Monday, February 27, 2006
Sunday, February 26, 2006
カナダ・オーロラ紀行day3ー犬ぞり体験と魚レストラン。
犬ぞり!これがやりたかった!漫画「動物のお医者さん」で犬ぞりのエピソードを読み、憧れ続けていた。一生ものの夢がかなった。ハスキー犬がぐいぐいひっぱるそりが、雪の林の中をかなりのスピードで進む。エスキモーのマッシャーさんが、エスキモー語で命令を出すと、犬は絶対服従。かわいいのう。。走り終わって興奮気味の犬は、お互いこぜり合いなどをしていて、まさに漫画で読んだとおり。。
ハスキー犬の子犬の小屋を訪ねる。青い目が可愛い白と黒のハスキー犬の子犬。しかし、手足はぶっとい。。
成犬の犬小屋は、何と屋外にある。マイナス30度C以下の寒さをものともせず、ここで通年暮しているらしい。。恐るべし、犬の強さ。
夕飯は、凍った湖のほとりにある、魚料理店で、凍った湖の下から捕れた魚で舌鼓。これが身が締まっていてうまくて、白ワインがすすむ。
Saturday, February 25, 2006
カナダ・オーロラ紀行day2ー凍った湖観光とオーロラの爆発
朝、イエローナイフ市内をぶらつく。陽が出ていてもマイナス30度C以下の外気温と、厳しい寒さ。
日本人が経営しているテークアウト専門のすし屋「Sushi North」でアークティック・チャー(北極いわな)の寿司などを食す。まいうー。
イエローナイフ市の属するノースウエスト準州では、ナンバープレートが北極ぐま。旅情をそそる。
昼は市内観光に参加。凍った湖の上を車で渡るツアーなどなど。分厚い氷がカチカチに凍っていて、道として機能しており、車が何台も通っても全く問題なし。
原住民のエスキモーさんたちの歴史を集めた博物館で、さまざまな原住民の生活ぶりの写真、動物のはく製などを見学。
買い物に精を出す。原住民が着ている、寒さよけのパーカー屋を訪問。パーカーといっても、綿で出来たカジュアルなものではなく、フードつきで足元までしっかりとカバーする中綿入りの風除けコートのこと。オーダーメードも可能。
お土産屋「Ragged Ass Road」でお買い物。名前のいわれはこう↓。
”Ragged Ass is a colloquial term for "dirt poor". Back in the early 1940's it was also the name of a small gold mine at Hidden Lake near Yellowknife. However, the street owes its colourful name to three local men who jokingly agreed that the dirt road they called home should have a name. And they put up a sign and over time the city officially adopted it.”
「地の果て」感が出ていてユニークなグッズが沢山あり、おススメ。
夕飯は地元肉料理レストラン(フレンチ)で、じゃ香牛のステーキなるものをがっつりと。この地方ならではの、肉肉しい牛の肉を、ガーリックたっぷりのワインソースでいただく。う・めー。意外と肉の臭みはないし、精力がつきそう。。
ということで、夜は8時過ぎから夜中の2時過ぎまでマイナス40度C前後の郊外にツアーで出かけ、防寒着を着こんでオーロラ鑑賞。写真のような奴はおとなしめのオーロラで、夜中0時過ぎには、赤や黄色、オレンジ色のオーロラが「わっさわっさ」と降るように揺れる「オーロラの爆発」なるものを目撃して、感激。カーテンが風で揺れるときのような、しゃわー、という音がして、まるでオーロラが降ってくるようだった。
カナダ・オーロラ紀行day1-白くまの出迎えるイエローナイフ空港。
飛行機を乗り継いでカナダへ。
純粋なバケーションは、久しぶり。白くま(はくせい)が猛々しくお迎えしてくれる、イエローナイフ空港へ到着。
今回の主目的は、もちろんオーロラ鑑賞。わざわざカナダまでやってきたのは、イエローナイフという地名の響きが好きだったから。幻想的にライトアップされたテントは、凍った湖の上に立っている。
それでは外気温は何度F位か。答えはこの写真。どおりで湖も凍るわけだ。
マイナス30度Fの外を日中にほっつき歩くだけでもすごいのに、オーロラ出現のピークは夜8時からミッドナイト過ぎまで。だから、その時間に、無事に屋外をほっつき歩けるようにするための重装備が必要。
くだんのテントの中では、エスキモー(ネイティブインディアン)が食べていたという古代のパンとバッファロー肉のスープが振舞われていた。こうした食料で体を温めながら、まだまだオーロラ鑑賞の日々は続く。。
Wednesday, February 22, 2006
パーキンソン病患者界のアイドル、マイケル・J・フォックスと対面!
これなーんだ?答えは、人間の脳に電極を差しこんで電気ショックを施す医療器具。きょうは、パーキンソン氏病の患者が全米からDCに集い、最先端の治療法についての展示や、講演会などが数日間に渡って開かれる「World Parkinson Congress」というイベントにやって来た。
日本では、パーキンソン氏病への認識自体がまだまだ薄い。しかし、ここアメリカでは患者数の多さもさることながら、治療器具や、医薬品の開発なども、続々行われている。モハメド・アリ、亡くなったローマ法王・ヨハネ・パウロ2世など著名人が、パーキンソン病への認知度を飛躍的に高めた。写真は、イベント展示会にて見つけた、パーキンソン氏病の人向けの特別な杖。振るえのひどい患者にもつかみやすいように取っ手が工夫されていて、疲れたら、取っ手に腰をかけて座ることも出来るという優れもの。
これなーんだ?パーキンソン病患者の書いた絵である。絵を書く、などアートに没頭することで、ふるえをコントロールすることが出来る、らしい。
これは10年来のパーキンソン病患者であるカリフォルニア州の女性ジュエリー・アーティスト。発病してからジュエリーを作り出し、現在は販売もしているという。
さて、会場のワシントンDCコンベンションセンターには、キャパが1000人規模の大講演会場がある。そこには、左右前後に振るえるパーキンソン病患者が、わんさわんさと、ある人物の講演会を目当てに詰め掛けた。その様子は、ある意味圧巻。。
パーキンソン病患者界のアイドル、その人物とは、もちろん、俳優マイケル・J・フォックスさん。1991年に30歳の若さでパーキンソン病を発病、98年に病名を公表した。現在、俳優業をほぼ引退し、議会の公聴会で胚細胞研究について証言を行ったり、パーキンソン病への理解を深めるための幅広い活動を行っている。2000年にパーキンソン病への研究基金提供を目的としたフォックス基金を設立した。
スピーチに、胚細胞研究(stem cell research)についてのコメントが出るかと思って期待して聞いていたが、出ず。そこで、スピーチ後に患者に取り囲まれているマイケルにぶら下がりを試みた。
滅多に公共の場に姿を現さないマイケルだが、パーキンソン病患者界のアイドルとはまさにこのこと。「あなたはこの病気の患者達の希望の星です。がんばって。」と左右に激しく揺れながら握手を求める人々で、もみくちゃにされている。当のマイケルも、前後に体の揺れが激しく、卓球選手が素振りをしているような印象を受ける。ABCテレビの法律ドラマ「Boston Legal」に先日ゲストスター出演を果たしたマイケル。その時は、薬で完璧にコントロールしていたのか、全く震えていなかったから、さすが銀幕のプロ。
ポジティブな意見でマイケルに握手を求め、感涙して帰っていく患者がいるかと思えば、ネガティブなことをいう人もいる。
「どうしてこの病気がいつか治るみたいなことを言うんですか。そんなはずはないんですよ。」マイケルにきつい一言を言うある女性患者。それを言われる本人も辛いだろうに。
そこで、テディも勇気を出して話し掛けた。
「ミスター・フォックス!私の父は日本にいてパーキンソン病にかかっているんです。あなたの存在は、とても勇気付けられます。」
短い間だったが、私の手を握りながら話をうんうんと聞いてくれたマイケルの、美しいこと。かっこいい、とかハンサム、とかではなく、兎に角美しい人だった、そう思った。
その手は薬の効き目のせいなのか、とても暖かく、身長163cmのハリウッドスターをとても身近に感じた。
「パーキンソン病のcureはやはりstem cellしかないのでしょうか?フォックスさん?」
「そ、それもone of themだね。」
この突撃の様子、実はNBCテレビのクルーにこっそりビデオ撮影されていて、Katie Couric (当時はNBC)がアンカーする「Dateline」のにしっかりとテディの顔が映ってしまった。
パーキンソン病は、難病で治療法の無い病気であるゆえに、マイケルのようなアイコン的人物の存在は貴重。
テディはきょうの感激を忘れずに、これからもマイケルの動向をウォッチするつもり。
Tuesday, February 21, 2006
映画「8 Below」は「南極物語」のリメイク。
。。この映画のポスターを見たときから、既視感=デジャヴ、を感じてならなかったが、その謎が解けた。
そう、「8 Below」は、私が子供の時に見た日本の映画「南極物語」のディズニー版リメイクなのら。
日本版で使われていたタロ・ジロらの犬達はエスキモー犬。でもこの映画ではシベリアン・ハスキー。日本の高倉健さんが演じていた南極観測隊(越冬隊(!))は、クレイジー・ブルーの瞳が綺麗なアメリカ人のポール・ウォーカーくんが演じていて、全体的にお洒落感漂う(意味不明)ヒューマン・エンターテインメントに仕上がっていて、さすが世界のうぉると・でずにー、ですだ。
日本で公開されたときは、フジテレビとの強力タイアップ・宣伝色がありありしていて、子供心に「なんだかトゥーマッチ」な印象を持った。しかも、映画自体のドキュメンタリー色の強さもあって、あまり正直に楽しめない映画だった。(CXさんごめんなさい)
ーーだって、なんだか宣伝が激しくて、「感動しろ」って強制されているみたいだったんだもん。
私はひねくれてるから、「ほら、感動するだろう、泣けるだろう」と言われると、どうも素直になれないのだ。
しかし、この8 Belowは、単純に犬がかわいくて。(ポール君もかわいいけど)ハスキー犬見たさに見にいったようなもの。しかも、ちゃんと感動もしたわ。。
テディはこの数日後に、犬ぞり実体験をすることになるのだが、その話はまた。
Sunday, February 19, 2006
コストコでまとめ買い。
下の↓投稿で、お腹をこわしてから1週間。どうやら腹風邪を併発したらしい。食欲だけは、風邪を引いてもダイナマイト級な私が、食えない。週末、体を休めようと思っていたけど、ルームメートに買い物に誘われた。コストコである。あの巨大なホールセール・スーパー。。メリーランド州の郊外にある店舗に一歩足を踏み入れると、で、でかい。とりあえず、まだしくしく痛む腹をかばいながら、カートを押し押し店内を回る。牛肉の切り売りのでかさも、この通り(写真)。
Sunday, February 12, 2006
パームオイルには要注意。
西アフリカ料理なるものを食べに行く(写真)。白身魚のスパイス料理みたいなものだったが、口当たりは全く問題なく、その日の晩も問題はなかった。
だがしかし。翌朝から、猛烈な腹痛でダウン。どうやらナイル?地方のアフリカ料理に使われるパームオイルと、相性が悪かったらしい。しかもこのパームオイル、体内に滞留する時間がとても長くて、なかなか排出されない。滞留している間中、下っ腹の鈍痛が続いてまいった。単に私の体質と合わなかったんだろうけど、他にも同じ思いをした事のある人、いるんじゃないかしら?
映画「Nanny Mcphee」鑑賞。もちろん、私は「ブリジッド・ジョーンズ」シリーズのマーク・ダーシーを演じている英国人俳優コリン・ファース様(写真)が、お目当てなのだけれど。コリン様は今回、やんちゃ盛りの子供に手を焼く父親役で、老けメイクで登場。。でも素敵なのだけれど。
エマ・トンプソンのつけっ鼻姿の意地悪ナニー(魔女)と、お子役たちの可愛さが抜群。英国的コミカル=真面目おかしさと人情ほろり、が利いていて☆3・5。
Saturday, February 11, 2006
”イラク市民の暴動鎮圧”訓練は大混乱。FBI訓練所を借りたUS Marineトレーニングに潜入!
ヴァージニア州クワンティコ、FBIアカデミー着 6:00AM。
雪混じりの雨が身にしみる2月の土曜日、先日のコンバット訓練の取材に引き続き、再びクワンティコにやって来た。海兵隊が、FBIアカデミーの敷地を借りて訓練をする、というのだ。
映画や小説でおなじみの「特別捜査官訓練アカデミー」の敷地内に入れただけでもうれしいのだが、今日来たのは、「ホーガンス・アレー」という、FBIアカデミーの中でも珍しい施設。
レストラン、銀行、ドラッグストア、映画館。。まるで普通の町みたいに見える(上の写真)ものの、実はこれ「架空の町」である。書き割りではなく、きちんと作ってある建物なのだが、実際に店などが営業しているわけではない。
実はここ、FBI特別捜査官の訓練生が、実際に強盗や、人質事件を想定した状況下で、実地訓練を行うところなのだ。
「ホーガンス・アレー」を下見していると、建物の裏で、4-5人の若い海兵隊員が、無言でハンバーガー用のパテを焼いている。”イラクの市民”の仮装をしているので、長いグルカみたいなのを着ている人もいる。
「ぐっどもーにんぐ!」と声を掛けるものの、返事は帰ってこない。朝からバーベキューとしゃれこんでいるのだろうが、朝早いせいなのか、今日の訓練の内容のせいなのか、とても暗い奴らだ。
実はこの彼らは、イラクに駐留後、帰ってきたUSマリーンの現役兵士達。
きょうは、彼らがイラク市民の役に扮し、これからイラク駐留に向かう部隊に、
「市民の暴動とはこんなもので、こんな風に鎮圧すべき」というロールプレイ訓練を施すのである。
「訓練を受ける側」の海兵隊員が、わらわらと集合した。いわば「イラク・ヴァージン」の彼らに、「イラク経験者」の同僚がリアルな訓練を施すのだが、果たしてどうなることやら。
訓練が始まった。
「アメリキ、ゴーホーム!」
「ギブ・ミー・アメリカンダラー!」
M16サブマシンガンを構えた海兵隊の1部隊が、軍用車両で勇ましく街に乗り込むと、中心部で暴動が起こっているという想定。イラクの市民役の海兵隊員は、迫真にせまった演技で、「おしくらまんじゅう」みたいに固まって動いている海兵隊に、やじを飛ばしたり、ものを投げつけたり、食料を物乞いしたり。
朝は暗かったが、イラク市民役の兵士達は、アカデミー賞ものなんじゃないか、と思うくらい真に迫った演技だ。
しかし、海兵隊員は極めて頼りない。今回訓練を受けている兵士は、4大卒のエリートなのか、みな必要以上におびえ、市民を「鎮圧」する役割とは程遠い過敏反応をしている。
「ええい、家に戻れ、戻れ、散れ。」と市民に叫ぶマリーンたち。
と、イラク警察の警察官役の男が、イラク市民に袋叩きにあっている。
海兵隊よ、治安維持のために、警察官を助けなければ!
「ストーップ、やめやめ!一度ブリーフィングをする、戻れ!」
上官が部隊を一度取りまとめる。
「いいか、食料、水、まもなく来る、といった基本的なアラビア語の単語を覚えて、できるだけ使え。でないと、ただの銃を持ったアメリカ兵なんだ、襲われる危険性はどんどん増すんだ」
自らもイラク帰りの上官のアドバイスは、さすがに説得力がある。隊員もうなずきながら聞いている。
この後も訓練は続き、
「スナイパーが物陰から狙撃してきた。」
さらに
「即席検問所を作り、爆発物を積んだ車がいないかどうか検問する」
というシナリオに対し、対応する訓練をやっていた。
がしかし、訓練はなかなか悲惨な状況に。
「スナイパーが撃ってきたが、撃ち返そうと思っているうちに、敵は逃走」
「検問所から徒歩で逃げ去った不審なイラク人を誤って撃ってしてしまい、無実の市民死亡。
泣き叫ぶイラク妻(あくまでも演技である)」
など。はっきり言ってかなりがたがたであった。
本当にだいじょうぶなのか、アメリカ海兵隊よ??
不安と共にFBIアカデミーを後にし、クワンティコの街へ出る。
海兵隊グッズを売っている店に行ってみよう!一般人も、軍の支給品と同じものが買えるらしい。兵士の家族が来たときのために、お土産も売っている。
雨の中でも書けるメモ帳、USMC(United States Marine Corp) 公式カーキグリーンTシャツから、公式海兵隊下着(カーキグリーンのトランクスなどなど!)まで、ここで買い物をすればあなたも明日からUSマリーンに!
・・とはしゃいでみるものの、さっきの「訓練」の具合を見た後では、イラクに行くアメリカ兵たちの行く末が激しく不安になって、買い物どころではなかったテディなのであった。
アメリカ軍の兵士は、武力を行使した暴動鎮圧訓練とかをする前に、海外旅行とか、短期留学とか、そういうものを経験したほうがいいような気がした。
「世界の警察」ぶってるアメリカだけど、人々の異文化理解度は低い。海外旅行に行ったことがない人なんて沢山いるし、アメリカの田舎から出てきた世間知らずの若者が、軍に入っていきなりイラクに駐留する。
そういう人達が兵士になって、国力を背景に、やたらと銃をぶちかますから、世界中から嫌われる。
そんなの、落ち着いて考えれば誰だってわかること、だよね。
Thursday, February 09, 2006
高校生スポーツ選手のステロイド使用撲滅についての会見
アメリカでは、プロスポーツ界だけでなく、高校生スポーツ選手の「Performance enhancing drug」としてのステロイド使用が深刻だそうな。
もちろんスポーツの成績を上げるためなのだが、副作用による鬱症状で自殺者が出たりといった深刻な事態にまで発展している。
(参考記事はここにも。)
そもそも使用自体が「違反」であるからして。きょう、そうした高校生のステロイドや薬物使用を撲滅し、アスリート達の健康を増進するための研究を促進するために、アメリカの大手スポーツ誌の「Sports Illustrated」が、ジョン・マケイン上院議員(写真)らと共に、100万ドルの研究基金を設立することを発表した。ちなみにアメリカの高校生スポーツ選手の数は全米で700万人超おり、アメリカ米国疾病予防管理センターの調べによると、1万5000人を対象にした調査では6%以上の高校生が「ステロイドを使おうとしたことがある」と認めているし、91年から03年までの間で行われた調査では、高校生スポーツ選手のステロイド使用件数は倍増している。
なんでも勝つことが善しとされるアメリカ社会だけれど、勝つために薬物を使用して、健康を損なっては本末転倒というもの。こういうことは、ぜひすすめてほしいものだ。
Wednesday, February 08, 2006
イラク市街戦想定・米海兵隊のコンバット訓練を取材。
軍隊の朝は早い。
「シックス・ハンドレッド(軍隊用語で6:00AMのこと)にクワンティコの広報ヘッド・クォーターでお待ちしています。」
USマリーン(海兵隊)の広報官、ダンカン大尉にこう伝えられ、起きること夜中の3時。出発すること朝の4時。ワシントンはまだ漆黒の闇の中。私の頭も夢の中。
しかし夢うつつでは、きょうの取材はゆめゆめこなせない。きょうは、軍隊取材に初挑戦する日なのだ。
バージニア州クワンティコといえば、アメリカ海兵隊最大の基地のひとつ。広大な敷地内には海兵隊のエリート養成校や、DEA(麻薬取締局)捜査官アカデミー、FBI捜査官アカデミーなどがあり、映画「羊たちの沈黙」などにも登場した、「アメリカのミリタリー・ローエンフォースメント総本山」である。ワシントンDC郊外にあり、車で2時間ほどの広大な自然の中にある。写真は取材に備えてプロテクターを身に着けたSカメラマン。
本日の目的は、海兵隊の訓練のひとつの様子を密着取材すること。もちろん日本の某TV局のニュース向け。軍隊取材のエキスパート、Y記者らの交渉により、米海兵隊にイラクでの市街戦を想定した、コンバット訓練の撮影許可をもらった。貴重な取材だが、Y記者が別の取材で出られなくなったため、私が全権を委任されてここに来た。
長引くイラク戦争のために、疲弊し多大な犠牲を強いられているアメリカ軍、対応は万全なの?兵士達は物量戦に対応するために、十分な準備なしにイラクに送り込まれてるんじゃないの??そういうテーマの取材だ。
朝早く到着したものの、実際の訓練はもっと後から。まずはThe Basic Schoolと呼ばれるエリート士官養成学校に連れて行かれ、大佐のおもてなし兼クワンティコの歴史のミニ・レクチャーを受けることに。
「えー、日本は我々の偉大なる同盟国であるからして、きょうの取材を歓迎するものであります!」
ど、どうめいこく!?このレクチャーを聞いて、気絶しそうになった。
allyなんだよ、日本はこのゆないてっど・すていつ・おぶ・あめりか大軍国主義国家のあ・ら・い。。日本総国民がわかってると思うけど。
大丈夫だろか。外国人ジャーナリストとして、この先この取材に問題意識をもって進めるだろうか。
一抹の不安を胸に前に進む。サブマシンガンを片手に持つ兵士が警備するゲートをくぐると、そこは雑木林の中に広がる広大な米軍基地。ヘリポートもあれば、射撃場だってある。爆発物の取り扱いだって、林の中で練習できる。その林の中をさらに車で移動すること10分。なにやら殺風景な道路のはしに、訓練所の有無を示す赤いサインがある。倉庫のような無機質な建物で写真のようなプロテクトの装備を渡される。準備万端と、身につけて先に進むと。
そこには、イラク・ファルージャの街を想定して作ったコンバット・シティー(訓練所)が現れた。10ほどのコンクリ打ちっ放しの建物が並ぶ、究極のコンバット・ゲームの舞台といえる。
やがて、林の中で爆音がとどろいた。手りゅう弾はシミュレーション弾とはいえ、慣れない者には音がかなりリアルだ。海兵隊の兵士達にとっては、きょうは、こうした市街戦の「The first initial taste」を学ぶ訓練だという。緑の発炎筒の煙の中、林の中から現れた13人組の分隊が、「街」へと突入していく様子をカメラに収める。
「basic building back-up approach」を学ぶべく、テロリストがいるかもしれないファルージャの建物に近づく海兵隊の分隊。銃に入った弾丸はペイント弾で、敵に当たったかどうか上司が判定する。取材のわれわれはそれが目に当たると大変なことになるので、ゴーグルでガード。
当然テロリスト(スナイパー)役も、仲間の海兵隊員がやっている。現場は結構和やかで、われわれがカメラを構えているのを知って、脇にいる広報官にペイント弾をわざと「誤射」したり。へらへら。いいんかいな、これで。
おおっと、ペイント弾に撃たれて負傷者発生だ。
「負傷者出ました。救急部隊を要請!」こんな無線のやりとりも練習のうち。しかし、なにせ緊迫感がない。上官に注意されている若いマリーンたちは、若くて4大を出たエリート候補生。繰り返しになるが、いいんかいな、これで。アメリカ海兵隊よ、本当に大丈夫なのか??
「テロリストが潜む」建物の1階で、ある分隊を撮影。
「建物入り口クリア、ゴー!ゴー!」
まるで映画みたいだのう。と思ったとき、ダンカン大尉が「ここ、入って」とコンクリ打ちっ放しの小部屋に我々を促した。ここが安全なのかしら、と思い入るとそれは罠。
海兵隊員がやってきて、小窓から”シミュレーション手りゅう弾”を投げ込み、あれよあれよという間にどかん!
一生涯忘れません。テディとカメラマンの2m前で爆発した米海兵隊のシミュレーション弾は、耳が5分間聞こえなくなるほどの威力でした。。(ええいだから戦争反対だい!)
昼休み。サイレンが鳴って一休みである。まずは教官をインタビュー。バグダッド、ファルージャ、ラマディのイラク3都市に駐留し、無事帰還したニック・ホートン大尉。
「イラクに行ったら、スリー・ブロック・ウォーが待っている。1ブロック目は人道支援オペレーションの背後での警備。2ブロック目はさらに踏み入った警護のオペレーション。その次、ラストブロックはアーバン・コンバット。きょうはそのアーバンコンバットの訓練さ。このインテンスなコンバットが最も大事。」
イラクにいたときに難しかったことは?「緩急のリズムを保つこと。急な任務が入るときもあれば、なぎ状態の任務の時もある。士気をフレッシュかつエネルギッシュに保つことが大事。自分のイラクでの体験を下士官にできるだけ伝えて、準備してもらいたい」
ヘイスラー中尉「イラクに行って最も重要なことは国を立ち上げようとすることだけでなく、現地の政府を確立して米軍との連絡を密に取る事。仲間の海兵隊たちと共にのオンとオフの切り替えをして、現地の人を助けることだ。イラクの一部になっていくことはできているが、我々はまだ安定をもたらすところまで至っていない。」なかなか良いことを言っている。
F18の副操縦士になるという29歳のワトキンス中尉も、イラクに安定をもたらしたいと願っている。
「イラクに行く前の訓練の一つに、文化訓練がある。個人の学習状況にもよるけど、文化訓練は、押すだけじゃ駄目だし、引くだけでも駄目。適度な文化訓練を身に着けることで、イラクに行く準備をしたい。」
バレンタイン2等軍曹はきょう、訓練でテロリスト(aggressor)の役を演じた。
「なるべくリアルに演じようとは思っているが、難しい。でもこの攻撃をどう押さえ込み、現場のチャージをいかに早くとるかで戦闘の成否が決まる。一般市民に混じった暴徒(insurgent)を見分けることを学ぶのも大事」
「イラク人と通訳を介してだけでなく意思疎通を図るためにアラブ語を学ぶ兵士もいるんだ。」
空軍、海軍、陸軍と他にもあるが、その中でもヒーロー色が強く、選び抜かれたエリート兵士が所属するといわれているアメリカ海兵隊。その若い兵士達の訓練に密着し、実際に話をしたことは、興味深かった。彼らと話していて思ったこと。それは、
林の中でシミュレーション弾で撃ち合い、母国語で理想を語れるアメリカ国内での訓練と、戦場となっているイラクでは、温度が激しく違う、ことを果たして分かっているのかな、ということだった。
コンバット訓練は真剣に行われていたが、これを書いている間にも、私の取材窓口として対応してくれた広報官のダンカン大尉はイラク・ファルージャに駐留になってしまった。インタビューをした訓練生のうちの何人かも、実際にイラクに赴いているのだろう。亡くなっていなければよいのだが。
無責任に撤退できる時期ではないのだろうが、これを書いている06.12.31に、米軍の死者はゆうゆうと3000人のマイルストーンを迎えてしまった。新聞やTVで見るのにもまして、イラク駐留のアメリカ軍の行く末を案じる気持ちを起こさせる取材だった。
Monday, February 06, 2006
予算教書発売の朝。
答えはBudget of the United States Governmentの発売。2月の第一月曜日にあたった2月6日(月)は「予算教書」発売日で、GPO(政府印刷局)に早朝からメディアが取材に詰め掛けるのだ。
予算教書とは、大統領によって議会に提出される今年度の予算の編成方針を示した教書のこと。アメリカでは、大統領が議会に法案を提出することはできない。その代わり、議会に教書を送付することによって、政策を勧告する。一般教書、予算教書、大統領経済報告は、まとめて三大教書と呼ばれている。
メディア向けの配布所のほかに、印刷局の本屋でも撮影。これが飛ぶように売れていく。DCにある政府系役所、民間の会社などが一斉にこの予算教書を手に入れて、今年のアメリカ政府のお金の方向性を勉強する。
これによると、アメリカの06年度の財政赤字が4,230億ドル=日本円でおよそ49兆9,000億円に達し、過去最大となる見通しであることがわかった。ハリケーン「カトリーナ」に伴う支出の急増が主な要因。
Sunday, February 05, 2006
DCのチャイナタウンでニューイヤーの獅子舞。
うるわしい我が友ジーンと、DCの「えせ」チャイナタウンにやってきた。チャイニーズ・ニューイヤーを祝う獅子舞パレードが開催されるためである。
「えせ」と書いたのは、チャイナタウンのくせに規模が小さくて、100mも歩いたら終わってしまうほど小さいから。NYやボストンのチャイナタウンとは大違いだ。大学院でボストンのチャイナタウンの犯罪の取材をしたのが、なつかしい。ボストンのチャイナタウンはNYよりは小さいけれど味があって、そこに根ざして生きている人たちの、ビートがあったんだ。DCにはそれはない。けど、とりあえず年に一度は行われる獅子舞だけは、なかなかの規模。
おしまいはクレーンで地上50mに吊り上げた長い爆竹を、ばりばりと上まで鳴らした。なかなか壮観。はい、ことしもおめでとう。。
ブランチとダダイズムとオスカーパーティ。
友人滞在二日目。ジョージタウンのイタリアンでブランチして、「セレブ」気分を味わう。この店、ブラピとアンジー様も来店したセレブ御用達の場所。
ダダイズム、という言葉のアナーキー的な響きに、昔から惹かれていた。モナリザにチョビひげが落書きしてあるアートを見て、ますます気になっていた。そこで国立美術館にて開催中の「DADA」展に赴く。
きょうは「オスカー・ナイト」ことアカデミー賞授賞式の日。DC市内のとあるバーにて開催されたブラック・タイ・イベントに、おしゃれして参加してみる。オスカーのTV放送をバーで見ながら、雰囲気を楽しむパーティで、参加者には店側からベストドレッサー賞などの賞も出る。
写真は映画「メモワール・オブ・ゲイシャ」をイメージした創作カクテル。チェリー味でピンク色が「頬を赤らめたゲイシャ」のイメージなんだと、さ。。
Saturday, February 04, 2006
持つべきものは。。
持つべきものは友。
きょうは、私と同じように、ボストン大学院のジャーナリズム・プログラムの3学期目をワシントンDCで過ごし、そのままDCで働いている「残留組」のジーンと再会。バーで飲んだ。
大学院に通ったボストンから、遠く離れたワシントンDCに何の因果か引っ越してしまった今、せっかくできた友達も、皆離れ離れになってしまった。
ボストンで出来た友達も、大学院が終わってそのまま残っている人は実は少なくて、全米にちりぢりに帰ってしまったのだけれども。
私はDCで大学院が12月に仮修了して、そのままばたばたと2月に突入してしまって、ボストンにも行く暇がないからそこで就職活動している連中にも会えない。そんな折、ジーンから連絡があったというわけ。
「まだDCに残っているのは私達だけみたい。飲みに行かない?」
Congressional Quarterlyという由緒正しい政治紙で,議会のとある委員会をカバーしているかけだし記者のジーンとは、実はボストンでの大学院1学期目のメディア倫理のクラスで、ディベートのチームを共にした学友。なつかしいなあ。今は、新しい町で、新しい仕事をする、戦友となった彼女と、エスニック料理店が立ち並ぶおしゃれな繁華街のバーで盛り上がる。
Wednesday, February 01, 2006
空港ロケ、CNNのACと2度目の遭遇。
私が大・大ファンの、CNNのアンカー、ACことアンダーソン・クーパー(写真)。NYのCNNスタジオ・ツアーに参加したときに、偶然遭遇して大感激した話を、以前書いた。それが、06年2月1日、ロケに出かけたワシントンDCのレーガン・ナショナル空港で、超・超偶然に2度目の遭遇を果たすことに!!いきさつはこうである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
テディはこの日、空港のセキュリティ・ゲートの資料映像を某日本のTV局向けに撮影する、というアサインメントを遂行していた。
テロ防止法で、セキュリティー・ゲートの警備はかつてないほどに厳しくなっているけど、
”これによってアメリカ人って「以前より飛行機は安全になった」と感じているの?”というテーマの取材だった。
アメリカ人女性カメラマンのAさんと一緒にナショナル空港に到着し、セキュリティ・ゲートの前でTSA(Transportation Security Administration)の広報官と落ち合う。広報官の監督の下で無事に撮影を終了したテディ。
余談だが、このTSAの広報官は、いかにも”アメリカのフェデラル・エージェント”風のお兄さんだった。細い銀縁メガネにピンストライプのネイビー・スーツ。彼の黒革の靴はぴかぴかに磨かれていて、腕時計で時間をしきりに気にしていた。ダークブラウンの髪に緑の眼。まるで映画に出てくるFBIのエージェントみたい。。
セキュリティ・ゲートの撮影は、「この角度からは撮影はだめ」とか「ゲートの3m前までしか近寄ってはだめ」とか規制が多いため、広報官が立ち会わなければ許可が出ないのである。
ゲートの雑感、いわゆる”Bロール”をカメラに収めた後に、一般の乗客に”MOS(街頭インタビュー)”をしようと、三脚を担いで空港のロビーを闊歩しているときだった。目の前を、シルバー・ヘアの痩せた白人男性が、GパンにTシャツというラフな服装で通り過ぎた。携帯電話で忙しそうに話をしていた。ま、まさか。目を疑った。
いつもテレビで見ているあ、あんだーそん!?クーパーじゃん!!!
肩からスーツの入ったガーメントケースを掛け、ボストンバッグを持ってたった一人でゲートに足早に歩いていく。そうか、きのうはブッシュ大統領の一般教書演説だったから、レギュラーの「AC360°」をワシントンDCから中継したんだ。でも、CNNのプライムタイム・アンカーが、お付きの人もなしでふらりと1人で空港から飛行機に乗ろうとしているなんて、アリ!?
興奮している私をよそに、その日一緒に仕事をしていたベテランのAカメラマンは、こんなことを言う。
「アンダーソン?興味ないわ。実はね、私、彼がまだ有名になる前に、一緒に仕事をしたことがあるの。彼がABCに勤める前だから、ずっと前のことだけれど。あいさつ?もう思い出したくもないし、彼も私のことなんて忘れているだろうから、しないわ。」
そ、そんなことって。まじ。私、実はすごい人と仕事してたんだ。
それはさておき、アンダーソンは携帯電話でひっきりなしに話をしながら、セキュリティー・ゲートの脇にあるピザ・レストランで箱に入ったホール・ピザを買って、箱に手をつっこんで「歩き食べ」している。時間がないんだろうか。食べ物には無執着、無頓着な人らしく見えた。白Tシャツにジーパン姿なんて初めて見かけるけど、TVで見る以上に細くてがりがりの彼。お尻なんて、お肉のひとつまみもないくらいに小さい。
しかし、しかああああし!
いくら「ミーハー」といわれようとも、テディは「テレビのプロ」である。
そこでアンダーソンを観察しながらも、まずは街頭インタビューをこなすことが、プロのTVプロデューサーというもの、であろう。
街頭インタビューは「話をしてくれそうな人をうまく捕まえ」れば、80%は成功。あと残りの20%は「この人のコメントは使える」と思える話を3人は聞きだし、その「使えるか使えないか」の見極めをすればいいだけ。(またまた閑話休題だが)
まだゲート前をうろうろしているアンダーソンに、ファンの1人として話し掛けたい一心のテディ。無事自分のお仕事を手際よく終えて。。私は、アンダーソン君が携帯電話をようやく耳から話し、セキュリティー・ゲートの人波に立っているところを、”襲っ”た。
「あ、あんだーそん・クーパーさんですよね?」
「え、ええ。そうですけど。」
「わ、私のこと覚えています?一度お会いしたんですけど??」
少し考えたアンダーソン君、そこで見事に
「N,No...」
覚えていてくれませんでした。がっくし。しかも何だか怪訝そうな顔つき。ちょっと待ってよ。ストーカーじゃないのよ。
「え、えにうぇい。私、ストーカーとか、じゃなくて、ただのあなたの大大ファンです。きのうも議会からの中継見ました。しかも、私もTV業界で働いています。きょうも取材で来てるんですよ。でも偶然お会いできて光栄です。」
「そ、そうかい、ありがとう。」
ピザの油で汚れた右手をナプキンで拭き拭き、握手してくれたアンダーソンのか細い手は、やけにひんやりと冷たかったのを覚えている。
こうして私の「恥ずい」2度目のAC遭遇は、私の興奮と、ACの怪訝そうな顔と共に、私の「メモワール」に残ることになった。その時のゲートに並んでいたほかのアメリカ人達は、誰もアンダーソン君に話しかけたりしない「都会人」たちだったし、この取材を担当している某日本のTV局のO記者に、支局に電話をして
「取材は無事終わったんですけどお、CNNのアンダーソンに偶然遭遇してえ、大興奮でえ。。」
と伝えると、苦笑と共に「いいから早く支局に帰ってきて」と相手にされなかった(笑)テディなのであった。
ちゃんちゃん。
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