ヴァージニア工科大学銃撃事件-Day2-途方に暮れる学生達。
「ここでもうすぐABCニュースの中継が始まるんだよ。わかってるの君?今すぐどいたほうがいいよ。君はいったいどこの局の・・」
ヴァージニア工科大学・卒業生センターのソファで迎えた朝。朝4時。目を開けるとそこには、ベースボールキャップをかぶってラフな服装をした図体のでかい男性が、ソファで丸くなっている私を見下ろしていた。そんなにすごい剣幕ではなかったが、やんわりと「どこの馬の骨?」というメッセージを発していて、そうそうに退散した。ぐっすりと仮眠をエンジョイしていたのに非常に不愉快である。
くだんの大男は「Good Morning America」、つまりABCのモーニングニュースの中継担当カメラマンだか、テクニシャンだかだったらしい。アメリカのTV放送局ではABC,CBS,NBCの3大ネットワークの力が非常に強い。きのうの早朝、このヴァージニア工科大学で在校生による無差別銃撃事件が発生し、31人が犠牲になった上、犯人が自殺するという事件が起きた。昨日の午後のうちに、事件の内容を大学側が伝えるために、「卒業生記念ホール」にプレスセンターが設置され、どんなマスコミも自由に出入りできるようになった。
しかし、プレスセンターに隣接する卒業生の宿泊施設のロビーに、夜のうちに3大ネットワークがそれぞれの「陣地」を仕切っていたことは全く知らなかった。それぞれの局が、朝のニュースの生中継向けに「仮設スタジオセット」を設営していたのだ。ABCの「Good Morning America」といえば、アメリカ人の多くが信頼する朝の全国ニュース。そのせいか、卒業生センターのもっとも条件のいい場所に、大きなスペースを占めている。聞けば、私が仮眠を取っていたソファのすぐ近くで、NYから来たアンカーウーマンが生中継をする予定だったというから、「馬の骨」を追い出さなければならない理由もわかるものの。。
そうこうしているうちに日本の夜7時と夜9時のプライムタイムニュース向けに、我々も生中継をしなければならなくなった。朝6時。まだ夜も明けきらないうちに、卒業生センターの屋外、我々の「陣地」にカメラを立てる。眠いし寒い。写真は中継が終わった後のもの。気が付いたら、隣の芝生にはCNN、そのまた隣はFOXという2大ケーブルニュースTV局が、それぞれの朝のニュース番組向けに生中継を行っていた。彼らの仮設セットは大型パラソルとキャンバス・チェア-というものだが、どこの傘の下にも見たことのあるアンカー、アンカーウーマン達が座っていた。つまり、この事件はアメリカの局にとっても、アンカーがスタジオを抜け出すほどの大きな事件なのだ。一夜明け、今ようやく実感が湧き始めた。
どうやらこの工科大学には日本人留学生も数多く在籍しているらしい。午前中の仕事は彼らに連絡を取ること。入手した電話番号リストを元に3人に電話をかけ、そのうち2人と話すことができた。銃撃現場近くの大学校舎で会い、インタビューをすることにする。どうやらきょうの夕方に学校の校庭で追悼のキャンドル集会が開かれるらしいとの情報も入手。
きのうから「犯人はアジア系の留学生」という情報が流れ、我々も居心地の悪い思いをしていたが、真相がとうとう発表された。
「犯人は韓国人学生のチョ・スンヒ君23歳。単独犯行で、まず早朝に自分の住んでいた寮で2人の学生を撃ち殺した後、校舎の一つに行き29人の学生と5人の先生をためらうことなく撃ち殺した後、自殺した。現場の校舎は血の海。」
知れば知るほど恐ろしい話。寮に住んでいる普通の学生が、何らかの形で銃を入手し、次々と学生を撃ち殺したとは。動機や、銃入手の経路、彼の人となりなどが報道の焦点となってくるだろうな、と思っていたところ、我々の取材チームではこの大学町の「韓国コミュニティー」に焦点を絞ることに決まった。ヴァージニア工科大学には、コリアンアメリカンや、韓国人留学生が多数通っているらしいこともわかり、調べたところ彼らが集まるキリスト教会があることがわかった。そこに電話をかける。と、韓国人牧師が出て
「憂慮すべき事態です。われわれは、犠牲者に祈りを捧げる追悼集会をあす、開きます。カメラを持ち込んでもOK」とのこと。
昼。犯人のスンヒ君の住んでいたアンバー・ジョンストン寮=第一犯行現場の周りをうろうろして彼を知る人を見つけ、コメントを取る、という指令が下る。校内に初めて入る。極めて巨大な「田舎型」のキャンパスで、巨大な校舎ビルが連なっており、犯行現場の校舎ビルがどれだかわからないほど。
韓国人風の学生を見つけて駆け寄るとCNNなどのアメリカの局に横取りされたり、出入り口から出てくる学生にさげすみのまなざしで「Go Away! Leave us alone(出てけ)」と言われたりと、さんざん。犯人の学生を知る人には会えなかった。外国メディア、米ローカルメディア、米ナショナルメディアが入り混じって、寮の窓から顔を出す学生にマイクを伸ばしたり、アジア風の学生を中庭で追いかけたり、だんだん「メディア狂想曲」の様相を帯びてきた。
寮の前には、誰が始めたのか、花束が捧げられていた。ここで最初の犠牲者の2人―黒人男子学生と、白人の女子学生が相次いで撃たれ、即死状態で死んだ。被害者は犯人のスンヒ君と顔見知りだったのだろうか?なぜ4月の風がごうごうと吹く肌寒い朝に、彼らが選ばれ、殺されたのか。まだ真相は闇の中。キャンパス内を歩くと取り乱して泣きながら歩いている学生も、多く見られる。みなおびえたような顔をして我々を見る。
午後。学校の巨大な講堂の前に出来たオレンジ色の行列に、マイクを向けてみる。まぶしいオレンジ色はヴァージニア工科大学のスクールカラー。学校の名前や大学の名門アメフトチーム“Hokies(ホーキース)”のロゴの入ったTシャツやフリースは、全てオレンジ色だ。数千人を超える学生たちが、非常事態にも負けず「母校を愛する気持ち」を表現するため、スクールカラーを身につけて集まった。きのうから大学は休校状態になっているが、事態を収拾し、犠牲者を弔うために急遽全校追悼集会が行われることになったのだ。オレンジ色のうずを見るのは圧巻だった。ワシントンDCからブッシュ大統領も駆けつけることになった。ヴァージニア州のティム・ケイン知事は、なんと出張で東京にいたところ、急遽予定を切り上げて帰国した。
講堂の入場を待つ列の中に、友人たちに取り囲まれて、泣き崩れている女子学生を見つけた。携帯電話で話しながら、話している途中で泣き崩れ始め、話し終わった後も泣いている。「何があったのか教えてくれる?」と声をかける。「仲のいい女友達が、今回の事件に巻き込まれて撃たれたの。病院で治療を受けていたのが、ついさっき亡くなったって知らせを受けて。」辛いエピソードだが、犠牲者の友人の生々しい話として使える。話を聞くことにする。私がマイクを突っ込んでいる後ろから、2本、3本と他局のマイクが続々と脇から差し込まれる。現場にも近寄れない、犠牲者の名前も検死が終わらないと発表されない、犯人の動機も人となりもまだわからない。そんな状態でこのニュースをパーソナライズするためには、ランダムに学生に話を聞いていくしかないのか。
何人か話していてまた偶然にも犠牲者の友人たちを見つけた。アンバー・ジョンストン寮で亡くなった犠牲者の一人、ライアン・クラーク君が所属していた大学のマーチング・バンドの仲間達だ。「ライアンはいいやつだった。困っている人を助けるような人だった。死んでしまうなんて信じられない。」皆が口々にそんなことを言っていた様子をカメラに収める。
やがて講堂で追悼集会が始まるが、代表取材以外はメディアはシャットアウト。そこで、講堂に入れなかった学生が集まるアメフトの競技場「レーン・スタジアム」に向かい、カメラを立てることにする。どこから沸いてきたのか、ここにもオレンジ色の人、人、人。この小さなヴァージニアの田舎町にこれだけの知的人口が住んでいることに、驚く。この工科大学は、農学、工学、建築、獣医学等に強い、優秀な工科大学として知られており、大学ランキング等でも上位にランクされている。しかも、首都ワシントンDCからも近く、自然も豊かで治安のよい地区に位置しているため良家の子女や、留学生も多い。
だからこそなぜこんなことがあったのか、皆が頭を抱えている。スタジアムで私が座っていた席の近くには、多くの中国系、韓国系、日本系の学生がいた。あれだけの「大虐殺」を起こしたのが韓国人だったことから、これからはチョ君をリマインドする全てのアジア系の学生にちょっとした差別の目が向けられることは間違いない。追悼集会ではブッシュ大統領が、集会前に遺族の家族と面会した上で、全校生徒に心からのお悔やみを伝えた。続いてヴァージニア州知事やヴァージニア選出の議員などがスピーチした。大学の職員のスピーチが続く中で、最も印象に残った力強いスピーチがあった。それは犯人のチョ君も学んでいた英文学部の教授で詩人のニッキ・ジョヴァン二教授のもの。彼女は、突然の惨事にショックを受け沈む学生達にこう呼びかけた。
"We are strong and brave and innocent and unafraid. We will prevail, we will prevail, we will prevail ... We are Virginia Tech(私達ヴァージニア工科大学は強く、勇敢で純粋で恐れを知らないのです。我々は必ずこれを乗り越え打ち勝ちます。必ず!なぜなら私達はヴァージニア工科大学なのですから。)!"(ビデオヴァージョンはココ)
夕方になり、テディの疲れもピークに達する。しかし、まだ仕事は続く。とうとう犯行現場の建物の前まで入れることになった。黄色いポリス・テープが張りめぐらされているNorris Hall(ノリス・ホール)に着くと、ポリステープの手前にはすでに花束置き場が出来ていた。4月なのに肌寒い早春の空気の中、写真を撮ったりビデオに現場を収めるメディアに混じって、呆然と建物を見つめたり、涙を浮かべたりする学生達が多く見られた。
テープの中では、警察の現場検証と見られる作業がまだ続いていて、鑑識官が出たり入ったりしており、警察車両も停まっている。前出の寮が「第1現場」で、実は、ここは「第2現場」だが、犠牲者の大多数の人が亡くなっている。29人の学生と教授や講師が撃たれ、犯人はこの建物の中で自殺をした。突然の「ガンマン」出現に驚き、窓から飛び降りて逃げた学生もいた。犯人は、生徒が逃げられないように、凶行の前にビルの入り口にカギを掛けたことが後に明らかになった。
日本人の学生2人にインタビューをすると、事件が起きてから「Gunman loose (銃を持った男がうろついている)」というニュースを知らせるeメールが大学から届いたものの、これほどの規模とは思わなかった、と一様に語る。安全なキャンパスだったのに、と。確かに、果たして事件発生直後からの大学側の対応は完全だったのか?という議論が当初あった。第一現場での事件が早朝だったため、朝メールを見ず、危険を知らずにキャンパスに向かった学生もいて、問題視されたのだ。
夜7時半。夕闇がキャンパスを覆う。中央部に位置する「ドリルフィールド」と呼ばれる校庭に、1万人規模の学生が、キャンドルに火をともし自主的に集まった。私もろうそくと紙コップをもらい、取材の傍ら参加した。やがてスクールバンドが入場し「キャンドルライトヴィジル(追悼集会)」が始まった。数千の炎のゆらめきが青黒い巨大な校庭空間に波のように広がり、まるで海のようだった。
やがて日が落ち、ヴィジルはさらにおごそかで、荘厳になった。すすり泣きがあちこちからもれた。学生達は固く抱き合って、肩を組み合って、途方にくれていた。ショック状態、というのが正しかった。何かをしないと、やりきれないのだろう。ろうそくを持って祈っても31人の魂は帰ってくるわけではないのだが、突然銃を使った暴力によって奪われた若い命のことを思うと、全くやりきれない。その点では突然現場にやってきて8日間も帰れなかった、我々メディアにとっても、学生にとっても、思いは同じ。。。
###さらにディープになるVT(Virginia Tech)取材はDay3に続く。###
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