ホワイトハウス前の取材に同行、しかし。。
夕方、取材に行く支局のAカメラマンに同行できることになった。
ジョン・コンヤーズ氏という民主党の下院議員が”ダウニングストリートメモ”の件で、ホワイトハウスに説明責任を求めるためにブッシュ大統領に宛てた56万通の嘆願書を集めた。”ダウニングストリートメモ”とは「イラク侵攻の口実を作るため、ブッシュ政権は情報を捏造していた」という英国MI-6長官の驚くべき報告が書かれた極秘メモのこと。英国では、サンデータイムズ紙で暴露されたが、米下院ではコンヤーズ下院議員を中心に、ブッシュ大統領への疑惑追及準備が進行していた。きょうはコンヤー議員が嘆願書をブッシュ大統領に届けるべく、ホワイトハウスの門まで提出しに来るという。一種のパフォーマンスだが、デイリーニュース的には絵になる映像だ。こうしたニュースは通常カメラマンが一人で絵を撮りに行く。しかし今回は各局のカメラが集中して混乱が予想されるので、私が荷物番として同行したわけだ。
ホワイトハウス前は、すでにコンヤーズ氏を加勢しようとする反戦プロパガンダ団体で一杯だった。写真のような黒い囚人服の仮装をしてホワイトハウスを背景にポーズをとる活動家や、
「ブッシュよ恥を知れ、お前の嘘のせいで彼らは死んだ」などというプラカードを掲げて、メディアのカメラに積極的にアピールする反戦活動家もいた。カメラを向けると喜んでポーズをとってくれる。
しかし、少数派だが戦争賛成派のプロパガンダ団体の活動家もすみっこで活動をしていた。写真は「サダムが嘘をついた。だから100万もの人が死んだ。」とプラカードを掲げる人。
ここまででお気づきだろうか。そう、私はすっかり某放送局のインターンであることを忘れて、いつものように自分が主体となって取材をしているかのような気分でいたのである。それがまずかった。そのせいで、ある失敗をしてしまったのである。その失敗とは。。
。。私と某局のカメラマンは、一緒にコンヤーズ議員が嘆願書を持ってホワイトハウスの門に現れるのを待っていた。ところが議員はなかなか現れない上に、議員を支援する反戦デモが少し離れたところで始まった。議員が到着し、「嘆願書提出のパフォーマンス」をする時刻はとっくにすぎている。支援する反戦活動家達は議員を待ちきれず、輪になってデモをはじめたのである。議員が到着しないのなら、この時間を利用して反戦デモを撮れば絵になるのではないか。私の過去の取材経験から、そうとっさに思った。
そこで私はAカメラマンに活動家の集まりの中に三脚を立ててはどうか、と提案した。カメラマンも同意し、反戦スピーチが始まった演台の上にワイヤレスマイクも設置した。しばらく経った頃だろうか。カメラマンは、やはり「議員の”入り”が気になる。手持ちカメラでもう一度ホワイトハウスの門の前に行ってみる。」ということになった。私も、カメラマンと一緒に門の前で待った。すると、やがて、議員は仲間の議員と一緒に白い嘆願書の束を抱えて現れた。
「後ろ歩きするから、私の腰を後ろから支えながら引っ張って。」アメリカ人のAカメラマンの指示に夢中で従ったつもりだった。こちらに向かって歩いてくる議員一団を、βカムの重いカメラを担いだカメラマン10人前後が一斉に後ろ歩きで撮影する様子は、壮観だった。だから、私はその風景の写真を撮った。いつものように。このblogのために。カメラマンを支えながら、首から下げた愛機カシオのエクシリムで「テディログ」のためにこっそり写真を撮った。
Aカメラマンが振り返った。「君、写真を撮っている場合ではない。」こう聞こえたようだったが、すぐに20人以上のアメリカ人記者がコンヤーズ議員にインタビューをしようとする声で、それはかき消された。Aカメラマンは、どうも私の腰の支えが不安定だったので、後ろ歩きが不安だったらしいのだ。それは申し訳ないかったと思う。私はディレクター歴約9年(アシスタントも入れる)だが、カメラアシスタントの経験はないのだ。完璧を求めるほうが間違っていると、Aカメラマンも気づいたらしかった。しかし後ろでこっそりやっていたつもりなのに、デジカメで写真を撮っていたのはばればれなのだ。「あなたがblogをやっているのはわかるけど、今は集中して」まずそう怒られる。誓って言うが、写真を撮っていたから支える力が甘かったわけではないのだ。今は写真を撮ってる場合ではないことは、身にしみてわかっていたからこそ、こっそり撮って仕事に集中しているつもりだったのに。Aカメラマンと仕事をするのは今日が初めてなのだから、私という人間を知る訳もないのだけれど。TV業界9年生の私がこんなくだらないことで怒られるとは正直、屈辱。しかしAカメラマンの不安な気持ちもごもっとも。まずあやまる。TVの取材現場は、カメラを持つもの、マイクを持つものの独壇場。この現場では、私は今はマイクを持つことも、カメラを持つことも許されていない身。わかってはいたはずなのに。
しかし、この後さらなる悲劇が起きAカメラマンをさらにupsetさせてしまう。
無事議員のぶら下がりをとり終えたAカメラマンは、ホワイトハウス前の芝生に円陣を組んだ200人もの反戦活動家の中にしつらえられた演台で、嘆願書提出についてスピーチをするコンヤーズ議員の追加映像を撮影に行った。私は、Aカメラマンの残りの機材一式を乗せたカートを抱えて、Aカメラマンがいつでも私を探せるような位置でスピーチを聞いていた。いや、探せるような位置でスピーチを聞いている、つもり、だった。あまりにスピーチが面白く、手には思わず手帳を出し、スピーチをメモることに熱中していたことは、認めよう。その間になんとAカメラマンが、テープもバッテリーも交換が必要になった。しかしAカメラマンは、私を見つけることが出来なかった。歩いて数歩の位置にいたのに、反戦活動家の中に、うずもれてしまっていたのだ。
その頃私は、「そろそろテープは足りなくならないだろうか?カメラのバッテリーは?」と気にはしていた。だてに今まで東京の経済ニュース局向けにこれまでビジネス・ニュースを1000本以上取材しているわけではないのだ。それぐらいのことは分かっていたが、何も言われていなかったので、テープはカメラマンがポケットに入れているのだろう、くらいに思っていた。自分の居る位置も、必ずAカメラマンが見つけられる場所だ、と確信していた。
反戦スピーチがはじまって15分が経過しただろうか、携帯電話が鳴った。支局からだった。支局の主力インターンのMちゃんから。「Aカメラマンが、あなたとはぐれたといっています。」何?いやな予感は的中していた。Aカメラマンに電話を掛けようと思って、Aカメラマンの携帯電話を預かっていることに気がついた。Aカメラマンの伴侶が仕事の都合でロンドンに出張中だとかで、時差の関係上まもなく電話がなるから必ず鳴ったら取ってくれ、と携帯電話を預かったのだった。Aカメラマンは新婚。
まもなく、群集をすこしはなれたところで、Aカメラマンと会えた。明らかに、Aカメラマンは気が動転しているようだ。「テープも、バッテリーも切れているのにあなたはどこに行っていたの?」そう言われて真夏のワシントンDCの、ホワイトハウスの前の芝生広場で、血の気が引いた。少し、時間が止まったように感じた。
名誉のために言っておくが、考えられないような場所でAカメラマンを待っていたり、さぼっていたわけではない。たまたま、群集の数が多すぎて、埋もれてしまっていただけで、十分見つけられる場所にいたのだ。しかしAカメラマンが携帯を私に預けっぱなしだったり、群集の動きが読めなかったりで、Aカメラマンと私はすれ違いになってしまった。その結果、テープがないのに、替えのテープを乗せたカートが見つからずコンヤー議員の演台でのスピーチの後半のある部分を撮影できなかった、というわけだ。他局が当然撮れているだろう重要なスピーチのある部分が、インターンである私のミスで撮れていないなんて、Aカメラマンとしては耐え難い屈辱だろう。
とにかく、私は謝った。正直に起こったことを告げた。私が100%悪いわけではない、それはAカメラマンも理解してくれた。しかし、いろんな不幸が重なってこうなったのだが、撮れていないものは撮れていないもの。その原因を作ったのは、まさに私設blogのための写真をこっそり撮ったりしながら、プロの取材に参加していた私なのだから。
幸いにも、支局に帰った後で、このスピーチの重要な部分はテープが切れる前に納められており、テープが回らなかったところはmust takeではないことがわかったのだが、後味が悪い思い出になってしまった。Aカメラマンにとっては、私は「重要な撮影のときにデジカメで写真を撮っていた使えないインターン」でしかないのだ。TV業界は一度だって間違いをする奴は致命的なのだ。秒単位で仕事をする生放送の世界ではいつでも何時でも、間違いなく仕事をする人が尊ばれるものなのだ。十分に知っていたはずなのに。
私が、もしこの現場に自分の取材で行っていたとしたら、自分で原稿を出稿して、現場で起きたことをバランスよく盛り込んだ2分弱の映像リポートを作るために行っていたのだとしたら、こんなことは決して起きないだろうに。しかし私は今、責任も原稿を出稿する必要もない、いちインターンなのだ。失念である。Aカメラマンの信用を失った上に、自分のプロとしての能力すら疑われかねない行動を取ってしまったことが恥ずかしい上にくやしい。
けれど、しっかりとその時に撮った写真はこのblogに載せることにする。非常識と思われるかもしれないが、「私は自分が主体となって取材がしたいのだ!」という純粋な一心から、今回の悲劇が起きたのだ、ということを証明するためだ。しかし、インターンはいろいろな会社を経験するために設けられた貴重な制度だ。今は自分の立場をわきまえなくてはならない。ただ、これだけは言える。早く自分ならではの取材がしたい。映像でプロとして自分しか出来ない物語を語りたい。それができないインターンの自分がもどかしい。
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商品も梱包もとても綺麗でお店の対応もよく言う事ありません。特に驚いたのは
今時 手書きの一筆が入っていたことです。なんだかうれしい気持ちになって このお店で買ってよかったと思いました(*^_^*) 今度欲しい物があったら絶対このお店でと思いました。情報量を☆4したのは 初めてでよく知らないからです。
Posted by: カルティエ バロンブルー スーパーコピー 2ちゃん | Monday, October 18, 2021 09:47 AM