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Sunday, July 31, 2005

マニー・ラミレスがそんなに大事!?なきょうのニュースルーム。

アメリカのTVニュースの現場で、それぞれのニュース項目に与えられる「呼び名」のことを Slug(スラグ)という。きょうのニューイングランド・ケーブルニュース、夕方ニュースのトップ4項目のスラグを見てみよう。まずはPM5時台から。

「5PM Manny Details」「5PM Manny Reaction」「5PM Shuttle Problem」「5PM Soldiers Killed」...

では6時台は?
「6PM Manny Latest」「6PM Manny Reaction」「6PM London more arrests」「6PM Iraq more vioence」

RBIbest5時も6時もトップ2つの項目を占める「マニー」とはボストン・レッド・ソックスの主砲選手、マニー・ラミレス選手のこと。ニューヨーク・メッツへの移籍話が持ち上がり、球団同士の交渉期限が本日午後8時と迫っているため、ニューイングランド地元ニュースを流す私のインターン先、NECNでは毎時間ごとに最新情報を流した、というわけ。

8時になって、移籍が白紙に戻り、レッドソックスの人気選手であるマニーがチームにとどまることが発表されると、さらにニュース項目はマニーだらけに。
「10PM Manny Staying(マニー残留)」
「10PM Reaction to Manny(マニー残留へのファンの反応)」
「10PM Manny earlier(きょう午前のマニー)」
「10PM Deadline Day(マニー移籍交渉締め切りの日をふりかえって)」

「マニーはもういいよ!」なインターンの一日だった。でもマニーならぬ、マネーなら欲しいなあ、なんちゃんて(爆・おやじギャグ御免)。。

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Saturday, July 30, 2005

引越しエレジーvol.2(格付け・B+)

7大学院寮完全退去まであと2日。写真は病院のような、わが大学院生寮の無機質な廊下。きょうも手作業で引越しをしている。ワゴンタクシーを呼び、同じ大学院寮に住む日本人の「飲み友達」に手伝ってもらった。ワゴンタクシーの運ちゃんが、「俺は道を指図されるのはいやだ」と無意味に強情だったほかは、友人の手助けもあり、うまくいった。格付け・B+とする。ああ早く終わらせたい。引越しはつらいよ。

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Friday, July 29, 2005

プロンプターのミスであやうくNG

7緑のトンネルをくぐりぬけ、ボストン郊外のインターン先へ向かう路面電車、通称「T」(写真)。ローカルTV局のニュースルームで働くのもだんだん慣れてきた。私の働く午後から夜にかけての時間帯には3人もインターンがいるのだが、1時間おきに番組があるのでそれぞれ結構忙しい。3人でそれぞれ分担の番組を決めて、プロデューサーのお手伝いをすることにしている。

scot_yount私がインターン先で出会ったNECNのスコット・ヤント記者を紹介しよう。先日の金曜日、コントロールルームが大混乱だったことを書いたが、そのときスタジオにいたのが彼。普段は記者が本業なのだが、先週の金曜日は夏休みをとっていたアンカーの代役をしていた。そのときは彼が普段は記者であることに気がつかなかったほど、堂に入ったアンカーぶりだった。一記者が、アナウンサーの代役をする。こんなことは日本のTV局ではあまりない。しかし、アメリカのTV局では、記者はアンカーと同じくらいの力量を持った「しゃべれる」人たちばかり。記者とはいえ、ライブで中継を行うことが、日本のTVに比べて格段に多いので、アドリブに近い状態で生放送に対応できない人は、記者にはなれないのである。

さて、このスコットさん、「怒られたら怖そうだな」と思った第一印象は全く間違いで、実は気さくな方。元空軍に所属していた異色の経歴を持つ一方で、趣味はエレキギター演奏・ハーレーダビッドソンに乗ること。

「日本語知ってるよ。ありがとう、だろ、こんにちは、だろ、さようなら、だろ。。」

生番組の放送後に自己紹介をしたら、さらにいろいろな取材の体験談をしてくださった。ニューイングランド・ケーブル・ニュースでの彼の担当は、「ジェネラル・アサインメント」つまりなんでも屋だ。スペースシャトル「コロンビア」の事故からJFKジュニアの飛行機遭難、サダムフセインの身柄確保から、レーガン元大統領の葬儀まで、幅広くリポートを行ってきたベテランである。「日本のTV局のカバレージを見たことがあるが、ずいぶん画面の切り替えがゆっくりだった、という印象を持ったよ。」そうなんです。1秒半単位でかちゃかちゃ映像を切り替える傾向が強いアメリカのTVに比べたら、日本のTVニュースはなんとゆっくりで、オーガナイズされて映ることか。。

さて、きょうはわたしのプロンプターの操作ミスで、危うくNGを出しそうになってしまった。しかも生放送中の出来事である。午後6時のニュースのプロデューサーが、私にB記者のリポートの頭の部分が「スクリプト」としてプロンプターに載っている事を知らせなかったことから、この悲劇が起きた。

6時のニュースの真ん中に入っていたB記者のリポート、頭の部分のセリフはたいていプロンプターに書いていないことが多いので、私はB記者のコメントの前でプロンプターの操作を停めて、次の原稿を探していた。ない。そこで、異常に気づいた。画面に映ったB記者が原稿をあわてて探している。コントロール・ルーム内でディレクターや、プロデューサーがすごい勢いであわて始めた。

「プロンプター回して!今すぐ!」あ?私だ!私のミスだ!やばい。あわててプロンプターを回し始めたときには、プロンプターの原稿が読めなくて焦っているスタジオのB記者の顔が、2カメに数秒間以上映し出されてしまった。あちゃー。。ごめんなさい。

でもインターンは責任がない。プロデューサーが私の代わりにすぐにB記者の耳のイヤホンに「プロンプターの件、ごめんなさい。」と謝りを入れた。B記者が、1日かかって取材したリポートの紹介部分が、私のせいで失敗に終わってしまった。悪いことをしてしまった。ぼーっとしていたわけではないのだが、これからは留学生とはいえ、インターンとはいえ、よく原稿を見てプロンプターを回そうと思う。それだけ責任のあることを任されているのだから。

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Thursday, July 28, 2005

引越しエレジーvol.1(格付け・A)

7来週の月曜日、8月1日が1年の間苦楽を共にした(?)この寮の退去日。(写真は窓からの眺め)きょうはまだ木曜日なのだが、週末にインターンが入っているので、それを避けて大半の荷物を引っ越し先に運ぶことにした。引越し先は地下鉄の駅で数駅郊外に向かった地点にある。比較的近くとはいえ、いくらなんでも車がないと引越しは厳しい。ただお金がないので、引越しサービスとかを頼むのは嫌だった。

7そこで、持つべきものは友!車を持っている同級生で、ボストンに残って夏をすごしているビッキーさんに手助けを頼むことにした。16人いる大学院の放送ジャーナリズムの同級生はこの夏、その大半がアメリカ各地にちらばって、さまざまな地方TV局で出稼ぎ(インターン)をしているのである。モンタナ、ミズーリ、ミネソタ、カリフォルニア、ニューヨークと見事にボストンを離れていて、ボストンに残ってインターンをしているのは私やビッキーを含め数人だけだ。ーーその彼女もボストンのアパートの契約が切れるとかで、自身ボストン近郊の親戚の家に引越しをしたばかり。それなのに私の引越しのアシストを快く引き受けてくれたうえに、一緒になって大学寮からの重い荷物の運び出しまで手伝ってくれた。うう。この恩は一生忘れまい。

7女2人、彼女の愛車「スバル・フォレスター」に荷物を積み込み、地図を片手に引越し先へ往復すること2回。夕暮れが訪れてきたころにとりあえず作業終了。比較的涼しい日だったため助かったものの、首や肩、腰・膝が痛い。

7そこで、ねぎらいの意味をこめて、いきつけのスポーツ・パブで1杯。夏限定のウォーターメロン・ドラフトなる、珍しい「すいかビール」を注文して昼間出て行った水分を補給。すいかの風味がする不思議なビールだ。ビッキーさんには車を出してもらったお礼にこの店の定番のおつまみ、「ナチョス」や「エンチラーダス」をおごる。この引越し、まだ身の回りの荷物が残っているので最終的にはタクシーなどで運び出さないとならない。ビッキーさんの車が贅沢に使え、ビッキーさんという強力な助っ人がついているのはきょうだけ。だから、きょうの引越しは「格付けA」である。荷造りがこの世で一番苦手なTeddyの”引越しエレジー”はまだまだ続く。。

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Monday, July 25, 2005

チャールズ・ストリート探索とジャズ生演奏を楽しむ月曜日。

7ということで、7月と8月は週末にTV局でインターンをして、平日にフリーという不思議な生活をすることになった。毎週月曜日にはいさんで遊びに繰り出すことにしている。きょうは州議会議事堂の裏にあるチャールズストリートへ。おしゃれなショッピングストリートで、こぢんまりとした名店が多い。「Figs(いちじく)」という名前の店はトッド・イングリッシュという有名シェフの店

7生ハムといちじくのピザなどを注文する。パリッとした薄い生地に新鮮な具材が乗っていてかなりうまい。生ハムの塩分と、いちじくの渋い甘さがたまらない。やみつきになるおいしさ。

7創作チョコレート菓子の店を発見。アイスチョコレートドリンクは、このままで1食分になるんじゃないかというくらいのボリュームとこく。

7夜、以前も行った夜景のきれいな「Top of the hub」へ。知人の知人がジャズのトリオとして生演奏をするときき、やってきた。

725wineワインがすすむすすむ!しかも知人の知人のそのまた知人がアルコールをおごってくれたりして、ますますいい気分に。久しぶりにぐるぐる頭が回りながら、帰宅。

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Sunday, July 24, 2005

インターン3日目。

7いつも乗る地下鉄の路線が工事中だとかで、代替のシャトルバスに乗らないとならないという。バスに乗るのでたった数駅しかない距離を移動するのにも、すごい時間がかかる。しかしそのおかげで、いつもは見れない角度からお気に入りの教会を見ることができた。青い空との対比が美しい。

日曜日のニュースルームは、平日の3分の1以下の従業員しか勤務していないうえ、放送番組の回数も少なく先日のような大混乱はなかった。まさに「凪ぎ」の日といえる。アンカーが次々入れ替わる平日の番組構成と違って、週末の午後の放送は全てベテラン男性アンカーの、トム・エリスさん一人でオンエアを担当していることがわかった。

7インターン先のキッチンにはグルメ・コーヒーの機械があり、50セントを払えば30種類以上のフレーバーから好きな本格コーヒーが飲める。休憩時間のお気に入りになりそうだ。きょうはヘーゼルナッツ・フレーバーコーヒーをチョイスする。

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Saturday, July 23, 2005

「○○○のオリガミ」とは?ーかなりunusualなショーを観る

お父さん、お母さん、ごめんなさい。。
・・両親に謝りたくなるような内容の、とあるショーを見にいってしまった。ある日ボストンのダウンタウンを歩いていて、街に貼られていたポスターを目にして以来、好奇心に勝てなくて。。

一体どんなショーを観たのか?
ポルノでもないし、ストリップでもない。。れっきとした、公然とした舞台である。しかも1996年の初演以来世界13カ国で上演されている知る人ぞ知る国際的なヒット作。ボストンのサウスエンドにある小劇場で1ヶ月のあいだ、上演されると聞き、チケットを取ってみた。

舞台の内容について、ヒントは3つ。
1.人形劇、のようなものである。
2.人形使いは皆男性
3.客席は、20代~50代の女性が8割、ゲイの男性が1.5割、ノーマル男性が0.5割

さらにヒント。英国の新聞「THE GUARDIAN」紙は、この舞台をこう評している。
"charming extraordinary DON'T TRY THIS AT HOME!"
どんと・とらい・アット・ホーム??そう、この舞台を見に来た男性は、決してこれを家で真似しないほうがいい。。

7えいっ!この写真でどんな舞台かわかったでしょう。公演のタイトルは「Puppetry of P○○○○」(○の中は写真を見てください)。キャッチフレーズは、「生殖器のオリガミ」。つまり。。。

昔から、パブなどで酔客を相手に行われていた下ネタであるという男性の「一発芸」が、舞台になった!つまりはこの「人形劇」、派手な黄金のマントだけをまとった全裸の男性(人形使い)が2人登場し、観客席を埋め尽くす150人ほどの客の視線に臆することなく、その男性器を用いて「ハンバーガー」「エリマキトカゲ」「ホットドッグ」「象」「きりん」「ヨット」などといったものを表現してくれる、というもの!きえ~。す、すごいものを見に来てしまったもんだ。人形使いの2人組みは、それぞれの都市でオーディションを勝ち抜いてきた、精鋭の「芸人」たち。全裸にも臆せず、軽妙なマイクトークをはさみながら、もくもくと20ほどの「折り紙」を披露してくれた。

お下劣?でも観客席の女性客達は、大ウケで、涙が出るほどバカ笑いし、野次をとばしては楽しんでいた。結婚を1週間後に控えた花嫁候補さんと、その独身女性仲間のグループも見に来ていた。

男性にとって「女性のストリップ」があるように、その逆バージョン(一応、芸術)でこれはこれでいいんじゃないか。以前NYでフル・モンティ・オフ・ブロードウェー劇を見たことを書いたが、そのときのことを思い出した。男性が美しい女性のグラビアを見て楽しむように、女性むけのこんなエンターテインメントがあってもいいではないか。(別に男性の全裸や、アソコを使った一芸が、とりたてて見たいわけではないけどね。)日本ではおそらく実現しないと思うケド。。

ところでこの人形使い劇、いくら家で真似しないでといっても無理かも。だって、終演後に劇場のグッズ販売コーナーでは、「折り紙」の仕方をつづったマニュアル本を売っているのだ。驚いた。そのほかにも、舞台の記念Tシャツも売られていた。そそこにはアルファベットが一文字だけつづられていた。それは、ほかならぬ、「P」であった。この舞台鑑賞、いい人生経験となったです、はい。ちなみに公式ウェブサイトは、ここ。※←このサイト、職場でこのブログを見ている人は、こっそりウィンドウを小さくして開けたほうがいいです。写真がばーんとキますので。。

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Friday, July 22, 2005

地元TV局でのインターン2日目はPやDが「ののしりながらオンエア」

7TV局・特に生放送のニュース番組の現場での仕事は、「釣り」に似ている。凪いだ海のように平穏で何もない日もあれば、大しけの海のように大荒れの日もあるのだ。どんな海になるかは、その日になるまで誰も分からない。どんな海の状態でも、確実にその日の獲物を獲得して港に帰りつかないとならない。

7その「釣り=生放送」を遂行するのが、漁船ならぬコントロール・ルーム、つまり日本の業界用語でいうところの、「サブ(調整室)」である。ちなみに調整室とは、「TVスタジオの真裏に設置されている小部屋のことで、スクリーンがたくさん設置されており、プロデューサーやディレクターやテクニカルディレクター、音声さんなどが座って、スタジオ番組のカメラやグラフィックなど、画面の切り替えを操作する場所」のこと。写真がボストン近郊にある地元TV局「NECN」のコントロール・ルームである。大変小さいが、これで24時間ニューイングランド地区向けの生(一部再放送)のニュース配信を行っていると思えば大変効率よく設計されたサブであろう。

きょうはインターン2日目であるが、べたべたに凪いでいた1日目とは違って、トラブル続出の大荒れのコントロール・ルームを体験することとなった。

7きのうブッシュ大統領に指名された最高裁の新しい判事候補、ジョン・ロバーツ氏についてのニュースについて、NECNのプロデューサー達が毎回毎回放送の時間ぎりぎりまで原稿の内容を書き換えようとしていた。それがコントロール・ルームの混乱を引き起こしたようだ。日本と違って、こちらのTV局は全てプロデューサー達がパソコンに向かって打ち込む原稿がそのまま、デジタルプロンプターとなってニュースアンカーの読む原稿となるので、ぎりぎりでも、それこそオンエア中でも、次のニュース項目をダイレクトにパソコンに向かって書き替えられるのである。

特に私がアシスタントを担当した午後9時のニュース番組は、怒号が飛び交うコントロール・ルームとなった。
「原稿が違うよ!ガッデム!」
「次のニュース項目、ビデオまだ入ってないよ!どうなってんだ!」

放送中だというのに、プロデューサーがコントロールルームでがんがん電話をかける。記者の携帯電話に電話をかけているらしい。20人ほどいる記者たちには、それぞれきょうのアサインメント(取材項目)が割り当てられている。締め切りである放送時間までに、彼らの編集済みのビデオがコントロールルームの端末にデジタル化されて入力されていなければならないのだが、そのビデオが放送時間があと2分と迫っているのにもかかわらず、まだ入っていないらしいのだ。

「A-3 is DEAD」何?何が死んだのか?おお、次のニュース項目であるA-3という番号のついたニュースを、「落とし」(省略)することにしたらしい。ペースが速すぎて、何が起きているかついていけない。

さらに、きのうボストン地域を襲った雷のせいで、近郊の町から生中継を行うはずの記者を映し出す中継車のカメラの回線が切れるというトラブルも発生。

「記者の○○と中継がつながらない。どうして!?」「回線が切れたんだ」「何かニュースを差し替えよう」
か、書いてます。隣でプロデューサーがすごい勢いでパソコンのキーボードをタイプしたかと思うと、スタジオでニュースを読んでいるアンカーマンのイヤホンにつながるボタンをばしっと押し、
「プロンプターに新しい原稿入ったから、これ読んで!」

そのプロンプターをアンカーマンの読む速度にあわせて動かしているのは、ほかでもないインターンである私である。今はまだ、アンカーマンがどこを読んでいるのか、追いつくだけでも精一杯である。(だって、ネイティブスピードのEnglishなんですもの。)でも私がちょっと気を抜いて、プロンプターの操作がもたつくと、画面に出ているアンカーマンに影響を及ぼしかねないし、NGだって出しかねないのだ。緊張。しかも今日のようにプロデューサーやディレクターがFのつく英語や、Sのつく英語を連発しまくっている怒号の飛ぶ状態では、ますます緊張が増す。このコントロール・ルームでのインターン、果たして生き残れるのか!?

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Thursday, July 21, 2005

ジョニー・デップが秀逸!映画「Charlie and the Chocolate Factory」

7「チャーリーとチョコレート工場」という邦題になるのだろうか、封切りされたばかりの映画「Charlie and the chocolate factory」を見にいく。

(あらすじ)世界の誰もが食べている「ワンカ・チョコレート」。その板チョコのパッケージの下に、金色の当たりチケットが入っていれば、フル・オートメーション化されたワンカの工場ツアーに参加できることになり、世界中から5人のラッキーな子供達が集まった。彼らが工場で見たものは。。

ティム・バートンの描く「おとぎの国のチョコレート工場」が素晴らしく、ワンシーン、ワンシーンがわくわくの連続だった。ジョニー・デップがコスプレにメークアップ姿で演じる、謎のチョコレート工場主“ウィリー・ワンカ”が最高。謎のキャラクター「ウンパー・ルンパー」には、腹を抱えて笑った。J・デップファン、ティム・バートン監督ファンはもちろんのこと、家族みんなで楽しめる必見の一作。☆5つ。日本語ウェブサイトはここ

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Wednesday, July 20, 2005

重い腰をあげ、パッキング開始!

7去年の8月18日に入居してはやalmost1年。住みなれたボストン大学・大学院生寮も今月末でリースが切れるため、7.31をもって退出しなければならないのだ。私が多分この世でもっとも嫌いなこと、それはパッキング。今月末までにインターンをやりながら、この部屋の荷物を全てまとめ、隣町にある友人宅にとりあえず引っ越すことにした。退去日まであと10日ほどあるとはいえ、外出の予定も間に入っているし、私の性格からしてそんなに簡単に引越しが進むとは思えない。で、おもむろに前倒しでパッキングを始めた。これが取り崩す前の部屋の「現状保存」の状態での写真。パッキングがはじまって、めためたになる前に写真に撮って残しておこうと思って。。てへ。さあ、とにかく段ボールに荷物をつめよう!あまり気乗りがしないけれど。

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Tuesday, July 19, 2005

環境NGOのために、ボランティア募集の告知CMを制作。

IMG_0818ボストン市とケンブリッジ市の間を流れる川、チャールズ・リバーの川掃除について、大学の宿題として取材したことは以前書いた。川の水資源を守る環境団体がボランティアを組織し、毎年1回川掃除をして水質のクオリティアップを目指しているのだ。このチャールズリバー、以前は全米でも汚い川として知られていた。この川掃除のおかげか、徐々にその水質は改善されつつある。今年4月の川掃除イベントの際、主催者の環境団体、CRWA=チャールズ・リバー・ウオーターシェッド・アソシエーションの環境問題活動家、アナ・エレリアさんにインタビュー取材をした。宿題のためである。宿題とはいえ、私は毎回出来上がったビデオリポートを取材先に送るようにしているのだが、出来上がった取材テープを見たアナさんが感動してこう連絡を下さった。「あなたの作ったビデオ、素晴らしかった。テディさんにぜひ来年のボランティア告知のTV-CMを作ってもらいたいの。」なんとCMプロデュースのオファーである。あなうれしや。

IMG_0817このTVCM、地元のTV局での放映を想定しており、尺(VTRの長さのこと)は30秒程度だという。CRWAでは、ボランティア募集の告知CMを以前から作りたかったが、どこに頼んだらいいかわからなかったとのことだ。しかしそれほど予算もないそうなので、私のようなブロードキャストの大学院生に、ローコストですばやくCMを作成してもらうのが、一番楽そうだと踏んだらしい。テープ代などの実費は払ってくれるとはいえ、謝礼はCRWAのノベルティTシャツだけ。名誉あるCM作成オファーとはいえ、とどのつまりは無給のボランティア、である。とほほ。(写真は05年のボランティアたち)

7TV局でのインターンの前に大学の編集室でアナと待ち合わせをする。アナはインドネシア系アメリカ人で、日焼けした肌に黒髪・小柄な美人だ。4月に彼女のロングインタビューをしたのでそれを7秒ほど使用し、その他に川掃除ボランティアが活動しているシーンを5カットほど選んで、30秒のビデオをあらかじめ作っておいた。アナにそれを見せると、かなり気に入ったようだ。

CMのスクリプト(ナレーション台本)はあらかじめ原案を作り、アナにメールで送っておいた。クライアントがあるビデオ制作は、とにかく制作側と、クライアント側とのコンセンサスが大事。ベースとなるビデオが気に入られたので、後はナレーションをアナの声でボイスオーバー(ナレーション録り)すればいいだけだ。

IMG_081530秒のビデオの冒頭には、「ボランティアがごみを拾えば、チャールズリバーはもっときれいになります!」というテロップメッセージを入れた。さらにアナの声で「今年は、あなたの出番です。あなたの手で、チャールズリバーをきれいにしましょう。お問い合わせは、CRWAウエブサイト、www.crwa.orgまで!」というナレーションをかぶせる。

ニュースリポートと違って、CMなので短いとはいえ印象に残るようにテロップのエフェクトなども工夫してみた。さらに、アナのリクエストでBGMとしてスタンデルスの「Dirty Water」という曲を入れた。この曲、こんな歌詞(抜粋)である。

    Yeah, down by the river down by the banks of the river Charles.
That's where you'll find me along with lovers, fuggers, and thieves
Well I love that dirty water.
But I'm wishin' and a-hopin, oh
That just once those doors weren't locked.
Well I love that dirty water
Oh, Boston, you're my home.

スタンデルスは60年代の“ガレージバンド”で「ダーティ・ウォーター」はボストンレッドソックスの勝利ソングとしても知られている。「あの汚い水(チャールズ・リバーのこと)が好きなのさ。ボストン、われらがホーム!」という歌詞がいい。

アナは環境問題の活動家で、タフツ大学の環境学修士号を持っているインテリ女性。しかしなかなかどうして、ナレーションをやらせるとなかなか張りのある声でうまい。大学の編集室で、マイクに向かって数十秒のナレーションを読んでもらったが1回目は少し暗すぎてNG。「TVのナレーションは、不自然なくらい明るいのがいいんですよね。もう1回やりましょうか?」ときちんと駄目出しもさせてもらい、無事終了。

出来上がったCMは、来年の2月ころからボストンの地元ケーブル、地上波局を対象に放映されるそうだ。オンエアが見たいなあ。たった30秒、ソニーのデジタルビデオカメラ(DVC)で撮影して、ファイナルカットプロというコンシューマー・プロダクツのソフトで作った「手作り」CMだが、まるで自分の子供のように愛おしい。。

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Sunday, July 17, 2005

美術館とデザートと野外音楽とすし。

7日曜日。DCに住む知人にボストンを案内する。イサベラ・ステュアート美術館は以前も訪れた大好きな場所。その後ケーキとコーヒーで一服など。写真はボストン・チョコレート・ケーキという名前の可愛い一皿。

7市の中心部ボストンコモンではボストン・ランドマーク・オーケストラという夏だけ登場する野外演奏専門のオーケストラの、無料演奏を聴く。なんと黒人奴隷解放をテーマにした詩の朗読と、オーケストラのコラボレーションという珍しいもの。芝生に座って、しばし芸術を楽しむ。

7「スシ・エキスプレス」はボストン郊外にある知る人ぞ知る旨い店。日本と変わらぬ握りや巻物がおなか一杯食べられて、リーズナブルな値段。テークアウトで。


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Saturday, July 16, 2005

ヤンキース戦で日光浴!?

7昨晩の深夜までの飲み会もなんのその。本日はワシントンDCからボストンを訪れている知人と共に、メジャーリーグ観戦へ。因縁の対決、ボストンレッドソックス対NYヤンキースである。試合の行われるフェンウェイ球場はうちの真裏なので、サンダルをつっかける感覚で「ちょっとそこまで」とMLBの試合を観に出かけられる。

7午後1時のデーゲーム。球場は満員。もちろん、地元の熱いRedSoxファン達である。どうしてここまで熱くなれるのか、というくらい熱烈にレッドソックスを愛している人たちだ。

7「ブリーチャー」と呼ばれる球場の真正面、守備で言うとセンター真裏の外野席につく。空が青く、かんかん照りの太陽が照りつける。この日はほぼ無風状態。とにかく暑い。野球を観にきて、日光浴をしているようなものだ。まさにデーゲームならでは、といえる。

7真後ろに座っている「熱烈な地元ファンのおじさんたち」が、騒がしい。応援をしながらも「暑くてやってられねえぜ」「アイスが食いてえな」と汗をふきふきぼやいている。振り返ってみると、球場のいすからはみ出そうに肥えていらっしゃるのだから、暑いのも無理も無い。おじさんの一人は、水が散布できる「レッドソックス携帯ミニ扇風機」を持っていて、周囲3mの人々に「涼」を振りまいていた。私と私の知人もその恩恵に預かって、たまに「スプリンクラー」よろしく水を顔に浴びさせてもらった。「涼しーい!サンキュー!」このおじさん、後に立ち上がったと思ったら両手を大きく頭の上に振り上げて、「おーい、アイス屋!箱ごと買うぞ~!」と球場のアイスの売り子を呼び寄せていた。なんだかほほえましい風景だった。右の写真がそのおじさん。

7試合はあまり調子のよろしくないわれらが松井秀喜の活躍はそれほど見られなかったものの、NYヤンキースの勝ちで終わり。試合の終盤、もう勝てないとわかっていても、レッドソックスが都合悪くなると、ボストンのファン達は伝統の「Yankees sucks!(ヤンキース最低)」というヤジを繰り返していた。こんどレッドソックスーヤンキース戦が観れるのはいつになるだろうか。


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Friday, July 15, 2005

地元TV局でのインターン始まる~夜遊びナイト!

7きょうからボストン地元TV局「ニューイングランド・ケーブルネットワーク・ニュース」、通称「NECN」でのインターンが始まった。午後2時から夜10時まで、ニュースルーム(取材センター)や生放送のコントロールルーム(日本語ではサブ、または調整室)でアシスタントとして働く。緊張の初日を迎えた。

7地下鉄で郊外へ向かい、さらにそこからバスに15分ほど揺られ、バス停から丘やゴルフコース(!)の端っこを30分ほども歩いてようやく到着する。日本のイメージだと、TV局は都会にあるもの、と相場が決まっているがアメリカのTV局はあきれるくらい郊外にあるところが多い。なぜなんだろうか。NECNも、まるで森の中に建っている倉庫のようだ。インターンとはいえ、デスクをひとつ貸してもらう。1時間おき、プライムタイムだと30分おきに生放送のニュースがあるので、ニュースルームではプロデューサー達が一心不乱にPCに向かって原稿を打ち込んでいて、私はそのPCからダイレクトにつながったデジタル・プロンプターの操作を担当し、慣れてくれば原稿も書かせてもらえるという。がんばろう。インターンは8月末まで2ヶ月弱続くがもちろん無給である(泣)。そのかわりに大学院生にとってはお金よりありがたい、「単位」がもらえるというわけである。

7緊張の職場初日のあとはNYからボストンを訪問中の知人ほかと夜遊びに繰り出す。近所の日本食屋「MALUKEN」はウィークエンドになると「カラオケバー」に早代わりする。この日は野球チームレッドソックスと宿敵NYヤンキースの試合があり、ソックスが大勝したこともあって、店は大騒ぎする地元ファンでごった返していたが、その中に異色の仮装集団がいた。右の写真がそれ。なんでも、30歳を迎えた女の子の誕生日を祝うバースデーパーティーの一団で、「30歳」というイメージからおばあちゃんの仮装をしよう、ということになったのだとか。

ところがこの店、日本食とカラオケ。。居心地がいいはずなのに、ぜんぜんよくない。海外のカラオケは、ボックスではなく、スナック形式。つまり、オープン・ステージ形式でオーディエンス参加型のパフォーマンスなのである。アメリカ人のカラオケは、とにかくうるさい!マイクを複数人数で握り、音痴でもかまわず、楽しければいい、大声を出して発散したい、という感じ。この夜、店は50人あまりの客でごった返していて、うるさくて会話も出来ない。

7で、店を変えた。チャイナタウンにある「アポロ」は遠征のときにNYヤンキースの松井選手も訪れるという深夜営業の焼肉の店。夜遊び続きで少々疲れてきたが、まだまだ!

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Thursday, July 14, 2005

のりがパリッとした寿司が食べられる店、その名も。。

7。。Noriです、ノリ!ボストン郊外にある寿司屋で、前から気になっていた店!青いひさしが爽やかな店構え。早速中に入ってみましょう。

7オーダーした寿司は、どれもパリッとしたのりが効いていて、絶品。アメリカ人はどういうわけか黒い食べ物に少々恐れがあるようで、巻物の海苔はたいがい中に巻いてあり、外側はごはんの白い部分が見えているというものが多い。この店もそうした「逆巻き」が多いのだが、それでもココの海苔はなぜかパリッと、フレッシュでおいしかった。アメリカでフレッシュなノリが食べられるなんて、珍しいコトだ。写真は、ハマチのにぎりにマヨソースをかけた、題して「ハマチ・マッドネス」と、ウニロール。どちらも絶品でした。

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Wednesday, July 13, 2005

”ハブシティ”ボストンの夜景

7「エンジン33・ラダー15」。ボストンのダウンタウン、バークリー音楽院のそばにあるのがこのボストン消防署の分署。ボストンに戻ってまいりました。なんと消防署もレンガ造りなのだ

7ボストンのキャッチフレーズは「ビーンタウン」などもあるが「ハブシティ」というのもある。ヨーロッパへの「中継地点」であったことからこのあだ名がついた。本日は、そのハブシティを見渡す絶景の夜景を肴に、久しぶりに会う知人とディナー。「トップ・オブ・ザ・ハブ」はボストンに住む人の10人に8人は「夜景といえば、ココ!」と答えるであろう場所。よって、写真のような「本気カップル」がうようよしているわけで。はあ~。目の毒。

一口食べては見つめあい、一皿片付けてはテーブル越しに手を握り合う。。こんな”指輪の箱をカパ!!と今夜開けます!!”みたいな勝負むんむんな雰囲気があちらにも、こちらにも。こいつらにとって、夜景はおまけなのか!?平日の夕方からものすごいドレッシーに決めて、いったい職業はなんなのだろう?とか、私達のグループは食事そっちのけで、彼らの話題で盛り上がってしまった。

ちなみにこのレストラン、場所はボストンのプルデンシャル・タワーの52階。値段はちょっとした高級レストランだけど、観光客慣れしたウエイターがばしばしオーダーをさばいてくれるので、日本人観光客にもおすすめ。生演奏のジャズあり。

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Tuesday, July 12, 2005

ケープ・コッドの旅最終回「岬に陽が沈むケープの端っこの町・ウッズホール」

7フェリーはやがて「ウッズ・ホール(Woodshole)」という町に到着。この町は、ケープ・コッドのマサチューセッツ州本土の端っこに当たり、ケープの島々への玄関口となっている。

7バスに乗り継いでボストンへと帰還することになっているが、まだ時間がある。こぢんまりとした町を探索することにした。美しい港にはたくさんのボートが停泊していた。

7町は港に面したメインストリートに、たくさんのお洒落なレストランがあった。どこか日本の漁港の町に似ているのだが、レストランはあくまでも都会風でおしゃれである。

7このブログの投稿が不覚にも2ヶ月も遅れていることは、お気づきの通りであるが、この旅にはその遅れを取り戻そうとPCを持っていった。町の「Coffee Obsession(コーヒーへの執着)」という変わった名前のオープン・カフェで、おいしいコーヒーなどいただきながら、このblogの更新としゃれ込むことにする。何しろ現実の生活と、blogの更新との両立は大変。こうしてこまめに時間をみつけてやっていかないと、おっつかないのである。それに現実の生活では、英語との戦いが待っているので、このblogにもそうそう時間を割けないわけで。

7おっとっと、ぐちっぽくなってしまった。会社を退社したことも、安定した生活を捨てたことも、帰国子女でもないのに海外の大学院に入って苦労していることも、全ては好きでやっていること。だから、愚痴は言わないし、後悔は一切しない、というのが私のポリシー。いまはしばし、この「端っこ」感が漂うケープの港町を楽しむことにする。写真は珍しい「いか」柄のフェンス。

7この町には「海洋生物研究所」という大きなラボがあり、その建物の前には長い防波堤のような、突堤のようなものが出来ていた。そこを、ケープコッドの岬に吹く涼しい風に吹かれながら、おっかなびっくり先まで歩いてみた。美しーい夕日を見ることが出来た。

71泊2日で実にケープのいろいろなところを見たものだ。ボストンに一路ひた走る「ピーターパン・バス」の中で、この2日を振り返った。ウッズホールは経由しない予定だったが、乗る予定だったフェリーが変更になった都合で思いがけず立ち寄ることになったり。

ケープは、島好き・ニューイングランド好きの私にとってやはり大好きな地域。なんで好きなのか、と聞かれるとうまく理由は言えないのだが、あの灯台と白い砂浜と青い海の組み合わせ・ゆったりとした時間が流れているところが、いいのだろうか。ケープ・コッド全体を見てみると、まだまだ訪れていない町も多いし、ナンタケット島にも機会があれば一泊してみたいので、また是非戻って来たい

最後に一言おせっかいメモであるが、ケープは日本人観光客が異常に少ない地域でもある。名づけて「JTBも手付かずの島」とでも言おうか(笑)。これを読んでいる方にも、ぜひ次の夏のリゾートに出かける場所として、おススメしたい場所である。(日本からだと、ちょっと遠いんだけどね。。)


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ケープ・コッドの旅その5・「赤、白、青、緑、ピンク。。あの有名人も所有している”カラフル・おとぎの家”を訪ねる」

7島内一周バスツアーも終わり、オーク・ブラフというフェリー乗り場のある町に再び戻ってきた。この変わった形が、ビンヤード島の全体像。

7フェリーの時間まで、この島を有名にしている”おとぎの家”を、ガイドマップ片手に訪ねまわることにした。それにしてもこの色。ストロベリー・ピンクの家なんて、見たことない!この島にはこうした家々が300軒以上建っている。わあお。

7このカラフルな家々、実際にサマーハウスとして使われているもので、「ジンジャーブレッド・ハウス」と呼ばれる。クリスマスツリーに、ジンジャーマンとペアーでつける、あの「おとぎの家」のオーナメント、もしくは「ヘンデルとグレーテル」に出てくる「お菓子の家」である。ピンク、赤、白、青、緑、黄色、パープル。1軒として同じ色合いはないというくらいカラフルに彩色されている。一体何故なのか。

7ジンジャーブレッドハウス密集地の住宅街に行ってみた。360°こんな色合いの家に囲まれている場所を想像してほしい。なんだかおとぎの国の住人になったみたいだ。この彩色の秘密を解くカギは、歴史博物館「コテージ・ミュージアム」にありそうだ。早速入ってみる。

7ふむふむ。このジンジャーブレッドハウスのはじまりは1827年、もとは牧草地だったこの場所で、島に移住してきたメソジスト派の人々が宗教集会を開いたことにさかのぼる。

7宗教集会は「キャンプ・ミーティング」と呼ばれ、牧草地の上に建てたテントの中で行われた。食べ物を持ち寄り、集会はピクニックのようだったという。

7これが当時の集会が行われたテントを保存したもので、国家的な歴史サイトに指定されてもいる「タバナクル」。なるほど、屋根はあるけれど、入り口にドアはないし、壁も半分しかないので風が吹き抜け心地よい。この島ではこの「半青空宗教集会」が定番だったそうだ。

7このテント、後に屋根がつけられ、フレームを追加され通称「コテージ」というあだ名のジンジャーブレッドハウスになった。ではなぜこんな色合いなのか?その理由は、コテージ博物館でもらったパンフにたった1行だけ、書かれていた。「Most of the cottages were planned for living in picnic style.」とのことだ。はあ~?

7ただ「ピクニック気分で暮したいから」そんな理由って、あり?おとぎの家が建ってから100年が経つが、確かにきょうは、当時のメソジスト移民が島の暮らしを「ピクニック気分」で楽しみたかった理由が何となくわかるような美しい日、である。7月の心地よい風が吹き抜けるサマーハウスのテラスでは、やはりまた人々がロッキングチェアーに揺られていた。

7私は島でも「有名なおとぎの家」のマップを片手に、この住宅街をさらに徒歩でずんずん回っていった。

7あった!この家の所有者は、なんとPCウイルス除去のコンピューターソフト・関連サービスの開発で巨万の富を手に入れた、ピーター・ノートンの所有。(写真をクリックで拡大すると、家の看板に「ノートン」と書いてあります。その隣に書かれている”コービン”というのはこの家を建てたコネチカット州の富豪の名前)

7なんと、ノートンの家(サマーハウス)は1軒だけではなかった!この家は「シンデレラ・コテージ」という名で、1881年に建てられた歴史ある「ジンジャーブレッドハウス」。ノートンの奥さんであるアイリーン・ノートンの名義になっている。

7お家めぐりのゴール地点は「オーシャン・パーク」と呼ばれる場所。海が見える芝生の広大な広場である。サマーコンサートなどが多く開かれる開放感あふれる場所。

7ハーバー近くのお土産店を冷やかす。フェリー乗り場に到着すると、乗ろうとしていたフェリーが「欠航」になっていることがわかる。エンジン故障だとかで。。まじかよ!次のフェリーは午後8時。それに乗ったとしても乗り継ぎのバスの時間が間に合わない。今日中にボストンの部屋に帰り着きたい。

7しょうがないので、フェリー料金を払い戻し、違うフェリー会社のフェリーに乗ることにした。写真は時間をつぶしていて見つけたシーフード料理店のクラシカルな看板。

7ようやくフェリーに乗れました。車と一緒の大型フェリーでマサチューセッツ州本土のもう一つの突端の町、「ウッズホール」に向かう。(その6「岬に陽が沈むケープの端っこの町・ウッズホール」につづく)


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1泊2日で行くケープ・コッドの旅~その4 ビンヤード島の果てを探検

7朝9時過ぎ、ホテルで無料の朝食をいただく。日本で言うと民宿みたいな宿。共用のダイニングで自由にオレンジジュースやマフィンが食べられる。写真は私が泊まった離れから母屋に通じる階段。

7まずはビーチへ。宿から歩いて10分。その名の通り「Sea View Avenue」は海に面したストリート。坂を下っていくと、どこまでも続く青い空と目の前に広がる大西洋が現れた。

7ところがこの青い青い海と美しい砂浜、難点があった。夏だというのに水温が異常に冷たい上に、遠くまで小石が広がっていて岩岩しいのだ。

7どおりで泳いでいる観光客が異常に少ないわけだ。私も砂浜にごろり、と横たわりしばし日光浴と決め込むことにする。青い空に白い監視員のハイチェアーが映えるbeautiful day.

711時30分、島巡りの観光バスに乗る。これがスクールバスを塗り替えた実に可愛いバスで、運転手がインカムをつけてガイドを兼任するもの。車中にはビンヤード島の地図がペイントされている。なんだか乗るだけでうきうきしてくる。

7観光が主要産業である”アミティ島”に現れた巨大な人食いザメが、人々を恐怖のどん底に陥れる。。」とは、スティーブン・スピルバーグの名作映画「ジョーズ」の筋書き。。このマーサズ・ビンヤード島、実はこの映画「ジョーズ」のロケ地なのである。(映画に出てくる”アミティ島”とは架空の名前)バスの車窓から見えた海沿いのこの池が、ジョーズが岸で背びれを見せながら泳ぎ回り観光客をパニックに陥れるあの有名なシーンのロケ地だとか。

7バスは一路この島で一番古い町、エドガータウンへ。バスは海沿いの一本道をアップダウンしながら快走する。エドガータウンは、「えどがー」ではなく、「ど」を限りなく小さく発音するのがミソ。

7この町もまた、19世紀に捕鯨産業をメインとして栄え、特にお隣のナンタケット島との間にライバル心を燃やしたという。その黄金時代の面影を残した町並みは、白で統一されている。捕鯨で一旗をあげた船長達の家家が、いまだに保存されている。

7バスはエドガータウンを離れ、さらに人手のつかない島の奥地へと進んでいく。実はこの辺りには、有名人の別荘が数多く建てられていることでも知られている。映画監督スパイク・リー、テレビ司会者デービッド・レターマン、投資家ウォーレン・バフェットなどがそれである。クリントン元大統領夫妻もこの島を愛した。写真はJFKの元奥さんであったジャッキー・オナシスの別荘のある辺り。ジャッキーはこの辺りの山を一つ、保有していた。

7さらにバスはメネムシャという漁港の町を経て、ゲイヘッド(アクィナ)という景勝地・断崖絶壁を目指す。だんだん人里を離れていくのがわかる。

7ゲイヘッド灯台の展望台に到着。1855年に建築された灯台は、まさにニューイングランド、といった風情で旅情をそそる。この灯台も、映画「ジョーズ」に登場した。

7ああ絶景かな絶景かな。苦労してここまで来た甲斐があった、と思うとき、それはこのような景色を見たときだろう。砂浜から46mとそそり立つ絶壁は、時間と天候によってさまざまな姿を見せるという。氷河が作り出したこの地層からは、野生の馬や鯨、果てはラクダの化石が発見されたそうだ。

7ちなみにこのクリフの近くでは、あのJFKジュニアが飛行機で遭難、死亡事故を起こしたことでも知られている。日本のNHKもここまで取材に来たとか。さて、美しい景色を見た後は腹ごしらえ。展望台の上には数店の趣味のいいお土産店やシーフード店が並ぶ。

7ロブスター・ロールが一番早そうだったので、注文。なんとフレッシュで濃い味のロブスターなのだろう。むしゃぶりつくように完食。写真にはないが、もちろん付けあわせは定番の「ケープ・コッド・ポテトチップス」灯台のパッケージが目印である。

7見て見て!このカエルの大小貴婦人は、お土産ショップで見つけた。このようなガマガエルの素焼きの置物は、島のあちこちで見かけたのだが、島の守護神か何かなのだろうか?(「その5 赤、白、青、緑、ピンク。。あの有名人も所有している”カラフル・おとぎの家”を訪ねる」に続く)


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Monday, July 11, 2005

1泊2日で行くケープ・コッドの旅~その3”何もしない”をする島マーサズ・ビンヤード島。

7ケープ・コッドに夕日が傾きかける頃、フェリーはマーサズ・ビンヤード島のオークブラフという港町に到着。島の名前は直訳すると「マーサのぶどう畑」。(なんかこの名前、可愛くないですか?

7写真は海辺に並ぶ美しい町並み。ジンジャーブレッドハウスと呼ばれる独特な家のカラリングについては、後程詳しく説明する。1602年に島の発見者が上陸したとき、野生のぶどうがあちこちに茂っていたことから、島の名がついたという。マーサは発見者の娘の名前。ならば島にはさぞかしワイナリーがたくさんあるのだろう、と思えば現在は島には一つしかないのだとか。残念!

7「Pequet Inn」という宿にチェックイン。白をベースに赤と緑をペイントしたエクステリアが可愛いし、人魚をモチーフにした看板もキュート。

7暮れなずむ住宅街を、予約した宿を探してぶらぶら歩いていた時に、何だか変だな、と感じた。薄暗い家々のポーチに、何かがゆれているのだ。そこで、はっと気がついた。それは、ロッキング・チェアーにゆれながら思い思いに夏の夕暮れを楽しむ人だったのだ。ある人はこの島の住人、ある人はバケーションで島を訪れている人か。おとぎの国のような家々のポーチに、本を片手に、または何もせずに何時間も椅子に揺られている人、人、人!東京ではありえない風景だ。そこで、私の頭の中には早速「”何もしない”をする島」というキャッチフレーズが浮かんできた。

7この島のおみやげの定番といえば「Black Dog」のグッズ。島中にここの黒い犬のついたTシャツを着ている人が、わんさかいる。また、アメリカ本土でこれを着ると「ケープ(コッド)で夏のバケーションをすごしたんだよ~ん。」という自慢にもなる。そう、ケープはアメリカのお金持ちが夏のバケーションを過ごす夢の土地で、中でもこの島に別荘を設けることはある種のステイタス・シンボルなのである。

7港を見渡せるレストラン「Nancy's」で夕食としゃれ込む。一番高いメニューは、オイスターでもロブスターでもなくクラム(あさり)のフライだったので、ならば試してみようじゃないか、と注文。さすが粒が大きくて、潮の味が濃い、旨いあさりフライだった。ものすごい盛り方で出てくるのだが、飽きない味なのだ。

7夕食後、海辺の風を肌に感じながら歩く。やばい店を発見。飛んで火に入る夏の虫のごとく、アイス屋にふらふらと引き寄せられてしまう。「Mad Martha's」という店名の可愛さと、夜10時だというのに30人近くの客が行列しているところに惹きつけられてしまった。大量の糖分摂取の後は宿にてバタンキュー。(「一泊二日で行くケープ・コッドの旅~その4 ビンヤード島の果て・断崖絶壁を探検」に続く)

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1泊2日で行くケープ・コッドの旅〜その2・捕鯨の町ナンタケット島

7正午発の高速フェリーに乗り、一路ナンタケット島へ向かう。所要時間は約一時間。このところの風邪がたたって、まだ頭痛がするので爆睡してしまう。

7ナンタケット島はケープ・コッドの南に位置する島。洋梨をつぶしたような形をしており、南北3・5マイル、東西14・5マイルの小さな島である。18世紀には捕鯨産業の基地として栄え、ハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」にも登場することで知られている

7島のニックネームは「グレイレディ」。グレーの壁をした美しい家並みが特徴であるほか、信号がない(!)ことでも有名。歴史的町並みを保存するため、商業目的の看板を禁じており、同じ理由でマクドナルドもないのだという。

7港におりるとすぐに目につくのはシーフードレストランとお土産店。石畳の道をぶらぶら散歩しながら、昼食をとる事にする。シーフードのフリッター(のようなもの)を注文。町を行く裕福そうなリゾート客(家族連れが多い)を眺めながらいただく。レモンを搾って、なかなか新鮮でイケる。

7ナンタケット島を歩いていて目につくのは、こうした鯨や船をあしらった看板やナンバープレートなど。ストリートの名前もNew Whale Streetなどと秀逸である。鯨ミネラルウォーター、なんてのもあって早速買ってみる。普通の水だった。

7捕鯨博物館に入ることにする。この建物はその昔、鯨油を原料にしてろうそくを製造する工場だったという。展示物は捕鯨に使っていた道具や、捕鯨船で一旗揚げた船長の肖像画などじつに興味深い物ばかり。

7ナガスクジラの全身の骨格が飾られているメインルーム。ここで「捕鯨の語り部」の方による、“ナンタケットの捕鯨の歴史”レクチャーを聴いた。当時の捕鯨はそれはアナログな漁で、「鯨の見張り番」がじっと沖を望遠鏡で見つめては、その方角に向かって行き鯨を銛で刺す。暴れる巨大な鯨を弱るまで引き回し、何とかばらばらにして船に揚げる頃には、その一帯に広がる血の海に引きつけられて映画「ジョーズ」よろしくサメがわらわらとやってくるので一目散に逃げる、というもの。しかしこうして手作業で手に入れた鯨の肉は、巨万の富に化けた。鯨肉だけでなく、鯨の油や鯨のひげ(女性のドレスのコルセット用)など捨てるところがなくあますところなくお金を儲けられる魚だからだそうだ。一か八かの博打打ちともいえる鯨漁。男のロマン、だったんだろうな。

7しかしナンタケット島の港は、浅すぎて大型船が停泊出来ないという弱点があった。そのため後にマサチューセッツ州本土の港町、ニューベッドフォードに捕鯨ナンバーワンの町の座を奪われてしまった。写真は博物館の屋上からの港の眺め。実に美しい。

7面白い博物館だった。次のフェリーの時間までぶらぶらと港をさらに散歩する。晴れ渡った7月の夏の陽がまぶしい。戸口に色とりどりの花束が刺してあるアイスクリーム屋を発見。

7今では捕鯨の町が一転し、別荘地と転じた島には日本の軽井沢のような小物店、グッズ店、カフェなどが建ち並んでいる。写真は趣味のいいアンティークショップ。

8and6この島のもう一つの名産は「ナンタケット・バスケット」。漁師達がフィリピンや南の島から持ち帰った籐と鯨から採れる油を入れる樽を作る技術が出合い、作り上げられたものだという。島の灯台を守る人が、灯台を守る間に暇にまかせて作られた物がこのバスケットのはじまりだとか。デザインがかわいく、堅牢な造りでお土産用にバッグなどにも加工されている。値段は割高だが、レプリカのネックレスなども売られておりそちらなら手がでそう。日本の女性達には間違いなく受けそうなお土産ものだ。

7さて、そろそろインターアイランド・フェリーの時間が来たので移動する事にする。ナンタケット島と並ぶケープ・コッドのもう一つの島「マーサズ・ビンヤード島」へ向かう「島巡りの旅」と決め込む。空が高い。冬は荒れ狂うこのあたりの海も、夏は観光客を実に穏やかに迎えてくれている。(「ケープ・コッドの旅 その3・ “何もしない“をする島、マーサズ・ビンヤード島」に続く)

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1泊2日で行くケープ・コッドの旅〜その1・ケネディ家が愛した港町ハイアニス

7本日から1泊2日で旅に出る。行き先は、ケープ・コッド。マサチューセッツ州の東の突端、腕のような形をした半島である。まずはケープの南の端の港町ハイアニスまでバスで行き、そこからナンタケット島行きのフェリーに乗る事にした。写真はハイアニスの町で見つけた看板。

7しかし、バスが渋滞に巻き込まれて思いのほか遅れ、フェリーに間に合わなくなってしまった。次のフェリーは2時間後だという。ならば、予定外だがハイアニスの町を散策、と決め込む。写真はケープコッドのことなら何でも伝える地元紙「ケープ・コッド・タイムズ」のオフィス。

71639年にイギリスから移民が入植してから、捕鯨船の乗組員の家族が住みつき栄えた。ハイアニスという名前は、先住民のインディアンの名前Iyannoからきているという。

71925年にケネディ一家がこの町に別荘を買ったことから、この町は一躍有名になった。子供時代、夏をここで過ごしたJFKもハイアニスを特別な場所として特に気に入っていた。「2つとして同じ夏はない場所」と評し、のちに大統領に就任してからも夏の間の避暑地として「サマー・ホワイト・ハウス」をここに設けた。いまでもケネディ一家のメンバーが使う夏の家が、海のそばにある。ハイアニスの町の中心には、JFKハイアニスミュージアムが設けられ、JFKの「ケープ時代」のプライベートライフを垣間みる事が出来る。

7さて、町の目抜き通りにはちょっぴりさびれた感じだけどいい感じのお土産屋が並ぶ。アンティークショップや、高級そうなレストランやカフェ、オムレツの店なんてのもあった。

7これは、アロハシャツの専門店で見つけたレッドソックス・アロハシャツ。100ドル近い値段。NYヤンキースアロハ・シャツもあった。(—ケープ・コッドの旅その2・「捕鯨の町ナンタケット島」に続く。

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Sunday, July 10, 2005

ネイチャー・ドキュメンタリー「Winged Migration」で渡り鳥のロマンに心奪われる

7原因不明の菌感染によるfluのため、薬を飲みながら養生中であるが、つまらないのでDVDで借りてきた映画を鑑賞。渡り鳥の生態を余すところなく描いたネイチャー・ドキュメンタリー「Winged Migration(邦題・WATARIDORI)」は、大学の「ドキュメンタリー」の授業でさわりを紹介され、そのあまりのスケールの大きさに心奪われた作品。ただの動物ドキュメンタリー、と思うなかれ。「一体どうやって撮影したんじゃ!」と思わずつっこみを入れたくなるカットの続出なのである。「バード・ビュー(鳥瞰)」という言葉があるが、まさに鳥と一緒にカメラも飛んでいる。その撮影対象である鳥が渡り鳥なのだから、また驚くのである。一体どうやって何万マイルもの渡り鳥の旅に密着したのか、どうやって彼らの飛行ルートを調べたのか、そしてどうやってカメラにこんなにも近い状態で撮影が出来たのか。

7その答えはDVDのボーナスとして収録されているメーキングを見るべし。驚くべきことに.渡り鳥の卵をスタッフが育て、生まれた瞬間からスタッフ(とカメラ)を「親」と思い込むように刷り込みするところから、このドキュメンタリーは始まったのである。CGや、SFXは一切使用していない。グライダーやバルーン、ヘリコプターなどを駆使してさまざまな渡り鳥と共にいかに飛ぶことが出来るか、その試行錯誤といったら並大抵ではない。時間とコストと効率からは無縁の(失礼)この作品、監督は映画「ニューシネマ・パラダイス」の名優としても知られるジャック・ぺラン。彼のほかに、スタッフ450人、パイロット17人、カメラマン14人が5つのチームに分かれ、7大陸40カ国、3年に渡って壮大な渡り鳥の物語を撮りあげた。本国フランスでは280万人以上を動員したヒット作かつオスカー・長編ドキュメンタリー部門のノミネーション作品。また、この渡り鳥のロマンあふれる美しい映像を際立たせる、鳥の羽ばたきと一体化したような音楽も大変素晴らしい。★4つ。疲れた都会人に特におススメの一作。

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Saturday, July 09, 2005

JFKの生家を訪問

7第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ。そのJFKの生家がすぐそこにあることは知っていたが、国の史跡として一般公開されていると聞きやってきた。

7ボストンのお隣のブルックライン市、ビールズ通り83番地が、その場所である。場所には看板も小さくしか掲げられておらず思わず通り過ぎてしまったほどである。

7国の史跡(National Historic Site)であるため、入り口には観光案内係りとしてState Park Trooperの皆さんが控えている。観光客慣れしていてフレンドリーな方々である。

7JFKの父でハーバード大卒の実業家ジョセフ・ケネディが妻ローズと共にこの家に移り住んだのは1914年、結婚直後のこと。多角家族で何世代もが同居する多くのアイリッシュの移民たちとは違い、ミドルクラスが多く住む緑多いブルックライン郊外に一軒家を構えたジョセフは,多くがボストンに路面電車で通勤する勤労家族であるブルックラインの近所の人々との交流を深め、静かに子供達を育てるために緑多いこの場所を選んだという。決して華美ではないダイニングルーム。部屋数は9つ。内部は大変古いが、当時のままに近い状態で保存している。前出のトルーパーが説明をしてくれる。

71917年、JFKは実にこの家で次男として生まれた。ケネディ家9人兄弟のうち4人がこの家で生まれ育ったという。

7裏庭にはばらの花が咲いていた。

7グッズショップにはケネディの生涯を書いた本や、絵葉書などが売られている。日本語のパンフもおいてある。

71963年11月22日、ダラスでJFKが暗殺された日のことを伝える新聞も売られている。この日は雨がしとしと降っていたこともあって、緑がよりいっそう増しているように感じた、ブルックラインの静かな住宅街。マサチューセッツといえばケネディ!というくらい地元の絶対的な支持をいまでも受け続けているケネディの生家の静かなたたずまい、であった。

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Friday, July 08, 2005

「金曜日の診療所はだめよ」

7数日前から続く風邪に似た症状を診てもらうため、大学の診療所へ。ところが訪れた時間は金曜日の午後、診察終了間近のため診療所には全くやる気が見られない。受付スタッフも、ドクターも皆週末の予定などをべちゃくちゃ話していて、ちんたら。あーあ、「金曜日の診療所はだめよ。」だな、こりゃ。診察結果は何らかの菌に感染してめまいが引き起こされているとのことで、抗生物質をもらい終了。

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Thursday, July 07, 2005

レモンのお酒と水族館ーテロ警戒レベル上昇中のボストンを徒歩めぐり

7朝起きてCNNをつけたらロンドンで地下鉄爆破テロが起きて死者が出ているとのこと。しかも3カ所の現場のうちのひとつは1月に私がロンドン旅行に出かけた時に、宿泊していた駅の最寄り駅付近であった。背筋に冷たいものが走る。しかし今日は友人と待ち合わせして、イタリアンを食べにいく予定が入っている。地下鉄の駅に行くと、このテロのせいなのか、電車が止まっているとのこと。(あとでテロとは無関係の事故のせいだとわかるのだが)しかたなく、本日は代替えのバスと、徒歩でボストンを遊び歩くことに。写真はテロを知らせるCNNが流れるボストン証券取引所の正面玄関。

7レモン色のリキュールは「レモンチェロ」という甘い食後酒。お酒と同じ名前のイタリアン・レストランでいただいた。消化を促すといわれるだけあって、強いけれどさっぱりしたお酒。

7ニューイングランド水族館へ。吹き抜けのホールをぶち抜いた巨大水槽に泳ぐウミガメの悠々とした動き、ああ癒されるね〜

7皇帝ペンギンもいました。驚くほどのスピ−ドですいすいと泳ぎ回っていて、またまた癒されました。

7ああ、優美なるデザートの甘い誘惑。。「フィナーレ」はボストンの女の子に大人気のデザートの店。週末は店が一杯になるほどである。美しい盛りつけと控えめな甘さが魅力。


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Wednesday, July 06, 2005

アル・ジャジーラTVの内幕を描いたドキュメンタリー「コントロール・ルーム」鑑賞

7まだまだ体調は本調子ではないものの布団に横になりながらDVDで映画鑑賞など。「コントロール・ルーム」はイラク戦争の際のアル・ジャジーラTVの内幕を描いたドキュメンタリーだ。

7イラク戦争の際、アメリカ大本営発表を垂れ流すために作られた「連合軍メディアセンター」。そこから発信される欧米メディアの報道と、それに徹底して反抗し独自路線でアラブの目線に立った報道を行おうとするアル・ジャジーラTVのコントロール・ルームの対比が実に面白い

7そこであのアメリカ軍によるアル・ジャジーラTVバグダッド支局爆撃事件が起きる。爆撃を受けて死亡したアル・ジャジーラ記者のための追悼記者会見や残された妻のコメント、お葬式には胸が詰まる思いがした。

7物語は主な登場人物のコメントによって、語られていく。度重なるトラブルや支局を襲う悲劇にも淡々と立ち向かうアル・ジャジーラTVのシニアプロデューサー、サミール・カデルが、実にいい味を出している。ヘビースモーカーである彼がタバコの煙をくゆらせながら、アル・ジャジーラの意義について、気負うことなく、またジャーナリズムの原則に外れることなく語り尽くすところが面白い。加藤茶に似た彼、実にいいキャラである。DVDのボーナスシーンだったか、彼がこれまで訪れた事のなかったアメリカを初めて見るシーンが、面白かった。皮肉屋のアル・ジャジーラプロデューサーの目を通して見たアメリカ、という題材だけでもう1本ドキュメンタリーができるんじゃないかと思うくらい。

7サミールと同じ思想の持ち主でありながら、怒れる男として描かれているのが、アル・ジャジーラTV記者のイブラヒム・ハッサン、もとBBCの記者である。小錦似の彼が、巨体を揺らしながらアル・ジャジーラならではのイラク市民の惨状の取材を遂行していく様子は、怒りと痛みに満ちていて興味深い。

7相対するのは、「連合軍メディアセンター」の広報担当官ジョシュ・ラッシング大尉。アメリカ側の言い分の代弁者として、唯一このドキュメンタリーに登場する彼は、頭脳明晰でかつリベラル、センシティブなアメリカ兵。(だからこそ、アメリカ側も彼を起用したのだろう)イラク戦争の大義名分について、そのラッシング大尉に徹底的に詰め寄るイブラヒム。二人のぶつかり合いが緊迫感あふれており面白い。つまりこのドキュメンタリー、アルジャジーラを描きつつ、きちんと米軍側のキャラも出してバランスもとっている。

監督はエジプト系アメリカ人のジハーン・ヌージャイム。弱冠30歳の女性監督である。最後まで息もつかせず見せる「コントロール・ルーム」。アメリカの垂れ流す大義名分、プロパガンダでない本当のイラク戦争を、アルジャジーラの調整室を通じて見ることができる。激しくおススメである。

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Tuesday, July 05, 2005

ダウン。

風邪に似た症状、原因不明の頭重でダウン。きのうの「アメリカ愛国魂」にあてられたのか?。頭が重くて重くて上げられないったら。。

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Monday, July 04, 2005

独立記念日のボストン、50万人が観る野外コンサートと花火でアメリカ人愛国心の源を見せつけられる

7朝9時に、おなじみ学友のビッキーさん(アメリカ人、ミネソタ州出身)と待ち合わせして、向かった先はチャールズリバーの土手。街中が、祝日ムードでむんむんの今日、眠い目をこすりこすり、ちんたら歩いてたどり着いた先はすでに人、人、人。。

7何のことはない、きょうはジュライフォース。ここチャールズリバーの土手広場「エスプレナード」に設置された野外ステージでは、毎年独立記念日には恒例のボストンポップス無料コンサートが開かれるのであるが、それは午後8時から。じゃあ何でこんなに早く広場に来たのかというと、夜の入場に必要な整理券が朝から配布されるから。この整理券、昼前にはなくなってしまうそう。写真は、整理券と共に配布される今晩のプログラム。

7このパンフ、中を開いてまずこの方がどーん!。「ボストンのエスプレナードで独立記念日を祝うために集った人々に、ご挨拶を申し上げます」こんな書き出しで始まっている署名入りのレターはもちろんジョージ・W・ブッシュ殿から。これを見て一気に体内さぶいぼ指数がどっ、と上がったため動揺しビッキーに「ジョージ・Wってさ、何か猿っぽくない?」とかなんとか言ってみたんだけれど、ビッキーには何だかはぐらかされた。仲良くはしていても彼女もやはりアメリカ人、自分の国の大統領のことは冗談でも悪く言われたくないのか?どうやら失言したようだ。。もう言うまい、少なくとも今日一日は。。

7―――夕方になり、コンサートの3時間も前に広場に再入場してみると、そこはすでに人々のレジャーシートやキャンプ用テント(!)で一杯となっていた。聞くところによると、こうした「ピクニック組」の人々は午前中に来て、そのまま家族全員でこの広場で夜まで開演を待ちながら過ごしているというのだ。クーラーボックスにはビールやコーラなどの冷えた飲み物、さらにパンやソーセージを持参してサンドイッチなど作りながらわいわいとやっている。テントは陽射しをさえぎるのに役に立つし、中で昼寝を決め込むことも出来るから意外と快適そうだ。私とビッキーさんは、持参したバスタオルやヨガマットを敷いて、その上でひたすら日が暮れるのを待った

7中にはアンクルサムの帽子を被ったやる気満々の人々も居た。きょうは街中の人がスターズ&ストライプスを身に着けている。私にとって、9・11以来星条旗は「対テロ戦争の行き過ぎた武力行使」の象徴としてか見れなくなっているが、その星条旗をモチーフにしたアイテムを、こんなにも多くの人が誇らしげに身に着けている風景は何だか不思議に思える。

7場内にはやぐらが組まれ、CBSテレビの生中継クルーが配置されている。豪華10カメスイッチングである。この野外コンサート+花火は、今晩全国ネットで生中継されるのだ。この巨大なプロンプターを見よ。CBSの司会者用で、10mほど離れた舞台からも読めるようになっている。

7ようやく8時となり、ボストンポップス指揮者のキース・ロックハートが現れた。キースに関しては、ボストングローブが昨日特集記事を載せたのだが、それには彼が女性関係にだらしないことを本人が認めたかのように書かれていた。ここまで書いちゃってきょうの指揮は大丈夫?とまで思ったほどだ。ちょっとがっかりしたが、ファンなことには変わりはない。きょうは間近でスイート・キースが見られて感激である。

7日が傾き始め人々の興奮が頂点に達した頃、まずはあの曲の出だしが厳かに流れ出し、場内を埋め尽くしたピクニック気分の人々が、驚くほどの統制でざざっと一気に立ち上がって左胸に手を当てた。あの曲、それはアメリカ国歌。私も仕方なく立ち上がったけど、ついていけまへん、とてもとても。最後の節が流れ、私の「サブいぼ指数」が頂点に達した頃。。

7頭上をものすごい爆音がつんざき、4機の戦闘機「イーグルス」が見事なタイミングで、隊列を乱さぬまま野外コンサート会場の真上を飛び去った。「フライオーバー」と呼ばれるイベントである。す、すげーけど、こ、怖えー。ケープコッドにある空軍基地から飛んできた102航空師団のパイロット達が操るのはF15。パンフに書かれたデータによると、9・11発生時には直ちにNYの燃えさかるワールド・トレード・センターまで向かい、さらなる敵からホームランドを守るため空の防御活動にあたった精鋭のF15師団らしい。

7舞台には、ボストンポップスオーケストラと共演する陸軍バンドとソルジャーズ・コーラス隊の皆さん。軍服姿もりりしく、右斜め45度を見上げて誇らしげに愛国ソング・メドレーを歌います。「This is my country」「God Bless America」「America the Beautiful」「Yankee Doodle」等々アメリカ超マンセーソングの数々。大人から子供まで、もれなくノリノリで口ずさんでいるのには超驚いた。悪いけど、北朝鮮の愛国パフォーマンスと何ら変わりないんじゃないか、と思ったくらい。

7途中あまりにノリノリで皆でラインダンスを始めた「アンクル・サム」帽子姿の一団。

7しかし、ボストンポップスのソロでは、愛国ソングだけではなく、「スターウォーズのテーマ」や「1812序曲」など映画音楽で聴かせてくれた。スターウォーズが流れたときは、後ろに座っていたカレッジ・キッズが長い棒を持ち出して、ちゃんばらの真似を始めだして、吹き出してしまった。ここまできて、私も昔とった杵柄「吹奏楽部だましい」がうずうずしてしまいキースの指揮に合わせて、指揮の真似をしながらジャンプ!

7第2部ステージは何と、カントリーミュージック。「Big & Rich」, 「Cowboy Troy」といった、「いかにも~」な名前のタレントさんが3組登場し、のりのりでカントリーを披露。

7最後は、お待たせしました。川からの花火。中国や日本などから買い付けた50トンもの花火を25分間連続で魅せます。しかし「U2」とか「エアロスミス」とかのロックをがんがんにスピーカーで流しながらの花火は日本ではありえない。「しだれ桜」らしきものや日本でよく見る花火の形は識別できるのだが、かかっている音楽はロック、人々の服装は「アンクル・サム」そして、私の腕には午後8時から消えぬサブいぼ

7帰り道、夜11時過ぎにボストンのガス灯に照らされた通りを何万人もの「Patriots」と共に家路につきながら思った。この国は、ここの国籍を持つ人には、すごーく住みやすく自由でいい国で愛国心をかきたてられる国なんだろうなと。でもここを一歩出ると、外の人には、ここの人々は「大国であるがゆえに自分達のことしか知らない、自己中心的な人たち」のように映るんだ。

7でも他人にどう思われようと、そんなことは気にしないのも彼らアメリカンの特徴なのであり。。愛国主義がてんこ盛りのチャールズリバーの土手で、星条旗を手がちぎれんばかりに振って愛国ソングを歌って高揚している何10万という老若男女を目の前に、かなり圧倒されてしまったあなたは、日本をこんなにも愛せますか?

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Sunday, July 03, 2005

明日は何の日?

7きのう訪れたスポーツ・バーにもこんな看板があったが、そう明日はジュライ・フォース、「7月4日に生まれて」の日、つまりアメリカ独立記念日

71ヶ月ぶりに訪れたチャールズ・リバーの土手には、があがあと3匹のCanadian geeseがそろって川にどぼん、するという風景に出くわした。草むらの中から3匹一度にやってきたと思ったら、目の前を通り過ぎてあっというまに水の仲へ。仲がいい。

7ジュライフォースには、花火で独立記念日を祝う。花火の前には、土手でボストン・ポップスのコンサートがあり、無料。川の真ん中には、花火をあげるための浮き島が設置され、明日の準備は万端のよう。

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Saturday, July 02, 2005

I feel home!!! ボストンに帰還

76月の間1ヶ月続いたワシントンDC生活も終わり、ボストンに帰郷する日が来た。長かったような、短かったような。この後、7・8月をボストンでの地元TV局インターンに当てる。5月に面接を受けた「N」ネットワークがニュースルームインターンとして受け入れてくれることになったのだ。空の上から見るDCの町並みは非常に整っている。

7ボストン到着。空港には、同級生のビッキーさんが車で迎えに来てくれていた。持つべきものは友、われわれはそのまま我が大学寮の裏にあるスポーツ・バーに直行。もちろんそこはボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ球場のすぐ隣。試合のあるきょうのバーは、赤いTシャツを着たソックスファンのボストンっ子で一杯なのであった。そこで、この店の自慢のボストンに関する名前のついたエールを飲みながら、こんな思いで一杯になったのだった。「I feel home!!! 帰ってきたぜ!」ボストンの大学院生として暮して約1年、自分でも驚くほどボストンに里心を持っている自分に気がついたのだった。

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