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Saturday, April 30, 2005

チャールズ川大掃除ボランティアを取材~日本人MBA祝卒業大マツケンサンバ大会!

朝からどんよりとした雲がたれこめる中、向かった先はチャールズリバーの土手。きょうは「地球の日」を記念して、「6th annual Charles River Cleanup」というボランティアによる川のゴミ拾いを取材。来週の月曜日にTVマガジンのクラスでスタジオ発表する為の取材VTR作りである。早朝9時の川べりには、すでに地元TV局全てのカメラがスタンバイしていた。マサチューセッツ州知事ミット•ロムニー氏が毎年ゴミ拾いに参加をするので、その取材のためだ。


4突然始まった州知事の囲みインタビューに何とか大学のマイクをつっこむことに成功した。CBS系列の地元局、チャンネル4のカメラマンに頭を小突かれそうになったが、ボストン大学のVX2000を抱えた私は、ポジション争いに勝ったぜ。いえーい。知事は「川を守る為には我々一人一人が定期的にゴミを拾わなければ、ですよね?」など政治家らしいコメントをさわやかに述べた後、写真のような赤いブルゾンにGパンというラフな服装で、早速川べりのごみ拾いをはじめた。

4続いて土手を歩いて、ボランティアのコメントを突撃インタビュー。お揃いのTシャツを着て、23の町から大学生や子供達がゴム手袋をはめて黙々とゴミを拾っていく。

4参加したボランティアの数は1000人。川にはいろいろなものが落ちていて、ペットボトルやお菓子のパッケージなどが一番多かった。変わり種では、ベッドのマットレスや、スーパーのショッピングカートなんてのもあったそうだ。

この後、地球の日にちなんで野外音楽広場で行われた「アースデーフェスティバル」を取材。風力発電や、スクラッチくじのリサイクル、環境保護を訴える自動車プレートなどのブースをそれぞれ回って、コメントを撮ったりした。

心配していた雨が本降りになって来た午後、チャールズ川水資源協会というNGOの環境運動家で、「チャールズリバークリーンアップ」イベントを企画したアナ•エレリアさんに土手でインタビュ−をした。なぜこのイベントを企画したのか、チャールズ川の水資源の状態はいまどれほどなのか、川の環境を保護する為に我々が何をできるのかなどをアナに語ってもらった。

このインタビュー、アナは約束の時間に1時間以上遅れてくるし、雨が降っているから予定していた場所を変えなければならなかったし、とりあえず見つけたインタビュー場所であるハーバード大のボート部のテントはわれわれがインタビューを終える前に撤去されそうになるし、波乱続きであった。しかし、アナさんは女性ながら水資源の保護について修士号を持っている興味深い運動家、しかもアジア系アメリカ人でビジュアル的にも面白い。どうしても彼女に川べりで話を聞きたかったので、雨の中震えながらがんばった。なにしろ、暖かいと思って薄着で取材に出かけたら、雨のせいで寒いのなんの。へーくしょん。

4さて、くしゃみをしている場合ではない。きょうはさらにイベントがある。。この美しい建物は、日本人女性「Tおばさん」が経営しているB&B。ここで、日本人MBAの方々を中心にした、「卒業大宴会」があるのだ。きょうはパーティー参加の他、カメラマンとしてイベントを記録する係となっている。

4約束の時間に遅れる事30分以上。いるいる。3フロアある「おばさんの家」は総勢50人前後の日本人でいっぱい。焼き肉や寿司をほおばりながら、日本のS電機から来ているMBA生、T部長とともに参加者にインタビューをしていく。「ボストンで印象に残っているところはどこですか」日本人はなかなかマイクを向けてもコメントをうまくいえない人が多いなあ、と驚く。アメリカ人なら、通りで知らない人にマイクを向けても、驚くほど流暢な答えが返ってくることが毎回普通だからである。パーティーには盛りだくさんのイベントが用意されている。まずアトラクションその1は、バークリー音楽院の日本人学生によるバックバンドが生伴奏する、カラオケ。12人以上が1曲1曲、日本の歌を熱唱した。客席の熱気で、予定外の休憩を入れなければならないほど、盛り上がる。

4途中バークリー音楽院の教授である竹中真先生のジャズピアノ演奏があった。日本の「桜」をアレンジしたものなど2曲。いいものを見せていただいた。このあと竹中教授のCD即売&サイン会が開催された。

4本日のメインイベント、それは「マツケンサンバダンス大会」。S電機のMBA生、Fさんが「みんなで楽しめるダンスを」と、わざわざ振り付けビデオを日本から取り寄せて企画した。腰元ダンサー用に手作りでバトンも作った。この人たちは、本当に昨日までMBAの勉強をしていたのだろうか、と思うくらい完璧な準備ぶり。。(失礼!)


4このサンバ大会、ただものではない。おかしいのは、卒業の決まった人たちが、大学の卒業ガウン姿で踊るところ。「本番」の前に、ダンス参加者総勢40人あまりが、振り付けビデオを見ながらリハーサルを行った。私もカメラを回しつつ、あまりに楽しそうなので、リハーサルに参加して踊ってみた。


4「それでは本番行きまーす!」宴が始まってからかれこれ5時間以上経過したとき、とうとうメインイベント「マツケンサンバ大会」がはじまった。オープニングにあわせて、マツケン役の卒業生が入場してくる。それを手作りバトンを振って迎える「腰元ダンサーズ」。みんな笑顔だ。「キックとんとん、キックとんとん!」途中難しいサンバのステップは、こんなかけ声をかけながら、なんとか2番まで、合計2回もサンバを踊ってあせだくだくになった。「オーレ!」最後はみんなで不思議な一体感の中で、サンバ大会は幕を閉じた。TおばさんのB&Bの歴史は古いそうだが、その中でも総勢40人あまりもの日本人が、赤いガウン姿でサンバを踊った、というのは前代未聞だそうだ。ボストン市内でもかなり珍しいイベントの一つに入るだろう。私はしっかりとカメラで記録した。数週間後に帰国する卒業生のために、軽く編集をして記念に渡す事になった。

4さすがに朝の知事、午後雨の中のNGOの取材と立て続けに宿題をしてからここへ来たので、サンバ大会が終わった段階で、疲労困憊、思わずうとうとし始めた私だが、地下ではカラオケ大会第2弾が始まった。バークリーの学生さんも帰ったので、今度は通信カラオケなんだという。まるきりここは日本?という錯覚に陥りながら、廊下においてあったソファで「昼寝」をしながら宴に参加する。。ばか騒ぎも彼らと出来るのはこれが最後。この宴会、終了したのは午前2時すぎであった。

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Friday, April 29, 2005

早朝のけんかとクラスプレビュー~初めての面接

もう我慢が出来ない。切れた。けんかになった。締め切り2時間前、寝ずの編集作業の途中、早朝7時の出来事。

編集は基本的に一人でやるもの。それは認める。でも、締め切りを数時間後に控えた朝5時。今まだテロップも音楽も入っていない状態なのに、キムリンは起きてこない。

時間をさかのぼる事深夜0時。キムリンは同棲中の彼の髪の毛を散髪し、挙げ句の果てに「疲れたから”昼寝”してくるね」とか言って寝てしまった。そして朝5時、さすがに私も疲労困憊。絵はなんとか全てつながったものの、11分にもなったリポートのテロップはまだ入っていない。音の調整や、音楽入れもまだ先。朝6時をすぎるころには、なんだか腹が立ってきた。パートナーなのに何でのんきに寝てるんだ。彼氏の髪の毛を切るとかって、そういうのはきょうはやめて、ちゃんと一緒に編集をすべきじゃないのか。

朝6時50分。テロップが遅々としてすすまないし、泣きそうになって来た。夜が白々と明けて来るようすを、何度この部屋から見ただろうか。そこへキムリンが起きて来た。私は口も聞けないほど腹を立てていて、パニック状態。そこで彼女は何をしはじめたかというと、私の隣で自分のインターンシップの為の履歴書を書き始めたのだ。ちょっとお!

「ちょっとキムリンいい加減にしてくれないかな。もう終わらないかもしれないよ。見て、私パニックになってる。どうして手伝わないのさ。履歴書書いてる場合じゃないじゃん。それに昨日彼氏のヘアカットをしたのとかって、私やっぱり理解出来ないよ。」

キムリンは猛烈に反論して来た。早朝のけんか。。

「私にはあなたが一人で作業しているように見えたから大丈夫だと思ったのに。日本人じゃないから、私あなたの気持ち推測なんてできないもん。助けが必要なら口に出して言ってくれないと。それに、彼氏のジョンのヘアカットの事は、プライベートなことだから、テディには関係ないよ。」
「関係なくないよ、時間がなくなることくらい、予測出来たのに、キムリンは手伝いもしなかったじゃん。」

私達の険悪な様子を聞きつけて、ジョンも起きて来た。優等生のキムリンは「けんかしてもらちが開かないから、作業しましょう。」とクールなふりをしてテロップに手を加え始めた。私はまだ言い足りない気持ちで一杯。逃げるなんてずるいよキムリン。でも、ここはけんかしている場合ではない。単位がかかっているのだ。なんとかリポートを完成させなくては。

そこでジョンがネイビーの制服姿でこちらに声をかけて来た。「あのー。ネイビーのセレモニーの時間なんで出かけるから、車貸して」キムリンは「ジョン、きょうは車は貸せないわ。テディと私、ぎりぎりになるから、車で大学に行かないと間に合わない。タクシーを拾ってくれない?」なんと間の悪いこと。さらにジョンは現金を数ドルしか持っていなかったから、なぜか私が20ドルを貸すはめに。。

4最終的にリポートが完成したのは朝8:30。大学につくのが30分も遅くなり遅刻した。キムリンと気まずいまま車に乗る。キムリンは「ごめんなさい。私も悪かったわ」と誤って来たものの、私の頭の中は晴れない。そのまま授業にこっそり忍び込む。みんなでクラス全てのペアの作品をプレビューして批評し合う。もちろん我々のは喝采を浴びたし、授業に遅れた事を「締め切りを30分遅れたのと一緒ですよ」と教授に怒られたほかは、おそらくクラス一の作品だった。授業中に、キムリンとは仲直りをした。あんなに長い間一緒にロケをしたり編集をしたり、ペアでやってきた。こんな事くらいで仲違い、というのもいやだ。とはいえ、出来れば発表の日はけんかをせずに迎えたかったなあ。

4参った。朝ご飯も食べず、一睡もしていない上、けんかをしてへろへろでめまいがするのに、きょうは午後から面接があるのだ。タクシーで、地元のケーブルTV局「N」に向かう。2ヶ月前から交渉して来て、やっと面接にこぎつけたのだ。今日行かなければ意味がない。「N」は郊外の小さな町にあった。面接担当者が帰りに車で駅まで送ってくれた。わーい。長い一日だった。おしゃれなコーヒーショップ/おしゃれな町並みで一休み。

4この町、しだれ桜が咲いていた。このところ編集ばかりで友達に電話もしていなかった。ケータイで電話をかけまくる午後。


4電話をかけた中の一人と、夜すしを食べに行った。「Mr. Sushi」は舟盛りの器が壁のインテリアになっている面白い店。日本語でしゃべってしゃべってストレス解消。。

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Thursday, April 28, 2005

stem cell編集日5日目「尻に火つく」

4「ドキュメンタリー」の授業に出たほかは、キムリンの家で終日「stem cell」のリポートを編集。写真はケンブリッジ市にあるMIT付近の近代的な町並み。

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やばいって言ってるのに、音楽を選ばないといけないのに。キムリンは真夜中に「同居中の彼氏の髪の毛を切らなきゃ」といい始めた。何でもネイビー(海軍)に所属しながら大学に通う彼氏のジョンが、明日ネイビーのオフィシャルセレモニーに参加するそうで。。

4ちょっと待て。あす締め切りで提出なのに、まだ絵がつながっていないところが半分以上ある。絵がつながったって、音楽を入れたり、テロップを入れたりいろいろあるんだぜ。なのにキムリン=彼女の宿題の「尻に火がついている」ことを知っていて「散髪してくれ」とか頼む男ってはっきりいって”だめんず”なんじゃ?キムリンは「20ドル出せば、床屋に行けるのに時間がないとか言って、行かないのよ、彼」とか言い訳しているけど。うううん。カップルの間のことに首を突っ込んでいる暇はないけど。。う”う”う”ん。。とにかく編集しないとおっつかない。。。

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Wednesday, April 27, 2005

マイケル•ジャクソンにしてやられたTVニュースルーム。

4水曜日。キムリンの家に合宿しながら授業に参加する。大学構内の木々がなんともいえない美しいつぼみをつけている。TVニュースルームの授業では、ナショナルヘッドラインの記事を書くように、“プロデューサー”のティスル教授に割り当てられた。とはいってもアメリカの「ナショナルヘッドライン」であるからしてヘッドラインのトップ項目は、マイケル•ジャクソンの今日の裁判の展開について。元妻が証言台に立つらしいので、過去の進行を織り交ぜながら、30秒程度の短いまとめ記事を書けばいいのである。

しかし、過去1週間の私の頭の中はStem cellで一杯。マイケル•ジャクソンどころじゃない。それにこの裁判、私の中では「もういい加減にしてくれっつうの」という気持ちで、気をつけてニュースをチェックしてこなかった。もういいよ、マイケル。ネバーランドで何が本当にあったのかは、知らないが彼が弁護士に伴われて裁判所に入ってくるところを見るだけで、無条件にチャンネルを変えている今日この頃であった。

だからして、マイケルの項目の原稿を書くだけで1時間(!)もかかってしまった。9時に「取材」スタートして、11時までには遅くとも全ての原稿をあげて、キャスター役の学生に渡さないと行けないから、遅いのである。あやうく記事を落としそうになった。

4疲れた。授業後、チャンとランチに行ったところ「Hire me—TV局への就職活動はコンタクトが命だぜ。」とか何とか行って、うれしそうに「TV局コンタクトリスト」とかいう本を抱えて写真に写ってくれた。就職活動、がんばってねー。あ、その前に風呂は入れよー、チャン。(大学院の同級生の間では、彼が風呂に2−3日入らないのはかなり有名になりつつある)

4放課後は。留学生オフィスに書類のサインをもらいに行った。担当のアドバイザーと個別面談をしたら、アドバイザーのオフィスはいろんな国の絵はがきで一杯。

この後は、キムリン宅へ「帰宅」。Stem cellリポートの編集にいそしむ。

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Tuesday, April 26, 2005

バイオバレーでバイアセル社を取材、イケメン副社長にめろめろ。

Stem cell についてのロケはこれが泣いても笑っても最終日。

Stem cell 研究について、「将来性のないかもしれない研究に、胎児になったかもしれない胚性幹細胞を無駄に使っている」というカソリックの人たちの言い分を取材した事を、以前書いた。しかし、幹細胞研究の「商業市場」はすでに存在しているのだ。きょうは、新生児のへその緒から集められた、stem cell 研究をベースに成り立っているバイオベンチャー企業を取材した。

4ボストンから西へ内陸方向に30分ほどドライブ。ウースターという町がある。ここには、マサチューセッツのバイオベンチャーが多く集まっている、「バイオバレー」という地区があるのだ。その一角にあるバイオベンチャー、バイアセル(Viacell)は、新生児が生まれた時に、そのへその緒の臍帯血からstem cell を収穫し、それを将来のために保管する臍帯血バンク事業を手がけている。また、その胚性幹細胞を使って、難病を治すための研究を行っている。子供が生まれた時に、臍帯血を集めて保存しておけば、その子供が将来万が一難病になった時の治療の助けになる。また、その子供だけではなく、家系のメンバーの大人の中にもし難病者が出た場合にも、治療の助けになる可能性が高いという。

4写真の赤い 養分液 の中には、へその緒から集められた幹細胞が入っている。この幹細胞も、もちろん理論上は、どんな体の組織や細胞にも分化が可能な、「万能細胞」なのである。

4こうして赤ちゃんの臍帯血から集められたstem cell なら、倫理上の問題も、解決出来そうだ。バイアセル社が行っている、こうしたstem cell を使った製薬研究の有効性が確認されれば、胚性幹細胞—ES細胞を使わなくても、有効な難病治療法が見いだせるかもしれない。

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ところで、数ヶ月前の「マサチューセッツバイオ協議会バイオエキスポ」でこの会社の副社長に突撃取材交渉をし、今回の取材が実現した。その時に、私と撮影パートナーのキムリンは気がついていた。この副社長がイケメンである事に。。


4で、わくわくしながらきょうの取材の日を迎えた訳だが。。昨日チェコスロバキアだかどこかの学会から帰って来たばかりだという、バイアセルのシュテファン•ウエンツ副社長は、黒いデザイナーズスーツを細身な体にさらっと着こなし、シルバーヘアに繊細なお顔立ち。ジャーマン訛りの英語がまた好感のもてる、hotなサイエンティストだった。。ドイツ、ミュンヘン出身の彼は、前勤めていたバイオ関連の会社から、ヘッドハンティングされてバイアセルの副社長になった。

「We are relatively early in this field, we don’t know how long it will take…but we are quite optimistic for our elite product and bring that to the market in relatively short time.」(臍帯血を使ったstem cell 研究はまだ初期の段階で、どれだけ研究が完成するまでに時間がかかるかわからない。けれど、研究の成果については楽観的に見ているし、なるべく早く製薬を完成させて市場に出したい。=バイアセル社副社長シュテファン•ウエンツ氏=写真)

今回のリポートでは、ボストン大のケート•カーン教授によって、「照明の使い方を学んで、実際の取材で使いなさい」という指令が出されていた。だから、シュテファンの後ろは緑色。「ジェル」とアメリカで呼ばれる、色とりどりのセロファンペーパーを使って、インタビューを受ける人の後ろにほんのりと色をつけるのだ。日本のTV局のニュースではあまり使われない手法だが、アメリカのローカル局のニュースレベルではわりと一般的。例えば、「犯罪の加害者の衝撃的告白インタビュー」では赤いセロファンが、「イラク戦争で夫を亡くした妻の涙涙のインタビュー」では青いセロファンが、という具合にテーマによって色を使い分けるのがミソ。今回の我々のインタビューでも、せき髄損傷の患者、トラヴィス•ロイの後ろには希望を現すピンク色を、ハーバード大学stem cell 研究所のスキャデン教授の後ろには冷静さを示す青色を、という具合にイマジネーションでいろいろな色を使ってみた。トラヴィスのインタビューでは、セッティングが甘くてセロファンが溶けるというハプニングがあったし、ハーバードのインタビューでは、カメラの色彩設定が今一で色が狂ってしまったけれど、どんまいどんまい。We did a good try!

キムリンの部屋に戻って素材落とし込み、二人でインタビューのスクリプト作り。シュテファンがいかにhot(イケメン)だったかを、きゃあきゃあと女子校のノリで茶化しながら。キムリンの彼氏に、あきれられつつ、編集ナイトは続く。。

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Monday, April 25, 2005

とうとう入ったハーバードのstem cell研究所!ES細胞研究の世界的権威、スキャデン教授を直撃。

4その研究所の場所は秘密にされていた。ウエブサイトもなければ、連絡先も調べがつかない。しかし我々は探し当てた。1ヶ月もかかったが、「ロケがしたい」という強い思いが通じたのかその研究所の有名教授もインタビューに応じてくれることになった。

4その場所とは、ボストン近郊のある港沿いの町。こんなところにあるとは灯台下暗し。なぜ場所が隠されているかと言うと、研究の内容が内容だけに人々が抗議に訪れたり、同業者が研究内容を盗みにくるかもしれないから、と推測する。ビルの入り口で名前を登録し、「Escort Required」というシールを発行される。セキュリティのためだ。向かった先はー

4ハーバード大学ES細胞研究所である。ここでは、胚性幹細胞を使ってさまざまな体の組織細胞を作り出す実験などを行っている。この研究、使い方を間違えば人間のクローンすら作る事の出来る研究で、それが論議を呼んでいるのだ。だからこの研究所はhiddenつまり隠された研究所なのである。

ここで我々は、ES細胞に人間の心筋細胞の核を注入して人工的に作り出した心筋細胞がペトリ皿の上で力強く鼓動している様子を撮影する事が出来た。この人工的な心筋細胞を、病気などでダメージを受けた患者の心筋細胞と取り替えれば、理論上はもとの健康体に戻る事になる。ES細胞とは、このように万能なもので人間の体のさまざまな細胞や組織、器官に分化をさせる事が可能なのである。ハーバード大ES細胞研究所には、 このような世界的最先端のリサーチを行う研究者が100人近くいる。余談だが、そんなすごい研究をしているところでも、やはり「Boston Redsox」のロゴが冷蔵庫に貼ってあった。そこはやはり他のボストン市民と一緒なのだ。。


4デービッド•スキャデン教授は、ハーバード大の胚性幹細胞研究を統括している。ES細胞研究の世界的権威であるスキャデン教授は、胚性幹細胞の持つ「多様性」こそが将来難病を治す「力強い」可能性を秘めている、と断言する。「Embryonic stem cells have really the remarkable ability to form different kinds of cells and in fact can form all of the different cells that can make up different tissues in the body. So they’re very powerful.」

研究に使う胚性幹細胞を探す方法は二つある。不妊治療クリニックから譲り受けるか、「SOMATIC CELL NUCLEAR TRANSFER」=別名「THERAPEUTIC CLONING」と呼ばれる「核移植法」によって、人工的に作り出すのだ。この核移植法は、クローン羊「ドリー」を作るのに使われた方法と同じである。だからこそ「ES細胞研究はクローン作成と同じだ」という批判を浴びているのである。

この「核移植法」を使えば、正常な細胞や組織のコピーを作れるだけでなく病気の細胞や組織のコピーも作れる。そうすれば、そのDNAを研究する事で、何故その人が病気になったのかの原因解明も可能になる、とスキャデン教授は語る。

ただし、ES細胞研究はまだまだリスクが大きいとされている。「クローン作成と同じ方法だ」と言われる方法で、細胞や組織、器官のコピーを作って動物でそれがうまく移植出来るかどうかの実験をすると、うまくレシピエントの体になじまないばかりか、腫瘍をひきおこしてしまいがちなことが実験結果としてわかっている。スキャデン教授は、しかしES細胞を使った研究について、長い目で見ると、必ず将来難病患者を救う新薬や画期的治療法の商業市場を作り出す「価値のある研究だ」と語った。 「I think in the long run, if this proves to be valuable, it will certainly result in a commercial market. My personal feeling about that is that if that’s the case, then something of value must have been created」


4「マサチューセッツ州のES細胞研究—倫理的に是か非か?」と題したリポートなのに、やはりハーバード大学が入っていなくてはね。世界的に有名なサイエンティストに会った後は、緊張を解きほぐすべく「Cheesecake Factory 」でキムリンと二人、パスタをぱくつく。。

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Sunday, April 24, 2005

stem cell リポート 編集日1

4きょうから、いよいよ「stem cell 」リポートの 編集に入る。締め切りは来週の金曜日。しかもまだ2件取材が終わっていない。構成も固まっていないければ、原稿も出来ていない。本当に大丈夫なのか。編集パートナーのキムリンと私二人の「編集室」の窓から見える晴ればれとしたチャールズ・リバーの景色を眺めながら、大丈夫と心にいい聞かせる。せっかくいいものが撮れていても、編集のプロセスで失敗しては元も子もない。

4とりあえず素材を全て外付けハードドライブに落とし込む作業に入る。インタビュー部分をスクリプトに書き出したりと、できるところから始めてみる。腹が減ってはいくさはできないのでカレーのデリバリーを頼む。もちろんいま私がいる「編集室」とは、ケンブリッジ市にある眺めのいいキムリンの部屋。

キムリン、変な顔の写真載せてごめん。マサラ•カレーとナンでディナー。眠らぬ編集ナイトは続く。またあしたから、着替えと歯ブラシを持って彼女の家に泊まり込み居候生活が始まる。

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Saturday, April 23, 2005

小雨のNYでカフェブランチ。

4ボストンに帰るバスの時間まで、まだ少しある。今朝は人に会いにいく事にした。地下鉄にはボストンレッドソックス→NYメッツに移籍した人気ピッチャー、ペドロ•マルチネスのことを書いたメッツの広告がある。「Next year is Pedro teaching the NL not to CROWD.」今ではもうレッドソックス優勝の立役者の一人だったペドロのことを誰もボストンで話さない。移籍した後は、ソックスのTシャツ屋にすらペドロの背番号Tシャツはもうない。冷たいような、仕方ないような。

4NYは花の季節を迎えていた。白とピンクの花が咲いた木々と、イエローキャブの対比が意外と美しい。小雨が降って来た。春の一風景。。

4「Cinama Café」は映画にまつわるインテリアが素敵なお店。黒を基調にしたシックモダンなインテリアに生花が光る。

4ブランチメニューにはオムレツが充実していたので一つ頼む事にした。「ホワイトオムレツ」は卵白を多めにした白いオムレツ。中には野菜が具沢山。

4ブランチをご一緒したのはK記者夫妻。K記者は夕刊紙FのNY特派員である。日本人大リーガーM井の担当でおなじみで、アメリカ全土のみならずカナダまでM井の行くところならどこへでも馳せ参じて取材をする特別任務を執行中。第1線の記者と会ったり、きのうのようなすごいスタジオを訪問したりすると、またすぐにでも仕事がしたくなるから不思議。

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ところで、今回のNYトリップでは、元居た会社の関連会社のNYスタジオにも訪問をした。

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タイムズスクエアを望む「天カメ」をジョイスティックで操作してみました。

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海を越えて、日本に画像を届ける為の衛星回線達(だと思う、きっと。もしかしたら単なる社内ライン?)

4某局のA記者と。彼女はいわば、日本の「マリア•バルティロモ」。日本で一時期一緒に仕事をさせていただいていた。今はNYに赴任しているそうだ。彼女は私が会社を辞めたのを知らなかったし、私も彼女がNYにいるのを知らなかった。偶然の再会。相変わらずの美女で素敵なお姉様。。

4オフィスビルからの眺め。ハドソン川を望む。これぞNYって感じ。

4NYのチャイナタウンを出発、満員のバスに4時間ゆられ、ボストンに無事到着。なぜかお腹が減ったので「食」に走りチャイナタウンの名店「台湾カフェ」にて細めんのつゆそばとピータン豆腐をオーダー。明日からまた大学院生に戻る為のパワー充填、と言い訳。。やっぱりボストンはいいにゃあ。。がたがたと動く市電タイプの地下鉄に揺られて帰宅。

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Friday, April 22, 2005

総デジタル。某アメリカ大ケーブルTV局のスタジオ訪問。

きょうは「決戦の金曜日」。アメリカに上陸したからにはこれをやってみたい、という事の一つに、「米国のTVネットワークのスタジオ訪問」があった。それも、観光客向けの見学ツアーとかじゃなく、ビジネスとして訪問したかった。

きょうはそれが実現する日。元の会社の上司と共に乗り込む。気合いをいれて、待ち合わせ場所の、元会社のNYオフィスに行った。「決戦」は午後から。午前には 元の会社の同僚、Nさんに関連会社のNYのスタジオを案内してもらうはずだった。しかし Nさんが、1時間以上もやってこない。携帯にも出ない。NYという場所だけに、アパートに強盗でも入って殺されたのかと思ったが、単なる寝坊だった。。

無事時間ギリギリにNさんがNYのオフィスに出社して来た。Nさんは、これから訪問する某米ケーブルTVネットワークのスタジオを数年前に訪れた事がある。出発ぎりぎりまで情報を仕込み、元上司とタクシーに乗る。

4NYダウンタウンからタクシーで一路NJへ。ハドソン川とジョージワシントンブリッジが見えて来た。日本の桜に似た花が川岸に咲いていて、美しい。橋を渡って隣の州へ行くと料金が恐ろしく割り増しになる、と運ちゃんが料金ブックを見せながら宣告する。何でも金,金のアメリカらしい。S部長は窓から見える景色の撮影に余念がない。

総デジタル化で有名な24時間経済チャンネルのスタジオは、NJの郊外の落ち着いた住宅街にこつ然と姿を現した。TV局は町中にあるものと思っていたが、こんな所にあるとは秘密基地めいている。スタジオ棟の建物と、倉庫のようなだだっ広いたてもので構成されている。

4巨大な企業ロゴをデザイン的にあしらった吹き抜けの広々としたロビー。受付には男性が座っていた。

4やがて案内をしてくれるテクニカルエンジニアが到着した。セキュリティーのかかったドアを通ると、まずはアンカー、リポーターの顔写真が誇らしげに掲げられた「ホール.オブ.フェーム」殿堂的廊下がある。

4廊下を通るとそこに、巨大なニュースルームと、その奥のオープンスタジオが姿を現した。記者一人一人のデスクが大きく、広い。しかも部屋全体の天井が高いので余裕がある。ニュースルームの一角に、一人出演者が座れるスペースとカメラが設置してあった。「スタジオばかりではライブ感覚が出せないので、たまに記者やアンカーをここに座らせてニュースルームを背景に放送を行う」とのこと。このニュースルームそのものも、画面に映り込む事を想定して設計されているのだ。

4コントロールルーム(調整室)。圧巻。モニターの数は百を超えるだろうか。普通あっても2列くらいのディレクター席が、4列ある!聞くと、「プロデューサー(日本で言うところのディレクターはアメリカ英語ではプロデューサーにあたる)は一つの番組に3人(!)いるとのこと。一人はV素材の演出、一人は中継演出、一人はリアルタイムに株価を打ち出すボードの担当だとか。

4ハブ、と呼ばれる中継地点。さまざまな中継先のカメラの画像をここで全て受け、画面を調整する。

4ニュースの取材進行の具合は、社内の全ての端末から一目瞭然でわかるようになっている。緑がすでに取材済みでサーバーに入っているニュース項目、赤がまだのもの。

4メインスタジオには、正面のドアがない。ニュースルームのその先がスタジオ。間仕切りみたいなので仕切られているけれど、ニュースルームと一体化したスタジオである。エミー賞を受賞したデザイングループ、ジャック,モートンカンパニーがデザインした。このときオンエアされていたのは「STREET SIGN」という番組。写真はキャスターの Ron Insana氏とゲスト。オンエア中でもスタジオにわれわれのような訪問客を気前よく入れてくれるのだ。

4スタジオセットは360度回るようになっていて、6面の背景変更が可能と言うから驚く。また、スタジオのカメラはほぼ無人なのだがクレーンカメラだけはオペレーターのお兄ちゃんがついていた。とにかくNBCグループだけあってスタジオの一枚絵っぽくなりがちな経済チャンネルの、「絵の変化」をつけようとしているのがよくわかった。

4サーバールーム。訪問した日は回線を増設していて、まだまだ容量を増やすらしい。要するに、この局の素材はすべてテープレス、サーバーに「データ」として保存されている。「あ、あの素材どこにあるっけ?」などというやり取りは、ここでは不要。コンピューター検索ですぐに呼び出せるのだ。一台のサーバで放送用の画像が1000時間以上保存出来る。まだ現存のサーバーの容量は100%ではないのだが、念のためサーバーの数を増やしている。

4と、案内役のテクニカル.ディレクター、マリオさんが、おもむろにボスの秘書からの電話を受ける。「今回の案内だけど、俺が聞いていた以上のことを頼まれている。もう終わると思ったのに話が違う。」あのー聞こえてるんですけど。マリオさん。。

4編集室訪問。デイリーのリポートなど急ぎの編集はGrass Valleyというメーカーの「News Browse」というソフトで行う。プロデューサー達が、ローレゾリューション=解像度の低い状態で画像を仮編集し、編集マンがハイレゾリューション=解像度の高い画像で最終的に仕上げをする。そして、出来あがったリポートは「ポーンと」(マリオさん)サーバーにメールで送る(!!)。ドキュメンタリーなどの長いフォーマットの番組のためには、Avidの編集室も数室用意されている。

4廊下でこんなものを発見。社内ボーリング大会の写真らしい。賞品は株か債券だったりして!?

4せっかく来たのだからと、ずうずうしくカフェテリア拝見。中庭を見渡せるモダンなインテリア。

4売っているデリ形式のお惣菜やピザは、全て特別な紙皿に入れて、社内デスクまで持ち帰りが可能。メニューはけっこうおいしそう。サラダが充実している印象。

4カフェテリアでお茶をして、帰ろうとおもった私とS部長の前に女神が微笑んだ。なんと、放送中の画面を見ると、あの女性が出ているではないか。ニュージャージーくんだりまで来て、彼女を見ずには帰れまい。その名はマリア.バルティロモ。この局の名物女性記者。毎日朝NY証券取引所が取引を開始するとともに、場立ちの場所から台本のない弾丸トークを中継することで有名だった。そこを通るトレーダー達にぶつかりながら、時に通りがかる重要な人を文字通りgrabしてインタビューしたりといった究極の生中継。この人の他に出来る人はいないとすら言われた。

4「マリアに会いたい」こう先のエンジニアの案内係、マリオさんに向かってつぶやいていた甲斐があった。スタジオの奥のマリアに見とれている我々をめざとく見つけてくれたマリオは、再び我々をスタジオに招き入れてくれた。 相場が引けた後の解説をする番組「Closing Bell」のオンエア中にスタジオに入った我々は、CMブレークのたった2分の間にかのマリア様に話しかける許しを得たのである。

「ハーイ、マリア。私あなたの大ファンです。日本ではあなたがNY証券取引所から引退した時、新聞記事にその事が取り上げられたのよ。You are so famous in Japan(われながらつたない英語。)」「ええー。うそー。そうなの?日本だけはまだ行った事がないのよね。行きたいわー。It is good to have you here.」TVの裏側では、CMブレイクの間に台本の確認をしたり、メークを直したり、わりと画面で受ける印象と違って、神経質なキャスターも多い。しかしマリア様は、かっこつけることやおごることもなく、たったいま会ったばかりの我々にとってもフレンドリーに話しかけてくれた。ヒデキもといテディ感激っす!しかもやっぱり美人!であった。きっと、ずっと忘れない、この感動。

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Thursday, April 21, 2005

NYへショート・トリップ。

「タクシー!」ドキュメンタリーの授業が終わるとともに、大学の前からタクシーを拾う。向かう先はサウス•ステーション。4時に出るNY行きのバスに乗る。

4このバス、通称チャイナタウン•バスと言われていてボストンのチャイナタウン(サウス•ステーションの真裏にある)とNYのチャイナタウンをダイレクトに結ぶのだ。4時に乗らなければ到着が遅くなってしまう。

「4時間、いいですかS部長、NYとボストンは最も安い交通機関である往復30ドルのバスに乗ったとしても片道4時間かかるんですよ。」今回私が金曜の授業をスキップしてまでして2泊3日でNYへ行くのは、東京で勤めていた会社の元上司、SさんのNYへの出張を「通訳」としてアシストしてほしい、と頼まれた為である。アシストついでに、アメリカの某大ケーブルネットワークのスタジオ見学が出来る、と聞いて私もぜひに、と願い出た事は事実である。

ところが、S部長、NYとボストンの地理関係をわかっていないばかりか、当初はさまざまな必要経費とぼけようとするようなお口ぶり。元勤めていた会社だから、経理状態などはわかっている。しかし、しかあし!!チャイナタウンバスも、宿泊先も私がリサーチしたのだから、気持ちよく大人として大船に乗った気分にさせてほしいものである。

4不安渦巻きながらも、バスは一路NYへと進む。元上司のアシストでの「NY出張」であっても、大学院の宿題は待ってはくれないから、バスの中でマックG4を取り出し、ファイナルカットプロを使ってあの「哲学カフェ」の映像を編集。ナレーショントラックをベースに上にカフェの映像をインサートしていく。

4やがて夕闇にNYの摩天楼が姿を現す頃、4時間という移動時間を無駄にせずなんと2分半ものfeature storyのニュースリポートが立派に出来上がったのである。

久しぶりに会うS部長は、会うなり第1声が「テディ、太った?」。おいおいそれはないんじゃないですかたいーーーー!!(怒)

ええ、そうですよ、どうせ太りましたよ私は。怒っても無駄。私は夜型人間で、夜英語の教科書を読んだり、英語で文章を書いたりしているとお腹がすき食べないと起きていられない。太るのは当たり前なのである。東京で通ってたエステの効果もすべて取り返すほど、半年で見事に体重が戻った。ここはありがたく、NYでおいしいものをごちそうになって全てを忘れるとしよう。

4S部長の出張をNYからアシストする元の会社のNY事務所勤務Nさんとも6年ぶりに再会。日本食レストラン「伊勢」にて再会の飲み会。Nさんは、私が入社3年目の時に東京の某スタジオで一緒に仕事をしていたが、その後彼はNYに転勤になりもう10年にもなる。すっかりニューヨーカーである。店は日本のビジネスマンが集う居酒屋で、中はまるで「日本」。サッポロビールで再会に乾杯。刺身やにぼしラーメンに舌鼓。さて、明日はいよいよ過去数週間、大学院の宿題の合間を縫ってS部長の頼りない(失礼)指示のもと、しこしこ連絡をとってどきどきしながらコンファームした、某大ケーブルTVネットワークのスタジオ訪問である。

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Wednesday, April 20, 2005

夏日訪れる。

tempura気温が連日20℃以上で、大学の芝生に寝転ぶ学生続出。私も芝生に座って、木によりかかってみたがさわさわと吹き抜ける風が心地よい。このところ寝不足だったから、うとうととしたりして。そんなさわやかな日に寮の部屋で食べるものは。。自作の天ぷらそうめん!美味だ。

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Tuesday, April 19, 2005

トラビス・ロイとの出会い「たった11秒の運命のいたずら」~なりきりソクラテスさん集合!「哲学カフェ」とは?

Stem cell researchロケ9日目。きょうはある有名人に合う。せき髄損傷患者のための基金を設立し、ES細胞研究をすすめるためのロビー活動を行っている障害者の方だ。基金のホームページやEメールを通じて取材を申し込んでから約2週間が過ぎ、ロケが実現した。

4元アイスホッケー選手、トラビス・ロイのことをボストンで知らない人はいない。たった11秒の運命のいたずら。それは1995年、彼がボストン大学の名門チーム「Terrier’s」の新人デビュー戦に出場したときに起きた悲劇の事故。試合開始11秒後、相手校の選手との激しいぶつかり合いでトラビスはバランスを崩し、リンクの壁に激突。せき髄損傷(spinal cord injury)で首から下が麻痺してしまったのだ。期待の新人選手から一転して、障害者となり10年。しかしトラビスはその後、車いすで一日も休まずにボストン大学コミュニケーション学部に通い、Public relationの学位をとり、卒業後は知名度を生かして同じような障害を持つ人の為の「地元のアイコン」となった。

IMG_0922トラビスはドアマンのいるビクトリア調超豪華コンドに住んでいた。部屋をノックすると、ドアが自動で開いた。トラビスがリモコンで開けたのだ。部屋は片付いていて、豪華なインテリアに、トラビスが口に絵筆をくわえて書いた美しい花の絵(写真)が飾られている。マサチューセッツターンパイクという高速道路を見おろす窓からは、日差しがさんさんと入ってくる。トラビスはここにヘルパーさんやボランティアの手を借りながら、一人で暮らしているという。

IMG_0902パーキンソン病やルーゲーリック病といった難病だけではない、せき髄損傷などの事故に遭った患者さんたちにとっても、ES細胞研究は待ちに待った「Cure」をもたらすかもしれない希望の星。「僕にとって、ES細胞研究こそが、答えだ」こう言い切るトラビス・ロイ(写真)。車いすに乗ってこそいるものの、のりのきいた青いボタンダウンのシャツをぱりっときこなし、チノパンが決まっている。インタビューを受けるので、おしゃれをしたのだろう。知的で、愛嬌たっぷりの彼はまだ30歳。思うように動かせない右手はテーピングで固められており、車いすのレバーを操作する事がかろうじてできる。事故さえなかったら、彼の人生は今頃どうなっていたのだろうか。「If they can regenerate the nerves in that little area that needs to be healed……to bridge that gap using these stem cells…we would have our so-called cure.」ここで言う“they” とはもちろんembryonic stem cell を研究する研究者達のこと。—「ES細胞を使って、ぼくの首のせき髄神経にあいてしまったほんの小さな神経細胞のギャップをブリッジする事が出来れば、それがぼくにとっての治癒を意味する」トラビスはこう語る。

トラビスにとっての治癒は、他の人が当たり前に出来ることを、再び自力で出来るようになる事だ。 「Maybe I’m not going to put my skates back on and go play hockey, but a cure for me would really to have my independence back. Be able to get myself up and out of bed and be able to shower and to dress. To be able to cook and feed myself. To be able to drive. That would be a cure.」—「再びスケートをはいてホッケーができるようになるまで治らなくてもいい。ただ、もう一度、ベッドから自力で起き上がり、シャワーを浴びて着替えたり、好きなものを料理したり、車の運転ができるようになりたい」

4これがインタビュー後にトラビスと2ショットで撮った写真。トラビスは“スーパーマン”を演じた俳優クリストファー・リーヴを敬愛していた。現在彼はリーヴ同様「トラビス・ロイ基金」を作りせき髄損傷患者のための啓蒙活動やネットワーク作りや、ES細胞研究をはじめとする新しい治療法を推進する為の働きかけを積極的に行っている。ホームページはここ

「トラビスはキュート!抱きしめてあげたかった。」インタビュー後、感激さめやらぬ様子で話すキムリン。後で収録したテープを見たが、確かに彼はチャーミングな男性だった。自立を目指して一人暮らしをしているトラビスだが、「何か手伝ってあげたい」そんな気持ちにさせられるのである。しかし、私には障害を持っている方ならではの、人の助けを拒むような彼の視線も印象的だった。一人で出来た事が、なんでも人に頼まないとできない。そんなフラストレーションを、交通事故にあって右膝の関節を骨折し3ヶ月歩けなかったときに、私も経験したことがある。健常者であれば行きたい時にお手洗いにいき、飲みたい時にコーヒーを飲めた。そんなことが、突然できなくなることを想像してみてほしい。看護婦さんや身内の手助けをいちいち頼む時の歯がゆさ。トラビスの澄んだ目の奥に、そんなフラストレーションを見た。

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さて、夕方からは一転して「記者」としてあるイベントを取材しに行った。日曜日に取材交渉に行ったあの古本屋である。そのイベントとは題して「哲学カフェ」。

4いるいる!手にあごを乗せたり、眉間にしわを寄せて、ある人は考え込みながら爪をかみかみ!そう、このイベントは月1回「古本屋で、哲学について話し合おうの会、題して”Philosophy Cafe"、誰でも参加可能。参加費無料」というけったいなものである。主催者は地元にすむ「哲学者」トム・クラークさん。クラークさんは、naturalismという自然・哲学思考の会を主催していて、金満主義、人工的な都会に住む人間に、「ナチュラルな考え方」を提唱していこうと働きかけている活動家。

4このイベント、けっして怪しい会ではない。至ってまじめに「存在感とは何か」「そこにものが在る、ということを認識するのは脳なのか、視覚なのか。」「バーチャルリアリティとはなにか」など、普段の生活では到底続かないような、役に立たない(失礼)議論を徹底的に2時間、古本屋で行うのが狙い。そして、この「食えない」議論が「知的で、たとえようもなく楽しい」(主催者のクラークさん・写真左)のだとか。

4参加者の「月1回のなりきりソクラテス」さんたちに話しかけてみた。風貌がソクラテスそっくりの元大学教授ジョン・メコタ(写真)さんには、迷わずインタビューマイクをさしかけた。「我々の日常生活は哲学でいっぱいだ。哲学と生活は切っても切れない。」タフツ大学出のインテリ、環境エンジニアのテッド・サードさん(写真の赤いシャツの男性)は、「普段の会社生活では考える事の出来ないような事が、この会ではゆっくりと考えられる。」と語る。そして、編集者として働いているアナ(写真右下)の名字は、なんと「ソクラテス」。それじゃあ参加するしかないでしょう。

会はなごやかにはじまったものの、終わりが近づく頃には議論がヒートアップして、こわいくらいの激論に。すごい、形のないものにここまで熱くなれるって。。日本で同じような会を開いても、きっとここまでヒートアップはしないだろう。Fast-pasedで浅はかで金満主義のアメリカでも、こんな金にならないスローペースのイベントにたくさん人が集まる事がわかってうれしかった。マサチューセッツらしい取材が出来た。

この宿題、再来週の「TVニュースルーム」のクラスで「feature story 」として2分ほどにまとめ、紹介する予定。

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Monday, April 18, 2005

ES細胞研究に反対するペグとパーキンソン病のジョー~ボストンマラソン観戦~メリーアンのお宅訪問

【ペグとジョーの生命倫理観とは?】ES細胞の取材も大詰め。8回目のロケでキムリンと共にマサチューセッツ州郊外のシェルバーンという場所へ。きょうも個人のお宅でお話を伺い、インタビューを収録する。

IMG_0888ペグ・ウィットブレッドさんはマサチューセッツ市民生命倫理の会・会長。もちろん胚性幹細胞-Embryonic stem cell は胎児と同じだとして、 ES細胞を使った研究に大・大反対している。

「THE PUBLIC IS BEING MISLEAD. There’s no step that’s skipped between somatic cell nuclear transplant and the cloning of a human individual. And by saying they’re going to take a heart cell and implant it that that’s not going to make it a human being is an outright lie.」—人々は誤った知識を植え付けられているわ。ES細胞を使った研究はヒトクローン作成と同じです。心臓の細胞の核をES細胞に移植すれば心臓の機能をする細胞が複製できる、なんて真っ赤なでたらめよ。

ES細胞研究による成果を「真っ赤なでたらめ」とまで言い切るペグの傍らには、旦那さんのジョーがいる。「私があまり笑わないのは、暗い性格だからじゃなくて、病気の副作用で顔の筋肉がリラックスしているためなんだよ。」そして、そう言うジョーの手は、小刻みに震えている。そう、なんと彼はパーキンソン病を患っているのだ。パーキンソン病と言えば、ES細胞研究の成果によって、治癒が期待されている病気の筆頭に挙がっていたではないか。パーキンソン病の夫を持ちながら、それでもES細胞研究に断固として反対するペグ。その理由は?

「I’m so afraid that all these other therapies that might be available to Joe here and now are gonna get pushed to the wayside for this great big pie in the sky. 」—ES細胞研究は、いわば“絵に描いた餅”。実現する訳もない治療法を追いかけて、人々は、今現在可能なパーキンソン病の治療法を放り投げているわ。ES細胞を使わない治療法にもっと目を向けるべき。(ペグ)

ジョーは実際、パーキンソン病の治療法としてはポピュラーな、電気による脳の刺激法を試しているそうだ。さて、当のジョーもES細胞を使った研究には妻のペグ同様反対。理由は「自分の命を救う為に、他の命を犠牲にするような研究をしてほしくない」から。「The effectiveness of embryonic stem cell research is yet to be established. If it was, it would still leave us with the ethical quandary.」—ES細胞を使った研究の成果はまだ上がっていない。もし成果が出たとしても、倫理的に窮地に立たされる事は必至だろう。

IMG_0887毛のふさふさしたモップみたいな犬を2匹飼っているペグとジョ−の2ショットインタビューは、天気がいいのでテラスルームで行った。陽射しがまぶしいので、窓にかけてあった日本風のすだれを下ろさなければならなかった。さて、2人の家はマサチューセッツ州にしては珍しいプール付きの豪邸!プールサイドを二人で仲睦まじく犬とともに散歩してもらい、カメラに収めた。活動的なペグと、病気の為に静かな旦那さんのジョーの対比が印象的。元はカリフォルニアで金融コンサルタントをしていたというジョー。私個人は、ペグの言っていることには心の底では賛成しかねていたものの、興味深いインタビューだった。

【マラソンの応援法いろいろ】ボストンに帰る。天気はピーカン!そう、きょうは第109回ボストンマラソンなんとうちの寮のすぐ近くのKenmore Squareもその通過地点の一つ。ボストンマラソンは、毎年4月の第3月曜日に開催されると決まっている。この日は、ペイトリオッツ・デイ(Patriot’s Day=愛国記念日)と呼ばれるマサチューセッツ州の祝日なのである。

4キムリンと2人で沿道に立つ。夏のような暑さ。昼過ぎという時間が良かったのか、ちょうどトップ集団がやってくる瞬間に居合わせることが出来た。ちなみにこのボストンマラソン、マサチューセッツ州ホプキントンという町が出発地点で、ボストンのダウンタウン中心部のCopley Squareにゴールする。1987年には日本の瀬古利彦が優勝したこともある世界的に有名なフルマラソン。ホプキントンからボストンに来る途中にキムリンが卒業した名門女子大、ウェルズリー・カレッジがある。「ウェルズリーでは、うちの大学の女子大生が通りに総出するの。”Kiss me!!”とか“Much Faster to satisfy me!”とかちょっとセクシーに応援をするのよ。」ほおう。

4トップ集団が来た!アフリカからの選手達だ。く、黒い、そして速い!いつも見慣れたケンモア・スクエアを黒い風が疾走して行く!ちなみに今回の大会、男子ではハイル・ネグセ(エチオピア)が2時間11分44秒で優勝。女子ではキャサリン・ヌデレバ(ケニア)が2時間25分13秒のタイムで2年連続となる大会4度目の優勝を飾った。

4途中でアジア系の女子選手が、目の前でふらふらと歩き始めた。「You can do it!!」沿道を埋める観客が誰彼となく声をかける。やがて、彼女は再び走り始めた。拍手が沸き起こる。。

4「キース、キースはまだ?」どうやらこのおば様たちは、息子?夫?の“Keith“の応援のためにかれこれ1時間近く、スタンバイしているらしい。

4「Yo! Navy!」「Brazil!」「Italy!」「Norway!」「Hey David!」「Nancy!」ランナー達が身に着けているTシャツに書かれた文字や名前を目にするやいなや、声を張り上げる。これが楽しい応援法。。ショッキングイエローの靴やランニングの人が多かったので、「Yellow!!」というのもあった。結構楽しい応援。日本人ランナーの人にお願い。もっと“Japan”と分かるように英語でTシャツに書いて、走ってください。日本人ぽいランナーは沢山いたのに、どこの国の人か特定できないアジア人が多かった。

4ケンモアスクエアはたぶん最も人が多い通過地点の一つだろう。スクエアに差し掛かると同時に、こぶしを振り上げたり、手で観客を仰ぐポーズなどをして、拍手を求める「ギブミー・アプローズ!ランナー」も多かった。

4やがて競技用車椅子の選手が走ってきた。速い!!車椅子を押して走っている選手もいる。ものすごい高齢のおじいさんランナーもいる。

4警備のBPD(ボストンポリス)の警官に何事か話しかけている女性が、やがて柵を空けてもらい、ランナーゾーンに入ってきた。何かと思ったら、むこうから走ってきた公式選手のダーリン(おそらくだんなさんか彼氏か何か)と一緒にゴール地点に向かって走っていったではないか!ええー!こんなのアリ?ダーリンと共に「愛のゴール」(笑)というワケ?

【メリーアンのルームメートとは?】マラソンを応援したら、自分も走ったような気分になって爽快だった。きょうはまだ一日が終わらない。例の元小児科医のエルダー同級生、メリーアンのお宅のディナーに招かれているのだ。ブラジルからのフェロー、アーレットと共に訪問する。

4メリーアン(写真中央)は豪華なヨーロッパ製やアジア製の趣向を凝らした家具に囲まれた、ボストン郊外の豪華な家にルームメート(写真向かって左端)と2人で住んでいる。察するに、2人とも独身。この家を買ったのは、メリーアン。この家に2人で住んでいるのは、20年にもなる。。

待てよ。私の後頭部で何かが渦巻き始める。これは、ひょっとして、マサチューセッツ州ではよくある、いわゆるあのー、レズビアン・カップル??き、聞けない。あまりにリアルすぎて聞けない。メリーアンのルームメートはポルトガル出身の50代の女性であった。2人ともいい人だったし、お食事もとてもおいしかったけど。メリーアンの家の居間には女性の裸像や、ビーナスの彫刻など、レズビアンを連想させるものがありありで、私の目は白黒してしまった。

でも、き、聞けない。。。食後に、女4人で素敵な裏庭で、美しい夕暮れを楽しみながらも、私の頭は聞けない疑問で渦巻いていたのであった。。。


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Sunday, April 17, 2005

ニコールの新居~古本屋で突撃取材交渉。

4引っ越しをした友人、ニコールの新居を訪問。バークリー音楽大学のすぐ裏のブラウンストーン(れんが造りの古いアパート)の一角。外観も素敵なのだが、中に入ってびっくり。寝室の壁もご覧の通りれんがむき出しの造り。家賃、高いだろうな、と値段を聞いてまたびっくり。うちの寮の2倍です。ほほ笑むニコールは相変わらずの美女。。

タフツ大学のお膝元、Davis Square近辺まで地下鉄を乗り継いでお出かけ。今度のTVニュースルームの授業で「記者」担当なので、ネタを仕込まないといけないのだ。最近いろんな宿題を同時進行でこなしているので、まだ締め切りまで2週間前だが、早めに「ロケハン兼突撃取材申し込み」に訪れた。電話をかけると担当者が居なかったりして拉致があかないので、最近はロケ地が近ければこうして突撃でおしかけて交渉する事にしているのだ。今回の取材場所はボストン近郊のサマービル市にある市民のランドマーク的古本屋「マッキンタイヤー&ムーア・ブックストア」である。ネタは来週火曜日にここで開かれるあるイベント。

4本屋に入る。レジにハンチング帽を被った背の高いアイリッシュ風のにーちゃんがいる。にこにこしているし、愛想がよさそうだ。思い切って話しかけてみよう。「ハーイ。来週の火曜日のイベントのことで聞きたいんですけど。私、BUの大学院生なんですが、ジャーナリズムの宿題のためにイベントを撮影させてもらえません?」「そうかい。残念ながら店長はいないけど、名前を教えてあげるから月曜日に電話してごらん。」にーちゃんはそう言うと、店の名前のはいった名刺大の紙の“マッキンタイヤー“の前にMike、”ムーア“の前にDanと書いた。ありがとう、にーちゃん。アポはとれなかったけど、本屋はいい感じだったし、にーちゃんに「BUのアジア系院生」の自分を印象付けることにも成功した。ということで月曜日に再トライ!

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Saturday, April 16, 2005

テディ、ギャングに誘拐される!?~ケンブリッジ・クラビング!

4午後3時、寮の前にギャングの車が来てTeddyは誘拐された。犯人のギャングは白人の女二人組。私を車に連れ込んでから、ひっきりなしに携帯でどこかに電話をかけている。ドライバーの方は金髪のストレートヘアでアイリッシュ訛りの英語。助手席の女はブラウンの巻き髪で大きめのサングラスをかけ、運転席の女に強いラテンアクセントの英語で話しかけている・・と思ったら、携帯電話に向かっていきなりスペイン語を弾丸トークし始めた。一体二人の要求は何だろうか。

「テディ、いいわよね。撮影、手伝ってくれるわよね。」いいもなにも、わかってるって。わかってて車に乗ったんだし。。

もちろんこれは誘拐ではないっす。ギャングの正体は、ボストン大学の同級生二人組。クラスでもいちばんの遊び人かつエキセントリックな撮影ペア・ケリーとテミスである。 この二人、サングラスをかけて二人で立っていると、どうみても女ギャングにしか見えない。ケリーはアイリッシュ移民の娘で生粋のボストニアン、テミスはスペイン・マドリッド出身でベルギーの大学でジャーナリズムの博士号(しかもフランス語で履修したらしい)を持つ才女。

こう聞くと、なんかデキそうに聞こえるだろうが、ところがどっこい。ケリーもテミスも緻密にロケの計画を立てたり、カメラアングルを工夫したり、といった落ち着いた作業がすげー苦手。一発屋、なせばなるの博打打ちタイプで、予定は立てないし機材の扱い方もいい加減。つまり裏方よりも、マイクを持ってカメラの前でしゃべり倒す方が好き。その二人が何を間違ったか、タッグを組んだからたまらない。2月の課題提出時にはこのペアだけが、公式に大げんかを起こし破局寸前に陥った。私のペアはキムリンで、撮影テーマもstem cell、撮影対象もユニークな患者さんや、研究基金や州議会など話し合いながらスムーズに決まっているものの、この二人の撮影となると行き当たりばったりであることは目に見えている。噂では4月末締め切りの課題のために、一応は仲直りしたらしいが。。

車は一路、二人のロケ地であるオールストンという隣町に向かっている。この二人の撮影テーマは「ボストン・ティーンエイジャーの性」だそうだが、この課題の締め切りは今月末と迫っているのに、まだ今回が初めてのロケとのこと。おい締め切り大丈夫かよ。

「8人のラテン系ティーンエイジャーをソファーに座らせて、いろいろな意見を同時に収録したいの。ピンマイクは8個いるのかしら、テディ?」と昨日機材庫の前でテミスに聞かれた。は?ピンマイク8個?どこに刺すんだよ!!と突っ込みたいのをぐっと押さえる。

「は、8個は入らないよ、テミス。大学のカメラは最大2個までしかマイクは入らないの。」「じゃあどうしたらいいかしら?ハンドマイク?」それじゃあコードが映るじゃんかよ。「こういうときは、ガンマイク(英語ではブームマイク)を使うんだよ。それで、なるべくカメラに写らないように、あなたが手に持つしかないね。」

4そして、めでたく撮影をしたのが、この写真のような風景。照明も、マイクもソファ位置も、みんな結局私がセッティングしたんですけど。。。なんだか”MTV”風なのがミソ。(後で考えると結構かっこいいセッティングだった)

照明を立てようとするもののまず組み立て方がわからず、お手上げのはすっぱ娘ケリー。組み立てて見せてあげると、おだてあげられて結局カメラをずっと回すはめに。(おいおいあんたらの宿題だろ?)ま、いいや。だって二人に任せていると、機材壊しそうなんだもん。テミスは根性なしで、ブームマイクを持たせたものの、どんどん収録中にマイクを持つ手が下がってくるからノイズばりばりだし、カメラのフレーム内にマイクが映りこんでくるし、もう!(蹴りを入れそうになる衝動を、ぐっと押さえる。。)

「で、みんなの初体験はいつ?」「ゆきずりのセックスはあり?なし?」「コンドームはつけてる?」「エイズについては、どのくらい知ってる?」ずばずばと聞いていく女ギャング2人組。さすが。この二人、ジャーナリストというよりは元ヤンキーが現役ヤンキーにインタビューしているみたい。結構面白いインタビューなんじゃん。決して他のペアの作っているものにジェラシーはしない主義の私だが、これはこれでなかなかいい感じだ。私の照明とカメラのおかげだけどねー。恩に着ろよ、ギャング。

4きょうは放送ジャーナリズム娘のひとり、メーガンの誕生日。夜、クラスの有志でハーバード大前のパブに集まって1次会。ドリンクはボストンならではのカクテル「グリーンモンスター」(写真のメーガン嬢が持っているもの)。ご存知ボストンレッドソックスのホーム球場フェンウェイパークの緑色の巨大なバックフェンスのこと。このカクテル、ベースがグリーン色で最後にレッドソックスを意味する赤色のリキュールをたらすのが決め手。

42次会。これまたハーバード大学の目の前にある香港なんちゃらというアジアンチックなクラブに入場。何ともアグリーな場所だが、どんぶりに盛られたカクテルをストローで複数人数ですするのが売り。

3次会。「もう帰りたいー、テディー疲れたー」とごねてみたもののブロードキャスト娘達に「だめ。」と手を引っ張って連れて行かれた。アンビエント風の音楽がかかる中、ダークな照明の下、ソファに人々がまったり座っているケンブリッジの不思議なクラブ。

44次会。一部の同級生が行きつけにしているクラブへ。白い天井の高いクラブでボストン近隣のヤッピー大学生と見られる人々が、はじけ、踊っている。頭がくらくらしてきた。これで本日のケンブリッジ・クラビング終了。お疲れさーん。

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Friday, April 15, 2005

ハーバードロースクールでStem cell discussion~スシ・ナイト

きょうは放課後、ハーバード大学のロースクールで行われた「stem cell debate」 についてのディスカッションに行った。キムリンと共に取材を申し込んだのだが、国会議員が来るとのこと、セキュリティー上の理由だとかで断られた。そこでへこむ私達ではない。Less visibleなカメラ(日本から持ってきた私のハンディカメラ・キヤノンIXYDVM2)で撮ればいいだけ、もし何か聞かれても「ツーリストなんですう」という私の必殺“日本人観光客のフリ”という技で乗り切ればいい。

4ハーバードのキャンパスにはいかにも役に立たなそうな「ハーバードポリス」のパトカーが停まっていた。ロースクールまでの道を聞くと親切に教えてくれた。ハーバードポリスに入るには知能指数がIQ200ないとだめだったりして。(←真っ赤な嘘です)

4ディスカッションは、ロースクールの教室が満杯になるほどのオーディエンスで一杯だった。さすがハーバード、学生も紺ブレに蝶ネクタイとかをしめている、信じられないほどのヤッピー(死語)ぶりである。遅れていったため、stem cell researchに反対派の共和党議員のスピーチと、それに対する学生の反論しか聞けなかった。ロースクールの教室の後部中央の座席に座り、手持ちでキャノンのIXYDVM2を回してみたが、それなりにスピーチの映像は押さえられた。ただ発言者から遠いため、音声があまりよくとれなかった。

4収穫があまりなかった一人ロケのあと、とぼとぼとハーバード大のキャンパスを歩いていた。校舎の周りの木々の葉や花が美しくて、また写真を撮ってしまった。

4さらに歩いていくと、青いT シャツが洗濯物を干すかのようにはためいている奇妙なインスタレーションに出会った。Tシャツには「性的トラウマ・レイプ被害者の会、ハーバード」と書かれていて、それぞれ手書きのメッセ−ジが書き添えられている。これは、実際にレイプや性的なおどしの被害に遭った学生が勇気を出してその時の気持ちを書き綴ったものらしい。ひとつひとつメッセージを読んでいくと、胸が痛くなるようなものばかり。

「ちょうどダウンタウンに向かう途中」という学友アマンダ嬢がハーバードの門で私をピックアップしてくれて、寮に車で戻った。アマンダ嬢は、ケープコッドで不動産屋を営む裕福なお宅の出身。いつもわたしのリポートをすごく褒めてくれて、尊敬を示してくれる。「You are soooo talented」なんてこんなに若い女の子に言われると、照れる。元祖マサチューセッツ生まれ・きゃぴきゃぴ娘のアマンダは、はきはきリポートが売り。小さなマーケットで始めて、ゆくゆくは中規模のネットワーク系列局のTV記者になりたい、という。

4さて、きょうは花金!きょうは前から約束していた「Teddyとスシを食べる会」の皆さんをスシ屋にご案内。といっても、Hubert Humphrey fellowのファティマ、ハカンの二人だけ。ファティマはバーレーンの銀行のキャリアウーマン、ハカンはトルコの金融監査省のお役人である。二人は、それぞれ祖国でも寿司屋に良く行くほどの「スシ好き」であるそうだが、ボストンではあまり寿司屋に行った事がないそう。日本人である私にネタの説明をしてもらいながらスシを食べたい、とのことでこの会が実現した。金曜の夜、ボストン郊外のブルックラインにある名店「風雅居Fugakyu」は満員で30分待ち。それでも待って入った甲斐があった。スシの舟盛り、天ぷら、揚げ出し豆腐、みそ汁などに舌鼓。箸がうまく使えないハカンも訓練、訓練。。この店のもう一つの売りは、写真のような芸術的な盛り付けのデザート。サケのボトルもすすみ、ほろ酔いでスシ・ナイトは更けていく。

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Thursday, April 14, 2005

ベースボールシーズンはじまる

4午後、出かけようと寮の建物を出るとこんなおっちゃんやおにーちゃんがずらずらと一つの方向に向かって歩いている。ははーん。レッドソックスだな。うちの寮の真裏に球場があるので、うちの前は野球場に向かう人の「通行ルート」になっているのである。「また始まったのかあ、野球シーズンが」という感じ。

4散歩に出かけ、近隣の路上に停められたレッドソックスファンの車を発見。ご存知ボストン・レッドソックスファンは、日本では阪神タイガースファンにたとえられるほどの熱狂的な人たち。シーズンが始まると地元ニュースはそれ一色、ホームゲームはいつだって球場満杯、なんである。写真左はコンビニで見つけた「レッドソックス観戦用ポップコーン」。

4ゲームが始まるまでに、近隣の駐車場は一杯。ボストン大学だって、試合のある日は学生用駐車場を野球観戦者用に貸してぼろ儲けしているよう。何しろ駐車料金もばか高い。

4夜、お手製パスタと共にニューイングランド地ビール「Endurance」(写真右・ペールエール・渋いおじさんのパッケージに引かれて購入。)などで野球をTV観戦。この「野球とビール」というパターン、完全に”おっさん化”している。。寮の裏から聞こえる歓声とTVの中のファインプレーが、シンクロする近さ。おーっとっと。なんときょうは宿敵NYヤンキース戦ではないか。どうりで球場に向かうファンの入れ込み度が濃いと思ったぜ。。

なんと、この日は試合の途中で両軍入り乱れての乱闘!理由は客席近くに飛んだ打球を取ろうとしたヤンキースのシェフィールド選手の顔を、レッドソックスファンが思わずはたいて「妨害」したから。怒ったシェフィールドがファンと小競り合いして、罵声をあびせたからさらに大変。私もTVでこの瞬間を見ていたが(写真)、思わず「おお~やりすぎだよ。」と思ってしまった。その瞬間、裏の球場から大歓声がしばらく聞こえていた。乱闘が起きていたのだ。レッドソックスのホーム球場、フェンウエイパークのライト側の観客席の柵の高さはわずか1メートル前後。ファンとの距離が近いあまりに起きた悲劇だったといえる。このニュースはもちろん地元メディアをにぎわし、シェフィールドの顔をはたいた観客(確か40歳前後のフツーのボストンのビジネスマンだったはず)は、この日は球場外強制退去。そしてのちの警察の判断で「シーズン中球場出入り禁止」となってしまった。

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Wednesday, April 13, 2005

ボストンに春到来。

水曜日。きょうは、朝早くからまた「プロデューサー」として奮闘。今度は「TVニュースルーム」の授業で、「プロデューサー番」なのである。朝5時からTVニュースを見たり「記者」たちのお尻を叩いたりテロップを集めたり。クラスメーツのレスリーと共に昼12時の”番組放送時刻”と共に燃え尽きた。

4疲れたので散歩がてら買い物に出かける。多忙を極めていたせいか、花が咲き始めているのにも気がつかなかった。いつのまにか季節は春。日本のように「桃や梅が咲く→桜が咲く」という明確な季節。の移り変わりがないせいか、春になっているのをすっかり気づかずにいた。町並みのれんがとピンクや白の花の対比が美しい。

4春のボストン、恒例行事といえばボストンマラソン!4月18日の月曜日に開催される。うちの寮のすぐ裏を走るらしい。楽しみだ。

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Tuesday, April 12, 2005

stem cell リサーチ基金団体を取材~教会閉鎖に反対、座り込み信者に取材

Stem cell取材ロケ6回目。

小児糖尿病研究基金(THE JUVENILE DIABETES RESEARCH FOUNDATION)は、その名の通り小児糖尿病の研究のための基金を出している団体。他にも、マサチューセッツ州にある30以上の医療研究基金団体や、社会・教育関連団体が「THE MASSCURE COALITION」という業界連合のようなものを作り、ES細胞研究推進のバックアップをしているという。

キムリンとstem cellというテーマについてリサーチを始めたとき、このリポートについて、5つの柱を立ててバランスをとろうということを話し合った。「州(政治・法案)、患者、ドクター・リサーチャー(大学・研究機関)、そして会社(製薬会社、バイオベンチャー、研究基金)、カソリック」の5つである。「マサチューセッツ州は州の会社が儲かり、新たな産業を興す為にES細胞研究許可法案を通したい。患者側は病気の治癒を求めている、ドクター・リサーチャーは世界に先駆けてブレイクスルーを目指すための研究を進めたい、会社側はお金を儲けたい、じゃあ誰が一体研究に反対しているのか??それはカソリックの人々。倫理・宗教的信心から反対している。」という図式である。ES細胞のようにcontroversialなトピックについて取材するときは、こうして意見のバランスをとり、今何が一体問題の核心となっているのか分かりやすく示すことが命であろう。

IMG_0885ということで、小児糖尿病研究基金のハイジ・ダニエルズさんにインタビュー。“Last year we funded 85 million worldwide….and of that 9 million went to stem cell research. 5 of it to embryonic, 3 to adult and 1 to animal…it’s a strong piece of what we do” 小児糖尿病研究基金ではすでに去年900万ドルをES細胞研究のために投入している。“We think it’s very positive..has potential to impact the research for type I diabetes...scnt to study the disease model. To see how type I diabetes progresses.”とくにES細胞研究は「タイプ1」と呼ばれる糖尿病がどのように進行するかの研究に役立つという。そのためにも、ES細胞研究へのバックアップを進めていく、というハイジさん。

終了後、キムリンの別の宿題のために、例の教会閉鎖問題に悩む、ボストン郊外のニュートン市近くにあるとある教会に突撃取材。この教会はすでに「公式には閉鎖」されているのだが、熱心な信者達が昼も夜も24時間交代で座り込みをしているため、立ち退き業者も手を出せないでいるのだという。誰もいない教会に居座り続ける2人の主婦にインタビュー。時間つぶしのために誰もいない教会で本を読み、バイオリンの練習をしたりしてひたすら教会を明け渡さないためにがんばるカソリックの方々のパワーには、驚くばかり。

4Shoo---ting! Shoo---ting!きょうも明日もさーつえいっと。」変な歌を作曲するのが天才的にうまいキムリンの運転で、日本食レストラン「ギンザ」へ。おなかがぺこぺこなので私は天丼、キムリンはうな丼を注文。この後大学に行き授業出席。きょうはペーパー提出日。ひえー。

4夕方からは日本人留学生Nちゃんの友人の日本人Kさんなどと、港でお食事。「最もボストンらしいレストラン」である”アンソニーズ・ピア4“で豪勢に。ここは、エントランスに「これまで来た有名人」とオーナーの2ショット写真がずらっと張り出してある超有名店。オーナーの地元実業家、アンソニーさんはこの1ヵ月ほど後だろうか、大往生でお亡くなりになったとのことだ。外は4月だというのに雪が降り出したが、寒さの中出かけて行った甲斐のある大満足なロブスター・ディナー。

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Monday, April 11, 2005

プロデューサーはつらいよ~“Boston Reborn”マガジン show 制作

収録に間に合わないかも!」きょうの「TVマガジン」の授業では、本当のプロデューサー気分を味わう羽目に。

きょうのショーの「アンカー」、同級生ビッキーのラジオ局インターンが終わるのを待って、おととい収録に行った市役所インタビューの編集を始めた。1時からはじめても、6時の収録開始(授業開始)には十分間に合うと思ったのだ。ところがどっこい。大学のマックはフリーズするし、役人のしゃべりは長くて意味がないわでなかなか終わらない。

大学のマックが「考え込む」ときは、決まってやばいとき。フリーズする前触れであることが多い。そのとき出るのが、くるくる回る小さなレインボー色した丸。時計マークの代わりに、考え込んでいることを知らせるものだ。ビッキー曰く、「このレインボーの別名、知ってる?The rainbow of death (死のレインボー)っていうのよ。これが出ると、死の宣告とおんなじ。やんなっちゃうわよね。」レ、レインボー・オブ・デス!?思わず噴き出し笑い。面白すぎるよビッキー。。

どうにかこうにか40分回っているインタビューを5分に縮めて、インサート映像で編集点を隠して、出来上がったものをテープにプリントし始めたのが、授業の始まる6時ぴったし。それでもビッキーは、「ちょっと”エアー”を吸ってくるわ。」といって、タバコを吸いに外に出て行った。やーれやれ。プロデューサーはつらいよ。

4この後も、段取りをクラスに説明したり、スタジオのセットを変えたり、てんやわんやだったが、無事に終了。収録後のノーキン教授の「あら探し」も、笑顔でこなす。だって、もうこの後プロデューサーやんなくていいんだもん!人々にいろんな業務をアサインしていき、それをなんとかとりまとめて一つの番組にする。。こんなに面倒くさい職業ったらない。写真は”あら探し”をするときのノーキン教授。仁王立ち。何かを聞いても、にこりともせず、不機嫌さを隠さないのが、彼女の特徴だが悪い人ではない。われわれは、彼女の授業を、軍隊になぞらえて”ブート・キャンプ"彼女のことを”ゼネラル・ノーキン”と陰で呼んでいる。。

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Sunday, April 10, 2005

マサチューセッツ・ゲイ・ドキュメンタリーを企画

「ドキュメンタリー」の授業のペーパーの締め切りが近づいている。この、通算3本目のペーパー(A4・10枚前後)が、最終的な成績評価の40%を占める。「25分のドキュメンタリーを想定し、プロポーサルを書きなさい。」あちゃー、締め切りはあさって火曜日なのに、何にもやっていないよ。「A proposal has to sell your idea to a sponsor or industry executive.」“村井ブラウン教授”と、日本人学生が勝手に読んでいるところのムーレイ・ブラウン教授は、「なるべく実現しそうな台本を書きなさい。タイトルやサブタイトルはもとより、実際にコンタクトをとった人の住所やメールアドレスなどを添付すると尚いいでしょう。」などという。

でもこの「プロポーサル」本当に撮影はしなくていいのである。いわば「絵に描いた餅」。私としては、「実際に撮影させてくれれば、Aをもらう自信ありまっせ」とでも言いたいところなのだが、そこは、ぐっとがまん。今回は映像(=言葉が要らない)ではなく、あくまで文章で勝負、ということである。くう。そこで、先生に意味が通じるような美しい英語で(“村井”先生はイギリス人)、台本を書かなければならない。

4あさって締め切りなのに、本当に何にもやっていないのは今回が初めて。でも、私には心に決めたテーマがある。それは、「マサチューセッツ・ゲイ・インダストリー」。そして、このテーマには、心強い資料がある。それは、秋学期に取材したゲイの方々向けのフリーペーパー。この構成台本を書くために、カフェなどでフリーペーパーをせっせと毎週ピックアップしては、ためてあったのだ。フリーペーパーをめくっては、アイデアを見つけインターネットでバックアップリサーチするという方法で台本を書くしかない。

ペーパーをめくると、あるある。「Gay owned, and operated」つまりゲイの経営者によるゲイ・レズビアンフレンドリーなウエディング関連サービスの数々。「ゲイならではの繊細さを生かしたデザートが売り!ケータリング・サービス」「ゲイカップル向けウエディングカード作成サービスースタッフの多くがゲイです!」「レズビアンカップルによる、ウエディング・プランナーーゲイの方々の気持ちを汲み取るサービスを行います」「ゲイカップルでも子供が持てます!代理母による出産をあっせんするサービス」

がぜん、構成台本がにぎやかになってきた。これに、秋学期にプリント・ジャーナリズムのクラス向けに取材したゲイ・フリーペーパーの編集長の話を追加して。。何か実際に撮影したくなってきたぞ。むずむず。この「ドキュメンタリー・プロポーサル」のタイトルは、マサチューセッツをもじって、「Mass Sex—a portrait of the gay and lesbian community in Massachusetts.」とした。出来れば、日本のTV局で本当に放送できたらいいなあ、なんてぼんやりと思った。

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Saturday, April 09, 2005

ルー・ゲーリック病患者サーザとの出会い~チーフカメラマンとしてスピーチ!

パートナーのキムリンとStem cell researchドキュメンタリーの5回目のロケ。

4マサチューセッツ州ウェルズリー市郊外。サーザとジム・キャンベル夫妻はボストンから40分ほど車で内陸部に入った、木立と湖に囲まれた美しい住宅街に住んでいた。

「Nothing hurts, I just need to be re-wired(どこもおかしくないのよ。ただちょっと配線が狂っただけ。)」自身の病気についてビタースイートなユーモアをこめてこう語るサーザさん。(2ショット写真左の女性)語るといっても、彼女は自分の口で話すことが出来ない。音声読み上げ機能のついた小さなハンドヘルドコンピューターが、無機質な声で彼女の打ち込んだ文章を読み上げる。

4そう、彼女は、難病のルー・ゲーリック病を患っている。ルー・ゲーリック病とは、アメリカでは有名なNYヤンキース選手のルー・ゲーリック(切手の写真)がこの病気になったために、こう呼ばれているもので、正式には筋萎縮性側索硬化症(ALS)のこと。進行性の病気で、運動神経が衰えてしまう。彼女の場合は稀なケースだそうだが、病気が言語発声能力をも奪った。

「It is my best hope to replace motor-neurons which don’t work. That may not come in my lifetime, but some day through research, a cure will come.=ES細胞研究の成果が上がり、私の運動神経をリプレイスすることが出来る日を夢見ている。私が生きているうちには実現しないかもしれないけれど、かならずいつか研究成果の上がる日が来る。」夫のジムも、ES細胞は未来の難病患者を救うために重要な研究だと、信じている。「We are supportive of stem cell research because we think it’s the right thing to do and it the ethical thing to do.=ES細胞研究を支持する。倫理面について疑問視する声があろうとも、われわれはES細胞研究は将来治療成果が必ず見込めるもので、倫理面でも正しいことだと思っている。」

4彼女が発症したのは5年ほど前。それまで自転車ツーリングを楽しんだり、夫と海外旅行に出かけたり非常にアクティブな女性だった。ハーバード大学に付属した女子大として名門の誉れ高いラドクリフ・カレッジで、日本庭園と日本文化について専攻したというサーザは、京都を旅行したときには旅館に泊まって、憧れていたさまざまな寺の庭園の写真を撮りまくった。日本の修学旅行生と一緒に撮った写真もある。彼女の元気だったときのアルバムには、何百枚もの彼女とジムの笑顔がある。

家の中でのインタビューを終えて、家の庭をご夫妻と飼い犬とで散歩してもらい、撮影。湖のほとりにたたずむ素晴らしい家。「あ。あ。」片言しかしゃべれないサーザが、ジムと共に微笑みながらゆっくりと湖畔の澄んだ空気を楽しむ。夫のジムとは、手話で会話する他、長年連れ添った夫婦ならではの「あ・うん」の呼吸によるコミュニケーションが成り立つものの、家の中や庭などを歩行器に頼りながらゆっくりとしか歩くことの出来ない。こんなにも知的で活動的な女性を襲った突然の病魔。なぜこうも神様は不公平なのだろうか、と思わずにはいられない。

4インタビュー後、帰り道にウェルズリー市にある名門ウェルズリー・カレッジを車窓から見る。パートナー、キムリン嬢が卒業した名門女子大。ジュリア・ロバーツ主演の「モナリサ・スマイル」という映画の舞台にもなった。森の中にたたずむ城のようだ。キムリンによると、「冬は女子ばかりで過酷なニューイングランドの気候に閉じ込められ、牢屋のように感じる。」とのこと。

4夕方からはHurbert Humphrey fellow(ハンフリーフェロー)のパーティーへ出かける。この間インドのお役人、アビのドキュメンタリー制作を助けたよしみで、フェローの皆さんとお知り合いになったのがご縁である。アフリカからアジアまで、国際色豊かな料理と酒が楽しい持ち寄りパーティ。ボストン大学のロースクールの校舎の最上階のパーティルームからは、チャールズ川が暮れていく美しい景色が見える。私は、ドキュメンタリー制作を記念して、「チーフカメラマン」として50人ほどの参加者を前にスピーチをした(照)。フェローと撮った写真を紹介しよう。コラージュ右上から時計回りにオマーン中央銀行のアリ、セルビア・モンテネグロ中央銀行財務部長のゴルダナ、チュニジア金融省役人のムーラード(ピザ職人)、タイのナノテク博士ジャルーニ、ハイチ中央銀行のミミ。

4夜はまだ終わらない。ブロードキャスト同級生のスパニッシュ・パーティがあった。同級生テミスの家で、スペイン系の留学生を多く招いたパーティである。入るなり部屋はラテン系のノリ。で、大学のカメラを、このように使っては本当は、いけないのですが。。。われわれは、ついダンスする参加者のなめ回しカットなんかを撮りあったりして。。(ノーキン教授、ごめんなさい。これからは大学の機材は、宿題のためだけに使います。We promise…)

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Friday, April 08, 2005

ボストン市役所で道路計画役人をインタビュー

4きょうのエンタープライズ/リポーティングのクラスは、ティスル教授がン10年前にローマに行き、法王を決めるまでの儀式をリポートしたときのビデオを見た。ティスル教授は地元チャンネル5で長い間プロデューサーをしていたのだ。法王が亡くなると、まずはローマ法王庁は遺体を一般公開し、1週間喪に服す。その後、次期ローマ法王の選出のための秘密会議(コンクラーベ)が行われる。その様子は一般に公開はされない。ただ一日の終わりに、法王の跡継ぎが決まったかどうかを、煙突から出る煙の色で、広場に集う人に知らせるのだ。煙の色が黒なら、まだ決まっていない印。白い煙が出れば、とうとう法王が決まったというサインである。多くの日本人にとっても、なじみの薄い法王死去—跡取り決定までのこうした儀式。アメリカのTV局では、先週の土曜日からずうっと流れっぱなし、連日トップニュース扱いである。純日本人として育った私には、なぜこんなに大騒ぎするのか、不思議でたまらない。

4午後は、サラの車でビッキーと2人、ダウンタウンにあるボストン市役所道路計画課へ。余談だがサラのフォルクスワーゲン・ビートルのダッシュボードには、造花がさしてあり(写真)、運転するたびにくるくる回って、かわいい。昨日に引き続き来週月曜日のTVマガジンショー「生まれ変わるボストン」のプロデューサーとして、ロケ。サラは地元のTVプロダクションでバイトがあるので、来れない。

4きのう書いたテミスに加えてもう一人のアンカーを務めるのは、ビッキー。彼女がブッキングしたゲストは市役所の道路計画課のお役人。ローズ・ケネディ・グリーンウェイという、ボストンのダウンタウンの主要ストリートを横に串刺しにする新しい道路工事の計画が進んでいるという。それについて、市役所の、ボストン市内のスケール模型が一面に置いてある会議室で、ビッキーが聞いた。お役人さんは、どこに居てもお役人さん。若いのに、慇懃な感じの人だったが、われわれの収録につきあってくれただけよしとしよう。(写真はVHSからの立ち上げなので画素が荒いですご了承を)

特筆すべきはこの市役所の道路計画課のオフィスの素敵な事。市役所は海に面して立っているが、中でも高層階にある道路計画課は、ボストン/ベイが見渡せる廊下に個室オフィスがずらりと並ぶ。キラキラ光る海を眺めながら、中で設計士らしき役人さんが設計図に線を引いたりしていた。

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Thursday, April 07, 2005

ホームレス・シェルターを救え!~MAカソリック団体IVで「ES細胞使った研究は“胎児殺人」”

「乗ってー。テディ。行くわよー。」やれやれ。朝も早よから、寮の前に横付けされた同級生のサラの赤いビートルに乗り込む。同じく同級生のテミスがすでに先に乗っていた。おはよ。きょうは朝10時から、サウスエンドという地区にある教会にインタビュー取材にでかけるのだ。次の月曜日のTVマガジンクラスの私の役目は「プロデューサー」。プロデューサーは二人組。サラも次回のショーのプロデューサーなのだが、先週まで「death show」で頭がいっぱいいっぱいだった私をみかねて、彼女がほとんど番組のプランを練ってくれていた。ありがたや。

さて、来週のテーマは「生まれ変わるボストン」(Boston Reborn)ボストンの町はアメリカでも最も古い歴史を誇るが、インターステート93という高速道路の地下埋め込み大工事「big dig」をはじめとして、町中で様々な工事や古い建物のリフォームなどが行われているのだ。それについて、大まかにまとめようというのが今回の狙い。

「で、私は何を聞けばいいのかしら」そう、女王気質のテミスが、今回の「アンカー」。プロデューサーのサラが、何もしない彼女を見かねて、スタジオゲストのインタビューを仕込んだのだ。(テミスちゃんは、プライドは高いのだが、ラテン気質なのでいつも締め切りやゲストのブッキングなどがかなりぎりぎり。どうにかなると大きく構えている節がある。。)しかし、いかんせんサラの仕込んだネタは、スタジオに呼ぶのは難しいゲスト。そこで、「収録」つまり現場に赴きVTR収録インタビューに仕立て上げることにしたのだ。私は、いつもの通り、技術スーパーバイザー兼カメラマンである。最近は「テディに任せとけば機材のこととかは、安心」と思われているらしい。とーほほ。

4スタジオに呼ぶのが難しいゲストとは、ホームレスさん達のこと。サウスエンドにあるホーリートリニティ−教会は、例の「教会閉鎖」の一環としてすでに取り壊しが決まっている。しかし、この教会、ただの教会ではなかった。教会の地下に、地域のホームレスのための無料シェルターが設けられていたのだ。教会の閉鎖とともに、ホームレスのシェルターもなくなってしまうことになる。えらいこっちゃ。

まずは教会に到着して、シェルターのオーガナイザーの方にインタビュー。大学の機材庫には、「音声ミキサー」がない。だからして、これまで2人以上の音声を、デジカメVX2000に同時に収録する事は不可能だった。しかし、ミキサーの代わりにスプリッターという装置があると聞き、今回借りて来た。これで2人の声をRとLに分けて一度に収録できる。テミスとインタビューするオーガナイザー二人にピンマイクをつけ、教会の真ん中に立たせる。

4教会は1844年に建てられた古いもので、↑ひとつ前のコラージュ写真の通りなかなか素敵。ゴシック調のドイツカソリック系教会なのだが、地下はこのようにホームレスの方々の憩いの場となっていた。夜は閉めてしまうものの、朝10時のドアオープンとともに、ざざっと、ホームレスさん達が無料のコーヒーや新聞を求めて入って来たのが印象的。テミスを教会の椅子に座らせ、ホームレスさんのうちの一人、ジョーさんという人に話を聞いた。このシェルターがなくなると、いかに困るかを語ってもらった。なぜホームレスになったのかなども聞いた。終了後はテミスのワンショットの切り替えし「質問カット」を収録し(迫真の演技)た。いよっ、女優!その後、ホームレスさんたちの資料映像を撮影(写真)。みな人懐っこくてかわいいおっちゃんたちだった。なかなかいいものが撮れたんじゃないか。

4その後は単身、ES細胞研究に関する取材にダウンタウンへ出かけた。マサチューセッツカソリックカンファレンスという団体の、エグゼクティブディレクターさんにアポをとってあるのだ。カソリックの方々はもちろん、ES細胞のことを「胎児と同じ」だとして、それを使った研究に激しく反対している人たち。

“Every human being was once an embryo, just as butterflies were caterpillars…”カソリックカンファレンスが、こんなナレーションの入ったTVCMを流しはじめたのは3月のこと。ES細胞研究を許可する法案が州議会を通りそうになったので、倫理面から研究に反対する意見広告を打ち出したのだ。(リンクでフルバージョンのCMが見れます)

「Every human being has a right to life…these embryos are very vulnerable to whoever may want to manipulate them.. =胚性幹細胞はひじょうにもろいもので、科学者のいいように操作されてしまう。」こう語るマリア・パーカーさん。(写真)マリアは、研究に使うES細胞は、胎児になる可能性のある胚性細胞からだけでなく、新生児の臍帯や、大人の人間の細胞からも採取出来る事を知ってほしい、とも呼びかけている。

「This is a list of all the successful therapies using adult stem cells and this is the list using embryonic stem cells...Embryonic stem cells of course, you have zero. =胚性幹細胞を使った研究成果はまだ、ゼロ、全く出ていないんです。大人の人間の幹細胞で、難病の治療の為の研究は十分に出来るんです。」大人の人間の幹細胞=adult stem cellですでに実現した難病治療研究のリストをかざすマリア。胚性幹細胞=Embryonic stem cellを使った難病治療研究、とかかれた欄には、確かに何も書かれていない。(上写真左下)彼女はこうも言う。「まだ胎児になるかもしれない胚性幹細胞を使った研究は、殺人と同じです。」

州議会のロビーで、州議員たちにこうしたデータを突きつけ、「ロビー活動」をしているというマリアさん。「事務所は撮影しないでね。ES細胞だけじゃなくて、我々はゲイやレズビアンにも反対しているので、抗議を受けることも多いのよ。ロビー活動する事が多くて、忙しいわ。」はあ、恐れ入りました。

帰りに、あのTV広告を使いたい、と申し出ると「ボストン大学のクラスの宿題のためだけに使う事を誓います」という簡単な「一筆」を書かされ、直筆でサインをするよう求められた。ふうん。いろいろな意見があってこそ、マサチューセッツっす。

「あなた、一人で来たのに、なかなか質問も筋が通っていてintegrateされていて、素晴らしかったわ。」パートナーのキムリンちゃんが、TV局のバイトで来れなかっただけなんですけどね。。
「ありがとうございます。実は東京で8年ほどTV業界で働いていたもので。」「まあ、東京、この間旅行で言って来たの。桜がきれいだったわ。」ほ、ほめられちった。

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Wednesday, April 06, 2005

トンでる元小児科医、メリーアン~人ん家で爆睡

44.5(火)気候が暖かくなってきて、学部前の芝生で寺子屋形式の授業が行われていた。アメリカだねえ。「death show」の無事終了とともに、季節は春へ、もう4月である。きょうの「ドキュメンタリー」の授業の後、前から気になっていたメリー・アンさんと、ブラジル人留学生のアーレットと3人でコーヒーを飲みに行った。メリー・アンはどうみても、年のころ50ー60歳。おばあさんといってもいい。聞いてみるとこの授業には聴講生として参加しているという。元の職業は「小児科医」である。わあお。なぜ、仕事をやめてしまったの?「やりたいことをやりたいから。フェミニズムに関するドキュメンタリーを作りたい。」そ、そうですか。

私が彼女にコーヒーに誘われたのは、ある日ドキュメンタリーの授業で流した、戦争を美化するようなドキュメンタリーに、私が批判発言をしたのがきっかけ。「これはドキュメンタリーでしょうか?まるで映画のようです。戦争を美化するような、このような再現映像の多いドキュメンタリーが、アメリカではよく制作されますが、若者に”戦争はかっこいい”などと誤った印象を与えまいか、心配です。」と、憤りを感じて発言した。が、他のアメリカ人たちは「かっこいい。」などとそのドキュメンタリーに興奮した様子だった。「ちょっと待てよ!」と交戦的アメリカ人にカツを入れたくなる。まったくボストン大学の若い学生達といったら、アメリカ以外のことを全く知らない金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんが多くて、困るぜ。「外国?行ったことあるわよ。カナダ。」なんて平気で言う学生もいるくらいだし。。

「メリー・アン、こういう戦争大好き、環境問題気にしない能天気アメリカ人学生って、当のアメリカ人であるあなたにとってはどうよ?」こう聞いてみた。「*ucking stupid」彼女は、まるで医者が処方箋を書くようにシャツの胸元からペンを取り出すと、カフェの紙ナプキンにさらさらと書いた。ふうん。その後もしばらくコーヒーをすすりながら、メリーアン、アーレットと3人で「アメリカ人談義」に花を咲かせた。。メリーアンてば、トンでる”おばあさん”だこと。いかにもマサチューセッツらしいねえ。。

44.6(水)授業終了後、同じ学部のテレビジョン専攻をしている院生のNさんのうちにお邪魔。家庭的雰囲気を味わいながら、ハヤシライスをご馳走になる。お子さんのKちゃんと遊んでいるうちに、過去数週間の疲れがどっと出て。なんと人様の家のソファで爆睡!すいません。。

4街で見つけた面白ステッカー。「おむつを換える男は世界を変える」。あはは。

4ボストンの街角にはよくあるチェーンのフレンチカフェ兼サンドイッチ・パン屋、au bon painで見かけた「チョコレート・チェリーブレッド」を衝動買い。チョコチップと、ダークチェリーが練りこまれている黒いパン。うまーーーーーー。

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Monday, April 04, 2005

そして一躍スタジオへ。TVマガジン番組収録「The Death Show」!!!

4月4日月曜日。きょうのTVマガジンクラスの30分番組「Mass Exposure」のテーマは、”現代・死の事情”。1月から、放送ジャーナリズム専攻の院生が毎週企画を立ててきた番組のテーマの中でも、最も扱いの難しい番組だ。この回向けに、”リポーター”となってしまったのがきっかけで、過去1ヶ月以上に渡って、悩み苦しみ、マサチューセッツの葬式ビジネス事情を切り取ろうと、汗をかきかき知らない人や会社に電話をかけロケをし構成を書いた。

日曜の晩から苦しんでいる編集は、朝方3:00AMころに一応の終息を見せた。ところがどっこい、音楽にこだわりだした段階で朝6:00に。なかなか完成までこぎつけるのは難しい。しかし編集をしていると、ある種の「興奮状態」に陥り、眠くならないのが不思議。

土曜の晩から、”番組プロデューサー”のケリーから何度か私の携帯に電話が入るのが、笑える。集中しているときには、携帯の音はうるさいもの。数回「しかと」してしまった(ごめんケリー!)ら、留守電に「テディ、編集の調子はどう?期待しているわ。明日月曜日昼までに、プレビューをさせて頂戴。じゃGood Luck!」などと、本当に”プロデューサー気取り”(笑)のメッセージが入っていて思わず噴き出してしまった。葬儀屋の娘で、この回の番組のテーマを提案したのはケリー。テリー・シャイボさん(フロリダ州で植物状態となっていた患者さんで、その尊厳死をめぐって彼女の夫と両親が争いを繰り広げた)の尊厳死に関して、地元の弁護士さんにインタビューを仕掛けてみたり、死んだペットの犬を冷凍保存して、将来クローンを作ろうとしている人をスタジオゲストに呼んでみたり。やる気まんまんの”プロデューサー”ケリーなのである。

昼、完成したリポートを持って大学へ。プロデューサーのケリーと、カメラマンのサラに見てもらう。

ケリー「すごい、すごいわ、テディ。9分にもふくれあがったのにも、目をつぶるわ。だって、素晴らしいもの。」どうやらヤンキー娘、私のリポートが気に入ったらしいが、共にロケに行ったサラはなかなか冷静に「音楽がloudすぎるところがある、テロップの位置が異なるのが気になる。。」などとなかなか鋭い指摘をしてくる。はいはい、直しますって。”お直し”後、ミニDVテープからVHSにコピーしていると、今回はテロップ係り担当のメーガンがやってきた。私のリポートを見て、「すごい、何か鳥肌が立ってきた。。」などという。うれしいねえ。

ここで突然ハイパー娘、ケリーが宣告。「決めた!このVTRの紹介は、スタジオでクロマキー画面に合成したお墓の画像をバックに、あなた自身が”リポーターとして取材してきました”って形で、紹介してね。」ええーっ!?のけぞり。普段はアンカーが紹介するVTRの前フリを、リポーター自身がやるのおお??徹夜明けの顔じゃ、出られない。。急いで寮の部屋に帰って18:00の授業開始=収録開始時刻までにスーツに着替え、お化粧など。。

4でたー。。とうとう収録の時間がやってきた。スタジオアンカーのマイケルが「テディが現代葬儀ビジネス事情について、リポートしてきました。テディ?」と呼びかけ。私「Thanks Michael, Most Burials in Massachusetts are traditional services, but the number of cremations has increased. Families are using the services of sea captains, stone carvers, and even animal cemeteries to show respect upon death. Tonight, we'll look at these trends and the rise of people studying to become funeral directors. 」VTRどうぞ。

われながら、楽しんで作った「現代マサチューセッツ・葬儀ビジネス事情」6箇所のロケ先の話題を全て盛り込み、クラシック音楽・グレゴリアン聖歌などの”宗教的な”音楽を中心に味付けした。まずは葬儀ディレクター大学から、そして、ウォーキンショーさんの葬儀屋棺のダイレクト販売墓石の個人化散骨サービスのキャプテンペットセメタリーと畳みかけたつもり。

VTR終わり、後コメ。フロアカメラマンのオノラがキューを出す。プロンプターを読む私。「The funeral services industry continues to evolve with rock and roll burials and ballons substituting for flowers. It will be interesting to see which direction it moves in and what new trends will arise. 」決まった!と、ここで私の寝不足のアタマが悪さを。「Back to you Mike and Amanda」というはずが、「Mike and Miranda」と言ってもーた!!あわてて”アマンダ”と言い換えたものの、時すでに遅し。あーあ、収録されてしまった。。不覚。。

ところがアンカーの2人は気にもせずに、興奮した様子で「素晴らしいリポートでした!」「いやー本当ですね!知らなかったことばかりでした。」などとアドリブで番組を続けた。そう、このリポート、クラス全員どころか、当日のゲストの弁護士、ケリーの父親(葬儀屋の経営者)など全員の絶賛を浴びたのである。クラス終了後の鬼のノーキン教授の”プレビュー”(別名・あら探し)も、「あ、ここいいですね。このカット、散骨サービスの船長が帽子をかぶってにこって笑うところ。あ、このペットセメタリーのメモリアルプレートのカット、いいですね。。」など褒め倒し。いやーここまで褒められると、本当にがんばった甲斐があるなあ。風邪もいつの間にか吹き飛んだ、The Death Showの夜、であった。

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Sunday, April 03, 2005

Popeと夏時間と宿題の編集で、「何がなんだか・・」~バーチャル“葬式”酔い

4.2は予想通り、半徹となった。風邪が悪化して苦しいのだが、深夜にひとり鼻声でナレーションも収録した。全く孤独な作業。けさ(4月3日)は、こんなに時間がないのに、クラスメーツのミランダ嬢の、「カメラマン」を務めなくてはならない。TVニュースルームという毎週水曜日の授業で、今週のカメラマン当番なのだ。ローマ法王が亡くなったことに対して、地元教会の日曜礼拝がどう対応しているか、ロケに行くという。8:00AMに目覚ましをセットした。

りーんりん♪携帯が鳴っている。なぜか朝の7:20AMだ。ミランダちゃん(クラスでも一、二を争う楚々とした美女)から。「Teddyおはよう。あと10分で寮の前まで車で迎えに行くわ。」「あれれ?待ち合わせは8:30じゃ??」「テディ、もう8:20AMよ。きょうからサマータイムよ。あ、もしかして忘れてたかな、と思って電話してみてよかった。じゃあ、ダンキン(ドーナツ)で、さしいれにブラックコーヒー買ってくからー。」ジーザスクライスト。なんとこんなに時間がないときに、サマータイムとやらで1時間も損をするとは。。

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撮影は無事に終わり、けさの新聞 (Boston Globe)を手にする。→4ミランダちゃんとともに行ったボストン郊外のブライトンというところにある教会では、祭壇にゆりの花が一面に飾られ、正面にローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真がセットしてあった。礼拝に訪れる人々にマイクを向けると、皆悲しそうに「法王の存在は偉大だった」などと個人的な思い入れを語った。

教会へは公式な取材申し込みをしたところ、「断られた」とミランダちゃんが言う。「断られても、撮ったもの勝ちよ。見てて。」美人なのにおとなしくて取材にもtimidになりがちなミランダを尻目に、私は、荘厳な特別礼拝の行われている教会にどしどし入っていって、正面の通路から堂々とカメラを手持ちで回した。怪しいアジア人だな、と思う人はいても、つまみだそう、という人はいまい。。私も大胆になったもんだ。

20分後。ミランダのところへ戻る。「司祭の弔辞と、信者の顔も押さえたけど、これでいいかな?」するとミランダ嬢「すごい、すごいわ、Teddy You are so sneaky!いつの間に撮ったのね!噂には聞いていたけど(どんな噂だい?)、やはりあなたはすごいわ!これで宿題のリポートはばっちりよ!」(この取材リポートで、ミランダ嬢はのちにA+をゲットし、嬉しそうに私にその成績を見せてくれた。)

4朝11時、部屋に帰り「マサチューセッツ葬式事情リポート」編集の続き。TVをつけるとけさはABC、CBS、NBC、CNN、FOXとアメリカ各局がローマから生中継をつないでいる。カソリックではない私には、驚くばかりの報道量だ。ローマ法王が、こんなに大きな存在だったとは。「日本人の私には、ぴんと来ない。一応仏教の国のはずだけど。仏教は法王みたいな存在はいないもん。」とミランダに説明すると、「ダライラマがいるじゃん。」と返された。→なんか違う、激しく違う。ローマ法王と、ダライラマでは、何かが違うぞ。ミランダは「私はジューイッシュだからあまり法王のことは気にしないけど。でも彼氏がカソリックだから、結婚するとしたら大変だなあ。」とのこと。ふうん。ちなみにジューイッシュのアメリカ人女性で女王様気質の女性のことを、「JAP(Jewish American Princess)と呼ぶらしいですよ、最近じゃ。

4ううーん。popeが死んで、自分のパソコンのデスクトップでは、マサチューセッツ葬式事情の編集をしている。なんだか、ミュートにしたCNNの画面と、自分の手元のマックG4を交互に見比べながら編集をしていたら、気分が悪くなってきた。「バーチャル葬式酔い。」と名づけたのだが、要するに折からの風邪が悪化しただけ、であろう。目覚ましに、甘いものを、とチャイナタウンで買ったミックスを使い「アーモンド杏仁豆腐」を作成(ウマ)。さて、今晩中に編集フィニッシュできるか!?

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Saturday, April 02, 2005

雨の中Stem cell 法案抗議デモを取材・サウスエンドのお粉カフェ・Pope死す。

4「Mer~cy Lor~d!Mer~cy Lor~d!」恐ろしく太ーいだみ声で”神に許しを請う”神父と、それに従うカトリック信者達。。。

ここは、マサチューセッツ州議会議長ロバート・トラバリーニ氏の東ボストンの岸辺にある自宅前。低気圧到来に伴って朝から降り続く激しい雨をものともせず...熱烈なデモ運動がトラバリーニ氏の家の前で行われると聞き、取材にやってきた。stem cellに関する調査報道のリポートには、バランスをとるために、stem cell researchに賛成する人だけでなく、反対する人たちも盛り込まなければならない。それが、彼らというわけ。1カ月前のBoston Globe紙に彼らの記事が載っていた。「On at least eight mornings over the last three weeks, about a dozen members of a Winthrop Catholic church have spent their waking hours pacing the sidewalk outside Senate Rovert Travaglini's East Boston duplex to protest his bill promoting stem cell research.」これを元に、彼らの教会に電話をかけつづけていつ次のデモがあるか、調べていた。

記事には平和そうに書かれていたデモ活動も、撮影パートナーのキムリンとともに、実際に目の当たりにしてみると、こ、こわい。。目を見開き、辺りに響き渡るようなろうろうとした馬鹿でかい声で、嫌がらせするかのように「神にい~許しを~!」とただ叫び続ける神父。(写真の赤い傘の人)”stem cell法案などという恐ろしいものを通そうとしているトラバリーニ議長に許しを”、という意味らしいが、それに賛同して遠くを見つめるような目で同じように叫び続ける信者達。大学のカメラを持ってさあ、と思ったわれわれも、しばし「撮影していいですか」、と声をかけるのが戸惑われたほど。

IMG_0822「We are gathered here to ask the Lord for Mercy because they are going to take living embryos which do not work. It is only for MONEY.」こう語る大男は、東ボストンのウィンスロップ市にあるホーリー・ロザリー教会のトーマス・ディロレンゾ神父。「われわれは、胚細胞研究が難病の人を助けられるとは、思えない。(embryonic stem cell research=胚細胞研究は)ただ胎児の命を奪う殺人で、金目当ての研究だ。おお神よ、このような罪深き法案に賛成している議長をお許しください。」神父はこうも言う。「私はCommonwealth of Massachusettsに仕える忠実な子羊として、神父を長年務めてきた。もしマサチューセッツでこの胚細胞研究が法的に許可されるのなら、それによって州民みんなが恐ろしい報いを受けることになる!You plant death, you will reap death!(死が植えつけられ、死を刈り取ることになるのです)。」

神父は大学のカメラ「ソニーVX2000」の音声モニターがふりきれんばかりの大声でインタビューに答えると、一方的に去っていった。さらに取材を続けるわれわれに向かって、携帯でどこかに連絡をしながらディロレンゾ神父がこう言う。「君たち、見たまえ。トラバリーニの車が、路上に違法駐車されているんだ。あ、ボストン警察ですか?はい、東ボストン、XXストリートの前に、州議長さんの車が違法駐車されていますよ、いますぐ来てください。」

やれやれ。抗議活動も、ここまで来るとちとやりすぎでは?と思いながら他の信者にもマイクを向ける。カメラに向かって聖書の一節を読み始める”シリアル・キラー”のような風貌の男性(失礼!)、キリストのはりつけになったクロスを抱えて、Amazing Graceを口ずさむおばさん。天国の雲の上を歩いているような風貌で「全ての命は尊いものよ。」と語る女性などなど。大丈夫か??

雨は止むどころかひどくなるばかり。ずぶぬれになりながらの取材を終えて、ボストンのおしゃれエリア、サウス・エンド地区のカフェに行くことにした。キムリンの”行きつけ”だそうだ。車のハンドルを握りながら、キムリンが「モノマネしちゃう。”Mer~cy Lor~d!”あはは。」と笑っている。私の頭からはディロレンゾ神父が真剣な目で言った「Flood warning!洪水注意報です!神が今にお怒りになり、トラバリーニ氏の頭上で天候が変わって、天変地異が起きるでしょう!!!」というコメントが離れず、笑いが(大変失礼ですが、面白かったので。。)こみ上げてくる。。いい絵が撮れた!

4さて、「Flour bakery + café」に到着。雨の土曜日の昼、店は幅広い年齢層の客で行列+席は満員。この店はアジア系アメリカ人のジョアン・チャンさんが始めたベーカリー兼カフェ。名物は「粉系」のタルト、パイ、スコーン、マフィン、ケーキ。私とキムリンは雨で凍えきった体を、スープとホットサンドで暖めることにした。お・い・しー。さすが行列ができるだけのことはある。サンドイッチはフレッシュ、スープもスパイスが効いた豆スープで旨い。マカロンを買ってみたが、甘すぎずとてもおいしかった。ちなみにこのサウス・エンドという地区はゲイ人口の多いことでも知られており、店にも男性同士のカップルがちらほら。味にうるさいゲイの方々が支持する、おしゃれなカフェで、おすすめである。

キムリンと、stem cellに関する取材の方向性、アポいれの分担などを確認して分かれる。さて、寮の部屋に帰って、マサチューセッツ葬儀業界のリポートをまとめなければ。キムリンに送ってもらう帰り道、スクリプトの英語を添削してくれる予定の学友のサラに電話をかける。すると、数日前緊急入院したということで話題になっていたローマ法王が、とうとう亡くなったとのこと。。

激しい雨の中プロテストするカソリック信者と、ローマ法王死去のニュースが、不思議なまでにシンクロした午後。カトリック人口の多いマサチューセッツ、今度は法王死去にも大騒ぎするだろうな、と思いつつさて、それどころではない。真面目に編集に本腰を入れなくては。Mac G4の電源を入れる。外の雨はまだ止みそうもない。

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Friday, April 01, 2005

マサチューセッツ葬儀業界リポート編集大詰め

(ここ数日更新をサボっておりました。春学期終了後のパーティ三昧→ワシントンDCへの小旅行に出ていたためです。5・13深夜にボストンに“帰郷”。きょうから本当に本当に毎日毎日更新再開します。請うご期待!5.14Teddy拝)

4.1(金)4きょうから過去2週間以上に渡って企画、ロケをしてきた「マサチューセッツ葬儀ビジネス業界リポート」を本格的に行わないとならない。何しろ今日までの時点で60分の民生用ミニDVテープが6本も回っている。はっきり言ってヤバい。60分×6本だから360分。素材を見るだけでも時間が相当かかるし、インタビュ−をすべて聞いて、いるところだけを出すだけでも手間である。3日後の4/4月曜日の昼に締め切りで、TVマガジンのクラスの「プロデューサー」であるケリーに提出しなければならない。だから、きょうあすあさっては徹夜か、それに近い状態は覚悟。

こうした取材テープだが、TV業界では、回っているテープの量が少なく、効率よく「使える」映像だけが撮れているほど良し、とされている。5分の予定だったリポートに、 なぜこんなにテープが回ったのか。理由は簡単、2つある。 まずひとつに、取材先(コマ数と呼ぶ)を、張り切りすぎて多めに仕込んでしまったから。5分のビジネスリポートだったら、少なめに3−4カ所で十分なはず。それを、「葬儀大学、マサチューセッツ葬儀ディレクター協会、棺ディスカウントストア、墓石職人、散骨サービス船長、ペットセメタリー」と6箇所も仕込んでしまったのだからたまらない。もう一つの理由は英語での取材なので、念のため日本語の時よりもインタビューを、多め、長めに収録しているため。その場では何となく聞き逃していても、部屋に帰って取材テープを再生してみると、何となく理解していたこととニュアンスが違っていることは多々ある。帰国子女でもない私が、ネイティブの方にインタビューするのであるから、少々の英語のミスコミュニケーションがあっても、取り返しがつくように長めに多めに聞いておくのである。この自分のインタビューの「聞きなおし」作業では、英語の理解が不十分でとんちんかんなことを聞きなおしている自分のコメントも、再度聞かなければならず、半ば拷問のようなもの。自分のあほさに耐えなければならないのだが、しかしどうして、素晴らしい英語のリスニングの勉強になっていることも、事実。

しかしである。これが日本語であったら、効率を考えてもう少し短めにポイントを押さえたインタビューを心がけるべきであろう。プロとして仕事をする際はなおさらである。テープ=消耗品という考え方であるから、テープをいたずらに消費することは、テレビ局では「コスト削減の原則」に相反するのである。

4現在は「大学院生」の身で取材をしているのだから、コスト削減はとりあえず気にしないことにして、と。続いて、6本のテープを全て外付けハードドライブに落とし込む作業を行う。私は、Macに「LaCie=レーシー」というメーカーの200GBのexternal hard driveをつないでそこに素材をぼんぼん入れていく(写真)。「デジタイズ=digitize」と英語でいうところの作業である。編集をしながら、使うカットだけを選択的に、そのつど落とし込むほうがいいという人もいる。そのほうがハードドライブの容量の節約にもなる。しかし、一度全てを落とし込んで、その中からああでもない、こうでもない、と試行錯誤しながらカットを選んでいくほうが私には、合っている。その結果、ものすごくハードドライブの容量を食うのであるが。さらに過去の作品で、今後作り直そうとか、ドキュメンタリー賞に応募しようとか、思っているものがまだハードドライブに入っているので、結果、この「LaCie200GB」を2個、250GBを1個、合計3個、2学期を通じて所有する羽目になってしまった。手痛い出費であるが、大容量の映像データを保存するためには、必要経費。もっとも、3個のレーシーのうち一つは秋学期末にクラッシュし、入れておいた映像データへのアクセスが全く不可能になるという不運に見舞われた。メーカーに無償でCPUをリプレイスしてもらい、ようやく2ヶ月後に戻ってきたという経緯がある。

4ああ編集や編集や。ここまででテープのこと、そのテープの映像をプールするハードディスクのことを説明してきたが、それよりもなによりも大事なもの、それは「script=スクリプト、構成台本、ナレーション原稿」の作成である。こうした映像のニュースリポートの制作は、できればロケに行く前に事前に荒い想定構成台本を書いておき、それに沿って取材を進め、ロケから帰ってきたら、実際に撮れている映像を見つつ、修正していくのがよい。私の場合、想定台本にはかなり詳しく書き込んでおき、帰ってきてからほとんど修正しないこともよくあるのであるが。今回のような外国での取材の場合、実際にロケ現場に行って見ないと、どんなことが起きるのかが想像ができなかったこともあって、かなりの修正を強いられた。そこで、効率のよいスクリプトの作り方を以下のようにあみ出した。

・まず6本のテープをハードドライブに落とし込み、パソコン上でファイルとして再生できるようにする。
・インタビューのパートを全て聞き、使えそうな箇所を荒く選び出して、編集しタイムライン(=写真のファイナルカットプロというソフトの、“編集のベース”のこと。)に貼り付けておく。
・3-4箇所にまでファイナライズしたインタビューパートから、さらに「本当に使う箇所」を選び出す。
・インタビューの内容の前後を肉付けするようにして、ナレーションを書く。その際、必ず撮れている映像を最優先にしながら書く。いくら美しい感動的なナレーションを書いても絵があわないと台無しである。

構成・ナレーション原稿を完成させたら60%は完成も同然。その後の作業としては、

*ナレーション(英語)収録(これが発音にこだわりながらなので、また時間がかかる)→*ナレーションテープのデジタイズ→*タイムライン(編集ライン)にナレーションとインタビューを交互に貼り付け、まずベースラインを作る→*ナレーションの上にB-rollと呼ばれる資料映像を効果的に当てはめていく作業(これが最もクリエイティブ!)→*テロップを入れる→*音調整、音楽選曲→*完成!ファイナルカットプロのファイルから、ミニDVテープにプリントする。(※以上はあくまでも私個人のやり方。しかもノンリニアnon-linier編集の場合。)

映像リポートの作成がいかにtime-consuming=手間のかかるものか、おわかりいただけただろうか?しかし、私は、この編集という作業が一番好きなのだ0だったプロジェクトが、100にも1000にもなる瞬間、自分の創造力をいかんなく発揮して、最も効果的にストーリーをweave=編む作業、それが編集作業であるといえる。

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Boston Globeに載った!

ーーー5.4に無事春セメスターを終了し、更新再開しました!5・6Teddy拝ーーー

3.31(木)りーんりん♪朝起きてstem cell 取材のリサーチをしていると携帯が鳴った。
キムリン「Teddy,おはよう。ところで今朝のしんぶん(=ボストン界隈でしんぶんと言えばBoston Globeのことである。間違いない。)見た?」「まだだけど、なんで?」「きのうの州議会のstem cell research法案通過の記事のところ、州議長の写真の後ろに、Teddy、あなたが大学のカメラを構えているところがばっちり載っているのよ!今すぐしんぶん見てえ。きゃあー。」あわてて寮の1Fにしんぶんを取りに行く。すると、あれえーいやあー載っているうう。その写真とはこれ↓。わかりづらいので赤い矢印を書いてみた。3マサチューセッツ州議会議長ロバート・トラバリーニ氏が、法案を通して”してやったり”顔で帰っていく。その右側には、stem cell 法案は”クローン技術と同じ”と最後まで反対票を投じた共和党のブライアン・リーズ議員がインタビュー攻めにあっている。トラバリーニ氏の後ろでカメラを構えているのが私である。顔さえわからないが、黒い前髪のざんばら具合が、間違いなく私である。。

午後、秋学期に授業をとっていたドナヒュー教授からもメールが来た。「きょうのGlobeのstem cellの記事のところに載ってた写真はあなたよね、Teddy?」そうです私です。この紙面、永久保存にしようっと。白黒だけでなく、カラーバージョンもGlobeのwebsiteにて入手した。それがこれ→。globe_photo_state_house早速いろんな友人にwebsiteのリンクをメールで送りつけたところ、「congratulations!」「「小指が立っているけど?」「目指せBarbara Walters!」などさまざまなコメントをもらった。実家の両親にも紙面を送りつけようっと。。

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生中継記者に挑戦~MA大物議員にぶら下がり

3.30(水)風邪で声がよく出ない。なのに、きょうも放送ジャーナリズム魂・フル稼働である(笑)。(好きじゃなきゃ、こんなのやってられない。。)

きょうは、まずヤマが当たった。朝9時、ティスル教授から言い渡された取材の課題。「Teddy,中継リポーターの君にやってもらうリポートは“ボストン市が英国ロンドンに習って、交通渋滞を緩和するために、市内を通行する車の全てに通行料を課金することを検討中”というネタだ。12時までに、街頭インタビューを撮ってきて欲しい。それを編集して、1分ほどのリポートにまとめて、12時に学部前の芝生から生中継で前フリと後コメを頼む。いいね?」

水曜日の朝、TVニュースルームの授業で、アンカーに次いで恐れていたローテーション、それが「live reporter」つまり中継リポーターである。9時に取材をスタートして、MOS(men on the street)と呼ばれる街頭インタビューを最低3人は撮って、それを編集してナレーションを書いてVTRにまとめる。12時の「NNN Midday」(TVニュースルームの制作するニュース番組の名前)のオンエアまでに立ちレポの原稿を作って、覚えこまないといけない。ちなみにネタは選べない。教授が勝手に決めて、言い渡される。

「ヤマが当たった」というのは、このクラスの前に見てくる地元TV局「チャンネル5」の5時のニュースに、このネタがライブリポートで取り上げられていたからだ。「きょうのクラスのライブレポートのネタは、これじゃないかな?」と推測をしていたら、見事当たった。

一緒に組むカメラマン役の同級生は、ビッキーだった。2人して9:15に大学校舎から外に飛び出した。「アイデアがあるんだけど。通行料の話だから、一般のドライバーを運転席でインタビューしない?」こう提案した私。大学の駐車場に行って、無事3人のドライバーを運転席でゲットした。

10:40までには、無事街録を終えて大学の編集室に戻った。3人のドライバーの意見を通行料金反対、賛成とうまくふりわけながら、バランスをとっていく。ナレーションの英語は、ビッキーが整えてくれた。

312:00なんとか、素材テープをサブに提出して、「中継リポーター」として、芝生に立った。ぜーはー。つかれた。 ビッキーが大学のカメラ、VX2000に中継用の無線アンテナをとりつける。トランシーバーから教授の声が聞こえる。サブからだ。「テディ、あと5分で本番だ。GOという掛け声で、しゃべり始めてくれたまえ。」(上の写真は私の生中継の後に、同じくお天気リポーターとして生中継したオノラ)

「Go Teddy, Go!」それは、5分後より早かったように感じた。だから、ビッキーも、ランスルー(リハーサル)だと思っていた。「The City Council is proposing to change a toll to drive on the streets in Boston. It is designed to cut down on traffic congestion in the city. But is this really going to work?」
VTRに入った。「ボストン市は、およそ8ドル近くを通行料として課金しているロンドン市に習い、市内を走る全ての車に課金をする方向で検討を進めています。ロンドンの場合、通行料を払わない車は市内に設置された800ものカメラで捕らえられ、180ドルの罰金を科せられることになっています。ボストンでは、ノースエンド、チャイナタウンといった地区の交通渋滞が深刻な問題となっており。。」VTRは決まった。

後コメだ。「Go Teddy, Go!」と再び教授のキューが聞こえる。「The council proposal will face stiff opposition from city businesses, and as you can see, some driver are also opposed. The city might face more opposition from the local business owners by imposing the toll…This is Teddy reporting from Boston, back to you, Miranda in the studio.」

てっきりリハだと思っていたものは、本番だった。後でオンエアテープを見た。私のリハと勘違いした声=「Am I on now, professor Thistle?」というのが収録されていなくて、一安心。。「中継リポーター」の役目さえ終われば、このクラス、あとは楽勝である。。

3午後からは、地下鉄に乗ってマサチューセッツ州議会議事堂に向かった。州議会上院で、stem cell research billつまり胚細胞(ES細胞)を使った研究を州として認めるかどうかの法案が可決されそうなのだ。議事堂には、stem cellに関する調査報道の撮影パートナー、キムリンが一足先に入っていて、地下にあるメディア・取材ルームで議会(写真の青色の美しい部屋)の様子をモニター収録していた。地元のプロのTV局のカメラマンや記者ですら、議会内には直接入れないので、その地下室は「たこ部屋」のように、ボストンのメディア関係者でぎっしりだった。

大学のカメラ、VX2000に直接ラインアウトをつないで、議会内の音と映像を収録。チャンネル5チャンネル7、NECN、FOX25など全ての地元局のカメラマンと顔見知りになれて楽しかった。日本のプロのメディアピープルと違って、彼らはわれわれ学生に対しても実にフレンドリーであった。チャンネル7のカメラマンに至っては、われわれに音声の延長ケーブルを貸してくれ、マイクスタンドまでセットアップしてくれる始末NECNの記者は、一人で来ていて、会見場でじかにデスクトップ編集機を持ち込んで編集をしていた。(写真)

予想したとおり、大多数の賛成を得て法案は可決。可決後、議会場から出てくる議員を捕まえてぶら下がりインタビュー。私はカメラをかまえた。キムリンがマイクを差し出す。そこへ、ES細胞を使った研究に反対票を投じたたった2人の議員のうちのひとり、ブライアン・リーズ氏がやってきた。リーズ氏は、ES細胞を使った研究は「ヒトクローン作成と同じ」だと主張している共和党員。地元局のβカムカメラに混じって、私とキムリンも、学生リポーターとして、見事ぶら下がりに成功。その後の州議長の記者会見も、立派にDVカメラで美しく収録した。

正直に言おう。日本でTV局の仕事をしているときは、こうした公式な記者会見の取材は、プロのカメラマンに撮影してもらうものだ、と思っていた。しかし、しかし、DVCでも十分に取材できるし、きちんとした装備を組めば、下手すると一人でもこうした会見取材は可能じゃないか、と思った。絵と音、さらにキーパーソンのコメントを取れれば、あとはストーリーさえ書けて、ベーシック編集ができればいいのだから。

↑そんなのは、日本のメディアでもすでに一部でやっていることだ、と反論する人もいるかもしれない。しかし、よく考えてみてほしい。私の場合、外国でこの、「ひとりDVC取材」をたびたびやっているわけで。つまり、外国でも、コーディネーターいらずでこのくらいの取材なら一人でできる、というところが、今回私が学んだことなのである。大手メディアの大名取材に対抗するハングリー精神と、ストーリー重視のジャーナリズム精神と。。これがやりたくて、TOEFL620点とるまで死ぬ気で英語勉強して、帰国子女でもないのに、外国の大学院にわざわざ入ったのだと今はっきりと言える。

3留学を始めてから6ヶ月。ボストンの地元のメディアに混じって取材をするのが、一つの自分のマイルストーンというか、夢だったのできょうはそれが実現してうれしかった。写真は州議会議事堂をバックに、本日の「しめ」である立ちレポを収録するわれわれ。外は凍えそうなほど寒かったし、風邪も悪化して鼻水とのどの痛みがとまらない私だし、朝5時からずっと「ジャーナリズム的生活」な本日だったが、お疲れ様でした自分!!家に帰ってバタンキュー!(古)。

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”FS101”葬儀ディレクター大学は大にぎわい!?

3.29(火)マサチューセッツ葬儀業界レポート・ロケ6日目。3The popularity of the TV drama “Six Feet Under” may have made the job of funeral directors more approachable.
The number of people who want to become funeral directors is significantly increasing
“「シックス・フィート・アンダー」というアメリカのTVドラマをご存知だろうか?アメリカのケーブル系TV局HBO制作の作品で、日本でもオンエアが決定したらしい。ドラマとしては異色の葬儀社を経営する一家を取り上げたもので、葬儀の運営だけではなく、ご遺体の防腐加工から、ご遺族の感情をなだめる場面まで、葬儀ディレクターの仕事のさまざまな側面が描かれている。

この「シックス・フィート・アンダー」のおかげというべきか、全米で葬儀ディレクター(funeral director)を志望する人が40%増えたとか(全米葬儀ディレクター協会調べ)。Mortuary schoolと呼ばれる葬儀ディレクターになるための資格取得のための大学に通う人も増えている。女性の志願者が増えていることと、他の職業からの転職組が増えていることが特徴。

3Mt. Ida College=マウント・アイダ・カレッジはボストン近郊のニュートン市にあり、葬儀ディレクターコースに100人近くが学んでいる。全米の中でも歴史の古い葬儀ディレクタースクール名門校の一つだ。2年のアソシエート・ディグリー、もしくは4年の学士号が「funeral service」の専攻で取得できるようになっている。きのうから低気圧がニューイングランド地方に来ているせいで、けさも大雨。その雨の中、T(地下鉄)Dラインに乗ってロケに向かった。教授とアポが取れたのだ。

「FS101」といえば、ここでは「funeral Service 101」つまり、葬儀ディレクターになるための基礎の基礎を学ぶ最初の講座のこと。葬儀ビジネスのノウハウや、遺族の心理を理解するための「psychology of mourning」といった授業というソフト面に加え、そのほかにも「facial restoration techniques(顔面修復テクニック)」や「embalming(防腐加工技術)」といった、人体解剖学に基づくハード技術まで、総合的に身につけられるカリキュラムとなっている。カスタマーのニーズを、きめ細かくサポートする葬儀ディレクターを輩出するのが狙い。

IMG_0801If you talk to my student and ask what is the V-word Jacky teach you, they will answer VALUE. “こう語るのは、葬儀ディレクターコースの学部長で、看板教授のジャッキー・テイラーさん。彼女は、サンフランシスコの大手葬儀会社で名embalmer(防腐加工士)として鳴らしていたほか、日本の公益社という葬儀会社が新しく始めた葬儀ディレクタースクール(大阪にある)の立ち上げにもブレーンとして参加した、葬儀業界では知る人ぞ知るフューネラル・ウーマンである。

“If we have a mother comes in and her child has been killed in an auto accident, she will pay anything to get to see him again. She will pay anything to see him clean, and hopefully as natural-looking as possible. That is worth something. Our ability to be able to give her the experience she needs at that time, it is worth something. So it is VALUE.”=「葬儀ディレクターというものは、お客様に「価値」を提供する商売。もしお子さんを交通事故で亡くしたお母様が来たとき、お子さんのご遺体を、なるべく、自然な、きれいな状態に戻すためなら、いくらでも払う、というかもしれない。そんなお客様に、価値ある経験を提供すること、それが、葬儀ディレクターのできることなのです。」とテイラー教授は教授室で、私との単独インタビューで語った。

マウント・アイダの「embalming class」を撮影に行った。マサチューセッツなのに「マウント」というだけあって、森の中、小高い丘の上にあるこじんまりした大学の夜間授業は、なんだか、避暑地にいるようだ。そこで19歳から40歳まで、年齢層もさまざまな「葬儀ディレクター課程」の学生達が「遺体を保存する温度は何度が適当か」「冷蔵技術に必要なものは」など、傍から見れば不思議なディスカッションをしていた。

3すでに地元の葬儀社でアルバイトをしている勤労学生も多く、自分の経験からさまざまなことを授業に持ち込んでは、教授(葬儀ディレクターのベテラン経験者が多い)に質問をぶつけていた。学生さんにインタビューをしてみた。(写真)40歳前後のリン・デューイさんは、だんなさんと母親を立て続けに亡くしたのが、葬儀ディレクターになろうと思ったきっかけ。夫と母親の葬儀を手がけた近所の葬儀ディレクターと身近に接しているうちに、興味を持ったという。数少ない黒人女子学生のティファニー・アコールさんは、将来DNA鑑定などを手がける警察の検死科学者になるのが夢、と語る。実に志望動機もさまざまなFSコースの学生達。

撮影パートナーの同級生、サラが「顔面修復技術」の授業を、後日撮影に行ってきてくれた。私はBUの自分の授業とバッティングして、行けなかったのだ。理科室みたいな教室には、人体模型がところせましと並べられ、その脇で、ゴムのお面のような、肌色の“デスマスク”顔面模型を作る学生達がいた。(2つ前のコラージュ写真)

3驚くべきことに、実はこの葬儀ディレクター課程の入っている大学の施設の地下室には、「遺体安置・加工室」が設けられている。実習のためだ。テイラー教授が、何気なく「Danger立ち入り禁止」と書かれたドアをかちゃかちゃ言わせながら開けると、そこは映画などでたまに見るあの、オペ室のような無機質な空間が広がっていた。実にさまざまな色のペイントの入った棚(血色を良く見せるための加工用)、冷蔵庫、ストレッチャー、切開のための工具など、興味深いものの実に恐ろしいものばかりが置いてある。しかも、ここでは、近隣の教会に寄せられた、身寄りのない死者のご遺体を、実際に加工することによって、試験が行われるというからさらに驚く。ご遺体は丁寧に加工をしたあと、学生達がボランティアでお葬式まで出すそうだ。勉強にもなり、一石二鳥だ。

遺体安置・加工室を見せてもらったとき、あまりにも慣れた手つきで、赤い死体袋=ボディーバッグを整えるジャッキー・テイラー教授が印象的であった。ビジネスとはいえ、死を日常茶飯事のものとして扱う職業、恐れはないのだろうか。聞いてみたかったが、撮影に夢中で忘れてしまった。

葬儀ディレクター課程では実に実用的な授業が、「大学」のカリキュラムで行われている。「うちの卒業生は、評判が高い。」テイラー教授も、そう鼻高々だった。葬儀社に持ち込まれる一人ひとりの故人の「人生のストーリー」を心をこめて、また美しく演出する、そんな職業がアメリカの「葬儀ディレクター」。そして、その葬儀ディレクターになるための、さまざまな技術を統合的に教える学校が、ばっちりとマウント・アイダのように用意されているのだ。恐れ入った。

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ボストン郊外のペット・セメタリーは大繁盛

3・28(月)マサチューセッツ葬儀業界レポート・ロケ5日目。"Personalization is also available when people want to commemorate their pets death.”ということで、きょうは、「個性化するペットの葬儀」を取材しに、ペット・セメタリーに赴いた。3People treat their pet as a human member of their family. Here at Angel View Pet Cemetery. People put memorial plates on the wall to remember the loved ones.”エンジェル・ビュー・ペットセメタリーは、マサチューセッツ州ミドルボロ郊外の森の中、小高い丘の上にあった。まずは、メモリアル・ウォールから紹介しよう。ペットの写真入りの記念プレートをセメタリーの一角に収めることが出来る。値段は105ドル。

きょうのマサチューセッツ州の天気は“大雨”。クラスメートのサラの赤いVWビートルはうんうん水を跳ね飛ばしながら、pothole(雪解けのためできる水が作る道路上の大穴)だらけのハイウエイを飛ばす。しかしながら、セメタリー到着時には雨が上がり、爽やかな風がエンジェル・ビューの丘に吹いていた。水分を含んだ森の木々がさわさわ言う中で、マサチューセッツの裕福なペット達が眠る丘を撮影した。

3プレートだけではない。フォーマルな埋葬を希望するペット・オーナーには、棺、墓石、墓地を含めた500ドルの埋葬プランが用意されている。(火葬の場合は145ドル)ショウルームには、ペット用の棺、骨壷など、一通りの人間と同じアイテムが用意されていて、飼い主の好みによってチョイスが出来るようになっている。

さらに、エンジェル・ビューには、小さなチャペルもあり最愛のペットと最後のお別れが出来る場所が用意されている。写真の黒いプレートに記された、きょうお葬式予定の名前(ムーシーとか、ジョージとか、ベティーとか)は、人間の名前ではなく、正真正銘ペットの名前でなのである。。

IMG_0786”They can bring the priest, they can bring the minister or if they are Jewish people, they wanna have a rabbi come. We had a lady who had her dog buried here who was Scottish, she had a bagpiper here.”とエンジェル・ビューの受付レディーのシャーリー・シアーズおばさん(写真)このチャペルには聖職者が常駐していないので、飼い主の好みで、神父やラビを呼ぶことが出来る。ちなみにシアーズおばさんはこの墓地につとめて10年になり、飼い主とともに泣くこともしばしばある、ベテラン・ペット・セメタリー・レディー”。もともと自分の飼い犬を埋葬しに来たときに、オーナーにここで働かないかと誘われたのがきっかけ。“Some people don’t wanna have pets go right away, so I let them stay. Keep the pet till they are ready. And once they are ready I got little casket, and put there pet in whenever they are ready to let go. Because it is so hard for people to say good-bye sometimes.(シャーリーおばさん)”

3なんと馬専用のお墓の敷地まであるエンジェル・ビュー。(コラージュ写真中、干し草がお供えしてあるお墓の写真がそれ)これまでにイグアナ、オウムなどの変り種を含む4000ものペットが埋葬された。なんと、パパ・ブッシュ大統領のペットの犬も埋葬したそうだ。(メイン州の別荘でリタイヤーしていたときに、亡くなった犬だそうだ。)

ところで、驚いたのが、この墓地の繁盛ぶり。バックオフィスにいる3人の主婦オペレーターの電話はひっきりなしに鳴るし、動物病院からダイレクトに葬儀のオファーが入りまくる。Walky-talkyで委託のペット搬送サービスに連絡をがんがんいれるオペレーターが印象的であった。さらに、フロントオフィスにも、入れ替わり立ち代り、最愛のペットを亡くして沈んだ大人たちが次々と訪れる。アポありの人もいるし、アポなしの人もいる。私が行った時にもWalk-inで「けさうちの犬が死んだんです。。」と泣きながら、火葬をお願いしに来た若い夫婦がいた。エンジェル・ビューのシャーリーおばさんによると「マサチューセッツには、ペットのグルーミングに月1000ドル以上かけている人がたくさんいる。そうした人たちにとって、ペットの埋葬に500ドルかけるのは、ごく自然だし、むしろ安い出費。」とのことだ。

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ポスプロ作業大詰め~アビ監督ドキュメンタリー

3・27(日)3きのうもあしたもロケだから、今日は休みたかったけど。最近、アビ監督(写真)から、こんな編集催促メールがほぼ毎日入るようになったのだから、たまらない。
"Dear Teddy Hi! Hows work going? When can we meet latest in the coming week for the film?
With regards, Abhi"

アビ監督は、国際フェロー留学生のドキュメンタリー「ソウル・サーチング」の編集作業を早く進めたくてたまらないのだが、いかんせん私は、本業のブロードキャストジャーナリズムの宿題で手一杯。ところが、きょうの日曜日なら、何とか多忙の合い間を縫って、時間をねん出できる日だ、とわかった。アビと合流して、私のMAC G4を持ち込み(写真)編集作業をすることにした。静かなところを探していて、ブラジルの国際フェロー留学生アーレットの部屋を借りることになった。当のアーレット本人は、イースターの昼食会に出かけて留守なのにだ。

3アビはのりのりだが、いかんせん連日のロケの疲れから、体がぎしぎし行って、朝から寒気がして、喉がものすごく痛い。風邪だ!間違いない。と、そこへ、アーレットの部屋のドアをノックする音。よく晴れた日曜の11時、同じ大学の寮に住むアビと同じ国際フェロー、アルメニア出身のバルーシ一家がイースターの色つき卵を配りにやってきた!(写真)お子さんのナネちゃんは、つぶらな瞳が印象的な恐ろしく落ち着いた少女。アルメニア中央銀行の大物であるバルーシの血をついでいることは間違いない。

昼はアビと外に食べに行く。おーーい、なんだか、そこで、喉の痛みが増して、、へ、へっくしょん。間違いない。風邪だ(繰り返すようだが)近所のコンビニセブンイレブンに行き、アビの勧め通り大衆風邪薬「Sudafed」を買う。しかし錠剤がでかすぎて飲み込めない。。。ところで、この風邪、きのう墓地で立ちレポをして、お墓の上を歩きまくったための「呪い」だろうか、などと冗談でアビに説明をしていたものの、あまり笑えない状態になってきた。

それでもとりあえず編集作業のほうは、夕方4時近くまでかかって、基本ラインがほぼ完成した。あとは少し音の大きさを調整したり、編集を整えるだけでいい。15分のドキュメンタリー、いっちょ(ほぼ)完成!

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散骨サービス船長に聞く心のこもった葬儀とは~ボストン近郊一の広大墓地で立ちレポ

3・26(土)マサチューセッツ葬儀業界レポート・ロケ4日目。3「A Burial at Sea Maritime Funeral Services is owned by U.S. Coast Guard licensed Captain David Morin.」 こんなウエブサイトを見つけたのは、偶然だった。googleサーチで「マサチューセッツの面白い葬儀サービス」を探していて、ぶちあたった。そのサイト「A Burial at Sea」には、「US沿岸警備隊員のキャプテン・デービッド・モリンが、一家族ずつの心のこもった海上葬儀を手がけます。値段は195ドルから。」とあった。住所はマサチューセッツ州アックスブリッジ。ボストンから1時間だ。早速メールを打つと、”キャプテン”から返事があった!そして、よく晴れた土曜日のきょう、クラスメートのサラに運転してもらい、ご対面とあいなったわけである。お願いしたとおり、デービッド船長は、船長のユニフォームを着て、待っていてくれた。冬季のため、散骨サービスの現場を海で実際に撮影できないことがわかり、インタビューとブツ撮りのみの取材。。せめてもの雰囲気を出そうと、ユニフォーム着用をお願いをしておいたのである。

3海上葬儀とは、つまり、「火葬した故人の灰を海に撒く散骨サービス」のこと。海が好きだった故人のためにはよい思い出となり、墓地を買わない遺族にとってはローコストな選択肢、ということで、最近日本でも似たサービスを選ぶ人が増えていると聞く。デービッドさんの「A Burial at Sea」社の行っている葬儀サービスは、まず、彼所有のボート(写真)でロードアイランド州の沖まで行き、美しい灯台(写真)の見えるエリアで散骨をする。灯台があれば「遺族がいつでもこれを目印に、灰を撒いた場所まで帰ってきて、故人を偲ぶことができる(デービッドさん)」費用は、家族が故人の灰を郵送してデービッドさんに散骨を委託するサービスが195ドル、6人までが参加できる家族参加型のサービスの場合、595ドル。海上葬儀を終えたあとは、灰を撒いた場所の緯度経度日時などが入った「burial certificate」(写真)が発行される。

3デービッドさんにじっくりとインタビュー。”Usually during the service there are tears as their loved ones are departing for the last time. And it can be a moving experience. It is small and individualized services. And it’s just not a mass burial situation. If we happen to have two sets of ashes, we go to another location. I am not sure if this happening at large maritime funeral services”デービッドさんが散骨サービスをはじめたのは、ご自身の父親を、フロリダの大手散骨サービス業者に頼んで海上葬儀にしたとき、そのサービスに不満を持ったことに端を発する。「何組もの家族が、大きな船に乗って、いっせいに灰を撒くんだ。嫌だろう?故人一人ひとりが個性を持って生きてきたように、海上散骨も一組一組、dignityとrespectを持って行いたいと思って、自分なりの散骨サービスを始めたのさ。」これまでの顧客は過去3年で「several dozen」だそうだが、美しい夕陽の海の写真をあしらったホームページなどの効果もあって、評判は口コミで広がっており、「今新しいボートの購入を考えている。(デービッドさん)」

ところで、なんと、デービッドさんの奥さんであり、散骨サービスの共同経営者でもある奥さんのシェリルさん(結婚式写真の中央)は「Justice of the Peace」という無宗教の人のための「結婚認定人」という資格を持っていて、自宅でウエディング・サービスをやっている!。デービッドとシェリル=モリン夫妻は、ガーデンウエディングサービスのための広大な建物を所有するアックスブリッジ有数の地主らしい。小規模から100人の大規模なものまで、マサチューセッツのカップルを受け入れ続けて数年が経つという。「最近は散骨業もさることながら、結婚式業のほうも忙しくてね。(デービッドさん)」われわれが取材に行った日も、インタビューの1時間後に一組、カップルの結婚式が、デービッドさんのお宅でとりおこなわれた。結婚式から葬儀まで、人生の2大セレモニーを一度に手がけるモリン夫妻、恐れ入りました。。

IMG_0734ロケからの帰り道、どうしても散骨サービスのイメージ「夕陽の落ちる海」もしくは「光る水面」のイメージカットが撮りたくて、サラに無理を言って、ボストン・ローガン空港のそばまで車をとばしてもらった。午後4時。暮れ始めた夕陽が水面に反射して美しい。その向こうにはボストンの摩天楼が見える。いいカットが撮れた。

3さて、きょう午前中は、キャプテンに会いに行く前に、立ちレポ(stand-up)を撮った。私は2行以上の英語のせりふを覚えられない。最大がんばって、3行である。前日の晩、うんうんうなりながら、葬儀リポートの冒頭向けに、考え出したのが、これ。「The funeral industry is facing a reform. Families are thinking differently about how they want to honor their loved ones. Let’s take a look at funeral service trends in Massachusetts.」

んでもって、立ちレポをする場所はもう心の中で、決めてあった。"America's First Garden Cemetery”、「マウント・オーバーン墓地」である。マサチューセッツ一の高級墓地で、敷地内を車でドライブできるくらい広い。175エーカーの敷地内には川や池、丘があり、ガイド付き案内ツアーがあるくらいだ。しかしである。行ってみたものの、場所が決まらない。上の写真は、3箇所にわたって墓地内で、撮る場所を変えて、試行錯誤、たった12秒の「立ちレポ」に1時間半かけた際のコミカルな記録である。。

ーー(写真説明)①オーバーン墓地、②丘の上に上って立ちレポ撮ってみました、③②がいまいち決まらないので、平らなところで背景を変えて再度撮影、④「やっぱ何か良くないよね、サラ?」、⑤お隣の敷地に移動、⑥ピンマイクのケーブルセッティング中、⑦せりふを言いながら前に歩く、サラがそれにあわせてカメラをズームバック。「決まった?」、⑧「念のため、もうワンテーク、やっていい?」、⑨「やったー!セリフも決まったし、絵も決まり。喜びの踊り。」ーー

立ちレポ、それはブロードキャスト・ジャーナリズムの学生にとって、たった10数秒にかける芸術、である。。というか、TV局で放送はされないとしても、かっこよく、撮りたいじゃん?。。。ここまでくると、「大学院の成績とかはどうでもいいから、いいものを作りたい。」と、サラと2人でこだわりまくったロケの一日、なのであった。。

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マサチューセッツ墓石物語~老舗メモリアルストーン職人を取材

3・25(金)3きょうはまず「調査報道」の授業から。大学のスタジオにて、NBC系列の地元TV局WHDH-TV=通称チャンネル7の現役報道カメラマンを招いての撮影・照明講座が開催された。”ジェル”と呼ばれるカラーセロファン紙を使っての照明法のレクチャーに皆興味津々。

午後からは、マサチューセッツ葬儀業界の取材を始めて3回目のロケのためにEverettというボストン郊外の町に一人、デジカメと三脚を担いで赴いた。

3They wanted a light house. But they specifically asked us to put a lobster….”灯台が描かれた素敵なデザインの墓石。この墓石に、「ロブスターを付け足してくれ」というユニークな注文を受けたと説明をするのは、ウッドローン・メモリアル墓石屋の4代目社長、デービッド・デフィリッポさん。Bay Stateという別名を取るマサチューセッツ州の風光明媚な海岸の景色に欠かせない「灯台」と「ロブスター」を描いた墓石は、注文した家族の、故人への愛情が満ちているように見えた。この店を取材対象に選んで、正解だった、そう心から思った。葬儀業界の取材を進めるにあたり、2回目のロケで「葬儀のパーソナライゼーション」のことを聞きつけてから、このリポート全体のテーマをマサチューセッツの葬式が、いかに個性化が進んでいるか、に絞ることにした。ネットリサーチの結果、墓石も個性化が進んでいることが分かり、ボストン近郊の墓石屋に何軒かアポを取ってみたところ、電話一つでOKしてくれたのがデービッドさんだった、というわけ。(しかし墓石屋の数の多いこと多いこと、それにも驚かされた)

3「People no longer want the traditional monument that says with religious emblem “rest in peace”. People wanna create the story with the stone. They wanna tell a story of what the person may have done」=”墓石のオーダーでは、最近、トラディショナルなデザインよりも、個性的なデザインを選ぶ人が増えている。故人のための、物語を墓石で表現しようとしているんだ。”こう語るデービッド・デフィリッポさん(写真)の墓石屋は、1907年創業の老舗。家族経営で、エヴァレット地区の墓石のオーダーの多くを手がけてきた。「曽祖父がイタリア系の移民としてマサチューセッツにやってきたころ、同じような墓石ビジネスは、この地区にたくさんあった。その頃は墓石職人は、貧しい人々のやる仕事だった」現在デフィリッポさんの墓石屋では、個別にオーダーを受け、デザインを手がけ、事務所の裏にある工房で、職人の手やレーザーによるエッチングを施し、仕上げまでを一貫して行っている。地域の競合店では、このような一環したオーダーメイドストーンを手がけているところは、少なく、デフィリッポさんの墓石屋には、その仕上がりのクオリティーの高さから、客足が途絶えることがない。

3←写真がウッドローン社が、これまでに手がけた墓石の数々。日本の、同じような御影石を使った、家の名前だけが入った墓石を見慣れている私には、驚きのデザインの連続。どれも同じだったこれまでの墓石デザインと比べ、こうしたオーダーメードなデザインのほうが値段が安く済むというから、それも驚きだ。デフィリッポさんの店のオーダーメード墓石のお値段は平均で1600ドル。ちなみにコラージュ写真上段左から=ハート型、ジュークボックス、ペット、飼い主のための墓石に描かれた飼い犬・写真2段目左からトラックと夫婦と飼い犬、カラーで故人の家、故人の家2、マリア様・写真3段目左から十字架、鳩、フットボール選手のための墓石、ユダヤ教の墓石。。実に二つと同じ石はない。。

デフィリッポさんは、30代まで地元のヘルスケア用品チェーンCVSで働いていて、家業を継ぐつもりはなかったそうだ。「やり始めると、面白く、はまっていった。顧客一人ひとりの”故人の思い出”を聞くところから注文が始まるので、もらい泣きしながらデザインをすることもしばしば。」やはり、この人も、以前書いた棺屋のおじさんと一緒で、「墓石屋が天職」なのだろう。

3ところで、インタビューをし、工房を見せてもらい。。帰ろうとしていたところ、「これからマーブルヘッドという町のお墓に納品に行く。」というので、お願いをして、同行させていただくことに成功した。デフィリッポさんの車にずうずうしく乗り込み、40分。海岸沿いの小さな町の、広ーい墓地の一角に、注文した墓石の出来上がりを待ち望んでいるおじいさんがいた。アントン・コーエンさん(写真)は、去年の12月、クリスマスの3日前に最愛の妻、アリスさんを亡くしたばかり。コーエンさんの見守る中、淡々と、かつ慣れた手つきでデフィリッポさん達が、墓石を運んでいく。運び込みから、設置まで、ものの15分もかからない手早さ。プロの仕事だ。ばっちりカメラに収めた後、おそるおそるコーエンさんにも、感想をうかがってみた。「It is just what I wanted. I couldn’t have asked for a better stone. That is wonderful. They did a great job.」年のころは70代だろうか、妻を亡くされたコーエンさんにとって、墓石が設置されるのは”最後通知”みたいなもの。「これで、アリスさんも喜んでいるでしょうね。」あつかましいと思いながらも、”おいしい”インタビューを終えて、私はカメラをしまいながら、コーエンさんを励まそうと話し掛けた。「きっと、妻も喜んでいる、だろうよ。」コーエンさんは、ちょっと涙ぐんでいて、言葉に詰まっていらっしゃった。思わず私ももらい泣きしそうになってしまった。いつまでも墓石の前から去ろうとしないコーエンさんを、後に、取材を終え、帰ることにした。

帰り道、デフィリッポさんは、なんと1時間近くもドライブして、私をボストンのダウンタウンまで送ってくださった。「取材してくれてありがとう。いつでも追加があれば、戻ってきてくれていいよ。じゃあ。」撮影パートナーのサラの都合がつかなくて、止むを得ず一人で行ったロケだけど、また一つ、忘れられない、いい取材ができた。

3夜、大学近くの日本料理屋で、日本人BU院生の「ビジネス研究会」の飲み会が開かれた。2次会のアイリッシュパブも含め、踊り、酔い、楽しむ日本人in Kenmore SQ...かくして、夜は更けていく金曜日。。

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バックストリート・ボーイズin Boston!!

3.24(木)数日前にボストングローブ紙のmusic欄を読んでいて、気がついてしまった。彼らが、来る。ボストンに。そして、ライブをする。しかも、会場のクラブは、なんと徒歩圏内!!行かねばなるまい。どんなに忙しくても、万障を繰り合わせなければ。

3彼らとは、これ←。あのボーイバンド、BSBこと「Backstreet boys」である。2001年に、大枚をはたいて来日公演を見に行った。東京ドームの外野席からは、彼らは豆粒のように小さかった。それが、なんとライブハウスでの公演を間近で観るチャンスである。よ、よだれが。(アイドルと言われようと、なんと言われようと、長年のファンなのである。あのキャッチーな曲たちと、コーラスが。)

3会場の「Avalon」には、すでに店の前に長蛇の列が出来ていた。やはりティーンエイジャーが多い。お父さんと来ている中学生までいる。うちの大学寮の真裏、レッドソックスの本拠地であるフェンウエイ野球パークのまん前にある有名なクラブ。徒歩5分でついちゃった。。

3前座のラップDJが終わると、”彼ら”が姿を現した。「ボーストーン!」グループ一の愛嬌もの、ハウイーDが叫ぶたびに応える観客。ライブハウスが歓声で揺れる。中でも、一番人気は、やっぱり最年少のニック・カーター。最近は、あのパリス・ヒルトンと交際の噂があったものの、破局とか。

なんと、白いジャケット、白い帽子の「定番アイドル姿」(写真)で名曲「Call」を歌い踊る彼ら。か、かわらねえーー。前回のアルバム発売から4年以上経った今でも、メンバーの多くが30代を迎えた今でも、変わらずのボーイバンドぶり。確かに、ちょっと、「いい加減新しいアルバム出せよ(現在作成中)」「曲調をかえてくれ」というつっこみや、「解散したかと思ってた」という声まで聞こえる場内だが、若い女性を中心には立ち見満員、耳が痛くなるほどの黄色い「ぎゃー」という声がとぶ。

3新曲の合い間に過去のヒット曲を混ぜるという案配で、「I want it that way」や「Show me the meaning of being lonely」(CX系の過去ドラマの主題歌として、日本でもヒットしましたね)、インカムをつけてのダンスが大好きだった「Larger than life」(あのダンスを近くで見れて興奮!)、さらに、「Drowning」「Shape of my heart」「The one」「More than that」などを熱唱。ハスキーボイスが大好きなAJ(写真左・アル中疑惑あり)と、私の夢の中に出てきたこともあるキュート系、ハウイーD(写真右)。100mとない間近で見られて、大興奮。立ち見だけど、思う存分マサチューセッツ・ティーンエイジャーに混じって、BSBとともに歌った。

中でも鼻血ものだったのが、私が個人的に大好きな、「All I have to give」という曲。椅子と帽子を使ったパフォーマンスは、もし一生のうちに一度でも結婚式が挙げられるのならそのときにぜひ新郎側の友人の出し物にしてもらいたいと思っている(出来るかい!)もの。だって、あのださださスイートな歌詞が、大好きなんですもん。「♪My love is all I have to give. Without you I don't think I could live. I wish I could give the world to you. But love is all I have to give.」歌いながら、帽子を目深にかぶった5人がくるくるブロードウエイ・ミュージカル調の踊りを披露するの。。。(DVD「Greatest Hits」に収録されています。女性陣、ご欄あれ。)

3帰り、ツアーTシャツ(ボストン公演は全米ツアーの一環。)をゲットして、やる気満々で、裏口で「出待ち」してみた。TVカメラクルーもいる。3月とはいえ0℃近くまで冷え込むボストンの夜。「ママー、もう帰ろうよー寒いー。」とぶつくさいう高校生とその母親、みたいな人たちに混じって待つこと30分。やがてボストン市警の警察官に伴われて(なぜポリス?)、一人ずつ楽屋口からツアーバスに乗り込むバックストリート・ボーイズ。一人ひとりを2mの至近距離で見れて大満足。中でも最年長のケビンは、最前列にいた、主婦のファンを抱きしめるサービスがあり、主婦の人は感激のあまり失神しそうになりながら、「I knew Kevin is sweet. I knew it..!」と嬉しさを爆発させていた。さらにツアーバスを取り囲む群衆に混じってさらに待っていると、なんとツアーバスの助手席にニック・カーターが茶目っ気たっぷりに姿を現したではないか!!シャッターチャンス!こうしてフェンウエイの夜は、更けていき、BSBは大型ツアーバスを4台もつらねながら、ダウンタウンに消えて行ったのであった。。会えてよかったBSB!

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葬儀ディレクターという職業~ボストン老舗funeral homeを取材

3/23(水)マサチューセッツ葬儀業界の取材を始めて2回目のロケ。きょうはボストン郊外のアーリントンという街で、老舗funeral homeつまり葬式場を営むデービッド・ウォーキンショーさんに会う。業界団体であるMFDA=Massachusetts Funeral Directors Associationにマサチューセッツ葬儀業界のトレンドを問うインタビューを申し込んだところ、広報担当であるデービッドさんが取材を受けてくれた、というわけである。

3アーリントンはクラシックな歴史ある街並。その中でもひときわ古い「Saville & Grannan Funeral Home」はなんと1881年創業。建物(写真)は、有名な小説家が以前住んでいたもので、歴史的保存物に指定されている。デービッドさん(写真)は4代目の経営者。こちらの葬儀場は、日本のような「斎場」ではなく、あくまでも「個人の家」のように見えるような建物が普通である。

非常に気さくだが、できるミドルエージ経営者といった感じのデービッドさん、2人の大学生の娘さんのうち一人がジャーナリズムスクールに通っている、ということもあり、われわれのインタビューにも理解を示してくれた。「この間FOX25newsに取材をされたんだが、B-roll(インタビューのほかに、物や建物人などをインサート映像用に撮影するもの)をたくさん撮影していったよ。」ビーロールという業界用語を知っている辺り、やるねえ。

早速インタビュー開始。「現在の葬儀業界の最大のトレンドは、葬儀の個人化=personalizationが進んでいるということだ。Everyone’s death is different. Everyone’s life needs to be celebrated in a different way. And my job is to figure out the way that is appropriate. And if I didn’t do that, I wouldn’t be doing my job.」人の死には、ストーリーがある。

アメリカのfuneral homeと呼ばれる葬儀場では、故人の家族から、故人にまつわるストーリーをまず聞き出すところから、仕事が始まるという。「よく話を聞いた上で、そんなユニークな故人だったのなら、こんな風に、送り出すことが出来ますよ、とさまざまなオプションを紹介するんだ。」デービッドさんによると、これまでに、二つと同じ葬式はなかった、という。葬式を行う場所も、教会から、故人の家、デービッドさんの葬儀場を使ったものから、さまざま。送迎の方法も、さまざま。さらに、「火葬を選ぶ人が、26%と、葬式に関しては超保守的なマサチューセッツでも、増えてきているのが特徴だ。」もちろん、火葬のほうが、高いcasketと呼ばれる棺に遺体を収め、土葬にするに比べると、コスト面でも安くつく。「If you come in to me and say David I wanna immediate cremation and I don’t want to have services, it will probably cost $1000. If you come in and say I want to have traditional funerals, you may spend more than $10,000.」

棺に収めた遺体を、viewing serviceと言って、葬儀に訪れた人の目に晒すため、embalmingという防腐加工の技術も葬儀ディレクターには求められる。「おじいさんの古時計」のような、年代物の大時計(写真)がかちこちと、故人の思い出を刻むように時を刻むデービッドさんの葬儀ホームのviewing roomは、これまでにこの部屋から送り出された数々の人の歴史がしみこんだような、重厚でいて、ちょっと不気味(失礼)な部屋だった。照明の当たっていない部屋の隅々に、これまでに送られた人々の「念」のようなものが、感じられて、少し鳥肌が。カメラマンの同級生、サラが聞く。「地下の霊安室兼防腐加工室を見せてください。」「今、お一方いるので、だめなんだよ。」・・・絶句。棺が安置され、viewingされる場所には、不思議なピンク赤の照明が当たっている。遺体の肌色を良く見せるためだ。サラのアイデアで、大時計の音を収録する。

3デービッドさんは、アメリカ全体のナショナル・葬儀ディレクター協会のスポークスマンも兼務しているだけあって、さすが説明が旨い。地下の「棺・灰つぼショールーム」へ。「このいるかはなんですか?」私が思わず聞いたのは、なんと、リビングルーム向けの灰つぼ(写真)だった!「これで、愛する人をいつもインテリアのようにリビングルームに置いておける。」金色の灰つぼや、ペンダント型の灰いれまで、いかに「火葬」を選ぶ人が増えているかがわかる。ほかにも、棺の8分の1模型がたくさんおいてあり、家族はここで故人のイメージにあった「最後の家」を選ぶ仕組みだ。

しかし、火葬業にまつわるこんなスキャンダルが去年10月にニューハンプシャー州で起き、葬儀業界に対する信用を失わせた。日本と違って、家族が火葬に立ち会わないことも多いアメリカのお葬式。ある火葬請負業者が、請け負った遺体の火葬を正しく行わず、遺体を不法に土葬にしたうえ、誰の物だかもわからない灰を、依頼者に返却していた、という事件があったのだ。「あの事件以来、さまざまなクレームが、業界団体に来た。しかし、われわれの職業は、信頼が命だ。あってはならない事件だ。」「葬儀ディレクターというのは、悲しんでいる家族に物を売り付ける職業では決してない。一件、一件、家族の話を聞いてあげ、時にはともに涙をすることもある。何かを売りつけているように聞こえるのではなく、悲しんでいる家族に、故人の旅立ちを”祝う”ためにこんな方法もあるんですよ、と説明してあげるのが、われわれの職業だ。」「子供の頃から、人の死に接してきた。父である3代目社長が遺体に防腐加工を施すのを横目で見ながら、子供時代はこの葬儀場で遊びまわっていた。父が、よく死について説明してくれたものだ。”こちらのミセス・ジョーンズは、亡くなったんだよ。どうして彼女が亡くなったのかというと。。”そんな父を見ながら育ったので、葬儀業を継いで4代目ディレクターになるのは、自然なことだった。私には、娘しかいないから、後継者についてはわからんがね。。」

マサチューセッツには、長い歴史を誇る、家族経営のこのような葬儀場が240以上あり、その数は他の州に比べるとかなり多いという。

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