きょう、決断を先延ばしにし続けてきた、あるチケットを買った。
チケット、ってもコンサートじゃない。2年ぶりに日本へ帰る里帰りチケットである。
いろんな悩みと、葛藤と、今なお持ち続ける「仕事に対する理想と現実のギャップ」。
会社を辞めて、いろいろな過去を日本に置き去って、
ひとり外国で大学院を修了したプライドと、過去と現在の職歴に対するこだわりもある。
そんなことに悩みつつ、とりあえず、一時帰国することにした。
実はこれ、すごい決断なのだ。だから、なかなか決められなかった。
いまあるビザのステイタスを一度自主終了し、新しいビザゲットして再度入国?
もしくは
それなしで、ワシントンDCの部屋を片付けるためだけに帰ってくることになるのか!?
詳細をここに書く気はないが、いろいろな苦しい事情がある中、自分なりに考えて出したのが、きょう買ったチケット。
中途半端に日本とアメリカをまたに掛けている自分も心苦しい。
セトル・ダウンしたい。
自分にしかできない仕事がしたい。だけどそれが100%できているとは言い切れないのが現在の状態。
それに、日本にはもう一つの「The issue」がある。
それは、気性の激しい母のこと。
母娘関係が、あまりうまくない、というか、うちの母自身がこどもみたい。
守られているとか、理解されているとか、愛されているとか、
思ったことは、申し訳ないが、これまでに正直一度もない。
というか非常にわがままで自分勝手で、私が母みたいで、母が私の娘みたいだ。
帰国日を連絡した途端、3週間に一度、かけてくるか来ないかの国際電話をかけてきて、
押し問答をし、挙句の果てに勝手に切られた。
うちの母には、自分と全く異なる性格や、生き方を選んでいる、私という娘が理解できないので、
自分の生きている社会の範囲内のことしか、話せない。
それが、私をこの上なくいらいらとさせるのである。
今回は、どうやら私が悩みに悩んで決めたチケットの仮の帰国日が、自分の決めた旅行日とバッティングしていることが気に食わないらしい。
いつものことだが、うちの母には、理論だてた説明は全く通用しない。
母のギアがヒステリー・モードに入っているときは、私の話などに耳もくれない。
「お父さんの病気のことも考えてよ。」逆に切れられた。
父は、マイケル・J・フォックスやモハメド・アリと同じ、難病のパーキンソン病を患っている。
高校の教師を長年勤め、それまで頑固で変わり者だけれど健康そのものだった父の病名が明らかになったのは、私が留学をし日本を後にしたすぐ後の秋のことだ。
診断病名を聞いて、留学直後の冬は日本に飛んで帰った。
進行は緩やかなものの体の自由が利かなくなる厄介な病を持つことになった父は、以前にも増して社交性を失い、それを見た母は、より性格の2面性を極めてしまったのかもしれない。
父の「保護者」としての責任感を持った妻と、生来のヒステリー&毒舌の一面と。
そのヒステリーの矛先は、全て娘(達)に向けられるのだから、たまったものではないのである。
外国で苦労している娘その1(=私)のことなんて、帰ってこようがこまいが、悩んでようが悩んでいまいが、おかまいなしだ。
もともと自分で車も運転せず、いつも男性の運転する車に乗せてもらい、
会社に勤務した経験だって2年くらい。
20代前半で父のところに嫁いで
主婦をやる傍ら趣味の筝曲の世界を極めてきた母だから、
「わたしが、わたしが」というミーイズムと、
日本女性的に男性を立て女性は一歩下がり我慢するという面がないまぜになっていて。
シングル・キャリア女性として今を生きる私の人生なんて、うちの母にとっては
「ありえない」くらいに思っているのだろう。
彼女には、いつもこてんぱんに私の人生を否定されるのだ。何もかもを。それが極めてつらい。
2年ぶりに大決断して娘が帰るというのに、この「The issue」
(人が特定の問題を抱えているとき、英語でShe has the issue.などと言うのである)はどうなのだろうか。
帰るのがこわい。成田空港が怖い。
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