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Wednesday, March 28, 2007

Joshua Tree Parkで原始的な木にパワーをもらう。。

328joshuaandbrightblueskyモハビ砂漠で海兵隊とあいまみえた後は、近隣地区にあるJoshua Tree National Parkにやって来た。モハビ砂漠の延長が、岩山と原始的な木々であふれる国立公園になっているのだ。かたやアメリカの最先端の戦闘訓練基地、そのもう片端が極めてのどかな砂漠岩山の自然公園とは、不思議である。

328joshuaandrocksJoshua Treeというのは、U2の有名なアルバムの名前らしいが、これがその木であるらしい。この国立公園、位置的にはカリフォルニア州LAからアリゾナ州フェニックスに向かう途中にあり、公園の入り口にはこのような岩山が360°広がっていて、壮観である。ドライブの気持ちよかったこと。

328joshuaupジョシュア・ツリーの和訳はヤッカ。といわれても、まだぴんとこないが、ユリ科の原木であるといえばいいか。青い青い空に向って、くっくっとまっすぐにまっすぐに力強く生えているこの木を見て、一目で好きになった。まっすぐに生きて、不器用な自分に似ているような気がして。

328mountainandjoshuaflower花も咲いている。これは、岩山と原木に咲いた素朴な花の不思議なコンポジションが、お気に入りの一枚の写真。実はここ、岩山といえども、砂漠に住むねずみや、こうさぎ、蛇などが生息していて、生き物ウォッチングにもぴったりの地区なのだ。そこここにキャンピングをしている家族連れがいた。キャンプにはもってこいの場所。

328cactusflower生き物のほかにも、サボテンに花が咲いていたり、ワイルドフラワーが咲いていたり、砂漠にも花が咲くことに驚く。水の気配は全く無いのに、砂の下には水流があるのだろうか、どこかで水を調達して生きているか、ものすごく少ない水の量で凌いで生きているのだ。

328viewrockymountain高台には、こういう眺めのところも広がっている。岩山ばかりの砂漠地帯。絶景かな。どこまでもどこまでも続く荒野である。

328joshuaandopenskyジョシュア・ツリーは成長すると幹が分かれ,高さ10m以上の大木となるそうだ。大昔、ジョシュア・ツリーはアメリカン・インディアンたちに見出され、葉っぱを編んでバスケットにしたり、サンダルにしたりと用立てられたという。また花の芽は生か、ローストされて食卓に上ったそうだ。

328joshuaadme19世紀の半ばまでにモルモン教徒が、信仰の自由を求めコロラド川を渡ってこの地にたどり着いたとき、彼らはこの木を「預言者ジョシュア」と呼び、モルモン教徒を導くものとしてあがめた。現代のジョシュア・ツリーは砂漠に住む哺乳類や、鳥、昆虫、爬虫類に生息地を提供する重要な役割を果たしている。テディもこの力強い木にあやかって、青い空に枝をくくっと伸ばしながらも、幹は力強く、岩の大地にも根付いて多くの生き物の住みかとなるような、素晴らしい女性になりたい。

>あ、無意識のうちにこの木を女性っぽいと思い込んでいた。
この木、意外と女性っぽいと思うのは私だけだろうか?

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モハビ砂漠でどかーん。海兵隊「イラク実戦」想定コンバット訓練で現役移民兵を取材。。

朝5時。カリフォルニアの岩山・砂漠の中に作られた、アメリカ海兵隊の訓練基地US Marine Corps Air Ground Combat Center (USMC AGCC) にやってきた。まだ陽も昇らぬ中、M16ライフルを持つ警備の兵士が立つ正門にたどり着く。と、3月のカリフォルニアに吹く季節外れの寒風をものともせず、海兵隊の迷彩服一枚に身を包んだ一等軍曹のクリス・コックスさんが、びしっと立っていた。コートも着ていないが、寒そうな表情は全くない。きょう我々の取材をアテンドしてくれる兵士だ。

「コール・ミー・ガニー。(ガニーと呼んでくれ)」一等軍曹を意味する“ガナリー・サージェント(Gunnery Sergeant)”が、広報担当兵のコックスさんの正式な肩書きだが、略して「ガニー」とは。何でも略するアメリカらしい。

328mojavefromcarwindow1基地がある街の正式な名前は、カリフォルニア州トゥエンティーナインパーム=Twentynine palmという。名前から察するに、29本のパームツリーしか目印がなかった荒野と砂漠の街。それが、いつしか開発され、街にはリゾートホテルやスパが散在している。有名リゾート地パームスプリングスからもほど近いことから、観光客の姿もある。ダウンタウンにはヒッピーの開いたビートニク・カフェもある。しかし、もちろん我々がこの街にやって来たのはリゾート目的ではなく。。

海兵隊、である。USマリーンといえば、アーミー、エアフォース、ネイビーといった軍の他の組織に比べて、より「戦闘寄り」のミッションを負う。だから、心身ともに鍛え抜かれた「選ばれし兵士」が集まる。テディは、その兵士たちの訓練を撮りに、人生で初めての砂漠に入る。名前は、モハビ砂漠という。くだんの“ガニー”ことコックス一等軍曹は、
「当モハビ砂漠ではいくつか注意事項がある。このオレンジのカードを見てくれ。」と、軍隊バラックの一つにわれわれを招き入れると、いきなりブリーフィングを始めた。

328desertsurvivalこの写真のオレンジのカード、題して「砂漠で迷ったときの10のサバイバル・ルール」

1.Hold on to a survival attitude.=サバイバルな態度を保て。
2.Stay where you are-stay calm.=慌てず同じところにとどまれ。
3.Move only when absolutely necessary only at night.=本当に必要なときだけ夜に動け。
4.conserve your sweat-not your water.=水ではなくて体液を保て。
5.protect your body=身を守れ。
6.make a fuss when you hear or see others nearby.=人を見つけたら大声で合図しろ。
7.do not eat anything.=砂漠の植物は何も食べるな。
8.keep your mouth closed.=口を閉じ余計な水分を出すな。
9.think like a searcher.=探検者のように考えろ。
10.use your head. Not your sweat. Drink the water you have.=汗ではなく頭を使え。水を飲め。

「砂漠では、こんな態度が求められるんだ。わかったな?」ブリーフィングを受けながら
「何かすごいことに巻き込まれそうになっている。。」そう感じたのは、あながち外れではなかった。

328tankandmountainちゅどーん。ひゅるるるるるるるるるる  どぱーんっ。どーーーーん。海兵隊の戦車に向け、”テロリスト”の放つロケット弾が炸裂し、耳をつんざくような爆音と白い煙が上がり思わず身構える。でもわれわれは、イラクにいるわけではないし、このものすごい音も空砲である。

328desertmarinewalkingきょうここに来たのはほかでもなく、海兵隊のイラク派遣を備えた最終訓練を取材するため。多くの兵士にとっては、2回目、3回目のイラク行き。なのに、こんなに真に迫った訓練を受けているのはなぜ?
「毎回兵士は異なるミッションを負っているから、今回の任務に応じて再びロールプレイをする。常に訓練をし直すのさ。」とはコックス軍曹。

写真は、「イラク人通訳」と共に「イラクの市街地」をパトロールする海兵隊。驚いたことに、ここには契約の「俳優」がいて、海兵隊員相手に「イラク人」や「テロリスト」の役を演じるのだ。「俳優」の多くが、暑い中、砂漠で悪役を演じるというけったいな労働環境をいとわないヒスパニック系の移民である。しかし、中には数人だが本物のイラク人も混じっている、というから驚く。そうして訓練に真実味を出すらしい。

328plateinarabic基地内は膨大な敷地面積のうち、4分の1くらいが砂漠。地の利を利用し、イラクの架空の町を作り上げて、映画さながらにコンバット訓練をしている。「町」の中では標識もアラビア語で書いてある。しかも、実際にあった襲撃に基づいて、何通りかの「テロリストの攻撃シナリオ」が用意してあるというから、さらに驚く。
「ランダムにシナリオを実行して、対応力を高める。」とのこと。

328marineactionぱぱぱぱ、ぱぱぱぱんっつ。

突然乾いた音がして、銃撃戦が始まった。向かいの建物の窓から、中東風の服を着た(もちろん衣装)テロリスト役の役者が、自動ライフル銃で先制攻撃を仕掛けて来た。迎え撃つマリーンは、4人組の見事なフォーメーションで、テロリストの居る建物に侵入する!二人が入り口の警備、1人が先発隊、もう1人が後ろを見張る。

と、入り口を守っていたマリーンが、隣の建物の陰から狙い撃ちして来たテロリストを、撃ち殺した。倒れるテロリスト。よく見ると中東系の女性。もちろん本当に撃たれている訳ではない。オレンジのベストを着た「ジャッジ」役の海兵隊員が近づき、倒れている「テロリスト」の女性の肩をぽんぽんと叩く。「はい、あなたはもう死にましたよ」という合図だ。

328marinedebriefingこれが実弾を使っていたら、まさに「殺すか殺されるか」のコンバットだっただろう。でもこれは訓練だから仲間は死なない。だから「デブリーフィング」(写真)をして訓練を振り返り、上官の指導のもと「お前はあのときこうすればよかったんだ。」と反省、復習して、フォーメーションや戦闘の動きを身につける。

328marinegroupshotさあ、兵士にインタビューだ。実は、この取材はたんに砂漠でのコンバット訓練を撮りに来た訳ではなかった。

反戦活動家フェルナンドさんの息子で、戦死したヘイスースと同じように、グリーンカード・ステイタスで海兵隊に参加している兵士はいないか。そうした「現役のグリーンカード兵」に、現在の気持ちを直撃する、それが狙いだったのだ。でもマリーンの広報、ガニーことコックス一等軍曹に、そんなことを直接言えるわけもないので、こっそりとグリーンカード兵を探すことに

まずは、デブリーフィングで目立っていた、中尉のマウロ・ムジカ・パローリさん、25歳。日に焼けた精悍な顔立ちは、俳優のポール・ウォーカーにも似ている。

「メリーランド州生まれで、両親はチリからの移民だ。イラクへは2回目の駐留で、まもなく出発するから入念に訓練をしているのさ。」

Q あなたのご両親はアメリカ国籍を取得してあなたもアメリカ人だそうですが、たくさんの外国籍の兵士が海兵隊に参加してますね?

「ああ。外国籍の兵士には、こちらがモチベーションを高められる。かれらの多くはすばらしい兵士さ。彼らはアメリカ人になりたくて、新しい国のために命も身を捧げることで、市民権を得ようとしているんだよ。国の一部になるためなら、何かを犠牲にすることが必要だと、身をもって証明している奴らさ。」

はあい?すごいこと言うなあ。イラクに行って、外国籍の兵士が命を落とすことを美化しているような、発言だ。

328mosqueandmarines敷地内にはイスラム教のモスクに似せた建物も造られていて、イラクさながらに、お祈りの時間になるとサイレンが流れる。現地と似た環境に体を慣らしてほしいという配慮からだ。ところで、今回訓練を受けている兵士の多くは、高校生のときにリクルートされた精鋭で、18、19歳がほとんど。

8人以上インタビューした兵士の内のひとり、上等兵のダニエル・ゴンザレスくんも19歳。ロサンゼルス出身だが、祖父母の世代がメキシコから来た移民だ。

Qたくさんのヒスパニック系の兵士が海兵隊にいるけど?

「僕の友人が、アメリカ国籍が欲しくて申請していた。だけど、2年経っても国籍が降りないから、思い立って、海兵隊に入ったんだ。彼はここ(海兵隊)が気に入っているし、なにしろ福利厚生がいいからね。彼は家族の生計も助けているし、歯科医療も保険にも入れるから、一般の職業につくより格段に手当がいい、と言っている。僕の通っていた高校にはヒスパニック系の移民の子供がたくさんいて、あまり生活水準がよくなかったから、海兵隊の福利厚生には、みんな興味を持っていた。それに海兵隊に入れば、規律正しく強い男になれるからね。悪い奴らとつるんだりしていても、海兵隊に入れば新しくクリーンな人生をやり直せると、みんな信じているよ。」

328marine3shotフェルナンドの言っていた通り、海兵隊に入るヒスパニック系移民の兵士は、みな軍の福利厚生や市民権獲得という権利に惹かれていることがわかった。。

さらに声をかけ続けていたら、一人、まさにヘイスースと同じ境遇の「グリーンカード兵士」が見つかった。

サウル・アライザ上等兵は20歳。メキシコ国籍のまま海兵隊員になった。


「今回は初めてのイラク行きだから、よくトレーニングをしたい。両親はメキシコから不法入国した移民。だから、父は人の2倍働いて腰を悪くした。僕が海兵隊に入ることで、父に感謝の意を示したい。父も僕が海兵隊に入ったことを誇りに思っているし、僕は自分にとって新しい国であるアメリカを愛しているよ。たくさんのものを僕に与えてくれたからね。」

Qでも、自分の国でもないアメリカのために、イラクで戦うのは嫌じゃないの?

「海兵隊の仕事が好きだし、アメリカを愛している。メキシコ人でいることは誇りに思うけど、アメリカも愛しているんだ。もうすぐアメリカ国籍にも応募するよ。軍隊に入っていることで、早く市民権が降りればそれはうれしい。

19歳、20歳のとき、自分は日本で何をしていただろうか?
東京の大学で、コンパやサークル活動、バイトに忙しくしていただけで、自分の国でもない国のために、命を捧げて戦うなんて、考えてみたこともなかった。

「イラクに行くのは怖くない。訓練しているから大丈夫。」モハビ砂漠で出会った多くの若年兵士は、多くがたんたんと語ってくれた。

死ぬのは怖くないの?本当はそう聞きたかった。
アメリカは大国だから国籍も得る価値があるというのか?そのために軍隊に入ってもいいの?テロリズムをなくし、アメリカを守るため、と気高い目的のために、軍隊に入りイラクへ行くのは、果たして良いことなのか??

328teddyinmojaveカリフォルニアの真ん中で、砂嵐にまみれながらM16ライフルや戦車の大砲をぶっぱなす「アメリカ国民」志願の移民兵たち。多くが同年代のアメリカの若者よりはるかに真面目で礼儀正しく、精神も肉体も鍛錬された精鋭たちである。

だからこそ、死なないでほしい。アメリカとアラブ社会のイデオロギーのぶつかり合いなんてもののために、アメリカ国籍と命を天秤に賭けていくのは、ばかげているとしか思えない。

髪の毛も体も砂まみれで、意外な低気温にふるえながらの取材だったが、本当に考えさせられた。

一方で、体力を非常に消耗した取材だった。ライフルを持った海兵隊員に4方から囲まれて、本当に撃たれるか、と思ったり。飴の包み紙を落として、拾おうとしたら風に飛ばされ戦車の近くに転がって行き、追いかけて拾おうとしたら軍曹に怒鳴られ。。「拾うなーー!戦車に頭を轢かれるぞ!!」

あれ以来、新聞に毎日のように載っている「きょうのアメリカ軍、イラクでの死者」記事の報道に出てくる名前から、目が離せない。モハビ砂漠で出会ったあの若者たちが、死なないといいなあと心から願いつつ、渾身の「グリーンカード兵」の取材はこれで終わり。。。

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Tuesday, March 27, 2007

フェルナンド、寝ずのハンガー・ストライキで息子の命日を過ごす。。

326fernandocandle
4年前のきょう、息子が死んだ。
4年前、私の生活は壊された。
現在、3000の家族の生活が壊されている。
平和を作ることが可能なことを示そうと思って、きょうのハンガーストライキをした。
サンディエゴの人々よ立ち上がろう。
ブッシュを弾劾しよう。

326fernandonightprotestこう訴えるのは、フェルナンド・スアレスさん(前出)と、そのサポーターたち。3月26日(火)午前0:00。カリフォルニア州サンディエゴのダウンタウン、高層のフェデラル・ビルディングのふもとの歩道に30人ほどが集まって開かれた、寝ずのハンガー・ストライキ。訴えるのは、もちろん米軍のイラクからの撤退である。

3月のカリフォルニアには、時折風が強く吹き荒れていて、雨がぱらつく。どうやら、天気は荒れ模様の様子。どうにか、本格的に降らないでくれればいいが。きょうのストライキは、フェルナンドさんが、3ヶ月前から計画していた。きょうは、イラクで戦死したフェルナンドの息子、海兵隊員のヘイスースの命日だから。制服姿のヘイスースの写真に「Bush Lied, My Son Died」と書かれた大きなプラカードを持って、フェルナンドは準備についた。今晩からあすの昼まで、何も食べず、眠りもしない、という。

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327fernandoprotestmorning翌朝9時。同じ場所で、やはり夜に降ってしまった雨水にぬれながら、まだフェルナンドはそこにいた。
「フェデラル・ビルディングで働く連邦政府の役人が、朝、沢山通りがかった。私のプラカードを見てI am sorry for your sonと言うんだ。私の息子の話を、反戦についての話を、聞いてくれる人は確実にいるよ。これが終わったら、オレゴン州ポートランドの高校に講演に行って、軍隊に安易にリクルートされないよう、話すんだ。ブッシュ大統領には、”あなたはアメリカ合衆国のオーナーではない”と伝えたいね。アメリカ国民の(イラクからの撤退という)命令に従え、と言いたいね。」

ストライキの参加者にもマイクを向けてみた。
「ラテンコミュニティーは大半は戦争を支持していない。
この戦争は、貧しい人に影響が出ている。結果的にそれがヒスパニックや黒人なのだ。」

という人がいる反面、

「ヒスパニック移民コミュニティーの中では、戦争について意見が分かれている。60-70%の人は、フェルナンドのいうように、イラク戦争に反対なんだが、残りの30%の人は、戦争に反対することを恐れている。移民問題が、家族や自分に重くのしかかっているんだ。」 という人もいた。

2003年にヘイスースが死んだ時から、フェルナンドを取材している、という地元スペイン語紙Diario San Diegoの記者、アメリカ・フェルドマンさんは、
「ヘイスースの葬列の時は、エスコンディードの町中がヘイスースに家から出てきて敬意を表し、葬列がヘイスースの通った高校にさしかかると、皆敬意を表して、さながら街のヒーローのようだった。とても悲しかった。メキシコの大統領から送られた旗をヘイスースに捧げたの。」と教えてくれた。

325harryatrestaurant実は、きのうの投稿と、きょうの投稿の間に、フェルナンドの住むエスコンディードの町で、MOSと呼ばれる街頭インタビューをした。実際にヒスパニック移民の人々に、「アメリカ国籍や、大学の学費がもらえるなら、あなたはアメリカ軍に入りたいですか?」という質問を投げかけたのだ。

答えは「国籍や学費は魅力的だけど、イラクに行って死んだら意味がない。」という人と、
「国籍やお金は魅力的、アメリカ軍に入ってもいい。」という人と半々だった。英語で話しかけても、スペイン語しか通じなかったり、何かと人々がカメラを警戒してしまったり、体力的にも辛かった。しかし、上の写真のHカメラマンに助けられた。彼はメキシコからの移民で、もちろんスペイン語と英語のバイリンガルである。

ひとつ学んだことは、ラティーノの人に街頭インタビューをするときは、日本的に控えめではだめだし、アメリカ的にやけに単刀直入でもだめだ、ということだ。
「ヘイ、カモーン、テレビに出たいかい?トーク・トゥ・ミー!カモーン!」とちょっと「みの・もんた風(?)」に
「奥さ~ん!ちょっと話してよ~ねえ?」という感じでなれなれしく、しつこくいやらしく押すのが利くらしい。(笑)ところ変われば、街頭インタビューのメソッドも変わるというわけで。。

エスコンディードでは、チープでお腹が一杯になるメキシカン料理に事欠かなかったのも、よかった。反戦活動家、フェルナンドの取材もこれで終わりである。。フェルナンドにありがとう、これからも頑張って、と伝え、帰路に。。

327sandiegocoastwind。。着くはずがないのである。カリフォルニアくんだりまで来て、まだ撮れる映像があるだろう、ということなのか、次の撮影地へ一路車で向う。途中サン・ディエゴの海岸に立ち寄るが、ものすごい強風で、砂がびしばし目に入り、歩くのもつらいくらい。一番むかつくのは、カリフォルニアに来て、暖かさをエンジョイできるはずなのに、ワシントンより寒かったこと。ぷんぷん。それでも海岸沿いにあった、「スシ・ロー」とも言うべき寿司店の立ち並ぶ通りにて、フレッシュな寿司でレイト・ランチを楽しみ、やっと「上がり」で温まる。不思議なカリフォルニアの一日。

327palmspringswindmillHカメラマンの運転で、車は一路、カリフォルニアの海岸からごつごつした山間いへ。有名リゾート地、パームスプリングスに向う手前には、写真のような風力発電の羽が一面に並んでいた。まるで未来に来てしまったような、超surrealでfuturisticな景色。。やっと、宿に着くころには夜も更け。。

実は明日、Fallen Soldierの父で反戦活動家のフェルナンドとは180°角度の異なる取材が待っている。

その取材とは、岩山と砂漠の間に作られたアメリカ軍の基地にて、イラクに派遣される直前の兵士が受ける、砂漠コンバット訓練である。。。

もちろん集合時刻は、軍隊用語で言うところの、「ファイブ・ハンドレッド」=5:00AM(!)であるからして、早く寝ようっと。


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Sunday, March 25, 2007

「Bush Lied, My Son Died」~移民父さんフェルナンドの反戦活動、その深い深い意義。

325escondidowide「エスコンディード」はスペイン語で「Hidden」という意味だと教えてくれたのは、同行したカメラマンのHさん。まさにその通り。写真のように、四方を岩山に囲まれた町にやってきた。カリフォルニア州エスコンディード。東海岸のワシントンDCから飛行機に乗り、西海岸のサンディエゴまで5時間のフライト。サンディエゴからは車で30分のドライブである。名前から想像できる通り、メキシコからやって来た濃~いヒスパニック人口が住んでいる。町のラティーノ人口は4割を超える。Hカメラマンもメキシコからの移民で、この取材にはうってつけ。

SolarjesusasuarezdelJesusと綴れば、普通はキリスト教の神様を意味する”ジーザス”と発音する。しかし、この若い海兵隊員のファーストネームは、”ヘイスース”と読む。神を意味する名前が神に好かれたのか、20歳の若さで2003年3月27日戦死。この岩山に囲まれた町からイラクに出征し、戦争開始からたった一週間後に、あろうことか、アメリカ軍のクラスター爆弾を誤って踏み、その傷が元で亡くなった。

Fernandorally_smallヘイスースの父、フェルナンド・スアレス・デル・ソーラさんは、51歳。95年にメキシコのティワナから、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴに、一家で移民した。セブンイレブンの店員や、新聞配達などをして家計を支え、ヘイスースほか3人の子供を育て上げた。

「息子が死んだ翌日、知らせに来た海兵隊員は”ヘイスースは頭を撃たれて死んだ”というだけだった。”公式”の死亡証明書には”hostile action, shot in the head”とある。軍は、ヘイスースの遺体が葬式の為に帰って来たときにも”頭を撃たれていて、顔の損傷がひどいので、棺は開けないほうがいい”と言ったんだ。しかしその3日後に、ABCニュースのアンカー、ボブ・ウッドルフがやって来て、
”サー、誰かがあなたにうそをついていますよ。あなたの息子さんは戦闘で亡くなったのではなく、アメリカ軍の誤射か、アクシデントで亡くなったのです(Sir, someboday lied to you, your son didn’t die in the combat..It is the friendly fire or accident.)と言うんだ。。ABCのクルーがが、ヘイスースはアメリカ軍のクラスター爆弾を踏み、救護を2時間待って死んだと知らせてくれた。」

何ということ。
フェルナンドは、議会やペンタゴン、ヘイスースが所属していた海兵隊の基地にも手紙を送り、真実を教えてくださいと訪ねた。しかし、4年以上たった今も答えは帰ってこない。

Wd1フェルナンドは、2003年12月にABCニュースのクルー、ウッドルフと共にイラクへ。ヘイスースが命を落とした現場を訪ねた。号泣するフェルナンド。しかし、悲しみにも増して、その時に見たイラクの子供達のイナセントな瞳が忘れられなかった。

「息子、ヘイスースはこの子供達を助けるために、イラクに行ったと思いたい。」ブッシュ政権のついた、「大量破壊兵器」なんていう嘘のために、侵略に行ったんじゃない。。2度、3度にわたるイラクへの訪問で、こうした思いを強めたフェルナンドさんは、当時営んでいたクリーニング屋の仕事も辞め、反戦活動家に身を転じることになった。

Irak_2003_001反戦の意思を広め、イラクの子供に医薬品を届けるプロジェクト、Guerrero Azteca Project を立ち上げたフェルナンドさん。Guerrero Azteca は、「アステカ帝国の戦士」という意味で、亡くなった息子、ヘイスースをたたえるために、つけられた名前である。

325fernandoseephoto「いまだにアメリカ軍から回答がないのは、あなたが移民だからという理由もあると思いますか?」こう聞くと、「可能性はある。アメリカ政府は、移民たちは沈黙を保つと思っているんだ。でもわたしは違う。」

フェルナンドは、こうも語る。
「ヘイスースはメキシコ・ティワナのドラッグ問題を重く見て、麻薬捜査官になりたいという夢があった。ある日、高校生のヘイスースに、海兵隊のリクルーターが接近して”DEAになりたいなら、マリーン(海兵隊)になるのが近道だよ。”とささやいたんだ。リクルーターは、軍隊の真実は決して言わず、甘いことを言って高校生に近づく。特にヘイスースは、メキシコ市民のまま、マリーンに志願し、メキシコ市民のまま、戦死したんだ。」

ヘイスースの例は、以前にも書いた、「グリーンカード兵」という問題を如実に現している、といえる。フェルナンドによると、アメリカ市民権を持たない移民の若者に、アメリカ軍のリクルーターは
「学費を出してあげる」「グリーンカードさえあれば軍に入れるんだよ。その後、アメリカ市民になれる近道だよ」
という2つのポピュラーな誘い文句を言い、近づくのだという

325escondidomexicanlunch「さらに、移民の中にも”白人社会になじめない”という引け目があるのさ。ラティーノの移民社会は、レスペクトもアクセプタシオン(フェルナンドのスペイン語訛りが強い英語。Acceptionのこと) もない。アメリカ軍の制服を着ることで、こうしたものをすぐに得ることが出来る、と思い込むんだよ。」とフェルナンド。写真はエスコンディードの街中どこででも食べられる、メキシカン。フィッシュのタコスやエンチラーダが、そりゃあ新鮮でうまかった。

しかも、軍に入るのはアメリカ市民権への近道、というのは大きな嘘だという。軍人だから、市民権がすぐに得られるかの保証はなく、「普通の人と同じで、申請してから最低5年待たなければいけない。」そう。

しかも、ヘイスースの場合、アメリカ市民権が欲しいから軍に入ったわけではなかった。
「なぜかって、父であるわたしが、すでに公募でアメリカ市民権を得ていたんだよ。アメリカ市民の家族は、優先的に市民権に応募できるはずだったんだからね。でも、18歳のヘイスースはなぜか”今はいい”と、アメリカ市民になることを嫌がった。」

さらにフェルナンドによると、グリーンカードしか持たない兵士達は、イラクの最も最前線に立たされる可能性が高い。「ヒスパニック兵の致死率は、そのほかの人種の兵士に比べると15%も高い。」
>本当だとしたら、怖いこと。

今、フェルナンドが「アステカ帝国の戦士」プロジェクトを通じて提唱しているメッセージは
「反戦」と「平和」と、実はもう一つある。
それは、「移民の若者よ、安易にアメリカ軍のリクルーターの勧誘に乗らないで」、というものだ。

1928400x400移民の多いアメリカ国内のいろんな高校を講演して回った。ヘイスースに何が起きたかを話すんだ。先生や、生徒に、アメリカを守り、新しいイラクという国を祝うためのベストな方法は、イラクに赴き武器や爆弾を使うことじゃなく、自分が本を読んだり、教育を受けることなんだ、と伝える。”軍に入隊する見返りに、学費を出してあげるから”という軍のリクルーターの甘いささやきには、断固としてノーと言え、と伝えるんだ。学費というインセンティブは、奨学金で補えばいい。”全国の奨学金リスト”というものを移民の高校生に渡し、軍隊に安易に入らないよう、繰り返し伝える。I tell them there is better future than military。」

それでも、アメリカ軍には現在4万人を超える「移民兵」が所属している。なぜなのか?

「This country is very confused.」とフェルナンドは答えた。「わたしがやっている反戦活動を、メキシコからの移民仲間は、決して良く思っていない。我々を受け入れてくれるアメリカ合衆国のやっていることに、大統領のやっていることに、異議を唱えるなって、ね。でもわたしには、しゃべる権利がある。ブッシュの嘘のせいで、息子が死んだんだからね。

325fernandoworkingonフェルナンドは、ヘイスースの死後、ヘイスースの母親である妻と離婚。残った2人の娘、ヘイスースの妻も、フェルナンドの反戦活動には、姿を現さず、活動自体を支持していない。「Family devide. When my son died, it destroyed our family. 」とこともなげにいいながら、あすの反戦集会のスピーチ原稿を書くフェルナンド。今は、2003年戦争初期からの反戦活動家として、悲劇のマリーン・ヘイスースの父として、アメリカ津々浦々に名前が知られるようになった。

「ヘイスースの死後に、ヘイスースには海兵隊を通じて、アメリカ市民権が授与された。私は最初”そんなものはいらない”とつっぱねたが、ヘイスースの妻子には重要なもの。彼女が代理で市民権をもらったよ。”息子をメキシコ市民の子供として育てろというんですか。”と反発された。」

じゃあ何のためにヘイスースは死んだんでしょうね、フェルナンドさん?
「Jesus died for peace..I told him you don't need to go to Iraq. Jesus says it is not the war, it is the big power demonstration to Sadam Hussein」

325fernandoandiやりきれない思いを反戦活動で昇華させている、熱い反戦父さん、フェルナンドは、この活動をするために英語を学んだだけあって、訛りがかなりきついものの、意思疎通は十分可能。こちらも怪しい日本人なのだから、怪しい英語同士、返って通じ合うのであった。

しかし雑談していて、驚いたことが二つ。
一つは「再婚するんだ。インターネット上で知り合ったのさ。」しかも相手はコロンビア人3人の子持ち。今度アメリカに子供ごと移住しにやってくるのさ。(←色々な意味で大丈夫か?)」

もう一つは「平和団体の招きで、日本を訪問したことがある。驚いたのは、あちこちにエッチな漫画雑誌が売っていること。(レディコミ?)普通の漫画に見えて、本を開けるとあれ~と驚く。あと、電車の中吊りのグラビアにもびつくりしましたよ。」

>うーーん、いいところに気がついてるねえ、フェルナンドさん。でも、日本と日本人はかなり大好き、だとか。ということで、かなり意気投合して、↑ツーショット写真など撮影。

あすは、彼の「ハンガーストライキ式・反戦集会」を夜取材する。24時間固形物を食べないで、座り込みデモをする。あすはヘイスースの命日だから。

「息子が亡くなってから4年も経つのに、この国はまだ戦争をやめない。」がつんと来る一言だった。
(つづく)

2006年の回顧投稿


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Thursday, March 22, 2007

オンエアとか、会見とか、免許取得とか、「Borat」鑑賞とか。

311armydolls飛行機で、朝帰ってくるなり 放送だ。ジョーの物語は、締め切りぎりぎりで編集が間に合い、無事放映された。まとめ段階で、またすったもんだあったが、何とか流れてほっとする。

322sakurakaiken3.22 DC桜フェスティバルの時期だ。日本大使館の会見が開かれた。

Dclicense3.23 久しぶりに徹夜で勉強して、かねてからの懸案であった運転免許証を申請に行く。合格。これでロケ先でレンタカーを転がせる。

Boratwp_fbpkju_pr3.24映画「Borat」を見る。愉快愉快。しかし、毒舌お下劣がそこかしこにあり、「やりすぎたドリフターズ」もしくは「下品になりすぎて苦情が殺到したひょうきん族」のような感じか。ネットの公式サイトはココ(音が出るので注意)。

※2006年の回顧はココ

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Sunday, March 18, 2007

風邪っぴきの陸軍妻の再取材と、海辺の避暑地で帰還兵ジョーが初講演会、そして取材終了。。

318ftstewartagainyellowテディ、家族全員が、すごい風邪よ!うつしたくないから、家には来てほしくないの。。」がーん。ジョーの反戦集会の取材を終えて、ジョージア州の東のはし、サヴァンナで飛行機を降り立つと、こんなメッセージが携帯に入っていた。(写真はサヴァンナ郊外のスチュアート陸軍基地のダウンタウン)

メッセージの送り主は、サヴァンナ近郊にあるアメリカ陸軍スチュアート基地に住む陸軍兵の妻、エイドリアーナさん。以前、陸軍兵士の妻達による「お悩み相談ラジオ」の取材をしたことを書いたが、エイドリアーナさんは、そのラジオの熱心なリスナー。前回一度お宅にお邪魔して、インタビュー取材をしたが、追加でもう一度、あすの朝取材のお願いをしていた。

それが、本当に風邪を引いたのか、もういやになったのか、できれば来ないでほしい、などという。帰還兵でPTSDに苦しむジョーに続き、軍人の家族の取材は、波乱続きで、テディは精神状態が一杯一杯。。。。

「来て欲しくない。」と言われても、もうカメラマンもわたしもこうして来ちゃっている。

取材をしないことには、せっかくワシントンDCからジョージア州くんだりまで来た意味がない。イラクに夫が行っている間、3人の子供(2人は幼児)と留守宅を守っていて、何かと大変なエイドリアーナ。しかし、彼女が風邪を引いても、イラク戦争4周年記念日は目前にやってくるし、我々はそれを放映しなければならないという締め切りを抱えている。

ええい。。。。ということで、ここはアメリカ風に強気な電話を掛けて、
「風邪を引いているところ申し訳ないけれど、お邪魔させて欲しいの。」という気持ちを伝えよう、と思ったら、留守電。。

そこで、一緒に旅行中のSカメラマン(ベトナム系アメリカ人)が、爆発である。
「来て欲しくない、というのは、本人の意思じゃなくて、陸軍が彼女を情報操作してるんじゃないのか。来て欲しくないのは、陸軍のほうじゃないのか。我々は外人なんだぞ。9・11以降、どんなに基地での取材が難しくなったか、テディ、君は知らないんだ。」

Sカメラマンにも、体力的に今回の取材で負担を掛けていたことは認める。

しかし、↑は、あんまりじゃないの?

「Sカメラマン、陸軍が情報操作しているなんてことは、決してありませんよ。エイドリアーナは、純粋に風邪を引いただけだと思います。こちらが丁寧にお願いすれば、きっと分かってくれます。9.11前後のことは、わたしもアメリカにいなかったからわかりませんが、基地の広報を怒らせるようなことは、今回はしていないですよ。」


取材中のディレクターとカメラマンの衝突、は大なり小なりいつもあること。しかし、今回のはあまりに突然というか、意地悪というか、あきれるというか。

あまりの怒りに、カメラマンと口を利かずにホテルに直行。とりあえず明日の朝に運をかける。

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318ftstewarttanks朝。スチュアート基地に向う前に、エイドリアーナに電話をかけた。
「エイドリアーナ、テディだよ。われわれ、もう実は近くに来ているんだ。風邪を引いているところ、本当に悪いけれど、きょう撮影しないと、デッドラインがあるんだよね。」
知らず知らずのうちに、涙が頬を伝っていた。テディ、つくづくこの職業に向いていないと思うことが、何度もある。どうしても強く出れない。いい人、なのである。もっとずうずうしい人は、この業界にごまんといるし、成功している人も多い。なのに、どうして、わたしはこうなのかしらん。。。。

エイドリアーナは「テディ、わかったわ。わたしも頑張って気を取り直してみるわ。時間を頂戴。息子ともども風邪薬を飲んで、少し楽になってきたの。お昼前に、家に来て。撮影をしましょう。」

318fortstewartkidpark。。テディも、涙を拭いて、鼻をかんで、時間をもらったが、どうにかこうにかして、基地に再びやって来れた。うれしかった。とにかくこの取材、精神的にもつものではない。取材先にこうして振り回されるのは、やはり彼らがイラクに家族を送っている、もしくはイラクから家族が帰ってきた、という貴重な体験をしていて、精神的にも体力的にも不安定だから。

じゃあ、イラクって何なんだ。戦争って何なのよ、と。
過剰なまでに自信たっぷりに生きているアメリカ人、アメリカ社会なのに、彼らを根底からゆさぶっているのが、イラク戦争なのではないのか・・。

エイドリアーナが2歳の子供を連れて、公園に来ているところの撮影を終えた。↑こんなことを考えていたら、あっという間に時間は過ぎていった。エイドリアーナを抱きしめて、感謝の意を伝えた。こんなに風邪を引いているのに、家にやってきたクレージーな日本のテレビ局。。一生彼女の記憶に残ることだろう。出来る限りの感謝を伝える。本当にありがとう。

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318palmtreessavannah午後。晴れ渡ったジョージア州の空は青い。一転して、セント・シモンズ島という海沿いの避暑地へ向かう。パーム・ツリーなど生えていて、常夏気分だが、気持ちはばてばてである。

きょうの午後は、一日、最後に残った、ジョーの追加取材。ジョーが、この避暑地で開かれる「反戦の集いーイラク帰還兵が語る。」という集会で、講演をするのだ。これまでジョーを追いかけてきたわたしとしては、ほおってはおけない。

318ftstsimmoswideまたジョーが「took off」したらどうしよう、と一抹の不安がよぎるが、会場についてほっとした。ジョーが来ている。しかも、三脚を立てていると、当の本人がわれわれのほうにつかつかと近づいてきた。
「テディ、来てくれたんだね。また会えてうれしいよ。」
ジョー自ら、われわれ取材者に声を掛けてくるようになるとは、ものすごい進歩である。会場は、海に面していて「講演会が終わったら、砂浜に裸足で駆け出したいんだ。バグダッドで、いやというほど砂を浴びたけど、ここの砂は違うからね。」などという。

318joeandjanicesteimmonsセント・シモンズ島は釣りや、避暑を楽しむ、社会からの引退者が住む町)である。だからこそ、陸軍などの基地が多く保守的なジョージア州で、反戦集会が開きやすい町だった。彼らはイラク帰還兵・ジョーや、ジョーのママのジャニスの話を聞きたがっていた。日曜日の午後、60代、70代、の観客が40人くらいだろうか、集まって、熱心にジョーの話を聴いた。ジョーも、きょうはきりりとして見える。腹をすえて、不特定多数の人の前で、心の病をおして、語った。

「あなたの兵士達は、イラク戦争から無傷で帰ってくるように見えて、実は違います。メディアが取り上げない、人々が巷で話さない話題、それは、兵士の自殺率の高さについてです。きょうは、それについて話したい。戦闘を生き抜いて帰ってきても、自分を自分で殺めてしまう兵士達が、数多くいます。それは、イラクで心の病に侵されたからに他なりません。この戦争でアメリカ軍の兵士と、その家族がこうむっている人的被害がどれだけのものか。底知れない、理解を越えるほどの被害があるのです。」

ーーーーー
講演会は、盛況で、大成功だった。ジョーは立派に役目を果たし、集会が終わった後も、参加者に質問攻めにあっていた。よかった、と同時に我々は帰らねばならぬ。締め切りが迫っているのだ。

一抹の寂しさを感じながら、片づけをしていたら、ジョーが声を掛けてきた。
「片付け、手伝おうか?」
知らず知らずのうちに、一体感が生まれていた。講演会場を後にして、テディ、Sカメラマン、ジョー、ジャニスの4人で、カフェに入った。コーヒーを小一時間掛けて、飲んだ。不思議な時間が流れた。何を話したかは、覚えていないが、達成感と安堵感と、一体感を全身で感じていた。そして、これで終わったんだ、という何だか惜しむ気持ちもあった。ジョーとジャニスの仲良し親子とは、これでお別れ。われわれは、あすの夕方までにこれを日本のTV局に流さなければならない。締め切りや、別の作業に後ろ髪を引かれながらも、彼らともう会えなくなるんだ。という気持ちのほうが大きい。

カフェを出て、さよなら、と2人の仲良し親子に手を振ると、高かった陽が傾き、避暑地は夕暮れを迎えようとしていた。この島からたった2時間の場所には、戦車やらライフルやらに満ちた、軍事基地がある。そこからは、きょうもあすも、次々とイナセントな「トイ・ソルジャー」たちが、アメリカに対する悪意に満ちた国に、送り込まれていくのだ。しかし、ジョーやジャニスのような人々が、軍人の中の数割ではあっても、アメリカの世論を少しずつ動かしていく、と信じたい。

帰還兵・ジョーの物語の取材は、これで終了。

※2006年の回顧投稿の更新はココココにある。

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Saturday, March 17, 2007

イラク帰還兵・ジョー、初の反戦集会参加取材ではらはら。

イラク戦争4周年を前にした週末の土曜日。 全米で反戦集会が開かれた。

でも、きょう私たちが取材するのは、ジョージア州アトランタ郊外の、小さな小さな反戦集会。
規模は小さくても、ローカル紙やTV、はたまた我々のような外国のTV局の取材しか来なくても、イラク帰還兵のジョー・メイさんと、その母親のジャニス・メイさんにとっては、とっても意味のある集会。

317mfsologoジャニスにとっては、軍人の母として参加する、初めての地元での反戦集会。ジョージア州は軍の基地が数多くあり、保守的な人口が大部分を占めるから、反戦集会を開くのも、勇気の要ることだと言える。ジョーにとっては、イラクから帰還し、PTSDなどを患って陸軍を除隊し、軍を離れてから、初めて「市民(シビリアン)」として参加する反戦集会なのだ。

「ジョーは、明日、集会にやっぱり行かないって言っている。 説得してみる。」
3.16の投稿で、山の中の療養先で、 PTSD青年のジョーのインタビューや、林を散歩するところを無事撮影し、くたくたに疲れ果てたことを書いた。しかし、疲れたのは、もう一つ理由があった。

317joeiniraq反戦活動に参加し始めた元陸軍兵、ジョーの物語を描くには、ジョーが反戦集会という公の場に、PTSDという心の病を圧してまで参加してこそ、オチがつくというもの。(写真はジョーが撮影した、ぎらぎらと昇る(沈む)イラク・バグダットの太陽。)

「金曜日にジョーの療養風景を撮影して、土曜日は集会に参加するジョーを撮影」
という予定を立てていたものの、それは、あくまでも取材者である私の都合のいい予定なのであって、ジョーの心の中はどこ吹く風。集会に参加するかどうか、心の具合が良いかどうかは、あくまでもジョーの都合なのであり。。

ジャニスはきのう、「ジョーは、明日、集会に行かないって言っているけど、説得してみる。」などと言い出したのだ。

慌てたのは、私。きのうは、取材終了後に、ジョーの隣に座って、説得してみた。
「集会に出てよね。私たち日本のテレビのため、というわけではないけど、(実際はそうなんだけど)ジャニスのためにも、あしたは、集会に行こうよ。みんなが待ってるよ。」

あまり押し付けては行けないが、おとなしすぎるのもよくない。
ジョーが集会に参加するところが、私としても、見てみたい。取材対象とはいえ、なんだか弟のような気分になってきている。不思議なものだ。まあ、それよりも、ジョーが来ないと、ここまで組み立てて来たストーリーが成り立たない、という焦りのほうが大きかったのだけれど。

集会の時間になった。ワシントンDCから、このストーリーを流す日本のテレビ局の担当記者も「立ちレポ」をしに合流した。ジョーの物語は、彼の取材リポートとなって日本の朝のニュース番組に流れる予定なのだ。

ジャニスから集会直前にメールが届く。「テディ、ジョーは来ます。私と一緒に集会に出るって、約束してくれたわ。それだけ、じゃね。」よかった!と一時は安堵した私。しかし、そう物事は簡単ではなかった。

アトランタ郊外にあるショッピングモールの、大きな駐車場の路肩。
通りの激しい国道に面していて、 軍人の家族が話しますの会(Military Families Speak Out)・アトランタ支部」のメンバー20人ほどが並んで立ち、 道行く車のドライバーたちに、反戦メッセージ・ボードを アピールするには、格好の場所。

ジャニスがいた。しかし「Joe took off…」開口一番彼女はこう言った。恐れていたことが現実となった。笑顔が張り付いた。トック・オフ、って。。一体どういうことよ、ジョー?

「ジョーは、車を運転して、モールまで私と一緒に来たのよ。でも、「 米軍を今すぐ撤退させろ」「イラクから帰れ」といったボードを持ったメンバーが、 路肩に立っているところを見て、upsetして(気分を害して)しまったの。“母さん、話が違うよ。もっと大勢のメンバーが行進すると思っていたのに、これじゃあ、まるでヒッピーみたいじゃないか”ですって。」

ジョーは、ある意味ナイーブなところのある青年で、陸軍兵というマッチョな職業は向いていなかったもかもしれない、と思う。 大学では文学を専攻していたのに、何を間違ったか、卒業と同時に陸軍に志願し、イラクに行った。いまこうして医療除隊になったのも、文学的才能を生かして違う人生を送ることができるのだから、ある意味ラッキーなのかも。

317joeatrallyしょうがないので、ジョーなしで、ジャニスが反戦活動をしているところを撮影開始。はらはらしながら待つこと20分。
黒い革のコート姿のジョーが、ショッピングモールの中から、どこからともなく姿を現して、ジャニスのとなりにすっと立った。よかった、来てくれた。小躍りして喜んだ。早速撮影である。気が変わらないうちに、撮影してしまわないと、「ジョーの物語」の撮影は、ホント心臓に悪い。。こちらの神経がいくつあっても足りるものではない。

317janiceiv“It is too long and it is too much and it is too much of the strain on the families on the soldiers and on the countries, on everything.”ジャニスに、集会の場で記者が感想を聞くと、こう答えてくれた。メイ親子にとっても、ここ=反戦の意思を公の場で示す=にたどり着くまでに、いろいろな思いが交錯したことだろう。でも、軍人の家族が、退役軍人が、直接ブッシュ政権のイラク戦争にノーということの大切さを、彼らは身にしみてわかっている。たとえご近所や、多くの軍人の家族に後ろ指をさされようと、彼らの意思はもう変わることがないのだ。

317msogarallyend道行く車に反戦サインを掲げる、というこれまで見た集会の中でも、最もワイルドでヒッピーな集会だったが、それでも多くの車が、集会の参加者に向けて、クラクションを鳴らして答えていて、いい絵が撮れた。ジョーは、「軍人の家族が話しますの会」の垂れ幕を持つジャニスに手を貸したり、ようやく、傍観するだけじゃなくて、集会に参加する決心がついたようだった。

317joeandi「ヘーイ、ジョー。来てくれてうれしいよ。(一時はどうなることかと思ったけど)」そう伝えると、ジョーははにかみ笑いをしながら、カメラマンのSさんに「タバコ、くれないかな」とせがんだ。まだまだ若い、ジョーのようなイラク帰還兵が、これから世に多くのことを伝えて行ってほしい、と思わずにはいられない。写真は集会後に撮った、テディとジョーの2ショットである。

ジョーの物語は、まだまだ続く。あすは、何と、反戦集会から一歩踏み込み、ジョーが「帰還兵が語る」と題して、反戦を考える、市民の会主催の講演会に出演するのだ。

また「具合が悪い」とかって、きょうみたいにジョーが「トック・オフ」されたら、と思うと気が気でないテディなのだが、きょうはひとます終了。あすはあしたの風が吹く〜、と期待して、ジョージア州を縦断し、アトランタからサヴァンナに飛行機移動。そこでまた、一もんちゃくあったのだが、その話はあす。


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CNN・アトランタ本社ツアーで息抜き!

317cnnつらく苦しいジョー君のPTSD体験談や、イラク戦争に赴く兵士達、なんていう暗い話題ばかりを取材し続けているせいか、取材するこちら側までモチベーションが下がってきた。そこで、気分転換に、空き時間を無理やり作り、CNN・アトランタ本社ツアーに参加。

CNNのプライムタイム系の番組のスタジオは、ほとんどが
NY(「アメリカンモーニング」「アンダーソン・クーパー360°」「ラリー・キング・ライブ」等)と
DC(「シチュエーション・ルーム」)にある。(CNNの番編サイトはここ
アトランタ本社には、CNNメインチャンネルの昼から午後編成の番組(たとえば「CNN Newsroom」)と、CNNヘッドラインチャンネル、CNNインターナショナル、CNNエスパニョール(スペイン語放送)のスタジオがあるのみ。

ホテルなどの入った複合ビルだった「オムニ・インターナショナルコンプレックス」を、1985年にCNNの親会社ターナー・ブロードキャスティングが購入し、「CNNセンター」と改称した。

アトランタ・ツアーは、以前参加した、同じCNNのNYスタジオツアーに比べると、スターアンカーの出るプライムタイム番組を制作していないせいか、いささかエキサイティング度には欠ける。(大ファンのアンカー、アンダーソン・クーパーがいなかったからじゃないですよ。)しかし、CNNのローバスト(がんじょう)な昼番組の屋台骨を見るには、勉強になるツアー。CNNには、「メインチャンネルだけじゃなくて、ヘッドラインチャンネルなど他のチャンネルもあって、こんなに沢山の人が裏側で働いている」ということがわかる。「CNN Newsroom」の番組を生放送中だったので、ベトナム系アメリカ人の美人アンカー、ベティ・ニーグエンさんの後姿を見れたのが、うれしかった。

※06年の更新はココココ

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Friday, March 16, 2007

イラク帰還兵・ジョーの心の闇を垣間見る旅。

317georgiarallybefore_1ジョージア州アトランタ。
郊外に向けて、車をひたすら走らせること2時間。ブルーリッジという山間地帯にやってきた。花みずきだろうか、白い花が美しく咲いており、心が和む(写真)。

先週初対面したイラク帰還の元陸軍兵、ジョーに再会する。先週、母親のジャニスさんと共にインタビューに応じてくれたジョーに、きょうは、2回目のインタビューに応じてもらう。しかも今度は、「PTSDの療養生活を見せてほしい」、というリクエストである。

317joeintheplaneもともとこの取材は、「イラク戦争開戦から4年、兵士の今は」というミニ特集。取材中に、知れば知るほど深みの出てきたジョー(写真は陸軍時代のもの)をクローズアップすることになったのである。健康そうに見えたジョーだが、訓練中に受けたフィジカルな傷と、帰国後PTSDの症状を癒すため、祖父母の住む「山小屋」に身を寄せ、都会から離れて暮らしている。27歳、遊びたい年頃だろうに、山小屋に閉じこもらなければならないほどの、心の闇とはどういうものなのか。

到着。ジョーの祖父母に挨拶をする。祖父は元ペンタゴン(国防総省)の軍人で、現在は地元の教会の牧師をしているし、祖母も元学校の先生で、二人とも極めて穏やかな人物。人見知りのしない人柄で、われわれを暖かく迎えてくれる。ジョーも、部屋からぱりっとした身なりで出て来る。意外と元気そうでほっとする。取材を受ける覚悟を決めたらしい。

317joeinthemountainイラク従軍→PTSD→陸軍除隊の間に2回の離婚を経ているジョー。いそうろうしている部屋は荷物があまりなく、がらんとしていて大学生の寮のよう。

ジョーは先週以来、体と心の調子が、またまた芳しくないらしい。事前に、母親のジャニスさんに「山小屋にジョーを訪ねたい」旨を伝えると、「聞いてみるけど、あまり期待しないでね。具合が悪いと、部屋に閉じこもって出てこないこともあるから。」との返事だった。そこで、彼の回復を辛抱強く待って、ようやく今日の訪問にこぎつけた。

相手の体や心の調子に左右される取材は、本当にどきどきする。相手次第でロケがNGになるかもしれないが、自分がどうにかできるものでもない。かといって、もしこのタイミングで撮影がNGになったら、放送が危うくなるのだから。

317joeforestimageジョーの住む家のすぐ裏手は丘と林が広がっていて、人の気配が全くない。「心が辛い時はこうして林の中を歩くんだ。朝の3時でも、4時でも、一日に何回でも、こうして林の中をひたすら一人で歩いて、頭の中に出てくるつらいイラクのイメージを消そうとしている。」林の中を歩くジョーのモノローグを撮影。

「バグダッドに駐留して、生と死を毎日毎日目の当たりにした。突然ふらりと自爆テロ犯がアメリカ軍のキャンプに入ってきて、食堂で仲間が死んだ。パトロール中にも、ロードサイド爆弾が爆発して、何が何だかわからないうちに、仲間があっという間に死んだ。イラク人の死ぬところも、数え切れないほど見た。少女がレイプされていた。帰ってきて、思った。なぜ俺が五体満足で、帰ってきたんだろう。何で仲間は死んで、仲間の家族が泣き悲しんでいるのに、何で俺は生かされているんだ。そう思ったら、帰国しても、眠れない日々が続いた。うとうとしても、悪夢が襲ってきて、自分の叫び声で目が覚めたりした。そんな状態だったから、隣で寝ている妻がある日、「もうあなたとは別々のベッドで眠りたい。」と言い出した。それから、別々の人生を送ることにして離婚した。生まれたばかりの娘も、時々会いに行くことしかできない。」

317whichway
「アトランタに帰ってきて、ショッピングモールで買い物をしていても、悪夢が襲ってくるときがある。突然、周りにいる買い物客がテロリストに見えてきて、自爆テロを仕掛けられるんじゃないか、と思い、冷や汗が出てきて、通りで大声を出したくなるんだ。そんなときは母に電話をする。そうすると、母が”ジョー、ここはバグダッドじゃないのよ、あなたはアメリカ合衆国にいるのよ。もう大丈夫”となぐさめてくれる。一度は、自分で動けなくなるパニック障害になって、母にモールまで迎えに来てもらったことすらあった。」壮絶。。(写真はジョーがバグダッドで撮ったもの)

317joeandjaniceinmountain日暮れの林には、あっという間に濃い霧が出て、気温がぐっと下がって来た。モノローグを撮り終わり、かじかむ手で家の中に帰ると、ジョーのおばあさんが、ほかほかのホットチョコレートをふるまってくれた。なんとおいしかったことか。ジョーの撮影の付き添いでやってきたお母さんのジャニスと、2ショットで親子写真を撮影する。ジョーは、27歳にして、人生の全てを失い、体と心に傷を負ったマイナスからのスタート、であるからして、そうでなくても仲の良い親子なのだが、母親のジャニスに、甘え頼っている。男性にとって、いつでも甘えるのは母親というわけだろうが、いずれは再び1人で生きていかなくてはなるまいに。

317joeshakehandswithiraqisジョーのイラク従軍時代の写真を借りる。ジョーは「ハウアーユー?」と問いかけても「タイアード(疲れた)」なんて返事をすることがあって、まだまだ心の状態の完全回復は遠い。しかし先週と今週を通じ、心を病んだ青年の心を開こうと、いろいろな話をした。カメラの前で、なるべく本当のことを語ってもらおうと、こんなに手を尽くした取材先は、今までにあまりない。わたし自身のことまで、話してしまった。なぜアメリカに来たのか、今までどんな挫折を味わってきたのか、などなどだ。

アメリカでの取材は、相手の話を聞くことも大事だが、こちら側の過去の経験や、現在の暮らしをある程度「ショーオフ」して、インタビューアーがどういう人間なのかを知ってもらうことも、実は大事。こちらのことをわかってもらうと、より相手も心を開くことが多い。日本で取材をするときは、自分の家族のことや、プライベートなことは、なるべくミニマムに保つのとは、対照的だ。

もうひとつ、思ったこと。
兵士というのは、装備のいかつさとは対照的に、なんて心のもろい人種なのだろう、ということ。ジョーの話を聞いていると、「トイ・ソルジャー(おもちゃの兵隊)」なんて、呼びかけたくなってしまうほど。

武器や戦車の扱い方を知っていても、自分の心の扱い方は、訓練で教わらない、ってことなのか。アメリカ人にハウアーユー、と聞くと、必ず「グッド」か「ファイン」という答えが帰ってくるのが相場なのだが、「タイアード(疲れた)」という返事をもらったのは、ジョーが初めてだった。いつも元気で前向きでいなければ生き抜けないアメリカ社会で、ジョーみたいに心の闇を抱えて生きるのは、さぞかし辛いだろう。

しかし、肝心の陸軍による心のケアはというと、「ただ否定するだけ。否定して、否定して、どうしても否定しきれなくなったら、しょうがないから軍の病院で、PTSDと認定する。そのころには、もう待てなくて、ディプレッションから自殺を遂げてしまう兵士も多い。(ジョー)」というから、絶句してしまう。

317sunsetmountainga取材が終わる。聞きたいことは聞けたし、予想していた映像も撮れた。イラク時代の写真も借用したし、取材相手の心を開くことにも成功した。そこで、泥のような疲れである。話の内容が壮絶だったせいだろうか?しかし、人の話を聞くだけで、こんなに疲れるのは何故なのだろう。プロのセラピストや、刑事さんなんかは、どんな風にして心の平穏を保っているのだろうと思う。
日が沈みかけている山間地帯の道を、あまりの疲れと眠さにうとうとしていると、ハンドルを握る、カメラマンのSさんもうとうとしている。いけない!これでは取材どころではなく、居眠り運転で命を落としかねない。とりあえず必死の思いで目を覚まし、ドライバーにも話し掛けて目を覚ます。何とか都会・アトランタまでたどり着いて、バタンキュー。


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Wednesday, March 14, 2007

「じいさん反戦活動家」の語らい取材で夜は更けて。。

314goodnowandcompanyベトナム戦争時に「ニクソン大統領弾劾」を訴え、反戦運動をしていたジム・グッドナウさん、68歳。07年の今、30年以上の時を経て、彼がイラク戦争の反戦活動をしていることは、たびたびこのブログでも取り上げてきた。ジムさんは、定宿を持たずに、半ばヒッピーに近い状態で、自身のプロデュースした、「反戦バス・テキサスの黄色いばら号」を運転して、全米を精力的に回っている。きょうは、彼の「イラク反戦活動」を描く追加取材。ジムとその仲間達が、バージニア州の反戦活動仲間、ボブさんの家に集い、夜の語らいをしているシーン(写真)を撮りに行く。何しろボブさん(写真の左端の白髪の男性)は80歳を越えている上、大病を患って手術を受け、回復したばかり。当のジムさんも、なんとガンを患っている、と私に告白してくれた。

「ベトナム戦争から30年以上経ったのに、イラク戦争で、アメリカの前途ある若者が、命を落としている。アメリカは過去の過ちから、ちっとも学んでいないんだ。」

60代ー80代のじいさんたちの、熱い「反戦の語らい」が続く。夜は更けて、もう21時過ぎなのに、若い私よりも、彼らのほうが熱いのは、どうしてなんだろうか。

きっと、伝えたいメッセージがあるからなんだろうね。
アメリカの老人達は、以前も書いたが、「年相応」とか「世間の目」とか、日本でありがちな「年齢のしばり」がないので、すっげー元気ばりばり、なのである。。

もちろん、彼らも病気とかで弱ってはいるんだけど、でも気合が違うのよ。気合が。

日本ではありがちな、「80歳だから、こうしなければならない、こう生きなければならない、とかの固定観念がないから」なんだろうけど、兎に角、彼らじいさん活動家の「アメリカという国を良くしたい」というシルバー・パワーにはいつも驚かされ、ただただ感心してしまうテディなのだった。。

※06年回顧投稿をひとつ更新。

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Monday, March 12, 2007

あの陸軍病院で、イラクで負傷した”移民兵”に、米市民権授与。。

312walterreedchertoffワシントンDC市内にあり、最近ではイラクで負傷した兵士が多く運び込まれる、ウォルター・リード陸軍病院にやって来た。きょう取材するのは、マイケル・チャートフ国土安全保障省長官が出席する、ある会見。(写真)

312walterreedexteriorここには、、手足を爆弾で吹き飛ばされるなどしたいわゆるamputeeや、頭部に傷を受けて意識不明の兵士など、命は取り止めたものの、重傷の兵士が運び込まれることで良く知られている。amputeeの中には両手足を吹き飛ばされ、胴体しか残っていない患者も多くいるらしい。

しかし、近頃、こうした重傷患者たちが実は劣悪な環境下に置かれ、老朽化し衛生度が著しく低下した部屋に放置され、治療もままならない状態であることがわかり、大きな社会問題となっていた。陸軍の「官僚主義の弊害による管理面での不備」が理由。

陸軍長官が3月頭に事実上更迭され、問題を解決しようという動きが見られらたものの、メディアのバッシングは止まらない。「テロとの戦い」のためにイラクに赴き負傷して、命からがら帰ってきても、こんなひどい扱いを受けたのでは、兵士達もたまったものではない。

312walterreedgroupofsolderきょうは、そうした重傷兵士患者の中でも、「移民」ステイタスのままイラクへ赴いた兵士に、アメリカ市民権を授与する。驚いたことに、アメリカ軍には、グリーンカードさえ持っていれば、アメリカ市民でなくても、入隊できるのである。もっと驚いたことに、ブッシュ大統領が9.11後、2002年7月に、テロとの戦いのための兵士の数を一定数確保しようと、
軍に入れば優先的にアメリカ市民権を授与する」と宣言した。だから、市民権を目指して、主にラティーノと呼ばれるヒスパニック系の人々が、多数軍に入隊した。

きょうは、そうした”移民兵”の中でも、負傷や病気などでウォルター・リード陸軍病院に収容されている兵士で、イラク帰還兵の4人を特別に選んで、チャートフ長官自らがアメリカ市民権を授与。国籍は、メキシコの兵士2人と、ハイチが1人に、ポルトガルからが1人。アメリカ政府の、”マスコミ向けのパフォーマンス”(Photo Op)である。

312walterreedlatinosoldiメキシコ出身の陸軍兵、アンゲル・レガラードーコントレアスさん(写真)は26歳。子供の頃、家族とカリフォルニア州に移住した。19歳の時に「小さい町から抜け出したいし、大学に入るお金が欲しい」と入隊。スペシャリストとして、05年11月にイラクに赴いた。06年7月1日、陸軍の重要業務である「物資供給」のルーティーン業務中に、乗っていた車がIED(即席爆発装置)で吹き飛ばされ、下肢に重傷を負った。4日後にウォルター・リード病院に到着し、治療を受け回復し、きょうの晴れの日を迎えた。
「家族ともども、とてもきょうの日を喜んでいる。イラクに行って、負傷したが、報われた。アメリカ軍に入って、働いていたが、アメリカ市民になって、より陸軍兵士としてのやりがいが増します。ブッシュ大統領に感謝してますね。」

”下肢に重傷”、と国土安全保障省側から渡された資料にあったものの、五体満足で、かつ杖を突きながらも1人で歩くことが出来るアンゲルさんは、命からがらイラクから帰ってきたのだろうが、それでも、とてもとてもとてもラッキーなケース

忘れてはいけないのは、彼の背後にいて、もっともっと傷がひどくて歩くことすらできない兵士や、この病院まで行き着けることなく、イラクで命を落とした兵士たち、だろう。

チャートフ長官は、立ち並ぶメディアのカメラの前で、こう熱弁をふるった。

「世界中から集まった移民の中でも、きょうの4人は、まだ市民になるまえから、アメリカの軍服に身を包み、アメリカの自由を守るため、まだ会ったこともない何百万というアメリカ国民のために命を危険にさらし、戦ったのです。アメリカのために究極の犠牲を払う意思があることを証明した。
あなたがたが、すでに成し遂げたその偉業に対し、ここにアメリカ市民権を授与します。」

ーーーうーん。

取材後、移民兵についてすっきりとしない思いがふつふつと湧く。
きょう会った4人の「晴れ晴れとした笑顔」とは正反対だ。

「アメリカ国籍」って、命を危険にさらしてまで、”手に入れる価値”のあるものなんだろうか?
貧しいヒスパニック・カントリーに育った人にとっては、軍隊が、アメリカという大国の市民権獲得のための、「最短ルート」になっているらしいけど。

移民兵は、「アメリカの自由を守る」、という、今となってはかなり胡散臭い理由のために、いいように使われているのではないの??

それでも、軍に入隊して、イラクに赴く”移民兵”達は後を絶たない。
※データによると、アメリカ軍には07年1月現在、6万人以上の外国生まれの兵士がいる。そのうち1万3000人が現在アメリカ市民権を申請中。04年からのデータでは、2500人の兵士が市民権を授与された。”戦死”後市民権を授与された兵士も84人いる。※

うーんん。

ーーーーーーーーーーーーでも、きょうは
この”悪名高い”陸軍病院を、この眼で見れて、興味深かった

ロビーは外来患者(陸軍兵とその家族)で混雑していたが、軍服姿の人達が多いところを除けば、少し古びた普通の病院、にしか見えない。

老朽化した施設とか、悪いところはマスコミには見せないんだろうし、本当の重症患者は、取材なんて受けられないほどで、マスコミの到達できない奥のほうに収容されているに違いない。
しかし、ここに集まる兵士とその家族のいろいろな「思い」を考えると、気が重くなる。

そんなこんなで、空気の重いように感じた、ウォルター・リード病院を後にする。

外は春の気配が少しだけして、門から出ると、心からほっとした。

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BBCワシントン支局訪問。

312bbcplateBritish Broadcasing CorporationことBBCワシントン支局を訪問。先日の陸軍基地の取材で偶然知り合ったBBCのプロデューサーと、面会に行くのだ。映像素材を貸し借りする協力の算段がついたためである。

312bbcredstudioBBCのテーマカラー、ビビッド・レッドを基調にした、美しい造形美のスタジオ。

素材の貸し借りは、アメリカのネットワークが相手だと、意外と金の話が前面に出てきたり、アフィリエート契約があるのかないか、だのうるさい話になるのだが、そこはBBC。すんなりと現場レベルで、素材のやりとりをすることが出来た。

312bbcnewsroomBBCのニュースルーム。ヨーロッパの会社のオフィスレイアウト、ってなんだか、ほんのりとお洒落。細部が小洒落てるのよね。ヨーロッパに比べると、アメリカの会社のオフィスは、ちょっぴり味気ないことが多いかも。

06年の回顧投稿はココ

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Saturday, March 10, 2007

イラク派遣中軍人の母親達が願う「早期撤退」の思い。

312momsinatlantaジョージア州陸軍基地関連取材3日目。アトランタ、ダウンタウンの外れにある瀟洒なコンドミニアム。セキュリティ管理されたゲートが開き、車ごと中へ進む。と、いそいそと1人の若い青年が道案内に現れた。ジーンズにグレーのTシャツと、ラフな服装だ。
「こっちだよ。」
彼の招き入れるまま、あるコンドの一室へと足を踏み入れる。

と、日のさんさんと当たる午後の日曜日、リビングルームに集まる中高年の「母」たち。それぞれTシャツにジーンズといったラフな服装で、クッキーとお茶を前に談笑する姿は、一見「ママさんコーラスの会合」とか、「手芸サークルの会合」にも見える。でも、ママ達+グレーのTシャツの青年が話し合っているトピックは、次の合唱の曲の選曲とか、パッチワークの布地について、とかじゃなかった。

「スーパーへ買い物に行くと、店員に”きょうの調子はどう?”って聞かれるわよね。それを聞いて、イラクに駐留している息子のことを突然思いだして、私ったら、突然泣き出してしまったの。この気持ち、一般の人には、絶対判りはしないわ。(“Regular general population doesn't understand that I can’t right out the check at the grocery store and because someone says, “How’s your day”. And I start crying because my son is in Iraq.”)」とある母親。

実はこの会合、イラクに息子や娘を派遣している兵士の母親のグループなのだ。

イラク戦争開戦4年を迎え、兵士の家族が主催する全国規模の反戦団体が、活動の幅を広げている。
きょうは、そのジョージア州支部が開いた、兵士のママ達のミーティングに潜入したというわけだ。

これ以上、自宅で、イラクにいる子供たちの心配をするだけなのは我慢できない。TVのニュースをつけるたびに耳をそばだてる、連絡が途絶えたといっては心配し、眠れぬ夜を送る。。そんなストレスの毎日を送り、軍人の母だから、お国のために、喜んで子供を差し出すのか?終わりの見えない戦争に賛成しながら、耐えるだけでいいのか?大体、この戦争は正しかったのか??

こんな思いを抱えた兵士の母親たちのグループが、米軍のイラクからの撤退を求める運動に加わることにした。きっかけは、最近、イラクへの増派が打ち出されたこと。もう黙ってはいられない。息子の帰りを待って、泣く日々はもういやだ。ママ達は、ミーティングでお互いの辛い思いを吐露しあった。

310joeandjanこの会の主催者が、グレーのTシャツの青年と、その母。青年は、イラクから戻った元陸軍兵のジョー(写真)。健康そうに見えるのが、どっこい、訓練中にあばらに負った傷に細菌感染を起こしたりして、イラクから帰還後、医療的除隊の措置となった。しかも現在、PTSDの症状に苦しみ、そのために結婚生活も破綻し、離婚となった。ジョーの隣は、反戦に目覚めたジョーの母親のジャニスさん。アトランタで私立大学の職員をしている、シングル・マザーである。

陸軍で、戦車のスペシャリストとしてイラクに派遣されたジョーは、相次ぐ自爆テロや、ロードサイド爆弾で、仲間の死を目の当たりにした。帰国後、PTSD、心的外傷ストレス障害を抱えるようになった。

「帰国して、2週間部屋に閉じこもった時期があった。ナイトメア(悪夢)なんてもんじゃないんだ。ナイトテラー(夜の恐怖)が、夜ごとに襲ってきて、眠れないんだ。さらに、軍の仲間や、仲間の家族が苦しむのを見るのはとても辛かった。しかも、五体満足で帰国した仲間も、自分のようなPTSDに精神を蝕まれて、自殺していった奴が何人もいる。ひどい状況さ。それでも、軍はPTSDをなかなか認知したがらないんだ。」

軍人一家で育ち、息子のジョーの軍隊入りも誇りに思っていた母親のジャニスにとって、ジョーが苦しむ姿は、見ていられないほど辛かった。

「ジョーがイラクに行っていたときは、死んだ息子の軍服を畳む母親の夢をよく見たわ。そして目覚めて、ただぞーっとするのよ。イラク駐留兵士だけじゃなくて、家族のストレス度も、ピークに達していることを、わかってほしいわ。」

ミーティングには、他にも、イラク駐留中に病気になり帰国した兵士の娘を持つ母が、「軍の医療ケアはなっていない」と訴えていたり、いろいろな「イラク・4年目の現状」がありありと浮き彫りに。

他にも、「私は、”反戦”じゃないのよ。やみくもに反戦を訴えるリベラルとは違うのよ。私は共和党支持だし、戦争の理由(テロとの戦い)にも、当初は賛同していたの。でも、この戦争の長引き様は尋常じゃない。どれだけ若い兵士が犠牲になればいいのよ。」と複雑な胸のうちを明かす母親も。

軍人の妻や母や父は、自動的に戦争に賛成し、辛くてもひたすら耐えて兵士の帰りを待つ。。
そんなステレオタイプを打ち砕き、世間の冷たい目にも屈せず、兵士のママ達は、今、立ち上がろうとしていた。

※2006年の回顧投稿更新は、ここにあります。

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Friday, March 09, 2007

イラク行きのバスは出て。。涙、涙の妻達にもらい泣き、の巻。

311ftbenningtankジョージア州フォート・ステュアート基地を訪問した次の日は、州を横断する5時間もの車移動で、州の西の端にあるフォート・ベニング基地にやって来た。同じく陸軍の基地である。兵士の宿舎の前には、どどーん、と写真のような戦車が飾ってあったりして、すごい迫力。こんな風景、子供の教育にはいかがなもんだろうか、と思うが仕方ない。子供って言ったって、父ちゃんは陸軍兵で、基地の中で育っているわけだし。

311ruckandsoldiersこの基地からも、今週に数千人単位で、兵士がイラクに向けて増派のため出発する。スチュアート基地の壮行会に引き続き、ここでは、もっとカジュアルな「兵士がイラク行きのバスに載る前の、家族のいってらっしゃい風景」を、メディアに公開してくれるというので、はるばるやって来た。写真は、まさに宿舎の前で、装備の最後の点検をしている兵士たち。

39ftbenningsoldierandbaby若い兵士が、可愛い女の幼児を抱き上げている。と、幼児がこう聞くのだ。
「WHERE ARE YOU GOING DADDY?(パパー、どこへ行くの?)」
「I AM GOING TO WORK, DADDY IS GOING TO WORK.. (お仕事だよ、パパはお仕事に行くんだ。)」
「WHERE?(どこに?)」

まさか、「イラクに行くんだよ」とは言えない様子が、悲しみを誘う。幼児が、パパの迷彩柄の帽子を取り上げようとしていて、あたかも、「行かないで」って伝えたいかのようだった。本人と奥さんにインタビューしてみた。「イラクでは暴力がエスカレートしているけど、怖くはない?」「いいえ。ただ自分は、自分の仕事をするだけです。2回目の派遣ですし。」奥さんは?「旦那さんがいないときの寂しさをどう紛らわすの?」「だいじょうぶです。私には、たくさんの家族がいるし。。(泣)」私が不用意に発してしまった「だんながいない間のロンリネス」という単語に、反応したのか、彼女は泣き出してしまった。テディも思わずマイク持ちながらもらい泣き。ええーん。辛いよ、この取材。。

泣かずにいられようか。1年どころか2年近く、彼女の旦那は帰ってこない。その上に、宗派間闘争が増しているイラクで勤務する夫が無事で帰ってくるかどうか、の保証は一切ない。

311soldiersingroupやがて兵士たちは、泣く家族とも引き離され、バスへ乗る前の集合場所へ。ここでは、意外とクールにしている兵士が多かったのが、印象的。仲間と雑談したりして、まるで「遠足へ行く」集団のようだ。

311soldierscloseupとはいえ、装備の点検に余念がない彼ら。1年以上の駐留になるのだから、無理もないのだろう。家族持ちとはいえ、20代の若い兵士がほとんどだった。中には、兵士同士のカップルもいた。

311soldiersdepartureいよいよ出発だ。部隊ごとに招集がかかると、立ち上がり、勇ましくバスへと向かう。中には以外とのん気そうに見える人もいる。

311shugouofsoldier屋外で、上官による最終点呼だ。ラストネームを呼ばれて、「いざ出陣。」と言ったところ。上官も冗談を交えたりして、以外となごやか。そこはもう腹をくくってしまった、というわけか。

311sendoffbusいよいよバスに乗って、基地の飛行場に行く。そこからイラク行きの飛行機に乗りかえる。出発までは、さらなる機材の点検などで、準備に6時間くらいかかるらしい。家族が来れるのは、泣いても笑ってもここまで。バスが見えなくなるまで、手を振り、涙、涙の妻たち。これから、彼女たちの、「いつイラクで突然死ぬかもわからない夫の帰りを待つストレスとの戦い」が始まるのだ。。

311surplusstoreやりきれない思いを多少かかえながら、軍の放出品、過剰品を安く売る「Surplus Shop」をのぞきにやって来た。軍支給のTシャツやら、ステッカーやら、山ほど売っている

312armywifetoughest商品の中に、こんなステッカーを見つけた。
「Army Wife -Toughest Job in the Army 」ー「陸軍の妻は、軍の中でも最も辛いお仕事。」ー言い得て妙とはまさにこのこと。

イラクに何回も赴く本人もつらいだろうが、それを待つベニング基地の陸軍兵士妻たちにとっては、さらに辛い毎日が、またまた始まったことになる。。。

06年の更新ーここここにありますだ。。

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Thursday, March 08, 2007

「生きてイラクから帰ってきて」陸軍基地で出会った現代版”銃後の妻たち”。

38ftstewartwideジョージア州サヴァンナの空港から、車で郊外に1時間ほど。ここには、アメリカ陸軍のフォート・スチュアート基地がある。基地に行くまでの、田舎道には、そこここに「飲酒運転は犯罪です」「飲みますか、それとも飲んで運転して死にますか?」などといった立て看板が。ここに駐屯する陸軍兵たちは、よほど飲酒運転問題が、ひどいのか?

38ftstewartpartysendoffそれは、さておき、きょうはここに、メディアとして取材にやってきた。ブッシュ大統領の増派指令を受け、ここの基地から、1ヶ月以内に、数千人単位の兵士が、イラクに派遣されることになった。多くの人が、2回目、3回目の派兵である。きょうは、その「壮行会」パーティの宴に潜入。しかし、なぜか取材に来たのは、われわれやヨーロッパの放送局と、サヴァンナの地元のTV局だけ。。なぜ??

38ftstewartrockofthemarne第3歩兵師団は、機械化部隊で、砂漠戦を専門としており、湾岸戦争では大きな役割を果たした。師団の通称は、第一次大戦の歴史的戦いにちなんで、「マーン川の岩(Rock of the Marne)」という。さて、上の写真のパーティでは、家族連れで、「壮行」の宴が開かれた。軍歌を歌って、同じかまのパーティ飯を食べて、上官のスピーチを聞いては涙ぐむ。。イラクですでに仲間が死に、その地に再び赴くのだから、家族の様子も、すでに湿っぽかったのが、印象的。
「夫のこと、心配はしていないです」と言いながら、うるうると涙ぐんでみたり、インタビューするこちらも辛い。。

38ftstewartyellowribbon基地の門を出てすぐにあるダウンタウンには、ご覧のような黄色いリボンが一面に飾られている。これから数千人の兵士がいなくなると、町はゴーストタウンと化す。基地の町の住民でもある兵士らの「壮行」の意味をこめ、黄色いリボンで「必ず帰ってきて」というメッセージをこめている。

38ftstewartstreetdance1パーティには、取材に来ていたBBCのクルーが、陸軍の広報官に大目玉を食らっていた。何やらパーティのスピーチ中に、軍の大佐か何か偉い人の前を横切ってマイクをかざし、思い切り彼の視界をさえぎったらしい。写真は、壮行会の中でもカジュアルなイベント「ストリート・ダンス」。夫がイラクに派遣される前の、束の間の家族団らんを、ラップ音楽と共に楽しむ。基地の中にいることを忘れてしまう。軍服を着た夫と、若い妻+幼児というパターンが多く、彼らの多くが「イラクは怖いけど、夫の留守中は、ポジティブなことしか、考えないようにしている。気持ちを強く持っている」とか答える。

38armywiferadioアーミー・ワイフの皆さん、夫の駐留中に困ったことはありませんか?お電話ください。私、タラに気持ちを話してみて!」タラ・クルックスさんは、夫のケビンさんを、2回目のイラク駐留に送り出した。不安な気持ちを紛らわそうと、陸軍妻のためのトーク・ラジオ局を始めたところ、これが大人気に。軍隊界の「オプラ・ウィンフリィ」とたとえられてもいる。

「夫をイラクに送り出した軍人の妻の多くは、底知れない不安と孤独を抱えている。でも、女手ひとりで、夫のいない毎日の暮らしを送らないといけないし、子供の前では弱い気持ちは見せられない。そういう矛盾したストレスに呑み込まれそうになりながら、暮している、多くの軍人の妻同士が、その気持ちを分かち合えれば、と思って、ラジオを始めたの。」

そんなタラさんも、長女のレナちゃんと共に、夫の写真を見てもらい、撮影をしていたところ、突然涙がぽろぽろとこぼれ。。
びっくりした。これが、イラク戦争開戦4年後の、軍人の妻の現実なのだろう。気丈にしてはいても、もろいし、毎日の不安や夫の身の安全についてのストレスが、限界に近づいているのだ。

38ftstewartadreanaさらには、陸軍基地の、ラジオ・リスナーのお宅にもお邪魔。エイドリアーナさんは、子供をつい最近産んだばかりなのに、夫はイラクへに行ってしまった。タラのラジオが、大きな心の支えになっているそうな。。

陸軍基地取材は、まだまだ続く。。。
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06年回顧記事の更新がひとつ


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Tuesday, March 06, 2007

焼身自殺未遂の移民父さん、反戦アクティビスト界にデビュー。

「イラク戦争反対」機運が高まっているアメリカ。

Anti-war activist、つまり反戦活動家の数も増えるばかり。ベトナム戦争以来と言えるだろう。テキサスのブッシュ大統領の家、クロフォード牧場で座り込みプロテストをしたりして、一躍有名になった、シンディ・シーハンさんなど、イラクで息子を亡くした家族が悲しみと怒りのあまり、反戦活動家に転じる例が、ここ数年の米メディアをにぎわしていた

その「アクティビスト業界」に現れた、”新たな星”を取材。

Richards_protestカルロス・アレドンドさんは、47歳。コスタ・リカからの移民で、アリゾナ州とメキシコの国境を文字通り「またい」で不法にアメリカに入国した。その後大工などをして生計をたて、アメリカ人の奥さんとの間に、2人の息子をもうけた。長男のアレックスは海兵隊の上等兵として、イラクに2回駐留。彼の誇りだった。

2004年8月25日は、カルロスの44回目の誕生日。ナジャフに駐留しているアレックスからの誕生祝いの電話が必ずかかってくる、と、フロリダ州の自宅で、心待ちにしていたカルロス。

しかしそこに突如やってきたのは、マリーンの正装に身を包んだ、海兵隊のカジュアリティー(犠牲者ケア)・チームの二人組み。

「残念ですが、息子さんは、ナジャフでパトロール中に、スナイパーに頭を撃たれて亡くなりました。即死でした。」
「そんなはずがない。帰ってくれ。プリーズ・リーブ」とカルロス。

カルロスは、しかし、メイン州に住む別れた妻(アレックスの母親)や、次男にも電話。
同じ訃報が届いていることを知り、愕然とする。アレックスは本当に死んだのか。移民の息子として、軍の中でもエリートのマリーン(海兵隊)に入り、仲間意識を持って頑張っていた息子。高校を出て、すぐに海兵隊のリクルーターに、スカウトされた。大学に入りたいなら学費を海兵隊が払ってやる、そう誘われた。

カルロスは、絶望のあまり、そのリクルーターにも電話をかけた。そこで、そのリクルーターがあきらかに「居留守」を使っていることに気づき、怒りが爆発したカルロス。
「マリーンに入れば、お金の心配もなくなるって、あんなに上手いことを言ってアレックスをスカウトして、死んだらそれまでなのか。」アレックスは、まだ20才だった。

Marinevan1
カルロスは、訃報を知らせに来た海兵隊員が乗ってきたバンに乗りこみ、発作的にガレージから持ってきたガソリンの缶のふたをあけ、自分に火をつけた。車は大炎上。誰もがカルロスは助からない、そう思ったとき、車に乗っていたプロパンガスの缶が爆発し、彼は車外に投げ出された。

下肢を中心に体の25%に火傷を負ったカルロスは、それでも一命をとりとめ、ストレッチャーに乗ったまま息子の葬式に出席した。彼の話題は、ナショナル・ニュースとなって全米に報じられた。

36carlosaledondo傷もほぼ癒えた2007年3月。カルロスは、ワシントンDCで、反戦団体ANSWERの主催する、"イラク戦争4周年デモ・March to the Pentagon"の記者会見に出席した(写真)。

アレックスの海兵隊のユニフォームと、ブーツを持参でやって来たカルロスは、06年12月に、アメリカ市民権を得た。
「アメリカは大した国だよ。My son was seduced with more than 50,000dollar scholarship.
There was 20,000 dollar cash bonus to sign up.高校を出たばかりの若者を、こういうお金で誘惑するのが、アメリカ軍のやり口なのさ。だって、学費が払えないからさ。そうやって、お金で誘惑された若者が、イラクに派遣されて、次々と死んでいる。間違っているって思わないかい?」

「市民権を得て、心置きなく反戦運動が出来る。アメリカ合衆国憲法の1st amendmentに基づいて、自由に反戦の気持ちを表現するために、アメリカ市民になったようなものです。I am protecting my son's honor by speaking out. It is my duty as a citizen. Stop funding the war.」
(カルロスの会見ビデオはココで見れる。)

カルロスが、全国レベルの反戦集会に出席するのは、これが2回目。自分の火傷も癒えたころに、息子を失った怒りや混乱を、反戦運動で昇華させることに決め、草の根団体を立ち上げた。
カルロス・アレドンドさんの草の根反戦団体「United for Peace」ウェブサイト

再婚した奥さんのメリダさんは、偶然にも、平和活動家兼フリーライターだったから、夫婦2人が中心となって、「活動家デビュー」を遂げたといえる。

悲しみに満ちたカルロスのストーリーは、単なる「イラク反戦」というカテゴリーを超えて、「移民問題」と「軍のリクルートのやりすぎ問題」とも、クロスオーバーするから、注目を集めている。

現在はマサチューセッツ州ボストンに住み、全国の高校生に「奨学金がもらえるからって軍隊に入らないで。」と講演したり、反戦集会で演説をしたりと積極的な活動をしている。

「アレックスと同じように、”誘惑”された若者達を沢山知っているよ。みんな貧しい移民の息子や娘さ。もうこんな戦争はやめてほしいんだ。」

会見後に話し掛けると、こう語ってくれたカルロスさん。自分に火をつけるほど、激高してしまう人には全く見えないし、火傷のあともほとんどわからない。しかし、やはりラテン系の情熱を感じさせる、なかなかハンサムな反戦父さんである。

このカルロス氏、反戦界のジャンヌ・ダルク(勝手に名づけた)ことシンディ・シーハンさんと並ぶ、反戦界のスターとなるか、テディは注目している。

<参考>
"The Nation"掲載記事-War is Personal
ワシントンポストの掲載記事
CNNの事件記事

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Thursday, March 01, 2007

超保守派の有名女性ブロガーと遭遇。

31michellespeech_1ミシェル・マルキンという人がいる。36才の女性で、フィリピン系アメリカ人。ここまで聞くと、アメリカでの定石は「マイノリティ=民主党でリベラル」と、ステレオタイプ化してしまうのだが、彼女はその正反対。ばりばりのタカ派、共和党寄り、超保守派のブロガーとして、有名になった。

きょうはそのマルキンさんが、ある共和党関係のイベントで、「コンサバな報道に貢献したメディア人の賞」とかなんとかを受賞する、ということなので、見学にやってきた。名刺交換でもして、お近づきになっておくことに、損はないと思ったのだ。テディの仕事上、ありとあらゆる政治的スペクトラムの人に、コンタクトを作っておくことが非常に重要なのである。たとえ、それが自分の政治的信条に反するとしても。

31michelleonlyマルキンさんは、アメリカ生まれ。オベリン大学を卒業後、ロスやシアトルの地元新聞の記者を経て、コンサーバティブ・コラムニストとして、有名に。

その後04年に政治ブログ「michellemalkin.com」を立ち上げた。一ヶ月に平均400万ページビューがあり、影響力も大きく、ワシントンポストなどといった大手新聞もよく彼女の意見を取り上げる。

06年には、保守派ネット放送局、「Hot Air」を立ち上げて、リベラルや反戦主義者をあげつらい、自らビデオに出演することも。

さらにFOXニュースのコメンテーター、代理アンカーとしても名を上げている。

実際に会って、握手をして一言二言交わした感じでは、ごくごく普通の人の印象。

しかし、一度彼女がTVでしゃべっているところを黙って聞いていると、まるで白人の金髪・青い目といたアメリカ主流人種がしゃべるような、超保守派、コンサバ派、かつタカ派の意見を展開する。「9.11後、アメリカを守るために、ブッシュの戦争は、必要不可欠」とか。。

まあ、アメリカ広し、外見はばりばりマイノリティの女性が、共和党的保守的論理を展開するからこそ、受けるのだろうが。

ちなみに彼女、だんなは超コンサバシンクタンクの研究員。子供が2人いるそうな。

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