俺が聞いていた以上のことを頼まれている。もう終わると思ったのに話が違う。」あのー聞こえてるんですけど。マリオさん。。
編集室訪問。デイリーのリポートなど急ぎの編集はGrass Valleyというメーカーの「News Browse」というソフトで行う。プロデューサー達が、ローレゾリューション=解像度の低い状態で画像を仮編集し、編集マンがハイレゾリューション=解像度の高い画像で最終的に仕上げをする。そして、出来あがったリポートは「ポーンと」(マリオさん)サーバーにメールで送る(!!)。ドキュメンタリーなどの長いフォーマットの番組のためには、Avidの編集室も数室用意されている。
廊下でこんなものを発見。社内ボーリング大会の写真らしい。賞品は株か債券だったりして!?
せっかく来たのだからと、ずうずうしくカフェテリア拝見。中庭を見渡せるモダンなインテリア。
売っているデリ形式のお惣菜やピザは、全て特別な紙皿に入れて、社内デスクまで持ち帰りが可能。メニューはけっこうおいしそう。サラダが充実している印象。
カフェテリアでお茶をして、帰ろうとおもった私とS部長の前に女神が微笑んだ。なんと、放送中の画面を見ると、あの女性が出ているではないか。ニュージャージーくんだりまで来て、彼女を見ずには帰れまい。その名はマリア.バルティロモ。この局の名物女性記者。毎日朝NY証券取引所が取引を開始するとともに、場立ちの場所から台本のない弾丸トークを中継することで有名だった。そこを通るトレーダー達にぶつかりながら、時に通りがかる重要な人を文字通りgrabしてインタビューしたりといった究極の生中継。この人の他に出来る人はいないとすら言われた。
「マリアに会いたい」こう先のエンジニアの案内係、マリオさんに向かってつぶやいていた甲斐があった。スタジオの奥のマリアに見とれている我々をめざとく見つけてくれたマリオは、再び我々をスタジオに招き入れてくれた。 相場が引けた後の解説をする番組「Closing Bell」のオンエア中にスタジオに入った我々は、CMブレークのたった2分の間にかのマリア様に話しかける許しを得たのである。
「ハーイ、マリア。私あなたの大ファンです。日本ではあなたがNY証券取引所から引退した時、新聞記事にその事が取り上げられたのよ。You are so famous in Japan(われながらつたない英語。)」「ええー。うそー。そうなの?日本だけはまだ行った事がないのよね。行きたいわー。It is good to have you here.」TVの裏側では、CMブレイクの間に台本の確認をしたり、メークを直したり、わりと画面で受ける印象と違って、神経質なキャスターも多い。しかしマリア様は、かっこつけることやおごることもなく、たったいま会ったばかりの我々にとってもフレンドリーに話しかけてくれた。ヒデキもといテディ感激っす!しかもやっぱり美人!であった。きっと、ずっと忘れない、この感動。
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Thursday, April 21, 2005
NYへショート・トリップ。
「タクシー!」ドキュメンタリーの授業が終わるとともに、大学の前からタクシーを拾う。向かう先はサウス•ステーション。4時に出るNY行きのバスに乗る。
このバス、通称チャイナタウン•バスと言われていてボストンのチャイナタウン(サウス•ステーションの真裏にある)とNYのチャイナタウンをダイレクトに結ぶのだ。4時に乗らなければ到着が遅くなってしまう。
「4時間、いいですかS部長、NYとボストンは最も安い交通機関である往復30ドルのバスに乗ったとしても片道4時間かかるんですよ。」今回私が金曜の授業をスキップしてまでして2泊3日でNYへ行くのは、東京で勤めていた会社の元上司、SさんのNYへの出張を「通訳」としてアシストしてほしい、と頼まれた為である。アシストついでに、アメリカの某大ケーブルネットワークのスタジオ見学が出来る、と聞いて私もぜひに、と願い出た事は事実である。
ところが、S部長、NYとボストンの地理関係をわかっていないばかりか、当初はさまざまな必要経費とぼけようとするようなお口ぶり。元勤めていた会社だから、経理状態などはわかっている。しかし、しかあし!!チャイナタウンバスも、宿泊先も私がリサーチしたのだから、気持ちよく大人として大船に乗った気分にさせてほしいものである。
不安渦巻きながらも、バスは一路NYへと進む。元上司のアシストでの「NY出張」であっても、大学院の宿題は待ってはくれないから、バスの中でマックG4を取り出し、ファイナルカットプロを使ってあの「哲学カフェ」の映像を編集。ナレーショントラックをベースに上にカフェの映像をインサートしていく。
やがて夕闇にNYの摩天楼が姿を現す頃、4時間という移動時間を無駄にせずなんと2分半ものfeature storyのニュースリポートが立派に出来上がったのである。
久しぶりに会うS部長は、会うなり第1声が「テディ、太った?」。おいおいそれはないんじゃないですかたいーーーー!!(怒)
ええ、そうですよ、どうせ太りましたよ私は。怒っても無駄。私は夜型人間で、夜英語の教科書を読んだり、英語で文章を書いたりしているとお腹がすき食べないと起きていられない。太るのは当たり前なのである。東京で通ってたエステの効果もすべて取り返すほど、半年で見事に体重が戻った。ここはありがたく、NYでおいしいものをごちそうになって全てを忘れるとしよう。
S部長の出張をNYからアシストする元の会社のNY事務所勤務Nさんとも6年ぶりに再会。日本食レストラン「伊勢」にて再会の飲み会。Nさんは、私が入社3年目の時に東京の某スタジオで一緒に仕事をしていたが、その後彼はNYに転勤になりもう10年にもなる。すっかりニューヨーカーである。店は日本のビジネスマンが集う居酒屋で、中はまるで「日本」。サッポロビールで再会に乾杯。刺身やにぼしラーメンに舌鼓。さて、明日はいよいよ過去数週間、大学院の宿題の合間を縫ってS部長の頼りない(失礼)指示のもと、しこしこ連絡をとってどきどきしながらコンファームした、某大ケーブルTVネットワークのスタジオ訪問である。
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Wednesday, April 20, 2005
夏日訪れる。
気温が連日20℃以上で、大学の芝生に寝転ぶ学生続出。私も芝生に座って、木によりかかってみたがさわさわと吹き抜ける風が心地よい。このところ寝不足だったから、うとうととしたりして。そんなさわやかな日に寮の部屋で食べるものは。。自作の天ぷらそうめん!美味だ。
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Tuesday, April 19, 2005
トラビス・ロイとの出会い「たった11秒の運命のいたずら」~なりきりソクラテスさん集合!「哲学カフェ」とは?
Stem cell researchロケ9日目。きょうはある有名人に合う。せき髄損傷患者のための基金を設立し、ES細胞研究をすすめるためのロビー活動を行っている障害者の方だ。基金のホームページやEメールを通じて取材を申し込んでから約2週間が過ぎ、ロケが実現した。
元アイスホッケー選手、トラビス・ロイのことをボストンで知らない人はいない。たった11秒の運命のいたずら。それは1995年、彼がボストン大学の名門チーム「Terrier’s」の新人デビュー戦に出場したときに起きた悲劇の事故。試合開始11秒後、相手校の選手との激しいぶつかり合いでトラビスはバランスを崩し、リンクの壁に激突。せき髄損傷(spinal cord injury)で首から下が麻痺してしまったのだ。期待の新人選手から一転して、障害者となり10年。しかしトラビスはその後、車いすで一日も休まずにボストン大学コミュニケーション学部に通い、Public relationの学位をとり、卒業後は知名度を生かして同じような障害を持つ人の為の「地元のアイコン」となった。
トラビスはドアマンのいるビクトリア調超豪華コンドに住んでいた。部屋をノックすると、ドアが自動で開いた。トラビスがリモコンで開けたのだ。部屋は片付いていて、豪華なインテリアに、トラビスが口に絵筆をくわえて書いた美しい花の絵(写真)が飾られている。マサチューセッツターンパイクという高速道路を見おろす窓からは、日差しがさんさんと入ってくる。トラビスはここにヘルパーさんやボランティアの手を借りながら、一人で暮らしているという。
パーキンソン病やルーゲーリック病といった難病だけではない、せき髄損傷などの事故に遭った患者さんたちにとっても、ES細胞研究は待ちに待った「Cure」をもたらすかもしれない希望の星。「僕にとって、ES細胞研究こそが、答えだ」こう言い切るトラビス・ロイ(写真)。車いすに乗ってこそいるものの、のりのきいた青いボタンダウンのシャツをぱりっときこなし、チノパンが決まっている。インタビューを受けるので、おしゃれをしたのだろう。知的で、愛嬌たっぷりの彼はまだ30歳。思うように動かせない右手はテーピングで固められており、車いすのレバーを操作する事がかろうじてできる。事故さえなかったら、彼の人生は今頃どうなっていたのだろうか。「If they can regenerate the nerves in that little area that needs to be healed……to bridge that gap using these stem cells…we would have our so-called cure.」ここで言う“they” とはもちろんembryonic stem cell を研究する研究者達のこと。—「ES細胞を使って、ぼくの首のせき髄神経にあいてしまったほんの小さな神経細胞のギャップをブリッジする事が出来れば、それがぼくにとっての治癒を意味する」トラビスはこう語る。
トラビスにとっての治癒は、他の人が当たり前に出来ることを、再び自力で出来るようになる事だ。 「Maybe I’m not going to put my skates back on and go play hockey, but a cure for me would really to have my independence back. Be able to get myself up and out of bed and be able to shower and to dress. To be able to cook and feed myself. To be able to drive. That would be a cure.」—「再びスケートをはいてホッケーができるようになるまで治らなくてもいい。ただ、もう一度、ベッドから自力で起き上がり、シャワーを浴びて着替えたり、好きなものを料理したり、車の運転ができるようになりたい」
これがインタビュー後にトラビスと2ショットで撮った写真。トラビスは“スーパーマン”を演じた俳優クリストファー・リーヴを敬愛していた。現在彼はリーヴ同様「トラビス・ロイ基金」を作りせき髄損傷患者のための啓蒙活動やネットワーク作りや、ES細胞研究をはじめとする新しい治療法を推進する為の働きかけを積極的に行っている。ホームページはここ。
「トラビスはキュート!抱きしめてあげたかった。」インタビュー後、感激さめやらぬ様子で話すキムリン。後で収録したテープを見たが、確かに彼はチャーミングな男性だった。自立を目指して一人暮らしをしているトラビスだが、「何か手伝ってあげたい」そんな気持ちにさせられるのである。しかし、私には障害を持っている方ならではの、人の助けを拒むような彼の視線も印象的だった。一人で出来た事が、なんでも人に頼まないとできない。そんなフラストレーションを、交通事故にあって右膝の関節を骨折し3ヶ月歩けなかったときに、私も経験したことがある。健常者であれば行きたい時にお手洗いにいき、飲みたい時にコーヒーを飲めた。そんなことが、突然できなくなることを想像してみてほしい。看護婦さんや身内の手助けをいちいち頼む時の歯がゆさ。トラビスの澄んだ目の奥に、そんなフラストレーションを見た。
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さて、夕方からは一転して「記者」としてあるイベントを取材しに行った。日曜日に取材交渉に行ったあの古本屋である。そのイベントとは題して「哲学カフェ」。
いるいる!手にあごを乗せたり、眉間にしわを寄せて、ある人は考え込みながら爪をかみかみ!そう、このイベントは月1回「古本屋で、哲学について話し合おうの会、題して”Philosophy Cafe"、誰でも参加可能。参加費無料」というけったいなものである。主催者は地元にすむ「哲学者」トム・クラークさん。クラークさんは、naturalismという自然・哲学思考の会を主催していて、金満主義、人工的な都会に住む人間に、「ナチュラルな考え方」を提唱していこうと働きかけている活動家。
このイベント、けっして怪しい会ではない。至ってまじめに「存在感とは何か」「そこにものが在る、ということを認識するのは脳なのか、視覚なのか。」「バーチャルリアリティとはなにか」など、普段の生活では到底続かないような、役に立たない(失礼)議論を徹底的に2時間、古本屋で行うのが狙い。そして、この「食えない」議論が「知的で、たとえようもなく楽しい」(主催者のクラークさん・写真左)のだとか。
参加者の「月1回のなりきりソクラテス」さんたちに話しかけてみた。風貌がソクラテスそっくりの元大学教授ジョン・メコタ(写真)さんには、迷わずインタビューマイクをさしかけた。「我々の日常生活は哲学でいっぱいだ。哲学と生活は切っても切れない。」タフツ大学出のインテリ、環境エンジニアのテッド・サードさん(写真の赤いシャツの男性)は、「普段の会社生活では考える事の出来ないような事が、この会ではゆっくりと考えられる。」と語る。そして、編集者として働いているアナ(写真右下)の名字は、なんと「ソクラテス」。それじゃあ参加するしかないでしょう。
会はなごやかにはじまったものの、終わりが近づく頃には議論がヒートアップして、こわいくらいの激論に。すごい、形のないものにここまで熱くなれるって。。日本で同じような会を開いても、きっとここまでヒートアップはしないだろう。Fast-pasedで浅はかで金満主義のアメリカでも、こんな金にならないスローペースのイベントにたくさん人が集まる事がわかってうれしかった。マサチューセッツらしい取材が出来た。
この宿題、再来週の「TVニュースルーム」のクラスで「feature story 」として2分ほどにまとめ、紹介する予定。
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Monday, April 18, 2005
ES細胞研究に反対するペグとパーキンソン病のジョー~ボストンマラソン観戦~メリーアンのお宅訪問
【ペグとジョーの生命倫理観とは?】ES細胞の取材も大詰め。8回目のロケでキムリンと共にマサチューセッツ州郊外のシェルバーンという場所へ。きょうも個人のお宅でお話を伺い、インタビューを収録する。
ペグ・ウィットブレッドさんはマサチューセッツ市民生命倫理の会・会長。もちろん胚性幹細胞-Embryonic stem cell は胎児と同じだとして、 ES細胞を使った研究に大・大反対している。
「THE PUBLIC IS BEING MISLEAD. There’s no step that’s skipped between somatic cell nuclear transplant and the cloning of a human individual. And by saying they’re going to take a heart cell and implant it that that’s not going to make it a human being is an outright lie.」—人々は誤った知識を植え付けられているわ。ES細胞を使った研究はヒトクローン作成と同じです。心臓の細胞の核をES細胞に移植すれば心臓の機能をする細胞が複製できる、なんて真っ赤なでたらめよ。
ES細胞研究による成果を「真っ赤なでたらめ」とまで言い切るペグの傍らには、旦那さんのジョーがいる。「私があまり笑わないのは、暗い性格だからじゃなくて、病気の副作用で顔の筋肉がリラックスしているためなんだよ。」そして、そう言うジョーの手は、小刻みに震えている。そう、なんと彼はパーキンソン病を患っているのだ。パーキンソン病と言えば、ES細胞研究の成果によって、治癒が期待されている病気の筆頭に挙がっていたではないか。パーキンソン病の夫を持ちながら、それでもES細胞研究に断固として反対するペグ。その理由は?
「I’m so afraid that all these other therapies that might be available to Joe here and now are gonna get pushed to the wayside for this great big pie in the sky. 」—ES細胞研究は、いわば“絵に描いた餅”。実現する訳もない治療法を追いかけて、人々は、今現在可能なパーキンソン病の治療法を放り投げているわ。ES細胞を使わない治療法にもっと目を向けるべき。(ペグ)
ジョーは実際、パーキンソン病の治療法としてはポピュラーな、電気による脳の刺激法を試しているそうだ。さて、当のジョーもES細胞を使った研究には妻のペグ同様反対。理由は「自分の命を救う為に、他の命を犠牲にするような研究をしてほしくない」から。「The effectiveness of embryonic stem cell research is yet to be established. If it was, it would still leave us with the ethical quandary.」—ES細胞を使った研究の成果はまだ上がっていない。もし成果が出たとしても、倫理的に窮地に立たされる事は必至だろう。
毛のふさふさしたモップみたいな犬を2匹飼っているペグとジョ−の2ショットインタビューは、天気がいいのでテラスルームで行った。陽射しがまぶしいので、窓にかけてあった日本風のすだれを下ろさなければならなかった。さて、2人の家はマサチューセッツ州にしては珍しいプール付きの豪邸!プールサイドを二人で仲睦まじく犬とともに散歩してもらい、カメラに収めた。活動的なペグと、病気の為に静かな旦那さんのジョーの対比が印象的。元はカリフォルニアで金融コンサルタントをしていたというジョー。私個人は、ペグの言っていることには心の底では賛成しかねていたものの、興味深いインタビューだった。
【マラソンの応援法いろいろ】ボストンに帰る。天気はピーカン!そう、きょうは第109回ボストンマラソン!なんとうちの寮のすぐ近くのKenmore Squareもその通過地点の一つ。ボストンマラソンは、毎年4月の第3月曜日に開催されると決まっている。この日は、ペイトリオッツ・デイ(Patriot’s Day=愛国記念日)と呼ばれるマサチューセッツ州の祝日なのである。
キムリンと2人で沿道に立つ。夏のような暑さ。昼過ぎという時間が良かったのか、ちょうどトップ集団がやってくる瞬間に居合わせることが出来た。ちなみにこのボストンマラソン、マサチューセッツ州ホプキントンという町が出発地点で、ボストンのダウンタウン中心部のCopley Squareにゴールする。1987年には日本の瀬古利彦が優勝したこともある世界的に有名なフルマラソン。ホプキントンからボストンに来る途中にキムリンが卒業した名門女子大、ウェルズリー・カレッジがある。「ウェルズリーでは、うちの大学の女子大生が通りに総出するの。”Kiss me!!”とか“Much Faster to satisfy me!”とかちょっとセクシーに応援をするのよ。」ほおう。
トップ集団が来た!アフリカからの選手達だ。く、黒い、そして速い!いつも見慣れたケンモア・スクエアを黒い風が疾走して行く!ちなみに今回の大会、男子ではハイル・ネグセ(エチオピア)が2時間11分44秒で優勝。女子ではキャサリン・ヌデレバ(ケニア)が2時間25分13秒のタイムで2年連続となる大会4度目の優勝を飾った。
途中でアジア系の女子選手が、目の前でふらふらと歩き始めた。「You can do it!!」沿道を埋める観客が誰彼となく声をかける。やがて、彼女は再び走り始めた。拍手が沸き起こる。。
「キース、キースはまだ?」どうやらこのおば様たちは、息子?夫?の“Keith“の応援のためにかれこれ1時間近く、スタンバイしているらしい。
「Yo! Navy!」「Brazil!」「Italy!」「Norway!」「Hey David!」「Nancy!」ランナー達が身に着けているTシャツに書かれた文字や名前を目にするやいなや、声を張り上げる。これが楽しい応援法。。ショッキングイエローの靴やランニングの人が多かったので、「Yellow!!」というのもあった。結構楽しい応援。日本人ランナーの人にお願い。もっと“Japan”と分かるように英語でTシャツに書いて、走ってください。日本人ぽいランナーは沢山いたのに、どこの国の人か特定できないアジア人が多かった。
ケンモアスクエアはたぶん最も人が多い通過地点の一つだろう。スクエアに差し掛かると同時に、こぶしを振り上げたり、手で観客を仰ぐポーズなどをして、拍手を求める「ギブミー・アプローズ!ランナー」も多かった。
やがて競技用車椅子の選手が走ってきた。速い!!車椅子を押して走っている選手もいる。ものすごい高齢のおじいさんランナーもいる。
警備のBPD(ボストンポリス)の警官に何事か話しかけている女性が、やがて柵を空けてもらい、ランナーゾーンに入ってきた。何かと思ったら、むこうから走ってきた公式選手のダーリン(おそらくだんなさんか彼氏か何か)と一緒にゴール地点に向かって走っていったではないか!ええー!こんなのアリ?ダーリンと共に「愛のゴール」(笑)というワケ?
【メリーアンのルームメートとは?】マラソンを応援したら、自分も走ったような気分になって爽快だった。きょうはまだ一日が終わらない。例の元小児科医のエルダー同級生、メリーアンのお宅のディナーに招かれているのだ。ブラジルからのフェロー、アーレットと共に訪問する。
メリーアン(写真中央)は豪華なヨーロッパ製やアジア製の趣向を凝らした家具に囲まれた、ボストン郊外の豪華な家にルームメート(写真向かって左端)と2人で住んでいる。察するに、2人とも独身。この家を買ったのは、メリーアン。この家に2人で住んでいるのは、20年にもなる。。
待てよ。私の後頭部で何かが渦巻き始める。これは、ひょっとして、マサチューセッツ州ではよくある、いわゆるあのー、レズビアン・カップル??き、聞けない。あまりにリアルすぎて聞けない。メリーアンのルームメートはポルトガル出身の50代の女性であった。2人ともいい人だったし、お食事もとてもおいしかったけど。メリーアンの家の居間には女性の裸像や、ビーナスの彫刻など、レズビアンを連想させるものがありありで、私の目は白黒してしまった。
でも、き、聞けない。。。食後に、女4人で素敵な裏庭で、美しい夕暮れを楽しみながらも、私の頭は聞けない疑問で渦巻いていたのであった。。。
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Sunday, April 17, 2005
ニコールの新居~古本屋で突撃取材交渉。
引っ越しをした友人、ニコールの新居を訪問。バークリー音楽大学のすぐ裏のブラウンストーン(れんが造りの古いアパート)の一角。外観も素敵なのだが、中に入ってびっくり。寝室の壁もご覧の通りれんがむき出しの造り。家賃、高いだろうな、と値段を聞いてまたびっくり。うちの寮の2倍です。ほほ笑むニコールは相変わらずの美女。。
タフツ大学のお膝元、Davis Square近辺まで地下鉄を乗り継いでお出かけ。今度のTVニュースルームの授業で「記者」担当なので、ネタを仕込まないといけないのだ。最近いろんな宿題を同時進行でこなしているので、まだ締め切りまで2週間前だが、早めに「ロケハン兼突撃取材申し込み」に訪れた。電話をかけると担当者が居なかったりして拉致があかないので、最近はロケ地が近ければこうして突撃でおしかけて交渉する事にしているのだ。今回の取材場所はボストン近郊のサマービル市にある市民のランドマーク的古本屋「マッキンタイヤー&ムーア・ブックストア」である。ネタは来週火曜日にここで開かれるあるイベント。
本屋に入る。レジにハンチング帽を被った背の高いアイリッシュ風のにーちゃんがいる。にこにこしているし、愛想がよさそうだ。思い切って話しかけてみよう。「ハーイ。来週の火曜日のイベントのことで聞きたいんですけど。私、BUの大学院生なんですが、ジャーナリズムの宿題のためにイベントを撮影させてもらえません?」「そうかい。残念ながら店長はいないけど、名前を教えてあげるから月曜日に電話してごらん。」にーちゃんはそう言うと、店の名前のはいった名刺大の紙の“マッキンタイヤー“の前にMike、”ムーア“の前にDanと書いた。ありがとう、にーちゃん。アポはとれなかったけど、本屋はいい感じだったし、にーちゃんに「BUのアジア系院生」の自分を印象付けることにも成功した。ということで月曜日に再トライ!
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Saturday, April 16, 2005
テディ、ギャングに誘拐される!?~ケンブリッジ・クラビング!
午後3時、寮の前にギャングの車が来てTeddyは誘拐された。犯人のギャングは白人の女二人組。私を車に連れ込んでから、ひっきりなしに携帯でどこかに電話をかけている。ドライバーの方は金髪のストレートヘアでアイリッシュ訛りの英語。助手席の女はブラウンの巻き髪で大きめのサングラスをかけ、運転席の女に強いラテンアクセントの英語で話しかけている・・と思ったら、携帯電話に向かっていきなりスペイン語を弾丸トークし始めた。一体二人の要求は何だろうか。
「テディ、いいわよね。撮影、手伝ってくれるわよね。」いいもなにも、わかってるって。わかってて車に乗ったんだし。。
もちろんこれは誘拐ではないっす。ギャングの正体は、ボストン大学の同級生二人組。クラスでもいちばんの遊び人かつエキセントリックな撮影ペア・ケリーとテミスである。 この二人、サングラスをかけて二人で立っていると、どうみても女ギャングにしか見えない。ケリーはアイリッシュ移民の娘で生粋のボストニアン、テミスはスペイン・マドリッド出身でベルギーの大学でジャーナリズムの博士号(しかもフランス語で履修したらしい)を持つ才女。
こう聞くと、なんかデキそうに聞こえるだろうが、ところがどっこい。ケリーもテミスも緻密にロケの計画を立てたり、カメラアングルを工夫したり、といった落ち着いた作業がすげー苦手。一発屋、なせばなるの博打打ちタイプで、予定は立てないし機材の扱い方もいい加減。つまり裏方よりも、マイクを持ってカメラの前でしゃべり倒す方が好き。その二人が何を間違ったか、タッグを組んだからたまらない。2月の課題提出時にはこのペアだけが、公式に大げんかを起こし破局寸前に陥った。私のペアはキムリンで、撮影テーマもstem cell、撮影対象もユニークな患者さんや、研究基金や州議会など話し合いながらスムーズに決まっているものの、この二人の撮影となると行き当たりばったりであることは目に見えている。噂では4月末締め切りの課題のために、一応は仲直りしたらしいが。。
車は一路、二人のロケ地であるオールストンという隣町に向かっている。この二人の撮影テーマは「ボストン・ティーンエイジャーの性」だそうだが、この課題の締め切りは今月末と迫っているのに、まだ今回が初めてのロケとのこと。おい締め切り大丈夫かよ。
「8人のラテン系ティーンエイジャーをソファーに座らせて、いろいろな意見を同時に収録したいの。ピンマイクは8個いるのかしら、テディ?」と昨日機材庫の前でテミスに聞かれた。は?ピンマイク8個?どこに刺すんだよ!!と突っ込みたいのをぐっと押さえる。
「は、8個は入らないよ、テミス。大学のカメラは最大2個までしかマイクは入らないの。」「じゃあどうしたらいいかしら?ハンドマイク?」それじゃあコードが映るじゃんかよ。「こういうときは、ガンマイク(英語ではブームマイク)を使うんだよ。それで、なるべくカメラに写らないように、あなたが手に持つしかないね。」
そして、めでたく撮影をしたのが、この写真のような風景。照明も、マイクもソファ位置も、みんな結局私がセッティングしたんですけど。。。なんだか”MTV”風なのがミソ。(後で考えると結構かっこいいセッティングだった)
照明を立てようとするもののまず組み立て方がわからず、お手上げのはすっぱ娘ケリー。組み立てて見せてあげると、おだてあげられて結局カメラをずっと回すはめに。(おいおいあんたらの宿題だろ?)ま、いいや。だって二人に任せていると、機材壊しそうなんだもん。テミスは根性なしで、ブームマイクを持たせたものの、どんどん収録中にマイクを持つ手が下がってくるからノイズばりばりだし、カメラのフレーム内にマイクが映りこんでくるし、もう!(蹴りを入れそうになる衝動を、ぐっと押さえる。。)
「で、みんなの初体験はいつ?」「ゆきずりのセックスはあり?なし?」「コンドームはつけてる?」「エイズについては、どのくらい知ってる?」ずばずばと聞いていく女ギャング2人組。さすが。この二人、ジャーナリストというよりは元ヤンキーが現役ヤンキーにインタビューしているみたい。結構面白いインタビューなんじゃん。決して他のペアの作っているものにジェラシーはしない主義の私だが、これはこれでなかなかいい感じだ。私の照明とカメラのおかげだけどねー。恩に着ろよ、ギャング。
きょうは放送ジャーナリズム娘のひとり、メーガンの誕生日。夜、クラスの有志でハーバード大前のパブに集まって1次会。ドリンクはボストンならではのカクテル「グリーンモンスター」(写真のメーガン嬢が持っているもの)。ご存知ボストンレッドソックスのホーム球場フェンウェイパークの緑色の巨大なバックフェンスのこと。このカクテル、ベースがグリーン色で最後にレッドソックスを意味する赤色のリキュールをたらすのが決め手。
2次会。これまたハーバード大学の目の前にある香港なんちゃらというアジアンチックなクラブに入場。何ともアグリーな場所だが、どんぶりに盛られたカクテルをストローで複数人数ですするのが売り。
3次会。「もう帰りたいー、テディー疲れたー」とごねてみたもののブロードキャスト娘達に「だめ。」と手を引っ張って連れて行かれた。アンビエント風の音楽がかかる中、ダークな照明の下、ソファに人々がまったり座っているケンブリッジの不思議なクラブ。
4次会。一部の同級生が行きつけにしているクラブへ。白い天井の高いクラブでボストン近隣のヤッピー大学生と見られる人々が、はじけ、踊っている。頭がくらくらしてきた。これで本日のケンブリッジ・クラビング終了。お疲れさーん。
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Friday, April 15, 2005
ハーバードロースクールでStem cell discussion~スシ・ナイト
きょうは放課後、ハーバード大学のロースクールで行われた「stem cell debate」 についてのディスカッションに行った。キムリンと共に取材を申し込んだのだが、国会議員が来るとのこと、セキュリティー上の理由だとかで断られた。そこでへこむ私達ではない。Less visibleなカメラ(日本から持ってきた私のハンディカメラ・キヤノンIXYDVM2)で撮ればいいだけ、もし何か聞かれても「ツーリストなんですう」という私の必殺“日本人観光客のフリ”という技で乗り切ればいい。
ハーバードのキャンパスにはいかにも役に立たなそうな「ハーバードポリス」のパトカーが停まっていた。ロースクールまでの道を聞くと親切に教えてくれた。ハーバードポリスに入るには知能指数がIQ200ないとだめだったりして。(←真っ赤な嘘です)
ディスカッションは、ロースクールの教室が満杯になるほどのオーディエンスで一杯だった。さすがハーバード、学生も紺ブレに蝶ネクタイとかをしめている、信じられないほどのヤッピー(死語)ぶりである。遅れていったため、stem cell researchに反対派の共和党議員のスピーチと、それに対する学生の反論しか聞けなかった。ロースクールの教室の後部中央の座席に座り、手持ちでキャノンのIXYDVM2を回してみたが、それなりにスピーチの映像は押さえられた。ただ発言者から遠いため、音声があまりよくとれなかった。
収穫があまりなかった一人ロケのあと、とぼとぼとハーバード大のキャンパスを歩いていた。校舎の周りの木々の葉や花が美しくて、また写真を撮ってしまった。
さらに歩いていくと、青いT シャツが洗濯物を干すかのようにはためいている奇妙なインスタレーションに出会った。Tシャツには「性的トラウマ・レイプ被害者の会、ハーバード」と書かれていて、それぞれ手書きのメッセ−ジが書き添えられている。これは、実際にレイプや性的なおどしの被害に遭った学生が勇気を出してその時の気持ちを書き綴ったものらしい。ひとつひとつメッセージを読んでいくと、胸が痛くなるようなものばかり。
「ちょうどダウンタウンに向かう途中」という学友アマンダ嬢がハーバードの門で私をピックアップしてくれて、寮に車で戻った。アマンダ嬢は、ケープコッドで不動産屋を営む裕福なお宅の出身。いつもわたしのリポートをすごく褒めてくれて、尊敬を示してくれる。「You are soooo talented」なんてこんなに若い女の子に言われると、照れる。元祖マサチューセッツ生まれ・きゃぴきゃぴ娘のアマンダは、はきはきリポートが売り。小さなマーケットで始めて、ゆくゆくは中規模のネットワーク系列局のTV記者になりたい、という。
さて、きょうは花金!きょうは前から約束していた「Teddyとスシを食べる会」の皆さんをスシ屋にご案内。といっても、Hubert Humphrey fellowのファティマ、ハカンの二人だけ。ファティマはバーレーンの銀行のキャリアウーマン、ハカンはトルコの金融監査省のお役人である。二人は、それぞれ祖国でも寿司屋に良く行くほどの「スシ好き」であるそうだが、ボストンではあまり寿司屋に行った事がないそう。日本人である私にネタの説明をしてもらいながらスシを食べたい、とのことでこの会が実現した。金曜の夜、ボストン郊外のブルックラインにある名店「風雅居Fugakyu」は満員で30分待ち。それでも待って入った甲斐があった。スシの舟盛り、天ぷら、揚げ出し豆腐、みそ汁などに舌鼓。箸がうまく使えないハカンも訓練、訓練。。この店のもう一つの売りは、写真のような芸術的な盛り付けのデザート。サケのボトルもすすみ、ほろ酔いでスシ・ナイトは更けていく。
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Thursday, April 14, 2005
ベースボールシーズンはじまる
午後、出かけようと寮の建物を出るとこんなおっちゃんやおにーちゃんがずらずらと一つの方向に向かって歩いている。ははーん。レッドソックスだな。うちの寮の真裏に球場があるので、うちの前は野球場に向かう人の「通行ルート」になっているのである。「また始まったのかあ、野球シーズンが」という感じ。
散歩に出かけ、近隣の路上に停められたレッドソックスファンの車を発見。ご存知ボストン・レッドソックスファンは、日本では阪神タイガースファンにたとえられるほどの熱狂的な人たち。シーズンが始まると地元ニュースはそれ一色、ホームゲームはいつだって球場満杯、なんである。写真左はコンビニで見つけた「レッドソックス観戦用ポップコーン」。
ゲームが始まるまでに、近隣の駐車場は一杯。ボストン大学だって、試合のある日は学生用駐車場を野球観戦者用に貸してぼろ儲けしているよう。何しろ駐車料金もばか高い。
夜、お手製パスタと共にニューイングランド地ビール「Endurance」(写真右・ペールエール・渋いおじさんのパッケージに引かれて購入。)などで野球をTV観戦。この「野球とビール」というパターン、完全に”おっさん化”している。。寮の裏から聞こえる歓声とTVの中のファインプレーが、シンクロする近さ。おーっとっと。なんときょうは宿敵NYヤンキース戦ではないか。どうりで球場に向かうファンの入れ込み度が濃いと思ったぜ。。
なんと、この日は試合の途中で両軍入り乱れての乱闘!理由は客席近くに飛んだ打球を取ろうとしたヤンキースのシェフィールド選手の顔を、レッドソックスファンが思わずはたいて「妨害」したから。怒ったシェフィールドがファンと小競り合いして、罵声をあびせたからさらに大変。私もTVでこの瞬間を見ていたが(写真)、思わず「おお~やりすぎだよ。」と思ってしまった。その瞬間、裏の球場から大歓声がしばらく聞こえていた。乱闘が起きていたのだ。レッドソックスのホーム球場、フェンウエイパークのライト側の観客席の柵の高さはわずか1メートル前後。ファンとの距離が近いあまりに起きた悲劇だったといえる。このニュースはもちろん地元メディアをにぎわし、シェフィールドの顔をはたいた観客(確か40歳前後のフツーのボストンのビジネスマンだったはず)は、この日は球場外強制退去。そしてのちの警察の判断で「シーズン中球場出入り禁止」となってしまった。
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Wednesday, April 13, 2005
ボストンに春到来。
水曜日。きょうは、朝早くからまた「プロデューサー」として奮闘。今度は「TVニュースルーム」の授業で、「プロデューサー番」なのである。朝5時からTVニュースを見たり「記者」たちのお尻を叩いたりテロップを集めたり。クラスメーツのレスリーと共に昼12時の”番組放送時刻”と共に燃え尽きた。
疲れたので散歩がてら買い物に出かける。多忙を極めていたせいか、花が咲き始めているのにも気がつかなかった。いつのまにか季節は春。日本のように「桃や梅が咲く→桜が咲く」という明確な季節。の移り変わりがないせいか、春になっているのをすっかり気づかずにいた。町並みのれんがとピンクや白の花の対比が美しい。
春のボストン、恒例行事といえばボストンマラソン!4月18日の月曜日に開催される。うちの寮のすぐ裏を走るらしい。楽しみだ。
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Tuesday, April 12, 2005
stem cell リサーチ基金団体を取材~教会閉鎖に反対、座り込み信者に取材
Stem cell取材ロケ6回目。
小児糖尿病研究基金(THE JUVENILE DIABETES RESEARCH FOUNDATION)は、その名の通り小児糖尿病の研究のための基金を出している団体。他にも、マサチューセッツ州にある30以上の医療研究基金団体や、社会・教育関連団体が「THE MASSCURE COALITION」という業界連合のようなものを作り、ES細胞研究推進のバックアップをしているという。
キムリンとstem cellというテーマについてリサーチを始めたとき、このリポートについて、5つの柱を立ててバランスをとろうということを話し合った。「州(政治・法案)、患者、ドクター・リサーチャー(大学・研究機関)、そして会社(製薬会社、バイオベンチャー、研究基金)、カソリック」の5つである。「マサチューセッツ州は州の会社が儲かり、新たな産業を興す為にES細胞研究許可法案を通したい。患者側は病気の治癒を求めている、ドクター・リサーチャーは世界に先駆けてブレイクスルーを目指すための研究を進めたい、会社側はお金を儲けたい、じゃあ誰が一体研究に反対しているのか??それはカソリックの人々。倫理・宗教的信心から反対している。」という図式である。ES細胞のようにcontroversialなトピックについて取材するときは、こうして意見のバランスをとり、今何が一体問題の核心となっているのか分かりやすく示すことが命であろう。
ということで、小児糖尿病研究基金のハイジ・ダニエルズさんにインタビュー。“Last year we funded 85 million worldwide….and of that 9 million went to stem cell research. 5 of it to embryonic, 3 to adult and 1 to animal…it’s a strong piece of what we do” 小児糖尿病研究基金ではすでに去年900万ドルをES細胞研究のために投入している。“We think it’s very positive..has potential to impact the research for type I diabetes...scnt to study the disease model. To see how type I diabetes progresses.”とくにES細胞研究は「タイプ1」と呼ばれる糖尿病がどのように進行するかの研究に役立つという。そのためにも、ES細胞研究へのバックアップを進めていく、というハイジさん。
終了後、キムリンの別の宿題のために、例の教会閉鎖問題に悩む、ボストン郊外のニュートン市近くにあるとある教会に突撃取材。この教会はすでに「公式には閉鎖」されているのだが、熱心な信者達が昼も夜も24時間交代で座り込みをしているため、立ち退き業者も手を出せないでいるのだという。誰もいない教会に居座り続ける2人の主婦にインタビュー。時間つぶしのために誰もいない教会で本を読み、バイオリンの練習をしたりしてひたすら教会を明け渡さないためにがんばるカソリックの方々のパワーには、驚くばかり。
「Shoo---ting! Shoo---ting!きょうも明日もさーつえいっと。」変な歌を作曲するのが天才的にうまいキムリンの運転で、日本食レストラン「ギンザ」へ。おなかがぺこぺこなので私は天丼、キムリンはうな丼を注文。この後大学に行き授業出席。きょうはペーパー提出日。ひえー。
夕方からは日本人留学生Nちゃんの友人の日本人Kさんなどと、港でお食事。「最もボストンらしいレストラン」である”アンソニーズ・ピア4“で豪勢に。ここは、エントランスに「これまで来た有名人」とオーナーの2ショット写真がずらっと張り出してある超有名店。オーナーの地元実業家、アンソニーさんはこの1ヵ月ほど後だろうか、大往生でお亡くなりになったとのことだ。外は4月だというのに雪が降り出したが、寒さの中出かけて行った甲斐のある大満足なロブスター・ディナー。
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Monday, April 11, 2005
プロデューサーはつらいよ~“Boston Reborn”マガジン show 制作
「収録に間に合わないかも!」きょうの「TVマガジン」の授業では、本当のプロデューサー気分を味わう羽目に。
きょうのショーの「アンカー」、同級生ビッキーのラジオ局インターンが終わるのを待って、おととい収録に行った市役所インタビューの編集を始めた。1時からはじめても、6時の収録開始(授業開始)には十分間に合うと思ったのだ。ところがどっこい。大学のマックはフリーズするし、役人のしゃべりは長くて意味がないわでなかなか終わらない。
大学のマックが「考え込む」ときは、決まってやばいとき。フリーズする前触れであることが多い。そのとき出るのが、くるくる回る小さなレインボー色した丸。時計マークの代わりに、考え込んでいることを知らせるものだ。ビッキー曰く、「このレインボーの別名、知ってる?The rainbow of death (死のレインボー)っていうのよ。これが出ると、死の宣告とおんなじ。やんなっちゃうわよね。」レ、レインボー・オブ・デス!?思わず噴き出し笑い。面白すぎるよビッキー。。
どうにかこうにか40分回っているインタビューを5分に縮めて、インサート映像で編集点を隠して、出来上がったものをテープにプリントし始めたのが、授業の始まる6時ぴったし。それでもビッキーは、「ちょっと”エアー”を吸ってくるわ。」といって、タバコを吸いに外に出て行った。やーれやれ。プロデューサーはつらいよ。
この後も、段取りをクラスに説明したり、スタジオのセットを変えたり、てんやわんやだったが、無事に終了。収録後のノーキン教授の「あら探し」も、笑顔でこなす。だって、もうこの後プロデューサーやんなくていいんだもん!人々にいろんな業務をアサインしていき、それをなんとかとりまとめて一つの番組にする。。こんなに面倒くさい職業ったらない。写真は”あら探し”をするときのノーキン教授。仁王立ち。何かを聞いても、にこりともせず、不機嫌さを隠さないのが、彼女の特徴だが悪い人ではない。われわれは、彼女の授業を、軍隊になぞらえて”ブート・キャンプ"彼女のことを”ゼネラル・ノーキン”と陰で呼んでいる。。
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Sunday, April 10, 2005
マサチューセッツ・ゲイ・ドキュメンタリーを企画
「ドキュメンタリー」の授業のペーパーの締め切りが近づいている。この、通算3本目のペーパー(A4・10枚前後)が、最終的な成績評価の40%を占める。「25分のドキュメンタリーを想定し、プロポーサルを書きなさい。」あちゃー、締め切りはあさって火曜日なのに、何にもやっていないよ。「A proposal has to sell your idea to a sponsor or industry executive.」“村井ブラウン教授”と、日本人学生が勝手に読んでいるところのムーレイ・ブラウン教授は、「なるべく実現しそうな台本を書きなさい。タイトルやサブタイトルはもとより、実際にコンタクトをとった人の住所やメールアドレスなどを添付すると尚いいでしょう。」などという。
でもこの「プロポーサル」本当に撮影はしなくていいのである。いわば「絵に描いた餅」。私としては、「実際に撮影させてくれれば、Aをもらう自信ありまっせ」とでも言いたいところなのだが、そこは、ぐっとがまん。今回は映像(=言葉が要らない)ではなく、あくまで文章で勝負、ということである。くう。そこで、先生に意味が通じるような美しい英語で(“村井”先生はイギリス人)、台本を書かなければならない。
あさって締め切りなのに、本当に何にもやっていないのは今回が初めて。でも、私には心に決めたテーマがある。それは、「マサチューセッツ・ゲイ・インダストリー」。そして、このテーマには、心強い資料がある。それは、秋学期に取材したゲイの方々向けのフリーペーパー。この構成台本を書くために、カフェなどでフリーペーパーをせっせと毎週ピックアップしては、ためてあったのだ。フリーペーパーをめくっては、アイデアを見つけインターネットでバックアップリサーチするという方法で台本を書くしかない。
ペーパーをめくると、あるある。「Gay owned, and operated」つまりゲイの経営者によるゲイ・レズビアンフレンドリーなウエディング関連サービスの数々。「ゲイならではの繊細さを生かしたデザートが売り!ケータリング・サービス」「ゲイカップル向けウエディングカード作成サービスースタッフの多くがゲイです!」「レズビアンカップルによる、ウエディング・プランナーーゲイの方々の気持ちを汲み取るサービスを行います」「ゲイカップルでも子供が持てます!代理母による出産をあっせんするサービス」
がぜん、構成台本がにぎやかになってきた。これに、秋学期にプリント・ジャーナリズムのクラス向けに取材したゲイ・フリーペーパーの編集長の話を追加して。。何か実際に撮影したくなってきたぞ。むずむず。この「ドキュメンタリー・プロポーサル」のタイトルは、マサチューセッツをもじって、「Mass Sex—a portrait of the gay and lesbian community in Massachusetts.」とした。出来れば、日本のTV局で本当に放送できたらいいなあ、なんてぼんやりと思った。
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Saturday, April 09, 2005
ルー・ゲーリック病患者サーザとの出会い~チーフカメラマンとしてスピーチ!
パートナーのキムリンとStem cell researchドキュメンタリーの5回目のロケ。
マサチューセッツ州ウェルズリー市郊外。サーザとジム・キャンベル夫妻はボストンから40分ほど車で内陸部に入った、木立と湖に囲まれた美しい住宅街に住んでいた。
「Nothing hurts, I just need to be re-wired(どこもおかしくないのよ。ただちょっと配線が狂っただけ。)」自身の病気についてビタースイートなユーモアをこめてこう語るサーザさん。(2ショット写真左の女性)語るといっても、彼女は自分の口で話すことが出来ない。音声読み上げ機能のついた小さなハンドヘルドコンピューターが、無機質な声で彼女の打ち込んだ文章を読み上げる。
そう、彼女は、難病のルー・ゲーリック病を患っている。ルー・ゲーリック病とは、アメリカでは有名なNYヤンキース選手のルー・ゲーリック(切手の写真)がこの病気になったために、こう呼ばれているもので、正式には筋萎縮性側索硬化症(ALS)のこと。進行性の病気で、運動神経が衰えてしまう。彼女の場合は稀なケースだそうだが、病気が言語発声能力をも奪った。
「It is my best hope to replace motor-neurons which don’t work. That may not come in my lifetime, but some day through research, a cure will come.=ES細胞研究の成果が上がり、私の運動神経をリプレイスすることが出来る日を夢見ている。私が生きているうちには実現しないかもしれないけれど、かならずいつか研究成果の上がる日が来る。」夫のジムも、ES細胞は未来の難病患者を救うために重要な研究だと、信じている。「We are supportive of stem cell research because we think it’s the right thing to do and it the ethical thing to do.=ES細胞研究を支持する。倫理面について疑問視する声があろうとも、われわれはES細胞研究は将来治療成果が必ず見込めるもので、倫理面でも正しいことだと思っている。」
彼女が発症したのは5年ほど前。それまで自転車ツーリングを楽しんだり、夫と海外旅行に出かけたり非常にアクティブな女性だった。ハーバード大学に付属した女子大として名門の誉れ高いラドクリフ・カレッジで、日本庭園と日本文化について専攻したというサーザは、京都を旅行したときには旅館に泊まって、憧れていたさまざまな寺の庭園の写真を撮りまくった。日本の修学旅行生と一緒に撮った写真もある。彼女の元気だったときのアルバムには、何百枚もの彼女とジムの笑顔がある。
家の中でのインタビューを終えて、家の庭をご夫妻と飼い犬とで散歩してもらい、撮影。湖のほとりにたたずむ素晴らしい家。「あ。あ。」片言しかしゃべれないサーザが、ジムと共に微笑みながらゆっくりと湖畔の澄んだ空気を楽しむ。夫のジムとは、手話で会話する他、長年連れ添った夫婦ならではの「あ・うん」の呼吸によるコミュニケーションが成り立つものの、家の中や庭などを歩行器に頼りながらゆっくりとしか歩くことの出来ない。こんなにも知的で活動的な女性を襲った突然の病魔。なぜこうも神様は不公平なのだろうか、と思わずにはいられない。
インタビュー後、帰り道にウェルズリー市にある名門ウェルズリー・カレッジを車窓から見る。パートナー、キムリン嬢が卒業した名門女子大。ジュリア・ロバーツ主演の「モナリサ・スマイル」という映画の舞台にもなった。森の中にたたずむ城のようだ。キムリンによると、「冬は女子ばかりで過酷なニューイングランドの気候に閉じ込められ、牢屋のように感じる。」とのこと。
夕方からはHurbert Humphrey fellow(ハンフリーフェロー)のパーティーへ出かける。この間インドのお役人、アビのドキュメンタリー制作を助けたよしみで、フェローの皆さんとお知り合いになったのがご縁である。アフリカからアジアまで、国際色豊かな料理と酒が楽しい持ち寄りパーティ。ボストン大学のロースクールの校舎の最上階のパーティルームからは、チャールズ川が暮れていく美しい景色が見える。私は、ドキュメンタリー制作を記念して、「チーフカメラマン」として50人ほどの参加者を前にスピーチをした(照)。フェローと撮った写真を紹介しよう。コラージュ右上から時計回りにオマーン中央銀行のアリ、セルビア・モンテネグロ中央銀行財務部長のゴルダナ、チュニジア金融省役人のムーラード(ピザ職人)、タイのナノテク博士ジャルーニ、ハイチ中央銀行のミミ。
夜はまだ終わらない。ブロードキャスト同級生のスパニッシュ・パーティがあった。同級生テミスの家で、スペイン系の留学生を多く招いたパーティである。入るなり部屋はラテン系のノリ。で、大学のカメラを、このように使っては本当は、いけないのですが。。。われわれは、ついダンスする参加者のなめ回しカットなんかを撮りあったりして。。(ノーキン教授、ごめんなさい。これからは大学の機材は、宿題のためだけに使います。We promise…)
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Friday, April 08, 2005
ボストン市役所で道路計画役人をインタビュー
きょうのエンタープライズ/リポーティングのクラスは、ティスル教授がン10年前にローマに行き、法王を決めるまでの儀式をリポートしたときのビデオを見た。ティスル教授は地元チャンネル5で長い間プロデューサーをしていたのだ。法王が亡くなると、まずはローマ法王庁は遺体を一般公開し、1週間喪に服す。その後、次期ローマ法王の選出のための秘密会議(コンクラーベ)が行われる。その様子は一般に公開はされない。ただ一日の終わりに、法王の跡継ぎが決まったかどうかを、煙突から出る煙の色で、広場に集う人に知らせるのだ。煙の色が黒なら、まだ決まっていない印。白い煙が出れば、とうとう法王が決まったというサインである。多くの日本人にとっても、なじみの薄い法王死去—跡取り決定までのこうした儀式。アメリカのTV局では、先週の土曜日からずうっと流れっぱなし、連日トップニュース扱いである。純日本人として育った私には、なぜこんなに大騒ぎするのか、不思議でたまらない。
午後は、サラの車でビッキーと2人、ダウンタウンにあるボストン市役所道路計画課へ。余談だがサラのフォルクスワーゲン・ビートルのダッシュボードには、造花がさしてあり(写真)、運転するたびにくるくる回って、かわいい。昨日に引き続き来週月曜日のTVマガジンショー「生まれ変わるボストン」のプロデューサーとして、ロケ。サラは地元のTVプロダクションでバイトがあるので、来れない。
きのう書いたテミスに加えてもう一人のアンカーを務めるのは、ビッキー。彼女がブッキングしたゲストは市役所の道路計画課のお役人。ローズ・ケネディ・グリーンウェイという、ボストンのダウンタウンの主要ストリートを横に串刺しにする新しい道路工事の計画が進んでいるという。それについて、市役所の、ボストン市内のスケール模型が一面に置いてある会議室で、ビッキーが聞いた。お役人さんは、どこに居てもお役人さん。若いのに、慇懃な感じの人だったが、われわれの収録につきあってくれただけよしとしよう。(写真はVHSからの立ち上げなので画素が荒いですご了承を)
特筆すべきはこの市役所の道路計画課のオフィスの素敵な事。市役所は海に面して立っているが、中でも高層階にある道路計画課は、ボストン/ベイが見渡せる廊下に個室オフィスがずらりと並ぶ。キラキラ光る海を眺めながら、中で設計士らしき役人さんが設計図に線を引いたりしていた。
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Thursday, April 07, 2005
ホームレス・シェルターを救え!~MAカソリック団体IVで「ES細胞使った研究は“胎児殺人」”
「乗ってー。テディ。行くわよー。」やれやれ。朝も早よから、寮の前に横付けされた同級生のサラの赤いビートルに乗り込む。同じく同級生のテミスがすでに先に乗っていた。おはよ。きょうは朝10時から、サウスエンドという地区にある教会にインタビュー取材にでかけるのだ。次の月曜日のTVマガジンクラスの私の役目は「プロデューサー」。プロデューサーは二人組。サラも次回のショーのプロデューサーなのだが、先週まで「death show」で頭がいっぱいいっぱいだった私をみかねて、彼女がほとんど番組のプランを練ってくれていた。ありがたや。
さて、来週のテーマは「生まれ変わるボストン」(Boston Reborn)ボストンの町はアメリカでも最も古い歴史を誇るが、インターステート93という高速道路の地下埋め込み大工事「big dig」をはじめとして、町中で様々な工事や古い建物のリフォームなどが行われているのだ。それについて、大まかにまとめようというのが今回の狙い。
「で、私は何を聞けばいいのかしら」そう、女王気質のテミスが、今回の「アンカー」。プロデューサーのサラが、何もしない彼女を見かねて、スタジオゲストのインタビューを仕込んだのだ。(テミスちゃんは、プライドは高いのだが、ラテン気質なのでいつも締め切りやゲストのブッキングなどがかなりぎりぎり。どうにかなると大きく構えている節がある。。)しかし、いかんせんサラの仕込んだネタは、スタジオに呼ぶのは難しいゲスト。そこで、「収録」つまり現場に赴きVTR収録インタビューに仕立て上げることにしたのだ。私は、いつもの通り、技術スーパーバイザー兼カメラマンである。最近は「テディに任せとけば機材のこととかは、安心」と思われているらしい。とーほほ。
スタジオに呼ぶのが難しいゲストとは、ホームレスさん達のこと。サウスエンドにあるホーリートリニティ−教会は、例の「教会閉鎖」の一環としてすでに取り壊しが決まっている。しかし、この教会、ただの教会ではなかった。教会の地下に、地域のホームレスのための無料シェルターが設けられていたのだ。教会の閉鎖とともに、ホームレスのシェルターもなくなってしまうことになる。えらいこっちゃ。
まずは教会に到着して、シェルターのオーガナイザーの方にインタビュー。大学の機材庫には、「音声ミキサー」がない。だからして、これまで2人以上の音声を、デジカメVX2000に同時に収録する事は不可能だった。しかし、ミキサーの代わりにスプリッターという装置があると聞き、今回借りて来た。これで2人の声をRとLに分けて一度に収録できる。テミスとインタビューするオーガナイザー二人にピンマイクをつけ、教会の真ん中に立たせる。
教会は1844年に建てられた古いもので、↑ひとつ前のコラージュ写真の通りなかなか素敵。ゴシック調のドイツカソリック系教会なのだが、地下はこのようにホームレスの方々の憩いの場となっていた。夜は閉めてしまうものの、朝10時のドアオープンとともに、ざざっと、ホームレスさん達が無料のコーヒーや新聞を求めて入って来たのが印象的。テミスを教会の椅子に座らせ、ホームレスさんのうちの一人、ジョーさんという人に話を聞いた。このシェルターがなくなると、いかに困るかを語ってもらった。なぜホームレスになったのかなども聞いた。終了後はテミスのワンショットの切り替えし「質問カット」を収録し(迫真の演技)た。いよっ、女優!その後、ホームレスさんたちの資料映像を撮影(写真)。みな人懐っこくてかわいいおっちゃんたちだった。なかなかいいものが撮れたんじゃないか。
その後は単身、ES細胞研究に関する取材にダウンタウンへ出かけた。マサチューセッツカソリックカンファレンスという団体の、エグゼクティブディレクターさんにアポをとってあるのだ。カソリックの方々はもちろん、ES細胞のことを「胎児と同じ」だとして、それを使った研究に激しく反対している人たち。
“Every human being was once an embryo, just as butterflies were caterpillars…”カソリックカンファレンスが、こんなナレーションの入ったTVCMを流しはじめたのは3月のこと。ES細胞研究を許可する法案が州議会を通りそうになったので、倫理面から研究に反対する意見広告を打ち出したのだ。(リンクでフルバージョンのCMが見れます)
「Every human being has a right to life…these embryos are very vulnerable to whoever may want to manipulate them.. =胚性幹細胞はひじょうにもろいもので、科学者のいいように操作されてしまう。」こう語るマリア・パーカーさん。(写真)マリアは、研究に使うES細胞は、胎児になる可能性のある胚性細胞からだけでなく、新生児の臍帯や、大人の人間の細胞からも採取出来る事を知ってほしい、とも呼びかけている。
「This is a list of all the successful therapies using adult stem cells and this is the list using embryonic stem cells...Embryonic stem cells of course, you have zero. =胚性幹細胞を使った研究成果はまだ、ゼロ、全く出ていないんです。大人の人間の幹細胞で、難病の治療の為の研究は十分に出来るんです。」大人の人間の幹細胞=adult stem cellですでに実現した難病治療研究のリストをかざすマリア。胚性幹細胞=Embryonic stem cellを使った難病治療研究、とかかれた欄には、確かに何も書かれていない。(上写真左下)彼女はこうも言う。「まだ胎児になるかもしれない胚性幹細胞を使った研究は、殺人と同じです。」
州議会のロビーで、州議員たちにこうしたデータを突きつけ、「ロビー活動」をしているというマリアさん。「事務所は撮影しないでね。ES細胞だけじゃなくて、我々はゲイやレズビアンにも反対しているので、抗議を受けることも多いのよ。ロビー活動する事が多くて、忙しいわ。」はあ、恐れ入りました。
帰りに、あのTV広告を使いたい、と申し出ると「ボストン大学のクラスの宿題のためだけに使う事を誓います」という簡単な「一筆」を書かされ、直筆でサインをするよう求められた。ふうん。いろいろな意見があってこそ、マサチューセッツっす。
「あなた、一人で来たのに、なかなか質問も筋が通っていてintegrateされていて、素晴らしかったわ。」パートナーのキムリンちゃんが、TV局のバイトで来れなかっただけなんですけどね。。
「ありがとうございます。実は東京で8年ほどTV業界で働いていたもので。」「まあ、東京、この間旅行で言って来たの。桜がきれいだったわ。」ほ、ほめられちった。
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Wednesday, April 06, 2005
トンでる元小児科医、メリーアン~人ん家で爆睡
4.5(火)気候が暖かくなってきて、学部前の芝生で寺子屋形式の授業が行われていた。アメリカだねえ。「death show」の無事終了とともに、季節は春へ、もう4月である。きょうの「ドキュメンタリー」の授業の後、前から気になっていたメリー・アンさんと、ブラジル人留学生のアーレットと3人でコーヒーを飲みに行った。メリー・アンはどうみても、年のころ50ー60歳。おばあさんといってもいい。聞いてみるとこの授業には聴講生として参加しているという。元の職業は「小児科医」である。わあお。なぜ、仕事をやめてしまったの?「やりたいことをやりたいから。フェミニズムに関するドキュメンタリーを作りたい。」そ、そうですか。
私が彼女にコーヒーに誘われたのは、ある日ドキュメンタリーの授業で流した、戦争を美化するようなドキュメンタリーに、私が批判発言をしたのがきっかけ。「これはドキュメンタリーでしょうか?まるで映画のようです。戦争を美化するような、このような再現映像の多いドキュメンタリーが、アメリカではよく制作されますが、若者に”戦争はかっこいい”などと誤った印象を与えまいか、心配です。」と、憤りを感じて発言した。が、他のアメリカ人たちは「かっこいい。」などとそのドキュメンタリーに興奮した様子だった。「ちょっと待てよ!」と交戦的アメリカ人にカツを入れたくなる。まったくボストン大学の若い学生達といったら、アメリカ以外のことを全く知らない金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんが多くて、困るぜ。「外国?行ったことあるわよ。カナダ。」なんて平気で言う学生もいるくらいだし。。
「メリー・アン、こういう戦争大好き、環境問題気にしない能天気アメリカ人学生って、当のアメリカ人であるあなたにとってはどうよ?」こう聞いてみた。「*ucking stupid」彼女は、まるで医者が処方箋を書くようにシャツの胸元からペンを取り出すと、カフェの紙ナプキンにさらさらと書いた。ふうん。その後もしばらくコーヒーをすすりながら、メリーアン、アーレットと3人で「アメリカ人談義」に花を咲かせた。。メリーアンてば、トンでる”おばあさん”だこと。いかにもマサチューセッツらしいねえ。。
4.6(水)授業終了後、同じ学部のテレビジョン専攻をしている院生のNさんのうちにお邪魔。家庭的雰囲気を味わいながら、ハヤシライスをご馳走になる。お子さんのKちゃんと遊んでいるうちに、過去数週間の疲れがどっと出て。なんと人様の家のソファで爆睡!すいません。。
街で見つけた面白ステッカー。「おむつを換える男は世界を変える」。あはは。
ボストンの街角にはよくあるチェーンのフレンチカフェ兼サンドイッチ・パン屋、au bon painで見かけた「チョコレート・チェリーブレッド」を衝動買い。チョコチップと、ダークチェリーが練りこまれている黒いパン。うまーーーーーー。
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Monday, April 04, 2005
そして一躍スタジオへ。TVマガジン番組収録「The Death Show」!!!
4月4日月曜日。きょうのTVマガジンクラスの30分番組「Mass Exposure」のテーマは、”現代・死の事情”。1月から、放送ジャーナリズム専攻の院生が毎週企画を立ててきた番組のテーマの中でも、最も扱いの難しい番組だ。この回向けに、”リポーター”となってしまったのがきっかけで、過去1ヶ月以上に渡って、悩み苦しみ、マサチューセッツの葬式ビジネス事情を切り取ろうと、汗をかきかき知らない人や会社に電話をかけロケをし構成を書いた。
日曜の晩から苦しんでいる編集は、朝方3:00AMころに一応の終息を見せた。ところがどっこい、音楽にこだわりだした段階で朝6:00に。なかなか完成までこぎつけるのは難しい。しかし編集をしていると、ある種の「興奮状態」に陥り、眠くならないのが不思議。
土曜の晩から、”番組プロデューサー”のケリーから何度か私の携帯に電話が入るのが、笑える。集中しているときには、携帯の音はうるさいもの。数回「しかと」してしまった(ごめんケリー!)ら、留守電に「テディ、編集の調子はどう?期待しているわ。明日月曜日昼までに、プレビューをさせて頂戴。じゃGood Luck!」などと、本当に”プロデューサー気取り”(笑)のメッセージが入っていて思わず噴き出してしまった。葬儀屋の娘で、この回の番組のテーマを提案したのはケリー。テリー・シャイボさん(フロリダ州で植物状態となっていた患者さんで、その尊厳死をめぐって彼女の夫と両親が争いを繰り広げた)の尊厳死に関して、地元の弁護士さんにインタビューを仕掛けてみたり、死んだペットの犬を冷凍保存して、将来クローンを作ろうとしている人をスタジオゲストに呼んでみたり。やる気まんまんの”プロデューサー”ケリーなのである。
昼、完成したリポートを持って大学へ。プロデューサーのケリーと、カメラマンのサラに見てもらう。
ケリー「すごい、すごいわ、テディ。9分にもふくれあがったのにも、目をつぶるわ。だって、素晴らしいもの。」どうやらヤンキー娘、私のリポートが気に入ったらしいが、共にロケに行ったサラはなかなか冷静に「音楽がloudすぎるところがある、テロップの位置が異なるのが気になる。。」などとなかなか鋭い指摘をしてくる。はいはい、直しますって。”お直し”後、ミニDVテープからVHSにコピーしていると、今回はテロップ係り担当のメーガンがやってきた。私のリポートを見て、「すごい、何か鳥肌が立ってきた。。」などという。うれしいねえ。
ここで突然ハイパー娘、ケリーが宣告。「決めた!このVTRの紹介は、スタジオでクロマキー画面に合成したお墓の画像をバックに、あなた自身が”リポーターとして取材してきました”って形で、紹介してね。」ええーっ!?のけぞり。普段はアンカーが紹介するVTRの前フリを、リポーター自身がやるのおお??徹夜明けの顔じゃ、出られない。。急いで寮の部屋に帰って18:00の授業開始=収録開始時刻までにスーツに着替え、お化粧など。。
でたー。。とうとう収録の時間がやってきた。スタジオアンカーのマイケルが「テディが現代葬儀ビジネス事情について、リポートしてきました。テディ?」と呼びかけ。私「Thanks Michael, Most Burials in Massachusetts are traditional services, but the number of cremations has increased. Families are using the services of sea captains, stone carvers, and even animal cemeteries to show respect upon death. Tonight, we'll look at these trends and the rise of people studying to become funeral directors. 」VTRどうぞ。
われながら、楽しんで作った「現代マサチューセッツ・葬儀ビジネス事情」6箇所のロケ先の話題を全て盛り込み、クラシック音楽・グレゴリアン聖歌などの”宗教的な”音楽を中心に味付けした。まずは葬儀ディレクター大学から、そして、ウォーキンショーさんの葬儀屋、棺のダイレクト販売、墓石の個人化、散骨サービスのキャプテン、ペットセメタリーと畳みかけたつもり。
VTR終わり、後コメ。フロアカメラマンのオノラがキューを出す。プロンプターを読む私。「The funeral services industry continues to evolve with rock and roll burials and ballons substituting for flowers. It will be interesting to see which direction it moves in and what new trends will arise. 」決まった!と、ここで私の寝不足のアタマが悪さを。「Back to you Mike and Amanda」というはずが、「Mike and Miranda」と言ってもーた!!あわてて”アマンダ”と言い換えたものの、時すでに遅し。あーあ、収録されてしまった。。不覚。。
ところがアンカーの2人は気にもせずに、興奮した様子で「素晴らしいリポートでした!」「いやー本当ですね!知らなかったことばかりでした。」などとアドリブで番組を続けた。そう、このリポート、クラス全員どころか、当日のゲストの弁護士、ケリーの父親(葬儀屋の経営者)など全員の絶賛を浴びたのである。クラス終了後の鬼のノーキン教授の”プレビュー”(別名・あら探し)も、「あ、ここいいですね。このカット、散骨サービスの船長が帽子をかぶってにこって笑うところ。あ、このペットセメタリーのメモリアルプレートのカット、いいですね。。」など褒め倒し。いやーここまで褒められると、本当にがんばった甲斐があるなあ。風邪もいつの間にか吹き飛んだ、The Death Showの夜、であった。
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Sunday, April 03, 2005
Popeと夏時間と宿題の編集で、「何がなんだか・・」~バーチャル“葬式”酔い
4.2は予想通り、半徹となった。風邪が悪化して苦しいのだが、深夜にひとり鼻声でナレーションも収録した。全く孤独な作業。けさ(4月3日)は、こんなに時間がないのに、クラスメーツのミランダ嬢の、「カメラマン」を務めなくてはならない。TVニュースルームという毎週水曜日の授業で、今週のカメラマン当番なのだ。ローマ法王が亡くなったことに対して、地元教会の日曜礼拝がどう対応しているか、ロケに行くという。8:00AMに目覚ましをセットした。
りーんりん♪携帯が鳴っている。なぜか朝の7:20AMだ。ミランダちゃん(クラスでも一、二を争う楚々とした美女)から。「Teddyおはよう。あと10分で寮の前まで車で迎えに行くわ。」「あれれ?待ち合わせは8:30じゃ??」「テディ、もう8:20AMよ。きょうからサマータイムよ。あ、もしかして忘れてたかな、と思って電話してみてよかった。じゃあ、ダンキン(ドーナツ)で、さしいれにブラックコーヒー買ってくからー。」ジーザスクライスト。なんとこんなに時間がないときに、サマータイムとやらで1時間も損をするとは。。
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撮影は無事に終わり、けさの新聞 (Boston Globe)を手にする。→
ミランダちゃんとともに行ったボストン郊外のブライトンというところにある教会では、祭壇にゆりの花が一面に飾られ、正面にローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真がセットしてあった。礼拝に訪れる人々にマイクを向けると、皆悲しそうに「法王の存在は偉大だった」などと個人的な思い入れを語った。
教会へは公式な取材申し込みをしたところ、「断られた」とミランダちゃんが言う。「断られても、撮ったもの勝ちよ。見てて。」美人なのにおとなしくて取材にもtimidになりがちなミランダを尻目に、私は、荘厳な特別礼拝の行われている教会にどしどし入っていって、正面の通路から堂々とカメラを手持ちで回した。怪しいアジア人だな、と思う人はいても、つまみだそう、という人はいまい。。私も大胆になったもんだ。
20分後。ミランダのところへ戻る。「司祭の弔辞と、信者の顔も押さえたけど、これでいいかな?」するとミランダ嬢「すごい、すごいわ、Teddy You are so sneaky!いつの間に撮ったのね!噂には聞いていたけど(どんな噂だい?)、やはりあなたはすごいわ!これで宿題のリポートはばっちりよ!」(この取材リポートで、ミランダ嬢はのちにA+をゲットし、嬉しそうに私にその成績を見せてくれた。)
朝11時、部屋に帰り「マサチューセッツ葬式事情リポート」編集の続き。TVをつけるとけさはABC、CBS、NBC、CNN、FOXとアメリカ各局がローマから生中継をつないでいる。カソリックではない私には、驚くばかりの報道量だ。ローマ法王が、こんなに大きな存在だったとは。「日本人の私には、ぴんと来ない。一応仏教の国のはずだけど。仏教は法王みたいな存在はいないもん。」とミランダに説明すると、「ダライラマがいるじゃん。」と返された。→なんか違う、激しく違う。ローマ法王と、ダライラマでは、何かが違うぞ。ミランダは「私はジューイッシュだからあまり法王のことは気にしないけど。でも彼氏がカソリックだから、結婚するとしたら大変だなあ。」とのこと。ふうん。ちなみにジューイッシュのアメリカ人女性で女王様気質の女性のことを、「JAP(Jewish American Princess)と呼ぶらしいですよ、最近じゃ。
ううーん。popeが死んで、自分のパソコンのデスクトップでは、マサチューセッツ葬式事情の編集をしている。なんだか、ミュートにしたCNNの画面と、自分の手元のマックG4を交互に見比べながら編集をしていたら、気分が悪くなってきた。「バーチャル葬式酔い。」と名づけたのだが、要するに折からの風邪が悪化しただけ、であろう。目覚ましに、甘いものを、とチャイナタウンで買ったミックスを使い「アーモンド杏仁豆腐」を作成(ウマ)。さて、今晩中に編集フィニッシュできるか!?
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Saturday, April 02, 2005
雨の中Stem cell 法案抗議デモを取材・サウスエンドのお粉カフェ・Pope死す。
「Mer~cy Lor~d!Mer~cy Lor~d!」恐ろしく太ーいだみ声で”神に許しを請う”神父と、それに従うカトリック信者達。。。
ここは、マサチューセッツ州議会議長ロバート・トラバリーニ氏の東ボストンの岸辺にある自宅前。低気圧到来に伴って朝から降り続く激しい雨をものともせず...熱烈なデモ運動がトラバリーニ氏の家の前で行われると聞き、取材にやってきた。stem cellに関する調査報道のリポートには、バランスをとるために、stem cell researchに賛成する人だけでなく、反対する人たちも盛り込まなければならない。それが、彼らというわけ。1カ月前のBoston Globe紙に彼らの記事が載っていた。「On at least eight mornings over the last three weeks, about a dozen members of a Winthrop Catholic church have spent their waking hours pacing the sidewalk outside Senate Rovert Travaglini's East Boston duplex to protest his bill promoting stem cell research.」これを元に、彼らの教会に電話をかけつづけていつ次のデモがあるか、調べていた。
記事には平和そうに書かれていたデモ活動も、撮影パートナーのキムリンとともに、実際に目の当たりにしてみると、こ、こわい。。目を見開き、辺りに響き渡るようなろうろうとした馬鹿でかい声で、嫌がらせするかのように「神にい~許しを~!」とただ叫び続ける神父。(写真の赤い傘の人)”stem cell法案などという恐ろしいものを通そうとしているトラバリーニ議長に許しを”、という意味らしいが、それに賛同して遠くを見つめるような目で同じように叫び続ける信者達。大学のカメラを持ってさあ、と思ったわれわれも、しばし「撮影していいですか」、と声をかけるのが戸惑われたほど。
「We are gathered here to ask the Lord for Mercy because they are going to take living embryos which do not work. It is only for MONEY.」こう語る大男は、東ボストンのウィンスロップ市にあるホーリー・ロザリー教会のトーマス・ディロレンゾ神父。「われわれは、胚細胞研究が難病の人を助けられるとは、思えない。(embryonic stem cell research=胚細胞研究は)ただ胎児の命を奪う殺人で、金目当ての研究だ。おお神よ、このような罪深き法案に賛成している議長をお許しください。」神父はこうも言う。「私はCommonwealth of Massachusettsに仕える忠実な子羊として、神父を長年務めてきた。もしマサチューセッツでこの胚細胞研究が法的に許可されるのなら、それによって州民みんなが恐ろしい報いを受けることになる!You plant death, you will reap death!(死が植えつけられ、死を刈り取ることになるのです)。」
神父は大学のカメラ「ソニーVX2000」の音声モニターがふりきれんばかりの大声でインタビューに答えると、一方的に去っていった。さらに取材を続けるわれわれに向かって、携帯でどこかに連絡をしながらディロレンゾ神父がこう言う。「君たち、見たまえ。トラバリーニの車が、路上に違法駐車されているんだ。あ、ボストン警察ですか?はい、東ボストン、XXストリートの前に、州議長さんの車が違法駐車されていますよ、いますぐ来てください。」
やれやれ。抗議活動も、ここまで来るとちとやりすぎでは?と思いながら他の信者にもマイクを向ける。カメラに向かって聖書の一節を読み始める”シリアル・キラー”のような風貌の男性(失礼!)、キリストのはりつけになったクロスを抱えて、Amazing Graceを口ずさむおばさん。天国の雲の上を歩いているような風貌で「全ての命は尊いものよ。」と語る女性などなど。大丈夫か??
雨は止むどころかひどくなるばかり。ずぶぬれになりながらの取材を終えて、ボストンのおしゃれエリア、サウス・エンド地区のカフェに行くことにした。キムリンの”行きつけ”だそうだ。車のハンドルを握りながら、キムリンが「モノマネしちゃう。”Mer~cy Lor~d!”あはは。」と笑っている。私の頭からはディロレンゾ神父が真剣な目で言った「Flood warning!洪水注意報です!神が今にお怒りになり、トラバリーニ氏の頭上で天候が変わって、天変地異が起きるでしょう!!!」というコメントが離れず、笑いが(大変失礼ですが、面白かったので。。)こみ上げてくる。。いい絵が撮れた!
さて、「Flour bakery + café」に到着。雨の土曜日の昼、店は幅広い年齢層の客で行列+席は満員。この店はアジア系アメリカ人のジョアン・チャンさんが始めたベーカリー兼カフェ。名物は「粉系」のタルト、パイ、スコーン、マフィン、ケーキ。私とキムリンは雨で凍えきった体を、スープとホットサンドで暖めることにした。お・い・しー。さすが行列ができるだけのことはある。サンドイッチはフレッシュ、スープもスパイスが効いた豆スープで旨い。マカロンを買ってみたが、甘すぎずとてもおいしかった。ちなみにこのサウス・エンドという地区はゲイ人口の多いことでも知られており、店にも男性同士のカップルがちらほら。味にうるさいゲイの方々が支持する、おしゃれなカフェで、おすすめである。
キムリンと、stem cellに関する取材の方向性、アポいれの分担などを確認して分かれる。さて、寮の部屋に帰って、マサチューセッツ葬儀業界のリポートをまとめなければ。キムリンに送ってもらう帰り道、スクリプトの英語を添削してくれる予定の学友のサラに電話をかける。すると、数日前緊急入院したということで話題になっていたローマ法王が、とうとう亡くなったとのこと。。
激しい雨の中プロテストするカソリック信者と、ローマ法王死去のニュースが、不思議なまでにシンクロした午後。カトリック人口の多いマサチューセッツ、今度は法王死去にも大騒ぎするだろうな、と思いつつさて、それどころではない。真面目に編集に本腰を入れなくては。Mac G4の電源を入れる。外の雨はまだ止みそうもない。
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Friday, April 01, 2005
マサチューセッツ葬儀業界リポート編集大詰め
(ここ数日更新をサボっておりました。春学期終了後のパーティ三昧→ワシントンDCへの小旅行に出ていたためです。5・13深夜にボストンに“帰郷”。きょうから本当に本当に毎日毎日更新再開します。請うご期待!5.14Teddy拝)
4.1(金)
きょうから過去2週間以上に渡って企画、ロケをしてきた「マサチューセッツ葬儀ビジネス業界リポート」を本格的に行わないとならない。何しろ今日までの時点で60分の民生用ミニDVテープが6本も回っている。はっきり言ってヤバい。60分×6本だから360分。素材を見るだけでも時間が相当かかるし、インタビュ−をすべて聞いて、いるところだけを出すだけでも手間である。3日後の4/4月曜日の昼に締め切りで、TVマガジンのクラスの「プロデューサー」であるケリーに提出しなければならない。だから、きょうあすあさっては徹夜か、それに近い状態は覚悟。
こうした取材テープだが、TV業界では、回っているテープの量が少なく、効率よく「使える」映像だけが撮れているほど良し、とされている。5分の予定だったリポートに、 なぜこんなにテープが回ったのか。理由は簡単、2つある。 まずひとつに、取材先(コマ数と呼ぶ)を、張り切りすぎて多めに仕込んでしまったから。5分のビジネスリポートだったら、少なめに3−4カ所で十分なはず。それを、「葬儀大学、マサチューセッツ葬儀ディレクター協会、棺ディスカウントストア、墓石職人、散骨サービス船長、ペットセメタリー」と6箇所も仕込んでしまったのだからたまらない。もう一つの理由は英語での取材なので、念のため日本語の時よりもインタビューを、多め、長めに収録しているため。その場では何となく聞き逃していても、部屋に帰って取材テープを再生してみると、何となく理解していたこととニュアンスが違っていることは多々ある。帰国子女でもない私が、ネイティブの方にインタビューするのであるから、少々の英語のミスコミュニケーションがあっても、取り返しがつくように長めに多めに聞いておくのである。この自分のインタビューの「聞きなおし」作業では、英語の理解が不十分でとんちんかんなことを聞きなおしている自分のコメントも、再度聞かなければならず、半ば拷問のようなもの。自分のあほさに耐えなければならないのだが、しかしどうして、素晴らしい英語のリスニングの勉強になっていることも、事実。
しかしである。これが日本語であったら、効率を考えてもう少し短めにポイントを押さえたインタビューを心がけるべきであろう。プロとして仕事をする際はなおさらである。テープ=消耗品という考え方であるから、テープをいたずらに消費することは、テレビ局では「コスト削減の原則」に相反するのである。
現在は「大学院生」の身で取材をしているのだから、コスト削減はとりあえず気にしないことにして、と。続いて、6本のテープを全て外付けハードドライブに落とし込む作業を行う。私は、Macに「LaCie=レーシー」というメーカーの200GBのexternal hard driveをつないでそこに素材をぼんぼん入れていく(写真)。「デジタイズ=digitize」と英語でいうところの作業である。編集をしながら、使うカットだけを選択的に、そのつど落とし込むほうがいいという人もいる。そのほうがハードドライブの容量の節約にもなる。しかし、一度全てを落とし込んで、その中からああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながらカットを選んでいくほうが私には、合っている。その結果、ものすごくハードドライブの容量を食うのであるが。さらに過去の作品で、今後作り直そうとか、ドキュメンタリー賞に応募しようとか、思っているものがまだハードドライブに入っているので、結果、この「LaCie200GB」を2個、250GBを1個、合計3個、2学期を通じて所有する羽目になってしまった。手痛い出費であるが、大容量の映像データを保存するためには、必要経費。もっとも、3個のレーシーのうち一つは秋学期末にクラッシュし、入れておいた映像データへのアクセスが全く不可能になるという不運に見舞われた。メーカーに無償でCPUをリプレイスしてもらい、ようやく2ヶ月後に戻ってきたという経緯がある。
ああ編集や編集や。ここまででテープのこと、そのテープの映像をプールするハードディスクのことを説明してきたが、それよりもなによりも大事なもの、それは「script=スクリプト、構成台本、ナレーション原稿」の作成である。こうした映像のニュースリポートの制作は、できればロケに行く前に事前に荒い想定構成台本を書いておき、それに沿って取材を進め、ロケから帰ってきたら、実際に撮れている映像を見つつ、修正していくのがよい。私の場合、想定台本にはかなり詳しく書き込んでおき、帰ってきてからほとんど修正しないこともよくあるのであるが。今回のような外国での取材の場合、実際にロケ現場に行って見ないと、どんなことが起きるのかが想像ができなかったこともあって、かなりの修正を強いられた。そこで、効率のよいスクリプトの作り方を以下のようにあみ出した。
・まず6本のテープをハードドライブに落とし込み、パソコン上でファイルとして再生できるようにする。
・インタビューのパートを全て聞き、使えそうな箇所を荒く選び出して、編集しタイムライン(=写真のファイナルカットプロというソフトの、“編集のベース”のこと。)に貼り付けておく。
・3-4箇所にまでファイナライズしたインタビューパートから、さらに「本当に使う箇所」を選び出す。
・インタビューの内容の前後を肉付けするようにして、ナレーションを書く。その際、必ず撮れている映像を最優先にしながら書く。いくら美しい感動的なナレーションを書いても絵があわないと台無しである。
構成・ナレーション原稿を完成させたら60%は完成も同然。その後の作業としては、
*ナレーション(英語)収録(これが発音にこだわりながらなので、また時間がかかる)→*ナレーションテープのデジタイズ→*タイムライン(編集ライン)にナレーションとインタビューを交互に貼り付け、まずベースラインを作る→*ナレーションの上にB-rollと呼ばれる資料映像を効果的に当てはめていく作業(これが最もクリエイティブ!)→*テロップを入れる→*音調整、音楽選曲→*完成!ファイナルカットプロのファイルから、ミニDVテープにプリントする。(※以上はあくまでも私個人のやり方。しかもノンリニアnon-linier編集の場合。)
映像リポートの作成がいかにtime-consuming=手間のかかるものか、おわかりいただけただろうか?しかし、私は、この編集という作業が一番好きなのだ。0だったプロジェクトが、100にも1000にもなる瞬間、自分の創造力をいかんなく発揮して、最も効果的にストーリーをweave=編む作業、それが編集作業であるといえる。
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Boston Globeに載った!
ーーー5.4に無事春セメスターを終了し、更新再開しました!5・6Teddy拝ーーー
3.31(木)りーんりん♪朝起きてstem cell 取材のリサーチをしていると携帯が鳴った。
キムリン「Teddy,おはよう。ところで今朝のしんぶん(=ボストン界隈でしんぶんと言えばBoston Globeのことである。間違いない。)見た?」「まだだけど、なんで?」「きのうの州議会のstem cell research法案通過の記事のところ、州議長の写真の後ろに、Teddy、あなたが大学のカメラを構えているところがばっちり載っているのよ!今すぐしんぶん見てえ。きゃあー。」あわてて寮の1Fにしんぶんを取りに行く。すると、あれえーいやあー載っているうう。その写真とはこれ↓。わかりづらいので赤い矢印を書いてみた。
マサチューセッツ州議会議長ロバート・トラバリーニ氏が、法案を通して”してやったり”顔で帰っていく。その右側には、stem cell 法案は”クローン技術と同じ”と最後まで反対票を投じた共和党のブライアン・リーズ議員がインタビュー攻めにあっている。トラバリーニ氏の後ろでカメラを構えているのが私である。顔さえわからないが、黒い前髪のざんばら具合が、間違いなく私である。。
午後、秋学期に授業をとっていたドナヒュー教授からもメールが来た。「きょうのGlobeのstem cellの記事のところに載ってた写真はあなたよね、Teddy?」そうです私です。この紙面、永久保存にしようっと。白黒だけでなく、カラーバージョンもGlobeのwebsiteにて入手した。それがこれ→。
早速いろんな友人にwebsiteのリンクをメールで送りつけたところ、「congratulations!」「「小指が立っているけど?」「目指せBarbara Walters!」などさまざまなコメントをもらった。実家の両親にも紙面を送りつけようっと。。
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”FS101”葬儀ディレクター大学は大にぎわい!?
3.29(火)マサチューセッツ葬儀業界レポート・ロケ6日目。
“The popularity of the TV drama “Six Feet Under” may have made the job of funeral directors more approachable.
The number of people who want to become funeral directors is significantly increasing“「シックス・フィート・アンダー」というアメリカのTVドラマをご存知だろうか?アメリカのケーブル系TV局HBO制作の作品で、日本でもオンエアが決定したらしい。ドラマとしては異色の葬儀社を経営する一家を取り上げたもので、葬儀の運営だけではなく、ご遺体の防腐加工から、ご遺族の感情をなだめる場面まで、葬儀ディレクターの仕事のさまざまな側面が描かれている。
この「シックス・フィート・アンダー」のおかげというべきか、全米で葬儀ディレクター(funeral director)を志望する人が40%増えたとか(全米葬儀ディレクター協会調べ)。Mortuary schoolと呼ばれる葬儀ディレクターになるための資格取得のための大学に通う人も増えている。女性の志願者が増えていることと、他の職業からの転職組が増えていることが特徴。
Mt. Ida College=マウント・アイダ・カレッジはボストン近郊のニュートン市にあり、葬儀ディレクターコースに100人近くが学んでいる。全米の中でも歴史の古い葬儀ディレクタースクール名門校の一つだ。2年のアソシエート・ディグリー、もしくは4年の学士号が「funeral service」の専攻で取得できるようになっている。きのうから低気圧がニューイングランド地方に来ているせいで、けさも大雨。その雨の中、T(地下鉄)Dラインに乗ってロケに向かった。教授とアポが取れたのだ。
「FS101」といえば、ここでは「funeral Service 101」つまり、葬儀ディレクターになるための基礎の基礎を学ぶ最初の講座のこと。葬儀ビジネスのノウハウや、遺族の心理を理解するための「psychology of mourning」といった授業というソフト面に加え、そのほかにも「facial restoration techniques(顔面修復テクニック)」や「embalming(防腐加工技術)」といった、人体解剖学に基づくハード技術まで、総合的に身につけられるカリキュラムとなっている。カスタマーのニーズを、きめ細かくサポートする葬儀ディレクターを輩出するのが狙い。
“If you talk to my student and ask what is the V-word Jacky teach you, they will answer VALUE. “こう語るのは、葬儀ディレクターコースの学部長で、看板教授のジャッキー・テイラーさん。彼女は、サンフランシスコの大手葬儀会社で名embalmer(防腐加工士)として鳴らしていたほか、日本の公益社という葬儀会社が新しく始めた葬儀ディレクタースクール(大阪にある)の立ち上げにもブレーンとして参加した、葬儀業界では知る人ぞ知るフューネラル・ウーマンである。
“If we have a mother comes in and her child has been killed in an auto accident, she will pay anything to get to see him again. She will pay anything to see him clean, and hopefully as natural-looking as possible. That is worth something. Our ability to be able to give her the experience she needs at that time, it is worth something. So it is VALUE.”=「葬儀ディレクターというものは、お客様に「価値」を提供する商売。もしお子さんを交通事故で亡くしたお母様が来たとき、お子さんのご遺体を、なるべく、自然な、きれいな状態に戻すためなら、いくらでも払う、というかもしれない。そんなお客様に、価値ある経験を提供すること、それが、葬儀ディレクターのできることなのです。」とテイラー教授は教授室で、私との単独インタビューで語った。
マウント・アイダの「embalming class」を撮影に行った。マサチューセッツなのに「マウント」というだけあって、森の中、小高い丘の上にあるこじんまりした大学の夜間授業は、なんだか、避暑地にいるようだ。そこで19歳から40歳まで、年齢層もさまざまな「葬儀ディレクター課程」の学生達が「遺体を保存する温度は何度が適当か」「冷蔵技術に必要なものは」など、傍から見れば不思議なディスカッションをしていた。
すでに地元の葬儀社でアルバイトをしている勤労学生も多く、自分の経験からさまざまなことを授業に持ち込んでは、教授(葬儀ディレクターのベテラン経験者が多い)に質問をぶつけていた。学生さんにインタビューをしてみた。(写真)40歳前後のリン・デューイさんは、だんなさんと母親を立て続けに亡くしたのが、葬儀ディレクターになろうと思ったきっかけ。夫と母親の葬儀を手がけた近所の葬儀ディレクターと身近に接しているうちに、興味を持ったという。数少ない黒人女子学生のティファニー・アコールさんは、将来DNA鑑定などを手がける警察の検死科学者になるのが夢、と語る。実に志望動機もさまざまなFSコースの学生達。
撮影パートナーの同級生、サラが「顔面修復技術」の授業を、後日撮影に行ってきてくれた。私はBUの自分の授業とバッティングして、行けなかったのだ。理科室みたいな教室には、人体模型がところせましと並べられ、その脇で、ゴムのお面のような、肌色の“デスマスク”顔面模型を作る学生達がいた。(2つ前のコラージュ写真)
驚くべきことに、実はこの葬儀ディレクター課程の入っている大学の施設の地下室には、「遺体安置・加工室」が設けられている。実習のためだ。テイラー教授が、何気なく「Danger立ち入り禁止」と書かれたドアをかちゃかちゃ言わせながら開けると、そこは映画などでたまに見るあの、オペ室のような無機質な空間が広がっていた。実にさまざまな色のペイントの入った棚(血色を良く見せるための加工用)、冷蔵庫、ストレッチャー、切開のための工具など、興味深いものの実に恐ろしいものばかりが置いてある。しかも、ここでは、近隣の教会に寄せられた、身寄りのない死者のご遺体を、実際に加工することによって、試験が行われるというからさらに驚く。ご遺体は丁寧に加工をしたあと、学生達がボランティアでお葬式まで出すそうだ。勉強にもなり、一石二鳥だ。
遺体安置・加工室を見せてもらったとき、あまりにも慣れた手つきで、赤い死体袋=ボディーバッグを整えるジャッキー・テイラー教授が印象的であった。ビジネスとはいえ、死を日常茶飯事のものとして扱う職業、恐れはないのだろうか。聞いてみたかったが、撮影に夢中で忘れてしまった。
葬儀ディレクター課程では実に実用的な授業が、「大学」のカリキュラムで行われている。「うちの卒業生は、評判が高い。」テイラー教授も、そう鼻高々だった。葬儀社に持ち込まれる一人ひとりの故人の「人生のストーリー」を心をこめて、また美しく演出する、そんな職業がアメリカの「葬儀ディレクター」。そして、その葬儀ディレクターになるための、さまざまな技術を統合的に教える学校が、ばっちりとマウント・アイダのように用意されているのだ。恐れ入った。
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生中継記者に挑戦~MA大物議員にぶら下がり
3.30(水)風邪で声がよく出ない。なのに、きょうも放送ジャーナリズム魂・フル稼働である(笑)。(好きじゃなきゃ、こんなのやってられない。。)
きょうは、まずヤマが当たった。朝9時、ティスル教授から言い渡された取材の課題。「Teddy,中継リポーターの君にやってもらうリポートは“ボストン市が英国ロンドンに習って、交通渋滞を緩和するために、市内を通行する車の全てに通行料を課金することを検討中”というネタだ。12時までに、街頭インタビューを撮ってきて欲しい。それを編集して、1分ほどのリポートにまとめて、12時に学部前の芝生から生中継で前フリと後コメを頼む。いいね?」
水曜日の朝、TVニュースルームの授業で、アンカーに次いで恐れていたローテーション、それが「live reporter」つまり中継リポーターである。9時に取材をスタートして、MOS(men on the street)と呼ばれる街頭インタビューを最低3人は撮って、それを編集してナレーションを書いてVTRにまとめる。12時の「NNN Midday」(TVニュースルームの制作するニュース番組の名前)のオンエアまでに立ちレポの原稿を作って、覚えこまないといけない。ちなみにネタは選べない。教授が勝手に決めて、言い渡される。
「ヤマが当たった」というのは、このクラスの前に見てくる地元TV局「チャンネル5」の5時のニュースに、このネタがライブリポートで取り上げられていたからだ。「きょうのクラスのライブレポートのネタは、これじゃないかな?」と推測をしていたら、見事当たった。
一緒に組むカメラマン役の同級生は、ビッキーだった。2人して9:15に大学校舎から外に飛び出した。「アイデアがあるんだけど。通行料の話だから、一般のドライバーを運転席でインタビューしない?」こう提案した私。大学の駐車場に行って、無事3人のドライバーを運転席でゲットした。
10:40までには、無事街録を終えて大学の編集室に戻った。3人のドライバーの意見を通行料金反対、賛成とうまくふりわけながら、バランスをとっていく。ナレーションの英語は、ビッキーが整えてくれた。
12:00なんとか、素材テープをサブに提出して、「中継リポーター」として、芝生に立った。ぜーはー。つかれた。 ビッキーが大学のカメラ、VX2000に中継用の無線アンテナをとりつける。トランシーバーから教授の声が聞こえる。サブからだ。「テディ、あと5分で本番だ。GOという掛け声で、しゃべり始めてくれたまえ。」(上の写真は私の生中継の後に、同じくお天気リポーターとして生中継したオノラ)
「Go Teddy, Go!」それは、5分後より早かったように感じた。だから、ビッキーも、ランスルー(リハーサル)だと思っていた。「The City Council is proposing to change a toll to drive on the streets in Boston. It is designed to cut down on traffic congestion in the city. But is this really going to work?」
VTRに入った。「ボストン市は、およそ8ドル近くを通行料として課金しているロンドン市に習い、市内を走る全ての車に課金をする方向で検討を進めています。ロンドンの場合、通行料を払わない車は市内に設置された800ものカメラで捕らえられ、180ドルの罰金を科せられることになっています。ボストンでは、ノースエンド、チャイナタウンといった地区の交通渋滞が深刻な問題となっており。。」VTRは決まった。
後コメだ。「Go Teddy, Go!」と再び教授のキューが聞こえる。「The council proposal will face stiff opposition from city businesses, and as you can see, some driver are also opposed. The city might face more opposition from the local business owners by imposing the toll…This is Teddy reporting from Boston, back to you, Miranda in the studio.」
てっきりリハだと思っていたものは、本番だった。後でオンエアテープを見た。私のリハと勘違いした声=「Am I on now, professor Thistle?」というのが収録されていなくて、一安心。。「中継リポーター」の役目さえ終われば、このクラス、あとは楽勝である。。
午後からは、地下鉄に乗ってマサチューセッツ州議会議事堂に向かった。州議会上院で、stem cell research billつまり胚細胞(ES細胞)を使った研究を州として認めるかどうかの法案が可決されそうなのだ。議事堂には、stem cellに関する調査報道の撮影パートナー、キムリンが一足先に入っていて、地下にあるメディア・取材ルームで議会(写真の青色の美しい部屋)の様子をモニター収録していた。地元のプロのTV局のカメラマンや記者ですら、議会内には直接入れないので、その地下室は「たこ部屋」のように、ボストンのメディア関係者でぎっしりだった。
大学のカメラ、VX2000に直接ラインアウトをつないで、議会内の音と映像を収録。チャンネル5、チャンネル7、NECN、FOX25など全ての地元局のカメラマンと顔見知りになれて楽しかった。日本のプロのメディアピープルと違って、彼らはわれわれ学生に対しても実にフレンドリーであった。チャンネル7のカメラマンに至っては、われわれに音声の延長ケーブルを貸してくれ、マイクスタンドまでセットアップしてくれる始末。NECNの記者は、一人で来ていて、会見場でじかにデスクトップ編集機を持ち込んで編集をしていた。(写真)
予想したとおり、大多数の賛成を得て法案は可決。可決後、議会場から出てくる議員を捕まえてぶら下がりインタビュー。私はカメラをかまえた。キムリンがマイクを差し出す。そこへ、ES細胞を使った研究に反対票を投じたたった2人の議員のうちのひとり、ブライアン・リーズ氏がやってきた。リーズ氏は、ES細胞を使った研究は「ヒトクローン作成と同じ」だと主張している共和党員。地元局のβカムカメラに混じって、私とキムリンも、学生リポーターとして、見事ぶら下がりに成功。その後の州議長の記者会見も、立派にDVカメラで美しく収録した。
正直に言おう。日本でTV局の仕事をしているときは、こうした公式な記者会見の取材は、プロのカメラマンに撮影してもらうものだ、と思っていた。しかし、しかし、DVCでも十分に取材できるし、きちんとした装備を組めば、下手すると一人でもこうした会見取材は可能じゃないか、と思った。絵と音、さらにキーパーソンのコメントを取れれば、あとはストーリーさえ書けて、ベーシック編集ができればいいのだから。
↑そんなのは、日本のメディアでもすでに一部でやっていることだ、と反論する人もいるかもしれない。しかし、よく考えてみてほしい。私の場合、外国でこの、「ひとりDVC取材」をたびたびやっているわけで。つまり、外国でも、コーディネーターいらずでこのくらいの取材なら一人でできる、というところが、今回私が学んだことなのである。大手メディアの大名取材に対抗するハングリー精神と、ストーリー重視のジャーナリズム精神と。。これがやりたくて、TOEFL620点とるまで死ぬ気で英語勉強して、帰国子女でもないのに、外国の大学院にわざわざ入ったのだと今はっきりと言える。
留学を始めてから6ヶ月。ボストンの地元のメディアに混じって取材をするのが、一つの自分のマイルストーンというか、夢だったのできょうはそれが実現してうれしかった。写真は州議会議事堂をバックに、本日の「しめ」である立ちレポを収録するわれわれ。外は凍えそうなほど寒かったし、風邪も悪化して鼻水とのどの痛みがとまらない私だし、朝5時からずっと「ジャーナリズム的生活」な本日だったが、お疲れ様でした自分!!家に帰ってバタンキュー!(古)。
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ボストン郊外のペット・セメタリーは大繁盛
3・28(月)マサチューセッツ葬儀業界レポート・ロケ5日目。"Personalization is also available when people want to commemorate their pets death.”ということで、きょうは、「個性化するペットの葬儀」を取材しに、ペット・セメタリーに赴いた。
“People treat their pet as a human member of their family. Here at Angel View Pet Cemetery. People put memorial plates on the wall to remember the loved ones.”エンジェル・ビュー・ペットセメタリーは、マサチューセッツ州ミドルボロ郊外の森の中、小高い丘の上にあった。まずは、メモリアル・ウォールから紹介しよう。ペットの写真入りの記念プレートをセメタリーの一角に収めることが出来る。値段は105ドル。
きょうのマサチューセッツ州の天気は“大雨”。クラスメートのサラの赤いVWビートルはうんうん水を跳ね飛ばしながら、pothole(雪解けのためできる水が作る道路上の大穴)だらけのハイウエイを飛ばす。しかしながら、セメタリー到着時には雨が上がり、爽やかな風がエンジェル・ビューの丘に吹いていた。水分を含んだ森の木々がさわさわ言う中で、マサチューセッツの裕福なペット達が眠る丘を撮影した。
プレートだけではない。フォーマルな埋葬を希望するペット・オーナーには、棺、墓石、墓地を含めた500ドルの埋葬プランが用意されている。(火葬の場合は145ドル)ショウルームには、ペット用の棺、骨壷など、一通りの人間と同じアイテムが用意されていて、飼い主の好みによってチョイスが出来るようになっている。
さらに、エンジェル・ビューには、小さなチャペルもあり最愛のペットと最後のお別れが出来る場所が用意されている。写真の黒いプレートに記された、きょうお葬式予定の名前(ムーシーとか、ジョージとか、ベティーとか)は、人間の名前ではなく、正真正銘ペットの名前でなのである。。
”They can bring the priest, they can bring the minister or if they are Jewish people, they wanna have a rabbi come. We had a lady who had her dog buried here who was Scottish, she had a bagpiper here.”とエンジェル・ビューの受付レディーのシャーリー・シアーズおばさん(写真)このチャペルには聖職者が常駐していないので、飼い主の好みで、神父やラビを呼ぶことが出来る。ちなみにシアーズおばさんはこの墓地につとめて10年になり、飼い主とともに泣くこともしばしばある、ベテラン・ペット・セメタリー・レディー”。もともと自分の飼い犬を埋葬しに来たときに、オーナーにここで働かないかと誘われたのがきっかけ。“Some people don’t wanna have pets go right away, so I let them stay. Keep the pet till they are ready. And once they are ready I got little casket, and put there pet in whenever they are ready to let go. Because it is so hard for people to say good-bye sometimes.(シャーリーおばさん)”
なんと馬専用のお墓の敷地まであるエンジェル・ビュー。(コラージュ写真中、干し草がお供えしてあるお墓の写真がそれ)これまでにイグアナ、オウムなどの変り種を含む4000ものペットが埋葬された。なんと、パパ・ブッシュ大統領のペットの犬も埋葬したそうだ。(メイン州の別荘でリタイヤーしていたときに、亡くなった犬だそうだ。)
ところで、驚いたのが、この墓地の繁盛ぶり。バックオフィスにいる3人の主婦オペレーターの電話はひっきりなしに鳴るし、動物病院からダイレクトに葬儀のオファーが入りまくる。Walky-talkyで委託のペット搬送サービスに連絡をがんがんいれるオペレーターが印象的であった。さらに、フロントオフィスにも、入れ替わり立ち代り、最愛のペットを亡くして沈んだ大人たちが次々と訪れる。アポありの人もいるし、アポなしの人もいる。私が行った時にもWalk-inで「けさうちの犬が死んだんです。。」と泣きながら、火葬をお願いしに来た若い夫婦がいた。エンジェル・ビューのシャーリーおばさんによると「マサチューセッツには、ペットのグルーミングに月1000ドル以上かけている人がたくさんいる。そうした人たちにとって、ペットの埋葬に500ドルかけるのは、ごく自然だし、むしろ安い出費。」とのことだ。
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ポスプロ作業大詰め~アビ監督ドキュメンタリー
3・27(日)
きのうもあしたもロケだから、今日は休みたかったけど。最近、アビ監督(写真)から、こんな編集催促メールがほぼ毎日入るようになったのだから、たまらない。
"Dear Teddy Hi! Hows work going? When can we meet latest in the coming week for the film?
With regards, Abhi"
アビ監督は、国際フェロー留学生のドキュメンタリー「ソウル・サーチング」の編集作業を早く進めたくてたまらないのだが、いかんせん私は、本業のブロードキャストジャーナリズムの宿題で手一杯。ところが、きょうの日曜日なら、何とか多忙の合い間を縫って、時間をねん出できる日だ、とわかった。アビと合流して、私のMAC G4を持ち込み(写真)編集作業をすることにした。静かなところを探していて、ブラジルの国際フェロー留学生アーレットの部屋を借りることになった。当のアーレット本人は、イースターの昼食会に出かけて留守なのにだ。
アビはのりのりだが、いかんせん連日のロケの疲れから、体がぎしぎし行って、朝から寒気がして、喉がものすごく痛い。風邪だ!間違いない。と、そこへ、アーレットの部屋のドアをノックする音。よく晴れた日曜の11時、同じ大学の寮に住むアビと同じ国際フェロー、アルメニア出身のバルーシ一家がイースターの色つき卵を配りにやってきた!(写真)お子さんのナネちゃんは、つぶらな瞳が印象的な恐ろしく落ち着いた少女。アルメニア中央銀行の大物であるバルーシの血をついでいることは間違いない。
昼はアビと外に食べに行く。おーーい、なんだか、そこで、喉の痛みが増して、、へ、へっくしょん。間違いない。風邪だ(繰り返すようだが)近所のコンビニセブンイレブンに行き、アビの勧め通り大衆風邪薬「Sudafed」を買う。しかし錠剤がでかすぎて飲み込めない。。。ところで、この風邪、きのう墓地で立ちレポをして、お墓の上を歩きまくったための「呪い」だろうか、などと冗談でアビに説明をしていたものの、あまり笑えない状態になってきた。
それでもとりあえず編集作業のほうは、夕方4時近くまでかかって、基本ラインがほぼ完成した。あとは少し音の大きさを調整したり、編集を整えるだけでいい。15分のドキュメンタリー、いっちょ(ほぼ)完成!
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散骨サービス船長に聞く心のこもった葬儀とは~ボストン近郊一の広大墓地で立ちレポ
3・26(土)マサチューセッツ葬儀業界レポート・ロケ4日目。
「A Burial at Sea Maritime Funeral Services is owned by U.S. Coast Guard licensed Captain David Morin.」 こんなウエブサイトを見つけたのは、偶然だった。googleサーチで「マサチューセッツの面白い葬儀サービス」を探していて、ぶちあたった。そのサイト「A Burial at Sea」には、「US沿岸警備隊員のキャプテン・デービッド・モリンが、一家族ずつの心のこもった海上葬儀を手がけます。値段は195ドルから。」とあった。住所はマサチューセッツ州アックスブリッジ。ボストンから1時間だ。早速メールを打つと、”キャプテン”から返事があった!そして、よく晴れた土曜日のきょう、クラスメートのサラに運転してもらい、ご対面とあいなったわけである。お願いしたとおり、デービッド船長は、船長のユニフォームを着て、待っていてくれた。冬季のため、散骨サービスの現場を海で実際に撮影できないことがわかり、インタビューとブツ撮りのみの取材。。せめてもの雰囲気を出そうと、ユニフォーム着用をお願いをしておいたのである。
海上葬儀とは、つまり、「火葬した故人の灰を海に撒く散骨サービス」のこと。海が好きだった故人のためにはよい思い出となり、墓地を買わない遺族にとってはローコストな選択肢、ということで、最近日本でも似たサービスを選ぶ人が増えていると聞く。デービッドさんの「A Burial at Sea」社の行っている葬儀サービスは、まず、彼所有のボート(写真)でロードアイランド州の沖まで行き、美しい灯台(写真)の見えるエリアで散骨をする。灯台があれば「遺族がいつでもこれを目印に、灰を撒いた場所まで帰ってきて、故人を偲ぶことができる(デービッドさん)」費用は、家族が故人の灰を郵送してデービッドさんに散骨を委託するサービスが195ドル、6人までが参加できる家族参加型のサービスの場合、595ドル。海上葬儀を終えたあとは、灰を撒いた場所の緯度経度日時などが入った「burial certificate」(写真)が発行される。
デービッドさんにじっくりとインタビュー。”Usually during the service there are tears as their loved ones are departing for the last time. And it can be a moving experience. It is small and individualized services. And it’s just not a mass burial situation. If we happen to have two sets of ashes, we go to another location. I am not sure if this happening at large maritime funeral services”デービッドさんが散骨サービスをはじめたのは、ご自身の父親を、フロリダの大手散骨サービス業者に頼んで海上葬儀にしたとき、そのサービスに不満を持ったことに端を発する。「何組もの家族が、大きな船に乗って、いっせいに灰を撒くんだ。嫌だろう?故人一人ひとりが個性を持って生きてきたように、海上散骨も一組一組、dignityとrespectを持って行いたいと思って、自分なりの散骨サービスを始めたのさ。」これまでの顧客は過去3年で「several dozen」だそうだが、美しい夕陽の海の写真をあしらったホームページなどの効果もあって、評判は口コミで広がっており、「今新しいボートの購入を考えている。(デービッドさん)」
ところで、なんと、デービッドさんの奥さんであり、散骨サービスの共同経営者でもある奥さんのシェリルさん(結婚式写真の中央)は「Justice of the Peace」という無宗教の人のための「結婚認定人」という資格を持っていて、自宅でウエディング・サービスをやっている!。デービッドとシェリル=モリン夫妻は、ガーデンウエディングサービスのための広大な建物を所有するアックスブリッジ有数の地主らしい。小規模から100人の大規模なものまで、マサチューセッツのカップルを受け入れ続けて数年が経つという。「最近は散骨業もさることながら、結婚式業のほうも忙しくてね。(デービッドさん)」われわれが取材に行った日も、インタビューの1時間後に一組、カップルの結婚式が、デービッドさんのお宅でとりおこなわれた。結婚式から葬儀まで、人生の2大セレモニーを一度に手がけるモリン夫妻、恐れ入りました。。
ロケからの帰り道、どうしても散骨サービスのイメージ「夕陽の落ちる海」もしくは「光る水面」のイメージカットが撮りたくて、サラに無理を言って、ボストン・ローガン空港のそばまで車をとばしてもらった。午後4時。暮れ始めた夕陽が水面に反射して美しい。その向こうにはボストンの摩天楼が見える。いいカットが撮れた。
さて、きょう午前中は、キャプテンに会いに行く前に、立ちレポ(stand-up)を撮った。私は2行以上の英語のせりふを覚えられない。最大がんばって、3行である。前日の晩、うんうんうなりながら、葬儀リポートの冒頭向けに、考え出したのが、これ。「The funeral industry is facing a reform. Families are thinking differently about how they want to honor their loved ones. Let’s take a look at funeral service trends in Massachusetts.」
んでもって、立ちレポをする場所はもう心の中で、決めてあった。"America's First Garden Cemetery”、「マウント・オーバーン墓地」である。マサチューセッツ一の高級墓地で、敷地内を車でドライブできるくらい広い。175エーカーの敷地内には川や池、丘があり、ガイド付き案内ツアーがあるくらいだ。しかしである。行ってみたものの、場所が決まらない。上の写真は、3箇所にわたって墓地内で、撮る場所を変えて、試行錯誤、たった12秒の「立ちレポ」に1時間半かけた際のコミカルな記録である。。
ーー(写真説明)①オーバーン墓地、②丘の上に上って立ちレポ撮ってみました、③②がいまいち決まらないので、平らなところで背景を変えて再度撮影、④「やっぱ何か良くないよね、サラ?」、⑤お隣の敷地に移動、⑥ピンマイクのケーブルセッティング中、⑦せりふを言いながら前に歩く、サラがそれにあわせてカメラをズームバック。「決まった?」、⑧「念のため、もうワンテーク、やっていい?」、⑨「やったー!セリフも決まったし、絵も決まり。喜びの踊り。」ーー
立ちレポ、それはブロードキャスト・ジャーナリズムの学生にとって、たった10数秒にかける芸術、である。。というか、TV局で放送はされないとしても、かっこよく、撮りたいじゃん?。。。ここまでくると、「大学院の成績とかはどうでもいいから、いいものを作りたい。」と、サラと2人でこだわりまくったロケの一日、なのであった。。
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マサチューセッツ墓石物語~老舗メモリアルストーン職人を取材
3・25(金)
きょうはまず「調査報道」の授業から。大学のスタジオにて、NBC系列の地元TV局WHDH-TV=通称チャンネル7の現役報道カメラマンを招いての撮影・照明講座が開催された。”ジェル”と呼ばれるカラーセロファン紙を使っての照明法のレクチャーに皆興味津々。
午後からは、マサチューセッツ葬儀業界の取材を始めて3回目のロケのためにEverettというボストン郊外の町に一人、デジカメと三脚を担いで赴いた。
“They wanted a light house. But they specifically asked us to put a lobster….”灯台が描かれた素敵なデザインの墓石。この墓石に、「ロブスターを付け足してくれ」というユニークな注文を受けたと説明をするのは、ウッドローン・メモリアル墓石屋の4代目社長、デービッド・デフィリッポさん。Bay Stateという別名を取るマサチューセッツ州の風光明媚な海岸の景色に欠かせない「灯台」と「ロブスター」を描いた墓石は、注文した家族の、故人への愛情が満ちているように見えた。この店を取材対象に選んで、正解だった、そう心から思った。葬儀業界の取材を進めるにあたり、2回目のロケで「葬儀のパーソナライゼーション」のことを聞きつけてから、このリポート全体のテーマをマサチューセッツの葬式が、いかに個性化が進んでいるか、に絞ることにした。ネットリサーチの結果、墓石も個性化が進んでいることが分かり、ボストン近郊の墓石屋に何軒かアポを取ってみたところ、電話一つでOKしてくれたのがデービッドさんだった、というわけ。(しかし墓石屋の数の多いこと多いこと、それにも驚かされた)
「People no longer want the traditional monument that says with religious emblem “rest in peace”. People wanna create the story with the stone. They wanna tell a story of what the person may have done」=”墓石のオーダーでは、最近、トラディショナルなデザインよりも、個性的なデザインを選ぶ人が増えている。故人のための、物語を墓石で表現しようとしているんだ。”こう語るデービッド・デフィリッポさん(写真)の墓石屋は、1907年創業の老舗。家族経営で、エヴァレット地区の墓石のオーダーの多くを手がけてきた。「曽祖父がイタリア系の移民としてマサチューセッツにやってきたころ、同じような墓石ビジネスは、この地区にたくさんあった。その頃は墓石職人は、貧しい人々のやる仕事だった」現在デフィリッポさんの墓石屋では、個別にオーダーを受け、デザインを手がけ、事務所の裏にある工房で、職人の手やレーザーによるエッチングを施し、仕上げまでを一貫して行っている。地域の競合店では、このような一環したオーダーメイドストーンを手がけているところは、少なく、デフィリッポさんの墓石屋には、その仕上がりのクオリティーの高さから、客足が途絶えることがない。
←写真がウッドローン社が、これまでに手がけた墓石の数々。日本の、同じような御影石を使った、家の名前だけが入った墓石を見慣れている私には、驚きのデザインの連続。どれも同じだったこれまでの墓石デザインと比べ、こうしたオーダーメードなデザインのほうが値段が安く済むというから、それも驚きだ。デフィリッポさんの店のオーダーメード墓石のお値段は平均で1600ドル。ちなみにコラージュ写真上段左から=ハート型、ジュークボックス、ペット、飼い主のための墓石に描かれた飼い犬・写真2段目左からトラックと夫婦と飼い犬、カラーで故人の家、故人の家2、マリア様・写真3段目左から十字架、鳩、フットボール選手のための墓石、ユダヤ教の墓石。。実に二つと同じ石はない。。
デフィリッポさんは、30代まで地元のヘルスケア用品チェーンCVSで働いていて、家業を継ぐつもりはなかったそうだ。「やり始めると、面白く、はまっていった。顧客一人ひとりの”故人の思い出”を聞くところから注文が始まるので、もらい泣きしながらデザインをすることもしばしば。」やはり、この人も、以前書いた棺屋のおじさんと一緒で、「墓石屋が天職」なのだろう。
ところで、インタビューをし、工房を見せてもらい。。帰ろうとしていたところ、「これからマーブルヘッドという町のお墓に納品に行く。」というので、お願いをして、同行させていただくことに成功した。デフィリッポさんの車にずうずうしく乗り込み、40分。海岸沿いの小さな町の、広ーい墓地の一角に、注文した墓石の出来上がりを待ち望んでいるおじいさんがいた。アントン・コーエンさん(写真)は、去年の12月、クリスマスの3日前に最愛の妻、アリスさんを亡くしたばかり。コーエンさんの見守る中、淡々と、かつ慣れた手つきでデフィリッポさん達が、墓石を運んでいく。運び込みから、設置まで、ものの15分もかからない手早さ。プロの仕事だ。ばっちりカメラに収めた後、おそるおそるコーエンさんにも、感想をうかがってみた。「It is just what I wanted. I couldn’t have asked for a better stone. That is wonderful. They did a great job.」年のころは70代だろうか、妻を亡くされたコーエンさんにとって、墓石が設置されるのは”最後通知”みたいなもの。「これで、アリスさんも喜んでいるでしょうね。」あつかましいと思いながらも、”おいしい”インタビューを終えて、私はカメラをしまいながら、コーエンさんを励まそうと話し掛けた。「きっと、妻も喜んでいる、だろうよ。」コーエンさんは、ちょっと涙ぐんでいて、言葉に詰まっていらっしゃった。思わず私ももらい泣きしそうになってしまった。いつまでも墓石の前から去ろうとしないコーエンさんを、後に、取材を終え、帰ることにした。
帰り道、デフィリッポさんは、なんと1時間近くもドライブして、私をボストンのダウンタウンまで送ってくださった。「取材してくれてありがとう。いつでも追加があれば、戻ってきてくれていいよ。じゃあ。」撮影パートナーのサラの都合がつかなくて、止むを得ず一人で行ったロケだけど、また一つ、忘れられない、いい取材ができた。
夜、大学近くの日本料理屋で、日本人BU院生の「ビジネス研究会」の飲み会が開かれた。2次会のアイリッシュパブも含め、踊り、酔い、楽しむ日本人in Kenmore SQ...かくして、夜は更けていく金曜日。。
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バックストリート・ボーイズin Boston!!
3.24(木)数日前にボストングローブ紙のmusic欄を読んでいて、気がついてしまった。彼らが、来る。ボストンに。そして、ライブをする。しかも、会場のクラブは、なんと徒歩圏内!!行かねばなるまい。どんなに忙しくても、万障を繰り合わせなければ。
彼らとは、これ←。あのボーイバンド、BSBこと「Backstreet boys」である。2001年に、大枚をはたいて来日公演を見に行った。東京ドームの外野席からは、彼らは豆粒のように小さかった。それが、なんとライブハウスでの公演を間近で観るチャンスである。よ、よだれが。(アイドルと言われようと、なんと言われようと、長年のファンなのである。あのキャッチーな曲たちと、コーラスが。)
会場の「Avalon」には、すでに店の前に長蛇の列が出来ていた。やはりティーンエイジャーが多い。お父さんと来ている中学生までいる。うちの大学寮の真裏、レッドソックスの本拠地であるフェンウエイ野球パークのまん前にある有名なクラブ。徒歩5分でついちゃった。。
前座のラップDJが終わると、”彼ら”が姿を現した。「ボーストーン!」グループ一の愛嬌もの、ハウイーDが叫ぶたびに応える観客。ライブハウスが歓声で揺れる。中でも、一番人気は、やっぱり最年少のニック・カーター。最近は、あのパリス・ヒルトンと交際の噂があったものの、破局とか。
なんと、白いジャケット、白い帽子の「定番アイドル姿」(写真)で名曲「Call」を歌い踊る彼ら。か、かわらねえーー。前回のアルバム発売から4年以上経った今でも、メンバーの多くが30代を迎えた今でも、変わらずのボーイバンドぶり。確かに、ちょっと、「いい加減新しいアルバム出せよ(現在作成中)」「曲調をかえてくれ」というつっこみや、「解散したかと思ってた」という声まで聞こえる場内だが、若い女性を中心には立ち見満員、耳が痛くなるほどの黄色い「ぎゃー」という声がとぶ。
新曲の合い間に過去のヒット曲を混ぜるという案配で、「I want it that way」や「Show me the meaning of being lonely」(CX系の過去ドラマの主題歌として、日本でもヒットしましたね)、インカムをつけてのダンスが大好きだった「Larger than life」(あのダンスを近くで見れて興奮!)、さらに、「Drowning」「Shape of my heart」「The one」「More than that」などを熱唱。ハスキーボイスが大好きなAJ(写真左・アル中疑惑あり)と、私の夢の中に出てきたこともあるキュート系、ハウイーD(写真右)。100mとない間近で見られて、大興奮。立ち見だけど、思う存分マサチューセッツ・ティーンエイジャーに混じって、BSBとともに歌った。
中でも鼻血ものだったのが、私が個人的に大好きな、「All I have to give」という曲。椅子と帽子を使ったパフォーマンスは、もし一生のうちに一度でも結婚式が挙げられるのならそのときにぜひ新郎側の友人の出し物にしてもらいたいと思っている(出来るかい!)もの。だって、あのださださスイートな歌詞が、大好きなんですもん。「♪My love is all I have to give. Without you I don't think I could live. I wish I could give the world to you. But love is all I have to give.」歌いながら、帽子を目深にかぶった5人がくるくるブロードウエイ・ミュージカル調の踊りを披露するの。。。(DVD「Greatest Hits」に収録されています。女性陣、ご欄あれ。)
帰り、ツアーTシャツ(ボストン公演は全米ツアーの一環。)をゲットして、やる気満々で、裏口で「出待ち」してみた。TVカメラクルーもいる。3月とはいえ0℃近くまで冷え込むボストンの夜。「ママー、もう帰ろうよー寒いー。」とぶつくさいう高校生とその母親、みたいな人たちに混じって待つこと30分。やがてボストン市警の警察官に伴われて(なぜポリス?)、一人ずつ楽屋口からツアーバスに乗り込むバックストリート・ボーイズ。一人ひとりを2mの至近距離で見れて大満足。中でも最年長のケビンは、最前列にいた、主婦のファンを抱きしめるサービスがあり、主婦の人は感激のあまり失神しそうになりながら、「I knew Kevin is sweet. I knew it..!」と嬉しさを爆発させていた。さらにツアーバスを取り囲む群衆に混じってさらに待っていると、なんとツアーバスの助手席にニック・カーターが茶目っ気たっぷりに姿を現したではないか!!シャッターチャンス!こうしてフェンウエイの夜は、更けていき、BSBは大型ツアーバスを4台もつらねながら、ダウンタウンに消えて行ったのであった。。会えてよかったBSB!
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葬儀ディレクターという職業~ボストン老舗funeral homeを取材
3/23(水)マサチューセッツ葬儀業界の取材を始めて2回目のロケ。きょうはボストン郊外のアーリントンという街で、老舗funeral homeつまり葬式場を営むデービッド・ウォーキンショーさんに会う。業界団体であるMFDA=Massachusetts Funeral Directors Associationにマサチューセッツ葬儀業界のトレンドを問うインタビューを申し込んだところ、広報担当であるデービッドさんが取材を受けてくれた、というわけである。
アーリントンはクラシックな歴史ある街並。その中でもひときわ古い「Saville & Grannan Funeral Home」はなんと1881年創業。建物(写真)は、有名な小説家が以前住んでいたもので、歴史的保存物に指定されている。デービッドさん(写真)は4代目の経営者。こちらの葬儀場は、日本のような「斎場」ではなく、あくまでも「個人の家」のように見えるような建物が普通である。
非常に気さくだが、できるミドルエージ経営者といった感じのデービッドさん、2人の大学生の娘さんのうち一人がジャーナリズムスクールに通っている、ということもあり、われわれのインタビューにも理解を示してくれた。「この間FOX25newsに取材をされたんだが、B-roll(インタビューのほかに、物や建物人などをインサート映像用に撮影するもの)をたくさん撮影していったよ。」ビーロールという業界用語を知っている辺り、やるねえ。
早速インタビュー開始。「現在の葬儀業界の最大のトレンドは、葬儀の個人化=personalizationが進んでいるということだ。Everyone’s death is different. Everyone’s life needs to be celebrated in a different way. And my job is to figure out the way that is appropriate. And if I didn’t do that, I wouldn’t be doing my job.」人の死には、ストーリーがある。
アメリカのfuneral homeと呼ばれる葬儀場では、故人の家族から、故人にまつわるストーリーをまず聞き出すところから、仕事が始まるという。「よく話を聞いた上で、そんなユニークな故人だったのなら、こんな風に、送り出すことが出来ますよ、とさまざまなオプションを紹介するんだ。」デービッドさんによると、これまでに、二つと同じ葬式はなかった、という。葬式を行う場所も、教会から、故人の家、デービッドさんの葬儀場を使ったものから、さまざま。送迎の方法も、さまざま。さらに、「火葬を選ぶ人が、26%と、葬式に関しては超保守的なマサチューセッツでも、増えてきているのが特徴だ。」もちろん、火葬のほうが、高いcasketと呼ばれる棺に遺体を収め、土葬にするに比べると、コスト面でも安くつく。「If you come in to me and say David I wanna immediate cremation and I don’t want to have services, it will probably cost $1000. If you come in and say I want to have traditional funerals, you may spend more than $10,000.」
棺に収めた遺体を、viewing serviceと言って、葬儀に訪れた人の目に晒すため、embalmingという防腐加工の技術も葬儀ディレクターには求められる。「おじいさんの古時計」のような、年代物の大時計(写真)がかちこちと、故人の思い出を刻むように時を刻むデービッドさんの葬儀ホームのviewing roomは、これまでにこの部屋から送り出された数々の人の歴史がしみこんだような、重厚でいて、ちょっと不気味(失礼)な部屋だった。照明の当たっていない部屋の隅々に、これまでに送られた人々の「念」のようなものが、感じられて、少し鳥肌が。カメラマンの同級生、サラが聞く。「地下の霊安室兼防腐加工室を見せてください。」「今、お一方いるので、だめなんだよ。」・・・絶句。棺が安置され、viewingされる場所には、不思議なピンク赤の照明が当たっている。遺体の肌色を良く見せるためだ。サラのアイデアで、大時計の音を収録する。
デービッドさんは、アメリカ全体のナショナル・葬儀ディレクター協会のスポークスマンも兼務しているだけあって、さすが説明が旨い。地下の「棺・灰つぼショールーム」へ。「このいるかはなんですか?」私が思わず聞いたのは、なんと、リビングルーム向けの灰つぼ(写真)だった!「これで、愛する人をいつもインテリアのようにリビングルームに置いておける。」金色の灰つぼや、ペンダント型の灰いれまで、いかに「火葬」を選ぶ人が増えているかがわかる。ほかにも、棺の8分の1模型がたくさんおいてあり、家族はここで故人のイメージにあった「最後の家」を選ぶ仕組みだ。
しかし、火葬業にまつわるこんなスキャンダルが去年10月にニューハンプシャー州で起き、葬儀業界に対する信用を失わせた。日本と違って、家族が火葬に立ち会わないことも多いアメリカのお葬式。ある火葬請負業者が、請け負った遺体の火葬を正しく行わず、遺体を不法に土葬にしたうえ、誰の物だかもわからない灰を、依頼者に返却していた、という事件があったのだ。「あの事件以来、さまざまなクレームが、業界団体に来た。しかし、われわれの職業は、信頼が命だ。あってはならない事件だ。」「葬儀ディレクターというのは、悲しんでいる家族に物を売り付ける職業では決してない。一件、一件、家族の話を聞いてあげ、時にはともに涙をすることもある。何かを売りつけているように聞こえるのではなく、悲しんでいる家族に、故人の旅立ちを”祝う”ためにこんな方法もあるんですよ、と説明してあげるのが、われわれの職業だ。」「子供の頃から、人の死に接してきた。父である3代目社長が遺体に防腐加工を施すのを横目で見ながら、子供時代はこの葬儀場で遊びまわっていた。父が、よく死について説明してくれたものだ。”こちらのミセス・ジョーンズは、亡くなったんだよ。どうして彼女が亡くなったのかというと。。”そんな父を見ながら育ったので、葬儀業を継いで4代目ディレクターになるのは、自然なことだった。私には、娘しかいないから、後継者についてはわからんがね。。」
マサチューセッツには、長い歴史を誇る、家族経営のこのような葬儀場が240以上あり、その数は他の州に比べるとかなり多いという。
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Tuesday, March 22, 2005
「MAお葬式ビジネス事情」撮影開始!~棺のダイレクト販売屋さんを取材。
TVマガジンクラス4・4収録のテーマは「現代・死の事情」。きのう編集を助けたマサチューセッツ地元娘のケリーが葬儀屋の娘であることから、提案されたネタだ。その回の収録で、私の担当は満を持して”リポーター。そこで、私が5分の映像リポートで「マサチューセッツ葬式ビジネス事情」について取り上げることになっている。
こちらのお葬式自体どんなものかもよく知らない私が、業界リポートを作る。。TVディレクターというのは「どんなに前知識のないテーマでも、好奇心を持って、貪欲にかつずうずうしくリサーチして、面白く映像化する」のが本分である。やってやろうじゃないの。望むところよ。
ふむふむ。ネット・リサーチの結果、こちらのお葬式は26%が火葬を選ぶという大きな流れがあるものの、まだまだカソリックの思想から土葬がメイン。となると、立派なcasketつまり棺が必要になってくる。funeral homeと呼ばれる葬儀屋が、棺も込みでお葬式を手がけるのが普通で、そのサービスの価格設定はこれまで極めて不透明なものであった。家族の一員の死に悲しむ家族に、値段まで考える余裕がないことも、一因。一説によると、葬儀業者で売られている棺は、元値の2倍以上の値段になっており、ぼったくり、だとか。
「We offer 1st quality products at prices 50 - 70% lower than funeral homes.」そこで、私が葬式ビジネス事情リポートのネタに選んだのが、棺のダイレクト販売屋さん。The Casket Storeは、葬儀屋の半額から7割引で棺を消費者にダイレクト販売している、革新的なお店だ。映像的にも、棺が並んでいるショールームは、絵になるんでないの!?と思い、インターネットに載っていた電話番号にかけてみる。店長と思われる男性は、他の商売と棺屋を兼業しているらしく、午後4時以降なら取材に応じてくれる、という。
授業のあと、今回のこのリポートの”カメラマン”を担当するクラスメートのサラの赤いVWビートルに乗り込み、ハイウエイを40分。ボストン郊外にある、ザ・キャスケット・ストアは、高速を降りた出口の近くにある、なんの変哲もない、倉庫。しかし、シャッターが開き、中でわれわれが見たものは、50もの、さまざまな棺、棺、棺。。。!金属素材を使ったもの、豪華な木材で出来たもの、取っ手に宗教的な飾りが施されたもの、色も紺、濃緑、ゴールド、シルバー、ピンク、と実にさまざま。さらに、内装がまたゴージャス。シルクやベルベットを使い、ふかふかとした「永遠の寝床」がしつらえられている。驚いた。写真のピンクの棺の名前は「Justine」木製。カメオのようなバラの飾りが美しく、内装は淡いピンクのベルベットにバラの刺繍。お値段は1395ドル=およそ日本円で15万くらい。
「これは、女性向け。同じものを葬儀屋で買ったら、2倍の値段を払うことになる。」店のオーナーのゲーリー・デザートさんが言う。デザートさんによると、人々の好みは本当にさまざまで、このショールームを訪れる人は、2人と同じものを買っていかないという。「ある人は、メタルを買い、ある人は、木製にこだわる。火葬をする人は、棺もシンプルなものを選ぶ。」お客は主に家族を亡くしたばかりの人が多いので、まずは悲しんでいる家族の話を聞いてあげることも重要、とデザートさんは言う。その話に時にはもらい泣きしてしまうこともしばしばだとか。棺をひとつ選ぶにも、家族の、亡くなった人への愛がこもっている。丁寧にお客のオーダーにひとつひとつ対応していき、配達もマサチューセッツ州なら24時間以内に行っているそうだ。
「これまでに、一番辛かったのは、末期乳がんをわずらっている若い女性が、父親を伴って、自ら自分が入る棺を選びに来たときだ。」とデザートさん(写真の男性)は言う。その目には、うっすらと涙が。「その女性は、本当に数週間後に亡くなったんだが、棺を引き取りに来た父親は、彼女と一緒に棺を選べたことを、本当に喜んでいた。」
「現代の葬式は、実に個性的でユニークになりつつある。亡くなった人に敬意を払う最後のセレモニーだから、家族は棺選びにも、故人のために大枚をいとわず払うだろう。しかし、葬儀屋で、2倍の値段をふっかけられているのを、損だと思わないかい?一番故人にマッチした棺を、安い値段で提供する。それが私のダイレクト販売だよ。」ゲーリーにピンマイクをつけ、”リポーター”の私と一緒に棺のショールームを歩き回って説明をしてもらい、収録。
面白い、面白すぎる!!1時間の撮影に協力してくれて、ありがとうございました。ちなみに、この「キャスケット・ストア」2年前の開業以来、お客の数は40人足らず。「倉庫兼ショウルームの光熱費をまかなえる位しか、儲けはない」そうだが、これから大いに繁盛してほしいものである。
「MAお葬式ビジネス事情」ロケは、電話によるアポイント入れ=「仕込み」をマラソン状態でつづけながら、アポが入り次第まだまだ続く。。。。乞うご期待!!
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Monday, March 21, 2005
月曜日はショーの日。~「ボストン移民物語」収録
月曜日はTVマガジンクラスの番組収録がある日。きょうは「ボストンに住む移民について」のショーを行う日である。私はフィールドカメラマン・スタジオカメラマンの両方を担当。心安らかに、夕方6時の収録の時間を待つはずが。そう一筋縄には行かないのが常なのである。
午後1時。大学の機材室にカメラを返しに行くついでに編集室を偵察すると、いるいる。きょうの「リポーター」のケリーが、編集ソフト「ファイナルカットPRO」と格闘している。彼女は「イタリア系移民」と「アイリッシュ移民」についての5分のリポートを作成する担当で、きのうのパレードも、独自に撮影に行ったはず。だったのだが。
きのうの夕方、涙声でこんな留守録が携帯に入った。ケリー「テディ、助けて。パレードの撮影に行ったんだけど、途中で大学のカメラのバッテリーが死んで、撮れなかったの。あなたが撮ったテープを貸してえ。じゃないと、私のレポートが死ぬう。」初歩的なミスであるが、撮れなかったものは仕方がない。やれやれ。私がパレードを撮ったのはJO736という別のクラス向けのもの。このTVマガジンのクラスはJO734という全く別物なので、私のテープを貸してあげてもよくってよ。しかし、しかしである。。貸してあげるついでに、ケリーの編集に2時間ほど付き合う羽目に。威勢はいいが、編集については「ど素人」の彼女である。つながったものをプレビューすると、ありえないカットつなぎがありあり。「あー、ここには、広い絵を入れて、それから、ここにはクローズアップをいれたほうがいいよ。」語学力はネイティブに比べ劣るものの、テクニカル面でははるかに上回る私である。クラス一の跳ね返り娘のケリーが、神妙に私の言うとおりにカットを入れ替えていく。
これだけではなかった。午後4時。電話が鳴る。今日のショーのアンカーのキムリンから。「テディ、緊急事態発生。こんなぎりぎりにゲストがキャンセルになっちゃった。代わりにあなたの知り合いのインターナショナルフェローを、スタジオにどうにか招けないかしら?」収録3時間前に大緊急事態である。ドキュメンタリー作成で知り合ったフェローに電話をかけ、ブラジルの元新聞記者、アーレットをスタジオに招くことに成功した。(写真)「Thank you Teddy, you saved Mass Exposure」とキムリン。
あわせて、きょうは、二人目のリポーターであるビッキーが作った、ボストンのラテンコミュニティー、さらにチャイナタウンについての5分のリポートがスタジオで披露された。ボストンの地元タコスレストランで、マリアッチがギターを引くシーンは、鬼のノーキン教授も絶賛。「これ、いいカットじゃない。誰がカメラを回したの?あ、テディあなたね。」へへん。リポーター#1のケリーのリポートにも、私の撮ったアイリッシュ・パレードが使われていて、教授再び絶賛。へへん。(私、なんか、きょう大活躍?)
写真はスタジオのゲスト#2、地元のフラメンコインストラクター。カメラマン#3のチャン。なかなかプロっぽく見える。エスニック・ショーは成功裡に収録終了。
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Sunday, March 20, 2005
セント・パトリック・デー・パレードin 南ボストン~飲んだくれ大人から子供を守れ!コミュニティーの取り組みを取材。
(※写真は全てクリックで拡大します)少し肌寒いものの、よく晴れ渡ったblue skyがまぶしい日曜日。とうとう「決戦の日」がやってきた。来週の水曜日の「TVニュースルーム」のクラスでの今度のローテーションは「記者」。そこでタイムリーなことにきょう日曜日、南ボストン地区で毎年恒例のセント・パトリック・デーの、アイリッシュ移民のパレードがあると聞き、取材を決めた。行進は1万人以上が参加。バグパイプ奏者や、ピエロ、鼓笛隊や地元の消防士らがアイリッシュのイメージカラーである緑の衣装を着て3・2マイルの沿道を練り歩く。毎年80万人以上の観客がボストン内外から、パレードを見にやってくる。
しかし、ただお祭りを取材したのでは面白くない。何か独自の「アングル」を探そうと、Lexus Nexusという新聞記事データベースでBoston Globeの過去記事検索をしていたところ、面白い記事を見つけた。「For St. Patrick’s Parade, A Dry Patch?」という見出しの記事はこう続く。「南ボストンのセント・パトリック・デー・パレードは、早朝からパレード後まで、飲みすぎで逮捕者が出るほどの、アルコールを伴ったストリート・パーティ地獄で知られている。そうした騒ぎから子供達を守り、安全に楽しくパレードを観てもらおうと、南ボストンアクションセンターが、今年からアルコール禁止ゾーンを設置した。南ボストンアクションセンターは、地域の未青年の飲酒防止に真剣に取り組んでいる市民団体。しかし、警察も手に負えないほどのストリート・ドリンキングが恒例な中、ゾーン自体が成り立つかどうか、疑問の声も挙がっている。」
さまざまな移民の住むボストン。中でも南ボストンは、古くからアイリッシュ移民が住みついた地区。アイリッシュ移民といえば、ギネス、アイリッシュウイスキーと、アルコールに強いことで有名。このセント・パトリック・デーパレードはNYに次いで全米第2に大規模なもの。パレードの間3時間に渡って、沿道でアルコールを飲むのが恒例になっている。毎年必ず5人以上の逮捕者が出ることで有名な、「どんちゃん騒ぎ」なのである。
果たして、「アルコール禁止ゾーン」は成り立つのか!?パレード前に、まず南ボストンアクションセンターの人たちと会って話を聞いた。事前に電話をかけてアポをっておいたおかげで、スムーズにインタビューが実現した。「南ボストンは、ストリート・ドリンキングによるばか騒ぎをこれ以上許すことは出来ません。子供達に安全な環境でパレードを見てほしい一心で、アルコール禁止ゾーンを企画したの。」こう話す南ボストンアクションセンターのディレクター、ケイ・ウォルシュおばさんはずうっと地域の未成年飲酒問題に取り組み続けてきたベテラン市民活動家だ(写真)。ゾーン内では、12人のボランティアたちが、警察官と協力して、アルコールを手に「ゾーン」に紛れ込んできた人をやんわりと注意する。あくまでも子供とファミリー向けのクリーンな環境で、楽しくパレードを観てもらうのが狙い。
今年は、250人の家族連れが事前に登録をすませ、「ゾーン」内で提供される無料のピザを食べたり、フェイスペインティングをしたりして、酔っ払いのいない安全な場所からパレードを観た。
しかし、しかし、ジャーナリズムのレポート向けには、アルコール禁止ゾーンに対する反対意見も聞かなくてはだめであろう。つまり、酔っ払いたちに「俺達に酒を飲ませないつもりかよ!」と言わせたいのである。さらに、通りがいかに酔っ払いたちであふれ、危険かも、映像で映さなくては意味がない。先日のロケハンで事前に話をつけてあった、酒屋とパブに赴く。もちろんパレードの飲酒騒ぎが始まる前の午前中に、アポをいれておいた。
このリポート作成は、TVニュースルームのクラスをとっている同級生が「カメラマン」として参加するのであるが、きょうの私の「カメラマン」はなんと学部生のケイティー。なぜか院生のクラスにひとり参加しているバージニア出身のフレッシュなボストン大学4年生である。南ボストンの酒屋「Al’s Bottled Liquor」で、ケイティーと協力し首尾よく店員さんロバートの「きょうの売り上げ目標」についてのインタビューを終えて、次のパブに赴くはずが、トラブル発生!なんとロバートのインタビューが録画されていないのだ。大人びているとはいえ学部生のケイティー、録画ボタンを押し忘れるという単純なミスである。「ど、ど、どうしよう、Teddy?」おびえるケイティーに、もう一度酒屋に戻って正直に「インタビューが撮影されてなかった」ことを告げ、再度インタビューをしようとやんわりと言う。。ああ、放送ジャーナリズムはつらいよ。。
酒屋に戻り、いやがる「Al’s Bottled Liquor」の店員ロバートにだめもとで再インタビューを頼む。粘っていたら、店長のクリスティンさん(写真)が「3分だけよ」と、かきいれどきにも関わらず再収録に答えてくれた。ありがたい。
さて、失敗も見事リカバリーしたところで、パレード開始までもう時間があまりない。南ボストンに10軒近くあるアイリッシュパブの中から「Black Thorn(黒いとげ)」をチョイス。店長のケビン・オキャラハンさん(写真)にもきょうの売り上げ目標などについて、ショート・インタビュー。「きょう、店の前には客が行列する。閉店時間まで行列が続くといいなあ。ふぉっふぉっふぉっつ。」ほくほくの店長のわきには、昼からギネスを傾ける客が続々とつめかけている。
1時。パレード開始。ボストンポリスの騎馬隊を先頭に、バグパイパーの行進が続く。ああなんと素敵な音色。。民族、っていいなあ。さて、浸っている暇はない。立ちレポ=stand-upの好チャンスである。打席4番、満塁で今打たなければ意味がないほど、立ちレポの好タイミング。
しかし、しかしである。私は元からせりふ覚えが苦手。ましてや英語のstand-upであるからして。。とと言い訳は無用。「Worried about children and elderly parade watchers’ safety, the volunteers of South Boston Action Center set up this special designated area called ALCOHOL FREE ZONE in the middle of drinker’s paradise. But does this really work?」
アンダーグラッド・ガールのケイティーは午後からステーキハウス・ウエイトレスのバイトがあるから帰っちゃった。あとはパレードのハイライトシーンを撮影し、ころあいを見て、ストリートにて酔っ払いの意見をゲットせねばなるまい。アイリッシュ移民たちの”白い”巣窟にて、一人謎のアジア人女カメラマンがのしのしと行く。。
パレードの撮影は、カメラを持っているので、見物客の柵を越えて、路上に出て撮っていても、一切おとがめなし。警察官にもなんにも注意されなーい、ので、次から次へと来るパレード隊をいろんなアングルから収録。
続いて酔っ払い探し。いるいる!バドワイザーのカートンを足元に2箱も抱え込んで、路上ドリンカーたちはご機嫌。「何時から飲んでいるんですか?」「10:30AMだぜ。」こんなやりとりを収録しながら、朝インタビューした酒屋の前までパレードを逆にさかのぼった。すると。。
「Al's Bottled Liquor」ストアの裏には、なんと未成年のアイリッシュ少年達が酔っ払ってご機嫌なのであった。(写真下)総勢20人近くもいる。カメラを持って恐る恐る近づくと、向こうから話し掛けてくるではないか。「どっから来たの?」「カメラで何撮ってるの?俺達を撮ってよ。」ティーンエイジャーのアイリッシュ・アメリカン・ボーイズ&ガールズは、青グレーの瞳と白い肌,ちょっと哀愁を帯びた顔立ちがとってもキュート!男の子はハンチング帽やキャップを被り、女の子はトレーナーにスカートといったいでたち。みんな思い思いの緑を身にまとい、1年に一度のアイリッシュの祭典を楽しんでいるのだ。
そこで「私、BUの学生なんだけどさ、コミュニティーセンターの“アルコール禁止ゾーン”について取材してるんだ。どう思う?」と話し掛けてみた。すると、リーダー格の赤いトレーナーの少年がこう言った。「I don’t give a shit of the “alcohol free zone”! How can they tell us we can’t drink? We may be underage, but we are Irish! If we don’t drink, I wouldn’t be Irish!」そう、それ!それを探してたの!ねえ、カメラ回すから、それもう一回言ってくれるかな?なんと少年達は、酔いに任せ、私が欲しかったコメントをカメラに向かって得意気に語ってくれた。私のリクエストに、喜んでカメラにおたけぶ彼ら。これが南ボストンの未成年飲酒の実態なのである。。。アーメン。
パレードが終わり、片づけをしている南ボストンコミュニティーセンターの「アルコール禁止ゾーン」に戻った。ジム・マッケイさん(写真)という60がらみのセンターのボランティアのおじさんが、路上に落ちたビールカップを拾ったりしていた。「日本から来たの。へえ。ボストン・アイリッシュの騒ぎぶりはすごいだろう。実は、私も恥ずかしながらアル中で死に掛けたことがある。更正施設にはいり、今はすっかりアルコールからは足を洗った。だから未成年の飲酒は南ボストンから徹底的に排除したい。良くないことだって教えて回りたいんだ。」そういいながら、祭りの後にまだ騒ぎを続ける未成年を路上で注意して回るジムさん。彼もまた、アイリッシュならではのブルーグレーの美しい瞳と、哀愁を帯びた顔立ちが印象的だ。若い頃はきっとハンサムだったんだろうな。日の暮れかけた路上で、ジムさんは他にもボストン・アイリッシュ移民の暮らしぶりの話をたっぷりとしてくださった。
前述の「アルコール禁止ゾーン」のケイおばさんによると、パレード中「ダンキン・ドーナツのコーヒーカップをダミーにしてビールを持ち込んだ酔っ払いが、ゾーンからたたき出された」のと、「ゾーンを示す旗が酔っ払いに引きちぎられそうになったが未然に阻止した。」の2件だけが、きょうのゾーン内の事件。そのほかはいたって平和にアルコール禁止ゾーンが遂行されたそうで、よかったよかった。
センターのボランティアには、同じ未成年のティーンエイジャーも多く来ている。そのうちの一人、エイブル君は私の大学のカメラに興味津々。パレード後の通りで、制服を着た消防士がビールを飲んでいるのを見つけ(違法だそうだ)、突然「Teddyさん、あれ、見てよー撮って!ほら、あそこだよ、走って!」とけしかけられた。南ボストンの通りを、コミュニティーセンターの少年とともに疾走する私。。
気がつくと、午後4時過ぎ。朝10時から南ボストンで取材を続けていて、お昼ご飯を完全にスキップしていた。お腹が空いていたので、素直にコミュニティーセンターのボランティアの人たちの勧めに従って、センター内のスタッフ控え室で、ピザとサラダをご馳走になった。
また一つ、日本ではなかなか出来ない経験をしたものだ。きょうの「アイリッシュ洗礼」のお土産はこの「アルコール禁止ゾーンTシャツ」。朝から晩まで、ゾーンについてしつこく取材していたので、あわれに思われたのか(笑)帰り際にケイおばさんが、下さった。このTシャツを見れば、きっと一生ボストンのアイリッシュ・コミュニティーを思い出すだろう。。
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Friday, March 18, 2005
MAバイオ協議会カンファレンスを取材!~後姿だけのトーリ・エイモス。
携帯が鳴る。今出かける支度をしてるんだから、待ってってば。電話はキムリンから。「バイオ・カウンシルのカンファレンスの入り口はホテル・マリオットの4階だからね~。待ってるから~。」きのうのアイリッシュ痛飲のせいで、体が重い。
早朝のボストン・マリオットホテル。そう、きょうは早々と、調査報道クラスの次の課題のロケのため、マサチューセッツ・バイオテクノロジー・カウンシルの「Discovery Day」というエキスポに来ていた。キムリンががつんがつんとアポをとってくれたおかげで、スムーズに「プレス」として、入場ができた。何しろ場所はダウンタウンのマリオットホテル。50社を超える参加企業は、全てマサチューセッツ州近郊のバイオ企業と関連の大学研究者、という大人の会合である。普段大学の周りで大学生を中心とする「子供」たちの姿ばかり見慣れているわれわれには、スーツを着た大人たちの姿が目にまぶしい。なぜ取材に来たのかというと、Stem Cell Researchつまりヒト胚性幹(ES)細胞研究を法的に認め、資金を出すための法案が、マサチューセッツ州議会でまもなく通りそうだから。それに備えて、きょう行われる地元政治家のスピーチを収録しておき、何かStem Cellについての発言があれば、リポートに活用するために撮影しておくのが狙い。また、実際にStem Cell の研究をしているバイオ企業の人たちが多数来るカンファレンスなので、彼らにアポをとるのも、きょうの狙いのひとつだ。
ちなみにマサチューセッツ州には、「バイオ企業が240社存在しており、。中でも、ボストン、ケンブリッジを中心とした東部地域を取り囲む環状線であるルート128周辺にその多くが密集、「ジーンタウン」と呼ばれている。特にケンブリッジ地域には、1マイル平方の中に存在するバイオ企業はどの都市よりも多いといわれ、Biogen(バイオジェン)、Genzyme(ジェンザイム)社など、有力企業の多くがMITやハーバード大学の周辺に拠点を構えている。」(経済産業省HPより抜粋)「ジェンザイム、バイオジェン、アムジェン。。みんな私の家のそばにある会社よ。」こともなげにキムリンが言う。皆、遺伝子治療や細胞治療などで名の通ったバイオベンチャーではないか。しゅ、取材したい。。。
朝一のカンファレンスのスピーチから撮影。マサチューセッツ・バイオテクノロジー・カウンシルは、「ジーンタウン」のバイオ企業をとりまとめる業界団体。マサチューセッツ州議会の元下院議長トーマス・フィネラン氏(写真左上)が、新しく会長に就任したばかり。スピーチはたいしてStem Cellのことにふれずに終わる。おもむろにキムリンが「突撃しない?」というので、思わず、というかやはり、ハンドマイクをデジカメにつなぎ、スピーチ直後の会長にぶらさがりインタビューに行く私達。キムリンの怖いもの知らず根性にはびっくりさせられる。インタビューは成功。フィネラン氏はゲイマリッジ法案のときの立役者である地元大物政治家なので、インタビューが撮れて御の字。
続いて「ジーンタウン」の企業のひとつViacell(バイアセル)の研究者兼副社長であるモーリー・クラウス氏(写真左下)の発表を聞く。ヒト胚性幹(ES)細胞研究によって、小児糖尿病、心臓病などの治療が可能になることに関する発表だ。スピーチ後にクラウス氏を直撃し、ラボを訪れて撮影したい旨を告げる。BUブロードキャスト・ジャーナリズム院生、こわいものなし!?「やりたい取材は必ず実現させる、それが私よ、テディ。」と勝ち誇ったように言うキムリン。おいおいそんなに勝ちっぱなしでいいのか?もう少し謙虚に行かない?と日本人の私は思ってしまうものの、この強気が功を奏して、過去1ヶ月、この子といろいろな取材をしてきたのだから、文句は言えない。。。
夜、こんなセレブリティの後姿をゲットした。その人の名は、トーリ・エイモス言わずと知れた有名女性シンガーソングライター。きょうは、彼女の本のサイン会が大学の書店で行われていたのだが、入場は本を買った一部の人だけ。写真は、ガードマンの目を盗んで撮ったミーハーフォト。90年代から彼女の歌を聴いていた私としては、後姿を見れただけでもラッキー!?
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Thursday, March 17, 2005
早朝から夜までボストンは飲んだくれ!~セント・パトリック・デー
朝5時半。タクシーを拾って、向かった先はダウンタウンのアイリッシュ・パブ「Black Rose」。
朝6時に、パブの前に100人以上の行列が出来ている。なんじゃこりゃー。
きょうは言わずと知れたセント・パトリック・デー。延々と続く飲んだくれの週末の始まりである。100人の行列は、町の有名パブであるこの店の朝6時の開店を待つ人の行列。緑の服やアイルランドの国旗カラーの帽子をかぶったこいつらには、先着100名に無料の朝食が振舞われるのである。
きょうはこのイベントを宿題のため、撮影にやってきた+半分はイベント自体を楽しみに来た。待つこと外で1時間、無料の朝食は終わっていたが、5ドルのアイリッシュ・ブレックファストと、U2のコピーバンド「Joshua Tree」のライブ演奏を楽しむ。早朝であることを忘れそうになったとき、同級生のケリーが地元TV局の深夜バイトを終えて朝7時半に合流(写真)。彼女と私は別の宿題のためにこのイベントを撮影しようと、協力することになった。彼女はちなみに、アイリッシュ移民の娘・生粋のボストニアンである。
実は店内での撮影は、事前に店側に断られた。しかし、リュックにデジカメを隠しての入店で、気がついたらケリーに乗せられて客のインタビューや彼女のレポートまでこっそりと撮影していた。ずうずうしいにもほどがある。断られた理由に、FOX25を始めとする地元局の中継車とクルーが3局も入っていることが挙げられる。なるほど店内はそのクルーたちがいるせいだけではなく、ごったがえし状態。おーい、まだ早朝8時だぜ!
すると、カウントダウンとともにアルコール販売が始まった。ケリーの提案で、バーカウンターの前に7:50くらいから待機していたが、大正解。生ギネスが一斉にカウンターに並べられ、それが飛ぶようにはけていく。すでにライブ演奏はバンド交替。「Dropkick Murphys」というこれまた地元の人気アイリッシュバンドが登場すると、パブを埋める200人近くのボストニアンの興奮は最高潮に!。。って今日みんな会社や学校はどうするのかい!??
早朝からギネスビールを胃にしみこませ、大学に戻る。寮で次のリサーチをしていたが、爆睡。。とと。昼は、日本人仲間と昼食の約束をしていたんだった。いけない。きょうNくんが日本に帰国するのだ。送別の意味をこめてインド料理屋で食事。なんだかさびしくなるねえ。
半分眠った頭で大学の授業をどうにか終え、夜は、性懲りもなくまたほいほいと誘いにのり、大学近くのアイリッシュ・パブ「An Tua Nua」へ。徒歩でかけつけると、いるいる!また店内は200人以上の客でごった返し。この間スキーに行った日本人の皆さん達と、緑色に染められたバドワイザーや、ギネスを楽しむ。アイリッシュのテーマカラーである緑色の食紅をいれて、パトリック・デーのお祭り気分を盛り上げたビール。店には途中でアイリッシュだかスコティッシュだかのバグパイプミュージシャンの「流し」も現れ、大興奮状態。
これもアイリッシュなの?パブの奥にはダンス・フロアがあり、お立ち台にはご覧のような妖艶な娘たちがくねくねと踊っていた。バグパイパーも演奏後には、ロックミュージックに乗って踊りまくり。
余談だが、きょうは大学構内も、ダウンタウンも皆緑の服を着た人で一杯。セーターが緑、とか、ネクタイが、緑、とかコーディネートのどこかにアイリッシュ・グリーンを取り入れるのだ。きょうから日曜日のパレードまで、ずうっと飲んだくれ浮かれ騒ぎが続くらしいボストンのセント・パトリック・デー。アイリッシュ移民が全米で2番目に多い(1番はNY)ことならではの、お祭り騒ぎらしい。恐るべしアイリッシュの飲んだくれカルチャー。朝から晩まで飲みっぱなし。。
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Wednesday, March 16, 2005
ニュースアンカー初体験!
とうとうこの日が来てしまった。
昨晩1時間かけて服を選んだせいで、睡眠時間が減った。けどしかたがない。きょうは、学期の初めから、ずっとどきどきと待っていた、あの日。ティスル教授の「TVニュースルーム」で”放送”される”NNN Midday"お昼のニュースのアンカー担当だ。
念入りに化粧をしていて3分授業に遅刻。笑ってごまかしながら席に着くと
「Teddy,アンカーの君には、”ハーバード大総長の女性蔑視発言に学生から辞職を求める非公式願いが出されたニュース”、それから、”OPEC会合・原油価格高騰に引き続いて、アラスカの新石油資源開発に関する議会投票が今日行われるというニュース”について、自分の読む原稿を書いてもらおう。」と早速原稿のアサインメントが出た。
この授業、アンカーといえど、ただニュースを読むだけではなく、原稿も書かされるのである。ふう。
そして無事原稿を書き終えて、とうとうそのときがやってきた。スタジオに入る。メインアンカーのマイケルがNNN Middayのテーマ音楽を歌っている。「♪タタッタタタタタタタタタター、タタッタッタター。Teddy, smile!」顔がひきつっている私を励まそうとするマイケル。とうとう本番だ。それらしく、はったりでやるしかない。お天気キャスターの時の教訓、「頷きが多い」というのを、改めようと思う。きょうは意地でも顔を縦にふらないように!
どーん。←これがマイケルとの2ショット!テーマ音楽に続いて、スタジオの2ショットにタリーランプがつく。
「Good Afternoon, I'm Michael Kelly.」
「And I am Teddy。Topping our news today, more investigation into the problems with the big dig.」「With the project overrun by safety problems, governor Mitt Romney and Attorney General Tom Reilly are looking into what actioncan be taken.」
「With more on this developing story, we go live outside to NNN reporter Katie Peck. Ketie?」
タリーが消える。冒頭は、Big Digつまり、インターステート93という高速道路を地下に埋めるための15年来の大工事について、完了した地下トンネルに、天井からの水漏れなどの不備が続々と発覚していて、州知事が工事監督責任者の辞任を求めるまでに問題が広がった、というニュース。ライブリポーターのケイティーが、大学の前の中庭からリポート。
ケイティーがリポートを終え、「Back to you Teddy,」と返すと、再び私の出番だ。今度は1ショット。
「Harvard University President Lawrence Summers will head to work today to face with a new controversity on campus..」プロンプターを見ながら、なるべく自信たっぷりに、かつ頷かずに読み上げる。途中からは、映像が流れ、私の1ショットが隠れるので、つっかえても、それほど気にはならない。
途中「coming up next....」などという洒落たCMへのフリ、VTRを見てのマイケルとの掛け合い(事前原稿あり)、きょうの天気キャスターのテミスとの掛け合い、私のピンマイクが音声不良になる、などいろいろな関門があったが、無事クリア。
「Thank you for watching NNN Midday. I am Michael Kelly」
「And I am Teddy. Thanks for watching」
終わったーー。脱力。クラスに帰ってのプレビュー。もう終わったからどうでもいいや、と思ったけど、わりとよく出来ている。クラス全員(ほぼ全員かなり年下)のやつらにも、お褒めに預かった。へえ。ありがてえ。人生のうちで、1度と実際の放送でやることはないと思うけど、なんだか終わる頃には、もう一度やってもいいかな?などとちょっと思う、くせになる体験だった。
つかれたつかれた。地元紙「ボストングローブ」を開くと、”きょうの料理”欄には「Yosenabe(寄せ鍋)」が載っているではないか~。日本食ブームもここまで来たか。ちなみに、この間は同じ欄に「Okonomiyaki(お好み焼き)」も載ってたなあ。
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Tuesday, March 15, 2005
サウス・ボストンを散策がてらロケハン
今週の木曜日はSt. Patrick's day(聖パトリック・デー)。アイルランドにキリスト教を伝えた守護聖人パトリックの命日である3月17日を祝う日のこと。4世紀、キリスト教がまだ異教だったアイルランドに「三位一体」の原理を教えるため、クローバーの一種である三つ葉のシャムロック(ツメクサ)を用いてわかりやすく説明した。このことから後にシャムロックが聖パトリック・デーのシンボルとなった。祝日のイメージカラーも、シャムロックの「緑色」となったそうだ。。
「アメリカの聖パトリック・デーは、アイルランド移民の多いボストンなどから始まり、今ではアメリカ中でお祝いされている。」とあるwebsiteに書いてあった。ボストンでアイルランド移民の多く住む地区「South Boston」は、通称Southieと呼ばれている。ここで日曜日に公式パレードが開かれるというので、その取材をすることに決めたのだが、例年75万人(!)もの人が見物に訪れるという。(←うそだろう、と思うような数字だが)
パレード当日の混乱の中で取材交渉をしていたららちがあかないので、前もってルートの下見(ロケハン=どこで映像を撮影するか探すこと)をしようと火曜日の午後、サウスボストンをひとり訪れた。腐っても元プロのTVディレクター、大学院の若い同級生達と違って、用意周到に取材の準備をしないと、気がすまないのである。また、私はこの国では「外人」であるからして、事前に道順も含めて、取材の場所を確かめておくことは、非常に重要なのである。着いたら、すぐにカメラを出して、撮影ができるようにしないとならない。
パレード当日に話を聞こうと思い、何軒か酒屋とパブをgoogle等で検索しておいた。住所を書いた紙を片手に、まずは外から雰囲気をうかがう。そしておもむろに中に飛び込み、満面に(作り)笑顔を浮かべながら、お得意の、「あのお、私ボストン大学の学生なんですけど、日曜日にパレードの取材をするんですう。そのときにインタビューをしにきてもいいですかあ。」を繰り返した。酒屋と、Irish pubそれぞれ1軒ずつにOKをもらった。
サウスボストンの目抜き通りは、全長2kmあまりの通りだが、日曜日は昼から酒瓶を持った酔っ払いで埋め尽くされるという。写真は、木曜日から始まるパトリックデーのお祝いに備えてシャムロックを飾った地元の店先と、アンティーク家具ショップ。通りは趣がたっぷりなのだが、私には日曜日にどんな乱痴気騒ぎが起きるのか、まだ想像がつかない。実は前述の酒屋への事前取材交渉も、”作り笑顔・ジャパニーズイングリッシュ”による手練手管にも関わらず1軒には断られた。理由が「去年いろいろなTV局が来て撮影していったけど、騒ぎに油を注ぐような結果になったから。」(by店長)とのこと。
1時間半ほど徒歩で散策したサウスボストン。日が暮れていく様子と、ガス灯のともる町並みが美しい。どうか日曜のパレード・リポート取材がうまくいきますように。
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Monday, March 14, 2005
まだまだ奥深いチャイナタウン・春だ、ダイエット・ショー収録!
朝、日本からの電話。東京の元職場でお世話になっていた、放送部長であるSさんからであった。4月末にSさんと元職場のUさんの2人が、渡米するそうだ。全米最大の放送機器展であるNABを訪れるという。私も、このNABの際に同時開催される全米ラジオ・テレビ放送ニュースディレクター協会のカンファレンスに出席したいと思っていたので、なんと元職場の上司の方々と、ラスベガスで再会することになりそう。そのためには、大学も休まなくてはならないし、宿題(ほとんと映像リポート)も前もってアポを入れ、ロケをし、原稿を書いて編集作業までこぎつけておかなくてはならない。にわかに身辺が忙しくなりそう。手帳とにらめっこし、いつまでに何をやるか頭の中でシミュレーションする。
午後、同級生のビッキーから電話あり、TVマガジンクラスの30分番組「MASS EXPOSURE」向けの取材で、再びチャイナタウンへ。今回の授業の私の担当は、ビッキーのカメラマン役なのである。
今回もアポなし。ビッキーは地元ラジオ局でインターンをしていて、アポなし取材に慣れているせいか、かなり肝が座っている。「チャイナタウン・市民協会」の会長に、移民の暮らしについて取材を申し込んでいたのだが、連絡がなかなか返ってこないので、その人の事務所に直接押しかけていってしまう我々。。カメラを持つと、人間は怖いものなしなのか!?ちょっとはらはらしたが、ビッキーはのほほーん、と「アポないんですけど、会長に会えますかね?」と交渉。そして当の会長は我々と面会してくれた上、ぜんぜん悪びれもせず、「いやーすまんすまん。ちょっと忙しかったもんでねえ。」と、われわれを、協会の奥にある中国系移民・英語スクールの教室に案内してくれた。そこで見たのが、移民してきて間もない中国人の皆さんが英語を勉強している風景。インタビューに答えてくれた2人の女性は、まだボストン在住2年未満だが、なかなか英語もしっかりしているチャイニーズ・若妻。20代前半なのに、夫の両親と同居だなんて、日本でもなかなか聞かない話だし、「子供がある程度大きくなったら、アメリカの会社で働きたい」なんて、夢を持って、英語教室に通っている。こういうピュアなアジアン・ガールに会うとなんだかほっとするね。
このほかにも、この市民協会で働く、面白そうな人々に出会った。同じボストン大学院の学生さんの白人の女性は、市民協会でボランティアをしているし、もう一人、サウジアラビア人の青年も、中国人の会長のもと、中国系移民がアメリカ生活になじむための、NGO活動のコーディネーターをしているようだ。中国人のための協会なのに、たくさんの中国人以外の人々がチャイナタウンのために一役買っているのだ。まだまだ奥深いぞ、チャイナタウン。
さて、夕方取材を終えた後は、「番組収録」のために大学のスタジオへ。収録と言っても、大学院のTVマガジンクラスの30分番組のことで、放送はされない。だが、スタジオでプロの機材を使い、ゲストも呼んでオープニングテーマ曲を流して本物さながらに制作しビデオに収録して批評しあうのだ。
今回のテーマは「春だ、健康・ダイエット特集」スタジオゲストその1は、パーソナルトレーナー。「家庭でできるエクササイズ」と称して、台所洗剤のボトルを使ったエクササイズやストレッチを、本日のアンカー、レイチェルとともに実演。なかなかいい。スタジオゲストその2は栄養士。ダイエットバーの栄養価について解説。
私は今回は「オープナー」もしくは「アバン」と呼ばれる番組内容を紹介する短いビデオを制作。「きょうのマス・エキスポージャーは、あなたに最適なダイエット方法について、ご紹介します。さらに、家庭でできるエクササイズや、ダイエットトレンドについて、スタジオで解説します。きょうのアンカーはレイチェルと、レスリーです!」というナレーションを自分の声で吹き込み、そこにジムのエクササイズ風景などをインサートしたもの。かっこいい音楽を、とのプロデューサー(これも学生が務めている)の要望に答え、音楽もインサートしておいた。なかなか好評だったようである。こうして裏方も表方も、両方まんべんなく担当して、TV番組制作のノウハウを身に着けようというのが、このクラスの狙いなのだ。
収録もスムーズに行き、いくつかマイナーなミステークがあったものの、おおむね「鬼」のノーキン教授もご満悦。よかったよかった。
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Sunday, March 13, 2005
インド人ビジネスマンから中古Macを買う。
近頃私を”ユーウツ”にさせていたことの一つに、大学の編集室の不便さがある。リニア(VHS)にノンリニア(Final Cut, AvidのPC編集)個室が合計16室、お、豪華じゃんと思うでしょうが、これ、全て月~木の朝9:00-夜9:00、金曜は午後5時までしか営業していない。この時間帯を見て、「いいんじゃない?」と思うなかれ。宿題のロケはたいてい昼間、一般の人が起きている時間に行われる。そして、対外、宿題のリポート(映像ニュース)は締め切りぎりぎりまでロケをしているのが常。つまり、大学の編集室は一番学生が落ち着いて編集したいと思う時間=週末・夜に開いていないのだ。しくしく。それに、大学の機材係のお兄ちゃんに「あと10分で閉めるよ、ほら、片付けして~。」と閉室間際に、いつも子供みたいな扱いをされるのも、もう飽きた。(そう、私は遅くまで編集室にいるので有名な日本人なのである。)
そこで、そこおで。夏に中古自転車を買った時にお世話になった、有名な「売ります買います掲示板」であるCraig's listを通して、中古Mac(laptop)をなるべく廉価でお買い上げし、自室で「編集スタジオ」を開くことに決めた。手痛い出費だが、必要経費だと思い目をつぶる。どうせ4月の後半には、また宿題のラッシュがやってくる。そのときに、いちいち大学の編集室の開くのを待っていてはらちがあかない。
「Apple G4 15" Aluminum Powerbook, 1.25gb RAM」アメリカ生まれのインド人、ニックさんが売りに出していたG4をリストに見つけ、メール攻撃で競り落とした。PhotoshopやOfficeそのほかのソフトがインストール済みで、使用期間1年未満にしては、納得の安さだった。余談だが、人の知的レベルは、eメールの文章にまじまじとにじみ出ることに気がついた。彼のメールの文章は、隙がなく弾丸トーク調でかつ親しみやすい。売り主へと買い手の信頼関係がある程度築けたところで、交渉成立。日曜日の朝10:30AMに近くのダンキンドーナツで待ち合わせて受け渡し。インターネットでの売り買いの場合、こうした人のいる公共の場所で昼間に会うのが定番といえるだろう。もし相手が信用の置けない人物だった場合、危ないからだ。
ニックさんはお子さんが2人いるようには見えない若々しいビジネスマンで、予想したとおり、弾丸トーク。なんとハーバード大のビジネススクールを出て、コンサルタントをしているエリートさんだった。新しい持ち主となった私が、どうぞ前の持ち主の職運にあやかれますように、と祈った。「アリガト!」ビジネススクールで知り合った日本人に教わったのか、片言の日本語で挨拶をすると、ニックさんは去っていった。
また、Macユーザーになった私。思えば初めて買ったパソコンがPowerbookの黒いノートブックだった。(それはいま実家の押入れで腐りかけているのだが。)その後、なぜか職場での貸与パソコンがいつもMacだったものの、個人ではVAIOユーザーとなり、Windowsマシンに手を染めて、現在に至る。このMacはちかぢか編集ソフト、「Final cutPro HD」をインストールして、映像編集・クリエイティブ専門に使うことにする。文章入力やネットは引き続きVAIOで行う予定。
昼、日本人のNさんファミリーとブランチ。ブルックライン・ビレッジというボストン郊外にある住宅街の、「Nancy's cafe」はクレープや野菜オムレツなどお洒落メニューがたくさん。
Nさんのお子さん、Kちゃんにデジカメを持たせて写真を撮ってもらった。右上がkちゃんの作った「動物園」の柵に入っているペンギン達。右下が「ピンちゃん」ことリラッくまのぬいぐるみ。なかなかシュールに撮れている。。
昨日までの雪がうそのように晴れ渡り、夕暮れがきれい。室内の電気を全て消して、しばし見入る。明日から春学期の、後半戦スタート。この1ヶ月で、オリジナルのボストン地元ネタリポートを4本以上作らないとならない。それに備えて、鬼のように取材ネタをリサーチ開始する前の、束の間のひと時。
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Saturday, March 12, 2005
メランコリックな一日。
朝からの雨が雪に変わってボストンは一面の冬景色。日本の父親に電話をかけたところ、「梅の開花がそろそろ。」などという会話だったのに、こちらはまだまだ冬だ。日本で過ごす3月だったら、「お花見はどうしようかな」と梅や桜を見に行く計画をいそいそ立てていたはず。そんな例年の早春の過ごし方からは、程遠いボストンの3月。ふるさとは遠くなりにけりて。。
雪で白く煙る春休みの誰もいないキャンパス。そんな窓からの景色を見ていたら、少しメランコリックな気分になってしまった。いかん。課題がてんこ盛りなのでメランコリーになっている暇などない。日本から持ってきた宇多田ヒカルのCDなどをかけて軽く鼻歌を歌い、オレンジの香りのアロマオイルなどで明るい気分を演出、のはずが。
宇多田ヒカルの「A.S.A.P」(アルバム・「DEEP RIVER」)で、なんだかよりメランコリーが増した。
♪信号待ち 風が止んだら急に不安になった 交差点を過ぎた辺りで急に会いたくなった 110じゃなくて君だけのダイアル教えて 緊急時以外はかけないと約束するよ
お騒がせな狼少女 助けてドクター 胸が苦しくなってくるよ 突然
A.S.A.P 今すぐにすぐに聞かせて A.S.A.Pもっと遠くに遠くに飛ばして 抜き打ちで君の愛 試します Can I belive you tonight? A.S.A.P 秘密の呪文を唱えて A.S.A.P私の扉を開いて 舞台が始まる前にここに来て
2年前の3月、私は苦しい恋愛をしていて。
でも仕事も夢の実現にも色々と忙しくて。
理想と現実のバランスがぜんぜんとれなくてすぐに体の調子がおかしくなる、今からは想像もできないほど病気がちな人だった。。
この歌詞の「お騒がせな狼少女」ばりに、胸が苦しくなっては病院に行き、お腹が痛くなっては胃カメラを飲み、そのつど何でもないと診断されたりして。。そのさらに2年以上前には、道で車にはねられて社会復帰するのに5ヶ月かかったり、慢性虫垂炎で2回救急処置室のお世話になり3回目の発症で盲腸が破裂したのにも関わらず誤診されて死にかけたという、世にもひどい過去があるのであり。。
マサチューセッツの雪景色を見ながらこの歌を聴くと、そんなことを思い出し、よりメランコリックになり。。
いかん。
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Friday, March 11, 2005
ほっけ定食とラテン・コミュニティーとボストンビール!?~かなりunusualな一日。
朝11:00 キムリンと調査報道クラスの次の課題について話しあうため、日本食居酒屋兼レストラン「Bluefin」へ。「ほっけ定食」(写真)をつつきながら、「Stem Cell Research」、つまりマサチューセッツ州内の医科系研究所での幹細胞・再生医療研究について、合法化がまもなく行われそうだ、ということを何とか調査報道でできないか、話しあった。メディカル・ビジネス分野は、昔から興味のあったジャンル。ぜひ実現させたい。ちなみにこのブルーフィンは、ランチで来たのは初めてだったが、「刺身定食」とか「とんかつ定食」「ちらしランチ」とかをつつくヘルシー志向のアメリカ人で満員。
午後、同級生のビッキーから突然の電話。「これからロケに行けないかしら。来週のTVマガジンの授業”エスニック”の取材でラテン・コミュニティーのタコスレストランにアポをとっているんだけど、らちが明かなくて、押しかけてみようと思うの。」今週の私のこの授業での担当は”カメラマン”だから、これは宿題の一環。早速キムリンの車から、ビッキーの車に乗り換え、ジャマイカ・プレインというボストンの東地区へ向かう。
あるある、スペイン語の看板がたくさんある、ここはラテン系移民の多く住む地区。ストリートに車をとめる。スペイン語で書かれた店の看板が目に付く。多くの店は、壁にカラフルなイラストが書いてある。ラテン系の人は、壁画を書くのが好きらしい。そんな店のひとつ「Tacos El Charro」にビッキーと2人でとびこみ交渉。「わたしたち、BUの学生なんですう。ボストンのラテンコミュニティーについてのインタビューに答えてもらってもいいですか?」交渉OK!プエルト・リコからの移民のエイダさんはボストンに来て30年以上の”おっかさん”、タコスショップは赤が基調ですごく素敵な感じの店。そこに、だんなさんのぺぺがマリアッチの衣装で帰宅!なんと彼はボストンでは有名なメキシカン・ギターのミュージシャンで、マリアッチミュージシャングループ「MEXAMERICANA」(写真上下段)を率いている。早速、メキシカン・ソングをマリアッチの皆さんに演奏してもらい、デジカメで収録。ビッキーのインタビュー(写真上)が終わった後、「厨房を撮らして下さる?」と入っていくと、エイダさんがタコスを一つ、さくさくっと作ってくれた。激うま~。これがあるから、broadcast journalismはやめられない!ビッキーがかぶりつきながら、レポートをする様子も撮影。
飛び込みとはいえ、かなりうまくいったラテン移民の取材。あとは雪の中、通りのイメージカットを撮りあるく。キューバ料理店(!)で休憩。仕事(宿題)の後、スパニッシュ・プディング(フラン)と大きめのカップたっぷりのキューバン・コーヒーがうまい。この地域には、ちかぢか食事のためだけに、もう一度来ようと思う。
夜は、スキーに行った皆さんなど、日本人達で連れたって「Boston Beerworks」という地ビールレストランへ。"ポテト・エール””ビーンタウン(ボストンの愛称)・ナッツ・ブラウン・エール””ピーナッツ・バター・ポーターエール”という珍しいビールで乾杯。
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Thursday, March 10, 2005
「アビ監督」とドキュメンタリー編集。
きょうは大学が春休みなのにも関わらず、アビ監督のドキュメンタリーの編集作業。5分の2くらいが完成した。ためしに完成した部分に音楽をいれて、どんな感じになるか、プレビューしてみたら、かなり出来がいい。なんか本当のドキュメンタリー映画みたいではないか。インドのお役人のアビ、大喜びである。そろそろこの企画も、先にどんどんすすめないと、私の本業の宿題が危ないのだ。アビはのりのりだが、かれはあくまでフェローなので、単位は関係ありゃしない。「あたしはあんたの専属編集マンじゃないのおおお。」そんな叫びをおさえつつ、(協力する、と約束したので)大学が閉まるまで編集作業。
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Wednesday, March 09, 2005
宿題と洗濯の地味な一日
無事ボストンに帰れた喜びをかみしめつつ、大学の編集室に行って宿題のテープ編集など。夜は洗濯にせいを出した地味な一日。ボストンにも昨日の雪嵐は多大な影響を与えたらしい。10cm以上の積雪と、異常な低気温(-10℃前後)できょうもさ・ぶ~。”春はもうすぐだ、約束したぜ”というRedsoxのジョニー・デーモン選手の看板(写真)がうらめしいくらい。
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Tuesday, March 08, 2005
悪夢のドライブ~白いブリザードとの死闘!
スキー旅行2日目。朝コンドミニアムを後にしたときは、誰が夜のあの悪夢のようなドライブを予想できただろうか。キリントンのスキー場は昨日とうって変わって吹雪の悪天候だったが、参加者の大部分はスノーボードに挑戦。寒さもあり、スキー組もあまり山の上まで行く気が起きなかった。ランチは地ビール「long trail」が生で飲めるパブでわいわいと。
女性陣は早めにスキーを切り上げ、ショッピングにせいをだす。スキー場に向かう途中にあったバーモントのWoodstockは、とてもかわいい町並みで、ノーマン・ロックウェルの絵画に出てくるようなアーリーアメリカン調の家が立ち並んでいる。ファーマーズ・マーケットでメープルシロップの瓶をお買い上げ。
写真は街の古い教会の前でポーズをとるマリアさん。(白い嵐に巻き込まれる前の元気な姿。。)
ハイウェイをマサチューセッツの方角に向かって1時間ほど走ったところだろうか。雪がひどくなり、目の前が見えないほどになってきた。横殴りに降って来る吹雪が、さらに地面から吹き上がる風を受けて、舞い上がるのだ。車のフロントガラスには、低気温のため、その舞い上がった雪がこびりつき、細かい氷のかけらとなって、こびりつく。ワイパーにもこの氷のかけらがこびりつき、全く役に立たない。突然、目の前の視界が、
・横=フロントガラスがクリアになっている10°ほどの部分のみ
・前方=ブリザードで時折全く視界がなくなるものの、舞い上がる雪の合い間にかろうじて20m先が見えるか見えないかくらいーーーとなってしまった。
「もう私運転できない。」S電機の皆さんを教えている英語の先生、マリアさんが愛車・ホンダ、シビックのハンドルを握ったまま、ハイウエイの真ん中で立ち往生!それでもハイウエイには後ろから時々、信じられないようなスピードで追い越していく乗用車やトラックがいる。「これ以上この状態で進むのなら、抗不安剤を飲まないとだめ。それよりは今すぐハイウエイを降りて、モーテルで吹雪をやりすごすほうがいい。」助手席でナビゲーター兼励まし係をすることしかできなかった私だが、心から運転しているマリアさんの気持ちは分かった。
近くのガソリンスタンドで休憩をいれ、コーヒーを買いながらのドライブ。雪はやみそうもなく、いっそうひどくなるばかり。しかし、総勢6名(残りの3人はスキー場でもう1泊するため、残っていた)、2台に分乗した旅は、続行されることとなった。半ばパニック状態のマリアさんは、後部座席へ。そして運転手交代だ。近くのニューハンプシャー州マンチェスターまで行けば、雪が小降りになっているかもしれないという情報を得たためだ。
S電機のS部長の車はAちゃんが運転し、マリアさんの車をS部長が運転。私はS部長を助手席でナビゲートした。役に立ったのが、Aちゃん号とS部長号それぞれに1台ずつ搭載していたトランシーバーだ。
私(S部長車)「前方に事故車あり。危険なのでスローダウンします。」
Uさん(Aちゃん号)「了解」
Uさん(Aちゃん号)「後方左から追い越し車あり、大きいトラックです。注意。どーぞ。」
私(S部長車)「了解。注意します。」
まるで↑ハイウエイパトロールのよう(笑)だが、あの時は、無我夢中だった。途中snowplow(除雪車)を何10台も見たが、雪をかいていない!!もはや気温が低すぎて、雪かきできる状態ではないのか?「はたらけーsnowplow~!」とつぶやきながら、全員で、ハイウエイの道を祈るように進んだ。途中路肩に突っ込んでいる車や、事故を8件以上見た。だって目の前が見えないんだから。ハイウエイには外灯すらなく、道が雪で白すぎて、蛇行しているのか、まっすぐなのかどうかも分からない有様。路肩には反射板のついたガイドポールが等間隔に立っているが、それすら、雪のため反射が鈍く、役目を果たしていない。しかも視界は時折ゼロに近くなる状態。先行車でもあれば、テールランプの赤をあてにしていけばいいが、それすら稀な状態であった。フロントガラスの曇りを防ぐために暖房をがんがんにしているせいもあり、助手席でトランシーバーを握りながら3時間以上ナビをしていただけで、汗だくだくに。ドライバーの2人など、もっと大変なのだから、我慢である。
「WELCOME TO MASSACHUSETTS」の看板を見たときは、ほっとした。バーモント州→ニューハンプシャー州→マサチューセッツ州と3つをまたがって移動したわけだが、マサチューセッツに入ると、視界の悪さはかなり改善され、路上にたくさんの車が走り始めた。でも油断は禁物。玉突き事故にあったらひとたまりもない。
「このドライブのこと、きっと一生忘れない。」みな口々に言いながら、ボストンに着いたのがmidnight夜中の12時すぎ。5時間以上ドライブしていたことになる。いやあ事故らなくてよかった。ドライバーをしてくれた皆さんには本当に頭が下がる。まさに悪夢のドライブだったが、心から、「生きててよかった~!!」
とんだブリザードとの死闘であった。おそるべしニューイングランドの雪嵐。。
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Monday, March 07, 2005
我らジャパニーズ・スキーヤーズin Killington!!
朝5:40、きょうからスキー一泊旅行に出発だ。総勢8名で3台の車に分乗して、バーモント州にある、キリントン・スキーリゾートへ。S電機の皆さんの車に同乗させていただく。ちなみにドライバーのSさんは、S電機の大阪本社の部長さんだ。今回のツアーには、S電機の皆さんの英語の先生であるイタリア系アメリカ人のマリアさんも参加。なので、今回のスキーツアーの公用語は日本語と英語半分半分くらいとなった。Sさんに対しても、本来なら「部長!」とでもお呼びしたいところなのだが(笑)、英語ではファーストネーム呼び捨てなのだから(彼の場合は、愛称を呼び捨て)気楽なものである。
予報では雪であったが、おおむね曇りの天気の中、車はハイウェイを一路、Green Mountain Stateの愛称を持つバーモント州へ。(ちなみにマサチューセッツ州の愛称はBay Stateである。)
実は本格的なアルペンスキーは3年ぶりだったりする。交通事故で6年前に膝の関節をひどく骨折して以来、心理的に遠ざかってしまったのだ。それまで1年に3回以上はコンスタントにスキーに出かけていた一応の「スキーヤー」なのにも関わらず。キリントンのスキー場のシステムは日本と同じ。レンタルスキーの申込書を記入し、リフト券を買う。申込書の「あなたのスキーのレベル」というのが面白い。レベル1初心者。レベル3上級者。それ以外はレベル2。レベルによってビンディングを変更するということが書かれている。迷いながら「レベル2」に丸をして係りのおねえちゃんに渡すと、「あのお、本当に分かってます?レベル2でいいんですか?」としつこく聞かれ、挙句の果てに「レベル1への変更」を勧められる始末。アジア人はスキーをしないとでも相場が決まってるんかい!?気を取り直してゴンドラに乗る。なるほど、アジア人7名のスキーヤー集団は白人ばかりのスキー場でかなり目立つなあ。このスキー場、日本の新潟・越後湯沢の某スキー場に、そっくり。(単に私のスキー体験自体が久しぶりだからそう感じるだけ?)
途中雪のち晴れ。頂上付近はピーカンで、きもちいー!!しつこいようだが、コース名が英語で「Cascade」とか「Great Eastern」とか書かれているのを見なければ、日本人の皆さん総勢7名と一緒にいるせいか、まるで新潟・越後湯沢で滑っているような錯覚に陥る。いいぞ、ここは越後湯沢だ!行け!すいすいっとーー
ーっとっと。あいたたた。昔とった杵柄でパラレル・ターンもどきをかましていたら、やはり膝の筋肉や、足先など、昔だったらありえないところに力が入っていて、がくがくする。やはり複雑骨折した右の膝をかばって、足全体に不自然な力が入っているうえ、筋肉が衰えている。このままではいかん。こうして久しぶりにスポーツをすると、自分の体の弱いところがよくわかるんだなあ。ちなみにもう一人の日本人女性参加者、同じBUの大学院に通うAちゃんは、体育会系スキー部出身のスポーツウーマン。さすがに上級スキーヤーだ。S電機の皆さんも、なんと上手なことか。
お昼。山小屋の食堂には、日本のスキー場にあるような、「ビーフカレー」とか「味噌ラーメン」とかは、ない。「サンドイッチ」とか、「フィッシュ&チップス」とかがメインメニューだ。私はパンをくりぬいたところに、ニューイングランド名物クラムチャウダーをつめたものをオーダー。Long Trailという地ビールの生もいただく。大人のアトラクションに生ビールはかかせない。大学のそばにいると、どうも不自然なまでに健康すぎて、こうした”昼からビール”というような習慣からはしばし遠ざかっていた自分に気づく。日本から来ていたUさんの大学生の息子さんを囲んでの写真撮影(写真右上)。若い人を見ると、ついおせっかいを焼きたくなるから、私もおばさんになったものである、としみじみ。。
午後、なんと「Devil's Fiddle」訳して「悪魔のぺてん」というコースに挑戦した。これには絶句。こぶこぶの斜面で傾斜は10度くらい。横滑りと尻滑りで30分以上かかり、あわや最終リフトを逃しそうになる羽目に。午後4時すぎに滑降修了。
夜は、コンドミニアムにチェックイン。ジャグジーで体をほぐしたあと、きのうアジアン食材店で買出ししたもので、ジャパニーズ・クッキング。とはいえ、料理をしてくれたのはなんと男性陣、われわれ女性陣は近くのスーパーまでアルコールの買出しを担当しただけであった。「寄せ鍋」はS部長の秘伝のスープが激ウマ。「すき焼き」は関西出身者と関東出身者の間の、味付けの好みの違いが露呈し、興味深い「日本・東西味文化の違い」英語トークへと発展した。「ハウスバーモントカレーはなぜ”バーモント”カレーという名前なのか」というトピックも面白かった。アルコールも入り、コンドミニアムの暖炉があかあかと燃えるなか、すき焼きのうどんが全部みんなの胃袋に収まっても、まだまだビールやウオッカの水割りを手に、話は尽きないジャパニーズ・スキーヤーズ・ナイトなのであった。。
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Sunday, March 06, 2005
アジアン食材買出しと四川料理食い倒れ。
あすからなんと、バーモント州へ、泊りがけのスキー旅行に参加することになった。日本からBUのMBAスクールに留学しているS電機のエグゼクティブの皆さんと行く、豪華コンドミニアムステイの旅である。スキーそのものも楽しみだが、コンドミニアムで皆で鍋を作る、アフタースキーも楽しみだ。きょうはそのための買い出しに参加する。ボストン近郊にある韓国食材スーパーの「Reliable」には、棚一杯のキムチや、韓国栄養ドリンク、果ては韓国版正露丸や太田胃酸まで、いろんな珍しいものがそろっていて、楽しい。泥つきネギや、明太子なども、ザッツ・アジアン食材!という感じ。その後、ボストンの日本人御用達の日本食スーパー「寿屋」にも行き、さらに食材を買いあさる。
買出しの後は、明日のスキーに備えて(?)辛い四川料理で夕食。まっかっかの食卓をご覧あれ。唐辛子の味もさることながら、山椒がたんまりとお皿の底に入っていて、舌がひりひりする。でも、そんな料理にはチンタオビールがぴったりなのだった。。
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Saturday, March 05, 2005
土曜日はカレーの日!?
きょうは午後、うちに同じ大学院のNさんファミリーが来た。夕方からは、私がお客様として、-14℃プロダクションのアビ(インド出身)のファミリーを訪問した。そのどちらも、カレーがメインのおもてなし料理。
昼、日本人のNさんファミリーを日本のカレーでおもてなし。お子さんのKちゃんがかわいい。にんじんのかわりにミックスベジタブルを入れてみたり、少々アレンジしたら、大人の皆さんには大好評。お子ちゃんのKちゃんは最初ちょっとカレーの辛さにご機嫌ななめだったものの、結局食べてくれた。よかったー。デザートは杏仁豆腐。チャイナタウンで買った杏仁豆腐ミックスと豆乳で作ったのだが、これも大好評であった。(アーモンドの風味がするの。)
夕方からは、川を渡り、ハーバード大近くに住むインドから来たアビファミリーのお宅を始めて訪問。奥様のスクリティさんは、アビと同じインドの政府に勤める公務員だが、現在ハーバード大学のケネディ行政大学院で大学院生として学んでいるエリートである。さばさばとした気さくな女性だ。どんな奥様をお持ちなのかを知ると、だんなさんを見る目が変わるなあ。アビ、いい趣味してる。ちなみにこのスクリティさんは政府の文化交流プログラムの一環で、日本の小松市の一般家庭に3日間ホームステイしたことがあり、日本に関するいろいろなことを知っていた。実に知的な素晴らしい女性。
お子さんの8歳のカリカちゃん、5歳のナンダナちゃんもかわいい~。写真左は床に座ってご飯を食べるカリカちゃん。気になるメニューは、鳥肉を骨付きのままヨーグルトに漬け込んだあと、カレースパイスで煮込んだもの。実にマイルドな味。付け合せのナン、豆料理、ジャガイモ料理とともにおいしくいただいた。アビによると、インドの男性はこのカレーにあわせてスコッチウイスキーを飲むのが習慣だそう。さらにアビの家はチャールズリバーを見渡す夜景がきれいなハーバードの高層の寮。バルコニーもあって、夏にはここで川を眺めながらビールが飲めるそうだ。いいなあ。
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Friday, March 04, 2005
春休みとスシとフレンチドキュメンタリーとモッタイナイと。
ああ忙しい忙しい。きょうはすることがてんこ盛りだ。なぜかって、来週1週間大学が春休みになるので、その前にクリアにしておかなければいけないことが、たくさんあるのだ。
まずは、朝起きて、AM9時から授業に行って、次の調査報道のネタのプレゼンテーションをする。チャイナタウンのリポートの成績が返ってきたが、意外にもAマイナスであった。き・び・し~。音楽が過剰だったのが、教授の癇にさわったらしい。これだけは、好みだから仕方ない。
授業後、お昼ごはんを買いに出かけたが、構内は、重い荷物を転がす学生達でごった返していた。あすから春休み。同級生たちも、皆がドミニカ共和国とか、スウェーデンとか、ワシントンDCとか、そんなところに、出かけていくそうだ。通りでタクシーの渋滞が出来ている。空港へ向かうのだ。いいねえ。
大学に戻り、午後は、休み明けのTVマガジンショー「エクササイズとダイエット」のオープニングビデオ原稿作成とビデオ編集。合い間に「英作文添削センター」に行き、別の課題の添削指導を受ける。編集室に戻り、自分の声で↑のオープニングビデオのナレーションを録音する。
わが学部は金曜だけは5時に閉まる。5時なんかに大学が終わっても、何をしろというんだろう。ばかげている。まだ宵の口なのに。
そこで、ブラジル人のアーレットに電話。「寿司を買いに行って、食べながらうちでドキュメンタリーのビデオでも見ない?」数時間後、2人でいそいそと買出しに言ったのは、「スシ・エキスプレス」という店(店内写真)。地味な外観だし、イートインのスペースは小さいが、ここのテイクアウト寿司は絶品。いつも地元ブルックラインの住人でにぎわっている知られざる有名店だ。握りを一人7かんずつ、巻物を4種類(1種類6巻)買う。これで2人で28ドル位と安いのも魅力。2人いる板さんもウエイトレスも全員日本人。彼らが、いつもカウンターの後ろで日本語による口の悪い雑談をかましているのがミソだが、味は折り紙つき。
私の部屋で、お手製の味噌汁とともに、寿司を堪能。アーレットは本当に寿司好きだ。そして、今晩の映画、フレンチ・女流監督アニエス・ヴァルダによる異色ドキュメンタリー「Gleaners and I(邦題・落穂拾い)」(写真)を見る。朝市の開かれたあと、まだ食べられる果物を路上で拾い集める人々を見て、ミレーの名画『落穂拾い』を連想したヴァルダ監督(ちなみに、監督は70代の女性!)は、フランス各地にまだ本物の「落穂拾い」が残っているのかどうかを探しに、郊外の農場へ撮影に行く。じゃがいもや、ぶどう、りんごなど農園の残り物を拾い集める地元の人の心理状態を描く。さらには路上のゴミ箱をあさり、人の残り物だけで生きている青年を追いかけたり。スーパーの賞味期限切れの商品のごみだけを拾い集めて、食いつないでいるジプシーを取材したり。
実はこれ、もともとドキュメンタリーのクラスで紹介された映画。授業の際も、「フレンチのホームレスは、やることがすごいぜ、ホームレスでいるのに、環境問題なんて考えてやがるんだ。主張があるんだぜ。参ったね。」などと、これを上映した後、クラスがざわついた。飽食で、何でも捨てるアメリカ人には到底理解できないだろう映画であろう。参ったね、フレンチピープル。
さらに、これを見た翌日に、こんなニュースをヤフージャパンで見つけた。
もったいない」世界に響け ノーベル賞マータイさん 国連で日本語紹介
【ニューヨーク=長戸雅子(産経新聞) - 3月5日】女性の地位向上などについて討議している国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で四日、ノーベル平和賞受賞者でケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんが演説した。マータイさんは二月に来日した際、「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、世界に広めることを決意したという。この日の演説では「『もったいない』は消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)の四つの『R』を表している」と解説、「MOTTAINAI」と書かれたTシャツを手に「さあ、みんなで『もったいない』を言いましょう」と呼びかけ、会場を埋めた政府代表者や非政府組織(NGO)の参加者とともに唱和した。さらにマータイさんは「限りある資源を有効に使い、みなで公平に分担すべきだ。そうすれば、資源をめぐる争いである戦争は起きない」と主張した。
国連で、スーツを着た立派な大人たちが、議会場で「モッタイナーイ!」と叫んでる様子を想像して吹き出してしまった私であるが、まさに前述の「落穂拾い」というドキュメンタリー映画は、この「もったいない」を映像で表現した一作。
だが、だがである。この映画「すっげーフレンチ。」なの。だいたい、映画の制作動機自体がクレージーだ。だれが、市場で落ちている果物を拾う人を見て、「落穂拾い」の絵画と結びつけて、映画を作ろう、などと思いつくだろうか。そして、「ごみを拾うことは美しい」「まだ食べられるごみを探してそれを食す自分が好きだ」と公言するフレンチ・ホームレス。主張が濃いよ。もっと普通にホームレスしてくれよ。。このblogを読んでいるあなたは、路上で拾ったたべものを、すぐに口に出来ますか?この映画に出てくるホームレス達は、「拾った食べ物が腐っていてアタるかどうかは、ロシアンルーレットのようなものだ」と言っていた。
一緒にビデオを見ていたアーレットすら途中で「This is too French! This filmmaker lady is crazy woman!.」と飽き飽きしてきたくらいなのだが、それでもアメリカ=なんでも消費浪費捨て放題大国の国民の(特に若い人)にはぜひ見て欲しい一作であるといえる。やつら(アメリカン)と来たら、いまだに公共のトイレにも、お手拭のロール紙(たいがいの国が、エアータオルに代わってきている中で)が必ずインストールしてあるし、スーパーに行けば、何も言わずにレジ袋をくれるだけでなく、ご丁寧に2枚重ねにしてくれる始末。私としては、まず、”袋は要りますか?”と客に聞いて、その上で”要る”と答えた場合は上手に1枚の袋に買った品物を詰め込んでほしい、と常々思うのだが。。食べ物の量はどこで何を頼んでも日本の1・6倍はあるし、スーパーじゃ、すぐに「1つ買うともう1つついてくる!」セールを行う。よく考えろ。その”もう一つ”は本当に要るのか??と言いたくなる。そんなに食べ物をがつがつ食べて、新しいものをバンバン買っては分別しないで捨てて、いいのかアメリカ人よ?
たぶん本家「もったいない」の国、日本人のわれわれが見ても、この映画、かなりしっくり来るはず。おすすめ。
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Thursday, March 03, 2005
-14℃プロダクション、編集再開
あわや仲間割れかと思われていた-14℃プロダクション、無事アビとアーレットのいさかいも収まり、きょう編集を再開した。きょうは先日撮影したインタビューの使える部分を切り出す作業を行う。編集室でちょっとした「magic of editing」(ちょっとしたコメントを”つまんで”短くする作業。編集を1年位経験したことがあるディレクターなら、誰でも出来る)を見せてあげると、アビ、大喜び。
しかし、しかしである。これはあくまでも、ボランディア。夜は、気持ちを切り替え、宿題に励む私なのであった。本業がおろそかになってはならぬ。でも、アビはのりのりで「-14℃プロダクションの作品は、3月中には仕上げよう」なんて言って来ていて、もうフェローシップのディレクターであるボストン大学の教授に「アビ監督作品ドキュメンタリー、スクリーニングのお知らせ」なんていうメールを送っている。まだ出来上がってもいないのに、スクリーニングのお知らせとは、ちと気が早すぎない!?
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Wednesday, March 02, 2005
お天気キャスター初体験!
「私はきょう一日、テディではなく、ジェイシー・モナハンだ。」朝7:00AM、鏡に向かって自分に暗示をかけた。
ジェイシー・モナハンとは、地元TV局ボストン・チャンネル5の美人お天気キャスター(写真)。このところ数日、朝のニュースの彼女の天気予報をビデオ録画し、ビデオを何度も繰り返しポーズしながら、原稿の書き取りをしてきた。「The possibility you could get another three inches of snow from this latest snow band coming in. Along Cape Cod, there will be about 7.5 to 11 inches of snow. You need to give yourself extra time to travel today even though it is not snowing where you are....」こんな予報を、クロマキーで合成された天気図をバックに、カメラの前をいったりきたりしながらすらすらと言えないといけない、それがお天気キャスター(気象予報士)。
なんで、そんなことをやっているのか。それは、もちろん、きょうのTVニュースルームの授業で、お天気キャスターを担当する当番だから。5日前くらいから緊張していた。一体私に出来るのか?
しかし、やるしかない。お手本を見て、プラクティス、プラクティス。。
スタジオには、プロンプターというカメラの前に原稿をつらつらと流して見せてくれる装置がある。しかし、天気図の選択と、原稿作成は私に任されている。天気図は、お天気チャンネルやチャンネル5のwebsiteから拝借し(写真)、大学のエンジニアーのおっちゃんが合成してくれるから、心配ないものの、問題は、原稿である。
・雪雲の帯がやってきています=snow bands are coming throuth
・突風が吹くでしょう=flurry is possible
・今夜はまた数インチの積雪が見込めそうです=possibility of another couple of inches of snow tonight.
・気温は20°F前後ですが、体感では10°F前後に感じそうです。
=Temps are in the 20's but it's gonna feel more like it's in the teens.
これらの独特の天気用語を、TVニュースの書き取りで頭に入れていく作業を、授業前の5日間で行う。よく見ていくと、だんだんTVの天気予報も逐一わかってくるから面白い。
化粧も衣装もばっちりと決め、かつかつと教室へ。こういうのは形から入らないとね。元トウキョウ・ビジネス・ウーマンのソフィスティケートされたところを、アメリカンたちに存分に見せつけてやらなくては(笑)。朝9:00AMスタートで、お天気の原稿1分30秒を作成する。きょうも朝一で敬愛するジェイシー・モナハンの天気予報を一本書き取ってきた。その中から、エッセンスを盗み、自分なりにアレンジ。「週末の予報です。学生さんにとっては待ちに待った春休みですね、for some of you travel, the weather is gonna be not bad..」などという小粋な一言もお忘れなく。メインアンカーであるキムリンとのお天気に入る前の、20秒ほどの簡単なやりとりも、原稿にする。
「お天気担当はテディです。一体春ははいつくるのかしら?」「キムリン、きのうの3月のスタートは、春の到来とは程遠い、積雪でしたね。一体この天気はまだ続くのかどうか?I will explain when we return..」
今日使う天気図は、5days forecastも入れて4枚。一足先にスタジオに入り、緑色のクロマキー合成画面の前で何度も大声でリハーサルする。「As you can see, there is no major snow clouds in Boston area..」などと、地図上のボストンの位置辺りを手で指し示しながら、プロンプターも同時に見るのはなかなか難しい。目の前には緑色のボードがあるだけで、合成された状態のモニターは、プロンプターとは逆の方向にあるので、見れないのだ。
それでも何度か練習するうちに、大体のこつがつかめてきた。どうせ発音はジャパニーズ・イングリッシュ、ってクラスのみんなにもともとばれてるし、気にしな~い。プロンプターがあるから、それを読み上げればいいだけだし、あとははったりと、自信満々な態度で行こう!!
とうとうスタジオ入り。
「お天気センターのテディに、この雪晴れがどのくらい続くのか、教えてもらいましょう、テディ?」とキムリンのフリ。「キムリン、We just welcomed March yesterday, but it was a really cold start. But we are almost done with this snow. No additional major accumilations so far.,,」
よーし。なりきりジェイシー・モナハン@チャンネル5の修行が功を奏し、順調なすべりだし。1枚目と2枚目のグラフィックで、天気図の前を横切るために歩く方向を変えた。1枚目のdoppler raderの雨雲天気図では画面の左からフレームイン、2枚目のstorm trackという降雨量の天気図では画面の右からフレームイン、といった具合だ。画面のボストンの位置を指し示すのも、一人リハーサルのおかげで、適切にできた。
「That's all I got for NNN Midday. This is Teddy, live from weather board. Back to you Lesley.」カメラのタリーランプが消えた。やったー。出来た!!スタジオカメラ担当のメーガン、テミスらがみんな親指をあげてサインを出してくれている。よかったらしい。「CMの後はスポーツです。チャンがお伝えします。」CMへ。そこでキムリン、レスリー、チャン、の一同も「Teddy~よかったよ~ほんとに」いやあ、無事終わって肩の荷が下りました。放送プログラムでただ一人の”英語が不味い留学生”(笑)である私でも、こうしてきちんと天気予報ができた、ことを温かく認めてもらって嬉しい。ティスル教授も、「よかったぞ。」と褒めてくださった。
いやあ無事終わってよかった。変わり者で有名な大学のエンジニアーのおっちゃんも、廊下で”放送”を見ていたらしく、褒めてくれた。お天気キャスターは、人生で2度と経験することはないと思うけどさ。この授業の後は、同級生達に「お天気ガール、今夜の天気はどうなるの?」とか「テディー、この突風はなんだよ~君の予報には入ってなかったじゃん。」とか一日お天気の話題を振られて、まんざらでもなかった(笑)。でも後で収録ビデオを見てみたら、うなづきの回数の多いこと多いこと。「これじゃまるで日本人みたいじゃねーかよ!。」と一人で突っ込みをいれたくなった(その通り、日本人なんだけどね)。再来週のアンカー担当の時は、なるべくうなづかないように、がんばろう。自分でも気づかないうちに、日本人ぽい仕草をしているんだなあ。(何かをしてもらったときに、ついつい頭を前に下げてお辞儀をしてしまい、笑われたりとか。)TVニュースルームのスタジオアンカーや、立ちレポートでは、「なりきり西洋人」でいかないと、格好が悪いなあ。また、地元ニュースののジェイシー・モナハン以外の記者を見て、研究してみよう。私の挑戦は続くのであった。。
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Tuesday, March 01, 2005
-14℃プロダクション、仲間割れ!?
夜のうちに、雪嵐が吹いたようだ。
朝目を覚ますと、窓の外にはご覧の通り雪がこびりついていて、吹雪の激しさを物語っている。うーん。白い、白すぎる、街が。雪は降り止まない。このところTVの授業ばかりで、書いていない。今日締め切りのドキュメンタリーのペーパーなんて、1週間も前に、ネイティブ学生の添削指導を受けたのに、書き直しもしていない。まずは朝一でそのぺーパーの訂正・加筆をした。その後、懸案事項をいろいろと片付け、いろいろな人々にメールを送った。特にチャイナタウンのリポートでお世話になった人々には、「われわれの取材に協力いただきありがとうございました。おかげさまで、教授や同級生みなの賞賛を受けることができました。」というメールを送り、感謝の意を表した。
さて、午後の授業の後は、きょうからインドのお役人・アビ監督のフェローシップの紹介ドキュメンタリー「Soul Searching」の本格的編集作業に入ることにしている。しかし、このところ、少し困ったことがおきている。それは、アビの「制作作業2人占め」。
このドキュメンタリーは、-14℃プロダクションのメンバーである、インドIT省のお役人のアビと、ブラジルの元新聞記者アーレットの2人と共に制作していることは、以前書いた。数日前、雪の中3人で撮影に行ったときから、アビの中でアーレットに対する不信感が生まれたようだ。アーレットが急に「○○という映画のように、撮りましょうよ。」とか、「それぞれの留学生のお国の音楽を入れるのはどうかしら。」とか、ちょっと当初の制作計画や趣旨から逸脱するようなコメントをし始めたことは、私もその場に居合わせて耳にしていた。
しかし、それに対するアビの対応は、完全な「聞き流し」となりつつあった。彼は彼の「作品」を作ろうとし始めていて、クレジットにも「監督 アビ」といれているし、絵コンテからクレジットから、実に詳細なイメージシートを、すでに一人で勝手に完成させている。私とアーレットの創作意欲の入る余地がないことに全く気づいていない。実は映画監督になるのは、役人であるアビの長年の夢、なのである。毎日一日に1本は必ず映画を見て(!)、役人なのにボストン大学で「TV制作」や「ドキュメンタリー」のクラスを履修。さらにはボストンの商業TV局で特別枠による、ディレクターインターンシップをする計画をたてているアビのこと。初の「監督作品」に対して、彼のイメージを忠実に再現しようと、全てをコントロールするのに、必死なのだ。
アビと2人で撮影をしているときに、「テディ、今回は、実はアーレットを呼ばないで、ナレーションを録音しようと思うんだ。」と言われたときは、正直、困ったな、と思った。あわや-14℃プロダクション、仲間割れか!?アビは続ける。「監督は2人も要らないと思うんだよね。それに、彼女がいると、あーだこーだ言って作業が先に進まないんだ。こういうのは、撮影から編集まで一気に作ったほうがいいと思うんだよね。君だって宿題もあるだろうし。」ええありますとも。睡眠時間3時間でも、こうしてアビの撮影に付き合ってさしあげてきたわ。(だって面白いんだもん)私としては、2人共いい大人で、同じプログラムのフェローなんだから仲良くやって欲しいのだが、どちらかにつかなければならないとすれば、やはり実質プロジェクトリーダーを務めているアビだろう。私としては面白い撮影や興味深い作品の編集に参加できれば、別に誰と組んでもいいんだけどさ。
でも待て。きょうの編集作業も、アビは「アーレット抜きでやろう。彼女には、少し制作が進んだ段階で僕から編集の進み具合を説明すればいい。」と言い出した。実質制作作業に入るのに、である。でも、これってなんだか腑に落ちない。私としては、アーレットとのほうが、個人的に親しくしているのだ。黙って仲間はずれにするなんて、彼女に悪いでんはないの?ドキュメンタリーのクラスのあと、タバコを吸いに外に出たアーレットに、私はとうとう伝えてしまった。「アーレット、今まで黙っていたんだけど、アビがあなた抜きで編集を進めようとしている。もう黙っていられない。」
「そう、そうなの。-14℃プロダクション、崩壊かしら。彼、うそをついていたのね。けさも、このドキュメンタリーについて、アビと一対一で話したのに。そのときは何も言っていなかったのに。。」あ~あ、まずい。どうなる!?
でもさすがベテラン政治記者のアーレットである。彼女は、大人だった。「Teddy, 行って。編集室に。アビが待っているんでしょう。(←なんだかこれだけ書くと3角関係みたいに聞こえるが(笑))私、あなたから編集のこと聞いた、んじゃなくて、偶然編集室に立ち寄った、という風にして、後でそこに行くわ。アビとはっきり話す。」
後に編集室に偶然を装って現れたアーレットは、さらに、大人だった。きちんとアビに言いたいことを冷静に伝えた。「私だけ編集に参加させてもらえてないなんて、ずるい。しかも最初は-14℃プロダクションの制作だったのに、いつのまにかあなた個人の映画みたいになっているし。Teddyにも気の毒だわ。あなた、テディを使っているのよ。」アビはしばらく得意の弾丸トークで応酬していたが、やがてしゅんとなり「悪かった。悪かったよ。これからは編集のことはすべてオープンだから、頼むよ。もともと君には音楽の選考を全面的に任せるつもりだったんだからさ~。すねないでくれよ。」アビもさすが役人。議論を丸く納める術を心得ていらっしゃる。
さて、私はどうしたらいいか。両方の言い分をそれぞれから個別に聞いているので、どっちもどっちという以上の感情は浮かんでこない。それよりも、早くこれを終わりにして、自分の宿題をやりたいのだ~。そこで、いかにも日本人らしいと言われるかもしれないが、「まあまあ、けんかしないで、仲良くみんなでやりましょうよ。-14℃プロダクションなんだから。」となんだか仲裁役となり、その場は一件落着。
そう、こんな仲間割れなんか、している暇はないのよ。その証拠に、ほら。素材のインタビューテープを全部コンピューターにダウンロードして、ファイナルカット(編集ソフト)でクレジットを作って、フォントにこだわって。。なんてしているうちに4時間があっという間に過ぎたではないか。そして、私が大学を後にしたのは、再び夜8:00PMすぎ。その間にも、雪嵐はつづいていたらしく、白い雪が綿のようにふりつもった構内の杉の木(写真)が、美しい。。けど、なんか山の中にいるみたい!?-14℃プロダクションも、”山の中で道に迷った”かのごとくであるが、何とか道しるべを見つけ、このドキュメンタリーを完成させなければならない。。そして、頼むから宿題のほうをやらせてくれ~。単位がかかってるのよ~。
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朝から晩まで12時間大学にいた日~TVマガジンの”ディレクター”はトホホ。
2.28(月)
おとといの土曜日の午後、こんな同級生からのメールが入っていた。ノーキン教授のTVマガジンクラスの今週の”プロデューサー”担当、サラからだ。
「MAJOR CHANGE OF THE GADGET SHOW!! 月曜日18:00からのクラス時間中に生で収録する予定だったTVマガジンクラスの「ガジェット~24時間7日connected」に関するゲストが、都合が合わないため、朝9:00AMから,大学のスタジオで、ゲスト部分だけ収録することになりました。以下の担当者は全員月曜朝9:00AMにスタジオに集合して。ディレクター、カメラマン1,2,3、テクニカルディレクター、音声。」今回の私の担当は、ディレクター。そう、インカムをつけ、調整室で「3,2,1、キュー!」とか、「3カメ!テロップ!」とか叫んで指示を出すあの役目である。ディレクターにも、外ロケ専門のENG(取材)ディレクターと、このように番組の進行を担当する「プログラムディレクター」と言われる人の2種類がいるのである。私は、東京で働いていたとき、幸いにもどちらもまんべんなくやらせていただいた。やめる前の5年間は、主にスタジオの生放送のプログラムディレクターをしていたので、実はスタジオワークは、得意だったりするのである。
閑話休題。月曜の朝9:00AM。メール通り、皆で集まり、たった5分のゲストコーナーを収録。アンカー担当のマイケルがスタジオに呼んだゲストはMITのメディアラボという名門研究室に所属する大学院生で、「ミュージックボックス」なるけったいな研究をスタジオでデモ披露してくれた。どうみてもVHSのケースにしか見えない箱の、20個ほどのレバーをコントロールすることで、即興で作曲ができるというもの。
「10 seconds to the runthrough...3,2,1 take camera 1!...stand-by v4 roll v4 and take v4!」
そう、私にとって英語でのディレクター初体験。きのうから緊張していた。リハーサルは、runthrough、キューはtake、”次は○○を用意”はstand-by○○ 、テープ再生はroll....、ズームインはtighten up、ズームアウトはwiden up。右にパンはpan to the right...こうしたディレクターの指示基本用語を英語で覚えるだけでも一苦労。ディレクターとしての、生放送やスタジオ収録の基本は長年の経験で身についているので、だいたいのことは体で分かっているが、いかんせん瞬発的にこうした英語の用語が出てこない。だけど、TVは秒単位でずれが画面に反映される。少しでも指示が遅れたり、間違うとだめな職業が、ディレクター。だから現実の業界人では、神経がおかしくなっている人も多い。普通の社会生活で、時計の秒針を意識して生活などしないのと同じ。秒単位で指示をばしっと指示を出し続けるあまり、実生活でもコントロールフリークになりがちなのがミソ。(その反対に私生活が自堕落になるディレクターもいるが。)
また閑話休題。大学での、朝9:00からの収録は1時間もかかって終わった。テープをチェックして、と。OK.と思いきや、プロデューサーのサラからヘルプ要請が。「オープニングのCGの作り方がわからない。手伝って。」いいっすよ。と気軽に引き受けたのが10:30AMころ。これが、このまま公式な授業開始時刻の18:00までずっと缶詰になるとは、思わなかった。。グラフィックには、番組タイトルのMASS EXPOSUREとロボットの写真を取り込もうということになった。合成がうまくいかず、お昼に。
午後になり、TVマガジンのリポーター達が次々とパッケージ=つまり事前撮りしたVTRのリポートを持って現れた。サラのCGが終わらないので、リポーターのパッケージをチェックして、その一部をteaserと呼ばれる短いVTRにまとめる役目を引き受けた。「CMの後は、マス・エキスポージャーリポーターのオノラがロボット開発の研究室をリポートします。Don't go away!」という、あれだ。
おーい。もう2時だよ。ところで、オノラのテープ、いいじゃん。MITの研究室で、幼児のように2足歩行するロボットの研究者風景を取材してある。。。でも。あれ?変だぞ、音が、音声がまったく入ってない!サラがオノラに電話する「いま州議会議事堂に取材に行ってるから、午後5時には急いで戻るって。」大丈夫なのか?そこでメーガン登場。「いま立ちレポしてきたの。すぐ最終編集仕上げるから、待ってね。」待つ間、チャンとキムリンの電気屋さんで聞いた「hot gadget best 5」の3カメ稼動のインタビュー・ピースの仕上がりを見る。
2ショットの画は、「あーこう撮っちゃったか~。」という素人っぽいフレーミングだが、仕方ない。チャンの後頭部に白いごみがついているのにも気がつかなかったのもしかたない。。3カメの意味もあまりない。キムリンが「あたし、あたしが撮ったのよ。」チャンが「おれ、おれがセッティングしたんだ。」といかにもこのロケのセッティングを自慢するので、何も言わんでおく。このゲスト、本当はスタジオに来るはずだったのだが、やむを得ず電気屋でのロケになったのだ。チャレンジは認めるが、プロの世界ではありえないことが目白押し。放送前々日にゲストが都合悪いとか、店長との2ショットがリポーターの肩越しに撮ってあるとか。(店長は、犯罪者か何かかよ!)多少腹が立つけど、いちいち怒れない。なぜなら、それでも「得意そうに」やっている同級生達がいるから。彼らに間違いを説明して彼らのプライドを傷つけないようにわかってもらえるほどの、気力と英語力は私にはない。
(→訂正・よく考えたら、時には必死になって言葉で説明するときも、ある。でも、映像のいいところは、口でいちいち言わなくても、いいもの・迫力のあるものを作って、ばしっとVTRで見せれば言葉は違えど、みんな納得する、というところなんですな。私が他の生徒を上回る成績を上げていられるのも、broadcast journalismを選んでこそ、なのである。)
それに、私は彼らを教えるためにここに来たのではないのだ。私自身が学びに来たのだから。BUのBroadcast大学院クラスのレベルは、もう少し高いと思ったのになあ。ちょっと残念。実はかなり残念。でも、私には英語というハンデがあるので、あまりえらそうな口ばかり聞いていると、同級生が、いざというときに助けてくれなくなるのである。きゃあこわい。
でも、彼らにとっては、こうしたアマチュア的なものを提出したときに、教授が辛い点をつけて返してくる(教授もばかではないのだ・アマチュア的なことをやる生徒のことは、きちんと見抜いている。)ことにすら、「がんばったのに、この点では納得できない」と言って抗議をしにいくくらいなのだ。究極のpositive thinkingというか。非常にアメリカ的というか。。
17:00PM クラスの問題児、レスリーのVTRパッケージが届いてない。電話にも出ないらしい。もう少しで彼女担当のVTRを項目表から落とそうとしているところで、彼女登場。「やっとできた!。」電話くらい出ろよ、と一同の冷たい視線。
18:00PM、オノラとメーガンのピースが完成したので、アンカーマンのマイケル、チャンに全てのビデオパッケージを事前に見せる。ようやく、全てのVTRピースがそろい、teaser(前フリのVTR)も出来上がった。と思ったらもうこんな時間。
ランダウンと呼ばれる進行表(写真)を手に、スタジオのディレクター席に座る。インカムをつける。ノーキン教授の容赦ない激が飛ぶ。「それで、Teddy,カメラ1はこの画でいいの?ランスルーするの?音声はチェックしたの?」あわあわ。へ、へえ。「それじゃあ 15セカンド トゥ ランスルー。」え、もう15秒前でっか??容赦ねえな、この教授。わかりましたよ。はいはい。
ところでランスルーの結果はあまりよくない。プロデューサーが欲張りすぎていろんなVTRを詰め込みすぎて、やりづらい。「で、Teddy、もう一度ランスルーするの、しないの?ところで、あんた何見てんの今?」は、はあ。ランダウン(ぺら1枚の進行表)ですけど。「ディレクターはランダウンじゃなくて、しゃべり原稿を見るべきでしょ。」
その原稿とは、この写真にある細かい文字のもの。ただでさえ暗いコントロールルーム。しかも英語。ぜんぜん頭に入ってこないのよ。文字を追うだけで精一杯。こんなの見えましぇん!「だって教授、これじゃあ見れないですう。」と反論すると、ノーキン、いきなり私の手からランダウンの紙を文字通り「ばしっ」と奪い取る。こ、こわーーーー。「こうすれば、見れない、さあ、本番だ!」そう来るか。鬼。
本番。ディレクターとして、ノーキンが横で「take camera2!」とか「roll V6 now!」とか叫ぶ声を必死でコピーし、インカムを通じてスタジオのカメラマン、アンカー、音声などに指示を英語で出した。30分番組。後半にはだんだん余裕が出てきた。よし、いいぞ。
収録は終わった。20:00pm。初めての英語ディレクター体験、冷や汗と恥をかきまくったが、クラスメートは「GOOD JOB!」と温かく迎えてくれた。ノーキンが私の隣でがなっていたのも、彼らには聞こえていたのだろう。人事ではないと、震えながら聞いていたに違いない。それでもクラスルームの収録番組のプレビューが終わった後、ノーキンが思いがけず、「テディ、よかったわよ。きょうのディレクター。それに朝からずうっとテープ編集とかを手伝っていたんでしょう。」などと声をかけてきた。「へ?そ、そうすけど、よかったすか?ありがとうごぜえますだ。」この先生は、ぶっきらぼうで、鬼のようだが、隅に置けない。きちんと仕事をしている人としていない人を、見ているのだ。なんだか私、この先生にはよく評価されてるみたい。
あー疲れた一日。
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Sunday, February 27, 2005
国際フェローのディナーパーティでオスカーナイト!
きょうは夕方から-14℃プロダクションの撮影を通じて顔見知りになった国際フェロー留学生のうちの一人、バーレーンのファティマの自宅にお招きされた。フェローを招いて、ディナーパーティを開くそうなのだ。集まった面々は、インド、トルコ、チュニジア、韓国、アルメニア、フィリピンと実に国際色豊か。しかもこの人たち↑いまはこんなラフな服装をしているけど、みんな国に帰ると「金融経済省」とか「中央銀行」とかに勤めてる要職のお偉いさんなんだよーん。
ファティマ(写真後ろ)が先日ロケの時に入れてくれたアラビアコーヒーが忘れられないので、リクエスト。今度は「ローズウォーター入り」アラビアコーヒーなる珍しい一杯を堪能。苦味の中に、バラの香りがただようおいしいコーヒー。きょうのお料理はスパゲティ、野菜の炒め物、チュニジアのムーラードが作ったお手製ピザ。ムーラードはいつもパーティにお手製のピザを持ってくる。生地から手作り。母国では「ministry of finance」(!)に勤める国家公務員なのに、茶目っ気たっぷり。ピザの評判はいつも上々なので「俺、ピザ屋開こうかな~。」だって。
「acoording to my religion, the only thing we dont eat is pork, and we dont eat uncooked meat, be it chicken, beef or seafood, it has to be well done.」 せっかくのホームパーティなので、私も1-2品日本食を作って持っていこうと思ったのだが、その前に「待てよ。モスリムとかヒンドゥーの人たちは食べれないものがあるんじゃ。」と思って念のため聞いておいてよかった。バーレーンのファティマは豚肉と生肉生魚がだめ。インドのアビは牛肉がだめ。そこで、肉なしのお好み焼きと白玉きなこ団子を作成した。これらの料理、特に韓国出身のフェロー一家には大好評。「韓国料理と似てる!」とのこと。他のフェローにも、おおむね受けていた。
出身は違えどすぐ仲良くなるのが子供。アルメニア人の女の子と韓国人の男の子が仲良くはしゃぎまくり。ファティマのクローゼットで秘密の”デート”中。一体何語でコミュニケートしてるんだろう。。子供がうらやましい。。
きょうはオスカーナイト(アカデミー賞授賞式)。小さいお子さんがいるフェローは先に帰り、残った面々でオスカー授賞式をあーだこーだ言いたい放題しながらTV鑑賞。プレゼンテーションの合い間のミュージック・ブレークで、何とアントニオ・バンデラス様が歌を歌っているではないか。(長年のファンなのです。)オスカーを見ながら、話はいろいろな方向に飛び火。残った面々のそれぞれの国(バーレーン、日本、トルコ、チュニジア)での、「食べ物の違い」「道端で知り合いにあったときの挨拶の仕方の違い」を話したり、興味深いオスカーナイトとなった。
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Saturday, February 26, 2005
犯人は現場に戻る!?~再びチャイナタウンですごす休日。
「犯人は犯行現場に必ず戻る」とはよく言ったものだ。
きのうでめでたくチャイナタウンプロジェクトは終わったのに、また休日のきょう、チャイナタウンに舞い戻ってしまった”犯人”とは、わたし。だって、髪の毛がぼさぼさなんだもーん。チャイナタウンのエッジにある「高雅髪廊 le gala」はキムリン行きつけのヘア・サロン。「Jimmyを指名して。」こうアドバイスをもらい、早速予約を入れてみたのだ。
Jimmyは、日本の女優藤原紀香のヘアスタイリスト・宮村浩気さん似のチャイニーズ。つまり、よく東京・青山あたりにいるヘア・スタイリストの男性みたいな容貌で44歳だそうだが、年齢より若く見える。ベトナム育ちで3ヶ国語を操る(広東語、ベトナム語、英語)国際派。この店のナンバーワンらしい。ヘアカットの最中もひっきりなしに携帯電話が鳴るし、客が男女問わず途切れなく彼目当てにやってきている。「Hi, are you Japanese?」そうフレンドリーに話しかけられる。「この店には、たくさん日本人が来ますよ。」とのこと。この店の雰囲気はインテリアも、東京によくあるようなもので、リラックスできる。待合コーナーには日本のヘア雑誌もたくさん置いてあるし。違うのは訪れる人や従業員がほとんど中国人(香港系が多い)で、広東語で話していることと、店の入り口とカウンターに中国風の赤い神棚が置いてあることの2つ。
サービスは抜群。待ち時間には、ウーロン茶やコーヒーを出してくれるし、髪を洗うときには黙っていても頭皮マッサージがついてくる。それに、アジア人が海外で髪を切るのには、同じアジア人の美容師さんが一番。白人経営のサロンだと、こうはいかない。
ジミーのカット、早い!上手!30分も経たないうちに要望どおりのカットが完成。大満足。シャンプー、マッサージもついて、30$+チップ。髪を洗ってもらったアシスタントスタイリストのステラさん(チャイニーズ)が「来週旅行で東京に行く」というので、メルアドを聞く。とっておきの東京観光情報を入れてあげよう。
チャイナタウンのスーパーで買い物。野菜の種類が豊富。最近不足している青菜を買おう。「杏仁豆腐の元」や「豆乳ドリンクパウダー」など観光気分で買い物を楽しむ。あ、生麺みっけ。にら水餃子とえび団子もおいしそう。きょうはこうした材料でラーメンを作ろう。
大学の宿題の取材の時には、カメラなどの荷物が邪魔していたのと、時間に追いまくられていて、入れなかったチャイナタウンの雑貨店にも入ってみる。驚くほどの安さ。お皿や漢方薬、インテリア用品などを扱う店には、黄金のぶたの置物も売られている。
家に帰りスーパーで買った材料を使って中国風めんの出来上がり。うまい。うますぎる。。。(←”十万石まんじゅう”かよ。。=S玉県の人にしかわからないジョーク。。)
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Friday, February 25, 2005
「チャイナタウンの安全」提出&クラスプレビューで拍手喝采を浴びる。。
朝8:20 キムリン宅を出発。雪がやんできょうは晴れ。途中行きつけのカフェ「Espresso Royale」に立ち寄って2人で朝食を買出し。たかがラテやベーグルサンドを買うために、すごい長い列にならばなければならない。人気店だから。
AM9:00 カーン教授のクラスが始まる。きょうは調査報道リポートの提出日。全ての学生のペアの作品を、プレビューし皆で批評する。私達の作品は、偶然発表の順番がトップになってしまった。部屋が暗くなり、プレビュー開始。
冒頭はチャイナタウンの新年のお祝いのライオンダンスや爆竹のコラージュ。その後、犯罪被害者のおじいさんが、傷跡を見せながら語るシーン。チャイナタウンの犯罪率データの紹介。そして”チャイナタウンのドン”ことレジーが街をボランタリーにfoot patrolする様子。「チャイナタウンには警察の目が足りない。」との訴え。そしてマンパワーを増やす代わりに警察が「監視カメラ設置」を計画していることの説明。カメラに対する市民の街頭インタビュー。市民集会。カメラ設置はプライバシー侵害と訴える弁護士さんの声。さらに、隣人が街で通りすがりの男に殺されたというメリッサのインタビュー。最後に、チャイナタウンのリーダー、ビルの「警察との協力」宣言。。
拍手喝采である。他の生徒達の作品「ペーガニズム・異教信仰とは」「赤ちゃんの手話」「携帯電話とティーンの暮らし」「ソーシャル・セキュリティーと市民の生活」「シングルマザーと生活保護」といったテーマと違って、われわれの作品ほど実際のボストン市民の生活をフィーチャーしているものはない。いかにもアマチュアらしい「collegy(大学生っぽい)」作品を作るのは嫌だったので、(元プロのあたしが制作してるんだから、当たり前なんだけど)ひときわ際立った。
カーン教授「素晴らしいわ。ちょっと音楽の過剰なところもあるけど。(すいません。調子に乗ってサントラおたくの私がたくさん音楽をいれすぎた。。)あとは申し分ないわ。シーンごとの転換にうまくナチュラルサウンドを使っているし、効果もスクリプトも抜群ね。」皆口々に「この後にプレビューするの、辛いです、先生。後がつづきませーん。」と言う。(重ね重ね、当たり前だ。ほっほっほ。)
「取材の時に、大変だったところはどこ?」このクラスはあくまでワークショップなので、こういう体験談を話して他の生徒とシェアしないといけないのだ。現実のTV業界では(日本の場合だけど)、いちいち他のディレクターに手の内をばらすことは、あまりない。その理由は1・取材先やネタ元を仲間に盗まれるかもしれないから。(競争社会なのだ。)2・締め切りに間に合ったか、や数字(視聴率)などが全ての結果なので、取材の課程での苦労についてあーだこーだ言及するのは、恥ずべし、というような傾向があるから。締め切りに間に合わなかった場合や、数字が悪かった場合に「これは、○○に取材を頼んで断られたので。。」などと言い訳しても、誰も聞いてくれないのがこの業界の常。冷たいようなのだが、断られたらすぐに次を探す、締め切りは、どんなに寝なくても死守する、それがTVという世界。
もとい、教授の問いかけにこう答えるキムリン。「チャイナタウンは、取材交渉が困難でした。e-mailアドレスを持っていない人も多く、電話をかけても”忙しいからかけなおして”という人がほとんどでした。さらにコミュニティーの特性で、英語がしゃべれない人や、白人社会に比べクローズドなところが、さらに取材交渉を困難にしていました。通りにカメラを向けても、顔を新聞で隠している人もいたし。。」うーん。この子は本当に優等生的なんだよな。カメラを向けるとカオを隠す人は、大都市にいけばどこにでもいるぜ。ま、取材交渉については当たっているけど。キムリンばかりが教授の問いかけに、ぺらぺらと流暢に答えるのもしゃくなので、私も口を開く。
「取材交渉ですが、私達は地元のフリーペーパーの記者にコンタクトをとりました。彼を通じて、いろいろな情報を得ることが出来たのです。さらに、ロケハンのために、チャイナタウンに2-3回撮影前に赴きました。」うんうん。皆神妙に聞いている。私は続ける。アメリカン・娘たちに、元プロらしいところを見せなくては。「強盗傷害事件の被害者のおじいさんの撮影ですが、もう少しクローズアップで撮るべきでした。しかし、取材交渉に行ったときは、まだ取材をOKしてもらえるかわからなかったし、OKしてもらったあとも、おじいさんは、被害現場に戻ると感情的に不安定になっていたのが分かったので、近くにあまり寄れませんでした。後になって考えてみると、もっとずうずうしく、冷静にカメラマンとして、彼をクローズアップで捉えるべきでした。後悔しています。」しかし、教授は、「わかるわ。でもあなたの判断は正しいわ。ナーバスになる気持ちは分かるし、被害者の気持ちを尊重するのは大事よ。」とのこと。
とにもかくにも、どんなにうまく出来上がったリポートでも、大学の教室でプレビューするまではどきどきであった。でも喝采を浴びることができて、キムリンと2人でやったね、とハイファイブ!
授業がハネたあと、キムリンの車で、ランチを食べに少し遠出。といっても大学から1・5kmくらいのところにある「el pelon taqueria」というメキシコ料理店へ。黒豆とチーズのエンチラーダとお米の甘いジュースに舌鼓。
「ところでさー。なんで教授は授業後に”あなたたち、パートナーとしてのコミュニケーションはうまくとれてる?”なんて聞いてきたんだろうね?」とキムリン。彼女は教授のこの問いかけに、「もちろんです。Teddyは今週うちに事実上住み込んで編集していたんですよ。」なんて答えていたのだ。
「それは、○○(同級生の名前)が、きょう、廊下で教授に”パートナーチェンジ”を申し出ていたことがあったから、他の人は大丈夫か、と心配したんじゃん?」と私。「2人組制度」のパートナーシップがうまくいかないグループもあり、すでに一組が破綻したらしいことは、聞いていた。そこで、教授に相談を持ちかけた生徒がいたのだが、そこで教授はわれわれのグループは大丈夫なんだろか、といらぬ心配をしたというわけである。
すがすがしく晴れ渡った青空。課題は提出したし、気持ちいー。3日着替えていない服を着替え、なぜか再び大学の編集室へ。なぜかというと、アビ監督のドキュメンタリーが見事「クランクアップ」したので、午後から編集作業およびナレーション作業にとりかかることにしたのである。
監督、編集マシンに大喜び。ナレーション録りにも大興奮。「撮影のお礼だよ。」とインドの観光パンフレットをたくさん下さった(写真)。素敵なパンフなので、文句を言うつもりはないんだけど、観光パンフをお礼に差し出すあたり、いかにも官僚的だなー、と思ってしまった。。あ、もちろんそんなことは本人には言いませんよ。よーくお礼を言っておきました。←あ、これ、日本人の悪い癖??
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Thursday, February 24, 2005
「チャイナタウンの安全」編集作業最終日。
ね・む・い。
睡眠時間4時間。朝食もとらずに、キムリンと2人で大学へ。朝9:00、向かう先は「ノーキン教授室」。月曜日のTVマガジンの授業の「番組収録」の打ち合わせ。プロデューサーのサラとキムリン、ディレクターの私の3人で、ノーキンの「Wo wo wo what does it mean?」に懸命に応酬するものの、いかんせん疲れた。
打ち合わせは30分ほどで終わり。再びキムリンの車に乗り「朝ごはん♪スコーン♪」と2人でうきうきと「Petsi Pies」というお店へ。自家製パイ、ブレッド、スコーンのお店。飲み物をサイドオーダーして店内の喫茶スペースで食べる。大き目のスコーンにかぶりつく。モロッコミントティーがうまい。持ち帰りで豆のキッシュ、ブリオッシュをお買い上げ。素敵なお店だが、駅からは遠いので車でないと来れない。残った午前中で編集作業の続き@キムリン宅。
なんとテロップを入れていて時間切れ。午後1:30-キムリンはバイトへ、私は授業がある。再び大学へ。授業後はブラジルのアーレットとバーガーキングでコーヒーを飲む。その後、日が落ちないうちに、再びDVカメラを持ってインドの「アビ監督」のリクエストによる、ボストンの風景撮影に、一人で出かける。「監督」は8歳になる娘さんの送迎で、多忙のため撮影にこれないので、写真のような「絵コンテ」を書いてきた。「Pan slowly」とか「Zoom in」とか。なかなか玄人はだしだけど、一人で出かけたハーバードブリッジは、-5℃の吹きっさらしの風が吹いていてさ・みーーーー!!
「こちらBUポリスですが、あなたの財布が届いています。」橋の上の撮影から帰り、部屋で昼寝に入りかけていたとき、こんな電話で起こされた。あわててかばんをさぐると、財布が、確かにない。「す、すぐ行きます。どこで見つかったんですか?」「バーガーキングのマネージャーが店内で。」あー昼の授業の後にコーヒーを飲んだとき、何気なく置き放しにしたらしい。疲れているんだ。BUポリス(大学の警察)に行くと、すぐに女性警察官が財布を返してくれた。恥ずかしいことに、財布の中身は警察によってきれいに整頓されていた。持ち主の名前を探ったらしい。BUの学生名簿をオンラインでサーチし、うちの電話が鳴ったというわけ。私は普段から財布が乱雑な女。拾われた上に整理までされるとは、恥ずかしいこと極まりない。
夜8:30、キムリンのバイト終了後に再び彼女の家でテロップを入れる作業。彼氏のジョンが、夕飯を作ってくれた。私も家から「韓国風お好み焼き」を差し入れた。すぐ終わると思われたのに、フォントにこだわったりしているうちに時間はみるみる過ぎた。さすがにうつらうつらするキムリン。おまけに音声もfixしなければならず、終わったのは1:00AM。
リポートのできはとてもいい。キムリンのソファで寝るのもきょうが最後と思うと、なんだかさびしいから不思議。外はまた雪。
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Wednesday, February 23, 2005
It sucks!!!~編集作業5日目に”日本人気質”を思い知る。。
きょうはTVニュースルームの授業の日。朝9:00には、誰が正午にこんなカオスが起きることを予想しただろうか。
きょうの私の担当は、「記者」として、ブッシュのヨーロッパ訪問の原稿1分と、ブッシュ暗殺計画を企てたとされるサウジアラビア出身の男性の家族が「無実」を訴えている、という原稿1分半の2本を書き上げ、編集マンのチャンに編集してもらい、スタジオでは「カメラ2」を担当するというもの。
原稿を書き上げチャンに持っていくと、なぜか彼は「挑発モード」に入っていて、とうてい理解不能な行動に出た。「どのカットを何秒欲しいんだい?今すぐ決めて逐一俺に伝えてくれればいい。あー、編集機のボタンは触らないで。仕事の分担だから!」どうしたらこういう態度が取れるんだろう。まるでベテラン編集マン気取り、である。あきれた。少し一緒に協力して映像を選べよ。お前は機械のオペレーターか!あと少しで、きれそうになった。あとで別の同級生に聞いたところ、この「仕事の分担」発言は前の週に別の学生が編集室で彼に言った言葉であることがわかった。ははーん。若造、まだキャリアがないもんだから、他人の影響を受けて、鵜呑みにしたんだな。
そのあと、スタジオではさらなるカオスが待っていた。リポーターの作ったリポートのビデオがスタジオに届いていない。カメラマンが一人足りない。中継リポーターに教授の指示が伝わっていない。(トランシーバーのせい)さらに、音声マンの操作が不慣れ。「This is ridiculous..」途中でインカム越しに教授がつぶやくのが聞こえた。
私のカメラのフォーカスが合っていない。(だってスタジオカメラだぜ~。扱いに慣れているほうが不思議なんだって)しかも、私の担当はアンカーズの2ショットだけって聞いたのに途中でズームインを要求され、失敗。リポーターズパッケージは届いたものの、3本のうち一つの出来があまりにひどく、途中で教授が「なんじゃこりゃ。もうスタジオに降りよう」とカットされる始末。しかも記者の書いた一部の原稿が、プリントアウトはあるものの、パソコンにセーブされてなかったので、プロンプターに上がってこない。
「放送」後、クラスで教授のお小言。「それぞれの役目をきちんと忘れずに果たしなさい。原稿はセーブしなさい。”ズームはカメラの取っ手の左手側”なんてことを、次回は私に言わせないように。解散!」誰が悪いわけでもない。皆がそれぞれなーんとなくぼーっとしていて、こんなことに。終わった後、教授がいないところまで遠ざかった後、皆で口々に「It sucks!!」(きょうの授業、最低!!)これが正直な感想。
午後、例のインターナショナル・フェローたちのミーティング風景をカメラマンとして撮影に。アビ監督のドキュメンタリープロジェクトで使用する予定。
つかれた。キムリン邸に帰宅。編集作業の続き。夕飯は、ピザ。キムリンたちは、お隣さんと仲がよくて、1日に2回は声を掛け合うだけでなく、車に乗せてあげたり、TVを一緒に見たりする。きょうのこのピザも、お隣さんカップルのグレッグとサラとシェアすることになり、めでたく5人でテーブルについて、盛大なピザディナーに。「ピザ買ってきたんだけど、食べない?」なんて、日本だったらめったにお隣に声はかけないだろうな。
キムリンが私が編集する脇で、踊っている。ナチュラル・ハイになってきている。ノーキン教授のモノマネが、今のブーム。「wo wo wo what does this shot mean? What are you trying to say? Explain.」学生が、ちょっとでも意味のないカットを編集すると、教授が必ず口をとがらせて突っ込みを入れるときの、決まり文句だ。表情はちょっと困惑気味、両手を広げ「わからない」のポーズをし、矢継ぎ早に生徒を攻め立てるのがポイント。日本語に訳すとすれば「な、な、な何このカット?意味が分からない。説明してちょうだいよ!。。」てな感じか。
「My voice over is too slow.」突然こう切り出す彼女。え~こんな時間に(締め切り二日前の夜10:00)ナレーションを撮り直しかい?へいへいおじょーちゃん、おいらが一人で作業していたら、こんなことはしないぜ。しめきりが近すぎる。。ま、しょうがない。1日前、「もっとゆっくりナレーションを読んで」と指示を出して、録音を担当したのは私だった。日本ではナレーションはゆっくりめ、と相場が決まっているが、ここアメリカのニュースでは全てが「fast-pased」早口で、矢継ぎ早に、急きたてるように、テンポよく伝えないといけないんだって、さ!!はいはいわかりましたよ、撮ればいいんでしょ。。左の写真上の白いものは、私達はナレーション撮りを行っている風景。ノイズをシャットアウトするために「特設スタジオ」もとい、ベッドカバーを被った中に入ってキムリンの朗読を録音したのである。傍から見たら「キャンプで怖い話をしている小学生2人組み」のように見えるのがミソ。
何事も完璧主義のキムリン。このナレーション撮り直しの後は、さらに、すでに編集されているリポートの冒頭部分の「だめ出し」。えー?こんな時間(夜12:00)にぃ?「あまりテンポがよくないと思うのよね~。直さない?」さすがに私もちょっとこれには内心むかっとしたものの、「日本人」特有の”いい人ぶり”を発揮。「いいよ。」と言って、冒頭を直しにかかる。しかし、うまくいかない。
「キムリーン、ちょっと辛いな。直すのは。さっき実は私真ん中あたりを直していたんだよね。一度最後まで編集してから、冒頭を直したほうがいいよ。」しかし、これにはキムリンが反論。
「えー。さっき、Teddy”冒頭直すの、いいね。”って言ったじゃん。何であの時はっきり”いやだ”とか”後でね”とか言わなかったの?」
「えーとそれは、日本人特有の”思っているけど、言わないで、心の中に込めている”っていうやつなんで。。」
「知ってる。だけど、Teddy、それはやめたほうがいいわ。授業中も、Teddyは静かじゃない?もっとばんばん意見を言ってよ。私達もあなたの経験から学びたいんだし。」
うーん。それは正論だけど、アメリカ人のすんげー早い議論の応酬に、あわわあわわ、いつ入ろうか、と躊躇しているうちに、たいがい議論が終わっているのが現実なんだよ~ん。われわれ日本人は、英語はともかくとして、とにかくこういう「意見の応酬」に慣れていない。ひとつには、ペースの問題。ああ言えば、こう言う、という感じで秒単位で「しゃべってなんぼ!」と切り返すなんつう議論の訓練は子供の頃から受けてないのよ~。しかも、「こんなこと言ったら相手が気を悪くするかな?」という麗しき「assume=気遣いの文化」があるなんて、どうしてアメリカ人のキムリンが知ろうものか。。
とにかく、その場は自分が「日本人であること」を痛感。それを、この娘に説明しながら、「でもあたしは別にアメリカ人になるためにここに来たわけじゃ、ないんだよな~。」とぼーんやり思っていた。「皆がアメリカ人のようにアグレッシブで、アサーティブじゃないと、いけない。」と思い込んでいるアメリカ人。これを、「アメリカ病」とでも呼ぼうか。
ところで、キムリンの指摘は、正しかった。私がいやいや直した冒頭部分は、ことのほか、すっきりとまとまり、いい感じのオープニングに、なったのだ。「やった!いーじゃんいーじゃん。!」こんなこと、しているうちに夜中の2時だよ。とーほほ。まだ、テロップ入れてないから明日もこの家にお泊り決定だし。。とほほ。
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Tuesday, February 22, 2005
編集作業4日目。~合い間にきのうも撮影、きょうも撮影。。
ここはどこ??
目覚めると、しばらくここが何処なのかつかめない。起き上がると、そこはソファ。キムリンの家の居間。寝ぼけ眼で見渡すと、そこにはコートを着たままぼーっと3m先の玄関口から、こちらを観察している、背の高い一人のやせた若い男が視界に入る。あ、キムリンの彼氏のジョンだった。おはよーごぜーますだ、とは言わないが、そう、この家には彼女の婚約者が同居してるんだった。きのう朝方までキムリンのMACで「チャイナタウンの安全」を編集していたので、起きるのが遅くなってしまったのだ。もうキムリンは起き上がって、編集作業を先に進めているようだ。
ところでキムリンの彼氏はなんと、ネイビーなのである!そのために、週に何回かはむちゃくちゃ早く起きてネイビーの事務所に行ったり、時にはキャンプに行ったりするらしい。キムリン達が「オフィス」と呼んでいる2人のコンピューター・ルーム兼書斎には、彼氏のカーキ色の制服も吊るしてあるし、白くてつばつきの帽子も、無造作においてある。(2人には内緒だけど、試しに被ってみた。アメリカにいるのにアンチアメリカ派の私には、鳥肌が立ってきたのであわててやめた。)ひええ。何か私とんでもない人たちと関わりになってる?でも彼らのメンタリティーは、至ってフツーの「今どきの若者」。それでも、ジョンは、夜AM1時過ぎに床に入っても、朝8時にはもう机に向かっている、勤勉なMIT生。アルコールもタバコもやらず、規則正しい生活を送っているし、とても物静かで思慮深い。(アメリカ人にしては、という程度だけどね)2人の家はとても整理整頓されているし、家具や生活用品も高価なものを使っている。キムリンはもし彼氏がイラクに送られたら、どう思うんだろう?とふと思ってしまった。
PM15:30 放送クラスの同級生、オノラの取材である「BUの学生、ポルノ雑誌を発行」という話題の、リポーター・スタンドアップを撮りにニューベリー・ストリートに行く。なぜボストン随一のお買い物ストリートへ行って立ちレポートを撮るのか。それはNewbury ComicsというCDや雑誌、フィギュアや小物を売っている店で、前述の「Boink!」が売られているとわかったから。彼女は店内で立ちレポートをやろうと思って、店に連絡を取ったのだが、なぜか店長が「雑誌の編集部に腹をたてていて」撮影は断られた、という。「Boinkの編集部は最初、”ヌード雑誌ではない”とうそをついてあの店に雑誌を置かせてもらったらしいの。」しょうがないので店の前で店のサインを生かしながら彼女の立ちレポートを撮る。カメラマンは辛いよ。フレームを決め、彼女を手前に歩かせる、店の看板にPAN。なかなか決まった。オノラ「いえい!」やっと年相応のはしゃぎぶりが、出たね。彼女はなかなか神経質というか、撮影も、宿題も、何もかもかつかつ進めたがる。写真は、撮影したテープを、路上で彼女のMACにダウンロードするオノラ。
そのままチャイナタウンに向かう。今度は調査報道リポート「チャイナタウンの安全」の最終取材先に赴き、一人でカメラをセッティングして、インタビューもしないとならない。地下鉄の駅のベンチで、資料にもう一度目を通す。きょうアポを取ったのは、「Chinatown Neighborhood Council(チャイナタウン評議会)の会長であるBill Moyさん。夕方18:00から評議会の月次集会があるので、その30分前に会場に来てくれれば、話をするから、とのことだった。会場は、チャイナタウンのど真ん中にある教会、「St. James Church」こと華人天主教会。ドアは固く閉ざされているけど??と思って通用門の前でたたずんでいると、後ろから「Are you Teddy?」と声をかけてくるおやじがいる。「もしかして、ビルさん?」想像していたより、ずっと年上の人であった。
ビルさんは、チャイナタウンの犯罪監視カメラ設置を最も強く推進する一人で、またまたチャイナタウンの有力人物。ボストン警察や、ボストン市へ、チャイナタウンを代表して発言する立場にあるおやじさんである。まずはおやじをカメラの前に立たせてインタビュー。教会の集会室を見回すと、インタビューの背景にぴったりな額縁があった。「愛」という漢字が毛筆で書かれている。ビルは「チャイナタウンに警察の目を向けさせるために、警察とのパートナーシップを強化する。監視カメラはそのための第1歩。」と力説。
このビルさん(写真上、中央)、よく見ると日本の熟年俳優「中尾彬」に似ているような。。っとっと、集会が始まった。それにしてもこの集会の参加者、まさに「チャイナタウンのご意見番」達が集まっているようだ(写真下)。みんな意見が鋭い。例によって、集会の撮影は、始まる前に私から許可をお願いしないといけなかった。許可が無事下りたとき、つい私は日本人流の「お辞儀」をしてしまった。ばかである。
何とご意見番たちは、議論の途中で、都合が悪くなると、「あ~そこのgirl!(あ、あたいのこと!?)今の意見はオフレコだから、使わないように。」などと念を押してくるほどずうずうしいのであった。それでも、集会終了後は、なんだかみんなに「どんな取材をしているの?BUの学生さんなんだ、へえ~」などと声をかけられ、ちょっとした人気者気分を味わった。。あ~疲れた。けどきょうも面白かった。
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Monday, February 21, 2005
雪の中、インタビュー撮影ラッシュ!~国際色豊かなフェローシップ留学生・学生ヌードモデルを直撃。
朝、ブロードキャストクラスの同級生、キムリンのアパートのソファで目覚める。外は一面の雪。きのうの晴れ渡った空はどこへやら、気候は急激に変化した。「That's New England!」ビスケットの朝食の支度をしながら、キムリンがキッチンのカウンター越しに言う。
きょうは祝日のため大学は休み。午前中、調査報道クラスのチャイナタウンネタの映像編集作業を、キムリンの部屋で共に進める。午後は、キムリンが地元TV局のバイトへ、私は-14℃プロダクションの撮影に「カメラマン」として、参加するためにそれぞれ出かけた。
インドのお役人・アビ監督と共に向かったのは、~大学から徒歩5分のところにある、ボストン大の学生寮のうちの一つ。アビの所属するフェローシップ・プログラムのために、留学生のドキュメンタリーを作っていることは、2.18の投稿に書いたが、きょうは、そのメイン・コンテンツである留学生のインタビューを撮る日。彼ら彼女らが住んでいる寮の部屋をカメラを持って回り、4人をインタビューした。インタビューアーは-14℃プロダクションのco-producerであるブラジルの元新聞記者、アーレット。写真←の下が-14℃プロダクションの集合写真。監督兼プロデューサー・アビ、インタビューアー・アーレット、カメラ兼編集マン・私。なかなか決まっているではないか。まるで本物のTVクルーみたいだ。
まずはオマーンの中央銀行の投資銀行部門で働くアリの部屋へ。アリには若くて美人の奥さんがいるが、「中東のしきたりで」客であるわれわれの前には姿を現さなかった。インタビューによると、アリにとって”「超大国アメリカ」について、その経済のメカニズム、市民生活、ITテクノロジーを学ぶのは、とても貴重な体験”とのことだ。次はケニヤのジャーナリスト、ジャマイマの部屋へ。ジャーナリストとしてケニヤで働いていたときは、仕事に追いまくられていたという彼女、フェローとしてボストンに来ることは、”24時間眠らないニュースルームから離れ、キャリア形成を考え直すいい機会”、と発言。うーん、どのフェローも、みんな発言に含蓄があって、いいねえ。。やはり、フェローに選ばれるだけのことはある。彼女の家族の写真やアフリカの絵画などをブツ撮りして、終了。ケニヤの国旗をジャマイマの後ろに置いてみたり、昔取った杵柄というか、東京で働いていたときの経験をフルに生かしながらのインタビュー撮影、なかなか楽しいぞ。
次のセルビア出身・ゴルダナは、祖国では国営銀行の財務部長。しかし、身長170cm超(推定)、黒髪と黒い目の美しいすらりとした超・美人。才媛とは彼女のためにあるような言葉。黒い細身のズボンに、ピンクのシャツ・ツイードのジャケットとコーディネートもお洒落。女の私が、見とれてしまうほどき・れー。「銀行よりも、モデルになったほうが、いいんじゃない?」と皆で口々に彼女の美貌を褒める。アーレットの「ボストンで体験した面白い話があったら、聞かせて。」との問いかけに一生懸命面白い話をするものの、生真面目な性格がにじみ出ていて、あまり面白くない。。(Never mind!)最後は、バーレーンのファティマ(写真↑)。国営銀行で国のインフラ整備のためのファンドを手がけるほか、大学の先生でもある。こちらも才媛だが、親しみやすいスイートな性格の彼女。お国の伝統衣装を着てもらい、インタビュー。「コーヒーはいかが?」終了後、部屋でアラビアスタイルの濃いコーヒーをご馳走になる。う・まーー。
アビが個々の留学生の部屋に分刻みでアポを取ってあったので、2時間も経たないうちにそれぞれのインタビューは終わった。余談だが、この寮、他にもたくさん留学生が住んでいるせいと、建物が古く換気が悪いせいで廊下には、カレーやら、スパイスやら、キムチやらいろーんなエスニックな匂いがこもっている。たとえばある階では、エレベーターを降りた途端、芳しいお香の匂いがぷんぷん。前述のファティマが焚いていたアラビアのお香の匂いが、階全体に立ち込めていた、というわけである。
きょうはあと2件インタビュー撮影がある。そのうちの一人は、なんと、現役女子大生ヌードモデル!!クリスティンはまだ18歳(写真)。将来は美容整形を勉強してドクターになりたいという、正真正銘のBUフレッシュマンだ。今週の放送クラスのTVニュースルームの授業で、同級生のオノラが記者、私がカメラマンの担当。この取材はオノラが仕込んだネタ。そのネタとは、何と過去半年ほど物議を醸していたボストン大学の学生主導によるヌードマガジンというか、ポルノマガジンである「Boink!」の新刊について。「大学生のためのカラダ知識マガジン(the college guide to carnal knowledge)」を合言葉に、ボストン大コミュニケーション学部のジャーナリズム専攻の学部生アリシア・オレユリックさん(21歳)が生が立ち上げたこの商業雑誌、書店で売られていて、A4判オールカラー、トータル90ページの月刊、値段は一部7$くらい。もちろん大学の公式承認を得れるはずもないけれど、「学生による学生モデルをフィーチャーした」雑誌は、地元メディアの注目を集めている。その新刊第1号で「脱いで」しまったクリスティンはナチュラルメークが決まっている、なかなかの美少女。「脱いだことは後悔していないし、私の将来のキャリアに影響を及ぼすとも思わないわ。むしろ綺麗に撮って貰ってうれしい。」こ、これでいいのか~ボストン大学!と思わず叫びたくなるほど、インタビューを撮影しながら心の中でのけぞりまくる。
「ボインク」の公式フォトグラファー(彼は学生ではなく、プロ)であるクリストファー・アンダーソンさん(写真)は、「学生さんのヌードをプロとして撮影していく」と公言。この雑誌、日本でよくあるような女子大生の素人ヌードばかりを載せているB級雑誌?と思うなかれ。表紙(写真↑)はレズビアンぽいし、ページをめくると若い大学生ゲイカップルが共にシャワーを浴び、ベッドでたわむれていたり。。女子大生ヌードは2組のみで、「ストレートも、ゲイも、レズビアンも」性癖を問わずに楽しめる雑誌となっているのがウリのようだ。。ちなみに、ボストンエリアでは、この「ボインク」に先立つことおよそ1年、ハーバード大生(!)によるハーバード大生のためのポルノマガジン「H Bomb」がすでに刊行され、人気を集めていることも、書き記しておこう。
疲れたが、好奇心が満たされたきょう。夜はまたキムリンの部屋に「帰宅」し、朝4:30まで編集の続き。チャールズリバーの向こうの夜景がきれい。
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Sunday, February 20, 2005
「チャイナタウンの安全」編集作業2日目~追加撮影敢行!
またまたよく晴れた日曜日。 PM2:00 キムリンの住むMIT・マサチューセッツ工科大学の寮へ。キムリンの彼氏、というか婚約者はMITの院生で、2人で一緒にMITの寮に住んで同棲している。ここはMITの学生が、家族や彼女(”婚約者”でないと入寮できないらしい)と一緒に住める、高層マンションタイプの寮。窓からは、すばらしいチャールズ・リバーの眺め。うらやましい。ボストンエリアは、川のどちら岸に住むかで、眺めが全然違ってくる。↑こ・れ・が、私がボストンに来る前に思い描いていた、部屋からの眺めのイメージなのだけれど、私の部屋からは、こんなグレート・ビューは望めない。しかも彼女達の部屋は、高層階のうえ、2面に窓があって、目の前に視界をさえぎるものがないので、日当たりも最高。繰り返し、うらやましい~。
彼女の部屋で原稿を確認していて、不穏なことに気がついた。先日チャイナタウンに犯罪監視カメラが設置されることを書いたが、私達がその監視カメラの存在を撮影したときは、夜だった。待て。夜の映像だと、編集したときに、他の収録映像とかみ合わないのではないか?デイライトの下で、念のため監視カメラを撮影しておいたほうがいい。
PM3:00 思い立ったが吉日。あすは雪か雨かもしれないのだし。キムリンの車で、2人チャイナタウンに向かう。道すがらマサチューセッツ州議会堂の前に、「Patriots(アメフトのチーム)優勝おめでとう!」の垂れ幕を発見。(写真)無事チャイナタウンに着き、監視カメラを日の光で撮影したあと、突然キムリンが言い出した。「私達、犯罪の被害者とか、住民の安全を考える会とか、いろいろな人の意見を収録したけど、本当のチャイナタウンの人の意見を聞いてない。」
「追加撮影だ!街頭インタビューだーー!!」2人して意見が一致したので、突然ハンドマイクを大学のカメラSONY VX2000につなぎ、チャイナタウンの通りすがりの人に突撃インタビューをすることにした。私が手持ちでカメラを持ち、キムリンがインタビューアーを担当。なんだか本当のTVクルーみたい。
だんだん日が落ち始め、気温はおそらく-3℃前後。「さむーいい。手が凍りそう。」かじかむ手をさすりながら、キムリンがばしばし通りすがりの人に声をかけていく。「近々、チャイナタウンを見張る、犯罪監視カメラが設置されるんです。すでに、一つはその交差点の信号の上に設置されているんですけど、あなたはどう思いますか?安全が増すと思います?それとも監視されてて落ち着かない?」あまりいい意見が撮れないので、飛び込みで、交差点の目の前にあるチャイニーズ・ブライダルショップの店長を道端に誘い出し、突撃インタビュー。私達、2人とも思い立ったら止まらない、同じ射手座・ガールズなのだ。。
無事追加撮影も修了。キムリンの寮に帰ると、もうPM7:00ではないか。MACにデータをダウンロードし、編集作業へ。。と思ったら、またナレーション原稿を書き直す必要性が出てきた。キムリンお手製のパスタの夕飯をいただき、2人で原稿を書き直しているうちに夜が更けてきた。完成したのは夜というか朝1:00AM。
「さ、ナレーション撮るよー。キムリン?」「あー眠い。明日の朝にしない?私の声も眠そうに聞こえるし、じゃ、毛布はそこだから。あしたねー。」週末とあすの祝日は大学の編集室が閉まっているため、彼女の部屋にあるMAC G4のFinal Cutで編集することにしたのである。つまり。。これから完成まで毎日、この寮に泊りがけ、決定、である。アーメン。「あした、1週間分の着替えとはぶらし、持ってきてねー。じゃ、おやすみ。」泊りがけで編集なんて、これじゃあ、まるで本当のTVディレクターみたいじゃない.
あ~、自分の部屋で眠りたいよお。
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Saturday, February 19, 2005
「チャイナタウンの安全」編集作業1日目~飲んでる場合!?
土曜日。穏やかな陽射しがキャンパスを照らしている。でもきょうから、「チャイナタウン・セーフティ」と題した調査報道クラスのリポートのポスト・プロダクション、つまり編集・後処理作業に入る。締め切りは来週の金曜日の朝9時なのだ。予定尺(duration)は3~5分とはいえ、60分テープが3本も回っている。インタビューした人の数は7人。どれだけ時間がかかるかは、読めない。とにかく早くとりかかったほうがいい。
AM10:30 同じビルの階下に住む同級生のチャンに部屋まで来てもらい、チャイナタウンで刺されたおじいさん、リーさんの広東語インタビューの翻訳を頼む。プロのTV制作の仕事でも同じように、編集がある程度進んだ段階で翻訳さんを呼び、タイムコードを記した大体の荒い訳を書いた紙を作ってもらう。今回は、プロの仕事と同じように、カメラでインタビューテープを再生しながら、逐次翻訳をPCにタイプしてもらった。チャンへは感謝の気持ちをこめ、私のお手製ジャパニーズ・カレーランチをご馳走。「うまい!」とチャン。なぜか私の周りのアジア人は、みんなこの日本のカレーが好き。そういえば、チャンは日本のカレーうどんも大好きだそうだ。
PM1:30 電話。大学の撮影パートナーのキムリンからだ。「これからそっちに行くから。」きょうはこのチャンの翻訳などを元に、、「チャイナタウン・セーフティ」のナレーション原稿を完成させる日。ワシントンDCから彼女を訪問中のベトナム人の友人を伴って、部屋にやってきたキムリン。たった今昼食をすませてきたばかりだというのに、「あ、カレーだ。」といって、私のカレーをつまみ食い。細いのにね。どこに食べ物が入るのか。。
ナレーション原稿については、キムリンと激論を戦わせ、構成をひとつひとつ組み立てていった。久しぶりに体が熱くなるほど、議論してしまった。TV業界素人に近い院生とはいえ、キムリンの指摘はなかなか鋭い。私は英語なので、どうも物言いが柔らかくなってしまうものの、ナレーションや、構成となると、元TVディレクターの腕(?)がうずく。彼女の構成の甘いところをばしばしと指摘して、何とかお互いの妥協点にたどり着いた。キムリン、手ごわいぞ。 とはいえ、PM18:00 キムリンの友人、キムリンの彼氏、私の4人で、TavernというBritish pub風のレストランに夕食に行く。
これは、Bass Aleビールを注いだ上に、Guinessビールを注いで作る、ハーフ&ハーフビール、題して「Black & Tan」。下半分がクリアなバス・エールで上半分がダークなギネスという珍しいビールでかんぱーい!
って、飲んでる場合!?果たして、宿題の映像編集は来週金曜の締め切りに間に合うのか!?
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Friday, February 18, 2005
-14℃プロダクション、始動!
「監督」は、約束の時間を待ちきれなかったらしい。
「Teddy~!!こっちこっち!」明らかに3:00PMよりも前から学生カフェテリアの前で、私を待っていたらしく、寒さと興奮で紅潮した頬で私を迎える-14℃プロダクションの「監督」、アビ(写真)。「さ、行こうか、Teddyカメラマン。あ、カメラバッグ、持つよ~。いや~きょうはいい日だ、いい日。やっと撮影が始められるなんて。君は僕にとって”神様”だよ。これが、カメラかあ。うん、いいね。」
い・や~そこまで言われると照れるな。ことのはじまりは、ドキュメンタリーの授業。同じクラスをとっているインドIT省のお役人であるアビと、ブラジルの元新聞記者アーレットの2人と共に「-14℃プロダクション」を旗揚げしたことは、以前書いた。アビがドキュメンタリーの企画をすでに一つ書き上げ、教授の承認を求めていることも知っていた。企画は私にe-mailですぐに転送されてきたけれど、本業のジャーナリズムのクラスの宿題で忙しくてそれどころではなかったので、アビの「いつ撮影に協力してもらえるかな?」の問いかけにも、ずっと答えをペンディングにしていたのだ。それが、ひょんなことから、きょう、私のスケジュールもOKになり、カメラも入手できたことで、記念すべき第1作目のドキュメンタリービデオのクランクインをすることになった。
アビのたてた企画は「Soul searching」といい、アビの所属するフェローシップ・プログラムの紹介と、国籍もさまざまなフェローシップ留学生達が、どんな生活を送っているのか、インタビューを交えて明らかにする、というものだ。長さは20分を想定。さ、アビ監督、お手並み拝見といこうじゃないですか。いきなりBUブリッジと呼ばれる、キャンパスの外れにある、ボストン市街のスカイラインが見渡せる見通しのいい橋の上につれていかれた私。「で、アビ監督、どんな絵が欲しいんですか?」とちょっと、カメラマン気取りで意地悪気味に聞いてみると。。
「橋の向こうから大学に向かって、ゆーっくり左から右にPANしてもらえるかな。」あら。放送ジャーナリズムの学生よりも明確な指示。アビは、驚いたことに頭の中にどんな絵が撮りたいか全てイメージが完成していたうえに、ナレーションまで完成させていた。完成しきっていて、私のクリエイティビティの入る余地がないほどだ。グレート・監督。でも彼はインドの国家公務員だ。お役人といえば、「○○3カ年計画」とか、計画を立てるのはお手の物なのだろう。恐れ入りました。
アビは私が「じゃ、こんな感じの絵は?」と、ばしばしとズームインや、パンを決めていくと、「Excellent!! Beautiful!!」
とデジタルカメラの液晶モニターを見ながら感動しまくっていた。撮影に行くことが決まった昨日から、子供のように喜んでいたアビだったが、きょうは1stカットを撮り終えるなり、「マフダだ!」という。マフダって?「インドではファーストカットのことを、マフダという。ずっと撮りたいと思ってきたドキュメンタリーのマフダが君のおかげで実現できてうれしいよ。いや~きょうはいい日だ。」そんなにうれしく思ってもらえるとこちらも嬉しいですわ。
そして、アビ監督と共に、BUのキャンパスの代表的な景色をあちこち撮影して回り、フェローシップのディレクターであるロシア人女性教授のインタビューも収録。監督と、助監督のアーレットから「プロファイル・ショットみたいに撮って」と無理な注文が出る。インタビューで、横顔のクローズアップみたいなカットは、カメラが2台ないと撮影できないのよ~。「まずは正面からインタビューしている人の顔を見せないと、変でしょう?。。」一応「元プロ」の風を吹かして、2人のいい大人にアドバイスなどしながら、時間はすぎていく。
「きょう、フェロー18人とその家族と教授で、郷土料理持ち寄りのポットラックパーティがあるんだけど、来ない?もとい、そこでの雰囲気を撮影してもらえないかな?」いいよ~。お安い御用。アルメニア、ケニヤ、オマーン、インド、パキスタン、タイ、韓国、ブラジル。。ほんとうーにインターナショナルなパーティで、わたしことTeddyカメラマンは、アビ監督に手持ちマイクを持たせて、参加者のカジュアルなコメントを撮影したり、浮かれて踊る人々の風景を撮影したり、大忙し。しっかりと、彼らの作った実にインターナショナルな手料理も、ただでご馳走になれて大満足の一日だった。
このドキュメンタリー、5月に行われる大学主催のフェローシップの修了式での上映が予定されているとのこと。私の名前も「チーフカメラマン兼エディター」としてクレジットで入れてくれるそうなので、期待したいものである。
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Thursday, February 17, 2005
チャイナタウン取材とキャンパスを行ったり来たりの長い一日。
きょうは、チャイナタウンの取材とキャンパスを行ったり来たりの長い一日となった。
AM9:30 チャイナタウンにある全米人権擁護連合のマサチューセッツ支部に赴き、弁護士さんにインタビュー。近々チャイナタウンに設置される犯罪防止のための監視カメラがプライバシーの侵害だ、との声を挙げているサラ・ウンシュさんのコメントを収録。
AM10:30 チャイナタウンの住人で作る「Chinatown safety forum」のメンバーでチャイナタウンの住人のメリッサ・ローさんにインタビュー。住人の立場でチャイナタウンの安全についてどう考えているのか、コメントを収録。飼い犬のチワワ♀「モンモン」ちゃんを連れて現れたメリッサさん。チャイニーズなまりの全くない、きれいで流暢な英語を話す、中国系移民の娘さん。
AM11:00 メリッサさんと共にチャイナタウンの一角のストリートに移動し、殺人事件の現場を撮影。メリッサさんは、去年の7月、隣人がその事件の被害者となったことをきっかけに、safety forum参加を真剣に考えるようになった。ここ(写真)は亡くなられたご老人が血を流して倒れているところを発見された場所。事件のことは、私がボストンに来る前のことで、知らなかったとはいえ、痛ましいこと極まりない。70代のチャイニーズのおじいさんが、朝7:30ころ、公園で朝の日課、太極拳を終えての帰り道、物取り目的の何者かに襲われ、刺されたというもの。このおじいさんも、英語は話せなかったらしい。ここは、いつも私がチャイナタウンの取材のたびに行ったり来たりしているところ。スターバックスやダンキン・ドーナツもある人通りの多い一角なのに。。
昼1:00 ロケ一旦終了。機材ごとチャイナタウンにあるベトナム料理店に入り、昼食にフォーをいただく。氷点下(-2℃前後)の中で街頭ロケをしていたので、体が冷え切っている。
キャンパスに戻って授業に出た後、再び夕暮れのチャイナタウンに、大学のカメラ機材を担いで一人で戻る。PM18:00 「Chinatown safety forum」の月次集会を取材。撮影パートナーのキムリンは地元TV局でバイトがあるので、この取材は私一人で引き受ける。チャイナタウンの住民で構成されるこの集会、「アパートのお隣に空き巣が入った」「警察に電話してもなかなかチャイナタウンに来てくれない」「監視カメラは必要」などの意見が飛び交う。
アメリカでこうした集会を撮影する場合、たいてい、主催者側にコンタクトをとっただけでは許可がもらえない。集会が始まる前に、自己紹介をし、撮影の意図を参加者全員に分かってもらわないとならないことが多い。今回は、「チャイナタウンの安全について取材をしているボストン大学の院生」ということで、嫌がられるどころか、大歓迎された。集会後に2人の参加者の意見を、個別にインタビュー収録。チャイナタウンに30年以上住んでいるという主婦の方などは、なかなか話終わらないほど。皆口々に「チャイナタウンは以前ほど安全な場所ではなくなった」と言う。
PM8:00 バイトを終えたキムリンと合流。再びチャイナタウンに戻り、何と夜の街頭撮影。今回の狙いはずばり「怪しい人、麻薬の売人、娼婦などチャイナタウンの危ないイメージ」いるいる。何をすることもなくぶらついている怪しい黒人さん、「私を撮らないで!」と叫ぶカメラに異常な反応を示す怪しい女性。。一人でも撮影は大丈夫、と言ったんだけれど、キムリンは「Teddyを危険な目にあわせたくないわ。私もバイトが終わったら行くから。」ときかない。
一ついいことがあった。チャイナタウンに警察が設置した、小型監視カメラが、チャイナタウンの目抜き通りの頭上に、見つかったのだ。「Chinatown safety forum」に出席したら、「ボストンポリスが17個設置する予定のカメラのうちの2つは、もう設置されている」というではないか。写真↑の、ストリートサインの右側の小さい白いおわんのようなものが、それ。これが、警察の監視センターとつながっていて、通りで起きている犯罪や事故を、24時間監視するカメラだというから、驚く。とても小さいし、カメラとは気づかないような形。
やがて時間がたち、怪しい人があまり見つからないのでキムリンの車に乗り、車中から撮影することにした。あ、娼婦らしい女性がまたストリートを歩いていく。。ハンドルを握りながら、キムリンがすかさず叫ぶ「Teddy, get the hooker!!!There! She's leaving! Hurry up!」はいはいはいはい。。撮りますよ、撮りますから待って。。
PM 9:45 無事「ミステリアス・ピープル」を撮れたので、家に帰り。。っとっと。きょうはボストン大学のコミュニケーション学部とビジネス学部MBA課程の皆さんとの懇親パーティが、近くのバー「Copper field」で開かれているのだ。なぜ、こんなに疲れきっているのに、飲み会に行くのか、答えはひとつ、食べ物とビールがただだから。バーの入り口のおいちゃんが、私の顔を見るなり「会場は下の階だよ。」とIDも見なければ、所属も聞いてこない。「何でBUの院生、ってわかったの?」と聞くと「見りゃわかるよ~。」との答えであった。どおしてなの~!?
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Wednesday, February 16, 2005
「記者」さんいらっしゃい!「編集マン」はつらいよ!?
また水曜日がやってきた。TVニュースルームの日だ。きょうの私の担当は「編集マン」。編集機の前にスタンバイしていて、「記者」たちの原稿が上がり次第、原稿にあわせてビデオを編集するという係りだ。従って、「記者」の連中の原稿が上がるまで、テープにカラーバー(早朝や深夜のTV局の放送終了後に流れている、いろんな色がバー状に並んでいて、”ピー”という音がしている、あれ)を引くぐらいしか、することがない。ただし「放送時間」(12時)が近づくにつれ、作業が雪だるま式に増えていき、次第に追い詰められるという役割。
「編集マン」はきょうは私とメーガンの2人。予めどの「記者」のビデオを担当するか、朝9時に2人の間で割り振りが決められる。自分が映像を編集する「記者」が、ニュース原稿を書くのが遅い場合、ビデオ編集も後にずれこむのでそれだけ時間に間に合わないリスクが高くなる。そこで、各記者のお尻を叩いて回るのも私の役割。
「ジュリー、あなたのニュース原稿2本を私が編集するから、書き終えたら持って来てね。キムリン、ボストンポリスのスタンガン使用のニュースのサウンドバイト(インタビュー)は原稿のどの部分に入れるか、決めといて。マイケルも、ベイルートのニュースの原稿、出来上がったら編集室Cにお願い。あ、ミランダ?ドッグショーの原稿書いた?」こんな具合。編集室で待つこと30分ほど。最初のお客様もとい「記者」はジュリー。「このカットとこれを入れて、ここにサウンドバイトを入れて。」完成。その後は、キムリン、マイケル、ミランダ、の順に無事優秀な「記者」達が原稿を持って現れた。途中で「”次の患者さんどうぞ”、なんちゃって、まるできょうの私、お医者さんみたいじゃない?」と笑いをとってみた。それぞれどんな絵が欲しいか、ほぼ決まっていたせいと、みんなが時間通りに原稿を書き上げてくれたおかげで、編集はスムーズに完了。GOOD!
それでもやはり決して平穏には終わらないこのクラス。同じ「編集マン」のメーガンは、テープの間違った部分に全てを録画してしまい、パニクっていたし、ふと見ると後ろの編集室でレイチェルが半泣きというか、泣いている。スポーツ担当キャスターなのだが、どうやらアイスホッケーのニュースが、いまいちよくわからないらしい。「わたしジョージア出身なの。アイスホッケーなんか見たこともないのに。。」おまけにCNNの配信映像のVTRを見ながら「監督は一体どの人よ?もういや!」などとパニック状態だ。さらにテープにトラブルが発生して3本あるうちの1本のVTRが未完成のまま12時noonを迎えてしまったのだ。涙を拭きながらキャスター席にしぶしぶ座るレイチェル。
おっと。ふとモニターを見ると校舎の前の中庭と「生中継」がつながっているではないか。きょうの「ライブリポーター」はundergraduateのポール(写真)。少年のようなポールが、シャツとコート姿で中継画面に立つとなかなかさまになるではないか。くっくっ(笑)。さて、笑っている場合ではない。「放送」中、私は裏方でテープを滞りなく送出するのが役目。きょうの「ニュースルーム」もいろいろあったが、終了。なかなか全員が「Keeping cool」でいるのは難しい。今のところ、コンスタントに毎週一人ずつ泣く学生が出ているのだ。
これは昨日夕方散歩したチャールズリバーのほとり。川はほぼ凍っているが、川べりの遊歩道にはジョギングをする人がちらほら。写真ではゴシック調の寒そうな雰囲気だが、気温は上昇傾向で春の気配。昔から、冷たい空気の中に春の予感が潜んでいる2月のお散歩が、ことのほか好きなのだ。
夕方は日本人留学生のNさん一家とともに、トルコ料理店へ。野菜たっぷりのヘルシー料理と、お米のプディングのデザートがうまい。雨が降ってきた。暖かくなってきた証拠だ。
Nさんご一家の家は、部屋ごとに壁の色が違う。ペパーミントグリーンの壁の部屋にお泊り。おやすみなさーい。明日は一日ロケ。
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Tuesday, February 15, 2005
チャイナタウンの”ドン”に密着!インタビュー後はVIP待遇の飲茶ランチ。
This post is dedicated to Reggie Wong, aka "Mr Chinatown of Boston". Thank you Reggie, Kimling and I will never forget the dimsum lunch we had together. You are the true boss of Boston Chinatown! --by the owner of this blog, a BU broadcast journlaism student aka Teddy.
チャイナタウンの企画をたて、交渉と撮影を始めてからはや1週間がすぎたが、なんと、きょうはボストン・チャイナタウンの”ドン”ともいえる大物人物の密着撮影に成功した。その人の名は、レジー・ワン。御年62歳にして、複数の会社を経営する、ボストン・チャイナタウン・ビジネス・アソシエーション会長。チャイナタウンの名物パブ「Weggiie's」を経営するほか、厨房器具の会社、スプリンクラーの会社など、複数の会社を自営する。チャイナタウンでは、彼のことを知らない人は「もぐり」とも言える。
先日のチャイナタウン・新年のお祝いのステージでも、ボストン市長をさしおいて、1番に舞台挨拶を務めた。生粋のボストンっ子であるワンさんは、チャイナタウンで生まれ、チャイナタウンで育ち、地元のノースイースタン大学を卒業し、結婚。以来ずうっと自営業を営み、現在に至る。チャイナタウンのことで、知らないことはない。チャイナタウンという「町内会」の「名物会長」といったところだろうか。彼のパブはチャイナタウンのはずれにあり、ひげをぼうぼうに生やした用心棒的な屈強な男性が店番をしていたり、昼間からマッチョなブルーワーカー達がビールを飲んでいたり、雰囲気がありあり。
その彼にインタビューを申し込んだのは、ワンさん最近悪化し始めているチャイナタウンの安全状況を不安に思い、自ら”自営のためにパトロールをしている”という新聞記事を読んだからだ。
「チャイナタウンには警察の目が行き届いていない。だから、こうして自分で町を回って、ぶらぶらしているホームレスがいれば声をかけて、”公園にでも行きなさい”と伝えるし、麻薬の売人らしいやつらにも目を配っているんだよ。」12時からインタビューをお願いしてあったのに、その前に街頭で三脚を立て、街を撮影していた私とキムリンを見つけ、わざわざ声をかけてきてくれたレジー。七福神の恵比寿様のような福福しい顔の「ドン」は、にこにこ笑いながら、われわれのカメラと一緒にチャイナタウンを「巡回」して見せてくれた。いい絵だ!もーらい!!夢中でSONY VX2000を手持ちで、”回す(=撮影するの意)”私。カメラの前で、ホームレスに声をかけてまわってもらった。道端で、5mごとに知り合いに出会い、広東語で「新年おめでとう」と声をかけられているレジー。チャイナタウンの「顔」だね。
「こういう細ーい路地裏で、私が子供の頃はよく遊んだものだ。でも今は、こういうところで麻薬の取引が行われているんだよ。だから奥は、柵を作って、中に入れないようにしてあるんだ。ほら。」と路地裏を、カメラと共に歩いてくれたレジー。またまたいい絵が撮れてしまった。私達天才かも、なーんて。
全ての取材が終わった後、「飲茶でも食べに行こう。」とチャイナタウンの飲茶レストランに連れて行ってくださったレジー。店は混んでいて、10人くらい待っている人がいたのに、レジーの「カオ」パスで、すぐにテーブルに入れた。支配人もレジーに挨拶をしている。なんだかVIP待遇じゃない、と目を見合わせるキムリンと私。しかし、先日の傷害事件の被害者のリー一家の取材といい、チャイナ・コネクションには本当に食べ物がつき物で、うれしい。おいしいものには目がないわたし。今週2度目の大根もちや、シュウマイ、にら饅頭に文字通り舌鼓である。おっとっと、レジーに今朝初めて会ったばかりななことを、忘れそうになっていた。
飲茶レストランで、生い立ちから現在に至るまで、レジーの半生を洗いざらい聞いた。午後から授業があるのに、危うく遅刻しそうになったくらい、長い時間をすごしたような気がしたが、45分くらいの時間しかたっていなかった。それほど彼の半生は「濃い」のだ。
「本を書いたらどうですか?」キムリンが言う。「すでにオファーがある。私の自叙伝は、ファースト・ジェネレーションの移民の生き様そのもの、といえるからね。」この企画が終わったら、ぜひレジーの自叙伝的ドキュメンタリーを作りたいものだ。「ミスター・チャイナタウン」といえるボストン中華街の”ドン”との出会いは、われわれの「チャイナタウンの安全」調査報道TVレポートの宿題に大きな進展をもたらした。それにしても、このワンショット写真(上↑)見るだけで福がもらえそうな、い~い微笑みでしょう?このblogのアドレスを伝えると、「日本語がわからないけど、写真を見るよ~」と連絡をいただいた。I think your smile makes everyone happy. Please stay well Reggie and see you again!
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Monday, February 14, 2005
「バレンタイン特集」番組収録でハプニング続出~カレッジ・バーで泣く女。
ノーキン教授のTVマガジンクラスで制作する番組が初回収録を迎えた。番組名は「Mass Exposure」。同級生チャンによる豪華websiteが出来た。ちかじか動画もupする予定だという。請うご期待。
いよいよ夕方18時。収録開始の19時に向けて、プロデューサー、ディレクター、フロアディレクターの面々がスタジオのセッティングに大忙し。きょうのテーマ、「バレンタインデー」の取材VTR3本をスタンバイしたり、テロップを打ち込んだり、スタジオゲストの案内をしたり。
私はスイッチャーを担当。時間が迫るにつれて、皆の「我」が出始めたからたーいへん。
ディレクターのチャンが「俺の言うとおりにやれ。」ゲスト担当のメーガンが「ゲストが来ない。遅れているみたい。」プロデューサーのオノラが「字幕を1枚追加するから。順番変更して。」
ノーキン教授の声が容赦なく皆を叱咤する「テロップの順番は大丈夫なの?1カメのアングルはこれでいいの?マイクチェックは?アンカーのミランダの声が聞こえないじゃない。ちゃんとオーディオ7を上げてるの?Teddy、何勝手にカメラ切り替えてるの?2カメ2ショットで固定でいいからそのままで。」
あ、あのー。カメラはしゃべっている人の1ショットに切り返すのがTV業界の常識じゃ。。気を利かせてやったつもりが怒られてしまったわい。(怒)はいはいわかりましたよノーキン将軍。オープニングは2ショットのままで、と。
収録開始。オーディオが出なかったり、アンカーのミランダがカメラと違う方向を見てしゃべっていたり、私がそれにつられてスイッチングミスをしたり、チャンの指示が行き届かなかったり、ゲストトーク(アダルトショップのオーナーを招いて、カップル向けの”ラブローション”の説明というキワモノ。)が思いのほかもりあがらなかったり。
それでも、収録が無事終了したときには、皆で拍手。よっしゃー。早速教室でプレビュー。ここでも”ノーキン将軍”の歯に衣着せぬ「言いたい放題」が。「スタジオカメラのアングル、これどーなってんの。ゲストが物を持ち込むなら、事前に必ず言わないと。ブツのクローズアップはあって当然でしょ。何について話すか聞いておかなかったのは誰?それにこのVTR、この街録インタビューのコメントは何でここを使ったの??さっぱりわからない。」ひ・えー。あんなに和やかに終わったのに、これかい。毒舌教授とはまさに彼女のことだ。
それでも充実感が漂う教室。「今回のを教訓にして、来週もがんばるように。」そこですかさずメーガンが、「せんせーい、ゲストが置いていったこのラブローション、要ります?」(ちなみに上の写真左下)一同爆笑。そこでノーキンすかさず「要りません!!!」また爆笑。
同級生のケリーが「せっかくバレンタインデーなのに、大部分の放送クラスの院生のみんなはシングルよね。きょう収録終わったら飲みに行こうよ。No excuses。」というメールをまわしておいたのに、集まったのは私、サラ、ケリーの3人だけ。実はシングルなのは、大部分ではなく、少数派なのだ。しくしく。私の寮の1階のメールルームにも、けさから目を疑うような量のたくさんの花束が配達されているのを見た。は・あー。
BUには、キャンパス内にBU castleと呼ばれるチューダー調の城がある。その地下が何と、BUの学生専用パブになっている。夜21時。収録も無事終え、緊張をほぐすために女3人パブに乗り込む。「Wachusetts Blueberry Ale」は、ブルーベリー味のフルーツビール。注ぐときの仕上げに本物のブルーベリーをぱらぱらっとちらすのがミソ。
「男なんて、みんな嫌いよーー!!」突然泣き出すケリー。まじで泣いてんのアンタ?と思ったら、まじだった。ちょっとおお。泣かないでよ。さっきけらけら笑っていたと思ったのに。失恋したばかりの彼女は、完全に情緒不安定状態。なのに、授業に出て、TV局でバイトもして、宿題もこなして。どこかで破綻するよ。
「じゃあ、聞いて。あたしの失恋の話をするよ。こんなことがあってね。。」と慰めるつもりで、ブルーベリービールも入ったし、ほろ酔い気分でブロークン英語炸裂・過去の失恋こっぱずかしい話をはじめるわたくしテディ=お人よし女。
「ひどい!テディ、あんたの元彼の電話番号はある?あたし、国際電話しちゃう~。」いいからいいから、頼むから落ち着いて、家に帰ってね。あしたも、朝から授業なんでしょう、ケリー?。。外は雨。これから2ヶ月間続くこの「Mass Exposure」どうなることやら。
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Sunday, February 13, 2005
取材交渉は新年の飲茶レストランで~チャイナタウンの傷害事件を追え!
ボストン・チャイナタウンの犯罪が減ることを心から願って、今回の投稿を書きます。ー2005,2.14Teddy拝
Happy New Year!! きょうはChinese New Year celebrationが行われる日。lunatic calendarによると今年は2・9(水)がチャイニーズ・ニューイヤー。ボストンのダウンタウンにあるチャイナタウンでは、きょう2・13(日)にパレードなどの新年のセレモニーが行われた。
「gung hei faat choih!」( = 恭喜發財「bless happiness, and prosperity」)。トーマス・メニーノ、ボストン市長のスピーチ(写真)も、広東語で締めくくられた。きょうここに来たのは、大学の宿題の撮影のため。先週以来、カーン教授の調査TV報道のクラスでキムリンという同級生と組んで取材をしていることを書いたが、きょうはそのための撮影が、ようやく実現した。もちろん宿題の話題はチャイナタウンの新年のお祝いそのものではない。「Chinatown Safety」が今回のテーマである。
イベントの場所に早く到着し、込み合うチャイナタウンで、カメラの設置場所を考えあぐねていた私に、声をかけてきた人がいる。。「ハーイ、私、Emerson College の放送ジャーナリズムの学生なの。ケイティーといいます。あなたは?」都会的な服装をした大学院生と、もう一人の院生の女性は業務用の重いβカムカメラと業務用の三脚をセッティングしている。プロのTV局の記者かと思っていたら、ボストンではコミュニケーション・クリエイティブ関連の学部で有名なエマーソン大学の院生だった。われわれは、授業料も彼女達と変わらないか、より高いBoston Universityから来ているけれど、機材はおそらく彼女らのβカムカメラの3分の1以下の値段しかしない、デジカメのSONY VX2000だ。でもいいんだ。軽いし、こっちのほうが身動きがしやすい。さ、撮影しよう。
よく晴れた2月の日曜日の朝11時、私は大学のSONY VX2000を手に、500人ほどの聴衆の最前列で地元のスチル・ムービーカメラマン約10名に混じり、新年のお祝いのLion danceをかぶりつきで撮影した。中国の新年では獅子舞の獅子がレタスをかじり、オレンジにかぶりついてそれを放り投げるのがならわし。撮影に熱中しすぎて、獅子が投げたオレンジが一つ私の頭に命中したのに気づかなかったほどだ。あいたたたーー。ま・ぬ・け。その後、獅子舞はステージを出発し、チャイナタウンのいろいろな店の前を踊って回り、爆竹を鳴らしていく。これが耳をつんざくようなすごい音と煙。
獅子舞を一通り撮影した後、キムリンと共に向かったのは飲茶レストラン「Empire Garden」。ただ飲茶をしに行ったのではない。ある人びとと会い、ロケの交渉をするためである。その交渉とは。。
「チャイナタウンで65歳男性刺される」こんな新聞記事が地元の新聞に載ったのは去年11月19日のこと。「チャイナタウンXXストリートで雑貨店を経営しているウェン・リーさん(65)がきのう夕方5時ごろ、店で何者かに数回刺され、病院に収容された。リーさんは右の胸と首から出血しており、通りに出て助けを求めたが、英語が全くしゃべれないうえ、通りで彼を助けた人物も同じく英語がしゃべれなかったため、救急車での搬送が遅れた模様。リーさんはボストン・メディカル・センターに収容され手当てを受けたが重傷。リーさんの娘によると、2人組の男が突然店に押し入り、現金をよこせとリーさんに要求したがそれを拒否したため、男達が犯行に及んだとのこと。犯人はまだ見つかっていない。」
私とキムリンのチームは、このリーさんにスポットをあて、チャイナタウンの安全について調べる調査リポートを作る計画を立てていた。折りしもこのリーさんのケースだけでなく、チャイナタウンには麻薬の売人が横行し、犯罪が急増していて、ボストン市警も「24時間監視カメラ」の導入を検討し始めた。この監視カメラ、チャイナタウンの目抜き通りに来週設置される。それにひっかけて、こうした犯罪被害者のインタビューを撮り、いかにチャイナタウンに警察の目が足りないか訴えようという企画をたてたわけだ。しかし、リーさんを探し当てるまでは苦難の連続だった。リーさんの記事を書いたローカル新聞の記者にコンタクトをとったり、電話帳を探したり。ようやく探し当てたら、リーさんとその奥さんは英語を全くしゃべれない。そこで、われわれは通訳として、広東語のエキスパートを投入した。われらが同級生、香港人のチャンだ。
飲茶レストランで新年のお祝いでもしながら、話を聞こう、とわれわれと会ってくださった、リーファミリー。30台の娘さんとお孫さんのクリストファー。傷害事件から無事回復し今は自宅療養中のウェンさんとその奥さん。「X%&(#~?」チャンが、ウェンさんを相手に、さっきから広東語で取材交渉にあたっている。刺されたあと、ウェンさんは「また襲われるかもしれない」と店を閉店してしまった。われわれがインタビューすること自体、回復し始めている傷を掘り起こすことになりかねない。身長155cm足らずの小さな優しそうなおじいさんである、リーさん。飲茶レストランで会って握手をしたときは、全くそんな心と体の傷を感じさせない好々爺であったが、われわれ学生とはいえ「TVのインタビュー」となると、どうだろうか。息詰まる交渉が続く。固唾を呑んで交渉の行方を見守る私とキムリン。同じアジア人であるが、私は日本人、彼女は中国とベトナムのハーフであるアメリカ人。広東語を操れるのは、われわれの側ではチャンのみだ。
「いいそうだよ、撮影に協力するって。」チャンがこう通訳してくれた。電話では渋っていた事件被害者のリーさん一家も、飲茶レストランで実際に「アジアン・オール・スターズ」であるボストン大放送ジャーナリズム院生3人の顔を見て、一緒に大根餅や、ショウロンポウを食べるうちに「こいつらなら話してもいいかな。」と思ってくれたようだ。私とキムリンの女性チームで、リーさんの孫のクリス(3歳)と徹底的に遊んだ(本当にかわいかった)のも効を奏したらしい。それを抜きにしても何と、善良な人たちなのだろう。はじめてあったわれわれと新年の食事を共にし、撮影を承諾してくれた上に、お年玉までくれたのだ。(写真の赤い袋)リーさんは本当に一言も英語をしゃべらないけれど、娘さんのレベッカさんは、英語でコミュニケーションが可能だった。
きょうは「新年」なので、通りにはボストンポリスの警察官が何人もいた。(写真)でもリーさんが刺された11月のあの日、警察はぜんぜん役に立たなかった。「チャイナタウンは危ない。警察は信用できない。また襲われるかもしれないから、怖い。店は辞めた。」そう語るウェンさん。あの日の出来事を思い出させてしまうかもしれないと恐れたけれど、お願いしたら事件現場の店の前まで行ってくれて、インタビューに応じてくれた。今は閉店した店のドアノブにリーさん触れているシーンも、撮影させてくれた。本当にありがとう。懸命にビデオを撮影する私と、インタビューするキムリン。通訳のチャン。リーさんの雑貨店だった場所は、いまや閉店して店名も消されてしまっている。04年7月に開店したばかりの、リー一家の心の拠り所だった店は12月末に無くなってしまった。心無い物盗り傷害犯のせいで。たかが400$を脅し盗るために、リーさんのような老人を刃物でメッタ刺しにするなんて、本当に許せない。
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夕方、われわれ3人は、キムリンの車に乗り、ボストン郊外に住むリーさん一家の自宅に向かっていた。なんと、撮影交渉を通じて、われわれ3人を気に入ってくださり、「新年のディナーを一緒に食べませんか?」とお誘いをいただいたのだ。ついでに、リーさんの追加インタビューも撮影できることになった。キムリンと私は「もしかしたら、刺された傷跡も見せてくれるかもしれない」というTVディレクター的な、”やらしい”考えも抱いていたのだが。まあわれわれは”TV屋”なので仕方ない。頼んでなんぼ、撮影できてなんぼ、なのだから。
そういいながら、道に迷ってしまう「BU放送ジャーナリズム・アジアン・オールスターズ」のわれわれ。チャンとキムリンが、地図の読み方をめぐって、いらいらしてちょっとした口げんかを始めた。まあまあ、若いお二人さん、そう焦るなって。キムリンが電話をかけ始めた。どうやら地元出身の同級生に道を聞くらしい。キムリンの赤いRAV4が、マサチューセッツ郊外のフラットな田舎道を、2月の暗闇の中、迷走。
やっとリーさんの家に着いたときには、約束の時間を1時間も過ぎていた。それにもかかわらず、嫌な顔一つせずインタビューに答えてくださり、夕食の「香港鶏鍋」までご馳走してくださったリーさん一家には、本当に頭があがらない。ウェンさんは、嫌がらずに首と手のわき腹の刺された跡を、カメラに晒してくださった。私のカメラを持つ手が震えた。胸に迫るものがあった。
お孫さんも入れて総勢8人ものにぎやかな食卓で、えびとミートボール、魚のすり身と青梗菜のぐつぐつ煮えた鍋をつついた。生涯、この鍋のことは忘れないだろう。全く言葉は通じないけれど、取材に応じてくれた ボストン在住のリー一家。そして彼らをと私をつないでくれたチャンとキムリン。チャンは通訳、キムリンはリー一家に電話をかけてくれた。元はといえばこの取材のネタを決めたのは、私。チャイナタウンに関するトピックを探していて、リーさんの傷害事件の記事を読んだのがきっかけだった。こうして、ひとつひとつ記事がビジュアル化されると、「チャイナタウンの安全」も現実のものとなる。お腹一杯で帰路に着いたが、好奇心も「お腹一杯」のわれわれであった。この件に関する追加取材は、来週行うことにする。いいリポートが、作れそうだ。
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Saturday, February 12, 2005
「レジュメ撮影引き受けます」報酬はディナー1回分!?
前日の投稿で「撮影に行きたい」と書いたが、きょう、撮影に行くことになった。
何の撮影かというと、なんとクラスの同級生のオノラに頼まれた、彼女の「履歴書ビデオの撮影。いきさつはこうである。
彼女が某州の某ローカル局に夏の「記者インターンシップ」を申し込んだところ、最終選考まで残った。そこで、彼女は、自分が授業で立ちレポートをしているシーンを、ダイジェスト版にまとめて、局に送ろうとして、ノーキン教授に相談した。
「教授、秋学期に提出した私の宿題の中で、どれを送ったらいいでしょうか。」
「うーん。どのレポートも送るクオリティじゃないわね。」ひどい。歯に衣着せぬとはまさにこのことだ。
「じゃあどうしたらいいでしょうか。最終選考まで残ったのに落ちたくないんです。」と食い下がるオノラ。
「新しく立ちレポを撮り直せばいいのよ。それらしく。」
「でも、今まで一緒に撮影に行った同級生は、みんな撮影が下手だったんです。」うーん。自分のことを棚に上げていいのかな~、と少々思うけれど、クラスの中で技術的に優れている人、そうでない人の差は、3ヶ月が経過した今、残酷なまでに明らかなのだ。作ったものをクラス皆で批評しあうので、カメラがぶれぶれだったり、アングルがだっさーいと、誰が撮ったかは、ばればれなのだ。公開裁判みたいなものだ。
「Teddyに頼みなさい。」
ノーキン教授はオノラにこう言ったそうだ。やーれやれ。教授じきじきのご指名とあれば仕方ない。きのうオノラに「レジュメ撮影を付き合って欲しいんだけど、いい?」と聞かれた背景にはこんなストーリーがあったのだ。もともと日曜日に別の撮影に行く予定だったので、大学の機材SONY・VX2000も予約済み。「いいよー。」この際履歴書ビデオでもなんでもいいの。撮影に行きたかったのよ~。頼まれたからには、綺麗に撮ってさしあげてよ。
土曜日の大学の図書館の本棚の間で、少年犯罪の本を手にして「フェイク・立ちレポート」をするオノラ。撮影の合い間もひっきりなしーーにしゃべっているおしゃべりな女の子。「わたし、このあいだ失恋したの・だからダイエットにはもってこい。就職活動も近いしね。」そうね、「就職したい」っていう一途な気持ちが伝わってくるわ、と「姉さん」風をふかすわたし。
1時間ほどで「撮影」は終了。「今度ディナーをおごるから、恩に着るわ。ありがとー。」帰って行くオノラ。
さて、きょうの夕食は韓国料理店 Damoah Grillにて。お通しでキムチ・その他の小皿がたくさんお目見え。韓国風お好み焼きがおいしい。
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Friday, February 11, 2005
撮影に行きたい~Vデーを前にやっと会えた、タケシ!
同級生達が、月曜日に初回の「番組収録」を迎えるTVマガジンクラスの情報番組「マス・エキスポージャー」のバレンタイン特集の「アバンタイトル」をプレビューしている。アバンとは、TV番組で、タイトルやオープニングテーマの前にきょうの番組の内容を簡単に説明する短いVTRのこと=米TV業界ではopenerと呼ぶ。「じゃまた来週~。」
お昼を食べにアジアン・ヌードル屋に行くと、店中バレンタインの飾りつけ。2.14月曜はVデーことバレンタインデー、ということは、そう、きょうはもう金曜日。
貧乏性のせいか、何もしていないで迎える金曜日はなんだか罪悪感すらある。あ、ほんとーに何もしてないわけじゃないんですよ。。授業にも出ているし、教科書も読んでいるし、新聞も読んでいるし、来るべく授業の「ニュースアンカー」デビューに備えてTV映りをよくしようとジムにも行ってます。でも、この1ヶ月間、撮影に行っていないのよ。いま、大きな企画をひとつ立てていて、交渉中だからまだロケには行けないのである。カップラーメンではないが「3分待つのだぞ」という”おあずけ寸止め”な感じ。(←嫁入り前なのだから、こげな言葉使いはするのでないぞ、と優しく私を止めてくれる男子、募集中です(爆))
東京でプロのディレクターのはしくれとして仕事をしていた時だって、企画立案中や、スタジオ業務の担当だったときは、撮影に行けなくてうずうずしていた。でも、今は会社を辞めて学生の身分。なのに、なんでうずうずすんのかしら。うー気持ち悪い。撮影に行きてえよ。。
一度テレビの仕事をしてしまうと、カメラの後ろに立って、撮影に出ているときに感じるあの喜びを、忘れられなくなってしまう。まだ世界の誰もが目にしていないものを、今目の前のこのカメラで切り取って、自分で編集して電波に乗せるんだ、というぞわぞわするような楽しさがあって、自然と笑みがこぼれてしまうのだ。なんだかかっこつけてるみたいに聞こえるかもしれないけど、これホ・ン・ト。
それでもきょうは金曜日。会いたかった人に、やっと会えた。その人の名は、タケシ。。。!
タケシ、それはもちろん私が「恋する惑星(ウォン・カーワイ監督・94年香港映画)」以来大ファンを務めさせていただいている金城 武のこと。日本では昨夏に「LOVERS」のタイトルで劇場公開された映画が、全米で「House of Flying Daggers」のタイトルでこの1月から公開されている。ちなみに中国語の原題は「十面埋伏」。>なんでタイトルが国ごとにこんなに違うん!?
ラブシーンで見せる甘いマスクとは対照的な、アクションシーンのきりりと精悍な「武者的」横顔。マンダリン、カントニーズ、イングリッシュと数ヶ国語をこなす柔軟性(日本語は少しファニーだけど)と対極にある、”隣のお兄さん”的親しみやすさ(=東京で実際に彼を見たときに私が思った感想)が、彼の魅力であろう。
「Hero」のチャン・イーモウ監督のこの作品、日本でも宣伝の割に話題にならなかったらしいし、中国でも公開直後だけ興行成績が良く、それ以降鳴かず飛ばずだったらしい、ということも聞く。「紅いコーリャン」や「初恋の来た道」等に比べると、駄作という評もあるようだ、がしかし。
はっきり言おう。アメリカ人は、こういうの大好きだよ。美しい四季の移り変わり、一面の竹林の中でのアクション、水墨画のような風景。ワダエミのオリエンタルビューティーなカラフル衣装。梅林茂のチャイニーズすぎない音楽。(>あ、日本人ばかり褒めてしまった)これらもさることながら、踊るように舞い、舞うようにマーシャルアーツをこなすチャン・ツィイーのオリエンタル・ビューティーにはまさに圧倒される。だてに「アジエンス」じゃないよ。(=花王のシャンプーCMは坂本龍一の音楽でも有名ね)まさに「世界が嫉妬する」美しさ。一緒に映画を見に行ったブラジルの元新聞記者、アーレットも「She is sooo beautiful!!」を連発していたし。
近頃アジア人が活躍しているのを見ると、ホントーに嬉しい。西洋人に打ち克とうと思ってむやみやたらに西洋的になってみても、所詮だめ。オリエンタルは、異なる視点でしなやかに舞うように勝負だ。放送クラスでいま立てている新しいリポート企画も、きっと西洋人学生にはない私なりの視点と編集テクで、オリエンタルビューティーに(?)勝負してみせる!!
。。と無事、元気が出たところで映画館を後に。きょうは別の映画を見に来たはずなのに、アーレットの「ワタシ、これが見たい!」というリクエストと私の「タケシ好き」が昂じて「House of Flying Daggers」に変更してよかった。ブラジリアで日系人にまじりせっせと日本食屋に通っていたという寿司好きの彼女と、近くの日本食屋「TAKESHIMA」にて夕食。寿司コンボと冷酒「大関」を肴に、金城武フィルモグラフィーと、チャン・ツィイーの人気について彼女にレクチャー。タケシは「So handsome」映画も「I love it!!」とお気に召した様子の彼女と盛り上がりながら、「花金」は更けていくのであった。。
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Thursday, February 03, 2005
おいおい、また雪かよ!?
きょうはどんよりした曇りで雨が降っている。そのせいで、街中の雪が溶け始めている。なんだか気温も上がって、暖かい。構内をTシャツと短パンで歩いているヤツを、一人だけ見た。一年中「コットン100%」で過ごす人たちも多いアメリカ人。季節感ゼロな人たちなのよ。。
その後、ドキュメンタリーの授業でアメリカの移民の暮らしを描いた白黒の作品を見たり。。

放課後、レポートの添削指導を受けていたらものすごい「砂糖」が食べたくなったので、構内のカフェでお茶。コーヒーを飲み飲み、TVマガジンの授業のクラスメートが書いた、企画書48枚に目を通したり。。
帰宅して「Apprentice」を見ながら「アメリカ人って、男も女も醜い言い争いすんなー。」と驚きつつ、夕食。焼き魚を食べながら、日本人に生まれたことを感謝したり。。
。。。。って、夜11時になって、はっと気がついて外を見たら、また雪が降ってるじゃーーーん。しかも、親指の頭くらいの大きいスノーフレークで、水分を含んでいるぼたん雪だよ。せっかく溶けてきたのにさ。また街が白く染まる週末のはじまり!?
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Wednesday, February 02, 2005
朝5時起きの”プロデューサー”体験。
ね・む・い。
午前4:50に目覚ましをかけたはずなのに、今は5:10をすぎているのは何故?暖房をつけ、窓のブラインド・カーテンをあける。当然、外は真っ暗け~のけ。日の出時刻はこのところ午前7:00前後だから、まだ2時間近くはこのまんまだ。
ちぇ。このところ、寮のシャワーの朝のお湯の出が悪く、水に近いのしか出なくて凍えるので、昨晩は風呂に入った。なんだかんだ言って、床についたのが午前1時半。夜型人間の私が、これでもがんばって早めに寝たほう(笑)。朝は激苦手な私。朝は夜の愉快な私とは別人の暗ーい女。よっぽどの用事がない限り、私をお願いですから朝早くむやみに起こさないで下さい。
それでも、きょうは無理やり起きなければならないのだ。TVをつける。もうAM5:30だぜ。
念のためタイマー録画をかけておいて正解だった。5チャンネルWCVB-TVはABC系列のボストン最有力地元ニューステレビ局。きょうはこの局の朝5:00-7:00の看板ニュース番組「Eye Opener(アイ・オープナー)」を見るのが、”副プロデューサー”としてのマストな役目なのだ。
”副プロデューサー”といっても、ティスル教授の「Television Newsroom」のクラスで、正午に”生でオンエア”される、「ネイバーフッド・ネットワーク・ニュース(NNN)、ミッド・デーエディション」の30分のニュース番組の中でのことである。もちろんこれは授業の一環、先週生徒の間で割り振られた当番なのであるが。番組も、実際に放送はされないし、”アンカー”は全員学生、”記者”も学生、しかもきょうは「リハ」なのであるが。。
朝6時過ぎの寮の自室。「アイオープナー(言うならCXの”めざましTV"みたいな番組ですよ)」を見ながら、メモを取る。いかんせんだるい。CMのたびに、ベッドに横になること数10回。無事番組を見終え、巻き戻して5時台に見逃した部分の確認もしていたら、番組タイトルどおり目も開いてきた。AM7:00朝日。和風朝ごはんを食べて、着替え、教授室に向かう。AM8:15。すでにティスル教授と、本日の”メイン・プロデューサー”のアマンダがコーヒーを飲みながら談笑している。
「おはよう。じゃあ、きょうのトップから行こうか?」
「Pope(ローマ法王の入院)でしょうね。」
「よし、これは生記者リポートで行こう。きょうの”中継記者”は、マイク、と。。スタジオでクロマキーをバックにリポートしてもらおう。次は?」
「toss(前フリ)を踏まえて、ブッシュ大統領のState of the Union speech(一般教書演説)の前評でしょうか。」
「項目A-05はBush,,と。次は?」
「ローカルニュースに戻りましょう。昨夜マサチューセッツ州Taunton市でひき逃げがありましたね?60代の男性が亡くなった。。」
「それはもう少し後かな。」
「じゃあ、リンウェイのぽっとほーるはどこに入れましょう、教授?」
さっきの「アイオープナー」による予習のおかげで、大分ついていけるものの、ニュースルーム特有の見出しを縮めて呼ぶ言い方のせいで、どぎまぎしてしまう。これは、日本語でも同じ。TV局ではたとえば午後3:00のヘッドラインニュースは「小泉(国会)」「トヨタ(人事)」「ソニー(決算)」の3本で行こう、などのように見出しを名詞レベルまで縮めて呼ぶのであり、そのこと自体には慣れているのである。しかしそれが英語なので、理解するのに時間がかかるのである。
ところで、”ぽっとほーる”ってなんだっけ?あ、リンウェイという街の高速道路で、水漏れから道路の表面に穴があいて、通勤の妨げになる、というニュースがあったなあ。道路のくぼみのことを、Pothole、って英語で言うんだね。覚えておこう。。と、いけない!もう教授とアマンダは大分先の項目を検討している。ついていかなくては~。
AM8:45 ”ニュースルーム”(セミナー室)に移動。打ち合わせどおりの、「Rundown(ニュース項目表兼進行表)」をアマンダと2人でPCに打ち込む。
AM9:00 ”記者”や”ディレクター”15人(学生)が出社もとい出校。全員に取材テーマをassign(割り振り)。せーの、で作業開始。
国際ニュース映像を、CNNのPC端末からダウンロードし、担当者にテープを配り歩くのが、”副プロデューサー”のもう一つの役目。ローマ法王の映像、さらにbreaking newsで入ってきた、ニュージャージー州のプライベートジェット機墜落の映像をダウンロードする。ブッシュのファイル映像も見つけた。なるべく”記者”が編集しやすいように、sound byte(音生かし)もしやすいように、いいところだけ落とす。
AM11:00 各”記者”がPCに打ち込んだ端末を、”プロデューサー”端末でチェック、書くのが遅い”記者”のお尻を叩く。仕上がった原稿をナンバリングし、並べる。”編集マン”のギャル達が編集室でテンパっている声が聞こえる。マイクが法王のテープをもくもくと編集し、原稿を書いて、ボイスオーバーしている。キャスターのドライ・リハーサルも始まった。天気予報士のレイチェルは、きょうが「Ground Hog Day(春の到来をウッドチャックというもぐらに似た動物をだしにして占うという地域習慣的イベント)」であることについて、クロマキーを使って話すようだ。スポーツ担当のポールがネクタイを締め始めた。
AM12:10 「Everybody to the studio!」教授の掛け声で、放送予定より10分遅れて(笑)スタジオリハーサル。2人のアンカー、天気予報士、スポーツアンカーの4人がスタンバイ。
私はPCと連動した、デジタルプロンプター(原稿投影の機械)の操作を担当。これが意外と難しい。”音声担当”のジュリーが「このレバー操作、私にできんのかしら」とぶつぶつ言っている。
AM12:20 無事「番組」放送スタート。オープニング映像はミランダの制作。ニュース→天気→スポーツと、無事項目を全て消化。
残ったクラス時間でテープの品評会。「おつかれー。(とは日本語で言わないが)」解散。
ああ疲れた。長ーい一日だった。お昼ごはんを食べたら睡魔が襲ってきた。もうこれ以上きょうは働けましぇーん。体が、ぎしぎし言っている。
本日は、それでも夕方起き上がって、バスジャック事件を題材に警察の腐敗を描いた、ブラジルのドキュメンタリー「bus174」(2002年)のスクリーニングに出かけた。途中疲れから爆睡してしまったが、またすごいドキュメンタリーを見てしまった。おすすめ。
夜21:00 ブッシュの一般教書演説の揚げ足をとりながら、夕食。
来週もこれ(5時起き”プロデューサー”)をやると思うと気力がなえてきた。体が(爆)、何より気力が続きましぇんです、はい。
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